「96 Back」と一致するもの

□Peace Is Not The Word To Play

山崎:前回の続きになりますが、まずB面の1曲目から。

水谷:このネタはMFSBの「T.L.C. (Tender Lovin' Care)」ですね。

山崎:これもカッコいい使い方をしていますね。イントロの部分を分割してる感じはすごいですね。

水谷:ゆったりした部分を使っているのにこんな疾走感のある曲に仕上げている。

山崎:イントロのビートはMilly & Sillyの「Getting Down For Xmas」を使ってます。
原曲もめっちゃカッコいいクリスマス・ソングですね。

水谷:この鈴の入ったビートの感じはラージ・プロフェッサーはよく使います。

山崎:この鈴が入ると疾走感が倍増するというか、勢いが出ますね。

水谷:話が『Breaking Atoms』から脱線しますが、彼の手掛けたNASの「Halftime」でもこの感じを出してますね。そっちはAverage White Bandの「School Boy Crush」のビートですが。

山崎:De La Soulは「D.A.I.S.Y. Age」で同じ曲のギターのフレーズ入りを使ってますが、ラージ・プロフェッサーはよりネタ一発にならないような部分を使用し、そこに『Hair - The Original Japanese Cast Recording』の「Dead End」にフィルターをかけて重ねている。ここではベースラインを使用してますが、当時のサンプラーでできることを120%駆使してまとめる技がすごいですね。一つのトラックとして調和が取れています。

 

水谷:これはNASのデビュー・アルバム『Illmatic』リリース前の曲ですね。『Illmatic』にも入っていますが、『ゼブラヘッド』という映画のサントラに収録されている曲です。『Illmatic』についての解析もまたどこかでしましょう。

□Vamos A Rapiar

山崎:曲名はスペイン語ですね。意味は「ラップをしよう」です。

水谷:これはピート・ロックとの共作なんですよ。ピート・ロック主導のせいなのか、ネタをあまり重ねていないですが、ピート・ロックが活動を始めた初期の仕事です。

山崎:これはThe Three Sounds一発ですね。一番単純なサンプリング方法を使用した曲かもしれません。

水谷:ラージ・プロフェッサーは有名なネタであればあるほど原曲の形跡を残さないのですが、“分かりやすい”ネタをそのまま使っているのはこのピート・ロックとの共作だけ。でもピート・ロックもここでラージ・プロフェッサーから学びを得て、その後SP-1200(初期サンプラーの名機)の操作技術が向上するんですよ。

□He Got So Much Soul (He Don't Need No Music)

水谷:これはラージ・プロフェッサーにしては珍しい、ネタ一発な使い方の曲ですが、Lou Courtneyの「Hey Joyce」、1967年に7インチでリリースされた作品です。同時代ではこのネタを他に使っている人はいませんし、チョイスはずば抜けていますね。ここでも60年代ソウルをサンプリングしています。Main Sourceの特徴的な部分です。

山崎:確かに前述の「Vamos A Rapiar」と違って切り取り方にセンスを感じます。

□Live At The Barbeque

水谷:Melvin Van Peeblesの『Sweet Sweetbacks』のスキットのイントロからVicki Andersonの「In the Land of Milk and Honey」で始まる。

 

山崎:この始まり方も違和感がなく、スムースに切り替わる感じが印象的ですね。

水谷:この曲はもちろんこのイントロの使い方も凄いのですが、もっと衝撃的だったのはビートが実はBob Jamesの「Nautilus」だったって事なんです。

山崎:サンプリング・ネタとしては古くから有名な曲ですよね。

水谷:そうなんですが、普通はあの有名なイントロを使いますが途中のブレイクを使用しています。ここでも他の人のやっていることとは違う事をあえてやっている感じがある。ラージ・プロフェッサーのプライドが垣間見えます。

山崎:これは全然Bob Jamesってわからないですね。けど確かにこのブレイクはかっこいい。そこに目をつけるのはさすがです。

□Watch Roger Do His Thing

山崎:この曲はベースとオルガンは演奏していますね。ドラムはFunkadelicの有名なネタ曲、「You'll Like It Too」です。

水谷:このベースを弾いているアントンていう人がキーマンでして、本名、Anton Pukshanskyって言うんですけど、白人のロック系のエンジニアでレコーディング・スタジオの人だと思うんですけど、HIP HOP系では馴染みの深い人ですね。

山崎:確かにレコーディングのクレジットにも入っています。

水谷:この曲はアルバムリリースの前にシングルで出ているんですよ。その前に「Think」と「Atom」という曲のカップリング・シングルが89年にリリースされていて、これはわりとランダムラップに近いサウンドなのですが『Breaking Atoms』には収録されていません。で、90年にでたこの曲が2ndシングル(B面は「Large Professor」)で、これらは全てActual Recordsからリリースされています。このレーベルは Sir ScratchとK-Cutのお母さんが経営しているレーベルです。Main Sourceの活動はこのお母さんがかなり主導権を握っていたようで、息子でないLarge Professorはその部分で揉めたことが原因で脱退したようですが。

 

山崎:駆け足でBreaking Atomsの収録曲のサンプリングを解析しましたが、総じて言えるのは仕事が細かいってところですね。

水谷:ラージ・プロフェッサーはチョップ・サンプリングの先駆けかもしれません。チョップで有名なDJプレミアは、誰もラージ・プロフェッサーから影響を受けたって言っていないですが、時代を遡ると、この刻んだ感じはラージ・プロフェッサーが最初だと思います。そして重ねる技術や展開も上品で、音楽的です。

□Fakin' The Funk

水谷:それとラージ・プロフェッサー脱退前の超重要曲は「Fakin' The Funk」です。

山崎:映画『White Men Can't Jump』のために作られた曲ですね。レコードはそのラップだけを集めた『White Men Can't Rap』に収録されています。

 

水谷:『Breaking Atoms』のリリース後に(シングルも)出たのですが、メイン・ソースの到達点は前述のNASの「Halftime」とこの曲かもしれません。

山崎:メイン・ソース・ファンにも人気の曲ですね。

水谷:そうですね。この曲、Kool & the Gangの「N.T.」のサンプリングから始まりますが、「N.T.」の原曲を聴くとすごいところから取っているのがわかります。

山崎:普通に「N.T.」を聴いていてもそのまま流してしまいそうな部分ですが、ここをサンプリングしてループするとこんなにかっこいい。しかも一瞬使ってすぐに次のサンプル、The Main Ingredientの「Magic Shoes」に展開している。サンプリングって言わば既存曲のコラージュだと思うんですが、ひとつの曲として完成している。

水谷:常人ではできない組み合わせですよ。デタラメに組み合わせてもこんな曲は生まれない。この2つの組み合わせは簡単なようで、とてもハイレベルだと思います。もはや魔法です。

山崎:そして「Looking At The Front Door」でも触れましたが、やはりコーラスの使い方がうまい。

水谷:ラージ・プロフェッサーはこの後、メイン・ソースを脱退してしまうのですが、その直前に手掛けたのが『The Sceince』です。1992年の『The Source』に2ndアルバムのリリースについての記事が出たんですね。それを当時見て、気持ちが昂ったことを覚えています。でもお蔵入りになってしまった。

山崎:2023年のヒップホップ50周年に『The Sceince』がようやくリリースされた事は大きな話題になりました。そしてここでは「Fakin' The Funk」の別テイクが収録されていますが、ここではESGの「UFO」のイントロを使っています。この曲、ヒップホップのブレイクの定番曲で、回転数を45RPMから33 1/3RPMに下げて使用するのが、ヒップホップのセオリーですがその通りに使用しているのも良いですね(Ultimate Breaks & Beatsにもその回転数で収録されていることは有名)。

水谷:これを最初に聴いたときはテンションが上がりましたね。

山崎:シンプルな使い方ですが、その分ラップが前に出て、彼らはラップも素晴らしいことがよくわかります。

水谷:やはり全方位でレベルが高いんですよ、この頃のメイン・ソースは。もう後にも先にもこんなグループは出てこないかもしれません。

山崎:VGAでは『The Sceince』のテスト・プレスもごく少量ですが販売中です。このアルバムのサンプリング・ネタの解析も、いつかこのコーナーでしたいと思います。お楽しみに。


Main Source / Breaking Atoms
https://anywherestore.p-vine.jp/en/search?q=main+source


MAIN SOURCE / THE SCIENCE Limited Test Pressing
https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-5012/

Tujiko Noriko - ele-king

 おもに〈Mego〉~〈Editions Mego〉からのリリースを中心に、00年代から活躍をつづける電子音楽家、ツジコ・ノリコ。その5年ぶりの日本ツアーが決定している。最新作『Crépuscule I & II』をもとにしたライヴになるそうで、京都、東京、福岡の3都市をめぐる。東京公演ではベルリンの映像作家 Joji Koyama がAVを手がけるとのこと。詳しくは下記より。

Tujiko Noriko Japan Tour 2024

1/09 Tue at Soto Kyoto
https://soto-kyoto.jp

1/11 Thu 18:30 at WWW Tokyo w/ Joji Koyama LIVE A/V
https://www-shibuya.jp/schedule/017371.php
TICKET https://t.livepocket.jp/e/20240111www *限定早割販売中

1/13 Sat at Artist Cafe Fuokuoka
https://artistcafe.jp

tour promoter: WWW / PERSONAL CLUβ

薄明かりのサウンドスケープ。エレクトロニカの伝説、フランス拠点のTujiko Norikoが5年ぶりの日本ツアーを開催。東京公演ではベルリンの映像作家Joji KoyamaとのライブA/Vを披露。

2001年のデビュー以来00年代のDIYなサウンドスケープのムーヴメントから生まれたエレクトロニカを始め、アートを軸とした電子音楽シーンで映像含む数多くの作品をリリースし、映画、パフォーマンス、アニメーション、インスタレーションの音楽制作含む数々のコラボレーションを果たして来たTujiko Norikoが、本年明けに老舗Editions Megoからリリースした映像作家Joji Koyamaとの大作『Crépuscule』(薄明かり)を基にしたライブを携え、京都、東京、福岡を巡る5年ぶりの日本ツアーを開催。

https://www.instagram.com/koyama_tujiko/


Tujiko Noriko

フランスを拠点に活動するミュージシャン、シンガーソングライター、映像作家。2000年、Peter RehbergとChristian Fenneszが彼女の最初のデモテープを発見し、アルバム『少女都市』でMegoからデビュー。アヴァンギャルドなエレクトロニカ周辺で高い評価を受け、Sonar、Benicassim、Mutekなどのフェスティバルに招かれ、世界中で演奏活動を行う。これまでにEditions Mego、FatCat、Room 40、PANから20枚のアルバムをリリースし、高い評価を得ている。2002年のアルバム「Hard Ni Sasete」はPrix Ars ElectronicaでHonorary Mentionを受賞。

映画、ダンス・パフォーマンス、アニメーション、アート・インスタレーションなどの音楽を手がけ、著名なミュージシャン、Peter Rehberg,、竹村延和、 Lawrence Englishらとコラボレーションしている。2005年には初の映像作品「Sand and Mini Hawaii」と「Sun」を制作し、パリのカルティエ財団や東京のアップリンクなどで国際的に上映された。2017年、Joji Koyamaと共同脚本・共同監督した長編映画「Kuro」はSlamdance 2017でプレミア上映され、Mubiでも上映された。2020年から21年にかけて、彼女の音楽作品はレイナ・ソフィア美術館で開催された展覧会「Audiosphere」(主要な現代美術館で初めて、映像もオブジェも一切ない展覧会)に出品された。

2020年にはサンダンスとベルリン国際映画祭で上映された長編映画「Surge」の音楽を担当し、2022年にはla Botaniqueでプレミア上映されたミラ・サンダースとセドリック・ノエルの映画「Mission Report」の音楽を担当した。

Joji Koyamaとの最新アルバム『Crepuscule I&II』をEditions Megoからリリースしている。

https://twitter.com/tujiko_noriko

ディスコグラフィー

'Shojo Toshi' 2001 (Mego)
'Make Me Hard' 2002 (Mego)
'I Forgot The Title' 2002 (Mego)
'From Tokyo To Naiagara' 2003 (Tomlab)
'DACM - Stereotypie' with Peter Rehberg 2004 (Asphodel)
'28' with Aoki Takamasa 2005 (Fat Cat)
'J' with Riow Arai 2005 (Disques Corde)
'Blurred In My Mirror' with Lawrence English 2005 (ROOM 40)
'Melancholic Beat' 2005 (Bottrop-boy)
'Solo' 2006 (Editions Mego)
'Shojo Toshi' 2007 (Editions Mego)
'Trust' 2007 (Nature Bliss)
'U' with Lawrence English and John Chantler 2008 (ROOM 40)
‘GYU’ with tyme. 2011/12 (Nature Bliss/ Editions Mego)
‘East Facing Balcony’ with Nobukazu Takemura 2012 (Happenings)
‘My Ghost Comes Back‘ 2014 (Editions Mego/ p*dis)
'27.10.2017' with Takemura Nobukazu 2018 (Happenings)
‘Kuro’ 2018 (pan)
‘Surge Original Sound Track Album’ 2022 (SN variations/Constructive)
‘Crepuscule I&II’ 2023 (Editions Mego)
‘Utopia and Oblivion’ 2023 (Concept compilation album from Constructive)


Joji Koyama

ベルリンを拠点に活動する映像作家、アニメーター、グラフィック・アーティスト。短編映画、アニメーション、ミュージックビデオ(Four Tet、Mogwai、Jlinなど)は国際的に上映され、ロンドン短編映画祭や英国アニメーションアワードで受賞。2015年には初の短編ビジュアルストーリー集「Plassein」を出版。Tujiko Norikoと脚本・監督を務めた長編映画「Kuro」はスラムダンス映画祭でプレミア上映され、MUBIで世界中に配信された。様々なメディアやコンテクストで活動し、最近のコラボレーションには、絶賛されたアルバム「Crépuscule I&II」に基づくTujiko NorikoとのツアーライブA/Vプロジェクトがある。

jojikoyama.com
instagram.com/jojikoyama
twitter.com/jojikoyama



Tujiko Noriko - Crépuscule I & II [Editions Mego / pdis]

まだEditions Megoになる前のMegoの初期、過激な作品群の中に思いがけない作品が登場しました。PITA、General Magic、Farmers Manualなどの歪んだハードディスクの中から、全く異なる種類のリリースが現れたのです。コンピュータで作られたものでしたが、よりソフトな雰囲気、雲のような音、そしてメロディーさえもありました。それは日本人アーティスト、ツジコノリコの記念すべきデビュー作『少女都市』(2001年)であり、彼女のキャリアをより多くの人々に紹介しただけでなく、Editions Megoの門戸をより幅広い実験的音楽形態に開くことになりました。

電子的な抽象性、メロディー、声、そして雰囲気というツジコノリコ特有の合成は、彼女の神秘的な言葉の周りを音が優しく回り、歌として構成された感情的な聴覚実験の連続へと変化していくため、他の追随を許さないものです。彼女はMegoからのデビュー作以来、ソロ作品やコラボレーションを重ね、また女優や監督として映画界にも進出するなど、進化を続けています。

PANから2019年にリリースされたサウンドトラック『Kuro』以来の新作となる本作では、映画というメディアが彼女の音楽に与えた影響を聴くことができ、視覚的な記号が手元にある刺激的なオーディオに呼び起こされます。インストゥルメンタルのインタールードは、タイトルと一緒に映画の風景を思い起こさせ、映画の形式を再確認させます。これは、深い人間的な存在感を持つ合成音楽です。内宇宙の幻想的な領域を彷徨う人間の心が、通常はそのような人間的な傾向を崩すよう促す機械を通して、絶妙に表現されています。その温もりと静寂、そして夢のような空間が、ツジコノリコという作家の個性であり、この『Crépuscule』は、その力を見事に証明しています。

「Crépuscule(薄明かり)」というタイトルこの音楽の夢遊病的な性質を見事に表現しており、夜行性の変化が広い意味での静寂を呼び起こします。「Crépuscule I」は短い曲のセレクションで構成され、「Crépuscule II」は3曲の長めの曲で構成され、これらの曲とムードが呼吸するためのスペースを提供しています。本作は、リスナーが彼女の目を通して世界を見ることを可能にし、機械に人間味を与える彼女の巧妙な手腕により、穏やかな不思議な世界がフレーム内にフォーカスされています。

Track listing:

Disc 1
1 Prayer 2′ 22”
2 The Promenade Vanishes 6′ 18”
3 Opening Night 4′ 30”
4 Fossil Words 8′ 10”
5 Cosmic Ray 3′ 26”
6 Flutter 4′ 18”
7 A Meeting At The Space Station 11′ 38”
8 Bronze Shore 6′ 46”
9 Rear View 3′ 22”

Disc 2
1 Golden Dusk 12′ 50”
2 Roaming Over Land, Sea And Air 23′ 58”
3 Don’t Worry, I’ll Be Here 18′ 45”

INFO https://www.inpartmaint.com/site/36264/

第1回目:#Metoo以後のUSポップ・ミュージック - ele-king

 まるでプラトンの「洞窟の寓話」みたいだ。男性優位にもとづいた家父長的な観念の数々が何千年ものあいだ女性の経験をかたちづくってきたために、その外でシスターフッドを概念化することは難しいし、ましてそれを定義することは難しい。
 いずれにせよ私は、フェミニズムがこんにち辿りついている地点を疑わしく思っている。いうまでもないことだが、たとえば日本とアメリカのあいだにある社会的・文化的なニュアンスの違いは、結果として女性の行為についての異なる基準を生みだすことになる——つまりジュディス・バトラーが述べたとおり、「ジェンダー[役割の数々]は行為遂行的なものであり[……それらが]行為されるかぎりにおいて実在する*2」ものなのだ。だけどけっきょくのところいま、ニューヨークから東京まで、誰もが同じ経験をしている。つまりいま現在のフェミニズムのなかでは、女性にたいする抑圧のメカニズムそのものが、私たちをエンパワーするための鍵としてブランド化されてしまっているのである。 
 とはいえ、10年たらず前まで、フェミニズムは刺激的な危険地帯に身を置いていた。#Metooの示した展望のあとで、いったい私たちは、どうしてこんなところに辿りついてしまったのだろうか?
 そのピークにおいて#Metooは、——そもそも女を支配し沈黙させる性質をもつ家父長的な管理が、原初的なかたちをとってあらわれたものである——性的暴行の証言とともに、有名無名を問わない女たちを公の場へと連れだした。2000年代初頭にこの運動を開始したとされるタラナ・バークの言葉を引用するなら、「”Me too”はたった二語で十分だった。(……)暴力は暴力である。トラウマはトラウマだ。だけど私たちはそれを軽んじるように教えこまれ、子供の遊びのようなものだと考えるようにさえ教えこまれている」
 だけどミュージシャンたち——つまり明確に社会のサウンドスケープを形成している者たち——は、2010年代なかばの絶頂期のさなかで、奇妙なほど沈黙したままだった。とはいえ、少数の女性たちが名乗り出たことは賞賛されるべきだろう。なかでもとくに挙げられるのは、虐待を受けたマネージャーにたいする10年以上に及ぶ訴訟につい最近決着をつけたばかりのケシャや、レディー・ガガビョークテイラー・スイフトなどの名前だ。とはいえしかし、こんにちのフェミニズムをより生産的な方向へと導きうる道しるべは、まさにいま現在ポップ・ミュージックのなかに身を置いている女性たちをより深く掘り下げてみることによって与えられる。

もうひとつの“F”ワード
——いったいいま誰がフェミニストになることを望んでいるのか?

