「R」と一致するもの

ボストン市庁舎 - ele-king

 原題を『City Hall』という本作のおもな舞台は米国北東部マサチューセッツ州の州都ボストンの市庁舎、監督は米国はもとよりドキュメンタリーなる形式を語るに避けてはとおれないフレデリック・ワイズマン。『ボストン市庁舎』はその半世紀にわたる作家生活の集大成ともいうべき一本で、上映時間も4時間半におよぶが、稠密な力学が働きなかだるみはおぼえない。むしろ40作を超えるこれまでの作品でとりあげてきた幾多の主題の変奏を編みあげる風合いがあり、交響するモチーフがさらに広大な主題をうかびあがらせる構成は圧巻である。本作は2018年の秋と翌年の冬に撮影をおこない本国では2020年に公開した。すなわち下院を民主党がおさえた中間選挙以後に撮りはじめ、最終的に混沌した様相を呈した大統領選の渦中での公開となった。そのわりには(トランプないし共和党への)直截的なものいいはすくない、とはいえ法と秩序の美名のもと分断を煽るトランプ政権への怒りの響きも随所に聴きとれる。ただし一本の映画をひとつの空間とみなすなら、国政の動向はむしろ『ボストン市庁舎』の作品空間の外でアートがひとしなみに免れえない時代の記名性のようにふるまっている。主眼となるのはあくまで地方行政の舞台である市庁舎とそこにおけるひとびとと、それをとりまく都市の空間の広がりである。この具体的でありながらとりとめもない取材対象に、ワイズマンは視点を定めず、じゅうぶんな知識はなく、しかしぞんぶんに撮ったのち、何ヶ月もの時間を編集についやしたという。

 編集の過程ではじめてテーマや構成があらわれるのはこれまでとかわらなかったとワイズマンは本作の取材にふりかえっている。テーマについてはひとことで述べるのもおこがましいが、ひとまず「公共」にまつわるとはいえるであろう。地方自治体の行政組織はどのように意思決定をおこない、地域住民や事業者や利害関係者はいかにそこにかかわるのか。古典的でありながら、多様性と複雑さのなかで流動化する現代の都市共同体における難問へのとりくみを『ボストン市庁舎』は丹念にすくいあげていく。
 特定の人物によりかからず、関係や構造自体を志向する(ことの多い)ワイズマン映画にはめずらしく、本作には主役級の登場人物が存在する。そのひと、マーティン・ジョセフ・ウォルシュ市長は1967年ボストン生まれの民主党所属の政治家で、市内ロチェスター地区のアイリッシュ系カトリック教徒の労働者階級の家庭に生まれ、17年にわたってマサチューセッツ州議会議員をつとめたのち、2014年の市長選で民主党の市議会議員ジョン・R・コノリーをしりぞけ当選をはたしている。

 『ボストン市庁舎』は都市の喧噪がつつむ市庁舎の遠景で幕をあける。そこでは道路の補修から公園や動物の管理、電線が切れて停電しただの家主が電気を止めただの、住民からの問い合わせがひきもきらない。市庁舎の一角の会議室ではウォルシュ市長を中心に警察関係者が出席した会議がすすんでおり、地域住民のケアと、それを阻む縦割り行政の弊害について話し合っている。出席者のまなざしと市長の饒舌は彼らが彼らの仕事に真剣にとりくんでいる証であり、以後展開するシーンを予告する緒言の役割も担っている。それを受け本編は市の予算編成、住居問題、同性カップルの婚姻、レッドソックスの祝賀パレードの警備、高齢者や障害者やマイノリティの支援、貧困対策、学校や博物館などの公立施設の内情、移民問題など、住民の日々の生活にいかに行政が多面的にかかわっているのか映し出していく。スクリーン上の人物はみな、ボストンに暮らすふつうの市民だが、ワイズマンのファインダーをとおると劇映画の登場人物めいてくるのはやはり不思議である。ノンフィクションの形式がもとより虚構性を帯びるのはいうまでもないし、いかに壁の目になろうとも撮影行為は往々にして被写体を演出してしまうのに、ワイズマン映画のリアリティの置き方はほかに類をみない。絵画的な構図とムダのないカット割り、おそるべき構成力とオーディションでも開いたかのような絶妙な配役といった方法論の連立方程式が特有のリアリティをもたらすのだとしても、解の求め方は対象ごとに千差万別で、その手ざわりもむろんおのおのことなっている。『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』と『ニューヨーク公共図書館』と『インディアナ州モンロヴィア』といった2015年以降の諸作は公共という主題の社会的な変奏のようなものだが聴き心地はことなる。それらの新作をみるたびに私はこのようなひとがこの空の下のどこかにいたという、シャシン的な事物感──おそらくそれは過去時制で語ることのできる数少ない希望のかたちである──をおぼえわけもなく幸福感につつまれる。

 『ボストン市庁舎』にも印象的な人物が多々登場する。とりわけ印象にのこったのは退役軍事会のチェックのネルシャツの青年と、大麻ショップの建設にかかわる集会の参加者たち。前者はイラク、アフガニスタンへの従軍経験もある元兵士で、やはり兵士で第二次世界大戦の欧州戦線で戦死した伯父ののこした手紙がきっかけで、戦友の話を訪ね歩きはじめたのだという。いかにも軍人あがりのアーミーカットのこの男性は数十人の聴衆を前にライフルを手にしながらしゃべっていて、なぜそんなものをもちだしてきたのかといえば、ライフル好きだった伯父のことをわすれないために購入したのだという。とはいえ家族に銃を購入した気持ちなんてそうそうわかってもらえることじゃない。そこで彼は沖縄戦を戦ったという隣人をたずねることにした。隣家の住人は男性が子どものころはおっかない近所のおじさんだったが、いまでは老いと病にさいなまれみる影もない。ところが彼がライフル銃を手渡すやいなや、老いた眼に精彩が宿り、銃をふりまわしては方々に狙いをつけはじめた。仰天する男性をよそに、老人はおもむろにひきだしを開け、なかにしまった袋から日本兵の金歯をとりだし、これをお前にやる、と手渡したのだという。「40年代の戦争を批判する気は毛頭ないが」と男性は聴衆に語りかける。「彼が不機嫌な理由が分かった」

 第二次世界大戦における米軍の遺体損壊は比較的よく知られた話で、その行為の戦争犯罪の側面に立ち入る紙幅も準備も本稿にはないが、戦場の狂気ばかりかそこには米国特有のゴシックな風土がかかわっている気がしてならない。このことは個人がその身で体験した出来事だけでなく、共同体や民族の記憶がときとしてトラウマのように働くことを思わせる。昔ながらの言い方を借りるなら、戦争はそれらを呼び出す機械であり、彼らは語りによる癒しとつながりでその呪縛を解こうとする、そのことは来賓のウォルシュ市長が自身のアルコール依存症体験を問わず語りに語りはじめる場面にもあらわれている。また退役軍事会セクションの冒頭のメイフラワー誓約やボストン茶会事件などを描いた絵画のインサートは入植にはじまるボストンの歴史を想起させもする。いうまでもなくそれらは戦いの歴史だが、太平洋戦争はむろんのこと、朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタン──地球上のあらゆる戦争と紛争へ関与しつづけるのが米国の歴史であることも、本編に登場する退役軍人たちの幅広い年齢層はしめしている。
 むろん歴史、倫理、道徳などの主題はときに観念的に作動しともすればパターナルな力線をともなうこともある。さらにファクト/フェイクの二分法も加味しなければならない世界認識下で、ワイズマンは可能なかぎり共同体の成員の声をあつめ、デュアリズムを乗り越えようとする。そのなかには、『ニューヨーク公共図書館』のパティ・スミスやコステロのような著名人の姿はみえないが、定量的な統計がなんらかの合意をうかびあがらせることへの期待も感じさせる。いわば映画による民主主義と共同体の再生(再演)だが、このような作品が成立するには地方行政(という一見地味なテーマ)にかかわるアクターの多元性が不可欠である。

 ひるがえって考えるに、わが国は、みなさんの地元はどうだろうか。先日の衆院選では投票率の向上を期待したもののフタを開けたら戦後3番目に低い55.93パーセントと依然低調なままである。地方自体にいたっては事情はさらに深刻で、平成31年の統一地方選など首長選も議会議員選ものきなみ5割を切っていたはずだ。身近なところからなおざりになるのは私たちの暮らしに政治がいかに根づいていかないかの証だと、クリシェにもならないお題目をくりかえしているうちに、駅前の公園は開発業者にツブされてどこにでもあるブランド店がつまった珍妙な施設にさまがわりしたりする。場合によってはそのような建物がうめつくす街を「スマート」と呼んではばからないほどには、私たち住民の感性もジェントリーになってしまったのかもしれないが、どのような合意であっても共同体の成員すべてが右にならう必要などない──となれば合意形成の過程はいかにして共同体に開かれうるのか。かけ声倒れになりがちなこの課題に、地方行政はどのようにのぞむのか。『ボストン市庁舎』はその課題に向け、住宅、インフラ、教育などの現場で建設業者や学校の先生やデパートの経営者や住民らと膝をつめて話し合う職員の姿を記録している。むろんタイミングよくカメラの前で問題が解決するわけでもない、けれどもお役仕事に終始するでもない。公共というものの遅々とした、しかしそのようにすすむしかない歩みをまのあたりにする趣がある。

