「S」と一致するもの

Wunderhorse - ele-king

 そう、自分はこのギターを求めていた。あるいはきっとこれから先も求め続ける。アルバムが始まったものの数秒でドキドキと心を揺さぶられるようなそんな感覚におちいる。ロンドンのワンダーホースの2ndアルバムのなんと素晴らしいことか。ヴォーカル/ギターのジェイコブ・スレーターはこのアルバムについて不完全で生々しいサウンドにすることを目指したと語っていたがその試みは見事に成功を収めている。荒々しくラフに仕上げられたサウンドは、時間が経ちかさぶたになった傷跡から再び血がにじんだような哀しみと相まって心を落ち着かなくする。そうしてそこに確かな跡を残していくのだ。

 ワンダーホースを説明するのに元デッド・プリティーズのという枕詞はもう必要ないだろう、そう感じてはいる。しかしこのアルバムのギターの音を聞いて最初に頭に浮かんだのは、もういないデッド・プリティーズのことだった。
 2017年、ギターバンド冬の時代、ジェイコブ・スレーターはオスカー・ブラウン、ベン・フォースと共にノースロンドンからサウスロンドンのウィンドミル・シーンにアタックを仕掛けた。中指を立てたジャケットに荒々しくもキャッチーなギターリフ、つばを吐きかけるようなヴォーカルのガレージパンク。迎え撃つのはシェイムにゴート・ガールの地元勢、そこに同じくノースロンドン出身のソーリー、宇宙からやってきたHMLTDにアイルランドのフォンテインズD.C.もその場にいて、それぞれがそれぞれの爪を研ぎ続けた。つまりデッド・プリティーズは初期のサウスロンドンのインディーシーンの一角を担ったバンドだったのだが17年に7インチを2枚出しただけであっという間に解散した。
 解散後ジェイコブ・スレーターはソロとしてワンダーホースを始める。そして21年にギターのハリー・ファウラー、ベースのピート・ウッディン、ドラムのジェイミー・ステープルズが加わりバンドとなった。そうやって22年の1stアルバム『Cub』を経て、バンド体制になってから初めて曲を書いたであろうこの『Midas』に繋がっていく。

 そのまま続き大きくなっていくバンドもあればそうでないバンドもある。変質し生まれ解散する繰り返しの渦の中で生まれる新しい表現、それこそがポップ・ミュージックの魅力だとそう思ってはいるものの上記のバンドたちが2枚、3枚と素晴らしいアルバムをリリースするなかで、もしデッド・プリティーズがあのまま続いていたら……と考えてしまってもいた。しかしワンダーホースのこの2枚目のアルバムは澱のよう心の底に残り続けたそんな思いを見事に吹き飛ばしてくれた。デッド・プリティーズ時代のような武骨なギターを響かせ、その時からスケールを増した大きな音で力強く頭を揺さぶるようにして。

 破れた袖をそのままにしているかのようなラフなギターを連ね、ザクザクとしたサウンドの上で殴り書きした文字を叩きつけるように唄うジェイコブ・スレーターのヴォーカルがのる“Midas”は、ともすればグランジ・バンドのボブ・ディランのようにも思えてくる。こぼれ落ちる熱といら立ち、ニルヴァーナの『In Utero』が録音されたパキダーム・スタジオで制作されたこのアルバムのサウンドは固く不器用で荒々しく、ふさぎ込むような哀しみと怒りを伴った激情がないまぜになって生々しく響く。“Emily”ではデッド・プリティーズの“Water”にみられたエモーショナルな感覚をフォンテインズD.C.の2ndアルバムに通じるようなギターのサウンドの中に落とし込んでいる。芯の部分は変えず、今のバンドにフィットする個性を探り出し音として表に出す。仕上げきらずにザラザラとした手触りを残したこの音は1stアルバム『Cub』には見られなかった特徴で、この2ndアルバム『Midas』でもってワンダーホースは改めてバンドになったのだろうと実感する。全てがコントロールされたわけではない状況が生み出す不完全に調和したエネルギー。その矛盾。それは欠けているから美しく、だからこんなにも魅力的に思えるのかもしれない。

 そうしてまた時代が変わった。2017年のあの時から7年が経ち、しのぎを削った仲間やその後に続いたバンドがフォークやダンスのアプローチを取り、ストリングスやシンセサイザーの存在感が増す中で、ジェイコブ・スレーターは再びそれに抗うよう挑み続ける。かって同じバンドを組んだオスカー・ブラウンがソロとして素晴らしいフォークソングをリリースしているのに対して、ジェイコブ・スレーターは新しいバンド、ワンダーホースと共にこんなにも生々しくギターが響くアルバムを作り上げたのだ。時代の波に抗い続ける不器用で不完全な表現、心の底でそんな音楽を求め、それにどうしたって惹かれていく。

Jan Urila Sas - ele-king

 Riki Hiadakaの唯一無二のリリースで知られる広島の〈Stereo Records〉からの新作は、激烈なノイズ作品。作者はjan and naomiのJan Urila Sas。ノイズであり、サイケデリックな領域へと突き抜けるサウンド・コラージュであり、Janらしい官能性をともなった轟音だ。サウンドで頭を吹っ飛ばされたい方はぜひチェックしよう(限定300枚プレス)。
 以下、レーベル資料から。

 jan and naomiやGREAT 3、GODでも活動するアーティスト、Jan Urila Sasが6年の歳月をかけて生み出したレコード作品。ラップスチールにインダストリアルな改良を加えた(半)自作楽器「清正」を用い録音された4曲はいずれも光と影が混濁し、本人が制作時にイメージしていたという冥界とこの世の狭間の世界を思わせます。 様々な電気信号から発せられるノイズに満ちた音塊は一聴するとその痛烈な凶暴性が前景化しますが、その中にふと垣間見える優しさと暖かさ、哀しみは本作の代えがたい魅力のひとつになっています。 そして、20世紀前夜に生まれた音楽の原始主義を思わせるほとばしるようなエネルギーは、Jan Urila Sasの制作への関心や意欲が飽くなきものであることを窺わせます。ジャケットはデザイナー・須山悠里によるもの。具象と抽象の間をいくようなモノクロのイメージをあしらった、レコードに刻まれた音と呼応する質感を持ったものになりました。


Jan Urila Sas
Utauhone

STEREO RECORDS
10月7日(月)発売
4.400円(税抜)/ LP(180g重量盤)

※なお、11月にはライヴもあります。

Jan Urila Sas 「Utauhone Release Concert」
会場:Shinjuku Space
https://space-tokyo.jp/
日時:2024年11月21日(木)
時間:19:00 開場 / 20:00 開演
料金:
前売1,500円+1D(700円)
当日2,000円+1D(700円)
チケット予約
チケット予約
https://space.zaiko.io/item/367134

interview with Tycho - ele-king

 ISO50という名義でヴィジュアル・アーティストとしても活動するティコは、DJシャドウやボーズ・オブ・カナダなどからの影響のもと2002年に「The Science of Patterns EP」でデビュー。トリップホップやエレクトロニカ、IDMのような風合いに郷愁を加えたようなフォーキーな作風が次第に話題を集め、2011年作の『Dive』、2014年作の『Awake』、2016年作の『Epoch』の三部作が00年代後半から10年代初頭にかけて巻き起こったチル・ウェイヴ・ムーヴメントとともにドリーム・ポップの秀作として一定の支持を集めた。この時期にソロ・プロジェクトから実質的にバンド・サウンドへと移行していき、よりスケール感の大きいクリアな音像を志向するようになる。

 文化的な刺激を際限なく求め続けていくと、遅かれ早かれどこかのタイミングで「健康」というものを軽視してしまいがちになる。もちろん自分もそのひとりだ。ある種のワーカホリック状態であることは薄々わかってはいるものの、ゆっくりすごしてじっとする方法は体力的な限界、つまりバッテリー切れを待つことのみで、適度に健康的な息抜きを楽しむような時間も余裕もパンデミック以降は失ってしまった。とはいえ、より長く音楽や文化(とそれにまつわるほどよい刺激)を楽しむためには、やはり捨て置いた健康についてどこかで再考の機会を設けないといけない気もする。

 そんななか、ティコがパンデミックを脱した2024年の晩夏に、約4年ぶりの新作『Infinite Health』をリリース。タイトルを直訳すると「無限の健康」という、いままでのディスコグラフィとは若干毛色の違うキーワードが飛び出した。グリズリー・ベアのクリス・テイラーを共同プロデューサーとして迎え、出発地点であるエレクトロニカやチル・ウェイヴの持つおぼろげな質感のみを引き継ぎつつ、よりクリアで写実的な、生の音像を追求することを目指したアルバムとなった。従来の陶酔感あふれるダウンテンポな作風からモードを一新し、全9曲中7曲のBPMが110~130というダンサブルなつくりとなっていることも特徴的で、イタロ・ディスコの香りもただようインディ・ダンス風味の作品として自身のディスコグラフィに新風を吹きこんでいる。実際、近年はティコ名義ではいままで挑戦してこなかったDJセットにも意欲的なようで、音楽の原体験がダンス・ミュージックであり、かねてから影響を受け続けているとも公言している。いわば、パンデミック下で自身の生活を見つめなおすとともに、改めて原点に立ち返ろうとした作品であるとも考えられる。今回ele-kingでは、コロナ禍のタームを通りすぎ健康や日常生活へも意識を向けはじめたスコット・ハンセンに、久しぶりに話をうかがった。

やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。

通訳:お元気ですか?

