「IR」と一致するもの

Quadeca - ele-king

 クラウド・ラップやエモ・ラップがまいた種──すなわち、ネット発/情動過多/自己内省的/ジャンル撹拌的な音楽表現──は、2025年の現在いくつかの形に拡大した末、結実しつつある。その代表例が、ハイパーポップやデジコア、あるいはニュー・ジャズといった動きだろう。壊れた声、極端なオートチューン、歪みとうねり、過剰なスピード感や浮遊感。そうした表現の中に、泣きのメロディや激しく裏返った情緒が重ねられる。これらDIY精神と情緒の爆発力は、いまのユース層の音楽においてひとつの前提となった。メジャー/インディ、地域、ジェンダーといったさまざまな境界を越え、多様なコミュニティにおいて応用され、翻訳されている進化の形。たとえば国内に限ったとしても、lilbesh ramko、nyamura、Mom、Siero……と、それぞれがそれぞれの文脈と美学でこの系譜を継ぎ、各々のかたちで発展させている。

 そうした文脈のなかで新たな潮流として注目されるのが、クラウド・ラップ~エモ・ラップ的な情動を、素朴なサウンドへ “逆流” させていくアプローチである。ここではむしろ感情が、爆発という形式ではなく、静かに滲み出るような形として追求されているのが興味深い。アコースティックな音響と結びつき、声の温度や風景の描写としてじわじわと広がっていく情感。言葉にならないものを音と沈黙によって語るアプローチと言ってもよいだろう、その潮流を最前線で試行錯誤しているのは、レーベル〈deadAir〉のアーティストたちだ。ラップ的な自己語りを出発点としながら、ポスト・フォーク的な内省や風景の表現へと向かう方法論は、極めてパーソナルなものである。なかでもクアデカ(Quadeca)の近作は、クラウド・ラップが語りきれなかったことを沈黙と余白によって語ろうとする音楽として、その最前線に位置している。

 ここで、クアデカのアプローチを鮮明にするため、唐突ながら d4vd の名を挙げてみたい。いわゆるゲーム配信/YouTuberからはじまりやがて音楽活動を開始したという点で、いまや世界的ヒットメイカーとなった彼は、クアデカと非常に近い背景を持っているからだ。しかし筆者の見立てでは、両者の内実は相反している。d4vd は他者との関係性から自身を知るタイプで、恋愛や喪失、親密さといった対人関係を通して自己を表現する。一方クアデカは内省の果てに世界と繋がるタイプで、まず自己と向き合った先に、それが風景や景色とともに滲み出ていく。ふたりとも自己表現の新しいかたちを模索してきたアーティストでありながら、誰かとの関係を通じて感情を結晶化させるか、自己を滲ませ風景に同化させることで情緒を伝えるかで、明確な違いが見られる。ゆえに、d4vd の向かった先はポップへの昇華であり、クアデカがたどり着いた先はエクスペリメンタルな試みだった。もっと言うなら、このふたつのアプローチは、2025年のいま次のような極論として対置させることができる──ジャンルをまとめ直すことで情緒を切り取りいかにキャラクターとして届けていくか、ジャンルを壊し編集することで自己を滲ませ空気のように漂わせていくか。前者は TikTok などSNSのバズと相性が良く、後者は Bandcamp 的/Reddit 的な空間と相性が良い。

 もっとも、その両者の違いが明確に表れているのが、アコースティック・サウンドの使い方ではないだろうか。d4vd の音楽におけるアコースティックの導入は、多くの人に共感されるような現代的情緒があり、パーソナルであることと普遍的であることが同居する、TikTok 以後の方法として使われるケースが多い。対してクアデカは、ポスト・クラウド・ラップとポスト・フォークが融合した前衛的な実験として、アコースティックを編集手段のひとつに導入する。その過程で自己は風景化し、しまいには幽霊化していく。実際、『Vanisher, Horizon Scraper』は、複雑な構造やジャンル混合によって景色が何度も変わるような感覚を作り出し、作り手の輪郭は音響のあわいに溶けていく。

 ヒップホップとアコースティック。一見離れているようにも見えるこのふたつの音楽が、2025年のいま、クアデカの手によってつながった。その前段として思い出したいのは、『From Me To You』(2021年)の衝撃だ。トラップ・ビートやオートチューンなどのヒップホップ的プロダクションを基盤とし、語り口もラップ的だったこの作品は、初期における彼の情動の塊である。内向的で不安定な情緒の断片をエフェクトや壊れた構造で表現し、音響そのものを感情の器とした当作について、あのとき私たちは、クラウド・ラップ~エモ・ラップが捻じれた歪な作品として孤立させ捉えるしかなかった。しかし、『I Didn't Mean To Haunt You』(2022年)や『SCRAPYARD』(2024年)を経て、クアデカ美学は先述した〈deadAir〉の動きとともに、大きなうねりへと肉付いていくことになる。より素朴なサウンドを伴い “情動の逆流” へと舵を切ったその表現は、自己語りと断片的な感情、そこから派生したポスト・クラウド的な破壊的構造を経由して、飾り気のない「情緒の風景化」にたどり着いたのだ。過去作にあった壊れた構造や感情の断片はもはや後景に追いやられ、「語らずして語る」境地へ向かっていった彼の試み。それは、ミニマルなモチーフの反復と緩やかな変化、静寂と轟音、微細と壮大のコントラストによる映像的/風景的なサウンドスケープである。と言うとどこか2000年前後のポスト・ロック勢を彷彿とさせるが、ここで重要なのは、クアデカがアコースティックの音響や叙情を用いてミレニアルのポスト・ロックに向かいながらも、あくまでポスト・インターネット的な感性を保っている点だろう。録音環境も音響処理も明らかにネット世代のものであり、そこではクラウド・ラップ的な情緒とアコースティックの飾らなさが見事に接続されているのだ。

 自己の内面を突き詰めた結果としての風景化、あるいは幽霊化。この事象にあえて説明を与えるとしたら、「あまりに自分の内面を見つめすぎた世代が、いよいよ外の風景と向き合いはじめた」ということなのだろうか。クラウド・ラップが内面の断片をネット空間に撒き散らした音楽だったとすれば、本作はそれを地に落とし、風景のなかに沈める作業を遂行している。それは、自己の内面や表象をアップデートさせるSNS的仕草へのアンチテーゼともとれるかもしれない。感情や考えを言語化し、視覚化し、他者に届ける装置としてのソーシャル・ネットワーク。自己内省の過剰なループは、次第に飽和し、閉塞感を生み出す。どこまで自分を見つめても、深まるどころか浅くなっていく感覚! その結果として、いま一部の若者は、風景や自然といった自分の支配を超えたものに惹かれはじめている。昨今、山間部で開催されているアンビエント~電子音楽系、あるいはポスト・フォーク~インディ系のパーティやミニフェスは、状態/風景を共有するメディウムとして機能している点で、いまの時代背景を象徴しているように見えるのだ。

 だからこそ『Vanisher, Horizon Scraper』は、内省を突き詰めた結果として沈黙と外界に向かう物語の音楽的具現化であり、いまの一部の若者の生理に深く根ざしていると言えよう。「自己の解像度を上げる」のではなく、「自己を溶かす」こと。クアデカの実践であり本作への到達は、SNS的な自己の在り方ではなく、代替するもうひとつの選択肢をひっそりと提示しているように思えてならない。願わくは、バズだけが正義とされるこの時代にどこか居心地の悪さを覚えている若者にとって、本作が静かな避難所のような存在となりますように。次の時代の価値観を生み出す起点は、じつはここにあるのかもしれない。

7月のジャズ - ele-king

 オーストラリアやニュージーランドはジャズの伝統が長い国ではないが、逆にジャズにまつわる様々な影響を取り入れることに長けた国でもあり、特に1990年代後半から2000年代以降はクラブ・ジャズを経由したアーティストを多く生み出している。ニュージーランドでは、現在はロサンゼルスで活動するマーク・ド・クライヴローや、ロンドンでも活動していたネイサン・ヘインズなどは、ジャズの下地があった上でクラブ・サウンドにも接近して一時代を築いたミュージシャンである。ニュージーランドのオークランドを拠点とするサークリング・サンも、そうした系譜に位置するバンドのひとつと言える。
 バンドの中心人物はカナダ生まれのジュリアン・ダインで、もともとDJとして頭角を現し、その後バーナード・パーディーからドラムの手ほどきを受け、ミゼル兄弟とレコーディングをおこなうなど、ミュージシャンとしての道も進むようになる。2009年に『Pins & Digits』というソロ・アルバムをリリースし、2011年にはセカンド・アルバムの『Glimpse』をリリースするが、この頃はスティーヴ・スペイセックのようなエレクトリック・ダウンテンポ・ソウルをやっていた。2018年の『Teal』では自身は各種楽器を演奏するようになっていて、ロード・エコーやレディ6などとセッションをおこなっている。このあたりから生演奏の比重が増す音作りへと変化していくのだが、リリース元はUKの〈サウンドウェイ〉で、このレーベルはアフロやカリビアン系のサウンドを得意とする。サークリング・サンをリリースするのも〈サウンドウェイ〉で、この頃からのコネクションが続いている。