 何段か前で印象的だったと述べた、作品後半の大麻ショップ出店の場面もそのひとつである。出店先は市内ではけっして裕福ではない地区で、人種の構成比率も、会場をながめると有色人種が大半をしめている。大麻店の経営者は中国系、市役所の担当課の職員が同席するなかで、種々の懸念が噴出し集会は一時紛糾するが、すくなくとも居合わせただれもがその場をないがしろにしないことは弁えているようでもある。彼らの胸中にはおそらく雇用や地域経済の発展といった利益と犯罪や治安悪化への懸念といった「迷惑施設」につきものの期待と不安が同居している。基地や原発やカジノにも一脈通じるこの課題を、ワイズマンはそれぞれの意見に耳を傾け、多様な声の反響として描き出していく。他方で、ボストンという街のカラー、ニューイングランドの州都とも目される都市の多様性とリベラルさ、そしておそらくはそこからくる格差も、カメラはみのがさない。会社の規模のせいで公共事業から閉め出される中小企業、ホームレスやマイノリティ、ウォルシュ市長は2019年年頭の施政方針演説で「市長の仕事とは市民に扉を開けること」と述べるが、その扉にたどりつけないものがいることもまたわすれてはなるまい。機会の平等を建前にした能力主義が階級上昇をなんら保証しないことは、多くの論者が実証的にも指摘することで、いまなら感覚的にも飲み込みやすいであろう。トランプ政治は有権者のくすぶった怒りを燃料に分断を煽った。反対にウォルシュは分断線を超えて響く声を集めようとする。カギとなるのは地道な合意形成の過程であり、そのためには歴史的背景への再考と共有が指標となる。NAACP(全米黒人地位向上協会)会長との会談の場面では、ウォルシュ自身幼少期(70年代)に経験した差別撤廃のためのバス通学騒動の風化への懸念を表明してもいる。
 それを映すワイズマンはみずからの歴史観をつまびらかにすることはないが、おそらくはボストンという街の来歴にむかっていることは、都市空間のすみずみにおよぶ幾多のショットにもうかがえる。舞台となる市庁舎はもちろん、官公庁や高層ビル群や下町風の街並みから住宅地まで、季節の移ろいとともにスクリーンにあらわれる風景には、画面上部を支配する空の青やレッドソックスや緊急車両の赤と冬の雪の白のトリコロールを基調に、絵画的な均整と観衆の無意識に働きかける記号的な意味を有している。たとえばうっすらと雪がつもったカトリック教会の中庭ごしに消防車がサイレンを鳴らしながら走り去っていく場面。プロテスタンティズム上陸の地の片隅のカトリシズムの痕跡と、静けさを裂く緊急車両のサインの音──このなにげないカットの象徴性にふれられたら最後、私は頭からみなおさずにはいられなかった。おかげで9時間ついやしてしまいましたが、ワイズマン的方法が包摂する共同体の潜在的多様性こそ、上からのパターナリズムやエリーティズムをいなす手立てかもしれないと思いもした。

 最後に、このとき市庁舎の責任者だったウォルシュはバイデン政権発足後、労働長官に就任、現在はチャールズ川の対岸にある名門ハーバード大の法科大学院を出た台湾系2世の元女性市議ミシェル・ウーが市長をつとめている。

 〈Pヴァイン〉が展開する、アナログ・レコードを軸にした新たなプロジェクト=「VINYL GOES AROUND」。このたび新たなアイテムの発売が告知された。
 今回の商品は、デトロイトのレーベル〈Tribe〉のオフィシャル・コーチジャケット&パーカー。
 嬉しいことに、ウェンデル・ハリスンとフィル・ラネリンによる〈Tribe〉の代表曲 “What We Need” (『A Message From The Tribe』冒頭曲)を収めた7インチとのセット販売もあるとのこと。今回も即完が予想されるので、ご購入はお早めに。

Tribe Recordsのコーチジャケット、パーカーをVINYL GOES AROUND限定で受注販売。
同レーベルの最重要作「What We Need」7inchとのセット販売も決定。

Tribe Recordsのコーチジャケット、パーカーを株式会社Pヴァインが運営するアナログ・レコードにまつわる新しい試みを中心としたプロジェクト、 "VINYL GOES AROUND"のサイト限定で受注販売をする。

Wendell HarrisonとPhil Ranelinによって1972年のデトロイトで発足したTribe Records。
ブラック・アメリカンズへの差別を無くし、生活や社会がより良くなるよう、音楽やメディア、イベントなど様々な営みを通してメッセージを発信した。既存のレコード会社の力を借りずに、アーティストが音楽の創作と管理を自らコントロールできるよう自主制作という形で運営。それにより自由な表現方法を保持し、洗練されたジャズをベースにしたファンクネスなサウンドと信念の強いメッセージを持った曲を次々に発表。これらはのちのヒップホップやデトロイト・テクノなど現代の音楽シーンに大きな影響を及ぼした。

A Message From The Tribeのロゴを背中に使用したオフィシャル・コーチジャケット。ボディはウォータープルーフでしっかりとした作りが定評のあるINDEPENDENT製。フロントにはVGAのロゴを施し、背面の裾にはTribeのスローガン、A NEW DIMENSION IN CULTURAL AWARENESSを表記。
パーカーはA Message From The Tribe の3rdバージョンのジャケットの裏面に記載されているイラストを使用。ボディは厚みのある生地と柔らかな着心地が特徴のAS Colour製。

そして2nd ヴァージョン以降のアルバム、A Message From Tribeの冒頭曲であり、メッセージ性の強さを象徴するTribeの代表曲「What We Need」の7inchとのセット販売も決定。ブラック・パワーの概念を昇華し、団結を求め、自由と自立のために今、何が必要かを問いかけた強いメッセージが妖艶なヴォーカルで紡がれていく、クールなエレクトリック・ピアノと切れの良いホーン・セクションがグルーヴィーなジャズファンク。
カップリング曲にはWenhaからリリースされたウェンデル・ハリソンのアルバム、「Organic Dream」から「The Wok」をピックアップ。オリエンタルかつ爽快でメロウなサウンドだが、その下地はTribeを受け継いだ骨太なリズムで、いわゆる一般的なフュージョン・サウンドとは一線を画している。
矢を挟んで二つの顔があるトライブのロゴのように、70年代の黒いスピリチュアルな側面と、それを受け継ぎながらメローダンサーへと移行した影と光のコントラストをこの1枚で是非とも味わって欲しい。

今回のみの特典として、TRIBEマガジンの表紙を使用したポスター(B2サイズ)を購入者全員にプレゼント。裏面には実際の記事を抜粋して掲載。こちらもVGAエクスクルーシヴ復刻アイテムとなる。

A Message From The Tribe ORIGINAL COACHES JACKET and HOODIE with WHAT WE NEED 7inch 販売サイト
https://vga.p-vine.jp/exclusive/

[商品情報]

・A Message From The Tribe COACHES JACKET
価格:¥17,380 (税込)(税抜:¥15,800)

・A Message From The Tribe COACHES JACKET with 7inch
価格:¥19,800 (税込)(税抜:¥18,000)

・A Message From The Tribe HOODIE
価格:¥13,200 (税込)(税抜:¥12,000)

・A Message From The Tribe HOODIE with 7inch
価格:¥15,620 (税込)(税抜:¥14,200)

※2021年12月6日(月)までの期間限定受注生産となります。
※限定品につき無くなり次第終了となりますのでご了承ください。
※商品の発送は 2022年1月中旬ごろを予定しています。

Parquet Courts - ele-king

 パーケイ・コーツの7枚目のアルバム『Sympathy for Life』は高評価を得た前作『Wide Awake』のポストパンク路線一辺倒でもなければ発売前に名前をあげられていたプライマル・スクリームの『Screamadelica』にインスパイアされただけのアルバムでもなかった。もっと雑多で、色んな種類の曲が入っていてそれらが繋ぎあわされてアルバムのムードが作られている。それはあたかも時間帯で変化していくパーティの出来事のようで、どこかいまはもう存在しない、思い出の中の出来事のようなそんな印象も受けもする。

 頭の中に存在する架空の一夜、マッドチェスターからスタートして、ガレージ・ロックが繫がれたと思えば次の瞬間にギターの音が鳴りを潜める。その代わりに呪文をつぶやくデヴィッド・バーンのような歌声が聞こえてきて、続く曲の牧歌的な雰囲気に押し流されている間に気がつけばアンドリュー・ウェザオールのDJタイムがはじまっていた。交代で昔のドイツのグループとLCD サウンドシステムに影響を受けたスクイッドみたいなバンドが出てきて、その後にいよいよ本命のパーケイ・コーツが登場する。“Homo Sapien” から “Trullo”、4曲続けて踊ってパーケイ・コーツを堪能する。そうして夜が明けて朝の優しい光のようなメロディが流れて来て、街が僕らを迎え入れる。
 僕はそんな一夜の出来事を妄想する。パーケイ・コーツの『Sympathy for Life』はやはりパーティのアルバムなのかもしれない。パーティ・アルバムではなくてパーティの記憶のアルバム、つい先ほどのことのような遠い昔のことのようにも思える記憶がつなぎ合わされて思い出が再生されていく、アルバムとは文字通りそういうものなのかもしれない。

「アルバムとは、どこでレコーディングされて、どこで制作されて、アーティストがどんなマインドでいたのかという、そのときと場所のスナップショットだと俺は考えている」。アンドリュー・サヴェージはインタヴューの中でそう答えていたが、今作はまさにスナップショットの集合体なのだろう。2020年のニューヨークでおこなわれたパーティの様子が収められた写真の集まり、そこから時間が経って世界が変わり、パーティの空気も意味も違って見える(それはそこに写っているものが失われてしまいそうになっているからこそそう見えるのかもしれない)。

 作品のまとまりだけを考えればムードを統一した方が良かったのかもしれない。もっとはっきりとしたダンス・アルバムを作っても良かったし、あるいは『Wide Awake 2』を作っても良かった。けれどパーケイ・コーツはそうしなかった。それはおそらくその視線が転換期にある現在の社会に向いているからなのだろう(それでこそのスナップショットだ)。ニューヨークの街に漂うその空気、アルバムの中でパーケイ・コーツは都市生活者の孤独を唄い、テクノロジーの発展とそれに伴う価値観の変化を考え、アンダーグラウンドな、インディペンデントの精神を持って生きていこうと覚悟を深める。インディペンデントであり続けるには適切に状況を認識していなければならない。インディとは音やスタイルではなく精神で、決まった形はなく時代とともに変化していく。時代が変われば求められる心も変わる。時代あるいはそれにともない変化していく社会に対しどうアプローチしていくかがインディペンデント・アーティストに求められるものなのだろう。そうしてパーケイ・コーツは答えを出した、変化と適応こそが生き残るためのキーなのだと。