スコット・ハンセン(Scott Hansen、以下SH):元気だよ。いまはちょうどツアーに出発するところで、倉庫から荷物をおろして、バスに荷物を積み込んだところなんだ。

忙しいなか、お時間をつくっていただきありがとうございます。現在も引き続きお住まいはサンフランシスコですか? 東京は猛暑で大変ですが、そちらはいかがでしょう。気候変動の影響はありますか?

SH:いや、いまは湾を渡ってオークランドの近くに引っ越したんだ。オークランドに引っ越したのは家庭を築いて子どもができたから。子どももいるし、もう少し広々とした場所で、親の近くに住んだ方がいいと思ってね。オークランドの気候はサンフランシスコと比べると最高。世界で一番良い気候なんじゃないかってくらいだね。いつも暖かくて、だいたい21度くらい。毎日いい天気だし、暑すぎることはないし、寒すぎることもない。サンフランシスコはいつも寒くて風が強くて、天気がいい日は年に数週間しかないからね(笑)。

2020年の前作『Simulcast』から少し間が空きましたね。この間にはもちろんパンデミックがあったわけですが、この4年のあいだにあなたの人生でなにか大きな変化はありましたか?

SH:やはり一番の変化は家庭を持ったこと。物事に対する考え方が変わったし、ワーク・ライフ・バランスも変わった。あともちろん、コロナがきっかけで立ち止まり、この10年間がどんな時間だったか、そしてこれからの10年間はどうであるべきか、自分は音楽をどんなふうに人に聴かせたいかを考えるきっかけができた。あの期間は、自分のキャリアを一時停止して、ただ人生に集中し、ひとりの人間として自分が将来どうありたいのかということと仕事の折り合いをつける、ほんとうにいいきっかけになったと思う。

新作『Infinite Health(無限の健康)』に寄せたメッセージでは、「我々にほんとうに必要なのは肉体的、精神的に健康でいることであり、誰もが家族や友人が永遠に健康であることを願う」とおっしゃっていましたね。ご自身や家族、友人たちの健康へと意識が向かうようになった出来事がなにかあったのでしょうか?

SH:さっきも少し話したけど、やはりパンデミックがきっかけだったんだ。健康とはなにか、健康であることとはなにか、健康であることがどれだけ幸運なことなのか、そして世界、地球、人びとの精神的健康、人びとの身体的健康、これらすべてを見直すことになった。2010年から2020年までの10年間は音楽とキャリアに集中していたから、心身の健康が後回しになっていたんだよね。その期間はその期間で、音楽と自分のキャリアを結びつけ、それを優先させるいい機会だったとは思うけど。でも全体的に見れば、それは束の間のものでもある。肉体的であれ精神的であれなんであれ、いまこの瞬間に健康でいるからこそそれができるわけで。パンデミックを通して、最もポジティヴな影響を人びとに与えるためには、まずは最も強い自分である必要があると思うようになった。そこで、仕事とバランスをとろうとしたんだ。そのほうがうまくバランスがとれて健康的だからね。ぼくはちょっと仕事が好きすぎる傾向があるから(笑)。

健康のためになにかしていることはありますか?

SH:肉体的にも精神的にも、より健康的な自分になるために必要なこと、そして家族のために必要な人間になるためにやるべきことに、もっと耳を傾けるようにしている。だから、エクササイズに集中したり、仕事から離れて普通の人たちと同じことをする時間をつくったりして、仕事や音楽に没頭しすぎないようにしているんだ。そしてそれと同時に、音楽に費やす時間を最大限に活用して、最高の音楽をつくるようにしているよ。

過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。

新しいアルバムは、インディ・ロックのギター・サウンドとイタロ・ディスコの融合といえそうです。今作は「自分たちのルーツに忠実でありながら、可能な限り異なるサウンドにしよう」というのがコンセプトだったそうですね。

SH:ロックの要素をより多くとりこむ方向には前から動いていたんだよ。そしてこのアルバムでは、もっとエネルギッシュでダンスっぽい方向にも向かいたかった。それが最初のアイデアだったんだ。今回は、できるだけ違うサウンドのアルバムをつくろうと思ってね。プロデューサーとして、ミュージシャンとしてどんなに頑張っても、ぼくには声があって、いつもぼくらしい音になってしまう。だからこのアルバムが根本的に違っているとは思わないし、ティコとして認識できなくなるようなサウンドだとも思わない。自分たちらしさを消したいとも思わなかったし、今回のアルバムは馴染みのサウンドを残しながらも進化を感じさせたり、新しい方向へ導いてくれるような作品にしたかったんだ。

通訳:こうした方向性に舵を切ったきっかけ、インスピレーションはなんでしたか?

SH:インスピレーションがあったというよりは、ぼくは長い間、このサウンドとアイデアを追い求めていたんだ。でもそこからちょっと一休みして『Weather』をつくった。あのアルバムは、音的には同じような感じだったけど、ヴォーカルを加えたことで、ちょっと違う実験的な作品になったと思う。そしてそのあと、また長い休みをとった。で、もしインスト・アルバムに戻るなら、そのときはちょっと違う視点からアプローチする必要があると思ったんだ。

今作の制作中、とくによく聴いていた音楽はありましたか?

SH:正直、音楽制作をしているときはあまり音楽を聴かないんだ。長い一日を音楽制作の作業に費やしたあとは、耳を塞ぎたいくらいだからね(笑)。でもここ数年でもっと多くのことをやるようになったと思うし、そのひとつがDJセット。だからダンス・ミュージックが音楽に大きな影響を与えているのはたしかだと思うね。でもまあ、ダンス・ミュージックからは常にインスパイアされてきたし、自分が音楽にハマったきっかけもダンス・ミュージックだったけど。でも、今回のアルバムに収録されている曲は、なにか特定の音楽を参考にできあがったものではないと思う。

バンド・サウンドとダンス寄りのエレクトロニック・ミュージックを融合させるうえで、とくに意識していることはありますか?

SH:意識していることは特にはない。ただ純粋にエレクトロニックなものを用いてひとりでつくった曲もあれば、ザック(・ブラウン)と一緒につくった曲もある。最終的には25曲くらいできたんだけど、そのなかからバランスよく、ダイナミックでいろいろなタイプの曲が入ったアルバムになるように選んでいった。まずたくさん曲を書いて、それをどう組み合わせるかを考えていったんだ。

[[SplitPage]]

今回、共同プロデューサーにグリズリー・ベアのクリス・テイラーを迎えた理由を教えてください。彼とはどのような経緯で出会ったのでしょう?

SH:ぼくがグリズリー・ベアの大ファンだから(笑)。ぼくにとって、とくに『Painted Ruins』は音的にかなり惹きつけられるアルバムなんだ。まず自分にとってお気に入りのアルバムをリスト・アップしてから、そのアルバムを誰がミックスしてプロデュースしたかを調べていたら、クリスが『Painted Ruins』だけでなく、そのリストに載っていたほかの作品のエンジニアとプロデュースも手がけていたことがわかってさ。そこで彼にコンタクトをとってみたんだ。そしたら、幸運にも彼も一緒に仕事をすることに興味を持ってくれた。彼と一緒に仕事をした経験からはほんとうにインスパイアされたよ。

通訳:それまでクリスに会ったことはなかったんですね。

SH:というか、いまだに彼と会ったことはない(笑)。彼はバルセロナに住んでいるから、すべての作業をリモートでやったんだ。最終的には会おう、と最初は話していたんだけど、結局同じ部屋で作業するということはぼくたちにとって必要なことではなかった。個人的には、ある意味あの電報のやりとりのようなやり方がアルバムの仕上がりにいい影響をもたらしたと思う。リモートで作業したおかげで、彼のミックスを何度も時間をかけて聴いて、じわじわと理解することができたからね。

今回、彼が果たした役割を教えてください。バンド・メンバーとクリス・テイラーと、どのようなプロセスで制作を進めていったのですか?

