スロッビング・グリッスルのクラシック(という言葉がこれほど似合わないバンドもいないのだけれど)『セカンド・アニュアル・レポート』から40年! ということで、この11月から来年の春まで、怒濤のリイシューが続くわけですが、日本盤をリリースしている〈トラフィック〉からTGの缶バッジとステッカーのセットをいただきました。このセットを読者5名様にプレゼントいたします。
メール:info@ele-king.net
件名:TGプレゼント応募
●TGで好きな曲を1つお書きの上、メールを送ってください。
締め切りは、11月10日の正午12時までとします。当選者にはこちらからメールします。
「Sã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
TGとは音楽以下であり、音楽以上でもあった。
──ドリュー・ダニエル
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彼らが、『異邦人』において母の死にさえも“感じる”ことのできないムルソーの内面に関心を寄せたかどうかはわからない。が、『ハドソン川の奇跡』で乗客を救う勇敢な機長でないことはたしかだろうし、既存の秩序に従って生きることを拒んだこともたしかだ。
サイモン・レイノルズが指摘しているように、ノイズ/インダストリアルの始祖は、60年代のサイケデリック出身者だった。若い頃のジェネシス・P・オリッジは絵に描いたようなフラワー・チルドレンだ。で、だから、それがどこをどうしてどうすると、70年代半ばには、残忍なノイズにまみれながら妊婦の腹を切り裂き赤子の頭を掴み出すような、つまりハンパなく胸くそ悪い曲をやることになるのか。ロンドンのど真ん中の美術館で、ヌード写真と使用済みのタンポンの展覧会をやることになるのか……。
マトモスのドリュー・ダニエルが言う通りかもしれない。いわく「近年では現実のほうがTGである。なにせ日本では、サラリーマンが女子高生の使用済みの下着を買っているのだから」
スロッビング・グリッスル(TG)とは、じつはこの社会がTG以上にTGであることを教える。TGとは倒錯であり、音楽という表現がどれほど自由であるかを実践する。かつては“文明の破壊者”とまで騒がれた彼らだが、こんにち日本のインターネットは『D.o.A.』で題材にした小児性愛をゆうに超えている。病的なのはどっちだよという話だが、TGは、当時としては、音楽性にせよ、サブジェクトにせよ、ありとあらゆるタブーを蹂躙しながら展開する、まさに自ら言うところの「ポスト・サイケデリック・トラッシュ」だった。そのゴミ箱には、アウシュビッツからフルクサス、音響兵器からオカルト、俗悪ホラーから文学、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドからマーティン・デニーまで、ありとあらゆるものが放り込まれた。パンクと同じようにスキャンダラスでセンセーショナルなバンドだったが、TGにはパンク・ロックの“青春物語”は微塵もない。
サディスティックな彼らに、はじめは多くのリスナーが恐怖を覚えたかもしれないが、TGにはユーモアもあった。時間が経ったいまとなっては、テクノ史における重要バンドという位置づけもできるだろう。70年代半ば以降に出てきたバンドで、いち早くイタロ・ディスコを取り入れたのも、TGだった。
が、しかし、インダストリアルとか、テクノとか、前衛とか、実験とか、あるいはアートとか、型にはまらないのがTGだった。陳腐であり、崇高でもあった。そして初期のヴェルヴェッツにニコがいたように、TGにはコージー・ファニ・トゥッティがいた。まあ、静的なニコとは正反対の、かなり挑発的で、それこそ今日のネット社会が証明するように、人間の覗き見願望を暴き立てるかのような、ラディカルなパフォーマーではあったが。
この度、スロッビング・グリッスルのデビュー40周年を記念して、1977年のファースト・アルバム『セカンド・アニュアル・リポート』、サッチャー政権誕生の1979年にリリースされた『20ジャズ・ファンク・グレイツ』、そして2004年のベスト盤『The Taste of TG』の計3枚が〈ミュート〉によってリイシューされた。初期の2枚にはライヴなどのボーナス音源が付いて2CD仕様、ベスト盤にはあらたな追加収録曲もある。近年のエレクトロニック・ミュージックの潮流としてあるノイズ/インダストリアルと呼ばれる音楽がどこから来たのかを知るにはこのうえない良い機会だ。古いファンにとっても、久しぶりに聴くと新しい発見が待っているだろう。個人的には、たとえば、政治思想にはかぶれなかった彼らが、“コンヴィンシング・ピープル”のような(アンチ・サッチャー・ソングとしか思えない)ポリティカルな曲を歌っていたことは興味深いことのひとつだった。
取材を引き受けてくれたコージー・ファニ・トゥッティは、今年、自伝『アート・セックス・ミュージック』を上梓した。いま現在はロンドンのギャラリーで彼女の個展が開かれてもいる。ジェネシス・P・オリッジが病に伏していることもあるのだろうが、今年はUKのメディアでずいぶんと彼女の記事を見た。ここ数年は音楽の方面でも、主にカーター・トッティとしての活動と平行しながら、ファクトリー・フロアのニック・ボイドとの共作、ガゼル・ツインのアルバムへの参加するなど、新世代との交流も目立っている。
ヌードモデル時代の話からCOUMトランスミッション時代、そしてTGからフェミニズムについても語ってくれた2万5千字。はじめに出てくる個展の話は、それを観ていない日本のファンには伝わりづらいところがあるかもしれないが(しかもそれはおそらく、このお上品な日本では、決して展示できない作品ばかりであるようだ)、削るには惜しく、しばしお付き合いいただければ、彼女の表現に対する考え方は明らかになるだろう。このロング・インタヴュー記事が、全盛期にはなかば神格化され、彼らのアイロニーにも関わらず、ちまたに多くの信者やアンチ権威の権威という矛盾を生んでいたTGを、いまあらためて理解するための助けになることを願いたい。
Cosey Fanni Tutti
わたしたち4人は、全員それぞれユーモアのセンスを備えた、そういう連中だった。全員がアイロニーを祝福していたし、人びとをまごつかせもしたかった。わたしたちは全員、マーティン・デニーに入れ込んでいた。わたしたちはTGを「インダストリアル・ミュージックの最初の形」として定めるつもりもなかった。
■ちょうど今年の5月にイアン・ブレイディ(※1965年の猟奇的なムーアズ殺人事件の犯人。5人の少年少女が暴行の末に殺害された)が他界しました。この事件を題材にした曲は、ジョニー・ロットンとシド・ヴィシャスが抜けたセックス・ピストルズ残党にもありますが、ザ・スミスの“サーファー・リトル・チルドレン”が有名です。
コージー:ええ。
■しかし、おそらくもっとも最初にそのおぞましい事件を扱った曲といえば、あなたがたによって1975年に演奏された“ヴェリー・フレンドリー”ですよね? 彼の死に何か思うところはありましたか?
コージー:……別にどうとも思わなかった、正直言って(まったく興味なし、という無表情な口調)。
■そ、そうですか(苦笑)。
コージー:ほんと、わたしにはこれといった反応は浮かばなかった。あれは過去の話、あの時期の事件だったわけで。だから……あの事件が起きて騒動になっていた頃、わたしたち自身はまだほんの子供だった、みたいな(※コージーは1952年生まれ)。だから別に……まあ、報道番組で取り上げられたりしてはいたけれども、そう、わたしたちがあの事件を曲に取り上げたのは、あのおぞましい事件が実は、本来のあるべき形で(司法、世相、メディア他で)取り組まれてこなかったじゃないか、その点に人びとの関心を向けたかったから、という。かつ、ああした事件がどれだけ簡単に起きてしまうものか、そこにも注意を喚起したかった。そうやって、人びとはもっとああいう要素に警戒すべきだろう、と言いたかったわけ。
■はい。
コージー:で……実はそれって、いままさに起きていることなわけよね? いま現在の風潮を考えると。
■ええ、たしかにそうだと思います(※いまちょうど、ハーヴェイ・ワインスタイン疑惑もイギリスでは大きく報じられていて、次々に名乗りをあげる女性たちに応援の声が集まっています。また、ここ数年はジミー•サヴィル事件はもちろん、英北部ロクデールで1960年代に起きた幼児虐待リングの捜査といった洗い直し捜査の報道が折に触れて起きています)。
コージー:そう。だから、ああいう事柄が明るみになることはとても重要なのよ。
■では、あなたご自身はああした事件、ムーアズ殺人事件やヨークシャー・リッパー事件が起きていた60〜70年代のイギリスの雰囲気に個人的に影響されたことはなかったのでしょうか?
コージー:その質問、どういう意味? 意図がよくがわからないんだけど?
■思うに、60〜70年代にイギリスで育った人のなかには(※ここで坂本が連想したのは「レッド・ライディング四部作」他で知られる作家デイヴィッド・ピースです)ああした連続殺人鬼/大量殺人事件──それはまあ、アメリカ型の銃乱射殺人ではないですが──から心理面で影響を受けた人がいるようで。たとえば当時はまだ若い女性だったあなたが「外に出かけるのが怖い」といった恐れを抱いたことはなかったのかな? と。
コージー:それはまあ、当然の話、誰もが(あの頃は)そんな風に恐れていたわよ。とくに、若い女性だったらそう。わたしたちの世代の女性は若いうちにああいう事件のことを知らされたわけだし、たしかにわたしたちみんなが恐れを抱いていた。親たちは娘/息子の動向に気を配り、帰ってくるべき時間に子供が戻ってきたかどうか? 云々に注意していた。それもあったけれど……あの事件みたいな性質のものがマスコミに取り上げられ報道されたことって、実はそれまででも初だったんじゃないか? と思っていて。だから、当時としてはあれは「新しい何か」だった、と。
■なるほど。
コージー:そうね、で……いま現在、誰もがこうした問題の数々にちゃんと取り組もうとしていると思っていて。そうやって、(隠すのではなく)問題を表沙汰にしようとしている。それは良いことだ、自分にはそう思えるわね。
■さて、あなたがCarter Tutti Voidとしてアルバムを出した頃からさらにまた勢力的に活動されている印象を抱いていたのですが、今年は、〈ミュート〉 と再ライセンスをしました。
コージー:そうね。
[[SplitPage]]わたしたちは人間のなかにある暗部、よりダークな状態について歌っていた。で、それは愛について歌うのと同じくらい重要なことなのよ。というのも、そうした暗部を抑圧すればするほど、状況はますます悪化していくわけで。
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■今回は3枚のアルバムが再リリースされますが、 あなたは今年の夏前には自伝『Art Sex Music』を発表しましたし、ロンドンで個展も開催されます。あなたにとって“話すとき”であり、TGやCOUMトランスミッションズについて振り返るときでもあると、それは何を意味するのでしょうか?
コージー:んー、自分としてはそういう風に捉えていないし、いわゆるTGのレガシーを「振り返ろうとする」行為だった、とは思わない……だから、ああやって見返してみたところで、その時点でやっと過去が自分に訪れた、自分のものになったというか。過去について自分で語ることができるようになった、それだけのことじゃないかしら?
というのも、それがTGであれ、あるいはそれ以外のプロジェクトであれ、わたしたちがこれまでにやってきたことが去ってしまった、それらが自分たちにとって完全な「過去」になってしまったことは一度としてなかったし。というわけで、わたしとしては何も、過去の遺物めいた「歴史」から何かを掘り起こそうとしているわけではないし、要するにあれらは過去ではなく、常に私の身近に存在してきたものだ、と。
■なるほど。でも、「いまこそ『自分の側のストーリー』を語る時期だ」という、そういう思いはあったのではないでしょうか?
コージー:まあだから、とにかく……わたしがああして自伝を書いたのは、別に「自伝を出す頃合いはいつがいいだろう?」みたいに腰を据えて考えながら、そうやって書いたものではなかった、という。むしろあの本は、活動を続けていくなかで、ほとんどもう、おのずから浮上してきた、みたいなものだったわけだし。
というのも、わたしが音楽、あるいは自分のアート作品をつくるときというのは、それがわたしの人生を語っているから、そこに自分の人生が含まれているから、なのよね。だから、そうしたものがわたしの人生軌道の中に訪れる、入り込んでくるということだし、そうやってあの本も生じた、というわけ。ハル・シティ・オブ・カルチャー(※コージーの生まれ故郷の街ハルは2017年の英文化都市に選ばれ、1年と通じ様々なカルチャー・イヴェントをホストしている。その一環として2〜3月にかけて「COUM TRANSMISSIONS」という展示がハンバー・ストリート・ギャラリーで開催された)にしても、あのイヴェントが決まった際にあちらから何かやってくれないかと依頼が来て、そこでわたしはあの展示作品を提出することにした、と。COUM(クーム)は基本的に、ハルではじまったものだっだから。
■はい。
コージー:それで……そう、あれをやってみたところ、突如として人びとの興味が集まった、と。だから、あの展示をやって良かったと思っている。あの展示では、COUM関連の遺物/思い出の品からCOUM活動の背景にあったセオリーetcまで、あらゆるものを実際に提示することができたから。その意味では回顧っぽく思えるかもしれないけれど、自伝に関しては、もうあの展示に取り組む以前の段階から執筆を開始していたんだしね。
■なるほど。
コージー:それに、あれらの後にまた別の新たな仕事もはじまっているわけで。だから要するに、わたしは何も、ただ単に過去を引っ張り出してきてそれらをプレゼンしているだけで、アーティストとしてのわたしにいま新たに何も起きてはいない、そういう状態ではない、という。あれらの作品制作を通じて、そこからまた新たな作品が出てきているわけだから。
■なるほど。いまロンドンのCabinet Galleryで開催中のあなたの個展に行きまして、どの作品も興味深かったのですが、とくに「Harmonic COUMaction」という短編映画が良かったんですね。
コージー:なるほど。
■あれは非常にサイケデリックな映像で、あなたのつくったサウンド・インスタレーションと合わさるとクラクラしてくる感じでしたが、と同時に作品冒頭は「これは過去の回顧がテーマの作品なのかな?」と思ったんです。というのも、あなたのご両親の若い頃の写真から始まり、子供〜少女時代の写真やCOUMパフォーマンスの模様なども縫い合わされていて。
コージー:ええ。
■ところが作品の最後で、それらのレトロなイメージや風景がいまのそれと混ざり合い、現在のあなたのポートレートに収束していく。それを観ていて、ああした何もかも、様々な変容があなたのなかに流れこんでいき、そしてそれらが「あなたがいまいるポイント」、2017年現在のコージーを作り出しているんだな、と納得がいった、というか。
コージー:そう、その通りね。あの作品に使ったサウンドにしても、過去の音源と今のものから集めてきたものだし。だからとにかく、ひととおり円が一周して閉じた、みたいなものだったわね。あの自伝にしても、そういうこと。わたしがどんな風に生まれ、そしてそのわたしがいまどんな場所にいるのかを描いている、と。
だから、受け手をまずそもそものはじまりの地点まで連れていき、その時点から現在に至るまでの時間の中で起きたあらゆることを見せているわけ。で、そうよね、私はいまもまだこうしてちゃんと立っている、という。
■ちなみに、こうした長い活動を通じて、過去のあなたは多くの人間から誤解されてきた、という思いはありますか?
