「IR」と一致するもの

Blue Bendy - ele-king

 サウス・ロンドンのポスト・バンク・バンドを中心にここ数年で大流行した喋るように唄うスタイルは聞くものに新たな感覚を残したのではないだろうか。つまりは芝居がかった演劇的な側面を音楽にもたらして、プレイリスト、曲単位で盛り上がる観賞スタイルが普通になった中で、再びアルバムという物語を意識させたのではないかということだ。歌い手が言葉を使いストーリーを表現し、その主体の感情を描写するように音楽が追従する。ストリングスやサックスがバンドの中にあるというのが当たり前になった編成で、セリフをつぶやくかのごとく唄うバンドの音楽は舞台で行われる演劇やミュージカルに近く、物語性を持った楽曲との相性が非常に良かった。その一番の成功例は高い評価を得たブラック・カントリー・ニューロードの1stアルバム、および2ndアルバムだろう。アイザック・ウッドの固有名詞にイメージを持たせキーワードのようにしてアルバムの楽曲を繋ぐスタイルを1stアルバムでは偶発的に2ndアルバムでは意図的にイメージを喚起させるように楽曲を組み立てたとバンドは言う。
 そうして時間が経って物語を追う感覚がリスナーに浸透したタイミングで違ったアプローチをする流れも生まれて来た。喋るように唄うスタイルではなくもっとメロディアスで、もっと色鮮やかに。HMLTDのデイヴィッド・ボウイ的SF、精神世界の大活劇の素晴らしき復活作『The Whorm』(この作品はエヴァンゲリオンにも影響を受けたという)が昨年リリースされ、今年、24年にはフォークのアプローチをしたテイパー!の傑作『The Pilgrim, Their God and The King Of My Decrepit Mountain』が生み出された。表面の音楽はまったく違うがどちらのアルバムもいくつかの章に分かれ、それらをナレーションで繋ぐという手法を用いより一層アルバムという物語を強調するものだった。

 さて、このロンドンの6人組ブルー・ベンディーのデビュー作『So Medieval』はどうだろう? 僕にはこれが喋るように唄うポスト・パンク・バンドが生み出したシーンのその先に進んだ音楽に思えてならならない。ピアノが鳴りアコースティック・ギターが咲く柔らかなサウンド、楽曲構成にポスト・パンクの気配を残しながら冷たく鋭い音楽から離れ、陽光の差す平原へ。あるいはそれはブラック・カントリー・ニューロードが2ndアルバムで目指した場所なのかもしれないが、ブルー・ベンディはさらにその先へと歩みを進めている。シンセサイザーが奇妙な音を作りシリアスになりすぎないようにバランスを取り、ねちっこく唄うヴォーカルはミュージカルのように熱を持ち、ギターが感情を作り出す。そして現在のロンドンの多くのバンドたちが共有している感覚であるフォークのアプローチを試み、その中に混ぜる。22年のEP「Motorbike」から進化した音楽はまた一つの特定のジャンルとして形容するのが難しい音楽になったが、歴史の流れの中で歩みを進める実験的なポップ・ミュージックとして完璧に機能している。

 粘り気があって艶があるアーサー・ノーランのヴォーカルは喋るようにメロディを唄いストーリーを語る。マコーレー・カルキンにケンダル・ロイ(ドラマの中のキャラクター)、スーパーマンのコミック、超次元ソニックマン、自らを取り囲むポップカルチャーの固有名詞をふんだんに使い、実存的危機にさいなまれる人生がユーモア交じりに物語られる。宗教的な価値観を織り交ぜながら俗っぽく、壮大な物語はしかしミームと物にあふれた小さな生活の中にかえっていく。たとえば“Darp 2 / Exorcism”のインターネットの惑星に漂う孤独は、暖かいギターの音色ともの悲しいヴォーカルメロディ、壮大というには一歩及ばないコーラス、爆発する小さな起伏に彩られ、最後には車の中、鼻で笑うような会話の中に戻っていく。感情を一気に持っていくようなものではなくニュアンスと空気のレイヤーを重ねてシフトチェンジしていくような音楽がなんとも心を揺り動かすのだ。美しい旋律の快感と、それを壊すようなユーモア、静かに積み上げられていく柔らかな興奮、6分を超える冒険“Cloudy”はまさにそんなブルー・ベンディの魅力がつまったもので、ぐるぐる周るピアノとアコースティック・ギターの爆発に彩られドライヴしていく物語は途中で緩み、展開し、まるでミュージカルのようなコーラスを伴った後半へと突入する。柔らかに着実にどこまでも上っていくように、爆発と展開を繰り返すブルー・ベンディのこの柔らかなカオスはたまらない快感を連れて来るのだ。

 「ロンドンで3番目にいいギターバンドであることはどうにかできる」“Mr. Bubblegum”で唄われるこの言葉はおそらくブラック・カントリー・ニューロードの“Science Fair"の「世界で2番目のスリントのトリビュートバンド」のラインを意識した言葉なのだろうが、彼らはその後にこう続ける「でも僕はなにかで一番になりたいんだ」と。
サウス・ロンドンのインディシーンを見つめ続けてきたバンドは見事にその先へと歩みを進めている。極端にならない方法で、カウンターではなく進化するように。そうして作られたこのアルバムはロンドンのポスト・パンク・バンドとテイパー!やアグリーなどのフォークの要素を強めたバンドの中間のグラデーションとして機能する。固有名詞に囲まれた物語と柔らかいサウンドの彩り、ブルー・ベンディのこのデビュー・アルバムはこんな風になったのだと変わりゆく季節、シーンの未来を確かに感じさせ、そしてなんとも胸を揺さぶってくる。

5月のジャズ - ele-king

 今年1月のコラムでテリ・リン・キャリントンのデビュー・アルバム『TLC And Friends』のリイシューについて紹介したのだが、そのテリ・リン・キャリントンが若手ミュージシャンを率いてソーシャル・サイエンスというグループを結成したことがある。2019年に『Waiting Game』という1枚のアルバムを残したのみだが、そのソーシャル・サイエンスに在籍したのはカッサ・オーヴァーオール、アーロン・パークス、マシュー・スティーヴンスといった錚々たる面々。そして、同じくグループのメンバーだったモーガン・ゲリンがリーダー・アルバム『Tales of the Facade』を発表した。


Morgan Guerin
Tales of the Facade

Candid / BSMF

 ニューオーリンズ郊外のミュージシャン一家に生まれたモーガン・ゲリンは、ニューヨークの名門ニュースクール・フォー・ジャズ・アンド・コンテンポラリー・ミュージックとボストンのバークリー音楽院に学び、サックスやフルートのほか、ピアノ、オルガン、各種キーボード、シンセサイザー、EWI(木管楽器のシンセ)、ベース、ドラムスとあらゆる楽器をマスターしたマルチ奏者。作曲家、プロデューサー、エンジニアでもあり、カッサ・オーヴァーオールに近いタイプのミュージシャンであるが、彼の『I Think I’m Good』(2020年)にも参加している。テリ・リン・キャリントンやカッサのほか、クリスチャン・スコット、タイショーン・ソレイユ、エスペランサ・スポルディング、ニコラス・ペイトンたちとも共演し、ソロ・アルバムは2016年から始まった『Saga』というシリーズ3部作をリリースしている。

 ウェイン・ショータージョン・コルトレーンアリス・コルトレーンといったジャズはもちろん、ステーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ミニー・リパートン、ケンドリック・ラマーなどからも同様の影響を受けたというモーガンは、『Tales of the Facade』について「ジャズのアルバム」という限定的な見方をされたくないと述べる。自宅のスタジオで1年ほどの制作期間を費やして、さまざまな楽器を演奏しながら多重録音し、ほぼひとりで作り上げたトラックにソーシャル・サイエンスのメンバーだったデボ・レイや弟のチェイス・ゲリンはじめ、J・ホアードやメラニー・チャールズ、シスコ・スウォンクなどシンガーやラッパーをフィーチャー。ほかにヴェテランのジョージア・アン・マルドロウの参加も目を引く。『Tales of the Facade』はそうした音楽仲間やコミュニティと作り上げた産物で、“Pyramid” は管楽器や鍵盤などが織りなす重層的なハーモニーやグルーヴと、ワードレスなコーラスが豊かな想像力を掻き立てる。J・ホアードが歌う “We Are More” は、モーガンが標榜するジャズとソウルの境界線のない世界。ジョージア・アン・マルドロウの参加する “Infinity” も同様で、コズミックで深遠な音響世界が広がる。音楽界に根強く残る性差別について取り上げたという “Something In The Air” は、1970年代のアース・ウィンド&ファイアーやチャールズ・ステップニーなどが見せていたスピリチュアル・ジャズとゴスペル、ソウルが融合した世界を彷彿とさせ、メラニー・チャールズの歌もミニー・リパートンを彷彿とさせる。


Blue Lab Beats
Blue Eclipse
Blue Adventure / ユニバーサル

  2022年にサード・アルバムの『Motherland Journey』を発表し、キャリア初のライヴ・アルバム『Jazztronica』を引っ提げて初来日公演も行ったブルー・ラブ・ビーツ。その際にインタヴューもおこなったが、そこではいろいろなアーティストたちとのコラボについて話をしてくれた。2年ぶりの新作スタジオ・アルバム『Blue Eclipse』も、すべての曲が多彩なアーティストたちとのコラボ集となっている。これまでもたびたび共演してきたラッパーのコジェイ・ラディカルのほか、地元ロンドンのジャズ・シーンからココロコのリッチー・シーヴライト、サックス奏者のカミラ・ジョージ、トロンボーン奏者のポッピー・ウィリアムズ、『Days & Nights』や『The Spectrum』などのアルバムで知られるシンガー・ソングライターのデイリー、サム・スミスなどの仕事で知られるプロデューサー&マルチ・ミュージシャンのベン・ジョーンズ、そしてロサンゼルスからムーンチャイルドのメンバーであるアンバー・ナヴランなどが参加する。

 ブルー・ラブ・ビーツと言えばジャズとヒップホップやグライム、R&Bを結びつける作品が多く、そこにアフロやラテンなども取り入れてきたが、『Blue Eclipse』はこれまで以上にR&Bやソウル寄りの内容となっていて、エリカ・バドゥの系譜を引き継ぐネオ・ソウル調の “Rice & Peas” や “Brother” がそれにあたる。“Brother” はLAのムーンチャイルドにも共通するムードを持つ作品だが、そのアンバー・ナヴランが参加する “Sunset in LA” はデイムファンクを彷彿とさせる80年代スタイルのブギー・ファンク。“Never Doubt” はブロークンビーツ的なリズムによるフュージョンで、未来的なヴィジョンと疾走感に満ちたグルーヴに包まれる。“Blue Eclipse” も同様で、アルバム中でもっともジャズ度が高いインスト曲である。一方、同じインスト曲でも “Guava” はラテンやカリプソを取り入れた陽性のナンバーで、リッチー・シーヴライト、カミラ・ジョージ、ポッピー・ウィリアムズらによるホーン・アンサンブルが聴きどころ。こうした多彩な曲をやるのがブルー・ラブ・ビーツらしいところである。“Cherry Blossom” はフルートが奏でるメロウなムードとヒップホップ・ビートが融合した曲で、『Motherland Journey』でも共演したキーファーあたりに通じる。