SH:彼は、ほんとうにアグレッシヴな中音域を持っている。ぼくは彼の中音域の扱い方が大好きなんだ。ぼくは中音域の高音が大好きで、それを押し出すのも好きなんだけど、それをやろうとすると荒々しく醜いサウンドになってしまう。でもクリスはその周波数帯域と特別な関係を持っていて、押し出し方がうまいんだ。ドラムの扱い方といい、その他色々、彼はサウンドを駆り立てながらも、有機的で心地よい空間へと押し込んでいく。そして、そのサウンドに新しい命やエネルギーを与えるんだよ。それこそがぼくが求めていたものだった。彼には、エレクトロニックな要素をとりいれつつも、そのサウンドをロックやインディ・ロック・バンドがシンセサイザーやギターを扱うように扱って欲しかったんだ。彼はそれを得意としているからね。

ちなみに、グリズリー・ベアないしクリス・テイラーの作品ではどれが一番お好きでしょうか。やはり『Painted Ruins』ですか?

SH:そうだね。あれは傑作だと思う。ミックスの仕方、ベースの音、ドラムの音、すべてが調和している。ほんとうに美しい作品だと思うね。

全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。

今作のテーマは「未来への希望と過去へのレクイエム」だそうですね。ここでいう「過去」とはどのようなものでしょうか? たとえばあなた個人にとっての過去、これまでの作品だったり、あるいは若いころのことですか? それとも、より広い社会的なことだったり流行だったりを指しているのでしょうか。

SH:過去と折り合いをつけて、過去と和解することがテーマなんだ。そして過去のことで後悔したり、自分を追い詰めたりしないこと。それはほんとうに重要なことだと思う。ぼくにとってのここ10年間は、ただただクレイジーで、あっという間だった。だから、いまになってそれを振り返り、すべてを理解しようとするのは難しいんだ。でもその代わりに、これから先もっと良い結果を出すことがほんとうに重要なことだと思うようになった。過去には囚われたくないし、未来にこだわることもない。いまを大切にし、今日できることをすべてやって、よりよい結果を出していく。そうすれば、おのずと未来は解決していくと思うんだよね。もしぼくが過去や未来にとらわれすぎていたら、いまこの瞬間もきっと集中できていなかったかもしれないし。ぼくはノスタルジックな人間で、過去を振り返りがちなんだ。もちろん、過去から学ぶべきことはたくさんあると思うし、反省する必要もあると思う。でも、それをやりすぎるのはあまり健康的ではないと思うんだ。

最後の曲は “Epilogue” というタイトルです。これはシンプルに、この新作の最後の曲という意味でしょうか。2006年に〈Merck〉からリリースされたファースト・アルバムは、シェイクスピアを引用し、『Past Is Prologue』と題されていましたが、それと呼応していたりしますか?

SH:そう。あのアルバムがはじまりで、このアルバムがひとつの終わりのような気がしたから最後のトラックを「Epilogue」にしたんだ。全体的な終わりではなく、ある時代の終わり。今回は、『Past Is Prologue』の時代にもどるようなアルバムをつくりたかった。そして、ぼくがそれをやるのはおそらく最後だろうと思ってね。次につくる作品は、今回のものとはまったく違うものにしたいから。『Weather』のときみたいに、また新しいなにか、これまでにつくったことのないものをつくってみたい。そういう意味で、今回のアルバムは、一つの時代全体の締めくくりみたいに感じられたんだよ。

今年は、ファースト・アルバム『Past Is Prologue』のもとになった『Sunrise Projector』(2004)からちょうど20周年です。この20年を振り返ってみて、いちばん大きな転機はどこにあったと思いますか?

SH:音楽がぼくのキャリアになり、生活するための仕事になったことは、ぼくの人生におけるもっとも大きな変化だったと思う。この仕事にすべての時間とエネルギーを注げるようになって、ほんとうに充実した経験をさせてもらえていると思うね。

さまざまな問題にあふれている現代では、なかなか未来に希望を持ちづらい人も多いかと思います。ついついネガティヴになってしまいそうなとき、未来に希望を持つためのコツのようなものがあれば教えてください。

SH:それはとても大変なこと。近頃は皮肉屋になることは簡単だし、ぼく自身も時々そうなってしまってほんとうに落ち込むこともある。特に子どもがいると、希望を持てない未来を見るのは辛いしね。でも、SNSやニュース、メディアから自分を切り離すこと、そういったものをとりいれるにしても適度に保つことはできると思う。適度にとりいれる分には、SNSはとても助けになると思うしね。知っておく必要があることもあるし、避けられない現実もあるけれど、同時に、日常生活のなかではそれらを心に留めておくように最善を尽くす。それがすべてなんじゃないかな。未来のことを難しく考えすぎると、脳が爆発してしまう。だから、“いま”のことを考え、いま自分ができることをやっていけたらいいんだと思う。自分が無力だと感じるような、そして世界の問題の大きさを感じるような瞬間があるけど、ぼくはただ、音楽と、ミュージシャンとしてのぼくができることはなにかを理解し、それを通してポジティヴな影響を与えることができたらいいと思ってる。それが世界の問題を解決することになるとはもちろん思わないけど、自分ができることをやってその役割を果たし続けることができればそれで良いと思うんだ。それ以上のことを考えたって、どうすればいいか見当もつかないからね。そうして悲観的になってしまうよりは、いまできることを大切にしたほうがいいと思う。

新作のジャケットは、草原のなかに浮いている巨大な球体が印象的です。今回あなたはアートワークにも関与していますか?

SH:今回はフラン・ロドリゲスというアーティストを見つけ、彼と一緒にアートワークをつくったんだ。彼は写真コラージュのようなとてもクールな作品をつくっていて、ぼくが『Dive』時代にやっていたようなことをやっている。今回は70年代のアルバム・ジャケットのような、シュルレアリスム的な雰囲気がほしいと思ってその方向で行くことにしたんだけど、ぼくは彼の作品をかなり気に入ったし、そのアイデアには彼がぴったりだったんだ。できあがりにはかなり満足しているよ。

これまではオリジナル・アルバムを出したあと、リミックス・アルバムをつくるときとつくらないときとがありました。今回リミックス盤の予定はありますか? あるとしたら、いちばん参加してほしいプロデューサーはだれですか?

SH:つくりたいとは思うけど、まだそれについて考える段階にまで達していないんだ。だからいまのところ予定はない。でも、もしつくるとしたら、参加してほしいのはダスカス(Duskus)かな。あとはジョイ・オービソン。ぼくは彼らの音楽が大好きだし、彼らがリミックスでどんな仕事をするのか聴いてみたいから。

通訳:以上です。今日はありがとうございました。

SH:こちらこそほんとうにありがとう。またね!

Mark Fisher - ele-king

 こんなご時世であるから、当たり前だ。いろんな国でいろんな人が、政治的良心を歌に、曲に託している。もうずいぶん昔から、60年代から、良いことを言っている歌、メッセージ、そういうものはたくさんある。そしてそういう曲に熱狂したりする。だが、そのすぐ直後にため息が出てしまう人もいる。これが続いてほんとに自分は楽な気持ちになれるのだろうかと。あるいは、その熱狂にいまいち冷めている自分を責めてしまう人もいるかもしれない。抵抗とか反抗とか、威勢の良い言葉にいまいち乗り切れない自分はダメなのかと思ってしまう人だっていよう。マーク・フィッシャーという思想家は、言うなればそうした「ため息」の意味を解明し、そうした「冷め」をどうしたら「ため息」なしの熱狂へと、どうしたらほんとうに人が楽になれるのかをとことん考えていった人だった。
 カウンター・カルチャーをお経のように何度も唱えることがカウンターでもなんでもない、いや、それこそじつは新自由主義のリアルであることはみんなもうわかっている。ひと昔前では雑誌がこうした文化をスタイリッシュに見せることに腐心したものだったが、過去を「すでに起きたもの」として語り直されること、懐古主義に還元されることは、あのとき爆発しようとしていた夢の力を無効化することであり、同時に、それは資本主義の新しい精神すなわち新自由主義に荷担することだ、とフィッシャーは考える。過去ほど安全なものはない。だいたい自由という概念は、パンクの歴史書『イングランズ・ドリーミング』にも書いてあるように権力の側に盗用されてしまったのだ。
 しかしながら、過去の語り直しのなかで、きわめて政治的に、あるいは反動的に、抑圧され、消去された、潜在的な可能性があるのではないか、かつて60年代的な抵抗文化を嘲笑する側にいたであろうフィッシャーは、労苦から解放される世界へと踏み出すための考察において、そう思い立った。そして、70年代とは、60年代の二日酔い、運動の縮小化、しらけの時代などという一般論をひっくり返し、じつはその地下水脈において継続された「カウンター」がより躍動した歴史的な瞬間を調査する。
 それは、若者のサイケデリック文化と呼ばれたものと労働者階級による労働運動という同じ時代を共有しながら反目し、乖離していたものをなんとか接続させることで、「60年代が新自由主義を生んだ」という定説を超えようとする試みである、とここでは言っておこう。集団よりも個人が大事という考え方を植え付けられる前にたしかにあった、「自由になりえたかもしれない世界」の亡霊をいま呼び起こすために。これがフィッシャーの未完の論考、その草稿となった「アシッド・コミュニズム」の入口だ。「資本主義リアリズム」が集団的不幸の理論であったとしたら、「アシッド・コミュニズム」は、そのアンチテーゼとなるべき「集団的精神構造」への未完の路線図だったとは訳者あとがきの説明である。この「アシッド・コミュニズム」という言葉を、フィッシャー自身も挑発的だが「ふざけた言葉だ」と自嘲するが、同時に「そこには真剣な狙いがある」と述べる。彼はそして、ビートルズとテンプテーションズのサイケデリックな瞬間(“ア・デイ・イン・ザ・ライフ”と“サイケデリック・シャック”)を引っ張り出し、論を進めていく——。

