時節柄2010年代の振り返りをすることが最近多いのだけれど、ことメインストリームとアンダーグラウンドの間のグラデーションのなかでは、R&Bがきわめて重要な働きを務めた10年だったのだと思う。たとえばジェイムス・ブレイクのファースト(11)はリリース当初R&Bと呼ぶか否かという議論が巻き起こったわけだが、あのアルバムから派生したものがこの10年のR&Bの流れのひとつを作ったことは間違いないし、その音響意識が他ジャンルにまで波及したことは(ジャンル・ミックスの10年と言われたことも相まって、)「Quiet Wave」なるタームが指し示すものから考えても、そう見当違いでもないはずだ。僕たちは昨年ティルザのアルバムを愛聴したし、(メインストリームではやや難解だと受け止められたようだが)ソランジュの新作のアンビエンスにも身を浸した。そしていま、どこかそれらの反響音のようにやって来たデンマークはコペンハーゲンのシンガー、エリカ・ド・カシエールの囁く声に耳を傾けている。
まずオープニング “The Flow” のくぐもった音響のなかで茫洋と広がっていく歌を聴くだけで、いまの音だなと直感する。残響音を極小まで鳴らして消えるパーカッション。さりげないオリエンタルな意匠。音の面ではデンマークのハウス・シーンで浮上したセントラルとその弟DJスポーツがプロデュースを務めており、ビートのルースさなどにローファイな感覚をやや残しつつも、細部のタッチにこそ意識が向いたものとなっている。エリカ本人もプロデュースとソングライティングでかなりの部分で参加しているようで、自分のアンニュイな声がどういう響きと合うかよくわかっているということだろう。とにかくアトモスフェリックな、とろけるようなサウンドに包まれるR&Bだ。10年代なかごろならアンビエントR&Bと呼ばれていただろうが、いまだとやはりこれも「Quiet Wave」になるのだろうか。
ただ、“Do My Thing” や “Little Bit” などに顕著だが、歌自体には独立した主張や起伏があり、それこそティルザのようにサウンドにヴォーカル全体が溺れていく感覚はあまりない。そこは彼女がアリーヤやデスティニーズ・チャイルドなど90年代(~00年代前半)R&Bのビッグ・スターたちに強い影響を受けていることが関係していると思われるが、歌い上げはしないものの、やや粘っこくシンコペートするメロディ・ラインはたしかに「あの時代」のディーヴァたちの影を思わせる。“What U Wanna Do?” なんかは、90年代のUSヒット・チャートが10年代の音響を経て蘇ったようだし。だからこのアルバムの脇の片方にはソランジュのように現代的な音響のR&Bを置くべきだとは思うのだけれど、もう片方には90年代R&Bの王道を堂々とやって大ヒットしたエラ・メイ辺りを置いてもいいと思う。『Essentials』からは、つまり、ベッドルームのテレビに映っていたアメリカのR&Bに憧れた少女の「夢」が聞こえてくる。
アルバムは “Story of My Life” で、そんなかつての「少女」の秘密をそっと差し出すように、パーソナルな物語が綴られて終わっていく。そこで、彼女の声はどこか幼さを覗かせる。“Little Bit” や “Intimate” というタイトルにも如実に表れているが、そうした90年代へのノスタルジーをあくまでも小さなもの、個人的なものとして愛でる感性がこのアルバムにはある。『Essentials』というタイトルはデビュー作に対する自身の表れでもあるだろうが、音楽の喜びの「本質」が彼女にとってどこにあるかを仄めかすようでもある。そう、どこまでも甘美な音の記憶の海に……。
木津毅
[[SplitPage]] 『Essentials』はコペンハーゲンを拠点に活動するシンガー/プロデューサーであるエリカ・ド・カシエルのデビュー・アルバムで、2019年の5月に自身のレーベル〈Independent Jeep Music〉からリリースされた。この数年、ド・カシエルは堅実にインディペンデントでの活動を続け、2017年から楽曲とミュージック・ヴィデオを発表、その楽曲たちが今作に収録されている。
「Essentials」という今作のタイトルが示すように、これが聴くべき名刺代わりの一発、ということだろう。
トラックをド・カシエルと担当しているのは、同じくコペンハーゲン拠点でDJセントラル(central)として〈Dekmantel〉などからリリースしている、彼女の友人のプロデューサー、ネイタル・ザックス(Natal Zaks)だ。2017年の彼のエル(Alle)名義でのアルバム『Dine Pæne Øjne』にもド・カシエルはバッキング・ヴォーカルで参加していて、さらに同年にはふたりはデンマークの〈Regelbau〉に12インチ「Drive」を残している。90年代のジャングル・レコードのようなインサートとシンプルなラベル・デザインで世に出たこの一枚は、サウンドもまさに当時のUKアンダーグランドを感じさせるものだ。火を吹く寸前でコントロールされたジャングル・ブレイクとボムボールのように飛び跳ねるUK式低音域上で、ド・カシエルは蝶のように歌っている。アンビエント・ミックスも収録。針を上げるのを非常に惜しく感じさせる一枚だ。ヴァイナル・オンリーなので再発が待たれている。
