「IR」と一致するもの

Iglooghost & Minna-no-kimochi - ele-king

 台湾のアンダーグラウンド電子音楽シーンを代表するヴェニュー、台北FINALを拠点とするパーティ・シリーズ〈PURE G〉が5周年を迎える。それを記念して、渋谷・WWW+WWWβにて6月28日(土)に「PURE G 5 YRS TOKYO -Iglooghost + Minna-no-kimochi-
」を開催。
 ヘッドライナーとして、UKよりイグルーゴーストを招聘する。昨年話題となったアルバム『Tidal Memory Exo』の世界観をポストパンク的に拡張した最新EP『ᮜ˚』にまつわるセットが披露されるとのこと。

 日本からは世界中から注目を集めるトランス・カルトみんなのきもち、スロベニアに出自を持つLuna Woelle、イラストレーターとしても活躍するJun Inagawaなど、東京とアジアの地下シーンを支えるプレイヤーがローカル・アクトとして出演。ほか〈PURE G〉と縁深い全メンバーが参加する。
 なお、アーリー・バード・チケットはすでにソールドアウト、一般前売の販売がスタートしている。イグルーゴーストはもちろん、日本と台湾、そしてアジア全域にわたる昨今の電子音楽シーンの最先端を感じられる日になることだろう。

6/28 (sat)

PURE G 5 YRS TOKYO -Iglooghost + Minna-no-kimochi-
at WWW / WWWβ
OPEN/START 23:30
ADV ¥4,000 / DOOR ¥4,500
Ticket : https://t.livepocket.jp/e/20250628www

-WWW-
Iglooghost LIVE A/V
みんなのきもち
Sandy's Trace Hybrid Set
Luna Woelle

VJ: Kim Laughton

-WWWβ-
Jun Inagawa
Sulk
KUAN
KATRINA

Pop-Up: GB MOUTH
artwork: Kristyna Kulikova

※Over 20 only・Photo ID required / 20歳未満入場不可・要顔写真付ID

 デイヴィッド・リンチは、ポップ・ミュージックの秘めたる威力をよくわかっていた映画監督である。それが無防備なリスナーのなかに入ると、やがては禁じられた欲望に火を点けて、ときにその人の人生に深刻な影響を与えてしまう。ゆえに、ササクレだった言葉ややかましい音響などではない、相手を警戒させないポップ・ミュージックこそ危険になりうるのだ。 『ブルーベルベット』で挿入されるロイ・オービソンの “イン・ドリームス” を思い出してほしい。映画的異化効果は、平凡な日常品、たとえば部屋の照明やドアノブなどを突然不気味なものに変えてしまう。同じように、他愛のないポップソングこそが見せ方によっては深い意味を持ちえるものなのだが、それを、つまり異化効果を音楽それ自体において高めることもできる。すなわちテクスチュア(質感)に注力するかどうか、その要素があるかないか──初期のヴェイパーウェイヴがわかりやすいかもしれない。テクスチュアを持った楽曲は、それがどんなに凡庸なラヴソングであったとしても違って聞こえる。普通だと思っていたものが奇妙に聞こえる。

 テクスチュアを聞かせるポップソングのことを現代ではドリーム・ポップと呼んでいる。リフやメロディやリズムではない、テクスチュア。そのルーツにあるのが、コクトー・ツインズでありディス・モータル・コイル(あるいはA.R.ケイン)だ。デイヴィッド・リンチが『ブルーベルベット』で使用したかった曲は、ディス・モータル・コイルのファースト・アルバムの2曲目、 “Song to the Siren” だったことは有名な話である。ヘロインの過剰摂取により28歳で夭折した唯一無二の声を持つ歌手、ティム・バックリーの1970年のアルバム『Star Sailor』に収録された、セイレーン神話──ホメロスの叙事詩に登場する、人間を死へと誘う魔性の歌声をもつ妖女──に着想を得たこの曲を、1984年にリリースされたUKの〈4AD〉というレーベルの金字塔の1枚、『It'll End in Tears』のなかで歌ったのは、ほかでもない、コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーだった。

ディス・モータル・コイルの当時の日本盤では“Song to the Siren”が “警告の歌” なる邦題という、「Siren」を妖女ではなく「サイレン」だと誤謬している。いかにTMCやコクトー・ツインズが日本で理解されていなかったかを物語っている実例だ。

 エレクトロニック・ミュージックを好きなリスナーがドリーム・ポップを好むのは、エレクトロニック・ミュージックの多くがテクスチュアの音楽であるからだ(ザ・ケアテイカーを思い出そう)。エレクトロニック・ミュージックを好きなリスナーがフィル・スペクターやジョー・ミークに関心を示すのも、彼らの人工的に脚色されたサウンドにはテクスチュアへの渇望があるからだ。まあ、エレクトリック・ギターにおけるエフェクターだってテクスチュアを生んではいるけれど、曲全体にそれがなければドリーム・ポップとは言えない。
 90年代のなかばだったか、三田格から「いまコクトー・ツインズを聴くとすごくいいぜ」と言われたことがあるが、それはじつに理にかなった話で、コクトー・ツインズは、そのテクスチュアにおいて、つまり何を歌うかよりも、そのサウンドをどう響かせるのかには注力した先駆的バンドのひとつで、しかもその恍惚とした音響はあたかも天上の音楽を想わせた。エレクトロニック・ミュージックがもっとも勢いのあったその時代、ドリーム・ポップの始祖と再会するのは時間の問題だったのだろう。当時の〈4AD〉がコクトー・ツインズにとっての相応しい音響を求めてアンビエント作家のハロルド・バッドと組ませて1枚のアルバム、『The Moon And The Melodies』を作ったということは、アイヴォ・ワッツ=ラッセル(*)に30年後の音楽が見えていたとは言わないまでも、感覚としては未来を感知していたことになる。

 さて、「株主資本主義とクレジットカード、規制緩和による見せびらかし消費が傲慢に跋扈する80年代末期」──ゴスの歴史をみごとに描いた『魔女の季節』の著者、キャティ・アンスワースにいわく「異界の気配を喚び起こす術を身につけていた」コクトー・ツインズは、スコットランドのフォルカークなる町にて、1979年、まだ十代だった男女によって誕生した。産業革命のとき重工業で栄えた運河の町で、1970年代以降は製油業の拠点となり、やがて巨大な石油化学コンプレックスとなった、アンスワースにいわく「誰にも愛されず、美しさとも無縁な土地」から、やがてこの世のものとは思えないと評された声と天上のサウンドを持つドリーム・ポップが生まれたという事実には、このスタイルの本質を知る手がかりがある。
 その霧深さゆえに神秘的で、容赦なくリスナーを異界へと連れ去ってしまうコクトー・ツインズは、既述したようにのちにドリーム・ポップと呼ばれるスタイルの大いなる始祖とされているが、フレイザーの、気体のような歌声をもったサウンドを現代ではエーテル(英語読みすれば「イーサー」)系ないしはイシリアル・ウェイヴともタグ付けされている。「イシリアル(Ethereal)」の語源、古代ギリシャ語では「上空の澄んだ空気」や「神の住む天の領域」を意味するそうだ。コクトー・ツインズの──何を語っているのかではなく、どのようなテクスチュアで語るのか、どのように響かせるのかというアプローチには、大衆音楽におけるオルタナティヴな可能性が広がっていた。それはよく言われるように、詩を書くよりも絵画を描くことに近い。(**)

 軽く説明しておこう。ディス・モータル・コイル、「この死すべき肉体/この儚き現世」なる詩的な名前を持つコレクティヴは、80年代なかばの〈4AD〉、つまりワッツ=ラッセルが仕組んだ企画もので、言うなればレーベルの才能を結集させたプロジェクトだった。コクトー・ツインズのフレイザーとロビン・ガスリーの2人、そして、もうひとりの重要メンバー、60年代にはダスティ・スプリングフィールドやウォーカー・ブラザーズらと仕事をしていた作曲家/編曲家の父を持つ音楽人、ベガーズ・バンケットのレコード店で働いていたサイモン・レイモンド。『It'll End in Tears』の1曲目“Kangroo”では、20年後には〈エディション・メゴ〉から作品を出すことになる若きシンディトークが歌っているが、その曲──ドラッギーな熱狂的な夢、ワッツ=ラッセルの説明よれば「ヴェルヴェッツの “ヘロイン” とシド・バレットを足して二で割った曲──のレイモンドによるベースラインを聴いたら、数年後の『ツイン・ピークス』のあの有名な “Fallin” を連想できるはずだ。
 予算の都合からディス・モータル・コイルの“Song to the Siren”の使用を断念せざるをえなかったことで、デイヴィッド・リンチは、その代案として自ら詞を書き、アンジェロ・バダラメンティに曲を依頼し、そしてジュリー・クルーズに歌ってもらうことにした。こうして生まれた曲が『ブルーベルベット』の終盤、ジェフリーとサンディがスローダンスを踊るシーンで挿入される“Mysteries of Love” だ。当初リンチは、“Song to the Siren”の音響を模した曲を求めたが、すでに職業音楽家としてのキャリアのあるバダラメンティを起用したことで、結果、ディス・モータル・コイルにはないオーケストレーションと、そしてエーテル系ではあるがエリザベス・フレイザーとは別種の、羽の生えたような声を持つジュリー・クルーズという稀代のシンガーと巡り会えることができたのである。


Julee Cruise  Fall - Float - Love: Works 1989-1993 Cherry Red

 先日、〈チェリー・レッド〉からCD2枚組で、ジュリー・クルーズ(1956–2022)の最初の2枚のアルバムに、ボーナス曲を加えてカップリングした『Fall · Float · Love(Works 1989–1993)』がリリースされたので、この1週間はこればかりを聴いている。ジュリー・クルーズはリンチ映画の専属歌手ではなかったし、彼女にはより幅の広いキャリア(クルーズはかのB-52's にも参加)がある。しかし、ぼくのなかのクルーズは、“Mysteries of Love” がきっかけとなり、リンチ、バダラメンティとの素晴らしい共犯関係のなかで歌うクルーズであることから逃れられない。そこで生まれた名曲 “Fallin” ——このドリーム・ポップの古典は、『ツイン・ピークス』第一話の最後のほう、ロードハウス〔*物語の舞台となった町のナイトクラブ〕のステージ上で披露された。黒いレザージャケットにミニスカート、頭には黒いレザーのフラットシルクハット、一時期の戸川純ないしはマーク・アーモンドのような服装で歌うクルーズは、さながら悪夢から目覚めることがないこの世界から逃避するゴスの使徒だ。エリザベス・フレイザーの腕には「Siouxsie」というタトゥーがあった。もちろんこれはスージー・スーへの尊敬であり、だからコクトー・ツインズの、要するにドリーム・ポップがパンク・ロックとゴシックとの交差点から生まれたことの証左でもある。

 クルーズの最初の2枚のアルバム(1989年『Floating into the Night』と1993年の『The Voice of Love』)とは、ともにリンチ(作詞)、バダラメンティ(作曲)との共作で、ともにリンチ作品と連動している。前者には“Mysteries of Love”や“Fallin” があり、『ツイン・ピークス The Return』の最終回でクルーズがロードハウスで歌う“The World Spins”がある。後者には、リンチで唯一のコメディ(暴力ロマンス)映画『ワイルド・アット・ハート』に挿入された“Kool Kat Walk”、また、『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間』に挿入された“She would Die for Love”と“The Voice of Love”があり、劇中ロードハウスでクルーズが歌う“Questions in a World of Blue”もある。
 だが、彼ら3人の2枚のアルバムは、リンチ映画に使われている曲が収録されているから価値があるのではない。デイヴィッド・リンチが好んだ50年代アメリカのポップス(もしくはアメリカン・ポップスの源流のひとつ、ブロードウェイ・ミュージカルなど)の再解釈/80年代的解釈が、いまでも魅力的だから価値があるのだ。リンチは一時期、それこそ『ワイルド・アット・ハート』におけるエルヴィスとマリリンがわかりやすいが、50年代アメリカに執着した。そして、『ブルーベルベット』のもっとも重要な登場人物のひとりの名前が『オズの魔法使い』の主人公からの引用であろう、ドロシーで、『ワイルド・アット・ハート』のルーラが自分を重ねているのもドロシー。そして、1939年の『オズの魔法使い』でドロシーを演じているのは戦前の、つまり最初期のポップスター、現代でいうところのセレブ、反逆児でもないのにアウトサイダーたちの絶対的アイドル、葬儀においてストーンウォールの暴動を促したジュディ・ガーランドそのひとである。

