「F」と一致するもの

interview with TOKiMONSTA - ele-king


TOKiMONSTA
Lune Rouge

Young Art / PLANCHA

Hip HopElectronic

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 トキモンスタが帰ってきた。2年前に重大な脳の障害を患った彼女は、二度にわたる手術の影響により音楽はもちろんのこと、動くことも話すこともできない状況にあったのだという。リハビリを終えた彼女はすぐにこのアルバムの制作に取り掛かったそうで、そのような闘病体験が霊感を与えたのか、新作『Lune Rouge』はこれまでの彼女のサウンドとは異なる優美さを湛えている。LAのビート・シーンから登場し、〈Brainfeeder〉からのリリースで一気に重要なプロデューサーの地位へとのぼり詰めた彼女だが、このニュー・アルバムは、フライング・ロータスの影響下にあったかつてのビートとも、EDMに寄ったセカンド・アルバムとも異なるポップネスを獲得している。ビートはより躍動的に、メロディはより叙情的に、ヴォーカルはよりソウルフルになった。そしてそこに、あるときはひっそりと、またあるときは大胆に、韓国や中国のトラディショナルな要素が落とし込まれている。この『Lune Rouge』における新たな試みは、めでたく復帰を遂げたトキモンスタの今後の道程を照らす、輝かしい燈火となることだろう。そんな彼女のこれまでの歩みを振り返りながら、4年ぶりとなる新作についてメールで伺った。

私の目標は、これらの伝統的なサウンドを、フェティシズムやアジア文化のエキゾチックな感覚ではない方法でシェアすること。この問題にどうやってアプローチするかはとても気をつけているわ。

あなたは幼少よりピアノなどを習い、クラシック音楽を学んでいたそうですが、そこからヒップホップに興味を抱くようになったのはなぜなのでしょう?

トキモンスタ(以下、T):じつはもともとピアノは弾いていなくて、両親の影響でクラシック音楽を学んでいたの。つまりクラシックが私の音楽の最初の入り口。それから私が他の音楽に触れることができる年齢になったとき、次に好きになったのがヒップホップだったわ。

ヒップホップやエレクトロニック・ミュージックを制作する際に、クラシックの素養はどのような助けになっていますか? あるいは逆に、その素養が足枷になることもあるのでしょうか? たとえば、プレイヤーとしてのスキルが作曲の可能性を狭めてしまうことはあると思いますか?

T:私は自分の音楽にクラシックのポジティヴと感じる側面のみを取り入れ、好きではないところは取り入れない。たとえば、私はクラシック作品の物語性は好きだけど、ルールや制約は好きではないの。

あなたは2010年にファースト・アルバム『Midnight Menu』を発表し、翌2011年に〈Brainfeeder〉からEP「Creature Dreams」をリリースして脚光を浴びました。あなたの出自はLAのビート・シーンにあると思うのですが、いまでもLAのシーンに属しているという意識はお持ちでしょうか?

T:私はいつもビート・シーンの一部であると思ってる。私たちはみんなLAでスタートして、いつもルーツはそのサウンドにあると感じているけど、私たちはそこから旅立ち、皆それぞれ異なる個性を持つミュージシャンへと進化しているわ。

カマシ・ワシントンやルイス・コール、ミゲル・アトウッド・ファーガソンらに代表されるようなLAのジャズ・シーンとは交流がありますか? また、彼らのようなプレイヤーと楽曲制作をしてみたいと思いますか?

T:私は現代のLAのジャズ・シーンが大好きで、すべてのアーティストを深く尊敬しいるわ。

同じ年にあなたはディプロやスクリレックスとツアーを回っていますね。そして翌2013年にはEDMのレーベルからセカンド・アルバムとなる『Half Shadow』をリリースしています。ファースト・アルバムとは異なる作風へシフトしましたが、そのときはどのような心境の変化があったのでしょう? EDMに関心があったのですか?

T:ディプロやスクリレックスとツアーを回ったけど、私の音楽は何も変わってないわ。「EDM」は作っていないし、いまだにアグレッシヴなダンス・ミュージックを作ったことはない。でも一方で、私はそれをひとつの芸術形態として尊重し、とても楽しいものだと思っているわ。私は〈Ultra〉から作品を出したけど、〈Ultra〉は私が作る音楽を制作してほしがっていたわけではないし、レーベルのアーティストがすでに作ってきた多くのものと同じものを作りたくはないと思っていたの。『Half Shadow』はもしかしたら〈Brainfeeder〉や他のレーベルでリリースされていたかもしれないけど、私はただ、より大きなレーベルでビート・シーンのサウンドが受け入れられるかどうかを見たいと思ったのよ。

昨年デュラン・デュランをリミックスしていましたよね。それはどういう経緯で?

T:デュラン・デュランのリミックスは、彼らから依頼が来たの。まさか彼らが私の音楽に興味があるとは思ってなかったので、依頼が来たときはとても驚いたわ。私は彼らとツアーもしたの。ツアーはシック・フィーチャリング・ナイル・ロジャースも一緒だった。私のようなエレクトロニック・アーティストにとって非常にユニークで、信じられない体験だったわ。

今回のニュー・アルバムはファーストともセカンドとも異なる作品に仕上がっています。本作の制作を始めた直後、難病を患ったとお聞きしていますが、病中の体験は本作に影響を与えましたか?

T:私はもやもや病という脳の病を患い、それを手術しなければならなかった。手術の副作用により、話すことも、言語を理解することも、身体をうまく動かすこともできず、さらには音楽を理解することもできなくなってしまった。もう一度音楽を理解できるようになるかどうかわからなかったときはとても恐ろしかったけど、最終的にはすべてが回復し、正常に戻った。精神的な能力を取り戻すとすぐに、私はこのアルバムの制作に取りかかったわ。

『Lune Rouge』ではヴォーカルがフィーチャーされたトラックがアルバムの半数以上を占めていますが、自身の楽曲に歌やラップといった言葉を乗せることにはどのような意味がありますか? ご自身で作詞されている曲はあるのでしょうか?

T:このアルバムでヴォーカルが配された曲は、それが適切だと思ったの。私はヴォーカルを別のひとつの楽器としてとらえることが好きだから。私はアルバムの2曲めの“Rouge”を自分で作詞して歌っているわ。

本作は1曲め“Lune”から2曲め“Rouge”までの流れや、ピアノが耳に残る4曲め“I Wish I Could”など、メロディアスな印象を抱きました。そういったメロディの部分と、ヒップホップのビートとを共存させるうえでもっとも注意を払っていることはなんですか?

T:私はつねに自分の音楽に感情だけでなく躍動感が欲しいと思っている。メロディは感情を作り、打楽器とドラムは躍動感を作る。両者の間には良いバランスがあるから、私はいつもそれを見つけようと努力しているわ。

先行公開された8曲めの“Don't Call Me”では、マレーシアのYuna Zaraiをフィーチャーしています。彼女とはどういう経緯で一緒にやることになったのでしょう?

T:Yunaとはマネージャーを通じて会ったのだけど、私たちはもともと互いの作品の大ファンだったのね。彼女は素晴らしいアーティストであると同時に素晴らしい人物でもある。この曲は本当に理解のある人によって生み出されたから特別なの。

あなたは過去に何度かアンダーソン・パクと共作していますが、近年の彼の活躍についてどう思っていますか?

T:私はアンダーソンがスターになっていくのを見るたびにハッピーな気持ちになってエキサイトしてる。彼は弟のような存在だし、私はただ彼がもっともっと輝く様子を見ていたい。

ご自身のルーツのひとつである韓国では、近年ヒップホップやR&Bを中心に、インディ・ロックやダンス・ミュージックなど幅広いジャンルで質の高い音楽が生まれていますが、現在の韓国の音楽で注目しているものはありますか?

T:私はいつも、変化している韓国の音楽にいつも興味を持っているわ。いまのところは、ビートや電子音楽を作る現地のプロデューサーについて学んでいるところね。

6曲め“Bibimbap(ビビンバ)”で使われているのは伽倻琴(カヤグム、Gayageum、가야금)でしょうか?

T:うん、そうよ!

最終曲“Estrange”でも伝統的な弦楽器が用いられていますが、これはなんという楽器でしょう? また、このアルバムには他にも韓国の音楽の要素が含まれていますか?

T:“Estrange”で使っている楽器は中国の弦楽器なの。アルバム全体にほのかに韓国の要素を通底させているわ。特に目立つのは“Bibimbap”だけどね。

積極的にそういった音を取り入れるのは、ご自身のルーツを打ち出したいという思いが強いからなのでしょうか?

T:私は多くの文化の中から伝統音楽に触れるのが好きなの。自分が韓国人である以上、当然韓国のカルチャーから生まれた音楽にもっとも親しみがあるわ。多くの人びとはモダンな音楽や、もしくはたぶん「オールディーズ」のような音楽に焦点を当てがちだけど、何世紀にもわたって存在してきた伝統音楽にはとても豊富な音楽があるの。

そういった要素を打ち出すことで、アジアの文化を世界に広めることができるという側面もありますが、逆に偏見やオリエンタリズムを増大させてしまう可能性もありますよね。そのバランスについてはどうお考えでしょう?

T:私の目標は、これらの伝統的なサウンドを、フェティシズムやアジア文化のエキゾチックな感覚ではない方法でシェアすること。この問題にどうやってアプローチするかはとても気をつけているわ。

いま〈88rising〉が、インドネシアのリッチ・チガや中国のハイヤー・ブラザーズなど、アジアのヒップホップを精力的にプッシュしていますが、そういった動きについてどう見ていますか?

T:彼らがやっていることは大好きよ。私たちがステレオタイプなアジア人のギミックや誇張として見なされない限り、あらゆる音楽分野で世界的に評価されることは素晴らしいわ。

あなたはTwitterでときおりトランプやホワイトハウスについて発言しています。いまの合衆国の状況についてはどのようにお考えですか?

T:私は現政権に不満を持ち、彼らの選択、コメント、決定に失望している。でも、つねに希望を持っているし、未来を楽しみにしているわ。

あなたの音楽について、いまでも「女性」という枠で括って捉えようとする人もいるのではないかと察します。そのことにストレスを感じることはありますか?