Nubiyan Twist
Find Your Flame

Strut

 ブルー・ラブ・ビーツがもっとアフロ~ラテン寄りになったグループのヌビヤン・ツイスト。総勢10名ほどのグループで、DJやエレクトロニクスも交えてクラブ・ミュージックとの親和性も高い。音楽形態としてはジャズ、ソウル、ファンク、アフロ・ビートが柱となり、リズム・セクションにブラジル系ミュージシャンがいることなどから、サンバ、アフロ・キューバン、ラテン、クンビア、レゲエ、ダブなどワールド・ミュージックの要素が色濃い。そうした生演奏にブロークンビーツ、ヒップホップ、グライム、ダブステップ、ベース・ミュージックを通過したエレクトロニクス・サウンドが融合されている。アフロ・ビートやワールド・ミュージック系のリリースも多い〈ストラット〉と契約を結び、2019年に『Jungle Run』をリリースしているが、それから2021年の『Freedom Fables』を挟み、最新作の『Find Your Flame』をリリースした。

 『Jungle Run』ではエチオピアン・ジャズの巨匠であるムラトゥ・アスタトゥケ、『Freedom Fables』ではガーナのハイライフ・シンガーであるパット・トーマスと共演するなど、そうしたコラボが話題となってきたヌビヤン・ツイスト。今回のアルバムではフェラ・クティの息子であるシェウン・クティ、マリ共和国でサリフ・ケイタのバック・シンガーを務め、レ・アマゾネ・ドゥ・アフリークのメンバーであるママニ・ケイタと共演する。ほかに意外なところでナイル・ロジャースが参加しているのも興味深い。そのナイル・ロジャースの軽快なカッティング・ギターをフィーチャーした “Lights Out” は、1970~80年代のディスコやブギー・スタイルのナンバーで、そもそもダンス・ミュージックやクラブ・サウンドと繋がりの深いヌビヤン・ツイストらしさが全開となっている。シェウン・クティが参加する “Carry Me” は、シェウンのヴォーカルとアフリカ系のリード・シンガーのヌビヤ・ブランドンによるコール&レスポンス、シェウンのサックスや豪快なホーン・セクションが活躍するアフロ・ビート。一方、ママニ・ケイタをフィーチャーした “Slow Breath” は彼女の伸びやかな歌声が魅力の曲で、マリの民謡がモチーフとなる牧歌性の高い楽曲。アフリカ音楽といってもさまざまなタイプがあり、『Find Your Flame』にはそうした多様なアフリカ音楽やラテン音楽のエッセンスが詰まっている。


Jembaa Groove
Ye Ankasa / We Ourselves

Agogo / ウルトラ・ヴァイヴ

 ドイツで結成されたアフロ・グループのジェンバ・グルーヴ。メンバーの出身や国籍はドイツ、ポルトガル、イスラエル、ガーナ、ベナンで、特にグループの核となるヴォーカリストのエリック・オウスは、ガーナでエボ・テイラー、パット・トーマスなど大御所と共演してきたミュージシャンだ。エリック・オウスとベーシストのヤニック・ノルティングは、ガーナのハイライフや1970年代のソウル・ミュージックから影響を受けたという点で意気投合してグループを結成。ガーナのハイライフやアドワ、ギニア、マリ、コートジボワールなどで広まったワソルなど西アフリカの伝統音楽と、西欧の黒人音楽であるソウルを融合していくというのがジェンバ・グルーヴのコンセプトだ。2022年リリースのデビュー・アルバム『Susuma』は、同年にリリースされたココロコの “Could We Be More” と共にアフリカ音楽とジャズが結びついたピュアなサウンドとして高い評価を得た。それから2年ぶりのニュー・アルバム『Ye Ankasa / We Ourselves』がリリースされた。

 今回はゲストとして、ガーナのハイライフ・ミュージシャンであるジェドウ=ブレイ・アンボレイと、同じくガーナ出身のアフロ・ソウル/レゲエ/ダンスホールのMCである K.O.G が参加する。ジェドウ=ブレイ・アンボレイの低音ヴォイスとサックスがフィーチャーされた “Agya” は、深い哀愁と土着的なグルーヴを湛えたアフリカン・ブルース。K.O.G をフィーチャーした “Sweet My Ear” は、アフロとレゲエのいいとこ取りをしたユル~いグルーヴのナンバー。ナイヤビンギやルーツ・レゲエなど、アフリカ音楽を祖先とするジャマイカ音楽の要素が見られるのもジェンバ・グルーヴらしいところだ。そして、アフリカやジャマイカならではの素朴なメロディや歌がこのグループ最大の魅力である。

Various - ele-king

ラップは聴く者にある種の奇妙さを与え、別の意味で、私たちを私たちの社会の社会的良心から排除された次元へと接触させる。 ——モニカ・ド・アマラル「エロプティカが侵食するブラジルの公立学校の現状」より

 

 我々とは異なる文化から発信される音楽が、ひどく奇妙なもの、「なんじゃこりゃあ」というものとして聴こえるとしたら、それは我々がまだよくわかっていない知恵による創造物であるということ、先方から見たら我々のほうが奇妙である、ということだ。先々週、三田さんが紹介したタンザニアのシッソのアルバムは、たしかに、まずこの国で流れることのない音楽ではある。とはいえ、すでにシャンガーンを聴いている耳にはアフリカの高速リズムは経験済みではあった。その点、『Funk.BR』なるコンピレーションは、20年前のバイレ・ファンキ(またはファンク・カリオカ)、要するにブラジリアン・ヒップホップを聴いている耳には、クセのあるリズムから、理屈ではその現在形と理解できる。が、バイレ・ファンキがディプロらを通じてグローバル化し、ポップスに感じられるようになっているこんにちにおいても、これは新たな「なんじゃこりゃあ」なのだ。なんとまあ多彩な、変態的ハイブリッドの数々だこと。日本の裏側の、人口2億人の国のリオデジャネイロという二重構造を持つ都市の貧困地帯で生まれ、同国内のもうひとつのメガロポリス、サンパウロに飛び火した「ファンキ(ファンク)」は、さらに独自の発展を遂げ、ブラジル国内はおろか、北半球の都市部の人たちをも魅了している。

 バイレ・ファンキは、USヒップホップ(とくにマイアミ・ベースやエレクトロなど)の影響を受けながら、貧民街のディアスポラ文化——アフロ・ブラジリアンとネイティヴ、そしてアフロ・アメリカンがぐしゃぐしゃに混じり合って生まれたラップ&ダンス・ミュージックだった。サンパウロにおけるその発展型は、USからのトラップやドリル(あるいはレイヴ・サウンド)の影響を受けつつも、またしても斬新なサウンドを複数のアーティストがクリエイトしている。現行のシーンを知るうえで、ぼくは英米メディアをはじめ、「ブラジルポップス観測所」という日本語サイトを参考にした。かいつまんで言えば、サンパウロのファンキには「ブルクザリア」なるスタイル、「マンデラン」と呼ばれる路上パーティなど、いくつかのサブジャンルや細部化されたシーンがある。『Funk.BR』はサンパウロのシーンのスナップショットで、ぼくのような初心者にはじゅうぶんに衝撃的と言える内容だ。

 「ファンキ」は、彼の地の現実(暴力、セックス、ドラッグetc)を反映しながらも、制度的な人種差別、都市部における貧困、そして精神的な抑圧からの解放(ないしは抑圧されたリビドーの解放)の音楽として機能している。バイレ・ファンキの刺激を受けて、サンパウロのシーンが急成長したのは2010年代に入ってからだという。保守派からは、公衆衛生犯罪だと非難されたこともあったという話だが、そうしたファンキを黙らせようとする反対派の声もなんのその、彼らの音楽への情熱はYouTubeチャンネル「KondZilla」やTikTokなどを通じて広がり、音楽の魅力をもってリスナーを増やしている。いまではブラジルでもっとも人気のジャンルのひとつへと成長しているそうだ。

 英国のジャーナリストのフェリペ・マイアとジョナサン・キムがキュレーションし、NTSからリリースされた『Funk.BR』は、22のトラックを通じてこのシーンに光を当てている。ここでは、そのさわりだけ紹介しよう。アルバムは、不吉なアートワークにぴったりな、DJ Patrick RとDJ Pikenoによるゴシックかつインダストリアル調クラーベの“Vai No Chão”にはじまる。そして、Mu540とMC GWの共作、呪文のような“A Culpa Eh da Cachac​̧​a”へと続き、DJ Aranaによる“Montagem Phonk Brasileiro”ときたらもう……、このミニマルな電子ノイズの歪みは(ほかの曲にも言えることだが)静と動のメリハリもったみごとな構成で、決して力任せに作られたものではない。北半球の世界では「ノイズ/エクスペリメンタル」などと形容されていたであろう、すばらしい芸術作品だと言える。が、しかし、これはアカデミアとは無縁な、完璧なストリート・ミュージックなのだ。

 電子化され、変容したサンバ。DJ DayehとMC Bibi Drakによる“As Mais Top”におけるねばっこいエロティシズムや、そしてDJ P7とMC PRによる“Automotivo Destruidor”のダークな電子空間からも、当たり前のことだが、昔の(生まれた階級こそ違えど)ボサノヴァやブラジリアン・ポップスとも相通じる節回しがある。しかしながら彼ら新世代の発想力は圧倒的で、そのテクスチャーは北半球のマキシマリズムやフットワークにも通じている。DJ Pablo RBの“Boca de Veludo”は、本作のなかではわりと馴染みがあるテクノ・ダンスと言えるが、それでもこの曲の前では、ザ・レジデンツでさえもMORなのだ。『Funk.BR』において、もっともぶっ飛んでいる曲のひとつはDJ BlakesとDJ Novaesによる“Beat das Gal​á​xias”で、これは周波数による耳への攻撃というか何というか……。ハンマーで粉砕された電子サウンドは、ときには鋭い刃物型の音響彫刻にもなる。

 シーンのなかには、動画編集ソフトを使って作っている者もいれば、スマートフォンだけで作っている者もいるというが、ファンキとは、クリエイティヴな音楽制作に必要なのは、高価な機材ではないということのお手本のようなシーンでもある。エレクトロニック・ダンス・ミュージックにはまだまだ発明できる領域があった。そんなわけで、ブラジルはサンパウロ内の1600万人以上が暮らす貧困地帯でこの10年磨かれてきたダンス・ミュージックが、ここ1〜2年でいっきに北半球でも注目され、話題になっている。我々も、このトレンドを楽しもう。 

interview with tofubeats - ele-king


tofubeats
NOBODY

ワーナーミュージック・ジャパン

House

Amazon Tower HMV 配信

 次の一手がどんなものになるのか、2年前からほんとうに楽しみにしていた。というのも、前作『REFLECTION』があまりにも時代のムードと呼応していたから。いや、むしろ時代に抗っていたというべきかもしれない。「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」なる表題曲の一節は、以前からあった「失われた未来」の感覚がパンデミックや戦争をめぐるあれこれで増幅されいまにも爆発しそうになっていたあの年、頭にこびりついて離れなかった歌詞のひとつだった。かならずしもいいものとはかぎらない。でもそれはいやおうなくやってくるのだ、と。

