「Re」と一致するもの

Jaubi - ele-king

 イギリスではいろいろな国のミュージシャンが活動するが、その中でもインド、パキスタン、バングラデシュ出身のミュージシャンが数多く見られる。もともとこの3国はイギリス領インド帝国としてイギリスの統治下にあり、現在でもその移民や子孫が多く住んでいる。ジャズの分野においても、アフリカ系やカリブ系と共にインドやパキスタンの血筋のミュージシャンは多い。もともとその血筋ではないミュージシャンにもインド音楽の影響を受ける者がいて、たとえばテンダーロニアスもそのひとり。昨年彼はレジェンドであるタビー・ヘイズ作品集の『ザ・ピッコロ』において、“ラーガ” というインド古典音楽の旋法であるラーガに取り組んだ演奏を見せた。さらに『テンダー・イン・ラホール』という作品は、パキスタン北部のパンジャーブ地方に赴いて現地のミュージシャンと共演した録音をまとめたもの。そのときに共演したのがジャウビというグループで、タブラやサーランギー(弓奏楽器の一種)などのインド古典楽器を用いてラーガを演奏していた。『テンダー・イン・ラホール』に続いてリリースされた『ラーガス・フロム・ラホール』もジャウビとの共演で(録音は2019年4月)、テンダーロニアスが単なる思いつきのアイデアでインド音楽に取り組んでいるのではなく、中長期的な視点でじっくり取り組んでいることを示している。

 『ナフス・アット・ピース』はそんなジャウビによるアルバムである。ジャウビとはパキスタンのウルドゥー語で「何でも」という意味で、語源的には生命力、命、長寿、永遠といった意味合いがある。ジャウビのメンバーはアリ・リアズ・バカール(ギター)をリーダーに、ゾハイブ・ハッサン・カーン(サーランギー)、カマール・ヴィッキー・アバス(ドラムス)、カシフ・アリ・ダーニ(タブラ、ヴォーカル)という4人で、テンダーロニアスもフルートとソプラノ・サックスで録音に参加する。レコーディングは2019年4月にパキスタンのラホール、2019年8月にノルウェーのオスロでおこなわれており、『テンダー・イン・ラホール』と『ラーガス・フロム・ラホール』に続く録音と言える。ジャウビ自体は2016年からシングルやEPなどを制作してきており、それら一連の作品を発表してきたロンドンの〈アスティグマティック〉から『ナフス・アット・ピース』もリリースされた。
 ちなみに〈アスティグマティック〉はポーランドにもブランチがあって、EABS(イーブズ)などポーランド系のアーティストの作品も多い。『ナフス・アット・ピース』にサポート・ミュージシャンとして参加するラタミックことマレック・ペンジヴャトゥルも、ポーランド出身のキーボード奏者で EABS のメンバーでもある。また “シーク・リフュージ” という曲ではオスロのザ・ヴォックス・ヒューマナ・チェンバー・クワイアという合唱団もフィーチャーされている。

 アルバム・タイトルにあるナフスとはアラビア語(パキスタンや北インド地方で話されるウルドゥー語の源流にはアラビア語があり、同じイスラム教の文化を有する)で自己や自我を指し、神の手によって訪れた平和の中で自我が解放・浄化されるというような意味合いとなる。ジャウビのデビュー作の『ザ・ディコンストラクティッド・エゴ』はJ・ディラのカヴァーなどヒップホップと北インドの音楽を融合したものだったが、やはり自我をテーマとしていて、『ナフス・アット・ピース』の前にリリースされたシングルで、ガスランプ・キラーなどをリミキサーに迎えた “サタニック・ナフス” など、ジャウビは一貫して自我や精神の在り方を説く作品をリリースしていて、そこにはイスラム教の宗教観が強く関与しているのだろう。また、パキスタンにおけるアフガニスタン難民を描いたと思われる “シーク・リフュージ(避難所を探し求めて)” など、政情不安からくる北インドやイスラムの社会情勢なども作品の中には盛り込まれる。アルバム・ジャケットのヒジャブ(ベール)を被った女性はアリ・リアズ・バカールの母親で、神への祈りを捧げているところだ。

 美しいギターとサーランギーの旋律に神聖なコーラスがフィーチャーされる “シーク・リフュージ” は、まさに祈りの音楽ということばがふさわしいだろう。“インシア” はエキゾティクなメロディーを持ち、北インド地方固有の音楽をジャズやジャズ・ファンクで解釈した作品。ジャウビのメンバーの演奏とテンダーロニアスのフルート、ラタミックのキーボードも有機的に結びつき、全体的に非常に奥行きと陰影に富んだ演奏となっている。“ラーガ・グルジ・トディ” はサーランギーによるラーガ演奏をもとに、途中からダイナミックなジャズ・ファンク、ジャズ・ロックへと変化していく。途中のドラム・ソロも迫力に富み、ジャウビの音楽のダークで重厚な側面が表われた楽曲だ。“ストレイト・パス” はタブラとサーランギーのコンビネーションが北インド音楽特有のもので、そこにテンダーロニアスのフルートが加わってスピリチュアルなムードを醸し出していく。
 ラタミック作曲による “モストリー” はヒップホップ的なビート・パターンを持つジャズ・ファンクで、テンダーロニアス周辺でいくとモー・カラーズやアル・ドブソン・ジュニアなどに近いタイプの楽曲。北インドの音楽は独特の哀愁に包まれた曲が多いが、“ザーリ” もそうしたムードに包まれる。エレクトリック・ヴァイオリンのようなサーランギーの音色が印象的だ。“ナフス・アット・ピース” は往年のマハヴィシュヌ・オーケストラ的であり、ゾハイブ・ハッサン・カーンのサーランギーはジャン・リュック・ポンティのヴァイオリンのような役割である。テンダーロニアスのソプラノ・サックスも鬼気迫る演奏で、彼のジャズ・ミュージシャンとしての力量を再確認させるプレイだ。全体を通して『ナフス・アット・ピース』は、北インドの音楽と結びついた独自の個性を持つスピリチュアル・ジャズ・アルバムと言えるだろう。

Mykki Blanco - ele-king

 現在はLAに暮らすラッパー、2010年代前半にいわゆるクィア・ラップの道を切り拓いた先駆者、ミッキー・ブランコが久しぶりに作品をドロップしている。『Broken Hearts & Beauty Sleep』と題されたミニ・アルバムで、レーベルは〈Transgressive〉、エグゼキューティヴ・プロデューサーとしてフォルティDLが関わっているようだ(シングル曲 “Free Ride” はフォルティとハドソン・モホークがコ・プロデュース)。アルバムとしては2016年の『Mykki』以来のリリースとなる。
 だいぶポップに振り切れた印象で、ゲストもブラッド・オレンジなど豪華な面々が招かれている。70年代のクワイエット・ストーム(スムースなソウル。スモーキー・ロビンソンのアルバム名に由来)やクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングからインスパイアされたそうだ。ミッキー・ブランコの新たな挑戦に注目を。


ラッパー、詩人、トレイルブレイザーのミッキー・ブランコが5年振りとなるオフィシャル作品をリリース。

フォルティDLのプロデュースによる9曲入りのミニ・アルバム『ブロークン・ハーツ・アンド・ビューティ・スリープ』、トランスグレッシヴより発売。

●ゲスト:ブラッド・オレンジ、ビッグ・フリーディア、カリ・フォー、ジャミーラ・ウッズ、ジェイ・キュー、ブルーノ・リベイロ他

2021.10.6 ON SALE

■アーティスト:MYKKI BLANCO(ミッキー・ブランコ)
■タイトル:BROKEN HEARTS AND BEAUTY SLEEP(ブロークン・ハーツ・アンド・ビューティ・スリープ)
■品番:TRANS522CDJ[CD/国内流通仕様]
■定価:¥2,400+税
■発売元:ビッグ・ナッシング/ウルトラ・ヴァイヴ
■収録曲目:
1. Trust A Little Bit (God Colony Version)
2. Free Ride
3. Summer Fling (feat. Kari Faux)
4. It's Not My Choice (feat. Blood Orange)
5. Fuck Your Choices
6. Love Me (feat. Jamila Woods and Jay Cue)
7. Want From Me (feat. Bruno Ribeiro)
8. Patriarchy Ain't The End of Me
9. That's Folks (feat. Big Freedia)

Mykki Blanco - "Free Ride" (Official Video)
https://youtu.be/Nbcjzaa75PI

Mykki Blanco - "Summer Fling" feat. Kari Faux (Official Visualizer)
https://youtu.be/MTY2nNQTZ7Y

Mykki Blanco - "It's Not My Choice feat. Blood Orange" (Official Music Video)
https://youtu.be/ul6j69EFjhU

Mykki Blanco - "Love Me" (Official Audio)
https://youtu.be/ZR_OweYhT-U

●ラッパー、詩人、トレイルブレイザーであるMykki Blancoは、デビュー・アルバム『Mykki』以来、5年振りとなるオフィシャル作品をリリースする。この9曲入りのミニ・アルバム『Broken Hearts and Beauty Sleep』は、Transgressive Recordsとの契約の一環としてのリリースとなり、FaltyDLがプロデュースを担当。スペシャル・ゲストとしてBlood Orange(Dev Hynes)、Big Freedia、Kari Faux、Jamila Woods、Jay Cue、Bruno Ribeiro等がフィーチャーされている。アルバムには、微妙なニュアンスを持ったジャンルをまたぐ楽曲が収録され、経験と成熟を持つ人間の反射的な知恵が示唆されている。ここでは、アーティストとっての新たな時代の到来を導き入れながら、人生と愛を念頭に置くだけではなく、これまで以上に大きな個人的なギャンブルが打たれている。

●Mykki Blancoはアメリカのラッパー、詩人、パフォーマー、活動家だ。2012年にEP「Mykki Blanco & the Mutant Angels」でデビュー。「Betty Rubble: The Initiation」(2013年)、「Spring/Summer 2014」(2014年)と2枚のEPを経て、2016年9月にデビュー・アルバム『Mykki』をリリース。クィア・ラップ・シーンのパイオニアとして知られ、Kanye WestやTeyana Taylor等とコラボレート。MadonnaのMVへ出演し、Björkとツアーを行なったりもしている。

More info: https://bignothing.net/mykkiblanco.html

映画:フィッシュマンズ - ele-king

ジェイムズ・ハッドフィールド(江口理恵・訳)