T:たしかにそれは少し過剰な表現のように感じるわ。でもそれは二面性を持った問題ね。女性プロデューサーの稀少さを強調するために、人びとは、私のような「女性プロデューサー」によってこのトピック全体が転換されていることを理解する必要があると思うわ。それはいつか、これ以上議論する価値がないほど一般的になるでしょう。

文化的なものには、すでに根付いてしまった社会的な因襲や慣習を変える力が具わっていると思うのですが、あなたが曲を作るときに、そういったことを意識することはありますか? 音楽や言葉や映像、アートやファッションなど、文化が持つ力についてどのようにお考えですか?

T:アーティストとしての私にとって、創造する理由とは、私が創造する必要性を満たすことなの。動機を持ったり、(ポジティヴでもネガティヴでも)政治的な課題のために音楽を作ったことはないわ。 私の目には、芸術ははっきりしていて、とても純粋なマナーの中で存在することができるように見える。でも芸術はその周りに文化を創造し、文化は人類の他の側面(政治や社会的活動など)と相互作用する。そこで私たちは、アート(音楽、ヴィジュアル、書かれたもの、ファッション、すべてのもの)がどのように文化になり、社会に変化をもたらすのかを見ている。私は自分の創造性を伝えるために音楽を作っているけど、その音楽は独自の生命を持って、インパクトを生み出し、変化を促す能力を持っているわ。それはとてもパワフルだと思う。

Lindstrøm - ele-king

 コズミック・ディスコの一大拠点である北欧。その中心はビョーン・トシュケプリンス・トーマス、リンドストローム、トッド・テリエらを輩出したノルウェーである。彼らのサウンドにはディスコ、ダブ、ハウス、テクノ、エレクトロニカ、レフトフィールド、バレアリック、シンセウェイヴ、チルアウトなどいろいろな要素が含まれているのだが、それらと同じくジャズの影響があることも見逃せない。コズミックの概念そのものが様々な音楽の融合・折衷であるので、ジャズやロックの要素が入り込むことも当然なのである。リンドストロームに関して言えば、最初のプロジェクトのスロー・シュープリームはフュージョン的な要素が強く、ブラジリアン・リズムを取り入れたヒット曲“グラナダ”は、当時2000年頃の流れでいくとフューチャー・ジャズの一種と見なされた(リリース元はオスロでジャズ・クラブを運営する〈ジャジッド・コレクティヴ〉だった)。その後、2000年代半ばよりプリンス・トーマスと共にコズミック・ディスコ路線を本格化するが、DJであると同時にドラム、ギター、ベース、キーボードなどを演奏するマルチ・プレイヤーでもあるので、彼の中にはジャズやフュージョンをはじめとしたミュージシャン的な感覚が最初から存在していたと言える(1990年代にはシルヴァー・ヴォイシズというゴスペル・ロック・バンドに在籍していたこともある)。現在の彼が拠点とする〈スモールタウン・スーパーサウンド〉は、ビョーン・トシュケ、プリンス・トーマス、トッド・テリエも属するノーウェジアン・コズミック・ディスコの最大手であるが、同時にヤガ・ヤシストからネナ・チェリー&ザ・シングをリリースするなど、そもそもジャズ~ロック~アヴァンギャルドに強いレーベルなのである。

 2010年代に入ってのリンドストロームは、アルバム『スモールハンズ』(2012年)やEP『ワインディングス』(2016年)のようなエレクトリック・ダンス作品の一方で、ジャズ・ロックや前衛的な要素の強い『シックス・カップス・オブ・レベル』(2012年)を発表したり、トッド・ラングレン、エミル・ニコライセンとコラボしてプログレ大作『ランダンス』(2015年)を作るなど、変幻自在さが増していく。そして『イッツ・オールライト・ビトウィーン・アス・アズ・イット・イズ』は、『スモールハンズ』以来5年ぶりのソロ・アルバムである。ジェニー・ヴァル、フリーダ・サンデモという北欧のふたりの女性シンガー・ソングライターが参加するほか、スキン・タウンというシンセ・ポップ・ユニットのシンガーであるグレース・ホールもフィーチャーされるが、彼女は2015年にリリースされたディープ・ハウスの“ホーム・トゥナイト”でも歌っており、それに続くコラボである。そのグレースが歌う“シャイニン”は、1980年代後半から1990年代初頭の雰囲気が漂う作品で、ヴォーカルの質感などを含めてケヴィン・サンダーソンのインナー・シティあたりを思い起こさせる。アルバム中では比較的ポップな作品で、スペイシーな高揚感に包まれた先行シングル・カット曲“テンション”、SF映画感覚に満ちたエレクトロ・ブギー“スパイアー”と共に、リンドストロームのダンサブルな側面を象徴している。“スパイアー”はジョルジオ・モロダーを彷彿とさせるサウンドで、フリーダ・サンデモが歌う“バット・イズント・イット”もそうしたミュンヘン・ディスコの流れを汲む。バレアリックな“ドリフト”も含め、これら作品はCDでは一連の流れの中で繋がっており、トータルで一種のサントラのような作りとなっている(リンドストローム自身はアルバムについて、「9つの連動したトラックからなる、ひとつの連続した流れ」と述べている)。“バングル(ライク・ア・ゴースト)”にはジェニー・ヴァルがフィーチャーされるのだが、彼女はノイズ~アヴァンギャルド系でも歌う人。そうした風変わりな歌もあって、レフトフィールド・ディスコ的な香りを漂わせる。中間にはアブストラクトなムードのピアノがフィーチャーされ、リンドストロームのジャズ・ミュージシャン的なセンスも露わになっている。これに続く“アンダー・ツリーズ”はアルバムを締め括る曲で、中間のピアノ・ソロは〈ECM〉の北欧ジャズに通じる透明感を持ちつつ、次第に混沌とした音のうねりの中に包み込まれていく。前述の『ランダンス』の流れを汲む実験的な作品で、『イッツ・オールライト・ビトウィーン・アス・アズ・イット・イズ』がダンサブルな側面とは真逆の要素も持っていることを示す。これら終盤の2曲にリンドストロームとジャズの結びつきが表われているわけだが、ダンス・ミュージックやエレクトロニック・ミュージックとジャズや前衛音楽との間を取り持つ彼のスタンスは、故アーサー・ラッセルに重ね合わせることができるかもしれない。

まいにち ねこ文具 - ele-king

ねこの手を借りちゃう? 使ってかわいい、やりとりして楽しい「ねこ文具」!

ねこ好き目線で思わずクスッと笑っちゃう
〝ねこのかわいさ〟〝ねこらしさ〟を盛り込んだ文具から、
文具好きも納得の使いやすいアイデア文具まで……
ねこ文具プランナーが提案する、「ねこ文具」のススメ。

2匹の猫と暮らす、文具のプロ・福島槙子さんが実際に日々使用している「ねこ文具」を1日の流れの中で紹介。
かわいさ、実用的な愛用ポイント、使う喜び、便利ワザや手づくりアイデアなど盛りだくさん!
人気猫写真家・石原さくらさん撮影のねこ&ねこ文具写真も魅力的な「ねこ文具」への愛情たっぷりの1冊です。

●福島槙子 makiko fukushima
文具プランナー。ウェブマガジン「毎日、文房具。」副編集長。また、各種メディアへの出演やコラムの執筆を通して文具のある生活を企画・提案している。これまでテレビ・雑誌・イベントなど出演多数。文具売場のプロデュースも行う。

●ねこみみ編集部 necomimi editional unit
2012年の『ねこみみ ~猫と音楽~』(音楽出版社)制作以降、猫写真家・関由香撮影による写真集や文庫版『なめんなよ 又吉のかっとびアルバム 写真集』(リットーミュージック)、『ふてニャン写真集 ふてやすみ』(玄光社)などを手がける。

●石原さくら
猫写真家。デボンレックスとシンガプーラのブリーダー。1級愛玩動物飼養管理士。「ねこのきもち」他雑誌での写真連載や、写真教室を定期的に開催。「マツコの知らない世界」「深イイ話」「あさイチ」などTV出演多数。日本テレビ系にて毎朝放送中の「Oha!4 NEWS LIVE『おはにゃん』」へ写真提供中。猫にかかわる様々な活動に積極的に取り組み、猫と人とのより良いあり方の提案をライフワークとする。12月には猫のためのモノ・コト専門店「ねこ専科」の実店舗を東京・本郷にてオープン予定。
石原さくら: https://sakuraquiet.me
ねこ専科: https://nekosenka.com


Visionist - ele-king

 2015年に〈パン(PAN)〉から発表されたヴィジョニスト(Visionist)=ルイス・カーネル(Louis Carnell)のファースト・アルバム『セーフ(Safe)』は、UKグライム・カルチャーをベースにしつつ、インダストリアルとヴェイパーウェイヴ的なサウンドを拡張させたかのようなアルバムであった。すでに2年前のアルバムだが、今もって不思議な存在感を放つ作品である。じっさい当時のインダストリアルやエクスペリメンタルの潮流においても透明に輝く石のような異物感を称えていたように思う。ジャンルの共通事項に収まりがつかない作品だったのだ。
 そして2017年、ハイプ・ウィリアムス(Hype Williams)の賛否両論となった復帰・新作『レインボウ・エディション(Rainbow Edition)』をリリースした〈ビッグ・ダダ・レコーディング(Big Dada Recordings)〉からヴィジョニストの新作『ヴァリュー(Value)』が発表された。この2年ぶりの新作でインダス/ヴェイパーな要素は解体され、ノイズとクラシカルな成分で混合されたサウンドが全面的に展開されている。暴発性と折衷性と優雅さが同時発生しているエレクトロニック・サウンドとでもいうべきか(折衷という意味では、リー・ギャンブルの新作『マネスティック・プレッシャー』に近い)。
 アートワークはカニエ・ウェスト(Kanye West)の『ザ・ライフ・オブ・パブロ(The Life Of Pablo)』のアートワークを手がけたPeter De Potterが担当している。