 スキャンダラスな——いやむしろ虐待的な——男性ミュージシャンたちは、実質的にひとつの原型になっている。長い間彼らには、その行動にたいするフリーパスが与えられてきたのだ。マイケル・ジャクソンは金目当ての子供たちに性的虐待なんかしていない。たしかにデイヴィッド・ボウイは14才の「グルーピーの子供」とセックスしたが、彼女は自分からその状況を招いたのだ。だとしても、ではあの悪名高いレッド・ツェッペリンのサメ事件はどうなのか? いずれにせよいつも、「男ってのは困ったもんだ」で済まされるのだ。カニエ・ウエストでさえ擁護者を抱えている。YouTubeのコメント欄をざっと見てみると、敬虔なイーザス信者の軍勢がいることが見えてくる。なかでもとくに、以下のような悲痛なコメントは、こちらをノスタルジーというボディーブローで連打してくる。「カニエは『Graduation』を作った。『Graduation』を作った。『Graduation』を作ったんだ!」*3
 どうやら男たちの場合、アーティストと彼の作るアートは、つねに切り離すことが可能らしい。
 だがしかし、女たちの場合はどうだろう?
 人類学者のルース・ベハーは『Women Writing Culture』において、あえて発言する女たちに突きつけられる期待をあきらかにしながら、「女たちが書くとき、世界は見張っている*4」と警句めかして書いている。女性ミュージシャンたちもまた、その発言にかんして——文字どおりそれを注視するような——同様の圧力に直面している。よく知られているとおりだが、シネイド・オコナーが教皇の写真を破った直後にキャンセルされたことを思いだしておこう。より最近の例として、ラッパーのアジーリア・バンクスは、楽曲よりもそのスキャンダルで有名になっている。また誰もが覚えているとおり日本では、AKB48のメンバーが、ボーイフレンドと夜を共にするというとんでもない犯罪——嗚呼!——を犯したために、頭を丸め、公に謝罪したのだった。
 悲しいことに#Metooは、たった数年で頓挫しだしたが、おそらくそれは、不幸にも性的暴行とコミュニケーション不足が結びつけられていったからだろう。2022年になるとハリウッドは、配偶者からの虐待を主張して彼の「名誉を毀損」した元妻アンバー・ハードとの訴訟に勝ったジョニー・デップを、やさしく諸手を広げて受け入れた。#Metooのあとで、私たちに伝えられているメッセージはこれまで以上にはっきりしたものになった。私たち女は、火あぶりにならないよう目立つようなことはしないのが一番なのだ。
 当初は#Metooや、ジョー・バイデンにたいする性的暴行の申し立てを支持していたレディーガガが、にもかかわらず大統領就任式で歌うことになったのは、きっとそうした圧力があったからなのだろう。だがこのことはむしろ、アメリカの(そして他の後期資本主義社会の)政治が激しく分岐していることの証明なのかもしれない。「すべての女たちを信じる」[#Metoo運動のなかで生まれたスローガン”Belive women”の派生系。ハラスメントや暴行の申し立てをまずは信じることを主張する]——なるほどね、だけどそうすることが政治的に不都合じゃないかぎり、でしょ?
 またおそらく——以前は自身がフェミニストであることを宣言する光り輝く巨大な電飾の前でパフォーマンスをしていた——ビヨンセが、女性問題にたいする公然としたサポートをやめたのは、#Metooのあとで、もはや社会の同意が得られなくなったからなのだろう。
 あるいはまた、おそらくこのことは、あの業界の寵児について、そう、テイラー・スウィフトその人について説明するものでもあるはずだ。私は自分が「スウィフティー[Swiftie:スウィフトのファンの通称]」だとは思わないし、スフィフトが——フェミニスト的な立場を主張していたのに——カニエ・ウエストの「Famous」のなかの悪名高い歌詞(自分とスウィフトは「まだセックスしてるかもしれない」というもの)を[発表前に知っていながら]知らないふりをしていたことを、[カニエの元妻の]キム・カーダシアンが暴露したときは、真剣に眉をひそめもした。しかしキャリアがスタートに見られたコンプライアンスを重視するその公的な人格は、結果として彼女のファン層(とその経済的自由)を築きあげ、そして最終的には、いまいる場所まで彼女を辿りつかせることになった。こうして彼女はいま、倫理的な理由でSpotifyから楽曲を取り下げたり、最初の6枚のアルバムを自身のアーティストとしてのヴィジョンに合うように再録したり、摂食障害について率直に語ったりしているわけである。
 だからこそ、キム・カーダシアンには[SNS上で]すぐに捕まったとはいえ、スポットライトの外で一年を過ごしたすえに18キロも痩せて帰ってきながら、歴史に残るカムバック・アルバム『Reputation』であからさまに中指を突き立て、次のように歌っていた頃のテイラー・スウィフトこそが、私は大好きなのだ。「私は誰も信じないし、誰も私を信じない。私はあなたの悪夢の主演女優になってやる」  あれこそが最高(バッドアス)だった。

女の性の力

 #Metoo以降、他に何が起きたのかを考えてみよう。グローバル経済は着実に下降している。アメリカ人たちは2008年の破綻以降いまだにふらついたままだ。一方で日本では、バブル崩壊以後の終わりのない不況が、長い戦後史上でも最低の円安を招いている。またコロナ禍以降、インフレによって貧富を分けるうんざりするような隔たりが世界中で広がっている。
 苦境にあえぐ経済は、同じ立場で男が1ドル稼ぐあいだ、こんにちにいたってもいまだに77セントしか稼げていない女たちにとって、とくに深刻な含意をもっている。そうした状況がある以上、セックス・ワークが——なかでもOnlyfans[ファンクラブ型のSNS]のような界隈のなかや、「シュガー・ベイビーズ」というかたちでおこなわれるそれが——これまで以上に魅力的なものに見えているのも当然だといえる。『Harper’s Bazaar』誌でさえもが、カーディ・Bがストリッパーだったことを梃子にして登りつめたことを「シンデレラ・ストーリー」だと表現するくらいだ。
 「WAP」で共演しているメーガン・ザ・スタリオンは自身のリリックのなかで、ごくシンプルに、「この濡れたマンコにキスしたいなら学費を払ってよ」と歌っている。
 カーディ・Bのブランドになっている、いわゆる「売女ラップ[slut rap]」の土台には、当時としては革命的だった1990年代の遺産が横たわっている。リル・キムの“How Many Kicks”やキアの“My Neck, My Back (Lick It)”といった曲が、その当時のヒップホップの場を地ならしし、女たちも、異性をモノのように扱うことで悪名高い男たち——私がここで思い浮かべているのはスヌープ・ドッグの“Bitches Ain’t Shit”やジェイ・Zの“Big Pimpin’”のような曲だ——に肩を並べることができるようにしたのは疑いないことだ。
 だがけっきょくのところ売女ラップは、男性の眼差し(メイルゲイズ)からの持続的な解放にはいたらなかったと言えるのではないだろうか? 私は何もここで、女性のセクシュアリティや、「世界最古の職業」(このこと自体、女の「選択」よりも男の欲望の方が優先されてきたことの例だが)を侮辱しようというつもりはない。そうではなく——とくに女性のセクシュアリティの表象がどんどんと男性の眼差し(メイルゲイズ)におもねったものになっている状況のなかにおいて——こんにちのフェミニズムが、そうした選択は女性たちをエンパワーするものだと主張していることに疑問を投げかけたいのだ。もちろん、少なくともエルヴィス以来ずっと、ポップスターたちは自身のセクシュアリティを資本化してきたわけだが、ガールパワーを伝えるものだったローリン・ヒルの“Doo-Wop (That Thing)”やシャナイア・トゥエインの“Any Man of Mine”、ノー・ダウトの“Just a Girl”といった90年代のヒット曲は、“WAP”を隣に置かれると、まったくもって禁欲的なものに見えるてくる。
 つまり私たちのもとにはいま、男性ミュージシャンにたいして、何でもいいがたとえば、「バカなことするのはやめて」と頼みこむ代わりに、その先には袋小路しかない「性的エンパワーメント」なるものへと向かう道をどんどんと突き進んでいく女性のポップスターたち——しかも男性プロデューサーからなるチームに指導された*5女性ポップスターたち——がいるのだ。ドレイクが自身[と21サヴェージ]のアルバム『Her Loss』のなかでフェミニズムに言及しているのは、よく言えば自分で自分に鞭を打っているようなものだが——ああ、クソッ、俺は悪いビッチたちに惑わされた善人だ、というわけである——、悪く言えば人を侮辱するたぐいのものだ。「お前らのために50万ドル遣ってやるぜビッチ、おれはフェミニストだ」といったリリックによってドレイクは、男性の眼差し(メイルゲイズ)の外に自分たちのための価値を見いだそうとしてもがく女たちを嘲笑っている。だがそのことと、“WAP”の待望された続編である“Bongos”——そのMVのなかでは、Tバックを履いた二人のラッパーがセックスの真似をしながら、「ビッチ、私はお金そのものみたいにイケてる/私の顔をドル札を印刷したっていい/太鼓みたいにコイツを叩いてみたらどう?」とラップしている——とのあいだに違いがあるとした場合、けっきょくのところそれは、後者においては、女が主導権を握っているという点に求められることになるだろうか?
 たしかに、ポン引きに食い物にされるより、自分自身がポン引きになる方がいいだろうが、だが真剣に考えてみてほしい、はたしてそれだけが私たちの選択肢だといえるのだろうか?
 #Metoo以降メディアがどう変わったか(あるいは変わっていないか)を見ていると、私たちは完全に論点を見失っているのではないかと思えてくる。言っておくが、私はカーディ・Bのメディア上での人格が好きだ。彼女はクレバーでふてぶてしく、現代にとって決定的なものである経済的な戦いも上手くこなしている。彼女もまた最高(バッドアス)だ。だから我がシスターたちの一部とは違った考えをもっていることになるかもしれないが、とはいえ私は、ファミニズムを苦しめる内輪揉めに加わるつもりはまったくない(また平等を求めるその他の運動に加わるつもりもまったくない——この点については、次のように書くなかでシモーヌ・ド・ボーヴォワールが見事に要約しているとおりだ。「女たちの翼は切り取られている、その上で彼女は、飛び方を知らないといって責められる*6」)。プラトンの寓話の洞窟に捕らえられたあの魂のように、私たちにとって真の平等を概念化することは難しい。
 だけど、ねえ(メン)*7——カーディ・Bがあの素晴らしい声を何か他のことを言うために使ったとしたらどう思う? 
 けっきょくのところ性的暴行とは、不平等にもとづくより広範なシステムの悲劇的なあらわれなのであり、このシステムにおいて女たちは、男の期待によって拘束されつづけている。男たちに私たちの価値を定義するように頼っているかぎり、私たちの価値はあくまで、特定の(セックス)にかかっていることになる。つまり、男の喜びに向けて調整された(セックス)に。
 だがひどいセックスと同じで、そんなことはただ退屈なだけだ。

【プロフィール】
ジリアン・マーシャル/Jillian Marshall

ジリアン・マーシャル博士は、現在ニューヨークを拠点に活動しているライター、教育者、ミュージシャン。初の著作『JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes』 (Three Rooms Press: 2022)は、日本の伝統音楽、ポピュラー音楽、アンダーグラウンド音楽にたいする民族音楽的研究にもとづき、大学と公共圏を架橋している。博士号取得後にアカデミアを去ったが、その理由のひとつは、同僚たちからその半分もまともに受け取れないのに、彼らの二倍も努力するのに嫌気がさしたからである。https://wynndaquarius.net/

◆注

  • 1 [訳注:原題にある”hot take”とは、大方の予想とは異なる見方を強く示すことで、受け手の積極的な反応を引き出す一種のレトリックのこと。もともとはスポーツ・ジャーナリズムで用いられた言葉だが、SNS上で一般化した。日本語の語感としては「逆張り」にも近いが、もっぱらネガティヴな面が強調されてしまう点で本稿のもつ自覚的な戦略性にはそぐわないため、ここでは、カナによる音写で多義性を残しつつ、直訳的に訳した]
  • 2 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 3 はぁ。冗談ではなく私は、本当に昔のカニエが恋しい。
  • 4 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 5 カーディ・Bとメーガン・ザ・スタリオンは、自分たち以外の6人と作詞のクレジットを共有している——そのいずれもが男性だ。
  • 6 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.
  • 7 [訳注:英語では、性差を問わず誰かに呼びかけるさいの言葉として”man”が用いられるが、ここではそのことが、言語そのものに刻まれた男性優位の例として強調されている。]

なお、本コラムの第二回目(2010年代のカニエ・ウェスト)は、年末号のエレキングに掲載される。

Musicological Hot Take: Pop Music Post-#MeToo By Jillian Marshall, PhD

It’s like Plato’s “Allegory of the Cave": because patriarchal notions of male superiority have shaped the female experience for millennia, it’s hard to conceptualize —let alone define — womanhood outside of it.
Nevertheless, I find myself wondering about where feminism has ended up today. Of course, socio-cultural nuances between, say, Japan and the US create different standards of the feminine performance — and, as Judith Butler wrote, “Gender [roles] are performative… and are real only to the extent that [they] are performed.”*1 But in the end, it’s the same story from New York to Tokyo: in contemporary feminism, the mechanisms of women’s oppression are now branded as the keys to our empowerment.
Yet not even ten years ago, feminism was perched at an exciting precipice. So, how did we end up here after the promise of #Metoo?
At its peak, #MeToo brought forward women of both stature and obscurity with stories of sexual assault: a primary manifestation of patriarchal control that, by its nature, dominates and silences women. Quoting Tarana Burke, who is credited with starting the movement in the early 2000s, “‘Me too’ was just two words… Violence is violence. Trauma is trauma. And we are taught to downplay it, even think about it as chid’s play.”
Yet musicians — those who explicitly shape society’s soundscape— remained curiously silent during #MeToo’s height in the mid-2010s. Perhaps it should be celebrated that only a handful of women came forward with stories: notably KE$HA, who only recently settled a decade-plus lawsuit against her abusive manager, as well as Lady Gaga, Bjork, and Taylor Swift. But a deeper inquiry into women in pop music today provides a roadmap that could guide contemporary feminism toward a more productive direction.

The Other “F” Word: Who Wants to Be a Feminist, Anyway?

Scandalous — nay, abusive — male musicians are practically an archetype, and they’ve long been awarded free passes on their behavior. Michael Jackson didn’t sexually abuse those gold-digging children. Sure, David Bowie had sex with a fourteen-year-old “baby groupie,” but she put herself in that position. And that infamous shark incident with Led Zeppelin? Well, boys will be boys. Even Kanye West has his apologists: a quick look at YouTube comments reveals legions of faithful Yeezus devotees. One lament in particular hits me with a nostalgic gut punch: “He made Graduation. He made Graduation. He made Graduation!” *2
With men, we can always seem to separate the art from the artist.
But women?
In Women Writing Culture, anthropologist Ruth Behar quipped that “When women write, the world watches,”*3 articulating the expectations thrusted upon women who dare speak up. Female musicians face similar pressures regarding their voices— literally. Consider how Sinead O’Connor was famously cancelled for ripping up a photo of the Pope before cancellation itself. More recently, rapper Azalea Banks is more famous for her scandals than her songs. And in Japan, we all remember when the AKB48 member who shaved her head and publicly apologized for the egregious crime of — gasp! — spending the night with her boyfriend.
Sadly, #MeToo began fizzling out just a few years in, perhaps due to unfortunate conflations of sexual assault with poor communication. By 2022, Hollywood opened its loving arms to Johnny Depp following his victorious lawsuit against ex-wife Amber Heard, who “defamed” him with claims of spousal abuse. Post #MeToo, the message is clearer than ever: we women best stay in line, lest we burn at the stake.
So maybe this explicit pressure explains how Lady Gaga, despite her initial support for #MeToo and the sexual assault against allegations against Joe Biden, sang at his 2021 presidential inauguration ceremony. But this might be more of a testament to the bitter bifurcation of American (and other late-capitalist societal) politics. “Believe all women”— unless it’s politically inconvenient to do so, right?
And maybe Beyonce— who once performed in front of that giant, glowing sign declaring herself a FEMINIST — dropped her overt support of women’s issues because, post-#MeToo, societal permission was no longer granted.
Or maybe this all explains the industry’s darling: yes, Taylor Swift herself. Now, I’m not exactly a “Swiftie,” and I raised a serious eyebrow when Kim Kardashian revealed that she feigned ignorance — while claiming a feminist stance, no less — regarding Kanye West’s infamous lyric about how he and she “might still have sex” in his song “Famous.” But Swift’s compliant public persona at the start of her career is what built up her fan base (and financial freedom) to ultimately arrive where she is now: pulling her catalog from Spotify for ethical reasons, re-recording her first six albums to fit her artistic vision, and speaking candidly about her eating disorder.
And though Kim Kardashian caught her red-handed, I love that Taylor Swift came back forty pounds healthier and a year out of the spotlight later, middle fingers blazing on a come-back album for the ages, Reputation, singing: “I don’t trust nobody and nobody trusts me. I’ll be the actress starring in your bad dreams.” Badass.

