「PAN」と一致するもの

Nala Sinephro - ele-king

 ナラ・シネフロのデビュー・アルバム『Space 1.8』がリリースされる前のことだ。インタヴューができるというので質問を送った。しかし、返ってきたのはインタヴューを受けられなくなったというレーベル側のコメントだった。オフィシャルなプロモーション取材が優先されたのだろうと理解したが、そこにはシネフロ本人のお詫びの言葉も添えられていた。丁寧な対応だと思った。その後に公開されたピッチフォークのインタヴューで、「アンビエント・ジャズ」や「ハープ奏者」というメディアの形容からシネフロが逃れようとする発言をしているのを知った。完全に制度化されたジャズの間違った売られ方、教えられ方への厳しい批判を口にして、本物のクラシックのハープ奏者が見たら発狂するような伝統を破る弾き方をしていることもクソ喰らえと言わんばかりに強気に語っていた。そうした発言は意外ではなく、当然の態度のように感じた。
 シネフロの音楽は、本人にどんな意図があろうと、良質のアンビエントとしての魅力を放っているし、ジャズを聴いている耳にも引っかかるだけのハーモニーとリズムのうねりの美しい重なりがある。心地良さに包まれる瞬間も確実にある。ただ、それらは、粗い質感と歪んだ音響が見えないレイヤーに潜んでいるような、ある種の危うさを伴って響いてくる瞬間もあるのだ。『Space 1.8』が、いくつかの文脈を伴って多様なリスナー層にアピールした所以だと思う。
 シネフロの経てきた聴取体験や音楽的な嗜好は、かつてNTS Radioで持っていた番組のプレイリストから少し伺い知ることできる。2020年頃に月に1回ほど放送していたミックスはMixcloudでいまも聴くことができて、botがまとめたプレイリストがYouTubeに上がってもいる。例えば公開されていない初回の放送では、MFドゥームの “Gas Drawls” からスタートして、ヘンリー・フランクリン、オープン・スカイ(デイヴ・リーブマン、フランク・トゥサ、ボブ・モーゼス)、ウェザー・リポート、アルハジ・チーフ・コリントン・アインラ、ミニー・リパートン、ファラオ・サンダース、モネット・サドラー、エベニーザー・オベイなどが掛かった。この回はスピリチュアル・ジャズやナイジェリアの音楽に主にフォーカスしているようだったが、間に幾度かMFドゥームの曲が挟まれていた。その他の回でも、日本の環境音楽やアシッド・フォーク、フランスやデンマークの初期の電子音楽から、UKのポスト・インダストリアル、ドローン、〈ECM〉、エレクトロ・ディスコ、ニューヨーク・ラテン、クレタ島のフォークロア、アンゴラのクドゥロ、ジャマイカのダブ、そしてエリック・ドルフィーとチャールズ・ミンガスなど、異なるジャンルと時代が入り混じった選曲をしていた。
 これらがすべてシネフロの音楽のバックグラウンドを形成しているという単純な話をしたいわけではない。ただ、この豊かなプレイリストを見ていると、ハープ奏者という枠にはめられることを否定して作曲家であると言い張る理由がわかるのだ。ジャズを教える音楽大学からドロップアウトしたシネフロにとって、吸収すべきものは音楽そのものだったということだ。ある楽器を演奏するテクニックに秀でるといっても、本来いろいろなスタイルがあり、それによって判断基準も異なる。ジャズでよく使われる「最高峰」という形容は、演奏家のヒエラルキーを可視化しようとする。だが、そこにあるヒエラルキーにふと疑問を抱いた者に、別の可能性を与えるだけの余地をまだジャズという音楽は持っている。演奏家ではなく作曲家であろうとするシネフロが、『Space 1.8』で見出したのはそのことだ。
 ジャズがビバップのコード進行から解放されて、モードに則った演奏に向かった中に、すでにアンビエントの萌芽のようなものがあったのではないか、と感じることがある。ビバップのコード・チェンジで進行していくヴァーティカルな演奏は、調性が明確で、テンション・ノートの使い方を含めて完成されたスタイルを成している。それに則って演奏することでジャズらしくなる。一方で、モード・ジャズ、モーダルな演奏というものは、縦割りのコード進行に囚われずホリゾンタルに広がって、コードトーンではなくキーからモチーフが作られていく。そのように一般的には説明されるのだが、実際はモーダルな演奏といっても、ビバップのコーダルな演奏が混じることもある。特に現代の有能なジャズの演奏家たちはあらゆるスタイルに長けていて、それらを混ぜ合わせて妙技を見せる。だが、そうしたハイブリッドな演奏からドロップアウトしてしまった音楽がある。調性の足かせを外したフリー・ジャズもそのひとつだが、調性を残しながら(あるいは極めて単純化させながら)環境に馴染ませていったアンビエントもそのひとつだ。

 シネフロの新しいアルバム『Endlessness』は、『Space 1.8』よりも幾分かジャズに寄っている。オープニングの “Continuum 1” がそれを象徴する曲だ。エズラ・コレクティヴのジェームス・ モリソンのサックスとブラック・ミディのモーガン・シンプソンのドラム、それにシネフロがアレンジしたストリングスが加わる。 シンセサイザーのクレジットがあるが、ハープを取り込んだ音のようにも聴こえる。抑制的に短いモチーフが反復されていく中から、ストリングスが次第に聴こえてくるが、そのハーモニーが支配的になることはなく、別のレイヤーにずっと存在し続けているかのようだ。まとまりがないということではない。ストリングスは緩やかな高揚感をもたらすが、やがて霧散していくものとして存在している。
 この流れは、“Continuum 2” にも続く。ライル・バートンのピアノがまず基軸を作り、ヌバイア・ガルシアのサックスやシーラ・モーリスグレイのフリューゲルホーンは、ココロコのようなUKジャズのダイナミズムから離れて、ひとつのサウンドスケープの中に溶け込んでいる。この2曲はまさにホリゾンタルに広がっていく世界を描く。そして、アルバムで唯一ハープがクレジットされている “Continuum 3” からアンビエントのサウンドスケープが色濃くなるが、その音響は『Space 1.8』よりもダイナミズムを増している。“Continuum 6” で、シンセサイザーとガルシアのサックスやナシェット・ワキリのドラムとの演奏は熱を帯びていくが、長くは持続せずに起伏のひとつを成し、ラストの “Continuum 10” ではアリス・コルトレーンとクラウトロックの側へと至っている。
 聴覚と視覚や触覚など、五感が互いに影響を及ぼし合うクロスモーダル(cross-modal)という現象がある。音響心理学や音の物理学への関心を深めてきたシネフロにそのことを尋ねてみたいというちょっとした好奇心から質問のひとつに加えたのを覚えているが、いまとなってはクロスモーダルという言葉自体が示唆的に聞こえ、その現象と言葉から勝手に読み解くことがありそうだ。『Endlessness』を聴きながら、そんなことを思っている。

NALA SINEPHRO
ナラ・シネフロ、ニューアルバムを完成させ、待望の初来日公演が決定!

ジャズの感性、ハープとモジュラー・シンセが奏でる瞑想的なサウンド、そしてフォーク音楽やフィールドレコーディングを融合させた独特の世界観で、広く賞賛を集めるナラ・シネフロが、ニューアルバム『Endlessness』を携え、強力なバンドメンバーと共に待望の初来日公演を行うことが決定した。

カリブ系ベルギー人の作曲家でミュージシャンのナラ・シネフロ。話題を呼んだデビュー・アルバム『Space 1.8』は、UKの名門レーベル〈Warp Records〉から2021年9月にリリースされた。サックス奏者のヌバイア・ガルシアやジェームス・ モリソン(エズラ・コレクティヴ)をはじめ、新世代UKジャズ・シーンの最前線の面々の参加を得つつ、当時22歳のナラが作曲、プロデュース、演奏、エンジニアリング、録音、ミキシングを行い創り上げた。その静かな狂気と温かな歓喜に満ちたサウンドは、主要音楽メディアがこぞって大絶賛、ここ日本でもアナログ盤とCD盤が異例のロングヒットとなった。

そんなナラ・シネフロが遂にニューアルバム『Endlessness』を完成させた。2024年を代表するだろうそのアルバムは9月6日にリリースされる。そして待望の初来日公演が決定!完売必至の一夜は11月25日にめぐろパーシモンホールにて開催!チケットの確保はお早めに!

2024年11月25日(月)
めぐろパーシモンホール 大ホール
meguro Persimmon Hall

開場 18:00 / 開演 19:00

TICKET:8,000 YEN (税込/全席指定) ※未就学児童入場不可 ※開演前にお早目のご入場をお願いします。

企画制作:BEATINK
INFO:03-5768-1277 / E-mail: info@beatink.com / [ WWW.BEATINK.COM]

チケット詳細:
一般発売:8月23日(fri)18:00~

イープラス
LAWSON TICKET (L:70999)
BEATINK

INFO: BEATINK 03-5768-1277 www.beatink.com

label:BEAT RECORDS / WARP RECORDS
artist:Nala Sinephro
title:Endlessness
release:2024.9.6.
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14242
Tracklist:
01. Continuum 1
02. Continuum 2
03. Continuum 3
04. Continuum 4
05. Continuum 5
06. Continuum 6
07. Continuum 7
08. Continuum 8
09. Continuum 9
10. Continuum 10

interview with Galliano - ele-king

(ガリアーノのスタイルには)ロンドンのクラブ・シーンのある一線で起こっていたことを代弁し、音楽批評家であるサイモン・レイノルズの書籍『Retromania』にあるような方法で古い音楽を見つけつつ、新しいものをすべて受け入れようとするハングリー精神があったんだ。

 UKでアシッド・ジャズ・ムーヴメントが巻き起こった1980年代後半から1990年代前半、ヤング・ディサイプルズ、インコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジャミロクワイなどと並んでシーンを牽引したガリアーノ。その後1997年に解散し、中心人物のロブ・ギャラガーも別のプロジェクトなどで活動していたが、そのガリアーノがなんと再始動し、ニュー・アルバムの『Halfway Somewhere』を発表するという驚きのニュースが飛び込んできた。ガリアーノにとって『Halfway Somewhere』は、スタジオ録音作としては1996年の『4』以来28年ぶりの新作となるのだが、アシッド・ジャズ時代をリアル・タイムで体験してきた者にとって、彼らの復活はまったく予想外であった。しかし、現在はかつてのガリアーノについて知らない人も少なくないと思うので、まず当時の活動状況やシーンの様子などから振り返りたい。

 ガリアーノのデビューは1988年で、当時のロンドンはヤング・ディサイプルズやザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズらが出てきて、俗に言うアシッド・ジャズのムーヴメントが巻き起こっていた時代だった。ガリアーノのデビュー曲は、カーティス・メイフィールドの “Freddie’s Dead” をリメイクした “Frederic Lies Still” で、リリース元はDJのエディ・ピラーとジャイルス・ピーターソンが設立して間もない〈アシッド・ジャズ〉。当時のアシッド・ハウスに対抗して作られたと言われる標語をレーベル名に持つ〈アシッド・ジャズ〉の名前を一気に広め、その頃同様に盛り上がりを見せるレア・グルーヴ・ムーヴメントともリンクして人気を集める。
 ガリアーノはロブ・ギャラガーとコンスタンティン・ウィアーのツイン・ヴォーカルを中心に、マイケル・スナイスのヴァイブ・コントローラー(MC的な役割)、スプライことクリスピン・ロビンソンのコンガという編成で、サポートでミュージシャンやコーラスが加わり、ライヴではダンサーなども入る。バンドというよりロブ・ギャラガーのプロジェクトという色合いが強い。サポート・メンバーにはドラマーのクリスピン・テイラー、ベーシストのアーニー・マッコーン、ギタリストのマーク・ヴァンダーグフトらがおり、一時はスタイル・カウンシルのミック・タルボットもキーボードで参加していた。ジャズ、ファンク、ソウル、ゴスペル、アフロ、レゲエなどをミックスした音楽性、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらビート詩人の流れを汲む歌詞、ラスト・ポエッツやワッツ・プロフェッツのようなポエトリー・リーディング・スタイル、そしてモッズとラスタファリをミックスしたような独特のファッションに、アート、デザイン、カルチャーなども結び付け、USのジャズ・ヒップホップに対するUKのアシッド・ジャズのムーヴメントを牽引していく。

 1990年にジャイルス・ピーターソンとノーマン・ジェイが〈トーキン・ラウド〉を設立すると、そこに加入してファースト・アルバムの『In Pursuit Of The 13th Note』(1991年)、『A Joyful Noise Unto The Creator』(1992年)を発表し、ファラオ・サンダースアーチー・シェップ、ダグ・カーン、ロイ・エアーズなどのジャズ系のカヴァーやサンプリングで高い支持を得る。特にスピリチュアル・ジャズ系のネタ使いはそれまでほかのアーティストに見られなかったもので、またほかのアーティストに比べて強いメッセージ性を有する歌詞やスタイル、言動により、ガリアーノは一種のカリスマ的な人気を博する。
 その後、アシッド・ジャズ・ブームが沈静化してきた1994年、オリジナル・メンバーのコンスタンティン・ウィアーが脱退し、代わりにサブ・メンバーとしてコーラスをやっていたヴァレリー・エティエンヌが正式メンバーとなる。そうしてリリースした『The Plot Thickens』は、クロスビー・スティルス&ナッシュのカヴァーである “Long Time Gone” をはじめ、フォーキーなロックやソウルを取り入れて新境地を開拓。ヴァレリーのソウルフルなヴォーカルがガリアーノの音楽性に化学反応を生じさせ、アーシーでアコースティックな音楽性が加わる。そして、ハンプシャー州トワイフォード・ダウンの高速道路計画に対する抗議曲の “Twyford Down” を収録するなど、これまで以上に政治的なメッセージ性を示したアルバムだった。
 1996年に入ってリリースした『4』は、『The Plot Thickens』のフォーク・ロックに加えてスワンプ・ロックやファンキー・ロック、サイケ・ロックやオルタナ・ロックの要素が増し、同時期に活躍したレディオヘッドに通じるところも見受けられる。トリップホップやディスコ・ダブ的なアプローチはじめ、当時のクラブ・シーンでも最先端として注目されたジャングル/ドラムンベースの要素を導入し、初期のアシッド・ジャズのスタイルから大きく変貌を遂げる。ただし、メディアや世間はその急激な変化や実験性に困惑し、『4』は以前の作品に比べてあまり評価されることなく1997年にガリアーノは解散する。解散前の1996年12月に新宿のリキッド・ルームで公演をおこない、『Live At The Liquid Room』としてリリースされたのが最後の作品となる。そのほか、アンドリュー・ウェザオール、ザ・ルーツ、DJクラッシュらによるミックスをまとめたリミックス・アルバム『A Thicker Plot – Remixes 93-94』も1994年にリリースされている。

 解散後の1998年にロブ・ギャラガーは、ガリアーノやヤング・ディサイプルズのエンジニアを務めていた通称ディーマスことディル・ハリスと双頭ユニットのトゥー・バンクス・オブ・フォーを結成する。ロブの公私に渡るパートナーとなったヴァレリー・エティエンヌと、後期ガリアーノのサポート・メンバーで、K・クリエイティヴやロウ・スタイラスなどで活躍してきたキーボード奏者/プロデューサーのスキ・オークンフルも合流した。セカンド・アルバムの『Three Street Worlds』(2003年)は、モーダルなスピリチュアル・ジャズとダウンテンポ・ソウルが結びついた傑作として高く評価される。
 当時のクラブ・ジャズ・シーンは4ヒーローやジャザノヴァなどが活躍し、ドラムンベース、ブロークンビーツ、2ステップ、ディープ・ハウス、テクノなどと結びついていた時期で、トゥー・バンクス・オブ・フォーもジャズやソウルを基調にしつつも、エレクトロニクスを導入した実験性の高い世界を作り出していく。当時のディーマスはウェスト・ロンドン・シーンと繋がりが深く、ブロークンビーツのシーンともコミットし、リミックスにはフォー・テット、ゼッド・バイアス、マシュー・ハーバートらも起用されていた。