The Circling Sun
Orbits

Soundway

 サークリング・サンのデビューは2023年の『Spirits』で、メンバーにはネイサン・ヘインズのバンドで活動してきたベン・トゥルーア(ベース)はじめ、キャメロン・アレン(テナー・サックス、フルート)、ジョン・ユン・リー(フルート、ソプラノ・サックス、クラリネット)、フィン・スコールズ(トランペット、トロンボーン、チューバ、ヴィヴラフォン)などが参加していた。ジュリアン・ダイン自身はドラムス、パーカッション演奏のほか、全体をまとめるバンド・リーダー/プロデューサーとしての役割も担う。宇宙をイメージするようなアルバム・ジャケットが示すように、ファラオ・サンダースアリス・コルトレーンサン・ラーなどにインスパイアされたスピリチュアル・ジャズと言える。DJでもあるジュリアン・ダインが率いるだけに、そうしたスピリチュアル・ジャズのエッセンスをまといつつ、クラブ・ジャズとしての聴き易さも兼ね備えている。ラテンやブラジリアン・リズム、コーラスの導入にそうした点が表われており、1990年代後半~2000年代のクラブ・ジャズ・シーンを通過したDJでないとなかなかこうしたセンスは身につかないだろう。

 新作の『Orbits』も、『Spirits』と対になるような宇宙をイメージしたジャケットで、前作の路線を踏襲している。演奏メンバーも前作を引き継ぎつつ、ジョン・キャプテイン(ピアノ、キーボード、シンセ、ギター)、ケニー・スターリング(パーカッション、シンセ)といったメンバーも参加。コーラス隊は前作からさらにパワーアップし、ラヴ・アフィニティ・コーラスという名前もついている。コーラス隊を擁したスピリチュアル・ジャズというとカマシ・ワシントンが思い浮かぶが、サークリング・サンの場合はカマシほど重く激しいものではなく、どちらかと言えばグルーヴィーさや軽やかさを感じさせるもの。例えば “Constellation” などはアジムスやロニー・リストン・スミスあたりに近い感性を持ち、ファラオ・サンダースと比較しても1980年前後の〈テレサ〉時代のサウンドを想起させるようなものだ。コーラスの使い方も “You’ve Got Have A Freedom” を彷彿とさせる。“Flying” はそのままアジムスの作品と言ってもおかしくないし、“Seki” にはロニー・リストン・スミスが持つ透明な美しさが流れている。“Mizu(水)” “Teeth” “Evening” と、今回はスピリチュアル・ジャズの中でもブラジリアン・フュージョンやラテン・フュージョン寄りの作品が多いところが特徴だ。また、1970年代の〈ブルーノート〉のミゼル兄弟のプロダクションに対するオマージュも随所に見受けられる。


Greg Foat & Forest Law
Midnight Wave

Blue Crystal

 エセックス出身でロンドンを拠点に活動するマルチ・アーティストのアレックス・バーク。彼のプロジェクトであるフォレスト・ロウについては、2024年リリースのデビュー・アルバム『Zero』を本コラムで紹介したことがあるが、それから約1年ぶりの新作はロンドンのピアニストで様々なアーティストとのコラボをおこなうグレッグ・フォートとの共演となった。そして、注目すべきは『Zero』のときとフォレスト・ロウのメンバーがガラっと変わり、トム・ハーバート(ベース)、モーゼス・ボイド(ドラムス)、アイドリス・ラーマン(テナー・サックス)と、南ロンドン周辺のジャズ・セッションで多く名を見る強者たちが駆けつけていること。トム・ハーバートはマリンバ、モーゼス・ボイドはシロフォン(バラフォン)も演奏するなど、なかなか異色のセッションとなっている。

 作品のテーマとしては、ワイト島出身のアーティストであり伝説のサーファーだったデイヴ・グレイの芸術と人生にインスパイアされ、人生、死、絵画、サーフィンをテーマとした作品が収められている。こうしたコンセプト作りはサントラ的な作品を得意とするグレッグ・フォートによるものだろう。フォレスト・ロウ(アレックス・バーク)は今回はヴォーカリスト兼作詞家という役割に徹していて、グレッグ・フォートとして初めてヴォーカリストをフィーチャーしたアルバムになっている。“Imaginary Magnitude” は1970年代後半のブリット・ファンクをリヴァイヴァルさせたようなサウンドで、そこにブロークンビーツなどクラブ・サウンドのエッセンスを取り入れている。ジャイルス・ピーターソンとブルーイによる STR4TA(ストラータ)に近いサウンドで、“I Vibrate” におけるフォレスト・ロウのヴォーカルもレヴェル42のマーク・キングを彷彿とさせる。ちなみにレヴェル42もワイト島出身なので、何らかの意識があるのかもしれない。“The Undertow” はブリット・ファンクとは異なる作品だが、前述のとおりマリンバやシロフォンを前面に打ち出したエキゾティックなアンビエント・サウンドで、自然との結びつきが深いサーフィンというスポーツを表現しているのだろう。


Collettivo Immaginario
Oltreoceano

Domanda Music

 コレッティヴォ・イマジナリオはドラマーのトマーソ・カッペラートを中心とするユニットで、ピアニストのアルベルト・リンチェット、ベーシストのニコロ・マセットによるトリオとなる。イタリア出身のトマーソはロサンゼルスに渡って活動し、マーク・ド・クライヴ・ローなどとセッションしているが、たびたびロサンゼルスとロンドン、イタリアのミラノを行き来しながら演奏しており、コレッティヴォ・イマジナリオはミラノで録音をおこなっている。クラブ・サウンドやエレクトリック・サウンドの要素も取り入れ、スペイシーな風味の作品を得意とするトマーソ・カッペラートだが、このコレッティヴォ・イマジナリオもそうした持ち味を生かしたもので、それから1970年代のイタリアのピエロ・ウミリアーニ、ピエロ・ピッチオーニらに代表されるサントラやライブラリー・ミュージックにも多大なインスピレーションを受けているそうだ。

 2022年に『Trasfoma』というアルバムをリリースし、今回の『Oltreoceano』が2作目となる。『Trasfoma』は3人のみの録音で、ヴォーカルを入れる際もニコロとトマーソが担当していたのだが、『Oltreoceano』ではスピリチュアル・ジャズのレジェンド的なシンガーであるドワイト・トリブルほか、メイリー・トッド、モッキー、ダニーロ・プレッソー(モーター・シティ・ドラム・アンサンブル)など、ジャズ・シーン、クラブ・シーンの両面から多彩なゲスト参加がある。そのドワイト・トリブルのワードレス・ヴォイスをフィーチャーした “Vento Eterno” は、テンポの速いアフロ・サンバ・リズムによるスピリチュアル・ジャズ。野性味溢れるコーラス・ワークや哀愁に満ちたメロディなど、エドゥ・ロボの “Casa Forte” を連想させるような楽曲である。ダニーロ・プレッソーをフィーチャーした “Tempo Al Tempo” は、ディープ・ハウスやブロークンビーツのエッセンスを取り入れたジャズ・ファンク。1970年代のラリー・ヤングやハービー・ハンコックあたりへのオマージュが伺えるほか、途中から転調してアジムス的なブラジリアン・フュージョンへと変化していく。


Mocky
Music Will Explain (Choir Music Vol. 1)

Stones Throw

 モッキーことドミニク・サロレはカナダ出身で、ロンドン、アムステルダム、ベルリン、ロサンゼルスと世界中の街を移り住みながら活動するシンガー・ソングライター/マルチ・ミュージシャン。ジャンルレスで枠にとらわれない音楽性を持ち、ロック、テクノ、ヒップホップなどと幅広い音楽性を見せてきたが、2015年の『Key Change』あたりからがジャズやモダン・クラシカルを取り入れたポップな作品を作っている。この『Key Change』や2018年の『A Day At United』はロサンゼルスへ移住した頃の作品で、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、マーク・ド・クライヴローらLAジャズ勢との共作となる。また、ジェイミー・リデルファイストゴンザレスケレラモーゼス・サムニーカニエ・ウェストといった様々なアーティストと共演しつつ、自身の作品では彼独特の世界に染め上げる稀有な存在でもある。なお、前述のコレッティヴォ・イマジナリオの『Oltreoceano』にもゲスト参加している。

 そんなモッキーの新作『Music Will Explain』は、コーラス・ミュージックというサブ・タイトルが付けられているように、和声をテーマにした作品集となる。『Key Change』にもヴォーカル作品はいろいろあり、ケレラ、モーゼス・サムニー、ニア・アンドリュース、ミロシュ(ライ)、ココ・O(クアドロン、ブーム・クラップ・バチェラーズ)らがシンガーとして参加していたのだが、今回はより和声のハーモニーにフォーカスしたものと言える。モッキーは自身でヴォーカルのほか、ベース、ギター、ピアノ、キーボード、パーカッション、フルートなどを演奏し、ミゲル・アットウッド・ファーガソンのストリングスはじめハープ、ハーモニカ、クイーカなどいろいろな楽器が使われる。そして、コーラスにはニア・アンドリュース、メイリー・トッドなど総勢15名ほどが加わる。