 『映画:フィッシュマンズ』の終盤で、こだま和文は故・佐藤伸治が残した、この映画を一刀両断する批評のような気のきいたしゃれを思い出す。「お腹いっぱいって嫌だね」
 フィッシュマンズの進化は、より少ないことから多くを成し遂げる方法を探る、着実な蒸留のプロセスにあったといえる。佐藤が歌詞を極限のむき出しの状態にまで削ぎ落す一方、グループの音楽は、メンバーが縮小されるほど、可能性の広がりを見せた。監督の手嶋悠貴はそれに倣うことなく、小野島大の巨大な便覧のような『フィッシュマンズ全書』に近い、膨大な全能のデータを書き出すような映画を生み出した。3時間近くにおよぶこの作品は、ハードコアなファンが待ち望んだ、DVD『男達の別れ98.12.28@赤坂BLITZ』や『記憶の増大』を補完するような、徹底したオーラル・ヒストリー(口述歴史)である。それほど熱心ではないファンには、長い苦行のように感じるかもしれないが、そもそも彼らが3時間のドキュメンタリーをわざわざ観るとも思えない。
 映画の大部分が年代順の形をとっており、大学時代から1999年の佐藤の早すぎる死まで、バンドの歴史を丁寧に追い、最後に佐藤のいないフィッシュマンズの控えめな継続活動を描くコーダで終わる。手嶋は大量のVHSテープのアーカイヴを使用して、メルボルン(デビュー・アルバム『Chappie, Don’t Cry』のレコーディングを行った)での観客の少ないライヴから、1998年12月28日のライブの最終曲まで、バンドの軌跡の様々な場面での親密な姿を垣間見せている。
 しかし、この映画の真骨頂は、生き残ったメンバーやプロデューサーのZAKを含む重要人物たち、マネージャーの植田亜希子、音楽ライターの川崎大介、(さらに、UA、ハナレグミ、YO-KINGなど、定番の有名人の知人たちも登場)などのインタヴューの数々だ。映画の最初では茂木欣一が佐藤との出会いの場である大学のキャンパスの音楽室を再訪し、最後のほうでは日比谷野外音楽堂も訪れる。続く柏原譲が奥多摩の川辺の通路で話すシーンは、『LONG SEASON』 のジャケット写真が撮影された場所で、2019年の台風19号ハギビスで崩壊してしまったところでもあり、非常に痛切に心に迫ってくる。このシーンは、映画の、微かにへこんだような空気感を捉えている。手嶋は祝祭に乗り出すつもりだったのかもしれないが、ときにレクイエム(鎮魂歌)のようにも感じられる。

 『映画:フィッシュマンズ』はバンド内の力学を上手に捉えており、ときに記録を正そうと意識的に努力しているようにもうかがえる。ギタリストの小嶋謙介とキーボーディストのHAKASE-SUNが辞めることになった経緯やフィッシュマンズがポリドールとの契約によって──もっとも永続的な音楽を残した結果があるにもかかわらず──事実上、破滅してしまったことなどについて、深く、ときにどうでもよいディテールに延々と入り込む。佐藤が投影していた、自由奔放な性格というペルソナを考えると、フィッシュマンズのキャリアの初期に、最初の大ヒットを出すためにやるべきことの詳細なリストを記した手書きの日記を見るのは興味深い。ポリドールが彼らを次のスピッツにしたがっていたと、いま驚くのは容易だが、フィッシュマンズ自身がそのわずか数年前に、同じようなメインストリームの観客を獲得しようと試みていたのだ。
 佐藤のダークサイドについても示唆されてはいるのだが、彼を悲運の人物に見せようとはしていない。しかし、手嶋は、ミュージシャン佐藤の最後の1年が肉体的かつ精神的にも脆い状態になっていたことについて、真剣に議論する機会を逃してしまったのかもしれない。植田が、『男達の別れ』ツアーの頃には、佐藤がいかに疲労困憊し、酸素吸入をしなければならなかったことを明かしており、彼を助けるためにもう少し何かができたのではないかと思わずにはいられないのだ。

 本作で明らかになったことの多くは、熱心なファンにとっても新鮮なものだろう。手嶋は、フィッシュマンズを故人のフロントマンと同一視してしまう一般的な傾向を正してくれたことでも評価できる。エンドクレジットで流れる再結成されたフィッシュマンズの演奏に合わせて流れる佐藤の声のように、佐藤自身は映画のなかの、どこにでもいて、どこにもいない。『Orange』のロンドンでのレコーディング中、カフェテラスでのんびりとギターを弾いているような、もっともくつろいだ瞬間にも、その何気ない物腰とは対照的に強烈な存在感を放っている。(映画に出てくるインタヴュイーのなかでもっとも辛辣なHAKASEは、実際の佐藤は、ナイーヴなファンが想像したがるような、天真爛漫な楽天家のイメージとはかけ離れていたと語っている)

 正直なところ、私は『映画:フィッシュマンズ』が彼らの音楽の手法や完璧なダブ・ホップ・コンボがいかにして世田谷三部作のような崇高な高みに到達したのかについて、もう少し洞察を与えてくれるのではないかと期待していた。映画に収められているライヴの記録映像は、ほとんどがかなりお粗末なクオリティで、カムコーダーで撮影されたギグのヴィデオやスーパー8の映像、写真などのモンタージュの音楽の断片には度々アルバムからの音源が当てられている。ようやく曲の完全なパフォーマンスを見ることができるのは、映画の最後の1時間になってからで、1998年12月に赤坂ブリッツで行われたコンサートのローファイなヴィデオが登場する。この映像は露出度が高すぎてハレーションを起こしている状態で、彼らのキャリアのなかでもっとも多く記録されているライヴの映像にしてはあまり貢献していない。それよりも佐藤の自虐的なMCのクリップの方が、はっきり言って輝いている。

 映画のクラウドファンディングのキャンペーンで手嶋は、日本の自主製作による音楽ドキュメンタリーは、音源や記録映像のライセンスを取得するための莫大な費用にぶち壊されることが多いと説明した。同情を禁じ得ないが、そのような制約があるからこそ編集により有効な厳格さが求められ、本作でもインタヴューと音楽そのものの満足できるバランスが保たれるべきだった。もしも『映画:フィッシュマンズ』の意図が鑑賞者にオリジナル・アルバムへの回帰を促すことだとしたら、文句なしの成功といえるだろう。しかし、単独の映画としては過ぎたるは及ばざるがごとしであるがゆえに物足りなさも残る。

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水越真紀

 フィッシュマンズのバイオグラフィーであり、佐藤伸治のそれでもあるこの映画は、基本的には若い頃から順に話が進む。けれども人間の記憶はもちろんそんなふうには収まっていない。残されているものは偏在しているし、改変されているところもある。因果関係が逆になっていることだってあるかもしれない。それを「物語」と呼ぶ人もいるが、そのような、不正確とも言える「記憶」そのものがその人であることの証でもある。そして実はどの「記憶」も、例えば佐藤伸治が亡くなってからの22年がその人に及ぼした変化とともに考えれば、ちっとも不正確なんかではないことも明らかだ。映画には、「今思い出しながら、考えながら話をしている人」がいて、純粋に過去に撮られた映像がある。それだけですでにふたつの「時間」があるわけで、さらにそれが前後行き来したり重なったりしながらいくつもの「時間」が行き交う。それがフィッシュマンズの音楽にとても合っていて楽しい。
 そういえば、佐藤伸治はフィッシュマンズを結成する前に「時間」という名前のバンドを組んでいた。25年前に雑誌の『ele-king』でインタヴューしたときに、そのバンド名の意味を訊ねると「いやー、ライヴのとき、「時間です」ってステージに出ていって、最後に「時間でしたー」って終わるのが面白いかと思って」なんて言っていた。例によってちょっとニヤニヤした感じで……。本当はもっと深い意味があったのか、それともただ冗談を言いたくて思いついた名前だったのかはわからなかった。あの頃、音楽ライターにとって、佐藤伸治のインタヴューというのは恐ろしい仕事だった。少なくとも私は怖かった。事務所のスタッフには「こないだは取材中に消えました」なんておどかされるほどで、とにかく話が短い。こちらから見ればシャイなのか、いたずらっけなのか、わざとなのか性格なのかわからないけれど、なんだかニヤニヤしながらこちらを見透かしたように笑ってるようでもあり、それこそ何も聞けないまま「時間でしたー」ってことになるのがオチだった。
 この映画はそんな佐藤伸治の「時間」の映画だと、2度目に観たときになんとなくわかった気になった。「時間」というバンド名は冗談を言うためではなく、佐藤伸治が生涯、抱えていたテーマだったのではないかと。この映画を観ていてわかったような気がしている。

 『映画:フィッシュマンズ』を観ていて感じるのは、「時間」というものは直線的に流れるものではないということだ。まさに、『LONG SEASON』完成後のインタヴューかなにかで、佐藤伸治がそんな話をしているシーンがある。〈普通に生きてる時間の流れじゃない時間がこの曲の随所にある。「今日が来て明日が来て」という日常で過ぎる時間だけじゃない、頭のなかにある時間もある〉というような短いシーンだ。フィッシュマンズの歌といえば、なんでもない日常の刹那の輝きやその景色を描いたものだとよく言われていた。冷戦が終わった後のあの頃は、いわゆる大きな物語が廃れ、文学でも音楽でもミニマリズムが主流になっていく時期で、佐藤伸治の作る歌詞はその時代の気分のなかでも、きわめて優れた表現だったように思う。けれども佐藤伸治のなかでは少し違っていたのだ。違うと言うより、単に刹那だの日常ということではなく、もっと悠久で、もっと広角で見た「時間」なるものを見つめていたのだと、私は22年後のこの映画に教えてもらった。
 アリストテレスが言ったように、「時間」とは変化のことだ。変化のないところに「時間」は流れない。逆に言えば、変化がある限り、「時間」は逆方向にだって流れることもある。「歴史にイフはない」とは厳密には間違ったことかもしれないのだ。とにかく「時間」はもっと複雑に存在しているし、とくに人の頭の中にある「時間」の多様さや繊細さはどれほどの想像力をつかえば感じることができるか、あるいは写しとることができるのか、ぞくぞくするようなテーマではないか。そのようなものを、佐藤伸治は『空中キャンプ』の次に作った35分に及ぶ大作「LONG SEASON」で、今度は言葉から音に比重を移して表現しようとしていたのだろうか。この曲では幻想的に重層的に、多層な流れで景色が移り、時間が移るように、この映画でもそのようなことが起きていくことに気づく。『映画:フィッシュマンズ』で時間が入り乱れるように構成されているのは、まさに佐藤伸治の世界観そのものなのではないだろうか。とくに後半、『宇宙 日本 世田谷』から“ゆらめきIN THE AIR”に至る混乱の時期、現在に語るメンバーたちの表情、ライヴや歪んだ映像のMV、ライヴで演奏されるデビュー曲、あの寒い寒い雨の日の音楽葬……フィッシュマンズに流れていた当たり前の日常が少しずつ軋み始める時期だ。20年以上経ったからと言って、この頃のことを、落ち着いて話せる当事者たちがいるだろうか。答えは否だ。誰にも「整理」などできていない。当時のフィッシュマンズにおとずれた危機はあまりにも大きくて、とくに茂木欣一の告白には胸がつまる。その、「いま現在」の感情や思いと当時の映像のつぎはぎが、前半のバイオグラフィー的な編集とは打って変わったカオスになる。それは図らずも、“LONG SEASON”のライヴで体験したような、景色がぐるぐると歪んでいくような混乱を思わせる。もちろん体験としては天と地のように違っているはずだが、無造作に、ファンノートのように継ぎ接いでいるようでいて、前半から中盤、そして語り手たちの当時とこの22年と現在の異なる混乱や思いを伝える後半への流れは緻密に計算されているのかもしれない。