 今回のニュー・アルバム『Halfway Somewhere』に関して、インタヴューを受けてもらうのはロブ・ギャラガーと、合間でヴァレリー・エティエンヌも入ってもらうのだが、こうしたガリアーノからトゥー・バンクス・オブ・フォーへの流れを踏まえた上で話をはじめることにする。

私が生きるはずだった人生はどこにあるのだろう? 平和、そして満たされた幸せな喜びはどこにあるのだろう? 絶対どこかにあるはずだ。そしてこれは、そのどこか。僕たちは皆どこかにいる。そうだろ? だから失われたものすべてが、僕たちがいるここにあるはずなんだ。なぜなら、ここがそのどこかだから。

最初に1990年代まで遡って話を伺いたいと思います。当時ガリアーノが解散に至った理由などについて、改めて教えてください。

ロブ・ギャラガー(以下、RG):ガリアーノは10年の間にさまざまな変遷をたどった。そもそもガリアーノという名前は、1984年頃にジャイルス・ピーターソンの「マッド・オン・ジャズ」というパイレーツ・ラジオの番組で、ロンドンでおこなわれるライヴを案内するために作られたキャラクターに由来しているんだ。ガリアーノのスタイルというのは、ポエトリーやコンガ、ファンクからドラムンベースまで、すべてが一貫しているようなある種の「声」の中でおこなわれていた。つまり、それはロンドンのクラブ・シーンのある一線で起こっていたことを代弁し、音楽批評家であるサイモン・レイノルズの書籍『Retromania』にあるような方法で古い音楽を見つけつつ、新しいものをすべて受け入れようとするハングリー精神があったんだ。でも僕は、1996年までには、個人的にほかの方法で音楽を探求したいと思うようになっていた。そして、その「声」に窮屈さを感じていたんだ。ガリアーノは世間の需要がまだ強く、ライヴを続ければ続けることはできたけど、それは活動を続ける十分な理由ではなかったんだよ。

その後、1998年にディーマス(ディル・ハリス)と双頭ユニットのトゥー・バンクス・オブ・フォーを結成します。この1990年代後半から2000年代前半は、とても創造的で刺激的な時代だったと思いますが、改めて振り返ってみていかがですか?

RG:トゥー・バンクス・オブ・フォーは、さっき話したような領域を探検するのに使った出口のひとつだった。いまも変わらず、僕はディーマスのアートや音楽に対するセンスを心から信頼している。僕らは同じインスピレーションをたくさん共有しているし、そういう意味で僕は本当に感謝しているんだ。同じ周波数にいる人を見つけるのは、簡単なことではないからね。僕らは彼のナンバーズというプロジェクトでも一緒に仕事をした。それらだけでなく、僕らは様々な名義で一緒に曲を作ったんだ。レゲエ・シンガーのフェリックス・バントンとシーズというバンド名義で “Dance Credential” という曲をリリースし、それを演奏しに日本に行ったこともあるしね。僕たちの最高傑作は、ウィリアム・アダムソン名義の僕のアルバム『Under An East Coast Moon』だと思う。そして、僕らはロンドン映画祭のサントラ部門で短編映画のトップ10にも入った。
 余談になるけど、ディーマスの娘リーラはガリアーノの最新シングル “Pleasure Joy And Happiness” のビデオにも出演しているんだ。そんな感じで僕たちのコラボレーションはずっと続いているんだよ。いまもクリエイティヴだけど、1990年代後半から2000年代前半はとてもクリエイティヴだったと思うね。

この当時のロブはアール・ジンガー名義でソロ活動もはじめて、レゲエやダンスホール、ダブやサウンドシステムに影響を受けたスタイルで、ガリアーノ時代にはじまるポエトリー・リーディングの世界をより広げていきます。また、自身のレーベルである〈レッド・エジプシャンズ〉を設立し、トゥー・バンクス・オブ・フォーの覆面バンドであるザ・シークレット・ワルツ・バンドはじめ、いろいろな変名を駆使して活動していきます。まさにパンク的なDIYの精神に基づく〈レッド・エジプシャンズ〉ですが、その後のアレックス・パッチワーク(アレックス・スティーヴンソン)とのユニットのザ・ディアボリカル・リバティーズ、今話に上がった変名ソロ・ユニットのウィリアム・アダムソンとしての活動も、すべて〈レッド・エジプシャンズ〉設立から繋がっています。ある意味で時代のトレンドとは離れ、自身が思うままに自由な活動をしていったわけですが、トゥー・バンクス・オブ・フォーが解散した2008年以降は、どの方向に向かって活動していきましたか?

RG:実際のところ、トゥー・バンクス・オブ・フォーは解散したわけではないんだ。リミックス・ワークもいろいろとやっているし、ギグもたくさんやった。だから、レコードは出していないけれど、僕らは様々な別の方法で活動しているんだ。僕は多くのDJやバンドと一緒に活動してきた。ジャイルスはいつもそこにいたし、クルーダー&ドルフマイスターもそうだった。僕はアール・ジンガーのバンドと一緒にツアーをして東京でプレイしたこともあるし、当時はジャズトロニックの野崎良太とも仕事をしていたね。
 そしてもうひとつのプロジェクトで、いまでも活動しているディアボリカル・リバティーズはあの頃にはじまった。当時の方向性はあまり明確ではなく、もっと実験的な時期だったと思う。フリー・ジャズの詩からDJのアシュリー・ビードルとの曲作りまで、いろいろなことをやっていたからね。友人のアンドリュー・ウェザウォールがよく言っていたように、僕はただ何かを作るという過程を楽しんでいるんだ。詩であれ、コラージュであれ、映画であれ、音楽であれ、この世にまだ存在していないものを作り、それを送り出すことをね。

個人的にはシャバカ・ハッチングスがソロで吹くフルートや、ニューヨークのジャズ/ヒップホップ集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーを聴くのをすごく楽しんでいるし、ロサンゼルスのスローソン・マローンが関わっているシーン全体も面白い。

あなたのパートナーでもあるヴァレリー・エティエンヌは、ガリアーノ、トゥー・バンクス・オブ・フォーを通じて一緒に活動していましたが、その後出産や子育てもあって音楽活動から離れる時期もありました。2010年代以降はジャミロクワイ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、インコグニートやブルーイのユニットのシトラス・サンなどの作品に加わるなど、近年はまた活動が活発になってきています。2010年代に入ってロブとヴァレリーのふたりがクレジットされるプロジェクトでは、2014年にジャイルス・ピーターソンが立ち上げたブラジリアン・ユニットのソンゼイラがあり、さらに2020年代ではブルーイによるSTR4TA(ストラータ)があります。特にストラータの『Str4tasfear』(2022年)にはゲストでオマーが参加し、アウトサイドやインコグニートで活躍してきたマット・クーパーや、スキ・オークンフルなど〈トーキン・ラウド〉時代の仲間もセッションしていて、恐らくガリアーノのリユニオンへと繋がるプロジェクトではなかったのかと思うのですが、いかがですか?

RG:ソンゼイラはジャイルスがはじめたプロジェクトだったけど、僕とディーマスはリオに行き、作曲とプロデュースという形でコラボし、参加したんだ。ヴァレリーもヴォーカルで参加して欲しいと頼まれた。とても楽しかったし、たくさんのブラジルのミュージシャンたちに出会えたのは本当に光栄だったね。そしてそのうちのひとりが、僕たちの大親友であるカッシンで、彼は僕らと一緒にソース・アンド・ドッグスというプロジェクトをやっている。あのプロジェクトは、これまで携わってきた中でも最高のプロジェクトのひとつだと思う。ライヴもやってて、シチリア島のパフォーマンスではダンサーも入れたんだ。あのショーはすごかった! いまは1970年代に活動していたホセ・マウロの音楽を基盤にしたアルバムを書いているんだけど、近々リリースできたら嬉しいね。スキ・オークンフルは新しいガリアーノのプロジェクトで一際目立っている。彼はいま、ソロのミュージシャンとしても大成功しているし、自身のYouTubeチャンネルで楽曲制作過程を機材や楽器を使って技術的にレクチャーする番組をやってるんだけど、それがすごく人気なんだ。ガリアーノの再結成に至った経緯には正直僕にもよくわからないところもあるけれど、自分では気づかないことが頭の中でいろいろと起こってたんだと思う。ある意味、「再結成」なんてするつもりはなかったから自分でも驚いているんだけど、この「声」の中にある創造的な衝動がいまとても強くなってきていると思うから、再結成できてとても嬉しいよ。

2023年春にガリアーノのリユニオンが発表されます。コンスタンティン・ウィアーやミック・タルボットといった初期の主要メンバーは参加していませんが、ロブ、ヴァレリー、スキのほか、オリジナル・メンバーのクリスピン・ロビンソンや、長らくサポートをしてきたアーニー・マッコーン、クリスピン・テイラーが中心となります。メンバーにはどのようにガリアーノ再結成の話をし、参加してもらったのですか?

RG:再結成の経緯は曖昧だと言ったけど、ひとつのきっかけとしては友人でもあるマシュー・ハーバートから電話がかかってきて、彼の友だちの誕生日パーティで演奏してくれないかと言われてね。ガリアーノで演奏することはもうないだろうと思っていたんだけど、「きっと楽しいから!」と説得されたんだ。

ヴァレリー・エティエンヌ(以下、VE):集まって数曲演奏するだけだから、なんとかなるはずってね。

RG:それで30年ぶりにリハーサル室に皆で集まったんだけれど、顔を見合わせたとき、これはなかなか面白いなと思った。それからいくつか曲をプレイしてみたら、素晴らしいことに脳みそが全てを覚えていたんだ。どこでストップするとか、どこで何を演奏するとかね。で、ヴァレリーが “Masterplan”(ファラオ・サンダースとレオン・トーマスによる “The Creator Has A Masterplan” のこと)をリハーサルとは違う歌い方で歌いはじめたんだ。歌詞全体を織り交ぜるような歌い方だったんだけど、それを聴いた途端に、いまでも昔と同じようにできるだけでなく、どこか違う、新しい方向に進むこともできるんだと思った。それが可能だということが僕を興奮させたんだ。

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「他の人たちは皆大金を稼いでいるのに、僕は一体何をやってるんだ?」と考えていたとき、アンドリュー・ウェザオールが「自己破壊的、非出世主義者」と書かれたTシャツを着ていてね(笑)。それを見て、「ああ、大丈夫だ」と思えた(笑)。自分の人生も悪くないな、と。

2023年8月のジャイルスの「We Out Here」フェスティヴァルへの参加を経て、アルバム制作に入り、そして『Halfway Somewhere』が発表となります。「道途中のどこか」という意味のこのアルバムですが、どのような思いが込められているのでしょう?

RG:何かを失くしたとき、あるいは自分の人生がどこに向かっているわからなくなったとき、人はそれがどこかにあるはずだと考える。自分の鍵はどこにあるんだろう? 絶対どこかにあるはず、とね。私が生きるはずだった人生はどこにあるのだろう? 平和、そして満たされた幸せな喜びはどこにあるのだろう? 絶対どこかにあるはずだ。そしてこれは、そのどこか。僕たちは皆どこかにいる。そうだろ? だから失われたものすべてが、僕たちがいるここにあるはずなんだ。なぜなら、ここがそのどこかだから。でも僕らがどこにいるのかというのは、自分たちにはよくわからない。しかし僕たちがどこかにいるのは確かで、たぶん中間地点くらいにはいるんじゃないかなと思って、そのタイトルにしたんだ。君がもし、自分がいる場所がどこかもっと明確にわかっている場合は、中間じゃなくてその場所だととらえてもらって構わない。どこにいるのかは、たぶん僕ももっとよく考えないといけないな。でも、もう手遅れかも(笑)。今週末のWOHフェスティヴァル用に『Halfway Somewhere』と書いてあるポールを作ってしまったからね(笑)。僕は映像作家でアーティストのドナルド・ハーディングとコラボして、ポールにぶら下げるスローガン風の楽譜のオブジェを作ったんだ。ちょうど1960年代にオノ・ヨーコがやってたようなヤツをね。「好きな方向に5歩踏み出せ」とか、「東を向け」とかね。だから、少なくとも今週末は中間地点でたくさんの動きがあるだろう。この答えが参考になるといいけど。

1990年代と現在では音楽や社会も変化していますが、新生ガリアーノは約30年ものブランクをどのように埋め、そして新たな発信をしていこうと考えていますか? 逆に30年前から現在においても継承し、続けている部分もあるのでしょうか?

RG:僕たちはいま起こっていること、いま使われている様々な方法から学びたいと思っている。だから、ライヴをやって観客から何を得るかがこれから楽しみだね。当時のガリアーノのライヴはとても集団的だった。悪い言い方をすると、皆個性を殺して、混ざり合った集団になる。でもいまは、僕らも観客も、少しずつ違う場所からやってきて、違うものを持ってくる。だから、ギグに何が求められるのか、何が必要なのか、実際にそこに行ってみるまでわからない。行ってみて突如、知らなかった何かを感じるのは面白いだろうね。そして、人間というのは理性的な部分と感情的な部分で構成されている。だから、後になってあのとき何が起こっていたんだろうと考えることができる。でも僕は、自分の精神が自分の身体に影響される時間というものにとても興味がある。踊ってそれに没頭すればトランス状態に近づき、自分の体の外に出たような気分になる。音楽はそういう逃避の手段なのかもしれないね。ライヴの環境には制御できない、コントロールできない何かが存在している。音楽は目に見えないけれど、波形のようなものが存在していて、僕たちには理解できないことが起こっているんだ。その一体感というのは瞬間瞬間に感じるものであって、その後に感じることはできないのかもしれない。だから、これから学ぶことはたくさんあるし、技術的な面でも、また違ったやり方で音楽をやることもできる。いままで知らなかったことを学び、それを実験する方法がたくさんあるからね。僕たちは皆違うことをやって、またこのプロジェクトに戻ってきた。それによって構造から少し自由になるかもしれない。そして自由になると、そこから何が起こるかは誰にもわからないんだ。

VE:いまの私たちは、ただその瞬間を楽しもうとしているの。前はもっと構造的だったと思うから。

RG:かつてのガリアーノのライヴは、結構アナーキーな雰囲気だった。オーディエンスがステージに登ってきたりしてね(笑)。ステージ・マネージャーが「ステージが壊れるから人を降ろせ!」と言うほどだった。当時はそれについて考えたこともなかったし、ガリアーノをやめてからもあまりガリアーノについて考えたことがなかった。先のこと、未来のことしか見ていなかったからね。でも、いま何が起こっているのかを理解することも重要なことなんだ。たぶん、いまというときは初めてスローダウンして、自分たちがどこから来たのかを振り返るチャンスだと思う。

近年のロンドン、特にサウス・ロンドンではジャズが再び盛り上がりを見せ、トム・ミッシュロイル・カーナーキング・クルールといったシンガー・ソングライターたちも活躍しています。こうした状況の中、ガリアーノとしてはどのような活動を思い描いていますか? 個人的にはガリアーノの精神はキング・クルール、ブラック・ミディ、プーマ・ブルー、ジャークカーブあたりに受け継がれているのかなと思いますが。

RG:キング・クルールはディーマスがプロデュースとミックスを担当していて、そうした点で繋がりがあるとも言えるし、ブラック・ミディも大好きだよ。YouTubeに彼らがホルンを使って素晴らしいセッションをやっている動画あるんだけど、あれは最高だった。ガリアーノのクリスピン・ロビンソンは、ときどき彼らと一緒にパーカッションを演奏している。音楽はかつてないほど生き生きとしていて、彼らが知り合いかそうでないかにかかわらず、とても親しみを感じるんだ。個人的にはシャバカ・ハッチングスがソロで吹くフルートや、ニューヨークのジャズ/ヒップホップ集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーを聴くのをすごく楽しんでいるし、ロサンゼルスのスローソン・マローンが関わっているシーン全体も面白い。それから、僕らの近所にカフェ「OTO」という素晴らしいヴェニューもあるんだけれど、そこでは何曜日に行っても良いショーが観られる。先週はジャズ・カフェでリオ出身のアナ・フランゴ・エレトリコのショーを観たんだけれど、それもすごく良かったね。
 あと、現役のアーティストじゃないけど、ライフトーンズ(1980年代前半に活動したポスト・パンク系のエレクトロニック・ダブ・トリオで、1983年にリリースした『For A Reason』というアルバムが2016年にリイシューされた)も素晴らしいバンドで、いまもよく聴いているんだ。ヴァレリーはいま、アシャ・プトゥリ(1970年代にリリースした “Space Talk” や “Right Down Here” で知られるインド出身の伝説的なシンガー)と一緒に歌っているんだけど、彼女たちのショーもすごく面白いんだ。ヴァレリーがそれについていろいろ話を聞かせてくれるんだよ。きりがないからこの辺で止めておこう。でももうひとり、アメリカの詩人のピーター・ジッツィも素晴らしい。彼の最新の詩集『Fierce Elergy』には度肝を抜かれたね。

マーク・フィッシャーという理論家がいて、彼はイギリスに強い関心を持っていた。彼曰く、インターネットが出てきてから全てのものが他の全てのものと同じように関連するようになってしまったんだ。

『Halfway Somewhere』の話に戻りますが、『In Pursuit Of The 13th Note』収録の “57th Min” と “Power And Glory”、『A Joyful Noise Unto The Creator』収録の “Jazz” をセルフ・カヴァーしています。これらについてどんな意識でカヴァーしたのでしょう?