 “Infinite Vibrations” はドリーミーなソフト・ロックで、コーラス・ワークを含めて1960年代のフリー・デザインを彷彿とさせる。1990年代の渋谷系からハイ・ラマズステレオラブなど後世に多大な影響を与えたヴォーカル・グループのフリー・デザインだが、モッキーの本作もそうした系譜に繋がる1枚と言える。そして、カーメン・マクレエ、サラ・ヴォーンらの歌唱で知られ、アウトラインズがサラ・ヴォーン・ヴァージョンをサンプリングした “Just A Little Lovin’” もカヴァー。バリー・マン作曲、シンシア・ワイル作詞により、もともとダスティ・スプリングフィールドの歌で世に出た楽曲だが、前述のとおりジャズ・ヴォーカルの名曲としても知られる。今回はソフト・ロック調のジャズ・ヴァージョンといった趣で、1960年代後半から20年代初頭のカリフォルニアで活動した伝説のフィリピン系姉妹少女5人グループのサード・ウェイヴを彷彿とさせる

Grischa Lichtenberger - ele-king

 「Ostranenie(異化)」とは、1920~1930年代のロシア・フォルマリズムを代表するソビエト連邦の言語学者・文芸評論家ヴィクトル・シクロフスキーが提唱した概念・理論である(演劇の文脈ではブレヒトによる異化効果が広く知られる)。
 芸術の役割は、「慣れ」によって鈍化した知覚を揺さぶり、対象をあらためて認識させることにある。それがシクロフスキーの主張だった。「見慣れたもの」を「見慣れぬもの」として再提示し、感覚の自動化に抗うこと。その装置としての方法論が「異化」なのである。

 ドイツのサウンド・アーティスト/音楽家グリシャ・リヒテンベルガーの新作『Ostranenie』は、この「異化」の音楽的実践にほかならない。電子音響における緻密な実験で知られるグリシャ・リヒテンベルガーは本作『Ostranenie』において、もっとも親密で情緒的な楽器といえるピアノを軸に、その音を分解・再構築し、聴覚そのものの認知構造を問い直す。リリースはドイツの電子音響レーベル〈Raster〉から。
 2012年に〈Raster-Noton〉からリリースされたファースト・アルバム『and IV [inertia]』以降、オウテカやカールステン・ニコライから影響を受けた作家として知られるグリシャ・リヒテンベルガーだが、このピアノ音響作品はキャリアにおける明確な転機といえよう。2019年に〈Raster〉からリリースされた電子音響とジャズの融合を試みた『Re: Phgrp (Reworking »Consequences« By Philipp G)』を経由して以降、自らの音楽をメタ的に再検証する試みともいえるアルバムに仕上がっていた。
 本作『Ostranenie』に収録された全13曲は、いずれも1~3分ほどの即興的なピアノ小品で構成されている。冒頭の1曲目 “what lies beneath 3 arp” を聴いた瞬間、アーティストを間違えたのではないかと錯覚するほどだった。かつての彼の音楽からは想像もできない、ドビュッシーやラヴェルといったフランス印象派、あるいはサティを思わせるような響きがそこにはあった。モーダルな和声、あいまいな拍節、断片的な旋律が交錯する美しいピアノ曲だ。
 だが、この『Ostranenie』に甘味料のような抒情はない。どの楽曲もフランス印象派のような響きを放ちつつも、どこか機械の音楽のような冷徹さを持っている。加えて4曲目 “spiderman” や5曲目 “chilling adventures of sabrina” あたりから現代的な音響編集とグリッチによる「断絶」が意識的に挿入されることで、音のエンヴェロープや残響も人工的に操作される。
 グリシャ・リヒテンベルガー特有の精緻なデジタル処理によって構造はズラされ、音の質感は変容する。聴き込むほどに、ピアノの響きが原音のままではないことに気づかされる。曇り、濁り、にじみ、そして時に破綻していく音。深く崩れるリヴァーブ、歪んだエフェクト、断続的に挿入されるグリッチ。楽曲の「中心」はぼやけ、記憶の断片が浮かんでは消える……。そんな印象を残すアルバムなのだ。聴き手は、何かを思い出しかけているのに、最後まで辿り着けない。全体を通じて、そのような感覚が貫かれている、とでもいうべきか。情緒は徹底して削ぎ落とされている。

 クラシカルとデジタルの境界線で、グリシャ・リヒテンベルガーが目指しているのは単なる20世紀印象派の再演ではない。いわゆるノスタルジーを拒絶しつつ、音楽とは情緒の装置という事実そのものを批評/解体し、なおかつその先にある「感覚の再起動」=「異化」を見出す。
 グリシャ・リヒテンベルガーの関心は音楽による情動の喚起ではないのだ。むしろその情動の解体にある。ピアノという情緒的な媒介を使いながら、感情がいかに条件反射的に作動するかを露呈させ、「聴くこと」そのものを宙づりにしてみせる。「美しい」と感じた瞬間に、その感受性の自動性に切り込みを入れる。それが『Ostranenie』の核心といえよう。
 加えてグリシャ・リヒテンベルガーの問題意識は、「没入文化」に対する批評的なスタンスにあるように思える。各楽曲のタイトルには、“spiderman”、“stranger things”、“mad men”、“irma vep” といった映画やドラマのシリーズ名が並ぶ(シーズン数やエピソード番号まで明記されている)。これらはポップ・カルチャーへのオマージュのようでいて、そのじつ、メディア環境へのアイロニーだ。アルゴリズムによる選別とレコメンドが支配する現代社会において、「感情の即時反応」ばかりが促進され、「意味」や「文脈」は平板化されつつある。音楽もまた、「癒やし」「集中」「感動」といったラベルとともに、機能的に消費されている。
 『Ostranenie』は、そうした現状に対する明確な異議申し立てといえる。ここでは感情は決して「わかりやすく」提供されない。リスナーは、受動的な快楽ではなく、能動的な聴覚の再構築へと促される。楽曲は意味を拒みながらも、静かに、しかし確実に、感覚の深層へと楔を打ち込んでいくだろう。グリシャ・リヒテンベルガーは、日常に埋もれた音や記憶、感情の断片を、異化というフィルターを通じて再提示するわけだ。即興性と構築性、詩情と冷徹さ、アナログとデジタルの往復運動。そのなかで彼は、「慣れ親しみ」という知覚そのものを揺さぶりをかける。つまり「異化」だ。

 再構成されるピアノ。異化される情緒。『Ostranenie』という「ピアノ楽曲集」は決して「耳に優しい音楽」ではない。グリシャ・リヒテンベルガーは、一音一音を通じて、世界を見慣れぬものとして差し出す。『Ostranenie』は、その意味で、現代におけるもっとも静かで、もっとも過激なプロテストのひとつといえないか。
 グリシャ・リヒテンベルガーは本作『Ostranenie』で、自らの到達点をまたひとつ更新した。もしも坂本龍一が『Ostranenie』を耳にしたなら、彼はいったい何を、どのように語っただろうか。そんな想像をめぐらせながら、私は今日も『Ostranenie』を聴き返している。

R.I.P. Ozzy Osbourne - ele-king

 デイヴィッド・ボウイといい、坂本龍一といい、自身の死期を見定めて人生の締めくくりに向かうアーティストが増えているようだ。そういう時代になってきたということなのだろう。7月7日、バーミンガムで行われた『Back To The Beginning: Ozzy’s Final Bow』は今世紀最大のメタル・フェスだった。長らくパーキンソン病を患っていたオジー・オズボーンが引退を宣言し、最終公演としてブラック・サバスのオリジナル・メンバーが代表曲中の代表曲4曲を演奏した。“War Pigs”で幕開けというのも彼らの意志を感じさせる。ほかにも新旧の様々なアーティストたちがオジーのために集結した。しばらくはSNSにバックステージで記念写真に興じる出演者たちの姿で溢れた。みんな楽しそうだし、オジーが大好きなのが伝わってきた。

