Home > Reviews > Album Reviews > ENDON- Fall of Spring
完ッッ全に絶望した。世の中に、社会に、他者に、何より自分自身に。死にてー。けれども首吊りも身投げも怖ぇ〜から絶対無理。オーバードーズでポックリ死が最も理想的なんだが、誰かが俺の屍を片付けることになるを思うと躊躇しちまう。この暑さじゃソッコーで腐敗しちまうしな。さてどうしたものか……そんなモヤモヤしていた矢先、盟友エンドン(ENDON)の新譜が〈スリル・ジョッキー(Thrill Jockey)〉からリリース、とりあえず聴いてみることにした。エンド(END)オン(ON)。彼らは一度死に、終わりを迎えた。これは終わりのはじまりの物語である。
2020年の春の終わり頃、エンドンのメンバーであるエツオが死んだ。彼は非常に繊細で優しい人間でありながら、誰よりも激しい情動を秘めた青年だった。エツオはエンドンではノイズ(鉄クズとバネ、ピックアップマイクで制作された自作楽器・通称ガシャガシャ)と電子楽器を演奏したり、イカれた小説を書いたり、ソロ・プロジェクトであるマス・ファルセントリズム・アタック(Mass Phallocentrism Attack)やウエスト・トーキョー・パニック・シンジケート(West Tokyo Panic Syndicate)ではアクショニズム的パフォーマンスを披露するなど、溢れ出る表現欲求がとどまることのない多彩な前衛芸術家だった。確かにエツオはときに死にそうになりながら表現に励んでいた。ハンパじゃない飲酒量もそうだが、エンドンのライヴ後に彼が酩酊してブッ倒れ、他のメンバー、主にエツオの兄であり、フロントマンであるタイチが彼をハコから担ぎ出すのはバンドの日常風景だった。当時俺はそんな光景を横目に、エツオを心配するどころか微笑ましい兄弟愛だな、程度にしか思っていなかった。エツオの突然の訃報を聞いたのは、コロナ禍による最初の緊急事態宣言が発令して間もない頃だ。あらゆる音楽イヴェントは中止、エンドンも他のミュージシャンたちと同様に当面のライヴ活動を見合わせていた。あれから四年経ったいまでも、コロナ禍で社会が混乱していなければエツオは死ななかったんじゃないか? という思いは消えない。いつも通り毎週スタジオでリハをおこなっていたら? いつも通りに発表の場があって、仲間たちとの交流が絶えなければこんなことにならなかったのでは? 考えるだけ虚しいだけだが……
フォール・オブ・スプリング(Fall of Spring)、「春の転落」と題された今作はエツオの死後、3人編成となったエンドン初のアルバムだ。音響ガジェット屋タロウによるアンビエント・シンセジスの上に凄腕ギターを封印したコウキによるダイナミックなノイズが駆け巡り、加虐的なリリックを痛々しいまで繊細に叫ぶタイチのヴォーカルが聴者の狂気と理性を掻き乱す。これまでのエンドンをノイジー・メタルと呼ぶならば、これはメタリック・ノイズ、極度に抽象化されたロックンロール・オペラだ。このかつてないほど悲痛で空虚なサウンドを例えるとすれば、死者の世界から覗き見る生者の世界。向こうにいるエツオが聴く俺たちの終わり行く世界の音はこんな感じじゃなかろうか。最近の〈スリル・ジョッキー〉の尖ったリリース、スーマック(SUMAC)のヒーラー(Healer)やパーシャー(Persher)のスリープ・ウェル(Sleep Well)など、「春の転落」と同様にディストピアン・サウンドトラックとしての親和性が高いのが非常に面白い。アヴァン・メタルはいま確実にキテる。ちなみに俺の手元にあるのは〈デイメア・レコーディングス(Daymare Recordings)〉盤のCDだが、ボートラが一曲追加されていて、ジュエルケースが白トレーという点もありがたい。ワンジーくらいならブラントで巻いて収納できるからな。
クソ! こんなもん聴かされたらお前らが死ぬまで死ねねぇじゃねぇか! END ON END ON END ON……終わり行く世界の中で絶望の深淵に向かう無限の反復運動。大人になれ? 成長しろ? 知るかよ! 野垂死上等!
倉本諒