「この世界全体が野性の心で、そのうえ極めて奇妙(This whole world’s wild at heart and weird on top)」、『ワイルド・アット・ハート』でルーラはそう繰り返す。この世界全体が、抑制不能な心であると。これは、『ブルーベルベット』で反復される「変な世界(It's a strange world)」に対応している。そしてそれより数年前に、スージー・スーはこう歌っている。「異常な世界から正常を求めて地上を目指したら、私はより悪化した」(“Overground”)
 異界から抜け出してきたかのような、クレオパトラめいた化粧のじつに堂々としたパンクの女王とリンチとの直接の繋がりはまったくない。シュルレアリスム的な表現という点と、正常だと思われるものを異常に見せる(バンシーズの“Happy House”を思い出せ)という点では似ているかもしれないが、パンクとリンチを繋げるのは、ラモーンズもジョニー・サンダースもブロンディも、そしてマルコム・マクラレンがまさにそうであったように、50年代的なスタイルへの偏愛だろう。ゆえにレトロなポップスが遍在する80年代ニューウェイヴに、当時のリンチは共感できた。

 

『Floating into the Night』と『The Voice of Love』を聴いてあらためて思うのは、この2枚において、リンチとバダラメンティは50年代ポップスのクリシェを使い倒していることだ。そう、クリシェばかりだから退屈なのではない。クリシェばかりだからいい。それを限界まで使うことはリンチが映像でもやっていることだ。敢えてクリシェにこだわることでテクスチュアが活かされる。このアプローチは、ドリーム・ポップというタグを一躍有名にしたビーチハウスの3枚目、ないしはマジー・スターのようなサウンドにも見受けられる。
 とはいえ、『ロスト・ハイウェイ』を映画館で観た人にはわかることだが、あの映画で印象的なサウンドは不穏なドローンでありサブベース、あるいは金属音だ。この特異なサウンドはそれこそデンシノオトが本サイトで紹介しているような音響作品を先取りしているし、かのフェリシア・アトキンソンのオールタイム・ベストにクルーズの『Floating into the Night』が挙げられていたことも、じつに感慨深い。(***)

 3人が作ったこの朦朧としたポップソング集は、なにか別の世界に繋がっている装置である。ぼくたちはこれらポップソングを耳に流し込みながらなにか別のものを聴いているのだ。それはポップソングが異様に思えるさかしまの世界のことではなく、ポップソングが気持ちよく鳴っている世界そのものがさかしまであるかもしれないという反転をうながしている。ロードハウスは、エッシャーの絵のようにどこからかこの現実の裏側にめくれている。『ブルーベルベット』は絵に描いたような幸福な50年代的アメリカの風景からはじまる。しかし主人公が、茂みのなかに切断された耳──いわば闇の世界へのパスポート──を拾ってしまってから世界は一変する。

 闇のない世界などない、すべては試される。今夜もまた羽の生えた声がどこかへ連れていってくれるだろう。「私が夢見たのは、あなたが私の夢を見ていたから?(Did I dream, you dreamed about me?)」──これはリンチが使いたくても使えなかった “Song to the Siren” の一節である。ティム・バックリーが歌ったこの曲に永遠の命を与えたのはエリザベス・フレイザーとロビン・ガスリーだった。そしてその妖光を世界中にばらまいたのが、デイヴィッド・リンチ、アンジェロ・バダラメンティ、そしてジュリー・クルーズだった。周知のようにクルーズは2022年6月に旅立ち、同年12月にはバダラメンティも永眠した。リンチが突然逝ったのは今年の1月のことである

(*)アイヴォ・ワッツ=ラッセルはベガーズ・バンケット創設メンバーのひとりにして〈4AD〉の設立者。〈4AD〉のイメージ、つまりコクトー・ツインズのサウンドはこの人なしではあり得なかった。ディス・モータル・コイルもこの人のアイデアから生まれている。

(**)エリザベス・フレイザーのもっとも有名な歌のひとつに、マッシヴ・アタックの “Teardrop” がある。この曲の歌詞を訳して意味を探っても徒労に終わる。重要なのは言葉の発語されたときの音感であり、全体から聞こえるイメージなのだ。

(***) https://thequietus.com/interviews/bakers-dozen/felicia-atkinson-bakers-dozen-favourite-albums/9/

【追記】コクトー・ツインズの物語は、ここに書いたのはほんのひと欠片に過ぎない。彼らのとくに素晴らしい4枚のアルバム『Head Over Heels』(83)、『Treasure』(84)、『Victorialand』(86)、『Blue Bell Knoll』(88)で聴けるあの天上の音楽を思えば、しかしじっさいは残酷なまでに両義的で、不幸な崩壊をしている。また、これはよく知られている話だが、バンドが終わり、ロビン・ガスリーと別れたエリザベス・フレイザーが恋に落ちたのは、かつて“Song to the Siren”を歌ったティム・バックリーのひとり息子、スージー・スーを大きな影響だと公言するジェフ・バックリーだった(ちなみにジェフは、ディス・モータル・コイルの『It'll End in Tears』の1曲目、 奇才アレックス・チルトンの曲“Kangroo” を演奏しているが、このオリジナル曲が VUの“ヘロイン”に近いことは、バックリーのヴァージョンのほうがよくわかる )。周知のようにバックリーは30歳で溺死する。それからフレイザーはブリストルに移住し、やがて、明らかにコクトー・ツインズの影響がうかがえるかの地のコレクティヴ、マッシヴ・アタックと出会うのだった。

Mark Stewart - ele-king

 マーク・スチュワート、2023年に早すぎる旅立ちをしてしまった、音楽家としてもヴォーカリストとしても、あるいはアジテーターとしても稀代のアーティスト。シーンの土台作りにも尽力を尽くしたブリストルの英雄が生前録音し、急逝する直前に完成していたアルバムがあったと。それが8作目のソロ・アルバム『The Fateful Symmetry』となる。

 最近リリースされたシングル「Neon Girl」には、元ザ・レインコーツのジーナ・バーチがバック・ヴォーカルとして参加、プロデュースはYouth。アルバム『The Fateful Symmetry』は2025年7月11日にリリースされる。

マーク・スチュワートは自らのヴォイスを純然たる主観的内面性の表現としてではなく実験用動物の咆哮、怒りに満ちた金切り声、非個人的な熾烈さの連なりとして扱う。その声は切り刻まれ、ノイズ‐ハイパーダブな音の景観に改めて配布し直され、デュシャン的なファウンド・サウンドやかつて楽器だったものを凶悪にねじ曲げることで作り出されたノイズと混ぜ合わされる。
——マーク・フィッシャー『K-パンク 自分の武器を選べ』(坂本麻里子訳)より

 The Pop Group、Mark Stewart & Maffia、そしてソロアーティストとして、スチュワートはDIY精神、急進的な政治思想、プロテスト運動、哲学、テクノロジー、アート、詩といった要素に根ざした先駆的な作品群を世に送り出してきました。『The Fateful Symmetry』は、ガーディアン紙が評した通り「崇敬されるカウンターカルチャーの音楽家」としての彼の存在を証明し、最良の時代と同様に大胆かつ先見的なサウンドを展開しています。
 本作は、スチュワートの尽きることのない創造性と、内省的かつ力強いアーティストとしての一面を強く打ち出す作品でもあります。極めて表現力に富んだ革新的なアルバムであり、より良い世界を願う、激しくも美しいマニフェストです。
 唯一無二で、常に常識の枠を越え続けたアーティスト、マーク・スチュワート──その魂は今も響き続けます。
 なお、日本盤には、日本をこよなく愛してきたマークから日本のファンのために、ボーナストラック1曲とオリジナルには収録されていない英語歌詞及び日本語対訳が特別に収録されることが決定しました。

マーク・スチュワート (Mark Stewart)
ザ・フェイトフル・シンメトリー (The Fateful Symmetry)
Mute/Traffic
2025年7月11日(金)発売
解説:小野島 大
日本盤のみオリジナル英語歌詞及び日本語対訳(オリジナル盤には歌詞無し)の掲載と
ボーナストラック1曲収録が決定!

Tracklist
1. Memory Of You (先行シングル)
2. Neon Girl (第二弾シングル)
3. This Is The Rain
4. Everybody’s Got To Learn Sometime (Bébe Durmiendo Cumbia Bootleg)
5. Stable Song
6. Twilight’s Child
7. Crypto Religion
8. Blank Town
9. A Long Road
10. Memory No.9 日本盤のみのボーナストラック


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Joseph Hammer (LAFMS)JAPAN TOUR 2025 - ele-king

 ウエスト・コースト・フリーク・ミュージック・シーンを代表するコレクティヴ=Los Angeles Free Music Society (LAFMS)に在籍し、テープ・マニピュレーションに独自の境地を開拓したJoseph Hammer が 11 年ぶりに来日します。
 自身のソロアクトのみならず、催眠術師でもあるパートナーの Sayo Mitsuishiとのデュオ Swinging Chandeliers としての演奏や、幼馴染のCarl StoneとのユニットLubaoによる公演などを、大阪、東京、神奈川で開催します。

2025年
5月18日(日)
「LAFMS と遊ぶ」
大阪・複眼ギャラリーhttp://fukugan.net/
13:00-16:00
Swinging Chandeliers (Joseph Hammer+Sayo Mitsuishi)
DESTROMO(大野雅彦)

6月3日(火)
東京・代々木上原hako galleryhttp://hakogallery.jp
Joseph Hammer
Lubao (Joseph Hammer+Carl Stone)
T.Mikawa(Incapacitants)+A VIRGIN

6月4日(水)
中原昌也誕生会 -おめでとう55歳-
神奈川・日ノ出町シャノアールhttps://www.instagram.com/chatnoir_hinodecho
Open 18:00/Start 19:00
【TALK】
中原昌也×三田格×TAXIM
【LIVE】
Swinging Chandeliers (Joseph Hammer+Sayo Mitsuishi)
2MUCH CREW
QUEER NATIONS+more
【DJ】
PatchADAMS
HappySet(カントリー田村+テンテンコ)
山辺圭司(LOS APSON?)