コージー:まったく自分でも見当がつかない。自分としては別に気に留めてもいないし。
■なるほど。いや、あなたにはある種の評判がつきまとってきたわけで、人によってはあなたを「TGの裸の女性メンバー」とだけ理解しているかもしれない。ところが、たとえばあの個展を観に行けば、あなたが長い間にわたって──と言っても、何も「考え抜いて巧妙にアートのキャリアを続けてきた」とは思いませんけども、ご自分のアートをつくり続けてきた人だ、というのがよくわかると思うんですよね。
コージー:ええ。
■で、こうしてお話を聞いていると、あなたに何がしかの「苦い思い」みたいなものがあった、とは思えないのですが──それでも人びとに長らく誤解されてきた、ここで誤解を解いておきたい、といった感覚もあったのかな? と感じたんですが。
コージー:フム……だからまあ、さっきも言ったように、わたし自身のなかにそういう思いは一切ない、ということよね。わたしは活動を続けながら作品をクリエイトしているだけであって、別に他人からの承認や賛同なんかが欲しくてクリエイトしているわけではないから。わたしは、自分を相手に作品をつくっているだけ。だから、わたしのつくる作品、音楽であれヴィジュアル作品……あるいはアートや写真であれ、それらの何もかもが「自分という人間」なのよね。というわけで、わたしは自分自身を作品としてプレゼンしている、それだけのことだ、と。
■はい。
コージー:だから、わたしは自分のアートを日用品/モノとしてだったり、あるいは壁に掛けて装飾に使える芸術としてつくっているわけではない、と。それはわたしが自分の人生を通じて体験してきたカルチャーのなかから生まれる、わたし自身の声明文なのよ。
■なるほど。でも、70年代、あるいは80年代のあなたにとっては、アートを通じてそうやってご自分を表現するのは難しかったのでは? とも思います。また個展の話に戻りますが、あそこで展示されたヌード写真作品や雑誌コラージュを観ていて、「うわぁ、彼女は文字通り、極限の形で自分自身を〝露出〟していたんだな!」と驚かされたんです。で、あの年代の自分にああいうことができただろうか? と考えてみて、「とてもじゃないけど無理、そんな勇気は自分にはない」と感じずにいられなかったんですよね。それも、あんな時代に。
コージー:あなたは、いま何歳なのかしら?
■47歳です。
コージー:ああ、なるほどね。
■それに、わたしは日本生まれですし、英米に較べて保守的な考え方の人間であることは間違いないんですけど……。
コージー:ええ、ええ、あなたがそうした思いを抱くのはなぜか、そこはわたしにもわかるわよ。だから、それは別にわたしとしても気にならないから大丈夫。ただ……とにかくこう(苦笑まじりに軽く吐息をついて)……だからまあ、自分はどうしてこういうあり方の人間になったのか? それを自分で説明するのはわたしにも無理だ、と。とにかく、自分はとても自由思考の持ち主で、スピリット面でも非常に解放されている、としか言いようがない。で、わたしはたまたま、そうしたあり方や姿勢が大いに讃えられていた時代、60年代や70年代に育った人間だ、という。
というわけで、そうよね、それはもちろん日本や、あるいはそれ以外の世界中の色んな国とは、非常に違う状況だったでしょうし。でもわたしたちはみんな、どういう形であれ、自分たちがそのなかで生きているカルチャーに対して反応していくことになるんだと思う。
■はい。
コージー:だから……ある意味では、自分はラッキーだったのかもしれないわよね? ただ、わたしは自分には勇気がある、勇敢だとか、そんな風に捉えることはまったくなくてね。とにかくこれがわたしという人間なんだし、自分のやろうと思ったことをやっていくだけ。だから、それ以外に自分の生きようはない、ということね。
■The Quietusのラジオをちょっと聴いたんですが、あなたは10代のとき、60年代にヴェルヴェット・アンダーグラウンドやジミ・ヘンドリックス、あるいはレナード・コーエンやスモール・フェイセズ(いちばん意外な選曲でした) まで好きだったことを告白しています。 若き日のChristine Newby(※コージーの本名)とはいったいどんな女性だったのでしょうか? 選曲を見ると、すごく60年代を満喫した感じにも見えるのですが。ある意味では60年代のオプティミスティックな空気を存分に吸い込んだ少女が、どこをどうするとCOUMトランスミッションズへと変容するのでしょうか?
コージー:そうは言っても、わたしが60年代当時に聴いていた音楽、たとえばいま話に出たヴェルヴェット・アンダーグラウンドやジミ・ヘンドリックスにしても、あの頃はやはりかなり「破戒者」だったわけじゃない?
■ええ。
コージー:まあ、たぶんいまの人びとがあの頃の音楽を振り返ってみたら、ああした音楽は現在の耳にはそれほど実験的なものには響かないのかもしれない。ただ、あの当時は非常に実験的に聞こえた音楽だったわけ。少なくとも、わたしの両親はああいう類いの音楽は絶対に聴かなかったでしょうし(苦笑)。
■はい、はい(笑)。
コージー:(笑)でしょう? だから、そうした音楽を聴くことで、ある意味インスパイアされるというのか、「自分でも色んな物事を探ってみよう」と思わされるわけで。そうやって、自分の知らなかった別のライフスタイルだったり、これまでとは違う自己表現の仕方を見つけようとし始める、という。で、それによって、多くの人びとの精神のドアが開いたわけよね。
■それは、ある意味現実からの逃避でもあったんでしょうか? あなたが当時いた現実の世界やライフスタイルとは別の世界を作り出すこと、それが音楽なりアート制作なりを始める大きなきっかけになった、ということでもありますか?
コージー:いいえ、わたしは別に自分のリアリティから逃げてなんかいなかったわ。そうではなく、自分の現実を祝福していたから。ただ、それが自分以外の他の人びとの現実とはかなり違っていただけ。で、わたしはその事実を喜んで受け止めたんだし、いかなる形であれ、その自分の現実を修正しよう、変えたりしようとはしなかった。というのも、そんなことをしたら自分が自分ではない感覚になってしまったでしょうし。
■そういえば、これまた個展の話に戻ってしまうのですが、一瞬脱線させてください:「Harmonic COUMaction」の映像には70年代におこなわれたCOUMのストリート・パフォーマンス写真が使われていますが、あの中に何度も出てくる、金色の長い象の鼻のようなものを付けたキャラクター(※一種、インド宗教の図像めいた見た目で、そのキャラがスーパーマーケットのカートに乗って通りを練り歩く光景がコラージュされる)、あれは何なんですか?
コージー:ああ、あれはCOUMのつくり出したキャラクターのひとつで、「Alien Brain」っていう名前(※「The World Premier of Alien Brain」パフォーマンスは1972年にハルでおこなわれた)。
■ああ、そうなんですね。
コージー:で、あのコスチューム、あれは誰が着ても構わなかった。
■(笑)。
コージー:だから、誰でもあのキャラになれたわけ(笑)。コスチュームの下にいるのが誰なのか、それはどうでもよかったし、とにかく「Alien Brain」というものがああやってあの場に「存在する」というのが大事だった、という。そう、あれはそういうキャラクターだった。
■なるほど。あれは神の創造物/イコンみたいなものなのかな? と、観ていて感じましたが。
コージー:あれは……第二次大戦時のガス・マスクを使ってつくったコスチュームだったわ。で、そこに金銅色の塗料をスプレーしたもの、という。
■じゃあ、ああいったパフォーマンスに使用した小道具は、あなたたちのお手製だったんですね?
コージー:ええ、わたしたちは……っていうか、わたしは昔はよく……あれは、どういう場所だったのかしらねぇ? 要するに、古道具屋だとか、廃品処理場/ゴミ捨て場みたいなところにしょっちゅう足を運んでは(笑)──
■(笑)。
コージー:(笑)というか、タダで何かが手に入る場所ならどこにでも行ったし、それだとか不要品バザー/がらくた市といった、開催時間の終わり頃に行くと閉店前の値下げが始まって、格安で色んなものを買える場に繰り出して。で、あの当時はさっき言ったような第二次大戦時の名残りの品だったり、ヴィクトリア朝時代の衣類や……アール・デコ時代の服だったり、とにかく色んな類いの心を惹かれるオブジェなんかをそういう場所で手に入れることができたのよね。いまのように、そうした物品が(「ヴィンテージ」「アンティーク」として)トレンディになり、高価になる前の話だけれども。
■でも、あのストリート・パフォーマンスの模様を捉えた写真を観ていてとても印象に残ったのが、パフォーマンスを見守っている通りすがりの人びとがマジで困惑していて──
コージー:ええ、そうよね。
■「いったい何だろう、これは??」と、どう受け身をとっていいかわからない表情を浮かべていたことでした。で、そのギャップを眺めていて、あのとんでもないパフォーマンスをストリートでやっていた当時のあなたたちは、どんなことを考えていたんだろう?と思わずにいられなかったんですが。
コージー:だから、あそこで興味深かったのは、わたしたしが実際にアートを街路に持ち込んだ、ということだったのよね。そうやって、わたしたちはアートや色彩を(ギャラリーや美術館のなかではなく)人びとのいるストリートに引っ張り出した、と。だから、もしも通行人たちがあのパフォーマンスに自分も参加したいと思えば、わたしたちのなかに混じることも可能だったわけ。そう、あれは要はそういうことだったのよね。だから、「自分たちのアートをいつかギャラリーに展示してもらおう」だとか、そういう思惑や大掛かりなプランがあってわたしたちはああいうパフォーマンスをやっていたわけじゃない、という。
ただ、それはどんな類いのムーヴメントにも当てはまる話でもあって、その当時ではなくて、もっとずっと後になってから評価され、その運動のあるべき場所だったり、理解される時代を見つけていくものなのよね。だから、もっと後になって、人びとがそうした過去のムーヴメントを探し当てていき、それを分析し、その上でそれに見合う場所/文脈だったり、その運動はどこにどんな影響を与えたのか? といった面が発見されていく、という。
■はい。
コージー:ただ、それでも、そうしたアクション(行動)だったり、様々な物事が起きることを可能にする触媒の役割を果たすもの、それはやっぱり、はじまりの段階では必要なわけよね。たとえばジミ・ヘンドリックスであったり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのような存在が。彼らは、自分たちの生きる世界や生を探究していき、自分たちは自らをどんな風に表現したいのか? を探っていった、その意味では似たような存在だったし、それはまた、わたしたちがやっていたのと同じことでもある。で、そうするうちに他の人びとのなかにそういうことを理解してくれる者が出てくるし、彼らのような面々がまた、同じことを彼らなりの手法で受け継いでいくのよ。
■なるほど。
コージー:だから、それはスロッビング・グリッスルでも、あるいはクリス・アンド・コージーでも同じことだったわけ。わたしたちがああしてつくった音楽が他の人びとから認知/理解されて、で、それがまた、彼らの手によってまた違う場所へ、別の方向へと引っ張られていくのよね。
[[SplitPage]]それがTGであれ、あるいはそれ以外のプロジェクトであれ、わたしたちがこれまでにやってきたことが去ってしまった、それらが自分たちにとって完全な「過去」になってしまったことは一度としてなかったし。
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■後に“ヴェリー・フレンドリー”や“スラグ・ベイト” が生まれるような土壌は、60年代末から70年代初頭のロンドンにはあったのでしょうか?
それとも、COUMトランスミッションズやTGのみが突然変異だったのでしょうか?
コージー:まあ、わたしたちはラヴ・ソングは歌わなかったわよね。
■(笑)。「ラヴ&ピース」はTGの味ではなかった、と。
コージー:とにかく、わたしたちは人間のなかにある暗部、よりダークな状態について歌っていた。で、それは愛について歌うのと同じくらい重要なことなのよ。というのも、そうした暗部を抑圧すればするほど、状況はますます悪化していくわけで。それに、かつての70年代イギリスというのは、とにかくダークだったしね。数々の政治的な変動が起きたし、人びとは貧困に苦しんでいて、ストライキも多かった。だから、とてもハードな時期だったわね、あの、60年代終わりの頃から70年代に入っていく、あの頃は非常にハードだった……で、わたしたちはとにかく、自分たちの日常で、そして他の誰もの日常で起きている様々な物事に注意を向けようとしていた、それだけのこと。
■あの頃のバンドあるいはアート集団なりで、当時のあなたたちからしても共感できた、同じようなことをやっていてシンパシーを抱けた、そういう人びとは他にいましたか?
コージー:それはまあ、わたしたちが自分のレーベルを通じてレコードを発表することにした、そういう人たちのことよね。そういう人びとには共感を抱いたし、他にも活動を通じて出会った面々がいた……ただ、そうは言ってもそれはごくごく少数の、小さなサークルではあったんだけどね。正直、そう。
■ええ。
コージー:だから、パンクも当時起きていたわけだけれども、パンク勢とわたしたちとは、非常に性質の違うものだったから。というのも、パンクというのは……あれはこう、なんだかんだ言ったってメインストリーム音楽の一端に属するもので、「レコード契約をモノにしよう、売ろう」云々の思惑が混じる、そういう類いのものだった、というか。わたしたちのやろうとしていたのは、そういうことではなかったし。
■でも、そのパンクの側は、きっと75年、76年あたりのTGの作品や活動ぶりから何らかのインスピレーションを受け取っていたんじゃないでしょうか?
