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フィジカルにこだわったのがいけませんでした。またしても半年かかってしまいました。キューバで新たに設立された〈マニャーナ・レコード〉からアリワならぬアリウォのデビュー・アルバムをようやく入手。パッと試聴した時はシャクルトン・ミーツ・アフロ・キューバン・ジャズといった感触で『マーラ・イン・キューバ』から思わぬ余波が生じているのかなと。アリウォとは西アフリカの言語、ヨルバ語で「ノイズ」のこと。マニャーナはスペイン語で「明日」。ゴングのデヴィッド・アレンが生前、「マニャーナ、マニャーナ」を連発していたことを思い出す(合掌)。
ロンドンをベースにエレクトロニクス担当のイラン系1人+キューバ系3人の生演奏で構成されたアリウォは、昨年、キューバ初のインターナショナル・ エレクトロニック・ミュージック・フェスティヴァルでプラッドと共演し、ベスト・アクトの声が高かった。その模様がユーチューブで流れ、それ以前に行われていたボイラールームでのライヴ・パフォーマンスにも興味は集まった。一見、単調なのにどんどん盛り上がって行くスタイルはすでに確立されていて、エレクトロニクスとライヴ演奏が完全に融合している様子がそこでは確認できた。同フェスにはちなみに地元勢だけでなくイギリスからエイドリアン・シャーウッドやクァンティック、アメリカからニコラス・ジャーやイタリアからはDJカラブ(本誌20号のクラップ!クラップ!インタヴュー参照)ほか多数が参加。
情熱的なトランペットが耳を引くので、プレスなどではアフロ・キューバンという性格が強調されているものの、全体的にはユーロ・ジャズの文脈にあるといえる。それがベーシック・チャンネルのようなクラブ・ミュージックとの接点を模索し、独自のスタイルに辿り着いたものと思われる。それこそブライアン・イーノとジョン・ハッセル(と故ナナ・ヴァスコンセロス)の『ポッシブル・ミュージック』(80)を現在の視点で移民たちが作り変えたようなものに聞こえてしまうというか。リズムが走り出すとドラムン・ベースにも近いものがあったり。もしくはキューバ系の3人はこれまでにもブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブなど様々な場で客演歴があるので、彼らをひとつのヴィジョンでポウヤ・エセイ(Pouya Ehsaei)がまとめたとしたらエイドリアン・シャーウッドがヒップホップのサポート・ミュージシャンたちをタックヘッドとして組織し直したときの契機にも重なるものがあるのかもしれない。シャーウッドがヒップホップにダブを掛け合わせたのと同じ要領で、アフロ・キューバン・ジャズとダブ・テクノを橋渡したのである。イラン系のポウヤ・エセイは2015年に〈エントラクト〉から『172』でソロ・デビューしていて、その時はイランの伝統音楽を素材にしたインダストリアル・ドローンを聞かせていた。宗教的なチャントなどをフィーチャーしているあたりはなるほどペルシャ音楽が背景にあることをうかがわせるので、どうしてキューバ音楽の演奏者たちと結びついたのかは不明。ゾロアスター教をテーマとした曲などもあるし。
かつてキューバ発のパチャンガやデスカルガは国交が途絶えてからもアメリカの音楽に多大な影響を与えていた。カンディードやグロリア・エステファンはディスコにも大きな影響を与えていたし、ピッツブルのようにキューバを憎むあまりマッチョに磨きがかかっていくタイプもいただろう(それは米大統領選の裏テーマでもあリました)。ジャイルズ・ピーターソンが敷いたレールは着実にその流れをブリテン島におびき寄せている。ジャマイカのミュージシャンが現在はアメリカに進出したがるのとは対照的にキューバからイギリスへ向かう流れが生まれつつあるのだろう。人種の衝突からしか新しい音楽は生まれないかどうかはわからないけれど、こういったものがもっと出てくるとしたらカルチャー・クラッシュもグローバリゼイションもぜんぜんありでしょう。よくある先進国と途上国という組み合わせではなく、途上国同士によるトランスローカルな結びつきというのがいいと思う。
コンガがいい感じで跳ね回っている。最終的には、しかし、そこかな。ピアノとドラムで明暗をはっきりと付けた『マーラ・イン・キューバ』よりも基調はやはりミニマルだし、等しく呪術的とはいえ、モノトーンなエレクトロニック・リズムの繰り返しをコンガがとっちらかしていくプロセスは実にスリリング。90年代のダンス・ミュージック・ファンにはファビオ・パラスだったり〈ゲリラ・レコーズ〉が高級になって戻ってきたような錯覚というか。
三田格