RG:それはディーマスのアイデアだったんだ。彼が僕たちのライヴを見たんだけど、その後、ニュー・アルバムにいくつか昔のトラックを収録したほうがいいと言ってきたんだよ。それらの曲は前と全然違って聴こえるし、昔よりも今のサウンドに合わせたほうがいいから、と。だから、じゃあレコーディングしようということになった。つまり、昔のトラックの新しいヴァージョンやった、という感じだね。たとえば “Jazz” は、ふたつ目のヴァースが違うんだ。最初のヴァースは1990年かその前に書かれたもので、ふたつ目のヴァースは2023年に書かれたもの。だから新ヴァージョンには、例えばニューヨークのジャズ・トランペッターのジェイミー・ブランチなんかが出てくる。彼女は残念ながら2022年に亡くなってしまったけれど、曲の中では彼女の名前が出てくるんだ。
それから、歌詞では「チャーチ・オブ・サウンド」にも触れている。「チャーチ・オブ・サウンド」というのは、イースト・ロンドンのクラプトンでおこなわれていたギグ・イベントで、トータル・リフレッシュメント・センターともリンクしているんだ。そして、トム・スキナーの作品でプレイしていたジェイソン・ヤードにも参加してもらった。彼も素晴らしいジャズ・サックス奏者で、僕たちがそんな彼らと一緒に仕事ができたのは本当に幸運だったと思う。だから、彼らの名前が歌詞にも出てくるんだ。前回の曲に新しい歌詞が加わったアップデート・ヴァージョンがそれらのカヴァーなんだよ。これもまた時間遊びで、こういった方法で時間を楽しんでいるのも面白いと思うね。

“Golden Shovel (Someone Else’s Idea)” はサン・ラーの “Somebody Else’s Idea” にインスパイアされた曲ですね。トゥー・バンクス・オブ・フォー時代もサン・ラーからの影響が見られたのですが、今回はどのようなアイデアからこの曲を作ったのですか?

RG:僕は詩の形式にかなり興味を持っているんだ。“Golden Shovel” では明らかなソネットの形式を取り入れ、それから様々な異なる詩の形式を用いている。“Golden Shovel” はかなり現代的な形式の詩で、この形式はニューヨークに住むテレンス・ヘイズという詩人が考案したものなんだ。彼はワンダ・コールマンという詩人と一緒にその形式を考案し、彼女が詩の中で使った言葉を最後のフレーズにして詩を書いた。そのやり方を参考にして僕はサン・ラーの “Somebody Else’s Idea” を使い、この言葉を最後のフレーズとして使ったんだ。そうやってできたのが “Golden Shovel” なんだよ。

“Cabin Fever Dub” は、親交のあったアンドリュー・ウェザオールに捧げている曲ですね。彼が手掛けた “Skunk Funk” の “Cabin Fever Mix” 及びダブ・ヴァージョンの “Cabin Fever Dub” は、ガリアーノのいろいろあるリミックスの中で一番のものだと思いますが、2017年に彼が亡くなって、改めてこの曲に込めたオマージュについてお聞かせください。

RG:死というのは、起こるべきではなかったと思えるもの。だから簡単に受け入れることができないんだ。全ての死がそうだと思う。不在、というものと向き合うのはとても寂しい。彼がいなくなり、僕も本当に寂しいんだ。彼は、僕がかつて「僕は自分の人生で何もやり遂げていない」と悩んでいたときに、僕の人生に価値を見出してくれた。「他の人たちは皆大金を稼いでいるのに、僕は一体何をやってるんだ?」と考えていたとき、アンドリューはダルストンでラジオ番組をやっていたんだけど、そのとき彼が「Sabotaging, Non careerist(自己破壊的、非出世主義者)」と書かれたTシャツを着ていてね(笑)。それを見て、「ああ、大丈夫だ」と思えた(笑)。自分の人生も悪くないな、と。それで今回、あのリミックスをもとに新しく歌詞をつけたんだ。彼の死と、喪失感についての歌詞をね。

“Circles Going Round The Sun” の歌詞には、そのウェザオールはじめ、ジェイムズ・ブラウン、デヴィッド・マンキューソ、アーサー・ラッセル、ジャー・ウォブル、KRS・ワンのクリス・パーカー、後にLDCサウンドシステムを結成するジェームズ・マーフィーなどのミュージシャンやDJが登場します。初めてニューヨークやベルリンに行ったときの体験をもとにしているようですが、どのようなイメージの曲ですか? マンキューソの「ザ・ロフト」での体験を歌っているのですか? 楽曲もロフト・クラシックであるウォーの “Flying Machine” のフレーズを引用しているみたいですが。

RG:あの歌詞の内容は「ダンス」について。僕が大好きな素晴らしいポッドキャストの番組で「Love Is The Message」というのがあって、DJでもあるふたりの学者、ジェレミー・ギルバートとティム・ローレンスがホストを務めているんだけれど、彼らは理論と音楽を番組の中で一致させるんだ。彼らは1970年代のニューヨークを出発点とした。それは世界が文化的にひとつになった場所だったけれど、経済的には失敗とみなされ、街は荒廃していった。しかし、そこにはたくさんのクリエイティヴィティが存在していた。ロフト・シーンやらジャズ・シーン、ヒップホップの登場まで、あらゆることが起こっていたんだ。そして、どのようにしてディスコが見向きもされなくなったのかもまた興味深い。シカゴでは、DJがディスコのレコードを破壊したりもした。そういった出来事を振り返りながら、人種、経済、哲学、その他様々なことを理論的に考察しているんだ。“Circles Going Round The Sun” は、そのすべてを取り入れたもの。そして、当時の僕の頭の中にあった様々なことに目を向けている。ガリアーノがはじまり、僕らが初めてニューヨークに行ったとき、そこにはジェイムズ・ブラウンがいたし、僕らはクリス・パーカーにも会った。そしてそのあと、ポッドキャストにも出てくるデヴィッド・マンキューソが登場する。マンキューソはDJで、パーティを開催し、コミュニティやパーティから生まれるものに興味を持った最初のDJだった。彼はかなりの集団主義者だったんだ。つまりあの歌詞は、スパースターDJや個人のことについて触れているのではなく、コレクティヴや、そこで何が起きていたのか、そして人びとが何をしようとしていたのか、ということを表現しているんだよ。そして、その後にはソニックスから生まれた様々な哲学があり、ジャングルは非常に異なるサウンドを持つ最後の本物の音楽だったかもしれない。
 面白いのは、1969年の音楽とその制作方法について考え、1974年の音楽を聴いてみると、69年と74年の違いがよくわかること。でも一方で、2000年、2005年、2010年の音楽を聴いてみるとどうだろう? 違いが全然わからない。これは、テクノロジー社会がどうなっていくかというメッセージでもある。インターネットが登場してから、未来はかき乱されてしまったんだ。イタリアにフランコ・ベラルディという哲学者がいるんだけれど、彼は、「未来はキャンセルされてしまった(正しくは、未来の穏やかなキャンセル)」と言った。僕は、それが面白いと思ったんだ。1970年代の若かりし頃は、未来に目を向けたとき、未来はもっとよくなると思っていた。でも気候変動やそういった問題とともに、当時思い描いていた未来は姿を変えてしまったんだ。そして文化的には、マーク・フィッシャーという理論家がいて、彼はイギリスに強い関心を持っていた。彼曰く、インターネットが出てきてから全てのものが他の全てのものと同じように関連するようになってしまったんだ。YouTubeを見れば、1960年代のものにも、2004年の作品にも同じように触れ、それに夢中になることができるからね。全てが繋がっていて自分の目の前に同じように存在するとき、自分にとってそれが何を意味するのか? 文化的に頭がグルグルするんだよ。そういうわけで、そのトラックには様々な人たちが出てくるんだ。まあ結局、全ては輪になっているからね。

この曲にはスコットランドの詩人のジョージ・マッカイ・ブラウンや、アメリカの文化理論学者で詩人のフレッド・モートンの名前も登場します。ガリアーノの歌詞には彼らからの影響も大きいのでしょうか?  また、イギリスの現代アート作家であるマーク・レッキーの名も引用していますが、何かインスピレーションがあったのですか?

RG:僕はジョージ・マッカイ・ブラウンが大好きで、あの歌詞は彼の詩 “Hamnavoe” を引用していて、僕が大好きな詩のひとつなんだ。歌詞の内容は「イメージ」について。ジョージ・マッカイ・ブラウンは詩の中で、ハムナヴォーで郵便配達をしていた父親のことを書いていて、詩の中に “In the fire of images, Gladly I put my hand, To save that day for him(イメージの炎の中で、喜んで手を差し伸べた、彼のためにその日を救うために)”という箇所があるんだけれど、僕はそのフレーズを歌詞に入れたんだ。そして、アンドリュー・ウェザウォールも彼のことを知っていたんだよ。ジョージ・マッカイ・ブラウンについて知っている人は少ないし、特にDJで彼を知っている人なんてほとんどいないと思う。でもアンドリューにその話をしたら、「もう彼の伝記は読んだかい?」と言ってきた。彼以外でそんな答えをくれる人なんていないだろうね(笑)。

1987年くらいに初めて東京に行ったとき、ものすごく物価が高かったのを覚えているよ。いまは為替レートの関係で僕らが行くほうが安いけど(笑)。

“Of Peace” はファラオ・サンダースの “Prince Of Peace” がモチーフとなっています。ガリアーノらしいネタ使いですが、改めてファラオ・サンダースの影響についてお聞かせください。

RG:このアルバムの柱のひとつは、消去というアートへの強い興味だと思う。つまり、いろいろなものを取り除いて新しいものだけを残す、というアート。そこで “Prince Of Peace” の歌詞を使ってそれをやりはじめ、プリンス(エジプトのファラオ王子=ファラオ・サンダース)が亡くなったからタイトルからプリンスを取って、「Of Peace」を残したんだ。

ダビーなエフェクトが印象的な “Crow Foot Hustling” では、ミルトン・ナシメントのクレジットもあります。確かにヴァレリーが歌うサビのフレーズのメロディはミルトンらしいものですが、何かインスパイアされているのですか?

VE:私は彼のメロディが大好きで。ソウル・ミュージックやフォーク・ミュージック、ロックを歌うことに慣れていると、ブラジル人の視点で歌うのはとても難しい。でも私は、そこが興味深いと思った。すごく挑戦的だし、そっちの方が私自身にとってはエキサイティングで。新しい視点や側面を楽しむ、という考え方からその曲は生まれたの。

“Euston Warehouse” は1980年代後半のロンドンのウェアハウス・パーティがモチーフになっているようですね。改めて当時のウェアハウス・パーティの思い出や、その意義について教えてください。

RG:僕は正直、記憶とはほとんど創造的なものだと考えている。人はいつも自分の記憶はかなり明確なものだと思っているけれど、歳を重ねるにつれて、記憶とは創造的な行為であることに気づくんだ。そこで、だから僕の頭の中で10個くらいのウェアハウス・パーティがつなぎ合わされて、ウェアハウスについての詩ができ上がった。でも実際は、10個どころかもっとたくさんのウェアハウス・パーティだと思う。1980年代は本当に数え切れないほどのウェアハウス・パーティがあったから。でも、ロンドンのユーストン駅の車庫で行われたパーティは確実にその中のひとつで、僕は絶対にあのパーティに行ったのを覚えている。そしてその上に、ほかのいろいろな思い出が重なってきたんだ。でもあの曲はおもにそのユーストンのパーティについて。1980年代は音楽的に自由で、本当にいろいろな音楽が演奏された。それに、会場そのものかなり自由で面白かったしね。あの時代は、音楽が爆発的にロンドンを支配した。当時のロンドンはすごく灰色で、いまのロンドンとは全然違っていたから。ロンドンにはまだ波形鉄板の屋根とかが残っていて、第二次世界大戦の爆撃跡もたくさんあったんだ。でも安く住める場所だったし、倉庫に侵入してパーティを開くこともできた。いまではそんなことはあまりできないからね。

VE:正直、私はあまりウェアハウス・パーティには行かなかった。いくつか行きはしたけど、多くはなかったな。

RG:当時のロンドンはいまより物価が安かったかもしれないし、いろいろな意味で劣っていたかもしれない。でも、ある種の自由があった。いまではロンドンで安く生活するなんてできないからね。1987年くらいに初めて東京に行ったとき、ものすごく物価が高かったのを覚えているよ。いまは為替レートの関係で僕らが行くほうが安いけど(笑)。

Matthew Halsall - ele-king

 ゴーゴー・ペンギン、ママル・ハンズ、ポルティコ・カルテットなどを輩出し、2010年代UKジャズの隆盛の一翼を担った〈Gondwana〉。あるいは今年はチップ・ウィッカムのフジロック出演もあったわけだけど、同レーベルの設立
者であり自身も多く作品を発表しているマシュー・ハルソールが来日することになった。10月19日、ピーター・バラカン監修のフェス《Live Magic》に出演(@恵比寿ガーデンホール&ガーデンルーム)、その後10月21日にはBlue Note TOKYOにてパフォーマンスを披露する。
 また、この来日公演を記念し、日本独自企画としてマシュー・ハルソールのベスト・アルバムがリリースされる。『Togetherness』と題されたそれは10月2日に発売。ライヴの予習にもぴったりです。

2000年代以降のUKジャズシーンに多大な影響を与えているGondwana Recordsの創設者にして現代スピリチュアル・ジャズを新たな地平へと導くトランペット奏者、マシュー・ハルソールの初来日公演を記念した日本オリジナルベスト盤がリリース決定! 松浦俊夫氏からのコメントも到着!

