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Home >  News > The Hacienda Oiso Festival - 不滅のマンチェ魂、4月末は大磯に集結せよ!

The Hacienda Oiso Festival

The Hacienda Oiso Festival

不滅のマンチェ魂、4月末は大磯に集結せよ!

――祝再来日、ピーター・フックとベズのインタヴューですよ

文:与田太郎 Apr 16,2012 UP

 2012年の夏はストーン・ローゼズがフジロック初日のヘッド・ライナーとして登場。4月にはモリッシーの10年振りの来日公演、伝説のクラブ〈ハシエンダ〉の名を冠したハシエンダ・フェス、5月にはノエル・ギャラガーの日本武道館公演、サマーソニックにはニュー・オーダーが出演、突然のマンチェスター・リヴァイヴァルだ。本国イギリスではハッピー・マンデーズがオリジナル・メンバーで復活、マンチェスター公演のゲストはインスパイラル・カーペッツ。ローゼズの再結成を契機に、さまざまな形であの時代が思い出され、世界中からこの夏への期待が高まっている。僕自身もこの夏はここ数年ないほど楽しみだ。あの時代を懐かしみたいということではない。まだ体験したことのない、自分のなかの小さな革命のようなものを期待している。

 4月28~29日、大磯ロングビーチで開催されるハシエンダ・フェスにピーター・フックは自身のバンドによるジョイ・ディヴィジョンの2枚のオリジナル・アルバムの再現ライヴをおこなう。もちろんベズもやってくる。

 ココに紹介するのは、去る1月、渋谷〈VISION〉で開催されたパーティ「THE HACIENDA」のために来日した際にやったインタヴュー。これを読んだら、GWは大磯に行きたくなるはず!

interview with Peter Hook

まず音楽をはじめたきっかけを教えてもらえますか?

PH:う~ん、10代の頃はそんなに音楽に興味はなかったんだよ。ごく普通にポップスを聴くぐらいでね、はじめに買ったレコードもケニー・ロジャースの「ルヴィー、ドント・テイク・ユア・ラブ・トゥー・タウン」だし。でもいま聴いても名曲だよ(笑)。まだ家にはあるはずさ。普通にポップスが好きな子供だったよ、それからハード・ロックを聴きはじめて、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなんかのね。だからジミー・ペイジが俺のギター・ヒーローだったよ。ロックよりも女の子のほうが重要だったんだ(笑)。

フットボールは?

PH:俺はマンチェスター・ユナイテッドの練習場の横に住んでたことがあるんだけど、子供の頃はまったく興味がなかったんだ。ほんとにクレイジーなファンになったのは20歳ぐらいだよ。90年代はベッカムやギグスもよくハシエンダに来てたよ。俺がハシエンダのバーにいると「ハーイ、フッキー」(ベッカムのオカマっぽい口まねで)って声かけてきたよ(笑)。

ジョイ・ディヴィジョンの結成のきっかけはマンチェスターでのセックス・ピストルズのライヴですよね? でもシンプルなパンク・バンドにならなかったのはなぜですか?

PH:バンドを組んで、はじめはピストルズのコピーとかをやっていたけど、練習するにつれてもっと違うスタイルでやりたくなったんだ。

プロデューサーであるマーティン・ハネットの影響もありますか?

PH:そうだな、彼はホントに難しいやつで、クレイジーではないんだけど、かなりエキセントリックなやつだったよ。彼のなにがすごいかを説明するのは難しいけど、俺たちにはいい仕事をした。彼がプロデュースしたジョイ・ディヴィジョンのサウンドは30年たっても素晴らしいだろう? 彼のアイデアはいつも神秘的で、なんというか、カタリ派的(神秘主義的キリストの一派)なんだ。ちょうどいま、俺はジョイ・ディヴィジョンについての本を書いている、そこでレコーディングについての分析もやってるんだ、いまのようにテクノロジーがない時代に、いったいどうやってあのサウンドを作ったのかホントにわからないんだよ。彼は専門的な勉強をしたわけではないのに。

どんなレコーダーを使っていたんですか?