※詳細はこちらのXアカウントの今後をご確認ください @savemasaya1

⚫︎Joseph Hammerとは
文・坂口卓也(NEUREC主催)

Joseph Hammerは1959年に米国カリフォルニア州のハリウッドで生まれた。今年66歳の筈だが、Los Angeles Free Music Society(LAFMS)の実働体としては最も若い。彼は1980年からLAFMS 外のユニットであるPoints of Frictionのメンバーとして音楽活動を始めた。当初彼はオプティガンやギズモトロンを演奏していたが、サウンドエンジニアとしての才能に秀でていたので、楽器は演奏せず音の調整に専念することでユニットに寄与することも少なくなかったようだ。

そして彼は1982年にRick PottsとのデュオであるDinosaurs with Hornsとして活動を始めた。この時、彼がLAFMSに参加したと見做すことができる。このDinosaurs with HornsにWorld Imitation Productionという秘密結社めいた団体で活動していたSteve Thomsenが参加し、1992年にSolid Eyeが始動した。やはりJosephはサウンドエンジニアリングの才能によってこのユニットに寄与していたのだが、1998年にハワイに居た時、オープンリール・テープ・デッキを使って音楽をミックスする全く新しい方法を発見する。

彼はオープンリール・テープ・デッキのマニアで、スリフト・ストアで4ドル程度のデッキを見つけては購入していた。磁気テープを切り出し、その両端を繋げたループをデッキで再生して遊んでいたが、その時に並行して録音と消去を行う演奏法を発見する。録音はデッキに外部から入力を送りこむことによって行った。

通常、最初ループに録音されている音は新たな録音によって消え去るが、Josephは手作業で録音ヘッドと磁気テープの間に隙間を作り出す。そうすると、元々テープに録音されていた音の一部が残存し、外部から導入した音の一部がそこに被さるのだ。つまり、究極的にアナログな音のミックスが成立する。彼は消去ヘッドに対しても同様の手作業を行い、音の一部を残し一部を抹消する作業を行った。この作業によって、一本のテープ・ループをデッキで回し続けて行けば最初の音はどんどん変異して行く訳だ。

以降JosephはDinosaurs with Horns、Solid Eyeでの活動と並行してソロ演奏家として活躍する。2003年のファースト・ソロ “Dynasty Suites” を皮切りに6つのアルバムを発表しているが、日本のArt into Life から2014年に発表した“Roadless Travel” は彼の代表作だと言って良い。

さて、このようにしてソロ演奏者としての活動を始めたJosephは新しいユニット活動にも意欲的だ。サンフランシスコ在住のTomas DimuzioとのDimmerは2007年の “The Shining Path” 以降4つのアルバムを発表している。今秋にはHammer、DimuzioとScot Jenerikが日本ツアーを行うことが決まっているが、その時にDimmerの片鱗を聴くことができるかも知れない。

それに先行する今年5月には、Josephがパートナーであり催眠術師でもありアーティストSayoと結成したSwinging Chandeliersの演奏が日本で披露される。Sayoは透明シートに両手で同時に絵を描き、オーバーヘッドプロジェクターでそれを投影。Josephはこれに呼応する形の演奏を行う。

同じハリウッド出身の著名な電子音楽家Carl StoneとはLubaoを結成しているが、JosephとCarlの家はすぐ傍で、幼い頃から一緒に育ったらしい。

今年は春にSwinging Chandeliers、Lubao、そしてJosephのソロ演奏が日本で展開される。秋にはTomas Dimuzio、そしてScot Jenerikとのパッケージ・ツアーで来日するJosephの様々な活動を是非ご覧頂きたい。

Mark Turner - ele-king

 アンビエントとジャズが相互に侵食し合い、時に融解を起こしているような音楽に惹かれる機会が増えた——こう書きだすと意外に思われるかもしれない。なんせ、アンビエントは聴きこむことも聞き流すこともできる窓外の雨滴のような音楽であり、一方、ジャズはプレイヤーのクレジットを伏せて誰が演奏しているかを当てる遊び(いわゆるブラインドフォールドテスト)や、小うるさいジャズ喫茶のオヤジの講釈が幅を利かせた(る?)世界である。噛み合うことのない真逆のジャンルだと思われても仕方ないだろう。
 だが、昨年のアルバムが話題をさらったナラ・シネフロ、折坂悠太や細野晴臣との共演歴もあるサム・ゲンデル、新作で新境地を示したイーライ・ケスラー、韓国のサックス奏者キム・オキなどは、このジャンルを新たな視座で切り拓きつつある。剋目すべき潮流である。ただし、ジャズとアンビエントの邂逅は今に始まったことではない。先人たちはいた。しかも、戦前から。この両者の蜜月の萌芽、その開拓者たちの記録を詳らかに物語るなら、1941年にまで遡らねばならない。
 例えば、1940~50年代にかけて活躍したクロード・ソーンヒル楽団がこの年に録音した“Snowfall”のエーテル状のサウンドはのちに細野晴臣をはじめとするアンビエント作品に影響を及ぼした。また、ブライアン・イーノは、『Ambient 4:On Land』(82年)のセルフ・ライナーノートで、アンビエント・シリーズの参照点として、マイルス・デイヴィスの未発表セッションを集めた『Get Up With It』(74年)収録の“He Loved Him Madly”に言及している。そして、ニュー・エイジ的なるものも巻き込みながら、この系譜は現在ひとつの大きなうねりを生んでいるのだ。

 だから、ストレートアヘッドな印象の強かったテナー・サックス奏者、マーク・ターナーの新作『We Raise Them To Lift Their Heads』が、アンビエント・ジャズに漸近していることには、深い感慨を覚えざるを得なかった。ターナーはオハイオ州出身、90年代初頭からNYで活躍し、ジョシュア・レッドマン、カート・ローゼンウィンケルらと共演を重ねた。リーダー作は10枚を超える。
 ターナーの現在のジャズ界における影響力は尋常ならざるものがある。以前、バークリー音楽大学で教鞭も取るピアニストの山中千尋に、「マイルス・デイヴィスを知らずに同大に入学してくる生徒が珍しくない」という話を訊いたことがあるが、そんな彼ら/彼女らの憧れやお手本はほかならぬターナーなのだという。
 それを裏づける逸話は、ネイト・チネン『変わりゆくものを奏でる 21世紀のジャズ』にも記されている。テナー・サックスに関して言うなら、90年代にどの音楽教室を覗いてみても、ふたつのサウンドの模倣が聞こえたという。ひとつはクリス・ポッター、もうひとつはマーク・ターナー。特にターナーの若いプレイヤーからの支持は絶大である。サックス奏者のウォルター・スミス三世はかつてインタビューで「マークっぽいサウンドが聴こえたら、そいつは間違いなく40歳以下のプレイヤーだ」と述べていた。
 ターナーのプレイに、マイケル・ブレッカーやウォーン・マーシュ、ジョー・ヘンダーソンといった先達からの影を見て取ることも可能だろう。その意味で彼は、革新的で画期的な演奏をしているわけではない。おそらくだが、偉人たちの遺産が凝縮された音を鳴らすがゆえに、結果的に元ネタを知らない若者には極めて新鮮に映ってしまう、という皮肉な構図が存在するのではないだろうか。

 そんなターナーの新作はソロ・サックス・アルバム。プロデュースはヤコブ・ブロである。ヤコブは「沈黙の次に美しい音」を看板に掲げるECMを代表するギタリスト。ビョークの『ヴェスパタイン』に参加したトーマス・ナックと共演盤をリリースするなど、狭義のジャズに収まらない音楽性を特徴とする。
 彼のソロ作もまた、アンビエントとジャズの中間に位置するように聞こえる。ギターをソロ楽器というよりも、場の空気(=アトモスフィア)をつくるための装置として考えている、とでも言おうか。音楽的な影響元としてポスト・ロックの先駆者ともされるトーク・トークの中心人物、マーク・ホリスのソロ作を挙げているのも納得である。
 ヤコブがプロデュースした本作は、冒頭に戻って、アンビエント・ジャズの新たな形態として捉えられる意欲作である。ソフトでウォームな音色に徹底してフォーカスしたつくりで、フレーズそのものは至極単純だ。
 その精髄は冒頭の3曲、特に“Red Hook”に顕著で、ふくよかな音色に耳を奪われる。4曲目の“Bella Vista”は、とりたててて複雑なことをやっているわけではない、というかまるで初心者向けの教則本に則っているようでもあるのだが、やはり音色の美しさに息を吞む。そう、本作の主役は美麗なソノリティにあり、その響きはまるでトーン・ポエムとすら言いたくなる。7曲目“Fast”などが象徴的だが、空間的な広がりを感じさせる空間設計も秀逸で、ここら辺はヤコブ・ブロのディレクションも大きいのだろう。
 ターナーのテナーをアルトと勘違いしてしまう、という人は多くいる。それは彼自身がある時期まで、テナーを使ってあえてアルトの音域をカヴァーするようなプレイを専売特許としていたからだ。だが、本作からはそうした定石からはみ出そうとする意志と野心が感じられる。若手のお手本にされるのもいいが、ここら辺でひとつ殻を破りたかったのかもしれない。その意味では、ターナーにとってはチャレンジであり、マイルストーンになるアルバムだろう。
 なお、ターナーとヤコブの馴れ初めについては、『ミュージック・フォー・ブラック・ピジョン』というドキュメンタリー映画に詳しい。こちらも本作のサブ・テキストになるのではないだろうか。

Sharp Pins - ele-king

 なんともなしにスマホを眺める目が情報をとらえる。20年前、30年前のこの日にあったこと、タイムラインの上での今日は誰かの生まれた日であったり、記録的な逆転劇が起きた日、名盤と呼ばれるアルバムが発売された日であったりするらしい。2025年のいまは過去の出来事に触れる機会が昔と比べて格段に増えた。日常に過去が関連付けられ今日の話題が作られる。インターネットの発展がもたらしたもののひとつに過去との距離を近くしたというはやはりあるだろう。部屋のスピーカーからはきらめくようなメロディのギター・ポップが流れてくる。この20歳の若者、シャープ・ピンズの音楽を聞いていると頭の中で過去と未来が混ざっていくような感覚におちいる。彼が生まれるずっと前の60年代の音楽への憧れ、しかしそれとは違ういまの音、ここにあるのは新しい過去なのだ。

 シャープ・ピンズはシカゴの若きカイ・スレーターのプロジェクトで彼はノイ!の曲から名前を取ったハロガロというコミュニティの中心メンバーでもある。ホースガールの話をするときに必ず登場するこのハロガロのシーンは少年期の仲間内のグループ、音楽を聞き、DIY精神で音楽を作る集団から始まった。そうしてパンデミックの中でよりコミュニティ的な側面を持つようになり次第に広がっていったのだ。彼のバンド、ライフガードのメンバー、アイザック・ローウェンスタイン、アッシャー・ケースのふたりにポスト・オフィス・ウィンター、ホースガールにフリコ、シカゴの街の中で感性が磨かれ刺激を受けて音楽とそれにまつわる文化が作られていった。その中でもジンを作ったというのが大きかったのだろう。「YOUTH REVOLUTION NOW」の文字が踊るファンジン「ハロガロ」の活動で彼らはノイ!のミヒャエル・ローターにインタヴューし
ステレオラブに話を聞いた。それと一緒に音楽について、人びとについて、自分たちに直接影響する何かに情熱をかたむける若者たちの文章が載る。憧れの存在にメールを送り、やりとりをし、なぜ自分がこれらの音楽が好きなのかを考え、表明する。何よりも自分たちのために、そしてそれを通して誰かとコミュニケーションを取る。彼が影響を受けたという80年代当時のパンクのジンと同じやり方ではないかもしれないが、しかしそこにはいつの時代でも変わることのない純粋な感情がある。

 そしてそれは彼の音楽活動にしても同じだ。シャープ・ピンズの音楽は愛に溢れている。サイケデリックでポップな60年代の音楽に対する愛、『Radio DDR』の最初の曲 “Every Time I Hear” のギターストロークが鳴った瞬間に我々は60年代の音楽の夢を見るのだ。街を歩く人びとの表情やファッション、匂いや空気、耳を抜けた先にある脳がイメージを立ち上げ世界を作る。このアルバムを聞いた時に僕はカレイドスコープやウエスト・コースト・ポップ・アート・エクスペリメンタル・バンド、ザ・クラブスの音楽を初めて聞いたときの感覚を思い出した。部屋の中に現れる未知なる過去の背景に思いをはせるような感覚、ここにはカイ・スレーターの頭の中の理想の60年代の世界があるのだ(あるいはそこにクリーナーズ・フロム・ヴィーナスが混ざっているかもしれない。それは後の世を知った世界の理想でもある)。万華鏡のように柔らかに広がる “Circle all the Dots” のギター・リフにフックの聞いたロマンティックな歌メロがのる。回りくどい小細工なしにただストレートに愛するものの形を伝える。この手法こそがカイ・スレーターの魅力だ。しかし決してやり過ぎたり、好きを押し付けたりはしない。何を吸収し何を出せばいいのか彼はちゃんと知っているのだ。