 潔い。新作EP「NOBODY」はハウスに焦点が絞られている。むろん、シカゴ・ハウスを愛する tofubeats はこれまでもその手の曲をアルバムに収録してきた。フロアライクなEPの先例としては「TBEP」(2020)もあった。今回の最大の特徴はそれが全篇にわたって展開されているところだろう。ここ数年のダンス・ミュージックの盛り上がり、一気にパーティやイヴェントが増えた2023年以降の流れとしっかりリンクしている点で、これもまた時代と向き合った作品といえる。
 ダンスのよろこびに満ちているはずの音楽にはしかし、「だれもいない」なんてさびしげなタイトルが冠せられている。ヴォーカル部分にAI歌声合成ソフトが使用されていることを踏まえるなら、これは tofubeats なりの「ポストヒューマン」作品なのかもしれない。そこも2022年の ChatGPT ショック以降という感じできわめて現代的なのだけれど、仮にざっくり、ヴォーカル入りのハウスにかんして、じっさいにシンガーをフィーチャーするのがUSで、サンプリングを駆使するのがUKだと整理するなら、tofubeats はそのいずれでもない道を模索しているともとらえられよう。
 近年はヒップホップ文脈での活動も盛んな彼。これは、かつて史上最年少で《WIRE》に出演し、いま「自分のことをハウスのDJやと思ってい」ると主張する tofubeats の、ある意味では原点を確認する作品であると同時に、ふだんそうした音楽を聴かないリスナーに向けて送られた最高の招待状でもある。(小林)

自分は、リスナーが思う tofubeats と俺がイメージしてる tofubeats とでかなり差があったりするタイプのアーティストやと思うんですけど、自分は自分のことをハウスのDJやと思っていて。

まずは前作『REFLECTION』のころのことから伺っておきたいんですが、ちょうど東京に引っ越されたときにパンデミックが直撃して。DJ活動を増やすために来たのに、仕事がなくなったという話だったかと思いますが、いまはDJはけっこうできていますか?

TB:コロナ禍のころよりは戻ってきたんですけど、そんなに頻繁にやっているわけではないですかね。以前のペースには戻っていないという感じです。コロナ禍前は年100本弱くらい、平均で80~90ぐらいはやっていて、デビュー時からずっとそのくらいだったんですけど、いまはライヴも合わせて年たぶん50~60ぐらいかなという印象です。大箱と言われるような、Spotify O-EAST(渋谷)とか The Garden Hall(恵比寿)みたいなところだったり、フェスの比率もちょっと増えた感じです。なので今年は久しぶりに仙台とか金沢とかの普通のクラブに行ってやる、みたいなのをちょっと意識して入れるようにはしていて。

DJ活動からのフィードバックは大きいですか?

TB:そうですね。あと単純にDJ好きなんで。ただやっぱり、お客さんはぼくが歌ってるのを見たいわけですよ。もし自分が客で初めて観るんやったらやっぱり絶対 “水星 feat.オノマトペ大臣” は聴きたいし(笑)。そういうバランスみたいなのは、昔からテーマとしてありますね。

2020年にダンスにフォーカスした「TBEP」というEPが、『RUN』のあとに出ました。

TB:神戸から東京に出てきて初めてちゃんと仕上げたのが「TBEP」で、「DJを頑張っていくぞ」っていうのをテーマとしてしっかりやって、クラブでかけられるようなものを出して。でもリリースのときにはたしか最初の緊急事態宣言には入っていて。

ほんとうにどんぴしゃだったんですね。

TB:そうなんですよ。それで、失われた幻として「TBEP」のときの気持ちみたいなのがずっと漂ってたまま『REFLECTION』をつくって、その後気分的にイベントのモードが戻ってきたところに、「TBEP」のときにやりたくてできなかったことをもう一回ちゃんとやろう、っていうのが、そもそもこの「NOBODY」のはじまりですね。

なるほど。レヴュー編集後記でも書いたんですけど、2022年は “REFLECTION” の「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」っていう一節がずっと頭のなかに残っていて。日本はまだパンデミック中でしたし、ウクライナへの侵攻もはじまっていて、そういう時代に対する抵抗というか、ポジティヴな未来を求める感覚があったのでしょうか?

TB:そうですね。あと、『REFLECTION』のときぐらいから自分はめっちゃネアカなんじゃないかって思いはじめて。ずっと……『POSITIVE』とかもそうなんですけど、「明るくいよう」みたいな気持ち、けっこうあるぞみたいに思って、そういう部分を出そうっていう気持ちはありましたね。なんというか、「まあ、いつかは終わるっしょ」みたいなことはわりと思ったりするんです。『REFLECTION』をつくってるときは、そういう願いみたいなものも入れたかったというか、最後は開けて終わる感じにしたいなとは思ってましたね。いつもアルバムはループ構造になるのを意識してるんですけど、閉塞感があるときだからこそ、開けて終わるかたちにしたいというのはありました。

しかも、そういうポジティヴな曲のリズムに選ばれたのがジャングルだったっていうのが、すごくはまっていると感じました。

TB:普段だったらジャングルはライヴではやりづらすぎるというか、あまりやらないテンポ帯なのでできないんですけど、ライヴがない時期だからジャングルいけるやん、っていうのはありましたね。

『REFLECTION』では神戸の Neibiss をフィーチャーしていたり、『REFLECTION REMIXES』でも RYOKO2000 や Peterparker69 を起用していて、昔から tofubeats さんは若手をフックアップしてきたと思うんですけど、彼らのことはどういうふうに見ていますか?

TB:単純に若手を呼びたいっていう基本思想というか、前提条件みたいなものはずっとあります。自分が若手のときに仕事をもらって上達していったんで、単純に足掛かりしてもらえればっていう(笑)。あと、メジャーの仕事なので、「ワーナー・ミュージックに請求書を出す」とか、それだけでも若手には経験になるじゃないですか。だから、合いそうな曲があったら振っていますね。ほんとうに自分も昔いろいろしてもらって、頑張った記憶があるので。

『REFLECTION』から『REFLECTION REMIXES』の一連の流れのなかで、「おっ」と思った反響ってなにかありましたか?

TB:どうだったかな……“REFLECTION” がいい曲やなってみんなに言ってもらったのはめっちゃ嬉しかったですね。あれは自分でもいい曲できたなって思えていたので。さっきの小林さんの話もそうなんですけど、あの曲の歌詞とかコンセプトみたいなものを褒めていただけたのはめっちゃ嬉しかったです。あと、普段ああいうテイストはやってないですけど、サウンド的にもちゃんとできてたっぽくて、先日 Sinjin Hawke と Zora Jones のユニット(Flactal Fantasy)と一緒にやったときに、ゾラにあの曲めっちゃいいやんって言われたのは嬉しかったですね。

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代理店化された感じというか。〈BOILER ROOM〉のような沸点マックスみたいなイメージが、やる側にもお客さんの側でも内面化されちゃってる気がするので、それがこれからどういうふうになっていくのかな、と。


tofubeats
NOBODY

ワーナーミュージック・ジャパン

House

Amazon Tower HMV 配信

そうした一連の流れを経て、今回いよいよハウスに振り切ったEPですね。以前の「TBEP」も近い位置づけのEPだと思いますが、あちらはハウス以外のスタイルも入っていました。今回は完全にすべてハウスです。その心をお伺いしたいです。

TB:自分は、リスナーが思う tofubeats と俺がイメージしてる tofubeats とでかなり差があったりするタイプのアーティストやと思うんですけど、自分は自分のことをハウスのDJやと思っていて。DJでかけるのも基本こういう4つ打ちのハウス・ミュージック的なものが多いんですよ。

むちゃくちゃ盛り上がるんだよね(笑)。

TB:はい(笑)。ただここ数年はヒップホップのイベントに出ることが多くて、あと客演でもラップをやって、それがバズったりして、どちらかというとそちらのイメージが大きくなっていたり。もちろんそれも全然ええことなんですけど……昔は〈マルチネ〉みたいな、打ち込みのひとたちと一緒にやることが多かったんですけど、気がついたらまわりがラッパーとかトラックメイカーが多くなっていて、出るイベントもヒップホップ・フェスの〈POP YOURS〉やったり〈CIRCUS×CIRCUS〉やったり。ありがたいことではあるんですけど、「こうなるはずやったっけ?」みたいに思うこともあります(笑)。なので、ここでこういうハウスをやっておかないと、ヒップホップっぽいことしかできなくなっちゃうかもな、っていうのは思っていました。「tofubeats の作品」として出しておけば、リスナーも聴き慣れないものとして受け止めなくて済むでしょうし。「TBEP」のときにやりたかった気持ちの亡霊みたいなものがあって、そっちの気持ちが戻ってきたんですよね。『REFRECTION』はああいう(パンデミックという)状況があってできたものなので、もともとやりたかったのは「TBEP」の延長線上にあるもので。ハウスが好きやし、よくDJでかけてるにもかかわらず、ぼくのアルバムやシングルにはあまり4つ打ちの曲がないんですよね。

うん、たしかにね。アシッド・ハウスがいちばん大きな影響だったというのは、もうデビュー当時から言っていたよね。

TB:ああいう「ダン、ダン、ダン、ダン!」みたいな、段ボール箱を一升瓶で叩いてるような感じの曲がいちばん好きなんですよ(笑)。こう、トグルスイッチをパンッってやってるのに、一個だけ声ネタが連打されてるみたいな(笑)。もちろんそれだけじゃダメだから、どうバランスをとるかっていうのはずっとテーマですね。いまはハウス・ミュージックをしっかりやろうっていうモードが戻ってきていて、かつ、みんなに聴いてもらえるものじゃないといけないっていうのもあり、いろんな要素を乗せていった感じですね。

少ないとはいえ、これまでもアルバムに数曲ハウスを入れてはいました。それらが聴かれている手応えみたいなものはありましたか?

TB:あまりないですけど、置いてる意味はあるなって思うときはたまにあります。たとえば『FANTASY CLUB』って “LONELY NIGHTS” 目的で聴かれてるアルバムなんですけど、表題曲はBPM110台くらいのハウスなんですよ。そういうのって、なんかじわじわ効いてる気もせんでもないというか。そういうふうにハウス・トラックを設置してあることが、未来の人間に影響するかもしれないので、そういう意味では効果はあるなとは思いますね。

たしかに、それは効果はあると思いますよ。“REFRECTION” のMVをYouTubeで見たとき、コメント欄におそらくは若い方で、まだジャングルの名前を知らない方だと思うんですけど「ビートがかっこいい」と書きこんでいるひとがいたような憶えがあります。そういう入り口になっているようなところはあるのかなと。

TB:まあいまも昔も、自分の役割ってホンマにそれでしかないと思うので。本当のクラブ・ミュージック……というと自分がパチモンみたいな言い方になってしまいますけど……まあパチモンみたいなもんなんですけど(笑)、でもそういう入り口とか仲間とか、やっぱ自分がそういうものに道を開いてきてもらったので、そういう存在でありたいなっていうのは昔からずっと思ってます。

今回、ハウスのEPをつくるにあたってとくに参照したもの、聴いていたものってなにかありますか?