PH:はじめは4トラックの古いレコーダーで『アンノウン・プレジャーズ』のときには24トラックのアナログ・レコーダーだったよ。24トラックあれば充分だね。ニュー・オーダーのレコーディングでバーニーはヴォーカルだけに99トラック使ったこともあったよ、まったくバカげてる(笑)。

映画『コントロール』で描かれていたレコーディング風景は事実に忠実だったんですね。

PH:そう、俺もあの映画のプロデューサーのひとりだからね。あの映画はまずアントン・コービンに監督を頼む前に俺たちが企画していた。もちろんアントンは最高の映像を作ってくれた、なぜなら彼ほど俺たちを知っているやつはいないからね、知り過ぎていてこまるぐらいだったよ。あの映画はシリアスでダーク、アントンの感性もかなり衒学的だし、とても重いものだけど、美しいフィルムだと思うよ。実際に俺の思い出のなかのあの時代もモノクロなんだ、ダークなんだよ。ラストの"アトモスフィア"はすばらしいだろ、でも"アトモスフィア"はイギリスでもっとも葬式に使われる曲ナンバー・ワンなんだよ(笑)。

『コントロール』のオープニング、イアンの部屋にはデヴィッド・ボウイのポスターが貼ってあるのが印象的でした、ボウイは好きでしたか?

PH:もちろん、ジョイ・ディヴィジョンの前の名前のワルシャワは彼の曲から取ったんだ。そう、とくにブライアン・イーノがプロデュースしたアルバムのキーボードのサウンドはほんとに参考にしたよ。『ヒーローズ』は大好きだね。

ニュー・オーダーは数多くのダンス・リミックスを作ってますが、あなたのフェイヴァリット・リミックスはどれですか?

PH:俺たちはいつも自分たちで誰にリミックスを依頼するか選んでいたんだ、俺の好きなリミキサーはアーサー・ベイカーだな、あんまりベースをカットしないからね(笑)。最悪だったのはシェップ・ペティボーン、ベースをバッサリカットしやがったよ(笑)。アーサーがやった"1963"も"レッツゴー"も最高だよ。

ニュー・オーダーで好きな曲はなんですか?

PH:"リーブ・ミー・アローン"だね、スコット・フィッツジェラルドの『夜はやさし』を思い出すんだ。美しい本だよ、ちょうどレコーディングのときに読んでいてね。最高のベースラインを思いついたよ。

1988年に『テクニーク』のレコーディングで行ったイビサはどうでしたか?

PH:もちろん最高だったよ、トニー・ウィルソンには人生でいちばん高くついた休暇だってさんざん絞られたけどね。とにかくレコーディングもせず毎日パーティだったよ。

当時はどんなDJがプレイしてました?

PH:人気があったのはアルフレドだね、でも、俺はイビサのDJのどんどん曲をミックスしてしまうスタイルは好きじゃなかった、なんせ2分ごとに曲が変わるんだ、いい曲かけてるのに。マンチェスターのDJたちはイビサのスタイルを持ち帰ったけど、自分らに合うようにプレイ・スタイルを改良したんだ。それがよかったよ。

イビサでニュー・オーダーの曲はかかってましたか?

PH:いやぜんぜん、「ファインタイム」も出る前だし彼らはたぶん「ブルー・マンデイ」も知らなかったんじゃないかな。

最初のエクスター体験もイビサですか?

PH:もちろんそうだよ、じゃなきゃあんなにパーティに行かないさ。でも俺は言っておきたいんだけど、俺たちニュー・オーダーやハッピー・マンデーズ、〈ファクトリー〉の連中が90年代初頭にドラッグをグラマラスに見せてしまったことは、ホントに後悔している。あれは間違いだったと思うよ。多くの友だちが死んだり、心を病んだりしてしまった。もしいま俺の子供たちがドラッグやりたいなんて言ったらブン殴って止めるよ。カーニヴァル・ライフは楽しそうに思えるけど、人生に必ず大きな借りを作っているんだ、だからいつかその借りを返さないといけなくなる。そんなことはまったくバカげているよ。