 それはまっすぐに若さをぶつけるロック・バンド・ライフガードにしてもそうだ。こうした差し引きのバランスはよくセンスという言葉で形容されるものだが、そのセンスが培われたのはおそらくジンを作ること、ハロガロのコミュニティとしての活動、そうしてインターネットとも無関係ではないだろう。自らの周りの熱を知り、遠くの温度を感じる、それをやったらどうなるのか、混ぜ合わすとなんになるのか? その例をいくつも目にし血肉とする。そうしてそれらの影響に自ら縛りをつけて適切に外に出すのだ。そうやってなんでもありの時代に線を引き形を作る。後戻りのできない、文字を消したり修正することのできないタイプライターでのジンの作成、制限をもうけた音楽制作、それらの縛りはしかし絶対的なものではなく、おそらく次の段階で柔軟に形を変え新たなルールが作られるのだろう。これこそがカイ・スレーターのセンスで強みだ。
 このシャープ・ピンズの音楽は60年代への愛を表明しているが、だが決して60年代の音楽であろうとはしていない。過去の音楽のいまの解釈、並列に存在するいまと昔の音楽は少しだけ未来を感じさせもする。こうした感性はもちろんハロガロの仲間ホースガールもそうだが、NYのカムガール8、日本のDYGLからも感じるものでもある(参照する時代やアウトプットがバラバラなのも興味深い)。2020年代も半ばを過ぎて、巡る時代は過去を片手に未来に進む。20歳の彼はこの後どうなっていくのだろう? 懐古主義ではない、紛うことなきこれは未来の音楽なのだ。

interview with aya - ele-king

 いろんなものごと、価値観が変わった。生活のいろんな細部に軋みが走り、家族のあり方も解体され、米の値段も高騰し、民主主義を否定する新反動主義がトランプ政権の背後で暗躍するこんにちになっても、喜ばしいことに、英国からはDIY音楽が独自解釈のもと次から次へと生まれている。ぼくたちは、『ツイン・ピークスThe Return』の冒頭で、ファイアマンがデイル・クーパーに放った台詞を思い出す。「音に耳を澄ませよ」

 たとえそれが恐怖と興奮の入り混じった低く唸る不穏なサウンドであったとしても、ぼくの耳は惹きつけられている。アヤの『im hole』(2021)はその決定的な1枚だった。それはUKアンダーグラウンド・ダンス・ミュージックから生まれた汚さのなかの美しいナラティヴで、今回のアルバム『hexed!』は、その続編でもあり番外編でもある。
 前作同様に、いろんな影響がここにはある。簡潔にいえば、繊細さと強迫性が今作の特徴になるのだろうが、サウンド・デザイナーとしてのアヤは、前作以上にノイズを活かし、激しさを強調している。これは不純物としての魅惑を備えたアルバムで、読者諸氏にも口のなかに入れていただきたい。

ミミズは廃棄物や腐敗した食物を分解し、肥料や堆肥に変えるために必要不可欠な存在だよね。つまり、このアルバム楽曲を書く過程で、自分の脳のなかでミミズになり、クソみたいな酷いものを音楽の肥料に変えてきたんだ。

あなたの『im hole』が大好きで、2021年のベスト・アルバムの1枚に選びました。

aya:ワォ、ありがとう!

UKのベース・ミュージックの新しい局面として、純粋にサウンドのみを楽しみました。ところが今回の『hexed!』は、楽しむというよりはぶっ飛ばされました。デイヴィッド・リンチの映画のように日常と悪夢の境界線から広がる世界というか、インダストリアルな響きへの嗜好というか、かなり激しい。

aya:デイヴィッド・リンチを引き合いに出されたことは、実は過去にもあったよ。先日もDJ中にある人から、「観客に対する軽蔑の度合いがリンチ的な感じがする」って言われたばかりで(苦笑)。

あなたのインタヴューをいくつか読みました。『hexed!』は、あなたの個人的な体験からきていて、ドラッグ中毒とその混乱、人生でもっとも辛い時期と向き合って生まれた作品だと知りました。そしてあなたは避けてきた自分のトラウマに浸った。なぜ、そのようなことになったのでしょうか?

aya:「人生でもっとも辛い時期」というのはかなり昔で、辛さから逃れるために薬物を使っていた過去の話なんだ。あの頃は、薬物との関係がどうにもならないところまでいってしまい、自分の人生や人間関係でさまざまな問題を引き起こしてしまった。摂取量を減らし、自分を厳しく律することで、最終的には完全に断つことができた。内省的な音楽を書くと、新たな景色が見えてくるよね。音楽的インスピレーションは常に水面下にあったし、自分のプシケ(魂)にぶら下がっていた。避け続けてきたものを克服しようとするのは当然のことだけど、これまではなかなかできなかった。(今作の制作にあたり、自分のトラウマに浸ることになったのは)そういった理由から。決断というよりは、どちらかというと、自分が置かれた状況からそうなったんだ。

なぜメタルコアが思春期のあなたに突き刺さったのか? いまなら客観的に対象化して説明できますか?

aya:いい質問だね。ADHDである自分にとっては、メタルコアのようなチョッピーな(途切れ途切れの)サウンドが魅力的だった。非常にエモーショナルで、抑圧されたクィアネスに明確に訴えかけてくるから。当時のUKでは、クイア界におけるポリティックス(政治)が存在したから、エモ系のムーヴメントのお陰で多くの人たちがそういったクィア・コミュニティに参加せずに、自分のクィア性を楽に表現できるようになったと思う。メタルコアは狂乱したエモーショナルな音楽で、当時の僕は狂乱したエモーショナルな人間だったし(苦笑)。

ロンドンに住んでいる友人があなたのライヴを観ているのですが、スケートボーディングがずいぶんうまいと言ってました。あなたはおそらく運動神経が良いと。スポーツはやっていたのですか?

aya:アハハハ(笑)! スケートボードのことをどうして知ってるんだろ(笑)? スケボーは7歳くらいから滑っているけど、それ以外のスポーツは一切無縁だった(苦笑)。

話を音楽に戻しましょう。思春期のあなたがオウテカやエイフェックス・ツインに求めたものはなんだったのでしょうか?

aya:信じられないほど新しい音楽だった。幼い頃からジャングルやドラムンベースを聴いて育ち、その後11歳か12歳のときに父が教えてくれたエイフェックス・ツインの“Come to Daddy”を聴いて、衝撃を受けたんだ。あんな音楽は聴いたことがなかったし、それまで聴いてきた音楽のなかでいちばん怖かったね(苦笑)。
 それ以前も自分で音楽制作に取り組んでいたけど、12歳か13歳あたりから実際に自作曲を書きはじめ、ソフトウェアを駆使するようになった。ああいった難解な音楽は「一体どうやって作っているんだろう?」って分析したりして、どんどんハマっていったんだ。でも、こういった音楽を知っているのはうちの父と、それから高校時代にメディア・スタディーズを担当していた先生くらいだった。そもそも友だちはいなかったけど……うちのクラス内では誰もこういった音楽を聴いていなかったから。

通訳:お父様はミュージシャンですか?

aya:うん。父はミュージシャンで、いろんな楽器を演奏できるんだ。以前は演劇の監督・演出家として長年仕事していた。その他、マルチメディア・デザイナーとしてのキャリアもある。一方、母は舞台女優で、セラピストとしても働いていた。両親からの影響で、最終的に自分が現在アーティストとして活動していることは理にかなっていると思う。

あらゆるドラッグをやったそうですが、あなたがハマったドラッグのひとつ、ケタミンの幻覚は、あなたにどんな作用をもたらしたのでしょうか?

aya:(ケタミンを)摂取すると、脳のさまざまな部分がじょじょに機能しなくなり、大音量と小音量を区別する能力が恐ろしく阻害される。だから、『im hole』の収録曲でも聴こえる微かな触覚的な音には理由があるんだ。自分の髪を耳の後ろにこすりつけるだけで、カサカサという音を出せたし、指をこすり合わせるだけで、即興的に自分の音楽を創り出すこともできた。
 私が表現したもうひとつの方法は……このケタミン摂取のような感覚は、完全な体外離脱の深い幻覚のようなもので、自分自身や環境、アイデンティティから完全に切り離された。リアリティ・シフトが起こり、その後に自分自身を身体のなかで再認識するようなものなんだ。とくに、アルバム『im hole』の収録曲、“If Redacted Thinks He's Having This As A Remix He Can Frankly Do One”では、あるシンセのステムを、時間の経過とともに変化する音の層(レイヤー)の処理を通して見ることができる。大半の場合、MIDIの1チャンネルで、その下にいろいろ敷いてあって、そこではフィルタリングが変化しているだけ。ひとつの物体があり、その物体を自分はどのように見ているのか。そして、それは世界からどのように切り離されているのか? 私との関係によって、どのように再解釈されるのか? つまり、このシンセのステムは、私自身の「アイデンティティ」として捉えることができるかも(笑)。

“peach”や“Time at the Bar”のような曲にみられるパラノイアックな展開は、禁断症状と関係あるのでしょうか?

aya:その2曲はまったく違う内容。“peach”はたしかに薬物使用を歌った楽曲だけど、それだけじゃないんだ。この曲は自分だけでなく、周囲のカップルにも当てはまる内容で、お互いのために最善を尽くそうとするふたりが結局はお互いを傷つけ合ってしまうという、恋愛関係のダイナミズムを描写している。サビの歌詞に「リンゴを半分に切って、交代でかじりながら午後を過ごそう(I could slice up half an apple and we could take turns nibbling the afternoon away)」という歌詞には、「これは君のためにやっているんだ……私は夕食を作っているけど、じっさい今夜ふたりで食べるのはリンゴ半分だけ」という意味が込められている。つまり、ふたりの摂食障害やアルコール依存症というような、クィアな人たちが抱えている問題を扱っているんだよね。
 一方、“Tim at the Bar”では、社会においてもっとも大衆的な「実家を出て大学に進学し、人生を楽しんだ後に家庭を築く」というナラティヴを取り上げている。自分が経験した話じゃないけど、平凡な日常生活だとか、自分が望むような生き方ができないというような、よくある話で……。
 私の場合、自分がクィアだとわかっていながらトランスジェンダーであることをカミングアウトしたのは7、8年前。イメージ的には、出航する船に乾杯するような感じだね。ちなみに、タイトルの “time at the bar”っていうのは、英国のパブやバーで閉店前のラスト・オーダー時にベルを鳴らしてスタッフが店内にいる客に向かって叫ぶセリフ。この曲が「暴力的」だと言う人もいるけど、最後の大きな鐘の音やコードや若干外れた音には、「若干の恐怖心」と「解放感」が感じられると思う。

解放的な「自由」は「恐怖」と背中合わせ。それまで自分のストーリーをすべて手放し、自分を理解するための新しい言語を見つけることは恐ろしいけど、同時に解放的なんだ。

Silvia Federiciの『キャリバンと魔女(Caliban and the Witch)』は、資本主義の成立と発展における女性の身体、労働、そして魔女狩りの役割を深く掘り下げた内容ですが、なぜあなたはこの本にたどり着いたのでしょうか?

aya:友人が薦めてくれた。以前はADHDと薬物、アルコールの問題を抱えていたから落ち着いて本も読めなかったけど、健康的になった現在は、再び読書を楽しむようになった。