 9月30日刊行の『K-PUNK:アシッド・コミュニズム——思索・未来への路線図』(セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉・訳)にて、『K-PUNK』全三巻が揃う。既刊には、『夢のメソッド——本・映画・ドラマ』(坂本麻里子+高橋勇人・訳)、『自分の武器を選べ——音楽と政治』(坂本麻里子+高橋勇人+五井健太郎・訳)がある(全巻デザイン:鈴木聖/写真:塩田正幸)。これでマーク・フィッシャーの主要書籍は、すべて日本語訳になった。
 マーク・フィッシャーをなんとなくの印象で語ってしまう人は、彼の「資本主義リアリズム」を「うちら資本主義に支配されているし、資本主義ダメじゃん」、という程度の話だと勘違いしていることが多い。あるいは「世界の終わりは想像できても資本主義の終わりは想像できないよね」、とか。いや、そういう話ではなく、彼が強調したいのは、そういう風に思わされてしまっている「リアリズム」の話なのだ。「リアル」なものなど信用するな。フィッシャーが「サイケデリック」すなわち意識の変容をいまさらながら再訪することは、たしかにひとつの道筋としてある。
 『アシッド・コミュニズム——思索・未来への路線図』の前半に掲載された、生前彼がメディアで受けたインタヴュー集には、語り言葉で「資本主義リアリズム」を説明しているがゆえにもっともわかりやすいガイドになっている。また、ここには『K-PUNK』においてもっとも炎上し、もっとも批判され、もっとも物議を呼んだ「ヴァインパイア城からの脱出」も収録されている。SNSに見られるリベラルの過剰さ、近視眼的なアイデンティティ議論の洪水に疑問を呈している方には必読のエッセイで、これは訳者あとがきといっしょに読んで欲しい。

 つい先日、話題の『HAPPYEND』がいま封切り前の映画監督、空音央氏に取材した際、きっと好きだろうなと『K-PUNK』全三巻を持っていったら、「フィッシャーじゃないですか!」と思っていた以上に喜ばれてびっくりした。まったく、嬉しい驚きである。原書で『資本主義リアリズム』を読み、「ものすごく影響を受けている」とまでいう空監督は、『K-PUNK』も原書で読んでいたようだった。彼に限らず、マーク・フィッシャーが2010年代以降、若い世代にもっとも影響を与えた思想家/批評家のひとりであることは、これまでで計5冊の訳書を出した経験からもよくわかっている。ぼくといえばフィッシャーの、音楽をはじめ映画やドラマ、SF文学などの大衆文化のなかから、じつに示唆に富んだ言葉や政治性、そして考え方のヴァリエーションを独創するその名人芸にずっと惹きつけられていた。日本で最初にフィッシャーを引用したのはぼくだと思う。フィッシャーがまだ生きていたころ、Burialのライナーのなかそれこそ彼のブログ「k-punk」からの一節をつたない日本語訳で引用した。彼はまた、『Wire』においてマイク・バンクスにインタヴューした人物でもあった。ぼくは彼のその記事で見せたデトロイト・テクノ論にも魅了されていた(URが標的にした “プログラマー” こそ「資本主義リアリズム」なのだし、フィッシャーはURがフィクションを通じてメッセージを伝えることに共感を寄せていた)。
 フィッシャーは大衆文化にこだわった。労働者階級出身である10代の彼に、音楽こそが(高度な教育を受けていなければおおよそ出会うことのない)哲学や文学を教えてくれたからだ。フィッシャーが「資本主義を終わらせる」といういまではお決まりの科白ではなく、もちろん「労働を通しての自由」でもなく、「抑圧的な労働そのものからの自由」に向かったのも、彼が生涯を通じて不安定な経済状況のなかで生活してきたことも影響しているに違いない(『K-PUNK』は主にブログをまとめたものなので、そうした彼の生活感も垣間見れる)。前衛よりも大衆性の側に立とうとしたのも労働者が好む文化の肩を持ちたいからだろうし、しかし彼は単純化された物語に対する抵抗感も隠さず、「大いなる拒絶や異議申し立て」が時代の遅れのロマン主義であるという認識もあった。そんな手垢のついた「反抗」では「資本主義リアリズム」の時代に通用しない。もしくは、「オルタナティヴ」が資本主義文化とは相容れない「異なる生きたかのイメージ」としての文字通りの「オルタナティヴ」ではなく、「同じ生き方のなかの変人」の一種へと転じてしまうことも見逃さなかった。「オルタナティヴ」はそうなってはならない。あくまで、この社会とは相容れない「異」でなければ。フィッシャーは、研究と経験のなかで自分の思想を(それこそ過去の自分の言葉に執着せずに)修正し、執筆活動のなかでどんどんハードルを上げていった。「フィッシャーのヴィジョンに私たちはまだ追いついていない」、とホーリー・ハーンドンは語っているが、21世紀もそろそろクォーターに差し掛かっている現在、彼が残した診断がほとんど当たっている以上、その言葉はいまも未来への指針としての力を失っていない。(野田努)


K-PUNK アシッド・コミュニズム──思索・未来への路線図

マーク・フィッシャー(著)セバスチャン・ブロイ+河南瑠莉(訳)


K-PUNK 自分の武器を選べ──音楽・政治

マーク・フィッシャー(著)坂本麻里子+髙橋勇人+五井健太郎(訳)


K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ

マーク・フィッシャー(著)ダレン・アンブローズ(編)サイモン・レイノルズ(序文)坂本麻里子+髙橋勇人(訳)

interview with Jon Hopkins - ele-king

 サウナ・ブームがいまだにある程度の盛り上がりを維持し続けているのは結構なことで、むしろ安易に乗っかったような人たちが、あのダウナーな魅力に取り憑かれて残り続けているのだろうと想像している。そうすればもはや敵視する対象ではない。情報の過剰摂取で脳が肥え太っている我々には、あのような嗜好品類に頼らないセラピーの一時が必要なのだ。
 自分にとって銭湯やサウナなどの温浴施設に通うことは教会や告解室に向かう営みに近く、同年代の客層をほとんど見かけなかったブーム到来以前から十数年ほど続けている。とにかく落ち着きがなく衝動的で、不注意ゆえの失敗を幾度となく繰り返し、頭のなかは常にダンプ・データで埋め尽くされている自分を強制的に落ち着かせるためには、あらゆる情報をシャット・アウトして、裸になってゆっくり浴槽やサウナ室で過ごしたり、薄暗い休憩室でまどろんだりするほかに手がない。肩肘を張らずにメディテーティヴな一時を過ごし、深い落ち着きを得るための、自分にとって唯一と言っていい救済措置として長年助けられている。

 前作『Music For Psychedelic Therapy』でサイケデリクスによってではなく、アマゾンの巨大な洞窟での3泊4日ほど過ごした体験をもとにして、音楽そのものによって別の世界に到る手引きを試みたジョン・ホプキンス。ティーンエイジャーのころからすでにプロ・ミュージシャンとして活動をスタートさせていた彼は、その長いキャリアのなかで次第に瞑想やヨガといった体験を通し、カウンター・カルチャーのなかで生まれたサイケデリック・セラピーへの関心を示すようになった。2014年作『Immunity』ではインダストリアル気味なIDM~ベース・ミュージックとたおやかなエレクトロニカ~アンビエントが同居していたが、年を経るにつれてその比率は次第に崩れ、どんどんと静謐かつサイケデリックな質感へ傾いていった。