14年間続けている私のラジオ番組「TOKYO MOON」。その中で、マシュー・ハルソールの名はリスナーにとっても、もはや親しいものとなっている。

彼の新作がリリースされるたび、その美しく繊細な音の世界をリスナーと分かち合ってきた。ジャズでありながら、ミニマルやフォークのエッセンスを感じさせるそのサウンドは、静謐でありながらも心の奥深くに響き、まるで夜空に浮かぶ月がもたらす安らぎと力強さを同時に宿しているかのようだ。それはまた、どこか懐かしい風景に再び出会ったような、ほのかな既視感を呼び起こす。そして今、彼のバンドが初めて日本の地を踏み、ライブパフォーマンスを行うという知らせを聞いたとき、胸に湧き上がるのは、深い感慨と共に、心からの祝福の気持ちである。 ──松浦俊夫 (DJ/選曲家/プロデューサー)

ぼくが最初にマシュー・ハルソールの音楽を耳にしたのは今から2、3年前だったと思います。彼がトランペット奏者なのに決してトランペットが中心というわけではないアンサンブルの優しいグルーヴの演奏、そして曲自体の存在が印象に残るとても新鮮な響きにすぐに魅了されたものです。そして2023年に出た「An Ever Changing View」(常に変わり続ける風景)には特に惚れ込み、何度も繰り返し聞くうちに、結局自分にとっての年間ベストとなりました。ぼくが監修するフェスティヴァルLive Magicにマシューのバンドが出演することがきっかけで、今回本人の選曲による日本だけのベスト盤が発売されるわけですが、この形で彼のスピリチュアル・ジャズが更に多くの人の心に響くことを祈ります! ──ピーター・バラカン

2000年代以降のUKジャズシーンに多大な影響を与えているGondwana Recordsの創設者にして、現代スピリチュアル・ジャズを新たな地平へと導くトランペット奏者/作曲家/プロデューサー、マシュー・ハルソール待望の初来日公演を記念した日本独自企画となるベスト・アルバムがリリース決定! 本国UKではもちろんのこと日本国内でも高い評価を得た最新アルバム『An Ever Changing View』(2023)から初期名盤『Colour Yes』(2009)までGondwanaとともに歩んだ十数年のキャリアから選りすぐりの楽曲を収録!さらに昨年のツアー会場限定で販売され即完、再プレスとなった12インチから「Bright Sparkling Light」も追加収録!

【Release Information】
アーティスト:MATTHEW HALSALL / マシュー・ハルソール
タイトル:Togetherness - The Best of Matthew Halsall / トゥゲザーネス – ザ・ベスト・オブ・マシュー・ハルソール
フォーマット:CD/DIGITAL
発売日:2024.10.2
品番:PCD-25423
価格:¥2,750(税抜¥2,500)
レーベル:P-VINE

【Track List】
01.Cherry Blossom from the album “Fletcher Moss Park” (2012)
02.Fletcher Moss Park from the album “Fletcher Moss Park” (2012)
03.The Sun in September from the album “Fletcher Moss Park” (2012)
04.Calder Shapes from the album “An Ever Changing View” (2023)
05.Mountains, Trees and Seas from the album “An Ever Changing View” (2023)
06.Colour Yes from the album “Colour Yes” (2009)
07.Together from the album “Colour Yes” (2009)
08.The Eleventh Hour from the EP “The Temple Within” (2022)
09.The Land Of from the album “Into Forever” (2015)
10.Into Forever from the album “Into Forever” (2015)
11.Bright Sparkling Light* from the limited tour EP “Bright Sparkling Light” (2023)
*Bonus track

【Matthew Halsall(マシュー・ハルソール)】
GoGo Penguin、Mammal Hands、Hania Raniといった先鋭的なジャズ・ミュージシャンを多数輩出するGondwana Recordsの創設者であり、Pharoah SandersやAlice Coltraneといったジャズ・レジェンドの精神性を受け継ぎながらも90年代以降のDJカルチャーにも共鳴し、そのしなやかで洗練されたフレイジングと革新的なアプローチで2000年代以降の現代スピリチュアル・ジャズを体現するトランペット奏者、作曲家、プロデューサー、Matthew Halsall。UK/マンチェスターに生まれ、拠点として活動を続ける中で立ち上げたGondwana Recordsの最初のリリース作品でもある1stアルバム『Sending My Love』(2008)から最新作『An Ever Changing View』(2023)まで9枚のアルバムと多数のEP、シングルを発表、ジャズシーンのみならず多方面のシーンやアーティストに影響を与え、現在のUKジャズシーンを確立した立役者として絶大な支持を集めている。2023年9月には『An Ever Changing View』のリリースを記念して数多くの名演を披露してきたロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートを実施、2024年6月にはUK最大級のフェスティバル、Glastonbury Festivalにも出演するなどジャズのカテゴリに収まらない活動で高い評価を得ているアーティストである。

Anna Butterss - ele-king

 マカヤ・マクレイヴン『Universal Beings』に参加していたり、ジェフ・パーカーらとの共演盤もあったりと、実力者からその才を認められているジャズ・ベーシスト、アンナ・バターズ。あるいはこれは、いま静かに波が起こっているジャズとアンビエントの融合の流れに分類することもできる音楽かもしれない。10月23日、〈rings〉よりセカンド・アルバムの国内盤がリリース。

『Anna Butterss / Mighty Vertebrate』
2024.10.23 CD Release

Larry Goldings、Josh Johnsonらとの共演や、Makaya McCravenの『Universal Beings』、Daniel Villarealの『Panamá 77』などの参加メンバーとして、LAの多くの名だたるミュージシャンたちからその実力を認められている、ベーシストAnna Butterss期待の2ndアルバムが国内盤CDでリリース‼ 今盛り上がりを見せるアンビエント・ジャズ・シーン最前線の音が記録された、2024年必聴盤。

ジェフ・パーカーやマカヤ・マクレイヴンがその才能に惚れ込んだアンナ・バターズの魅力がこのアルバムには詰まっている。アンナは、ポップスの世界でも認められたベーシストであり、パーカー率いるETA IVtetやスーパーグループSMLの創造性豊かなサウンドの中心にもいる。『Mighty Vertebrate』は、高い評価を得たファースト・ソロ・アルバム『Activities』も凌ぐ、自由でオープンな発想から生まれた音楽だ。トータスのジョン・ハーンドンがアートワークを描いていることも象徴的だ。 (原 雅明 ringsプロデューサー)

【リリース情報】
アーティスト名:Anna Butterss (アンナ・バターズ)
アルバム名:Mighty Vertebrate (マイティ・バーテブレイト)
リリース日:2024年10月23日
フォーマット:CD
品番:RINC125
JAN: 4988044122659
価格: ¥3,080(tax in)
レーベル:rings

オフィシャルURL:https://www.ringstokyo.com/anna-butterss-mighty-vertebrate/
販売リンク:https://diskunion.net/portal/ct/detail/1008900027

Various - ele-king

コンピレーション・アルバムというのは独特の魅力がある形態だと思う。あるテーマに沿った違う人たちの違う曲の連なり、それは一つのチームで一つの街で一つの風景であるのだろうけれど、他のアルバムと比べて個の存在を大きく残している。セレクトした選者の意図のようなものを感じることもあるし、注目バンドを集めた若手の見本市的な側面もあると思う。僕は毎年出る、まだあまり音源をリリースしていないバンドを集めた〈Slow Dance Records〉のコンピレーション・アルバムを楽しみにしているのだけど、知らないバンドを聞いて、これは凄くいいな、フォークっぽい感じだけど、どこのどんな人たちなんだろうなんて、ワクワクしながらあれこれ想像する時間がとても好きだ。その音楽やバンドには歴史があって影響があってそれから目の前に現れたみたいなそんな感じがして、考えていると好奇心が刺激される。
 そしてまた少し考える。サブスクが盛り上がるいまの時代にコンピレーション・アルバムとプレイリストに違いを感じるのだとすれば、それは間に挟まるある種の事情や制約などの違いが生み出す空気感ではないかと。選者が好き勝手に入れられるプレイリストの気軽さに対してコンピレーション・アルバムはもっと格式ばった感じがする(俺の考えた最強イレブンと実際に監督が選び試合に臨んだスタメンとの差みたいなものだ)。あるいは集めた曲を使って目的の空間を作り上げるプレイリストとは異なり、コンピレーションのそれはたとえ初出ではなかったのだとしてもアルバムの為に提供された曲だという違いがあるのかもしれない。ヴァリアス・アーティストなんて表記はプレイリストにはないのだから(あるのは作成者の名前だけ。つまりはそれ自体で一つの塊として閉じられているのが大事なのだ)。

 そんなことを考えながら〈CALL AND RESPONSE〉のコンピ『Music For Tourists ~ A passport for alternative Japan』を聞いている。〈CALL AND RESPONSE〉はブリストル出身の音楽ジャーナリスト、イアン・F・マーティンが運営しているレーベルで、彼自身の手によるライナーによると日本の若手バンドを集めたこのコンピレーションは「観光客のための音楽」なのだという(ここで言う観光客とは音楽を聞く僕らのことだ)。ライナーのなかで彼は言う。観光もまた発見の手段で、たとえばライヴハウスを訪れるという行為は、日常的な社会と現実とは異なる層に存在する別の世界とを隔てる境界線を飛び越えることを意味するのだと。「日本の音楽地図に見立てた、未完の記録」その言葉通りに東京のバンドだけではなく地方のバンドの曲も数多く収録されている。
 そういういった背景を知りアルバムを聞いているとなんだか電車の車窓から次々に切り替わり景色を眺めているような気分になる。目的地なんてなく、どこか遠くに行くためだけに乗っている列車。初期のブラック・ミディを彷彿させる性急なポストパンク、福岡のaldo van eyckの”X"に始まり、音楽に揺られながらぼんやりと窓の外を眺めていると景色が次々に立ち上がってくる。

 サウスロンドン以降のポスト・パンクの匂い、サイケデリックな看板、田園風景に安らぎを感じ、00年代の下北沢のバンドの気配が残った古い鉄塔にエモを感じ、馴染みのロゴが入った新しい建物に親近感を抱く。ぼうっと眺めていると時々知っている風景が広がったりしてあぁあれはこの景色だったのかと思うこともある。それらの景色は突然出来上がったのではなくて歴史があり混ぜられて減って作られてそうして僕ら観光客の前に現れるのだ。
 反復する呪文のような陶酔感を持ったmizumi、厳かなフォークの中に神社の石段の冷たさを感じる帯化、pandagolffのポスト・パンクにひねくれた軽さを感じ、schedarsのクールな音に胸を躍らせる。90年代のUSオルタナサウンドを響かせるBreakman Houseの歌メロはどこか畳の匂いがし、その組み合わせにどうしよもなく胸をかきむしられる。だから画面のなかの検索窓を覗き込む。そうして出てきた長野 松本という文字に想像を巡らせ行ったこことのない街に向かって思いをはせるのだ(そしていつか行きたい街のリストへ入れる)。

 あるいは時おり下車し地元の人の話を聞いたりする。名古屋のWBSBFKはアートワークをとても大事にしているバンドでここに収録されている”haircut ”のlong versionはライヴでしかやっていないのだという(そうして名古屋におけるシーンの話を少し聞く)。その日のイベントでかかったBarbican Estateの音楽はハッとさせるような空気を作り出しいて、そこで味わった感覚がこのコンピに入っている”Fresh Air (alternative version)”へと繋がる道をより魅力的にしていく。

 そんな風にして僕ら音楽を聞く観光客は景色を楽しむ。
 音楽にとって場所とは果たしてどれくらい重要なのだろう? 色んな時代の色んな音楽を際限なく聞けると思ってしまいそうな現代においても、場所というのはきっと大切で目の前の風景に響いて欲しい音が鳴らされ、あるいは眼前の現実をぶち壊すべく音が鳴らされる。それらの音楽が作り出す風景は培われてきた歴史や感性、土壌、文化が混じりあってのもので、我々、好奇心を抱いた観光客はそこに面白さを見出すのだ。
 ブライアン・イーノの作品にちなみ『Music For Tourists』と名付けられたこのアルバムは新な街へと続く扉として素晴らしく機能する。停車する列車の扉を開け探検心を持って外に出てみると、そこには見たことはあっても触れたことのない風景が広がっている。

C.E - ele-king

 ファッション・ブランド〈C.E〉による2024年最初のパーティがWWW Xにて開催される。大人気のベン・UFOを筆頭に、ベルギーから初来日のキャリアー、日野浩志郎のソロ・プロジェクト=YPY、昨年の〈C.E〉のパーティにも登場したChangsie、〈Incienso〉のDJ'JにDJ Trysteroと、なかなか刺戟的なラインナップだ。9月21日(土)、きっとこのころには涼しくなっていることでしょう。秋の夜長にひと踊り。

C.E presents
Ben UFO, Carrier, YPY
Changsie, DJ’J, DJ Trystero

2024年度初となるC.Eのパーティが9月21日土曜日、WWW Xで開催。

洋服ブランドのC.E(シーイー)が、2024年9月21日土曜日、東京は渋谷に位置するWWW Xを会場にパーティを開催します。

C.Eは、2011年のブランド発足以来、不定期ながら国内外のミュージシャンやDJを招聘しパーティを開催してきました。

2024年初の開催となるC.E presentsでは、イギリスよりBen UFO(ベン・ユーエフオー)、ベルギーよりCarrier(キャリアー)、日本よりYPY(ワイピーワイ)、Changsie(チャンシー)、DJ Trystero(ディージェイ トライステロ)の3名、アメリカよりDJ’J(ディージェイ ジェイ)をゲストに迎えます。

C.E presents

Ben UFO
Carrier
YPY
Changsie
DJ’J
DJ Trystero

開催日時:2024年9月21日土曜日11:30 PM
会場:WWW X www-shibuya.jp
料金:Door 3,000 Yen
Advance 2,000 Yen
t.livepocket.jp/e/20240921wwwx

Over 20's Only. Photo I.D. Required.
20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います

■Ben UFO
イギリスを拠点とするBen UFOは、インターネットラジオ局であるSub.FMにおいて番組The Ruffage Sessions(Loefahの楽曲名に由来)を2007年にスタートさせ、同年には友人であるPangaea、Pearson Soundと共に音楽レーベルHessle Audioを立ち上げた。2008年から現在に至るまでレーベルと同名のラジオ番組をロンドンのRinse FMで隔週で担当している。
現在に至るまでにミックスCD並びにミックステープがThe Trilogy Tapes、Rinse、Fabriclive、Wichelroede、Cav Emptよりリリースされており、FACT Magazine、RA、Boiler Room、Little White Earbuds、Truants、Blowing Up The Workshopなどにミックス音源の提供を行っている。
soundcloud.com/benufo
hessleaudio.com

■Carrier
90年代半ばから音楽制作を続けるGuy Brewerによるプロジェクト。
ドラムンベースのプロデューサー兼DJとしてキャリアをスタートさせ、その後約10年間にわたりShiftedの名義をメインに据えつつ、そのサイドプロジェクトとして数多の名義で楽曲を発表してきたGuyがShiftedを終了させ、新たにスタートさせたCarrier。
昨年23年にThe Trilogy TapesよりCarrier初のアルバム「Lazy Mechanics」を発表し、その後EPを3枚、ミックステープを1つリリースした。
SHXCXCHCXSHなどのリリースで知られる音楽レーベルAvian主宰。