日本ではJ.K.ローリングの反トランスジェンダーがとても有名で、いまだに議論になっていることです。しかし音楽の世界ではトランスジェンダーのアーティストがどんどん登場しています。とくにエレクトロニック・ミュージックの世界では、この10年、クィアと女性の進出がめざましいと思いますが、どうしてこのジャンルなんだと思いますか?

aya:社会のあらゆる分野において、以前よりクィア性の可視化が強まっていると思う。認知度が高まるということは、自分自身を理解し、潜在的なクィアネスを認識し、自分に合った新しい定義を見つける機会が増えているということ。私の場合、自分がトランスジェンダーだと気づくまで、長期間に渡り自分自身のクィアネスに対する理解と格闘してきた。エレクトロニック・ミュージックを制作している人たちと出会い、同じ音楽に惹かれ、自分自身のクィア性に関する気づきを得た。エレクトロニック・ミュージックはメタルコアやエモと似ていて、クィアな人たちを魅了していると思う。クィアなエレクトロニック・ミュージックにも解放感があり、複雑かつ重層的な感情を表現しているから。
 前の質問で「解放感」に触れたけど、解放的な「自由」は「恐怖」と背中合わせ。それまで自分のストーリーをすべて手放し、自分を理解するための新しい言語を見つけることは恐ろしいけど、同時に解放的なんだ。理解できなくても、音楽が感情面で私たちに啓示を与えてくれることがあるから。なんだか話がとっ散らかっちゃったけど、クィア性の可視化が強まっていることはいいことだね。

あなたから見て、トランスジェンダーをめぐる状況は少しずつでもよくなっていると思いますか?

aya:もちろん、良くなっていると思う。私は子供の頃から自分がトランスジェンダーだとわかっていたけど、10年前はカミングアウトなんてできない状況だった。状況は間違いなく明るい方向に進んでいると思う。

音楽の話に戻りましょう。あなたが大学時代、ベリアル、ゾンビー、ジェイムズ・ブレイクらに夢中になったことが『im hole』に繋がっていると思います。今作の目玉のひとつ、“off to the EESO”には、テクノからの影響もあると思います。テクノでは、どんなDJやアーティストが好きでしたか?

aya:“off to the EESO”はテクノではなく、最近UKで聴くことができる楽しくて馬鹿げていながら神経質な感じのハードコア系ものを参照した。例えば、(ブリストルの)Rrritalinとか。シェフィールドの〈Off Me Nut〉というレーベルも好き。彼らは主にベースライン系レーベルで、Spongebob Squarewaveみたいな音楽も扱っているんだ。

ダンス・カルチャーの快楽主義についてのあなたの考えを教えてください。じつに刹那的なものだと思いますが、だから良いとも言えるし、だから悪いとも言えますよね。

aya:(ダンス・カルチャーは)両刃の剣のようだよね。多くの人にとっては踊ることで楽しい時間を過ごしたり、健康な「必要な空間」。でも一方では、クラブ・シーンで人生を台無しにするような状況に陥る人もいる。自分を振り返ってみても、音楽を観に行くというよりクラブの奥の部屋に座りっぱなしで、DJプレイに注目していなかったことがあるし。 でも、クラブに行く人の目的は各自違うし、音楽を聴かずに奥の方にいることが悪いことだと決めつけたくはない。人生から解放されたい人もいるだろうし、生きていれば最悪なことだってある。各自に合った手法でそういう感情を処理する必要があると思うから。

“the names of Faggot Chav Boy”をUKガラージ風の曲調にしたのは、あなたのウィットなセンスがあると思います。この曲を説明してもらえますか?

aya:この曲に出てくる話は私が見てきた数々の悪夢をまとめたもの。私は長いあいだ、本当に激しい悪夢に悩まされてきた。本当に長いあいだ、いつも強烈な夢を見てきたんだ。

ミミズを口のなかに入れるというアイデアはどこから来たんですか?

aya:デビュー・アルバム(『im hole』)のジャケ写は公園の地面に落ちていたゴミの束を持つ私の手だった。ベルリンを去る自分のパートナーのために開催したパーティで私はこのゴミを手にして「ねぇ、誰かこのアングルから写真を撮って」ってお願いしたんだ。ちょうどクラブ系のアルバムを解体したようなアートワークだと思ったんだよね(笑)。その後、前作のアルバム制作中に、ジャケ写が必要になり、その写真を引っ張り出してきて、「(このアルバムに)凄くいいジャケ写真!」と思った。暗闇から突き出されたこの手は火傷を負っているのか、何故かわからないけど真っ赤で、持っているのはこのゴミだけ。
 新作『hexed!』は、前作『im hole』の続編ではないけど、ある意味では続いているというか、鏡のようなもの。新作にはヴォーカル曲を多数収録したから「今回は手ではなく、自分の顔の一部をジャケ写にしたい」と考えた。この写真での私は何か恐ろしいものを吐き出していて、そこにはミミズと土の関係性がある。ミミズは廃棄物や腐敗した食物を分解し、肥料や堆肥に変えるために必要不可欠な存在だよね。つまり、このアルバム楽曲を書く過程で、自分の脳のなかでミミズになり、クソみたいな酷いものを音楽の肥料に変えてきたんだ。

『hexed!』が意味することは、“wanting to get over the hex, shake the curse(呪いを解き放ち、振り払いたい)”だと『Wire』の取材で答えていますね。じっさいこのアルバムを作ったことで、あなたはシラフの生活に戻ったわけですが、現在、あなた自身がこのアルバムをひとりで聴きたくなることはあるんですか?

aya:まだそういう気持ちじゃないんだよね……。8〜9カ月前くらいに完成したばかりだし。実は現在ツアー中で、毎週末ギグが入ってるから、ある意味では(新曲を)聴いているけど、最後にアルバムを通して聴いたのは昨年10月かな。このアルバムを書いているときに『im hole』を久しぶりに聴いて、マジ変な作品だと自分でも思ったね(苦笑)。

“droplets”は、歌が際立っているという意味で、ayaのポップ・ソングだと思いました。こうした方向性は今後も追求しますか?

aya:それは、わからないなぁ。次の音楽的方向性はわからない。実現させたいコラボレーションはいくつかあるけど、自分の音楽がどこに向かうかはわからない。

あなたもっとも癒やされる/癒やされた音楽作品をあげてください。

aya:表面的に「癒し」を与えるような音楽にはあまり惹かれないんだ。複雑な感情が根底に流れていないような音楽にはイライラするから、「癒し」よりも「カタルシス」を与えてくれる音楽が好き。熱狂的だけどエモーショナルなメタルコアものとか。2018年に解散したアメリカのスクリーモ・エモ・バイオレンス・バンドのLord Snowが大好きで、彼らのアルバム『Solitude』は昨年、何百万回も聴いたよ。アルバムの尺はたったの30分くらいだけど、ああいった作品は他にないね。よりエレクトロニック寄りなアーティストだとクララ・ルイス(ワイヤーのグレアム・ルイスの娘さん)の『Ingrid』が好きだし、彼女の最新作『Thankful』も大好き。クララ・ルイスが奏でる音色のセンスは実に驚異的で、『Ingrid』は本当にのめり込める音楽。チェロの音色がループし続けるような作品で、尺は30分近くあるけど、何時間でも聴けるんだ。

いつかあなたのギグを日本でも観れることを願ってます。今日はどうもありがとうございました。

aya:こちらこそありがとう。早く日本に行きたい!

抵抗とファンタジー、そして音楽──
渡辺信一郎のめくるめく世界へようこそ

最新TVアニメ『LAZARUS ラザロ』が放送中の渡辺信一郎、
自身の半生、および全監督作品について計6万字以上で語る

最新作『LAZARUS ラザロ』をはじめ、『カウボーイビバップ』『サムライチャンプルー』『坂道のアポロン』『スペース☆ダンディ』『残響のテロル』『キャロル&チューズデイ』ほか全作品再訪

featuring
細野晴臣 Haruomi Hosono
カマシ・ワシントン Kamasi Washington
ボノボ Bonobo
フライング・ロータス Flying Lotus
サンダーキャット Thundercat

影響を受けた100枚の音楽作品

菊判220×148mm/224頁
© 2024 The Cartoon Network, Inc. All Rights Reserved

目次

ナベシンさん、憧れの細野晴臣さんに会う

渡辺信一郎、ロング・インタヴュー
パート1 最新TVアニメ『LAZARUS ラザロ』への意気込み、幼少期からサンライズ時代、そして『マクロスプラス』へ
パート2 『カウボーイビバップ』から『アニマトリックス』、『サムライチャンプルー』、『ジーニアス・パーティ』、『坂道のアポロン』まで
パート3 『スペース☆ダンディ』と『残響のテロル』、『ブレードランナー』から『キャロル&チューズデイ』、最新プロジェクト「太素」まで

最新作『LAZARUS ラザロ』への誘い (宮昌太朗)
脚本家・佐藤大が語る、渡辺信一郎の個性

musician's interview
カマシ・ワシントン
ボノボ
フライング・ロータス
サンダーキャット

column
希望の残響が聞こえる──渡辺信一郎作品におけるテーマの魅力 (小林拓音)
誰もが怖いもの知らずだったあの時代 (渡辺健吾)
『サムライチャンプルー』はいかにして世界に広まったか──ロウファイ・ヒップホップのグランドファーザーとしての渡辺信一郎 (古川耕)
渡辺信一郎はビートルズである (藤田直哉)

渡辺信一郎が選ぶオールタイム・ベスト100アルバム

フィルモグラフィ (宮昌太朗)

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お詫びと訂正

このたびは弊社商品をご購入いただきまして誠にありがとうございます。
『別冊ele-king 渡辺信一郎のめくるめく世界』に誤りがありました。
謹んで訂正いたしますとともに、お客様および関係者の皆様にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

●66頁 2行目

誤 写ったら
正 移ったら

Big Hands - ele-king

 イタリア系のアンドレア・オットマーニによる『驚異(Thauma)』と題されたデビュー・アルバム。これまでにリリースされたダンス系のシングル群とは少し趣きが変わり、アンビエント・ミュージックの文脈に多くが委ねられている。ダンス・ミュージックのプロデューサーにはありがちなことだけれど、ダンス系のシングルを連発しながらいざアルバムとなるとアンビエント・ミュージックにスライドするというのはエイフェックス・ツインやジョーイ・ベルトラムの90年代から最近のサラマンダに至るまで常態化したフォーマットといえ、ダンスフロアを意識しないで音楽制作をするということはそのようになりがちなのかなと。とはいえ、ビッグ・ハンズはここ8年にわたって様々なパーカッション・サウンドにこだわってきた存在だっただけに、その先に見たかったものとは異なる景色が開けたことは良くもあり悪くもありで、DJもまた素晴らしいだけに残念に感じる面もなくはない。『Thauma』を制作した動機としては嵐のなか地中海を横断し、その間に彼が2夜連続して見た夢を音で再現することにあったそうで、それがきっかけとなってアルバムをつくろうと思っただけマシなのかもしれないけれど(どんなにいい曲を連発してもダンス系のプロデューサーでアルバムをつくろうという人は滅多にいないし、エイフェックス・ツインがローリー・Dの音源をまとめたように10年後にコンピレーションがつくられればいい方なので)。