 今作でパーケイ・コーツはデヴィッド・バーンの『American Utopia』を手がけたロダイド・マクドナルドとPJハーヴェイとの仕事で有名なジョン・パリッシュと組み、複数のプロデューサーとひとつのアルバムを作り上げるということを初めて試みた。そして作曲方法もいままでと変えた。40分にも及ぶ即興演奏を元にロダイド・マクドナルドがエディットしコラージュのように作りあげた曲を中心にこのアルバムは作られている。それはある意味ではDJのプレイのようなものだったのかもしれない。あるいはミックスか。
 その中でも “Marathon of Anger” は従来のパーケイ・コーツとは完全に印象が異なった曲で、繰り返されるシンセサイザーのフレーズとマントラを唱えるデヴィッド・バーンのような歌声が特徴的だ。あきらめに似た悲しみと静かにステップを踏み込む覚悟が混じりあって空気を作り、それが心に染み込んでいく。

 そしてジョン・パリッシュだ。曰く「クリーン・トーンを好んで、ジョンは素直に音を録るタイプ」。アルバムの中でエディットではなく従来の作曲方法で作られた3曲、“Walking at a Downtown Pace”、“Pulcinella”、“Sympathy for Life”、この中で “Walking at a Downtown Pace” を除いた2曲をジョン・パリッシュがプロデュースしている。ジョン・パリッシュはPJハーヴェイとの仕事で有名だが、最近ではオルダス・ハーディングドライ・クリーニング、ザ・グーン・サックスのアルバムを立て続けて手がけている。ブラック・カントリー・ニューロードの名前を出されて比較されるブリストルのニュー・バンド、ビンゴ・フューリーもジョン・パリッシュのプロデュースだ。従来のサウンドにこうした時代と共鳴するような音を混ぜて変化させようとするのもパーケイ・コーツのセンスだろう(そんな中でもどこか抜け感があるのがパーケイ・コーツの魅力のひとつでもある)。タイトル・トラックの “Sympathy for Life” ももちろんだが、アルバムの最後を飾る “Pulcinella” は特にそうだ。想像していたパーケイ・コーツの魅力の上に優しくメロディアスでロマンティックな側面が加わって新たな魅力が引き出されている。この曲はどこかゴート・ガールがカヴァーした『ダウンタウン物語』の曲(“Tomorrow”。この曲はゴート・ガールの 1st アルバムの最終曲でもある)を思わせ朝の光を感じさせる。

 このパーケイ・コーツの朝の光は「明けない夜はない」ではなくて「いつの間にか朝を迎えている」ようなそんなイメージで、辿り着いた先ではなく、ずっと続いていたものが変化していったようなそんな印象を受ける。それは彼らの言うように、パーティであり、コミュニティであって……そしてきっとバンドでもあるのだろう。転換期の中で、過ぎ去った日の思い出を抱え、そうして次へ向かっていく。パーケイ・コーツのこのアルバムはなにかバンドの新しいスタートのようにも思える。変化と適応、それこそがきっと時代のキーなのだ。

Ryuichi Sakamoto + David Toop - ele-king

 薄灯りの、仄暗い空間を、ゆっくりと行き先を探りつつ、しかし確信を持った足どりで進むかのごとき音の交錯、ざわめき。
 坂本龍一とデイヴィッド・トゥープの演奏(いや音の生成とでもいうべきか)を記録した音響作品『Garden of Shadows & Light』には、まさに静謐な音の対話のようなサウンドスケープが生まれていた。

 リリースはロンドンのエクスペリメンタル・レーベルの〈33-33〉からだ。カタログ数はそれほど多くないレーベルだが、灰野敬二とチャールズ・ヘイワードの共演盤などをリリースするなど、その厳選されたキュレーションが魅力的なレーベルである。
 それにしてもなんて美しいアルバム・タイトルだろうか。その名のとおり本作『Garden of Shadows & Light』にはサウンドによる陰影の美学がある。坂本とトゥープが鳴らす音たちの群れは、淡く、微かにして、しかし強い。偶然の豊かさを消し去ることもない。フラジャイルな音にすらも、豊穣な気配が生まれているのだ。
 坂本龍一とデイヴィッド・トゥープは音の時間のなかを思索的に、もしくは遊歩的に進む。音の気配に敏感になり、耳をそばだて、繊細な手仕事のように音のオブジェクトを組み合わせる。そうして静謐で濃厚な音響空間が生成されていく。
 冒頭、何か叩くような、カーンと澄み切った音が鳴り響く。それに応えるかのように、やや小さな音がカツンと鳴る。やがて何かを擦る微細な音が鳴り、弦の音の残滓のような音も聴こえてくる。音はやがて音楽の原型のような響きへと変化するが、しかしそれはノイズのテクスチャーのなかに溶け込んでいく。そしてまた別の音がやってくる。彼らふたりは音を招き寄せている。

 本作には「音が訪れる」感覚がある。「おとがおとずれる」「音が音ズレる」とでも書くべきか。非同期の音たちの群れ。しかしひとつの大きな(ミニマムな?)時間を共有もしている。そのズレと時間の交錯が、音の気配を豊かにする。
 このレコードの秘めやかで、大胆な音の生成、対話、群れに耳を澄ます私たちもまた彼らが生成する音の時間に引き込まれ、音の変化、歩みを共にし、音の存在に敏感になるだろう。一音一音の存在に驚き、まるで一雫の水滴の音を聴くように静謐な時間をおくることにもなるだろう。

 『Garden of Shadows & Light』は、2018年、ロンドンはシルヴァー・ビルディングでおこなわれたライヴの録音である。映像も配信されていたので、すぐに観たことを記憶している。私は「手仕事としての音響工作」を満喫した。これぞブリコラージュと感嘆したものだ。
 なによりテクノ(ポップ)以降、20世紀後半における電子音楽のレジェンドである坂本龍一と、批評家、キュレイターとして、そしてサウンド・アーティストとしても長年に渡って活動を展開する才人デイヴィッド・トゥープとの饗宴には大いに興味を惹かれたのである。
 それから三年の月日が流れ、いまや伝説的な演奏となった音源が本年「録音作品」としてリリースされた。いま、こうしてレコード作品となったふたりの「演奏」を改めて聴き込んでみると、配信されたライヴ映像とは異なる印象に仕上がっていたことに驚きを得た。もちろん音は同じだ。しかしサウンドがもたらすパースペクティヴや時間が新鮮なのである。視覚情報が欠如されたことによって、音に対する認識が変わったのかもしれない。
 加えて坂本龍一とデイヴィッド・トゥープのこの音響ノイズ演奏には、音楽家における老境の境地が横溢していたことにも気がついた。特に本作に限らず近年の坂本の「音そのもの/音それじたい」をコンポジションするようなサウンドからは、まるで「音響のモノ派」、もしくは音の「侘び寂び」を感じた。音それ自体への感覚が横溢し、肉体性から離れ、音やモノや空気としめやかに同一化するような音響が生まれているのだ。突如として音が鳴り、それが静謐な空間性に即座に融解し、持続の只中に溶け込んでいく。音が刹那と永遠のあわいにある。
 まさに「音の海」(トゥープ)と「async」(坂本龍一)の融合か。もしくは消尽の美か。自分などはこのアルバムを晩年のサミュエル・ベケットに聴いて欲しかったと思ったほどである。もしくは武満徹に聴いてほしかったとも。武満ならばこのアルバムの、演奏の、そしてサウンドスケープを大絶賛したのではないか。

 西洋音楽を学んだ日本人音楽家が安直なオリエンタリズムに陥ることなく、日本、東アジアの音響・音楽を実践すること。それによって「世界」という場に立っていること。これは本当に稀有なことだ。坂本龍一は音そのものの原質に触れようとしている。
 00年代以降のアンビエント/ドローンを基調とした音楽作品を生み出した坂本龍一は、まずもってここが重要なのだ。高谷史郎と坂本龍一のオペラ『TIME』の東洋と西洋、ネットフリックス配信の『ベケット』の職人的な音楽のなかに不意に満ちるドローン、『ミナマタ』の西欧的和声のむこうに交錯する無時間的な響きの交錯など、近年の坂本龍一の仕事は、どの作品も西欧と東アジアが透明な水と空気のなかで清冽に鳴り響くような音楽/音響を生み出している。
 そう考えると2018年の時点で、このような音を鳴らしていた本アルバムの録音はとても重要に思えてくる。2017年の『async』から2020年代の坂本龍一の音をつなぐ音。対して西洋人であるトゥープが、これほどまでに非西欧的なノイズ・音響・時間感覚を発露できることに深い知性と卓抜な感性を感じた。

 物質、空気、微かな光、闇、空間、静謐さ。時間、非同期。音。まさに「Gardens of Shadows & Light」。そう本アルバムには21世紀の「陰翳礼讃」の感性にみちている。薄暗い光と陰影の美学がここにある。

interview with Jon Hopkins - ele-king

 60年代のカウンター・カルチャーの夢のいくつかは、今日では先進国においてそこそこ普通になっている。たとえば大麻の合法化(日本は除く)、同性婚(日本は除く)、そして瞑想(日本も含む)——で、この話はジョン・ホプキンスに繋がる。その昔ブライアン・イーノとともにコールドプレイをプロデュースしたこともあるホプキンスは、最初は「クラシック・ピアニスト上がりのポップ・エレクトロニカ/ポップ・アンビエントの騎手」として注目され、〈ドミノ〉レーベルを拠点としつつ、インディとテクノとアンビエントが合流する領域において幅広いリスナーに支持された。ことに母国のイギリスでは、ホプキンスは(アンダーグラウンドではなく)ポップ・フィールドで活躍するビッグネームのひとりである。
 ホプキンスの特徴はクラシック音楽を経由したロマン主義的な作風にある。彼の作品は総じて叙情的で、いたって情熱的で、物語性を有している。まあ、手短にいえば劇的なのだ(つまりヴァーティカル=垂直的ではない)。それはエレクトロニカ/アンビエント/ダウンテンポに焦点を当てた2008年の出世作『Insides』にも、ダンサブルな展開を見せた2014 年の人気作『Immunity』にも言えることで、高い評価を得た2018年の『Singularity』もまた起伏に富んだホプキンスらしい作風ではあったが、彼はこの内省的なアルバムにおいて毎日欠かさずやっている瞑想からのインスピレーションを具現化した。超自我的なトランシーなヘッド・ミュージックがその作品では意識的に追求されているわけで、今回の新しいアルバムはそれをさらに突っ込んだもの、それは精神の治癒としての音楽で、「サイケデリック・セラピー」という直裁的な言葉を表題としている。
 サイケデリックという文化も60年代の産物で、LSDなるドラッグを触媒にしたカウンター・カルチャーの一部だった。それこそジョン・レノンが「いま見えている世界は誤解」と歌ったように、違った世界を見ることは世界観を相対化することにつながる。そこでホプキンスだが、彼はどうやら今回はドラッグの力を借りずに違った世界を体験し、そしてそれをリスナーとシェアしたいと思っている。とはいえ、ホプキンスの「サイケデリック」はカウンター(抵抗文化)ではない。多くの現代人とりわけ企業人に求められているもののひとつだったりする、しかもわりと切実に。(ポポル・ヴーがカフェ・ミュージックになる日も近いだろう)
 アルバム『ミュージック・フォー・サイケデリック・セラピー』の制作プロセスはじつに興味深い。それは彼が2018年にエクアドルのアマゾン流域の地下60メートルに広がる巨大な洞窟で数日間過ごしたという体験に端を発している。以下、インタヴューのなかでホプキンスはその体験とコンセプトについて詳説している。