 オジー・オズボーンことジョン・マイケル・オズボーンは英国の工業都市バーミンガムの労働者階級の出身で、10代にして酒浸りのやさぐれた生活を送る中でバンドを結成する。当初のバンド名は「ザ・ポルカ・タルク・ブルース・バンド」、まもなく「アース」と改名。もともとはブルース・バンドとしてスタートしており、サックスとスライドギター奏者のいる6人編成だったが、最終的にはギターのトニー・アイオミ、ベースのギーザー・バトラー、ベースのビル・ワードが残る。「アース」というバンド名はのちにディラン・カールソンが自身のバンド名として引用し、ドゥーム~ドローン・ミュージックのパイオニアとなる(それに対抗したのがスティーヴン・オマリーのSUNN O)))なのだが、それはまた別の話)。
 やがてイタリアのホラー映画『ブラック・サバス 恐怖!三つの顔』を観たギーザー・バトラーが、「怖いものは人気がある」と思いつき、バンド名をそのままいただくことになる。ビートルズにおけるインド思想やジミー・ペイジにおけるアレイスター・クロウリーといったガチな傾倒とちがい、サバスのオカルト/悪魔趣味は発端がホラー映画だったことからもわかるようにあくまでエンタメだった。
 1970年2月、13日の金曜日にファースト・アルバム『黒い安息日』をリリース。冒頭に収録されたタイトル曲“Black Sabbath”ではわずか三音のシンプルなリフながら、“トライトーン”と呼ばれる邪悪な音階による禍々しいリフと、オジーの切羽詰まった歌声が恐怖感を募らせる。60年代後半からメタルのルーツとされるようなハード・ロックが出現して人気を博してはいたし、ヘヴィ・メタルという言葉がジャンル名として定着するのは70年代後半のことだが、ヘヴィさと禍々しさを徹底して追求したブラック・サバスこそがヘヴィ・メタルの開祖だったとされている。
 ファースト・アルバムの時点では、まだブルース・バンドだった時代の名残を聴くこともできる。“The Wizard”ではオジーによるハーモニカがフィーチャアされているし、“Warning”と“Evil Woman”の2曲はブルースのカヴァーだ。
 以後、代表曲“Paranoid”と“Iron Man”を収録した2nd『パラノイド』、ギターのチューニングを一音半下げてより一層ヘヴィとなった『マスター・オブ・リアリティ』、より音楽性を広げていった『ブラック・サバス 4』『血まみれの安息日』と、名作を連発していく。
 歌詞のモチーフとしてはホラー/オカルト以外に反戦歌“War Pigs”やドラッグ・ソング“Sweet Leaf”“Snowblind”などがある。作詞を主に手掛けていたのはオジーではなくバトラーだった。バンド名の名付け親でもあり、バンドのコンセプトメーカーだったと言っていいだろう。それを具現化させたのがアイオミの作り出すリフであり、オジーの歌だった。

 バンドは次第にドラッグやアルコール問題が顕在化していき、70年代末にはついにオジーが脱退(解雇)。アメリカに拠点を移してソロ活動を開始し、若きギタリスト、ランディ・ローズをパートナーに迎えたソロ・アルバム『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』は、当時のLAメタルの流行もあって大成功を収める。
 当時のオジーはアルコールやコカインに溺れ滅茶苦茶な状態だった。よく語られる「鳩の首を食いちぎる」「ステージに投げ込まれたコウモリの死骸の首を食いちぎる」といった奇行エピソードはだいたいこの頃のことである。後に妻となる敏腕マネージャーのシャロンの助けもあり、次第に生活も立て直し安定したキャリアを築いていく。そのさまは2020年のMV「Under the Graveyard」でも描かれている(だいぶ美化されている気はするが)。

 オジーのソロ作は狼男に扮した『月に吠える』のアートワークやMVなどからもわかるようなホラー趣味を展開していたが、サバス時代以上にエンタメ度が高く、禍々しさよりは愛嬌のあるポップさが印象に残る。80年代のホラー映画ブームにも連動していたのだろう。一方で、“Good Bye to Romance”“Diary of a Madman”など内省的な曲が増えてくる。とはいえ作詞は依然としてオジー自身によるものよりは外部ライターや共作が多い。これはオジーが若い頃からディスクレシアに悩まされていたこととも関係があるかもしれない。

 オジーの脱退後、いわゆる「様式メタル」化の進んでいったブラック・サバスは、90年代前半ごろまでは日本ではレッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどと比べて評価は低く、キワモノというかB級扱いだったように思う(メタル界での評価は別として)。だが、グランジ~オルタナティヴ・ロックの台頭にともなってオジー時代のサバスの再評価が始まった。カート・コベインがフェイヴァリットに挙げていただけでなく、サウンドガーデンやアリス・イン・チェインズなど明らかにサバス影響下にあるバンドが登場してくる。また、「世界一速いバンド」ナパーム・デスのシンガーだったリー・ドリアンが結成した「世界一遅いバンド」カテドラルも初期サバスを主要な参照元としており、その後のドゥーム・メタルの隆盛につながってゆく。
 90年代後半には自身の名を冠したロック・フェス「オズフェスト」の開催を始める。97年の第2回からはツアー形式をとり、オジーのソロとオリジナル編成によるブラック・サバスのダブルヘッド・ライナーとなった。旧来のヘヴィメタルにとどまらず、若手のメタルコアやオルタナティヴ・メタルなど新旧とりまぜたラインナップによる・ヘヴィ・ミュージックのショーケースとして人気を博した。2005年には日本からザ・マッド・カプセル・マーケッツが出演。2013年には日本でも開催された。2002年にはMTVでリアリティ番組「オズボーンズ」の放映が開始。オジーとその家族の生活に密着してお茶の間の人気者になる。

 はっきり言って「歌がうまい」という人ではない。なんでも歌いこなすというタイプではなく、何を歌ってもオジーにしかならない。ヘヴィメタルの帝王と呼ばれてはいるものの、独特の軽みのある声と粘っこい歌い方は、正統派のメタル・シンガーとはだいぶ異なる唯一無二のものだ。2005年のカヴァー・アルバム『Under Cover』では長年のビートルズ愛を発揮してビートルズおよびジョン・レノンの曲が3曲も収録されていたほか、キング・クリムゾン“21世紀の精神異常者”、ストーンズ“悪魔を憐れむ歌”、クリーム“サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ”といった捻りのない選曲に捻りのないアレンジで、楽しそうに歌ってるのが微笑ましい。
 2019年にパーキンソン病に罹患してからは明確に「締め」を意識し始めたように思う。とくに2020年のアルバム『オーディナリー・マン』は先述の“Under the Graveyard”のほか、「有名になる準備などできていなかった」「俺は平凡な男として死にたくはない」と歌われるタイトル曲など、自身の人生を振り返る曲が目立つ。

 最後のコンサートとなった『Back To The Beginning』チャリティコンサートとして総額2億ドル以上をあつめ、バーミンガム小児病院、エイコーン小児ホスピス、キュア・パーキンソンに寄付されたという。オジーはすでに歩行もままならない状態だったため椅子に座っての出演で、おそらく本当に最期の力を振り絞ってのパフォーマンスだったのだろうが、どの写真を観ても満面の笑顔ばかりでそんなことを微塵も感じさせない。だからこそ、あれからわずか2週間で亡くなってしまったことがいまでも信じられない。

Marihiko Hara, Miru Shinoda & Simon Fisher Turner - ele-king

 ガザの人びとから提供された音源をもとに、新たな音楽をつくること──ピアノを中心とした作品で知られる原摩利彦と、近年は松永拓馬らのプロデュースも手がけるyahyelの篠田ミルが、ガザで暮らす人びとの声を世界に伝えるための共同プロジェクト「THEY ARE HERE」をスタートさせている。趣旨に賛同したUKのヴェテラン音楽家、サイモン・フィッシャー・ターナーも加わり、昨日7月23日に2作品「To the sea」と「Reminder」がバンドキャンプにて公開されている。いずれもフィールド・レコーディングやサンプリングを駆使した、サウンド・ドキュメントと呼ぶべき楽曲で、利益は音源や写真の提供者に送られるとのこと。原摩利彦による下記のステートメントをぜひご一読ください。

原 摩利彦、篠田ミル、サイモン・フィッシャー・ターナーによる
THEY ARE HERE

パレスチナ・ガザとの交信から生まれたサウンド・ドキュメント・プロジェクト

音楽家・原 摩利彦が発起人としてスタートした「THEY ARE HERE」は、ガザ地区の人々との実際の交流を起点に、彼ら、彼女らから提供されたフィールド音源をもとに構成された、サウンド・ドキュメント・プロジェクトです。紛争のあらゆる暴力性や情報封鎖から、人間と文化の存在をないことにされてしまっているガザ地区の人々の「私たちの声を世界に伝えて欲しい」という願いに応えるように、音楽家たちがそれぞれの手法で、その存在を可視化していきます。
7月23日(水)より、共同発起人である篠田ミル、プロジェクトに賛同したと共に制作された音楽作品群をBandcampにて公開します。

●EP1_To-the-sea

“To-the-sea”は、原 摩利彦による、パレスチナ・ガザの音源を使った最初の作品集。
海で子どもたちと遊ぶ母親の美しい思い出のフィールドレコーディングや現地に伝わる歌、詩人であり革命家アブドゥ・ラ ヒーム・マフムード(1913-1948)の詩の朗読などが収録されている。
家を破壊され毎日攻撃される恐怖とともに生きる中「自分たちの存在や声が少しでもこの世界に伝わりますように」と願って送られてきた音源には、テント内で録音されているために時折子どもたちの声も聞こえる。
フィールドレコーディングを使った音楽の新たな展開。
https://they-are-here.bandcamp.com/album/to-the-sea

●EP2_Reminder

篠田ミルによる“Reminder”シリーズは、現地からの映像・オーディオデータを編集、ループすることによって構成される楽曲群。
スティーブ・ライヒの"It's Gonna Rain"をインスピレーション源*に、反復の中に浮かび上がるサウンドスケープをもって、パレスチナへの思いを再起させる。
"Reminder Ⅰ"ではガザの海辺で戯れるKefahさん一家の声と波音が繰り返され、異なるペースで反復される電子音と共に海辺の輝きや波打 ち際を描き出す。この動画内の一幕が本作のジャケットになっている。また"Reminder Ⅱ"では、"Airplane 3h56am"と題されたSaedaさんのオーディオファイルが反復され、ドローン監視下のガザのサウンドスケープが線描される。
サイモン・フィッシャー・ターナーは20年前にガザのカフェで録音し
たフィールドレコーディングやパレスチナの古いレコードをサンプリング。第2子を妊娠中に夫を爆撃によって失い、2歳の子どもを育てながら出産したOlaさんの子どもとの優しい対話を収録した「Give Us A Quiet Night」も収録されている。
*“It‘s gonna rain”は、キューバ危機直後の黒人牧師の演説録音を素材としており、社会的意図が感じられる作品
https://they-are-here.bandcamp.com/album/reminder