「2020年に完成したShifted 名義における最後のLPを作った過程を考えると、私はすでに切り離すことを模索していました。今から思えば、私はすでに次に行くべき場所を模索し始めていたんです」
「Carrierは、ドラムンベース、テクノ、あるいはエクスペリメンタルなど、私がアナリストとして歩んできた中で拾いあげてきたものすべてに踏み込むことを意味していると思います。それらすべては自身のレンズを通して見てきたもので、私はそれを区画化してきました。Carrierでは、私のパレットを使い、これらの影響を取り入れたものへと適用し、統一感を生み出すことを目指しています」
soundcloud.com/driftingover

■YPY
日野浩志郎によるソロプロジェクト。
国内外のアンダーグラウンドミュージシャンのリリースを行うカセットレーベル「Birdfriend」、コンテンポラリー/電子音楽をリリースするレーベル「NAKID」主宰。
「goat」、「bonanzas」というバンドのプレイヤー兼コンポーザーであり、これまでの主な作曲作品は、クラシック楽器や 電子音を融合させたハイブリッドオーケストラ「Virginal Variations」(2016)、多数のスピーカーや移動する演奏者を混じえた全身聴覚ライブ「GEIST(ガイスト)」(2018-)の他、サウンドアーティストFUJI|||||||||||TAと共に作曲・演奏した作品「INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada」(2021-)等。佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団 鼓童とは2019年以降コラボレーションを重ねており、中でも延べ1ヶ月に及ぶ佐渡島での滞在制作で映像化した音楽映画「戦慄せしめよ/Shiver」(2021、監督 豊田利晃)では全編の作曲を日野が担当し、その演奏を鼓童が行った。
soundcloud.com/koshiro-hino
twitter.com/po00oq
instagram.com/po00oq/

■Changsie
千葉は銚子の潮風が育んだ1988年産DJ。2010年代初頭に出会ったダブステップをきっかけに、DJとしての活動を開始。UKのベースミュージックを軸に古今東西の様々なジャンルを織り交ぜるプレイスタイルで、国内外のいたるフロアで低音を轟かせてきた。
2020年にはロンドンに拠点を移し、現地でラジオ番組配信やクラブイベントへの出演を重ねる。
NTS Radioでバイマンスリー番組を担当中。
nts.live/shows/changsie
soundcloud.com/changsie

■DJ’J
1/2 of Incienso.
1/3 of down2earth.
soundcloud.com/jennyslattery
inciensorecs.bandcamp.com
soundcloud.com/down-2-earth

■DJ Trystero
東京を拠点とする音楽プロデューサー兼DJ。
インディペンデント音楽レーベルCity-2 St. Giga(シティー トゥ セント・ギガ)主宰。
英国のThe Trilogy Tapesより2枚のEP、米国のInciensoよりLPを1枚、日本のCav Emptからミックステープを1つ、葵産業よりミックスCD1枚をリリースしている。
soundcloud.com/djtrystero
instagram.com/st._giga/

interview with Creation Rebel(Crucial Tony) - ele-king

 いまやDUBそれ自体がひとつのジャンルのようなものになっている。もちろん、このスタイルが1970年代のジャマイカで発明されたことを忘れてはならない。しかし、DUBを説明するときに、いつまでもそれを「オリジナル」に対する「ヴァージョン」であると繰り返す必要はないだろう。というのも、DUBはひとつの、オーディエンスを惹きつけるための遊び心あるギミックではなく、まあ、良くも悪くも西欧の枠組みのなかの「アート作品」として評価され、ジャマイカとは別の回路で発展している。
 UKは、DUBのそうした創造的転用に関する最初の拠点だった。『DUB入門』のなかのコラム原稿で少し詳しく書いたけれど、2020年にはロンドン博物館で『DUB LONDON』という、いかにUKにおけるDUBがひとつの文化現象として重要であるのかを多角的に展示する展覧会が開催されている。面白いのは、UKでは、とくに女性には、ルーツよりもDUBのほうが好まれたという話だ。人種的アイデンティティを覚醒させてくれた意味では、ルーツに対する尊敬の念は大いにあった。が、その家父長制的な女性観には当時口には出せない抵抗を感じていたと。アレサ・フランクリンなどUSソウルに親しみながらUKの都会で暮らすジャマイカ移民の女性たちがDUBに向かうのは、なるほどたしかに理解できる。また、西欧のサイケデリック文化とそれが接合されたことも、欧米におけるDUBの展開においては大きかった。ジ・オーブもマッシヴ・アタックも、ジャングルもダブステップも、その回路なくして生まれなかったのだから。
 いよいよ来週からはじまる〈DUB SESSIONS 2024〉、名歌手ホレス・アンディとともに今回の目玉であるUKダブ・バンドの大御所……というか生きる伝説……というか、とにかく、来日直前にクリエイション・レベルのリーダー、クルーシャル・トニーことトニー・フィリップに話を聞くことができた。クリエイション・レベルとは(エイドリアン・シャーウッドとのスタジオ作業を通じて)、それこそDUBを「ヴァージョン」ではなく、こっちを「オリジナル」にしてしまったバンドだ。また、クリエイション・レベルは70年代、ザ・クラッシュやザ・スリッツなど、パンクとも共演している。デニス・ボーヴェルやジャー・シャカなどと並ぶ、UKレゲエ史そのもののような存在だ。
 ぼくが推薦するクリエイション・レベルの作品は、まずは『Starship Africa』(1980)、そしてニューエイジ・ステッパーズとの共作『Threat to Creation』(1981)、この2枚は必聴盤として、ほかにも最初期の『Dub From Creation』(1978)、ジョン・ライドンが参加した『Psychotic Jonkanoo』(1982)も大好きだし、クルーシャル・トニーが参加した作品でフェイヴァリットを挙げようものなら、プリンス・ファーライ&ジ・アラブス、ニューエイジ・ステッパーズの全作品、シンガーズ&プレイヤーズの全作品、マーク・スチュワートの初期作品など、もうキリがない。すなわち、トニーさんの話を紹介できることが嬉しい。面白いので読んでください。


そしていま現在もクールなクリエイション・レベル。左から、ランキン・マグー、エスキモー・フォックス、そしてトニー。

来日前のお忙しいとき、時間を作ってくれてありがとうございます。数年前にロンドンでは、「DUB LONDON」という大掛かりな展覧会が開催されて、UKにおいてDUBがいかに重要な文化であり、重要なアートであるのかを多角的に見せていましたよね。DUBはジャマイカで発明された手法/スタイルですが、それがUKではいまではひとつのジャンル/独自の文化として認識されている。1970年代には考えられなかったことだと思いますが、こうした現在の現状に関しての、あなたの感想を聞かせてください。

クルーシャル・トニー:いま、DUBはとてもいいよ。老いも若きも興味を持っている。DUBの昔のアルバムを手に入れて聴いている人もいる。DUBをプレイする機会が多くなっているというのが、いまのDUBの文化だ。DUBに関してはとても良い状況が続いている。アナログ盤もリヴァイヴァルしているし。

70年代のUKではジャマイカ移民が多く、レゲエは故郷の音楽として人気があった。とはいえUKで暮らす黒人がレゲエを演奏することは、たとえば、UKのレゲエは「オーセンティック」ではないということでサウンドマンにはかけてもらえなかったり、いろんな壁があったと聞いています。ジャマイカのルーツ・レゲエの影響を受けながら、UK独自のサウンドがどのように生まれていったのでしょうか?

トニー:最初はジャマイカ出身の人たちは同じスタイルの音楽に興味を持っていたけど、ちまたでいろんな音楽が溢れかえって飽和状態になると、みんなDUBに向かうようになったんだ。みんなが興味を示すようになったんだよ。一流のエンジニアがいたからだ。サイエンティスト、エロル・トンプソンとかがいろいろなことを試していた。ロンドン、もしくはイギリスに住んでいる西インド諸島出身者のなかには、ジャマイカの文化をフォローしている人たちが多かったんだ。

UKにおいてDUBがなぜ重要なのか、「DUB LONDON」のホームページに掲載されたそのひとつの理由に、女性が入りやすかったという話があって、興味深く思いました。ルーツには家父長制的なところがあったから、女性はどこか抵抗があったけれど、DUBはもっと間口が広がったという話なんですが。

トニー:同感だね。

他にも、たとえば現代のジャングルやベース・ミュージックに与えた影響も大きいです。ある意味、ほとんどUK独自のダンス・ミュージックの基礎はDUBの応用によって作られているように思います。

トニー:間違いないね。

というわけで、「UKにおいてDUBがなぜ重要なのか」、あなたの意見を聞かせてください。

トニー:いろんなサウンド・システムがあったなかで、DUBがプレイされていた。みんな、DUBが大好きだったんだ。レコードをプロデュースした人たちの音のミックスの仕方が気に入られたんだな。キング・タビーはかなり人気があった。〈Studio One〉にだってDUBはあった。DUBは、レゲエとともに入ってきた。DUBは、ヴォーカルにも音楽にもリヴァーブといったエフェクトを思いっきりかけていた。クリエイティヴになりたくて、独特の音作り、周波数作りをしていた人たちがいたからだ。いろんなスピーカーを使って、パワー全開でガツンと来る音作りをしていたんだよ。

それがUKのダンス・ミュージックに影響を与えたと?

トニー:ああ、もちろんだとも。

クリエイション・レベルは、もともとはジャマイカの大物歌手がイギリスでライヴをやる際のバックバンドとして結成されたそうですね。

トニー:たしかに彼らのバックでプレイしていたけど、もともとはクリエイション・レベルとしてのアルバムをレコーディングしたんだ。そしてそれがヨーロッパでかなりウケたんで、我々はクリエイション・レベルとしてツアーに出かけていた。その同時期に、プリンス・ファーライやビム・シャーマンといったアーティストと出会って、彼らがプロモーションなり何なりでヨーロッパに来ると彼らとツアーするようになった。

通訳:最初はバックバンドだったのが、その後自身のバンドとしてアルバムを作ることになったのだと思いましたが、まずはアルバムをレコーディングして、それに伴うヨーロッパ・ツアーを行なっていたときにジャマイカのアーティストと出会ったんですね?

トニー:そうだ。

では、クリエイション・レベルを結成したのはいつのことでしたか?

トニー:1977年のことだった。ずいぶん前だな。

そもそもなぜ、DUBを生演奏するバンドを組もうと思ったのですか?

トニー:元々リリースしたアルバム『Dub From Creation』は実験的だったけど、人びとはそれに魅了された。それでずっと続けたんだ。みんなが聞きたかったのが、バンドがプレイするDUBだったんだよ。みんなが楽しんでくれていると思ったし、大いに興味を示されたんで、我々は続けて、どんどん作っていったんだ。ライヴをどんどんやるようになったんだよ。

でも、DUBバンドという発想はジャマイカにはなかったUK独自のハイブリッドなスタイルへと繋がっていったと思います。

トニー:そうだな。

通訳:たとえば、ポスト・パンクの接続という点で言えば、とても大きかったと思いますが、いかがでしょうか?

トニー:あの頃はパンク・バンドがたくさんいたけど、スキンヘッズとか、イギリスのパンク・バンドの多くはレゲエをプレイしていたんだ。彼らはあのビート・サウンドに馴染むようになったんだよ。

通訳:パンク・バンドは、最初からレゲエが好きだったわけですね?

トニー:そう、彼らにとってレゲエは第二の音楽だったんだ。二番目に好きな音楽だったんだよ。

通訳:それはなぜだったと思いますか? パンクとレゲエに何らかの共通点があったとか?

トニー:う〜ん、あったんじゃないかな(笑)。

通訳:たとえばどんな?

トニー:あまり統一されていなかったことかな。我々はザ・クラッシュと共演した。彼らはとっても気に入っていたよ。彼らはレゲエをプレイするのが大好きだった。DUBが大好きだったんだ。それで共演したんだろう。ザ・スリッツとも共演した。彼女たちともよくやったよ。

通訳:PILとも共演しましたよね?

トニー:PILもそうだったな。

通訳:あなたは音楽としてのパンクがお好きでしたか?

トニー:う〜ん、いいや(笑)。

通訳:(笑)

トニー:僕はアヴァンギャルドが好きだからけっこう興味深かったけど、あまり好きとは言えなかったな。

通訳:ではどうして、彼らとコラボしたのですか? 彼らの方があなた方を好きだったからですか?

トニー:そう、彼らが我々の音楽を好きだったし、我々を称賛してくれたんだ。

通訳:なるほど。でも結果的に、パンク・バンドとの共演はあなたにとって楽しい経験でしたか?

トニー:いま振り返ってみれば、そうだね。いろんな人と出会えたし、みんなに評価もされたからね。いい経験だったよ。(※ちなみに「レゲエとパンクは似たもの同士ではない」というコラムを野田が『DUB入門』で書いているので、興味のある方はぜひ)

通訳:『Dub From Creation』をリリースする以前からあなた方はライヴをやったりツアーを行なっていたのですか?

トニー:いやいや。リリースしてからだよ。

通訳:そのアルバムが売れたので、あなた方はツアーに出ることができたわけですか?

トニー:その通り。

通訳:そのツアーでジャマイカのアーティストと出会ったのですか?

トニー:そうだよ。

『Starship Africa』は、レゲエ・ピュアリストからは批判されるような、常識破りの作品でした。あの傑作はどのように生まれたのでしょうか?

トニー:たくさんレコーディングしたものをテープに収めたんだ。あれはエイドリアン・シャーウッドのアイディアだったんだよ。

通訳:あなた方はそのアイディアを気に入ったのですか?

トニー:いいや(笑)。

通訳:(笑)またですか? じゃあ、なぜ受け入れたのですか?

トニー:それでもやっぱりクリエイティヴになりたかったんだ。私自身のまた別の道だったからね。私はプレイするのが大好きだけど、予測できないものが好きなんだ。だから、この手のものをやってみたんだよ。でも君が言ったように、たしかにピュアリストは気に入らなかった。彼らには耐えられなかった。でも、これは我々のアルバム中もっとも売れたものなんだ。いまとなってはクラシックだよ。

通訳:その通りですね。いま振り返ってみると、あのアルバムを作って良かったとあなたも思いますよね?

トニー:思うよ(笑)!

あのアルバムのSF的なアートワークは、Pファンクやサン・ラーなど、70年代のアメリカの黒人音楽には見られた傾向ですが、ラスタの思想を重んじ、アーシーであることに重点を置いたジャマイカのルーツ・レゲエにはなかった発想だと思います。

トニー:我々がDUBを第一線に押し出したんだよ。

先ほどエイドリアン・シャーウッドの名前が出ましたが、18歳の彼はどんな青年でしたか?

トニー:いまと変わらないよ(笑)。彼はレゲエに対してとても熱心で、当時は若者の中心になってレゲエを盛り上げていた。私も若かった。どっちもこの音楽を盛り上げたいと思って一緒にやっていたんだ。

通訳:そしてその関係は今日に至るまで続いていますね。すごいですね。

トニー:そうなんだよ、驚くことにね! 我々はたくさんのプロジェクトを一緒にやってきた。いまのプレイヤーともたくさんやってきたんだ。

先ほど、プリンス・ファーライやビム・シャーマンといった名前を挙げられましたが、彼らとの思い出について聞かせてください。

トニー:プリンス・ファーライと初めて会ったときのことは一生忘れないよ。ロンドンでプリンス・ファーライと出会ったんだ。ライヴの2〜3日前に会ったんだよ。あれは我々にとってエキサイティングなことだった。彼のことは知っていて、その彼と会えたんだからね。彼と一緒に仕事ができて良かったよ。スタイル・スコットもいたな。プリンス・ファーライがジャマイカから連れてきたんだ。スタイルはルーツ・ラディックスのドラマーだったけど、私ちが会ったときの彼はまだラディックスに加入する前だった。彼も若かったんでね、エキサイティングだったよ。プリンス・ファーライとビム・シャーマンは、我々が一緒に仕事をした最初のアーティストだった。

通訳:ビム・シャーマンとも、プリンス・ファーライと同じ頃に出会ったのですか?