 増補版が発売されたばかりの『佐藤伸治詩集ロングシーズン』のたまたま手に触れたページを開くと、たいがいの割合で、佐藤伸治は「時間」を意識して曲を作っていたんだなと気づく。「パラダイス パラダイス 時の流れに押しつぶされて」「明日はどうでもよかった 今は笑ってた」「風が吹けば未来が笑う」「20年前に見てたような何もない世界が見えた」「楽しかった時が終わって 気づいてみたら寂しい人だった」「終わらない夜にReady Go」「そんな眼差しが時を止めてくれる」……。ほんとに無造作に開いたページで待っている佐藤くんの「時間」。そういうなかでも私が昔からいちばん印象深かったのは“Go Go Round This World!”の「いったいいくつの時を過ごしてきたの 60年70年80年前の感じ 本当に確かだったのはいったいなんでしょうねえ」というところ。こうやって見える景色、この「感じ」に、大雑把な言い方だが、ものすごくたくさんの人が共感している。これは「伝わる」感覚なのだ。これが「伝わる」という人間同士の不思議にふるえてしまう。
 22年前、佐藤伸治がいなくなったとき、この映画に出てくる身近な人たちばかりでなく、フィッシュマンズとの時間が止まることになったファンは少なくないと思う。例えば私はこの間、何度かライヴを見たり、出版物に関わったりもしてきたにもかからず、私の「フィッシュマンズ時間」は失われたままだったかもしれないといま思っている。2019年のライヴで少しの変化が実はあったが、それでもこの映画を観たことで、私の「フィッシュマンズ時間」はようやく動きはじめた。それには、この時期というものもあったように思う。コロナ自粛で、もっと大きな時間がすっかり止まってしまう感覚を覚えていたということと関係があるのではないかと。きっとそうだ。この映画がコロナ自粛の最中に完成したことは偶然ではないように思われる。去年、何度も感じていたことは「あれからまだ1年も経っていないのか」ということだった。中年になって以降、こんな感覚は初めてのことだった。歳をとって思うのは「あれは昨日のことのようだ」である。とにかく時間は加速度つけて過ぎてゆくようになる。しかしコロナ自粛ですべてが止まってしばらく経つと「あれはもっとずっと前のことのようだ」と変わった。つまり「時間」が止まりつつあったのだ。
 佐藤伸治はこんな「時間」のことを考えていたんだろうなと思う。これはひとつの発見だ。ファンじゃなければ楽しめない映画かと言われれば、半分くらいはそうかもしれない。でも、才能豊かで音楽が好きで好きでたまらない男の子が音楽を抱きしめて、抱きしめられ過ぎてゆく架空のドラマとして観ることはできると、私には言える。私なら観られる。その物語もまた、映画を貫く「時間」のひとつだ。

 ところで私はとても幸いなことに、この映画を二度観ることができた。ぜひもう一度は観るつもりだけれど、一度目はZAKのマスタリングの前の段階の版で、二度目は後のものだった。耳に自信があるわけではないが、音の違いが映画そのものを変えていることに驚いた。圧倒的なのだ。ZAKなし版でも「ずっと前」が聴こえた時に、バンドの音が変わった!ことは十分に伝わってきていたが、ZAKの手が入った後のバージョンではそういうのとは違う作用が起きていた。どういうことかといえば、音が良すぎて、古い映像の前半部分ではどこか違和感のようなものがあるのだ。違和感というとネガティヴに聞こえるかもしれないが、それが物語の枠としてとても面白い効果を持っている。フィクショナルな雰囲気というか、わざと気づかないくらい、音と映像のフォーカスがずらされているような、あるいは音に反応するフィルターがかかっているような。それが後半になって、そう“ずっと前”から後の世界では、その音と映像がピッタリと合焦してくるように聴こえる。前述した後半に起き始めるカオスとその合焦した世界に息を呑む。できれば音の良い環境で観られることを勧めます。

Jun Togawa - ele-king

 1981年に歌謡テクノユニット“ゲルニカ”に参加して本格的な音楽活動を開始した戸川純。そこから今年で40周年となるのを記念し、アルファ/YENレーベル時代にリリースしたソロデビューアルバム『玉姫様』(1984年)と、ライヴアルバム『裏玉姫』(1984年)が、カラーヴァイナル仕様のLP盤で再発売されることが決定した。『裏玉姫』は当初カセットテープだけで発売されたもので、今回が初のLP化。濃厚な個性と多彩な活動で80年代を牽引し、現在も後進の女性ロックアーティストに多大な影響を与え続けている彼女の足跡を振り返る重要な機会となりそうだ。

〈シンガーソングアクトレス 40周年記念 『玉姫様』『裏玉姫』VINYL REISSUE〉
2021.9.29 IN STORE
完全生産限定盤
各定価:¥4,070(税抜価格¥3,700)
発売元:ソニー・ミュージックダイレクト


戸川 純/玉姫様
30cm 33 1/3rpm Vinyl: MHJL-198
Original release: 1984/1/25
●完全生産限定盤
●2021年ニューカッティング
●クリアレッドヴァイナル(透明赤)仕様
●封入特典:特製ステッカー
ゲルニカ活動休止を受け、自己プロデュースで1984年リリースしたソロデビューアルバム。女性の生理をテーマにしたタイトル曲や、バロック曲(パッヘルベルのカノン)に自作詞を付けた「蛹化(むし)の女」を含み、唯一無二の世界観が存分に表現された本作は、彼女を一躍80年代サブカル女王の地位に押し上げた。現在も日本の女性ロック史に刻まれる名盤としての存在感を放っている。
Side 1
1. 怒濤の恋愛
2. 諦念プシガンガ
3. 昆虫軍
4. 憂悶の戯画
5. 隣りの印度人
Side B
1. 玉姫様
2. 森の人々
3. 踊れない
4. 蛹化の女


戸川 純とヤプーズ/裏玉姫
30cm 33 1/3rpm Vinyl: MHJL-199
Original release: 1984/4/25
●完全生産限定盤
●2021年ニューカッティング
●クリアピンクヴァイナル(透明ピンク)仕様
●封入特典:特製ステッカー
前作『玉姫様』と同年に、当初カセットテープだけで発売された初のライヴアルバムを、今回初めてアナログLP化。1984年2月19日、東京・ラフォーレミュージアム原宿で収録。バックのヤプーズ(泉水敏郎/中原信雄/比賀江隆男/立川芳雄/里美智子)と共に全編パンクでハイテンションな演奏を展開。現在でも戸川純のライヴの大詰めで歌われる「パンク蛹化の女」収録。
Side A
1. OVERTURE
2. 玉姫様
3. ベビーラヴ
4. 踊れない
5. 涙のメカニズム
Side B
1. 電車でGO
2. ロマンス娘
3. 隣りの印度人
4. 昆虫軍
5. パンク蛹化の女

戸川 純 ソニーミュージック特設サイト
https://www.110107.com/jun_togawa40th/


同じく初ヴァイナル化されるヤプーズ作品。

8月18日(水)発売
ダイヤルYを廻せ!
品番:PLP-7171
価格:¥3,850 (税込)(税抜:¥3,500)
★初回生産限定
ダダダイズム
品番:PLP-7172
価格:¥3,850 (税込)(税抜:¥3,500)
★初回生産限定

 戸川純のユーチューブ「戸川純の人生相談」もはや18回目を迎えています! 戸川純が欽ちゃんファミリーに?


https://www.youtube.com/watch?v=7kahgnKElao

R.I.P. Peter Rehberg - ele-king

 7月23日、ピタことピーター・レーバーグが逝去。明け方に見たガーディアンの見出しには53歳とあった。心臓発作だったという。レーバーグはエレクトロニック・ミュージックをダンスフロアから引き剥がし、エレクトロニカを先導したラップ・トップ・ミュージシャンの先駆者である。フェネスとともに現代音楽やミュジーク・コンクレートをリヴァイヴァルさせた中心人物といっていい。ウィーンを拠点にラモン・バウアーらと共同で運営していた〈メゴ〉からは自らの作品だけでなく、フェネスやヘッカーなど実験的なエレクトロニック・ミュージック(=ジム・オルークいわく「パンク・コンピュータ・ミュージック」)を矢継ぎ早にリリースすることでエレクトロニカというタームを引き寄せ、1999年には彼自身のソロ作『Get Out』と、フェネス及びジム・オルークと組んだ『The Magic Sound Of Fenn O'Berg』によってテクノのサブ・ジャンルに位置していたエレクトロニック・リスニング・ミュージックを一気に格上げすることとなった。また、コンピュータをサウンド・メイキングの主役としたことでDJカルチャーによって葬り去られた“演奏”を復活させ、ライヴにラップ・トップを持ち込むという早すぎたアクションは観客からパフォーマス中に罵声を浴びせられるという事態も招くことになった。〈メゴ〉が10年の歴史に幕を閉じてからはレーバーグひとりで〈エディション・メゴ〉を新たに立ち上げ、マーク・フェルやOPNなど2010年代の主役となる才能も幅広くフック・アップし、カテリーナ・バルビエリやヴォイシズ・フロム・ザ・レイクなど数えるのが面倒なほど幅広い才能にチャンスを与えている。一方で、ワイアーのギルバート&ルイスによるドームを全作再発するなど過去に向ける視点にも確かなものがあり、2012年にはミュジーク・コンクレートの再発や未発表作品に的を絞ったサブ・レーベル、〈リコレクションGRM〉からも話題作を多数リリース。元エメラルズのジョン・エリオットにA&Rを委ねた〈スペクトラム・シュプール〉やジム・オルーク専門の〈オールド・ニュース〉など6つのサブ・レーベルも併走させ、よくこんがらがらないなと思ったことがある(複数のサブ・レーベルを展開していた〈ミュート〉が彼の理想だったらしい)。レーバーグや〈メゴ〉は現代音楽をポップ・ミュージックの領域に近づけたといってもいいだろうし、エレクトロニック・ミュージックに現代音楽の使える部分を再注入したでもいいけれど、明らかに〈ラスター・ノートン〉や〈パン〉といったレーベルは〈メゴ〉の遺産の上に成り立ち、その裾野はいまも広がり続けている。