TB:なんですかね、普通に流行ってるサリュート(salute)みたいなスピード・ガラージも聴いてましたし。“I CAN FEEL IT” とかはそこらへんとつなげられるようにつくっていて、シングル・ミックスはまさにそんな感じです。ほかはなんやろ……日本のハウス・ミュージック、たとえば寺田創一さんはけっこう意識していました。でも、自分が好きな120BPMぐらいまではテンポを落としすぎないっていうのも意識してて。ブレイクスっぽさというか、あとつるっとした感じ。最近のハウスってツルッとしてますよね。自分が好きな〈トラックス〉みたいな感じではなくて、もうちょっとリニアな……トランスっぽいとまでは言わないですけど、そういうのに接近してるイメージがあって。いつもだったら「ここで止めてダダダダダンッて入れたい」ところをちょっと我慢して「タッタタタタ」みたいな、少し跳ねたフィルにしたりとか。ドラム・マシンで「ズババババ」って行きたいところを、そういうつるんとした感じに留める、というのは今回全体的に意識していますね。

いまは「tofubeats フォロワー」みたいな世代も出てきてるでしょう、パソコン音楽クラブみたいな。そういう下の世代からの刺激みたいなものってありますか?

TB:パソコン音楽クラブはもう下の世代ってあんま思えへんくらい仕上がってるんで(笑)、普通に一緒にできるグループみたいな感じですね。ただやっぱり、みんな自分よりちょっと速い。ハウスというと自分はどうしても120ぐらいの〈トラックス〉とか〈DJインターナショナル〉っぽいものを思い浮かべてしまうけど、いまの若い子たちが思ってるハウスって全体的に速いといか、トランシーな感じですよね。130弱くらいのテンポだったり、あと裏打ちのハイハットがオープンじゃなくてクローズドになってるとか。「ドッチッドッチッ」って感じで、ぼくの好きなのは「ドッシャードッシャー」というか、シカゴ・ハウスみたいな大地を踏みしめている感じなので(笑)。いまはつるっとした感触で、UKガラージとも混ぜられるような感じがトレンドな気がしますね。

速いよね。でもいまって、若い世代でクラブ・シーンが盛り上がってるみたいじゃない。

TB:めっちゃ感じますね。ただ、自分が思ってるクラブとはもう違ってて。コロナ禍以降のクラブって、深夜にやってるライヴ・ハウスっぽいなーって思うことがけっこうあります。

そういう現場に呼ばれたりはしますか? ブレイクコアとかトランスみたいな、若いオーディエンスの。

TB:そこまでのは、DJではないですね。ただライヴでは行くことがあって、「めっちゃメロコアみたいなライヴやってんな」と思うことはあります。「オートチューン・メロコア」というか……〈BOILER ROOM〉以降というか、いまは自分もああいうショウケース化されたフロアでやることが増えました。DJとか見えても見えてなくてもいいみたいな、なにが流れていようが関係ない、そういういわゆるもともとのクラブの感じの現場ではなくて、ショウ・アップされてて、お客さんがみんなDJのことを見てて、「なにが来るんだ」みたいな感じで期待されているような雰囲気を感じることが増えたかなという気はしますね。ちょっと代理店化された感じというか。〈BOILER ROOM〉のような沸点マックスみたいなイメージが、やる側にもお客さんの側でも内面化されちゃってる気がするので、それがこれからどういうふうになっていくのかな、とは思ったりしますね。

以前日本語でやることにこだわってるって言ってたよね。日本のハウスってテイ・トウワさん、寺田創一さん、福富幸宏さん、サトシ・トミイエさん、〈Crue-L〉などこれまでにもすごくたくさんあるけど、好きなのってなんでしょうか?

TB:テイさんはめっちゃ好きですね。他方で、「J-CLUB」って言われていたような、TSUTAYAとかに置いてあったような「乙女ハウス」みたいなやつとかFPMとか、ああいうのも全然好きですし、一方で寺田さんみたいなのもめっちゃ好きですし……そういうのを合流させたいという気持ちはあります。あと、それとはべつに関西でCD-Rだけで出されてたような、自分が影響を受けた先輩たち、チェリボ(Cherryboy Function)さんとかデデ(DE DE MOUSE)さんとか。そのあたりから受けた影響も全部出したいなと思ってて。

ピチカート・ファイヴのリミックス盤とかもね。

TB:そうそう。メジャーのそういうところからインディのそういうところまで、影響を受けてるので。

たしかにそれは感じる。ポップスとクラブ・ミュージックのあいだで、ちょうどグラデーションみたいになっている感じというか。

TB:そうですそうです。どっちからも軽んじられているようなものが自分は好きなので。

tofubeatsのなかではヒップホップもハウスもおなじだよね、昔から。90年代にハウスやってたひとたちも同時にヒップホップもやってたりするしね。いまみたいにどっちかっていう感じではなくて。

TB:そこはまさにうーんと思ってることのひとつで。パル・ジョーイとかマジで好きで、ヒップホップやっていたひとがハウスに行く感じというか。テイさんのDJ見ててもBボーイっぽいなと思うんですよ、ハウスをかけていても。そういうのはひとつの美学としてあるんですけど、あんまり伝わらないよなと思ったりもする。ヒップホップのイベントに出て、こういうハウスのトラックをぽんと入れたときの反応で、予想してなかったものが来た感じがあるかどうかっていうのは、クラブかクラブじゃないか考えるポイントになる。

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いや、べつにAIはいいんですけど、ショックを受けてしまった自分自体がショックで。ふだん自分はそういうテクノロジーとか肯定派のツラしてたのに、ショック受けてるやん……って(笑)。


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NOBODY

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House

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今回ヴォーカルに「Synthesizer V」というAIの歌声合成ソフトを使用することになった経緯や理由を教えてください。

TB:M6の “I CAN FEEL IT” ってじつは、『REFRECTION』をつくってるときに7~8割ぐらいの完成度でできてたんですよ。でも『REFRECTION』には入れないだろうなと。歌詞も全部できて自分の仮歌が入ってたんですけど、これは自分じゃないわなって思って、女性ヴォーカルだろうとは思ったんですけど、それでもまだ「この青臭い歌詞を誰に歌わせるか?」というところで悩んで、また寝かせていた。そのタイミングで「Synthesizer V」が出て。ざっくり言うと、「すごいボーカロイド」みたいなものなんですけど、テクノロジー的にも興味があったんで、試しにこの曲で打ち込んだら、「これでよくねえか?」ってなって。

恐ろしいよね。言われなきゃわからなかった。

TB:いやそうですよね。しかもとくに細かいこともしなくて、ほとんどベタ打ちしただけなんです。それで、できそうな気がして、M2の “EVERYONE CAN BE A DJ” もつくったら、「これはもうこのソフトで一枚つくれるな」ってなっていった感じです。一見 “I CAN FEEL IT” の歌詞ってそのソフトを前提にしたような歌詞ですけど、順番的には逆だったんです。

なるほどね。これは、ミスター・フィンガーズに対する tofubeats からの回答だよ(笑)。

TB:じつは今回のEPには全体に通底してるフィーリングみたいなものがあって。去年スミスン・ハックのような、ブツ切りのカットアップ・ハウスみたいな曲を探しているときがあったんですけど、そのとき「めっちゃいいやん」って思った曲があって、調べたら生成AIでつくられた曲やったんですよ。もう、めっちゃショックで。いや、べつにAIはいいんですけど、ショックを受けてしまった自分自体がショックで。ふだん自分はそういうテクノロジーとか肯定派のツラしてたのに、ショック受けてるやん……って(笑)。人間がやってると思ってたら人間じゃなかったときのこの気持ち……たとえば最近やったらコールセンターもAIだったりするじゃないですか。人と喋ってると思ってたら「これ、AIや」みたいな。そういう感情ってこれまでなかったタイプのものだと思うんですよ。この曲を聴いて「こんな人かな?」みたいに想起した俺の感情ってなんなん……みたいな、そういう行き場のなさというか。
 人間ってつねにいろんなものを想定して話すわけじゃないですか、会話もそうで、でもそれが急にハシゴを外されることって、これまで生きてきてあんまりなかったと思うんですよね。そういう外され方がこれからめっちゃ増えてくんやなって思って、それが今回のEPのテーマになっています。“NOBODY” もまさしくそう。「待ってるよ」と言われて「誰が待ってるんだろう?」と思って調べたら「これ人ちゃうんかい」ってなるわけです。そういう行き場のなさみたいな感じが、人間側に勝手に生まれること、それこそが生成AIによって生まれる新しい一個のフィーリングかな、と思って、それが全体のテーマになってる。

そういう意味で言うと、2曲目の歌詞で「誰でもDJにはなれる」っていうのをAI が歌っているのが、なんというか、処理しづらい感情を生みますよね(笑)。

TB:人間どもよ! と(笑)。これもふと口をついて出てきた単語なんですけど、歌わせてみたらすごい批評性が出るなあ、と。

さらに「誰でもステップを踏み鳴らす」と。歌っているAI本人にはそれができないわけです。

TB:でもDJはAIにもできるじゃないですか。ぼく、AIのDJと一回戦ったことあるんで。YCAMのそういうイベントで。

戦う、というのはどうやって?

TB:AIDJとのバック・トゥ・バックですね。もう10年近く前にYCAMで Licaxxx とぼくが、コスモという会社がつくった「AIDJマシーン」みたいなのとB2Bするっていうめっちゃ面白いイヴェントがあって。そのときは「AIなんてまだまだやな」とか言ってたんですけど、いまはたぶん相当すごいと思います。

今回AIを使用したのはヴォーカルでしたが、今後はトラックとかにも使っていきたいですか?

TB:今回AIを使ってはいますけど、歌詞を書いたのは自分だし歌わせたのも自分だし、どうなるかわからないところはありますね。「音楽をつくる」っていうこと自体がめっちゃ簡素化していくと──自分もそもそも簡素化した後の世代ではあるんですけど──どこまでが楽しみになるのか。文字を書いて音楽を生成することに、音楽をつくる楽しみを味わえるのか味わえないのか興味があります。文字を書くことが音楽をつくることになって、そこに未来を見出した若者たちがプロンプトを書き合って、次世代の〈マルチネ〉みたいなものが生まれるのか、それとも逆にそういうものがなくなって、音楽というものがただただドライなものになるのか。「つくる」ということの概念がどうなるか、その予想のつかなさ。今回みたいにAIを使うのは、意外とそんなに使ってないという感じなんですよね。ほかのソフトも試しで使ったりはするんですけど、ただボンって生成するっていうのはあんまり……。自分は過程が好きでやってるんで、「ただボン!」をやるとそれを省略することになっちゃうんで、それ自体に楽しみみたいなものをまだあんまり見出せてないですね。

日常で Chat GPT に問いかけたりとかはよくあるんですか?

TB:ああ、それはもう全然ありますよ。文面考えてもらったりとか、英語添削してもらったりとか。あとぶっちゃけると、「こういう歌詞考えてんねんけど、候補を100個出してください」とか。そういう使い方は全然ふだんからしていますね。提案してもらうために使うという感じで。回答を出してもらうためには使っていなくて。選ばせるのをAIにやらせはじめると話は変わってくるかな。「肝になる部分を決めさせるかどうか」っていうのはポイントかもしれない。

芥川賞を獲った九段理江さんもAIを使っていて。すごい時代になってきたなあ、と。

TB:そうですよね、それは。マジでビビりますよ(笑)。「つくる」っていうのはどこまで人間の領分なのかっていうのはけっこう考えさせられますね。

今後つくり手の役割は監督みたいなものになっていく、というような。

TB:いやあ、それもきっとできるようになると思うんですよね。脳ってモノじゃないですか。モノである以上絶対再現できると思うんですよ、技術さえ発展すれば。

たとえば「tofubeats の脳のコピーです」みたいなAIが出てきたらどうしますか?

