「S」と一致するもの

Jenny Hval - ele-king

 ノルウェーはオスロのアーティスト、ジェニー・ヴァルはただ珍しいタイプのシンガーというわけではない。が、彼女を日本で紹介することの難しさは、そのサウンドを聴いた印象だけを書いても彼女の作品について充分に書いたことにはならない点にある。早い話、歌詞が重要なアーティストなのだ。たとえば彼女の評判をいっきに高めた『Apocalypse, Girl』の収録曲にこんな一節があるとわかれば、その表題をふくめて作品の意味や評価や印象も違ってくるだろう。

いま私は自由だとあなたは言う/戦いは終わった/フェミニズムは終わった/社会主義は終わった/いま私は好きなように消費をする/これは歴史の端で起きること/Great Eyeが振り向く/私たちにできることといえばただ歳を取ることだけ/天国に、天国に、天国にしがみついている/永遠に熟睡せよ/永遠に熟睡せよ “That Battle Is Over”
私はいま自分でやっている?/あなたのやわらかいペニスを包みながら、あなたもいま私と同じことをしていると想像している “Take Care Of Yourself”

 BBCの社長を赤面させるとはガーディアンの評だが、なるほど、政治と性は彼女の主たるサブジェクトのようだ。昨年の『Blood Bitch』にしてもそうだ。サウンドそれ自体もたしかに魅力だが、やはりこのアルバムをたんに吸血鬼やホラー映画と結びつけるわけにはいかない。生理が主題に含まれているという点では戸川純の『玉姫様』と重なりつつも、議論好きと思われるジェニー・ヴァルは、より挑発的な言葉を歌っている。

何日か、薄いブレースによって私は私の体がまっすぐになるのを感じる/金属のスパイクは受け入れる、私の脊柱を、私の顔を、私のマンコを“Sabbath”

 そんなわけで断っておくと、このレヴューも不十分なものだ。というのも、ぼくはこのEPの1曲目の“Spells”をそのサウンドだけでかなり気に入ったのだ。この曲はひとことで言えばジャズだ。アンビエント・テイストのじつにメロウなジャズで、これまで彼女に名声を与えてきた実験的なエレクトロニック・サウンドではない。
 EPのタイトル「長い眠り」から想像できるように、この4曲入りのサブジェクトは眠りだ。“Spells”のサビにおいて彼女はとろけるような声でこう繰り返す。「私たちは長く起きてはいられない(you will not be awake for long)」
 美しいサックス、トランペット、ピアノ、そして素晴らしいメロディとレム睡眠のような声ゆえに、このフレーズはやさしく耳にも入ってくる。残念ながらぼくは若い頃から睡眠時間が短く、歳を取ってさらに眠れなくなっているので、むしろこの歌詞とは逆の生活であるのだが……、しかし間違いなく睡眠時間の歌ではない。寝落ち寸前の声だとしても、言葉は決して平穏というわけにはいかないようだ。「あなたは思考の世界の迷子/あなたは何ひとつ利用しないことですべての実行を失う」
 収録された4曲は連動している。アカペラからはじまる2曲目の“夢見人は彼女の夢におけるすべての人(The Dreamer Is Everyone In Her Dream)”では、曲の途中でさらにまたうんざりするほど「これは長い睡眠(this is the long)」という言葉が繰り返される。そして歌は問いかけとともにこう締めくくられる。
 「歌詞とメロディなしで言うことができたであろう何かがあるべき/たぶん、それがいまここでやっていること/歌詞あるいはメロディ以外のもの/あなたに聞こえるの?/私が呼んでいるのが聞こえるの?/それは言葉にはない/それはリズムにはない」
 B面の1曲は、10分48秒の表題曲の“The Long Sleep”で、ここにはたしかに言葉はない。パーカッション、トランペットとサックス、かすかな声とアブストラクトな電子音……そして彼女の語りをフィーチャーした最後の曲“I Want To Tell You Something”が待っている。
 「私はここで何をしているの?/私たちはいまほとんどやった/あなたはここで何をしているの?/私たちはコミュニケーションしているの?/私はプロモーションしているの?/私はあなたに何か言いたい/私があなたに言える何かがあるべき」
 言葉は先の曲から反復される。言葉は、リスナーであるあなたに向けられている。
 「詞あるいはメロディ以外のもの/それは言葉にはない/それはリズムにはない/それはメッセージにはない/それは作り物にはない/それはアルゴリズムにはない/それはストリーミングにはない/それはあなたが決めた何かではない/あなたは文脈に気づいているの?/私はあなたに何かを言いたい/ただ言いたい/ありがとう/私はあなたを愛している」
 ……いやはやなんとも、である。

The Last Poets - ele-king

 去る6月4日、アメリカの黒人詩人にしてミュージシャンのジャラール・マンスール・ナリディンが74歳で死去した。近年は癌のために闘病生活を送っていたそうだが、彼はラスト・ポエッツの創設メンバーであり、ライトニング・ロッドなどの名前を使い、ラップのゴッドファーザーと呼ばれてきた伝説の存在である。盟友のアビオダン・オイェウォレやウマー・ビン・ハッサンら、ラスト・ポエッツの現メンバー3人も追悼のコメントを述べていたのだが、その少し前の5月にラスト・ポエッツが新作『アンダースタンド・ワット・ブラック・イズ』をリリースしたばかりというのも奇遇だ。
 音楽は喜びや悲しみなど人間のさまざまな感情を表現するものだが、ラスト・ポエッツはそのなかでずっと怒りを表現し続けてきた。アメリカおいては故ギル・スコット・ヘロンはじめ、ニューヨークのラスト・ポエッツ、カリフォルニアのワッツ・プロフェッツという、ポエトリー・リーディングやスポークン・ワード、いわゆる詩の朗読を楽器演奏に乗せてきた黒人アーティストは、白人中心のアメリカ社会において黒人たちの怒りを代弁する存在だった。公民権運動が盛んだった1960年代に活動を開始した彼らは、人種差別はじめ戦争や政治腐敗、マス・メディアの偏向報道などの社会問題をテーマに怒りの声を発し、黒人の自由や解放、社会進出やアイデンティティを一貫して説いてきた。彼らのスタイルや思想は後のラップの先駆けとなり、昨今の「ブラック・ライヴズ・マター」にも繋がっている。このなかでラスト・ポエッツは、1968年のハーレムで過激思想の活動家であるマルコムXの誕生日にあたる5月19日に結成され、そして今年で活動50周年を迎えた。

 彼らの過去を振り返ると、ジミ・ヘンドリックスからマイルス・デイヴィスをプロデュースしてきたアラン・ダグラスのもと、過激に怒りをぶちまけるスポークン・ワードをフリー・ジャズ調の演奏に乗せた『ディス・イズ・マッドネス』(1971年)、名ドラマーのバーナード・パーディーをフィーチャーし、ジャズ・ファンクと詩の朗読の融合した傑作『ディライツ・オブ・ザ・ガーデン』(1977年)、ビル・ラズウェルと組んでエレクトロ・ヒップホップ~ラップ・スタイルに挑んだ『オー・マイ・ピープル』(1985年)と、時代によってじょじょにスタイルを変えてきた。
 1980年代後半から1990年代前半にかけては、レア・グルーヴ~アシッド・ジャズのムーヴメントによってイギリスで再評価され、ガリアーノなどは明らかにラスト・ポエッツのスタイルに影響を受けていたと言えるし、サイレント・ポエッツも『ワーズ・アンド・サイレンス』(1994年)で共演している。『オー・マイ・ピープル』以降はたびたびビル・ラズウェルと共同制作を行っており、ブーツィー・コリンズとバーニー・ウォーレルというPファンク勢、およびヒップホップの始祖のひとりであるグランドマスター・メリー・メルと組んだ『ホーリー・テラー』(1993年)、ファラオ・サンダースとパブリック・エネミーのチャックDと組んだ『タイム・ハズ・カム』(1997年)をリリースする。
 その後も客演やライヴ活動はいろいろと行っており、コモンの『ビー』(2005年)でカニエ・ウェストとともに“ザ・コーナー”にフィーチャーされていたのだが、『タイム・ハズ・カム』を最後にアルバムは途絶えていた。『アンダースタンド・ワット・ブラック・イズ』はそれから21年ぶりの復帰作であり、50周年アニヴァーサリー・アルバムでもある。

 アルバム・リリース時のインタヴューでアビオダン・オイェウォレは、「ブラックというのは単なる色ではなく、白も含めたすべての色の根源である。すべての人類はひとつの種族から生まれたものである」と述べており、それがアルバム・タイトルの『アンダースタンド・ワット・ブラック・イズ』に込められたメッセージである。
 ラスト・ポエッツが生まれた1968年当時は、キング牧師の暗殺などによって黒人の怒りが頂点に達していた頃で、アビオダンらも銃を手に取り、黒人を制圧しようとする白人の殺戮の衝動に駆られたという。ただし、実際には彼らは言葉という銃弾で、社会を糾弾していった。それがラスト・ポエッツの原点であり、今回のアルバムでも“ハウ・メニー・バレッツ”という曲に引き継がれている。“レイン・オア・テラー”はフランス革命時の恐怖政治を捩ったもので、「アメリカ国家はテロリストだ」と断罪している。
 サウンド面を見ると、『タイム・ハズ・カム』はじめ1990年代のラスト・ポエッツはジャズ・ラップ~ヒップホップに寄せたスタイルだったが、『アンダースタンド・ワット・ブラック・イズ』はダブ/レゲエ寄りのアルバムとなっている。制作はロンドンで行われ、プロデュースを務めるのはマッド・プロフェッサーからホーリー・クックなどを手掛けるプリンス・ファッティと、過去にそのプリンス・ファッティと組んでダブ・アルバムも作っているベン・ラムディン。ベン・ラムディンはノスタルジア77名義で数々のジャズ作品もリリースしてきたのだが、『アンダースタンド・ワット・ブラック・イズ』の演奏には彼の周辺のジャズ系ミュージシャンが多くフィーチャーされており、トゥモローズ・ウォリアーズ出身のジェイソン・ヤードから、レゲエ勢ではマックス・ロメオやジャー・シャカらと仕事をしてきたウィンストン・ウィリアムズなども参加している。
 ルーツ・レゲエやアフロ・ダブ、ナイヤビンギにジャズのフレーヴァーを織り交ぜたもので、往年のダブ・ポエットのリントン・クウェシ・ジョンソンの作品から、近年ではザラ・マクファーレンの『アライズ』やサンズ・オブ・ケメットの『マイ・クイーン・イズ・レプタイル』あたりとの共通項も見い出せる。レベル・ミュージックの象徴であるレゲエと、ラスト・ポエッツががっぷり四つに組んだアルバムである。

 2009年にはじまったノースサイド・フェスティヴァルは、SXSWのブルックリン版とも呼ばれている。ブルックリンのノースサイド(グリーンポイント、ウィリアムバーグ、ブッシュウィック)で行われ、これまでもこの連載でも何度かカヴァーしてきた
 10年目に突入した今回は、イノヴェーション(革新)と音楽に的を絞り、300のバンド、200のスピーカーがライヴ会場からクラブ、教会からルーフトップ、ピザ屋およびブティック・ホテルなどに集まり、朝から晩までの4日間に渡るショーケースが催された。