The Power of Female Sex

Let’s consider what else has happened since #MeToo: the steady downturn of the global economy. Americans are still reeling from the crash of 2008; meanwhile, an endless post-Bubble recession in Japan has weakened the yen to its lowest value in the long postwar. And since coronavirus, inflation cleaves a disheartening chasm across the globe between the rich and poor.
The implications of a struggling economy are particularly grave for women who, to this day, still earn just 77 cents for every dollar made by men in identical positions. So it makes sense that sex work, especially in spheres like OnlyFans or as “sugar babies,” holds seemingly more appeal than ever. Cardi B’s upward mobility, leveraged by stripping, is even described by Harper’s Bazaar as a “Cinderella Story.”
“WAP”-collaborator Megan Thee Stallion puts it succinctly with her line, “Pay my tuition just to kiss me on this wet ass pussy.”
Cardi B’s brand of so-called “slut rap” builds on a legacy from the 1990s that was revolutionary for its time. There’s no doubt that Lil Kim’s “How Many Kicks” and Khia’s “My Neck, My Back (Lick It)” leveled the hip-hop playing field for a time, enabling women to keep up with boys notorious for their objectification of the opposite sex (Snoop Dawg’s “Bitches Ain’t Shit” comes to mind, along with Jay-Z’s “Big Pimpin’”).
But can we finally admit that slut rap didn’t impart lasting liberation from the Male Gaze? I don’t mean to shame female sexuality or the “world’s oldest profession” (itself a commentary on the prioritization of male desire more than female “choice”), but to question contemporary feminism’s insistence this choice is inherently empowering— particularly as representations of women’s sexuality increasingly pander to the Male Gaze. Of course, pop stars since at least as far back as Elvis have capitalized on their sexuality, but the 90s girl-power messaging of Lauryn Hill’s “Doo-Wop (That Thing),” Shania Twain’s “Any Man of Mine,” or No Doubt’s “Just a Girl” appear downright puritanical next to “WAP.”
So rather than imploring male musicians to, I don’t know, stop being assholes, instead we have female pop stars — coached by a team of male producers*4 — marching further down a dead-end road toward “sexual empowerment.” We can all agree that Drake’s nods to feminism on his album Her Loss, is self-flaggelating at best — aw, shucks, just a good guy led astray by bad bitches — and insulting at worst. With lyrics like “I blow half a million on you hoes, I’m a feminist,” Drake makes a mockery of women’s struggle to find worth for themselves outside the Male Gaze. But when the purported difference between this and “WAP”’s much-anticipated follow-up, “Bongos” — whose video features the two rappers in thongs, simulating sex, rapping “Bitch, I look like money / You could print my face on a dollar / Better beat this shit like a drum?” — is that, here, the women are in control?
Sure, I suppose being your own pimp is better than being pimped, but seriously: these are the options?
Seeing how things have (or haven’t) changed in media since #MeToo leaves me wondering if we’ve missed the point altogether. For the record, I like Cardi B’s media personality: she’s clever, unapologetic, and in tune with the economic struggles definitive of our times. She, too, is a badass, so while I might have differing ideas on feminism from some of my sisters, I’ll never participate in the infighting that plagues feminism (and any other movement for equality_, which Simone de Beauvoir eloquently summed up when she wrote, “Women’s wings are clipped, and then she’s blamed for not knowing how to fly.”*5 Like those souls trapped in Plato’s allegorical cave, it’s hard for us ladies to conceptualize true equality.
But man — can you imagine if Cardi B used that incredible voice of hers to say something else? Ultimately, sexual assault is a tragic symptom of a broader system of inequality, where women are imprisoned by male expectation. When we look to men — themselves increasingly socialized by pornography and violence — to define our value, our worth hinges upon a particular kind of sex: one geared toward male pleasure. Like bad sex itself, it’s all just so boring.

  • 1 Judith Butler, “Performative Acts and Gender Constitution: An Essay in Phenomenology and Feminist Theory,” in Performing Feminisms: Feminist Critical Theory and Theatre, ed. Sue-Ellen Case (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1990), 278.
  • 2 Sigh. I really do miss the Old Kanye.
  • 3 Ruth Behar, Women Writing Culture, ed. Ruth Behar and Deborah Gordon (Berkeley: university of California Press, 1995), 32.
  • 4 Cardi B and Megan Thee Stallion share writing credits on “Bongos” with six others— all men.
  • 5 Simone de Beauvoir, The Second Sex (New York: Vintage, 1989), 250.

Author Bio

Jillian Marshall, PhD, is a writer, educator, and musician currently based in Brooklyn New York. Her first book, JAPANTHEM: Counter-Cultural Experiences, Cross-Cultural Remixes (Three Rooms Press: 2022) draws on her ethnomusicological research on Japan’s traditional, popular, underground music worlds, and bridges the university and the public sphere. She left academia following the completion of her doctorate, in part because she was tired of working twice as hard to be taken half as seriously by her colleagues.

Milford Graves With Arthur Doyle & Hugh Glover - ele-king

  森は、不可知の風景であり、深い知識が集積した生態系の謎が散乱しているが、その謎は生態系そのもののみが知り得る。森は、森自体が脈動する惑星で、自らを養い、存在し、再生していくことができる。一方、人間は年齢に関係なく怖がりの赤ん坊であり、真の自由に戸惑い、未知なるものへの不安に尻込みしてしまう。ミルフォード・グレイヴスによるこの黄金の宝に、なぜ「森の子どもたち」というタイトルがつけられたのかを想像してみると、ライナーノーツに書かれているように、グレイヴス自身が所有していた音源のテープは“Pygmy”(ピグミー)とラベリングされ、アルバムの内容とは関係のないオーディオ・ドキュメンタリーが収録されていたが、それは歴史と不安から自由になり、森に放たれた勇敢な子どもたちのみが本当の自由を体験し、知ることができるという意味なのかもしれない。それは形式を捨て去り、厳格な伝統を回避し、未知なる空間へと飛び込むフリー・ジャズ・プレイヤーたちが到達したいと望む種類の自由なのだ。子どもは真のユートピアを提示する隠喩なのである。

 ミルフォード・グレイヴスはレジェンド中のレジェンドだ。そして、地球上でもっとも重要な、忘れられたジャズの伝説である。教授という肩書のほか、心臓の類まれな研究者であり、武道家でもあった。ミルフォードの存在なしに、伝統的なブラック・ミュージックのドラム・スタイルと前衛音楽の間にある橋を乗り越えて理解することはできなかっただろう。ミルフォードなしでは、ドラミングが持つ、心臓の異常に対するヒーリング効果についての有効な研究や関心はほとんどなかったのではないか。ミルフォードなしには、アメリカのライトニング・ボルトや、日本、アメリカ、そしてヨーロッパの、そのほかのノイズ・ジャズ・バンドの存在もなかったかもしれない。ドラムスでの総攻撃をすることが可能で、最初は野蛮なパンクのように聴こえるかもしれないが、ミルフォードの演奏は、黒人の歴史、大陸、そして無数のディアスポラ文化が完全に繋がったものなのだ。今日もなお、彼がドラムをたたくか、カオスのようなヴァースを歌ったとしても、東京からラゴス、ロンドン、ニューヨークまでのクラブにいるあらゆる年齢層の人たちの共感を得られるだろう。世界共通言語のクリエイターであるミルフォードは、はじめこそ静かに活動を開始したが、1964年にニューヨーク・アート・カルテットで、アミリ・バラカと悪名高い『Black Dada Nihilismus』を録音し、歴史に名を刻むような評判を確立した。それ以降、彼はジョン・コルトレーンの葬儀やサン・ラーのレコーディングでジャムをし、セシル・テイラー、ソニー・シャロック、ルー・リード、日本のジャズ・レジェンドの阿部薫、アルバート・アイラ―など、“ジャズの神様”のサークルで演奏するようになり、その後自身のグループで、ミルフォードは『Babi』 や『Nommo』、『Meditation Among Us』などいくつかの正真正銘のジャズの名盤を録音した。日本のオーディエンスなら、偉大なる舞踏家、田中泯とのコラボレーションによる日本ツアーで自閉症の人のための学校や子どもと地元のお年寄りのためのコンサートなどでの演奏を覚えているだろう(YouTubeをチェック!!!)。ミルフォードの美学は、ジャズのみならずほかのジャンルのミュージシャンと比べてもじつに革命的だった。日本の地方の町の神社の舞台で、フリー・ジャズのレコードを買うことなど絶対に想像もできないような地元の高齢者に囲まれて演奏したばかりでなく、聴衆を巻き込んで一緒に演奏し、対話への参加を促したのだ。このようなことができるのは、ごく限られたミュージシャンだけである。

 私がミルフォードを発見したのは90年代。世界でフリー・ジャズが復活した頃で、とくに活動の中心地ニューヨーク・シティでは、伝説的なニッティング・クラブや多数の地元のフェスでも受け入れられ、知られていた。NYCで一番ホットなアーティストのジョン・ゾーンがダウンタウンでフェスをキュレートしたのだが、そのヘッドライナーのひとりで、黒人たちのヒーローである詩人のアミリ・バラカが30年以上ぶりにニューヨーク・アート・カルテットと再会し、舞台に上がることが発表された。これは過剰な宣伝が展開されたギグのひとつだった。『Black Dada Nihilismus』 を読んだ時の記憶が蘇り、逃してはならない公演となった。コンサート自体は猛烈に激しかったが、詩が轟くその先に佇むミルフォード・グレイヴスが注目をさらい、歴史的な結果をもたらした。こうして、私は初めてミルフォードを知った。私の父親と同じ姓を持つ男のことを。

 興味をそそられた私は、数か月後に興奮してミルフォードとゾーンのデュオを観に出かけた。この時期は、ミルフォードの音楽と哲学にとっての再生の時でもあった。80年代と90年代の多くの時期にも忘れられた存在だったが、激しいパフォーマンスと真新しいレコーディングでその名声を取り戻し、「彼はまだやれるのか?」という人々の疑問とのギャップを埋めてみせたのだった。

 ステージ上でのミルフォードは、プログレッシヴなビートのなかに多文化を宿し、やがてその無数のテンポがひとつに融合する。彼の百科事典のようなブラック・ミュージックの歴史、アフロ・キューバン・リズムとネイティヴ・アフリカン・ミュージックについての知識は、彼を神秘主義者のようにみせた。彼は決して単一文化を信仰、実践することはなかった。「彼はまだそんなことできるのか? まだあれを保ち続けているのか?」白髪頭で60歳を過ぎたミルフォードは、ステージ上でたくさんの魔法を呼び覚まし、30分以上、ノンストップのライヴ・セットの終わりに、何度もゾーンを肩車したのだ。その間も、ゾーンはメロディックな叫びを爆発させ続けた。この数年間がミルフォードの最後の美しい旅となった。目撃することができ、それについて彼と話しができたことは私にとって僥倖だった。

 だからこそ、この新しい録音がいかに貴重なものであるかということを否定するべきではない。私が観たのは、長年かけて収穫され、集積した知識の頂点であった一方、『Children of the Forest』は、彼の成熟期のはじめの頃を聴いているかのようだ。

 これらの録音は、猛烈だ。1976年に数か月にわたって行われた個別のセッションが収録されているが、それを受けとめるのには骨が折れる。とくに2023年に生きる私たちの、インスタグラムの5秒間に慣らされたマインドにとっては。悲しくなるほど、注意力が低下しているからだ。したがって、これらのセットの魔法は、歴史的かつ文化的であるというばかりでなく、高次元の力が私たちを内面の傷から救うべく提供してくれる、本物のソノリティ(響き)に耐えるレッスンでもあるのだ。

 ミルフォードは、ニューヨーク・シティという地球上で唯一の、磁石のようなエネルギーを自然に育む場所で、このように輝けるサウンドを提供できる演奏者たちを選んだ。アーサー・ドイルとヒュー・グローヴァーは、新しい音楽の文化と信念が浸透した、最盛期を迎えた男たちだった。絶え間なく疾走するミルフォードが、瞬時にジャンル間を行き来するのに追随し、補完することまで出来た彼らはミルフォードのもっとも有名な代表作のひとつ、『Babi』の録音にも参加した。そのため、この魔法の証拠にさらなるアクセスができるのは……とても刺激的なことだ。彼らのインタープレイの美を解するには、複数回の傾聴と、深い分析と審美眼が問われる。なにせ未来は、フリー・ジャズにとって何年も優しくなることはないからだ。

 ニューヨーク・ジャズ・シーン最盛期の1976年、レーガノミクス、クラック世代、エイズ世代、ヒップホップやヘヴィメタルの誕生など、80年代に突入する4年前に録音された『Children of the Forest』 は、ファイヤー・ジャズ/フリー・ジャズという芸術形式が一般社会での重要性を失いかけた時期を記録したともいえる。フリー・ジャズは60年代から70年代にかけても、常に広い尊敬を集めていたわけではないが、80年代には変化する文化力学により、大きく影を潜めることとなった。消滅こそしなかったものの、ジャズは大きく停滞した。この停滞期のはじめ頃、ミルフォード自身も姿を消した。学者としての活動と、家庭生活の中に行方をくらましたのだった。ドラム・キットを抱えてのツアーという厳しい道程は、ほぼ脇に追いやられた。ミルフォードは、90年代後半にゾーンと出会うまで、ほとんど何も録音することはなかった。入手可能なミルフォードの音源は、両手で数えられるほどだった。この状況をサン・ラーやセシル・テイラーと比べてみると、歴史的な重要性の高さを認識できる。私が最後にミルフォードを訪ねたのは、ジャマイカ郊外とニューヨークのクイーンズの、彼が自らの手で装飾した自宅で、私は録音の少なさを彼に訴えた。すると、彼は、地下室のコンパクトな書斎の片側に、リリースされたばかりのニューヨーク・アート・カルテットのボックス・セットとその他のものが山積みになっている所を指さし、希望を捨てるなと言った。まだほかに控えているものがある、と。幸いなことに、『Children of the Forest』で、私たちには彼の演奏芸術とビートセントリック(ビート中心主義)の世界観への新たな窓が残されている。


Kinnara : Desi La

The forest is an unknowable landscape deep in knowledge and littered with mysteries of ecosystems only the ecosystems themselves understand. The forest to itself is a pulsating planet that feeds itself and knows how to exist and regenerate. Humans on the other hand no matter their age are scared babies hesitant toward real freedom always held back by trepidation of the unknown. If I were to imagine why this golden treasure by Milford Graves were named “Children of the Forest,” besides the linear notes stating the original tape from Graves himself was labeled Pygmy and included unrelated documentary audio of said subject, it might be to say that courageous children released into the forest, free from history and apprehension, only can experience and know true freedom. The type of freedom that free jazz players who discard formality, avoid strict tradition, and dive into unknown spaces are eager to achieve. The child state a metaphor of real utopia.
Milford Graves is a legend above legends. And also one of the most important forgotten jazz legends on Earth. Besides being a professor, heart irregularity researcher and a martial artist. Without Milford, there would be no understanding of the bridges between traditional Black music drum styles and avant garde music. Without Milford, there would be little valid research or interest in the healing properties of drumming toward heart

irregularities. Without Milford, there would be no bands like Lightning Bolt (US) and other noise jazz bands in Japan, the US, and Europe. Capable of creating an all out of assault on drums that might mirror savage punk at first listen, Milford`s playing is a complete connection of Black history, continents and numerous diaspora cultures. Even today were he to drum or sing chaotic verses, it would be relatable to all ages in clubs from Tokyo to Lagos to London to New York. A creator of a universal language, Milford started off quieter but no less historic establishing his reputation with the New York Art Quartet in 1964 recording the infamous cut “Black Dada Nihilismus” with Amiri Baraka. From then on he was always in the “jazz god” circles playing at John Coltrane`s funeral, jamming and recording with Sun Ra, Cecil Taylor, Sonny Sharrock, Lou Reed, Japanese free jazz legend Abe Kaoru, Albert Ayler and then his own groups. Milford recorded several bonafide jazz classics like “Babi”, “Nommo,” and “Meditation Among Us.” Japanese audiences should remember well his collaborations with Japanese dance / acting legend Min Tanaka and their amazing tours around Japan at a school for autism, rural concerts to both kids and elderly locals, and concert stages. (check YOUTUBE!!!!). Milford`s aesthetic was more revolutionary than most musicians jazz or not. In the middle of a rural Japanese town, on a Shinto stage surrounded by elderly locals who would never know to buy a free jazz record, he not only played to the audience but played with them, encouraging them to join in the

dialogue. Few musicians have the language or confidence to do this.
When I discovered Milford, it was the 90`s. Free jazz resurging around the world and especially in its epicenter NYC, was appreciated and celebrated in the many clubs like the legendary Knitting Factory and numerous local festivals. John Zorn was one of the hottest artists in NYC and curated a seaside festival downtown. One of the headliners, Amiri Baraka. A hero poet to all Black people, the announcement that he would take the stage in a 30 year + reunion with the New York Art Quartet was one of the strongest hype gigs going round. Memories of reading “Black Dada Nihilismus” made the date impossible to miss. The concert itself was absolutely blistering but standing out beyond the bellows of poetry was the drummer. Milford Graves took the stage and the results were historic. And so I came to know of Milford for the first time. A man who had the same last name as my father.
Intrigued I excitedly ran to see Milford play in a duo with Zorn months later. This period would become a renaissance for Milford`s music and philosophy. Nearly forgotten in the 80`s and much of the 90`s too, he reclaimed his fame with blistering performances and brand new recordings that filled the gap of “could he still do that?”

On stage, Milford inhabited multi-cultures within a progressive beat that merged numerous tempos in one. His encyclopedic knowledge of black music history, afro- cuban rhythms and native African music as well made him almost a mystic. He was never monocultural in belief or practice. “Could he still do that? Does he still have it?” Milford, gray haired and past his 60`s conjured so much magic on stage and more than once lifted Zorn on his shoulders right at the end of the 30 minute nonstop live set while Zorn would continue blasting his melodic screams. These years would be Milford`s final beautiful journey. One I was blessed to witness and talk to him about.
So it should not be dismissed at how valuable this new recording is. While what I saw was the culmination of years of harvested knowledge, CHILDREN OF THE FOREST, on the other hand is like listening to him at the beginning of his maturity.
The recordings are brutal. Several separate sessions over months in 1976 but still it is a lot to take it. More so now in 2023 because of our 5 sec instagram minds. Our attention spans have incredibly deteriorated. Sadly. Hence the magic of these sets are not only historical or cultural but lessons in patience for the moments that higher powers provide us genuine sonorities to rescue us from our internal injuries.

Milford chose players who could provide these glorious sounds in New York City, the one place on Earth that naturally nurtured this type of magnetic energy. Arthur Doyle and Hugh Glover were men in their prime seeping in the culture and belief of the new music. Able to follow and compliment Milford`s continuous gallop between split second genres. These men would follow Milford in recording one of his most famous works, Babi. So having access to more evidence to the magic is .......so exhilarating.The beauty of their interplay demands multiple listenings and deep analysis and appreciation. Especially because the future would not be kind to free jazz for many years.
Recorded in 1976, at the height of the New York City jazz scene, 4 years before entering the 80`s, Reagonomics, the crack generation, the AIDS generation, the birth of hip hop and heavy metal, CHILDREN OF THE FOREST is a recording of the art form of fire jazz / free jazz at the end of its significance in general society. Free jazz was not always wildly respected in the 60`s or 70`s but in the 80`s it would largely be overshadowed by a shifting cultural dynamic. Jazz didn’t disappear but it did grow largely stagnant. At the beginning of this stagnancy, Milford himself disappeared. Disappeared into scholastic life and family life. The rough road of touring with a drum kit largely cast aside. Milford recorded almost nothing again til meeting with Zorn in the late 90`s. I think I can count the

number of available Milford recordings on 2 hands. Compare this situation to Sun Ra or Cecil Taylor and the gravity of historical importance is huge. When I last visited Milford at his self-styled home in a normal suburb in Jamaica, Queens, New York City, I complained about the lack of recordings available. He pointed to his just released New York Art Quartet box set and a pile of things accumulated in the other end of his compact study basement suggesting don’t give up hope. More is on the way. Luckily with CHILDREN OF THE FOREST we are left another window into the art of his playing and his beatcentric world view.