TB:いや、どうなんですかね(笑)。ただ、そうなったときってほかのひとも全員そうなので、流れに身を任せようかな、と。そのときの流行りに。

まあDJからしたら、お客様は警察みたいなもんですから(笑)。

今回、アートワークもすごく強烈です。

TB:ヤバいですよね(笑)。ビックリしました、これ。

これはどっちなんでしょう? 「警官だけど本当は俺たちも楽しんで踊りたいんだぜ」とも読みとれるし、フロアや踊ることそれ自体が警察に奪われてしまっているようにも見えます。

TB:まあDJからしたら、お客様は警察みたいなもんですから(笑)。

(笑)。どういうことですか?

TB:厳しく見られてるなあ……という。毎回なんですが、山根慶丈さんのアートワークにかんしては口は出さず、出てきたものを選ぶだけっていう決まりにしています。お願いするときもいつも2、3行だけ、たとえば「ヴィヴィッドな感じにしてください」とか、そのくらいの指示しかしないんですよ。そうしたらラフが2、3パターン来るので、そこから選ぶだけなんです。内容についても聞かないっていうルールもあって、毎回なんでこういうアートワークになったかは知らないんです。

描く前に音楽は聴いてるんでしょ?

TB:はい。聴いてもらって。

じゃあ聴いて、彼女のなかでああいうふうに。

TB:でも「なるほどな」って感じはやっぱりあって。山根さんがここ1、2年で出してる作品って、こういうおなじ顔のひとがいっぱいいるシルク作品なんです。去年2枚似たような、構図の作品を出していて、片方を買ったんですが、それと似た構図でしたので、もしかしたらなにかを汲みとってくれているのかもとは思います。その作品は資本主義を強烈に風刺した作品だったので、まあたぶんなんらかの山根さんの怒りみたいなものは入ってるのではないかと勝手に想像してはいます(笑)。

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ぼくがはじめたころってCD-R全盛期やったやないですか。配られる流通未満の音源とか、委託販売の全盛期。関西ゼロ世代みたいなもの。ああいうものにすごく影響を受けたんですけど、ほぼ歴史から抹消されているというか……そういうことは最近自分の問題意識としてありますね。

〈WIRE10〉のフードコートのようなところでDJしていたときに、もう仲間がいたよね。〈マルチネ〉周辺とつながっていて。tomadくんもあのころは若かったけど、みんなもうベテランのようになっている。

TB:いや、マジもうおっさんですよほんと。ちょうどこの前も若手の作品にダメ出ししてて、「えらい厳しなったな~」って言うてましたもんね(笑)。

あのときは〈マルチネ〉のような新しい文化というか、新しいプラットフォームがあって、DIYでやっている子たちがいて。いま tofubeats がこういうふうに頑張ってやってるわけですけど、自分たちがやってきたことの成果ってどう思ってますか?

TB:〈マルチネ〉はそろそろ20周年なんですよ。

そんなに!

TB:2005年からだと思うので、来年20周年。自分が合流したのも2007年とかなので、それはそうなりますよね。10代の子とかで聴いてくれたって言ってくれる子はいるので、一定の成果は挙げたなと思いますし、今後も作品は残っていくので、これからもっと先に音楽をはじめる子にもなにかは残せていると思うんですが、当時はもっとインパクトがあったと思うねんけどな……とかは考えますね。サブスクに載せられない音源も多かったので、歴史から消えてるものもあって。ぼくがはじめたころってCD-R全盛期やったやないですか。配られる流通未満の音源とか、委託販売の全盛期。関西ゼロ世代みたいなもの。ああいうものにすごく影響を受けたんですけど、ほぼ歴史から抹消されているというか……そういうことは最近自分の問題意識としてありますね。もしいま自分が音楽を辞めたら、たとえばイルリメさんの初期とか関西の電子音楽の流れみたいなものは消えてしまうのではないか、とはちょっと考えたりします。

なるほどね。いまイルリメの名前が出たけど、やっぱり自分は関西のオルタナ・シーンから出てきたという意識がある?

TB:自覚はありますね。ずっとその周辺でやってきてますし。その流れと、〈マルチネ〉のような東京のひとたちと、どちらともやってきたっていうのがありますけど、関西のそういうひとたちがもうちょっと日の目を見たらいいのにな……っていうのは、ずっと昔から思っていますね。

めっちゃ時代が変わった感じがします。“水星” はもう、「親が聴いてました」みたいな感じになっていて。「お父さんが好きで」とか。


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今回、取材前に「tofubeats に会うよ」って知り合いの若い女の子に言ったら、「え、本当ですか!」みたいな感じですごい羨ましがられたのね(笑)。これも昔から tofubeats がよく言うことだけどさ、自分の立場をけっこう考えるじゃない? 入口になるような、とか役目みたいなものを。ほんとうに20代の女の子が「tofubeats さんに会えるんだ、いいなー」と思うことをやれてるわけだから、そこはしっかりできてるんだなと思う。

TB:いやでもね、本当にマジでそれは思うんですよね。自分もやってもらってたっていうのが大きい。CE$ さんとかがいたから自分がこうなってるわけで、さっきのリミックスの話もそうなんですけど。あと、それをやらないと結局自分が損するんですよ。自分の居場所がなくなる。たとえばクラブってひとりでは絶対成り立たないですよね。一晩やろうと思ったら5人くらい必要で、そういう組がほかにもいっぱいないと、クラブってなくなるわけじゃないですか。だから、やりたいひとを増やしていかないと、自分のいる場所がいずれなくなってしまうっていうのはいつも考えます。風営法のときも思いましたし。

そういう自分の役目以外のところ、役割から降りたところでつくりたいっていう欲望はないんですか?

TB:ああ、まあそうですね。難しいですけど……ぼくはメジャーにいるので、そうなったら半分ぐらいはそれが意義な気もしていて。あと、役目があるから頑張るみたいなところもあるというか。役目というか、大義名分ですよね。これは自分のエゴみたいな話でもあるんで、みんなもそうしてほしいっていうことではないんですけど、それがあったほうが頑張る理由にはなる。自分のために頑張るのはたかがしれていて。頑張るコツとして大義名分を利用しているのは否めないです。みんなのために頑張ってるんだよって言いながら、結局は自分に利益を向けていくっていう悪代官みたいなスタイルでやっていく感じ……(笑)。

すごいね、偉い(笑)。Tofubeats が面白いのが、上の世代から「90年代はよかった」って話ばかりされて、「自分の世代には何もないのか?」っていう反骨心でやってきてるところ。

TB:そうですね。神戸もやっぱり地震があったところなんで、だいたい10個上くらいの先輩からは「昔はよかったのになあ」みたいなことを言われて育ってきたんで。

それって「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」とつながりますよね。

TB:そうですね。そういう感じでやってるのかもしれないですね。

リスナーの世代が入れ替わってる感触みたいなのってありますか?

TB:それはけっこうあります。「“水星” 聴いてました」ってひとと「“LONELY NIGHTS” 聴いてました」ってひととではすごく世代の差を感じるというか……「“LONELY NIGHTS” 聴いてました」って言われると、めっちゃ時代が変わった感じがします。“水星” はもう、「親が聴いてました」みたいな感じになっていて。「お父さんが好きで」とか。

ちなみに、最近読んだ本で面白いものはありましたか?

TB:いまちょうど、若林恵さんから薦められた『指紋論』(橋本一径著、青土社、2010年)という本を読んでるんですけど、めっちゃおもろいですね、指紋認証の歴史みたいな本です。指紋を認証するみたいな考え方は昔の心霊主義から来てる、みたいな話で。おすすめされてその日に買って。まだ読んでいる途中なんですけど。

アンダーグラウンドでいま注目している面白い動きはある?

TB:あんまり最近は「これだ」っていうのは正直なくて。もうそういうのにぐいぐい行く歳でもないなと。トレンドとかより、もうちょっとおじさんの動きをしようみたいな(笑)。若手にすり寄る歳でもないので、知らないものは知らないと言えるようになっていきたいなと、30代に入ってから思いますね。

まだ若いでしょ(笑)。

TB:いや、でも、若い子からするとぼくくらいの年齢のひとがすり寄ってくるのがいちばん感じ悪いと思うので(笑)。ぼくはもう「何やってるかようわからんわ」ってぐらいの感じで行けるようにしようと意識してますね。ただ、全体的に、自分の好きなタイプのハウス・ミュージックがそれほど来てない時代かなって気はしてます。なので今回のような作品を置いておこうと。

まあ、いま思うと今回のような作品がなかったのは逆に不思議な感じはするよね。

TB:いやそうなんです。「TBEP」はもっとちゃんとハウスにできたのにちょっと変化球っぽいふうにしちゃったっていう反省があって。もっとスタンダードで、全曲もっとテイストが揃ったものをつくりたいっていうのは当時から思ってたんです。それがやっとできたっていう感じですね。

tofubeats、フロアライクなHOUSEミュージックを全曲AI歌声合成ソフトで制作したEP「NOBODY」のアナログ盤を7月にリリース!

tofubeatsが4月にデジタルリリースした新作 EPのアナログ盤を7月17日に発売する。

「NOBODY」は全曲のボーカルをAI 歌声合成ソフトで制作した意欲作となっており、コロナ禍を経てフロアライクなHOUSE MUSIC をコンセプトに制作された作品。

ワーナーミュージックストアでは、ここでしか手に入らない限定トートバッグ付きのセットが数量限定で販売されるので是非チェックしてほしい。

【リリース情報】
EP「NOBODY」
・アナログ盤 7月17日発売
WPJL-10214 税込¥4,180
ご予約受付中:https://tofubeats.lnk.to/NOBODY_Vinyl

■収録内容
1.I CAN FEEL IT (Single Mix)
2.EVERYONE CAN BE A DJ
3.Why Don’t You Come With Me?
4.YOU-N-ME
5.Remained Wall
6.I CAN FEEL IT
7.NOBODY

WARNER MUSIC STORE限定トートバック付きセット

価格:税込¥6,680
https://store.wmg.jp/collections/tofubeats/products/3724

・デジタル配信中
https://tofubeats.lnk.to/NOBODY

【関連リンク】
tofubeatsオフィシャルサイト:https://www.tofubeats.com/

Bianca Scout - ele-king

 ロンドンの音楽家、サウンド・アーティスト、ダンサー、振付師ビアンカ・スカウトの最新アルバム『Pattern Damage』が、マンチェスターのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベルの〈sferic〉からリリースされた。
 内容はといえば薄明かりの世界で繰り広げられるインダストリアル・アンビエントなトラックをバックしたシンガーによるエクスペリメンタル・ミュージックといった趣の作品であった。とても不思議な音楽世界で、とても美しい音響世界である。あえて単純化して言えば声と弦楽と電子音による「インダストリアル・アンビエント・オペラ」だろうか。