Near Northside festival hub


Innovation panel @wythe hotel

 2018年のイノベーション・テーマは「未来を作る」。この先5年後の世界を変えるであろう、スタートアップの設立者、起業家、デザイナー、ジャーナリスト、マーケッターなどがパネル・ディスカッション、ワークショップ、ネットワーキングなどを通し、未来について熱く語った。
 登場したのは、imre (マーケッター)、バズ・フィード(メディア)、ディリー・モーション(VR)、メール・チンプ(メディア)、ニュー・ミュージアム( メディア)、パイオニア・ワークス(メディア)、レベッカ・ミンコフ(デザイナー)、ルークズ・ロブスター(フード)など。WWEBD? (what would earnest brands do?/真剣なブランドは何をするか?)という主題について、経験や物語などを通して語る。ブランドの力や自分のケースなどを例に出し、ブランドに必要な物をアドバイスするという。スピーカーとモデレーターも真剣勝負で、人気パネルは立ち見もあったほど。ちなみにイノベーション・パスは$599。


Innovation panel @williamsburg hotel

 昼間にイノベーションが行われ、その後に音楽プログラムがはじまる。今年のハイライトはリズ・フェア、ルー・バロウ、パーケケイ・コーツ、ピスド・ジーン、スネイル・メール、ディア・フーフという、90年代に活躍したバンドが目立った。地元の若いバンドは、ブッシュウィックのアルファヴィル、リトルスキップに集中していた。野外コンサートは今年はなかったが、パーケット・コーツとエチオピアのハイル・マージアが出演する3階建てのボート・クルーズが追加された。時代はファンシーである。


Thu June 7 th

Corridor
Lionlimb
Snail mail
@ Music hall of Williamsburg

Lau Barlow
@knitting factory

NNA tapes showcase:
Erica Eso
Tredici Bacci
@ Union pool

Fri June 8th

NNA tapes showcase:
Jake Meginsky
Marilu Donovan
Lea Bertucci
@ Film noir

Sat June 9th

Brooklyn vegan showcase:
Deerhoof
Protomartyr
@ Elsewhere

Wharf cat showcase:
Honey
The Sediment club
Bush tetras
@ El Cortez

 木曜日は8時ごろリズ・フェアーに行った(彼女の出番は9時30分)が、2ブロックほど長ーい行列があるのを見て早速諦める。隣のミュージック・ホールでコリドーとライオン・リムを見る。モントリオールのコリドーは初NYショーで、ジャングリーな勢いを買う。ブッシュウィックにミスター・ツインシスターやピル、フューチャー・パンクスなどを見に行きたかったが、時間を考えると無理だと諦め、代わりに近所の会場をはしごした。
 スネイル・メールに戻ると、会場はぎゅうぎゅうになっていた。この日は彼女のニュー・アルバム『Lush』の発売日。白いTシャツに黒のテイパーパンツ、スニーカーだけなのに、超可愛い! 彼女の唸るような声は特徴的で、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、なんでも大げさに反応するオーディエンスに「クレイジー」と言っていた。その後ルー・バーロウの弾き語りを見て、NNA tapesのショーケースに行く。ライアン・パワーとカルベルスは見逃したが、エリカ・エソとトレディシ・バッチを見た。


Snail mail @MHOW

 エリカ・エソは、アートポップ、シンセ・アンサンブル、ギターレスの現代的R&B、クラウトロックなどを織り交ぜた白人男子と黒人女子のツイン・ヴォーカルがシンクロする、新しい試みだった。
 トレディシ・バッチ(13 kissesの意味)は、トランペット、サックス、オーボエ、3ヴァイオリン、キーボード、ドラム、ヴォーカル、フルート、ベース、ギター兼指揮者の14人編成のオーケストラ・バンドで60、70年代の、イタリアン・ポップ・カルチャーに影響されている。フロントマンのサイモンはスツールに立ち、みんなを指揮しながらギターを弾き、オーディエンスを盛り上げ、ひとり何役もこなしていた。彼のハイパーぶりも凄いが、ついてくるバンドも凄い。必死にページをめくっていたし、ヴォーカルの女の子は、すましているのにオペラ歌手のような声量だった。


Erica Eso @ union pool


Toby from NNA Tapes


Tredici Bacci @union pool

 金曜日、2日目のNNA tapesショーケースは、「新しい音楽と映画が出会うところ」というテーマで、ミュージシャンとヴィジュアル・アーティストがコラボする試みだった。会場は映画館。ジェイク・メギンスキーは、ボディ/ヘッドのビル・ナースともコラボレートするエレクトロ・アーティストで、宇宙感のある映像をバックにメアリール・ドノヴァン(of LEYA)は、アニメーションをバックにハープを演奏。リー・バーチューチは、自然の風景をフィーチャーした映像をバックに天井も使い、サックス、エレクトロニックを駆使し、ムーディなサウンドトラックを醸し出していた。映像を見ながら音楽を聞くと、第六感が澄まされるようだ。可能性はまだまだある。


NNA Tapes merch

 最終日は、写真でお世話になっているブルックリン・ヴィーガンのショーケースにディアフーフ、プロトマーダー(Protomartyr)を見にいった。ディアフーフは、ドラムの凄腕感とヴォーカルの可愛いさのミスマッチ感が良い塩梅で、全体的にロックしていてとても良かった。プロトマルターはナショナルみたいで、ごつい男子のファンが多かった。


Deerhoof @elsewhere

 それから近くの会場に、硬派なバンドが多いワーフキャット・ショーケースを見にいく。ハニーは見逃したが、セディメント・クラブは無慈悲なランドスケープを、幅広く、残酷にギターで表現していた。ブッシュ・テトラス、NYのニューウェイヴのアイコンが、10年ぶりにEPをリリースした。タンクトップ姿のシンシア嬢は、年はとったがアイコンぶりは健在。80年代CBGB時代のオーディエンスとワーフ・キャットのミレニアム・オーディエンスが、同じバンドをシェアできるのはさすが。
 その後アルファビルに行くが、シグナルというバンドを見て、すぐに出てきた。この辺(ブッシュウィック)に来ると、ノースサイドの一環であるが、バッジを持っている人はほとんどいない。


The sediment club @el Cortez

 今年はハブがマカレン・パークからウィリアム・ヴェール・ホテルに移動し、会場もブッシュウィックやリッジウッドが増えた(ノースサイドからイーストサイドに)。日本にも進出したwe workは、ノースサイドのスポンサーであり、ウィリアムスバーグのロケーションをオープンすることもあり、この期間だけイノベーションのバッジホルダーにフリーでデスクを提供していた。
 ハブにもデスクがあり、コーヒー、ナチュラルジュース、エナジーバー、洋服ブランド、ヘッドホンなどのお試しコーナーもある。ウィリアムスバーグ・ホテル、ワイス・ホテル、ウィリアム・ヴェールの3つのホテルを行き来し、合間に原稿を書く。ノースサイドの拠点は、豪華なブティック・ホテルが次々とできているウィリアムスバーグ。高級化は止まらず、それに応じてフェスが変化し、イノヴェーションが大半を占めるようになった。時代はデジタルを駆使し、いかにブランドをソーシャル・メディアで爆発させるかで、音楽のヘッドライナーも懐かしい名前が多かったが、若いブルックリンのインディ・バンドたちはDIYスペースで夜な夜な音楽をかき鳴らし、「ノースサイド・サックス」と言いながら別のシーンを創っている。とはいえ、こういうバンドなどを含めてすべて巻き込むノースサイドの力こそが、いわゆるブランド力ってものなのかもしれない。

Yoko Sawai
6/10/2018

John Coltrane - ele-king

 すでにご存じかと思いますが、ジョン・コルトレーンの未発表スタジオ録音アルバムがリリースされる。6月29日、55年前に録音されていたという『ザ・ロスト・アルバム』が世界同時発売されるということだが、ソニー・ロリンズが完な言葉でこのリリースを言い表している。いわく「これはまるで、巨大ピラミッドの中に新たな隠し部屋を発見したようなものだ」
 つまり、こんなところに宝があったと。
 それはニュージャージーのヴァン・ヘルダー・スタジオにおける1963年3月6日のセッションで、コルトレーン史におけるもっともクラシカルなメンバー──ジミー・ギャリソン、エルヴィン・ジョーンズ、マッコイ・タイナーという黄金のカルテットによる。この録音のマスターはリリースの時期を見計らっていたインパルス・レーベルが管理していたが、70年代初頭に保管費用の節約のための破棄のひとつとなったという。
 ところが、コルトレーンは同じテープを後に離婚する妻のナイーマにも預けていた。それがなんと、彼女の家族にまだよい状態のまま保管されていたのだった。これがようやくレーベルのもとに戻ってきたことで今回のリリースが実現した。
 まだコルトレーンが脇目もふらずフリー(スピリチュアル)に突き進む手前の、彼がその美しいメロディを吹いていた頃の演奏だ。彼の作品でももっとも人が親しみやすい『バラード』『゙ョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ ハートマン』と、そして精神の旅に出かけた『至上の愛』のあいだに位置するアルバム。7曲のうち2曲は、未発表のオリジナル曲。デラックス・エディションには別テイクまで収録した2枚組。
 55年を経て見つけられたとんでもない埋蔵物である。ぜひチェックして欲しい。



ジョン・コルトレーン
ザ・ロスト・アルバム(通常盤)

ユニバーサル・ミュージック
Amazon



ジョン・コルトレーン
ザ・ロスト・アルバム(デラックス・エディション)

ユニバーサル・ミュージック
Amazon

interview with Dego - ele-king


Dego & Kaidi
A So We Gwarn

Sound Signature

FunkJazzBroken Beat

Amazon

 4ヒーローの“Universal Love”(1994年)はいま聴いても、いやいや、いま聴くとなおさら、その曲に込められたジャズのフィーリングと、ジャングルと呼ばれたレイヴ・ミュージックとの結合というアイデアの素晴らしさ、完成度の美しさに感心させられる。そして、その金字塔からおよそ25年ものながい歳月が経っているが、ディーゴは、たったいま現在にいたるまで、ほとんど休むことなくコンスタントに作品を出し続けている。彼がすごいのは、どの作品もクオリティが高いとかそういうことよりも、そこに必ず新しいチャレンジ(実験)があるということだ。ディーゴのような人は、それこそ70年代のサウンドにレイドバックすることは簡単なのだろうけれど、彼はそうした焼き直しには走らない。昨年セオ・パリッシュのレーベルからリリースした『A So We Gwarn』にも、古き音楽を継承しつつもそれだけでは終わらない、何か新しいセンスを混ぜるというディーゴの姿勢が見て取れる。
 アンダーグラウンドでコツコツとずっとやってきているアーティストがいまは若い世代からも評価されている。ディーゴやカイディ・テイタムのような人が、カマール・ウィリアムスやジョー・アーモン・ジョンズのような世代からリスペクトされているのはじつにいい話だ。UKジャズ(ではないジャズ)のシーンの厚みを感じるし、この音楽が人の生き方に関わるものであることを教えてくれる。短期集中連載「UKジャズの逆襲」の最終回は、去る5月上旬に来日した、エレクトロニック・ミュージックの方面からUKジャズを革新させた大先輩に出てもらうしかない。

若い世代が俺たちを知ってくれているのはとてもいいことだね。普通に考えたら古い音楽は消え去っていくものがサイクルだと思うから、それでもまだ自分の音楽が聴かれているのは素晴らしいことだよ。

つい先日は2000 Black名義の新作を出しましたね。で、去年はDego & Kaidiとしてセオ・パリッシュの〈Sound Signature〉からアルバムを出しているし、もちろんそこからもEPも出しているし、ほかにも〈Eglo〉からもEPを出したりと、なんか最近むちゃ精力的ですね。

ディーゴ:最後にLP(『he More Things Stay The Same 』)をリリースしてからは、シングルのリリースをけっこう多くこなしたよ。昔はアルバム・リリース後の2~3年ぐらいは時間の猶予があったけど、いまの時代はみんなが多くのリリースを見込んでるから、コンスタントにリリースしないといけないんだ。それから俺は、自分の世代に限らず若いオーディエンスに自分の音を届けたかったから〈2000 Black〉以外の、信用できる違ったファンを持ったレーベルからもリリースをするように心がけたんだ。カイディとのアルバムもそういった意味で、広く自分の音楽を知ってもらえる素晴らしい機会になったと思う。

いまロンドンの若いジャズ・シーンが脚光を浴びていますが、ジョー・アーモン・ジョンズやカマール・ウィリアムスのようなUKジャズの若い世代に取材をすると、シーンの先駆者のひとりみたいな感じで、あなたやカイディ・テイタムの名前が出てくるんですよね。自分自身でも、そういう実感ってあります?