不屈のペーター・ブロッツマン - ele-king

 何年もの間、ペーター・ブロッツマンの来日は、四季の巡りのように規則的で、晩秋の台風が通り過ぎていくかのように感じられたものだった。彼には、どこか自然で率直なところがあり、それは嵐のように吹き荒れる叫びが、やがては柔和でブルージーな愛撫へと代わるような彼が創りだすサウンドのみならず、その存在自体についていえることだった。セイウチのような口髭、シガーをたしなむその印象的な風貌は人目を引き、無意味なことを許さない生真面目なオーラを纏っていた。ブロッツマンは、侮辱などは一切甘受しなかった。

 6月22日に82歳で死去したドイツのサクソフォン及び木管楽器奏者は、そのキャリアの多くの時間を、無関心とあからさまに辛辣な批評との闘いに費やした。若い頃には、ヨーロッパのジャズ界の伝統的なハーモニーと形式の概念を攻撃して憤慨させ、同時代のアメリカのアルバート・アイラ―やファラオ・サンダーズたちよりも先の未知の世界へと自らの音楽を押し進めた。ドン・チェリーが命名した「マシン・ガン」というニックネームは、1968年に発表したブロッツマンの2枚目のアルバムのタイトルとなり、フリー・ジャズの発展を象徴する記念碑的な作品となった。

 最初は自身の〈BRÖ〉レーベルから300枚限定で発売されたこのアルバムは、ヴェトナム戦争やヨーロッパを揺さぶった大規模な抗議活動など、当時の爆発的な雰囲気の世相を反映していた。アルバムではベルギーのピアニスト、フレッド・ヴァン・ホーフ、オランダのドラマー、ハン・ベニンクやイギリスのサクソフォン奏者エヴァン・パーカーを含む、世界のミュージシャンたちがキャスティングされていたが、『マシン・ガン』は明確にドイツという国の、ナチスについての恥とトラウマという過去を標的にしていたようだ。

 「おそらく、それが、このような音楽のドイツとそのほかのヨーロッパの演奏の響きに違いをもたらしているのかもしれない」とブロッツマンは、亡くなる数週間前の6月初旬にディー・ツァイト紙のインタヴューで語っている。「ドイツの方が常に叫びに近くて、より残忍で攻撃的だ」

 その叫びは、今後何十年にもわたり響き続けるだろう。その一方、彼のフリー・ジャズの同僚たちは、若くして死んだか、年齢とともに円くなっていったのに対し、ブロッツマンは以前と変わらぬ白熱した強度での演奏を続けた。それが彼の健康に相当な負担となり、最後の数十年には、生涯にわたって強く吹き続けたことで、呼吸器に問題を抱えるようになった。2012年のザ・ワイヤー誌のインタヴューでは「4人のテナー・サックス奏者のように響かせたかった……。『マシン・ガン』で目指したことを、いまだに追いかけている」と語っていた。

 そのサウンドは、直感的な反応を引き起こすようなものだった。2010年10月に、ロンドンのOtoカフェで彼のグループ、フル・ブラストを聴きに、彼についての予備知識のない友人を連れていった際、演奏開始の瞬間に彼女が物理的に後ずさりをした光景を思いだす。

 しかし、ブロッツマンの喧嘩っ早い大男という風評は、彼の物語のほんの一部に過ぎない。独学で音楽を始め、最初はディキシーランドやスウィングを演奏し、コールマン・ホーキンスやシドニー・ベシェなどのサクソフォンのパイオニアたちへの敬愛を抱き続けた。それらの影響は、『マシン・ガン』でも聴くことができる。ジャン=バティスト・イリノイ・ジャケーのホンキーなテナーや、初期のルイ・アームストロングの熱いジャズなどもそうだ。その凶暴性とともに、ブロッツマンは抒情的でもあり、スウィングもしていたのだった。

 このことは、背景をそぎ落とした場面での方が敏感に察することができるだろう。有名な例としては、1997年にドイツの黒い森にてベニンクと野外で録音した『Schwarzwaldfahrt』があるが、これは彼の生涯のディスコグラフィの中でももっとも探究的で遊び心のあるアルバムのひとつだ。ブロッツマンのキャリアの後期にペダル・スティール・ギタリストのヘザー・リーと結成した意外性のあるデュオも、多くの美しい瞬間を生み出した。彼の訃報に接し、私が最初に手を伸ばしたのは、このデュオにふさわしいタイトルをもつ2016年のアルバム『Ears Are Filled With Wonder(耳は驚きで満たされる)』 で、彼のもっともロマンティックなところが記録されている。

 ブロッツマンは、文脈を変えながら、自身の銃(マシン・ガン)に忠実でいるという特技を持ち合わせていた。そのキャリアを通して、1970年代のヴァン・ホーフとベニンクとのトリオから2000年代のシカゴ・テンテットなど、多数のグループを率いたが、目標を達成したと感じるとすぐにそこから手を引いてしまうのが常だった。2011年にオーストリアのヴェルスでのアンリミテッド・フェスティヴァルのキュレーションを担当した際には、当時の彼の活動の範囲の広さが瞬時にわかるような展開だった。彼はシカゴ・テンテット、ヘアリー・ボーンズとフル・ブラストとともに登場するだけでなく、日本のピアニストの佐藤允彦からモロッコのグナワの巨匠、マーレム・モフタール・ガニアまで、ヴァラエティに富んだミュージシャンたちとのグループで演奏した。(このフェスのハイライトは、5枚組のコンピレーション『Long Story Short』 に収録されており、最初から最後まで聴覚が活性化されるような体験ができるだろう)。

 ブロッツマンの日本のアーティストたちとのもっとも実りの多い関係が、彼自身と匹敵するぐらい強力なパーソナリティを持つ人たちとのものであったのは、至極当然である。私が思い浮かべるのは、灰野敬二近藤等則、羽野昌二そして坂田明だ。彼はまた、若い世代のマッツ・グスタフソンやパール・ニルセン=ラヴなど、彼のことを先駆者としてお手本としたミュージシャンたちをスパーリング・パートナーに見出した。セッティングがどうであれ、中途半端は許されなかった。

 「ステージに立つというのは、友好的な仕事ではない」と2018年のレッド・ブル・ミュージック・アカデミー・レクチャーで、ブロッツマンは語った。「ステージ上は、たとえ親友と一緒だとしても、闘いの場なのだ。戦って、緊張感を保ち、挑戦し、新しい状況が必要で、それに反応しなくてはならない。それが、音楽を生きたものにするのだと思う」

The indomitable Peter Brötzmannwritten by James Hadfield

For years, Peter Brötzmann’s visits to Japan felt as regular as the seasons, like a late-autumn typhoon rolling through. There was something elemental and earthy about him. It wasn’t just the sound he made – a tempestuous roar that could give way to tender, bluesy caresses – but also his presence. He cut an imposing figure, with his walrus moustache and penchant for cigars, his no-nonsense aura. Brötzmann didn’t take any shit.

The German saxophonist and woodwind player, who died on June 22 at the age of 82, spent much of his career battling against indifference and outright vitriol. As a young man, he scandalised the European jazz establishment with his assaults on traditional notions of harmony and form, pushing even further into the unknown than US contemporaries like Albert Ayler or Pharaoh Sanders. Don Cherry gave him the nickname “machine gun,” which would provide the title for Brötzmann’s 1968 sophomore album, a landmark in the development of free jazz.

Initially released in an edition of just 300 copies on his own BRÖ label, it was an album that captured the explosive atmosphere of the times: the Vietnam War, the mass protests convulsing Europe. Although it featured an international cast of musicians – including Belgian pianist Fred Van Hove, Dutch drummer Han Bennink and British saxophonist Evan Parker – “Machine Gun” also seemed to be taking aim at a specifically German target: the shame and trauma of the country’s Nazi past.

“That’s maybe why the German way of playing this kind of music always sounds a bit different than the music from other parts of Europe,” Brötzmann told Die Zeit, in an interview conducted in early June, just weeks before his death. “It’s always more a kind of scream. More brutal, more aggressive.”

That scream would continue to resound through the decades to come. Whereas many of his free-jazz peers either died young or mellowed with age, Brötzmann kept playing with the same incandescent force. This came at considerable cost to his health: during his final decades, he suffered from respiratory problems that he attributed to a lifetime of overblowing. As he told The Wire in a 2012 interview, “I wanted to sound like four tenor saxophonists... That’s what I was attempting with ‘Machine Gun’ and that’s what I’m still chasing.”

It was a sound that provoked visceral responses. I remember taking an unsuspecting friend to see Brötzmann perform with his group Full Blast at London’s Cafe Oto in 2010, and watching her physically recoil as he started playing.

However, Brötzmann’s reputation as a bruiser was only ever part of the story. A self-taught musician, he had started out playing Dixieland and swing, and he retained a deep love for earlier saxophone pioneers like Coleman Hawkins and Sidney Bechet. These influences are audible even on “Machine Gun”: you can hear the honking tenor of Jean-Baptiste Illinois Jacquet, the hot jazz of early Louis Armstrong. For all his ferocity, Brötzmann was lyrical and swinging too.

This was perhaps easier to appreciate in more stripped-back settings. A notable example is 1977’s “Schwarzwaldfahrt,” recorded al fresco with Bennink in Germany’s Black Forest, and one of the most inquisitive and playful albums in his entire discography. Brötzmann’s late-career duo with pedal steel guitarist Heather Leigh – an unlikely combination – also gave rise to many moments of beauty. When I heard about his passing, the first album I reached for was the duo’s aptly titled 2016 album “Ears Are Filled With Wonder,” which captures him at his most romantic.

Brötzmann had a talent for sticking to his (machine) guns while changing the context. He led many groups during his career, from his 1970s trio with Van Hove and Bennink to his Chicago Tentet during the 2000s, but would typically pull the plug on each of them as soon as he felt they had fulfilled their purpose. When he curated the 2011 edition of the Unlimited festival in Wels, Austria, it provided a snapshot of the extent of his activities at the time. He appeared with the Chicago Tentet, Hairy Bones and Full Blast, but also in a variety of other groupings, with musicians ranging from Japanese pianist Masahiko Satoh to Morocccan gnawa master Maâlem Mokhtar Gania. (Highlights of the festival are compiled on the 5-disc “Long Story Short” compilation, an invigorating listen from start to finish.)

It makes sense that some of Brötzmann’s most fruitful relationships with Japanese artists were with personalities as forceful as his own – I’m thinking of Keiji Haino, Toshinori Kondo, Shoji Hano, Akira Sakata. He also found sparring partners among a younger generation of musicians, such as Mats Gustafsson and Paal Nilssen-Love, who owed much to his trailblazing example. Whatever the setting, there was no excuse for half measures.

“Being on stage is not a friendly business,” he said during a Red Bull Music Academy lecture in 2018. “Being on stage is a fight, even if you stay there with the best friend. But you have to fight... You need tension, you need challenges, you need a new situation, you have to react. And that makes the music alive, I think.”

Jessy Lanza - ele-king

 家から一歩でも外に出ると、ふらふらと倒れそうになる。熱線そのものである日差しがあまりにも暑く、熱く、痛い。
 2023年、日本の7月は、観測史上最高の暑さになったという。昨日、東京のある巨大ターミナル駅に仕事で行ったとき、エスカレーター付近でスーツ姿の初老の男性が気を失って倒れており、警察官などがその人を囲っていた。「気候変動の被害者だ……」と思ってしまった。
 とはいえ、「酷暑」という言葉以上にふさわしい表現が見当たらない今夏においても、この夏の暑さを音楽とともに楽しもうじゃないか、と誘ってくるレコードがある。享楽的なダンス・トラックも、涼やかで内向きなチルアウトも収められているジェシー・ランザの4作め、3年ぶりのニュー・アルバム『Love Hallucination』だ。特に今回は、あまりにもオプティミスティックな椰子の木のカヴァー・アートが物語るとおりの楽しいレコードである。ジェシーが移り住んだLAは、東京よりは過ごしやすいのだろうか。

 クラブにはあまり行かない、クラブ・カルチャーがルーツというわけではない、メロディのあるダンス・ミュージックが好き、とはこのアルバムについて本誌のインタヴューで語っていたこと。個人的にすごく共感してしまったのだけれど、それはともかくとして、彼女のそういう個性は、『Love Hallucination』の雑食性と、あくまでもレフトフィールドには振り切れないポジティヴなポップ・ヴァイブに表れている。
 ジェシーの雑食性については、いまに始まったことではないものの、1曲めの “Don’t Leave Me Now” がハウスで、次の “Midnight Ontario” がUKガラージ/2ステップ調で……という取り留めのなさに明らかだ。『Love Hallucination』と同時期に制作していたという『DJ-Kicks: Jessy Lanza』(2021年)にしたって、自作のフットワークである “Guess What” から、ちょっとスピリチュアルなムードでスタートする。ジェシーのパレットは常にカラフルかつ賑やかで、彼女はそこからお気に入りのビートやテクスチャーを選び取り、それを煌びやかなダンス・ポップに仕立て上げてみせるのだ。野田努編集長は以前、これについて「ポストモダン的感性」と評していたが(https://www.ele-king.net/interviews/007776/)、つまりはなんでもありなのである。
 とはいえ、その手つきは、『Pull My Hair Back』(2013年)や『Oh No』(2015年)など、かなりローファイでベッドルーム的だった初期の作品に比べると、ずいぶん洗練されている。前作の『All the Time』(2020年)と比較してみても、特にアルバムの心躍る前半部はもっとダンス・オリエンティドで、なおかつ朗らかでわかりやすいメロディ志向になった。たとえば、同時期にリリースされたジョージアの『Euphoric』やカーリー・レイ・ジェプセンの『The Loveliest Time』といった優れたダンス・ポップ・アルバムと並べて聴いてみても、『Love Hallucination』の華やかな力強さが感じられるだろう。

 アルバムからのファースト・シングルだった “Don’t Leave Me Now” は、楽天的なムードに貫かれた、アッパーなハウスだ。プロダクションはシンプルではなく、練りこまれている。速いテンポで打ちこまれるキック、聴き手を急き立てるようなパーカッションとドラム・マシーンのビートにのせて、ジェシーは狂おしいR&Bヴォーカルを披露し、ファルセットで天上へと突き抜けていく。
 続く “Midnight Ontario” は、世界を席巻中の NewJeans から、密かに盛り上がっているNYCガラージまで、UKガラージ/2ステップがちょっとしたリヴァイヴァルを起こしていることとの共振を感じさせる。この曲をジェシーとともに手がけているのはジャック・グリーンで、〈LuckyMe〉を拠点に〈Night Slugs〉や〈UNO〉からも作品を発表した経験がありつつ、R&Bヴォーカルの扱いにも長けている彼の手腕が発揮されていると言えるだろう。ピアソン・サウンド=デイヴィッド・ケネディが要所要所に参加していることもあって、『Love Hallucination』は、米国と英国の地下を繋げて歌ったダンス・ポップ・レコードだと言うこともできそうだ。
 LPからのラスト・シングルになった、テンスネイクことマルコ・ニメルスキーとの “Limbo” は、初期ヒップホップを思わせるエレクトロ・ファンク。と、ここまでジェシーは、あっちに行ったりこっちに行ったりと、忙しない。

 一方、ジャム・シティを思わせるUKベース的な “Big Pink Rose” やデトロイト・テクノっぽいムードを纏った “Drive” などが構成する中盤からは、踊りやすさやメロディを志向するというよりは実験に寄っていき、耳への刺激は驚きが心地よさを上回る。ここではヴォーカルも、トラックを織りなす素材の一部のような扱われかたである。細野晴臣風のエキゾティシズムが横溢した浮遊感たっぷりの “I Hate Myself”(ジェシーはYMOのファンでもある)は、リリックとの落差もあって、なかなかユニークだ。
 ダニー・ブラウンやオボンジェイアーなどとのコラボレーションでも知られるポール・ホワイトと初めて制作した “Marathon” は、「クリスタル」と形容したい80年代的な雰囲気が濃厚である。サックス・ソロやシンセサイザーの音色は、手前の “Gossamer” と次のクローザー “Double Time” と結びついて、多分にニューエイジ風で瞑想的。このあたりからはLAの風土や文化が薫ってくる気がするし、それはジェシーの初期のレコードや彼女が好むR&Bとの接続が立ち上がってくる面でもある。

 『Love Hallucination』の印象を決定づけ、新鮮なイメージを聴き手に植えつけるのは、見事なシングルを立て続けに叩きつける冒頭の鮮烈な3曲である。「このアルバムで『信頼』と『脆弱さ』というテーマを描いてみた」とジェシーが語っていることを踏まえると、ポップで踊れる挑戦的な前半部は彼女から他者(新たに手を組んだプロデューサーたち)への「信頼」を、次第に実験的かつ内省的になっていく中盤以降は彼女自身の「脆弱さ」を表しているのではないだろうか。
 このアルバムは、エアコンが効いた部屋で聴いてもいいし、手元のデヴァイスにダウンロードして外で聴いてもいい。ただ、「外で」とはいっても、人命が危機にさらされそうな8月の日本の日中よりは、シングルの “Don’t Leave Me Now” のカヴァー・アートのような、涼しくなってきた夕方に水分を補給しつつ、適度に涼みながら、という条件つきではあるものの……。

interview with Jessy Lanza - ele-king

 2010年代に登場してきたエレクトロニック系のアーティストのなかでも、ジェシー・ランザは独自のポジションを築いてきた。〈Hyperdub〉のなかではかなりポップな立ち位置だけれど、メジャーの豪華なサウンドやハイパーポップの過剰さとは相容れない。折衷的で冒険心はあるもののけっして前衛主義というわけでもない。R&Bを基調としたその親しみやすいシンセ・ポップ・サウンドは、ヴォーカル面でよく比較されるFKA・トゥイッグスケレラとも大きく異なっている。意外と、彼女に似ているアーティストっていないんじゃないだろうか。

 カナダ出身、現在はLAに居を構えるジェシー・ランザ通算4枚目のアルバム『Love Hallucination(愛の幻覚)』は、ハウス・ビートの “Don't Leave Me Now” で幕を開ける。ご機嫌な曲調とは裏腹に、車に轢かれかけ広場恐怖症になった経験から生まれたというこの曲につづくのは、2ステップ調の “Midnight Ontario” に軽快なエレクトロの “Limbo”。どれもからだを揺らしたくなる曲だ。静かなアンビエントR&B的側面も有していたファースト『Pull My Hair Back』(2013)以降、『Oh No』(2016)、『All The Time』(2020)と徐々にダンサブルな要素を増やしていった彼女だけれど、持ち前のはかなげなヴォーカルとシンセ・ポップ・サウンドはそのままに、新作序盤では身体性への欲望がひとつの壁を超えたような印象を受ける。
 おそらく同時並行で『DJ-Kicks』(2021)を制作していたことが影響しているのだろう。プレイするトラックに自身のヴォーカルを載せていくスタイルはケレラのミックスとおなじだが、こちらはテクノ~ハウスが軸で、ジェシー・ランザのなかのアグレッシヴな一面が展開された作品といえる(レーベルメイトのロレイン・ジェイムズとの共作曲も収録)。パンデミック中~直後におけるフロアへの渇望を表現したかのような同ミックスの余波は、確実に今回の新作にも及んでいる(じっさいはクラブにはそんなに行かないらしいが)。

 べつの意味でも序盤の3曲は重要だ。2曲目は〈LuckyMe〉のジャック・グリーンとの、3曲目はテンスネイク名義で知られるドイツのハウスDJマルコ・ニメルスキーとの共同プロデュース作品であり、また、これら3曲すべてにポスト・ダブステップ期における重要人物のひとり、ピアソン・サウンドことデイヴィッド・ケネディが参加している。これは彼女のキャリアにおける画期といっていいだろう。というのも、従来彼女がジェレミー・グリーンスパン(ジュニア・ボーイズ)以外のプロデューサーをアルバムに起用したことはなかったからだ。
 テーマは信頼だという。阿吽の呼吸というわけにはいかない未知の他人と共同作業をやっていくには、たしかに、相手を信頼しておく必要がある。おなじく初めてのプロデューサー、ポール・ホワイトを迎えた “Marathon” ではひとりよがりのセックスが歌われている。他者の存在について考えることを促す歌詞だし、そもそも今回の新作はほかのひとに提供するためにつくられた曲たちがもとになっているのだ。だから「愛の幻覚」なるタイトルはたんに恋愛関係にとどまらず、広く人間同士の関係をあらわしているとも解釈できる。その点でも本作は、多くの人びとが孤独に浸ったパンデミック以降の感覚を体現する作品といえるだろう。

 もちろん、勝手知ったるグリーンスパンとのコンビもいい成果を残している。個人的には、ちょっとだけドレクシアジ・アザー・ピープル・プレイスを想起させる “Drive” にぐっときた。これまでもフットワークやYMOなどさまざまな音楽を貪欲に参照してきたジェシー・ランザ。その好奇心はいまなお健在のようだ。

このアルバムのテーマのひとつが「信じる」ということだった。自分以外の人たちを信頼する、ということ。

お住まいは現在もシリコンヴァレーですか?