トニー:そうだよ、同じ頃だった。

アリ・アップは?

トニー:ザ・スリッツの人だね。彼女たちともツアーで出会ったんだ。ザ・スリッツと一緒にツアーしていたんだよ。もちろん、あれも良かった。

そして昨年は『Hostile Environment』で、ほとんど40年振りにバンドが復活しました。本国ではとても温かく迎えられていましたが、80年代のクリエイション・レベルと比較して、現在のバンドはどこが進化していると思いますか?

トニー:進化したと思う。経験を積んだからね。でも、DUBのやり方は変わっていないな。ただ、いまはもっとうまくなったよ。各楽器の弾き方も経験を積んできたから。大勢のアーティストやミュージシャンと一緒にやって来たからうまくなったんだ。この40年のあいだに、私はいろんなことをやってきた。プロデューサーなんだ。私が1980年にロンドンで共同設立した〈Ruff Cut〉のプロデュースを手がけている。いろいろなものを手がけてきたよ。スタジオワークもたくさんやって、ギターのオーヴァーダブをやってきたし、各種レーベルのためのプロデュースも手がけてきたし、いろんなアーティストと数え切れないほどのライヴをやってきた。250近くのアーティストと一緒にやってきたんだ。ジャマイカのバンドともやってきた。

通訳:それでも去年、クリエイション・レベルを復活させたかったんですね?

トニー:そうなんだ。これは、しばらく前からやりたいと思っていたことだったけど、みんなそれぞれいろんなプロジェクトに関わっていたんで、去年やっと実現したんだ。みんなが死ぬ前に、ぜひともやっておきたかったんだよ(笑)。

日本のファンのために、あらためてDUBの魅力、UK独自のDUB文化の魅力について話してもらえますか? 

トニー:とっても興味深いものだ。ほとんどの場合、我々はただ自分たちの音楽をプレイしているだけだけど、過去じつにいろんなアーティストと共演してきた。一流のレゲエ・シーンでやってきたんだ。デニス・ブラウン、リー・ペリー、大勢いる。ミステリアスで、予測不能で、興味をそそるよ。

今回の日本でのライヴに関しての、あなたの意気込みを聞かせてください。

トニー:とにかくみんなにはありのままの自分を出して音楽を楽しんで欲しい。我々がもうすぐ行って、ディープなルーツ・レゲエとDUBを披露するよ!

ADRIAN SHERWOOD PRESENTS
DUB SESSIONS 2024

HORACE ANDY [live mix by Adrian Sherwood]
CREATION REBEL [live DUB mix by Adrian Sherwood]
Crucial Tony (G)、Charlie Eskimo Fox (Ds)、Ranking Magoo (Perc)、Kenton "Fish" Brown (B)、Cyrus Richards (Keys)
Horns:icchie (Tp), Hashimoto “Kids” Takehide (Sax), Umeken (Tb)
ADRIAN SHERWOOD [DJ Set]

OPENING DJ: MASAmida from audio active [ON-U Set]
OSAKA - 09.12(THU) Umeda CLUB QUATTRO
NAGOYA - 09.13(FRI) ReNY limited
【SOLDOUT】TOKYO - 09.14(SAT) O-EAST

OPEN/START 18:00 前売:8,500円(税込 / 別途1ドリンク代 / オールスタンディング)
※未就学児童入場不可

【TICKETS チケット詳細】
前売¥8,500(税込/別途1ドリンク代 /オールスタンディング) ※整理番号付 ※未就学児童入場不可

[東京] SOLDOUT
INFO: BEATINK www.beatink.com

[大阪]
イープラス
チケットぴあ (P:270-870)
LAWSON TICKET (L:53380)
BEATINK
INFO: SMASH WEST 06-6535-5569

[名古屋]
イープラス
チケットぴあ (P:270-951)
LAWSON TICKET (L:43138)
BEATINK
INFO: JAILHOUSE 052-936-6041

interview with Toru Hashimoto - ele-king

 私たちは皆、「Free Soul」以後のパラダイムにいる。何を大げさなことを、と思うかも知れないが、こればかりは確実にそうなのだ。音楽を楽しむにあたって、そこに聞こえているグルーヴや、ハーモニーの色彩、耳(肌)触りを、その楽曲なり作り手であるアーティストの「思想」や「本質」に先んじる存在として、自分なりの星座盤とともに味わい、愛で、体を揺らすというありようは、現在では(どんなにエリート主義的なリスナーだとしても、あるいは、当然、どんなに「イージー」なリスナーだとしても)多くの音楽ファンが無意識的に共有するエートスとなっている。だからこそ、その革新性にかえって気付きづらいのだ。しかしながら、そうした音楽の楽しみ方というのは、元々は1990年代に少数のトレンドセッターたちによって試みられてきた、(こういってよければ)「ラジカル」な価値転換によって切り開かれてきたものなのである。その事実を忘れてしまってもいまとなってはそこまで困ることはないだろうが、同時に、その事実を丁寧に噛み砕きながらリスニング文化のこれまでを振り返ってみる行為にも、思いの外に巨大な楽しみがあるものだ。
 そう。Free Soulとは、あなたと私にとって、紛れもない「空気」なのだ。それも、いざ思い切り吸い込んで味わってみれば、その爽快感と美味が病みつきになってしまうたぐいの。
 いまから30年余り前。Free Soulという「発明」は、いったいどうやって成されたのか。「発明家」橋本徹は、そのときにどんなことを考え、何を提案しようとしていたのか。そしていま、どんな思いでFree Soulという我が子と対面するのか。30周年を記念する「ベスト・オブ・ベストFree Soul」なコンピレーション・アルバム2作品=『Legendary Free Soul ~ Premium』(Pヴァイン)と、同『Supreme』(ソニー)の発売に際し、じっくりと話を訊いた。

マニアの狭いコミュニティの中での評価とかレア度とかで何を載せるのかを決めるんじゃなくて、どういうふうに紹介するか、もっといえばどういうふうに「見せる」かということをすごく意識していました。

橋本さんは「Free Soul」というコンセプトを立ち上げる前に「Suburbia」のシリーズや同名のレコード・ガイドを展開されていますが、どういった経緯でFree Soulというコンセプトが生まれてきたんでしょうか?

橋本:Suburbiaでは、フリーペーパーの時代から、基本的にソフトでスマート、スウィートでソフィスティケートされた音楽――具体的には、フレンチやボッサ、カクテル感覚のジャズ、映画音楽、ソフトロックなど――を新しい感覚で楽しむことを提案していたんです。それで、渋谷のDJ Bar Inkstickでやっていたパーティや、TOKYO FMの番組「Suburbia’s Party」の集大成的なものとして、1992年末に『Suburbia Suite; Especial Sweet Reprise』という本を出したんですが、いろんな中古レコード・ショップが本に載っているタイトルを掻き集めて売るようになったり、各レコード会社から再発の相談を受けたり、とても大きな反響があって。まずはそれが前段階ですね。

それまではあくまでメーカー側主導のリイシューが主流だったことからすると、リスナーの側が作ったカタログ本が再発のきっかけになったというのはかなり革新的なことですよね。

橋本:そうですね。業界からリスナーへと情報が降りてくる従来のルートとは反対の矢印だったんです。そしてそれは、1990年代のいろんなカルチャー・シーンで同時に起こっていたことでもありますね。ありがたいことにたくさんのリイシュー監修のオファーをいただいて、すごく充実した1993年を過ごしていたんですが、そもそもSuburbiaで紹介していた音楽というのは、僕の嗜好の中のあくまで一部分だったんです。次第に、自分がリスナーとして熱心に聴いていたUKソウルやアシッド・ジャズと共振するテイストと、一冊目のレコード・ガイドで提示した過去の音楽の新たな解釈とか、当時の東京ならではのリスニング・スタイルを合流させていきたいなと思うようになって。

そこで、70年代のソウル・ミュージックとその周辺の音楽をFree Soulというタームとともに提案するようになった、ということですね。

橋本:はい。一冊目のSuburbia本の続編や縮小版みたいなものをもう一度やるよりも、そのときの自分の熱い気持ちを反映したコンセプトにしたいと思っていたんです。ある種のコントラストを見せたかったということですね。そこから、1994年の3月に「Free Soul Underground」というDJパーティをはじめて、翌月に二冊目の本『Suburbia Suite; Welcome To Free Soul Generation』と、Free Soulのコンピレーション・シリーズ第一弾である『Impressions』と『Visions』が出たんです。もともと、『Impressions』と『Visions』も、〈BMG〉のディレクターがサントラ~ラウンジ系のレコードの再発企画を持ちかけてきたのに対して、こちらから「次はソウルで行きませんか?」と逆提案したものなんです。

周囲からの反応はどんなものでしたか?

橋本:最初の頃は「え? ソウル?」みたいな反応がかなりありましたね。けれど、NANAの小野英作くんがデザインしてくれたロゴやアートワークの魅力も大きかったと思うんですが、若い女性含めて、それまでソウル・ミュージックに馴染みのなかったリスナーがこぞって手に取ってくれたんです。

まさに、「切り口」の勝利。

橋本:そういう意味では、僕が1992年に初めて手掛けたコンピレーション『'Tis Blue Drops; A Sense Of Suburbia Sweet』が好評だったというのも、前夜的な流れとしてとても重要でした。ウィリアム・デヴォーンとかカーティス・メイフィールドのメロウ&グルーヴィーな曲が入っているんですが、いかにもソウルっぽいヴィジュアルは避けて、スタイリッシュで洒落たジャケットにしたんです。

それまで、ソウルやブラック・ミュージックのファンといえば、一方ではマニアックなおじさんたちが蠢いていて、片や六本木あたりのディスコでちょっとやんちゃな人たちが楽しんでいて……というイメージだったわけですよね。

橋本:そうそう。頑固なコレクター的な世界と、「ボビ男」くん的な世界がほとんど(笑)。そういうイメージが強固にあったからこそ、いわゆる渋谷系的なセンスと重なり合うヴィジュアル面での工夫がとても重要だったんです。

その辺り、Suburbiaの活動と並行して出版社に勤めていた橋本さんならではのエディトリアルなセンスを感じます。

橋本:そういう感覚はフリーペーパーの時代から特に意識せずとも自然と大切にしていましたね。マニアの狭いコミュニティの中での評価とかレア度とかで何を載せるのかを決めるんじゃなくて、どういうふうに紹介するか、もっといえばどういうふうに「見せる」かということをすごく意識していました。だからこそ、当時ブラック・ミュージックの大御所の評論家の方から「まったく、重箱の隅をつついて……」みたいな小言も言われましたけどね(笑)。

日常の全てが幸せなわけではないけど、前向きなマインドになれたり、輝く瞬間があって。そういうありふれた日常を励ましてくれるのがFree Soulであり、『LIFE』だったんじゃないでしょうか。

ご自身のソウル原体験はどんな感じだったんですか?

橋本:80年代前半にイギリスのインディ・シーンから出てきたアーティスト、例えばアズテック・カメラやペイル・ファウンテンズ、エヴリシング・バット・ザ・ガールなどの影響元を探っていくうちにっていう流れですね。いちばん大きかったのはスタイル・カウンシル。ポール・ウェラーはソウルからの影響を特に頻繁に公言していたし、実際にカーティス(・メイフィールド)をカヴァーしているので、高校生くらいから自然と興味を持つようになったんです。オレンジ・ジュースもアル・グリーンのカヴァーをやっていたりとか。そこからまずはマーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、スティーヴィー・ワンダー、ビル・ウィザース、スライ(&ザ・ファミリー・ストーン)あたりを好きになって。

日本で言うところの「ニューソウル」系ですね。

橋本:はい。一応は当時出ていたブラック・ミュージック評論家の方たちの本も買って読んだりはしていたんですけど、激賞されているものがあまり刺さらなかったり、反対に、自分が素晴らしいと感じたものが軽視されたり無視されていたりして(笑)。やっぱり、物差しというか価値観が違うんだなとその時点から思っていました。

レアグルーヴとの出会いはいつ頃ですか?

橋本:80年代後半、大学生の頃でした。ダンス・ジャズやアシッド・ジャズのムーヴメントもあまり時差なく日本に伝わってきて、自分と近い感覚だなと感じていましたし、フィロソフィー的にもシンパシーを抱くようになっていきました。

DJという存在を意識するようになったのは?

橋本:少し後、1990年前後だと思います。大学3、4年くらいから渋谷や青山、西麻布あたりの小箱に遊びに行くようになって、徐々に意識するようになりました。けど、その頃は後に自分でもDJをするようになるとは思っていなかったですね。むしろ、〈アーバン〉とか〈チャーリー〉とか、UKのいろんなレーベルから出ているレアグルーヴ系のコンピレーションを通じて、コンパイラーという存在に先に興味を持っていました。もともとプライベートな選曲テープを作るのが好きだったので、それと同じ感覚で楽しんでいましたね。「これはバズ・フェ・ジャズっていう人が選曲していて、こっちはジャイルス・ピーターソンがやっているんだな」っていうふうに。

ある種の統一的なセンスを元に、一見無関係そうな曲を並べるっていうコンピレーションのあり方自体が新鮮だったということですよね。

橋本:そうです。当時は、単純にビッグヒットを並べただけとか、単体アーティストのベスト盤にしても、律儀に年代順に並べたものばかりだったので。いちばんわかりやすいのがジェイムス・ブラウンのベスト盤ですね。既存のものは、ほとんどが「プリーズ、プリーズ、プリーズ」はじまりなわけですよ。こっちはもっとファンキーなものを聴きたいのに(笑)。だからこそ、クリフ・ホワイトがレアグルーヴ~ヒップホップ世代に受けそうな曲を中心に選んだコンピ『イン・ザ・ジャングル・グルーヴ』(1986年)が新鮮だったんです。後にFree Soulでアーティスト単体のコンピを出すにあたっても、そういった発想にはかなり影響を受けていると思います。

音楽ファンの全員がそのアーティストのことをクロノジカルに研究したいと思っているわけじゃないですもんね。

橋本:まさにそうですよね。

ロックを中心とした旧来の音楽ジャーナリズムやエリート主義的な音楽リスナーのコミュニティでは、それって「不都合な真実」でもあったわけですよね。それを、レコード好きの視点から鮮やかに提示してみせちゃったというのは、ある意味でパラダイム転換だったと思うんですよ。

橋本:評論的な観点から音楽を聴く人なんて、音楽好きの中でもごく一部だけでしょう。大勢の人はあくまで感覚先行で聴いているんですよね。Free Soulが大事にしてきたのも、まさにそういうリスニングのあり方なんです。

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やっぱりFree Soulの全盛期である90年代半ばの熱気や輝きがダイレクトに感じられるようなものにしましょうという話になって。

今回の30周年コンピレーションを聴いても、改めてFree Soul的な感覚の核には、オーガニックなサウンドというか、反デジタル的なカラーがあるなと感じたんですが、そういう志向には、1990年代当時の主流シーンへのアンチテーゼも込められていたんでしょうか?