ディーゴ:彼らが俺たちを知ってくれているのはとてもいいことだね。普通に考えたら古い音楽は消え去っていくものがサイクルだと思うから、それでもまだ自分の音楽が聴かれているのは素晴らしいことだよ。正直いうと、若いアーティストとじっさい何かを一緒にやることはほとんどないんだけれど、自分のバンドの若いアーティストに対しては、自分のやっていることを見せたり、経験を語ったり、アドヴァイスをしたり、彼らがこのインディペンデントな音楽業界で活動できるようにナビゲートするのがいま自分にできるいちばんいいことだと思ってるからね。
例えばアーティストがどこかのレーベルからオファーをもらって悩んでいるって相談があったときに、「なぜこのレーベルから出したいか?」とかいろいろ質問を投げかけたりもするね、それを「止めた方がいいよ」とは言わないように、できる限り真剣に向き合えるように言葉を添えたりはするよ。

若い世代のアーティストを取材してて面白いなと思ったのが、彼らの影響を受けたアーティストのなかにロニー・リストン・スミスやロイ・エアーズ、マイゼル・ブラザーズなんかの70年代ジャズ・ファンクが混ざっていることなんですね。カマール・ウィリアムスなんかは世代的に10代前半はカニエ・ウェストとか聴いていた人なんですが、10代後半になって、ドナルド・バードとか70年代のジャズ・ファンクをとにかく聴きまくったと。で、それって、あなたやカイディなんかと同じじゃないですか(笑)。

ディーゴ:それに関してはいろんなケースがあると思うよ。人によっては3年前に出たレコードを「オールドスクール」と呼ぶこともあるし、逆に古い音楽がポピュラーになっていることだってある。もちろんまわりでそういう音楽をみんなに聴くようなメンタリティを促している人もいると思うし。俺の意見を言うと、たとえば俺がまだ20代でクラブやライヴを見に行っていた頃、そこでレコードをかけていた上の世代は自分たちが影響された音楽をかけていたんだ。で、そのまま俺がキャリアを積んで自分がDJをするときは自分が影響された音楽をプレイしているから。そんな感じで知識やメンタリティが受け継がれてるんじゃないのかな? それが自然に起きているだけだと思うよ。とくにヒップホップはサンプリングを軸にした楽曲が多いから、元ネタを掘ったりして知識を増やしているだろうし。

「ブロークンビーツ」という言葉がここ数年でまたよく使われるようになっているのですが、あらためて言うとこのジャンルは何なんでしょうか?

ディーゴ:いや、正直俺もいまだにわからないな。そもそもこの言葉で俺たちの音楽を括られるのは好きじゃないからね。ただ他の誰かが勝手に名前につけてひとつのカテゴリーに押し込もうとしているだけさ。ただ言えるのは、これまで「ブロークンビーツ」と呼ばれていた自分の仲間のアーティストは、元々ほかのジャンルからやって来たヤツらなんだ。ドラムンベースやテクノのプロデューサー、ソウルやジャズのミュージシャン。そういうやつらが集まって同じ哲学の下で「新しい音楽」だけをやる集団だったんだ。
当時はパトリック・フォージやフィル・アッシャーが「INSPIRATION INFORMATION」というパーティで60年代~70年代の音楽をたくさんかけてたから、俺は彼らとは違う方向を追求した方がいいなと思った。だから俺は、J ディラやURの新譜をかけたり、彼らと同じように、自分のプロダクションに力を入れていたんだよ。
DJをやっていたらわかるかもしれないけれど、自分のかける10~20曲のセットのなかで普段とはまったく違う「クセ」のある曲もかけたりするよね? それがその日のセットの違いを作れるような。自分やカイディはそんなような音楽を目指して制作に没頭していたんだ。正直カイディの曲だって、言ってしまえばジャズ・ブギーなサウンドだし、ロイ・エアーズだってジャジーなディスコ、はたまたラテンとかで括れると思う。でも、誰かがいちど聴いたらこれはロイ・エアーズだ! ってわかるのと同じで、知らない曲でもフレーズを聴いただけでディーゴだ、カイディだと思ってくれるようなサウンドを追求していたんだ。ひとつのジャンルで括れないオリジナルなサウンドこそ、みんなが言う「ブロークンビーツ」の本当の真髄なんだと思う。

それこそカイディとの共作のアルバム『A So We Gwarn』も本当に素晴らしいものでしたが、このタイトルはどう言った意味なんでしょうか?

ディーゴ:意味としては「This is how we behave」(これが私たちの行動です)「This is what we do」(これは私たちがやることです)なんだ。そこで自分たちがUKのダンス・ミュージックでどんな立ち位置なのか、どんな考え方を持っているか表現したいと思っていたんだ。もともと自分もカイディもジャマイカなどのカリブ海からの移民の子供としてのルーツを持っていて、国籍はイギリスだけど「ブリティッシュ(英国人)」とも言えないし、「ジャマイカン」とも言えない微妙な立場なんだ。だから自分たちのルーツに即してカリビアンのリズムを取り入れてみたりアートワークにも自分たちのルーツを表現した内容になっているね。

いつの時代もアートはリッチな方面から生まれてこないし、貧乏だったり何かが足りなかったり、追い込まれた状況からクリエイティヴィティが発揮される。だからいまのロンドンの状況はすごく難しいと思う。

すこし話がそれますが、いま東京はオリンピックを目前にして再開発が進んでいます。あなたが〈Reinforced Records〉をやっていた頃のロンドンも現在ではかなり風景を変えていますが、それがあなたの音楽活動にどのような影響を与えていますか?

ディーゴ:もちろんこの20年でスタジオや家は何度か変わったりもしたよ。ロンドンは不幸にも物価が上がってる関係もあって、クリエイティヴィティが失われつつあると思うな。その影響でたくさんの人がベルリンやバルセロナ、リスボンに移ったりするのを見てきたし、逆に資本家や投資家みたいな人がたくさんロンドンに移ってきて、ビジネスのことに偏りすぎてしまっている気もするね。やっぱりいつの時代もアートはリッチな方面から生まれてこないし、貧乏だったり何かが足りなかったり、追い込まれた状況からクリエイティヴィティが発揮されると思う。だからいまのロンドンの状況はすごく難しいと思う。

音楽の聴かれ方も変わりましたよね。サブスクリプトやデジタルで聴くようになって、音楽のあり方も変化しました。こうした環境の変化をどういう風に受け止めていますか?

ディーゴ:それには逆らうことができないよね。恐ろしい状況だけど、受け入れていくしかないと思う。いまの時代、音楽自体に価値がなくなってしまっているし、それが音楽産業の大きな問題でもある。インターネットが広がりをもたらしたけど、音楽の「リアル」な価値は減ってしまったかもしれないね。

そのなかで自分自身でポジティブな出来事はあったんでしょうか?

ディーゴ:ポジティヴだって!? そんなことは本当に少ないかもしれないね、希望を言うなら、さっき君が名前を挙げたような若いアーティストが正しいメンタリティを持って新しいことに挑戦して状況を変えてくれてくれることかも。強いて言えばレコード会社がいろいろと牛耳っていた時代から個人で自由に音楽を発信できる時代になったけど、それにもいい部分、悪い部分あるし。でもやっぱり、本当に素晴らしいアーティストが評価されにくい時代になってしまったよ。それは悲しいよ。

ちょうどいまヒットしているチャイルディッシュ・ガンビーノの“ディス・イズ・アメリカ”のヴィデオについてはどう思いますか?

ディーゴ:このとても悲しいヴィデオは今年を象徴する内容になっているよね。こういう社会的メッセージを持ったものは、かつての音楽やジャーナリズムではよくあったことだったと思う。俺はボブ・マーリーやチャック・D、ザ・スペシャルズなんかを聴いて育ったけど、この20年ものあいだに何かが起こって社会に混乱を与えたり、仲間に迷惑をかけている問題があっても、もうほとんどの人が気にしないようになった。現在は恐ろしい組織や警察なんかがこれらを押さえ込んだり、あることをなかったことにしようとしている状況が起きている。だからチャイルディッシュ・ガンビーノのヴィデオは大歓迎だけど、いろんな人に理解してもらう頃には抽象的になって、メッセージ性が薄まったり、2日前の誰かのタイムラインでの投稿のように、すぐに忘れられたりする可能性が高いだろうね。

では、BlackLivesMatterなんかはどう思っているの?

ディーゴ:AmeriKKKa(アメリカ)やその他のほとんどがつねにレイシズムだし、それはしばらくの間続いてしまうだろうね。BlackLivesMatterの連鎖とそこから生まれた教育は、いくつかの希望を生み出してはいると思う。歴史はすべてを教えてくれるけど、結局は分裂と征服のための地獄みたいなもんだから、権力者はそれを教えることを拒むんだ。人種か社会階級か、経済か……。平凡な人はみなエリート階級の奴隷だけど、(BLMのような社会運動を見ていると)政治のシステムがいち早く崩壊することを望むことがあるかもしれないよ。

なるほど。では、今後のリリース予定やスケジュールなんかを教えてください

ディーゴ:レーベルのファミリーでもあるMatt LordのEPを控えているよ。それからカイディのEPもね。ただし、彼のアルバムが先に出てからリリースしようと思ってる。あとはそろそろ自分のソロのアルバムもスタートしようかなと考えているよ。

ちなみにけっこう長く日本に滞在していますが、友だちがたくさん多いんですね。自由時間は何をしているんですか?