 ビアンカ・スカウトは、2016年ごろから音源を発表し、ストリートでのダンス・パフォーマンスを行うなど、多面的な活動を展開してきた才人である。
 昨年2023年は、マーティン・レイド(Martyn Reid)とのエレクトロ・ポップ・ユニットMarina Zispin『Life And Death - The Five Chandeliers Of The Funereal』、教会でレコーディングされたというソロ前作『The Heart Of The Anchoress』などをリリースしている。その妖艶なサウンドは、ほかのエクスペリメンタル・ミュージックにはない魅力を放っていて、特に『The Heart Of The Anchoress』はエクスペリメンタル・ミュージック界隈で(密かに)話題になっていたように記憶している。
 そして本年リリースの本作『Pattern Damage』は、『The Heart Of The Anchoress』を超える、まさに集大成、そして新境地ともいえるアルバムであった。ダークかつ夢幻的な世界観を基調にしつつ、ノイズ、モダン・クラシカル、歌曲、アンビエントが交錯し、まるで幻想的な舞台劇を観る(聴く)ような音世界が展開されていたのだ。さまざまな音の要素が交錯するエクレクティックな作風だが、単なるカオスではなく、揺るぎない美意識/意志によって統一されている点が重要だ。いわば明確な審美眼を持ったアーティストによる「総合芸術」と称したいほどの音楽作品なのである。
 昨今のアンビエント/エクスペリメンタル・ミュージック・シーンは、そのスタイルを突き詰め、音響を磨き上げるように「音楽の純化」を希求するものが多いように感じられるのだが、ビアンカ・スカウトの音にはジャンルや音楽を軽やかに越境していくようなエクレクティックな魅力がある。ミカ・レヴィのシネマティックな音楽、OPNの音響世界、ローレル・ヘイローのアンビエント・サウンド、クラインのクラシカル/エクスペリメンタルな音世界などにも共鳴するようなアルバムであった。

 アルバムは全12曲で計40分。それぞれの曲は電子音楽、クラシカル、ポップ、アンビエントなどなどいくつもの音楽形式へと変化していく。そもそも1曲の中にも複数の音楽要素が存在しているのだ。
 1曲目“Intro”は文字通りアルバムの入り口となるトラックだが、グリッチ・ノイズのような音が鳴り始め、次第に、ピアノや電子音が高速に早送り(もしきは巻き戻し)するように流れ始める。失われた記憶にアクセスするかのように、アルバムは開幕する。
 ふたたびノイズへと戻り、2曲目“Forest Spirit”が始まる。この曲ではノイズとシルキーなアンビエンスの交錯によるエクスペリメンタル/アンビエントな祈りの歌のような楽曲を展開する。3曲目“Midnight ”はクラシカルなピアノの旋律から始まり、そこに歌唱がのる。ミニマルであり幽玄なトラックだ。続く4曲目“Interlude”では声が旋律からハーモニーのように変化していく。微かな低音が不穏なアクセントを演出する。5曲目“Chances”では何層もの声が折り重なりながらも、どこかアンビエントR&Bとでもいうようなムードを醸し出す曲。ドラムンベース的なビートが断続的に鳴り響くのも面白い。
 6曲目“Desert”は、どこかMarina Zispin的ともいえるインダストリアル・ポップだが「feat. Marina Zispin」らしい。ここでくっきりとしたビートの曲を挿入してくるのは、なかなか面白い演出である。あきらかにアルバム全体のムードからすると異質なのだが、この曲がアルバムのほぼ真ん中に置かれることで、アンビエント/エクスペリメンタルだけに止まらない広い音楽性を表現しているように思えた。
 7曲目“Lead Us”以降はアルバムの後半だ。“Lead Us”ではサンプリングされたと思えるストリングスがループしつつも、その上に、さらにストルングスの旋律がレイヤーされ、モダン・クラシカルなアンビエントを展開する。アルバム後半はこの“Lead Us”のサウンドとムードが基調となって展開する。
 8曲目“When My Heart Is Lonely (Monks Orchard) ”は、前曲の弦楽の音からシームレスにつながるような曲調のボーカル曲だ。9曲目“Passage”はまるで教会の音楽のような声楽曲だが、サンプリングされた音のずれや編集によって独自の音響空間が生まれている。
 10曲目“Almost Nothing”はアルバム前半のアンビエントR&Bのようなヴォーカル曲とアルバム後半のモダン・クラシカル+声楽のムードが一体化したような曲である。アルバム中の集大成のような楽曲といえるかもしれない。11曲目“I Don't Sleep”は薄明かりの光のようなアンビエンスと可憐なボーカルが交錯する曲だ。どこか子守唄ような曲にも感じたが、曲名は「I Don't Sleep」。アルバム最終曲にして12曲目“Anon's Song”は、7曲目“Lead Us”を思わせるストリングスのループによるアンビエント曲である。まるで深い催眠へと誘うようなサウンドが麗しい。
 
 改めて全曲を聴き終わると、つくづく不思議な世界観のアルバムだと感じ入ってしまった。音楽の形式に意図的でありながら、その形式が内側から溶けていくような音楽とでもいうべきか。リズムにも声にも明確に身体性が宿っていながら、しかしこの世のものとは思えない幻想性も放ってもいる。境界線の無化、融解とでもいうべきか。
 アートワークのモノクロームのダンサーのように過去でも未来でもない廃墟で聴く音響劇、もしくはオペラのようであった。もしかするとこのアルバムの「世界」は遠い未来の出来事で、冒頭の“Intro”での音楽のコラージュは過去の記憶にアクセスしている様子なのかもしれないとも。いやむろんこれは妄想=空想に過ぎない。だが想像力を刺激されるアルバム=音楽作品であることに違いはない。その「謎」の感覚を得るために、私は何度も何度も繰り返しこの夢幻的な「インダストリアル・アンビエント・オペラ」(勝手に名付けた)を聴くことになるだろう。そう、この不可思議なアルバムが放つ音楽、音響の魅力はどこまでも深いのだから……。

Pet Shop Boys - ele-king

 この数年、ペット・ショップ・ボーイズ(以下PSB)の存在の大きさを噛みしめることが多い。タイトルからしてPSBの初期の名曲を引用し、ロンドンのエイズ禍の時代におけるクィア・コミュニティの苦境を描いたドラマ『IT’S A SIN』(2021)では当時青春を送ったゲイたちが共有できるポップスとして象徴的に使われていたし、アンドリュー・ヘイ監督作で山田太一の小説を原作とした映画『異人たち』(2023)においても、1980年代のゲイ・ミュージシャンによるシンセ・ポップがいかにクローゼットのティーンエイジャーのゲイの心を慰めるものだったかを示すものとして引かれていたように思う。それは80年代、「わたしたち」が何者かを確認し合うための合言葉のようなものだったと。だから、デビュー40周年のベスト・ヒッツ・ツアーの模様を収めたライヴ映画『ペット・ショップ・ボーイズ・ドリームワールド THE GREATEST HITS LIVE AT THE ROYAL ARENA COPENHAGEN』を観ていると、観客席で笑いながら歌い踊る大勢の中高年ゲイが映し出されていて、僕は涙せずにいられなかった。みんな、いろんな時代を乗り越えてここに集まったんだね……と。
 そのライヴ映画のなかで、ニール・テナントが“Domino Dancing”(1988年リリース)を「昔、友人と(ゲームの)ドミノをプレイしたときに着想を得た曲だよ」とだけ紹介していて、おや、と思った。50代のゲイの先輩から、「この曲はエイズでゲイがどんどん死んでいくことを、ドミノ倒しのダンスに暗喩したものなんだよ」と聞いたことがあったからだ。調べてみても諸説あって真偽のほどはわからないのだが、あの時代、多くのゲイ・ポップスが逃れようもなくHIV/エイズ、そして死と結びついたものとして受け取られていたことはたしかだ。PSBは当時ゲイであることを公言はせずに、様々なゲイネスを彼らのシンセ・ポップに織り交ぜていた。だから2024年にPSBのグレイテスト・ヒッツを聴くということは、ゲイ・ヒストリーを回顧することでもある。
 あるいは映画『異人たち』は、主人公のゲイの中年が死んだ両親の幽霊に再会するという物語なのだが、そこでは幼い頃にできなかった両親へのカミングアウトを「やり直す」ことが重要なものとして描かれる。母親は80年代で価値観が止まっているために典型的な偏見をはじめはぶつけてしまうのだが、彼女なりにゆっくりと息子のセクシュアリティを受容していき、その後、PSBの“Always on My Mind”(1972年リリース、もとはソウル歌手グウェン・マクレエの楽曲)を口ずさむ場面がある。彼女はそれをゲイのミュージシャンによる歌だと知っていただろうか? PSBのポップスはポップスであるがゆえに、価値観に拠らず多くのひとが口ずさめるものだったのだ。

 『Nonetheless』はPSBにとって15枚目のオリジナル・アルバムであり、前作まで続いていたスチュアート・プライスのプロデュースがジェームズ・フォードに変わったというのはあるが、根本的には何も変わっていないPSB印のシンセ・ポップ作だ。フワフワしたテナントの歌が乗るダンス・ポップがあり、華麗なストリングスが飾るセンチメンタルなバラッドがあり、相変わらずダンスと魅力的な男の子について歌っている。自分が70歳近くなってダンスと男の子のことを考えているか想像できないのだが、それはテナント個人の情動というよりPSBのポップスの型として守られているようなところがある。今回のアルバムはゴージャスなオーケストラが入ったキャッチーなダンス・ナンバー“Loneliness”のような曲と、メランコリックなシンセ・バラッド“A New Bohemia”のような曲のバランスがいいというのがもっぱらの評判だが、それは「新作」でもベスト・ヒッツのようなことをしているとも取れる。思い切り80年代風のシンセ・ファンクに彼ららしい甘ったるいメロディが乗る“Bullet for Narcissus”は懐かしくて笑ってしまう。
 ただ、80年代のゲイ・カルチャーのように、決死の覚悟で暗示せねばならないものはもうあまり存在しないだろう。だからPSBは先駆者として歴史を提示している。テナントのグラム時代の青春を回顧する“New London Boy”で彼は“West End Girls”(1985年リリース)風の無機質なラップで「スキンヘッズがからかい、カマ野郎と言うだろう」とラップする。それは彼個人の記憶であり、しかし彼だけのものではない。ゲイ・ヒストリーの一部なのだ。テナントはこの曲のはじめ、「ぼくは誰だろう?/ぼくはどうなるのだろう?/秘密を明かすために、どこかに行かなければならないのは知ってる/ここから出ていかないといけなくなるまで、長くはかからないだろう/そしてぼく自身が考え出した人生を生きるんだ/まあ、すでにかなり奇妙(クィア)だけどね」とフワフワ歌う。僕はやっぱり少し泣いてしまう。
 つねにどこか切なさや憂鬱を抱えたPSBのダンス・ポップがいまどきのクィアの若者たちに響くかどうかは僕にはわからないが、時代が変わり人権的な価値観が前進したとしても、それぞれの個人が抱えるものはそれほど変わらないのかもしれない、とも思う。アンドリュー・ヘイは本作の楽曲のミュージック・ヴィデオを監督したという。そうして世代を超えて続いていくものがあるのだ。『Nonetheless』はそして、ときにはオスカー・ワイルドの時代にまで遡りながら、わたしたちがいつでも帰ることができる場所としてのポップスをいまも用意するのである。

