Home > Reviews > Album Reviews > Parquet Courts- Sympathy For Life
パーケイ・コーツの7枚目のアルバム『Sympathy for Life』は高評価を得た前作『Wide Awake』のポストパンク路線一辺倒でもなければ発売前に名前をあげられていたプライマル・スクリームの『Screamadelica』にインスパイアされただけのアルバムでもなかった。もっと雑多で、色んな種類の曲が入っていてそれらが繋ぎあわされてアルバムのムードが作られている。それはあたかも時間帯で変化していくパーティの出来事のようで、どこかいまはもう存在しない、思い出の中の出来事のようなそんな印象も受けもする。
頭の中に存在する架空の一夜、マッドチェスターからスタートして、ガレージ・ロックが繫がれたと思えば次の瞬間にギターの音が鳴りを潜める。その代わりに呪文をつぶやくデヴィッド・バーンのような歌声が聞こえてきて、続く曲の牧歌的な雰囲気に押し流されている間に気がつけばアンドリュー・ウェザオールのDJタイムがはじまっていた。交代で昔のドイツのグループとLCD サウンドシステムに影響を受けたスクイッドみたいなバンドが出てきて、その後にいよいよ本命のパーケイ・コーツが登場する。“Homo Sapien” から “Trullo”、4曲続けて踊ってパーケイ・コーツを堪能する。そうして夜が明けて朝の優しい光のようなメロディが流れて来て、街が僕らを迎え入れる。
僕はそんな一夜の出来事を妄想する。パーケイ・コーツの『Sympathy for Life』はやはりパーティのアルバムなのかもしれない。パーティ・アルバムではなくてパーティの記憶のアルバム、つい先ほどのことのような遠い昔のことのようにも思える記憶がつなぎ合わされて思い出が再生されていく、アルバムとは文字通りそういうものなのかもしれない。
「アルバムとは、どこでレコーディングされて、どこで制作されて、アーティストがどんなマインドでいたのかという、そのときと場所のスナップショットだと俺は考えている」。アンドリュー・サヴェージはインタヴューの中でそう答えていたが、今作はまさにスナップショットの集合体なのだろう。2020年のニューヨークでおこなわれたパーティの様子が収められた写真の集まり、そこから時間が経って世界が変わり、パーティの空気も意味も違って見える(それはそこに写っているものが失われてしまいそうになっているからこそそう見えるのかもしれない)。
作品のまとまりだけを考えればムードを統一した方が良かったのかもしれない。もっとはっきりとしたダンス・アルバムを作っても良かったし、あるいは『Wide Awake 2』を作っても良かった。けれどパーケイ・コーツはそうしなかった。それはおそらくその視線が転換期にある現在の社会に向いているからなのだろう(それでこそのスナップショットだ)。ニューヨークの街に漂うその空気、アルバムの中でパーケイ・コーツは都市生活者の孤独を唄い、テクノロジーの発展とそれに伴う価値観の変化を考え、アンダーグラウンドな、インディペンデントの精神を持って生きていこうと覚悟を深める。インディペンデントであり続けるには適切に状況を認識していなければならない。インディとは音やスタイルではなく精神で、決まった形はなく時代とともに変化していく。時代が変われば求められる心も変わる。時代あるいはそれにともない変化していく社会に対しどうアプローチしていくかがインディペンデント・アーティストに求められるものなのだろう。そうしてパーケイ・コーツは答えを出した、変化と適応こそが生き残るためのキーなのだと。
今作でパーケイ・コーツはデヴィッド・バーンの『American Utopia』を手がけたロダイド・マクドナルドとPJハーヴェイとの仕事で有名なジョン・パリッシュと組み、複数のプロデューサーとひとつのアルバムを作り上げるということを初めて試みた。そして作曲方法もいままでと変えた。40分にも及ぶ即興演奏を元にロダイド・マクドナルドがエディットしコラージュのように作りあげた曲を中心にこのアルバムは作られている。それはある意味ではDJのプレイのようなものだったのかもしれない。あるいはミックスか。
その中でも “Marathon of Anger” は従来のパーケイ・コーツとは完全に印象が異なった曲で、繰り返されるシンセサイザーのフレーズとマントラを唱えるデヴィッド・バーンのような歌声が特徴的だ。あきらめに似た悲しみと静かにステップを踏み込む覚悟が混じりあって空気を作り、それが心に染み込んでいく。
そしてジョン・パリッシュだ。曰く「クリーン・トーンを好んで、ジョンは素直に音を録るタイプ」。アルバムの中でエディットではなく従来の作曲方法で作られた3曲、“Walking at a Downtown Pace”、“Pulcinella”、“Sympathy for Life”、この中で “Walking at a Downtown Pace” を除いた2曲をジョン・パリッシュがプロデュースしている。ジョン・パリッシュはPJハーヴェイとの仕事で有名だが、最近ではオルダス・ハーディング、ドライ・クリーニング、ザ・グーン・サックスのアルバムを立て続けて手がけている。ブラック・カントリー・ニューロードの名前を出されて比較されるブリストルのニュー・バンド、ビンゴ・フューリーもジョン・パリッシュのプロデュースだ。従来のサウンドにこうした時代と共鳴するような音を混ぜて変化させようとするのもパーケイ・コーツのセンスだろう(そんな中でもどこか抜け感があるのがパーケイ・コーツの魅力のひとつでもある)。タイトル・トラックの “Sympathy for Life” ももちろんだが、アルバムの最後を飾る “Pulcinella” は特にそうだ。想像していたパーケイ・コーツの魅力の上に優しくメロディアスでロマンティックな側面が加わって新たな魅力が引き出されている。この曲はどこかゴート・ガールがカヴァーした『ダウンタウン物語』の曲(“Tomorrow”。この曲はゴート・ガールの 1st アルバムの最終曲でもある)を思わせ朝の光を感じさせる。
このパーケイ・コーツの朝の光は「明けない夜はない」ではなくて「いつの間にか朝を迎えている」ようなそんなイメージで、辿り着いた先ではなく、ずっと続いていたものが変化していったようなそんな印象を受ける。それは彼らの言うように、パーティであり、コミュニティであって……そしてきっとバンドでもあるのだろう。転換期の中で、過ぎ去った日の思い出を抱え、そうして次へ向かっていく。パーケイ・コーツのこのアルバムはなにかバンドの新しいスタートのようにも思える。変化と適応、それこそがきっと時代のキーなのだ。
Casanova.S