ディーゴ:食べて、食べて、食べまくることかな(笑)。あとはたまに買い物とか。ときどき日本の友だちとフットボール(サッカー)もしたりするね。

はははは、今日はどうもありがとうございました。アルバムを楽しみにしています。

Bruce Gilbert - ele-king

 実験は永遠に続く。なぜか。生きるとは実験と実践の継続と同義だからである。そしてひとつの生が終わっても、別の生がその実験を継承する。永遠に。むろん音楽も同様だ。だからこそ日々、新しい音楽が生まれ続けている。先端音楽もエクスペリメンタル・ミュージックもポップ・ミュージックもロック・ミュージックもジャズも現代音楽も南米音楽も、いやあらゆる世界で実践と実験が繰り返されている。生の証のように。それゆえ人生というときのなかでつねに未知/自己のサウンドを追求し続けるアーティストが存在する。前衛と継続、逸脱と継承、この相反する状態を長い時に渡って追求したときアーティストは、ひとつのレジェンドになる。

 1946年生まれで、現在72歳(!)、ブルース・ギルバートもまたそんな畏怖すべき永遠の実験・前衛音響作家である。ポストパンク・グループのワイヤーのメンバーだったブルース・ギルバートだが(2000年の再始動後も参加し、20004年にグループから脱退した)、その音楽性はロック/バンドの形式にとらわれるものではない。彼は70年代以降、マテリアルな質感の音響作品を数多く生みだし続けているのだ。
 そんなブルース・ギルバートの新作『Ex Nihilo』が実験音響レーベルの老舗〈エディションズ・メゴ〉からリリースされた(https://brucegilbert.bandcamp.com/album/ex-nihilo)。ちなみに〈エディションズ・メゴ〉からは2009年に新作『Oblivio Agitatum』が発表され、同年に『This Way‎』(1984)、2011年に『The Shivering Man』のリイシューがリリースされている。
 加えて同レーベルはワイヤーのグラハム・ルイスとのユニット、ドームのリイシュー・ボックス・セット『1-4+5』も発売する。私見だが〈エディションズ・メゴ〉は、ノイズからグリッチというエクスペリメンタル・ミュージックの歴史的な視座を持ってブルース・ギルバートの新作および再発を10年代初頭に行ったのではないかと思う。
 さらに、ブルース・ギルバートは英国のエクスペリメンタル・レーベル老舗〈タッチ〉から、2013年にブルース・ギルバート・アンド&BAWで『Diluvial』を送り出してもいる。この1946年生まれの実験音響音楽家は、00年代以降も、つねに前衛的存在/音響を示し続けてきた。

 本作は、『Diluvial』から5年ぶり、ソロアルバムとしては『Oblivio Agitatum』以来、じつに9年ぶりの新作である。聴けばわかるように、いまだ過激かつ実験音響を鳴らしている。ラテン語で「ゼロ、無から」を意味するというアルバム・タイトルそのものともいえるマテリアルな質感のノイズ/ドローン作品だ。
 じじつ、全9曲、どのトラックも聴き手の感覚のむこうから鳴ってくるような物質的なノイズによって、「音/楽の極北」のような響きを生成する。これほどまでに非=人間的なドローンやノイズも稀だ。論理や明晰さかも逸脱しており、人間と世界の中間領域で鳴り響くようなハードコアでマテリアルな音響である。まさに「人間」から遠く離れて。

 なかでもA1“Undertow”、A4“In Memory Of MV”、B2“Black Mirrors”、B5“Where?”などは、まさに電子ノイズ/ドローンの極北ともいえるような音が蠢いており、聴き手の耳を音楽と非音楽のボーダーラインへと誘発する。そして無機的なドローン曲“Change And Not”などは、音楽の実験・前衛の最前線を40年以上にわたって走りぬけてきた御大だからこそ行き着いた音響空間が生成しているように思えた。
 本作においてノイズは音楽/音階とは別次元でサウンドの高低を変化させ、音楽へと抵触する直前に鉱物のような音響を放っている。音=ノイズに対するフェティシズムすらも冷たく引き離すような感覚があるのだ。ブルース・ギルバートが生成する音響は、端的に言ってノイズや音響の快楽を無化する。いわば、「音楽」から遠く離れて。

 現在、電子音楽やノイズ音楽は変化の只中にあるという。すでに過去(20世紀的な)言説では語り切れない領域へと至っているともいわれる。当たり前だがすでに20世紀は終ったのだ。しかし、その「現在」もまた数秒後には過去になる。やがて無効になる。ゆえに「失語症」を恐れるがあまり、現代性を強調した正論を繰り返すようになる危険性もある。そのような言説は空虚である。だからこそ、われわれは「変化」とは「人生」であり、「実験」とは「生の条件」でもあることを再認識すべきだ。世代も時代も超えた地点にあるもの、つまりは実験や前衛に、流行やモードとは無縁のものを見出すこと。

 本アルバムはマスタリングをラッセル・ハズウェル、カッティングをラシャド・ベッカー (ダブプレート・アンド・マスタリング)という鉄壁の布陣で制作されており、〈エディションズ・メゴ〉の250番目のリリース作品(!)に相応しい作品といえる。ポストパンクからグリッチへ。そして10年代的なエクスペリメンタルへ。延々と受け継がれてきた前衛と実験精神の結晶が本作なのである。

interview with TAMTAM - ele-king


TAMTAM
Modernluv

Pヴァイン

R&BPopDub

Amazon Tower HMV iTunes

 2016年リリースの前作アルバム『NEWPOESY』で、そのタイトル通り、まったく新しいバンド像を提示してみせたTAMTAM。この勇気ある音楽的旋回で彼らは、我々の想像し得なかったような新たな魅力を知らしめることになった。おおまかな見取り図を描くなら、「レゲエのテイストを湛えたオルタナティヴ・ロック・バンド」というそれまでのキャラクターを潔く打ち捨て、「当世のインディR&Bやジャズ、ヒップホップなどの音楽的語彙に下支えされた音楽家集団」への華麗なる転身、とでも言うべきものであったかもしれないが、その転身劇以上に我々を歓喜させたのは、もちろんその音楽内容の充実ぶりであった。
 さまざまな実験精神が注ぎ込まれたミックステープのリリースを挟み、いよいよ2年ぶりとなるアルバム『Modernluv』をリリースする彼ら。その音楽的視野はさらに広範に及び、肥沃さ・深度の面でも極めて大きく前進した。
 前作以降の音楽的興味や、「バンド」という組織体ならではの創作のダイナミズム、各人のテクスチャーへの繊細なこだわり、そして「現代の愛」という「カッコつけ切った」タイトリングと、稀なる歌詞世界。作詞作曲とヴォーカルを手掛けるクロ、ドラマーにしてバンドのブレインともいうべき高橋アフィのふたりに話をきいた。


もともと僕はノイズとか、なかでも、パワー系ではなく弱音的なものが好きだったんですけど、そういうエクスペリメンタル系の流れのものと、いまのR&Bとかヒップホップのアンビエントなものが、なんとなく音響的に共通するメロウな気持ち良さがあると思っていて。 (高橋アフィ)

〈Pヴァイン〉に移籍後の前作リリースから2年弱を経て、さらにバンドの周りの環境が変わったということはありましたか?

高橋アフィ(以下T):大きく変わったことはそんなになくて。ただ、前作から中村公輔さんにエンジニアリングをお願いしているのですが、ミックスなどのポストプロダクションはもちろん、今回はより曲のコアなところまで関わってもらいました。もちろん僕たちから希望を出すこともあったんですが、中村さんのアイデアでどんどん変わったりして。昔からいろんな音楽を聴いてはいたんですが、「いまこういう音楽がカッコいいと思う」とか、「こういうものが面白いと思う」といったコミュニケーションをするなかで、よりスムーズにやれるようになったな、と。

クロ(以下K):だんだん自分たちとしても、やりたいと思っていることを100用意したら100近くできるようになってきている気がしていて。それは外部環境の変化もあると思うのですが、自分たち自身の変化もあると思います。

コミュニケーションの際の音楽的語彙も、じっさいの録音への取り組み方も深化した、と。

K:そうですね。

今回はイメージの共有が中村さんとも最初からできているような感じだったんでしょうか。

K:そうですね。普段からLINEでコミュニケーション取ったりしながら。

前作ももちろんアイデア豊富で、それをひとつひとつ実現していく感じだったと思うのですが、今回は目標の共有の度合いが明らかにレベルアップしていて、それが成果として表れていると感じました。

K:『NEWPOESY』のときは、それまでと大きく音楽性が変化したりメンバーが変わったりとか、「これがいまのTAMTAMだ」という自我をアピールするということに力を注いだ感じだったんですけど、そこはもう卒業できたというか、考える深度を深めていくことが今作ではできたと思います。

『NEWPOESY』を出したあと、自主制作でミックステープ『EASYTRAVELERS mixtape』をリリースしましたよね?

K:当初は、ラフなものを1作挟んでからフル・アルバムを出そう、という感じだったんですが……結果的に結構丁寧に作り込んじゃって。

T:海外のミックステープっぽいものを、何を演って何を録っても良いっていうラフな感じでやってみようと思って始めたんですが、制作を進めていくうちに、「この曲はふざけてあの感じでミックスしよう」とかやりはじめたらすごい時間がかかってしまって。けれど、それを経たこともあり、だいぶ変なことやってもカッコよくまとめることができるんだな、と思うこともできました。

じゃ、ある意味で『EASYTRAVELERS mixtape』が今作『Modernluv』の習作的存在ということですかね。そこでいろいろアイデアを出した結果、アルバムで目指すべきものが研ぎ澄まされてきた?

T:そうですね、いろんな所まで広げても音楽の強度は保てるし、そっちのほうが面白くなるだろうな、と思って。あとは機材が増えたこともあったり。

K: たしかに『Modernluv』に入っている曲で、ミックステープと制作期間が被っているものもあるので、ホント地続きで来ている感覚です。

どの曲?

K:“Fineview”と……

T:“Deadisland”がそう。

別室でみんながミックスをやっているときに、ブースだけ借りてひとりでずっとダビングをして、気がついたら半日経ってました(笑)。 (クロ)

TAMTAMは、初期からレゲエを重要なルーツとして活動してきたと思うのですが、今回は結構その色が薄くなってきたんじゃないかなと思いました。その点、ミックステープには割とはっきりとレゲエっぽいものが収録されていたりして。で、いま挙げてくれた2曲は、トロピカルさもあってレゲエ的テイストも残っているかなと思うんですが、それ以外の曲については、現在のオルタナティヴなR&Bとかに対してバンドがフォーカスしているのかな、というのを思いました。

K:たしかにそうかも。

T:ただ、ヴォーカルとベースとドラムで基礎を作って、その上にキーボードとギターを重ねていって、という作り方自体は今回もそれまでとあまり違いはなくて。だから、新しい興味とより混ざっていった、というのが感覚としては近いかもしれません。

K:元からラスタマンではないですし(笑)、同世代の他の人たちの平均よりレゲエが好きだった、というくらいの話かもしれないです。

だから、元々好きだったレゲエも、そして新たな興味も、別け隔てなく等距離で見ている感じなのかなと思いました。

K:そうかもしれないですね。

以前のインタヴューで、前作の制作に向けての転機となった曲として“星雲ヒッチハイク”を挙げていましたが、今回も「こういう方向性でアルバムをまとめていこう」というキーになったような曲はあるんでしょうか?

K:個人的には“Esp feat. GOODMOODGOKU”ですかね。リード・トラックだからというのもありますが、制作の早い段階でできた曲で、これが核になるかなという感触があった。デモの段階ではもっとアップテンポな曲だったんですが、BPMを落としてスタジオで試してみたら「おっ」という感じになって。こういうちょっとローなダンス感をバンド・サウンドで演奏するというのが面白いかもと思って、そこから発展させていきました。

たしかにこの曲はリード・トラックなのもすごく納得できるな、と思いました。アルバム全体的にもBPM抑え目の印象を受けたので、その象徴という感じもします。GOODMOODGOKUさんの参加はどういった経緯で?

K:彼とはそもそもなんの繋がりもなかったので依頼するのは賭けでした。GOODMOODGOKU & 荒井優作として去年リリースされた『色』が好きだったので、ダメ元でお願いしてみよう! と。

T:その時点で曲自体はもうできていたんですが、ラップのパートのところはまだできてなくて。客演が決まってから付け足す形で作りました。

リリックを含めて作ってくれませんか? という感じで?