JL:いいえ。いまはロサンゼルスに住んでいる。いまはちょうどカナダで家族と過ごしているところなんだけど。パンデミックの期間中はシリコンヴァレーに住んでいて、その後ロサンゼルスに引っ越した。

シリコンヴァレーはITの街のイメージがありますが、音楽カルチャー的にはどのような場所なのでしょう?

JL:そう、そのイメージが強いと思う。リンジー・バッキンガムのようなシリコンヴァレー出身のアーティストはいるけど、音楽シーンがあるという感じではないかな。とくにいまは大きな動きはないと思う。

パンデミックの年に出た『All The Time』以来3年ぶりのアルバムですね。パンデミック以降のこの3年、どのように過ごされていましたか?

JL:まずはロサンゼルスに引っ越したことが大きかった。前作が出たあと、ツアーにも出られなかったから、それ以外は本当に何もしていなかった気がする。じつはそのころグリーンカードが下りるのを待っていたから、国外に出ることもできなかったのよ。グリーンカードを待っている間に、『Love Hallucination』のほとんどの曲を書き上げて。そういう意味では充実した時間だった。普段はライヴをやったり、旅をしたり、家族に会いに行ったり、なかなかじっくり曲づくりに向き合う時間がないから。

ロサンゼルスに引っ越されたのは何か理由があったんでしょうか。

JL:主人の家族がサンフランシスコにいるからわたしたちもシリコンヴァレーに住んでいたんだけど、IT関係の仕事をしていなければあまり住む意味がない場所だった。ロサンゼルスは同じ州だけどもっといろいろなことが起こっていて、ここには文化があるから。それに、シリコンヴァレーは物価がものすごく高い。夫が映像関係の仕事をしていることも、ロサンゼルスに住むことにした大きな理由のひとつね。

以前のインタヴューで、家の離れのツリーハウスをスタジオとして利用していると仰っていましたが、新作はロサンゼルスで制作されたんですよね? 木に囲まれて音楽をつくることと、通常のスタジオでの作業との違いはなんですか? そうした環境の違いが、あなたの音楽に影響を与えたと思いますか?

JL:もちろん大きな違いがある。自分を取り巻く環境に木しかない場所は、とても静かだからヴォーカルを録音するのに理想的で。でも、自分が作品づくりをするときの環境はなによりも、わたし自身の精神状態を大きく左右すると思う。木々に囲まれていると精神的に落ち着くし、わたしを取り巻く環境が音楽に与える影響はとても大きいと思う。自分自身をケアしてあげられるか否かということよりも、環境のほうが影響力は大きいと思う。

人間関係がメイン・テーマであることは間違いない。とくに、恋愛関係。恋愛をしているときのわたしは脆弱で自信がなくて。

2021年に名ミックス・シリーズの『DJ-Kicks』を手がけたことは、あなたにどのような経験をもたらしましたか?

JL:『DJ-Kicks』を制作しているとき、同時に『Love Hallucination』の曲を書いていたから、自分にとっては大きな挑戦だった。それに、入れたい曲をまとめたウィッシュリストのなかの何曲かは権利の関係で収録できなかったこともあったし。でも、自分がDJとしてプレイしたい曲と、自分自身の楽曲とのギャップを埋めるようなものをつくってみたかったから、とても興味深かった。わたし自身のヴォーカルを足していく作業も面白い試みだったと思う。DJをやっていると自分の個性がだんだん薄まっていくように感じることもあるんだけど、そこにあえてわたしにしか出せないヴォーカルを乗せることで、新しい境地を開けたように思う。なにか特別なことをやりたいという思いがあったのは間違いない。

その『DJ-Kicks』に収録された “Seven 55” ではロレイン・ジェイムズをフィーチャーしていました(https://www.youtube.com/watch?v=myYggI17_cs)。彼女の音楽の魅力はどこにあると思いますか?

JL:彼女は唯一無二の存在だと思う。彼女がプロダクションを手がけたものは一聴してすぐに彼女の音楽だとわかるほどの個性を持っているから。

これまでもあなたの音楽はダンス・ミュージックからインスパイアされていましたが、『DJ-Kicks』からはよりあなたのダンス・ミュージックへの愛が伝わってきました。クラブにはよく行くのですか?

JL:う~ん。いいえ(笑)。以前よりもDJする機会が本当に多くなって、クラブに行くと仕事モードになってしまうから純粋に楽しめないのよね。それに、わたしが生まれ育った町にはクラブというものがなくて……バーのようなところはあるけど、TOP40の音楽がかかっているような場所だったから、クラブという感じではまったくなかったし。だから、自分のなかにクラブ・カルチャーのようなものがなくて。クラブを純粋に楽しんでいた時期がないから、それを懐かしく思うようなところもない(笑)。

クラブでDJをするときはどんなふうにセットを組み立てているんですか?

JL:そうね……とにかくヴォーカルがある曲をかけるのが好きなの。だから、ハウス・ミュージックをかけるのが好きだし、それにディスコなんかを混ぜて。メロディのあるダンス・ミュージックが好きだから。そう、自分がクラブに遊びに行って、聴きたい曲をかける感じかな。もちろんみんなが楽しんでもらえるようなものをプレイしているつもりだけど、メロディがあってヴォーカルのある音楽が好きだから、そういうものを選んでかけている。

若いころからそうしたヴォーカル・ミュージックを聴いてきたんでしょうか?

JL:そうね。R&Bがずっと好きだったから。

『DJ-Kicks』も同時進行でつくっていたから、ダンス・ミュージックやクラブ・ミュージックもたくさん聴いた。ひとつに絞るのは難しいけど、プロデュースの優れたシンセ・ポップをたくさん聴いていたのは間違いない。

では、新作の話に戻りましょう。これまで長らくジェレミー・グリーンスパンとコンビを組んできて、今回の新作もそうなのですが、初めて彼以外のプロデューサーが参加してもいます。彼以外ともやってみようと思った動機はなんですか?

JL:わたしにとって、それまでに会ったことのないひとと仕事をするのはとても怖いことだった。ジェレミーのことは長年知っているし、ついついやりやすいひとと一緒にやってしまいがち……アーティストとしてどうすべき、ということはべつにしてね。でもこのアルバムをつくるにあたって、少し冒険してみようと思って。たとえばジャック・グリーンの音楽は長年聴いていたし、友人を通して知っていたからぜひ彼と一緒にやってみようと。よく知らないひとがスタジオに来てジャム・セッションすることは本来はとても緊張してしまうから得意ではないんだけど、あえて自分の背中を押したところがある。なにか新しい挑戦をしてみたかったのよ。このアルバムのテーマのひとつが「信じる」ということだった。自分以外の人たちを信頼する、ということ。

ピアソン・サウンドが選ばれた理由はなぜですか?

JL:彼の音楽も長年知っていたし、彼のファンなの。友人の友人だったこともある。ロンドンで1週間ほどオフがあったときに彼にコンタクトをとって。当初はミックスだけしてもらう予定だったんだけど、彼のスタジオで一緒に過ごしているうちにとても仲よくなって、プロデュースもお願いすることになった。

このアルバムの曲づくりをしている段階で、今回はいろいろなひとたちとコラボレーションすることを考えていたんですか?

JL:いいえ。実際の制作に入る前に曲はほとんどできあがっていて、そのときは誰とコラボレーションしようというようなことはとくに考えていなかった。曲を磨く段階になって、いろんなひとのアイディアが欲しいと思うようになってきた感じ。もともと今回一緒にやったひとたちとはメールや電話ですでに話をしていたから、実際にお願いするのに支障はなかったけれどね。

先ほど、今回のアルバムのテーマのひとつに「信じる」ということがあったと仰っていましたが、もう少し具体的にアルバムのテーマを教えてください。

JL:これまでにわたしが経験してきた人間関係がメイン・テーマであることは間違いない。とくに、恋愛関係。恋愛をしているときのわたしは脆弱で自信がなくて。だから、タイトルも『Love Hallucination』にしたのよ。脆くて傷つきやすいから、自分がよく知らないひとを信用することが難しい。でも、ひとを信じることのたいせつさを痛感してきたところもあって、自分自身を変えたいという思いがあった。作品づくりにおいても、これまでのわたしはジェレミーのような気心の知れたひととしかやってこなかったし、ミュージック・ヴィデオはつねに夫とつくってきたから、自分の世界の狭さというものに焦りも感じていたのね。だからこそ、このアルバムで「信頼」と「脆弱さ」というテーマを描いてみた。

ひたすら「わたしは自分が嫌い」と繰り返される “I Hate Myself” は、曲調は明るいにもかかわらず心配になってしまう内容です。このリリックはご自身の体験を踏まえて書かれたものですか?

JL:この曲は不思議な過程を経てできあがった。書きはじめたころはけっこう複雑で散らかった感じだったから、歌詞をどんどん削ぎ落としていって、最終的に「I hate myself」という一行だけが残ったのよ。この曲は、YouTubeにアップされていた動画がベースになっているんだけど。プリファブ・スプラウトの「I hate myself」というフレーズをひたすらループして、ずっと馬が走っているだけの動画。わたしはけっして自分を憎んでいるわけじゃない(笑)。ただ、最初に書いたヴァージョンよりもずっと良い出来になったと自負してる。

元ネタの動画はサイケデリックな感じなんですね?

JL:その通り。検索したら出てくると思う。

“Drive” は海中にいるような感覚を持った曲で、雰囲気はダークではありませんが、ドレクシアを思い浮かべました。彼らの音楽のどのようなところが好きですか?

JL:そう言ってもらえるなんて驚いた(笑)。じつは、この曲のシンセ・パートを書いているとき、ドレクシアのひとりのサイド・プロジェクト、ジ・アザー・ピープル・プレイスを思い浮かべていたのよ! たしか彼の名前はジェラルド・ドナルドだったと思うけど(編注:TOPPはドレクシアの本体にして中心人物、ジェイムズ・スティンソンのプロジェクト)。それでエレクトロな楽曲にしたいと思って、ドラム・パートもジ・アザー・ピープル・プレイスっぽい感じを想定してつくった。この曲はとくにお気に入り。ジェレミーがパーカッションを足してくれて、よりエレクトロっぽい雰囲気のある曲に仕上がって。言ってみれば、ドレクシアとジェレミーの曲という感じね(笑)。

歌詞の面でもサウンドの面でも、制作中に参照したものがあれば教えてください。

JL:制作中はいろんなバンドを聴いていた。プリファブ・スプラウトもそうだし、オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークもよく聴いていたかな。それにシンセ・ポップのバンドもいろいろ聴いていたし……『DJ-Kicks』も同時進行でつくっていたから、ダンス・ミュージックやクラブ・ミュージックもたくさん聴いた。ひとつに絞るのは難しいけど、プロデュースの優れたシンセ・ポップをたくさん聴いていたのは間違いない。

興味深いですね。では、本作でもっとも苦労した曲はどれでしょう?

JL:“Gossamer” ね。この曲はかなりトリッキーだった。自分でも好きな曲なんだけど、方向性がなかなか定まらなくて。ヴォーカルを入れるべきかどうか悩んでいて……というのも、テクノ・ポップ調にしたかったから。それでイエロー・マジック・オーケストラを聴いているうちに、自然と方向性が固まっていった(笑)。彼らがやっていることがとても好きで、それに共感することでなにかを得ることができたという感じかな。

それは面白いです。ところでヴォーカリストとしてのロールモデルがいたりするんでしょうか?

JL:そうね……プリンスはとても好き。ボウイの歌い方も好きね。それに、高橋幸宏と細野晴臣。彼らの控えめな歌い方にとても共鳴する。挙げたひとたちは全員ちがう個性を持っているけど、その組み合わせがわたしのシンギング・スタイルを形づくっているんじゃないかな(笑)。控えめな歌い方がとくに好き。若いころは、わたしにアメリカのアイドルみたいな歌い方を勧めてくるひともたくさんいたけど……セリーヌ・ディオンみたいなね。でもわたしの声はそういう歌い方には向いていないし。そうね、イエロー・マジック・オーケストラのスタイルにはとても影響を受けていると思う。控えめでいて、ポップでとても効果的なシンギング・スタイルだと思う。

あなたの音楽ではフューチャリスティックな部分と、どこかレトロな感覚がうまく同居しているように感じます。それはご自身でも意識していますか?

JL:ある意味でどこか過去に生きているところがあるのかもしれない(笑)。家族が昔の話をしたりするからかもしれないけど、30年くらい前はいろいろとおもしろいことが起こっていたし、観るもの、読むものもたくさんあった印象がある。昔のほうがよかったとは言わないけど、前時代を生きているところはあるのかも(笑)。

一方で、あなたの音楽にはフューチャリスティックな要素もありますよね。

JL:そうかもしれない。人間は未来を夢見る生きものでもあるから。

その通りですね。では最後に今後のご予定をお聞かせください。ツアーでしょうか?

JL:ええ。9月22日のサンフランシスコから全米ツアーがはじまる。その後、11月から12月はヨーロッパ・ツアーに入るから、秋から冬にかけてたくさんライヴをやる予定。しばらくツアーに出られなかったから、とても楽しみにしている。

本日はありがとうございました。日本でもあなたのショウが見られる日を楽しみにしています。

JL:わたしも楽しみにしている! 2024年のはじめには行きたいと思ってて。まだ日本に行ったことがないから、すごく行きたいと思いつづけてる。日本で会えるのを楽しみにしている。

interview with YUKSTA-ILL - ele-king

 1982年生まれ、三重県鈴鹿市在住のラッパー、YUKSTA-ILL(ユークスタイル)を知らずして、東海地方のヒップホップとその歴史について語ることはできない。彼は00年代後半からいままでブレることなくコンスタントに作品を発表し、そのたびに全国をツアーで回っている。以下のインタヴューでは、東京、大阪、名古屋などの大都市ではない地域でアンダーグラウンドな音楽をつづけることの困難とそれを乗り越えてきた経験の一端が語られる。

 YUKSTA-ILLは00年代後半にはヒップホップとハードコアが独自に深くつながる名古屋、東海地方のストリート・カルチャーの土壌が生んだ突出したラップ・グループ、TYRANTの一員として活動。その後、15、16年に『WHO WANNA RAP』とそのリミックス盤『WHO WANNA RAP 2』という決定的な作品を発表した大所帯のクルー、SLUM RCに参加。個性豊かな面々が混じりけのないラップの魅力で競い合う美しさにおいて日本語ラップ史に残る2枚のアルバムだ。TYRANTとSLUM RCは、「日本語ラップ史」における重要度に比してあまりに評価が追いついていないと言わざるを得ない。が、YUKSTA-ILLについて語るべきことはそれだけではない。

 YUKSTA-ILLのラップの特異性は、「どんな奇妙で変則的なビートでもラップしてやろう」という好奇心と冒険心から生まれている。日本でこれだけラッパーが増えた現在でも、YUKSTA-ILLのような、ブーム・バップとトラップの二元論やトレンドに囚われない冒険心を持つラッパーというのは少数派だ。ダニー・ブラウンが風変わりとされ、唯一無二であるように。良くも悪くも、一般的にラッパーは、その時代のトレンドの形式や様式のなかで個性やスキル、人生経験を競い合うものだ。すでに約10年前、ビートメイカー、OWLBEATS『? LIFE』(12)におけるYUKSTA-ILLのラップは、まさにele-kingのレヴューにおいて、実験的なエレクトロニック・ミュージックの観点からも驚きをもって評されている。

 だから、YUKSTA-ILLが今年4月に発表した通算4枚目のアルバム『MONKEY OFF MY BACK』は、“オルタナティヴ・ヒップホップ” と言えよう。彼がこれまでリリースしたファースト『questionable thought』(11)、セカンド『NEO TOKAI ON THE LINE』(17)、サード『DEFY』(19)がそうであったように。彼はアルバム以外に、盟友=ATOSONEとの12分間の実験作品『ADDICTIONARY』(09)、KID FRESINOやPUNPEE、16FLIPら東京のビートメイカーとの共作EP『tokyo ill method』(13)、あるいは、『MINORITY POLICY OPERATED BY KOKIN BEATZ THE ILLEST』(15)や『ABYSSS MIX』といった自身の楽曲などを仲間のDJがミックスする作品を残している。後者のミックスは、YUKSTA-ILLの未発表曲、リミックスなどとアメリカのラップを混ぜてミックスしていくDJ BLOCKCHECKの手腕によって、YUKSTA-ILLの多彩なフロウがいかにグルーヴィーであることを伝えている。