 レーバーグとステファン・オモーリー(Sunn O))))から成るKTLが初めて日本に来た際、僕は松村正人とともに一度だけレーバーグに取材したことがある。コンピュータ・ミュージックとブラック・メタルの融合と自称していたKTLはオモーリーのギターとレーバーグのノイズだけで構成され、ビートがないにもかかわらず、ゆらゆらと体を揺らしながら聴くことのできる有機的なノイズ体験であった(オモーリーも後に〈エディション・メゴ〉傘下で〈イディオロジック・オーガン〉というサブ・レーベルを始める)。お天気雨の日に赤坂の外れで会ったKTLは二人とも適度に話し好きといった印象で、簡単に打ち解け、ジゼル・ヴィエンヌが舞台のためにふたりにコラボレイトしないかと持ちかけてきたことがKTLの始まりで、奇妙なロケーションでレコーディングしたことやヨーロッパでは彼らの作品が不本意にもファシズムと結びつけられて批判されていることなどを語ってくれた。この時期、バックボーンがまだよくわからなかったオモーリーがアメリカで起きているドゥーム・メタルの動向やそれらとの距離感を冷静に説明してくれたのに対し、レーバーグは人間関係の行き詰まりから〈メゴ〉を閉鎖しなければならなくなったことや日本のライヴでは羽目を外し過ぎてしまった失敗談など、どちらかというと、話を盛り上げたい性格なのかなという話し方だったように記憶している。プライヴェートではマイルス・デイヴィスしか聴かないというオモーリーに対して、ミュジーク・コンクレートどころか、若い頃はニッツィアー・エッブに夢中だったというレーバーグの回想も興味深く、それを聞いて『Get Out』の暴力性が何に由来するのか少しは謎が解けた気もする。それこそボディ・ミュージックから最先端の実験音楽へと音楽性を発展させた彼のキャパシティに驚かざるを得なかったというか。

 レーバーグの演奏を最後に観たのは六本木のスーパーデラックスで行われたフェン・オバーグのリリパだった。『The Return Of Fenn O'Berg』から8年ぶりとなるサード・アルバム『In Stereo』のために行われたもので、その時のライヴも『Live In Japan』としてリリースされている(https://www.youtube.com/watch?v=r_trm302p_I)。初期に比べて諧謔性は抑えられ、ニュアンスに富んだドローンを演奏するレーバーグがそこにいた。ラップ・トップに意識を集中させる彼の眼差しは真剣そのものであり、罵声を浴びせるようなオーディエンスはなく、誰もが彼らの曲を静かに聴き入っていた。R.I.P.

 「泣きすぎた」「悶々とした」「整理がつかない」「まっすぐ家に帰れない」など様々な副反応を引き起こしている『映画:フィッシュマンズ』ですが、なんと、東京オリンピックのCMに“SLOW DAYS”が使われています。


https://www.youtube.com/watch?v=Ea3zr8b4STM

 スペイン放送協会のCMです。スペインの人にはこう見えているということなんでしょう……。

 そして、『映画:フィッシュマンズ』の公開と同時に各サブスクでHONZIのソロ・アルバム『ONE』(96)『TWO』(00)のストリーミングも始まっています。詳しくは『永遠のフィッシュマンズ』に書いた通りですが、ZAKのプロデュースによる『ONE』、佐藤伸治の逝去を受けて“いい言葉ちょうだい”をカヴァーした『TWO』と、傾向がぜんぜん異なる2枚のアルバムです。A-Decade-In-Fakeのメンバーとして17歳でデビューしたHONZIさんはフィッシュマンズとはまったく異なる音楽的バックボーンを有し、幻想的な作風を存分に楽しむことができます。
 ちなみに『永遠のフィッシュマンズ』で柏原譲に「やけになってて」と指摘されていたHONZIさんがこれでもかと爆発していた演奏はおそらく「宇宙 日本 奥田イズム」のツアー・ファイナル、野音での“Go Go Round This World”ではないでしょうか。ほとんどノイズと化しているキーボードに敢然とアンサンブルをかませていくフィッシュマンズの演奏がまたスゴいです。

SPARTA - ele-king

 新しい音楽に出会ったときのわくわく感がある。

 実を言うと、トラップ以降に登場したオートチューンをかけて歌うフロウのラップが苦手だった。もちろんなかには好きな曲もある。ただ自分がなんでしっくりこないのかずっとわからなくて、「俺は時代に付いて行けてないのか」、なんなら「本当はヒップホップ好きじゃないんじゃないか」というレベルで悩んでいた。

 最近 SPARTA のライヴを観る機会があった。新型コロナウイルスの感染拡大予防対策で、観客は声出し禁止の公演だったので、演者からするとやりづらさもあったはず。だがその状況で SPARTA は音楽でコミュニケーションをとりながら素晴らしいパフォーマンスをしていた。彼は KOHH からの影響を公言していて、いわゆるトラップ以降の歌うフロウを多用する。だけどめっちゃ好きだった。なにせ彼は歌がうまいのだ。声量もしっかりあって、オートチューンを使いこなしてる感じがあった。

 そこから仙人掌鎮座DOPENESSMoment Joon とマイクリレーした Red Bull RASEN、さらに ISSUGI、SANTAWORLDVIEW との “POSSIBLE” を見て「間違いなく好き」と確信した。

 じゃあ SPARTA は何が違うのかと『兆し』もがっつり聴いてみると、とにかくメロディーが多彩なのだ。特に自分はもともとUKロックが大好きで、USのグランジ・ムーヴメントの時期に青春を過ごしたから、感覚的に音楽の好き嫌いをメロディーで決めている節があることに気づいた。トラップの歌はメロディーというよりあくまでリズム重視のフロウで、ラップほど角がなく、聴いていてバラエティに欠ける気がしてしまい、それが自分のなかの違和感につながっていた。

『兆し』は SPARTA のメロディー・センスがさらに際立つ作品だ。トラックもメロディアスだが、そこに引っ張られすぎない。SPARTA のアプローチが独特で、ラップと歌の引き出しも多い。だが奇をてらっている感はなく、全体的な印象はあくまでオーセンティック。だから新しい音楽に出会ったときのわくわく感がある。

 個人的に好きな曲はまず “One By One”。同じくメロディー・センスに定評のあるプロデューサー・KM との相性の良さを感じさせる。単語単位で押韻していく「でかいでかい舞台 狭い世界向かい 深く誓い/願う未来 偉大 偉大 未開 開き 明るい兆しと朝日が登るよう」というラインが特に好きだ。CM曲に起用されればいいのに。次の “Jungle feat. anddy toy store” も四つ打ちのヒップホップ好きとしてはたまらない。プロデューサーの Mizukami はアルバムの前半3曲を手がける No Beer Team のメンバーでもある。客演の anddy toy store とスイッチする場所も面白い。

 いちばんのお気に入りは、これまた KM トラックになるが先行曲 “Stay Humble” だ。トラックと SPARTA の個性が絡み合い、複雑なメロディーとグルーヴを作り出している。音楽へのひたむきさをポジティヴに表現した強力なフック「Gold chain Money n Bitchで?/見てる先はその上/まだまだ足りないって/お金でも買えない/誰も教えない/俺ならできるはず」もいい。力が出る。「辞めちゃいけない人生を」というラインに説得力を持たせる。

 メロディーやラップのアプローチは複雑でユニークだが楽曲としてはキャッチー。しかもリリックのステイトメントはポジティヴ。背伸びしない自分の言葉をラップにしているのもいい。こういう人を “センスがいい” と言うのだと思った。

 まずは1曲目 “Narrow Road” を聴いてみてほしい。ニコラス・ジャーによる憂いを含んだヴォーカルがエディットされ、デイヴ・ハリントンによる蠱惑的なギターが空間を引き裂いている。グリッチと、いくつかの細やかな具体音。アンビエントの要素もある。シングル曲 “The Limit” やサイケデリックな “I'm The Echo” で聴かれるジャーの高い声のある部分はどこかボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノンを想起させ、“The Question Is To See It All” ではハリントンがロック・ギターの種々のパターンを披露、“Inside Is Out There” では感傷的なピアノが曲全体の強烈なサイケデリアを中和している。あるいは、アルバムの随所で顔をのぞかせる、中期カンの即興性。本作にはじつにさまざまな音楽のアイディアが凝縮されている。
 ダークサイドは、ふたりがソロではできないことをぶつけあい、美しく結晶化させるプロジェクトだ。ジャーの側から眺めればこれは、『Space Is Only Noise』をバンド・サウンドと衝突させた作品であり、ハリントンの側から眺めればこれは、即興のダイナミズムを編集によって制御し、電子音響の氷室へと封じこめた作品である。このアルバムではカンのように、セッションとエディット双方のすばらしいマジックが発動している。
 だれかひとり圧倒的なスターがいて、そいつが180度世界を塗り変える──物語としてはわかりやすいが、現実はそうではない。ポップ・ミュージックは組み合わせであり、幾多の先人たちの試みを後進が継承し、新たな創意工夫をもって前進させていく。ダークサイドは、そんなポップ・ミュージックの本質そのものを表現しているようだ。

 デイヴ・ハリントンについて補足しておこう。マルチ・インストゥルメンタリストの彼はNYのインディ・ロック・バンド、アームズの元メンバーとしても知られているが、もともとはジャズに入れこみ、ビル・フリゼールやジョン・ゾーンから影響を受け、ニッティング・ファクトリーでプレイするなど、当地の即興シーンで活躍していたギタリストだ。
 ダークサイドでの成功のあとも即興演奏家として活動をつづける一方、2018年にはバロウズ作品に登場する「ドリーム・マシーン」なる装置を具現化するコンサートを企画、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ、イギー・ポップ、ジェネシス・P=オリッジオリヴァー・コーツ、ジーナ・パーキンス、グレッグ・フォックス、〈PAN〉のビル・クーリガスら、そうそうたる顔ぶれに召集をかけてもいる。
 ダークサイドが最初に注目を集めたのは2011年の「Darkside EP」。その後2013年に彼らはダフトサイド名義でダフト・パンクのアルバム『Random Access Memories』をまるごとリミックス、オリジナルとは似ても似つかぬ特異なサウンドへとつくり変えている。同年にはファースト・アルバム『Psychic』もリリースされ、サイド・プロジェクトの域を超える高評価を獲得するに至った。ツアーも精力的にこなし、2014年におこなわれたライヴは2020年に音盤化されている。それから8年のときを経て届けられたのが、今回の新作『Spiral』だ。
 録音は2018年だという。なぜこのタイミングで? 『Spiral』の魅力はサウンドだけではない。たとえば “Lawmaker” のリリック。「彼は必要な治療法を知っている/人びとは喜び笑う/これまでどれほど大変だったか/でもそれも楽になる、と人びとは口にする」「彼は白衣を着ていた/だがその手には議員の指輪」。この背筋が凍る歌詞からは、2020年以降のパンデミック下における政治的なあれこれを連想せずにはいられない。きわめてタイムリーだ。
 注目の新作について、ジャーとハリントン、双方がメールで質問に答えてくれた。

俺たちは音楽制作を、内側から外側へとおこなっている。そして俺は個人的には、音楽がつくられているときには、なるべく、いま現在のその瞬間をたいせつにしたいと思っている。(ハリントン)

まずはダークサイドの基本的なことからお聞かせください。スタートは2011年のようですが、このプロジェクトはどういう経緯で、どういう意図のもとはじまったものなのでしょう?