コージー:いいえ、それはないわね。彼らはわたしたちとは別物だったし、彼らの進んでいた方向とわたしたちのそれとは接したことがない、お互いまったく別の道筋をたどっていた。というのも、彼らのやっていたのは要はロックンロールだったんだし、わたしたちがやっていたのはロックンロールとは完全に無縁な何か、だったから。
■ヌード・モデルやストリッパーはぶっちゃけ生活のためにやったのでしょうか? それとも芸術的野心があってのことなのですか?
コージー:あれはとにかく、わたしが自分のアートのために、自分自身に課したプロジェクトだったわ。で……そうね、受け取ったモデル料等々はたしかに役に立ったし、いくつかのプロジェクトの資金、COUM作品に使うアート素材の購入だとかに充てたこともあった。それとか、家賃光熱費etcの一部になったり。だけど、ああした仕事と同時に、わたしは普通の9時5時仕事の職にだって就いたわけだし、そうでもしないと食べていけなかった。それくらい、当時は悪戦苦闘していたから。だから、モデル仕事やストリッパー云々は、まず何よりも第一に、自分のアート・プロジェクトのためにやっていたことだった、と。
それもあったし、第二の要素として、モデル/ストリップ業は定期的な仕事ではなかったし、だからどうがんばっても一定の収入をもたらす職業、生活を支えるだけの収入源にはなりっこなかった。というのも、ヌード・モデルにしたってオーディションを受けなくちゃいけないし、そこで「彼女はこの仕事には不向き、不採用」なんて結果になることだってあるわけで。だから、誰かが「そうだ、自分は裸体モデルになろう!」と思い立ったとしても、その意志だけで募集側がすぐ「それは素晴らしい! じゃあ彼女にこの仕事をあげることにしよう」と反応して「月―金の毎週5日勤務で、○年間あなたを採用します」なんて話にはなりっこない、と。彼らは目的にマッチした特定の体型、特定のタイプの女性を見つけようとしていたんだし。だからあの手の仕事というのは、とてもじゃないけれど、週給/月給単位で自分に生活費をもたらしてくれるような、そういう「安定した職」としてやっていたことではなかった、という。それはどうしたって無理な話。それに、いまと較べてどうなのか? は自分にもわからないけれど、とくにお給料の良い仕事というわけでもなかったしね、当時は。
■ああ、そうだったんですか。
コージー:仕事の内容そのものはいまと同じように複雑だったけれども、でも、別に割のいい仕事ではなかったし。
■いや、当時のあなたはかなりこう、派手でバーレスクめいたこともやっていたわけで、だから結構お金をもらえていたのかな?と感じたんですが、そういうわけではなかった、と。
コージー:いいえ、まったくそういうものではなかったわ(笑)。
■あなたがセックスやセクシャリティといったサブジェクトを扱うようになった経緯について教えて下さい。
コージー:それはまあ、以前のわたしは、コラージュ作品をたくさんやっていたからなのね。そうした作品で、自分のヌード写真が掲載されたセックス雑誌を使ってコラージュをやっていたわけ(※個展でも、アメリカ80年代の『Partner』というハード系ポルノ雑誌に掲載された彼女のヌード・グラビアとインタヴュー記事を用いたコラージュ作が展示されていた)。あそこからだったわね、本格的にセックス/セクシャリティが題材になっていったのは。だから自分でも「よし、これなら自分にも続けられる」と思った、というか。少なくとも自分はあれらのイメージの背後にあるストーリーを理解しているし、ああしたイメージを生み出す経験が実際どういうものかも知っているわけだから。
それに、さっきあなたが言っていたことと少し似ているけれども、「自分をオープンにしてさらけ出す」、ということなのよね。だから、少なくとも自分が実際に体験したことではない限り、その題材を扱うことに意味はないんじゃないか、わたしはそう思っていて。
■ええ。
コージー:で……ただ、自分は嘘はごめんだ、というのか。嘘ではなく真実を、とにかく自分の作品のなかには真実の要素が含まれていなくてはならない、と。それに正直な話、もしもわたしが他の人間のやった仕事──その人間が裸になって撮影されたグラビア写真であれ、何であれ──他者の仕事を使って自分のコラージュ作品をつくろうとするのなら、やっぱり自分はそこで、彼らに対してのリスペクトの念を持ちたいと思う。彼らがどこからやって来て、これまでにどんな体験をくぐってここに至った人なのか、そうした面をちゃんと知りたい。
それに、ヌード写真というのは、当時は興味をそそられる、魅惑的な対象でもあったわけで。というのも、いまのようにインターネットのどこにでも裸体やポルノが氾濫している、そういう時代ではなかったし、そもそもインターネットすら存在しなかったわけで。ああいう雑誌を手に入れるには、裏ルート、セックス・ショップの奥の秘密の部屋に行くしかなかった。だから、あそこにはある種のミステリーも関わっていたし、わたしはそこに興味をそそられもした。
■性産業は犯罪組織とも繫がりがあったわけで、若い女性として、男性の前で裸になる弱い存在として、ああいう世界に入る危険性が怖くはなかったんでしょうか?
コージー:ええ。ただ、あれくらい若い頃だと、逆にそういった面をそこまで深く考えないものでしょう? だから、ああいう年代の人間は「自分はいつまでもこの調子でいける」なんて風に(苦笑)、怖いもの知らずでいられるわけで。けれどもまあ、本当に「これはまずい、ここに来なければよかった」と感じるようなシチュエーションに陥ったら、とにかくその状況をなんとかして切り抜けて、その場から立ち去って自分の安全を確保しようとするんでしょうし。
[[SplitPage]]たとえばジミ・ヘンドリックスであったり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのような存在が。彼らは、自分たちの生きる世界や生を探究していき、自分たちは自らをどんな風に表現したいのか? を探っていった、その意味では似たような存在だったし、それはまた、わたしたちがやっていたのと同じことでもある。
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■なるほど。あなたの個展を観てわたしが強く感じたことのひとつに、あなたのグラビアやヌード写真の「強さ」があったんですよね。たしかにあなたはものすごくご自分をさらしていましたが、『プレイボーイ』あたりの好むベビードール・ドレス姿やバニー・ガールといった子供っぽく可愛らしいイメージとはまったく違う。あなたがあの写真を自分でコントロールしているのがわかったし、単なる「セックスのオブジェ」ではないんだな、と。
コージー:そうやって、ある女の子は「オブジェ」という風に映るけれどもそうは映らない女の子もいる、というのは、やっぱりそれぞれのキャラクターの違いゆえだと思うけれど? わたしは、まあ……とにかくこう、何と言ったらいいかしら……そうね、わたしはいつだってとても強い人間だった、それだけ。
■(笑)。
コージー:(笑)。どうしてかと言えば、とにかく、わたしが大きくなった頃、わたしが育った時代ゆえなのよね。それもあったし、自分の家庭環境も。わたしは中流ではなくワーキング・クラス出身で、貧しい公団暮らしだった。ああいう環境では、居場所を確保するために闘わなくてはいけなかったのよね。というわけで、わたしはこう、ちょっとばかり厄介で胡散臭くなりかねない、そういったシチュエーションに対処するのに若いうちから慣らされてきたのよ。
それもあったし……わたしのなかには、非常に強固な「自分はどういう人間か」という概念が備わっていた。いつだってそうだったし、それはわたし自身の存在のなかにあった。だから、自分がどんな場所にいたとしても、それは「わたし自身」がその場にいたいと思うから(=他者に強制されたわけではなく)そこにいたんだ、と。
■ああ、はい。
コージー:だから、それはわたし自身の選択、自ら「そこにいたい」と選んだからこそわたしはあそこにいた。だから、もしもそういう場に行くことにして、そこで困った事態に巻き込まれる羽目になったとしても、それだってやっぱり、「わたしの選択」の結果だった、という。たとえ、その場にいた人びとは、本来わたしに対してそうした困った振る舞いをすべきではなかった、としてもね。
■でも、あなたのアートにはフルクサスからの影響もあると思うのですが、しかしあなたは小野洋子ほどピースな出方をしていませんよね。もっと挑発的だったし、もっとフェティッシュで、オブセッシヴでした。なにがあなたをラジカルな方向に向かわせたのでしょうか?
コージー:そうねぇ……それはきっと、とにかくわたしがそういう人間だから、ということに尽きると思う。だから、大半の人間たちが直面しているリアリティ、現実とコネクトしたい、そういう人間なのよね、わたしは。それは、人間はどんな風に日々の生に対処していくか? ということ。だから、どうやってリアリティに取り組んでいくか……その現実から逃避するのではなくて──たとえば、ヨガだったり、瞑想に逃げ込むのではなくて。もっとも、わたしは別に、ヨガ/瞑想を敵視しているわけではないし、ああいうのがあっても構わないんだけれども。
■ええ。
コージー:ただ、わたしが取り組みたいと思うのは、「人間」そのもの、それがどんな風に現実と関わっているのか、そして同じ人間同士の間でどんな関係を結んでいるのか、そこなのよね。というのも、結局は、わたしたちってそういう存在なわけでしょう? わたしたちは他の人間とコミュニケートしなくてはいけないんだし。だから、自らを他から隔離してしまい、そこで浮かんできた何らかのセオリーを「芸術作品」として提示することではない、と。そうではなくて、わたしのアートというのはわたしの実人生についてのもの、そういうことね。で、願わくは、それが受け手の心を動かして人びとがそれについて対話をはじめるに足るような、そういうアートであってくれればいいな、と。わたしだってかつて、アートに触れて同じように反応したわけだし。
■しかしそうやってリアリティを相手にすることは、人間の醜い部分に接することでもありますよね?
コージー:そりゃもちろん。だからTGはああいうことをやったわけでしょう? 要するに、ラヴ・ソングの数々、愛ってなんて素敵なんだろうとか、天国にいるみたい云々、そういう歌があるのはもちろん大いに結構。ただ、わたしたちは実際、様々な物事に直面しながら日々を生きるしかないんだし、そこには心のなかで感じる苦悩をはじめ色んなものが含まれている。どうしてかと言えば、人間というのはそういう生き物だから、なのよね。わたしたちにはとんでもなく悲惨な行為をおこなってしまえる素質も備わっているんだし、だからこそ、そうしたおこないを繰り返させてはいけない、と。
■わかります。ただ……現実には悲惨な事件は繰り返されていますよね。
コージー:ええ、それはわたしも承知している。だから、ついこの間もこんな話をしたんだけど、TGがやった〝The World Is a War Film〟という曲(『Heathen Earth』収録)……いまの時代ほど、あの曲がぴったりハマる時期はなかったんじゃないか、と(苦笑)。
■たしかに。
コージー:ほんとうに、そう。あれは、あの曲をやった当時(1980年発表)を描いたものだったというのにね。だから……そういうことよね。でも、かといって、すっかりお手上げと座り込んでしまい、他の連中に世界を彼らの好きに支配させるがままにしてはおけないわけで。そのせいで、こういうシチュエーションに陥ってしまうことになるわけだから。
■で、ああいう行為の背後には、男性的な価値観の抑圧に対するカウンターがあったかと思いますが、あなたは自分をフェミニスト的だと思いますか?
コージー:(吹き出して笑いはじめる)クククッ! みんな、いつもそれをわたしに質問してくるのよねぇ……。クックックックッ……。
■(笑)失礼しました。
コージー:(笑)いえいえ、いいのよ、別に訊いてくれても構わないから!
■日本ではとくにそう感じますが、女性が自らを「わたしはフェミニスト」と称するのには、まだかなり抵抗がある気がします。その言葉そのものから連想される様々なイメージもあるわけで。それにまあ、あなたはある意味、そうしたタームを超越した人のようにも思えるのですが、いかがでしょう、ご自分をフェミニストだと思いますか?
コージー:わたしは、自分のことを他のみんなと同じ人類の一員だ、そう思ってる。
■(笑)「コージー」という個人だ、と。
コージー:そう。わたしはコージーなんだし、それはあなただって同じで、あなたはあなた。だから、その人間が「女性」として定義されてしまうという事実、それはとにかく、わたしとしては却下、願い下げだ、と。そうやって性で定義されるべきではない、そう思う。そうは言っても文化のなかにおいてそういう考え方は存在するわけだし、それは間違っている。で……この間、たまたまツィッターを通じて、ニムコ・アリ(※Nimco Aliはソマリア人の女性運動家。FGM撤廃を始めとする女性の権利・教育活動で知られる)という女性の引用に出くわしたのね。そこで彼女は、いま話しているようなことをみごとに要約した発言をしていて、それは「わたしたち女性は『人間』なのであって、ただ単に『姉妹』あるいは『母親』といった風に、男性の側にとってだけ意味のある存在ではない」といったことだったのね(※彼女が10月25日に残したツィート原文は「Like I said. We women are humans. Not someone’s something. We are autonomous just like men. So respect us because of that.」)。
■なるほど。
コージー:だから、「フェミニズム」もそういうことなのよね。そのタームを使うことで、あなたは即「女性(フェミニン)」というカテゴリーに分類されてしまうことにもなるわけで。それはすなわち、「男性(マスキュリン)」に対しての別の何か、「アザー」ということになってしまうわけでしょう? だから、いま出した彼女の発言は、まさに真実だな、そう思う。わたしたちは人間なのであって、そのセクシュアリティ、あるいはジェンダーによって定義されるべきではない、と。そうじゃない?