 本作では、呪術的なムードが漂う “DOUGH RULES EVERYTHING”、ジャズのドラムロールの一部をループしたような騒々しいビートでCampanellaとスキルを競い合う “EXPERIMENTAL LABORATORY(その名も「実験室」)” の2曲が象徴的だ。両者ともOWLBEATSのビートだ。その他にMASS-HOLE、KOJOE、ISAZ、UCbeatsのビートがある。さらに、山口のラッパー、BUPPONとの “BLOOD, SWEAT & TEARS” はいわば “ローカルからの逆襲” である。このふたりが、あのtha boss(THA BLUE HERB)と共作した “HELL'S BELLS”(『IN THE NAME OF HIPHOP』)の続編としても聴ける。

 今年41歳になる彼は自主レーベル〈WAVELENGTH PLANT〉を立ち上げ、最新作をそこから出した。音楽を、表現をつづけることが闘いなのだと言わんばかりに。ライヴで渋谷にやってきたYUKSTA-ILLに話を訊いた。

YUKSTA-ILL - BLOOD, SWEAT & TEARS feat. BUPPON

工場が多くて、トラックもめちゃめちゃ多い。物流が産業の中心だから、東北や九州から来た出稼ぎの労働者の人も多くて、そういう人がお店やクラブに迷い込んでくることもあるんですよ。

4年ぶりのアルバムですね。この数年間はどう過ごしていました? コロナもあったじゃないですか。

YUKSTA-ILL:前のアルバム『DEFY』を2019年2月に発表してから約1年はツアーを回っていましたけど、2020年の年が明けてほどなくして世の中コロナになってしまって。ライヴが決まっていても、緊急事態宣言やまん防(新型コロナウイルス感染症まん延防止等重点措置)で延期か中止になるからライヴに向けてのモチベーションが保てなくて。そのころNYの街もロックダウン中で、当時はまだ現地にいたSCRATCH NICE、GRADIS NICEから届いたビートで、『BANNED FROM FLAG EP』(20)を作って。それからは、水面下で曲は作り続けていましたけど、三重からはあまり出なかったですね。近くの公園にバスケのゴールができたから、早朝にバスケして、散歩してるおじいちゃん、おばあちゃんと戯れて、帰って午前中からリリックスを書いたりしてました。

マイペースにやっていたと。

YUKSTA-ILL:アルバムを出したら、曲を引っ提げて全国を回りたいじゃないですか。『NEO TOKAI ON THE LINE』のときはOWLBEATSと、『DEFY』のときはMASS-HOLEといっしょに全国を回りました。俺は、フル・アルバムを出すというのはそういうことだと思っていますから。『BANNED FROM FLAG EP』を出したあとも、三重以外でも呼んでくれる土地には行きましたけど、中止や延期の可能性も高かったから自分からはアプローチはしなくて。心置きなくライヴをできるまではアルバムを出すタイミングじゃないと思っていましたね。

ライヴをやってナンボですからね。

YUKSTA-ILL:ホントそうなんですよ。だから、とりあえず曲を作り溜めてそれから考えようと。

たとえば、“JUST A THOUGHT” の冒頭の「時として なんなら飛び込みてぇ/脱ラッパー宣言 『例えば』とか『もし』の視点」っていうリリックはコロナ禍での鬱積した気持ちの表れなのかなと。

YUKSTA-ILL:田舎は人が落ち着くのが早くて、まだ若いのにクラブやライヴ・ハウス、遊ぶ場所に来なくなる人も多いんですよ。名古屋や東京のような都会では、年齢層高めでも遊んでいる人が多いじゃないですか。そういう都会に行くと、ずっとやってるヤツ、ギラついているヤツにも会って自分のマインドを保てるけど、田舎はそうじゃないから。それに追い打ちをかけるようにコロナも流行して、俺自身も三重にこもりっきりになって、プライヴェートでもいろいろあって、そういうなかから出てきたリリックスですね。ラップを辞めるつもりはないですよ(笑)。ただ、やっぱり人生についていろいろ考えるじゃないですか。だから、「『例えば』とか『もし』の視点」と書いているし、曲の最後は、「どこまで行こうとも根本 芯はDEFY」と締めている。『DEFY』は前のアルバムのタイトルで、「ブレない」「確固たる」という意味。そこに最後は戻るという構成になっている。アルバムのなかでいちばん早い段階ぐらいでできた曲ですね。

リリックで面白かったといえば、“DOUGH RULES EVERYTHING” の「金だ金だ金だ金だ金だ」っていうフックの反復ですね。

YUKSTA-ILL:これは、J・コールが金について歌った “ATM” っていう曲のオマージュなんですよ。J・コールとゴタゴタがあったリル・パンプへのアンサー・ソング(“1985”)があるじゃないですか。あの曲と同じく『KOD』に入っていますね。フックで「Count it up, Count it up」ってくり返す箇所が「金だ金だ」に聴こえるし、意味としても「金を数える」だからサンプリングしたんです。俺のフックの「あの世に持って行けんけど/ないと生きていけん」というリリックも、その曲の「Can't take it when you die, But you can't live without it」の和訳なんですよ。

J. Cole - ATM

なるほど、そうだったのか。ユークくんは、J・コールについて前回のインタヴューでも語っていましたね。やはり好きなラッパーのひとり?

YUKSTA-ILL:J・コールはカッコいいと思いますね。J・コールは、バスケへの愛があるし、プロのバスケ選手にもなったじゃないですか(バスケットボール・アフリカ・リーグのルワンダのチーム「Patriots」に一時所属、試合への出場も果たした)。ラップのリリックスにもそういうのを盛り込んでくるんですよね。だから、俺も無条件にフィールしている。『The Off-Season』(2021年)のアルバムのジャケでもバスケット・ゴールが燃えているし。それと、J・コールの出身地のノースカロライナ州はアメリカの田舎なんですよ。そういうローカルな感じも好きですね。

ユークくんはアメリカのどこに住んでいたんでしたっけ?

YUKSTA-ILL:ペンシルベニア州のポコノですね。フィラデルフィアやニューヨークに近い山地で避暑地みたいな場所です。子どものころに4年ぐらい住んで、現地の学校に通っていました。日本人は俺と妹しかいなかったですね。物価が安いからポコノに住んでNYに出稼ぎに行く労働者も多かったみたいだし、黒人の人も多くて、クール・G・ラップやDMXのリリックにもポコノの名前が出てくる。だから、なおさらヒップホップにのめり込みましたね。

ということは、ラップはアメリカで始めたんだ。

YUKSTA-ILL:高校生のころ、ポコノの地元のヤツらがラップをはじめて、俺もそこに交じった感じです。クルーとまでは言えないけど、集団になって。で、そのなかのひとりの父ちゃんがビートを作っていて、アメリカによくあるベースメント、要は地下室をスタジオにしていたんです。そこにみんなで集まってやっていましたね。

最初は英語でラップしていた?

YUKSTA-ILL:いや、それが日本語でやるんですよ(笑)。一時帰国したときに、ちょうど “Grateful Days”(1999年)がオリコンで1位になっていたんです。しかも当時、ヤンキーもFUBU(90年代のヒップホップ・ファッションを代表するブランド)とか着ていたじゃないですか。それで、「日本でもヒップホップが来てるのか! ヤベェ!」って興奮したんですけど、周りのヤツらに話をよくよく聞いてみると、音楽は浜崎あゆみを聴いていると。俺はそれぐらい日本の事情を何もわかっていなかったから。いまだから言えますけど、自分でリリックを書きはじめる前は、“Grateful Days” のZEEBRA氏のヴァースを向こうのヤツらの前でキックしたりしていました(笑)。すると向こうのヤツらも「こいつヤベエよ! ライムしてるぜ!」ってなって。

はははは。いい話。

YUKSTA-ILL:あと、『THE RHYME ANIMAL』(ZEEBRAのファースト・アルバム/98)の “I'M STILL NO.1” のヴァースもやりましたね。そうそう、フォースM.D.'Sっているじゃないですか。そのうちのひとりがポコノで服屋をやっていたんですよ。そこに遊びに行って、「俺、ラップするんだよ」ってラップをやってみせたりしていました(笑)。もちろん、その後はちゃんと自分で日本語でリリックを書くようになりますね。

ポコノには、日本人が他にいなかったということでしたけど、差別も厳しかったですか?

YUKSTA-ILL:まあ、どこ行っても差別みたいのありましたね。車でモールに行って買い物して帰って来たらタイヤの空気が抜かれていたり。アジア人だからってそういうことはありましたよ。俺、中学生のころはバスケ部だったし、向こうにはコンビニ感覚でゴールがあるからとうぜんやっていたんです。ちょうど(アレン・)アイバーソンが登場して活躍しはじめる時代です。そのアイバーソンの必殺技にクロスオーバー・ドリブルっていうのがあって。俺はそのドリブルを中学生のころに習得していたから、アメリカでもそれをかましたら、向こうのヤツらがぶち上がっていましたね(笑)。

それでリスペクトをゲットしたと。

YUKSTA-ILL:そうそう。それでリスペクトを得て打ち解けていったのはありましたね。そもそも俺は、バスケからヒップホップに入ったんです。アイバーソンが出てきて、バスケとヒップホップがリンクしているのを知ってヒップホップに興味を抱いた。今回のアルバム・タイトルの『MONKEY OFF MY BACK』もよくスポーツ選手が使う諺みたいな言葉で、「肩の荷を下ろす」とか「苦境を脱する」みたいな意味合いで、“FOREGONE CONCLUSION” の最後で、この言葉を使うコービー(・ブライアント)のインタヴューをサンプリングしているんですよ。

なるほど。

YUKSTA-ILL:当時、日本のバスケ雑誌にも、毎月1ページだけ、ヒップホップのアーティストが紹介されるコーナーがあって。アメリカにいるときに、日本から雑誌を取り寄せてもらって、そのコーナーを隅から隅まで読み込みましたね。1回目がZEEBRA氏、2回目がDEV LARGE氏、3回目がK DUB SHINE氏で、4回目がYOU THE ROCK★氏でした。その雑誌を読んで、日本にもヒップホップがあるのを知ったぐらいですから。

00年に、ナイキのキャンペーンで、ZEEBRA、DEV-LARGE、TWIGYの3人がバスケットをテーマにした “PLAYER'S DELIGHT” を作っていますよね。

YUKSTA-ILL:ありましたね。

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DJをやるようになって、ライヴに行った先々の土地でレコードを買う楽しみができて、ヒップホップの新譜のLPをDJでかけたいから買うようになりました。

ところで、今回の作品は、自身の自主レーベル〈WAVELENGTH PLANT〉の第一弾リリースじゃないですか。このタイミングで自分のレーベルを作ろうと思ったのはなぜですか?

YUKSTA-ILL:自分の地元の三重の鈴鹿・四日市を色濃く形作るためにはやっぱりレーベルを立ち上げてやった方がいいと思ったんですよね。

ピッチダウンさせたソウル・ヴォーカルをループしているような “TBA” を作っているUCbeatsさんはユークくんの地元・鈴鹿のビートメイカーなんですよね。

YUKSTA-ILL:そうっすね。地元の鈴鹿・四日市の現場にも20代前半ぐらいの若いヤツらも増えましたけど、UCbeatsは、俺とその若いヤツらのあいだぐらいの世代ですね。UCbeatsは、鈴鹿にあるゑびすビルという複合ビルに〈MAGIC RUMB ROOM〉というスタジオを持っていて、自分もそこにいたりしますね。〈KICKBACK〉(三重県のハードコア・バンド、FACECARZのヴォーカルのTOMOKIが営む洋服屋)もあって、2階が〈ANSWER〉っていうライヴ・ハウスです。もともとヤマハ楽器のビルだから防音の扉もしっかりしているんです。

YUKSTA-ILL - TBA

〈WAVELENGTH PLANT〉というレーベル名はどこから?

YUKSTA-ILL:WAVELENGTHには「波長」とともに「個人の考え方」という意味があり、さらに、鈴鹿・四日市は工業地帯だからPLANTと付けました。ロゴは四日市コンビナートと、波形データをイメージしてデザインしてもらいました。

鈴鹿や四日市はどんな町なんですか。やはり労働者の町?

YUKSTA-ILL:そうですね。工場が多くて、トラックもめちゃめちゃ多い。物流が産業の中心だから、東北や九州から来た出稼ぎの労働者の人も多くて、そういう人がお店やクラブに迷い込んでくることもあるんですよ。だから、仕事を選ばなければ仕事はあって職には困らない地域とも言えます。で、鈴鹿の隣町の四日市が三重ではいちばん栄えている町で、そこに〈SUBWAY BAR〉というクラブがあるんです。

そこが、地元の活動の拠点なんですね。

YUKSTA-ILL:そうですね。今日バックDJとして(渋谷に)来てくれてるキヨシローっていうヤツが〈TRUST〉ってパーティをやっていて。俺がライヴをやるときもあれば、「レコード持って行っていい?」ってDJやりに行く回とかもあるんですよ。コロナ前に1982S(YUKSTA-ILL 、ISSUGI、仙人掌、Mr PUG、YAHIKO、MASS-HOLEの1982年の6人から成るヒップホップ・グループ)が中目黒の〈SOLFA〉でDJオンリーのパーティをやるときに、MASSくんから「DJできる?」って声かけられて、そこで初めてDJしました。

ああ、そうだったんですか。

YUKSTA-ILL:今回のアルバムのCDの特典に、DJ 2SHANの『BLUE COLOR STATE OF MIND』ってミックスCDを付けているんですけど、そのDJ 2SHANは四日市で〈RED HOUSE〉っていうレコ屋をやっている。レコードでDJする彼にDJを教えてもらって、本番に臨みましたね。MASSくんも悪い男だから、俺は初めてのDJなのにメインフロアの1時ぐらい、しかも16FLIPのDJの前に組まれて(笑)。この世のDJの皆さんには謝りたいぐらいですけど、つなぐだけで盛り上がってくれてほっとしました(笑)。DJをやるようになって、ライヴに行った先々の土地でレコードを買う楽しみができて、ヒップホップの新譜のLPをDJでかけたいから買うようになりました。和歌山にラッパーのSURRYくんがやっている〈Banguard〉っていうお店があるじゃないですか。

おお~、SURRYくん! わかります。

YUKSTA-ILL:嫁の地元が和歌山で、〈Banguard〉にも行く機会が増えて。あのお店はヒップホップのみならずレコードの品ぞろえがいいんですよ。それで行くとテンションが上がって、行くたびに何かを買って帰るようになりましたね。DJをやるようになってから新しい視点が加わりましたね。“JUST A THOUGHT” の「まるでレコードの溝 はみ出るニードル 対応には全神経集中する肉眼を駆使」とかは前の俺からは出てこないリリックスですし。DJをちゃんとやっている人にたいして、俺なんかが大それたことは言えないですけど、楽しみが増えたって感じです。ソウタ(ATOSONE/RC SLUM主宰/ブランド「Comma Violeta」のオーナー)もたまに「〈COMMON〉(ATOSONEが名古屋にオープンしたGallery&Bar)でDJしないか?」って誘ってくれますし。

三重のヤツらは才能があるのに発信しようとしないヤツらも多いんですよ。だから、〈WAVELENGTH PLANT〉では、若くてやる気はあるけど、右も左もわからないヤツをサポートしたい。

DJは楽しいですよね。音楽との関わり方のチャンネルがひとつ増えますよね。ユークくんの周りにはお手本になる良いDJがたくさんいるんじゃないですか。今回のアルバムでもビートを2曲手掛けているISAZもミックスCDをコンスタントに出していますし、ぼくは彼のミックスCDがすごく好きで。

YUKSTA-ILL:ISAZのビートは軽やかですよね。あと瞬発力がある。じつは今回のアルバムは作り溜めてきたものをいろいろ調整して作り上げたんです。KOJOEくんが大阪にいたときにいっしょに作品を作っていたんですけど、その途中で沖縄に行っちゃったんで(笑)。

KOJOEさんは、東京、大阪に〈J.STUDIO〉という音楽スタジオを作って、東京はMONJUに、大阪はTha Jointzに任せて、さらにスタジオを作るために沖縄の那覇に移住したんですよね。

YUKSTA-ILL:そうなんです。KOJOEくんもいろいろプロジェクトを抱えている人なので、俺の考えるペースではアルバムが出ないと判断してスウィッチを切り替えて。KOJOEくんとのプロジェクトはいずれなんらかの形で発表するとして、俺のフル・アルバムをまず出そうと。それで、KOJOEくんに了承を得て、KOJOEくんと作った曲からピックアップして、今回のアルバムに収録した。ただ、KOJOEくんのビートをそのまま使っているのは2曲だけで、ほとんどビートは差し替えました。すでにREC済みのアカペラをビートメイカーに送ってビートを作ってもらって、送り返してもらって、さらにラップを録り直してブラッシュアップしていった。だから、けっこう迷走した時期もあって。俺はフル・アルバムを出すときにはやい段階でタイトルやコンセプトを決めて作っていくんですけど、今回は溜まった曲を並べていった。そうしたら、ぜんぜんまとまりがなくて、ISAZの2曲は、アルバムがじょじょに肉付けされていくなかで、アルバムに足りない部分を加えた曲だった。いままでと違う作り方をして完成させることができたのは新しい経験でしたね。

そもそもユークくんとKOJOEさんとの出会いっていつですか?