 最新作『RITUAL』は、前作に引き続き直球的な「儀式」というタイトルの名を関した全8章構成のフル・アルバム。ショート動画の隆盛によってただでさえ奪われていた人類の集中力はさらに悪化の一途をたどっており、音楽産業のセオリーも「より短く、より過剰に、より華美に」変化しつつあるが、そうした潮流に真っ向から反旗を翻すようなシームレスな作りとなっている。本作はホプキンス自身もそう言及しているように、むしろ41分のワン・トラックとして聴かれるにふさわしい機構を備えており、深く潜るような聴き方をすべき作品であると断言できる。

 さて、そんな『RITUAL』の着想源となったのは、2022年にホプキンスがロンドンで参加したストロボ効果で視覚刺激を引き起こす「ドリームマシーン (Dreamachine)」という装置を介しての集団的リスニング体験プロジェクトだという。Dreamachine、つまり「夢みる機械」というこの装置は光と音による深い没入感を参加者に与え、体験を経て生きることの意味を再考してもらったり、疲弊した心のケアの一助となることを目的としているようで、うっすら疑似科学的な匂いもしないではないものの、僕にとってのサウナ施設のように、そこでしか得られない安らぎもきっとあるのだろう。

昔の人間はとても長い音楽を聴いていたし、そんなに珍しいことではなかったわけで、それを取り戻そうとしているんだ。

新作がリリースされて10日ほどが経ちますが、なにか嬉しいリアクションはありましたか?

ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins、以下JH):世界中のいろんな都市で新作のリスニング・セッションをおこなっているんだけど、その反応がすごくよくてとても嬉しいね。たしかちょうどいま、モントリオールでやっているはず。バンクーバー、サンティアゴでもやったし、ロンドンでもやったんだ。結構激しい反応もあって、理屈抜きで受け取ってくれる人も多いみたいだ。素敵なコメントを見つけたんだけど、リリース当日にグループで集まって聴いてくれたようで、スタジオにキャンドルを灯して自分たちなりの儀式をしたらしい。まさにそういう反応を望んでいたから嬉しかったね。

「サイケデリック・セラピー」をテーマとした前作の背景には、エクアドルのアマゾンの洞窟で過ごした体験がありましたが、前作から今作のあいだに起こったことで、あなたにとって大きな出来事は何かありましたか?

JH:今回はそういう特定のアドベンチャーがあったわけではないんだ。外の世界ではなかったけど、自分の内なる世界では多くの冒険があったよ。アルバム冒頭部分は、僕も参加した「Dreamachine」というインスタレーションに影響を受けているんだ。本当の大きな変化は、それはおそらく以前よりもコラボレーターたちとの作業が増えたということじゃないかな。今作には友だちや素晴らしいミュージシャンたちが関わってくれていて、僕にとってはちょっとした旅のような経験だった。なにもかも自分だけでやってしまうのではなくて、より広がりのある作り方というか。素晴らしく励まされる経験だったね。創作中に壁にぶつかったり、なにかが自分の思っていた方向に進んでいないと感じたりしたときに、友だちやコラボレーターという頼もしい存在がいて一緒に考えてくれて。それであっという間に物事が前に進んだりして、作ることをより楽しめたよ。

いま言ったように今回のアルバムは、イギリス政府も資金援助している、「Dreamachine」というプロジェクトのために作曲した楽曲から生まれたものだそうですね。「Dreamachine」とは、複数人が共同で幻覚を体験するための装置のようですが、具体的にどういうものなのでしょうか?

JH:複数人での集団的リスニング体験で、参加者が目を閉じているところでストロボ・スコープの光が明滅するんだ。正確な理屈や理由は分かっていないけれど、光が一定の頻度で明滅すると人間の脳が様々な光景と瞑想状態を生み出して、明滅する速度によって見えるものが変わったり、人によって見るものが違ったりする。つまり本質的にはその人自身の心や脳の内容を見ているということ。非常に面白いプロジェクトで、今後も続いていくし、願わくば世界各地をツアーして多くの人に体験してほしい。僕にとってはこのアルバムの素晴らしいスタート地点にもなったからね。「Dreamachine」の仕事が終わったあとに、かなり方向性が変わったんだ。あのプロジェクトに参加できて本当に良かった。

ウィリアム・S・バロウズの著作はこれまであなたに影響を与えてきましたか?

JH:実は読んだことがなくて。あの世界についてはあまり知らないんだ。

いまは短い断片だけを聴くというような聴き方で、そこに迎合する音楽がたくさんあって。今回僕はそれに迎合せずに作った(……)深く潜り込んで聴くよう誘っているんだよ。

今回のアルバムのインスピレーションには「英雄の旅」もあるようですが、古代や神話にアイデアをもとめた背景には、現代文明における疲労が関わっていますか?

JH:面白いことに、僕の仕事のやり方は、実際にはなにかにアイデアを求めることはなくて、すべて直感で、自分のアイデアがどこから来ているのかはあまり考えない。でもアルバムを完成させたら、それを世界にどう提示するか、作ったものを言葉でどう表現するかを考えなければいけなくなるわけだ。本来はサウンドを言葉に翻訳する必要がないというのが理想だけどね。なぜならそのサウンドが物語のすべてだから、アルバムについて自ら進んで語りたいことというのはこれまでも特になかった。でも僕らが生きるこの世界ではそうはいかなくて、人びとはなぜ自分がそれに時間を費やすべきなのかを納得する必要がある。でも興味深いことに、作り終わってから追想する形で自分が深層心理的もしくは潜在意識下でなにを考えていたのか分析したときに、作品の流れが古典的な「英雄の旅」と同じだと気づいたんだ。ただ、たしかに古代であり神話ではあるんだけど、それは現代にも通じるどころか完全にいまのものでもある。多くのメジャー映画も本も同じストーリーの流れだからね。僕にとってはそれが内なる物語だったというか、勝てないと思う戦いで最後の最後で勝つとか、あるいは人生を捨てた放蕩者が後に自分の目的を再発見して本来の自分に戻って家に帰ってきたように感じるといったこと。古典的なものだけど、それが音楽に表れていたことが興味深かった。それは作り終わってから分かったんだ。
 我々は皆、さまざまな問題を抱えているわけだけど、それは人間がそこに住むべく進化してきたような世界に住んでいないからだと思う。これまで常に独自のペースで変動しながら自己改善していく自然なシステムの中で暮らしてきて、人間はそのほんの一部に過ぎなかったのに、なにもかもを科学と建物で塗り替えてしまい、極限まで人間が増えて動物が減り、その結果として人類は種としていまいろんな課題に直面しているんだと思う。だから、それに反抗するために僕らができる小さなステップのひとつは、深層にある動物的自己と意識に再びつながることだと思う。高尚なことを言っているように聞こえるかもしれないけど、でもこのアルバムと前作で僕がやろうとしているのはそういうことで、一時的に失われたなにかに再接続してほしいという思いがあった。そういうエンパワメントの作品を作りながら、それが自分自身にも影響があって、作ったことで強くなったと感じられたからすごくよかったよ。

8月に公開された、『the Quietus』のお気に入りの12作を選ぶ名物企画「Baker's Dozen」で、クラスター&イーノ “Ho Renomo” を選んでいましたね。そこであなたは「わたしたちの注意はつねに攻撃にさらされている」「ほんとうに音楽に没頭できるかどうかは、携帯電話を部屋から追い出して、WiFiを切ることにかかっている」と仰っていました。今回8つのパートをシームレスにつないだのは、40分間、音楽に集中してもらいたかったからですか?

JH:もちろんそう。元々8つのパートに分かれていたわけではなくて、全部でひとつの作品だけど、契約上というか現実的、物流的理由で分けたまでで。だから本来は分かれていなくて、聴いてもらったとおり曲と曲の間に隙間がないんだ。僕はアーティストの仕事とは、もしアーティストとしての良心があるなら、自分がこの世界で聴きたいと思うものを作ることだと考えていて。その際には、いまの音楽の聴き方の枠組みから外れるものを作るリスクを取ることになる。いまは短い断片だけを聴くというような聴き方で、そこに迎合する音楽がたくさんあって。今回僕はそれに迎合せずに作ったから、その結果として当然聴く人は少なくなるだろうけれど、より深いリスニング体験になることを願っている。今後は、より長い集中力を取り戻そうとする人がもっと増えるんじゃないかと僕は思ってるし、このアルバムも、深く潜り込んで聴くよう誘っているんだよ。そこには時間を拡張する効果があって、聴いていると時間の経過かが分からなくなるくらいの素晴らしい冒険になる。だからこそ没入感のあるいい音で聴いてほしいし、そうじゃないとあまり意味がなくなってしまう。とにかくいろんな意味で“普通のアルバム”ではないから、ちゃんと体感したければ、普通のアルバムとはなにかってことを忘れた方がいいかもしれない。昔の人間はとても長い音楽を聴いていたし、そんなに珍しいことではなかったわけで、それを取り戻そうとしているんだ。

前作リリース時のインタヴューの際、前作『Music For Psychedelic Therapy』は「アンビエントではない」と仰っていましたが、新作『Ritual』もやはりそう呼ばれるべきではない作品でしょうか?