T:そうですね。

K:まくし立てるタイプのラップの人も良いかもな、とか、たくさんラッパーをフィーチャーするっていうのも面白いかなとも思ったんですが、GOODMOODGOKUさんはもっとも自分たちのやっていることと地続きの感覚でやってくれそうな感じがあったので。

メロウなラップというか……とても巧みに溶け込んでいると思います。

K:GOODMOODGOKUさんが参加してくれると決まってからは、彼の持っているエレガンスも意識して楽曲制作をしたかもしれません。

このところ、いろんなジャンルで「メロウ」というタームが浮上してきて、国内外シーンでも重要なものになっていると思うんですが、今作『Modernluv』もやはりとてもメロウだと思いました。おふたりが普段聴いている音楽も反映されているのかなと思うんですが、「メロウ」とか「メロウネス」って感覚って、自分たちにとってどんなものでしょう?

T:もともと僕はノイズとか、なかでも、パワー系ではなく弱音的なものが好きだったんですけど、そういうエクスペリメンタル系の流れのものと、いまのR&Bとかヒップホップのアンビエントなものが、なんとなく音響的に共通するメロウな気持ち良さがあると思っていて。先述の『色』のトラックを作っていた荒井優作さんもどこかのインタヴューで言っていたんですけど、「クラブ以降のアンビエント」みたいな話をしていて、そういう感覚というか。

フランク・オーシャンに代表されるような……

T:そう。あとブラッド・オレンジや、80年代っぽいものも含めて。スクリュー系の音楽も好きで聴いていたし。音としての快楽を高めていくと、ビートの有無に関わらず、ちょっとメロウな感覚が出てくるというか。だから自分のなかでは、エクスペリメンタル寄りのアンビエントの流れとしてメロウなものが存在している気がします。

例えば70年代のソウルとかAORとかいう流れの「メロウ」ではなくて。

T:そうですね。でも、ヴェイパーウェイヴも聴くようになって、80年代のフュージョンやAORも、音響的にメロウな作品として聴くようになりましたけど(笑)。

現在何気なく言われる「メロウ」って複数の流れがある気がしていて。レア・グルーヴ~アシッドジャズ由来の90年代型DIG文化を反映したフリー・ソウルとかからの流れ。ヴェイパーウェイヴからフューチャーファンクに繋がる流れ。それと、多少領域も被るけれど、いまおっしゃったエクスペリメンタル的文脈も汲みつつアンビエントとブラック・ミュージックが融合していく流れとか……。そういう論点で考えると、今作は、はっきりとどの流れから出てきた、と言い切れないようなハイブリットな面白さがあると思って。それは、メンバーみなさんが聴いてきた/聴いている音楽が反映されているんだろうなって思うし、その上、レゲエも含め、プレイヤーとしてずっと演奏経験を積んできたっていうのもやっぱり単純な傾向付けから抜け出ている要因なのかな、と思いました。

T:クロちゃんは、90年代のR&Bとかルーツ?

ミッシー・エリオットとかネプチューンズとか?

K:そうですね。あとR・ケリーとかめちゃくちゃ好きでした(笑)。

T:ちょっといま絶妙に出しづらい名前ですね(笑)。

K:高校生の頃とか聴いてました。

みなさんが聴いてきたそういった音楽がとても有機的に消化されている感があって。いわゆる「メロウネス」にもいろいろな種類や傾向があるけど、みなさんのなかでストレスなく混合しているんだろうな、と。

T:それと……アルバムを作っているなかで「メロウ」とは、と考えたとき、元ライのロビン・ハンニバルがプロデュースしている、デンマークのオーガスト・ローゼンバウムというピアニストのソロ作にはとても影響を受けました。ロビンのクアドロンや周辺のアーティストたち……。ヴェイパーウェイヴ風の80年代的ゲートリヴァーブ、生音のシネマティックな音響、それとポスト・クラシカル的というか、現代音楽っぽい感覚。そういったメロウネスも参考にしたかもしれません。

そういった音像のコントロールの話になると、やはりエンジニアの中村さんの活躍は相当大きいんだろうなという気がしてきます。リズム面についてですが、作曲やデモ段階から途中でアレンジを変えたりするんでしょうか?

T:クロちゃんからデモが来る段階では大体全パートできているんです。完コピは難しいのである程度はもちろんその後変わりはするんですけど。大幅に変わった曲は“Esp”と“Morse”と“Goooooo”と……あ、結構変わってますね(笑)。

最初から「はいリズムはこれで行きます」という感じで決めて臨んだわけではないように感じたんですよね。おそらく、コミュニケーションのなかで「あ、これは変えちゃって良いんじゃないか」とか、それ位のスポンテニアスさがないと、なかなかこういう風な仕上がりにはならないだろうな、と思って。

K:“Morse”とか“Goooooo”とかはもう、10転11転くらいした。デモの跡形もない。

T:すごく変わりましたね。無難な落とし所として、ちょっと遅めのテンポで柔らかな4つ打ちベースに16分っぽいのをアクセント的に入れるっていう、いわゆるトロピカル・ハウス的なパターンがあまりに使いやすくはあるんですが、いまやってもあまり面白くないな、と。だからといって、R&Bをそのままやるバンドでもないですし。リズム・アレンジはかなり考えたな、という気がします。

クロさんはデモをバンドに共有する段階で隙間とかアレンジの余地を残しておいたりするんですか?

K:そうですね。TAMTAMのデモ制作には、トラックとしてひとりで一旦完成近くまで持っていきたいときと、まったくそうでなく大雑把に、部分的に作るときがあって。でもどっちの場合も最終的には演奏する人物の解釈・変更はむしろあったほうが嬉しくて。ポジティヴなものだと思っています。あくまで自分はメンバーのなかで少しフレーズ出しや構成が特異なポジションという認識で。それと、打ち込みだと、特にギターの音がイメージしづらいので、ギターは固定フレーズのたたき台になるようなものだけ作って、結構丸投げしちゃうことが多いかもです。

[[SplitPage]]

自分はそういうタイプではないなと思っているからこそ、じゃあカッコつけ切った方ほうが良いなというのがあって。 (クロ)

メロディと構成だけは固めるけど、アレンジは基本余白のある状態で、と。


TAMTAM
Modernluv

Pヴァイン

R&BPopDub

Amazon Tower HMV iTunes

K:基本ベースとドラム、そして歌ですね。それ以外は結構変わっちゃうかも。でも“Morse”はバンドで合わせてみたときにぜんぜんハマらないなあと思ったので、メロディも全て変えました。それから、レコーディングでカリンバ音源などの重ねをたくさんしていった。これはライヴを想定していない作り方なので、7月以降レコ発やツアーでバンドで演奏する準備をこれからやらなきゃなんですが(笑)。

T:生バンドと打ち込み感の融合ということで言うと、このアレンジ「チルくていいよね」みたいな感じで盛り上がっても「でも、それならバンドじゃなくていいかも……」と迷ったりするんです。そういうときにムラ・マサを聴いて。ムラ・マサはバンドじゃないですけど、トラックは生音っぽいニュアンスが出ている。なおかつ打ち込み特有の圧のある感じで、リズムのシンプルな強さが際立っていて。

打ち込みと生っぽさの融合。

T:それならバンドでやれるかも、と思って。

K:ただ、ムラ・マサの感覚をバンドに置換するのはさほど苦労なくイケるだろうと思ったんですけど、じっさいはぜんぜん一筋縄にいかなくて。

プレイが難しいという意味?

T:それもあるんですけど、それ以上に、彼はもう2個くらい何かしら違う技を使ってると思うんですけど。

K:意外とバンドらしさとの共存が難しいのかも。受けた影響をそのままやってみようとすると「あれ? なんか情報量足りない?」ってなっちゃったんですよね。

でも結果的には、ムラ・マサの感覚をバンドで再現するというところに拘りすぎなくて良かったと思います。いい意味で、みなさんのプレイの手癖みたいなものが引き出されることで、個性も出てくるわけで。
 そういう意味で“Morse”などは、バンド・サウンドのダイナミズムが聴けるので、例えばジャズ・ファンが聴いても面白いと思うだろうし、“Fineview”もファンク的だったり、プレイヤビリティに根付いた快感もちゃんとある。特定の質感を狙いすぎると、肉体的な要素を削ぎ落としすぎてしまうこともままあると思うのですが、それがしっかり残っているというか、全面的に聞こえてくる。だからもしかすると、いまのUKジャズのシーンとかにもバランス感覚が近いのかな、と思ったりしました。
 今日いらっしゃらないメンバーの方々の音楽志向についても教えてください。まずギターのユースケさんは?

K:かつては結構普通にロック少年だったと思うんですけど、最近はDJで引き合いが多いようで、元からクラブ・ミュージック全般的な部分には詳しいですね。

T:バレアリック寄りというか、生音のレア・グルーヴっていうより、辺境系のサイケ色が強い感じの。

K:ここ最近はニコラ・クルーズにハマっているみたいで。「今作でも影響を実践した」と言ってました。本人に言われて作った後に気づきました(笑)。

たしかに、フレージングとかはすごく巧みなんだけど、なんというかギター・キッズ感はなくて、自身の演奏を俯瞰的に捉えている感覚を覚えました。DJとしても活動しているというのはなるほどという感じです。キーボードのともみんさんは?

K:彼は一言で言うなら、ポップスとして精度が高いものが好きという感じだと思います。

宇多田ヒカルとか?

K:そう。それと、ディズニー映画のサウンドトラックとか。あんまりバンド活動をしていてもなかなか会わないタイプの……

T:ぶれずにずっと好きだよね。学生の頃から。出会ったころは、槇原敬之とか。

K:学生の頃に一緒に演っていたラテンとかカリプソ、レゲエも彼の嗜好を捉えたみたいです。

T:ラテンとかもよくあるんですけど、80年代っぽいというか、逆にいなたいくらいのゴージャスな音を狙いたいとき、「そういう音色で」っていうと、ぱっとすぐ弾いてくれたり。そういう勘所がすごくあって。そういうポップスのアクっぽいところを即座に理解してくれます。

なるほど。かなり客観的にポップスを聴いているということですね。ウェルメイドなものを目指すという点においては皆さん同じだから、ユースケさんやともみんさんのなかにある蓄積や引き出しが混交することでTAMTAMのバンド・サウンドが形作られている、と。

T:そうですね。

次にクロさんの歌唱のことについてお訊きします。前作『NEWPOESY』での変化が大きいかと思うんですが、以前に比べると相当に歌い方が変わりましたよね。

K:そうかもしれないですね。

今回、前作よりさらにソフトというか、抑制されたヴォーカリゼーションに感じたのですが、やはりこれは音楽性の変化に合わせて、ということなんでしょうか?

K:普通に歳を取っただけかもしれないですけど(笑)。昔の自分の音源や『NEWPOESY』も含めて、ちょっとキンキンするなって。そこをもっと無理しないように歌うのは意識したかもしれないです。

先ほど90年代のR&Bがルーツというお話をしていましたが、だからといって、張りまくって歌い上げる系とはまったく違って、よりクワイエットというか、ちょっとフォーキーさも感じました。

K:最近は「どうだ、歌い上げてやるぞ」というような人よりは、抜き方がうまい歌い方の人が好きで。歌い手はもちろん、最近だとノーネームとかラッパーにも好きな人が多くて。

それはリズム感というかフロウというか?

K:それもそうだし、声の使い方が面白い。

その声の使い方ということで言うと、個人的にそういった女性ラッパーからの影響以上に感じたのは、ダーティ・プロジェクターズのコーラス処理に似た感覚というか……。吉田ヨウヘイgroupではコーラスを担当されていますが、そういったことを通じて歌に対する意識が変わったりしましたか?