 8年前に「Redline Greenline」でデビューした際、オットマーニの関心はグライムやブレイクビートにあったらしい。当時のベーシック・リズムリアン・トレナーに倣ったか、骨組みだけのシンプルなビートを打ち込み、リズム以外の要素にはあまり興味を持っていなかったことがいまさらながらに確認できる。同じ年の暮れにはパーカッシヴ・サウンドを基調とした7曲入りのEP「Arcane Mosaics」をリリースし、ダブ・テクノを重要な要素として加えたことでその後の雛形が整っていく。2年後にはイギリスに移動し、ソレアブ(Soreab)ことダリオ・ピッチと共に〈Baroque Sunburst〉を設立、レーベル名と同じタイトルを冠した「Baroque Sunburst EP」をリリース。一気に洗練されたというのか、それまでよりもアトモスフェリック重視のサウンドになり、ドラミングは明らかにスピーカー・ミュージックの影響を受けている(つーか、マネ?)。一方のソレアブがつくるサウンドはもっとハードで、2人の接点は見出しづらいところがあるにも関わらず、〈Baroque Sunburst〉は「〈Honest Jon’s〉が運営するベース・ミュージックのレーベル」と評されることになっていく。

 コロナ禍に入った2021年には2枚の重要なEP、「Lakamha」と「Ossario」が続く。オリジナリティという意味でも充分な貫禄を見せた「Lakamha」はとくに素晴らしく、ゆっくりと踏みしめるように進むビートが印象的な “Calix's Head” はダブ・テクノとドラムン・ベースをミックスした傑作となり、早くもオットマーニの才能が最初のピークに達した感がある。ダブ・テクノとドラムン・ベースの融合は2017年にDV1が “Kalt” や “Feld” といった曲で少しやりかけていたけれど、ここまで見事なものではなかった。同じくダブ・テクノに新たなヴィジョンを切り開いた “1346” はペストが最初に流行り始めた年をタイトルにしたもので、8分を超える “Louis H. Theme” はどことなく鎮魂歌の響きも。神話上の洪水を表した「Lakamha」に対して、コロナ禍がもたらした結果ということなのか、納骨堂を意味する「Ossario」はいまとなっては『Thauma』への布石であり、パーカッションの響きが催眠的な効果を持つタイプに変化した最初となった。細かく刻まれるビートが躍動感よりも瞑想を促す精神的なアドヴァンテージを高め、日本で輸入盤を扱うショップやサイトが彼の作品を「Fourth World」という形容詞で紹介したがるのも納得がいく。「Ossario」をリリースした〈Blank Mind〉はまた、ベース・ミュージックをリードするレーベルであるにもかかわらず、やはりコロナ禍に合わせてということなのか、同じ年にアンビエント・ミュージックのコンピレーション『Comme de Loin』を企画して、オットマーニもマリョレイン・ファン・デル・ミーア(Marjolein van der Meer)との共作 “Kitty Jackson” を提供し、これが彼にとっては本格的なアンビエント作品になった。

 自ら設立した〈Baroque Sunburst〉を含め同じレーベルから1枚のシングルしかリリースしないオットマーニは珍しく〈Blank Mind〉からはもう1枚、「A square, a circle」(23)もリリースしている。ここでは「Ossario」でスピッた感覚を引きずりながらパーカッションの比重は変えずにベース・ミュージックよりもリスニング・テクノの領域に寄せた3曲が試行され、タイトル曲は「四角、円」というタイトルと呼応するように多角形を意味する “Polygon Window” そのままに聞こえる。この辺りの風の吹き回しがなんだったのかよくわからないけれど、ダブ・テクノが視界から消えてしまったのはちょっと驚いた。企画ものがいくつか続いた後に、今度はダブ・テクノずっぽりの「The Vulgarity Of Snow」(24)をリリース。ベーシック・チャンネルの基本に戻ったような導入から方向性は雑多なダブル・パックで、単なるお蔵出しなのかもしれないけれど、早くもなにがやりたいのかわからない時期に突入した印象を受けてしまう。「Lakamha」に漲っていたテンションが一向に回復しないため、この辺りで離れてしまったファンも多いのではないだろうか。少なくとも僕はそうだった。しかし、今年の始めにリリースした「Bacchanalia」ではそうした懸念をオットマーニは完全に払拭。ダブ・テクノの酩酊感とドラムン・ベースの緊張感を回復した「Bacchanalia」には「Lakamha」の次が見えたという感覚があり、曲調の幅広さにも未知のポテンシャルは感じられた。 “Bacchanalia III” で細かく刻まれる小さな金属音など繊細な音処理にも一段と磨きがかかり、次のシングルも期待できるぞ……と思ったところで、2ヶ月後にアルバムが届いた。上に書いたようにアルバムをつくるタイプではないと踏んでいたので、これはまさに不意打ち。しかも初めて「Jazz」というタグが付けられていたので、期待と不安が一気に高まり、クルスク州を奪い合うロシアとウクライナのようにどちらも全身全力で想像力を掻き立ててくれる。

 アルバムは冒頭にも書いたように予想外に「アンビエント・ミュージックの文脈に多くが委ねられて」いた。地中海で行ったフィールド・レコーディングを縦横に駆使し、ヴォイス・サンプルを重ねて幽玄なムードを醸し出す導入からそれまでのビッグ・ハンズではなく、だらだらと肩の力を抜いたサウンドが展開され、続いて “Calix's Head” を骨抜きにしたような “Fuoco Lento” では湿地帯を歩き回るようなリズムとパーカー&カーペルによる管楽器の組み合わせがなるほど「Fourth World」というキーワードに説得力を感じさせる。 “Fuoco Lento” にはエイブラハム・パーカーとアンドレア・オットマーニ、さらにパレスティナのビント・ムバレ(Bint Mbareh)と日本の高橋勇人で構成される「オットマーニ・パーカー」の演奏がフィーチャーされている。高橋勇人はいつのまにミュージシャンになってんの? という感じだけれど、口承伝説の収集家でもあるビント・ムバレは水の研究を通して様々なパフォーマンスを展開してきた現代アートのパーフォーマーとして知られ、ニコラス・ジャーと組んだ「ウォーター・イン・ユア・イアー」ではミシェル・レドルフィが長らくコンセプトとしてきた水中で音を聞くプロジェクトを推進。「ウォーター・イン・ユア・イアー」はナショナリズムや経済学といったあらゆるシステムの批判を目的とした複雑な活動趣旨を持ち、簡単に説明できるものではないのでいずれ高橋勇人による詳細なインタビューを待ちたいところ。また、「Fourth World」というタグは音楽の分野ではイーノ&ハッセルの功績に依拠した輝かしい形容詞として使用されるワードだけれど、一般社会では「サンフランシスコはもはやFourth Worldと化している」というようにあまり良い意味では使われないので、音楽以外の場面で使うときには注意した方がいいです。

 掛け値なしのアンビエントとなった “Cicadidae يَتَوقَّع” に続いてユースフ・アーメドのハンド・ドラムを起用した “Presagio - Hē thálassa hē kath'hēmâs” ではようやく往年のビッグ・ハンズへと回帰。「前兆」を意味する “Presagio” は「Lakamha」のヴァリエーションといえ、どうやら嵐の前の静けさを表現しているらしい。そこから突風が吹き荒れるのかと思いきや、曲調は再び穏やかなアンビエントに戻り、さらにパーカッションとサックスを強調した “Sticks and Stones” へ。「Jazz」というタグが付けられたのはこの曲のせいかなと思うけれど(ほかに思い当たらない)、バスター・ウッドラフ=ブライアントによるサックスはパワフルでピエール・モエルランズ・ゴングをなんとなく思い出す。続いてビント・ムバレが清涼なヴォーカルを聴かせる “A Juniper Tree Whose Roots Are Made of Fire - شجرة عرعار بشروشها نار و شرار ” は不安を煽りまくる曲調で、高橋勇人による催眠的なパーカッションがそうした雰囲気を倍増させ、「Fourth World」のダークサイドへずんずんと踏み込んでいく(ここがクライマックスでしょう)。木琴のような音を前面に出した “Tu Estómago (XVI)” もピエール・モエルランズ・ゴングみたいな小品で、パーカッションの叩き方がこれまでのどの曲とも異なる “In My Recurring Dream (Sekizinci Iblissin)” は夢から逃れられないという事態を客観的に描写したような不思議な静けさを表現。最後はユースフ・アーメドのドラムとバスター・ウッドラフ=ブライアントのサックスを戦わせた “Rinascita” (=再生)で、それこそいま夢から覚めました的なクロージング。「Lakamha」と「Ossario」で確立した音楽性を最大限に広げ、踊るという行為から身体性を解放した試みはそれなりの帰結に辿り着いたということになるのだろう。「Lakamha」と「Ossario」をさらにパワー・アップした内容のアルバムを聴きたかったという気持ちはまだ燻りつつも、これはこれでひとつの世界観を完結させていることは確か。

 ダブ・テクノはパイオニアのモーリッツ・フォン・オズワルドが「まったく聞かない」と全否定していたことがあるようにエピゴーネンが多過ぎて、細かく追いかけるのがしんどいジャンルである。ポーター・リックス、モノレイク、ポール、シャトル358、ヤン・イエリネクと、2000年前後までは革新的な展開が次々と出てきたものの、オズワルド自身もジャズへと転身し、その後は大きく動くことはなく、2015年にイタリアのシェベルがグライムとダブ・テクノを、翌16年にジャマイカのイキノックスがダンスホールとダブ・テクノを融合させ、さらに17年にはイラン系のアリウォがアフロ・キューバン・ダブ・テクノを編み出した以降、目立った動きはなく、やはり様式性へと堕していくだけのジャンルに見えていた。それが今年に入ってシェレルのレビューでも触れたトルコ系のDJストロベリーがジュークとダブ・テクノを、河村祐介が紹介していたコンラッド・パックがニュー・ルーツ・ダブ・テクノを編み出し、さらにフランスのアワド(Aawadh)がハーフタイムとダブ・テクノを融合させ、またしても一時的に活況を呈している。ビッグ・ハンズの試行錯誤もこの流れとなにかしら共有している部分はあるだろうし、『Thauma』も「Fourth World」とダブ・テクノのミックスとしてカウントできる作品だといえる。

interview with Mark Pritchard - ele-king

 リロードに “Peschi” という曲がある。カール・クレイグの影響下で生まれたとおぼしきそれは、直接90年代の音楽ムーヴメントを体験できなかった者にとって、遅れて生まれてしまったことの無念を永久に増幅させつづける、アンビエント風テクノの名曲のひとつだ。ゆえに後世のためにも、同曲が収められたリロード唯一のアルバム『A Collection of Short Stories』(1993)はぜひリイシューされてほしいところだけれど、マーク・プリチャード(とトム・ミドルトン)による豊かな創造性はその後、アンビエントとしてはグローバル・コミュニケイション『76:14』(1994)へと結実し、エレクトロとしてはジェダイ・ナイツの冒険をうながしてもいる。
 なんとか間に合った00年代以降の作品で個人的に気に入っているのは、うなる重低音とヒップホップ・ビートのなか絶妙に抑制された感傷がしぼり出される、ハーモニック313名義の『When Machines Exceed Human Intelligence』(2008)だ。もちろん、フューチャー・ジャズの動きに呼応したトラブルマン(2004)だったり、スティーヴ・スペイセックと組んでグライムやらフットワークやらを消化したアフリカ・ハイテック(2011)、あるいは再度フットワークやジャングルなどに挑んだ2013年の本名名義のシングル・シリーズなどなど、見すごすことのできない仕事はほかにもたくさんあるわけだけれど(ワイリーのプロデュースも忘るるなかれ)、そうしたディスコグラフィからはつねに時代の尖端に敏感なプロデューサーの姿が浮かび上がってくる。大局的に整理するなら、00年代後半から10年代前半にかけての彼はベース・ミュージックのよき理解者として位置づけられよう。
 そんなイメージを大胆に覆したのが前作、すなわち本名名義では初のアルバムとなった『Under the Sun』(2016)だ。極力ビートを排し、フォーキーなムードまで導入した美しくも不穏な同作は彼のキャリアにおけるひとつの転機といえるが、そこに招かれていたゲストのひとりこそトム・ヨークだった。かたやアンダーグラウンドのヴェテラン・エレクトロニック・プロデューサー、かたやアリーナ・ロック・バンドのフロントマン──。大きく立場の異なる両者による全面的なコラボレイションが、今回のアルバム『Tall Tales(ほら話)』である。