ぼくは幸運にもサイケデリックの世界へ導かれ、それを体験することによって音楽にも良い影響がでたんだ。だからサイケデリックな体験を通してセラピー的なサウンドトラックを作りたいと思ったしね。

今日はお時間を作っていただきありがとうございます。とても美しく、そして体験的でリスナーに違う世界を見せようとしている音楽だと思いました。

JH:そんな風に言ってもらえて光栄だよ。そういう意図でこのアルバムを作ったから。

あなたの新作を聴きながらまず思ったのは、21世紀の今日において、サイケデリック・カルチャーはどのように有効なのかということです。というのは、60年代にせよ90年代にせよ、ドラッグ体験は人生を見つめ直す契機、かなりインパクトのある契機として広がりました。自分の生き方は間違えていた、人生はこんなものじゃない、みたいな。しかしながら、資本主義に人生が規定されまくっている現代では、生き方の選択がかつてのように多くはありません。こんな時代において、それでもサイケデリックにこだわるあなたに興味を覚えて、今回は取材のお願いをさせてもらいました。

JH:わかった。

そもそもクラシックを学んでいて、初期の頃は綺麗めなエレクトロニカやダウンテンポなどを作っていたあなたが、どこでどうしてサイケデリック・カルチャーに惹かれていったのか興味があります。前作『Singularity』においては瞑想が重要だったと話してくれましたが、何がきっかけで、そしてどのようにしてカルロス・カスタネダやテレンス・マッケナ(※90年代初頭に注目されたDMTなどの幻覚作用の研究者。新作のコンセプトにおけるキーパーソン)の世界へと進入していったのでしょうか? 

JH:ぼくは幸運にもサイケデリックの世界へ導かれ、それを体験することによって音楽にも良い影響がでたんだ。だからサイケデリックな体験を通してセラピー的なサウンドトラックを作りたいと思ったしね。君が述べたように、いまのサイケデリック文化は60〜90年代とは違っていて、現代では科学主導でサイケデリック体験をセラピー、そして薬として健康へアプローチする動きが出てきている。その体験は人びとを開放するけど予測もしがたく、これらの体験による治療の最適な方法はまだ定かではなくて、もしネガティヴな方向へ行ったら危険だからね。
 君が言うように、資本主義のなかで人びとは仕事によってメンタルヘルスが侵されている。人びとの単調な毎日によるメンタルヘルス問題は深刻で、メンタルヘルスはまだ開拓が進んでいない分野だと思う。ただ毎日薬を与えれば良くなるものでもないしもっと複雑なものだよ。化学物質による脳への作用だけでなく、いまサイケデリック体験による純真さ、喜びなど人びとが自分の心と再び繋がれるアプローチが必要とされている。こういった流れのなかでぼくは音楽を作る役割があると思うし、ぼくの音楽を聴いて他のアーティストが影響を受けてさまざまな音楽を作ってくれたらいいと思うよ。脆弱な立場の人びとにはさまざまなタイプの音楽が必要だからね。

そしてあなたはアマゾンの巨大な洞窟群にたどり着いた。そのときの模様は今作のブックレットに記されていますが、とても興味深かったです。あなたは洞窟のなかで、細いロープを頼りに60メートル下の地下世界に降りていった。本当に危険な冒険だったと思うのですが、そこであなたはいままで経験したことのない静かな世界に出て、日光の届かないその場所で、風変わりで美しい動物たちに囲まれながら4日間過ごしたそうですね。そこで得られた音世界がこのアルバムの出発点になったということですが、まずはその4日間についてもう少し詳しく教えてください。そこはいったいどんなところで、どんな動物たちがいたのでしょうか?

JH:2018年に洞窟へ誘われて数日間滞在した。そう、この経験がアルバムの出発点となったんだ。誘われた際に、「面白そうだな」と思ってすぐに行くことを決めた。最初はどんなところか深くは考えなかった。いろいろと体験するのが好きなので、どんな場所か行ってみて実際に驚いてリフレッシュできるような体験がしてみたかった。細いロープをつたって60メートル下の暗闇に向かって降りていくのはとても恐怖を感じたし、そこは行く前に想像していなくてよかったよ(笑)。下に降りると、まず細い道を進まなければならず、その後メインエリアとしてキャンプできる広くてとても美しいところに到達した。そこは人類に荒らされた形跡もなくてとても静かな場所だった。土は柔らかくテントも立てられて非常に快適にキャンプができたんだ。本当に魅惑的で素晴らしい場所だったのでたくさんの音楽へのインスピレーションを得ることができたね。

あなた以外にも神経科学者をはじめ数人いたようですが、衣食住など、どのように生活していたのでしょうか?

JH:ぼくらは合計12人のチームだった。まず安全な旅へと導いてくれる洞窟を知り尽くした頼りになるガイドたちがいた。誰も経験したことのない旅だったので彼らの存在はとても心強かった。それから写真家、神経学者、アーティストが2名、他のミュージシャン、そしてぼくとさまざまなバックグラウンドでチームは編成されていた。
 実際そこで3泊4日過ごしたんだけど、キャンプサイトから15分ほど歩くと、1カ所だけ、地上の森に穴が空いているところがあって、昼になるとそこから日光が差し込むんだ。それ以外は完全な暗闇のなかだったんで、キャンドルや懐中電灯の灯りで過ごした。一筋の光が差し込むその場所はとても神秘的で美しくかったな。毎日のようにそこに通った。そんな非日常の世界を積極的に受け入れて探索したんだ。
 毎日ハイキングやクライミングもしたけど、キャンプでただ座って瞑想したり、ゆっくり過ごしたりもした。写真家は写真を撮らなければいけないので動きまわっていたけれど、ぼくは洞窟の音を録音する作業以外にはとくにやらなければならないこともなかったし、それも1時間くらいで終わる作業だったので、他の時間はアクティヴに出かけるのとリラックスすることが半々くらいだったね。ぼくはスピーカーを持ち込んで洞窟の自然形状に音を反響させたものを録音したんだ。
 食事はガイドの人たちがドライフード、缶詰、インスタントラーメン、パスタなどを持参して提供してくれた。洞窟暮らしは楽しかったし、洞窟の奥へはハイキングやクライミングをしに行ったりして、キャンプに戻って食べた食事はとても美味しかったし、なんとか快適に過ごしたよ。

そこでは何か幻覚を促すようなことはされたのですか

JH:いや、まったく。ぼくは普段もそういった行為はとくにしないしね。現地の先住民族は洞窟で儀式としてアヤワスカを使う習慣があるんだけど、ぼくたちはトライしなかった、というか、したいという欲望もなかったよ。ぼくは完全にシラフな状態で洞窟での出来事を感じたかったし、じっさいにとても貴重な体験になった。

それは、あなたのこれまでの人生もっとも強烈なエクスペリエンスだったと言っていいのでしょうか?

JH:うん、その通りだね。過去に冬山に登るなど冒険したことはあるけど、地下へ行くのは初めてだったから。 

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細いロープをつたって60メートル下の暗闇に向かって降りていくのはとても恐怖を感じたし、そこは行く前に想像していなくてよかったよ(笑)。下に降りると、まず細い道を進まなければならず、キャンプできる広くてとても美しいところに到達した。そこは人類に荒らされた形跡もなくてとても静かな場所だった。

アルバムのなかには水の音が入っていますが、これは水が流れている音なのですか? ほかにもどんな音が録音されたのでしょう? 鳥の声のような音もありますよね?

JH:アルバム前半を構成する洞窟のトラックで聞こえる自然音は、あそこで録音されたものなんだけど、これはぼくが録音したものではない。同行したメンダル・ケイレンという神経学者、彼は野外録音のプロでもあるので、彼の専門機材を使用して録音したものなんだ。彼は毎朝早起きしていろいろな音を撮りに出掛けていた。。
ぼくは持ち込んだPCでクリスタルボウルのようなサウンドをいち音だけ出し、50メートルほど離れた洞窟のむこうの端で反響した音をメンダルの機材によって録音した。アルバムのCaves(洞窟)というトラックを聴くと最初に大量の水が流れる音が聴こえて、これは洞窟を削った川の音。その水が洞窟に注がれ、鳥の声へと続き、新たにひとつの音が聴こえてくると思うけど、これが構成部分の始まりなんだ。

アルバムは あなたのこの体験——洞窟を降りていって、もうひとつの世界に到着しての経験——を音楽によって表現しているということでしょうか?  つまり、このアルバムを通して我々はあなたが見てきた世界を疑似体験 できるかもしれないと?