K:そうですね。吉田ヨウヘイgroupでは、一般的に言うコーラスより地を出してメインと同じくらいの存在感を出すというなかなか珍しい形態なので、そういう意味では使える声を日々発掘してます。

じっさい今作のコーラス・アレンジもすごく凝っているなあ、と思いました。

K:もともと重ね録りが好きだったのでそこはなんの苦でもないですね。家でデモ録音しているときも、放っておくとコーラスの重ねが止まらなくなります。

オケとコーラスの関係性が高い意識で突き詰めるられているというのはTAMTAMの音楽の特徴のひとつだと思いました。

K:すべて、メインの歌を録ってコーラスも必ず2~3本は重ねるという流れでした。1曲目のタイトル曲はいちばん最後の曲のBPMを落としているだけなんですが、あれに関してはひたすらコーラスをその場で適当に10何本とか重ねて。

たしかにすごい音像でした。声というより何か……。

K:別室でみんながミックスをやっているときに、ブースだけ借りてひとりでずっとダビングをして、気がついたら半日経ってました(笑)。ムー(MØ)とかのような、簡単には知覚できないところにいっぱいコーラス・トラックがあったというのをやりたくて。シンセとか環境音みたいに鳴らしたり、喋っている声を入れたり、じつは細かくパンを左右行き来させたり、とか。

インディR&Bの人たち、フランク・オーシャンとかもそうなんですけど、等身大っちゃ等身大なんだけど、パートナーを誘う言葉がすごいカッコつけているってことに気づいて。 (高橋アフィ)

最後に歌詞の話を。全体的になんというか……。言葉にしちゃうと俺がアホみたいなのですが(笑)……「都市の大人の恋愛観」というのが色濃くある気がして。

一同:(笑)。

「アーバンなラブ・アフェア」という感じ? 言い方を変えるなら、「平成の終わりのラグジュアリー」というか。それはアルバム通した要素としてある気がするんですけど、何か意識して書いているんでしょうか?

K:私田舎者なので(笑)、アーバンかどうかはわからないんですけど……。いまの自分から、あんまり距離がないものにしようと思っていました。

題材を自分に相応のものから選んでいる、と。

K:そうですね。男か女かはわからないけれどパートナーが存在して、その関係性についてを書くところが多かったというか。それこそ前作でそうやって書くのが楽だなあと気づいて、自分の言葉が出てくる感じになって。

その前はかなり壮大な世界観というか、宇宙をモチーフにしたりしてましたよね。

K:そう。単純にSFが好きだから、それをネタ元にしてて。いま思えば見よう見まねで歌詞を書いてた時期で、自分のメソッドもないから、歌詞書くのは好きだけど「上手く伝えられた」と思うことが少なかった。さっきのサウンドの話とも一緒かもしれないのですが、作曲も自分でやるようになって、作曲面の自我が固まるにつれて歌詞もメロディもすごく乗せやすくなってきた。パーソナルなことも、開いた感じで書きやすくなった気がします。

全体的にものすごい気怠そうというか……(笑)。大人ならではの甘美な疲れ、みたいな……熟れたラグジュアリー感ということなのかもしれないけど、『なんとなくクリスタル』のような感じとももちろん違っていて。自分の周りの題材を素直に扱ってこういう作風になるっていうことは、非常にアーバンな生活をされている方なのかな、とか思いました(笑)。

K:そんなこともないんですが(笑)。狙ってアーバンにしている曲もありますね。

なんというか、かつてのプロの作詞家的っぽさもあるんですよね。2000年代半ばくらいがピークだと思うんですけど、等身大の自分をピュアにさらけ出す、的なものが素人作家主義のようなものとしてかつてあったと思うんです。そういうのっていま聴くと結構キツかったりするんだけど、今作の曲からは言葉の使い方とか含めていい意味での職業作家性やストーリーテラーとしての意識を感じました。

K:たしかに、自分の近くにいる相手に何かのきっかけで思ったりしたこととか、をとっかかりにするという意味では「等身大」ではあるけど、リアルにさらけ出す、というものは目指してなくて。たしかに自分の好みとしても作家っぽい人は好きです。小西康陽さんとか。

ユーミンとか。

K: そうそう。自分のなかで歌詞について迷っていたときに、「好き・嫌い」「自分にフィットする・しない」の2軸で世のなかの歌詞を分類してみたことがあって。「好き」でいうと、じつは強烈な個性をさらけ出す、痛烈でリアルな言葉を吐くといったタイプも好きで、自分ができないから憧れるところもあるんですけど。自分はそういうタイプではないなと思っているからこそ、じゃあカッコつけ切った方ほうが良いなというのがあって。それでまたR・ケリーが出てくるんですけど(笑)。

そこに繋がるんだ。

K:R・ケリー、そんなに持ち上げても仕方ないんだけど本当に最近また参照したからな(笑)。こういうの好きだったなって。歯の浮くようなことを言い切るとか……それこそGOODMOODGOKUさんも、そういう視点で「うわ! カッコいい!」と思いました。

T:ああ、言ってましたね。シド(ジ・インターネット)もそんな感じだって。

K:そうそう。ちゃんと気取ってて好き。

T:良いなという歌詞を探していたとき、インディR&Bの人たち、フランク・オーシャンとかもそうなんですけど、等身大っちゃ等身大なんだけど、パートナーを誘う言葉がすごいカッコつけているってことに気づいて。恋愛ものだったら、愚直な感情をすごく詩的な表現で伝えるみたいなのは多いですよね。フランク・オーシャンの“Super Rich Kids”とか、本当にそのときフランク・オーシャンがそうだったかというよりも、「俺たちSuper Rich Kidsだ」って言うこと自体カッコつけているけど、カッコつけているからこそリアルさが出るといったような、あの感じは結果的に参照してたかものしれない。等身大だけど、言葉遣いまで等身大にしなくてもいいっていう。

K:R&Bは金の話か女の話か犯罪の話かをイキって歌うみたいなのが多いと思うんですけど、トピック自体はともかく、歌うときのカッコつけ方自体は、いいなと思っていて。

そのカッコつけが、いまの日本の都市文化的な風土を経由して表現されている気がして。本作の曲からは、どうしても東京の夜の街並みが浮かんでくる。それはもちろんかつてのバブル期の風景とも違って。カッコいい言葉を使いながらも、心象風景は現代っぽいという。一方で、ストリートに根ざした音楽は社会的なイシューと繋がっているべきだという論調もあるじゃないですか。その論調を拒絶するわけでもなく、個人の関係のなかへ逃避するときに発生してしまう気怠さを、なるべくベタつきのないカッコよさで見据える行き方というのは、現代に生きている都会人として気負いのない真摯な態度であるとも言えると思います。「メロウ」というのはそもそも「メランコリック」と親和性があると思うし。そういう意味ではみなさんと同じくらいの世代、30代で、自立しつつもそろそろ生活に膿み始めている大人たちとかは絶対共感できるだろうなって(笑)。

T:良かったです(笑)。

K:浮かばれました(笑)。

最後にアルバム・タイトルのことを。『Modernluv』っていうのは、まさにこれまで話してきた通り、この2018年の……多レイヤー化する社会に揺られながら、日々を生きる大人がする気怠さと憂鬱を孕んだ恋愛、という意味なのかなって勝手に解釈してたんですけど……あってますかね?

K:素敵な解釈で嬉しいです。それをカッコつけて看板を付けてあげたみたいなことかな。

めちゃハマってますよ。「LUV」だしね。カッコつけ切ったな、と(笑)。

K:なんか……バンドとして、いきなり「LOVE」はまだ恥ずかしいかなっていう(笑)。


編集後記(2018年6月8日) - ele-king

 いよいよ来週の木曜日からロシアW杯がはじまるかと思うと、いてもたってもいられない。来週末の金、土から日までの3日のあいだがすごい。カタルーニャ人も団結できるのかどうかのスペイン、キリアン・エムバペを擁するフランス、そして知将チッチ率いるブラジル、知将レーヴ率いるドイツのそれぞれの試合が見れるという、もちろんメッシのアルゼンチンも忘れるわけにはいかないし、月曜日には個人的に注目しているベルギーも出てくると。え? 日本代表? やはりここは大島僚太選手に注目でしょうね。

 紙エレキングにも少し書いたことだが、今回のロシアW杯はわかりやすい。ドイツを倒すのがどの国か、だ。W杯はいまや戦術の大会などと言われているが(ゆえに直前で監督を変えることは戦術を重視する欧州では考えられないだろう)、ドイツはその最先端でもある。ぼくが子供のころはドイツといえばゲルマン魂の無骨なサッカーという印象だったが、いまやインテリ・サッカーなどとも言われるほど洗練されている。そして、ドイツ相手に前回の地元開催のW杯で1-7という歴史的にもあまりにも無残な敗戦をしたブラジルがチッチ監督の下で蘇生し、リベンジを目論んでいる。ぼくはもちろんブラジルを応援するが、力も技術もあり、根性もあり、幾何学まで取り入れて構築したというドイツ・サッカー(まあ、故障者を抱えていまいち仕上がりが良くないらしいが)をブラジルがどう攻略するのだろう。ついついそのことばかり考えてしまう。まあ、ぼくが考えたところで何も起こるわけでもないのだが。

 そしてこのタイミングで、ぼくはブラジル音楽の本の刊行に携わっている。中原仁氏の監修/編集による『21世紀ブラジル音楽ガイド』という、現在進行形のブラジル音楽のディスク・カタログだが、W杯開幕とほぼ同じ時期に入稿がはじまるのだ。つまり世界中がブラジルのサッカーの魅力を再認識してからその本は刊行されると、これがシナリオである。

 しかしここまで来るのに長かった。個人的にもいろいろあり、別冊エレキングのジャズ特集があり、紙エレキングのvol.22があった。そのどちらの特集もいま現在の音楽における突出したシーンを知るという意味でじつに有意義なものになったと思う。vol.22に関しては、前々からやりたかったアフロフューチャリズムの特集も実現できた。掲載されているチーノ・アモービのインタヴューは、ある意味OPN以上にハイブローだ(笑)。え? W杯がはじまるのにそれどころじゃないって? いや、たしかにおっしゃる通りだが、おそらくvol.22には、英米の音楽ジャーナリズムに興味がある人にとって、今後音楽について文章を書くうえでの重要な確認事項もあると思うので、観戦の箸休めとしてぜひ手にとっていただければと思います。



5月某日、2週連続で檜原村までサイクリング。梅雨前の初夏の最高のトリップでした。走行中、かぶとむしがぼくの背中にやって来ました。そのうち飛んでいくだろうと思って走っていたのですが……現在は家のベランダで元気にしています。

Oneohtrix Point Never - ele-king

 作者が死んだのはちょうど50年前のことである。テクストは作者の考えていることを表したものではないし、ましてや作者の人間としての内面を吐露したものなどでは断じてない。テクストは引用の織物であり、内面なんてものはそれが言語によってしか説明されえない以上、すべて事後的に構成されるものである。
 もちろん、そのように人間を縮減していく試みは、19世紀の終わりから20世紀半ばにかけて何度も試みられてきた。詩人は言葉に主導権を譲らねばならないと主張した詩人、書物は日常生活を営む自我とはべつの自我によって生み出されると考えた小説家、ゲームや無意識など主体のコントロール外にある偶然的要素を創作に活かそうとした文学・美術グループ、あるいは「この女」と言うためにはその女から実態を剥奪し殺戮してしまわなければならないと説いた批評家。けれど、よりわかりやすい形で人間としての作者に死が与えられたのは、やはり1968年ということになるだろう。ようするにそれは、なんらかの対象について語るとき、それを生産した人間に着目するのはいい加減やめませんか、という提案である。そのような反人間的な発想が現れてから、もう半世紀ものときが流れたのだ。
 どうやらワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパティンもまたこの問題について考えを巡らせることがあったようで、先日公開された最新インタヴューにおいて彼は、われわれはついつい「この人間そのものの表現だ」と思えるような「苛烈なまでにパーソナルな表現」を賞賛しがちだけれども、自分は「演奏する人間が排除されている」ような「音楽機械」にこそ心惹かれる、と語っている。つまり、いままさにここでおこなわれているように、彼という人間をとおして彼の鳴らす音を説明しようとするのはもうやめませんか、ということである。たいせつなのは人間じゃなくてそこで鳴っている音でしょうよ、というわけだ。アンチ・ヒューマニズムである。

