Home > Reviews > Album Reviews > Lafawndah- Ancestor Boy
最初はうーんと唸ってしまった。どうにもスピリチュアルすぎるというか、ニューエイジ的なものに寄りすぎなのではないかと。ギャング・ギャング・ダンスが引き合いに出されるのも頷けるところがあって、これは彼らの最新作をベース・ミュージックに移殖した音楽ですと、そう単純化してしまってもあながち見当ちがいだとは言いきれない。ただ、何度も聴き直しているうちにその印象はどんどん変わっていった。これは、一筋縄ではいかない音楽である。
ラファウンダことヤスミン・デュボワの略歴についてはこちらを参照していただくとして、その後ローレル・ヘイローやDJスポコとのコラボなんかもあったわけだけれど、やはり昨年、高田みどりと共作したことが大きな転機となったのではないだろうか。当初その組み合わせにはずいぶん驚かされたが、それはたぶんこっちが勝手に片方を「ワールド・ミュージック/ベース・ミュージック」という枠組みに、そしてもう片方を「アンビエント/環境音楽/ニューエイジ」という枠組みに押し込めて分断してしまっていたからで、ふたりの邂逅はようするにジョン・ハッセルとイーノによる「第四世界」の現代版だったのだと捉えれば、スピリチュアルな部分にたいする警戒心もほぼ溶けてなくなる。
ラファウンダ当人はというと、この記念すべきファースト・アルバムのインスピレイション・ソースに芸能山城組の『AKIRA』を挙げており、たしかに本作におけるパーカッションとスピリチュアリティの同居のさせ方にその影響をみとめることは不可能ではないが、それも結局は「第四世界」に集束させることができる。つまりは架空の「ワールド・ミュージック」ということで、ようするに想像である。じっさい高田との「Le Renard Bleu」でも、古代セネガルと日本の民話に共通して登場する「青いキツネ」がテーマになっていたわけだけど、フィクションはそれがフィクションであるがゆえに、ふだんわたしたちが意識していないことについて考える、貴重な機会を与えてくれる。思うにラファウンダは、彼女の出自や経歴をかんがみるに、そのような空想的であるはずの「第四世界」をきわめてリアルなものとして体験し、そこに生きているのではないか。
冒頭の“Uniform”からアクセル全開だ。ころころと転がっていくパーカッションをバックに彼女は、「わからない/何色か」と声をしぼりだし、自らのアイデンティティを宙吊りにする。アラビックなムードの横溢する“Parallel”では、それこそジョン・ハッセルを思わせるトランペットがむせび泣いていているが、これがまさかの本人だから驚く。やはり彼女が目指しているのは「第四世界」の再現界ということで間違いなさそうだ。
とはいえもちろんその音楽には今日性があって、たとえば“Daddy”の低音なんかは、彼女がけっしてベース・ミュージックの文脈から切り離されているわけではないことを教えてくれる。このアルバムのほとんどの曲を手がけているのは、彼女の出世作となった「Tan」同様、ゲイトキーパーのアーロン・デイヴィッド・ロスとティーンガール・ファンタジーのニック・ウェイス、〈Night Slugs〉のエルヴィス・1990に、そして彼女自身だ。表題曲“Ancestor Boy”のインダストリアルな側面などは、彼らとの共同作業のなかで自然と生み出されていったものだろう。
このアルバムがおもしろいのは、さりげなく日本的な旋律が差し挟まれる“I'm An Island”のように、参照先それじたいはじつに多岐にわたっているにもかかわらず、「多国籍」とも「無国籍」とも形容しづらいところで、そもそも彼女は国家という単位になど根差していないのだろう。じっさい彼女は『FACT』のインタヴューでネイション=ステイト(国民国家)を笑い飛ばしているが、じゃあ他方でこのネット時代にありがちな「検索して拾ってテキトーに貼りつけました」的な薄っぺらい多様性を標榜しているのかというと、もちろんそんなことはない(おなじ記事のなかで彼女は「インターネットからは知識を得ていない」と断言している)。たとえばブリジット・フォンテーヌとアレスキ・ベルカセムのカヴァーである“Vous Et Nous”は、しっかりと原曲における声の実験を踏まえたうえで、あらためて彼女なりの声の実験を展開している。ここには、先達にたいする敬意がある。
もうひとつ注目すべきは、本作のポップ性だろう。“Storm Chaser”や“Waterwork”、あるいはガイカの参加した“Substancia”といった曲で彼女は、実験的な「第四世界」のなかでいかに普遍的なポップ・ソングを成立させるかという難題に挑戦している。それは、地球上のどこもかしこもが対立と分断と閉塞によって覆い尽くされているいま、異なる人びと同士のあいだになんとか共通項を見出そうとする、切実な試みだと言えなくもない。とくに圧巻なのは“Tourist”だ。この強烈かついびつなダンスホール・トラックには、彼女のアーティストとしてのあり方そのものが見事に凝縮されている。
本作について『TMT』は、エジプトのウム・クルスームやレバノンのファイルーズといったアラブの大歌手を引き合いに出し、他方『FACT』のほうはビョークやケイト・ブッシュ、シャーデーの名を挙げていて、もちろんそれらは素直な賛辞なんだろうけど、しかしラファウンダの音楽はそのどれとも異なっているように聞こえる。おそらく『Ancestor Boy』はこれまでの類型に収まりきらない、新たなシンガー/プロデューサー像を呈示しているのだ。かつて上述の歌手たちがそうであったように、むしろ、今後「ラファウンダ以降」という言葉がどんどん用いられていくようになるにちがいないと、この現代版「第四世界」はそんな予感を抱かせてくれる。
小林拓音