JH:そうだね。ぼくの感情、エネルギーだけでなく、洞窟で見て、聞いて体感した奇妙さというかそこでの神秘的なものを表現しているんだ。ぼくはサウンドや音楽が専門なので、言葉としては洞窟での体験を完全には表すことができなくて、もちろん何を見た、どう感じたかは言えるけど。音楽は、洞窟内にある人類が手を加えてない完全なる生態系の存在、それに対するぼくの感情などを人びとにうまく伝えられるひとつの手段だし、なのでぼくは音楽を創造するよ。

セラピーという言葉が浮かんだ理由を教えてください。“幻覚セラピー”のセラピーとは、この音楽がたんなる快楽のためにあるのではないということ、そしてこの音楽の有益性をほのめかしてもいます。

JH:サイケデリック・セラピーは現在世界中でやっと合法的なセラピーの形として成り立ってきた。しかしまだサイケデリック・セラピーのなかで音楽の健康における有益性は語られていない。そういうなかでぼくが小さな波をおこし議論を広げていけたらと願うね。サイケデリック分野にむけた音楽制作として、ぼくが思うに今回のアルバムはふたつの役割があって、ひとつは過去制作してきたのと同様にアルバムそのものとしての役割。もうひとつはセラピー体験ができるサウンドトラックとして。音楽にはセラピーのパワーがあると信じているし、それは薬を併用するかしないかは関係なく、音楽そのものが心を開放するパワフルなセラピーとして、つまりサイケデリックそのものだよ。

強烈な幻覚体験をした人が作った音楽は、その強烈さの共有を望むあまり、過剰なトランスになってしまいがちだと思います。ぼくがあなたのこの作品で好きなところは、リスナーに対しての強制するところがないところです。無視することもできるという意味では、サティやイーノのアンビエント・コンセプトに近いものだとも言えると思いますか?

JH:いや、それはちょっと違うな。もし小さい音量でリラックスしながら寝転がって聞いていたらそういう(無視できるような)風にも捉えられるんだろうけど、ぼくはいいスピーカーで大きな音量で聴いてもらえるよう意図して制作したし、ぼくにとってこれはアンビエントではなく、感情的で情熱的な経験を伝えるものなんだ。もちろん作品を仕上げてリリースした後はどう聴いて捉えるかはリスナー次第だし、それはコントロールできないけど。もしぼくの意図を知りたいのなら、いいヘッドフォンで大音量で聴くことを薦めるよ。意図して盛り込んだビートもあるし、リラックスして聴く音楽ではないんだ。なのでもちろんバックグラウンド・ミュージックとして楽しむこともできるけど、アンビエントではない。イーノを例にあげたように無視することもできる興味深い音楽ではないね。ぼくの意図はアンビエントという方向ではなく、もっと激しいものなんだ。静かな部分もあるけれど後半はまったくそうではないし。なのでリスナーには大音量で聴いて欲しいな。

サイケデリック・セラピーは現在世界中でやっと合法的なセラピーの形として成り立ってきた。しかしまだサイケデリック・セラピーのなかで音楽の健康における有益性は語られていない。そういうなかでぼくが小さな波をおこし議論を広げていけたらと願うね。

今作を制作するうえでのイクイップメントで、なにか特別なことをされましたか?

JH:とくに何も変えてはいないよ。ぼくはエイブルトンというとてもクリエイティヴなプログラムを使っているけど、強いて言えば、3月のアルバム制作中にスタジオを引っ越したことかな。ちょうど曲を書いている途中、もう終盤だったけど。前のスタジオは小さな部屋で自宅から離れていたのでコロナ禍でも毎日通っていたけれど、3月に自宅に併設した新しいスタジオが完成した。素晴らしいスタジオでそこでアルバム制作を終えることができたのはとても嬉しかったよ。
機材に関してはMoogOneというシンセをよく使ってたし、事前録音されたバイオリンなどの処理されたアコースティック音源もTayos Cavesの隠し味として使った。弦や管楽器のオーケストラ演出みたいにね。隠し味なのであまりわからないだろうけど。また再サンプリングや処理された音(processed sounds)もたくさん使ったかな。アルバム後半でベル音が聴こえると思うけど、これはベルではなくてぼくがガラスを弾いて出た音を録音したものでね。自分のまありにある世界に心を開いて、まわりの音に興味を持って色々試したんだ。

最後の曲に入っている朗読は、テレンス・マッケンナの本からの言葉でしょうか? 

JH:これはラム・ダスの言葉だよ。これを入れた目的はアルバムの締めくくりとしてで、取り入れたのはラム・ダスの1975年の昔の言葉なんだけど、彼が語りかけているのは、本当の自分とは何なのか、自分の両極性、思考のさらに向こうに存在するものを見つけ、精神を落ち着かせて心を開き、精神のざわつきに惑わされず身体の、そして心の奥底にあるものに集中するよう、身体にとらわれずに本来の魂でいるように、と説いていると思う。意識のある思考ではなく心で生きるように、とね。

いまでも1日2回、20分の瞑想を欠かさずされていますか? 

JH:その通り、ぼくは毎日瞑想をしていて、ぼくがやってるのはトランセンデンタル・メディテーション(超越瞑想)なので、集中する必要はないし簡単にできるんだ。現代では常にいろいろなモノの誘惑があり、惑わされるけど、トランセンデンタル・メディテーションではマントラを心で唱なえがらも、いろんな思考が沸き上がってくるのはOKなんだ。そのほうが自然だし楽だよね。ただ座って集中しなきゃってのは何だかストレスがかかるしね。朝起きて20分、夜夕食前とかにもするから1日2回合計40分やっているんだけど、椅子にリラックスして座って、ただ自分の心のなかでマントラを繰り返すんだ。

いつからこの瞑想をしているのですか?

JH:トランセンデンタル・メディテーションをはじめたのは2015年から。その前は2001年から呼吸法を主にした禅スタイルにも近いヨガの瞑想法を学んで20年ほど実践していたけど。トランセンデンタル・メディテーションに出会ってからより楽に毎日瞑想できるようになった。瞑想をはじめたきっかけは、20代前半に慢性的疲労症候群にかかったことで、アドレナリンが出過ぎてしまう病気で、筋肉も疲れてたんだけど、21歳のときかな、なんとかしなくてはと必要に迫られ、内側から自分を癒す必要があると思って瞑想をはじめた。そこからぼくの人生に欠かせない一部となった。瞑想に出会ってなければいまのぼくはいなかったかも。

最後にリスナーへのメッセージをお願いします。

JH:そうだね、リスナーがこのアルバムを楽しんで聴いてもらって、この厳しい時代に新しい視点を持ってくれてそれが彼らの助けになれば嬉しいな。願わくば大音量で良い音質で聴いてもらいたいよ。楽しんでもらえればそれがいちばんだけど。

ザ・レインコーツのファンも
ポスト・パンク・ファンも
ラフトレードのファンも必読の書で、
あなたの人生観を変えるかもしれない名著です

いま日本でようやく公開される1979年ロンドンのアナーキー&フェミニズムの世界へようこそ。ジョン・ライドンもカート・コベインも愛した奇跡のバンド、その革命的なデビュー・アルバムとメンバーの生い立ちからそれぞれの歌詞や彼女たちの思想について、『ピッチフォーク』の編集者がみごとな筆致で描く。

1979年、ロンドンで結成された女性4人組のバンド、ザ・レインコーツ。そのデビュー・アルバムは、新しい文化潮流の重要起点になったという意味において、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストやセックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!!』などと同じ類いの作品であると21世紀の現代であれば言えるだろう。

この家父長制的な社会において、長いあいだ不当な扱いを受けながら、その後の多くの女性音楽家たちを勇気づけたそのバンドの名作の背景が、いまここに明かされる。

舞台は1979年のロンドン、拠点となったのは、マルクス主義とフェミニズム思想の影響をもってオープンしたレコード店〈ラフトレード〉。

店が立ち上げたレーベルからデビューしたザ・レインコーツは、当時ジョン・ライドンがもっとも評価したバンドだった。のちにカート・コベインがそのレコードを買うためにメンバーが働いていたアンティック・ショップにまで足を運ぶほどの熱烈なファンだったことでも知られる。

『ザ・レインコーツ』はポスト・パンク・ファン待望の一冊であり、いまだ家父長制的な文化が優位なままの日本の未来のためにも、まさにいま読むべき一冊だ。最高の読後感が待っています。

目次

収録曲 Tracklist
序文 Preface

1 One
2 Two
3 Three
4 Four

結びに Epilogue
謝辞 Acknowledgments
引用・参照資料 Works Cited
索引
編者による補足

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LIBRO - ele-king

 90年代後半から日本のヒップホップ・シーンで活動を開始し、一時的にラッパーとして活動休止の期間があったものの、2014年以降は毎年コンスタントにアルバムを発表していた LIBRO。今回のアルバム『なおらい』は前作『SOUND SPIRIT』から約3年ぶりのリリースとなったわけだが、3年というブランクが空いたのはコロナによるパンデミックが強く影響していたのは言うまでもない。コロナ禍の中で制作されたという本作は、つまり世の中が閉塞感に包まれている中で生まれたわけだが、このアルバムから感じるのは閉塞感の後に来る解放感であり明るい未来だ。例えば1曲目の “ハーベストタイム” は「収穫期」を意味しているわけだが、コロナによる苦難の時期を超えたいまの状況ともリンクし、2021年秋といういまのタイミングだからこそ、より多くの人の心に強く刺さる作品になっている。

 今回は全曲のプロデュースを LIBRO 自身が手がけており、さらにDJミックスのようにそれぞれの曲がスムースに繋がるような形で構成されている。メローな曲調であったりアッパーなド直球のブーンバップであったり、曲ごとに様々なスタイルを織り交ぜつつ、アルバムとして全体的な統一感は2014年以降にリリースされた彼のアルバムの中でも抜きん出ている。統一感という意味ではラップおよびメッセージの部分も同様で、様々なテーマの中に地に足のついた日常を感じさせる視線が貫かれており、価値観の変化や多様性を歌った「プレイリスト」のような曲であっても、決して押し付けがましくなくスッと耳に入ってくる。それはもちろん、LIBROのラッパー/ヴォーカリストとしての高い魅力が、彼のメッセージをよりダイレクトに伝えるという効果もあるだろう。さらに言えば、たまに出てくるオートチューンの使い方も見事で、彼自身が自分の声の使い方をいかに理解しているかがよく分かる。

 声という意味では、本作ではゲスト・アーティストの起用も絶妙だ。“シナプス” ではMCバトルのシーンで活躍する句潤と MU-TON が参加しているのだが、彼らは通常のバトルMCとは少し異なり、まるでセッションのようなバトルを展開することで知られる。“シナプス” は本作中最もハイテンションな一曲だが、三者三様なフロウのマイクリレーから一体感あるフックへの流れへの緩急の付け方も素晴らしく、実にタイトな仕上がり。もうひとつのゲスト参加曲 “ヤッホー” では客演キング=鎮座DOPENESS が参戦し、牧歌的とも言えるメロディアスなトラックに実に伸び伸びとした自由なフロウが展開されており、思わず笑みが溢れてくる。2曲とも全くタイプは異なるが、声の組み合わせはいずれも見事としか言いようがない。