YUKSTA-ILL:KOJOEくんが2009年にアメリカから帰国してからの付き合いなんで長いんですよ。KOJOEくんが帰国して最初のライヴは〈MURDER THEY FALL〉(1998年に第1回が開催された東海地方のハードコア、ヒップホップ、ストリート・カルチャーを象徴する重要イヴェント)で、自分はそこにTYRANTとして出演していたんです。それからじょじょに親しくなっていった。仲が良いからこそ、KOJOEくんからは厳しく言われますね(笑)。

“TIME-LAG” はKOJOEさんのビートですが、ベースラインがカッコいいですね。

YUKSTA-ILL:いいですよね。WELL-DONE(大阪を中心に活動するクルー、Tha Jointzのラッパー) との “GRIND IT OUT” は、俺がTha Jointzのみんなも出てる大阪のイヴェントに行ったときにやることになった曲です。まだKOJOEくんも大阪にいました。ただ、KOJOEくんのビートをOWLBEATSのものに差し替えていますね。

OWLBEATSさんも精力的に活動していますよね。〈OILWORKS〉から出した『ON-SHOCK』も今年出した『BAN-ZOK-HEADZ』も素晴らしかった。

YUKSTA-ILL:鹿児島出身のOWLBEATSとも古いです。OWLBEATSはファースト・アルバム『? LIFE』を〈RC SLUM〉からリリースしていますけど、その前から、鹿児島や沖縄にはよくライヴで行っていましたし、名古屋や地元以外で、いちばんライヴで行っている土地が鹿児島ですね。というのも、自分たちの周りは昔からハードコアとヒップホップのつながりは強くて、OWLBEATSはLIFESTYLEという鹿児島のハードコア・バンドと仲が良くて、名古屋にいっしょに来ていたんですよ。WELL-DONE も元々ハードコア・バンドをやっていましたしね。OWLBEATSが2015年にOTAI RECORDが主催して〈club JB'S〉で開催したビートメイカーのバトル・イヴェント〈BEAT GRAND PRIX 2015〉で優勝したときは、俺らは誇らしかったですよ。ブレずに自分のスタイルでやり続けていますよね。

“SPIT EASY” にはALCIとGIMENが参加していますけど、すこし前に東京で観たALCIのライヴがめちゃくちゃパワフルでした。

YUKSTA-ILL:ALCIと兄貴のBRUNOの日系兄弟のライヴもすごいですよ。ぜひ観てほしいですね。兄弟だから出せるグルーヴがあって、あれは他のヤツらには真似できないっすね。ALCIはいまは名古屋にいますけど、四日市に2年ぐらい住んでいた。ヤツは、〈SUBWAY BAR〉で「AMAZON JUNGLE PARADISE」ってずっとやっているオープンマイクのイヴェントに三重に住む前から来ていて、ラッパーとしてそこで培ったものは大きいと思います。ALCIのソロ・アルバム『TOKAI KENBUNROKU』でも1曲やっています。でも、三重のヤツらは才能があるのに発信しようとしないヤツらも多いんですよ。だから、〈WAVELENGTH PLANT〉では、若くてやる気はあるけど、右も左もわからないヤツをサポートしたい。今回は自分のアルバムだけど、俺だけのレーベルじゃなくて、地元の他のヤツらにもみんなのレーベルと思ってほしいんです。

ANOHNI and The Johnsons - ele-king

 ぼくの場合、マーヴィン・ゲイの『What's Going On』をちゃんと聴いたのはけっこう遅くて、80年代も後半、ぼくは20代のなかばだった。熱心に追いかけていたポスト・パンク以降がすっかりつまらなくなってしまい、だからレゲエやワールド・ミュージックを聴いてみたり、あるいは、それまでずっとリアルタイムの音楽しか聴いていなかった自分が、過去の黒人音楽を聴いてみようと自分なりに追求していた頃のことだ。
 『What's Going On』の説明文には必ず「戦争」や「公害」や「貧困」といった言葉が挿入され、これはプロテスト・ミュージックとされている。ところが、買ったそのレコードは輸入盤だったので、というかまあ、正直に言えばいちいち歌詞まで分析するのは面倒なので、サウンドのみに集中し、だからぼくはただただそのサウンドの優雅さに惹かれたのである。マーヴィン・ゲイは嘆き、憤り、哀しみ、辛辣で、抵抗している。60年代の革命は失敗に終わり、抵抗勢力は片っ端から取り締まられ、ヤッピー時代の到来とともにブラック・コミュニティに暗い風が吹きはじめている。現実は極めて厳しかったろう。だが、そのサウンドは寛容で、温かく、優しい。ロマンティックな思いにさえもリンクする。これと同じような感想を、スピリチュアル・ジャズと呼ばれる音楽にも感じたことがある。あれも黒人の闘争を起点に生まれた音楽だが、出てくるサウンドには「愛」がある。あの時代の、文化のモードがそうさせたのだろう。
 
 アメリカのテッド・ジョイアというジャーナリストの分析によれば、1950年代なかばから1960年代のなかばにかけてのアメリカにおいて興行成績が良かった映画は『サウンド・オブ・ミュージック』や『スイスファミリーロビンソン』のような作品だった。ところが近年のヒット作は、おしなべて戦闘ものが多く、間違ってもミュージカルやコメディではないそうだ。まあ、50年代のアメリカに関しては戦後の好景気ということが大きかったと思うけれど、なんにせよ、文化の根幹に楽天性があったことはたしかで、そのモードはおそらくはビートニクやヒッピー、パンクからレイヴ・カルチャーにまで通底していたと言えるのではないだろうか。たとえば、そのクライマックスにおいてベトナム戦争と反戦運動があったとしよう。しかし同時にそこにはしつこいくらいに「愛と平和」があった。陳腐な側面も多々あったと思う。だが、それはたしかにあったし、それを理解できる世代とできない世代とに分かれてもいた。そしていま、ぼくの両親の世代が「愛と平和」(ビートルズからレイヴまで)のセンスを理解できなかったのと同じように理解できない新しい世代が台頭しているのかもしれない。そんな見立ても通用するんじゃないかと思えるほどに、文化のモードは『What's Going On』の頃とは変わっている。
 リベラルだろうがネトウヨだろうが好戦的で、政治家も政党もアニメも漫画もラップにおいても戦いが人気を博している。人はカラフルな服よりも白黒を好み、自分の個性を表現することよりも、なるべく目立たない(空気を壊さない)服装を好むようになった。インターネットには怒りと対立、憎しみと不寛容、攻撃と嫌みが溢れている。明治中期のロマン主義から大正ロマンに象徴されたモードが100年前の関東大震災を境に変化したのだとしたら、3.11が(ないしは安倍政権が)この変化の起点になったと言えやしないだろうか。良い悪いの話でも、好き嫌いの話でもない。ぼくだって少なからず、今日の文化のモードの影響下にいる。本当はスマイリーのTシャツを着たいけれどジョイ・ディヴィジョンで我慢している人だっているかもしれない。
 とくに検証したわけではないのだが、漠然と、そんなことを考える/ことさら感じるようになったきっかけのひとつが、『Selected Ambient Works 85-92』だった。昨年は、エイフェックス・ツインのこの傑作がリリースから30周年ということで、ぼくは家でじっくり聴いたことがあった。30年前に渋谷のWAVEで買ったレコードを取り出し、聴いて、そして、あらためて驚嘆した。こんなにも、アホらしいほど楽天的でラヴリーな音楽が30年前の世界では、特別な宣伝もロック雑誌の煽りもなかったのに関わらずがちで必要とされ、多くの若い世代に享受されていたのだ。あの頃だって湾岸戦争はあったし、社会にはいろんな軋みがあったというのに。

 歌詞や資料など読まずに、まずはサウンドのみに集中する。アノーニ・アンド・ザ・ジョンソンズの新作にもそのように臨んで、1曲目 “It Must Change” を聴いて微笑んでしまい、3曲目 “Sliver of Ice” を聴いてこれは素晴らしいアルバムだと確信した。なんて美しいソウル・ミュージックだろうか。ドラマティックに展開する “Scapegoat” は彼女の代表曲になるだろう。前作ほど露骨な政治性はないものの、作品の背後には、理想を諦めないアノーニの、不公正(トランス嫌悪、資本主義etc)をめぐっての嘆きがあることはつい2日前に知った。もっとも、このサウンドが醸し出すモードそれ自体が反時代的で、プロテストではあるが好戦的ではないし、さらに重要なのは、こうした過去のソウル・ミュージックを引用する際に陥りがちなたんなる反動=後ろ向きの郷愁をこのアルバムが感じさせないことだ。今日の文化のモードを引き受けながら、しかしその範疇では表現しきれないものを表現するために過去のモード、愛と寛容の時代のモードを使っている。これは言うにたやすく、説得力を持たせるにはそれなりの力量を要する。なぜなら、今日のモード外でやることは陳腐になりかねないリスクが大いにあるからだ。

 アノーニは、『Age Of』制作中のダニエル・ロパティンの環境問題を諦めている態度に怒ったほどの人である。本作に、彼女のそうした現実を直視したうえでの理想主義と辛辣さ、叙情詩と個人史が散りばめられていることは先にも少し書いた。ストーンウォールの反乱から54年、彼女はクィアの人生を、たとえそれが孤独であろうと美しく描き、ギル・スコット=ヘロンではないが闘いを詩的に見せている。だからこのアルバムには、極めて今日的なトピックを持ちながらもタイムレスな魅力があり、未来の誰かの部屋のなかで再生されてもサウンドの香気が失われることはない。音楽(サウンド)でしか表現できないことがあって、それを『私の背中はあなたが渡る橋でした(My Back Was a Bridge for You to Cross)』という長ったらしいタイトルの本作はやっているという、そのことをぼくは強調したい。彼女の、みごとな表現力を携えた歌唱を支えている演奏には、電子音楽家のウィリアム・バシンスキー、イーノとの共作者で知られるレオ・アブラハムスも参加している。アートワークには「いまこそ本当に起きていることを感じるとき」という手書きの文字がある。「本当に起きていること」を人が本当に感じることは容易ではない。しかし、それでもポップ・ミュージックがその手助けになるのだとしたら、『私の背中は〜』は、愛を語ることが疎外されていることを感じさせ、そしてこの音楽が堂々と愛を語っていることを感じないわけにはいかないのだ。

interview with Kassa Overall - ele-king

 一口に新世代のジャズ・ミュージシャンに括られる中でも、一際ユニークでほかにない個性を持つひとりがジャズ・ドラマーのカッサ・オーヴァーオールである。ジャズとヒップホップやエレクトロニック・ミュージックをミックスするミュージシャンはいまでは少なくないが、そうした中でもカッサのようにフリー・ジャズなど前衛的な手法を用いる者は異端で、言ってみればポップ・ミュージックと実験音楽を並列させてしまう稀有な存在でもある。そして、自身でラップもおこなうなど言葉に対しても鋭い感性を持つアーティストでもあり、自身の内面を赤裸々に綴る歌詞も彼の音楽を形作る重要な要素である。

 2019年にリリースされた『ゴー・ゲット・アイス・クリーム・アンド・リッスン・トゥ・ジャズ』でカッサ・オーヴァーオールの名前は知られるようになり、ジャズの未来を切り開く新しいアーティストとして一躍注目を集める。ただ新しいだけではなく、女流ピアニストでコンテンポラリー・ジャズの世界に大きな足跡を残した故ジェリ・アレンのバンドで活動するなど、ジャズの伝統的な技法や表現も理解した上で、それらと新しい技法を融合するなど、常々実験と冒険を繰り返しているアーティストだ。『ゴー・ゲット・アイス・クリーム・アンド・リッスン・トゥ・ジャズ』には故ロイ・ハーグローヴはじめ、アート・リンゼイ、カーメン・ランディなどベテランや実力者が多数参加しており、それら面々とのセッションからもカッサが伝統と新しさを融合することができるミュージシャンであることが伺える。

 2020年には『アイ・シンク・アイム・グッド』をリリースし、そこでは1960年代の黒人解放運動で勃興したブラックパンサー党に属し、社会活動家にして作家として活動してきたアンジェラ・デイヴィスがヴォイス・メッセージを贈っている。社会の抱える問題や不条理などにも向き合うカッサの内面を深掘りしたアルバムでもあり、同時に自身の病気や過去のトラウマなどにも対峙した、よりディープな内容の作品だった。その後、パンデミックなどで世界が激変し、当然彼の周りでも変化があったと想像される。そして、ようやく世界が以前の姿を取り戻しつつある2023年、カッサのニュー・アルバムの『アニマルズ』が完成した。カッサにとってコロナ禍を経てのアルバムであり、その間に長年活動してきたニューヨークから、故郷であるシアトルへと住まいも変わった。そうした中で作られた『アニマルズ』には、一体どのような思いやメッセージが込められているのだろうか。

僕の目標がアルバムごとに少しずつ、じわじわと自由に、そしてポップになっていくことなんだ。そのふたつって矛盾してるだろ? ポップ・ソング、つまりはよりキャッチーな曲を書けるようになりながら、よりアヴァンギャルドで、自由になりたいんだ。

2020年に『アイ・シンク・アイム・グッド』のリリースで来日したとき以来、2度目のインタヴューとなります。そのときはコロナのパンデミックが始まる直前で、その後世界各国でロックダウンがはじまり、ミュージシャンもツアーやライヴができなくなりました。あなたにとっても、パンデミックは大きな影響を及ぼしましたか?

カッサ・オーヴァーオール(以下KO):アルバムはうまくいったんだけど、リリースしたすぐあとに全てが閉鎖されてしまったんだ。だから、あのアルバムから本来得られるはずだったものが実現しなかった気がした。せっかくリリースまでたどり着いたのに、全てが降り出しに戻った気がしてさ。だからとにかく、やり直さなきゃと思った。で、パンデミックのときにミックステープの『シェイズ・オブ・フル』を作りはじめたんだ。あとはいろいろ練習をしたり、とにかく全てを自分ひとりでやっていた。それまでは、曲作りのときは他のミュージシャンと同じ部屋に入って作業していたけど、パンデミックのときは初めてネットでトラックを送り合ったんだ。パンデミックは落ち着いたけど、いまでもまだ少しその手法を活用してる。だから、それは影響のひとつだと思うね。

長年活動してきたニューヨークを離れ、故郷であるシアトルに戻ったのもパンデミックと関係があるのですか? これまでもシアトルとニューヨークをたびたび行き来してきたとは思いますが。

KO:ブルックリンのアパートに住んでたんだけど、休暇でシアトルにいたときにパンデミックでニューヨーク州が閉鎖されてしまってさ。あの期間はニューヨークにいる意味を感じなかったんだよね。ライヴも全然ないし、部屋で仕事をしているだけだったから。シアトルには芝生もあるし、水もあったし、木もあったし、山もあった。そう、つまりもっと自然があるから、あの時期の時間を過ごすのはシアトルのほうがよかったんだ。

いまでもニューヨークにはよく行くんですか?

KO:行くよ。ときどき行って、一ヶ月くらいステイするっていうのを続けてる。だから、シアトルとニューヨークどっちにもいる感じ。ツアーがたくさん決まってるし、いまは住む場所はあまり関係ないんだよね。家族もスペースもあるから、いまはとりあえずシアトルをベースにしてるだけ。

ニュー・アルバムの『アニマルズ』は〈Warp〉からのリリースとなります。〈Warp〉からリリースするようになった経緯について教えてください。

KO:前回のアルバムを出したあと、〈Warp〉の制作部から「ダニー・ブラウンのアルバムのためにビートを作れないか」ってオファーをもらったんだよ。で、ダニーのためにいくつかビートを作ったんだけど、その制作のスタッフが僕の音楽をかなり気に入ってくれて、そこから連絡を取り合うようになり、パンデミックの間もずっと話してたんだ。そして良かったのは、その会話の内容がビジネスよりも音楽の話だったこと。それが、契約するのに良いレーベルだっていうお告げだと思ったんだ。

『アニマルズ』はシアトルの自宅の地下室に作ったスタジオで制作されました。家という概念が『アニマルズ』には投影されていて、その表れが “メイク・マイ・ウェイ・バック・ホーム” という曲かと思います。この曲はどのようなアイデアから生まれたのですか?

KO:トラックを作りはじめたときは、アイデアなんて全然なかったよ(笑)。でも振り返ってみると、僕の場合は新しいサウンドのテクニックをいろいろと実験している中で最高の曲ができ上がることが多い。この曲はアルペジエーターを使って実験している中で生まれたんだ。コンピューターにコードをアルペジオにするアルペジエーターっていうプログラムやプラグインがあるんだけど、それを使って実験してるときにあのコード進行を思いついた。で、それを気に入って、その周りにドラムを乗せ、コーラスを書いた。そこまではすぐだったんだ。でも、そのあとあのラップを書くのに3年かかってさ(笑)。

なかなか納得いくものができなかったんですか?

KO:そう、十分に満足できるものが書けなかったんだよね。あの曲のためにはたぶん4つか5つラップを書いたと思う。

僕の全てのアルバムは全部集めてひとつの作品なんだ。それぞれのアルバムが、ひとつの大きな物語を語るための要素。だから、同じものは二度と作りたくないんだよね。

“メイク・マイ・ウェイ・バック・ホーム” ではシンガー・ソングライターのニック・ハキムと共演しています。彼は私個人もとても好きなミュージシャンなのですが、ニューヨークのジャズ/アーティスト集団のオニキス・コレクティヴで活動していたときに知り合ったそうですね。彼との出会いはいかがでしたか?

KO:彼に初めて会ったのは、オニキス・コレクティヴがロウアー・イーストサイドでプレイしているときだった。僕はオニキスでドラムを叩き、ニックは歌っていたんだ。それが初めて出会ったときの記憶。もう何年も前のことだから、僕が勘違いしていなければだけど。あれはたしかラッパーのウィキのミュージック・ビデオのリリース・パーティーじゃなかったかな。ウィキは僕のアルバムにも参加してくれてる。たぶんオニキスはあのときウィキのパーティーのために演奏してたんだと思う。

ニックの第一印象はどうでしたか?

KO:第一印象は、音楽に対してすごく熱心な人だなと思った。そして彼は、そのとき同じ日に別のショーがあって、サウンド・チェックに参加したあとほかのショーで歌って、そのあとこっちに戻ってきてまた歌ってた(笑)。僕もいつも音楽でバタバタしてるから、この人とは仲良くなれそうだと思ったね(笑)。

ニック・ハキムもそうですが、『アニマルズ』はこれまで以上に多彩なゲスト・ミュージシャンとのコラボがおこなわれています。ジャズ方面を見ると、前作にも参加したシオ・クローカー、ヴィジェイ・アイヤー、ビッグ・ユキ、サリヴァン・フォートナーなどのほか、サックス奏者のトモキ・サンダースやアンソニー・ウェア、ピアニストのマイク・キングといった面々がバンド・メンバーとなっています。中でもトモキ・サンダースはファラオ・サンダースの息子としても知られるのですが、どのように出会ったのですか?

KO:トモキ・サンダースと初めて会ったのは、「スモールズ」っていうニューヨークにあるジャズ・クラブ。ミュージシャンたちがジャム・セッションをやるために集まるバーなんだ。そこで彼を見かけるようになってさ。当時、彼がすごくブリムの大きな帽子をかぶってたのを覚えてる。で、たしか最初はシオ・クローカーが彼のことを紹介してくれたんじゃないかな。それでトモキと連絡をとるようになって、日本に行ったときに僕のショーに彼を呼んだんだ。

彼の第一印象は?

KO:彼って、ほかのミュージシャンに対してすごく謙虚なんだ。「会えて光栄です」みたいなさ(笑)。ほかのミュージシャンをすごくリスペクトしてるのが伝わってくるんだよね。

彼が参加した “スティル・エイント・ファインド・ミー” など、フリー・ジャズ的なアプローチも感じられるわけですが、実際に何らかの影響があったのでしょうか?