■はい。
コージー:それに、フェミニズムというのは、単語としてはある意味ちょっと違うんじゃないか? と。だから、もちろんわたしもあの言葉がどこから生まれたかは理解しているし、フェミニズムが何をやろうとしているのか、そこは分かっているのよ。それに、あの言葉以外にあの運動を的確に表現できる、そういう言葉はわたしにだって浮かばないし。ただ、さっき話した彼女の発言は、あの言葉について感じる「どこか違う」という思い、そこに対して図星だったな、と。
■伝説の1976年10月の「プロステューション」ショーは、 よくよくセックス・ ピストルズのビル・グランディ事件と同じぐらいにスキャンダルな出来事でもあったと記述されていますが、 あれをやった当時のTGはどんな気持ちだったのでしょうか? 世界を挑発するわけですから、よほど強い気持ちがあってのことだと思います。
コージー:まあ、わたしたちはあのショウを展示して……あれはそもそも、わたしたちがそれまでやってきたアートの回顧という意味合いの企画だったのね。というのも、あの時点でCOUMは終わりつつあったし、あれ以降で予定されていたCOUMとしての活動はアメリカでのショウ数本を残すのみだった、と。というわけでTG、スロッビング・グリッスルは、わたしたちにとって新しいプロジェクトだったわけ。だから、マスコミからああやって「けしからん、立腹である」と反応されたことで、ある意味、自分たちが本当にやろうとしていたことの邪魔になってしまったな、と(※「Prostithution」をめぐり、公共芸術基金の使途について英国会で議論になった。ニコラス・フェアバーン故議員がCOUMを「文明の破壊者」と批判したのは有名だが、2014年には同議員の幼児愛好・虐待歴が暴露された)。というわけで、とにかく思い出すのは、あのときの自分が「あー、迷惑な話、うざったいな」と感じていたことだったわね。
■(笑)。
コージー:わたしとしてはただ、さっさとスロッビング・グリッスルに取り組みはじめたい、そう思っていたから。それこそ、当時のわたしにとっては自分が新しくハマっている、エキサイティングなプロジェクトだったんだし。COUMの残滓、たとえばモデルをやるとか人びとの頭の上でパフォーマンスするといったことはまだ若干残っていたけど、それだってその程度の話。わたしとしてはそれはもう「終わってしまったこと」だったし、あの時点のわたしは既にそこから去りつつあった。だから、「Prostitution」はCOUM Transmissionsの回顧展であり、それと同時に、COUMの活動を刻印し、かつスロッビング・グリッスルのはじまりを記す、そういう意図のもとにおこなわれたショウだった。アートの世界から離れて、サウンドの世界へと入っていく、そのはじまりということね。
■雑誌で初めてTGの写真を見たときは、なんでこんなノイズ・バンドに美女がひとりいるのだろうと思いましたが、やはりヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコというのがTGにとって大きな存在だったからなんでしょうか?
コージー:フーン? まあ、自分ではそんな風に考えたことはなかったけれども。そうは言っても、わたしが若かった頃は、ニコをはじめとして、自力で自作音楽をやっている女性たちは他にもたくさんいたし。彼女たちはたしかに、あの当時はインスピレーションを与えてくれる存在だったわね。要するに、何も音楽は「バンドをやってる男連中」というのに限らない、と。
と同時に、わたしは彼らの音楽外での活動ぶりにも興味があった。だから、いったんステージを離れたところで、彼らはとても興味深いオルタナティヴなライフスタイルを送っていたわけよね。だから、バンドとしてステージに立つだけではなく、彼らは日常の中でもオルタナティヴなことをやっていた、と。だからなんでしょうね、わたしの人生が、クリエイティヴな行為を中心にして回ってきたのは。
■今回再発される3枚のうちの1枚、『セカンド・アニュアル・レポート』についてですが、 いまでもこれがTGのベストだというファンは多いかと思います。
コージー:ええ。
■たしかに“スラグ・ベイト”や“マゴット・デス”のような曲は、今日言われるノイズ/ インダストリアルの出発点のような曲ですし、そのおぞましく残忍で血みどろの歌詞もいわゆるTGのパブリック・イメージにもなっているかもしれません。いま聴いてもパワフルな曲ですが、あなた個人はあのアルバムを現在はどのように評価しているのでしょう?
コージー:わたし自身がどう評価するか? まあ……だから、これもさっきから話してきたことと同じだけれど、何かをやるわけよね? それは、先ほど話したCOUMのストリート・パフォーマンスでも、何でもいいんだけれども、人がそうやって色んなことをやるのは、その、何というか……「自己表現したい」というニーズがあるからなのよね。で、わたしたちが『セカンド・アニュアル・リポート』でやったのも、まさにそれだった。それに、実際の話、あのアルバムでのわたしたちは、自分たちからすればまだ存在しているとは思えない、聴いたことがない、そういうサウンドだけを追求することに決めたのね。自分たちの感じていたフィーリング、それを音にして表現してくれるサウンドが存在しない、当時はそう思っていたから。
で、わたしたちのなかには、あの作品をつくることによって自分たちのキャリアがどうなるだろうかとか、将来的にあれがどんな影響をもたらすだろうか云々、そういった類いのアジェンダはまったく存在しなかった。わたしたちはただ、とにかく自分たちの感じていたことを求めていたんだし……だから、自分たちが当時考えていたことだったり、当時自分たちの生きていた世界の様子、あるいはそこで自分たちが抱いていたフィーリングを反映した、そういう何かを求めていた。だからあれは、新しいサウンドだったのよね。自分たちの考えを提示するための、あれはまったく新しいやり方だった。で……ある種、あのプロセスそのものが変成しながら発展していった、みたいなものでもあったのよね。あの作品が最終的に形になる、その過程が。というのも、1週間くらいで出来上がった、そういうプロジェクトではなかったし、それこそもう、かなりの時間をかけて取り組んでいったもので……そうね、実際、1年ちょっとくらいかかったんじゃないかしら? そもそもグループの名前からはじまったんだし、そのアイディアはまさにハル時代にまで遡る。「スロッビング・グリッスル」という、あの名前のね。
■(笑)。
コージー:ただ、そこから実際にグループとしてはじまるのには、まずスリージー(ピーター・クリストファーソン。2010年没)との出会いまで待つことになったし、それからやっぱり、とくにクリス(・カーター)との出会いが必要だったわけで。というのも、わたしたちが聴いてみたいと思っていた、そういうサウンドを生み出すだけのテクノロジー面での技量が彼にはあったから。というわけで、そうやってスロッビング・グリッスルは生まれていったし、そこから『セカンド・アニュアル・リポート』も「起こった」という。
■なるほど。
コージー:だけどまあ、わたしたちは別に、「いまから40年経って、人びとが自分たちを思い出してくれるよすがになる」ような、そういうものをつくろうとして、あの作品に取り組んだわけではなかったんだけどね。
■(苦笑)。
コージー:(笑)というか、売れるだろうとすら思っていなかった、自分たちとしては。
■では、いま、あの作品に集まる評価や──まあ、それは世界全体で見ればごく少数の人間たちの間での話かもしれませんけど──は、驚きでもあります? 一部の人間のなかでは、あのアルバムは「古典のひとつ」と看做されているわけで。
コージー:ええ、そうよね。それはファンタスティックなことだわ。というのも、つくっていた当時のわたしたちにとっては、それは意図したことでも何でもなかったから。ある意味、(そうやって後世になって評価される方が)ずっと良いことなんじゃないかとわたしは思ってる。
[[SplitPage]]わたしは中流ではなくワーキング・クラス出身で、貧しい公団暮らしだった。ああいう環境では、居場所を確保するために闘わなくてはいけなかったのよね。というわけで、わたしはこう、ちょっとばかり厄介で胡散臭くなりかねない、そういったシチュエーションに対処するのに若いうちから慣らされてきたのよ。
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■『セカンド・アニュアル・レポート』に次いで『D.o.A. 』も人気作ですよね。そして、『20ジャズ・ファンク・ グレイツ』へと続くわけですが、『20ジャズ・ファンク・グレイツ』は、エレクトロニック・ミュージックの未来への架け橋になった作品ですが、 それまでのTGが築いたノイズ/インダストリアルのパブリック・ イメージを混乱させるような作品です。
コージー:ええ。
■で、あのアルバムのもくろみ、あれは何を意図したものだったのでしょうか? ドリュー・ダニエルの解釈のように、「自らのアイデンティティを自ら意識的に冒涜すること」、TGの周辺に生まれていたインダストリアル神話めいたものを自ら破壊するのが目的だったのでしょうか?
コージー:まあ……わたしたち4人は個人として、全員それぞれユーモアのセンスを備えた、そういう連中だったわけで。
■(笑)はい。
コージー:全員がアイロニーを祝福していたし、だから、人びとをまごつかせもしたかった、と。わたしたちは実は全員、マーティン・デニーとかラウンジ・ミュージック系、いわゆる「エキゾチカ」に入れ込んでいてね。「エキゾチカ」というのは、彼(マーティン・デニー)の名作アルバムのひとつのタイトルでもあるけれど。
■(笑)はい。
コージー:だから、「じゃあ、それも混ぜてみよう」とわたしたちは考えたのよね。だから、あれをやったのも要は、物事をやっていくための新たなやり方を発見していくということ、それに尽きる、と。わたしたちは確立したフォーミュラにはまってしまうこと、同じことをえんえんと繰り返すことに興味はなかったし、TGを「インダストリアル・ミュージックの最初の形」として定めるつもりもなかった。
というのも、あれはそういうものではなかったから。インダストリアル・ミュージック、あるいはインダストリアル云々というのはライフスタイル。あれは、生活/人生に対するアプローチの方法だった。だから、このインタヴューのあいだ中わたしがずっと言ってきたように、それは「自分たちはどんな人間なのか」、「自分たちは何をやっているか」、そして「どんな風に自分を表現するか」ということなのよね。
で、あの当時、『20ジャズ・ファンク・グレイツ』をつくったときのわたしたちというのは、「オーケイ、じゃあ、ああいうジャケットで出そう」と考えた。だから、ジャケットだけ見ればいかにも「ジャズ•ファンクの名曲20選」めいたアルバムなわけだけれども、実際あのレコードをターンテーブルに載せてみれば、それとは似ても似つかない音楽が入っている、と。だから、あれがわたしたちのユーモア感覚であり、アイロニーであり、当時のわたしたちがたまたまいたのがああいう場所だった、ということなのよね。
■自らをジョークにしているような、あのジャケットは有名ですよね。一見すごくキュートで……
コージー:とても可愛らしいけど、あの写真が撮影されたのは有名な自殺スポット(※東サセックス州にあるビーチー岬)だし。だからまあ、現実生活のなかでは「何事も見た目通りとは限らない」、そういうことでしょ? だから、何かを糖衣にくるんで美味しそうに見せることはいくらだってできるけれども、いったんその表層の下をめくってみれば、そこではありとあらゆることが起きている。だからあれは、多くを引き出すためには、表だけ見て満足するのではなく深く掘り下げていく必要がある、そういうことだと思う。
■はい。ただ、最近よく感じるのは、色んな物事が表面だけ/字義通りになっているんじゃないか、ということで。「ここには深い意味、隠された何かがあるのかもしれないぞ」と期待して表面を剥がしていっても、いざ中身を見てみると、実はそこには何もなかった、見た目の通りだった、というか。
コージー:それはだから、表層性をそのまま疑問なしに受け入れてしまうような、そういう人びとが集積してきた結果、といいうことじゃないかしら。
■ああ、なるほど。
コージー:とは言っても、いつだって、常に表面だけだったわけだけれども。人びとが好むのは、綺麗だとか気持ちいいだとか、そういう「表面」ばかりだったから。
■ええ。
コージー:音楽の聴き方にしてもそうで、人びとはライヴを観に外に繰り出して、お酒であれ、それ以外の何でもいいけれど、それらを飲み込んでさんざん酔っぱらい、楽しいひとときを過ごして、それが終わったら家に帰る、と。で、それと同じことを、彼らはまた次の週末にも繰り返していくわけよね。ただ、わたしはそういう人生はごめんだった。TGにしても同じことで、そんな風に人生を過ごすことに、わたしたちはまったく興味がなかった。だから、わたしたちが求めていたのは、人びとが人間として成長していくことだったし……そうやって彼らに、可能な限り彼らの人生をフル体験していってほしかった、というね。
■なるほど。
コージー:だから、わたしたちは何も、「ぞっとするような、残酷な人間になりましょう」と提唱していたわけではなかったしね。そうではなくて、「人間や日常にあるひどい現実にちゃんと目を向けて、それを良いものに変えていこう」と。
■でも、あの当時、あなたたちの音楽は「ひどいシロモノ」、「音楽ではない」みたいに形容されたこともあったわけですよね。そこは、辛くはなかったでしょうか?
コージー:いいえ、別に。だって、わたしたちは現実を提示していただけだったし。人間のありさまに備わった、もっとも残忍でひどい部分、その失敗をプレゼンしていただけの話であって。だから、やっているわたしたち自身がむかつかされる、ひどい人間だったわけではなかったでしょ? 多くの人びとにしても、それは同じこと。わたしたちは悲惨な出来事を歌ったかもしれないけれど、それは別に、わたしたち自身がやった行為ではなかったんだし。
■有名な“ホット・オン・ザ・ヒールズ・オブ・ラヴ”のような曲は前作の“ユナイティッド”の延長かもしれませんが、イタロ・ハウスとTGとの関係をあらかめた明らかにするもので──
コージー:(苦笑)。
■で、TGがイタロ・ディスコとリンクしたのは、 そのエロティシズムとミニマリズムゆえだと思うんです。
コージー:ああ、なるほどね。
■で、アシッド・ハウス以降のダンス・ミュージックのシーン、ハウス、 テクノ、ミニマルで、あなたがとくにお気に入りのDJ/ プロデューサーがいたら教えて下さい。
コージー:とくにいないわね。というのも、わたしたちは……というか、わたしがTGでやっていた頃は、その手の音楽はまったくやっていなかったと思う。ただ、TGが終わった時点で、わたしとクリスとはTGとはかなり違う進路を採ったし、そこから何年かのあいだ、ふたりでそういうルートを進んでいった。だから、あの頃のわたしたちはトランス・ミュージックみたいなものもやったし、あるいはあなたがそう呼びたいのなら「テクノ」でも構わないけれども、その手の音楽はかなり初期の段階でやっていたのね。だから、その手の音楽がメインストリームになった頃までには、わたしとクリスはもうそこから去っていた、別の何かに向かっていたし、あまり気に留めていなかったわ。
■あなたが個人的にもっとも好きなTGのアルバムはどれですか?