 ラスト曲の “ハーベストタイム Remix” まで無駄な曲はひとつもなく、前述したように全て曲が繋がっているため、気がつけばあっという間にアルバムが終わり、そしてまた頭から繰り返す。聞いていて本当に心が晴々とするし、これほど心の底から気持ちの良い作品はそうそう出会うことはないだろう。2014年の再始動以降の LIBRO をずっと追ってきたファンはもちろんのこと、彼の 1st アルバム『胎動』にリアルタイムにやられた世代の人たちにもぜひ聞いてもらいたいアルバムです。

edbl - ele-king

 いろいろとサウス・ロンドンが話題に上る昨今だが、ひとくちにサウス・ロンドンと言ってもいろいろなタイプのアーティストがいる。いちばん注目を集めるのがペッカムあたりを中心としたサウス・ロンドンのジャズ・シーンだが、その中でも同じジャズの括りながらやっていることはかなり異なっていたりする。
 近年勢いのあるのがサウス・ロンドンのロック・シーンで、ブリクストンのゴート・ガールはじめファット・ホワイト・ファミリードライ・クリーニングなど新しいアーティストが次々と登場している。そしてもうひとつがシンガー・ソングライターたちで、トム・ミッシュロイル・カーナージェイミー・アイザックオスカー・ジェロームキング・クルール、プーマ・ブルー、ジョルジャ・スミス、エゴ・エラ・メイなどが出てきた。オーストラリアから移住してきたジョーダン・ラカイもこうした中に含まれる。
 シンガー・ソングライターと言ってもこれまたいろいろなタイプがいて、ロック寄りのキング・クルール、ジャズ寄りのプーマ・ブルー、ヒップホップ寄りのロイル・カーナー、ソウル寄りのジェイミー・アイザックと音楽性はそれぞれ異なる。ラップを得意とする者、純粋な歌を得意とする者さまざまで、ソングライティング方法もミュージシャン・タイプの人からビートメイカー・タイプの人といろいろだ。また、オスカー・ジェロームはジャズ方面でも活動するミュージシャンでもあり、トム・ミッシュもジャズ・ミュージシャンとのコラボをいろいろおこなっている。

 edbl(エド・ブラック)もこうしたサウス・ロンドンを拠点とするアーティストで、トム・ミッシュなどシンガー・ソングライターの括りに入れられる。と言っても彼自身は歌わないので、純粋に言えばソングライター/トラックメイカーとなる。
 もともとリヴァプール近郊のチェスター出身で、リヴァプール芸術学校に進学して音楽を専攻している。最初はロックを聴いていたエドだが、リヴァプール芸術学校時代にシンガー&ギタリストのエディ・スレイマンと出会って一緒に音楽を作るようになり、彼の影響でヒップホップやR&Bへと興味が変わる。エディ・スレイマンとバンド活動をする中で、ソングライティングやギターをはじめとした楽器演奏のスキルを磨き、その後ブリクストンに移り住んでソロで活動している。2019年に初リーダー作品をリリースし、その後ビート集やミックステープをリリースし、そうして作られた50曲ほどの作品の中から選りすぐられた日本独自の編集アルバムが『サウス・ロンドン・サウンズ』である。

 ギター、キーボード、ドラム・マシンを操るエドは、まずギターのコードから楽曲作りをはじめ、それに合わせてビート・メイキングをしていくスタイルだ。センチメンタルなギター・リフにはじまる “ノスタルジア” あたりが、そうしたギターを中心とした作曲を身上とするエド・ブラックらしさが出たナンバーである。この曲ではタウラ・ラムという女性シンガーが歌っているが、そのほかにもコフィ・ストーン、ザック・セッド、ティリー・ヴァレンタイン、キャリー・バクスター、ジャーキ・モンノ、ヘミ・ムーア、ブラン・マズ、アイザック・ワディントン、ジェイ・アレクザンダー、ジョー・ベイ、JAE と多くのシンガーやラッパーたちがフィーチャーされている。エドと同じくロンドンを中心とした新進の若手アーティストたちで、次のトム・ミッシュ、次のジョルジャ・スミスを担う人材である。本作を聴くと、エド・ブラック以外にもまだ名の知られていないアーティストたちがこんなに控えているのかと、サウス・ロンドン及びロンドンの人材の豊富さに驚かせられる。

 JAE が歌うネオ・ソウル調の “レス・トーク” はじめ、全体的にR&Bマナーの楽曲が多い。アイザック・ワディントンが歌う “ザ・ウェイ・シングス・ワー” はトム・ミッシュの作品に繋がるような楽曲で、エドのエモーショナルなギター・ソロもフィーチャーされる。“ワット・ネクスト” や “マグピーズ” などインスト曲も充実していて、ブラジリアン風味のギター・リフとホーン・アンサンブルが印象的な “ワット・ネクスト” では、J・ディラ譲りとも言えるビート・メイキングが冴えている。“マグピーズ” におけるエレピとギターのコンビネーションも心地よく、基本的にエド・ブラックはこうしたメロウネスを生み出すツボを心得たアーティストだというのがよくわかる。“edblギター”もギターを中心にエレピ、ホーンの演奏によって美しいメロディを紡いでいくナンバー。フランスのFKJ、アメリカのキーファーなど、ここのところ生楽器演奏をふんだんに用いた美メロのトラックメイカーが人気を博しているが、エド・ブラックも今後そうしたひとりに数えられることになるだろう。

interview with Courtney Barnett - ele-king

 朝はだらだらと過ごす
 窓際に椅子を引きずっていき
 外の様子を眺める
 ゴミ収集車が道沿いに静かに進む
 犠牲者のためにキャンドルを灯し
 風に乗せて気持ちを伝える
 私たちのキャンドルや希望や祈り
 それらは善意から出たものだけど
 まるで意味がない、変化が訪れなければ
 今日はシーツを変えた方がいいかも
“レイ通り(Rae Street)”


Courtney Barnett
Things Take Time, Take Time

Marathon Artists /トラフィック

Indie Rock

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 コートニー・バーネットの新作は朝からはじまる。朝起きて、窓の外を覗いて、外で起きている何気ない日常を見入る。このはじまりはバーネットらしい。彼女の風通しの良いギター・ロック・サウンドは、視界が開けていくような感覚をうながす。新作のタイトルは『物事には時間がかかる、時間をかけろ(Things Take Time, Take Time)』という。
 オーストラリアはメルボルン出身のバーネットには、古くて良きものとしてのロックがある。もっとも彼女のそれは今日的な新しい視点によって描かれているし、ロックのともすれば悪しき自己中心的な横暴さや、ありがちだった父権社会への加担もない。バーネットの評価を決定づけたデビュー・アルバムのタイトル『ときどき座って考えて、ときどきただ座る(Sometimes I Sit And Think, And Sometimes I Just Sit)』は、それが誕生してからずっと芸術的な進化を期待されてきたロックが別のルートに入ったことを象徴するような言葉であり、彼女の短編小説めいた歌詞のセンスが発揮されてもいた。ヴェルヴェッツ好きのリスナーには先日彼女が披露した“アイル・ビー・ユア・ミラー”のカヴァーを聴けばなおのこと、バーネットの音楽が少数派の代弁として機能していることもわかっているだろう。
 とはいえ、これは悲しいアルバムではないし、やかましくもない。リラックスしていて温かい作品だ。バーネットはカーテンを開けて、部屋に日光を取り入れている。斜に構えることなく、悲観することに感情は支配されない。サウンドも言葉もときに朗らかだったりする。それが新作の特徴で、彼女は“楽しみにしていることのリストを書く(Write A List of Things to Look Forward to)”。

「ロックは死んだ」とか「ギターは死んだ」とか。でも、どうなんだろう。議論すること自体がちょっと馬鹿げているとも思う。世のなかにはいろんな音楽があって、どんなもの、循環して巡り巡って、流行りやトレンドが生まれるわけで。どんなものでも、その居場所があるべきだと思う。

 誰も知らない
 どうして私たちは頑張るのか、どうして頑張るのか
 そんな風に時は流れる
 私はあなたからの次の手紙を待ち焦がれる

 ソングライターとしての才を持っているバーネットの今回は“陽”の部分が広がっている。サウンドには遊び心もあって、アルバムにはきわめて控えめながらリズムボックスやシンセサイザーも鳴っている。そしてそれぞれの曲には彼女らしい思慮深い言葉が綴られている。その多くはコロナ渦において生まれているから、未来へのリセットを余儀なくするしかない(はずの)我々にとってもきっと共振するところが多々あることだろう。朝にはじまり夜に終わる新作について、この10年もっとも広く愛されているインディ・ロック・アーティストのひとりである彼女が電話を通じてアルバムについての詳細を話してくれた。

忙しいなかお時間ありがとうございます。新作がとても良かったので、お話を聞けることを嬉しく思います。いまどちらに住んでいるのですか?

CB:住んでるのはオーストラリアのメルボルンよ。けど、いまは数週間後にはじまるツアーに備えてカリフォルニアのジョシュア・ツリーに滞在している。

いまでもメルボルンに住んでいるのはどうしてでしょう? 

CB:いまでもメルボルンに家があるけど、場所にはそこまで拘っていない。人との繋がりのほうが大事だよ。友だちとか家族とか。だから、特定の場所に深い結びつきを感じているわけじゃないんだ。

今作『物事には時間がかかる〜』をまず聴いて思ったのは、前作『本当に感じていることを私に教えて(Tell Me How You Really Feel)』とくらべて、明らかに全体的にリラックスしたムードがあり、またユーモアとポジティヴなヴァイブもあるということです。ギターの響きは前作よりも繊細で、温かく、とても良いフィーリングが表現されているように感じました。あなた自身、今回のアルバムをどのように解釈しているのでしょう?