デイヴ・ハリントン(Dave Harrington、以下DH):2010年に、ニコがアルバム『Space is Only Noise』のツアー・バンドを結成するというときに、ウィル・エプスタイン(ニコラス・ジャーのライヴ・バンドのメンバー)からニコを紹介されたんだ。俺はそのバンドの一員となり、一緒に練習をしたり、即興演奏をしたりして、2011年の初めからツアーを開始した。 その年の夏、ニコと俺はツアーのオフの日に、ホテルの部屋で一緒にジャムをはじめて、それが結果として俺たちのファーストEPになった。それ以来、俺たちは一緒に演奏をして、音楽をつくり、実験的なことや即興的なことをやっていたというわけさ。

ニコラス・ジャー(Nicolás Jaar、以下NJ):デイヴが答えてくれたね :)

ニコラスさんによれば、ダークサイドは「ジャム・バンド」で「休みの日にやること」とのことですが、つまりこのプロジェクトにはある種の気軽さがあるということでしょうか?

NJ:そう、ダークサイドはデイヴと一緒に音楽をつくるという美しい体験がもとになっているんだ。そのプロセスは、穏やかで、長い視点を持っている。彼と一緒にいるとき、自分は2021年に向けて音楽をつくっているという感覚がないんだ。俺たちは、どんな場所にでも、いつの時代にも存在していられるという感覚がある。

デイヴさんはダークサイドを「ぼくらが一緒に音楽をつくるときにあらわれる、部屋のなかの三番めの存在」と説明していますが、三番めの存在ということは、たんに1+1ではなく、ふたりで為しえること以上のなにかがこのプロジェクトにはある、ということでしょうか?

DH:俺たちが一緒にこのプロジェクトをやるときは、普段とはちがうことをしていて、アプローチも普段と異なったり、アイディアも普段とはべつのものを使うようにしている。ダークサイドらしいと感じられるアイディアを追求する余白をつくるようにしているんだ。もちろん、そういうアイディアは俺たち個人の嗜好や探求心から来ている部分もあると思うけれど、俺たちがダークサイドとして音楽をつくるときは、基本的ななにかを共有しているという実感があるんだ。

俺たちは鏡をのぞいて正直にならなければいけなかった。ごまかしなどいっさいせずに。でも俺たちは未来を見据えることもできなかった。すべては、現在という瞬間に感じる直感を原動力にするのが狙いだった。(ジャー)

「ダークサイド」という名前にしたのはなぜですか? おふたりそれぞれの活動では出せないダークな部分を出そうということ?

NJ:最初は冗談でつけたんだけど、それが定着したんだ。ありえないほど壮大な名前だよね、いろいろな意味で大きすぎる! でも、こういうのって一度選んでしまうと変えるのが難しいから、俺たちはダークサイドのままなんだよ!

レーベルが〈マタドール〉になったのはどういう経緯で?

NJ:〈マタドール〉から連絡が来て、〈マタドール〉からリリースするのが合っていると思ったから。ちょうどそのときに俺とデイヴは、『PsychicPsychic』の収録曲となったダークサイドの音楽をつくっていたからね。

〈マタドール〉のカタログでいちばん好きなアルバムを教えてください。

DH:ワオ。〈Matador〉の歴史は長いから、好きな作品はほんとうにたくさんあるよ。選ぶのが難しいけど、〈Matador〉の新譜でいちばん好きなのは、すばらしいエムドゥ・モクターの『Afrique Victime』だね。 あのレコードは最高だよ。

NJ:キャット・パワーのアルバムは、俺の青年時代にすごく大事なものだった!

今年はダフト・パンクが解散しました。彼らについてコメントをください。

NJ:最高なバンド。

ニコラスさんはここ数年のあいだ、アゲンスト・アール・ロジックとしての作品やFKAツイッグスのプロデュース、自身のソロ作など活動が多岐に渡っていますが、そのなかで大きな転機となる仕事はありましたか?

NJ:とくにこれという瞬間があるわけじゃない。でも、『SIRENS』のツアーが終わったときに、人生のちょっとした転機が訪れた。俺はニューヨークを離れてヨーロッパに移り、酒やタバコ、その他もろもろをやめた。2017年以降、すべてのことが俺にとっては違うように感じられたけれど、それは外から見てもわからないかもしれないね :)

デイヴさんは、デイヴ・ハリントン・グループやライツ・フルアレセント(Lights Fluorescent)としての作品がある一方、Chris Forsyth たちとのセッション盤もリリースされていますが、ご自身のなかではそれぞれどういう位置づけなのでしょう?

DH:俺は即興演奏が大好きでね。即興演奏のような音楽の練習の仕方をしていると、刺戟的で驚くようなコラボレイションにつながっていく。自分にその気さえあればね。俺はそういうコラボレイションにすごく興味を持っている。俺が興味を持っている音楽にはさまざまなモードやギアがたくさんあるんだ。そういったさまざまな音楽──たとえそれらが根本的に異なる音楽であるとしても──を追求することを自分にとっての練習の一部として認めれば認めるほど、さまざまな状況のなかで挑戦することができ、さまざまな音楽のシナリオに貢献できるということがわかった。 多様性はインスピレイションにつながるということ。

デイヴさんは、チボ・マットの羽鳥美保ともカセットを出していたようですね。どういう経緯で彼女とセッションすることに? また、たったの35本限定だったようですが、いつかわれわれ一般のリスナーが聴くチャンスは訪れるのでしょうか?

DH:ミホはほんとうにすばらしいミュージシャンだよ! 最後に会ったのはもう2年近く前だから、また彼女と一緒に演奏したい。彼女に電話して、あのカセットのことを聞いてみようかな。いつかちゃんとリリースできたら嬉しいからね。ミホと俺は、ニューヨークの即興/ジャズ界のミュージシャンのネットワークを通じて知り合った。俺の記憶が正しければ、ふたりとも大規模なアンサンブルの即興コンサートに招待されたんだけど、そのときに意気投合して、その大人数のバンドのなかでも、ふたりのあいだにおもしろい瞬間があった。その後、彼女は俺のバンドであるメリー・プランクスターズと一緒に何度かライヴに参加してくれた。俺と彼女は即興演奏にたいするアプローチがとても似ているから、その後も一緒に音楽をつくろうと思ったのは自然な流れだったね。

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俺にとってこの2枚のレコードは、ある瞬間の記録であり、イメージであると同時に、それらはつねに未完成であり、人びとがこの2枚を聴き、俺たちがこの2枚に収録されている曲を演奏し、探求していくなかで、この音楽は生き続け、変化していく。(ハリントン)

前作『Psychic』は高い評価を得ました。今回、それがプレッシャーになることはありましたか?

DH:俺が(ニコラスと)ふたたび一緒に音楽をつくりはじめ、『Spiral』の制作に取り組んだのは、ニコと一緒に音楽をつくりたいと思ったからだった。またふたりで音楽をやりはじめたら楽しくて、刺戟的で、作曲のプロセスは自然に勢いを増していった。俺たちは音楽制作を、内側から外側へとおこなっている。そして俺は個人的には、音楽がつくられているときには、なるべく、いま現在のその瞬間をたいせつにしたいと思っている。いろいろと外部要因について考えすぎても気が散漫してしまうから、その音楽でその瞬間に起こっていることに集中するほうが気分的にも良い感じがする。だからつねにそういう姿勢でいたいと思っているんだ。

NJ:俺たちはプレッシャーを感じていたとは思うけど、なにかをつくりたいなら、そういうプレッシャーのことはまったく気にしないほうがいいってことをわかっていたんだ。

制作はどういうプロセスで進められるのでしょう? 今回はふたりでニュージャージーはフレミントンのスタジオにこもったそうですが、役割分担のようなものはあるのでしょうか?

DH:今回はじつは、ニュージャージー州に家を借りてそこに滞在していて、そこに小さな、持ち運び可能なレコーディング機材を設置していたんだ。家で料理したり、裏庭に座って話をしたりしながら仕事をするのは素敵だった。俺たちの役割としては、歌うのはいつもニコで、ギターを弾くのはいつも俺だけど、それ以外はふたりともその瞬間の感じによってなんでもやるよ。

NJ:制作プロセスはすごく楽しかった。デイヴと一緒に音楽をつくっていく過程がすごく楽しいんだよ。デイヴと一緒にいると、音楽制作は独自の世界なんだと感じる。アルバムのアートワークに写っているオーブみたいな。その世界のなかでは、独自の方法ですべてが屈折されたり、維持されたりする。デイヴと一緒に音楽をつくっていると、俺はすぐべつの世界に迷いこむ。それは喜びであり、俺自身の仕事からの休暇でもあるんだ。

録音時期は2018年とのことですが、今作をつくるにあたりインスパイアされたものはありますか? 音楽でも、音楽以外のもの/出来事でも。

DH:インスピレイションは、ふたりが「一緒にジャムをしたい」「また一緒に音楽をつくりたい」という想いからはじまり、そこからすべてが流れていった。

“The Limit” は前作収録曲 “Golden Arrow” にたいする自分たち自身からの応答のようにも聞こえます。そのような意識はありましたか?