 宗教歌のような澄んだ声が、こま切れにエディットされ電子ノイズのなかに掻き消されていく1曲め“セルフ-(Self-)”からアルバム世界に引き込まれる。そこからシームレスにつながる2曲め“ニュー・オブセッション(New Obsession)”では、ガラスが砕け散るような猛烈なノイズとインダストリアル・ビートが天空の歌声のごとき澄んだヴォイス・サウンドにレイヤーされ天国と地獄が記憶の中に再現されるような感覚を覚えた。そして一転して静寂な楽園を思わせるクラシカルな3曲め“オム(Homme)”、脳内に蠢くネットワークのごとき神経的なノイズから讃美歌のようなヴォイスへと展開する4曲め“ヴァリュー(Value)”と、アルバムは螺旋階段を描くように展開する。
 このアルバムはノイズとクラシカルという両極を統合しようとしているのではないか? などと思っていると、5曲め“ユア・アプルーヴァル(Your Approval)”ではヴォーカル曲が披露される。ノイズと人間の統合。人間の(再)承認。破壊と再構築。ヴァイオレンスとエレガンス。ノイズとクラシカル……。このアルバムでは相反する概念や現象が互いに衝突している。だからこそピアノの悲しげな音色と激しい音色のビートとが交錯し、相反するふたつの極が離反・統合されていく6曲め“ノー・アイドル(No Idols)”が本アルバムを象徴するトラックなのであろう(MVも制作されたのだから)。

 楽園のように静謐な7曲め“メイド・イン・ホープ(Made In Hope)”を経て、8曲め“ハイ・ライフ(High Life)”では空へ上昇するようにヴォイスと電子音が交錯する。そしてこのトラック以降、アルバムのムードはやや変わってくる。まるで天国への昇天を希求する音楽のように、前半と中盤で交錯されてきた(対立と融合を繰り返してきた)ノイズとクラシカルな要素が統合されるのだ。
 ゆえにアルバムは、涙の雫のようなピアノ、シンセ・ヴォイス、微かなノイズに、激しい電子ノイズがレイヤーされ暴発したかと思えば、それらすべてが消え去ってしまうラスト曲“インヴァニティ(Invanity)”で終焉を迎えるのだろう。ふたつの音=極が統合される。その先にあるのは人間性の再承認か。その価値の再創造か。

 ノイズとクラシカル。ふたつの対立が統合され、融解し、昇天し、消失する。どこか弁証法的なアルバム構成であり、一種のコンセプト・アルバム(なんという20世紀的表現!)にも思えるが、「物語」よりも「不穏化していく世界」に対する存在論的な問題の方が表面化している点が21世紀初頭的だ。ポスト10年代(来るべき20年代!)の行方を模索するサウンドのように感じられる。
 本作には2010年代のインダストリアル/テクノ以降の「ネクスト」が潜んでいる。もしくはワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(Oneohtrix Point Never)『ガーデン・オブ・デリート(Garden Of Delete)』以降の「世界」への予兆に満ちている。電子ノイズに託される「世界への不安」の意識。それに抵抗する「個」の生成。それゆえの「情動」の発生。引き裂かれる「個」の存在。『ヴァリュー』は、その名のとおり「人間」の価値を再定義するかのようなアルバムだ。人間の終焉から人間の再承認へといった具合に。
 このアルバムからはインターネット環境化において自我がバラバラに分断され、日々、不安と不穏とに苛まれている2010年代後半を生きているわれわれ人間にむけてのメッセージが「暗号」のように発せられているように思える。われわれはそろそろ「インナースペースの病」から脱して「新しい地球地図」(ネオ・ジオ?)を描くときが来ているのかもしれない。

Various Artists - ele-king

 だいぶ前の話になるが、映画『アトミック・ブロンド』を観た。来年公開予定の『デッドプール2』の監督も務めるデヴィッド・リーチが作りあげたこのスパイ映画は、壁が崩壊する前夜のベルリン、年代で言えば1980年代末を舞台にしている。物語は、世界情勢に深く関わる極秘リストを奪還するため、MI6によってベルリンに送り込まれたロレーン(シャーリーズ・セロン)を中心に進んでいく。厳しいトレーニングを積んだうえで臨んだというシャーリーズ・セロンのアクションなど、見どころが多い内容だ。なかでも圧巻だったのは、スパイグラス(エディ・マーサン)を逃がすときにロレーンが披露する体技。ビルの階段を移動しながらおこなわれるそれは7分以上の長回しで撮られており、華麗に立ちまわるロレーンの姿がとても美しかった。
 アクションでよくある、ご都合主義的な綺麗さが見られないことも特筆したい。華麗に敵をなぎ倒していく様は映画的でも、戦うごとに体のアザは増え、それを手当てするシーンも随所で挟まれたりと、生々しい描写が際立つ。そうして傷だらけになるロレーンだが、被虐的な様子はまったく見られない。むしろ、スパイとしての凛々しい姿とプロ意識を観客に見せつける。その姿を観て筆者は、“カッコいい……”という平凡極まりない感想を呟いてしまった。

 『アトミック・ブロンド』は、劇中で流れる音楽も魅力的だ。ニュー・オーダー“Blue Monday 1988”、デペッシュ・モード“Behind The Wheel”、パブリック・エネミー“Fight The Power”といった、80年代を彩ったポップ・ソングが取りあげられている。しかも、ただ流すだけじゃない。MI6のガスコイン(サム・ハーグレイブ)が殺されるシーンでは、イアン・カーティスの死について歌われた“Blue Monday 1988”を流すなど、曲の背景と劇中のシーンを重ねるような使い方なのだ。ここに筆者は、デヴィッド・リーチのこだわりを見た。

 そのこだわりをより深く理解するため、映画のサントラである『Atomic Blonde (Original Motion Picture Soundtrack)』を手にいれた。本作は先に挙げた曲群を収録しておらず、そこは非常に残念だが、それでもデヴィッド・ボウイ“Cat People (Putting out Fire)”、スージー・アンド・ザ・バンシーズ“Cities In Dust”、ネーナ“99 Luftballons”など、劇中で使われた曲はだいたい収められている。
 とりわり目を引くのは、ボウイとの繋がりが強い曲を数多く起用していることだ。ボウイは1976年から1978年まで西ベルリンに住み、そこで得たインスピレーションを元に『Low』『Heroes』『Lodger』というベルリン三部作が作られたのは有名な話だが、このことをふまえて映画ではボウイが象徴的な存在になっている。
 面白いのは、それを少々ひねりが効いた方法で示すところだ。その代表例が、ニュー・ロマンティック期のエレ・ポップど真ん中なサウンドを特徴とする、アフター・ザ・ファイアー“Der Kommissar”。もともとこの曲は、オーストリアのファルコというシンガーソングライターが1981年に発表したシングル。重要なのは、このシングルのB面に収められた曲だ。“Helden Von Heute”というそれは、ボウイの代表曲“Heroes”へ賛辞を送るために作られた曲で、メロディーは“Heroes”をまんま引用している。こういう婉曲的な仕掛けを通して、ボウイの偉大なる影を匂わせるのだ。

 その影は、ピーター・シリング“Major Tom (völlig losgelöst)”でもちらつく。タイトルからもわかるようにこの曲は、ボウイが1969年に発表したアルバム『Space Oddity』へのアンサー・ソングだ。もともとの歌詞はロケット発射の様子を描いたもので、深い意味はない。だが、『アトミック・ブロンド』の中では冷戦時代の一側面を表す曲になっている。1980年代末のベルリンは冷戦まっただ中であり、そんな時代に米ソ間でおこなわれた熾烈な宇宙開発競争を連想させるからだ。こうした既存の曲に新たな意味をあたえるセンスは、退屈な懐古主義に陥らない同時代性を漂わせる。
 この同時代性は、映画のために作られたいくつかのカヴァー曲にも繋がっている。特に秀逸なのは、映画のスコアを担ったタイラー・ベイツがマリリン・マンソンと共作したミニストリー“Stigmata”のカヴァー。殺伐としたドライな音質が耳に残る激しいインダストリアル・ロックで、マリリン・マンソンの金切り声を味わえる。もちろん、このカヴァーも映画と深い繋がりがある。オリジナル版“Stigmata”のMVにはスキンヘッドのネオナチが登場するが、そこに映画の核であるベルリンという要素との共振を見いだすのは容易い。

 そうした綿密な選曲において、ひとつだけ気になる点がある。ザ・クラッシュ“London Calling”を選んでいることだ。この曲は1979年にリリースされたもので、80年代でもなければ現在の曲でもない。しかしそこには、他の曲以上に重要な意味を見いだせる。
 “London Calling”は、ザ・クラッシュから見た当時の社会について歌った曲だ。1981年のブリクストン暴動、セラフィールド、フォークランド紛争といった、80年代のイギリスで起こることを予見するような言葉が歌詞に並んでいる。
 そんな予見的な曲が、映画ではベルリンの壁崩壊後の終盤で流れる。決着を迎えてめでたしのはずが、〈すぐさま戦争が布告され 戦いがやってくる(Now war is declared and battle come down)〉と歌われるのだから、なんとも興味深い。ここまで書いてきた映画と曲の深い繋がりから考えても、かなり意味深だ。ロレーンの次なる戦いが始まるから……とも解釈できるが、過去の要素に同時代性を見いだし表現する『アトミック・ブロンド』の特性をふまえると、この映画はあなたたちの現状であるという暗喩を込めた選曲ではないか。そう考えると、冷戦時代のベルリンが舞台であるにもかかわらず、それにまつわる物語じゃないと否定するグラフィティーが映画の冒頭で挟まれるのも納得だ。“London Calling”が流れた途端、西ドイツと東ドイツの間にあった経済格差や、壁によってもたらされた抑圧といった映画の時代背景には、新冷戦(New Cold War)なる言葉も飛び交うようになった現在を表象する機能が付与される。

 ここまで大胆な音楽の使い方を前にすれば、客寄せパンダ的にヒット・ソングを使ったという揶揄も跪くしかない。

Nídia - ele-king

 コンピが出たらそこでもうおしまい、というジンクスをなんだかんだで信じてしまっている身としては、昨年リリースされたレーベル・コンピ『Mambos Levis D'Outro Mundo』の素晴らしさに触れて以来、〈プリンシペ〉の行く末がどうなるのか心配で心配でしかたがなかった。このまま同じことの繰り返しや水増しが続いてシーン自体が衰退していくのだろうか、それともジューク/フットワークのように他の要素を取り入れながら世界各地で独自の進化を遂げていくのだろうか、と。
 ともあれ永遠にシングルとEPだけで運営を続けていくのではないかと思われた〈プリンシペ〉が、重い腰を上げてコンピを制作したのである。となれば、次に期待されるのは単独アーティストによるフル・アルバムだろう。となれば、やはりまず同レーベルの首領たるDJマルフォックスに、がつんと気合いの入った1枚を投下してもらわねばなるまい……いや、その実験精神と独創性においてかのシーンで頭ひとつ抜きん出た存在であるDJニガ・フォックスが、まだ誰も聴いたことのない変てこなアルバムを送り出す可能性もある。じっさい、今年の頭にリリースされたニガ・フォックスの1トラック・シングル「15 Barras」は、喚声とアシッドがひたすらうねうねと続いていく珍妙な曲で、良いか悪いかの二者択一を迫られると返答に困るものの、インスタレイションのための付随音楽という側面もあってか、少なくとも方向性の上では〈プリンシペ〉の「次」が模索されていたように思う。