JH:そうだね。アンビエントはブライアン・イーノ独自の定義を参考にしていて、それによるとアンビエントとは「無視できるけど注目すればそれに報いるもの」。あとアンビエントという言葉は、電子音楽のなかでも優しい感じのサウンドが多く使われているスタイルと結び付けられていると思う。それだけを取ってもこのアルバムはアンビエントとは言えないと個人的には思う。『Music For Psychedelic Therapy』はリスナーが生息できる音楽的構造物のようなもので、ゆえに深い没入型のリスニングをお勧めしたいし、それは自分を深く掘り下げるためのものであって、BGMではないしアンビエントとして聴かれるべきものでもない。『Ritual』はさらにそうで、非常にラウドで強いクライマックスがあって、作品全体がその極限のカタルシスに向けて高まっていくから、アンビエントとはまったく関係がないもので。アンビエント音楽にはその定義からしてストーリーがないからね。一方『Ritual』にも前作にも物語があるんだ。

空白、まっさらなキャンバスのようなもので、誰もが1日のうちにおこなう儀式のようなものがあるというか。お茶の淹れ方でも食事の作法でもなんでもいいけど、なんらかの深い実践。

今回のアルバムは「儀式(ritual)」と題されています。これには宗教的な含意があるのでしょうか? それとも、たとえば「シャワーを浴びるときは頭から洗う」のような、あるいは先ほどの「音楽を聴くときはWiFiを切る」のような、個々人それぞれの習慣的なニュアンスでしょうか?

JH:いや、頭から洗うとかではないかな(笑)。宗教的なものでもなくて、このタイトルは空白、まっさらなキャンバスのようなもので、誰もが1日のうちにおこなう儀式のようなものがあるというか。お茶の淹れ方でも食事の作法でもなんでもいいけど、なんらかの深い実践。個人的に宗教という言葉は使わないし、それがなにかはリスナー次第だと思うけれど、手がかりはトラックのタイトルに全部あるし、フィーリングやサウンドにもヒントがある。僕にとっての意味を言ってしまうと、どうしてもそれがリスナーの聴き方を左右してしまうと思うんだ。

宗教は人間にとって救いやシェルター、日々の励みとなる側面がある一方で、多くの対立や戦争も生んできました。何かを信じる、信仰するということは、あなたにとって、どのような意味を持ちますか?

JH:宗教的な信仰の悪用は現代世界最大の問題で、組織化された宗教に伴うナンセンスや教義をよそに、本来精神的な経験ほど個人的なものはないんだ。その人の内なる世界、内なる風景は極めて個人的なもので、これ以上に個人的なものなんてない。だからほかの人間がそれに構造を与えることなんてできないし、すべきではない。存在する多くの宗教が神聖な世界へのアクセスと、神聖がなにを意味するかということを制御しようとしてきた。それを取り戻そうとする試みは、この時代に起こり得ることだと思うし、人びとは自分自身の中にある強大な力を発見しつつあると思う。それもこのアルバムのテーマのひとつなのかもしれない。

これまでのアルバムでもそうですが、あなたが「物語(物語性)」に惹きつけられるのはなぜですか?

JH:長編の音楽、年齢を重ねてきた僕がいま作っているような音楽は、通常のアルバムよりもおそらく映画に近い気がする。よくあるアルバムの作り方として、30から40曲ほど書いてそこからベストの10曲を選んで曲順を決めるという方法があるけど、僕の場合はいつも聴かれる通りに頭から作るし、どういう順番なのかが最初から分かっているんだ。これまでに映画のスコアを手がけたこともあるけれど、言ってみれば存在しない映画の音楽を作っているような感じだな。なぜなのかは分からないけど好きなんだよね。

Seefeel - ele-king

 ロンドンのエレクトロニック・ユニット、シーフィールの6曲入りミニ・アルバム『Everything Squared』がリリースされたのは8月30日のこと。僕はすぐにBandcampでハイレゾ・データを入手して、エアコンの効いた涼しい部屋でゆっくり聴く……はずだった。
 だがしかし。日本はこの時期、迷走を繰り返して列島を行きつ戻りつし、各地に大きな被害をもたらすことになる台風10号に翻弄されていたのはご存じのとおり。まずいことに僕は8月末、飛行機で西に赴く予定を入れていた。目的は京都の法然院で8月31日におこなわれる素敵なアンビエント・イベント「Electronic Evening 2024」に、昨年に続いて今年も参加するためである。
 多くの友人たちも各地から参加すると聞き、ひさしぶりに会う友人の顔を思い浮かべながら京都でなにを食べようかななどと呑気に考えていた矢先、8月22日にマリアナ諸島付近で台風10号が発生したというニュース。もっとも当初の気象庁の予測では、27日か28日には日本を抜けるコースを取るとされていたので、31日なら余裕じゃん、台風一過で澄み切った京都の青空を見れるなあ、なんて考えていたら、日が経つごとに雲行きが怪しくなってきた。抜けるはずの台風が速度を極限まで落として日本に腰を下ろしてしまう状況になり、九州地区に大きな被害が出はじめたというニュースを知ったのが出発の数日前。まもなく本州でも豪雨による道路冠水などで地上の交通網が麻痺しはじめ、やがて新幹線が計画運休をするというアナウンスが届く頃にはさすがにこれは……と焦りを隠せなくなった。ある友人はせめて前乗りしようと予定を早めて向かおうとするも、新幹線は止まり、飛行機も運休が増えるなか、かろうじてフライト可能な便は早くも満席の状況であえなく脱落。さすがに僕もこれはもう無理だろうと思い、30日に翌日のフライトをキャンセルしようと航空会社のウェブサイトにアクセスしたところ、マイルで取った特典航空券のキャンセルは電話でなければ受け付けないという記述。この状況で電話? と絶望と怒りのなか電話するも、当然のことながらいっこうにつながらない。数十回のトライのあと、キャンセルは諦めて、翌日の奇蹟に一縷の望みをかけてみることにした……というより、そうせざるを得なかったのだが。
 外の豪雨の音を聞きながら出発の準備を終え、神様お願いと祈りながらベッドに入ったところで思い出した。そうだ、今日はあれのリリース日じゃないか……ベッドから出てデスクに向かい、パソコンでBandcampのサイトにログイン。……あった。出ていた。
 翌日は早いし、ダウンロードして部屋で聴いている時間はないので、携帯電話のアプリでダウンロードしておいてそのまま寝た。

 翌朝起きると雨は小降りになっていた。航空会社のウェブサイトをチェックすると、フライトは大丈夫のようだ。急いで身支度をして羽田に向かう。チェックイン。搭乗。機体が動き出した!

 搭乗したボーイング787が厚い雲を抜けたころ、僕はようやくヘッドフォンを取り出し、13年ぶりの新作『Everything Squared』を、青空を横目に見ながらで聴きはじめた。