橋本:じつはそこはあまり意識していなかったんです。単純に、僕の好みがそういう生っぽいサウンドだったということですね。いわゆるネオ・アコースティック系のサウンドが原体験にあるので、どうしても生楽器の質感への愛着が選曲に反映されがちなんじゃないかと思います。だから、一口に70 年代ソウルといっても、同時期のシンガーソングライターものとの接点にあるような音楽が特に好きなんですよね。象徴的な例を挙げるとしたら、アイズレー・ブラザーズ。彼らの例えば、キャロル・キングやジェイムス・テイラー、スティーヴン・スティルスやトッド・ラングレンのカヴァーをやったりしている時期が好みなんですよ。

ちなみに、その辺りの作品も旧来のディスクガイドの評価だと……。

橋本:ほとんど相手にされていないどころか、綺麗にスルーされていたり(笑)。でも、自分にとっては本当に大切な曲たち。ラティモアのアル・クーパー “ジョリー” のカヴァーも昔は完全に敵視されていたし、リロイ・ハトソンやダニー・ハサウェイみたいに大好きな声の持ち主が、「歌が弱い」って切られていたり。テリー・キャリアーにしても全く無視されていたり、といった感じだったんですけど、自分は死ぬほど好きで。だから、その人が感覚的に好きであれば、なんでもFree Soulと言えちゃうんですよね。でもその一方で、アコースティック・ギターのカッティングとか、心地よい16ビートのグルーヴとか、ある種のスタイルを指す言葉として広まっていったのも確かですね。

“ジョリー” のオリジネーターであるアル・クーパーとか、他にもトッド・ラングレンとか、エレン・マキルウェインとか、メリサ・マンチェスターとか、ロック~フォーク~ポップス系、あるいはコーク・エスコヴェードのようなラテン系のアーティストの曲に、ソウルの視点から光を当ててみせたというのも、とても大きな意義があったと思います。

橋本:ブルー・アイド・ソウルって言葉が好きだったんですよね。でも基本的に、旧来のロック批評というのは、特定のアーティストをカリスマ的な存在として絶対視するようなものが多かったですからね。だから、当時はベテランのロック・ファンからもいろいろと言われたりしました(笑)。

先ほども渋谷系の話が少し出ましたけど、リアルタイムの音楽シーンとの連動感もとても印象に残っています。小沢健二さんの『LIFE』(1994年)なんて、モロにFree Soul的なサウンドですよね。

橋本:当時からそれはよく指摘されましたね。「何々の曲が引用されている」ということ以上に、あのアルバムで表現されていた街の空気感だったり、当時の20代の若者たちが感じていた気持ちっていう面で、すごく共鳴するところがあったんだと思います。もちろん、日常の全てが幸せなわけではないけど、前向きなマインドになれたり、輝く瞬間があって。そういうありふれた日常を励ましてくれるのがFree Soulであり、『LIFE』だったんじゃないでしょうか。

いきなり生々しい質問になっちゃいますが、第一弾リリースの『Impressions』と『Visions』ってどれくらい売れたんですか?

橋本:『Visions』は把握していないんですけど、『Impressions』はイニシャルは2,000枚弱だったんですが、1990年代の後半の時点で3万枚を超えたと聞きました。

CD売上の全盛期とはいえ、旧曲を集めたコンピでそれは相当すごい数字ですよね。

橋本:この間、稲垣吾郎さんがパーソナリティをやっているTOKYO FMの『THE TRAD』っていう番組のFree Soul特集にゲストに呼ばれて出演したんですが、彼も当時『Impressions』を買ったって言っていました。その後も、渋谷のタワーレコードでFree Soulのジャケットがずらっと並んでいるのを仲間と手分けして集めていたらしくて。

へえ! 当時のSMAPのあのサウンドはプロダクション・チームに限らずちゃんと一部メンバーの志向と合致していたってことなんですかね。それこそ時代に共有された空気の濃さを感じさせる話ですね。

橋本:ちなみに、売上数で言うと、共にHMV渋谷の邦楽売り場でも売上チャート1位になった、〈ポリドール〉の『Parade』(1995年)と『Lights』(1996年)の方がもっと売れているんですよ。特に『Lights』はジャクソン・シスターズが入っている効果もあってか、2000年代初頭の時点で5万枚以上売れていると聞きました。アーティスト単体ものだと、アイズレー・ブラザーズのコンピ二枚(1995年)、『メロウ・アイズレーズ』と『グルーヴィー・アイズレーズ』はかなり売れましたね。それ以上に爆発的に売れたのが、1999年にFree Soulベストを編んだジャクソン・ファイヴでしたけど。

いやはやすごいなあ。

橋本:さっきの『LIFE』の話しかり、Free Soul的なサウンドとか価値観っていうのは、1990年代の時代的なムードと深いところで響き合っていたんだと思うんです。バンド・ブームやユーロビートが収束したあと、渋谷系に限らず、同時代の邦楽アーティストの曲に横揺れのグルーヴが浸透して行きましたよね。もちろんそこには、ニュー・クラシック・ソウルの流行とか、他にも要因があったと思いますけど。

そういう意味では、1995年という早い段階から『Free Soul '90s』というシリーズを立ち上げて、同時代の曲をコンパイルしていったというのも、とても重要な動きだったと思います。

橋本:同時代のシーンとの連動という意味でもプラスでしたし、旧曲のコンピであるそれまでのFree Soulのシリーズとも良い補完関係を築けましたね。「古いものの掘り起こし」である以上に、あくまで「90年代の感覚から楽しむ」という、現在から過去を見渡したときに輝いているものに光を当てるというパースペクティヴがベースにあることを、カヴァーやサンプリングを通してわかりやすく提示できましたので。

橋本さんはその後、「Cafe Apres-midi」や「Mellow Beats」、「Jazz Supreme」や「Good Mellows」など、Free Soul以外にもたくさんのシリーズを手掛けられていくわけですが、それぞれのシリーズをどう差異化していったんでしょうか?

橋本:自分の中で明確な線引きがあるわけじゃないんですよね。もちろん、カフェで聴いて心地よい音楽というコンセプトや、ジャズとヒップホップの蜜月をテーマにしたりとか、大きなくくりはありますけど、あくまでその時代々々の感覚で選曲していくイメージで。あえて各シリーズの境目をグラデーション状にして互いにイメージが広がっていくようにしたり、リスナーが親和性を感じられるようにしたりすることもありましたし。贅沢を承知で言わせてもらうと、僕の手掛けてきたコンピレーション全てを連続した物語として捉えてくれたらすごく嬉しいという気持ちがあって。

1990年代当時に、学生の頃からイギリスの音楽に親しんできた東京の普通の若者が過去の音楽をこうやって再解釈して提示したっていうこと自体がいまやひとつの歴史だと思うし、そこで提示されたパースペクティヴがいかにフレッシュだったのかというのを伝えられればと思っていて。

今回のFree Soul 30周年コンピ盤はどういうコンセプトで選曲されたんですか?

橋本:まず、〈Pヴァイン〉の山崎真央さんから「30周年で何かやりましょう」と声をかけてもらって、アイデア出しをしたんです。そのときはもっと現代寄りのコンセプトを提案したんですが、話し合っているうちに、やっぱりFree Soulの全盛期である90年代半ばの熱気や輝きがダイレクトに感じられるようなものにしましょうという話になって、2作品合計4枚にわたって人気曲やキラーチューンを惜しげもなく入れる方向に転換していきました。結果的に、Free Soulのまさに「ベスト・オブ・ベスト」的な選曲になりましたね。

Free Soulシリーズを初めて知るリスナーにもビシバシ響きそうな選曲だと思いました。

橋本:そう、セレクションを見れば自明なように、今回いちばん大事にしているのは、「次世代につなぐ」という意識なんです。昔からのFree Soulファンにニュー・ディスカヴァリーを提示するというよりは、このアニヴァーサリーのタイミングで、若い世代にFree Soulは魅力的だと思ってもらえるようなものを形として残しておきたいという気持ちになれたというか。音楽好きの若い人たちはすごく多いし、好奇心や興味もたくさん持っていると思うんですが、ただ点と点があるだけじゃ伝わりづらいので、それを繋いで線にしてみせたり、星座を描いてみせたり、あるカラーを提示するっていうことができればいいなと思っていて。

「なんでもあり」的に断片化した今のメディア環境や情報流通の速度からしても、そういう行為の重要性はかえって大きくなっている気がします。

橋本:そうなんですよね。正直、僕らの世代からしたら「まだこの曲をプッシュするのか」って思ってしまいがちだし、自分の最新の関心に基づいてプレゼンテーションしたくなるところなんだけど、もっと俯瞰して次へ繋ぐっていうことを大切に考えると、「確かにド直球もありなのかな」と思えるようになってきたんです。1990年代当時に、学生の頃からイギリスの音楽に親しんできた東京の普通の若者が過去の音楽をこうやって再解釈して提示したっていうこと自体がいまやひとつの歴史だと思うし、そこで提示されたパースペクティヴがいかにフレッシュだったのかというのを伝えられればと思っていて。これまでFree Soulという看板を背負っていろんな経験をさせてもらった身としても、これはやり続ける価値のあることだよなっていう気持ちがありますね。

ある種の責任感のような?

橋本:そうかもしれませんね。あの当時、「フリー・ソウル・ルサンチマン」って言葉がよく使われたくらいで(笑)、他のDJやコレクターやマニアの人たちからしてみれば、ひがみややっかみも含め「なにがFree Soulだよ、やりたいことやって」っていう気持ちもあったと思うんです。もともと好きだったものが、突然出てきたFree Soulっていう言葉のせいで他人のもの、一般的なものになってしまったような気持ちを抱いた人もいるだろうし、実際、労力とお金をかけて同じような領域を僕以上に深く掘っている人だっていたはずなんですよね。そういう中で自分はたまたま、やりたいことをやらせてもらえる恵まれた立場だったので、ちょっとでも注目されなくなったらすぐにやめちゃうんじゃなくて、そういう人たちに対しての責任も果たしたいなという気持ちもありますね。

手掛けられた仕事の数々に触れていても、なおかつこうしてお話を伺っていても、橋本さんの30年余りの仕事って、聴く人の時間の積み重ねやライフステージの変化に並走してくれている感じがするんですよね。クラブ・カルチャーに限らず、ライフステージの変化によって音楽とかカルチャーから離れちゃう例って、本当にたくさんあるじゃないですか。でも、Free SoulやCafe Apres-midiは、移り変わりや変化の中でも、気づけばそこにある感じがして。

橋本:それは自分でも意識している部分ですね。僕は歌も歌えないし楽器も弾けないし、ただレコードが好きなだけでいろんな提案をしてきたわけですけど、音楽ファンとして時々の生活のシチュエーションやシーンと結びつけて提案するというスタイルこそが自分の立ち位置だと思ってやってきたんです。僕が選んだ音楽を聴いてもらうことによって、日々の暮らしの中である情景とかシチュエーションが素敵なものになったり、大切な瞬間が再生されるようになったら、すごく嬉しいですね。

音楽を愛し続けるのも、案外エネルギーがいることですよね。若い頃に熱烈な体験をしていたりすると、加齢とともに余計にそう思ってしまう気もします。

橋本:周りからも、レコード買うのをやめてしまったっていう声が聴こえてきたりするんですけど、そういう話を聞くと、前までは「え~」って思っていたけど、僕も50代になって結婚をして初めてその気持ちが理解できました(笑)。けど、せっかく大好きだった音楽から離れちゃうのはやっぱり残念じゃないですか。一回やめてしまった習慣をまたはじめるのは本当にエネルギーがいりますけど、だからこそ、サブスクでもコンピでもいいから、もっとみんな毎日のシチュエーションの中で気軽に音楽に触れて欲しいなと思いますね。

単純に心がウキウキしたり、リラックスしたり……って、あまりにも当たり前のことかもしれないですが、よくよく考えればめちゃくちゃスゴいことですよね。育児しながらBGMとして聴いてもいいし、家事や通勤の最中に聴いてもいいし。

橋本:そうそう。まさにFree Soulなんて、そういうときに輝いて聴こえたり、胸に沁みたりするエヴァーグリーンな音楽だと思いますしね。僕自身、あくまでカジュアルに手にとってもらいたいなと思ってやってきましたし、つねにイージーリスナーズに優しいっていう意識を大切に、クリエイティヴと向き合ってきましたから。Suburbiaの最初のフリーペーパーのサブキャッチからして、トット・テイラー主宰の〈コンパクト・オーガニゼーション〉に倣って、“Earbenders for Easy Listeners”だったくらいですし。

そして、あくまでパッケージで出すというのも改めて意義深いと思います。ストリーミングは間違いなく便利だしイージーリスナーズに優しいけれど、音楽という文化によりコミットしているという実感を促す装置という視点でいっても、なんだかんだ「物体を所有すること」の価値は減じてないと思うんです。

橋本:もしかすると、ライトなリスナーの方ほど、「モノ」に敏感かもしれないなと最近思うことがありますね。「なんかカッコいい」とか「お洒落だな」で全然いいと思うし、雰囲気で聴いていいと思うし、レコード会社もあきらめずに、そういう人たちへぜひ音楽を届けるべきですよね。

橋本徹(SUBURBIA)
編集者/選曲家/DJ/プロデューサー。サバービア・ファクトリー主宰。渋谷の「カフェ・アプレミディ」「アプレミディ・セレソン」店主。『Free Soul』『Mellow Beats』『Cafe Apres-midi』『Jazz Supreme』『音楽のある風景』シリーズなど、選曲を手がけたコンピCDは350枚を越え世界一。USENでは音楽放送チャンネル「usen for Cafe Apres-midi」「usen for Free Soul」を監修・制作、1990年代から日本の都市型音楽シーンに多大なる影響力を持つ。最近はメロウ・チルアウトをテーマにした『Good Mellows』シリーズや、香りと音楽のマリアージュをテーマにした『Incense Music』シリーズが国内・海外で大好評を博している。

ENDON - ele-king

 完ッッ全に絶望した。世の中に、社会に、他者に、何より自分自身に。死にてー。けれども首吊りも身投げも怖ぇ〜から絶対無理。オーバードーズでポックリ死が最も理想的なんだが、誰かが俺の屍を片付けることになるを思うと躊躇しちまう。この暑さじゃソッコーで腐敗しちまうしな。さてどうしたものか……そんなモヤモヤしていた矢先、盟友エンドン(ENDON)の新譜が〈スリル・ジョッキー(Thrill Jockey)〉からリリース、とりあえず聴いてみることにした。エンド(END)オン(ON)。彼らは一度死に、終わりを迎えた。これは終わりのはじまりの物語である。

 2020年の春の終わり頃、エンドンのメンバーであるエツオが死んだ。彼は非常に繊細で優しい人間でありながら、誰よりも激しい情動を秘めた青年だった。エツオはエンドンではノイズ(鉄クズとバネ、ピックアップマイクで制作された自作楽器・通称ガシャガシャ)と電子楽器を演奏したり、イカれた小説を書いたり、ソロ・プロジェクトであるマス・ファルセントリズム・アタック(Mass Phallocentrism Attack)やウエスト・トーキョー・パニック・シンジケート(West Tokyo Panic Syndicate)ではアクショニズム的パフォーマンスを披露するなど、溢れ出る表現欲求がとどまることのない多彩な前衛芸術家だった。確かにエツオはときに死にそうになりながら表現に励んでいた。ハンパじゃない飲酒量もそうだが、エンドンのライヴ後に彼が酩酊してブッ倒れ、他のメンバー、主にエツオの兄であり、フロントマンであるタイチが彼をハコから担ぎ出すのはバンドの日常風景だった。当時俺はそんな光景を横目に、エツオを心配するどころか微笑ましい兄弟愛だな、程度にしか思っていなかった。エツオの突然の訃報を聞いたのは、コロナ禍による最初の緊急事態宣言が発令して間もない頃だ。あらゆる音楽イヴェントは中止、エンドンも他のミュージシャンたちと同様に当面のライヴ活動を見合わせていた。あれから四年経ったいまでも、コロナ禍で社会が混乱していなければエツオは死ななかったんじゃないか? という思いは消えない。いつも通り毎週スタジオでリハをおこなっていたら? いつも通りに発表の場があって、仲間たちとの交流が絶えなければこんなことにならなかったのでは? 考えるだけ虚しいだけだが……