 しかしじっさいに先陣を切ったのはマルフォックスでもニガ・フォックスでもなく、かのシーンのもうひとりの立役者、ニディア・ミナージュだった。彼女の待望のファースト・フル・アルバム『Nídia É Má, Nídia É Fudida』は、残念ながらニガ・フォックスのように「次」を探究しているわけではなく、われわれが「リスボンのゲットー・サウンド」と聞いて思い浮かべる音の範疇に収まった内容ではあるものの、けっして出来が粗末というわけではない。ハウスを基調とした2015年のEP「Danger」よりリズム・パターンの幅は広がっているし、着々とシングルやEPのリリースを重ねてきたアーティストが必ずぶつかる、「アルバム1枚持たせられるか」という壁をさらりと乗り越えている点も評価に値する(1曲1曲の短さに助けられている面もあるが)。
 そんなニディアの矜持が示されているのが冒頭の“Mulher Profissional”と続く“Biotheke”で、そこから3曲め“Underground”まで針を進めたリスナーは自らの買い物に間違いがなかったことを確信するだろう。全体のバランスも考えられており、“Puro Tarraxo”のような実験的な曲だけでなく、“House Musik Dedo”のようなメロディアスで機能的な曲も収録されている。なかでも惹きつけられるのは、複雑なドラム~パーカッションと切り刻まれたピアノ音とが絶妙な揺らぎを形成する“I Miss My Ghetto”だ。

 このように充実したアルバムを聴くとやはり、では次に彼女や〈プリンシペ〉が向かう先はどこなのか、というのが気になってくる。それを探る手がかりになりそうなのが、ブラジルの大御所サンバ歌手、エルザ・ソアーレスが一昨年リリースしたアルバム『A Mulher do Fim do Mundo (The Woman At The End Of The World)』のリミックス盤、『End Of The World Remixes』である。
 オリジナルの『A Mulher do Fim do Mundo』は、エルザがサンパウロのアヴァンギャルドなミュージシャンたちとともに録音した実験色の濃い作品で(プロデューサーはギリェルミ・カストルッピ)、ポストパンクやマスロックなどの手法をアフロ・ブラジリアンに溶け込ませた素晴らしいアルバムだった。テーマの上でも人種差別やDVなど現代ブラジルの抱えるハードな問題を扱っており、『ガーディアン』『ピッチフォーク』といったメディアから非常に高い評価を受けている。そのオリジナル・アルバムに新たにリミックス音源を追加したのが、この『The Woman At The End Of The World + End Of The World Remixes』である(アナログ盤および配信版はリミックス音源のみの構成)。
 そのリミキサー陣には、リオのオムルやリカルド・ディアス・ゴメス、オリジナル盤の制作にも大きく関わったサンパウロのキコ・ディヌッチといった当地のプロデューサーたちに加え、ララージとジャイルス・ピーターソンというふたりの大物も名を連ねているのだけれど、その並びにひっそりマルフォックスとニディアも参列している。
 マルフォックスが、すでに確立された己のスタイルに強制的に原曲のパーツを組み入れる形でリミックスを施しているのに対し、ニディアの方は、リズミカルでありながらもエルザの声のエコーを最大限に活かした、ある意味で静謐を湛えるリミックスをおこなっている。ニディアは最近フィーヴァー・レイのアルバムにも参加していて、そちらではマルフォックス寄りのアゲアゲな側面を披露しており、たしかにそれも〈プリンシペ〉の世界各地への伝播の一例ではあるのだけれど、彼女自身のスタイルの幅を広げるという点においては、このエルザのリミックスの方が有意義な経験だったのではないだろうか。

 かくして〈プリンシペ〉の次なる可能性のひとつに、ラテンという選択肢が浮かび上がってきたわけだが、旧宗主国のゲットーと旧植民地のストリートとのこの出会い、すなわち第四世界と第三世界とのこの邂逅が、今後どのような成果を生み落とすことになるのか、今度はそのことが気になって気になってしかたがなくなってきた。

interview with Bullsxxt - ele-king


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 まずサウンドの変化が耳に飛び込んでくる。とりわけベースが豊かになった。UCDをフロントに据えた若きヒップホップ・バンド、Bullsxxtのファースト・フル・アルバム『BULLSXXT』は、IDM的な要素も聴きどころだった自主制作盤『FIRST SHIT』から一変し、ぐっとジャズやファンクに寄ったグルーヴィなアンサンブルを展開している。とはいえ生演奏の心地良さに安住してしまっているわけではなく、パキッとしたスネアの質感(ドラマーの菅澤によると、打ち込みっぽく響かせたかったのだそうだ)や、“Poetical Rights”のエレクトロニクスなど、いわゆるバンド・サウンドからの逸脱も厭わない。かつてのブラック・ミュージックの大いなる遺産を受け継ぎながら、近年のジャズの潮流も視野に収めた同時代的なアルバムと言えるだろう。まずはサウンド面で勝負をかける――それがかれらの意気込みなのだ。
 しかし、である。MCを擁したヒップホップ・バンドである以上、多くのリスナーが最初に注目するのはやはりUCDのラップだろう。「ブラック・ミュージックをやるなかで、体制にプロテストしていくという要素を無視して、音楽的な部分だけすくい取るということをしたくなかった」と菅澤が語るように、『BULLSXXT』を際立たせている特徴のひとつに、彼らの「コンシャス」なアティテュードがある。
 今回の取材で意外だったのは、UCDが「国家じゃない共同性のあり方だってある」という話をしてくれたことだ。僕は勝手にSEALDsにリベラルなイメージを抱いていたので、そして“Sick Nation”のリリックは「ニセモノの愛国に対してホンモノの愛国を提示する」というある意味では危険な構図をとっていたので、彼らは国家の存在自体は保留しながらそのなかで少しずつ情況を改良していく、というような方向を目指しているのかなと想像していたのだけれど、そしてじっさいUCDはそういう側面も否定はしないのだけれど、「国家じゃない共同性のあり方」という考えに影響を与えているのは、リベラルというよりもむしろラディカルな現代思想であり、そしてそれはアナキズム的な発想とも通ずるものだ。じっさい以下のインタヴューでもベンヤミンやルジャンドルといった思想家の名が挙がっているが、UCDがだてに研究をやっているわけじゃないことがひしひしと伝わってくる。それこそがラッパーとしてのUCDの魅力であり強みでもある、とドラマーの菅澤は言う。たしかに、そのような彼の思想とヒップホップ的なマナーとのせめぎ合いもまた『BULLSXXT』の魅力のひとつだろう。
 このアルバムで興味深いのは、直接的なメッセージ性を持った曲が意外に少ないという点だ。声高にプロテストを表明しているのは“Sick Nation”と“Fxxin'”くらいで、他は日常を描いたものや抽象的な思考を吐き出したもの、音楽への愛や大切な人への想いを綴ったものなど、リリックのテーマは多岐にわたっている。本作において直接的な政治性は、あくまで要素のひとつにすぎないのである。それ以上にこのアルバムには、「ひとり」の人間が抱くさまざまな想いや思考が凝縮されている。まさにそのようなあり方にこそUCDの考えるポリティクスや、Bullsxxtというバンドのコンシャスネスが体現されているように思われてならない。
 だからこそ、“Sick Nation”に登場する「ひとりひとり孤独に思考し判断しろ」という一節が鋭く胸に突き刺さる。たしかに、孤独なくして友情や恋愛はありえないし、共同性もまた孤独なくしては生起しえない。そういう意味で『BULLSXXT』は、濃密なバンドの「団結(band)」を示しているとはいえ、多分にUCDの「孤独」から生み落とされたアルバムなのではないかと思う。以下のインタヴューで語られる「自分の意見なんかゼロ」「器になる」という話も、まさにそのことを象徴しているのではないか。ここで僕は、かつてとあるMCが繰り出したパンチラインを思い出さずにいられない。
 「サイの角のようにただ独り歩め」。
 この『BULLSXXT』というアルバムは、これからやって来る世代、場合によってはまだ生まれてすらいない人びとに向けて作られていると、そうUCDは言う。僕は本作が10代の、とりわけ「孤独」であることに悩んだり引け目を感じたりしている人たちの耳に届くことを願っている。かつてUCDがBOSSのラップに突き動かされたように、いまUCDが紡ぎ出している言葉たちもまた、そんな誰かの人生を変えてしまうかもしれない可能性を秘めているのだから。(小林拓音)

直接ポリティカルなことを言っていなくても結果としてポリティカルなことになるというのはあると思うんですよ。例えばPUNPEEの今回のアルバムもけっこうポリティカルだと思うんですけど、そういうふうにもやってみたいと思ったんですよね。 (UCD)

=野田 ●=小林

もしこのCDが全然売れなかったとしたらBullsxxtはどうなるんでしょうか?