全レゲエ・ファン必読

全世界に影響を与えた彼は、
いったいどんな人物で、
どんな人生を歩んだのか、
ダブ・マスターの謎に包まれた生涯が
いま明らかになる……

*未公開写真多数

キング・タビーはラスタではなかった。彼はマリファナも吸わなかった。ジャマイカから一歩も外に出ず、人生の大半をキングストンの狭い域内で送った。そんな彼の人生は、主要なふたつの “共鳴箱” を介して地球の果てにまで “エコー” のように反響している。そのふたつとは、キングストンのウォーターハウス地区と、サウンド・システムの文化的叙事詩だ。彼のジャマイカ人としてのメンタリティが、彼のエスプリを、芸術を、プロジェクトを形作った。ダブはローカルな囃子であり、それが最終的に全世界を揺るがすことになったのだ。(本書より)

四六判/480頁+別丁24頁

目次

イントロダクション

第1章 ゼイ・コール・イット・マーダー(1989)
第2章 ウォーターハウス
第3章 シャーロック・クレセント
第4章 たっぷりのダブ(ダブ・ガロァ)
第5章 《MCI》とビッグ・ノブ
第6章 タブスとフライヤーズ(1973-1975)
第7章 アリーナに死す(1975)
第8章 キング&プリンスィーズ
第9章 ディジタル・テンポ(1984-1989)
第10章 レコードの送り溝(リード・アウト・スパイラル)

ダブワイズ・セレクション
訳者あとがき

ティボー・エレンガルト(Thibault Ehrengardt)
フランスのレゲエ専門誌『ナッティ・ドレッド』の元編集長。現在は〈DREAD Editions〉の代表。ジャマイカには25回ほど訪れており、レゲエとジャマイカに関する本も数冊執筆している。

鈴木孝弥(すずき・こうや)
1966年生まれ。音楽ライター、翻訳家(仏・英)。主な著書・監著書に『REGGAE definitive』(Pヴァイン、2021年)、ディスク・ガイド&クロニクル・シリーズ『ルーツ・ロック・レゲエ』(シンコー・ミュージック、2002/2004年)、『定本リー “スクラッチ” ペリー』(リットーミュージック、2005年)など。翻訳書にボリス・ヴィアン『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』(シンコー・ミュージック、2009年)、フランソワ・ダンベルトン『セルジュ・ゲンズブール バンド・デシネで読むその人生と女たち』(DU BOOKS、2016年)、パノニカ・ドゥ・コーニグズウォーター『ジャズ・ミュージシャン3つの願い』(スペースシャワーネットワーク、2009年)、アレクサンドル・グロンドー『レゲエ・アンバサダーズ 現代のロッカーズ』(DU BOOKS、2017年)、ステファン・ジェルクン『超プロテスト・ミュージック・ガイド』(Pヴァイン、2018年)、ジョン・F・スウェッド『宇宙こそ帰る場所――新訳サン・ラー伝』ほか多数。

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Claire Rousay - ele-king

 気鋭のアンビエント・アーティスト、クレア・ラウジーによる新作アルバム『sentiment』は、ラウジーのキャリアにとって極めて重要な作品となるだけではなく、2024年のインディ・ロックとエクスペリメタル・ミュージックにおいても重要極まりないアルバムだ。
 この『sentiment』には、音楽とジャンルの壁をしなやかに越えようとする意志がある。少なくも私には、この2024年において、インディ・ロックとエクスペリメンタル・ミュージックがこういったかたちでつながるとは思ってもみなかった(時代は90年代ではないので……)。リリースは名門〈Thrill Jockey〉からというのも示唆的である。レーベル側からラウジーにアプローチをかけてきたようだが、レーベルの慧眼に唸るしかない。

 本作『sentiment』において、アンビエント・アーティストのクレア・ラウジーは、シンガーソングライターとして、曲を作り、詩を書き、そして歌っている。声はオートチューンで加工されているが、そのことによってかえってラウジーのパーソナルな面を感じるようにもなっている。いわば生々しさが抑制されることで、その人の本質がより表出した、というべきか。
 じっさいとてもパーソナルなアルバムだと思う。『sentiment』には「孤独、ノスタルジア、感傷、罪悪感」という感情が込められているという。心の痛みや苦しさを吐露しつつ、しかしそれらが自己へのセラピーになるように歌われている。
 しかし大切なことは、決して人生への否定性に留まってはいない点だ。そこにはこの辛い世界を、私は私として生きていくというしなやかな意志があるように感じられた点である。何より、ラウジーが作り出したメロディやサウンドからは前向きな力を感じるのだ。世界に満ちている「音」への信頼もある。音楽を愛し、音楽への探究心と、音を出すことへの喜びに満ちている。
 何より大切なことは、「歌い出すこと」への気負いがない点にある。少なくとも音に不自然さはない。これまでも盟友モア・イーズとの共作でポップなボーカルトラックを作ってきたラウジーだが、自身のソロアルバムでボーカル曲をメインに展開するのは初だった。にもかかわらず「歌うことと/歌わないこと」の境界線など最初からなかったようのように、ある必然性をもって、ごく自然に歌い始め、歌っているのである。
 もちろんこれまでどおりの環境録音や楽器の音を主体としてアンビエント曲もある。このアルバムはヴォーカル曲が半数以上を占めるが、アンビエント・トラックとの境界線は曖昧だ。アルバムを通して聴いていると全く違和感なく、曲と曲が繋がっていくのである。本作『sentiment』においてラウジーは、音楽の幅が広がったというより、より自由になったというべきかもしれない。若くしてこの境地に至ったとはクレア・ラウジーとは、いったいどういう音楽家なのだろう。

 ラウジーは、かつて打楽器奏者として活動していた(岡村詩野氏によるクレア・ラウジーのインタヴューを参考にさせて頂きました。本当に素晴らしいインタヴューです)。マスロックが好きで、そこからスロウコアを発見し、やがてシカゴのロブ・マズレク(!)と知り合いになり、そこからトータスなどへ遡って聴いていったという。90年代中盤の米国のオルタナティブなロックを時代を遡行するように「発見」していったのだ。
 もちろん〈American Dreams〉や〈Ecstatic〉、〈Shelter Press〉などからアルバムをリリースしているラウジーは、アンビエント/エクスペリメンタル関係のアーティストとの交流も盛んである。2024年もリサ・ラーケンフェルトの『Suite For the Drains』にリミックスで参加している。
 何よりラウジーは、自身の音楽を見出すためにボーカルレスのアンビエントサウンドを見出したということが興味深い。もっとも本人は自分が作り出したサウンドをアンビエントとは思っていなかったようだが、逆にいえばラウジーにおいて音/音楽に差異や優劣がなく、自由に音楽を奏で作り出してきたことの証左になっているように思う。
 その意味で、「歌う」ことになったのは、ラウジーよ音楽遍歴を考えると当然のことだったはずだ。音楽と音響と歌は、ずっとラウジーの中に「リスニング経験」としてあったのだから(かつてジム・オルークが歌い出したことを思い出すし、その意味でリスナー型音楽家であるといえる。ロブ・マズレクやトータスなどのシカゴの音楽家たちとの共通点もそこにあるのかもしれない)。
 何よりその曲の良さに驚いた。スロウコアというよりは、どこかビートルズ的なブリティッシュフォークにも近いメロディだが、そのように時代/歴史の枠組みにとらわれないのも今の時代ならではの感性なのだろう。そもそもクレア・ラウジーにとって、音も声も環境音もすべてが同列であって、そこに優劣はない。歴史ですらもフラットであり優劣がないはずだ。何より歌も声も環境音も、同列な存在として鳴り響いているのだ。
 
 アルバムには全10曲が収録されている。〈HEADZ〉からリリースされた日本盤CDにさらに追加で長尺アンビエントと歌物の曲が2曲収録された。構成としてはオートチェンジャーで変換されたラウジーの歌声とギターとエレクトロニクスによるモダン・フォークといった趣のヴォーカル曲が6曲、ポエトリー・リーディング、環境音、ギター、電子音などが折り重なるインストのアンビエント曲が4曲が収められている。
 アルバムは男性の声でラウジーの詩を朗読する“4PM”で幕を開ける。声と環境音が交錯し、さながら映画の1シーンのようなサウンドだ。朗読は〈Students Of Decay〉や〈Longform Editions〉などから作品をリリースするサウンドアーティストのTheodore Cale Schafer。先にビートルズ的と書いたが本作のコーダに鳴らされるループするストリングスはビートルズの“good night”を弦楽を思わせるものがあった。
 2曲目“Head”、3曲目“It Could Be Anything”、4曲目“Asking For It”がボーカル曲である。どの曲もソングライティングが優れている。“Head”は本作を代表するボーカル曲といえるが、その唐突な幕切れが耳を撃つ。また“It Could Be Anything”などは構成、アレンジもかなり練られた楽曲である。ラウジーが影響を受けたスロウコアというより、どこかフランク・オーシャンの『Blonde』(2016)をエクスペリメンタル・ミュージック経由でモダン・フォークとして仕上げたような印象の楽曲だ。
 5曲目はヴァイオリンとチェロの硬質な響きが折り重なるモダンクラシカルな楽曲である。楽曲は終わりに向かうに従い、弦が消え、ラウジーのギターが聴こえてくる。やがてそれすら消えて微かな環境音のみになる。見事な構成だ。
 6曲目“Lover's Spit Plays in the Background”は前曲のムードを受け継ぎつつ、ギター、弦、そしてボーカルが音空間に浮かび上がってくるアレンジが素晴らしい。ギターはラウジーが演奏しているが実に味わい深い演奏だ。まだ初めてまもないらしいがさすがというほかない。
 7曲目“Sycamore Skylight”は再びインストのアンビエント曲である。キーボードの音に、環境音が静かにレイヤーされ、鳥の声や人の声も聴こえてくる。そこに持続音が鳴り始め、音響を次第に変化させていく。再び聴こえてくるギターのアルペジオ。穏やかにして繊細なサウンドである。
 8曲目“Sycamore Skylight”で再びボーカル曲だが、前曲のムードをグラデーションのようにシームレスに受け継いでいる。9曲目“Please 5 More Minutes”は環境録音による曲。アルバム最終曲である10曲目“ILY2”でボーカル曲に戻る。ギターのアルペジオとコーラスとアンビエントなシンセサイザーによるサウンドカードの交錯が見事な曲である。この曲には インディ・フォークのハンド・ハビッツが参加している。
 オリジナルはここで終了するが、日本盤CDにはさらにボーナストラックが2曲収録されている。11曲目は長尺のアンビエント曲、12曲目はシンプルなボーカル曲。この2曲がまた上質な曲なのだ。いかにもボートラといった不自然さはなく、まるでアルバムの最後のピースのように違和感なく収まっている。オリジナル盤を聴いた方もぜひとも聴いてほしい楽曲である。
 個人的に最も気になった曲は7曲目“Sycamore Skylight”だった。インストのアンビエント曲だが、ヴァイオリンやエレクトロニクスとの折り重ねあいが絶妙であり、クレア・ラウジーが今実現したいサウンドに感じたからである。穏やかな日中に見る夢のような音とでもいうべきか。ヴァイオリンはマリ・モーリス(Mari Maurice)で、これまでもラウジーの楽曲に参加している。また、マリ・モーリスは、モア・イーズのアルバムに参加している。
 これまでの経歴やアルバムの参加メンバーを考えると、ラウジーの音楽はコミュニティと密接な関係があることが分かってくる。そこで生き、そこで音楽を演奏し、音楽を作ること。ラウジーにとって、「アルバム」は、まさにその名のとおり、人生の記録であり、人生の証のようなものかもしれない。