コージー:あー、参ったなぁ……どれだろう??
■(笑)。
コージー:……そうね、たぶん、『D.o.A.』? 自分でもはっきり決められないけれども……。
[[SplitPage]]だから、わたしたちは何も、「ぞっとするような、残酷な人間になりましょう」と提唱していたわけではなかったしね。そうではなくて、「人間や日常にあるひどい現実にちゃんと目を向けて、それを良いものに変えていこう」と。
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■わかりました、質問を変えます。これまで長く活動してきていちばん辛かった時期はいつですか?
コージー:80年代半ばから後半にかけて、だったでしょうね。そう、あれはタフな時期だった。というのも、あの頃のわたしたちはものすごく貧乏だったし(苦笑)、わたしとクリスのふたりは一文無しで。その頃までにはわたしたちには子供も生まれていたし、その意味でもきつかった。
■なるほど。
コージー:そうは言っても、それは経済的に困難だったという意味であって、子供が生まれたことそのものがきつかったわけではないけどね。息子は素晴らしい子供だったし……だから、(辛い時期だったと同時に)あれはわたしの人生でもっとも幸せな時期でもあった。というのも、わたしたちはロンドンから田舎(※ノーフォーク)に移って、とにかく自分たちのやりたいことを思った通りにやり、そうやって色んなことに取り組んでいたわけで。だから、あの時期でもっとも苦しかったのは、経済的な面においてだった、ということ。クリエイティヴな面に関して言えば、それが問題になったという経験は、わたしには一切なかったわ。どういうわけか、自分はそれらのクリエーションを生み出すことができてきたんだし。
■はい。
コージー:それに、お金がないと、逆にクリエイティヴにもなる、何か自分でつくったりするでしょう? ありがたいことに、クリスは機材を自作できる人だし(笑)、だから彼は安物の機材を買ってきて彼なりに手を加えていったし、その結果として新しい響きのサウンドが出てきたり。だって、他に同じ機材を使っている人はいなかったわけだしね。だから、辛く貧乏な時期でも、そこにはまた良い面、ポジティヴな面も備わるものだ、と。
■お話を聞いていると、あなたはこう、ネガティヴな状況のなかにあっても、そこで文句を言ってダラダラしているよりも、物事のポジな面を常に探していく、そういう人のように感じますね。
コージー:っていうか、そうするしかないから。でしょう?
■Gazelle Twinのアルバムに参加したり、Nik Colk Voidと一緒にCarter Tutti Voidとしてアルバムを出したり、 下の世代との交流も見せていますが、彼女以外にもほかに共感する若い世代のミュージシャンがいたら男女問わずに教えて下さい。
コージー:あー、誰かしら? その質問って、ほんと苦手なのよね。
■(笑)。
コージー:苦手。急にそう訊かれても、こっちはとっさに「この人」と思い浮かばないから。わたしはただ、他の人びとの音楽を聴いているだけだし……まあ、わたしたちはああやってGazelle Twinのリミックスを手がけたんだし、そうね、いまだったら彼女、ということになるかしら。彼女は素晴らしいなと思ってる。
■Gazelle Twinのどんなところをあなたは評価しますか?
コージー:彼女の音楽がジェンダーレスに感じられるところ、わたしはそこが好きね。だから彼女の音楽がとても好きなんだし、とても力強い音楽で。ええ、あれはとてもパワフルな音楽だし、内面の奥深いところから出てきたもので……だから、前情報なしに音楽だけ聴いたら、それをつくったのは男性、あるいは女性なのか、わたしには聞き分けられなかったでしょうね。
■ここ何年かはCTIやChris & Coseyでの活動も最近はしていませんが、 あなた個人が活発的に見えます。あなた自身の活動で言うと、なにか新しいプロジェクトを考えているんでしょか?
コージー:ええ。というか、Chris&Coseyではなく、わたしたちはいまはCarter/Tutti名義で活動しているわけだし。そのCarter/Tutti名義で出したいちばん新しいアルバムはリミックスだったし、それにCarter Tutti Void作品にしても、あれは進行中のCarter/Tutti作品の一部であって……だから、プロジェクトを進めていくなかで、わたしたちは「他の誰かとコラボレーションをやろう」と思い立ったわけ。で、ニックとやってみたところ、それが上手くいってしまい、アルバムにまで発展した(苦笑)、と。だから、あれもまたとくに期待してやったことではなかったし、その意味で『セカンド・アニュアル・リポート』にちょっと似ているわね。思いもしないところから出てきた、という。
■そうなんですね。
コージー:でも、それとは別に、Carter/Tuttiとしてのマテリアルはかなり別にしてキープしてある。わたしとクリスのふたりだけでつくってきた音源がね。ただ、わたしたちにはやらなくちゃならないプロジェクトが他にまだいくつかあるし、それらのC/T音源に取り組めるのはその後、ということになるでしょうね。できれば、来年には取りかかりたいと思っているけれども。
■最後に、ぜひ日本でライヴやって欲しいです。
コージー:アハハハッ!
■(笑)え? 日本はそんなに意外ですか?
コージー:(笑)だって、わたしにはあまりにも遠い国だから。
■そんなぁ、たかが12時間のフライトですよ!
コージー:12時間? いや、わたしは心臓に持病があるから……
■ああ、そうなんですか。それは残念です……
コージー:そうなのよ。だから、別に日本に行きたくない、というわけじゃないのよ。
■うーん、でも、たとえばどこかの国で乗り換えて、フライト時間を分割するとか、無理ですかね?
コージー:そうやって、立ち寄った経由国で合間にホリデーも楽しんだり?(笑)
■(笑)。
コージー:でも、わからないわよね? もしかしたら実現するかもしれないんだし。
(了)
★TGのバックカタログが来年もリイシュー決定!
2018年1月26日
『D.o.A. The Third And Final Report』
『Heathen Earth』
『Part Two: Endless Not』
2018年4月27日
『Mission Of Dead Souls』
『Greatest Hits』
『Journey Through A Body』
『In The Shadow Of The Sun』
流れ、来てますね。今年はアーサー・ジェフス率いるペンギン・カフェの新作『The Imperfect Sea』が〈Erased Tapes〉からリリースされて話題となりましたが、今度はそのアーサーの父であるサイモン・ジェフスの没後20周年ということで、サイモンが率いていたペンギン・カフェ・オーケストラによる最後のスタジオ録音作『ユニオン・カフェ』(1993年)が同レーベルよりリイシューされます。ボーナストラックとしてサイモンによるソロ・ピアノ曲も収録される予定とのこと。リリース日は12月10日。なお今回はCDのみならず、初めてLPとしてもリリースされるそうです。
ペンギン・カフェ・オーケストラの1993年の名作『ユニオン・カフェ』
サイモン・ジェフズ没後20周年を記念して〈Erased Tapes〉より再発。
日本流通盤にはライナーノーツの日本語訳とボーナストラックとして
サイモン・ジェフズによるソロ・ピアノ作のダウンロード収録予定。
ペンギン・カフェ・オーケストラが1993年に最後のスタジオ・レコーディング作として残した作品。ニルス・フラームやオーラヴル・アルナルズ、ピーター・ブロデリックなどの作品をリリースする〈Erased Tapes〉がサイモン・ジェフスの遺志を引き継いだ息子アーサー・ジェフスから受け取った作品。いままでCD化はされていましたが、今回初となるLPとしてのリリースも予定しています。
アーティスト:Penguin Cafe Orchestra(ペンギン・カフェ・オーケストラ)
タイトル:Union Cafe(ユニオン・カフェ)
品番:AMIP-0124
価格:2,300円+税
発売日:2017年12月10日(日)
バーコード:4532813341248
レーベル:Erased Tapes
フォーマット:CD/LP
※ライナーノーツの日本語訳
※ボーナストラックのDLコード収録予定
https://www.inpartmaint.com/site/22310/
トラック・リスト:
01. Scherzo And Trio
02. Lifeboat (Lovers Rock)
03. Nothing Really Blue
04. Cage Dead
05. Vega
06. Yodel 3
07. Organum
08. Another One From Porlock
09. Thorn Tree Wind
10. Silver Star Of Bologna
11. Discover America
12. Pythagoras On The Line
13. Kora Kora
14. Lie Back And Think Of England
15. Red Shorts
16. Passing Through
■ペンギン・カフェ・オーケストラ
イギリスの作曲家サイモン・ジェフズによる楽団。1976年にブライアン・イーノの〈オブスキュア〉レーベルより『Music From The Penguin Cafe』でデビュー。現在のポスト・クラシカルの前身ともいえるアンビエント/ミニマル/クラシック/現代音楽などを独創的に融合させたサウンドで話題となる。その後は人間とペンギンのシュールなイラストのジャケットも人気となりサブカルチャーの中心的存在として多くのフォロワーを生む。1997年にリーダーのサイモン・ジェフスが他界し活動は止まっていたが、息子のアーサー・ジェフズがバトンを引き継ぎペンギン・カフェとして活動中。2017年には新作『Imperfect Sea』をリリースし来日公演を行った。
今年の頭にSpotifyでフォー・テットことキーラン・ヘブデンがプレイリストを公開していた。自作曲や盟友のダフニ(カリブー)、ブリアル、フローティング・ポインツなどの作品から、ジョン・コルトレーン、サン・ラー、ユゼフ・ラティーフ、ドン・チェリー、アルバート・アイラー、スタンリー・カウエルなどのジャズ、そしてラヒーム・アルハジ(イラク)、マルティク(イラン)、オマール・スレイマン(シリア)、ナジ・バラカ(イエメン)といったアラブ~アフリカ諸国出身者たちの作品が並んでいた。これらアラブ~アフリカ諸国はトランプ政権が条件付き入国禁止令を発した国々で、フォー・テットならではのトランプ大統領への抗議であったわけだが、同時にフォー・テットのワールド・ミュージックに対する興味が自然と表れたリストでもあった。フォー・テットは昔からワールド・ミュージックへの造詣が深く、オマール・スレイマンのアルバム『ウェヌ・ウェヌ』(2013年)をプロデュースし、ジャズ・ドラマーのスティーヴ・リードとのコラボではアフリカ音楽に接近していた。彼のフォークトロニカ作品からは、民族音楽の影響を受けたミニマル・ミュージックやインドのラーガ・ミュージックの要素が透けて見える。2015年の近作『モーニング/イヴニング』でも、インド人シンガーのラタ・マンゲシュカルをサンプリングしていた。こうしたワールド・ミュージックへの興味には、自身がインドの血を引くということもあるが、音楽のグローバリズムに対する反発心もあるのではないだろうか。欧米(特にアメリカ)の音楽産業が作り出す画一化、商品化された音楽に対するアンチテーゼとして、それらワールド・ミュージックへ興味が向かうことは自然な流れである。彼が作るダンス・トラックはハウスやテクノ、ダブステップなどグローバライズされた形式が多いが、そこにワールド・ミュージックの要素を入れることにより多様性を保っていると言える。
Spotifyのリストは政治的、音楽的にもアメリカ主導のグローバリゼイションに対抗するものだったわけだが、ここではまた“トゥー・サウザンド・アンド・セヴンティーン(2017)”“サイエンティスツ”“SW9 9 SL”“プラネット”といくつかの新曲が披露されていた。これらはシングル・カットされたが、そのまま最新アルバム『ニュー・エナジー』収録曲となった。『モーニング/イヴニング』がLPで片面20分ほどの作品2曲を収録した変則ミニ・アルバムだったので、13曲収録した『ニュー・エナジー』は2013年の『ビューティフル・リワインド』以来のフル・アルバムと言える。『ビューティフル・リワインド』はフォークトロニカやエクスペリメンタル系もあるものの、“クールFM”のようなアグレッシヴなトラックに象徴されるように、全体的にはポスト・ダブステップ~ベース・ミュージック~ジューク寄りのアルバムで、その前作の『ピンク』(2012年)と共にフォー・テットのダンス・ミュージック性にフォーカスしたものだった。一方、『ニュー・エナジー』では“SW9 9 SL”“プラネット”“ラッシュ”あたりがDJライクなダンス・トラックで、フローティング・ポインツあたりとの相関性が見出されるテック・ハウス系ナンバー。しかし、“プラネット”で顕著なチャイム、またはベルのような音は、昔からフォー・テットが多用してきたもので、ここでは和琴や中国の古琴の音色を彷彿とさせ、インド音楽に通じる繊細さを生み出している。『ビューティフル・リワインド』にあった攻撃性はここにはなく、むしろかつてのフォークトロニカ時代の美麗さに包まれている。そもそもストリクトリーなダンス・トラックに、美しくてアンビエントな要素を共存させるのはフォー・テットが得意とするところで、そうした点でこの“プラネット”は極めてフォー・テットらしい作品であるが、同時にフォー・テットとワールド・ミュージックの繋がりも再認識することができるだろう。
ダウンテンポの“トゥー・サウザンド・アンド・セヴンティーン(2017)”でも、この琴かハープのような音色は印象的で、個人的にはアリス・コルトレーンの作品を思い起こさせる。やはりこのハープ風の音色が鍵となる“メモリーズ”は、ララージとブライアン・イーノのコラボのようでもある。そして、重厚なベース・サウンドに鳥の囀りやアンビエントなキーボードが絡む“LAトランス”、ローリングするジャズ・ドラムとミニマルなマリンバの組み合わせの“ユー・アー・ラヴド”、ロー・ファイなブレイクビーツと娘の声をループさせたフォークトロニカ調の“ドーター”といった作品の合間に短いインタールード系楽曲を挟み、アルバム全体のトーンとしては『ビューティフル・リワインド』や『ピンク』に比べて内省的で、奥行きが深いものとなっている。“アラップ”はアコースティックなハープ風の音色で綴られ、かつての『ラウンズ』(2003年)頃に通じる牧歌的なムードを持つ。一方で“SW9 9 SL”のようなエレクトロニック・サウンドがあり、ここ数年のフォー・テット作品の中で『ニュー・エナジー』は、エレクトロニック・サウンドとアコースティック・サウンドがもっとも良いバランスで配合されたアルバムではないだろうか。フォー・テットにとって『ゼア・イズ・ラヴ・イン・ユー』(2009年)は転機となる作品で、それ以降はミニマルでエレクトリックなダンス・トラックが増えていったわけだが、『ニュー・エナジー』はそれ以前のフォークトロニカ時代の面影を感じさせる作品で、そうした触媒のひとつにワールド・ミュージック的な要素が用いられていると言えよう。