 フォール・オブ・スプリング(Fall of Spring)、「春の転落」と題された今作はエツオの死後、3人編成となったエンドン初のアルバムだ。音響ガジェット屋タロウによるアンビエント・シンセジスの上に凄腕ギターを封印したコウキによるダイナミックなノイズが駆け巡り、加虐的なリリックを痛々しいまで繊細に叫ぶタイチのヴォーカルが聴者の狂気と理性を掻き乱す。これまでのエンドンをノイジー・メタルと呼ぶならば、これはメタリック・ノイズ、極度に抽象化されたロックンロール・オペラだ。このかつてないほど悲痛で空虚なサウンドを例えるとすれば、死者の世界から覗き見る生者の世界。向こうにいるエツオが聴く俺たちの終わり行く世界の音はこんな感じじゃなかろうか。最近の〈スリル・ジョッキー〉の尖ったリリース、スーマック(SUMAC)のヒーラー(Healer)やパーシャー(Persher)のスリープ・ウェル(Sleep Well)など、「春の転落」と同様にディストピアン・サウンドトラックとしての親和性が高いのが非常に面白い。アヴァン・メタルはいま確実にキテる。ちなみに俺の手元にあるのは〈デイメア・レコーディングス(Daymare Recordings)〉盤のCDだが、ボートラが一曲追加されていて、ジュエルケースが白トレーという点もありがたい。ワンジーくらいならブラントで巻いて収納できるからな。

 クソ! こんなもん聴かされたらお前らが死ぬまで死ねねぇじゃねぇか! END ON END ON END ON……終わり行く世界の中で絶望の深淵に向かう無限の反復運動。大人になれ? 成長しろ? 知るかよ! 野垂死上等!

interview with Fontaines D.C. (Conor Deegan III) - ele-king

 2019年の『DOGREL』の衝撃から5年、4枚目のアルバム『Romance』へと至る道、フォンテインズD.C.はもはや単純にポスト・パンクという言葉でくくれるようなバンドではない。レーベルが変わり、バンドの立つステージは大きくなり、周囲の環境も変わった。アイルランドを離れてのツアー生活、3枚のアルバムのプロテュースを務めたダン・キャリーのレコーディングから、アークティック・モンキーズやゴリラズを手がけるジェイムズ・フォードとともにフランスの大きく古いスタジオで収録した4thアルバム。作曲方法も変わり、年齢を重ねた感性も変化しバンドはまた違うものになっていく。変わらないのは暗さを抱えた憧れるようなフォンテインズのロマンだけだ。00年代後半のニュー・メタルのサウンドを解釈した “Starburster” の衝動に、80年代のギター・ポップ・バンドのようなきらめきを持った “Favourite”。それらは心を躍らせ、そうして自問自答を繰り返すフォンテインズの渦の中に返っていく。アルバムのなかで繰り広げられる探求、「ロマンスとは場所なのかもしれない」。最初に配置されたタイトル・トラックのなかで響くグリアンのその声がアルバム全体を通してずっと頭に残り続ける。場所と記憶と概念、そして感情、それらが交じり合うポイントにこそロマンスはあるのかもしれない。それは決して甘いだけのものではなく闇を感じさせもするもので……。

 23年2月の単独公演以来、フジロックのために来日したフォンテインズ。だが取材を予定していたカルロス・オコンネルは現れず、取材時刻から少し遅れてギターのコナー・カーリー、 ベースのコナー・ディーガン、 そしてドラムのトム・コールの3人が到着。カルロスが時間内に来ることは難しいという状況のなかで、カルロスに代わり急遽ベーシストのコナー・ディーガンがこのインタヴューに答えてくれた。彼は終始ご機嫌で、撮影の待ち時間に「パーパパッパパッパパー、パパパッパー」とフィッシュマンズの “LONG SEASON” を口ずさみながら歩き回っていた(取材後1時間ほどしてカルロスとグリアン・チャッテンが姿を見せ、撮影はメンバー全員でおこなわれた)。ディーガンが口ずさむ唄のように季節は変わり、ダブリンのこのバンドは新たな段階に入っていく。来夏の4万人規模の公演も決まり、大きくなっていくフォンテインズに4thアルバム『Romance』のその探求について話を聞いた。

過去のいろんな時代から見た未来というか、過去の時代に想像していたような未来の姿を表現したかった。残念だけどいまの時代に未来を想像しても、いい感じの未来が見えて来そうにないからさ。でも過去のある地点、たとえば90年代に思い描かれていた未来っていうのはもっと面白く、もっといいものだったような気がするんだよ。

今日はよろしくお願いします。フォンテインズとしては去年2月の単独公演以来の来日で。そのときとは季節も変わってまた違うかと思いますが、日本の夏の印象はどうですか?

コナー・ディーガン(Conor Deegan、以下CD):そうだね冬に来たときとは全然違う体験をさせてもらっているよ。なんていうかな前に来たときはもうちょっと穏やかな感じだったから。いまはまぁちょっと暑いよね。暑すぎ。

来てからどこかに行ったりしましたか?

CD:まだどこにも行ってないんだ。なにしろ着いてからまだ13時間くらいだから。

変化といえばバンドとしてもレーベルが〈XL Recording〉に変わりましたよね。音楽的に、あるいはその他の面でも違いを感じるところはありますか?

CD:うん、変化はいろんな面で感じているよ。仕切り直しっていうか新たなスタートを切りたいって考えていたから。音楽自体もそうだけど、それ以前に創作に対する空気が変わったって感じかな。〈XL〉は伝統あるレーベルで、いろんなバンドと契約してきた歴史があるから独特な空気があると思う。その一部になれたっていうのは光栄だし、うまくいっているんじゃないかって感じてる。もちろん前のレーベルもよかったんだけどね。

XLに所属しているアーティストで影響を受けた人はいますか?

CD:最初に名前を挙げるとしたら当然、キング・クルールかな。あと、影響を受けたっていうんならプロディジーも。

XL以外の人だと、最近はどんな音楽を聴いているんですか?

CD:ちょっと待って見てみるから(スマホを取り出してSpotifyの画面を見せる)。うん、いまはこんな感じかな。J・ディラ、チャーリー・XCX。あとはジェシカ・プラットの新しいアルバム『Here in the Pitch』、これはめちゃくちゃよかったよね。それにテス・パークス。

当時、ビートルズがメロトロンを使って表現しようとしたのは未来の音だったはずなのに、いまそれを聴いて僕らが感じるのが懐かしさなんだって思うとなんだか変な感じだけど。

今回からプレスショットの感じも変わりましたよね? いままでの落ち着いたものから一気にポップになったような感じで。あなたとグリアンがプレゼンのパワポの資料にスパイス・ガールズの写真が並んでいて~みたいなことを言っていたインタヴューの動画を見て……

CD:(笑)違う、違う。あれは冗談だよ、冗談。マジじゃないから。

あっそうだったんですね(笑)。実際はどんな感じだったんですか? かなりモードを切り替えたみたいな印象がありますけど、どのような意図であのプレスショットを撮ったんですか?

CD:僕たちが考えたことというか話し合ったことは「違った未来についての視点」を表現したいってことだったんだ。過去のいろんな時代から見た未来というか、過去の時代に想像していたような未来の姿を表現したかった。残念だけどいまの時代に未来を想像しても、いい感じの未来が見えて来そうにないからさ。でも過去のある地点、たとえば90年代に思い描かれていた未来っていうのはもっと面白く、もっといいものだったような気がするんだよ。映画の『12モンキーズ』(1996年/テリー・ギリアム監督)でも素晴らしい想像力で未来を描いていたし、1920年代の『メトロポリス』(1927年/フリッツ・ラング監督)も凄かった。そういう20世紀の映画のなかで描かれたような未来っていうのが大きなインスピレーションのもとになっている。グリアンのクリップで止めた髪っていうのはまさに1920年代の映画を参考にしているし、僕のとかカルロスの髪形はそれよりも先の時代、90年代に考えられていた未来の姿になっていると思うんだ。

過去から見た未来の表現っていうのは凄く面白いですね。未来のことでありながら同時にノスタルジックな感覚もあるという。話を聞いていて、アルバムに収録されている “Starburster” についてカルロスが「14歳のときに大好きでその後聴かなくなった曲をいま、再び愛するみたいなもの」と言っていたのにも近いものがあるのかなと思ったのですが、この過去と未来が交わるような感覚というのは曲を作る上でもありましたか?

CD:ノスタルジックっていうのはそうだね。“Starburster” にはそのアティチュードがあると思う。でもノスタルジックってだけじゃなくサウンド的にはもっと暗くて悲観的な部分もあってそれが混ざったような感じなんだけど。たとえば曲の真ん中くらいの部分にメロトロンを使ったところがあるんだけど、僕らにとってメロトロンの音は凄く懐かしさを感じさせる音なんだ。60年代のビートルズ気分になるみたいな。でもそれをもう少し、溶けたような感じにいじっていくと、喪失感のある、何かを失ったような感じにもなって……ダーク・ヴァージョンのノスタルジアって感じかな。当時、ビートルズがメロトロンを使って表現しようとしたのは未来の音だったはずなのに、いまそれを聴いて僕らが感じるのが懐かしさなんだって思うとなんだか変な感じだけど。
あとは90年代後半から00年代前半にかけてのニュー・メタル、たとえばコーンとかトゥールみたいな音楽の影響もある。そういう音楽を聴いていたときは子どもだったからその曲の持つテーマとかムーヴメントとかをよくわかっていなかったんだけど、いま聴くとミソジニーだって思えるところもあって。そういうよくない部分を取り除いてサウンドのクールなアイデアをいまの時代に合わせて再構築したって感じかな。

この言葉にはいろんな側面があって単にロマティックなものだけじゃないと思うから。毎日の生活のなかでロマンを感じるものだったり、人生における大切なものだと感じるようなものでもある。「ロマンス」には言葉にできない、きちんととらえられないような感情があって、痛みや悲劇的な側面だってあるんだ。

先行シングルとして発表された “Favourite” はこれまでのフォンテインズの曲とは印象が全然違って、80年代のギター・バンドみたいな疾走感や青春感がある曲でした。最初に聴いたときにこの曲からアルバムがはじまるのかなと思っていたのですが、実際には最後の曲で。アルバムはダークな “Romance” からはじまりますが、この曲順にはどんな意図があるのですか?

CD:アルバム全体のテーマとして「ロマンス」を探求するっていうのがあったんだ。ロマンスという概念はなんなんだってアルバムのなかでもう一回考えているみたいな。この言葉にはいろんな側面があって単にロマティックなものだけじゃないと思うから。毎日の生活のなかでロマンを感じるものだったり、人生における大切なものだと感じるようなものでもある。「ロマンス」には言葉にできない、きちんととらえられないような感情があって、痛みや悲劇的な側面だってあるんだ。だから “Romance” という曲からアルバムをはじめることで全体を通してそうした感情を探し、理解していく形にしたいって思いがあった。 ロマンスのポジティヴな面とネガティヴな面、両方に触れたアルバムになるように。
“Favourite” が最後なのは「ロマンス」という言葉の持つポジティヴな感情をアルバムの終わりで提示したかったからなんだ。「ロマンス」というものを探求した上で、僕たちにはそれができるんだってメッセージを最後に伝えたいって思いがあった。


photographer: YUKI KAWASHIMA collage: Ria Arai

レコーディングはどんな感じだったのでしょうか? 今回はジェイムズ・フォードとのフランスでのレコーディングだったということですが。

CD:うん。僕らにとってこれが初めてのイングランド外でのレコーディングだったんだ。大きな古いフレンチ・ハウスで、まぁ言ってしまうと幽霊が出そうな感じの場所だったんだけど。70年代の素晴らしい機材がいっぱいある大きな部屋で、音楽にインパクトを残せるようなスペースがたくさんあった。いままで僕らは小さな部屋の限られた空間のなか、ライヴ・セッティングで生々しさを閉じこめたみたいなレコーディングをしていたんだけど、今回は部屋の大きさに引っ張られてサウンドの大きさも変わっていったんだ。たとえばU2みたいにアリーナやスタジアムに響かせるような曲を録るにはレコーディングのやり方を変えなくちゃいけないよね。そんなふうに引っ張られていった結果としてアルバムの音も大きなサウンドになったと思う。

最近出演したフェスの映像などを見てもバンドとしてどんどん大きくなっているように感じていますが、曲作りにおいて1stアルバムを発表した当時と変化したような部分はありますか?

CD:曲作りに関して言うと、最初の頃はひとつの部屋に集まって演奏しながらみんなで作っていくってスタイルだった。ラップトップで誰かがデモを作ったのを持ち込んでみたいなことはやってなかったから。ライヴのための曲作りで、誰かの演奏がインスピレーションになってそこから曲が生まれたりもした。でも活動を続けていく内にツアーに出ることも増えて、みんなで一緒に集まって曲を作るってことが難しくなっていったんだ。だからここ数年はホテルの部屋でひとりで曲を作ることがほとんどになった。ラップトップで音楽を作るといろんな楽器を使うことができるよね? 実際には演奏できなくてもシンセとかストリングスとかトランペットとかを簡単に追加できる。昔は自分たちで演奏できないものは作れなかったけどいまは違って、選択肢がかなり広がった。そこから今度はライヴで実際に演奏するために調整するって過程が入ったりするわけだけど。とにかく、昔と違った形で曲を作っているっていうのは確かだね。このアルバムの曲は特にそうで、大胆なサウンドがたくさん入っている。そういう仕上がりになっていると思うよ。

今回のアルバムの曲で、ライヴで演奏するときに印象が異なったような曲はありましたか?

CD:うーん、今回のアルバムの曲はまだそこまでライヴでやっているわけじゃないからいまのところはなんとも言えない。ただやっぱり観客の反応が入ると印象が変わるよね。過去の曲で言えば2ndアルバムの “Lucid Dream” なんかはまさにそうで、作ったときにはこんなふうにライヴで大きく盛り上がる曲になるだなんて思わなかった。だから今度のアルバムの曲もそんなふうに変化していくと思うよ。“Starburster” はもう何度かライヴで演っているけど1stアルバムとか昔のアルバムの曲とは全然違う盛り上がり方をしていて。モッシュが起こるんじゃなくて合唱が発生するみたいな、そういう変化が起こっているかもしれない。

最後にアルバムのジャケットの話を聞きたいです。アートワークもいままでのものとガラッと雰囲気が変わりましたよね? ハートマークに涙を流した人の顔が写った、ある種異様とも思えるようなアートワークで。これはどういうものなんですか?

CD:このデザインはルー・リンって人が手がけたものなんだけど、僕も最初に見たときはほんとストレンジだなって思った。それこそ従来のものとは全然違う感じのものだったし。でも僕たちがやりたかった音楽、今回のアルバムのテーマを表すものとして考えると、このアートワークは凄くフィットしているって思うんだ。「ロマンスの形っていうのはこういうものなのか?」「本当にこれで合っているのか?」と問いを投げ掛けるようなものになっていて。それってまさに僕たちがこのアルバムでやろうとしていたことだから。ロマンスというものについて問いかけてくる、凄く良いアートワークだと思うよ。

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