●THEY ARE HERE ステートメント
2024年8月よりパレスチナ・ガザ地区の人たちとSNSを通じて知り合い、寄付を続けてきました。交流を重ねていくうちに次第に仲良くなり、今では自分にとってとても大切な存在です。ある人は「私たちの声を世界に伝えて欲しい」と言いました。そして同時に「私たち家族に何かが起こったら、あなたが私のことを許してくれますように」とも。
あるとき、彼女/彼らより提供してもらった音源で音楽を作ることを思いつきました。この方式を取ると、音源提供料として支払うことができ、寄付する側とされる側の関係とは違う関係を築けることができると考えたのです。私がこれまで行ってきたフィールドレコーディングを使った作曲の手法を用いて、彼女/彼らから発せられる声や身の回りの音とともに音楽を作り、この世に刻むことで、人間の存在とその文化が確かに存在していることを示します。
毎日、世界中で小さな子どもを含む多くの民間人が、武力により命を奪われています。人間の命、尊厳を奪うことは、いかなる状況であれ正当化できないと考えます。みんな、必ず誰かの子どもであり大切な人です。すべての人々が満足に食事ができますように。安心して静かな夜に眠れますように。やりたいことに挑戦する自由と希望がありますように。
作品を販売した利益は、音源や写真の提供者へ送ります。
原 摩利彦(THEY ARE HERE 発起人、音楽家)

HP:https://www.they-are-here.org/jp-about
Instagram:https://www.instagram.com/they_are_here_project?igsh=MWpoZ2R2b2k1MmQxcg==

HYPER IRONY - ele-king

 今年頭、ENDONとKAKUHANのツーマンを実現したライヴ・イベント《HYPER IRONY》。「異なるフィールドで活躍するアーティスト達の親和性にフォーカス」するという同イヴェントの最新回が、9月13日(土)、東京の小岩BUSHBASHで開催されることになった。今度の出演者たちも強力で、MERZBOWMELT-BANANA、ゲーム『巨人のドシン1』サウンドトラックのリイシューも記憶に新しい浅野達彦、mouse on the keysの川崎昭と元envyの飛田雅弘による新たなプロジェクト=PULSE DiSPLAY、そしてSatomimagaeの5組が集結する(レコード店RECONQUISTAも出店)。他では味わえないラインナップの妙を楽しみたい。

イベント名:HYPER IRONY
日程:2025年9月13日(土)
会場:小岩BUSHBASH

[LIVE]
MERZBOW / MELT-BANANA / 浅野達彦 / PULSE DiSPLAY / Satomimagae

[SHOP]
RECONQUISTA

OPEN.17:00 / START.17:30
DOOR ONLY 3,500 + 1DRINK

El Michels Affair - ele-king

 NYを拠点とするエル・ミッチェルズ・アフェアといえば、かつてはレトロ・ファンクの復興主義運動の一角を担って、ウータンのメンバーたちとの交流でも知られたベテラン・チーム。ソウル&ファンクに愛情を注ぐオールドスクール主義者として知られる彼らの新作『24 Hr Sports』に、なんと、坂本慎太郎がフィーチャーされているとのこと!
 日本でのアルバム発売はチカーノ・ソウル系のリリースで知られる〈MUSIC CAMP〉から。また、すでに配信された坂本慎太郎フィーチャーの「Indifference」は、国内限定7インチ・シングルとして7/30に〈zelone records〉より発売される。

El Michels Affair
24 Hr Sports

Big Crown Records/MUSIC CAMP, Inc
日本語解説:松永良平
国内仕様輸入盤/配信にて9月5日リリース予定


El Michels Affair feat. Shintaro Sakamoto
Indifference

zelone records
7月30日発売

DJ Marfox - ele-king

 早いもので、リスボンのレーベル〈Príncipe(プリンシペ)〉が15周年を迎える。それを記念したコンピもリリースされているが、このたびなんとレーベル主宰者、DJマルフォックスの来日ツアーが決定した。8月15日は京都West HarlemでDJ ntankによるパーティ《MAVE》に、8月16日は渋谷WWW&WWWβでE.O.Uとmelting botによるパーティ《南でloopな》に出演。これは熱い夏がやってきますぜ……
 なお、DJマルフォックスの2019年のインタヴューはこちらを。

DJ Marfox Japan Tour 2025 -15 years of Príncipe-

8/15 FRI 22:00 at West Harlem Kyoto
8/16 SAT 23:00 at WWW &WWWβ Tokyo

artwork: Márcio Matos
tour promoted by WWW / melting bot

灼熱のアフロ・ダンス!リスボン・ゲットーで育まれたアフロディアスポラによる100%リアル・コンテンポラリーな先鋭電子レーベルPríncipe、シーンのゴットファーザーDJ Marfoxが本年レーベル15周年を祝した初のロングセットで来日ツアー公演を京都と東京で開催。京都はntank主宰のMAVEでWest Harlemにて、東京はE.O.U & melting bot主宰loopなの昨年に続く南バイブス第2弾でWWWにて開催。追加ラインナップは後日発表。

DJ Marfox Interview @eleking
“声なき人びと、見向きもされない人びと、その顔が俺だ” https://www.ele-king.net/interviews/006925/
Príncipe 特集@RA “リスボンのゲットー・サウンド” https://ra.co/features/2070

MAVE feat.DJ Marfox -15 years of Príncipe-
2025/08/15 FRI 22:00 at West Harlem Kyoto
ADV/U23 ¥2,000 / DOOR ¥2,500 (+1D)
TICKET https://t.livepocket.jp/e/ao_c

DJ Marfox -15 years of Príncipe- [PT/Lisbon]
ntank
+TBA

MAVE
2020年West Harlemにて京都拠点のDJ ntankにより、一貫した身体的グルーヴをオルタナティブな文脈でジャンルレスに紡ぐエネルギッシュパーティーとして始動。これまで国内外問わずバラエティ豊かなゲストを招聘。近年ではCassius Select, DJ Nigga Fox, Livity Sound, TSVIやPeladaといったDJ・Producerを迎えている。
https://www.instagram.com/_ntank
https://www.instagram.com/mave.jp


南でloopな w/ DJ Marfox -15 years of Príncipe-
2025/08/16 SAT 23:00 at WWW & WWWβ Tokyo
Early Bird/U25 ¥2,500 / ADV ¥3,000 / DOOR ¥3,500 (+1D)
TICKET https://t.livepocket.jp/e/20250816www

WWW:
DJ Marfox -15 years of Príncipe- [PT/Lisbon]
E.O.U
Foodman

VJ: eijin

WWWβ:
+TBA

20歳未満入場不可・要顔写真付きID
Over 20 only Photo ID required to enter

PLAYLIST:
https://open.spotify.com/playlist/4M4sLXzKcGj6ulR0bE0cqm?si=2f226360aabd4ecc&pt=97eb8b7c99ec7d96b9fec62bc15cbe4a
https://soundcloud.com/meltingbot/sets/loop-w-dj-marfox-15-years-of-principe

loopな
2024年よりE.O.Uとmelting botによりWWWβにて始動、あらゆるジャンルの超越後の現代における”ミニマル”を方向性としたレギュラーのキュレーション・パーティ兼E.O.U主宰レーベルhaloのリリース・プロジェクト。 VJ・アートワークはeijinが担当。昨年夏に開催されたサウス・バイブスの南でloopなに続き、今回はリスボンからDJ Mafoxを招聘、東京公演ではリスボン・ゲットーのコンテンポラリーな先鋭電子レーベルPríncipeの15年周年記念としてその歴史を紐解く3時間のロングセットを予定。
https://haloooo.bandcamp.com/music
https://www.instagram.com/eoumuse
https://www.instagram.com/meltingbot

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●DJ Marfox [Príncipe/PT]

プロデューサー兼DJのMarfoxは、リスボンにおいて都市部、郊外、そしてゲットーの伝説的存在であり、電子音楽の新たな方向性を追求する世界的なネットワークにおいて著名な人物となる。ダンスミュージックにおける文化の様々な分野から、先駆的な作品と音楽に対する称賛を受けており、過去10年間にわたりLit City Trax、Boomkat Records、Warp Records、Príncipeなどのレーベルから作品をリリースしてきました。特にPríncipeに関しては、その創設者の一人として確固たる地位を築く。

また、Fever Ray、Elza Soares、tUnE-yArDs、BADSISTA、Panda Bearなどのアーティストのためのリミックスを手がけ、最近では新たなプロジェクトに挑戦。2019年ヴェネツィア・ビエンナーレのドイツ館でアーティストNatascha Sadr Haghighianのインスタレーションのためのオリジナル音楽を提供等、過去数年間、ヨーロッパとイギリスでDJセットを精力的に行い、ブラジル、ウガンダ、アンゴラ、ロシアを訪問し、アメリカ、カナダ、メキシコ、オーストラリア、東アジアでのツアーも実施している。