ケンドリック・ラマーは今年リリースした新作で、驚くべきことにU2をフィーチャーしている。さらに彼は来年、ジェイムス・ブレイクとともにヨーロッパを回るのだという。いまでも黒人たちの一部は心の底から白人たちを嫌っているという話も聞くが、どうやらケンドリックはそうではないらしい。彼の選択はたぶん、そういう対立を少しでも突き崩していこうという試みなのだろう。それがどこまで成功するのかはわからない。過度な期待はいつだって裏切られる。そう相場は決まっている。
そんなケンドリックの果敢な試みに代表されるように、近年ブラックのサイドが積極的にホワイトのサイドへとアプローチしていく動きが目立っている。その起点となったのはおそらく去年のビヨンセのアルバムだろう。彼女はその力強く気高い作品で、ジャック・ホワイトやジェイムス・ブレイクといった白人のアーティストたちを積極的に起用した。その横断的なチャレンジは、エリオット・スミスやギャング・オブ・フォーをサンプリングしたフランク・オーシャンや、デイヴ・ロングストレスとの共作を試みたソランジュへと受け継がれることになる。そして今春、ついにジェイ・Zまでもが自身のアルバムにジェイムス・ブレイクを招待するに至った。そのトラックでブレイクとともにプロダクションを手掛けていたのが、マウント・キンビーの片割れ、ドミニク・メイカーである。つまり、引く手あまたのブレイクだけでなく、その盟友たるマウント・キンビーもまた、そのような越境ムーヴメントの一端をホワイトの側から支える存在になったということだ。
そんな背景があったので、以下のインタヴューではドミニクにそういう昨今の傾向について尋ねているのだけれど、どうもうまく質問の意図が伝わらなかったようで、「近年はUSのメジャーとUKのアンダーグラウンドが結びついていっているよね」という話になってしまっている。こうして期待は裏切られるのである。
![]() Mount Kimbie Love What Survives Warp / ビート |
それはさておき、最初にマウント・キンビー4年ぶりのアルバムがリリースされると聞いたときは、それはもう胸が躍った。“We Go Home Together”や“Marilyn”といったトラックが公開される度に、勝手にイメージを膨らませては「今回はぐっとR&B~ソウルに寄った作品になるんじゃないか」「いや、彼ららしいダウンテンポなムードをより洗練させたものになるんじゃないか」などと予想を繰り返していた。そうして迎えた夏の終わり、いざ蓋を開けてみると――これがクラウトロックなのである。冒頭の“Four Years And One Day”からしてそうだ。完全にやられた。アルバム全体が、何やらパンキッシュなエナジーに満ち溢れている。いや、たしかにバンド・サウンドそれ自体は前作『Cold Spring Fault Less Youth』でも試みられていたけれど、それがここまで大胆に展開されるとは思いも寄らなかった。こうして期待は裏切られるのである。
クラウトロックだけではない。マウント・キンビーの新作『Love What Survives』には、さまざまな音楽の断片がかき集められている。本作を聴き込めば聴き込むほど、それらの断片たちが要所要所で効果的な役割を果たしていることに気がつくだろう。そういえば本作をインスパイアした楽曲を集めたという彼らのプレイリストでは、ロックからアフリカ音楽まで多様な楽曲がセレクトされていたし、彼らがやっているNTSのラジオ番組には、ジェイムス・ブレイクやキング・クルールといったお馴染みの面子に加え、ウォーペイントやケイトリン・アウレリア・スミス、アクトレスからウム・サンガレ(!)まで、じつに興味深いアーティストたちがゲストとして招かれていた。つい先日も、アルバム収録曲の“You Look Certain (I'm Not So Sure)”をケリー・リー・オーウェンスがリミックスしたばかりである(彼女はマウント・キンビーの欧州ツアーのサポート・アクトにも抜擢されている)。そんな彼らのレンジの広さや音楽的探究心の断片を、クラウトロック~ポストパンクというムードのなかにさりげなく、だがこの上なく巧みに落とし込んでみせたのが、この『Love What Survives』というアルバムなのだ。
10月9日、この取材の後に渋谷WWWXにておこなわれた彼らのライヴは、荒削りな部分が目立つ場面もあったものの、アルバム以上にエネルギッシュな熱を帯びており、まるで新人ロック・バンドのステージを観覧しているような気分になった(ファーストやセカンドの曲が新たに生まれ変わっている様もじつにスリリングだった)。いや、じっさい、4人編成という点において彼らは新人である。つまり……マウント・キンビーは今回のアルバムやパフォーマンスで、いわゆる「初期衝動」のようなものを演出しようとしているのではないか。そう考えると、なぜ彼らがこの新作に『Love What Survives』という意味深長なタイトルを与えたのか、その動機が浮かび上がってくる。「生き残るもの」とは要するに、かれらが最初に音楽を作り始めたときに抱いていた気持ちや勢い、刺戟のことだったのである。
そんなわけで、「生き残るもの」というのはきっと政治的・社会的に虐げられている人びとを暗示しているのだろう、という小林の浅はかな先入観は見事に覆されることとなった。そして、ファースト・アルバム『Crooks & Lovers』のジャケに映っていたのはおそらくチャヴだろう、という編集部・野田の予想も外れてしまった。こうして期待は裏切られるのである。そんな素敵な裏切り者ふたりの言葉をお届けしよう。
よくわかっていないからこそ、そういう音楽のスペースのなかで、自分たちなりの解釈で何かをやってみるのもおもしろいんじゃないかと思ったんだ。 (カイ)
■マウント・キンビーの音楽について、日本ではいまでも「ポスト・ダブステップ」という言葉が使われることがあるんですが、UKでもまだそう括られることはありますか?
カイ・カンポス(Kai Campos、以下カイ):いまその括りは死につつあるね(笑)。たしかに、僕らが初めてのアルバムを作った2010年当時、その言葉と一緒にその手の音楽がバーッと出てきて、ほんの短期間のうちにダブステップという音楽の概念がガラッと入れ替わった時期があったと思うんだけど、いまはだいぶ死に絶えてきているね。たぶんこのアルバムが出たあとには完全になくなるんじゃないかな(笑)。
■これまでそう括られることにストレスは感じていましたか?
ドミニク・メイカー(Dominic Maker、以下ドム):いや、けっしてその呼び名に納得はしていなかったけど、とくに気にもしていなかったよ。とにかく自分たちの音楽がひとつの箱に収まりきらないようなものであってほしい、ジャンルの境界を跨いでいるようなものであってほしいという意識で音楽を作ってきたし、じっさいいろんなことをやっているから、それが「ポスト・ダブステップ」だろうがなんだろうが、ひとつの言葉で括ってしまうのは僕らの音楽にはふさわしくないんじゃないか、という思いはつねにあったね。
■今回のアルバムからはクラウトロック~ジャーマン・ロックの影響を強く感じました。
カイ:たしかにいままでやっていたエレクトロニック系の音楽よりも、ちょっと前の時代のエレクトロニック・ミュージックに遡ったようなところはあるよね。クラウトロックやジャーマン系の音に聴こえるというのは僕らも認めるところだけれども、僕らはけっしてそのジャンルに詳しいというわけではないんだ。(クラウトロックを)ずっと聴いてきてよくわかっているからそれをいまやってみた、ということではないんだよ。逆に、よくわかっていないからこそ、そういう音楽のスペースのなかで、自分たちなりの解釈で何かをやってみるのもおもしろいんじゃないかと思ったんだ。「セミ・エレクトロニック・ミュージック」とでも言うのかな。過去を振り返って、リズムや楽器の編成といったところからアイデアを引っ張ってきて作ったのが今回のアルバムかな。
■他方で本作からは80年代のポストパンク~ニューウェイヴの匂いも感じられます。そのあたりの音楽も参照されたのでしょうか?
カイ:その手の音楽はUKではかなり広く愛されていたから、僕らも自ずと踏んできてはいると思う。当時はブリティッシュ・ミュージックのなかでもおもしろい時代だったと思うし。ただ僕らの場合、たとえばスクリッティ・ポリッティとか、ああいったバンドは最近になって聴いているんだよね。あの頃の音楽が持っていた、とくにパンクのアティテュードに見られるようなポジティヴな要素を自分たちのアルバムの制作過程に持ち込んだというか、そういうことは今回あったような気がする。あと他にもこのアルバムには、自分たちの音のパレットが幅広くなればと思って、ソウルやディスコみたいなものも組み込んだつもりなんだ。だからいろんな音が聴こえてくると思う。でもけっして後ろばかり振り返っているわけではなくて、あくまで前に進もうとしている作品だと思っているよ。
■昨年リリースされたパウウェルのアルバムはお聴きになりました?
ドム:聴いたと思う。バンドっぽいやつだよね? 僕は好きだったよ。聴いていて楽しかった。
■エレクトロニック畑の人がパンキッシュなサウンドをやるという点で、今回のアルバムと繋がりがあるように思ったんですよね。
カイ:そりゃそうだろうね。だってこういう発想は僕らが思いついたものではないし、大きな流れのなかで、いろんな人が同時発生的にやってみたくなった時期なのかもしれないからね。

Photo by Masanori Naruse
じつを言うとキング・クルールとの曲の歌詞はいまだに意味がわかっていないんだ(笑)。まだ解読中だね(笑)。 (カイ)
■今回のアルバムに影響を与えた楽曲のプレイリストが公開されていますが、そこではロバート・ワイアットやアーサー・ラッセル、スーサイドやソニック・ユース、ウィリアム・バシンスキからアフリカのバンドまで、かなり多様な楽曲がピックアップされていました。それらはおふたりが今回のアルバムを作っていく過程で発見していったものなのでしょうか?
ドム:あれはじつは、僕らはラジオ番組をやっていたんだけど、それ用のプレイリストという側面が大きいんだ。曲をかけるためにいろんなものをチェックして聴いていくなかで幅が広がっていったんだけど、その作業で見つけた曲もプレイリストに入っている。番組をやっていく過程でかなり大量の音楽を吸収して消化したんだ。それは今回のアルバムにも影響を与えていると思う。あと、番組に来てくれたゲストから教えてもらったものもあるね。僕らがリスペクトしている人が来てくれたんだけど、どんなふうに音楽を作っていくのか聞いていくなかでおもしろいものと出会ったりして、そういうこともすべてあのプレイリストには詰め込まれているんだよね。
カイ:そうやって考えるとおもしろいね。そういう流れがあってあのアルバムに至っている、ということがプレイリストからもわかるよね。
■今回のアルバムには4組のゲストが招かれています。キング・クルールは前作にも参加していましたが、4曲目の“Marilyn”にフィーチャーされているミカチューはどのような経緯で参加することになったのでしょう?
カイ:ミカチューは、僕らふたりが音楽を作り始める前からファンだったんだ。知り合ったときに「いつか一緒にやろう」という話をしていたんだけど、それから2年くらい話が続いていて(笑)。今回いよいよ一緒にやる機会に恵まれたわけだけど、作ってみたらあっという間で、すごく相性がいいのかなと思える時間だったよ。だから、僕らにとってはようやく実現できたスペシャルなトラックなんだ。
■その“Marilyn”はアルバムの他の曲と趣が異なっていますが、7曲目の“Poison”や、ジェイムス・ブレイクが参加している8曲目の“We Go Home Together”と11曲目の“How We Got By”の2曲も他の曲と雰囲気が異なっているように感じました。本作をこのような構成にしたのはなぜですか?
ドム:今回のアルバムは全体を通してすごくヴァラエティに富んでいると思う。いま挙げてくれた曲に限らず、個性的な曲ばかりが詰まっていると思うんだけど、それだけにアルバム全体の流れというか、全体で聴いたときの消化具合がうまくいくように、ということをすごく考えて曲順を決めたんだ。ミカチューとの曲もジェイムスとの曲もそうだけど、自分の頭のなかで曲順を組んでみたときに、“Marilyn”は突出しているという印象があって。(この曲は)アーサー・ラッセルの影響がすごく大きいと思うんだけど、とくにユニークな曲だからアルバム全体の流れのなかで活かしたいと考えたんだ。
[[SplitPage]]ジェイ・Zから「ジェイムス(・ブレイク)に歌ってほしい」というオファーがあったんだ。そのときちょうど僕がジェイムスが歌うことを想定して書いていた曲があって、それをやろうかってことになったから、僕も関わることになったんだよ。 (ドム)
![]() Mount Kimbie Love What Survives Warp / ビート |
■春頃から少しずつアルバムの収録曲が公開されていきましたが、先行公開曲のセレクションに関しては何か意図があったのでしょうか? 公開された曲からぼんやりとアルバムのイメージを膨らませていたのですが、蓋を開けてみると想像していたのとはまったく違い、とてもパンキッシュで驚きました。
カイ:最初に何を公開するかみんなと話し合ったときに意見が一致したのは、ゲスト・ヴォーカルの入っている曲から公開するのが理に適っているんじゃないか、ってことだった。やっぱりヴォーカルが入っているというのはみんなに伝わりやすいだろうし、わかりやすいよね。それを聴いて「アルバムはどんな感じなんだろう」という期待感を煽る狙いで最初の2曲(“We Go Home Together”、“Marilyn”)を選んだんだ。でも、その2曲はみんなが消化するのにちょっと苦労する曲だったかもしれない。それをあらかじめ出しておいて、他の曲より先に聴いてもらうことによって、あとでアルバムを聴いたときに、その曲のあいだにあるどの曲もフィットしたものに聴こえるようになる、という枠組みを提示することができたかもしれないね。
ドム:ジェイムスの曲もミカの曲もそうだけど、僕らはしばらく鳴りを潜めていたから、タイトルのなかにそういう有名な人の名前(ビッグ・ネーム)が入っていることによって注目を集めることができるんじゃないか、という意図もあったね。
■いまヴォーカル曲の話が出ましたが、今回のアルバムにはハードな生活を送っている人たちの登場する曲が多いように感じました。リリックに関して何かコンセプトやテーマのようなものはあったのでしょうか?