 とはいえOPNは、その発言によって自らの作品をパフォーマティヴに変容させていくタイプのアーティストでもある(同じインタヴューで彼が録音物ですら変化しうると言っているのは、そういう外在的な効果を念頭に置いてのことだろう)。その作品の強度と発言をつうじて、いまや10年代でもっとも重要な電子音楽家と言っても過言ではないほどの存在にまでのぼり詰めたOPN、あまりに大きな期待を背負って発表されたその8枚目のアルバムは、われわれの予想をはるかに超えるアイディアとサウンドをもって、いまふたたび彼のキャリアを更新している。
 どきどきしながら再生ボタンを押すと、すぐさまチェンバロの音が耳に飛び込んでくる。その響きと音階はバロック音楽の雰囲気を醸し出しているが、そのムードは幾度か差し挟まれる叫びとノイズ、そして中盤で30秒ほど挿入されるインスト・ポップ・バラードとでも呼ぶべき謎めいたパートによって破壊されてもいる。異なる時代を強制的に接合するコラージュ。冒頭のこの表題曲の時点ですでにロパティンの勝利は確定したも同然だが、続けざまに「バビロ~ン♪」という加工された音声が流れてくるのを耳にした瞬間、われわれはさらなる驚異と遭遇することになる。歌である。それも、ダニエル・ロパティン本人による歌だ。
 その旋律はポップ・ソングによくある「いかにも」な進行を見せる。押韻もわかりやすい。途中でプルーリエントによるスクリームが挿入されるものの、それでも曲はクリシェであることを全うしようともがき続ける。「ヘルプ・ミー」という高い声が乱入する。クレジットを確認して初めてそれがアノーニによるものであることがわかる。助けて。しかしロパティンは歌うことをやめない。「わかったよ/なんで君が僕らがバビロンにいると思うのかを」。助けて。「わかったんだ/なぜ君がこのバビロンから離れられないのかを」。そしてトラックは解決らしい解決を見ないまま唐突に終わりを迎える。バビロン。それはいったいなんの比喩だろう。インターネットか。資本主義か。それとも、常世すべてか。

 OPNらしい鍵盤とシンセが横溢する3曲目へと至ってようやく、われわれはこれがあのOPNの新作であることを思い出す。アッシャーのために書かれながらもアッシャーには使ってもらえなかったという“The Station”は、前半のロパティンによる歌を否定するかのようなミニマルなギター音の反復をもってリスナーに先を急がせる。ミュージシャンがよく口にする「架空のサウンドトラック」というクリシェを試したという“Toys 2”は、卓球のような具体音と『アール・プラス・セヴン』で展開されていた賛美歌風音声ドローンの断片、『ガーデン・オブ・ディリート』のような強烈なノイズと東洋風の旋律によるかき乱しを経て、初期のOPNを思わせる穏やかなシンセ・ミュージックを響かせる。そしてアルバムは先行公開された問題曲“Black Snow”へ到達する。吐息とフィンガースナップに誘導され、「盲目のヴィジョン/盲目の信念」と、ロパティンは静かに歌いはじめる。リリックはニック・ランドが設立に関わったCCRUの論集からインスパイアされている。バッキングに徹するアノーニ。東洋的なモティーフとノイズの手前で、ダクソフォンが不気味な唸りを上げる。

 アルバムはふたたびチェンバロを呼び込み、大規模なアート・プロジェクトを成功させるためには金融業者と仲良くならなければならないことを諷刺した小品“myriad.Industries”をもって、その後半を開始する。『R+7』の延長線上にあるトラックのうえでプルーリエントが雄叫びをあげる“Warning”や、ミュジーク・コンクレートとインダストリアルを同時に試みたかつてない作風の“We'll Take It”、ようやくアノーニがそれらしい歌声を披露する“Same”など、最後まで聴き手を飽きさせないトラックが続く。『R+7』から目立ちはじめ、『GOD』において突き詰められた、ポップ・ミュージックのメタ的な解体作業。『エイジ・オブ』ではそれがより尖鋭的な手法をもって実践されている。あるいは逆の見方をすればそれは、いわゆる大きな物語が機能しなくなり、幾千の島宇宙がそれぞれに閉じたサークルを形成するポストモダン以降の情況にあって、電子音楽の冒険を電子音楽ファンのなかでのみ完結するものにはしないという強い意志と捉えることもできる。
 ともあれ本作の肝をなす自身の歌唱と、アノーニやプルーリエントといったゲストの参加、あるいはダクソフォンの活用は、前作でチップスピーチを導入していたロパティンにおける声への志向性が、いま、ますます高まっていることを示している。けれどもそれらの声は著しく加工され変調され切り刻まれ、歌い手のキャラクターを尊重しない。声そのものへのアプローチを突き詰めつつもロパティンは、けっしてその人間性には依拠しようとしないのである。それはたとえばジェイムス・ブレイクの起用法にも表れていて、あくまでも彼はキイボーディストおよびミックス・エンジニアとして参加しているにすぎない。
 ロパティンはこれまでも本名名義での作品やプロデュース作品、あるいはサウンドトラックやリミックスなどでじつにさまざまな相手とコラボを繰り広げてきたわけだけれど、他方で自身のメイン・プロジェクトであるOPN名義のソロ・アルバムにゲストを招くことだけは頑なに拒み続けてきた。多くの客人を招待した『エイジ・オブ』はだから、彼のディスコグラフィのなかで大きな転機となるはずで、であるならばいっそ大々的にアノーニやジェイムス・ブレイクの歌声をフィーチャーしたポップ・ソングを作ってもよかったはずである。だがロパティンはそうしなかった。それにはおそらく、現在の彼が人間に対して抱いている二律背反的な、複雑な思いが関与しているのだろう。
 アノーニとの口喧嘩を経て、自分はニヒリストなのかと問いはじめたところからすべてがスタートしたという本作は、他方でわざわざクレジットにCCRUの名を掲げてもいる。ロパティンは揺れている。半分は無意識的に、そしておそらく半分はきわめて意識的に。思い出そう、先に引いたインタヴューにおいて彼が、人間が排除されたような「音楽機械」もまた「とても人間的なものに感じられる」と述べていたことを。「ハートから生み出された感じがする、そういう音楽」こそが好きなんだと、それこそクリシェのような発言をしていたことを。そしていままさにわれわれは、彼という人間をとおして『エイジ・オブ』を理解しようと試みている。

 いまさら人間に全幅の信頼を寄せるようなかつての発想には戻れないし、戻るべきでもない。かといって人間の縮減ないし抹消によってもたらされる種々のほころびをそのまま歓迎することもできない。急速にテクノロジーが変容し、人工知能や人新世といったタームが脚光を浴びる今日、人間と反人間とのあいだで揺れ動く現代、ポストモダンという言葉さえレトロスペクティヴに響き「ポスト・ポスト」という言い回しでしか名指すことのできないこの時代、それこそが『エイジ・オブ』の切り取ろうとしている生々しいバビロンの姿だろう。「オブ」以下が言葉を欠き、大いなる余白を残すゆえんである。

小林拓音

Next >> 野田努

[[SplitPage]]

 その人が資本主義の犠牲者だろうとそうじゃなかろうと、音楽には2種類ある。ひとつは気持ち良ければある程度は完結する音楽=EDM、AOR、MOR、シティ・ポップ、ほとんどのハウスとテクノとヒップホップ、多くのポップスやロックやファンクやジャズ……etc。もうひとつは気持ち良いだけでは物足りないと思っている人の音楽だが、OPNは後者を代表する。ポップのフィールドにおいて、いまこの人ほど思わせぶりな音楽をやってのけている人はいない。

 たとえば『リターナル』というアルバムがある。19世紀のフランスの画家、アンリ・ルソーに触発されたという話はファンの間では知られているのだろうが、ただしダニエル・ロパティンの解説によれば、それはルソーの絵画そのものに触発されたというよりも、自分が行ったことのない風景を人からの伝え聞きによって描いたというルソーの行為への関心によってもたらされている。それは、実際にアフリカを旅行してアフロをやるのではなく、自分が伝え聞いたアフリカをもとにアフロをやるということで、メディアによって拡張された身体が感応しうる世界を捉えるこということだろう。が、あの作品を聴いただけでそこまで想像できるリスナーがいるのだろうか。ロパティンは、自らの言葉で自らの作品に仄めかしを授け与える(その観点でいけばザ・ケアテイカーと似ているし、自己解説が作品に付加価値を与えるという点ではイーノにも似ているのかもしれないが、ロパティンほどアブストラクトではない)。

 『エイジ・オブ』におけるオフィシャル・インタヴューのロパティンの思わせぶりな発言を読んで、この1ヶ月、ぼくのなかにはどうにも釈然としないモヤモヤが生まれている。彼は、本人が歌う“Black Snow”という曲の歌詞がイギリスの思想家、ニック・ランドの影響下にあることを明かしているのだ。正確には、かつてニック・ランドが主宰したCCRU(Cybernetic Culture Research Unit)という研究グループの発表した出版物に触発されているとのことだが、おいおい、これは大いに問題だろう。インタヴューではCCRUのウィリアム・S・バロウズ的な手法が気に入ったと説明しているが、それならバロウズの影響下で作詞したと言えばいいはずだ。さすがにロパティンがアンチ・リベラルの右翼であるはずはないだろうけれど、わざわざブックレットのクレジットにまでCCRUの名前を入れた理由は知っておきたい。

 現代思想に詳しくもないぼくがニック・ランドを知ったのはほんの数年前のことで、UKの音楽メディアでオルタ右翼のイデオローグとして紹介されている記事を読んだからだった。また、彼の提唱する加速主義という思想がやはりUKの音楽メディアにおいてヴェイパーウェイヴの論考に活用されてもいることも気になっていた。ポップ・カルチャーは、かちかちとクリックしながら音楽制作することが普通になった21世紀になった現代でも極端な考え方に惹かれてしまう側面があるらしい。
 ヴェイパーウェイヴがその初期においてひとつの論説として成り立ったことの根拠には、資本主義としての音楽の終わりにあるジャンルだというマルクス主義的な仮説にある。亡霊めいた音響(スクリュー)を特徴としたそれは、当初は無料配信/無断サンプリングが基本で、マーク・フィッシャーいうところの「文化が経済に溶解してしまった」現代においては、たしかにそんな幻想を抱かせるものではあった(〈Warp〉のサブレーベルもヴェパーウェイヴの12インチをリリースし、Macintosh Plusのアナログ盤がインディーズのコーナーに陳列されている今日ではその仮説も紛糾されたわけだが、もちろんそれはそれで良い。ほかのジャンルと同じように認められた=商品になっただけのこと)。
 しかしながら、そうした仮説がまかり通った時代を記憶している者として言えば、ある時期アンダーグラウンドのエレクトロニック・ミュージックのシーンが何かの「終わり」に憑かれていたことはたしかだろう。安倍政権をはやく終わらせたいという願望はもっともな話だが、この「終わり」の舞台は主に英米の音楽シーンにある。つまり、レイランド・カービーが〈History Always Favours The Winners〉をはじめたのも、『フローラルの専門店』もOPNの『レプリカ』もジェームス・フェラーロの『Far Side Virtual』も2011年、ジャム・シティの『Classical Curves』とアクトレスの『R.I.P』は2012年、〈Tri Angle〉や〈Blackest Ever Black〉の諸作が脚光を浴びたのもこの頃だよね。ジャム・シティに関しては、あたかも人類が滅亡した後のオフィスビルのフロアを彷彿させるあのアートワークを見て欲しい。サン・ラーによる世界の終わりとはずいぶん違う。それらはおもに資本主義リアリズムの恐怖に反応したものだと思われる。