CB:あなたがうまく言い表してくれたと思う。私自身は、聴き返すとすごく喜びに満ちていると感じる。楽しそうなアルバムだし、落ち着いていて、のどかな感じもするし。そういう作品になって満足している。そういう感情を捉えたいと思っていて、音楽で表すことができたから。

制作はコロナ中にされたのですか。オーストラリアではそれほどひどい状況ではなかったかもしれませんが。

CB:曲はこの数年間、断続的に書き続けていて、なかには2020年より前に書いた曲もある。アルバムを作ろうと本腰を入れたのは2020年の中頃。メルボルンにいたんだけど、オーストラリアはたしかに他の国と比べて感染者数が極端に多いわけではなかった。けど、かなり長いあいだロックダウンを敷いたり、解除したりの繰り返してで、つい数週間前にもロックダウンが解除されたばかりだったり。だから、これといって大きな出来事もなく、けっこう静かな1年だったかな。世界の他の地域と比べたら状況は良かったものの、長期間ロックダウンが敷かれていたのはたしかだよね。

いまアルバムが喜びに満ちていると言っていましたが、それは自分が抱えていた感情なのか、それとも、そうだったらいいな、という思いからだったのか。

CB:その両面が少しずつあると思う。誰もがそうだったと思うけど、私にとっても感情が揺れ動いた時期だったわけで、いろいろな思いを抱えながら過ごした。だから、前向きな気持ちを切望していたときもあって、そういうことを思い浮かべながら曲を書くこともあったし、いっぽうで、異様な世界を前にして、未来がどうなるかわからないなかで、感謝の気持ちもだったり、生きてることへのありがたみを感じる瞬間もあった。表裏一体なんだと思う。

日常のなかの小さな物語を描いているという点ではファースト・アルバム『ときどき座って考えて~』の頃に近いという言い方もあるのかもしれませんが、今作にはファーストにさえなかった楽天性——この言葉が正確かどうか自信はありませんが——があるように感じたのですが、実際のところいかがでしょうか?

CB:そうね。ちょっとした悟りの瞬間があったんだと思う。しばらく落ち込んでいた時期があって、自分の思考パターンを意図的に変えようとした。自分の脳を能動的に変えよう、という。自分にできる方法でね。ときには楽天性を自分に強いることもあった。それを続けることで、自然とそうなるんじゃないかっていう(笑)。うまく言えないんだけど、自分なりに生き方を模索してたんだと思う。

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しばらく落ち込んでいた時期があって、自分の思考パターンを意図的に変えようとした。自分の脳を能動的に変えよう、という。自分にできる方法でね。ときには楽天性を自分に強いることもあった。


Courtney Barnett
Things Take Time, Take Time

Marathon Artists /トラフィック

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あなたにとって新たにアルバムを作るという行為は、どんな作業を意味するのでしょうか? たとえば、人によってはまずはコンセプトから考えて作るとか、あるいは、いままでやっていなかった何か新しい音楽のスタイルにトライして作るとか、実験的に自分とはテイストが違うプロデューサーと仕事をするとか、ゲストを入れてみるとか、いろいろあると思いますが、あなたにとっての「新しいアルバム」とは、——これは決してネガティヴな意味で言っているのではないので誤解しないで欲しいのですが——、新しくできた曲を収録以上のどんな意味があるのか……それはひょっとして、人生の記録みたいなところはあるのかなと思ったんですが、どうでしょうか?

CB:たしかにアルバムというのは時間の記録でもある。そのとき居た場所、人、感情の記録で、あとで振り返ったときに、その曲が自分のなかでまた変わっていたり、進化していたりするからまた面白い。私が曲を書いてアルバムを作るのはある種のコミュニケーションであって、もっとも自分を表現できる形であると同時に、人に何かを伝える、自分の考えを知らない人に伝える手段でもある。自分の考えをまず自分で昇華して、理解することで、自分自身、そしてまわりの人のことをより知ることができる、という。

リリックも興味深く思いました。たとえば1曲目の“レイ通り”のコーラスにある「時は金なり、そしてお金は誰のものでもない(time is money; and money is no man’s friend)」というフレーズなんかは印象的なのですが、こうした感覚はたとえば初期の“エレベーターオペレーター ”のような曲にもあったと思います。強いて深読みすれば、資本主義社会に対するあなたのクリティックはつねにあるように思っているのですが、今回のこの言葉はどんなところから出てきたのでしょう?

CB:あのフレーズだけど、じつは子供の頃に父親がよく言っていた言葉で。私たちが学校に遅刻しそうなときに、「時は金なり」といつも愉快に言っていた。彼は楽しげに言っていたけれど、その言葉の本当の意味を私もあまり深く考えたことがなくて。でも、この1年半ふと考えるようになった。突然世界の動きがゆっくりになって、経済も止まった。私はメルボルンにいたからロックダウンも経験したし、倒産するビジネスも出てきたりした。いまでも、そのフレーズの意味を完全に理解できたわけではない。状況によって、いろいろな意味にもとれると思うし。でもこの曲を書いたときは、物事が変わりゆくこと、だったらどこにエネルギーを注ぐべきで、生きていく上で本当に大事なのは何なのか、ということを考えながら書いた。

たしかにこの1年半で多くの変化を経験したわけですが、終息したらみんなまた元の生活に戻ると思いますか? それとも、これをきっかけに生き方を変える人も出てくると思いますか?

CB:これをきっかけに生き方を変えた人は多いと思う。働き方にしても、日々の過ごし方にしても。どんな世のなかになるのか興味深い。都会を出て、静かな町や田舎に引っ越した人もいるだろうし。

ご自身はいかがですか?

CB:当然変化はたくさんあった(笑)。でも、その真っ只なかにいると、変わっていることに自分では気づかないことも多い。普通に、いろんなことをするペースがゆっくりになったことはたしか。前よりも焦らなくなったり、こだわりを捨てることだったり。不安やストレスを溜め込まないことや、結果ばかりを気にするんじゃなくて、目の前のプロセスに意識を向けることもそう。そういうちょっとしたことが凄く大事だったりするわけで、物事に対する見方や考え方も変わったと思う。

“レイ通り”や“楽しみにしていることのリストを書いて”には世界に対する優しい眼差しがあり、ポジティヴな感覚が歌われています。このような、日常のひとこまを描くことはコロナで家から出れない日々を送っていたからこそ生まれた歌詞なのでしょうか?

CB:コロナがちょうどはじまった頃にアメリカからメルボルンに戻ってきたわけだけど、当時はまだ自分の家がなくて、友だちの賃貸をそのまま引き継ぐことになった。大きな窓があって、そこから日光が差し込むすごく素敵なアパートでね、その窓辺に座って、コーヒーを飲みながらいつも曲を作っていた。そこから前の通りを行き交う人たちが見えて、そんな人たちの人生がとても身近に感じられて、気がついたら“Rae Street”ができていた。どこからともなく思いついた。日常のさりげない瞬間にフォーカスしていたんだと思う。

“楽しみにしていることのリストを書いて”はどうですか?

CB:あの曲は2019年終盤に書いてたのを覚えている。けっこう気分が落ち込んでた時に、友人から「人生で楽しみにしていることのリストを書くといい」と勧められた。そのアイディアをもとに書いた曲で、感謝の気持ちをこめている。日々の些細なことでも、自分にとっては大事なことだったりして、生きる原動力にもなるし、感謝すべきものだって。ちょうどその時期、オーストラリアで大きな森林火災が続いていて、避難を強いられたり、家を無くした人もいて、凄く大変だった。あの曲を書きながら、オーストラリアの友人や、大切な人たちに思いを馳せたり、この世界のなかでの自分の立ち位置を考えたりした。どんなに些細なことでも、失ってしまうと、それが恋しくなるし、また出会えるのを楽しみにしていることがある。そんなことを考えながら書いたわ。

『本当に感じていることを〜』の頃は、匿名であることを利用した、悪意で人を傷つけるSNS文化への憤りもあったと思いますが、今回はそれとは反対の世界のほうに注目していますよね。それから、“サンフェア・サンダウン(Sunfair Sundown)”では“レイ通り”で描かれているささやかな幸福とは反対にあるのであろう、過酷な資本主義に象徴される「あちら側」についても少しですが言及されています。前作ではその「あちら側」への憤りがあったように思いますが、もしそうだとしたらあなた自身が今作によってその怒りの状態から脱したと言えると思ったのですが、いかがでしょうか?

CB:そうだと思う。あの頃はいまとはかなり違う状況にいたわけで。大事なのはいまでも憤ることや不満や怒りを感じることが世のなかでたくさん起きているけど、それらとともに生きることで、目を逸らしたり、拒絶しないこと。それを受け入れつつ、この世にたくさんある美しいものや、善良な人たちの存在もしっかり認識すること。辛いことばかりじゃなくて、いいことやいい瞬間もあるんだって。そのバランスが大事で、片方にばかり囚われていると、絶望という落とし穴に落ちてしまう。

いまは、そのバランスがうまくとれるようになったと?

CB:毎日自分に言い聞かせながら、そういう意識を持ち続けることが大事だと思ってるんだ。

最近はアリス・コルトレーン を家で聴いている。あとは……、ニーナ・シモンやジョニ・ミッチェルとか。アーサー・ラッセルも。そのときやその日の気分にもよるけど、いろんな音楽を聴いてるわ。フローティング・ポインツもそう。

今作のなかで、あなた個人が思うもっとも重要な曲は何でしょうか?

CB:どの曲も、その曲なりの重要度があるわけで、例えば“つまりね(Here’s the Thing)”は、美しい曲で思い入れもあるし。あと“緑になる(Turning Green)”もとても気に入っている。大好きで、誇りに思っている曲。固定概念を捨てて、季節の移り変わりのように自分も変わっていくという。

今作ではきわめて控えめですが、エレクトロニクスも使っているようですね。とはいえ、基本的にはあなたはギター・ロック・サウンドにこだわっていると思います。その姿勢はこの先も変わらないと思いますか? ほかの楽器が入るとか、もっとエレクトロニクスを使ってみるとか、そういった可能性はありますか? 