NJ:それはなかったね :) でも、そういうふうに捉えてくれてすごく嬉しい :)) !

今回の新作『Spiral』と前作『Psychic』との最大のちがいはどこにあると思いますか?

DH:俺はこの2枚のレコードのなかに存在していて、そのときの感情がどんなものであるかを知っている。レコーディング過程の記憶やイメージもあるし、俺たちがそのとき、どんな世界にいて、どんな生活をしていたのかということを覚えているから、これについて話すのは難しい。俺にはちがいや対照というものは見えないし、類似点も見られない。俺にとってこの2枚のレコードは、ある瞬間の記録であり、イメージであると同時に、それらはつねに未完成であり、人びとがこの2枚を聴き、俺たちがこの2枚に収録されている曲を演奏し、探求していくなかで、この音楽は生き続け、変化していくものだと考えている。

NJ:『Psychic』のときの俺たちはもっと野心的な心境にあった。『Spiral』においては、俺たちの原動力は野心からくるべきじゃないと考えていた。俺たちは鏡をのぞいて正直にならなければいけなかった。ごまかしなどいっさいせずに。でも俺たちは未来を見据えることもできなかった。すべては、現在という瞬間に感じる直感を原動力にするのが狙いだった。

“Lawmaker” のリリックは、奇しくも2020年以降のパンデミック下における政治を連想させます。録音時は、どのような状況をイメージしてリリックを書いていたのですか?

NJ:たしかにこの曲の歌詞は、いまとなっては奇妙な響きがあるよね。でも俺たちはアルバムのすべてを2018年に作曲したんだ。俺たちが語ろうとしていたのは、ある種の人間(男性)についての物語で、俺たちはそういう人間から成長して卒業したいと思っている。つまり、周囲の人たちにたいして規則や条件を課すような人間のこと。人びとを癒すのではなく、締めつけるような法律の社会に生きている人間。その法律は、共感や思いやり、あるいは愛と呼ばれるものを生み出すのではなく、分離や孤立を主な目的としている。

俺たちが抜け出そうとしている軸は、野心、キャリア、お金、仕事かもしれない。それ以前には、宗教や君主制が、多くの物事が動く軸になっていたようだ。俺たちの世界にとって次なる軸とはなんだと思う?(ジャー)

アルバム・タイトルの『Spiral』にはどのような意味がこめられているのでしょう?

NJ:『Spiral』という名前は、俺たちの新曲に使われている言葉なんだ。これがその歌詞だよ──「もしそれが螺旋を巻いたら、方向に関係なく、きみの顔をそこに見た(And If It Went Into A Spiral, Regardless Of Direction, There I Saw Your Face)」。これは最愛のひとの顔について歌っている。地面の位置が不明瞭でも、そのひとの顔は正しいほうを向いている、ということ。螺旋は、俺たちの時代の状況をあらわしていて、それは自分のなかへと入っていく動き(そこにはナルシシズムの意味合いももちろんある)。だけど、もっとポジティヴな意味合いとして、物事を複数の視点から見るという可能性でもあり、螺旋は軸のまわりに沿った複数の視点を提供してくれる。その軸はまだ定義されていない。俺たちが抜け出そうとしている軸は、野心、キャリア、お金、仕事かもしれない。それ以前には、宗教や君主制が、多くの物事が動く軸になっていたようだ。俺たちの世界にとって次なる軸とはなんだと思う?

報道によれば、ニューヨーク州ではワクチン接種率が70%に達したため、ほぼすべての制限が解除されたそうですね。日本は政府がほぼなにも有効なことをしないため、まだまだパンデミックの真っ最中です。にもかかわらず一ヶ月後にはオリンピックが強行開催される予定になっています。『Spiral』のリリース日は、ちょうど開会式の日にあたります。そんな状況でこのアルバムを聴くリスナーにメッセージをお願いします。

DH:世の中には、俺たちの音楽を聴くという選択をしてくれるひとたちがいることを知って、いつも謙虚な気持ちになる。俺たちがつくった音楽が、どんな小さな形であれ、だれかの人生の一部になれるということは、とても光栄なことだと思う。このような形で俺たちと時間を共有してくれるすべてのひとたちに感謝しています。

NJ:日本の現状(2021年7月8日現在)を見ると、日本ではまだひどい緊急事態の状況なんだね。オリンピックは、他の多くの団体と同様に、「通常通りの営業」を継続することを第一に考える、金目的の団体だ。俺たちが生きているこの時代では奇妙なことが起こっていて、世界の一部では通常の生活に戻りつつある一方で、他の地域では危機が残酷な形で進行している。これはとても重要なことで、俺たちはオリンピックを見ながら、このことについて考えなくてはいけないと思う。俺たちは、豊かで、主に「西洋」の国々の視点からでは、この世界をほんとうに見たり理解することはできないのだと。

R.I.P. Biz Markie - ele-king

 ヒップホップ・シーンの中でも唯一無二なユーモアあふれるキャラクターで、多くのファンから愛されていたラッパー、Biz Markie (本名:Marcel Theo Hall)が7月16日、メリーランド州ボルチモアの病院にて亡くなった。享年57歳。妻である Tara Hall に看取られながら、息を引き取ったという。
 死因は発表されていないが、一部では糖尿病による合併症と報じられている。Biz Markie は2010年に2型糖尿病と診断され、昨年には糖尿病治療の入院中に脳卒中になり、一時は昏睡状態になっていたとも伝えられていた。その後、意識は回復していたものの闘病生活は続き、今年7月頭には Biz Markie が亡くなったという噂がインターネット上で広まり、代理人が否定のコメントを発表するという騒ぎも起きていた。

 1964年にニューヨーク・ハーレムにて生まれ、その後、ロングアイランドにて育ったという Biz Markie。ちなみに同じくラッパーの Diamond Shell は彼の実兄であり、Biz Markie のバックDJを務めていた Cool V は彼の従兄弟にあたる。
 10代半ばからラップをはじめた Biz Markie は80年代初期にはハウス・パーティや学校のパーティにてマイクを握り、徐々に活躍の場を広げていき、その後、クイーンズを拠点とするロデューサー/DJの Marley Marl 率いる Juice Crew の正式メンバーとなる。Juice Crew 加入当初は当時、人気アーティストであった MC Shan や Roxanne Shante のライヴのサポート・メンバーとしてステージに立ち、ヒューマンビートボックスを披露。1986年にリリースされた Roxanne Shante のシングル「The Def Fresh Crew/Biz Beat」にも Biz Markie のヒューマンビートボックスが使用されており、このシングルは彼にとって最初のリリース作品となった。
 Biz Markie 自身がデビューを飾ったのが、同じく1986年にリリースされた 1st シングル「Make The Music With Your Mouth, Biz」で、Marley Marl がプロデュースを務めているが、Biz Markie 自身も曲の制作に深く関わっており、お得意のヒューマンビートボックスも披露している。また、このシングルも含めて、Biz Markie の初期の作品のリリックのいくつかを彼の盟友でもある Big Daddy Kane が手がけていたこともファンの間では有名な話だろう(Biz Markie が曲のテーマやコンセプトを伝えて、それを Big Daddy Kane がリリックにしていた)。
 1988年には 1st アルバム『Goin' Off』、翌年には 2nd アルバム『The Biz Never Sleeps』をリリースし、この 2nd アルバムからシングルカットされた “Just A Friend” はビルボードの総合シングル・チャートで最高9位に入るなど、Biz Markie 自身にとっても最大のヒット曲になった。一方、1991年にリリースされた 3rd アルバム『I Need a Haircut』では、収録曲 “Alone Again” における Gilbert O'Sullivan (ギルバート・オサリヴァン)の楽曲からのサンプリングが著作権侵害にあたるとして訴えられ、アルバムは一時販売停止に。これまでヒップホップ作品のサンプリングに関してはグレーゾーンの扱いであったが、この件以降、メジャー・レーベルではサンプリングに関して著作権所有者に事前に確認することが一般化していくことになる。
 心機一転を図った、1993年リリースの 4th アルバム『All Samples Cleared!』(このタイトルも最高!)からは、ディスコ時代の大ヒット曲である McFadden & Whitehead “Ain't No Stoppin' Us Now” をバックにヘタウマな歌を炸裂させた “Let Me Turn You On” が大ヒットして、Biz Markie の健在っぷりを強く印象づけた。そして、2003年には結果的にラスト・アルバムとなってしまった『Weekend Warrior』を発表している。

 その愛されるキャラクターによって、広く音楽シーンから支持されていた Biz Markie は様々なアーティストの作品にフィーチャリングされており、同じ Juice Crew の Big Daddy Kane や Kool G Rap & DJ Polo を筆頭に、Beastie Boys、De La Soul、Beatnuts、Princ Paul、Cut Chemist といったヒップホップ勢に加えて、Usher や Nick Cannon といったR&Bシンガーの作品にもゲスト参加。さらに1997年にリリースされた The Rolling Stones のシングル「Anybody Seen My Baby」にて、前出の 1st シングル「Make The Music With Your Mouth, Biz」のカップリング曲 “One Two” がサンプリングされたことも大きなニュースとなった。さらに彼のキャラクターは音楽シーンを飛び越えて、人気子供番組『Yo Gabba Gabba!』への出演でも話題を呼び、映画『Men In Black II』ではヒューマンビートボックスをする宇宙人役での出演も果たしている。

 最後に日本との繋がりを記して終わりたい。日本にも数多くのファンを持つ Biz Markie だが、90年代半ばにはすでに初来日を果たしており、その後、ライヴやDJなどで何度も日本を訪れている。2015年にはヒップホップ・フェス《SOUL CAMP》に出演し、その2年後の2017年の来日公演が最後となった。さらに日本のヒップホップ・シーンからも人気の高かった彼は、テイ・トウワ(TOWA TEI)、dj honda、DJ HASEBE、NIGO といった日本人プロデューサー/DJの作品にもゲスト参加している。

 “Make The Music With Your Mouth, Biz”、“Just A Friend”、“Let Me Turn You On” 以外にも “Nobody Beats the Biz”、“Vapors”、“Spring Again” といった数々のヒップホップ・クラシックを残し、さらに “Picking Boogers” や “Toilet Stool Rap” のようないままでのヒップホップの楽曲にはなかったユーモアあふれる歌詞の世界観でヒップホップの可能性を広げてきた Biz Markie。これからも彼の楽曲は愛され続けるであろうし、誰も Biz Markie を倒すことはできない。