ではハシエンダ・フェスについて話してください。

PH:俺はいま、マンチェスターで〈ファクトリー〉というクラブを運営している。そのコンセプトは過去が未来をクリエイトするってことなんだ。〈ハシエンダ〉は今年でオープンから30周年、自分らの思いやアイデアや多くのエネルギーとさらに多くの金(笑)......を注ぎ込んだのもが、また何かを生みだして欲しいってことだよ。オリジネイターの俺がジョイ・ディヴィジョンのアルバム再現ライヴをやる、マッドチェスター時代の代表バンドであるシャーラタンズも出る、〈ハシエンダ〉のクラブ時代のヒットメイカーだったエクスプレス・ツゥーがいて、最新のダンス・クリエイターやバンドが出るんだ、いいパーティにならないわけないだろ? 日本だけでなくポーランドやイギリスでもこのセレブレイト・パーティはやるんだ。

最後にトニー・ウィルソン、アラン・マッギー、ジェフ・トラビスの3名についてあなたの印象を聞かせてください。

PH:あー、インディ・レジェンドね(笑)。トニーには実に大きな影響を受けたよ、兄貴みたいなもんさ、彼はまさにエキセントリックという言葉ぴったりの男だったね、そしてホントに芯からの英国的なひねくれ者というか、変わった男だった。金にはまったく興味がなかった、すごいことだと思うね。
 アランはいい友だちだよ、あいつもかなり変わってるけどね。彼もトニーからかなり影響受けてたはずだよ。いまはリタイアして悠々自適だけど、またなにかやらかすんじゃないかな?
 ジェフは俺にとって学校の先生みたいなもんだよ、「先生これ教えてください!」って感じでね。彼がインディ・レーベルのあり方を変えたし、みんなに教えたんだ。いろんな仕事を彼と一緒にしたよ、ときにはひどい喧嘩もしたけど(笑)。
 いまの時代にはもう彼らのような人物はいなくなってしまったのが残念だね。彼らのようなキャラクターがいろんな人に夢を与えたとも言えるしね。ヒットを生みだすためにレーベルをやっていたんじゃない、彼らは自分の好きなものをリリースしたかったんだ。いまはもうレコード・レーベルの持っていたマジックは解けてしまったんだよ、残念だけど。


interview with Bez

あなたの年齢を教えてください。

B:いま47だよ、今年48になる。

生まれも育ちもマンチェスターですか?

B:いや、サルフォードっていうマンチェスターの隣町だよ。みんなマンチェスターっていえばひとつの町って思ってるけど実際は隣のサルフォードもそれなりに大きな町なんだ。

初めて買ったレコードがなにか覚えてますか?

B:買ったんじゃなくて盗んだんだけど(笑)、ベイ・シティ・ローラーズだったよ、まだ10歳ぐらいだったかな? でも15のときにスペシャルズの"メッセージ・トゥー・ルーディー"を聴いてから、音楽を真剣に聴くようになったよ。

ということは、10代の頃のあなたのヒーローはジョー・ストラマーとかジョニー・ロットンですか?

B:いや、ロックよりもフットボールに夢中だったから、マンチェスター・ユナイテッドのプレイヤーだったね。12か13の頃にパンクがブレイクしてからレコードを買うようになったよ。両親の古いレコード・プレイヤーを占領してね。そしてタバコを吸うようになった(笑)。それからスペシャルズでスカを知って、ノーザンソウルとかにハマっていった。

ショーン・ライダーと出会ったのもその頃ですか?

B:そのちょっとあとぐらいかな、1984年あたりだね。あいつはかなりのワルだったから(笑)、名前は知ってたんだ。まわりの友だちにも「おまえはショーンと気が合うぜ」って言われていたから、初めてショーンと会ったときに「おまえがショーンだろ」って言ったら、あいつも「おまえがベズだろ」っていう感じで、すぐつるむようになった。で、ハシエンダ〉に一緒にニュー・オーダーのギグを見に行ったよ。

その頃の〈ハシエンダ〉はどんな感じだったんですか?

B:1985年には金曜日のパーティでマイク・ピッカリングがシカゴ・ハウスをプレイしてたよ、〈ハシエンダ〉はロンドンより早かったんだ。

初めてのE体験もハシエンダですか?

