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ロンドンの音楽家、サウンド・アーティスト、ダンサー、振付師ビアンカ・スカウトの最新アルバム『Pattern Damage』が、マンチェスターのエクスペリメンタル・ミュージック・レーベルの〈sferic〉からリリースされた。
内容はといえば薄明かりの世界で繰り広げられるインダストリアル・アンビエントなトラックをバックしたシンガーによるエクスペリメンタル・ミュージックといった趣の作品であった。とても不思議な音楽世界で、とても美しい音響世界である。あえて単純化して言えば声と弦楽と電子音による「インダストリアル・アンビエント・オペラ」だろうか。
ビアンカ・スカウトは、2016年ごろから音源を発表し、ストリートでのダンス・パフォーマンスを行うなど、多面的な活動を展開してきた才人である。
昨年2023年は、マーティン・レイド(Martyn Reid)とのエレクトロ・ポップ・ユニットMarina Zispin『Life And Death - The Five Chandeliers Of The Funereal』、教会でレコーディングされたというソロ前作『The Heart Of The Anchoress』などをリリースしている。その妖艶なサウンドは、ほかのエクスペリメンタル・ミュージックにはない魅力を放っていて、特に『The Heart Of The Anchoress』はエクスペリメンタル・ミュージック界隈で(密かに)話題になっていたように記憶している。
そして本年リリースの本作『Pattern Damage』は、『The Heart Of The Anchoress』を超える、まさに集大成、そして新境地ともいえるアルバムであった。ダークかつ夢幻的な世界観を基調にしつつ、ノイズ、モダン・クラシカル、歌曲、アンビエントが交錯し、まるで幻想的な舞台劇を観る(聴く)ような音世界が展開されていたのだ。さまざまな音の要素が交錯するエクレクティックな作風だが、単なるカオスではなく、揺るぎない美意識/意志によって統一されている点が重要だ。いわば明確な審美眼を持ったアーティストによる「総合芸術」と称したいほどの音楽作品なのである。
昨今のアンビエント/エクスペリメンタル・ミュージック・シーンは、そのスタイルを突き詰め、音響を磨き上げるように「音楽の純化」を希求するものが多いように感じられるのだが、ビアンカ・スカウトの音にはジャンルや音楽を軽やかに越境していくようなエクレクティックな魅力がある。ミカ・レヴィのシネマティックな音楽、OPNの音響世界、ローレル・ヘイローのアンビエント・サウンド、クラインのクラシカル/エクスペリメンタルな音世界などにも共鳴するようなアルバムであった。
アルバムは全12曲で計40分。それぞれの曲は電子音楽、クラシカル、ポップ、アンビエントなどなどいくつもの音楽形式へと変化していく。そもそも1曲の中にも複数の音楽要素が存在しているのだ。
1曲目“Intro”は文字通りアルバムの入り口となるトラックだが、グリッチ・ノイズのような音が鳴り始め、次第に、ピアノや電子音が高速に早送り(もしきは巻き戻し)するように流れ始める。失われた記憶にアクセスするかのように、アルバムは開幕する。
ふたたびノイズへと戻り、2曲目“Forest Spirit”が始まる。この曲ではノイズとシルキーなアンビエンスの交錯によるエクスペリメンタル/アンビエントな祈りの歌のような楽曲を展開する。3曲目“Midnight ”はクラシカルなピアノの旋律から始まり、そこに歌唱がのる。ミニマルであり幽玄なトラックだ。続く4曲目“Interlude”では声が旋律からハーモニーのように変化していく。微かな低音が不穏なアクセントを演出する。5曲目“Chances”では何層もの声が折り重なりながらも、どこかアンビエントR&Bとでもいうようなムードを醸し出す曲。ドラムンベース的なビートが断続的に鳴り響くのも面白い。
6曲目“Desert”は、どこかMarina Zispin的ともいえるインダストリアル・ポップだが「feat. Marina Zispin」らしい。ここでくっきりとしたビートの曲を挿入してくるのは、なかなか面白い演出である。あきらかにアルバム全体のムードからすると異質なのだが、この曲がアルバムのほぼ真ん中に置かれることで、アンビエント/エクスペリメンタルだけに止まらない広い音楽性を表現しているように思えた。
7曲目“Lead Us”以降はアルバムの後半だ。“Lead Us”ではサンプリングされたと思えるストリングスがループしつつも、その上に、さらにストルングスの旋律がレイヤーされ、モダン・クラシカルなアンビエントを展開する。アルバム後半はこの“Lead Us”のサウンドとムードが基調となって展開する。
8曲目“When My Heart Is Lonely (Monks Orchard) ”は、前曲の弦楽の音からシームレスにつながるような曲調のボーカル曲だ。9曲目“Passage”はまるで教会の音楽のような声楽曲だが、サンプリングされた音のずれや編集によって独自の音響空間が生まれている。
10曲目“Almost Nothing”はアルバム前半のアンビエントR&Bのようなヴォーカル曲とアルバム後半のモダン・クラシカル+声楽のムードが一体化したような曲である。アルバム中の集大成のような楽曲といえるかもしれない。11曲目“I Don't Sleep”は薄明かりの光のようなアンビエンスと可憐なボーカルが交錯する曲だ。どこか子守唄ような曲にも感じたが、曲名は「I Don't Sleep」。アルバム最終曲にして12曲目“Anon's Song”は、7曲目“Lead Us”を思わせるストリングスのループによるアンビエント曲である。まるで深い催眠へと誘うようなサウンドが麗しい。
改めて全曲を聴き終わると、つくづく不思議な世界観のアルバムだと感じ入ってしまった。音楽の形式に意図的でありながら、その形式が内側から溶けていくような音楽とでもいうべきか。リズムにも声にも明確に身体性が宿っていながら、しかしこの世のものとは思えない幻想性も放ってもいる。境界線の無化、融解とでもいうべきか。
アートワークのモノクロームのダンサーのように過去でも未来でもない廃墟で聴く音響劇、もしくはオペラのようであった。もしかするとこのアルバムの「世界」は遠い未来の出来事で、冒頭の“Intro”での音楽のコラージュは過去の記憶にアクセスしている様子なのかもしれないとも。いやむろんこれは妄想=空想に過ぎない。だが想像力を刺激されるアルバム=音楽作品であることに違いはない。その「謎」の感覚を得るために、私は何度も何度も繰り返しこの夢幻的な「インダストリアル・アンビエント・オペラ」(勝手に名付けた)を聴くことになるだろう。そう、この不可思議なアルバムが放つ音楽、音響の魅力はどこまでも深いのだから……。
デンシノオト