菅澤捷太郎(以下、菅澤):ああ、意地悪ですね(笑)。

UCD:はははは。僕は続けたいと思っていますけど、どうなんでしょう。

菅澤:次のアルバムがPヴァインさんから出ることにはならないかもしれないですけど(笑)。

(一同笑)

菅澤:出ることにはならないかもしれないですけど、Bullsxxtは別に売上のためだけにやっているバンドじゃないので、続けることになると思います。あとはメンバー同士のやりたい音楽が一致している限りはこのバンドは続くと思いますけどね。

UCD:そうですね。それで例えば無理やりポップ路線にいこうとか、そういうことは考えないと思いますね。

僕はこのCDが売れることを望んでいますけどね。万が一売れなかったときの話(笑)。

(一同笑)

菅澤:たぶん落ち込みますね(笑)。

UCD:でも売れなかったら逆に俺は調子に乗ると思う。

でもさ、結局10代の多くは自民党に票を入れるじゃない? 全然Bullsxxtの言葉が届いてないよねー。それが不満なんだよ。

UCD:本当にそうなんですよね。でもタイミング的に選挙ギリギリだったというのもあるんですけどね(笑)。出たばっかりなのでこれから浸透していくとは思うんですけど。あとはBullsxxtもそうですけど、SEALDsの声が届いていないとは思いますね。そもそも若者は政治に関心があるというイメージに反して、じつはSEALDsが超マイノリティだったという結論なのかなと思いますね。

枝野(幸男)さんはマイノリティじゃないと言っていたけどね。

UCD:そうですね(笑)。僕らもマイノリティじゃないぞとは言っていたんですけど、でも結局マイノリティだったということだと思うんですよね。

今回はBullsxxtが力及ばずってことか。

(一同笑)

UCD:全部僕らにかかっているんですね(笑)。

菅澤:背負わされてるね(笑)。でも本当に背負っていくしかないね(笑)。

だいたいさー、リリックで、こんな上から目線な表現で、「くだらねえ」とか「~じゃねえ」とか「抗え、もしくは闘え」とかさ、こういうのはいまも通用するの(笑)?

UCD:通用しないと思います(笑)。

ハハハハ。

UCD:いまだったらもうちょっと言いかたを変えると思いますね。

こういうのは初期の曲なの?

UCD:そうですね。メッセージが強い曲ほど最初のほうに書いた曲ですね。大学2、3年生のときの僕がただ怒って書いていたものなので、いまだったらもうちょっとやりかたを変えるかなとは思いますけど。

菅澤:この歌詞を書いてからもう4年くらい経っているよね。でもその4年前に言っていたことがいまでも通用するというのが恐ろしいですけどね。

Bullsxxtのアルバムをすごく楽しみにしていた人間のひとりとして言うと、“Sick Nation”みたいな曲をもっとたくさん聞きたかったなと思いますね。

UCD:なるほど(笑)。

Bullsxxtって「コンシャス」なイメージがあるのに、今回のアルバムは直接的なメッセージの曲が意外と少ないなと思いましたね。

そうなんだよ。それはちょっと不満だよな。

UCD:最初はもっとポリティカルな内容にすることを構想していて、(1st EP)『FIRST SHIT』の曲を過去の話としてアルバムの真ん中に置いて、例えば戦争後から見た『FIRST SHIT』の僕というのを未来から事後的に語っている曲を前後に置くとか、いろいろと考えていたんですけど、ちょっとそれも違うと思ってしまって。まずは普通の曲としてちゃんとしたものを作れるようになりたいなと思ったんですね。

菅澤:今回のアルバムのために作った新曲はあまり政治的な内容じゃないんですよね。

UCD:1曲共謀罪についての政治的な曲を入れようとしたんですけど、詞とトラックが合わないということになって入れなかったんですよね。

ブラック・ミュージックをやるなかで、体制にプロテストしていくという要素を無視して、音楽的な部分だけすくい取るということをしたくなかったというか。 (菅澤)

やっぱ牛田君には去年までのSEALDsでの経験があって、あの熱気はBullsxxtにも引き継がれているわけでしょう?

UCD:もうちょっと普遍的なことも言いたいと思って、別に直接ポリティカルなことを言っていなくても結果としてポリティカルなことになるというのはあると思うんですよ。例えばPUNPEEの今回のアルバムもけっこうポリティカルだと思うんですけど、そういうふうにもやってみたいと思ったんですよね。

PUNPEEのアルバムはどこがポリティカルだったんですか?

UCD:やっぱり日本に対する諦念みたいなものは確実にあって、「ニュースではひどいことばっかりだ」みたいなことをところどころで言ったりしているんですね。基本的には未来のPUNPEEが過去のアルバムについて言及しているという構成になっているんですけど、最後の曲ではおじいちゃん(未来のPUNPEE)が消えて、本当のPUNPEEが出てくるんです。PUNPEEが「友だち、兄弟ありがとう。でも大事なのはこれからだぜ」と言って最後の“Hero”という曲がはじまるんですけど、「過去には戦争があったけど、その犠牲者のなかにも偉大なアーティストがいたはずだ。そういう人の意思を引き継いで僕らはものづくりをしなくちゃいけないんだ。つくりだそうぜ、Hero」って内容なんですよ。ヴァルター・ベンヤミン(註:ドイツの思想家)の「歴史哲学テーゼ」かよ! って思いました。

デモでマイクを握っているときのほうがライヴ・ハウスでマイクを握っているときよりも迫力があるように感じてしまったんだけど、まだデモのときのエネルギーをライヴ・ハウスで出し切れていないんじゃない?

UCD:たしかにそうですね。

機動隊に囲まれているほうが燃えるんですか?

UCD:いや、むしろ逆でライヴ・ハウスのほうが気負っているんですよね。僕はコールを国会前でやっているときは基本的に自分をゼロにしようと努めていて、「自分の意見なんかゼロなんだ」というのが僕が一番やろうとしていることなんですよ。器になるというか、僕の後ろにいる何千、何万人という人たちの声の集約地点というか、その声が全部僕のなかに入ってきて語っているというイメージでずっとコールをしていたんですよね。だからもちろん僕の言葉でもあるんですけど、僕だけの言葉ではないというか。無意識のエネルギーを自分のなかに吸収して吐き出していたという感じですね。だから詞も本来はそうあるべきなので、ライヴ・ハウスでももっと周りの目線を吸収して吐き出さないといけないんですけど、正直言ってたぶんまだ僕にそこまでの力がないんだと思います。だから僕はこの1枚(『BULLSXXT』)は次に繋げるための1枚だと思ってます。やっぱり前のアルバムの出し直しということも含めてなんですけど。

そういう言葉でのスタンスと今回煮詰めようと思ったジャジーでメロウな音楽性はどういうリンクのしかたをしているの?

菅澤:今回のアルバムはメンバー同士で言葉にすることはなかったですけど、「ブラック・ミュージック」というものを意識しようという、テーマみたいなものがあって、それは集まったメンバーがもともとブラック・ミュージック系の音楽サークルに入っていたというのもあると思うんですけど。そうやってブラック・ミュージックをやるなかで、体制にプロテストしていくという要素を無視して、音楽的な部分だけすくい取るということをしたくなかったというか。

UCD:バンドだけでしかできないことを考えたときに、僕の主張だけならソロでもできるはずで、バンドだとみんなで作った演奏のトラックに沿うように歌詞を書くということがバンドでやるおもしろさだと思っているんですね。だから歌詞は曲からイメージされるものとして書いている感じではあったんですよね。“Sick Nation”みたいな曲は僕のなかではラップと曲が乖離していると思うんですけど、それが逆にいいというか。ATCQの最新アルバムもそんな感じになっていて、「右翼じゃなくて左翼になるときだ」ってフレーズからはじまるけど曲はオシャレみたいなことになっているからいいんですよ。だからもうちょっと僕がバンド全体を政治的に調教しなきゃいけないとは思いますね。

(一同笑)

問題発言が出た(笑)。ケンドリック・ラマーからの影響は?

菅澤:ケンドリック・ラマーの2枚目ですよね。3枚目もみんな聴いていましたけど、どちらかと言えば2枚目の影響のほうが強いと思いますね。

UCD:ケンドリックってデモとか批判していますよね。あとは投票も行かないとか、そんな感じじゃないですか。だから内側からのコンシャスのほうが大事だってことを言っていて、それは僕も共感するところではあるというか、段階的にはSEALDsや立憲民主党みたいな動きは必要だと思うんですけど、僕の根本的な思想で考えたときに別に国家がある必然性はないとは思うんですよね。ほかの共同性もありえるはずというか。

それほど国家にこだわりがないという話はおもしろいですね。というのも、“Sick Nation”は「俺のほうが本当の愛国だ」というニュアンスの曲ですよね。戦略的にこういうリリックを書いたのか、それとも4年前の時点では本気でそう思っていたのか、どちらなのでしょう?

UCD:いや、書いた当時も戦略的でしたね。戦略というか、いま言われているような右翼よりかは俺のほうが日本好きだよっていう思いは確実にあって、日本語というもの自体に対する愛とか、そこに生まれてしまっているから、自分の足場はそりゃ捨てられないというのはありますね。できるだけよくするしかないという気持ちはあります。そういうものとして捉えたときには愛国的な歌詞かもしれないですけど、半分は皮肉ですね。

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イメージ的には未来を見ている感じですね。これから来る世代、むしろまだ生まれてもいない世代にとって悪い世のなかにならないようにするということ。 (UCD)


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だんだん怒りが薄まっているということはない?

UCD:(笑)。怒りの方向性が変わっているというのはたしかにありますね。もともと僕はヘサいんですよね。だからちょっと前に「お前ら俺が本気で怒っていると思うなよ」って書こうと思っていたんですけど(笑)。「俺をヒーローにするな、ふざけるな」みたいな歌詞を書こうと思ったんですよ(笑)。

恐ろしい自意識!

(一同笑)

UCD:いやいや(笑)。でもSEALDsをやっているとヒーローとして扱われちゃうんですよ。とくに地方に行くと「うわ~、UCDだ!」みたいな人たちがいたんですけど、「いやいや、俺は何者でもねえよ」っていう(笑)。

菅澤:ネットでもいるもんね。

UCD:ネットでも僕がツイートするたびに「ですよね!」って言ってくる人たちがいて。そういう人に対する怒りとか(笑)。あとは知識人に対する怒りですね。当事者性がない連中に対しての怒りはあります。怒りが薄まっているのかなあ。

サウンドが大人びた方向に行ったじゃないですか。それは演奏している側が牛田君の言葉を聴いて、こっちの方向が正しいと思ったわけでしょ?

菅澤:前はなんだかんだ言ってラップが引き立たないようなトラックもあったと思うんですよ。でも今回はトラック・メイカーのベーシストが入ったというのもあって、どうやってラップを引き立てていくかというのを考えたときにああいうかたちになったんですよね。

UCD:ラップ入れようとするとこいつ(菅澤)のドラムが邪魔で、邪魔で。

で、パチパチやり合っていた?

菅澤:けっこう火花は散ってましたよ。

UCD:練習の段階ではけっこうバチバチでしたね。

DJとか、サンプリングとか、そういうことは考えなかったの?

UCD:いや、考えたんですけど単純に周りにいなかったんですよね。本当にそれだけの理由ですね。本当はサンプラー使って女の人の声だけで作られているような曲のほうが好きなんですよ(笑)。女の人の歌声が不自然に出てくる曲のほうが好きですね(笑)。

じゃあMC+DJというかたちでやる可能性もある?