2023年には、自身のオリジナルクルーDJs Di Guettoのコンピレーションのダブル・ヴァイナルLPエディションをPríncipeからリリース。Resident Advisorは「17年経ってもこんなに新鮮に聞こえることは、この音楽がどれだけ重要かを証明している」と言及、外部の者が触れることのできない音楽の系譜とスタイルを持つ、強固なコミュニティであり伝統であると記録した。

https://www.instagram.com/djmarfox

●Príncipe [PT/Lisbon]

プリンシペはポルトガルのリスボンを拠点とするレコード・レーベル。この街、その郊外、プロジェクト、スラムから生まれる100%リアルなコンテンポラリー・ダンス・ミュージックをリリースすることに専念している。独自の詩学と文化的アイデンティティを持った新しいサウンド、形態、構造であり、ハウス、テクノ、クドゥーロ、バティーダ、キゾンバ、フナナー、タラチーニャ、あるいはその他の新しい美学的発展など、この街で生み出される素晴らしい作品が、クラブ、携帯電話、家の外で聴けないままであることがないようにしたい。すべてのアートワークはマーシオ・マトスが考案し、実行した。全てのレコードは、一枚一枚手作業でステンシルされ、手描きされている。すべてのサウンド・マスタリングは、ポルトガルのベテラン天才サウンド・エンジニア、トー・ピニェイロ・ダ・シルヴァの自宅スタジオで、哲学に基づき行われている。

https://principediscos.wordpress.com
https://www.instagram.com/principediscos_verdadeiro

●V/A - Não Estragou Nada [Príncipe 2025]

https://principediscos.bandcamp.com/album/n-o-estragou-nada

1. Farucox - Para de Espirrar 02:54
2. Bubas Produções - Samba no Pé (Dedicação ao Lilocox) 04:15
3. Lilocox - Camones 04:32
4. DJ Bboy - Latona 03:20
5. DJ Nervoso - Veronica 04:11
6. Niagara - Madstell 05:02
7. LawBeatz - Sem Ti 03:47
8. DJ Danifox - Rua do Abismo 04:07
9. E8 Prod - Daylight 02:28
10. Mixbwé - Beat 2 02:36
11. Puto Anderson - Khamba 03:13
12. Mano Jio - Party na Jungle 03:12
13. DJ Nigga Fox - Na Casa da Mana 04:02
14. DJ Bebedera - Fodência The Scratch 01:51
15. DJ Firmeza - Beats das Piriguetes 02:49
16. DJ Cirofox - My Pain 03:10
17. Dadifox - Sambaa 02:49
18. A.k.Adrix - Glitch [IIIII] 01:57
19. DJ N.K. - Bo Ta Rebola (feat. Dama Kriola & Dama Pink) 03:22
20. DJ Marfox - Batimento 04:40
21. DJ Maboku - Capeta Lisboeta 03:02
22. PML Beatz - Reflexos Desiguais 03:41
23. Diiony G - Carrega 03:33
24. DJ Lycox - Anubis 03:46
25. XEXA - Ondas 03:03
26. Nídia - Toma Bailarina 04:55
27. DJ Narciso - Lixo 03:01
28. DJ Doraemon - G.A.Z. 03:15
29. Lokowat - Up Up 03:12
30. Puto Márcio - Orgia Mental 02:51
31. PT Musik - Tears 02:08
32. K30 - Vento no Tarraxo 03:39
33. DJ Helviofox - Melodic Vibration (feat. E8 Prod) 04:11
34. Nuno Beats - Micasibi 02:48
35. Deejay Poco - Última Hora 02:24
36. DJ NinOo - Som di Paz (feat. Vanyfox) 02:52
37. Deejay Veiga - Jarda 03:31

最も新しい学校: Príncipeは1つの屋根の下にいくつかの活動の合流点であるハウスをオープンする。このイベントを記録するために、私たちは過去と現在の未発表曲を、時には10年以上もハードディスクの中に隠しておくことにした。文脈の欠如、感性の変化、あるアーティストの良質な音源の過多など、このトラックリストが未発表のままになっている理由はいくつかある。「Não Estragou Nada "は、ファミリーの拡張されたヴィジョンを提供し、この音楽の包括的なステートメントを、ほとんど最も生々しい表現で、フィルターにかけず、喜びを表現している。私たちは、アーカイブの豊かさを考えると、特定の新曲を制作する必要はないと感じた。アーカイブがゼロから進化し始めた2010年以降、DJ Marfoxまでの数年間を網羅した、管理されたタイムマシン。このコンピレーションに参加していない著名なアーティストの中には、現在音楽以外の道を歩んでおり、自らの意志で不在にしている者もいる。祝福と感謝を。若手からベテランまで、ハウスの他のすべての人たち。それをハウス・ミュージックと呼びたいのなら、そうすればいい。春になると、すべてのものが花開くようだ。

DJ Python & mad miran - ele-king

 不定期ながらいつも刺戟的なパーティを開催しているブランド〈C.E〉より、最新情報です。3月に来日した人気者、ニューヨークのDJパイソンが早くも再来日。オランダのマッド・ミランとともに長月の一夜を彩ります。9月6日、表参道はVENTにて。
 なお、9月発売予定の紙エレキング最新号には、前回来日時に収録したDJパイソンのインタヴューが掲載されます。そちらもお楽しみに。

[8/29追記]
 パーティ会場限定でTシャツの販売が決定! フライヤーのデザインが分解~再構築され、フロントとバックに配されています。これはかっこいいぞ。


C.E presents
DJ Python
mad miran

C.Eのパーティが9月6日土曜日にVENTで開催。

洋服ブランドC.E(シーイー)が、2025年9月6日土曜日、表参道に位置するVENTを会場にパーティを開催します。

Skate Thing (スケートシング)がデザイナー、Toby Feltwell(トビー フェルトウェル)がディレクターを務めるC.Eは、2011年のブランド発足以来、不定期ながら国内外のミュージシャンやDJを招聘しパーティを開催してきました。

9月6日に開催となる本パーティでは、アメリカはニューヨークよりDJ Python、そしてオランダからmad miranをゲストに迎えます。

C.E presents
DJ Python
mad miran

開催日時:2025年9月6日土曜日午後11時
会場:VENT
http://vent-tokyo.net/

料金:Door 3,500 Yen
Advance Tickets 2,000 Yen
http://ra.co/events/2216407

Over 20’s Only. Photo I.D. Required.
20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います

■DJ Python
ニューヨークはクイーンズを拠点とするDJ兼ミュージシャンのブライアン ピネイロによるプロジェクトにおいて最も知られるエイリアス。
NYのクラブ、Nowadaysにおける長年のレジデンシーや、Anthony Naples(アンソニー ネイプルス)とJenny Slattery(ジェニー スラッタリー)のレーベルInciensoを通じて、ブルックリン/クイーンズのシーンの柱となっている。
近年、DJ Pythonはディープハウスのダイナミクスとラテンリズムを融合させた革新的な音楽スタイルによって、世界中のレコードショップ、ミックスシリーズ、クラブで注目を集めている。
2020年にリリースしたアルバム『Mas Amable』(Incienso)はResident AdvisorやBoomkatのアルバム・オブ・ザ・イヤーに選出された。
その後、EP『Club Sentimientos Vol. 2』や、DominoのアーティストEla Minusとのコラボレーション、Nick LeónとのスプリットEPなどをリリースし、さらにKelman DuranとFlorentinoのグループSangre Nuevaなども手がけている。
2023年には、アンビエント・ポップの先駆者Ana Roxanneとチームアップし、『Natural Wonder Beauty Concept』名義で、ムーディーでIDMの影響を受けたポップソングとユニークなインストゥルメンタルを収めたアルバムをMexican Summerから発表。同アルバムは、再び年間ベストアルバムリストに名を連ね、ヨーロッパ、イギリス、北米を巡るライブツアーが行われた。

2024年にはBBC Radio 1の「Essential Mix」に初登場し、未発表のトラックやAir、Alex G、Nina Simone、Autechreなどのエディットを含むミックスを披露した。同ミックスはResident AdvisorやMixmagから「Best Of」の評価を受け、Mixmagは「xxxx」と絶賛をした。
2025年3月にはEP「I Was Put On This Earth」をXL Recordingsよりリリース。
soundcloud.com/worldwideunlimited
ra.co/dj/djpython
www.instagram.com/dj__python

■mad miran
オランダのアンダーグラウンドが生んだDJ。
Garage NoordやDe School、Nitsa、Blitzなどのクラブだけではなく、DekmantelをはじめPrimaveraやSolstice、Love Internationalといった音楽フェスティバルにも出演。
soundcloud.com/madmiran
ra.co/dj/madmiran
www.instagram.com/madmiran