KO:トモキはすごく自由なエナジーと溢れるような情熱をあの曲にもたらしてくれたと思う。たしかに、フリー・ジャズ的なアプローチは感じられるかもしれないね。というか、僕の目標がアルバムごとに少しずつ、じわじわと自由に、そしてポップになっていくことなんだ。そのふたつって矛盾してるだろ? ポップ・ソング、つまりはよりキャッチーな曲を書けるようになりながら、よりアヴァンギャルドで、自由になりたいんだ。僕はキャッチーさとクレイジーさを同時に手に入れる方法を探求しているんだよ。

かなり難しそうに聞こえますが(笑)。

KO:その通り(笑)。だからこそ、たくさん実験する必要があるんだ。いつもうまくいくとは限らないけど、ときにはうまくいくこともある。これだ!と心をつかむものが、その過程で生まれるんだよ。それを見つけ出すことが僕の目標のひとつなんだ。

初めからそこまで大きなヴィジョンを持って活動しているんですね。

KO:それはたぶん、僕がほかのアーティストのアルバムの歴史とディスコグラフィの大ファンだからだと思う。僕にとっては、僕の全てのアルバムは全部集めてひとつの作品なんだ。それぞれのアルバムが、ひとつの大きな物語を語るための要素。だから、同じものは二度と作りたくないんだよね。過去に戻るような作品は作りたくないし、前に進み続けたいんだ。ファンやリスナーの人たちが全てのアルバムを聴いたときに、「なるほど、こういうことだったのか」と気付けるような作品を作りたい。

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以前の僕は「ああ、僕はひとりなんだ」という感じだった。でもいまは、生きている人なら誰でも孤独や恐怖、人目を気にするということを何らかの形で経験し、その問題に対処しなければならないと思ってる。

メンバーは基本的にニューヨークを拠点とするジャズ・ミュージシャンが多いようですが、あなたがニューヨークに行って演奏した素材を、シアトルのスタジオに戻ってミックスする、というような作業だったのですか?

KO:演奏はニューヨーク。僕はいまでもよくニューヨークに行くからそれが理由でもあるし、もうひとつの理由は、アルバムの曲の中には長年温めてきた曲もあるから。つまり、ニューヨークに住んでいたときに作っていた曲もあるからなんだ。僕の音楽の作り方は、いろいろな時代のレコーディング・セッションの断片を引っ張りだしてきて、それを基に作っていったりもする。作っているものがそのとき作っているプロジェクトに合わなければ使わずそのまま置いておいて、後からまた準備が整ったときに使うんだ。

ミックスはどこで? シアトルのスタジオですか?

KO:いや、ミックスはニューヨークでやった。エンジニアのダニエル・シュレットと一緒にね。彼はストレンジ・ウェザーっていうスタジオをもっていて、そこで作業したんだ。そこは僕のファースト・アルバムをレコーディングした場所でもある。素晴らしいスタジオなんだけど、いま彼はミックスしかしてなくて、レコーディング用のスタジオは必要ないからもう閉鎖してしまうらしい。ダニエルとはもう何年も一緒に仕事をしてきた。彼は僕がやろうとしていることを理解してくれているんだ。

シアトルではどんな作業を?

KO:シアトルでは自分ひとりでの作業が多かった。シアトルのホーム・スタジオでは、材料が全て揃っている状態だったんだ。そこからそれを編集したり、歌詞を書き足したり、ファイルを送り合ったりしてた。バンドのレコーディング・セッションをシアトルでやることはほとんどなかったね。あと “スティル・エイント・ファインド・ミー” をレコーディングしたのはオークランドだった。

それはどういう経緯で?

KO:ツアーの終わりが西海岸だったから、まずオークランドでスタジオを借りて、それからロサンゼルスに行って、そこで “ザ・ラヴァ・イズ・カーム” とほか何曲かをレコーディングしたんだ。僕は結構どこでも曲を作ることができるから。

前作やその前の『ゴー・ゲット・アイス・クリーム・アンド・リッスン・トゥ・ジャズ』でも、ジャズとヒップホップを融合した作品はいろいろ見られ、それらでは主にあなたがラップをすることが多かったと思います。今回もあなたがラップをする曲もありますが、同時にダニー・ブラウンとウィキをフィーチャーした “クロック・シッキング”、 リル・Bシャバズ・パレセズをフィーチャーした “ゴーイング・アップ” など、本職のヒップホップのラッパーたちとコラボするケースが目立ちます。これまでとは違う何か変化などがあったのでしょうか?

KO:僕自身がラップやヒップホップのファンだからだと思う。後はラッパーがどんなサウンドを奏でるのか、別のタイプのプロダクションや、前衛的で実験的なプロダクションで自分の音楽を聴いてみたいと思うから。たとえば今回のアルバムでは、リル・Bのラップの裏で僕がエルヴィン・ジョーンズみたいなドラムを叩いているわけだけど、良い意味でその組み合わせが僕を笑わせるんだ。ダニー・ブラウンと前衛的なピアニスト、クリス・デイヴィスの組み合わせもそうだしね。僕は異なる世界を結びつけるっていうアイデアが好きでさ。ヒップホップと繋がりがないような音楽をヒップホップと結びつけるっていうのは面白いと思う。そのアイデアがとにかく好きなんだよね。次のアルバムがどうなるかはわからないけど、とりあえずいまはそれが自分にとってクールな実験だったんだ。

人生を生きる人間として、僕はときに動物園やサーカスにいる動物のように感じることがある。人前に立ってパフォーマンスをして、オーディエンスを楽しませ、大きいけれど大き過ぎない動きをしなければならない。

スカタライツに参加してきたトロンボーン奏者のアンドレイ・マーチソン、タブー・コンボの創設者であるハーマン・ナウの息子のベンジ・アロンセなど、ラテン系のミュージシャンの参加も目を引きます。それが関係するのか、“スティル・エイント・ファインド・ミー”、“ザ・ラヴァ・イズ・カーム”、“ノー・イット・エイント” といった、ラテンのリズムや旋律を取り入れた楽曲があります。こうしたラテン音楽への傾倒は何か意識したところがあるのでしょうか?

KO:アンドレイとは大学が一緒だった。彼はラテン的なミュージシャンってわけではないけど、スピリチュアルな教会のようなエナジーをもたらしてくれたと思う。そしてベンジは、僕のライヴ・バンドのパーカッショニストなんだ。彼のパーカッションは父親の血を引いているからか、普通のアフロ・キューバンのリズムとは違って、ハイチの影響が混ざってる。それがすごくユニークなんだよね。

ニック・ハキム以外に、ローラ・ムヴーラ、フランシス・アンド・ザ・ライツ、J・ホアードと、それぞれ異なるタイプのシンガーたちが参加しています。これまで以上に歌に対する比重が強くなったアルバムであると思いますし、歌詞の重要性も増しているのではないでしょうか。そのあたりについて、あなた自身はどのように考えていますか?

KO:僕もそう思う。いまはヴォーカル・レッスンも受けてるんだ。曲をパフォーミングするという経験をすると、ヴォーカルがいかにリスナーにとって重要なものかがわかるようになる。コーラスは曲に大きな影響を与えるし、良いコーラスがあればリスナーとまた違う繋がり方で結ばれることができるんだ。

“レディ・トゥ・ボール” は成功や努力の対価としての精神の消耗について歌い、“イッツ・アニマルズ” は人前でありのままの自分を体現することのプレッシャーを描いており、音楽やエンターテイメントの世界で生きるあなた自身が投影された作品かと思います。あなたは『アイ・シンク・アイム・グッド』以降は特に顕著ですが、自身の体験に基づいて、内面をさらけ出すような作品を作ってきて、その傾向は『アニマルズ』でより強くなっているように感じますが、いかがですか?

KO:個人的なことをさらけ出しているのは昔から変わらない。どのアルバムでも、正直なところ僕はかなり多くのことをさらけ出していると思う。『ゴー・ゲット・アイス・クリーム・アンド・リッスン・トゥ・ジャズ』の “ワッツ・ニュー・ウィズ・ユー” って曲も、すでに強烈な別れの曲だったしね。でも前回のアルバムでは、内容が違っているんだと思う。あのときは精神的な病とそれとの戦いと向き合っていたから。そして今回のアルバムでは、自分自身の実存的なフィーリングを扱っている。まあもしかしたら、前よりも自分をさらけ出すことに心地よさを感じることができているのかもしれないね。最初のころはもっと大変だったと思う。でもいまは、自然とそれができるんだ。そして後から振り返って、自分がどんな心のつっかえを取ろうとしていたのかがわかる。前よりも意識して自分をさらけ出そうとしているというよりは、もっと楽にそれができるようになったんじゃないかな。

“ソー・ハッピー” と “メイビー・ウィ・キャン・ステイ” は、躁鬱病を患って入院や自殺未遂を経験したあなたが投影されたような作品です。『アイ・シンク・アイム・グッド』でも、そうした病気やメンタルヘルスについて扱った作品がありましたが、こうした作品はあなたがこれからも生きていくうえでテーマとなっていくものなのでしょうか?

KO:前回のアルバムと今回のアルバムの間には、興味深い鏡が存在していると思う。前作は自分と自分の個人的な闘いについてだったけど、今作では自分自身だけについてではなく、世界全体についても考えていて、誰もが抱えている精神的な問題という視点になっているんだ。以前の僕は「ああ、僕はひとりなんだ」という感じだった。でもいまは、生きている人なら誰でも孤独や恐怖、人目を気にするということを何らかの形で経験し、その問題に対処しなければならないと思ってる。だからこのふたつの作品は、異なる方法でお互いを映し出していると思うんだよね。壊れたレコードみたいに聴こえたくはないから、ずっと同じテーマを語るわけにはいかないし、自分でも今後どんなトピックに触れていくかはわからない。でも、このテーマを進化させていきたいことだけはたしか。人間として、毎回進化を続けていきたいからね。

『アニマルズ』は、あなたのエンターテイナーとしての人生のパラドックスを描くと同時に、黒人がどのように扱われているかについての声明も含んでいるそうですね。そうしたことを踏まえて、『アニマルズ』が持つテーマについて改めて教えてください。

KO:『アニマルズ』というタイトルに込められたテーマはいくつかある。そのひとつは、人間であるということはどういうことなのか?という問いかけ。動物ではなく人間であるということの意味だね。僕たちは自分たちを人間と呼び、信仰を持ち、より高い能力を持っているとい考える傾向がある。でも同時に、僕たちはよくお互いを動物のように扱ってしまっているんだ。合わなかったり、自分たちにとって都合の悪いことをすれば共存しない。でも人間であるなら、敵味方関係なく、お互いに共感できる部分を見つけることができるはずなんだ。そしてもうひとつのテーマは、エンターテイナーとしての自分の葛藤。人生を生きる人間として、僕はときに動物園やサーカスにいる動物のように感じることがある。人前に立ってパフォーマンスをして、オーディエンスを楽しませ、大きいけれど大き過ぎない動きをしなければならない。アクションが大き過ぎると人びとを怖がらせてしまうし、小さ過ぎれば相手にされないから。そして、みなやっぱり楽しませてもらうことを期待している。そういう状況下にいると、サーカスの猿じゃなくて僕も人間なんだって感じることがあるんだよね。それは、僕が対処しなければいけない感情なんだ。パフォーマンスをしていると、僕自身も人生というものを体験している人間のひとりであり、経験していることに対して自分がどう感じているかを表現したいだけなんだ、ということを忘れてしまう。僕は商品じゃないんだってことをね。この対立は必ずしも悪いことばかりではないんだ。ツアーも大好きなんだけど、そのエネルギーに流され過ぎてもいけない。来場者と握手もするし、挨拶もするし、写真も一緒にとるけど、自分は人間であって、一足の靴ではないこと、自分はあくまで “人間” というものを共有しているんだということを忘れてはいけないんだ。やるべきことが多過ぎたり、忙しくなると、ときにそれを忘れてしまい、その葛藤と戦うことになるんだよね。

ありがとうございました!

KO:こちらこそ、ありがとう。10月に来日するんだ。また日本に行けるのを楽しみにしているよ。

Kassa Overall Japan Tour 2023

JAZZ界の台風の目!!
革新的ドラマー/プロデューサー「カッサ・オーバーオール」が精鋭のバンドを率いて来日決定!!
最新アルバムでも解放したそのアヴァンギャルドな実験精神と独創的美学を体感せよ!!

Kassa Overall - カッサ・オーバーオール
Support act: TBC

TOKYO
2023.10.19 (THU)
WWWX

OSAKA
2023.10.20 (FRI)
Billboard Live Osaka

シアトル在住、卓越したスキルを持ったジャズ・ドラマーとして、また先鋭的なプロデューサーとして、リズムの無限の可能性を生み出し続けるカッサ・オーバーオールの来日公演が決定!! 進化するジャズ・シーンの行き先を見届けたいジャズ・ファンはもちろんの事、更にはヒップホップの拡張し続ける可能性を体感したい全ての音楽ファンが来るべきライブになること間違いなし!!
今年3月にはエイフェックス・ツインやフライング・ロータス、スクエアプッシャー等が所属する名門レーベル〈Warp Records〉との電撃契約を発表し、遂に5月26日にリリースされる最新アルバム『Animals』は、全ての楽曲でジャズとヒップホップとエレクトロニクスが絶妙に融合した新鮮な作品となっており、ジャズの新しい未来を切り開いてくれるような歴史に残るアルバムであることはもはや一聴瞭然だ。
そんなカッサ・オーバーオールの単独公演では、トモキ・サンダースやイアン・フィンク、ベンジー・アロンスなど豪華なミュージシャンがバンドメンバーとして集結!
ここ日本でも、世界を舞台に活躍するBIGYUKIや、ジャズ評論家の柳樂光隆らから大絶賛を浴びているカッサ・オーバーオール。アヴァンギャルドな実験精神と独創的美学が、ジャズの未来を切り拓く、まさにその瞬間を見逃すな!

東京公演
公演日:2023年10月19日(木)
会場:WWWX
OPEN 18:00 / START 19:00
前売 ¥7,000 (税込/別途1ドリンク代/オールスタンディング)
※未就学児童入場不可

チケット発売:
先行発売
★ BEATINK主催者先行
5月26日(金)10:00~
https://beatink.zaiko.io/e/kassaoverall
★ イープラス最速先行販売(抽選)
5月30日(火)12:00~6月4日(日)18:00
https://eplus.jp/kassaoverall/

一般発売:6月10日(土)~
● イープラス https://eplus.jp/kassaoverall/
● ローソンチケット https://l-tike.com/kassaoverall/
● BEATINK (ZAIKO) https://beatink.zaiko.io/e/kassaoverall
INFO: BEATINK [WWW.BEATINK.COM]

大阪公演
公演日:2023年10月20日(金)
会場:Billboard Live Osaka
開場/開演(2部制)
1部:OPEN 17:00 / START 18:00
2部:OPEN 20:00 / START 21:00
チケット:S指定席 ¥8,500 / R指定席 ¥7,400 / カジュアル席 ¥6,900

チケット発売:
主催者先行:5月31日(金)
一般発売:6月7日(水)
http://www.billboard-live.com/

INFO: Billboard Live Osaka http://www.billboard-live.com/

企画・制作:BEATINK / www.beatink.com

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【シン・ジャズ・キャンペーン】

~拡張するJAZZ~

ジャズの未来を切り拓く革新的ドラマー、カッサ・オーバーオールの最新作『Animals』発売を記念して、進化系ジャズの注目アイテムを対象にしたキャンペーンを開催!

ソウル、ヒップ・ホップ、ロック、ポップスといった他ジャンルと
クロスオーバーする新世代ジャズをピックアップ!

またキャンペーン期間中、対象商品をご購入頂くと先着特典として音楽評論家:柳樂光隆氏監修による「Kassa Overall Handbook」をプレゼント

*特典は無くなり次第終了致します

【キャンペーン期間】
2023年5月26日(金)~6月25日(日)迄

---------【対象商品】---------
※全フォーマット対象
(国内盤CD、国内盤CD+Tシャツ、輸入盤CD、輸入盤LP、輸入盤LP+Tシャツ)

・Kassa Overall『ANIMALS』(5/26発売)
・Louis Cole『Quality Over Opinion (新装盤)』
・Makaya McCraven『In These Times』
・Nala Sinephro『Space 1.8』
・Emma Jean Thackray『Yellow』

---------【特典詳細】----------
特典:冊子「Kassa Overall Handbook Produced by Mitsutaka Nagira」

「Jazz The New Chapter」シリーズ監修者、柳樂光隆氏監修によるジャズの枠組みを逸脱する「異端児」の思想を読み解く

掲載内容
・カッサ・オーバーオール インタビュー
・BIGYUKI インタビュー
・トモキ・サンダース インタビュー
・カッサとジャズ人脈の交友関係
・カッサの音楽を彩るラッパー/シンガー
・UK最先端レーベルとジャズの関係
・新鋭ライターが語る越境するジャズ・ミュージシャン
・アーティスト/著名人が語るカッサ:藤本夏樹(Tempalay)/和久井沙良/MON/KU/竹田ダニエル

取り扱い店舗
タワーレコード:札幌パルコ、下田、盛岡、仙台パルコ、渋谷、池袋、新宿、町田、川崎、横浜ビブレ、浦和、津田沼、新潟、金沢フォーラス、名古屋パルコ、名古屋近鉄パッセ、鈴鹿、静岡、梅田NU茶屋町、なんばパークス、あべのHOOP、京都、広島、神戸、倉敷、福岡、若松、久留米、那覇、タワーレコードオンライン

HMV:札幌ステラプレイス、エソラ池袋、立川、ラゾーナ川崎、ららぽーと横浜、イトーヨーカドー宇都宮、イオンモール羽生、ららぽーと富士見、イオンモール太田、阪急西宮ガーデンズ

その他:代官山蔦屋書店、JEUGIA [Basic.]、エブリデイ・レコード、Hachi Record Shop and Bar

label: Warp Records
artist: Kassa Overall
title: ANIMALS
release: 2023.05.26

BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13345

Tracklist
01. Anxious Anthony (feat. Anthony Ware)
02. Ready To Ball
03. Clock Ticking (feat. Danny Brown & Wiki)
04. Still Ain’t Find Me (feat. Tomoki Sanders, Bendji Allonce, Mike King & Ian Finklestein)
05. Make My Way Back Home (feat. Nick Hakim & Theo Croker)
06. The Lava Is Calm (feat. Theo Croker)
07. No It Ain’t (feat. Andrae Murchison)
08. So Happy (feat. Laura Mvula & Francis and the Lights)
09. It’s Animals
10. Maybe We Can Stay (feat. J. Hoard)
11. The Score Was Made (feat. Vijay Iyer)
12. Going Up (feat. Lil B, Shabazz Palaces & Francis and the Lights)

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