UCD:ありましたね。というかそれはやるつもりなので、今後もありますね。

菅澤:Bullsxxtができたのも、バンドをやっているやつしか周りにいなかったって理由なんだよね。

アルバムを聴いてすごく思ったのが、THA BLUE HERBからの影響がすごく大きいってことなんだよね。S.L.A.C.K.はあまり感じなかったね。

UCD:THA BLUE HERBは大きいかもしれないです。僕がS.L.A.C.K.(5lack)のことを好きなのは自分ができないからかもしれないですね。ああはなれないというか、タイプが違うというか。S.L.A.C.K.の影響があるとしたら、ただ日常を歌うというところですね。怒りも含めて日常であるということを歌うということですかね。
 とはいえ、ラップを書くときには意識していないんですけど。僕は最近だとC.O.S.A.が好きですね。C.O.S.A.は、ちょっと違うところもあるんですけど現代版THA BLUE HERBというか、ゴツッとした感じのラップで好きですね。

ちょっと任侠の世界が入っているような?

UCD:なんだコイツは! という感じにちょっと憧れますね。(自分の)キャラクターとは違いすぎるんですけど(笑)。

菅澤:牛君は任侠っぽくはないもんね。

UCD:心のなかではいつも任侠的な気持ちがあるけどね(笑)。「なめてんじゃねえぞ」っていう。

小岩が任侠的な街なんじゃないの(笑)?

UCD:たしかに僕は不良を目指してました(笑)。優等生なのに(笑)。

菅澤:不良に囲まれざるをえないからね(笑)。

UCD:たしかに粋がってるやつのほうがカッコいいでしょ、みたいな不良文化はありましたね。

アルバムを聴いて、1音1音に間が入るようなラップだと感じて、そこはそれほどBOSS的ではないなと思ったんですよね。もちろん曲のなかでラップが流れるようになるところもあるんだけども、全体的に言おうとしている言葉を優先しているという気がしたんですが、そんなこともない?

菅澤:詞先みたいなことですか?

モーラごとにほんの少し間があるというか、喋るようにスラスラ流れるというよりは、1音1音区切っているようなラップのしかただと思ったんですね。

UCD:たしかにそうですね。なにを意識しているのかはもうわかんないな。

「Bullsxxtのアルバム聴いた?」「聴いたよ!」というやり取りでの繋がりかたを作るという意味では音楽にしかできないことだと思いますね。〔……〕国家じゃないところでの人々の繋がりを作れるというところは大きいと思いますね。 (UCD)

10曲目(“Reality”)は2ヴァース目からそのラップが変わって、それがすごくおもしろかった。

菅澤:“Reality”こそ、このアルバムの曲のなかではS.L.A.C.K.に近いラップだと思うんですけどね。

UCD:正直自分ではなにっぽいのかよくわかんないですね(笑)。

とくに影響を受けた人がいるわけではない?

UCD:そうですね。いろんな人のラップを聴いて、こういうのもありなのかとは思うんですけど、とくに脚韻を重視する必要がないというのはいとうせいこうが“東京ブロンクス”とかでやっているんですよね。全然踏んでいなくてもいいじゃん、っていう割切りはしていますね。BOSS、S.L.A.C.K.、ISSUGI、仙人掌からの影響は大きいかなあ。

菅澤:ISSUGIさんからの影響は大きいんじゃない?

UCD:ISSUGIさんはデカいっすね。“Classix”はISSUGIさんのラップのイメージですね。

ISSUGIさんのどういうところが好きなんですか?

UCD:ノリですかね。言葉がたくさん埋まっているほうがノリを出しやすいんですけど、言葉が少ないのにノリを出すのは難しいんですよね。ISSUGIさんは言葉がそんなに多くなくて詰まっているのにノリが出ているんですよね。それがスゴいと思って、真似しました。

菅澤:レコーディングのときもビートに対して後ろでノるか、真ん中でノるかをいろいろ試したりしてたよね。

UCD:後ろでノるか、真ん中でノるか、前でノるかというのはけっこう悩みどころで、その日の体調によってどこになるかが決まっていないんですよ(笑)。なにが正しいのかは僕もよくわかっていないですね。ただ僕がノレてるなと思うときはノレていると思うんですけど。

アルバムのなかで1曲ラジオで流すとしたら、いまだったらなにをかけたい?

UCD:ラジオとなるとやっぱりキャッチーな曲に忖度したくなりますね(笑)。“Stakes”かな(笑)。

(一同笑)

菅澤:俺は“Poetical Rights”かなあ。けっこうラジオ乗りもよさそうだし。

Bullsxxtを紹介するための重要な1曲を選ぶとしたら?

菅澤:俺は“Poetical Rights”がすごくBullsxxtらしい曲だと思っているんですよね。そんなことない?

UCD:どうかなあ。

菅澤:“Poetical Rights”には、フックの「詩的権利の行使/理解してるぜ/これはギャンブル」とか、牛君らしいパンチラインが多い。この曲はパンチライン続出の曲だと思っているんだけど(笑)。「詩的権利の行使」ってフレーズはあれだよね?

UCD:(ピエール・)ルジャンドルだね(註:フランスの法制史家、精神分析家)。ルジャンドルの本を読んでいて、そのなかで「詩的権利」って言葉が出てくるんですよ。

ラッパーでルジャンドルなんて言う人、他にいないよ(笑)。牛田君にとって「詩」とはなんですか?

UCD:難しいですね。直接関係してないように見える比喩と物事を並べているのに、なぜかリアリティが出るものだと思いますね。それ(リアリティ)は仙人掌さんのリリックがスゴいなと思いますね。具象と抽象が交互に出てくるような感じで、具体的なものに焦点が当てられているのに、抽象的に聞こえたり、抽象的なことがリアルに描写するよりも現実味をもつということが詩的であることの条件だと思うんですけど、僕はまだまだですね。これからって感じです。でもそういうものが書けるようになったらいいなと。

音楽面では、無名時代から蓄積されてきたものを全部吐き出した感じ?

UCD:音楽の面ではそうですね。僕もどちらかと言うとグルーヴのほうを重視していたんですよね。グルーヴを出そうという方向性を重視していて、今回はバンドのノリとの関係でグルーヴを出せるようになったとは思いますね。ただ詩として見たときはまだまだかな。例えば“Poetical Rights”に関してもガースーは俺っぽいと言っていたし、もちろん頑張って書いたんですけど、俺のなかでは哲学者がラップしている感じがするんですよ。詩人じゃないなというか、哲学なんですよね。もうちょっと詩的に言いたいし、具体的なものをラップできるようにならないとダメだなと思いますね。それはすごく難しいですね。単純に苦手なんですよね(笑)。

聴き手の顔っていうのでまず見えるのは、やっぱり同世代の人たちになるのかな?

UCD:SEALDsのときもそうでしたが、イメージ的には未来を見ている感じですね。これから来る世代、むしろまだ生まれてもいない世代にとって悪い世のなかにならないようにするということ。だから集まりましょうということは全世代に呼びかけていたというか。だからこれは矛盾しているとは思うんですけど、Twitterではやっぱり同世代に向けているように見えるし、メディアでもそういうふうにしていましたけど。実際に周りの人とかに呼びかけたときに、陰で「牛くんってSEALDsのこと言ってきてめんどくさいよね」って言われたとしても、僕はしつこいしめげないんでやめないんですよ(笑)。最終的にはみんながデモに来るようになったということもあったし。それはみんなそれぞれ考えていたということもあるんですけどね。ただ基本的にはそういうことを言うと煙たがられるというか、地元の友だちにも「あいつは頭が狂った」とか「革命を起こそうとしている」とか、ヤバいやつだと思われたりしたんで(笑)。

(一同笑)

UCD:いちばん仲がよかったやつからも遊びに誘われなくなったりしたし、やっぱり誘えないですよね。そうとう難しい。

菅澤:俺でさえもそういうことはありましたね。SEALDsには参加してないし、Twitterで「デモに行きました」とかつぶやいているだけで、「お前最近左に行ってんじゃん」とか言われたりしましたね(笑)。

よく(日本は)同調圧力が強いと言われるじゃない?

UCD:そうだと思います。いま俺らの世代で政治的なことに関心をもっているやつがそれを一言でも発したら、その瞬間、いまいる偏りのないコミュニティのなかから排除されますよね。それはもう間違いないと思いますね。それが怖くてそのコミュニティの外に出られないというのはたくさんあると思います。それが普通になっているんじゃないかな。

だからこそ率先して馬鹿をやる人間が重要になってくる。

UCD:そうだと思います(笑)。反時代的というか。だから僕はラッキーだと思っていますけどね。みんな内輪でやっていることなので(笑)。僕も詩的レヴェルとしてはそんなに高くないと思うんですけど、だとしてもある程度は尖っているように見えるというか。

音楽だからこそできることってなんだと思いますか?

UCD:端的に層が違うというのはありますよね。僕らはデモも音楽としてやろうとしていたところがあって、やっぱり「特定秘密保護法、はんたーい!」よりも「特定/秘密保護法/反対」ってラップっぽくリズミカルにコールしたほうが引っかかりやすいですよね。それは音楽もデモも同じなんですよ。つまり演出されているということなんですけど、それに加えて音楽にしかできないこととなると……。うーん、デモを強制的にいろんなところに配信できるということじゃないですかね(笑)。

(一同笑)

触発させるということね。

UCD:デモという空間自体をいろんなところに拡散させることによって、いろんなところで勝手に蜂起しているという感じですかね(笑)。あとは国家という枠組みに囚われなくてもいいというか、それ自体が共同体を作りうるというか。国家という意味の共同性だけじゃなくて、「Bullsxxtのアルバム聴いた?」「聴いたよ!」というやり取りでの繋がりかたを作るという意味では音楽にしかできないことだと思いますね。とくにヒップホップはそういう要素が大きいと思うんですけど、国家じゃないところでの人々の繋がりを作れるというところは大きいと思いますね。

Bullsxxt、リリース・パーティの追加ゲストに入江陽、DJに高橋アフィ(TAMTAM)が出演決定!