Stereolab - ele-king

 未来を見つめるために過去を振り返るのは、つねにステレオラブの習慣の一部だった。アートワークには1960年代の実験的なステレオ・テスト・レコード盤の要素を取り入れ、音のルーツはクラウトロックの攻撃的でモータリックなモダニズム、フランス現代思想や戦後のマルクス主義の変種などの緩めの解釈、ルチア・パメラやノーマン・マクラレン等の創造力豊かな変わり者たちによるポップ・カルチャーの難解な奥義などの多岐にわたる過去から引き出したあらゆる要素が、政治批判、技術楽観主義、そして子どものようなクリエイティヴな遊びを融合させた、進歩の土台となる精神を構築してきた。
 
 だが、その進歩という考え方が、なかなかトリッキーではある。ステレオラブの新譜があなたを本当に驚かせたのはいつが最後だっただろうか? 私にとって、それはおそらく2001年の『Sound Dust』だったのではないかと思うが、すでに1997年に『Dots and Loops』がリリースされた時点で、ステレオラブのアルバムを思い浮かべるときに必要なすべての要素が揃ったと感じていたことにも言及しておきたい。とはいえ、それ以降の作品に創造性が欠如していたわけではない。グループはしばしば、自分たち自身で障害物をこしらえて、グルーヴを壊し、プロセスを複雑化して、お決まりのパターンに陥るのを防ぐことを繰り返してきた。2004年の『Margerine Eclipse』で特にその手法が際立っているが、このアルバムは“デュアル・モノ”方式で録音され、ふたつの独立した録音が各チャンネルにあり、それらが組み合わさって音が聴こえてくるというものだった。

 『Instant Holograms on Metal Film』の制作過程でもそのような仕事がなされたのかは知る由もないが、2008年の『Chemical Chords』のセッションからの音源で編まれた2010年の『Not Music』以来の今回の新譜は、まさにステレオラブのアルバムらしい音に聴こえる。完璧なメロディの再構築、音楽的要素やテーマなど、愛聴家たちが期待するものが揃っている。私の周りの人びとの意見はというと、眩暈がするような興奮を覚えた人と、期待はずれだったという人に二分されている。ある人は“自動操縦(オートパイロット)化されたバンド”という表現で総括した。
 私はその批判は、的外れであると思う。何よりもその精緻な再現性だけで、“オートパイロット”化という言葉がほのめかす怠惰という疑いを晴らすことができるからだ。それよりも私が感じとったのは、17年ぶりに集まったミュージシャンたちがこの“ステレオラブ”と呼ばれるものの記憶を呼び覚まし、再構築するために懸命に努力する様子だった。最後に一緒に奏でた音楽から彼らを隔てた長い時間自体が、そのプロセスを複雑化する障害物として機能し、再びステレオラブになるという行為がその概念の枠組みとなっているのだ。
 これは、単なる技術の実践を超えたもののように感じてしまう。長い時間、離れていた音やプロセス、そして人同士が再接続を果たすという感情的な行為なのだ。

 冒頭から、“Mystical Plosives”の電子的なアルペジオが“Aerial Troubles”へと突入すると、何か強烈なものの存在を感じる。ビートが予想より一瞬だけ早く始まり、ポップなフックに辿り着こうと焦っていかのようだ。メロディとテーマだけで、アルバム発売前のシングル“Melodie Is A Wound”が“Ping Pong”と同じ作曲者によるものだとわかるが、いずれも、より広がりのある密度の濃い作品となっている。この曲とA面全体が、新しい家のすべての部屋を見せたくてたまらない、無我夢中な案内人に連れまわされているような感覚だ。
 ティム・ゲインとレティシア・サディエールはどちらも前回のアルバム以来、活発な活動を続けており、この再構築されたステレオラブの構造にも、それぞれの作品の要素が絡まっている。ティムのプロジェクトであるキャヴァーン・オブ・アンチ・マターのホルガ―・ツァップもゲスト参加した、インストゥルメンタルな“Electrified Teenybop!”はふたりのアルバムの一枚にも違和感なく収まりそうな曲だ。一方、レティシアが頻繁にコラボレートするマリー・メルレ(アイコ・シェリーの)がバック・ヴォーカルで参加している。
 ある意味、ティムとレティシアの、その間の数年にわたる活動が、彼らが自分たちの過去を振り返るというプロセスを必要とした大きな理由のひとつかもしれない。キャヴァーン・オブ・アンチ・マターがシンセティックなモダニズムのサウンドに激しく傾倒したのに対し、レティシアの方は、特に昨年の『Rooting For Love』では物理的なものと精神的なものに対峙していた。ステレオラブの開発ツールは、両者が再び一緒に演奏できるようにするだけでなく、それぞれの創造的なこだわりを追求する余地を提供しており、その枠組みのなかで両者のアプローチが絡み合うことが織り込み済みなのだ。

 『Rooting For Love』では、現代政治がかなり強調されていたが、それはより抽象的な形で詩的に表現されていた。だが『Instant Holograms on Metal Film』 では、資本主義の破壊的なダンスと、機能不全を好む独裁体制を、執拗に、鮮明に描いている。

「Is there some form of justice possible or (なんらかの正義の形というものは実現可能なのだろうか、それとも)/So long, public’s right to know the truth(国民の真実を知る権利の終焉か)/Gagged, muzzled by the powerful(権力者に口を塞がれて封じられ)/Cultivate ignorance and hate(無知と憎しみを増殖させる)」

 と、レティシアは「Melodie Is A Wound(メロディとは傷である)」で問いかけ、こういった率直な真剣さを嫌がる人たちの目を白黒させる。

 A面の、歌詞を通じて現在の混乱した社会情勢に対する社会的、政治的、そして経済的な批判をアルバムの基盤とするやり方は、音楽のより理論に基づいた側面と結びつき、彼女の宇宙的な進歩の処方への、ある程度の具体的かつ抽象的な入口を構築している。
 そして、おそらくここが A面の政治に対する真剣さに賛同していた人のなかでも、レティシアの政治観が精神的なものばかりでなく、ニューエイジの領域に近い要素にまで密接に結びついているために、離れてしまう人が出てくる分かれ目になっているのかもしれない。とはいえ、このアルバムは、ステレオラブがこれまで表現してきたなかでもっとも完全な、政治的かつ個人的な宣言となっている。全体を貫いているのは、ただ問題点を明らかにする
だけでなく、ある種の解決策への道筋を示そうとする献身である。 

「Juncture invites us to provide care (この岐路は私たちにケアの提供を促している)/Palliative (一時しのぎの緩和ケアを)/ For dying modernity (死にゆく現代性に)/While offering antenatal care for the inception of the new, yet undermined future (一方でまだ定まっていない新たな未来の始まりに産前ケアを提供しながら)/ That holds the prospect for greater wisdom (より大きな英知の可能性を持つ未来のために)」

 レティシアはこのように“Aerial Troubles”で語り、『Rooting For Love』の歌詞は、彼女の革命的な実践において、対立ではなく愛と共感を中心に据えていると言及している。

 “Wisdom(知恵・英知)”は彼女が繰り返し使う言葉だが、その使い方は“明晰さ”と大体一致しており、社会という名のフィルターを通して見る訓練がなされる前に世界を見透かしてしまう、子ども特有の純真さのような感覚のことなのかもしれない。おそらく、多少はフランス左派の哲学者、コルネリュウス・カストリアディスの影響もあるのだろう。彼はイド、自我と超自我に分割される前の子どもの精神を、精神的な単子(サイキック・モナド)と説明し、健全な社会には、内省のための精神分析的なツールが不可欠であると考えた。そのような自己分析なしでは、私たちは自分たちの意欲に気付けないばかりか、真の自律性を獲得することができず、自治制のない社会は機能しないからだ。
 フランス語のつづりによる“Monade”は、もちろん、レティシアが自身の名前のみを使って活動するようになる前に音楽をリリースする際に使用した名称だが、これは単なる精神分析学的な用語ではなく、グノーシス主義とも強く結びついた神秘的な言葉である。
 アルバムのB面へと進み、とくに豊かでサイケデリックなC面になると、歌詞の社会批判は、診断的な内容から治療の段階へと進み、彼らが描く救済への道には、だんだんとグノーシス主義的な宇宙論が映し出される——資本主義の現実主義的支配者、デミウルゴス(“Vermona F Transistor”の神のふりをするジョーカー)が、人類が英知や啓発を得て、モナドの高潔で純粋な光の中で真の人間性を手に入れるのを妨げようとするが、その神聖な一部の火花は本来、我々がそれぞれ内包しているものなのだ。

 だが、ここで重要なのは、これらの表現方法のすべてが、本質的には個人的なものへと行き着くことなのだ。レティシアが“Vermona F Transistor”で「The architect, our higher self (建築家という私たちの高次なる自己)」と歌うその言語は霊的なものであり、「Explore without fear the rhizomic waves (恐れることなく、根茎状の波を探索せよ)」と歌うところでは、ドゥルーズとガタリの批判理論を想起させるが、“Esemplastic Creeping Eruption”のタイトルでは、コールリッジの詩の言葉を引いており、一体感(wholeness)と結合(union)という繰り返されるテーマは、宗教、心理学、政治と愛における語彙の核心的な部分だ。  「統合」のテーマは、バンドの再結成という文脈において、特に心に迫るものだ。“Esemplastic Creeping Eruption”のエンディングの歌詞