Eli Keszler - ele-king

 初めてイーライ・ケスラーの音楽を聴いたとき、全身に稲妻のような衝撃が走ったことを今でもよく覚えている。全く新しいタイプのドラマーだと思った。あまりにも斬新で、攻撃的かつ快楽的なサウンドだと感じた。あれは2010年に〈ESPディスク〉からリリースされた『Oxtirn』だっただろうか。あるいはその2年後の2012年に〈PAN〉から出た『Catching Net』を先に聴いたのかもしれない、ともかく散弾銃のように無数の小さな音の礫が降り注ぐ聴覚体験は実に新鮮なものだった。かつて1960年代にやはり〈ESPディスク〉からリリースされたアルバート・アイラーの傑作『Spiritual Unity』にも参加しているドラマーのサニー・マレイは、定型ビートを刻むのではなく五月雨のようにシンバルをひたすら叩くことで装飾的なノイズを生み出す革新的なパルス奏法を確立したが、粒子状の打撃音を過剰なまでに高速で散りばめていくケスラーの奏法は約半世紀の時を経てこうしたパルス奏法を異次元へと押し上げたと言ってもいいだろう。すなわちケスラーは稀代のドラマー/パーカッショニストなのであり、しかしながら驚くべきことに、彼がこのたび〈LuckyMe〉からリリースした最新作『Icons』では、こうした卓越した打楽器奏者としての側面は極限まで削ぎ落とされ、抑制され、ほとんど自己主張することのない音楽へと結実している。これは一体どういうことなのか。

 新作の内実に踏み込む前に、まずはその経歴をあらためて振り返っておきたい。イーライ・ケスラーは1983年に米国マサチューセッツ州ボストン近郊のブルックラインでユダヤ系の家庭のもとに生まれた。母はプロのダンサー、父は医療機器の販売業者だったがアマチュアのミュージシャンでもあり、独学でギターやヴァイオリンなどを演奏していたという。8歳の頃よりドラムの演奏を始め、11歳の頃には作曲にも取り組み始めたケスラーは、10代の頃はロック/ハードコア系のバンドを組んでいたそうだが、他方ではジャズや実験音楽にも親しみ、とりわけエルヴィン・ジョーンズのような偉人のパフォーマンスを目の当たりにした体験がその後の人生を左右することになる。「このレベルで演奏したい」*──そう思ったケスラーは並々ならぬ執念で勉強に打ち込み、セシル・テイラーをはじめ数多くの先進的なジャズ・ミュージシャンを輩出したことでも知られるニューイングランド音楽院へと進学。ピアニストのアンソニー・コールマンとラン・ブレイクらに師事し、ドラマー/パーカッショニストとして修練を積むとともに作曲などを学んだ。卒業後はロードアイランド州プロビデンスで音楽活動を始め、のちにニューヨークへと拠点を移すこととなる。2006年に自ら〈R.E.L〉というレーベルを立ち上げると、自身のリーダー作や参加ユニット作をはじめ盟友の多楽器奏者/作曲家アシュリー・ポールらの作品を発表。自主レーベルを除くと、同じく親交の深いアーティスト/音楽家ジェフ・マレンが運営する〈Rare Youth〉から2008年にソロ作『Livingston』をリリースしており、続く作品が2010年の『Oxtirn』だった──のちに「Oxtirn」はケスラー、ポール、マレンのトリオ・プロジェクト名として使用されるようになる。

 先に音楽活動と書いたが、ケスラーの活動は音楽にとどまらず多岐にわたっていることも見逃せない。ヴィジュアル・アーティストとしてアブストラクトなドローイングを数多く発表、ほぼ全てのリーダー作でアルバム・アートワークを手がけているほか、サウンド・アーティストとしてインスタレーション作品も多数制作しているのだ。サウンド・アーティストとしての彼の特徴はなんといっても細く長いワイヤーである──そう書くとアルヴィン・ルシエが1977年に発表した《Music on a Long Thin Wire》を想起される方もおられるかもしれないが、ワイヤーの微細な振動をピックアップしてスピーカーから流すことで一種のフィードバック回路を形成するルシエの作品とはコンセプトが大きく異なり、ケスラーの場合は多数のワイヤーをそれぞれに設置された金属製の棒が打ちつけ、それによって生じた打撃音が空間へと共振していくところにポイントがある。たとえば2011年にボストン芸術センターで発表された《Cold Pin》は、壁面に無数のピアノ線を設置し、モーターによって回転する金属製の棒が打ちつけることによって巨大なピアノを内部奏法するかのような低く鈍い音響を生み出していく。同年にルイジアナ州の旧ポンプ場に設置した《Collecting Basin》はスケールの大きな作品で、約6~60メートルのピアノ線を巨大な給水塔から周囲に張り巡らし、やはり同様の原理で金属製の棒を打ちつけて深い残響音を伴うサウンドを発生させる。他にも多数のインスタレーション作品を手がけており、特に近年はワイヤーを使用しない展示もおこなっているほか、ヴィジュアル・アートとグラフィック・スコアとライヴ・パフォーマンスとサウンド・インスタレーションが渾然一体となった試みもあるため詳細は別稿に譲るが、いずれにしてもこうした展示活動のもっとも核にある基本的なコンセプトは彼自身の言を借りるならば「特定の目的のために使用されている空間から、他の可能性を導き出すこと」**と言い表すことができるだろう。

2011年にボストン芸術センターで披露されたインスタレーション作品《Cold Pin》の映像。

 なかでも特筆すべきは《Cold Pin》である。実は《Cold Pin》はもともと単独のインスタレーション作品であるだけでなく、アンサンブル作品の一部としても機能するように構想/制作されていた。そしてケスラー、ポール、マレンのほかトランペットのグレッグ・ケリーとファゴットのルーベン・ソン、チェロのベンジャミン・ネルソンが参加したセクステット編成でインスタレーションとともにライヴ・パフォーマンスをおこない、その模様が2011年に〈PAN〉から『Cold Pin』として音盤化されたのだ。そこへさらに弦楽四重奏とピアノがインスタレーションとともにケスラーの作曲作品を演奏するヴァージョン、また《Cold Pin》と《Collecting Basin》のインスタレーションのみの録音などを加えた2枚組のアルバムが2012年の傑作『Catching Net』なのである。冒頭で述べたようにとにかくケスラーのドラミングに圧倒されてしまうのだが、いまあらためて聴き返すと極めてコンセプチュアルに構成されたサウンド・デザインの方が耳を引く。というのも、高速連打するケスラーのドラミングの背後で、管弦楽とギターがインスタレーションの自動演奏と共振しながら非常に緩やかに動く抑制されたドローンを形成しているのだ。もしもここからケスラーの音を取り除くならば、あたかもリダクショニズムの戦略を取った即興演奏あるいはヴァンデルヴァイザー楽派の作曲作品とも近しい響きになるのではないだろうか。客演しているグレッグ・ケリーが1990年代後半からゼロ年代にかけていわゆる弱音系即興のシーンでも活動してきた人物であることを考えるなら、ケスラーはおそらくこうした文脈を踏まえた上で作品制作に取り組んでいたはずだ。それはパラダイム・シフトを経た即興音楽を「超高速とほとんど静止しているかのような遅さの両方で発生する動きに惹かれる」***と語るケスラー流の美学によって昇華しようとした試みだったとも言える。そして振り返るなら『Oxtirn』もやはり、多重録音されたケスラーの激烈な演奏に比して客演しているアシュリー・ポールのクラリネット等は静的なドローンを形成しており、美学的に一貫した部分があると指摘することもできる。

 だが2006年から2012年まで毎年リーダー作を出してきたケスラーは、2013年以降、しばらくソロ・アルバムの制作という点では沈黙を続けるようになる。もちろん音楽活動や展示活動は精力的に継続しており、アルバムも2014年にオーレン・アンバーチとのデュオ作『Alps』はリリースしている。とはいえ『Catching Net』に続くリーダー作はなかなか発表されなかったのだ。この間の事情についてケスラーは「一つの理由は私にとってレコードとは何かということを考えていたからです(……)私はレコードというフォーマットを、ある種の閉ざされた空間としてイメージし始めました──聴くことで生まれる環境を利用して、あなたが入ることのできる閉ざされた世界を定義するのです。私は(次のレコードを)何か他のものと関連させたくありませんでした。私のインスタレーションのように、自己完結したものにしたかった」****と述べているが、たしかに『Catching Net』は初期の代表作と言ってよいものの録音作品としてのみ完結しているわけではなく、サイト・スペシフィックなインスタレーションやパフォーマンスが音盤の外部に広がっていたのだった。いわば録音芸術としてのアルバム制作へと向かうための方途を考えて続けていたのだろう。もう一つ。ケスラーが『Catching Net』をリリースした〈PAN〉はドイツ・ベルリンを拠点とするレーベルだが、主宰者であるビル・コーリガスとの縁もあって、ケスラーはヨーロッパのクラブで頻繁にライヴをおこなうようになっていた。強力なサウンドシステムでダンスフロアを揺さぶるという特異な空間でのパフォーマンスの経験も彼に大きな影響を与えた。あるいはダンスフロアに向けた演奏経験が、自己完結した録音芸術としてのアルバム制作へと赴く契機となったのかもしれない。

 2016年、およそ4年の空白期間を経て発表されたリーダー作『Last Signs of Speed』は、これまでと大きく異なる作風へと変貌を遂げていた。長尺のトラックが特徴的だった以前の作品とは打って変わり、5分前後の短い楽曲を多数収録した作品に仕上がっていたのだ。もちろんそれだけではない。即興色の強い実験的な──すなわち結果が不確定的な演奏がノイジーでカオティックな展開を生んでいたそれまでの作風に対し、明らかに演奏の中に周期性が、ミニマルな反復構造がもたらされるようになっていたのである。目眩く差異の産出から繰り返しが孕むズレの摘出へ。さらに重低音を効かせたキックやタム、あるいはグロッケンシュピールやピアノのフレーズの使用からは、クラブ・ミュージックの突然変異体のような様相も聴かせる。いわばケスラーの音楽の「音楽化」が進められたのだが、しかしながらまだアブストラクトなドラミングは健在だった。その後、知られるようにローレル・ヘイロー『Dust』(2017年)やワンオートリックス・ポイント・ネヴァー『Age Of』(2018年)への参加、さらにこの両者のライヴ・セットでの活動を経て、2018年にリリースした『Stadium』ではより一層「音楽化」が推し進められることとなる。サウス・ブルックリンからマンハッタンへと拠点を移したことが反映されているというこのアルバムでは、穏やかなメロディがグルーヴィーなベースラインに乗せられ、曲によってはフィールド・レコーディングや囁くようなポエトリー・リーディングを織り交ぜながら、洗練されたエレクトロ=アコースティック・ミュージックとでも言うべき内容に結実している。ケスラーのドラミングは複雑でアブストラクトな打点を散りばめながらも反復構造のうちにビート感を創出していく演奏で、人力ドラムンベースのような技巧性を聴かせるところもあった。