10/18に1st Album『BULLSXXT』を発売したBullsxxtが、12/10に恵比寿BATICAでリリース・パーティを行う。本日、このイベントの追加ゲストを2組発表した。ライヴ・アクトに入江陽、また、DJには、TAMTAMの高橋アフィの出演が決定! これは見逃せないパーティになりそうだ。

すでにアナウンスがあった“In Blue feat. 仙人掌”でも共演した仙人掌、BullsxxtのNaruki Numazawa(Key, Syn, Vo)とPam a.k.a. Ecus Nuis(Ba, Syn)によるユニット「odola」がオープニング・アクトとして出演する。チケットの取り置きは、会場へのメール予約で受付中。お早めにどうぞ。

[イベント情報]
BULLSXXT RELEASE PARTY
日時:2017年12月10日(日)
場所:恵比寿BATICA
開場/開演:17:00
チケット前売価格:¥2,000(+2D)
予約先:batica@club251.co.jp

DJ:
高橋アフィ(TAMTAM)
tommy(Bullsxxt)
オークダーキ
Death mix

ライヴ:
odola(O.A)
入江陽
仙人掌
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Ibeyi - ele-king

 キューバ出身の女性シンガーでは今春にセカンド・アルバム『キューバフォニア』を発表したダイメ・アロセナが知られるが、2015年にデビュー・アルバムを放ったイベイーもキューバの血を引く。イベイーはリサ=ケインデ・ディアスとナオミ・ディアスというフランスの双子の姉妹ユニットで、彼女たちの父親はキューバ出身の世界的なパーカッション奏者である故ミゲル“アンガ”ディアス。ミゲルはヨーロッパにも滞在して演奏活動や音楽教育などを行なったが、フランスでヴェネズエラ系のシンガーであるマヤ・ダニーノと結婚して生まれたのがリサ=ケインデとナオミである。2006年にミゲルは亡くなるが、当時11才だった姉妹はカホンの演奏などで父親譲りのキューバ音楽を受け継いでいた。キューバの宗教音楽のサンテリアは、その祖先であるナイジェリアのヨルバ族の儀式や音楽を受け継いでおり、彼女たちはそうしたヨルバ民謡も学んでいった。一方でR&Bやジャズやブルースなどいろいろな音楽も吸収し、歌唱だけでなく作曲技術も身につけた姉妹を母親のマヤがマネージメントし、2013年にイベイーが結成される。そしてリチャード・ラッセル主宰の〈XLレコーディングス〉と契約し、2014年にEPの「オヤ」をリリースした後、前述のファースト・アルバム『イベイー』を発表した。

 フランク・オーシャンからジェイムズ・ブレイクにも影響を受けたと述べる彼女たちで、『イベイー』にはオルタナティヴR&Bからベース・ミュージックなどを通過したサウンドも見られ、同世代であるFKAツイッグスからケレラなどに通じるところも見出せる。ただし、イベイーならではのオリジナルな要素も色濃く、それは彼女たちのルーツにあるキューバ音楽をはじめ、アフリカや中南米の民族音楽からの影響である。そうした民謡や土着音楽から、ジャズやブルース、クラシックや教会音楽など、彼女たちが吸収したさまざまな要素を現代的なサウンドの中にうまく融合させていた。ルーツ音楽を今までにない全く新しいやり方で聴かせており、イベイーの新世代たるところを際立たせたアルバムだった。リチャード・ラッセルはこれまでにも、ギル・スコット=ヘロンとジェイミー・エックス・エックスを組ませた『ウィアー・ニュー・ヒア』(2011年)を企画し、ボビー・ウーマックの遺作『ザ・ブレイヴェスト・マン・イン・ザ・ユニヴァース』(2012年)では、デーモン・アルバーンやクウェシらを起用して新しいソウルの見せ方を提示していた。ルーツ音楽に現代性を吹き込み、異種の音楽性を融合したという点では、『イベイー』もそうした作品の延長線上に位置するアルバムでもあった。

 アルバム・リリース後は世界中をツアーする中、ビヨンセの『レモネード』のショート・フィルムに出演し、アルヴィン・エイリー・ダンス・シアターの音楽に使われるなど多方面で話題を呼んできたイベイーだが、約2年半ぶりにセカンド・アルバム『アッシュ』が完成した。表題曲の“アッシュ”はアメリカの大統領選の期間に作曲した重々しい作品だが、灰という絶望や崩壊の象徴から新しい希望や命が芽吹くイメージで、アメリカの現状に対してポジティヴな方向性を見出そうというメッセージを投げかけている。この“アッシュ”がアルバム全体の根本的なテーマとなり、政治的声明や社会的メッセージを含んだ内容となっているのは、ビヨンセたちとの交流によるところも大きいだろう。“ノー・マン・イズ・ビッグ・イナフ・フォー・マイ・アームズ”ではミシェル・オバマのスピーチを引用し、女性たちへの意識の高揚を説いている。結果的にイベイーたちの望んだ方向とは異なる選挙結果となったが、ここでのメッセージは普遍的なものである。“ミ・ヴォイ”はイベイーがスペイン語で歌った初めての曲で、スペインの女性ラッパーのマーラ・ロドリゲスをフィーチャー。マーラはホームレスや女性の社会的問題などについて言及することが多いラッパーで、イベイーの歌にあるメッセージ性に賛同してこの曲へ参加した。女性ジャズ・ベーシストの大ヴェテラン、ミシェル・ンデゲオチェロが参加した“トランスミッション/ミカエリオン”では、母親のマヤがメキシコの女流画家フリーダ・カーロの著書『フリーダ・カーロの日記』の中の一説を朗読し、ジャマイカの女流詩人のクラウディア・ランキンのサンプルもフィーチャーされる。マヤはほかにもいくつかの作品で歌詞を書いており、アルバム全体が女性からの視点を大切にしたものである。

 “アイ・キャリード・ディス・フォー・イヤーズ”は前作のムードを継承するもので、ブルガリアン・ヴォイスをサンプリングしている。そうした神秘的な色合いは“アウェイ・アウェイ”のコーラスにも引き継がれる。この曲は前作に比べてよりR&B~トラップ・ソウル色が強いが、ヴードゥーに通じる土着的なドラム・ビートを絡ませている点がイベイーならでは。カマシ・ワシントンのサックスをフィーチャーした重厚で力強い雰囲気の“デスレス”は、リサ=ケインデの実体験をもとに、暴力や人種差別をテーマに歌っている。彼女たちも出演したこの曲のPVは、“アッシュ”と同様に死と新しい命の誕生をイメージさせるが、イベイーはPVやアルバム・ジャケットなどヴィジュアル面にも強い関心を寄せるアーティストで、“ナム”は映像作家のクリス・カニンガムにインスパイアされて作った曲。チリー・ゴンザレスのピアノをフィーチャーした“ホエン・ウィル・アイ・ラーン”は、ほとんどコンガ、ピアノ、ヴォーカル&コーラスのみを軸としたミニマムな構成で、イベイーの歌の力強さを訴える。チリー・ゴンザレスはこの曲と“ミ・ヴォイ”、そして“アイ・ワナ・ビー・ライク・ユー”にも参加。“アイ・ワナ・ビー・ライク・ユー”も基本的にミニマムなスタイルのイベイー流R&Bだが、彼女たちのルーツであるキューバのサンテリアが持つスピリチュアルなムードと通底している。“ウェイヴズ”など数曲にはUKのIDMCゴスペル・クワイアがフィーチャーされ、イベイーの歌の霊的なところを盛り立てる。『イベイー』でのアフロ・キューバ文化を通した現代的なR&Bをさらに発展させると共に、ビヨンセなどと同様に社会や政治問題などにもコミットし、女性からのメッセージ性を備えたアルバムとなったのが『アッシュ』である。

4 ノスタルジア - ele-king

 『グッド・ナイト』を作った後、度々僕の前に現れていた消息みたいなものが、はたと やんだ。それを歌詞にしたのに。あるはずもない記憶のようなものは、ある時期に属した らもう取り戻せないものなのだろうか。それともそもそもどこにも属してもいなかったの だろうか。その間いくら本を読んでみても、一瞬の消息の去来には勝らない。だからどう だということもないし、そういう時期の過ごし方もまた大切だろうと無理矢理説得させつ つも、どこに行っちゃったのかなぁ、という意識はずっとあったし、今もある。その間に、 岡田拓郎は『ノスタルジア』を完成させた。全くクレイジーだ。

 何か見えている世界、また見えた気になっていただけかもしれない世界を表現するとい うような堕落的発想はこのアルバムにはない。それは見えていないというのではなくて、 見えかかっているその瞬間がそのまま形をなしているということだ。その点稀有な作品だ。 だから制作のプロセスもやはり紆余曲折していく。というか、プロセスを重ねることによ って、プロセスが形をなしていったような印象を受ける。

 僕はアルバムの全行程には参加していない。ただ、よく途中経過を送ってもらってよく 聴いた。はっきり言って、これからさらに編集してどうなるのか楽しみなものばかりであった。だけど、ele-king のインタヴューで語ってもいる通りそれを平気で壊す。その都度主にリズム的な僕にも多少のアイデアがあるこ とは伝えるのだが、それはそのままは絶対に入らない。僕以外にしてもそうだと思うのだが、あいつがあっちのこと言うならなるほどこっちをしてみよう、というようなフィルタ ーが噛んで、独特なバランスで制作が進んでいく。ハプニングをバランスさせていくとい うようなところだろうか。そこが、彼の最も面白いところだ。レコーディング中の各々のプレイはもちろん、第三者の意見、エンジニアのふと漏らす印象、自家発掘レコード、制 作中に発売される新譜、帰り道のひらめき、すべてがその材料なんだと思う。

 僕が、参加させてもらった曲のドラムは、このコラム第1、2回で書いたような USインディーに影響を受けていて、それを聴くきっかけはアルバム制作に関わらず岡田から届 くレコメンド付きの新譜紹介メールによるものに他ならないが、リズム解釈はアフロ癖の 自分のフィルターを通した随分勝手なものだ。多少いなたくなってしまうところも恐らく 岡田には始めからばれていたに違いない。「ここは、増村の増村で、ここは、あの感じで、 ここは、今までやってきたこと全部忘れて叩いて。」...いやはや、よくばれている。参照 音源も面白くて、平気で4/4の曲に3拍子の参考音源が届いたりする。その度もみほぐ されるような気分がする。しかし、”ブレイド”の石若氏のドラムは素晴らしい。とても じゃないけど、僕には叩けない。そういうところはソロ作品ならではじゃないか。