 エレクトロを崩したビートが耳をとらえて離さない “A Fake in a Faker’s World” にはじまる新作は、すでに2010年代につくられていたプリチャードによるいくつかのトラックをとっかかりに、ロックダウンのさなか何度もオンライン上でキャッチボールを重ねることで進められていったという。ベースの旋律と天へと召されそうな上モノとの対比が聴きどころの “Bugging Out Again” や、同様にベースラインが耳に残る “Back in the Game” などにはプリチャードの低音へのこだわりがよくあらわれている。チープな電子音やドラムマシンの素朴な反復が楽しめる “Gangsters” から “This Conversation is Missing Your Voice” へといたる流れも見過ごせない。アルバムはヴァラエティに富む一方で、幽玄なシンセ・ワークとヨークの声の存在感、そしてジョナサン・ザワダによる独特のヴィジュアルのおかげで不思議な統一感をまとってもいる。オルガンらしき音が聖性を演出する “The Men Who Dance in Stag’s Heads” ではだいぶ低いヴォーカルが披露されていて、ヨークのファンにとってもまた聴き逃すことのできない1枚といえるだろう。
 とまあそんな具合に、これまで発表してきたどのアルバムとも似ていない作品を完成させたマーク・プリチャード。彼にとって今回のプロジェクトはどのようなものだったのだろうか。

ぼくの普段の生活がロックダウンと似ていて、ここ12年はいつも地下室に閉じこもって自分の世界にいるからさ。だから引きこもるのに慣れていたという意味ではラッキーだった。

現在もお住まいはシドニーですか? 移住して何年目でしょう? もうシドニーが故郷のように感じられるくらいには時が経っていますか?

マーク・プリチャード(Mark Pritchard、以下MP):そうだね、こっちに来てもう20年になるよ。

今回のコラボ・アルバムは、あなたがトム・ヨークから乞われて、デモ・トラックを送ったところからスタートしたそうですね。つまり、もとのデモがつくられた時期は曲によってばらばらということでしょうか?

MP:大まかにここ10年くらいのいろんな時期につくったものだよ。いまtrack by trackをやっていてつくった時期を確認したんだけど、大多数が2016年から18年くらい、あとは19年のものもあって、2012年のものあるという感じだった。

いちばん古いものはいつごろのものでしたか?

MP:“Wandering Genie” と “A Fake in a Faker’s World” がたぶん2012年とか……どうだろう、2014年くらいだったかもしれないけど、とにかく、確認したときにこんなに前だったんだなって思ったよ。

あなたはこれまで幾人ものヴォーカリストやラッパーとコラボレイトしてきました。個人的にはスティーヴ・スペイセックとやったハーモニック313名義の曲 “Falling Away” がお気に入りです。トム・ヨークとは以前もいっしょに “Beautiful People” をつくっていますが、彼はこれまであなたがコラボしてきたほかの歌手やラッパーと、どう異なっていますか?

MP:全員ちがうからなあ。仕事の進め方にしても、雰囲気にしても、感じ方にしてもそれぞれ異なっていて、たとえばスティーヴ・スペイセックの場合、ちなみに彼はぼくと同じ年にオーストラリアに移ってきたんだよ。まったくの偶然だったんだけど。新たな場所で音楽の知り合いがいるっていうのは心強かったね。とにかく多くのすばらしいヴォーカリストと仕事をさせてもらっているっていうのはほんとうにラッキーだと思う。スティーヴのやり方は結構トムと似ているかもしれない。アプローチは違ったけど……スティーヴはスタジオでその場で歌詞を書いて歌ったんだ。一方今回のプロジェクトでのトムは、ぼくがトラックを送って彼がヴォーカルをやって送り返してきて、まあだから同じ場所にいるかいないかっていうちがいだけど。同じ部屋でやることの利点もあるし、でも自分の世界に入って求めるものをじっくり見つけたいひともいるから。ふたりの共通点はファルセットのシンガーである点。あとはふたりともすごく才能豊かで一緒に仕事がやりやすいところ。
 トムの場合は、まずいったん彼がつくってこちらに送ってきて、それから話し合う必要がある場合はZoomで話す感じだったね。当時はロックダウンの最中でしかもべつべつの国にいたから。なにかがうまくいっていないとか、なにが必要なのかとか。まあもしパンデミックがなかったら一緒にスタジオに入っていたかもしれないけど、でもトムは当時も複数のプロジェクトを抱えていたし、それにひとりで集中する時間も必要だからね。ひとによっては、気分がのらないとできないとか、心の準備が必要だとか。まあ千差万別だよ。邪魔されたり話しかけられたりせずに集中してやるほうがいいっていう場合もある。ある特定の状態に入って、ひとと話したり分析したりせず、まずはいったん形にするとかね。トムは間違いなくそのタイプだと思う。というかほとんどのひとがそうなんじゃないかな。ぼく自身もそうだし。一度つくって、そのあとで判断、精査するっていう。ちょっと寝かせたほうがよかったりもするしね。翌日になってあらためて聴いたほうがどれがうまくいってなくてどれがうまくいってるかより明らかになるから。トムは間違いなくそういうやり方を好むと思う。前に彼が言っていたけど、噴出するみたいに出てくるんだっていう、それがたくさん出てきて、そのあとに構成や秩序立てをするんだと。なかにはそのふたつの状態を素早く切り替えられるひともいる。ぼくもそういう創作モードから構成モードにすぐ切り替えられるひとに会ったことがあるけど、それが難しいってひともいるよね。

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トム・ヨークはメロディやリリックを書いて歌うだけでなく、サウンドを足してきたりもしたそうですね。そのプロセスのなかで、予想外で驚いたことやおもしろかったことがあれば教えてください。

MP:“Happy Days” という曲で、彼がピッチを変えて語るようなヴォーカルをやっているんだけど、それが60年代くらいのBBCの女性アナウンサーを思わせる感じで、おそらくペダルかなにかを使ってピッチとフォルマントを変えているんだけど、ほかの箇所ではリズミカルに語っていたり、あれはすごいなと思った。ああいうことをするためには、そのキャラクターにしっかり入り込んで、さらにはもしかしたらぜんぜんダメかもしれないというのを覚悟しなきゃいけないと思うから。ゴミになるかもしれないことを厭わずやるっていう、それってある程度自信がないとできないと思うんだ。
 あとは “The Men Who Dance in Stag’s Heads” と “The White Cliffs” の半分くらいは低い声で歌っていて、それも予想外だった。彼はそういう感じの歌い方をあまりやっていなかったと思うから……もちろんこれまでいろんな音域で歌ってきたけどね。個人的に好きな歌い方だったから嬉しかったんだ。じっさい「こういう歌い方ってそんなにやってないよね」って本人にも伝えたら彼も「いや、前からもっとやりたいと思っていたけど100パーセントの自信がなくて、でも技を見つけたんだ」と言っていて。それがすごくシンプルなトリックで、昔のレコーディングでよく使われたテープのスピードを変えるってやつだったんだけど、ヴォーカルにもほかの楽器でも使われていたもので。それでピッチが上がったり下がったりするっていう。ほんの半音変えることもあれば、もっと大きく変えることもできる。昔のテクニックだけどデジタルでも同じことができるんだよ。いまのツールにはそういう機能も備わっているんだ。

これは『Under the Sun』のあとにつづく作品という位置づけで、ただし今回は全曲ヴォーカルありでひとりのシンガーと組んで、スタイルや楽曲自体は多様だけどひとつの作品としての一体感を出そうとして。

今回、モジュラー・シンセやヴィンテージなアナログ・シンセサイザーが多く使われているそうですね。そうなったのはなぜですか?

MP:トムは最近のモジュラーを使っていて、Eurorackとかそんな感じのやつをかなり揃えていると思うけど、とにかく自分の声やメロディや歌詞に合う音質を追い求めて、おそらく彼は直感的にやっていたと思うし、ときにはエフェクトなしの自然な歌声のほうがいい場合はそのまま歌っていて。そうやっていつもとはちがう声の使い方をするっていうのは楽しむ方法のひとつでもあると思う。当時はザ・スマイルの初のアルバムをつくり終えたばかりで、そっちでヴォーカルをひとしきりやったあとに、また新たに12曲やらなきゃいけなかったわけだから。つまりは、曲に合う音質を探すのと、これまでにない声の使い方をするっていう、そういうチャレンジだったんじゃないかな。あれだけ長く歌ってきて、多くの作品をつくってきて、いかにおもしろがりつづけられるかっていう。それはぼくのシンセサイザーでもおなじことで、自分のものを使ったり、自分が持ってない古いシンセがたくさんあるスタジオに行ってレコーディングしたり、それはやっぱり、これまでとはちがうものをつくろうっていうことで。すごく多機能なやつも持っているけど、たまにはちがうことをやったほうがいい。習慣や手癖でつくるのをやめるっていうね。

パンデミック中に制作がはじまったこのアルバムには、あの時期の閉塞感や不安などがサウンドにあらわれていると思いますか?

MP:自分について言うと、パンデミック前に音楽はぜんぶ書いてあったからあまり影響はなかったと思う。それにぼくの普段の生活がロックダウンと似ていて、ここ12年はいつも地下室に閉じこもって自分の世界にいるからさ。だから引きこもるのに慣れていたという意味ではラッキーだった。家に閉じこもって外出できないのがすごくつらいっていうひともたくさん知っていたからさ。もちろん先行きがわからない不安やウイルスの怖さは感じていたけど、そういう部分でのつらさは比較的なかったんだよ。むしろあの時期にこういう大きめのプロジェクトがあってすごくよかったなと。これがなかったとしても音楽をつくっていただろうけど、あの時期にこのプロジェクトがあったことで目的と焦点が与えられたから。
 歌詞については、トムなら時代に反応するだろうという推測もできるけど、でもいくつかは、それ以前に書かれていてもおかしくないようなものだよね。おそらく彼はつねにアイディアを書き溜めているから、そこから引っ張ってきたのかもしれないし、いずれにしろロックダウンのことだけではないと思うよ。この曲はこういうことだろうなっていうぼくなりの解釈はあって、まあそれが正しいかどうかはわからないけどね。

ヴィジュアル・アーティストのジョナサン・ザワダとあなたはこれまでもコラボレイトを重ねてきました。現在公開されている曲のMVやアートワークは奇妙で不思議な感覚をもたらしますが、この「TALL TALES」のコンセプトはどういう経緯で生まれてきたのでしょうか?

MP:ほんとうに才能があるひとには完全な裁量権をもたせることが最善策だとわかっていたから、そうしたまでなんだ。この業界でよくあるのが「あなたの作品が大好きです。どうぞ好きなようにやってください」って言われて、じっさいやりたいようにやると「前の作品みたいな感じがよかった……」となるやつ。残念ながらよくある話なんだ。でもぼくは実際に好きなようにやってもらってそれをひたすら支持した。最初からそうだったし、『Under the Sun』でもそうで、でもそれはべつに難しいことじゃなかった。彼が送ってくるものはいつも「おお、すばらしい」っていうものだったから。
 それにひとつ学んだことがあって、彼が送ってくる映像で、すごく好きなものと、ピンとこないものがあっても、かならずしもそれを伝える必要はなくて、なぜなら彼のほうがぼくよりもよくわかっているから。じっさい、好きだけどピンと来てなかったやつが、最終的にはほかのよりも好きになっていることがよくあるんだよ。だから最初の印象でそれほど好きじゃなくても伝えなくていい。ほんとうは変える必要がないのに、変えたほうがいいかもしれないと思わせてしまったり、彼の邪魔をしてしまうかもしれないからね。とにかく時を経て互いを信頼するようになったということだと思う。フィードバックを求められれば感想を言うし、まあたいていの場合「最高、すごく好き、それやって」と言うだけだけどね。

「あのアルバムが最高だったから、またああいうのをやってよ」みたいな。「いや、またつくる必要はないだろ」と思う自分もいて。でもだからと言ってもうつくらないとは限らないというか。

あなたが音楽をはじめてから35年くらいは経っているかと思いますが、過去がなつかしくなったり、おなじことをやってみたくなったりしたことは、ぶっちゃけたところ、ありますか?