 2011年に、ふたりの日本人(DJスコッチエッグことベースの石原茂とボアダムスにも関わったドラマーE-Daこと飯田和久)の加入を得て制作された(これは前作から実に14年ぶりの作品でもあった)バンド名を冠したアルバム『Seefeel』は、初期の(エイフェックス・ツインも関わった)シングルからファースト・アルバム『Quique』に至るシューゲイザー・エレクトロ、〈WARP〉に移籍しての2枚のシングルとアルバム『Succour』で、同僚のオウテカにも通ずる音響彫刻的なアブストラクト・エレクトロ、その路線をさらにブラッシュアップし、エイフェックス・ツインの〈Rephlex〉レーベルからのラヴコールで制作された『Ch-Vox』へと音の抽象化を押し進めた彼らが、さらに音を粒子化して結晶化させ、それまでとは違った地平に歩を進めたことを物語る作品だったが、残念ながらそれは一種の袋小路という感もあった。そこから彼らが新たな作品を生み出すのに13年かかったということは、前作の14年とは意味合いが違う。14年という歳月の間には、メンバー間の不和と課外活動があった。オリジナル・カルテット(マーク・クリフォード、サラ・ピーコック、ダレン・シーモア、ジャスティン・フレッチャー)は、マークとサラのデュオ形態へと縮小され、2011年のアルバムではそのデュオに日本人ふたりが手を貸すというかたちで制作されたもので、カルテット時代の作品とはやはり微妙にズレが感じられるものだった。
 その後、マークとサラは2021年に過去の作品と精力的に向き合い、〈WARP〉期(〈Rephlex〉のものも含む)の作品群をひとまとめにした『Rupt and Flex (1994 - 96)』を出した。未発表曲を含むこのCDにして4枚組の大作ボックスの音楽群が、わずか3年足らずで生み出されたものということには改めて驚かされるが、この作品集から3年後にリリースされた『Everything Squared』は、やはりこのレトロスペクティヴな作業からもたらされた要素も多分に含んでいるのだろう。前作に足りないと思われた牧歌的なムード、空気が泡状になって震えるような響きがあちこちに配置されているのに気が付く。
 冒頭の “Sky Hook” が、サラの歪みながらも幽玄なヴォーカルではじまるときの懐かしい感覚。それでいながらマークの生み出す鼓動のようなビートにまとわりつく石原茂(彼はこのアルバムの冒頭2曲に参加)の深いダブベースは新しい。まるで弩級のサウンドシステムを聴いているようでもある。このダブ感覚(アルバム・タイトルもダブを思わせる)は、よりタイトになったヴォーカル・ループと相まった “Multifolds” でも持続し、しかもここには『Quique』期の彼らを思い起こさせる響きが同居している。
 3曲目の “Loose The Minus” は、初期の彼らを彷彿させもするファズ・ギターのサウンドが、弧を描くようにグリッサンドで奏でられるロー・ベースとのデュオ(珍しくこの曲には彼らのトレードマークでもあるメタリックなパーカッションが入らない)によるアンビエントな間奏曲。
 続く “Antiskeptic” は、オウテカ的なスネアと木目を感じさせるキックによるインダストリアルなビートと、ときおり混じる稲妻のようなコード音を従えた牧歌的なシンセの対比によって、その美しさがさらに倍化されている。
 サラのトリートメントされたヴォーカルをリズム的に使用したトライバルな “Hooked Paw” から密にレイヤーされたメロディが美しいラスト・トラック “End of Here” への流れは、エイフェックス・ツインやオウテカのアンビエント作品の反響と捉えられるかもしれないが、しかしここにはあの名曲 “Spangle” にも匹敵するフック、シーフィールでなければ生み出せないフックが間違いなくある。そう、シーフィールに僕(ら)が期待するものがここには確かにあり、それ以上のものも確かに存在する。

 全曲を聴き終えたあたりでちょうど飛行機は高度を下げはじめ、伊丹空港への降下を開始した。ヘッドフォンを外し、窓の外を見る。雨はもうほとんど降っていないようだ。
 空港に着いたらすぐに京都に向かい、数時間後には夜のお寺でのアンビエント・イベントがはじまる。来るはずだった友人は結局2人しか来られなかったが、素晴らしいイベントになる予感は十分にある。

 そして宴のあとの京都の夜、僕はまたひとりでこの『Everything Squared』を繰り返し聴くだろう。

Eiko Ishibashi - ele-king

 映画とはやはり映画館で観るものだ、ということは身体全体で体験的に音楽を聴いているクラブ・ミュージックのファンにはとくに通じる話だろう。まあ、そう思っていてもじっさいは配信で観てしまうものだが、映画館という装置の、時間感覚の狂わせ方にはものすごいものがある。見終わって外に出たときのあの気持ち……。

 ぼくは冒頭でやられてしまった。雪が残る森のなかを天を見つめながら歩いていく。この詩的な、絵画のように美しくもどこか陰鬱なシーンが象徴的にずいぶんと長く続く。石橋英子の音楽が流れている。言いようのない複層的な気配に胸が高鳴った。それからおよそ1時間半後に物語は終わり、画面のエンドロールを眺めながら、いや、もうただ目を開けているだけで眺めてもいなかったのだが、とにかく衝撃のあまり、しばらくのあいだ映画館の椅子から起き上がることができなかった。何というか、多様な矛盾をすべて調和させるがごとく、『悪は存在しない』はじつに静的で(ありふれた日常で)あるがゆえに圧倒し、それはたしかに、ある意味では濱口竜介と石橋英子のコラボレーションと言えるような映画だった。

 飾り気のない天候、木々、風、空、雲、雪、川のせせらぎ、子供たち、山の生活。こうして言葉を並べると、まるで心穏やかな絵画のようなだが、そこに貫通する鋭い何かから血が流れている。そんな一筋縄ではいかない局面を直視して表現することが切実なものになるのは当然なのだろう。映画を観てからそれなりに時間が経っているというのに、アルバムの最初と最後のテーマ曲を聴いていると、いまでも思い耽ってしまう。

 “Hana V.2”も気に入っている。ジム・オルークのエレクトロニクスが、ぼくにはクラウトロックめいた澄み切った荒涼を呼び寄せる。短い曲だが“Fether”における物静かなピアノも、“Smoke”における山本達久の軽快なドラムも、“Deer Blood”の突き刺すようなストリングス(バイオリン、チェロ)でさえも、眠たくなるアート系映画と違って、ものごとの見方を揺るがし、夢から目覚めさせようとしているこの映画におおらかな光と影をもたらしているように思える。

 映画を、ほとんどなんの予備知識(あらすじや批評など)も無しに、ほとんどまっさらな状態で観たことが良かったと思っている。その映画の深遠さは、映像と音楽とともにあった。映画を観たからそこのサウントドラックも聴いてみたいと思った。そして『ドライブ・マイ・カー』以上に、今回は映画と切り離して聴くことが難しい。だから自分のなかの感傷的なところが、“Missing V.2”をついつい飛ばしてしまうのだった。とはいえ、音楽作品として聴いた場合、ここには多くの魅力があるのもたしかだ。じっさいぼくの友人には、映画は観ていないがこのアルバムを繰り返し聴いているひとがいる。

 また、ぼくはこの映画を解明したいと思わなかったと言えば嘘になるが(編集部コバヤシに、読むのに多大な忍耐を要するニーチェの『善悪の彼岸』まで借りたくらいで、いわく「人間が自然に従って生きようなんて、欺瞞!」)、いまはもう思っていない。ニーチェも途中で挫折したし、自分のなかで納得がいく言葉が出てくるまで、もう少し時間がかかりそうだ。

Yoshitaka Mori - ele-king

 ストリート、といってもこれは「ストリート系」と呼ばれる商品解説ではない。むしろそうしたお決まりの箱から脱出してきた文化のお話。日本の音楽文化を政治の文脈で再解釈し、2000年代から展開されるサウンドデモ〜素人の乱〜SEALDs〜プロテスト・レイヴの流れを追い、ダメ連やIRA、RLLのようなじつに緩やかなアンダーグラウンドな運動体を説く、毛利嘉孝の『ストリートの思想』が、20年代の状況もあらたに加筆した増補版として刊行された。1980年代のポストモダニズム的文化相対主義の泥沼から、旧来の左翼や体育会系のマッチョな活動に収まらない新しい抵抗の文化がいかにして生まれ、育っていったのかがわかりやすく(ドゥルーズからハキム・ペイ、ネグリ、あるいはギルロイといった現代思想を援用しながら)解説されている。日本のサブカルチャー史の政治的文脈に関心を持つひとにもぜひ読んで欲しい。サウンドデモのところは当事者としてちょっと納得いきませんが、まあ、ここはヨシとしましょう(笑)。かつて日本ではデモに行っても音楽の欠片もなかった。ミュージシャンもいなかったし、誰とも会わなかった。だからデモのなかに音楽を取り入れたかった。ただそれだけのことだった。いちばん最初のサウンドデモで何がプレイされたのか、だいぶ忘れてしまったが、とにかくPファンクをかけたときに、なんと、どこからかOTOさんが「Pファンクだ!」と笑顔で走ってきのだった。どうだ、毛利先生、知らなかっただろう。なーんてね。
 そう、毛利先生も書いているように、ストリートの思想には抵抗を創造することの楽しみがあり、その生気こそ重要なのだ。毛利嘉孝の『ストリートの思想』はちくま文庫として発売中。表紙はプロテスト・レイヴです。

Oliver Coates - ele-king

 ニューヨークの〈RVNG Intl.〉は良い作品を出し続けていますね。今年はとくにすごい。タシ・ワダの『What Is Not Strange?』、Black Decelerant、Dialectの新作も素晴らしいし、オリヴァー・コーツ(チェロ奏者/コンポーザー/プロデューサー)の新作も出ると。
 オリヴァー・コーツは、エレキングでは2020年の年間ベスト・ワンに選びました。Mica Leviとの共作、ミラ・カリックスやローレル・ヘイロー、アクトレスの作品参加など、地味ながら良いところに顔を出しつつも、自分の作品ではじつに情感豊かな作風を披露している。期待しましょう。発売は10月18日。

Oliver Coates
Throb, shiver, arrow of time

PLANCHA / RVNG Intl.