 最新作『Icons』は、さまざまな点で前作『Stadium』における試みを継承/深化した作品だとひとまずは言うことができる。一聴してまずわかるのは、卓越したドラマー/パーカッショニストとしてのケスラーの演奏がほとんど後景に退いているということだ。それはこれまで見てきたように『Catching Net』まではアルバムの大部分を占めてきた異次元のパルス奏法が、クラブでの演奏経験や電子音楽家たちとのコラボレーションを経て「音楽化」へと向かうことで、徐々に録音芸術を手がけるうえで必ずしも前面に打ち出すべき手段ではなくなってきたということでもあるのだろう。ただし具体的に重要な変化だと思われるのは、『Stadium』をリリースした後のケスラーがセンサリー・パーカッションとタングドラムを積極的に使用するようになっていったということである。センサリー・パーカッションはドラムを演奏する際の打撃の位置や強さ/速さなどに応じて電子音響を非常に精密にコントロールしながら鳴らすことができる機材で、かたやタングドラムは水琴窟のような音色で音階を奏でることのできる楽器だが、こういった道具を取り入れることによってメロディやベースライン、ハーモニーといった音楽的要素をあくまでも打楽器をツールとしたままこれまで以上にバラエティに富んだ形で生み出すことを可能にした。結果的に本盤はドラマー/パーカッショニストのリーダー作とは思えないような繊細なサウンド・デザインが施された録音芸術としてまとめられている。唯一従来のケスラーらしいパルス奏法が5曲目の “Rot Summer Smoothes” では聴けるが、むしろ箏のような音色で奏でられる民族音楽風のメロディが醸すインパクトの強さの方が前面に出ている。あるいはギター・シンセでネイト・ボイスが客演した3曲目 “The Accident” では技巧的な人力ドラムンベース風の演奏を披露しているものの、ケスラー特有のランダムノイズのようなドラミングという観点から聴くならばむしろ妙技を封印していると言うこともできる。

昨年配信されたライヴの映像。センサリー・パーカッションとタングドラムを使用している。

 しかしながらこうした表面的な特徴以上に『Icons』をユニークな作品に仕立て上げているのは、やはりフィールド・レコーディングの多用である。ケスラーによれば本盤はコロナ禍でロックダウンが実施された2020年3月以降に主な制作が進められたという。まるで廃墟のように不気味に静まり返ったマンハッタンに彼は留まり、街中に繰り出しては街路や公園で環境音のレコーディング作業をおこなっていった。そのときの印象は次のような言葉で綴られている。

(……)救急車、抗議活動、ヘリコプターなどの激しい状態から、美しくて奇妙な、穏やかな静寂のような状態まで、街が揺れ動いているように見えた。僕はそこで、何か奇妙で美しいことが起こっていると思ったんだ。*****

 そう、単に人間の気配が失われたロックダウン下の音環境に興味を覚えただけではなく、非常事態における喧騒と静寂の相反するサウンドスケープの同居に「何か奇妙で美しいことが起こっている」と感じたというのだ。そこには5月にジョージ・フロイドが殺害されたことに端を発するBLM運動の怒りの響きも混ざり合っていたことだろう。そしてこうした相反するものが同居することによる混沌とした状況を聴き取ろうとする彼の感性は、先に引用した「超高速とほとんど静止しているかのような遅さの両方で発生する動きに惹かれる」という美学的態度と相通ずるものがある。だがそれは同時に次の問題も孕んでいたはずだ。かつて「特定の目的のために使用されている空間から、他の可能性を導き出すこと」をひとつの核としてインスタレーションの制作をおこなっていた彼にとって、未曾有のパンデミックに覆われて機能不全に陥った都市空間をどのように捉え直すことができるのか、という問題である。もはやマンハッタンはインスタレーションを設置しなくとも従来と同じような意味では特定の目的のために使用されることがなくなってしまった。街路も公園も不要不急の人間が存在していてはならない空間となった。ではインスタレーションも意味を失ったのだろうか。そうではない。むしろコロナ禍で空間はこれまでとは異なる新たな目的に資するように強固に方向づけられてしまったのだ。不要不急の人間が存在することのできない空間には自由もオルタナティヴな可能性もあり得ない。それは他の可能性を覆い隠す動きでさえある。

 そのように考えるならば、マンハッタンで録り溜めたフィールド・レコーディングをアルバム制作に使用したことは、録音された空間の響きから「他の可能性を導き出す」ためのひとつの手段だったと言うこともできるだろう。だがケスラーは単にロックダウン下のマンハッタンの音環境を使用するだけではなく、東京・渋谷の富ヶ谷公園やウクライナ・キエフのペチェールシク大修道院、またはクロアチア・ムリェト島のオデュッセウス洞窟、さらには中国・深圳の華強北電気街など、2019年以降に録音してきた世界各国のサウンドスケープを使用しているのだ。そしてアルバムでは子供の掛け声や教会での合唱、鳥の鳴き声、流れる水の響き、親子の会話など音源が判別できるサウンドがある一方で、大部分は具体的に録音された場所や状況を特定することが困難なノイズとなっている。それはパーカッションの即物的な響きとほとんど渾然一体となっていると言ってもいい。限りない加速と静止に近い緩慢さの両端から発生する音に美学を見出すケスラーにしてみれば、ここにはさまざまな時間感覚で流れる空間のサウンドスケープが何層にも折り畳まれていると言うこともできるのではないか。そしてそれらのフィールド・レコーディングを取り巻くように楽器演奏によるビートがもたらす音楽的な時間もまた流れている。ビートという点では『Icons』は全体的に実に緩やかで、ダウナーな印象さえもたらすミニマルでアンビエントな音楽だ。そのためともすると低速方向に振り切っているように聴こえるかもしれないが、おそらく本盤はケスラーのこれまでの作品のなかでももっとも豊富な種類の時間感覚が多層的に織り込まれたアルバムとなっていることだろう。

 『Icons』が醸し出すダウナーな雰囲気は、マンハッタンで孤立した状態で制作していたことと無関係ではないはずである。これはケスラーに限らず多くのミュージシャンにも言えることだが、一時的にせよライヴ・スペースが閉鎖されることで他者とコミュニケーションを取るためのフィジカルな空間を失うと、必然的に内省の時間が増えるものだ。そのことがどのぐらい深く関わっているのかは定かではないものの、少なくとも本盤はケスラーにとって極めてプライベートなアルバムでもある。収録楽曲中もっとも異色と言うべき4曲目の “Daily Life” で、旧ソ連出身の文化批評家でケスラーの妻でもあるアンナ・カチヤンが客演しているからだ。女声のポエトリー・リーディングが続くこの楽曲で、ケスラーのドラム演奏は靄のようにくぐもった響きの中に沈んでおり、ほとんどミュジーク・コンクレートと化した音楽内容は続く5曲目がケスラー流のパルス的ドラミングが聴かれる “Rot Summer Smoothes” であることも相まってより一層際立っている。そのセンスはやはり単なるドラマー/パーカッショニストではなく、より広くアーティスト/コンポーザーと呼ぶべきものだ。そして実はケスラー自身、自らを「ドラマーだとは思っていない」と明言したことさえあるのだった。『Stadium』のリリース後、まだパンデミックが到来するとは誰もが予想だにしなかった2019年のインタヴューで彼は次のように語っている。

 正直なところ、私は自分のことを第一にドラマーだとは思っていません。コンポーザーでありアーティストだと思っていて、ドラムは演奏するときに使う楽器なんです。ドラムを演奏しなければならないという義務感もありません。そのおかげで、必ずしもドラマーとしての役割に囚われることなく演奏することができるようになったと思います。つまり、ドラマーとしての役割を果たすことはあるにせよ、ドラムという楽器の遺産に参加しなければならないという義務感はありませんし、それは最初から私のアティテュードだと思っています。******

 ケスラーが卓越したドラマー/パーカッショニストであることは疑いない。それはジョー・マクフィーとのデュオ作『Ithaca』(2012年)やジョン・ブッチャーとのデュオ作『First Meeting - #8』(2021年)など、フリー・ジャズ/フリー・インプロヴィゼーションの世界で活躍する即興演奏家とのセッションにもはっきりと刻まれている。だが同時に、彼は最終的にドラマーであることを目的として活動しているわけではないのだ。それはこうも言い換えられるだろう。すなわちドラムを用いた表現から、あらかじめ決められた目的とは異なる別の可能性を導き出すかのようにして音楽を紡ぎ出しているのだと。その結果コロナ禍で生まれ落ちたひとつの録音芸術がマルチプルな速度が埋め込まれた『Icons』なのである。そしてケスラーが、フリー・ジャズやサウンド・アート、現代音楽、あるいは電子音楽やアンビエント・ミュージックなど、さまざまなジャンルとの関わりを持ちながら、そのどこにも完全には属すことがないということも同様のアティテュードのもとにある。彼にとってこうした諸々のジャンルと関わることは、そのジャンルの正統性に奉仕するためではなく、あくまでも創作活動におけるひとつの手段として、あらかじめ定められた目的とは異なる別の可能性を見出すために降り立つ場所としてあるのだろう。そして楽器にしてもジャンルにしても、革新者というのはいつもこのようにまるで別の文脈からトリックスターのようにやってきて、あらぬ方向へと飛び去るときにはこれまでにない地殻変動をもたらしてしまっているものなのだ。


* Marc Masters "How Playing Drums in Clubs Helped Eli Keszler Make His New Album" Vice, 1st December 2016. https://www.vice.com/en/article/9avzvd/eli-keszler-last-signs-of-speed-feature-interview
** Steph Kretowicz "Turning the Manhattan Bridge into a piano" Dazed & Confused, 8th October 2013. https://www.dazeddigital.com/music/article/17491/1/turning-the-manhattan-bridge-into-a-piano
*** Michael Barron "Space, Speed, Stasis" Frieze, 10th February 2017. https://www.frieze.com/article/space-speed-stasis
**** Marc Masters "How Playing Drums in Clubs Helped Eli Keszler Make His New Album".
***** 『Icons』プレスリリースより。
****** "An Interview with Eli Keszler" Sunhouse, 30th August 2019. https://sunhou.se/blog/eli-keszler-interview/

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