 あるいはそれがジョナサン・クレーリーいうところのインターネットが招いた「24/7」消費社会への抵抗かどうか、あるいは加速主義的な、さっさとこの世界を終わらせたいという苛立ちなのかどうか、なんにせよロパティンは少なく見積もっても『レプリカ』以降はディストピックなヴィジョンから逃れられないでいる。
 音楽は答えではない。それは問題提起であり、気づきや揺らぎへの契機となりうるものだ。釈然としないその気持ちをそのまま露わにすることにだって意味がある。ロパティンに対する疑いのひとつに、彼がいまどきのネット時代に特有の情報おたく/オブセッシヴな情報収集家ではないかということがある。どんなに知識を振りかざしたところで、当たり前の話だが、音楽それ自体に訴える力がなければ知識のひけらかしに過ぎない。「ブルーカラー・シュールレアリズム」とロパティンが言うのは、自分の音楽がハイブローな人たちだけではなく、「ブルーカラー」にも聴いて欲しいということなのだとぼくは解釈している。ゆえに『エイジ・オブ』で彼がR&Bやポップスに挑戦したことをぼくは評価したい。が、もうひとつの問題は、しかしこのアルバムの魅力がロパティンのポップ・センスに依拠してはいないということにある。

 彼の発言によれば、『エイジ・オブ』の制作は環境問題をめぐるアノーニとの会話からはじまっている。1万年後には人類は終わるのだから環境のことなど考える必要はないという彼の発言に対して彼女は怒り、ニヒリストという言葉でロパティンを罵倒した。俺はニヒリストなのか? アルバムはその自問自答からはじまっているという。『エイジ・オブ』にセンチメンタルなフィーリングがあるとしたら、人類の未来を案じてというわけではなく、アノーニによって引き裂かれたロパティンのなかの揺らぎに依拠するんじゃないだろうか。
 『エイジ・オブ』は間違いなく前作『ガーデン・オブ・デリート』より魅力的なアルバムで、『R・プラス・セヴン』よりイケてるかもしれないが、この新作はロパティンひとりでは完結していない、他者=アノーニ&ジェイムス・ブレイクが介在しているという点においてもOPNにしては異例の作品だ。アノーニの素晴らしい声を知る者たちが憤慨してもおかしくないほどに彼女の声は加工されているが、それでもアノーニの存在は重要であり、作品のなかに活きているというわけだ。
 アルバム1曲目の“Age Of”からしてニューエイジめいたメロディの背後で不吉なノイズが鳴っている。続く歌モノ“Babylon”はいきなり終わる。ニューエイジ的な陶酔を拒否しているかのように。4曲目“The Station”から“Toys 2”、そして“Black Snow”へと続く美しい流れとは対照的に、7曲目“myriad.industries”からはじまるアルバムの後半には暗い予感が渦巻いている。
 1枚のアルバムには往年のプログレッシヴ・ロックを思わせる“物語”がある。バロック音楽にオペラと、これらもプログレ的な折衷感ではあるのだが、本作のスリーヴにデザインされている3人の女性の絵は、伝説のプロトパンク・バンド、デストロイ・オール・モンスターズのオリジナル・メンバー、ジム・ショウによるものだ。エレキングにおける三田格のインタヴューでもパンクである自分を主張しているが、それは自己確認であり、本作に対するエクスキューズに思えなくもない。こんなところにもある意味どっちつかず、ある意味分裂的な本作の本性が垣間見られる。
 この物語には矛盾があり、引き裂かれている。それがぼくの解釈だ。その引き裂かれ方には、「終わり」に憑かれたロパティンとアノーニがもたらすヒューマニズムとの葛藤と同期するかのように、アンチ・ポップとポップが衝突している。いや、そんなことは誰かほかの作品でも聴けるわけだが、OPNにおけるその衝突は思いがけないマジックを生んでいるかもしれない。

※6月末発売の紙エレキングでは、社会学者の毛利嘉孝氏にイギリスにおける現代思想の大雑把な流れについて教授してもらいました。ニック・ランドを持ち出すことのマズさについてももちろん触れているので、こうした議論の入口、とっかかりとして読んでもらえればと思います。ちなみに「中世に帰れ」という展開も近代的ヒューマニズムを否定するこの流れにあります。また、ダニエル・ロパティンのインタヴューは、webで紹介したのはほんの序の口で、作品の核心に触れているディープな箇所は紙エレキングに掲載されます。また、ほかにも(いい意味で)頭でっかちなアーティストのインタヴューを取りました(笑)。はっきり言って、編集しながらぼくも勉強になりました。どうぞ、お楽しみに。

野田努

Dedekind Cut - ele-king

 北カルフォルニアのサウンド・プロデューサー、フレッド・ウェルトン・ワームスリーIIIによるデデキント・カット名義の新作『Tahoe』がリリースされた。リリースは老舗〈Kranky〉。近年これほどまでに身体に作用するアンビエント/ドローンは稀ではないか。
 『Tahoe』は〈Hospital Productions〉からリリースされた前作『$uccessor』から約2年ぶりのアルバム(EPとしては『American Zen』や『The Expanding Domain』などを発表)である。そのサウンドはまるでアンビエントな音響が脳内でサラウンド化するような感覚になってしまうほどに進化=深化している。同時に現行のニューエイジ・リヴァイヴァルにも適応するかのごとき繊細な音のタペストリーも生成しており、聴き込んでいくにつれ意識が飛んでしまうような心地良さがある。

 そもそもドローン、ノイズ、インダストリアル、ニューエイジなど、いわゆる「2010年代以降のエクスペリメンタル・ミュージック(先端的な音楽)」は、20世紀後半以降の実験音楽やポスト・パンクの領域で応用された手法をクラブ・ミュージックの領域でリサイクルした同時代的なフォームだった。
 それはフレッド・ウェルトン・ワームスリーIIIにしても同様で、たとえばリー・バノン名義で〈Ninja Tune〉からリリースした『Alternate/Endings』(2013)などを聴けばわかるとおり、ドラムンベースを基調としたクラブ・ミュージックのアーティストであった。「あった」というのは、だがそのサウンドは先端的音楽の潮流の中で次第にクラブ・ミュージックの定型から逸脱しはじめたからである。とくに2015年に〈Ninja Tune〉からリー・バノン名義で発表した『Pattern Of Excel』あたりから、どこかJ.G.バラードの後期作品を思わせるような不穏なムードを称えたミュジーク・コンクレート/シネマティックなアンビエント・サウンドへと変貌していったのである。
 その最初の達成がドミニク・ファーナウ主宰〈Hospital Productions〉からリリースされたデデキント・カット名義の『$uccessor』(2016)だろう。ちなみに2016年はミュジーク・コンクレート的なサウンドにモードが完全に変化してきた時期である。例えば2016年リリースのジェシー・オズボーン・ランティエ『As The Low Hanging Fruit Vulnerabilities Are More Likely To Have Already Turned Up』などを思い出してみたい。
 そして、この『Tahoe』は「2016年的なミュジーク・コンクレート・サウンド」以降のアンビエンスをはやくも実現している。ここではノイズもドローンも「救済」のような質感を生んでいるのだ。本作と対比すべきアルバムは、やはり『As The Low Hanging Fruit Vulnerabilities Are More Likely To Have Already Turned Up』だろう。『As The Low Hanging Fruit Vulnerabilities Are More Likely To Have Already Turned Up』は、ノイズ系ミュジーク・コンクレートによる戦争/爆撃の果てにあるレクイエムのような音響音楽作品だったわけだが、『Tahoe』は、その世界のさらに果てにある安息の世界に鳴る音響音楽の讃美歌である。破滅の音像から救済のアンビエントへ?

 『Tahoe』には全8曲が収録されている。冒頭の1曲め“Equity”から2曲め“The Crossing Guard”、そしてアルバム・タイトル・トラックである3曲め“Tahoe”へと繋がる流れは水流のようにスムーズだ。この曲では不意にサウンドの中に水流のような音が紛れ込まされていることに気がつくはず。
 ちなみに「Tahoe=タホ」とは「アメリカ合衆国のカリフォルニア州とネバダ州の州境にあるシエラネヴァダ山中の湖」の名のようで、同時に「この地に先住するワショー族のインディアンの言葉で大きな水(つまり湖)を意味する言葉らしい。つまりこのアルバムは「水」が主題となっているのだ(思い返せばフレッド・ウェルトン・ワームスリーIIIも北カリフォルニアの出身である。その意味で、自身の出自を神話的な音響で表現したアルバムといえるかもしれない)。すると、本作のアンビエンスが、どうしてこうまで心身に効く音響なのかわかってくる。「水」のアンビエンスが、人間の感覚に効くからではないか、と。
 アルバムは以降、ミストのようなアンビエンスと鳥の声などの環境音などがミックスされる“MMXIX”、クラシカルな旋律を響かせる“De-Civilization”、ドラマチックな“Spiral”、森の中のようなフィールド・レコデーィング・サウンドに不穏な持続音がレイヤーされ聴き手を別時間へと連れ去っていく長尺アンビエント/ドローン“Hollowearth”、アルバム終曲“Virtues”に至るまで、考え抜かれた構成で最後まで聴かせる。どうやらリリースが当初の予定からやや遅れたようだが、アルバム全編に横溢する凝りに凝った音響と構成を聴き込むにつれ、それも納得できるというものだ。

 このアルバムには神話的ともいえるアンビエンスが生成されている。同時に現代の世界・社会の変化によって生まれている人心のストレスを水の中に溶かしてしまうような音響が生まれてもいる。それはインターネットなどのメディアを通じて、あらゆる種類の音響・音楽が聴覚へと融解・浸透してくる現代的な感覚の生成にも近い。そう、この『Tahoe』には、破滅的なノイズ系・ミュージック・コンクレート「以降」の「安息/終局」の浸透的な音響が鳴り響いているように思える。
 なんという心身に染み入るようなアンビエントだろうか。この音響/音楽には10年代のエクスペリメンタル・ミュージックが行き着いた到達点のようなものを強く感じた。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884 885 886 887 888 889 890 891 892 893 894 895 896 897 898 899 900 901 902 903 904 905 906 907 908 909 910 911 912 913 914 915 916 917 918 919 920 921 922 923 924 925 926 927 928 929 930 931 932 933 934 935 936 937 938 939 940 941 942 943 944 945 946 947 948 949 950 951 952 953 954 955 956 957 958 959 960 961 962 963 964 965 966 967 968 969 970 971 972 973 974 975 976 977 978 979 980 981 982 983 984 985 986 987 988 989 990 991 992 993 994 995 996 997 998 999 1000 1001 1002 1003 1004 1005 1006 1007 1008 1009 1010 1011 1012 1013 1014 1015 1016 1017 1018 1019 1020 1021 1022 1023 1024 1025 1026