OLIVER COATES:
現在はロンドンからスコットランドに居を移し活動しているチェリストで、これまでクラシック、オルタナティヴ、エクスペリメンタル、エレクトロニック・ミュージックなど様々なアーティストの作品に関わりながら、革新的なソロ作品を制作するプロデューサーでもある。王立音楽アカデミーでクラシックを学び、大学史上最高の成績を収め、オーロラ・オーケストラ、ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラ、ロンドン・シンフォニエッタなどのオーケストラと共演を果たす。また、その一方で彼はAutechre等に触発されたエレクトロニック・ミュージックを制作している。Mira CalixとWarpの企画『The Elephant in the Room: 3 Commissions』でコラボを果たし、『Warp20 (Recreated)』のコンピでもMiraと共にBoards of Canadaのカヴァーを披露した。その他にも電子音楽家の重鎮Laurie Spiegel、現代音楽家John Luther Adamsとのコラボ、ポスト・クラシカル・アーティストとして注目を集めていたNico Muhlyのアルバム『Seeing Is Believing』や、Jonny Greenwoodが手がけた『There Will Be Blood』と『The Master』のサントラにも参加している。

2012年にはコンポーザー、Leo Abrahamsとエレクトロ・アコースティック的コラボ作『Crystals Are Always Forming』をリリース。翌2013年にデビュー・ソロ・アルバム『Towards the Blessed Islands』を発表した。その才能はThom Yorkeの目にとまり、Radioheadのアルバム『A Moon Shaped Pool』に参加し、その後HerbertやDemdike Stareも絶賛するMica Leviとコラボ作も発表。2016年にセカンド・アルバム『Upstepping』をリリースした後、NYの最先鋭レーベルRVNG Intl.との契約に至り、『Shelley’s on Zenn-La』を発表各所で絶賛された。その後Thom Yorkeのサポート・アクトに抜擢されワールド・ツアーを回り、2020年再びRVNG Intl.から『skins n slime』をリリース。各所で高い評価を得て、ここ日本でもele-king誌の年間ベストの1位を獲得した。その後はサウンドトラックのスコアに勤しみ、『Aftersun』(シャーロット・ウェルズ、2022年)、『The Stranger』(トーマス・M・ライト、2022年)、『Occupied City』(スティーヴ・マックイーン、2023年)などを手がけ賞賛された。

Belong - ele-king

 脈打つように規則的に刻まれるシンプルなリズム/ビート。その規則性から逸脱するように刻まれるノイズ。マイケル・ジョーンズとターク・ディートリックによるUSはニューオリンズ出身のビロング、その13年ぶりの新作アルバム『Realistic IX』は、00年代に華開いたネオ・シューゲイザーの極限、いや極北とでもいうべきか。じつにソリッドなサウンドを全編に渡って展開しているのだ。かといって大袈裟な作風ではない。サウンドはソリッドにしてシンプル。そこがたまらないのだ。リリースは〈Kranky〉。マスタリングはステファン・マシューが手がけている。

 ビロングはこれまでアルバムを二作リリースしている。まず2006年に〈Carpark〉からリリースした『October Language』。同アルバムは2018年に元エメラルズのジョン・エリオットが主宰する〈Spectrum Spools〉からリイシューされた。セカンド・アルバムは、2011年に〈Kranky〉からリリースされた『Common Era』。
 この二作はシューゲイザーのサウンドをアンビエント/ドローン化したような仕上がりで、アンビエント/ドローン・マニアやシューゲイズ・マニアから高く評価された。ちなみにメンバーのターク・ディートリックはインダストリアル・ユニットのセカンド・ウーマンのメンバーでもあり、2016年に『Second Woman』、2019年に『S/W』を〈Spectrum Spools〉からリリースしている(この二作のアートワークをマイケル・ジョーンズが手掛けている)。

 新作『Realistic IX』では、前二作において全面的に展開されていたアンビエント/ドローン的な要素は控えめであり、対してソリッドなリズム/ビートが導入されている。そうすることによって何をあぶり出しているかといえば、シューゲイザーがロックであること、そしてパンク、ポスト・パンクの継承であることを全面化させているように思える。いわば、シューゲイズとポスト・パンクの「交錯点」がここにあるのだ。
 この新作でマイケル・ジョーンズとターク・ディートリックのふたりが実現したかったことは、(おそらくだが)シューゲイザーのもうひとつの側面である「ロック」を全面化することだったのではないか。00年代以降、エレクトロニカ/アンビエントの系譜として再評価されることが多かったシューゲイザーから「ロックとしてのシューゲイズ」を再獲得すること。簡単にいえば、ざっくりとしたギターのノイズとリズムによって生まれる中毒性の再獲得とでもいうべきか。
 とはいえ13年ぶりのアルバムで、しかも〈Kranky〉からのリリースである。聴き手も前二作と同様のシューゲイザー風味のアンビエントを期待するはず。そこでソリッドなポスト・パンク/オルタナティヴ風味の音を鳴らすというのはなかなか挑戦的な試みだ。たとえるなら「シューゲイザー・パンク」とでもいうべきか。私は彼らの果敢な挑戦を断固支持したい。
 とはいえ音を聴き込んでいくと、ミニマムなリズムのむこうにマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『Loveless』直系の甘美なノイズやコーラス(声)が鳴っていることにも気が付くはず。いわばアンビエント/アンビエンスのエレメントは消失したわけではなく、全面化していないだけであり、サウンドの色彩のように、アンビエンスは鳴り響いているのだ。いっけんラフなロック・サウンドでありながらも、じつに繊細な音響も構築されているのである。

 ビートとシューゲイズ・ノイズで始まる1曲目 “Realistic (I'm Still Waiting)” でアルバムのトーンが明確に提示される。ギター・ノイズと霧のような声と性急なリズムの交錯は、彼らがマイブラの後継者であることを示しもする。切り刻むような鋭いギターリフもリズムからわかるようにロック・サイドのマイブラの後継というわけだ。いわばアンビエント/ドローンではないビロングのはじまりというわけである。2曲目 “Difficult Boy” も同様の曲だ。
 3曲目 “Crucial Years” では彼らのアンビエント・サイドを聴かせる。破壊された音響のアンビエント化とでもいうべきサウンドである。4曲目 “Souvenir” ではリズムが復活し、軽快にビートを刻む。一方ノイズは控えめになり、全体に軽やかな印象のシューゲイザーを展開する。
 5曲目 “Image of Love” ではインダストリアル・ミーツ・シューゲイザーのようなサウンドを展開する。続く6曲目 “Bleach” はブラックゲイズ的な硬質かつ激しいノイズと簡素なリズムが折り重なり、これも新機軸といってもいいサウンドである。
 7曲目 “Jealousy” はシューゲイザーらしいギターの刻みと声のレイヤーが新時代のシューゲイザーとでもいうべき音を作り上げている。そしてアルバム最終曲にして8曲目 “AM / PM” ではアンビエント・ノイズを展開する。カチカチと小さな音で刻まれるハットのような音がリズムを奏でてはいるが、サウンド全体はアルバム中もっともアンビエント/ドローンを思わせるものである。それもかつてのような薄暗いアンビエンスではく、まるで光の中に吸い込まれていくような、どこか煌びやかなアンビエントなのだ。

 全8曲、計37分。比較的コンパクトなアルバムである。一気に聴き通せることができる尺でもある。アルバム一枚を通してリズムとノイズを一気に堪能できるように考えられた構成ではないかと思う。
 何より重要なのは「過去」を反復していない点だ。彼らはかつてシューゲイズなアンビエント/ドローンの名作を作り上げたわけだが、しかし本作では同じことを繰り返していない。シューゲイザーというフォームに敬意を表し探求しつつも、ネクストを目指し、新たな音楽と音響を探求しているのである。シューゲイザー・リスナー、アンビエント・リスナーの両方に加えて、(
シューゲイザー以外の)ロックのリスナーですらも納得させるにアルバムといえよう。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884 885 886 887 888 889 890 891 892 893 894 895 896 897 898 899 900 901 902 903 904 905 906 907 908 909 910 911 912 913 914 915 916 917 918 919 920 921 922 923 924 925 926 927 928 929 930 931 932 933 934 935 936 937 938 939 940 941 942 943 944 945 946 947 948 949 950 951 952 953 954 955 956 957 958 959 960 961 962 963 964 965 966 967 968 969 970 971 972 973 974 975 976 977 978 979 980 981 982 983 984 985 986 987 988 989 990 991 992 993 994 995 996 997 998 999 1000 1001 1002 1003 1004 1005 1006 1007 1008 1009 1010 1011 1012 1013 1014 1015 1016 1017 1018 1019 1020 1021 1022 1023 1024 1025 1026