MP:いや、ないなあ。というかひとそれぞれ「この時代のこれが好き」っていうのがあって、それをもっとやってほしいっていうのは言われるけどね。「あのアルバムが最高だったから、またああいうのをやってよ」みたいな。それにたいしては「いや、もうあのアルバムつくったから、またつくる必要はないだろ」と思う自分もいて。ほかにもやりたいことはたくさんあるしさ。でもだからと言ってもうつくらないとは限らないというか。ただしやる場合は、超力作か、前とは少しちがうアプローチで挑むかのどちらかだと思う。たとえばアンビエント・ミュージックもこれまでさんざんつくってきたから、新たな方法を見つけなくちゃいけない。ふだんからかなりつくっているし、アンビエント曲は意図せず生まれてきたりもするけどね。でも少なくともおなじではないものにしたいし、すでにつくったアルバムをふたたびつくりたいとは思わない。あるいは、つくったことがあるからと言って二度とつくりたくないとはならないけど、しばらくはつくりたくないとは思うよね。とはいえ意図せずできてしまうこともあるわけで……クラブ・トラックをつくろうとしたらアンビエントができちゃったとか、その逆もあるだろうしさ。

これまであなたはかなり多くの名義やグループで活動してきました。音楽スタイルの幅もアンビエントからフットワーク、ジャングルまでじつに多様です。今回の共作は、シャフトやリロード、グローバル・コミュニケイションやリンクなどを含めたあなたのキャリア全体のなかで、どういう位置づけの作品になると思いますか?

MP:まあダンス・ミュージックの要素はないよね。今作は『Under the Sun』よりもドラムの分量が増えて、ぼくにとってはある意味ニューウェイヴ的というか。じつは何曲かで生のドラムを使うことも検討して、でも必要性が感じられなくてやめたけどね。そうだな、これは『Under the Sun』のあとにつづく作品という位置づけで、ただし今回は全曲ヴォーカルありでひとりのシンガーと組んで、スタイルや楽曲自体は多様だけどひとつの作品としての一体感を出そうとして、そこはシンガーがひとりだったから割と出しやすかったと思う。それからジョナサンの映像が作品の別ヴァージョンとしてあって、そこでも全体の印象を与えていて。それから今作は、つくった曲をいじるよりも曲をつくることに比重があった気がするね。これまでもほかのひとの全曲ヴォーカル曲のアルバムはプロデュースしたことがあったけど、自分自身の作品ではやったことがなかったから、いい挑戦だったんじゃないかな。『Under the Sun』とおなじような時期に書いた曲がいくつかあるから、おなじものではないけど、そこからの変化というか。今作のスタイルをうまく言語化する方法が見つからないんだよね。まあクラブ・ミュージックと非クラブ・ミュージックに分けるなら非クラブ・ミュージック(笑)。ひどい説明だけど、それ以上にいい説明が思いつかないんだよ。そして最近はまたクラブ系のものをつくっているんだ。

[おまけ]シドニーのエレクトロニック・ミュージックのシーンのアーティストたちとも交流はあるのでしょうか? チェックしておくべきひとがいたら教えてください。

MP:[インタヴュー後に以下のリストを送ってくれた]
・Straight Arrows(最近オーウェンと彼のスタジオで新しい音楽をつくってる)
・Peter Lenaerts
・Kirkis
・Jack Ladder
Hiatus Kaiyote
・Axi
・Tim Gruchy

MARK PRITCHARD & THOM YORKE
"TALL TALES"

トム・ヨークとマーク・プリチャードによる
コラボレーション・アルバム『TALL TALES』を
ジョナサン・ザワダが手がけた映像とともに
高音質で楽しめる特別上映イベント

5月8日:プレミア上映
5月9日~15日:ロードショー上映

東京 ヒューマントラストシネマ渋谷
大阪 テアトル梅田

会場ではアルバムの先行発売および
スペシャル・グッズの販売も決定!

アルバムは5月9日発売

レディオヘッド、ザ・スマイルのフロントマンであるトム・ヨークと、エレクトロニック・ミュージック界の先駆的プロデューサー、マーク・プリチャードが初のコラボレーション・アルバム『Tall Tales』(5月9日発売) をリリースするのにともない、5月8日より世界各地の映画館で特別上映イベントを開催する。トム・ヨークとマーク・プリチャードによるアルバムと、ジョナサン・ザワダの映像作品を映画館で高音質で体験できる特別な機会となる。
日本では、5月8日にアルバムのリリースに先駆けてプレミア上映を行い、5月9日から5月15日まで連日ロードショー上映が予定されている。
会場となる映画館は、東京がヒューマントラストシネマ渋谷、大阪がテアトル梅田となり、いずれも映画の魅力を最大限引き出すため専用に開発されたカスタムメイドのスピーカーシステムを導入したodessaシアターでの上映となる。
上映会場では、アルバム『Tall Tales』のCDやLPを日本最速で購入できるのに加え、今作のオリジナルデザインのTシャツ、スウェット、トランプ、ポスターがそれぞれ数量限定で販売される。

【Tシャツ / スウェット / トランプ】

Tall Tales Parade Logo T-shirt - Grey Heather (税込¥6,380)

Tall Tales Octopus Logo Sweatshirt - Navy (税込¥11,000)

Tall Tales Playing Cards (税込¥2,860)

Tall Tales Poster (Bird/Lighthouse/Skeleton) (各税込¥2,750)

作品名: TALL TALES
監督:ジョナサン・ザワダ 音楽:トム・ヨーク/マーク・プリチャード
2025年/アメリカ/64分/DCP/字幕なし

日時: プレミア上映:5月8日 (木) / ロードショー上映:5月9日(金)~5月15日(木)

入場料: 2000円均一
※各種割引・招待券・無料券使用不可
※チケット販売のスケジュール等は決まり次第、劇場HPにてお知らせいたします。

場所:
東京 - ヒューマントラストシネマ渋谷・odessaシアター1
〒150-0002東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocotiビル8F

大阪 - テアトル梅田・odessaシネマ1
〒531-6003 大阪府大阪市北区大淀中1-1-88 梅田スカイビルタワーイースト3F

上映イベント詳細: https://www.beatink.com/tall-tales/
問い合わせ先:BEATINK [info@beatink.com]

本作のヴィジュアル面を担当したジョナサン・ザワダは、二人にとって、3人目のメンバーとも言える存在だ。アナログとデジタル技術を融合させた独特のアートワークは、コーチェラ・フェスティバルやデュア・リパ、アヴァランチーズ、ロイクソップ、フルームらとのコラボレーションでも知られている。ザワダは本作の監督、アニメーション、編集を手掛け、圧倒的でハイパーリアルなヴィジュアル体験を生み出した。

この革新的な映像作品は、音楽の進化と並行して数年間かけて制作され、美しい自然とディストピア的な世界観の対比が際立つ作品となった。トム・ヨークの歌詞、マーク・プリチャードの先進的プロダクション、そしてザワダの映像美を通じて、『Tall Tales』は人類の尽きることのない「進歩」への渇望が、いったいどこへ辿り着くのかを問いかける。長い年月をかけて生み出されたこの作品は、まさに今、この時代にこそふさわしい預言的な映画体験となっている。

『Tall Tales』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=8mFe9znS9hI

上映会に来場した方にはジョナサン・ザワダが制作・デザインを手掛けた限定ZINEが配布される。このZINEでは、映画とアルバムに込められたコンセプトやインスピレーションを独自の視点で掘り下げている。今回のイベント発表に合わせて、そのZINEの一部が公開され、『考える人』の彫刻盗難事件 について考察した記事を読むことができる。
※入場者特典のZIENは数量限定、配布方法は決定次第劇場HPでお知らせいたします。

入場者特典:ZINE

近年はソロ作品やザ・スマイルの活動で注目され、昨年は全8公演SOLD OUTとなったジャパンツアーを含むソロ・ツアーも話題を集めたレディオヘッドのトム・ヨーク。重層的な構造でリッチなテクスチャーを持つ本作『Tall Tales』は、トム・ヨークにとって〈Warp〉からの初リリース作品となる。

マーク・プリチャードは、言わずと知れたエレクトロニックミュージックの重鎮であり、リロード (Reload) やリンク (Link)、そしてアンビエントテクノの傑作『76:14』を生んだトム・ミドルトンとのユニット、グローバル・コミュニケーションなどのプロジェクトで知られる。2011年にレディオヘッドの楽曲「Bloom」の2つのリミックスを発表した他、エイフェックス・ツインやデペッシュ・モード、PJ ハーヴェイ、スロウダイヴなどのリミックスも手掛け、多彩なスタイルと多様な名義で活動を展開してきた。

本作では、マーク・プリチャードがシンセサイザーのアーカイブから発掘した古い機材を駆使し、予測不能かつ実験的な音楽を完成させ、トム・ヨークはダークで内省的なストーリーテリングを織り交ぜながら、幽玄かつ壮大なボーカルパフォーマンスを披露している。

トム・ヨークとマーク・プリチャードによる初のコラボレーション・アルバム『Tall Tales』は、5月9日 (金) 世界同時リリース。国内盤CDは、日本限定の特殊パッケージ・高音質UHQCD仕様となり、ボーナストラックが追加収録され、解説書と歌詞対訳が封入される。その他、通常盤LP(ブラック・ヴァイナル)、スペシャル・エディションLP (ブラック・ヴァイナル/36Pブックレット付き/ハードカーバー仕様) 、スペシャル・エディションCD、デジタル/ストリーミングでリリースされる。スペシャル・エディションLPは、数量限定の日本語帯付き仕様 (歌詞対訳・解説書付)でも発売される。さらに、国内盤CDと日本語帯付き仕様盤スペシャル・エディションLPは、Tシャツ付きセットも発売決定。
国内盤CDと国内盤CD+Tシャツを対象にタワーレコードではコースター(デラックス・ジャケットVer)、Amazonではマグネット(デラックス・ジャケットVer)、それ以外のレコードショップではコースター(スタンダード・ジャケットVer)、ディスクユニオンでは全フォーマットを対象にマグネット(スタンダード・ジャケットVer)が先着特典となる。

Amazon 特典:
マグネット(絵柄:デラックス・ジャケットVer)

ディスクユニオン特典:マグネット(絵柄:スタンダード・ジャケットVer)

タワーレコード特典:
コースター(絵柄:デラックス・ジャケットVer)

その他法人特典:
コースター(絵柄:スタンダード・ジャケットVer)

label : Warp Records
artist : Mark Pritchard & Thom Yorke
Title:Tall Tales
release:2025.05.09
商品ページ: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14797
配信リンク: http://warp.net/talltales
Tracklist:
01. A Fake in a Faker’s World
02. Ice Shelf
03. Bugging Out Again
04. Back in the Game
05. The White Cliffs
06. The Spirit
07. Gangsters
08. This Conversation is Missing Your Voice
09. Tall Tales
10. Happy Days
11. The Men Who Dance in Stag’s Heads
12. Wandering Genie
13. Ice shelf (Original Instrumental) *Bonus track

CD+Tシャツセット

LP+Tシャツセット

国内盤CD

輸入盤CD

限定盤LP

LP

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