 そして、ついに完成したアルバムを聴いたとき、壊しては作り、また壊しては作るその 過程がすべてなくなっているのではなくて、寧ろ刻まれているような印象を受けた。歌詞 に目をやると、「こぼれ落ちていくような感覚、これはなんだろう」とそのままにせず希 求する精神、「ただの霧さ」と言ってみても、そうだと認めたくないような雰囲気を感じ る。答えが出ない見つからない時にこそ、実は何かがスパークしている瞬間だと僕は思う。 それがそのまま形をなしている。僕のここで言いたいプロセスとはこのことだ。複層的な意味をもつ「ノスタルジア」のひとつはその瞬間に見えかかっているものではないだろうか。 そして、それを上回る、ポップス性!「ただの霧さ」と音に乗ったとき、ここまで書いた ことに意味はなくなる。プロセス、プロセス言っといてなんですが、やはりそれを甘美に 仕上げたところに一番のこのアルバムの意味があるような気がしてならない。

 1曲久しぶりに岡田の曲に歌詞を書かせてもらった(ラストトラックの“遠い街角”)。 「もう忘れてた 昨日の切れ端」は、冒頭に書いた「どこに行っちゃったのかなぁ」その ものだ。僕は、この詞を書いた時、あのものを、僕のノスタルジアを、確かに取り戻して いた。それは、『ノスタルジア』の影響に他ならない。

Matthew Herbert Brexit Big Band - ele-king

 先日、ブルーノートで行われたマシュー・ハーバートのライヴに行ってきた。銃弾の音や豚の生活音、コンドームの擦れる音まで、様々な音をサンプリングして楽曲制作することで知られるハーバートだが、今回のテーマは、Mathew Herbert Brexit Bigbandという名前の通り、「ブレグジット」だ。
 “イギリス(Britain)”がEUを“抜ける(Exit)”から“ブレグジット(Brexit)”──EU残留か離脱かを問う国民投票を行うとキャメロン前首相が発表したその数日後、新聞の見出しにあったこの語を見た時は、ずいぶん適当な造語だなと思ったものだが、結局、この語の名指す出来事はイギリスを大きく揺るがすこととなる。国民投票の結果、離脱派が勝利し、ブレグジットは現実のものとなったからである。
 世界中がこの前代未聞の政治的出来事に注目した。ブレグジットに向け、イギリス政府は今も活動中である。そんな政治的出来事をいったいどうやって音楽に落とし込むというのか? 全く予想がつかない。
 初めてブルーノートにコンサートを聴きにいくということで、「ドレスコードはあるのだろうか」とか細かいことばかり気にしながら、一応襟のついたシャツを着て会場に向かう。

 ビッグバンド編成だったが、演劇の舞台を見ているようでもあった。プロットがしっかりあって、曲ごとに登場人物の顔が見える。
 たとえば3曲目。冒頭でメロディを担うサックスやトランペットの奏者が、イギリスのタブロイド紙『デイリー・メール』を破いた。それを破いた音とともにゆったりとスウィングが始まる。
 『デイリー・メール』とはイギリスで発行されている大衆向けの新聞で、エロ情報が必ず載っている(紙面をめくると割と早い段階で薄着のセクシー姉ちゃんが出てくる)。
 EU残留派支持にはミドルクラスの知識層や左派の学者が多く見られたが、彼らはその大半が『デイリー・メール』に書かれていることなど読むに値しないと考えていた(以前、政治討論のテレビ番組で、レフトアクティビストが、的外れな発言をするインタヴュアーに向かって「This is Daily Mail!」と言い放ったのをみたことがある)。
 今回離脱派に入れた人びと、つまり『デイリー・メール』を読んでいるような人びとのことなど気にとめる必要などない……そんなミドルクラスの雰囲気を表現しているかのような曲だった。実際、残留派の人びとは「ブレグジットなど起こるわけがない」と静観していた。彼らはEUに不満を抱く人びとの声に耳を傾けることはなかった。

 4曲目、勢いよくブラス隊がかき鳴らすマーチのリズムに乗って、ボーカルのRahelが「take a step(一歩前へ)」「yes!yes!」と歌う。まるで聞こえのいい言葉でアジテーションしていくポピュリストたちの喚声のようだ。『デイリー・メール』を破いた前の曲が、大衆の声に耳を傾けることなく高みの見物をしていた残留派知識層を象徴していたとすれば、この曲は、日々の生活に不満を抱く人びとに向けられたポピュリスト政党のメッセージをモチーフにしたかのような音楽だ。
 曲を聴きながらある人物を思い出した。離脱派のEU議会議員、UKIP(イギリス独立党)党首のナイジェル・ファラージだ。彼は、EUを出てシングルマーケットになるメリットと、EU向けに使っている予算を国内の福祉に回すことができるということをいい 、離脱支持層を集めた。しかし、国民投票で離脱派勝利の数日後、ファラージはEUに払っていた予算を国内に回す事はできないと述べた。EU議会でファラージは他の議員たちに「You lied(あなたは嘘をついた)」と非難され、EU議員を辞職している。歌詞に出てきた「naughty sounds, naughty sounds」とは彼が言った、人びとに都合のいいような、甘い嘘のことなのかもしれない。

 5曲目で、ハーバートは自分の首にサンプリング機械をあてる。音楽ではリズムの速度を示すBPM(Beat Per Minute)という言葉は、医学では心拍数という意味で使われる。マシューの脈がうつビートと同時に、曲が始まる。彼の心拍数と曲のリズムが交差し、時々ずれながら、ヴォーカルのRahelが歌い上げる

You need to be here
あなたはここにいる必要がある

 ここでいうhereはEUではないだろうか。儚げに歌い上げる声に、まだ投票権を持たず、EUからの離脱に反対するティーンエイジャーの姿を重ねてしまった。EUの特徴に「EU加盟国間では、人、物、サービス、および資本がそれぞれの国内と同様に、国境や障壁にさらされることなく、自由に移動することができます」というものがある。例えば、スーパーでスペイン産の生ハムや、フランス産のパンなど、国内で作ったものと同程度の価格で購入できる。あるいは、イギリス人が就労ビザなしでイタリアやベルギーで働くことができる。
 EU内ではどこにでも行くことができるのだ。将来、子どもたちが享受できたはずの、暮らしたい街や働きたい場所を自由に選ぶ権利は、EU離脱によって狭まれてしまう。ハーバートの心拍の音は、音楽のリズムと時々重なるものの、ずっとズレを伴っている。このズレは、EUに留まりたいと思う子どもたちが、その気持ちを政治的に表現する権利を持たないことのもどかしさを表現しているかのようだった。

 6曲目ではタイプライターを打つ音をサンプリングし、それがすぐにビートに変えられる。ハーバートはドナルド・トランプのお面をかぶる。なぜブレグジットでトランプのお面だったのか。UKIPのナイジェル・ファラージはトランピスト(トランプ支持者)だそうだが、ここでの直接的な関わり方はわからなかった。
 エントランスで「ドナルド・トランプへのメッセージを紙に書いて、それを紙ひこうきにして、ステージに向かって飛ばす準備をしてください」というメッセージと色折り紙をもらった。それをトランプ扮するハーバートに向けて投げる。その紙飛行機は、ほとんどがステージに届かず客席に舞うだけだが、演奏をしながらハーバートは時々それを拾っては投げ返す。ツイッターが現実世界に可視化されるとすればこんな風だろうかと、演奏を聴きながら会場で起こったパフォーマンスに驚いてしまう(ちょうどブルーノートでライヴが行われた日、本物のドナルド・トランプが来日していた日だった)。
 2人目のお面は誰だかわからなかったのだが、3人目のお面はロンドン元市長のボリス・ジョンソンだった。ブレグジットキャンペーンで、ボリス・ジョンソンは離脱派として活動した。離脱派が勝利し、キャメロンは首相を辞任。その後、ボリス・ジョンソンは外務大臣として内閣入りしている。

 終盤、ハーバートは会場にいるオーディエンス全員の声をサンプリングして演奏に使う。曲のなかでは「we want to be human」と歌われる。残留か、離脱か。この選択を迫られたイギリスの人びとは、それぞれが抱える個人の生活、そして自分たちの社会のために、自分がいいと思った選択をしただけだ。離脱派も残留派も“人間らしくありたい”という点では同じである。

 最後の曲になった。曲は“The Audience”。歌詞の一部を引いてみよう。

Though the ending is not here
We are separate we are one
The division has begun
You are my future I am your past
Even music will not last

So move with me
With me removed

You and us together 
Together in this room
You will not remember
This passing moment soon

終わりだがここにはない
僕らは別れていて、僕らはひとつだ
分断が始まっている
君は僕の将来で、僕は君の過去だ
音楽でさえ続かないだろう

だから僕と一緒に行こう
僕抜きで

君と僕らは共に
この部屋に一緒にいる
君はいずれ忘れてしまうだろう
すぐ過ぎ去ってしまうこの出来事を

 このコンサートの2日前、DOMMUNEのインタヴューでハーバートは、シニア世代と若者世代のブレグジットに対するイメージのギャップについて話をしていた。もしかしたらここで出てくる「you(君)」は、EUを出た後のイギリスで、若者たちよりも先にいなくなってしまうシニア世代ことかもしれない。この曲を作った当時、ハーバートはブレグジットのことなどまったく考えていなかったに違いないが。
 離脱派も残留派も、結局はイギリスという同じ部屋にいる。“The Audience”はブレグジットの文脈で聞くととても悲しい曲に聞こえる。
 ブレグジットはおそらく、イギリス史に残る出来事だろう。しかし、歴史という大きな文脈のなかで、その時代を生きる大衆の意見は大きな出来事の影に隠れてしまう。ニュースで流れてくる政治の出来事や事件は、日々の生活に忙殺され、少しずつ忘れられていく。
 DOMMUNEの対談で、BBCの音響技師だった父親について質問を受け、ハーバートは、「ニュースを1枚のレコードにする作業が印象的だった」と答えていた。ハーバートは、ブレグジットを1枚の楽譜(スコア)にした。彼の父親がニュースをレコードにプレスしていたように、彼の楽曲はブレグジットについて皆がそれぞれの立場で語っていたことを記録している。ブレグジットが後に史実として歴史の教科書に登場するときには忘れ去られてしまうであろう人びとの声を忘れないために。

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