「It is because I am you, it’s because you are me (なぜなら、私はあなたであり、あなたは私だから)/Eternally entwined, mirage of separateness(永遠に絡み合った、分離と言う幻影)/Meeting with a stranger, a lost part of myself (見知らぬ人との出会い、失われた自分の一部) /It’s because I am you, it’s because you are me (なぜなら、私はあなたであり、あなたは私だから)/Two halves of one(一個の二つの半身)/Union, compound (結合、複合)」

は、人間に共通する普遍的なテーマとしても解釈できるが、ステレオラブ自身にとっても、強力な響きを持つ文脈となっている。

 アルバムの最終面は、注目を集めたがるA面や暗さのあるB面、サイケデリックなC面とは対照的に軽やかで、爽やかさと安心感のある音調になっている。最終面より前の面でも探求された多くのテーマを再訪するが、アルバムと同様に、次へと漕ぎ出す出発点として過去に焦点を当てている。“Colour Television”が「Open are the possibilities(可能性は無限に広がっている)!」と宣言し、“Flashes From Everywhere”では、「冒険的な進み方」を約束している。

 最終的に、政治批判や哲学、心理学、宇宙論といった深遠な風景を駆け抜ける、目の回るような旅の後にステレオラブが『Instant Holograms on Metal Film』で提示する前進への道は、決して不明瞭なものではないし、大袈裟なものでもない。彼らはただ、こう言っている。「自分自身の意欲と偏見について熟考し、明晰さと自律性を獲得しよう。その明晰さで異なる可能性を探求し、自分自身と他者を、精神的、社会的に、あるいは長年離れていたポップ・グループとして、同一のものの一部として結びつき、大胆に、自由に創造しよう」


by Ian F. Martin

The idea of looking back in order to look forward is one that’s always been a part of Stereolab’s praxis. The artwork that drew from 1960s experimental and stereo test records, their sonic roots in the aggressive, motorik modernism of krautrock, various loosely interpreted strains of French Theory and postwar mutant Marxism, the pop cultural esoterica of creative eccentrics like Lucia Pamela and Norman McLaren — it all drew from the past to construct an ethos combining political critique, technological optimism and childlike creative play as a platform for progress.

That idea of progress is a tricky one, though. When was the last time a new Stereolab album really surprised you? For me, perhaps that was 2001’s Sound Dust, although I’d argue that all the key elements you need to imagine a Stereolab album were in place with the release of Dots and Loops in 1997. That’s not to say there was a lack of creativity at work beyond that point, though: the group would often construct roadblocks for themselves to throw themselves off their groove, complicate their process and prevent themselves from falling into patterns. They do this most strikingly in 2004’s Margerine Eclipse, which was recorded in “dual mono” with two independently coherent recordings, one in each channel, that combine to create the song you hear.

Whether there was some process of that kind at work behind the scenes of Instant Holograms on Metal Film, I don’t know, but this first new album since 2010’s Not Music, which was itself pieced together from recordings made during the 2008 sessions for Chemical Chords, sounds exactly like a Stereolab album: an immaculate recreation of the melodies, musical elements and themes a fond listener would expect. Opinions among people around me have been split between giddy excitement and disappointment: a feeling one person summed up as of “a band on autopilot”.

I think that criticism misses the mark. The meticulousness of the recreation alone absolves the band of the suggestion of laziness “autopilot” implies. Rather, the sense I get is of musicians working together for the first time in seventeen years, working hard to remember and reconstruct this thing called Stereolab — the gulf of time that separates them from their last music together itself functioning as a roadblock that complicates their process, the act of becoming Stereolab again its own conceptual framework.

It feels more than just a technical exercise, though. It’s an emotional process of reconnecting with sounds, processes and people after a long time.

From the start, as the electronic arpeggio of Mystical Plosives bursts into Aerial Troubles, there’s something insistent, beats kicking in just a moment before you’re expecting them, almost an impatience to get to the pop hook. Both in melody and themes, early single Melodie Is A Wound is identifiably the same songwriters who wrote a song like Ping Pong, but it’s both more expansive and densely packed. The song, and the whole of side A, really, feels like being swept along by a deleriously enthusiastic guide, eager to show you all the rooms of their new house.

Tim Gane and Laetitia Sadier have both been active over the years since their last album, and elements of both their own work twine through the structure of the reconstructed Stereolab. Holger Zapf from Tim’s project Cavern of Anti-Matter makes an appearance, and the instrumental Electrified Teenybop! would fit just as easily into one of their albums. Meanwhile, Laetitia’s frequent collaborator Marie Merlet (of Iko Chérie) joins on backing vocals.

In a way, Tim and Laetitia’s work in the intervening years may be a big part of what makes this process of looking back on their own past necessary. Where Cavern of Anti-Matter leaned hard into the sound of synthetic modernism, Laetitia, especially on last year’s Rooting For Love, sought to engage with the physical and the spiritual. The Stereolab toolkit allows them both to play together again, offering space for each to explore their own creative obsessions within a framework where the intertwining of those approaches is baked in.

Where contemporary politics underscored much of Rooting For Love, they do so lyrically in a more abstract way. Instant Holograms on Metal Film, though, lays out with urgent clarity the destructive dance of capitalism and its dysfunctional lover authoritarianism.

“Is there some form of justice possible or / So long, public's right to know the truth / Gagged, muzzled by the powerful / Cultivate ignorance and hate,” Laetitia asks on Melodie Is A Wound, no doubt causing all the sorts of people who cringe at such direct earnestness to roll their eyes.

The way Side A grounds the album in a social, political and economic critique of the current troubled climate both links the album lyrically with the more theoretical side of the music, and constructs a more or less tangible entry point for her more cosmic prescription for progress.

This is probably the point where even some of those who were OK with the political earnestness of Side A begin to check out, because Laetitia’s politics are woven intimately with something spiritual, even new age-adjacent. However, the album maps out what might be the most complete political and personal manifesto Stereolab have ever expressed. What underscores it all, throughout, is a devotion to not just identifying problems but mapping out some sort of route to a solution.

“The juncture invites us to provide care / Palliative / For dying modernity / While offering antenatal care for the inception of the new, yet undetermined future / That holds the prospect for greater wisdom,” she says on Aerial Troubles, and ss on Rooting For Love, the lyrics here centre love and compassion rather than conflict in her revolutionary praxis.

The word “wisdom” is one she returns to again and again, used in a way that seems to be roughly congruent with “clarity” and perhaps the sense of childlike innocence that sees the world clearly through eyes that haven’t yet been trained to see through society’s filters. There’s perhaps the influence of French leftist philosopher Cornelius Castoriadis in this, who describes a child’s psyche before it is broken up into the id, ego and superego as the “psychic monad”, and saw the psychoanalytical tools of self-reflection as crucial to a healthy society, because without such examination, we cannot be conscious of our motivations and therefore be truly autonomous, and a society cannot function without autonomy.

Monade (in the word’s French spelling), of course, was the name Laetitia used to release music under before settling into using her own name alone, and it’s not just a psychoanalytical term but a mystic one with strong connections to gnosticism.

As the album moves into Side B and especially the richly psychedelic Side C, and the lyrics’ social critiques move from the diagnostic to the curative, the route they sketch out towards salvation increasingly mirrors gnostic cosmology — the archons of the capitalist realist demiurge (“the joker who pretends a God to be,” of Vermona F Transistor) holding humanity back from attaining wisdom or enlightenment and experiencing their full humanity in the incorrubtible pure light of the monad, part of whose divine spark we each contain.

Importantly, though, all these modes of expression come down to something fundamentally personal. The language is spiritual on Vermona F Transistor when Laetitia sings “The architect, our higher self”, it recalls the critical theory of Deleuze and Guattari where she sings “Explore without fear the rhizomic waves”, it draws language from the poetry of Coleridge in the title Esemplastic Creeping Eruption, and the repeated theme of wholeness and union is a key part of the vocabulary of religion, psychology, politics and love.

That theme of union is a poignant one in the context of the band’s reunion. The ending of Esemplastic Creeping Eruption with the lines “It is because I am you, it's because you are me / Eternally entwined, mirage of separateness / Meeting with a stranger, a lost part of myself / It’s because I am you, it's because you are me / Two halves of one / Union, compound” can be read as a general statement about collective humanity, but rings powerfully in the context of Stereolab itself.

The final side of the album takes on a lighter, breezier, more reassuring tone than the attention-hungry Side A, the darker side B and the psychedelic Side C. It revisits many lof the points explored on the earlier sides, but perhaps like the album itself, its focus is on summarising the past as a kicking off point for where to go next. “Open are the possibilities!” declares Colour Television, with Flashes From Everywhere promising an “Adventurous way to proceed”.

For all the giddy journey they take you on through this esoteric landscape of political critique, philosophy, psychology and cosmology, the route forward Stereolab offer on Instant Holograms on Metal Film isn’t an obscure one, in the end. It’s not a grand one either. It simply says: reflect on your own motivations and biases in order to achieve greater clarity and autonomy; use that clarity to explore different possibilities; see yourself and others united as part of the same thing, whether spiritually, as a society, or maybe even as a long-separated pop group; and create boldly and with freedom.

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