 何はともあれ2024年、インディ、フォーク、エクスペリメンタルなアンビエントをつなぐ重要なアルバムである。何より誰が聴いても心地よく、真摯で美しいアルバムである。多くの人に耳と感性に触れてほしい作品だ。

R.I.P. Steve Albini - ele-king

 5月7日、スティーヴ・アルビニが心臓発作で死去。享年61歳。バンド、シェラックの10年ぶりの新作『To All Trains』の発売を今月に控えたあまりにも急で早すぎる死だった。

 80年代、学生時代にシカゴでジャーナリズムを学び、ファンジンのライターと並行して最初のバンド、ビッグ・ブラックの活動を開始。リズムマシーンとギター×2、ベースという編成。ドライなマシン・サウンドと金属的でノイジーなギター・サウンドをもってアンダーグラウンド・シーンで頭角を現した。

 彼のバンドとしての活動は、ちょうどCDの登場する時期と重なっていた。ジャケットで日本の劇画『レイプマン』の引用がされていることでも知られるアルバム『Songs About Fucking』の裏ジャケットには「The future belongs to the analog loyalists. Fuck digita」(未来はアナログ支持者のもの。デジタルなんぞ糞食らえ)と書かれている。この姿勢は終生変わらなかった。

 1987年にはその『レイプマン』をバンド名に冠した新バンド、レイプマンを結成。ビッグ・ブラックではラモーンズを念頭に置いたシンプルな曲に徹したと発言しているが、レイプマンはドラムも人間になり、レッド・ツェッペリンを凶悪にアップデートしたようなスタイルへと進化したものの、やはりバンド名が問題になり非難が殺到、解散を余儀なくされ、予定されていた来日もあえなく潰えた。

 レイプマンの “”Kim Gordon's Panties ” という曲でサーストン・ムーアとキム・ゴードンを揶揄し、サーストンに殴られたという話も有名だ。アルビニの死を受けてツイートされたサーストンの一連の発言を見たかぎりでは、もう長年にわたってアルビニとサーストンは没交渉だったようだが、その背景にはソニック・ユースがメジャーと契約したことに対するインディ原理主義者アルビニの憤りがあったように思える。

 この件でもわかるようにアルビは偏屈かつ辛辣なユーモア感覚の持ち主であり、それがしばしばミソジニーだったり差別的な形を取ることがあった。これについてはのちに反省し、謝罪もしている

 1992年には新たにシェラックを結成。ギター、ベース、ドラムスという最小編成。いよいよ研ぎ澄まされたシンプルなアンサンブルを極めていった。この頃には自分のバンドの録音にとどまらず、プロデューサー/レコーディング・エンジニアとしても活躍するようになっている。ピクシーズ、スリント、ジーザス・リザード、プッシー・ガロアにジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン、フガジなどインディバンド中心に手掛けていたが、やはり彼を一躍有名にしたのはニルヴァーナの『イン・ユーテロ』だろう。

 もともとアルビニは『ネヴァーマインド』が引き起こしたオルタナ/グランジブームについてはかなり痛烈に批判もしていたのだが、自身の出自であるアンダーグラウンドへの回帰を望むバンド側からの熱望により起用が実現した。最終的にはアルビニの手が離れた後に手が加えられるなど、スムーズにはいかなかったようだが、20周年記念版にはアルビニ自身がミックス、マスタリングしたバージョンがリリースされている(これが当時のオリジナル・ミックスかどうかは不明)。この際にアルビニがバンドに送ったFAXの文面というのも後に公表されている。そこでは高額な印税支払いを断っている。自分が納得できるだけの金額をもらえればそれでいいとしており、配管工のように仕事をしたいと言っている。

 自宅をスタジオにして録音の仕事を始めたアルビニだが、その後設立したレコーディングスタジオ〈エレクトリカル・オーディオ〉でもエンジニア料金は明朗会計で、現時点でサイトに記載されている料金表によれば「$900/ day at EA、$1300/ day elsewhere」とある。頑張れば出せない金額じゃないところがいいなと思う(円安でなければ……)。

 アルビニは「プロデューサー」というクレジットを嫌い、あくまでも「レコーディング・エンジニア」という表記にこだわった。自身を「記録者」と位置づけており、マイクのセッティングにとにかく時間をかける一方で録音自体は一発録りであまりテイク数を重ねない。コンソールのフェーダーもほぼフラットだったという目撃証言もある

 アルビニはアラン・ローマックスに影響を受けたと公言している。アメリカの民俗音楽の収集家であり、全米各地で民謡を発掘・収集してウディ・ガスリーやレッドベリーといったアーティストの紹介に貢献した人物だ。フィールド・レコーディングのように音楽を録音するという意味で、その影響関係はよくわかる。

 訃報のあと、とりあえずシェラックのヴァイナルを何枚か爆音で聴き直したのだが、改めて音のよさに感嘆した。すべての楽器、とくにドラムがその場で鳴っているような生々しい録音。バンドの生の姿を捉えることに全力を注ぐその姿勢は、録音後のエフェクトや編集を重視するタイプのプロデューサーとは正反対だ。バンドの地力がもろに露呈するので、怖い面もあると思う。反時代的とも思えなくもないその姿勢は、インディ美学の掲げる理想のひとつの現れだったのだろう。

 日本でもアルビニが録音したアーティストは数多い。ゼニゲバの90年代前半の諸作品やメルト・バナナの初期作品は、アルビニの録音によって世界的な知名度につながった側面もあるだろう。当時、サーストン・ムーアやジョン・ゾーンと並んで日本のインディバンドが世界に認識されるきっかけになった人物でもあった。現在でも、いつかアルビニに録音されたいという夢を抱いていたバンドマンは数多くいただろう。

 最後に、個人的なアルビニ・ワークスのおすすめ盤を挙げておく。自身のバンドから3枚、エンジニアとしての仕事から10枚を選んでみた。なにしろ仕事量の多いひとなので筆者もその一部しか聴けていないのと、世代的にどうしても90年代のものが多いのはご容赦いただきたい。それと、お蔵入りになってしまったチープ・トリックの『蒼ざめたハイウェイ』再録盤は今からでもリリースしてもらえないだろうか。

Selected discs

Big Black / Songs About Fucking

Rapeman / Two Nuns A Pack Mule

Shellac / 100 Hurts

Jesus Lizard / Liar

Zeni Geva / DESIRE FOR AGONY (苦痛志向)

Space Streakings / 七徳

Melt Banana / scratch or stitch

Los Crudos/Spit Boy / split

PJ Harvey / Rid of Me

Tony Conrad / Slapping Pythagoras

The Ex / Starters Alternators

Neurosis / The Eye of Every Storm

SUNN O))) / Life Metal

角銅真実 - ele-king

 素敵な君はBaby、いかれた僕のBaby──。いにしえの、いかにもロック・ソングのごとき一節が繰り返されるフィッシュマンズの曲を、なぜ角銅真実はカヴァーしたのだろうか。振りかえれば前作『oar』がリリースされたとき、いくつかのインタヴューで彼女はひととひとがけしてわかりあえないこと、「この気持ち」は「わたし」にしかわからないことを繰り返していた。同作で歌われていたのは基本的には「あなた」と「わたし」の二者関係で、なるほど、「君」と「僕」だけで完結する “いかれたBaby” の世界はちょうどふさわしい題材だったのかもしれない。
 たったいま横にいる「男の人」ではなく、その場にはいない「あの人」に執心する浅川マキ “わたしの金曜日” のカヴァーもある程度はおなじ感覚を共有していたのだろう。けれどもそちらの「わたし」は「名前も知らない男の人」と「ならんで歩」いてもいた。「わたし」を理解してくれない「あの人」とはわかりあえないのだとしても、すぐ脇で鳴る音のアンサンブルが、われわれがだれかと「ともにある」存在であることを教えてくれるのだと、そういわんばかりに『oar』は多くの協力者を招いてもいた。
 そっちの部分を押し広げたのが新作『Contact』なのではないか。今回、「あなた」も「わたし」も格段に登場回数を減らしている。出てくるのはたぶん “Carta de Obon” くらいで、そんな二者だけの世界からはみ出るものをこそこのアルバムは表現しているのではないか。

 サウンド面でも角銅は次なる段階へと突入している。個性的なヴォーカルと、これまでフリー・ジャズや即興演奏が培ってきた実験との融合という彼女の音楽性は、Jポップの枠に収めるには冒険心にあふれすぎたものだけれど、かといって難解さとは無縁で、なにより上品だ。そうした特性はしっかり引き継ぎながら、他方でこの通算4枚目のアルバムは、アンデス山脈のフォルクローレを想起させる雰囲気を打ち出しているようにも聞こえる。数年前(政治的にはとんでもなく最悪な事態に陥っている)アルゼンチンに長期滞在していたことが影響しているのだろうか。わからない。
 冒頭 “i o e o” では弦楽器が独特の空気を漂わせている。アルゼンチン・フォルクローレとも呼応するような主旋律にミニマリズム。中盤に差しはさまれる電子音のような音も聴き逃せまい。バンド・メンバーの貢献も大きい。たとえば “外は小雨” の終盤でやんちゃに動きまわるドラムスなどは角銅ひとりだけでは実現できなかっただろう機微をもたらしている。本人も負けていない。“Flying Mountain” や “Kujira No Niwa” はマリンバ奏者としての彼女を再確認させてくれるインスト曲だ。
 出身地と向きあう曲が収められているのもポイントかもしれない。アルゼンチンでつくられたというお盆の曲 “Carta de Obon” にはおなじ長崎生まれのドラマー、光永渉のかけ声が挿入されている。かの地のお盆といえば「精霊(しょうろう)流し」が有名だけれど、日本語の響きの奇妙さを堪能させてくれる民謡 “長崎ぶらぶら節” も秋の名物祭事「くんち」と切り離せない。以前の角銅にとって長崎とは「早くここを出たい」場所だったそうだ。「わたしを攫って」と歌われる “人攫い” にはそんなかつての「念」がこめられているという。けれども不思議とネガティヴな印象は受けない。前作以降、さまざまな他人との出会いをとおして否定的な思いに変化が訪れた、と。

 故郷の伝統に向き合うことで見出されるのは、二者関係をはるかに超えた人間社会の営みだ。あるいは音としての日本語のおもしろさに注目することで浮かび上がってくるのは、これまでそのことばを口にしてきた無数の生身の人間たちだ。“i o e o” がほんのりアンデス山脈のフォルクローレ風のムードをまとっているゆえんもきっとそこにある。『Contact』は角銅真実という東京藝大出身の音楽家による、民衆の発見なのだ。
 もしかしたらアルゼンチン滞在中、彼女はなにかを目撃したのかもしれない。地球の裏側ではだいぶ前から想像を絶するレヴェルで人民が虐げられている。円安インフレを放置しつづける日本に暮らすわれわれとも無縁な話ではない──実験的な試みを手放さずフォルクローレ的なものや民謡にアクセスすることによって、「あなた」でも「わたし」でもない、歴史を背後で支えてきた民衆との「コンタクト」を試みるこのアルバムは、そんなふうに語りかけているようにも思えるのだ。

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