カイ:歌詞は、僕らと客演してくれたシンガーとで一緒になって作ったんだけど、基本的には彼らが伝えたいストーリーをそのまま語ってもらえればいいと思っていたんだ。だから僕らが影響を与えたというか、注文をつけたことがあるとすれば、「この曲にはこういうふうに(言葉を)乗せてほしい」という、歌い回しやフレージングに関することだね。「ここに乗せるためには音節はこうじゃないほうがいい」とか、そういう注文はしたけれど、歌詞の内容に関しては自由にやってもらったよ。だから、(それぞれの)曲のメッセージには一貫性がないんだ。でも、そういうふうにやってもらったほうが幅の広さという意味でいいレコードになるんじゃないかと思って。ただ、レコーディングの段階では僕らも完全には歌詞を咀嚼しきれていなくて、じつを言うとキング・クルールとの曲の歌詞はいまだに意味がわかっていないんだ(笑)。まだ解読中だね(笑)。でもライヴでやるときは、あくまでも僕らのものとして消化してやっているから、歌詞の内容もレコードよりももっとフォーカスした内容になっているんじゃないかな。
■ドミニクさんはいまLAに住んでいるんですよね。
ドム:そうだね。
■LAへ移住したのはなぜ?
ドム:ガールフレンドが向こうに住んでいたからだよ。(移住して)もう2年になるね。天気もいいし、楽しんでいるよ。
■ということは、今回のアルバムの制作はカイさんとデータをやり取りする形で進めていったのでしょうか?
ドム:いや、行ったり来たりしながら作ったよ。(UKには)しょっちゅう行くから。ノルウェー航空とかの安い航空券を買ってね(笑)。
■なるほど。ではおふたりはわりと頻繁に会われているんですね。
ドム:そうだね。メインのスタジオはロンドンにあるんだけど、レコーディングの終盤には感覚やリズムを取り戻したいと思ってライヴを始めたんだ。今度のバンド編成はわりかし新しいものだから、アルバムが出る前からライヴに打ち込みたくて、ロンドンでライヴ活動はしていたよ。そういう意味ではLAに住んでいるからどう、ということもないかな。
■ドミニクさんはジェイムス・ブレイクと一緒に、今年出たジェイ・Zの新作『4:44』に参加しています(“MaNyfaCedGod”)。それはどういう経緯で実現したのですか?
ドム:そもそもはジェイ・Zから「ジェイムスに歌ってほしい」というオファーがあったんだ。そのときちょうど僕がジェイムスが歌うことを想定して書いていた曲があって、それをやろうかってことになったから、僕も関わることになったんだよ。結局2曲で参加する形になったけど、作り方が僕らの慣れているやり方とぜんぜん違っていて、でもそれだけ勉強になったね。いい経験だったよ。

Photo by Masanori Naruse
音楽を作るときの刺戟って僕らがファーストを作ったときと何も変わっていないんだよね。そういう気持ちや勢いが「Survive(生き残る)」ってことなんだ。 (カイ)
■ジェイムス・ブレイクは昨年ビヨンセのアルバムに参加していました。また、昨年話題になったフランク・オーシャンのアルバムではエリオット・スミスやギャング・オブ・フォーなど、いわゆる白人の音楽がサンプリングされていて、今回のドミニクさんとジェイ・Zとのコラボもそうなのですが、最近ブラック・ミュージックのビッグなミュージシャンたちが積極的にホワイトの文化を取り入れていっている印象があります。10年前や20年前にはあまりなかったことだと思うのですが、そういう昨今の流れについてはどうお考えですか?
ドム:ドレイクもジャマイカのアクセントを真似して歌ってみたり、グライムが好きで聴いていたりするから、そういう流れはたしかにあるよね。
カイ:カイラの“Do You Mind”(2008年)というUKファンキーの曲があって、むかしUKでビミョーに、ちょっとだけヒットした曲なんだけど、ドレイクの“One Dance”(2016年)ではそれをバックトラックに使っているんだ。もとの曲自体はUKでは大して注目されなかったんだけど、それがいまになってUSの超メインストリームの曲のなかで鳴っているというのはすごくおもしろいことだと思ったよ。そういうのって、(もとの曲に)興味を持ったR&B系のプロデューサーなんかが引っ張ってくるんだろうけど、たとえばビヨンセとかもそうで、メインストリームの人なのにオープンにいろんなものに興味を持ってそれらを取り入れたりしていて、彼女がやればそれに続く人が出てくるし、UKのアンダーグラウンドとUSのメインストリームのあいだにあった大きな壁が、ここ5年、10年くらいのあいだに崩れていっているという実感はあるね。
■今作のタイトル『Love What Survives』は「生き残るものを愛せ」ということで、とても意味深長なのですが、これにはどのような思いが込められているのでしょう?
カイ:今回に限らず、レコードを作っているときに考えすぎてしまうのはよくないと思っているから、いつも感覚でいいと思うものを作っていくんだけど、いざどういうタイトルにするか考える際には、「何がモティヴェイションとなって自分たちはこれを作ったのか」ということを振り返るんだ。今回ふたりでこのアルバムを作りながら話していたのは、とにかく(これまでと)違うことをやりたいということや、変化が訪れたらそれをどんどん受け入れて前に進んでいこうということだった。そういう音楽を作るときの刺戟って僕らがファーストを作ったときと何も変わっていないんだよね。そういう気持ちや勢いが「Survive(生き残る)」ってことなんだ。新しいことをやったり、刺戟を絶やさないことで生き残っていくというか、自分たちのまわりにあるものを受け入れて、ケアをしながら大事に音楽を作っていくというか。そういう気持ちを可能にするには好奇心が必要だったり、変化に対するオープンな気持ちが必要だったり、あとは違うアプローチを恐れないということが必要だったりして、(『Love What Survives』は)そうやって生き残ってきたものを大事にするというような作り方に対する考えなんだ。でもこれは僕の解釈であって、聴いた人がどう解釈しても構わないんだけどね。
ドム:同感だね。
■今回のアルバムはアートワークもユニークですが、被写体の彼は何をしているんでしょう?
ドム:いい質問だね(笑)。
カイ:本当は実際にアートワークを制作してくれたデザイナーのフランク(・レボン)に聞いてもらうのがいいんだけどね(笑)。フランクは今回のヴィデオもほぼすべて手がけることになっているんだ。このジャケットは彼が撮影してくれたものをもとにデザインしたものなんだけど、僕らと彼とではアルバムに対する見方がちょっと違っていて、だからこそおもしろいんだと思う。レコードにあのジャケットが付いたことによって、作品として僕らふたりのアイデア以上の存在になったんじゃないかなと思っている。けっこうインパクトは大きいよね(笑)。見た目もそうだし、フィーリング的にも。僕らだけの作品じゃなくなった気がして好きなんだ。まあ詳しいことはフランクに聞いて(笑)。彼はキャラクターになって何かをやるのが好きなんだ。
■このジャケットを見て、ファースト・アルバムのジャケットを思い出したんですが――
カイ:フランクはファーストのアートワークを手がけたタイロン(・レボン)の弟なんだ。
■へえ!
カイ:ファーストから今回のアルバムまでのあいだに僕らのなかですごくいろんなことが変わったんだけど、そこ(アートワーク)で繋がっているというのはおもしろいよね。
■ファースト・アルバム『Crooks & Lovers』の被写体の女性は、いわゆるチャヴなのでしょうか?
ドム:あの女の子? ぜんぜんわからないな(笑)。
カイ:デザイナーに聞かないとわからないし、たぶんデザイナー本人もわかってないよ(笑)。
■いまはこうして来日されて、ツアーの真っ最中だと思いますが、それが一段落ついたら何かやってみたいことはありますか?
カイ:ここ4年はけっこうおとなしくしていたから(笑)、いまは動きたくて、このツアーができるのが嬉しいよ。もうオフはいいや(笑)。
ドム:僕はこのあとホリデイで、フィリピンに行くんだ。日本ではカイとツアー・メンバーみんなで一緒に京都に行く予定だよ。そうやってちょっと休んで、また動き出したいね。
イタリア人DUOユニットNinos Du Brasilの3枚目のアルバム。1曲目の“O Vento Chama Seu Nome”で驚いたのは、ヴァーカル・スタイルが大阪のSUSPIRIAやbonanzasの吉田ヤスシ氏に似ていることで、以前SENYAWAが出てきた時もそっくりだと皆が声を揃えていたことを思い出します。この抑えたヴォーカル・スタイルがダークな雰囲気を醸し出すのに一役買っています。シームレスに2曲目へと移行し、BPMはそのままで同じフレーズまで使われているので中盤のブレークまで気付かないこともしばしば。なのでそのままDJで2曲続けてかけても誰も気付かないでしょう。
A4“Algo Ou Alguém Entre As Àrvores”は先行12”「Para Araras」にも収録されている楽曲ですが、グッとBPM(100)を抑え、持続する詠唱、演説めいた声、原始的な吠えるような声などが挿入されながら、儀式的旋律が高まるに連れてピークを迎えるこの楽曲は、個人的にお気に入りです。B2“A Magia Do Rei II”が「II」と題されているのは、先ほどと同じ先行12”のA面に「I」が収録されていて、そちらにはヴォーカルが入っていません。細かく動き回るベースラインなどの骨格は同じで、そこにヴォーカルやパーカッションで肉付けしたものが「II」となっています。なので「I」はDUB versionという感じで、尺も1分ほど長いです。どことなくオリエンタルなムード漂う旋律がテーマとなっているB3“Em Que O Rio Do Mar Se Torna”はBPM110でどっしりと重いイーヴンキックが刻まれ、その上をポコポコとパーカッションが鳴り、テーマ旋律が現れては消えていきます。
Ninos Du Brasilのアルバムでfeat. Arto Lindsayという記述を見れば、誰もがあの痙攣ギターの音色とNinos Du Brasilのアグレッシヴな楽曲の融合を期待すると思いますが、最後の曲という点で、そうではないだろうという予想もしていました。アートはアルバム中で最も落ち着いた、若干アブストラクトなサウンドの上でパーカッションが響く楽曲に、官能的な歌声を添えています。彼らのコラボレーションがどのようにして実現したのか、その経緯がひょっとすると載っているかもしれないと、13年ぶりにソロ・アルバムを発表したアートを丸々特集した本『アート・リンゼイ 実験と官能の使徒』を読んでみましたが、見当たりませんでした。しかしこの本の充実ぶりは素晴らしいと思います。カエターノ・ヴェローゾとアートがゴダールやジェイムス・ブレイク、ディアンジェロについて語っている部分などはとても刺激的で、アートファンのみならず、音楽ファン必読の内容となっています。
2014年に初めて〈Hospital Productions〉から発表した2ndアルバム『Novos Mistérios』では、そのユニット名にふさわしくブラジルのカーニバルの影響色濃いパーカッシヴな疾走感のあるサウンドで、このレーベルにしては陽気なサウンドと言えるものでした。その後〈DFA〉から12”「Aromobates NDB」を、そして再び〈Hospital Productions〉から12”「Para Araras」をリリース。作品を追うごとに少しずつダークなサウンドへと、あたかもレーベルカラーに染まっていくかのように、傾倒していっているように感じます。依然としてパーカッシヴではあるものの、カーニバル感は後退し、何かの儀式めいた音楽のような感じが強まっています。そのように感じる要因は何なのかと考えました。
まずひとつにはクイーカの音の使用の有無が考えられます。この楽器の音が入ると一気にカーニバル感が出ますが、クイーカと言われてもどんな楽器なのか、どの音がクイーカの音なのか、わからない方もいらっしゃると思いますので、参照リンクを貼り付けておきます。音だけ聴いてもどんな楽器なのか想像しづらいと思います。2ndアルバムでは“Miragem”と“Essenghelo Tropical”の2曲でクイーカの音が使われていますが、それ以降クイーカの音は一切使われていません。
https://www.youtube.com/watch?v=t9xlRJbIfmk
もうひとつは音のバランスが変わっていて、前作ではパーカッションが主体のMIXでしたが、今回はベースドラムの音がより重く、より太くなり、大きな音でMIXされていて、それに加えて前作よりも不穏な和声がそこかしこに登場し、ベースドラムにまとわりつくかのように持続することがダークな儀式感を強めている要因と考えられます。パーカッションからベースドラムへと音の比重が移ることによって、全体的に重心がグッと下がっています。前作は比較的乾いた、カラッとしたサウンドの印象でしたが、今作ではやや水分を含んで重たくなったかのような、ジメッとした熱帯雨林、60%はブラジルの領土にあるというアマゾンを想起させるサウンドになっているのも、その比重の変化と怪しげな持続音の多少によるものでしょう。
事実“Condenado Por Un Idioma Desconhecido”のPVは、どことも知れぬジャングルの奥地にふたつの棺桶が転がっていて、その中でふたりが歌い、最後には棺桶から出てくるという趣で撮られていて、それはアルバム・タイトルの『Vida Eterna(永遠の命)』を表現しているものと思われますが、ジャケットの絵はおそらくコウモリ。とするならば、彼らはヴァンパイアなのかもしれません。ヴァンパイアといえば、『パターソン』も素晴らしかったジム・ジャームッシュの回転するレコードのクローズアップで始まる『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』を思い出しますが、音楽映画としても興味深い作品ですので、オススメです。
このアルバムのタイトルの意味を調べていて、イタリア語とポルトガル語が同じ綴りで同じ意味である場合があるということを知り、イタリアとブラジルという遠く離れた国同士の共通点が垣間見えました。最後の曲にカエターノ・ヴェローゾをプロデュースしたこともあるアートをゲストに迎えたのも、彼らなりのブラジルという国で生まれた音楽への敬意の表れなのかも知れません。
短い言葉でこのアルバムを表するなら、トライバル・ダーク・ウェイヴでしょう。次作ではベースラインがうねり始める事を期待します。
ただ、とにかく自分自身に関しては、自分まで自分の敵になったら本当に悲しいから、たとえ世界中や親兄弟が敵になっても、自分だけは自分の味方でいなさいよ、とは言いたいです。それは本当に大事だと思います。そのためにも、無理にでも自分を好きになる努力をしなさいということは言いたい。(本書より)
ソウルやファンクをブラック・カルチャー無しでは語れないように、ディスコやハウス・ミュージックはゲイ・カルチャー無しでは語れない。ぼくたちは知っている。デトロイト・テクノからUKインディ・ロックまでもが、さんざんその恩恵にあずかっていることを。そしてぼくたちはアントニー・アンド・ザ・ジョンソンも聴いたし、アルカのインタヴューも読んだ。『マイ・ビューティフル・ランドレット』も観た。ゲイ・クラブにも行ったし……、わかった、じゃあ、『ゲイ・カルチャーの未来へ』を読んでくれ。
『ゲイ・カルチャーの未来へ』は、日本のゲイ・カルチャーの、美術面においては先駆的とも言える巨匠、田亀源五郎の語り下ろし。いまでは、第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した『弟の夫』の作者といったほうが通りが良いかもしれない。欧米では毎年個展が開かれるほど評価の高いこのアーティストは、他方ではSNSなどを介して社会派としても認識されている。
『ゲイ・カルチャーの未来へ』では、田亀源五郎の半生が語られ、『弟の夫』について、ゲイのエロティシズムについて、そして日本社会について語られている。「LGBTブーム」と言われて久しいが、日本では、いまだ欧米のようにカミングアウトが根付かないのは、何故なのだろう──
田亀源五郎という開拓者の人生を知り、日本においてゲイを取り巻く状況を知る。そして力強い励ましの言葉を読む。企画・編集の木津毅から届いた本書の原稿を読んだとき、編集部は泣いた。
10月31日、本日発売。とにかく、読んで欲しいっす!