今作において、このタッグはよりド・カシエルの歌を響かせるため、R&Bやダンス・ミュージックの参照項を柔軟に組み合わせている。それは、聴く場所と人を選ばないという意味での柔らかさでもある。彼女のインスタグラムには、自然体で友人たちと遊び、エイブルトンが開かれたラップトップの前で楽曲制作に取り組む姿がある。このような日常生活と音楽生活が溶け込んだ成果が、この『Essentials』なのかもしれない。
シングルとして2018年に発表された “Do My Thing” の楽曲と、そのヴィデオがそれを強く感じさせる(映像を担当したのは彼女の友人であり、ノルウェー出身でデンマーク拠点の電子音楽デュオ、スメーツ(Smerz)のキャサリン・ストルテンバーグ(Catharina Stoltenberg))。トラックに広がるのは、バロック調のスローなハープシコード、808系のリズム上と、低いベースライン。いたってシンプルであり、キック・ベースが楽曲を先導するようなパワフルさはない。決して飾らない映像内では、コペンハーゲンの街を彼女は自転車で走る。それはオランダなどでよく目にするような、ハンドルが曲がった自転車であり、ヘルメットをかぶってカシエルはクラブへと出かける。「自分のことをやりたい。朝までクラブでチルしたい。ハイプなものなんていらない」という率直なリリックが、肩の力が抜けた彼女の歌唱とともに、夜を走る自転車からこぼれ落ちる。
すでにいくつか指摘があるように、2018年に傑作『Devotion』を歌い上げたロンドンのティルザのヴォイシングには、たしかにド・カシエルと類似する点もある。ド・カシエルとザックスのように、ティルザのトラックを作ったのも、彼女のロンドンの地元の友人であるミカチューとコービー・シーだ。多くに愛されている “Devotion” のヴィデオで描かれるのも、ロンドンでどこでも目にするようなハウス・パーティの様子だ。歌唱法以上に、日常生活の称揚と、ありのままの自分を貫くという、ゆるやかなで強固な態度がふたりには共通している。荘厳なシンセパッドよりも、タンジブルな機材からのシンプルな音質が好まれる傾向がある電子音楽シーンと、それは共振するものかもしれない。2017年にヴォーカルにスポットライトを当てた作品『Dust』を発表したローレル・ヘイローにも、それは通じるものだ。
この美学がアルバムの基礎をなしている。収録曲のなかで2017年という最も早い時期にリリースされている、8曲目の “What U Wanna Do?” は、今作のなかでひときわエモーショナルに響いている。この楽曲にもヴィデオがあり、風力発電の風車が回る海岸線を背景に彼女は歌う。懐古主義的、ヴェイパーウェーヴ的なオブジェクトの参照もエフェクトもない。持続している彼女の生活のみがそこにある。そこでド・カシエルは「やりたくないことはやらなくてもいい」という直球のメッセージを、リスナーに、そしておそらく自分自身に送っている。前に押し出してくるビートは、ドロップするベースとともに、その言葉の裏にあるであろう何かと、イヤフォンの向こう側を連結させる。
FKAトゥイッグスやケレラのような電子/音楽的なワイルドサイドとメインストリームを行き来するような試み、あるいはラファウンダ(Lafawndah)のように西洋世界の外部へ歌唱と身体を通して向かう冒険が、『Essentials』にはあるわけではない。だが彼女たち人間が生きるエヴリデイライフを描いたという意味では、ド・カシエルほど素直にそこで鳴るべき音を表現しているシンガー/プロデューサーはあまりいない。アルバム最後の三曲で、時間流はひときわスローでメローになる。ローエンドが優しく響く “Rainy”、人間関係の間に生まれてしまう溝が楽曲に広がる「空間」と重なって聴こえる “Space”、直球のメロディとリズムで自分自身を歌う “Story of My Life”。速すぎる現代に抗いつつも、けっして時代錯誤にはならない安全地帯がここにはある。
最後に収録されている5曲目のDJスポーツによる “Intimate” のクラブ・リミックスは、ゴールディの “Inner City Life” を思わせるようなジャングルのリズムが組まれ、強烈なサブベースが甘いヴォーカルとともにフロアを揺らす。2017年の “Drive” に通ずる名ミックスだ。狭いベッドルームにも満杯のフロアにもとどくシンガーは稀有であり、ド・カシエルはその一人であることも、この一枚は証明している。
髙橋勇人

