CB:アルバムごとに少しずつ新しいことを試みているんだよね。今作では、これまでと比べてギターを弾く頻度が減って、鍵盤やシンセサイザーを弾いているし。いろいろなサウンドを取り入れることに対してはオープンでいるんだ。今作でもシンセやコンピュータで生成したサウンドについてもっと探究したいと思った。結果的にアルバムにはそれほど使っていないかもしれないけど、制作の過程でいろいろ試して、もっと掘り下げたいと思っている。

ギター・ロック・サウンドは古臭いと思われることに対しては?

CB:その議論はたしかによく耳にする。「ロックは死んだ」とか「ギターは死んだ」とか。でも、どうなんだろう。議論すること自体がちょっと馬鹿げているとも思う。世のなかにはいろんな音楽があって、どんなもの、循環して巡り巡って、流行りやトレンドが生まれるわけで。どんなものでも、その居場所があるべきだと思う。いろいろな面白いことをやっている人たちがそれぞれの音を鳴らせば良くて、情熱を持ってやっている人たちの音楽はその情熱が音楽を通して伝わってくるし、そういうものとどうやって出会うか、ということなんじゃないかと。私の場合、自分が凄く気に入る音楽を探すときというのは、「いい音楽」を探す。ギター・ロックだけを探すのではなく、もっとも面白いことをやっている人を探す。つまり、自分の考え方に甘んじることなく、自分の固定概念の殻を破ろうとしている人たち。そのほうがずっと面白いから。

ちなみに家にいるときにはどんな音楽を聴いているのですか?

CB:最近はアリス・コルトレーンを家で聴いている。あとは……、ニーナ・シモンやジョニ・ミッチェルとか。アーサー・ラッセルも。そのときやその日の気分にもよるけど、いろんな音楽を聴いてるわ。フローティング・ポインツもそう。(※他の記事によれば、イーノとレナード・コーエンもよく聴いていたという)

家で過ごしているとき、音楽以外で楽しいことは何ですか? “楽しみにしていることのリスト〜”に描かれているように、料理だったりします?

CB:(笑)。最近は前より料理をするようになった。前までは、料理ができる環境にあまりいなかったからなかなかできなかったけど、いまは料理をする時間も空間も少しできて、料理したいと思えるようになったのが嬉しい。あとガーデニングもけっこうやっている。小さなサボテンをいくつか育てたり。

アルバムのタイトル『物事には時間がかかる、時間をかけろ(Things Take Time, Take Time)』に込められた意味は何でしょう?

CB:アルバムの曲を書いていたり、レコーディング中に頭の片隅にずっとあったフレーズで、ふと湧いては消えてを繰り返していた。辛抱強さを身につける教訓のようなものだと思う。繰り返し思い出すメッセージだった。

あまりせっかちな性格には見受けられないのですが、それでも辛抱強さが必要だと感じる?

CB:焦りはいろんな形で現れるもので、私はそこまで短気な人間ではないけど、ストレスや不安を感じるときもあって、そうなったときにどう対処するかということなんだと思う。一度スローダウンしてみて、自分に対して優しくなって、自分の掲げる非現実的な期待値を少し下げてみることを意識するようになった。

じつはいま、日本ではいきなり感染者数が減っているのですが、冬にはまた第6波があるとも言われています。なかなか先が見えない世のなかですが、あなた個人はこの先、どんな感じでライヴはやるのが良いと思っていますか? たとえばイギリスみたいに全面解禁して、感染者が出ても以前のようにやるのが良いと思うか、あるいは、まだ慎重に進めていくのが良いと思うか?

CB:なかなか判断が難しいところだと思う。アメリカでライヴ音楽がまた再開されたのは嬉しいけど、まずは様子を見ながらやっていくしかないんじゃないかな。健康と安全のためのルールをきちんと守りながらね。私たちもワクチンを含め、可能な限り安全な形でツアーをする予定だし。ただ、この先どうなっていくかはまだまだ不透明で、以前のように戻るにはもしかしたらしばらく時間がかかるのかもしれない。どうなるか、全然わからない。

ツアー再開にあたって怖さや不安はありましたか?

CB:それはあったし、いまも不安がないわけじゃないな。先が全く読めないから。誰も正解を持っていない。前ほど怖くはないけれど、いざツアーがはじまればもう少し実態がつかめてくるのかな。わからないけど。ニュージーランドで2週間ほどのソロ・ツアーをやったんだけど、あそこは感染者がほぼいなかったから、普通にライヴができて最高だった。見に来た人たちも音楽を本当に喜んでくれて、特別なものを感じた。だから、早くまた普通にライヴができるようになるのを願っている。

Douglas J. Cuomo featuring Nels Cline and the Aizuri Quartet - ele-king

 クラインの法則をごぞんじだろうか。別名をクライン症候群(シンドローム)ともいい、日ごとの寒暖差がはげしく夏のつかれのでやすいこの時期によくみかけるこの症状にかかると、巷間をにぎわす音楽より腰をおちつけ滋味ある作品に耳を傾けたくなるが、やおら昔のレコードをひっぱりだしても年寄りくさいし、サブスクのいいなりになるのもシャクにさわる。そう考える向きが手にとる音盤に、しばしば彼の名をみとめることからこの呼び名がさだまった──ということの真偽のほどはさておき、今年もどうやらネルス・クラインの関連作を聴きたくなる季節がおとずれたみたいである。

 本家ウィルコのアルバムこそ2019年の『Ode To Joy』以来ご無沙汰とはいえ、クラインはその後も継続的に活動をおこなっている。コロナパンデミックは2020年初頭がひとつの境だったが、クラインひきいるネルス・クライン・シンガーズの『Share The Wealth』は同年11月リリース、コロナ禍が炙りだした格差、不平等を想起させる題名もさることながら、ジャズとロックとインプロとオルタナを攪拌しつつ絶妙な濁りをのこすスタイルにはいよいよ磨きがかかっていたのも記憶にあたらしい。アルバムにも参加した私生活のパートナーでもあるチボ・マットの本田ゆかとは CUP 名義でイマジナリーな『Spinning Creature』をその前年にリリースするなど、活動領域は形式を問わない。リーダー作以外でも、霞たなびく演奏が持ち味の即興トリオ、ハンツヴィルの『Bow Shoulder』や、2020年のエルヴィス・コステロの『Hey Clockface』ではその道の先輩格であるビル・フリゼールとの共作もおこなうなど、客演に呼ばれてもサイドにまわってもいかんなく本領を発揮するタチといえるであろう。
 ところが今回はいささか趣がちがう。客演作ではあるものの、母体は弦楽四重奏、いわばクラシックにギターで参加する体である。作曲者は90年代末に話題をとったテレビ・ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』のテーマ曲で名をあげたダグラス・J・クオモ。1958年生まれのクオモはマックス・ローチやアーチー・シェップに薫陶を受けたジャズのギター奏者だったが、テレビをふりだしに劇判を数多く手がけるにいたって作曲家に転身、映像のほかにも舞台の音楽でも注目をあつめている。私はクオモの音楽に上述の『セックス・アンド~』はもとより舞台も未見のため、ネルス・クラインの名前にひかれてはじめてふれたクチだが、これがまたなかなかに味わい深い。

 タイトルの『Seven Limbs』とは仏教用語でいう「七覚支」をさすという。七覚支とは37種の修行方法を7つの部類にわけたものの第6で、悟りのための7種の修行方法からなる。すなわち真実の法を思いとどめて忘れない「念覚支」、智慧により真実を考え選びとる「択法覚支」、たゆみなく努力する「精進覚支」から修業によろこびをおぼえる「喜覚支」とつづき、心身を快適な状態に保つ「軽安覚支」と集中を乱さない「定覚支」、心の平安を保つ「捨覚支」へいたる七覚支がそれで、クオモ自身日々実践しているというが、じっさいに仏門の徒であるかマインドフルネス的なかかわり方なのかはさだかではない。オリエンタルな意匠よりも瞑想的で内省的な曲調をかんがみるに、仏教的な記号は道具立てにとどまらないとは予想はつくが、本作の聴きどころはむしろそれらを音楽的な動機に昇華しクラインの好演をひきだしたクオモの巧みさである。

 『Seven Limbs』はクラインの点描的な演奏で幕をあけ、ほどなく提示する五連符のリフレインをきっかけにストリングスが姿をみせる。弦を担当するのは結成9年目で現在はニューヨークを拠点に活動する女性4名からなるアイズリ・カルテット。4人とクラインがテーマとも断片ともつかないフレーズを交換するなかで、3部10分ほどの演奏時間の1曲目の “Prostration” は静かに展開していく。さきに述べたように本作は仏教用語の「七覚支」に対応すべく、7曲からなるが、1曲はさらにいくつかのパート(楽章というほど大袈裟ではなさそう)にわかれ、微細な変化を強調している。曲どうしは「七覚支」の教えがそうであるように緊密に連関しあうはずだが、「礼拝」「供養」「勧請」などといった表題のもつ意味にことさらにこだわらずとも、聴きすすめれば、タイトルにこめた心の移ろいはサウンドにあらわれているのがわかる。それを綴るクオモの筆はいたずらに饒舌にながれず、寡黙にすぎず。劇伴でつちかった物語性をかいまみせるが、本作の物語はクライマックスに収斂する類のものではなく、むしろ終点が起点にかさなる円環構造を描くかにみえる。輪廻と解脱を旨とする仏教がテーマであるためか、きりつめた音数の動機を効果的に配置した構成力の妙味か、あるいは弦楽曲の形式からくる志向性とクラインのギターの螺旋状のからみあいが楽曲に水平(時間)的な持続力をあたえるためか、聴き手は弦が刻む伸縮する時間感覚を体感することになる。ナイマンの弦楽四重奏曲の4番あたりを想起する “Confession & Purification(懺悔と浄化)” の弓の返し、“Rejoicing(随喜)” でのジャズ・コンボ風の弦のピチカットや、“Beseeching(祈願)” のフィリップ・グラス的なミニマリズムなど、クオモのスコアは随所に仕掛けがあるが、クラインとアイズリ・カルテットのアンサンブルにはいかに激しい曲調であっても輪郭がかすむような滲みがある。演奏はむろんのこと、楽器ごとの音色の差異にも由来する響きからくるものだが、なかでも幾多のアタッチメントを駆使しエレクトリックとアコースティックを持ち替えるネルス・クラインの音色のゆたかさは聴き逃せない。クラインのツボとでもいいたくなる、本作のポイントであろう。

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