Home > Reviews > Album Reviews > Jenny Hval- The Long Sleep
ノルウェーはオスロのアーティスト、ジェニー・ヴァルはただ珍しいタイプのシンガーというわけではない。が、彼女を日本で紹介することの難しさは、そのサウンドを聴いた印象だけを書いても彼女の作品について充分に書いたことにはならない点にある。早い話、歌詞が重要なアーティストなのだ。たとえば彼女の評判をいっきに高めた『Apocalypse, Girl』の収録曲にこんな一節があるとわかれば、その表題をふくめて作品の意味や評価や印象も違ってくるだろう。
いま私は自由だとあなたは言う/戦いは終わった/フェミニズムは終わった/社会主義は終わった/いま私は好きなように消費をする/これは歴史の端で起きること/Great Eyeが振り向く/私たちにできることといえばただ歳を取ることだけ/天国に、天国に、天国にしがみついている/永遠に熟睡せよ/永遠に熟睡せよ “That Battle Is Over”
私はいま自分でやっている?/あなたのやわらかいペニスを包みながら、あなたもいま私と同じことをしていると想像している “Take Care Of Yourself”
BBCの社長を赤面させるとはガーディアンの評だが、なるほど、政治と性は彼女の主たるサブジェクトのようだ。昨年の『Blood Bitch』にしてもそうだ。サウンドそれ自体もたしかに魅力だが、やはりこのアルバムをたんに吸血鬼やホラー映画と結びつけるわけにはいかない。生理が主題に含まれているという点では戸川純の『玉姫様』と重なりつつも、議論好きと思われるジェニー・ヴァルは、より挑発的な言葉を歌っている。
何日か、薄いブレースによって私は私の体がまっすぐになるのを感じる/金属のスパイクは受け入れる、私の脊柱を、私の顔を、私のマンコを“Sabbath”
そんなわけで断っておくと、このレヴューも不十分なものだ。というのも、ぼくはこのEPの1曲目の“Spells”をそのサウンドだけでかなり気に入ったのだ。この曲はひとことで言えばジャズだ。アンビエント・テイストのじつにメロウなジャズで、これまで彼女に名声を与えてきた実験的なエレクトロニック・サウンドではない。
EPのタイトル「長い眠り」から想像できるように、この4曲入りのサブジェクトは眠りだ。“Spells”のサビにおいて彼女はとろけるような声でこう繰り返す。「私たちは長く起きてはいられない(you will not be awake for long)」
美しいサックス、トランペット、ピアノ、そして素晴らしいメロディとレム睡眠のような声ゆえに、このフレーズはやさしく耳にも入ってくる。残念ながらぼくは若い頃から睡眠時間が短く、歳を取ってさらに眠れなくなっているので、むしろこの歌詞とは逆の生活であるのだが……、しかし間違いなく睡眠時間の歌ではない。寝落ち寸前の声だとしても、言葉は決して平穏というわけにはいかないようだ。「あなたは思考の世界の迷子/あなたは何ひとつ利用しないことですべての実行を失う」
収録された4曲は連動している。アカペラからはじまる2曲目の“夢見人は彼女の夢におけるすべての人(The Dreamer Is Everyone In Her Dream)”では、曲の途中でさらにまたうんざりするほど「これは長い睡眠(this is the long)」という言葉が繰り返される。そして歌は問いかけとともにこう締めくくられる。
「歌詞とメロディなしで言うことができたであろう何かがあるべき/たぶん、それがいまここでやっていること/歌詞あるいはメロディ以外のもの/あなたに聞こえるの?/私が呼んでいるのが聞こえるの?/それは言葉にはない/それはリズムにはない」
B面の1曲は、10分48秒の表題曲の“The Long Sleep”で、ここにはたしかに言葉はない。パーカッション、トランペットとサックス、かすかな声とアブストラクトな電子音……そして彼女の語りをフィーチャーした最後の曲“I Want To Tell You Something”が待っている。
「私はここで何をしているの?/私たちはいまほとんどやった/あなたはここで何をしているの?/私たちはコミュニケーションしているの?/私はプロモーションしているの?/私はあなたに何か言いたい/私があなたに言える何かがあるべき」
言葉は先の曲から反復される。言葉は、リスナーであるあなたに向けられている。
「詞あるいはメロディ以外のもの/それは言葉にはない/それはリズムにはない/それはメッセージにはない/それは作り物にはない/それはアルゴリズムにはない/それはストリーミングにはない/それはあなたが決めた何かではない/あなたは文脈に気づいているの?/私はあなたに何かを言いたい/ただ言いたい/ありがとう/私はあなたを愛している」
……いやはやなんとも、である。
野田努