田亀源五郎(著) 木津毅(編)
ゲイ・カルチャーの未来へ
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ここに書いてあるのは1959年生まれで日本に育った子どもがどんな音楽をどんなふうに聴いたのかって話で、きっとそういうことを書き残したり、伝えたりすることのほうが、その音楽がなんであったかを考えるときには重要なんじゃないかって思って書いた本なんです。(本書295頁、あとがきより)
ギタリスト、バンドリーダー、ターンテーブル奏者など複数の肩書きを持ち、ジャンルの境域に囚われることのない音楽活動を続ける一方で、文筆家としてもこれまでに多数の単行本を著してきた大友良英による、幼少期から思春期にかけての出来事を綴った自伝的エッセイ『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』が刊行された。全42話のうち24話までが書き下ろし、それ以降が「webちくま」での連載をまとめたものだが、もともと進められていた本書の執筆を継続するために連載がおこなわれたということもあり、内容は途切れることなく一連の流れに沿って収録されている。ときに学園ドラマ風のストーリーを描きながら、ときに私小説的な内省に耽りながら、ときに物故者への追悼文のかたちを取りながら、傍で読者に語りかけるような飄々とした文体で、著者がいかにして音楽に興味を抱き、自らもおこなうようになったのかが記されている。
改めて述べるまでもなく、核となっているのは著者と音楽(あるいは音)との関わりである。たとえば大人たちの目を盗んでポータブル・レコードプレイヤーで聴く坂本九。近所の子供たちと一緒に見るテレビから流れるクレージーキャッツや特撮ドラマの劇伴。中学校の同級生の「永山くん」とレコードを貸し借りするうちにのめり込んでいったプログレッシヴ・ロック。高校で「猫背先輩」に半ば無理やり引き入れられたジャズ研究会と、そこから広がる即興とノイズの世界。あるいは親戚と遊びで即興セッションをやってみたり、シンセサイザーを自作したり、ベースやギターなどの楽器を手に入れては悪戦苦闘したりする姿。エッセイに登場する固有名詞などは、1話ごとに設けられた、これだけでも充分に読み応えのある須川善行によるコラムのなかで詳細に解説され、不自由なく読み進めるための知識を得ることもできる。本書は高校を卒業して上京する十代の終わりで閉じられているため、続編も期待されるところである。
自叙伝と言っても、大友が自らの来歴を語るのはこれが初めてではない。今年の春に刊行された『音楽と美術のあいだ』をはじめとして、鍼灸師・竹村文近との共著である『打てば響く』、故郷福島の現在を巡る『クロニクルFUKUSHIMA』『シャッター商店街と線量計』、日々の記録をまとめた『大友良英のJAMJAM日記』は言うに及ばず、処女作『MUSICS』に遡るまで、思えば大友の著作ではつねに彼の個人史と密接に関わる内容が書き記されてきた。だがそれは武勇伝や過去の栄光を恥ずかしげもなく披瀝する「自分語り」とは似て非なるものである。彼が語る個人史は、大友良英という人物の業績に迫るというよりも、どのような時代状況のなかに自らがいて、どのような人物や作品が周りに存在していたのかという、いわば他者に対する眼差しがつねに織り込まれているからだ。
それは大友がゲストディレクターを務めた札幌国際芸術祭2017での自身のアーカイヴ展にもあらわれている。同芸術祭では様々な規模と形態による複数のアーカイヴ展が開催されていたのだが、なかでも三岸好太郎美術館でおこなわれた大友によるそれは、生誕から現在に至るまでの足跡を辿るようにして、写真や収集物、自作したシンセサイザーや寄せ書きが記された楽器、果ては大学時代の論文、あるいは自筆譜やリーダー作・参加作のアルバム・ジャケットなどが並べられ、それぞれに手書きのコメントが添えられているというユニークなものだった。奥の部屋には新作インスタレーション「waltz for clown」が設置され、過去を照らし出す展示物を眺めることが、同時に現在の音の作品を体験する時間としても流れていた。
とりわけ印象的だったのは、そうした大友良英の個人史を辿ることが、彼のことを知るという以上に、いつのまにか別の歴史に触れてしまう入口にもなっているということだった。美術館内を逍遥するわたしたちは、かつて高柳昌行の私塾でどのような教本が使われていたのかを知り、『インプロヴィゼーション』の邦訳前の日本においてデレク・ベイリーがどのように受容されていたのかを知り、江波戸昭が明治大学でおこなっていた講義の一端を知り、殿山泰司や田中克彦の著作群と出会うことにもなる。個人史を辿ることが同時に文化史に触れることでもあり、さらに様々な人物や作品を知るためのきっかけの場にもなっていたのである。それは大友がかつて「誰かの人生を変えるという残し方」と述べていたアーカイヴのあり方の、人生を変えられた自らを曝け出すことによる、展覧会としての実践だと言うこともできるだろう。
本書もまたこうした視座のもとに捉えられなければならない。それは音楽家・大友良英の自己形成過程を辿る自叙伝であるとともに、20世紀半ばに生まれた一人の少年が音と触れ合い音楽の世界に入っていったドキュメントでもあり、音楽を紹介するために設けられたひとつの文脈の提示でもあるのだ。「正しい音楽史」がもはやそのままでは共通言語として機能しなくなった現在であればこそ、こうした小さな物語のひとつひとつの強度が、音楽を歴史的に把握するための立脚点になる。そして本書にドキュメントされた一人の少年が、歌謡曲やテレビドラマの劇伴から、わからないながらも阿部薫や高柳昌行、デレク・ベイリーの音楽にひっかかり、興味を抱いていくという過程は、そうした音楽に親しみのない読者の目線を用意している、と指摘することもできる。この点でも本書は「自分語り」とは程遠い。
世界にはわからないものがある。そのわからないものに対する想像力が失われかけている現代社会において、個人史であり、20世紀音楽の文化史であり、そして「わからない」音楽の入門書でもある『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』は、大友ファンのみならず、ひいては音楽ファンのみならず、この社会の息苦しさを少しでも感じ取ったことのあるあらゆる人間に対しても、生きる豊かさをふたたび思い起こさせるような、必携の書物であることだろう。
これは電子音楽で鳴らされる21世紀のフォークロア・ミュージックではないか。このアルバムには、シンセサイザーによる幻想的なトラディショナルなムードが横溢している。見知らぬ地のコドモたちの祝祭の音楽のようでもあるし、16世紀の画家、ヒエロニムス・ボスの絵画のようでもある。
米国はワシントンの北西部にあるオーカス島出身の電子音楽家ケイトリン・オーレリア・スミスの最新作『ザ・キッド』は、これまでどおり「ブックラ100」(Buchla)などのヴィンデージ・シンセサイザーを駆使したサウンドでありながら、その音楽性はさらに色彩豊かに変貌をとげている。
2016年にリリースされた前作『イヤーズ』(『EARS』)もエクスペリメンタル・ミュージック/電子音楽の領域で高い評価を獲得したが、本作はそれをもこえる完成度といえよう。マーク・プリチャード(Mark Pritchard)のリミックスやアニマル・コレクティヴ(Animal Collective)との競演でも知られているケイトリンだが、本作においてはより広範囲なリスナーを獲得することになるのではないか。ようするに傑作なのだ。
アナログな電子楽器によるサウンドスケープはこれまでどおりだが、「声」を多用したポップ・ミュージック的なコンポジションも、さらにさえわたっている。ニューエイジ・リヴァイヴァルと交錯しつつも、独自のファンタジック/オーガニックな電子音楽を展開するのだ。シンセサイザーの魅力が横溢した電子音楽もあれば、アンビエントなサウンドもある。ヴォイスとリズムが絡み合うトラックもある。カラフルでドリーミーな絵画を観ているような電子音楽集なのである。民族音楽的なトライバルなリズムとシンセサイザー・サウンドを融合させ、「OPN以降の現代の音楽」を成立させている点は、ローレル・ヘイロー(Laurel Halo)の新作『ダスト』(『Dust』)にもつうじる。
オープニングの“アイ・アム・ア・ソート(I Am A Thought)”のスペイシーな電子音楽を経由し、エスニックな旋律のヴォーカル・トラック“アン・インテンション(An Intention)”が始まったとき、これまでの彼女のアルバムとはどこか一線を画すポップネスを感じたものだ。
さらに3曲め“ア・キッド(A Kid)”のトライバルなリズムは、たんなるポップ・ミュージックには収まらない自由な感性の発露にも思われた。つづく鳥の鳴き声のようなイントロからトラディショナルなヴォーカル・メロディへと移行する“イン・ザ・ワールド(In The World)”をへて、アルバムは中盤から後半にかけて、その世界感は、次第にディープになってくる。別世界へのサイケデリック・トラベルのように。
ラスト2曲“アイ・ウィル・メイク・ルーム・フォー・ユー(I Will Make Room For You)”と“トゥー・フィール・ユア・ベスト(To Feel Your Best)”において、「声」と「アンビエンス」の交錯は、さらに深遠な領域にいたる。声が電子音の波をよびよせ、電子音が声と身体と世界の深いところで響きあう、とでもいうべきか。感覚的で、オーガニックな電子音の横溢である。しかも、音楽自体にむずしさはない。ジョイフルであり、創意工夫にとんでおり、聴きやすくポップである。
まさに「ポップさ」と「オーガニックさ」にふりきった本作だが、この変貌には、ケイトリンが2016年にリリースした1970年代から活動する電子音楽家スザンヌ・チアーニ(Suzanne Ciani)とのコラボレーション・アルバム『サナジー』の影響もあるのではないか。
むろん『ザ・キッド』と、ロングトラックなニューエイジ・電子音アンビエント『サナジー』では音楽性は異なる。しかし、『サナジー』で展開した世界の神羅万象をナチュラルかつオーガニックに受け入れていく姿勢は、『ザ・キッド』(『The Kid』)のオープンな音楽の精神(形式ではない)へと大きなフィードバックを与えているような気がしてならない。この『ザ・キッド』でケイトリンの素晴らしい電子音楽に初めて触れた方は、ぜひともソロ『ユークリッド』(『Euclid』)(2015)、『イヤーズ』だけでなく、『サナジー』も聴いていただきたい。現代的ナチュラル/オーガニックな電子音楽(それはフェイクであってもいい。そもそもわれわれ現代人自体はすでにフェイクなのだから……)が、世代を超えて継承されていくさまが、より深く伝わってくるはずである。
今、という時代においては、電子音楽もまた「継承」され、「受け継がれていく」フォークロア・ミュージックとしての歴史を積み重ねつつある。本作『ザ・キッド』も、その「継承」の成果ではないか。ジョイフルで、エクスペリメンタルで、伝統的で、ストレンジ。そのうえ不思議とナチュアルで、奇妙にオーガニック。そう、心と体に「効く」電子音楽なのだ。
僕たちのLOVEい曲10選〜AUTUM編~
(KEITA SANO) 1. Big Audio Dynamite - What About Love? 2. Fingers Inc. - Mystery Of Love (Original Basement Mix) 3. Jesse Bru - Heartless Love 4. Lonnie Liston Smith - Love is the answer 5. Ramsey Lewis - Love Song (DJサモハンキンポー) 2. Alan SorrentiFigli - delle stelle 3. MA QUALE IDEA - Pino D'Angiò 4. Maya - Lait De Coco 5. Arian - Lutaš Velikim Gradom |
MAD LOVE RECORDS
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