B:いや、初めては85年のイビサだったよ。ほんとに夢のようだったね、あんなきれいな島でひと晩中最高の状態で踊れるんだから! ハッピー・マンデーズがダンス・ビートを取り入れるのはほんとに自然なことだったよ。俺たちはバンドだけど、俺たちが最高と思うサウンドをやりたかったんだ。

あなたたちの最大のヒット作『ピルズンスリルズ・アンド・ベリー・エイク』はポール・オークンフォールドのプロデュースですが、どんな感じでレコーディングしたんですか?

B:重要なのはオーキーとスティーヴ・オズボーンのふたりなんだ。スティーヴはロックのバックグラウンドを持っていたし、オーキーはヒップホップとアシッド・ハウスだった、このふたつの要素がミックスされてあのアルバムができたんだよ。バンドがセッションして彼らがビートを提案してね。

ハッピー・マンデーズでのいちばんクレイジーな思い出を教えてもらえますか?

B:う~ん、90年代前半のツアーはほんとにすべてがクレイジーだったから難しいな......。ブラジルでロック・イン・リオっていうすげえフェスに出たときのことかな。あんまりひどくて言えないけど、よく死ななかったなとは思うよ。本気でね。

なぜマンデーズは解散してしまったんですか?

B:最大の原因は成功してしまったからだよ、メンバーがみんな勝手な主張をはじめたんだ。メンバー同士の口論はほんとに酷いもんだったよ、そこにマネージメントやレコード会社、出版なんかのいろんな奴がでてきてさらに事態を混乱させた。よく考えたらほんとにバカげたことだけどそれが友情を完全に壊してしまったんだ。

映画『24アワー・パーティ・ピープル』はどう思いました?

B:俺は見てないんだよ......ていうか見たくない。映画の制作前に監督のマイケル・ウィンターボトムとミーティングして脚本を見せてもらったんだけど、俺たちの描かれ方がほんとに酷かったんだ、しかもコメディだろ? 俺たちは確かにメチャクチャなこともやってきたけど、全部真剣だったんだ。それに何人かの友だちも死んでるしね。俺から言わせてもらえばコメディになるようなものじゃない。だからいちども見てないんだよ。

今回の来日であなたは「ヴァイブレーション・プロバイダー」ってクレジットですがイギリスでも同じようなことをやってるんですか?

B:そう、実は若者たちがやっているいろんなパーティをサポートしてるんだ。俺のふたりの息子も最近パーティをはじめてね。とくにまだ若くてクラブに行けない子供たちが昼間に集まってやるようなパーティとかを応援してるんだ。それに俺がいたら安全だろ(笑)? これはガッシュ・レイヴ(GASH RAVE)というキッズのためのフリー・パーティなんだ。キッズにDJやパーティをどうやってやるのか教えてるんだ。俺たちはほんとにパーティ・カルチャーに育ててもらったようなものだから、恩返しをしてるんだよ。

そこではどんな音楽がプレイされてるんですか?

B:いまのキッズはやっぱりダブステップが好きだね、そこにドラムンベースやミニマルなハウスをミックスしてるよ。最近はオールドスクールなアシッド・ハウスも混ざってきてるよ、これなら子供の付き添いできたオッサンでも楽しめるしね(笑)。

ドラッグの問題はないですか?

B:前よりは無くなったよ、音楽以上にドラッグを流行らせてギャングをのさばらせることの恐ろしさをちゃんと教えてるんだ、ドラッグをやることがギャングにパワーを与え、最後には自分たちの楽しむ場所さえ取られるってことをね。俺たちはそれでほんとに酷い目にあったんだよ。でもちゃんと教育することでまた新しい革命が起こせるはずさ。

最後にストーン・ローゼズがヒートンパークでやる再結成ライヴには行きますか?

B:もちろん、今年いちばんの楽しみだね。

2012年4月28、29日(土、日)ハシエンダ大磯フェステイバル
ハシエンダ30周年を祝す記念フェスがG.W.に大磯にて開催決定!
PETER HOOK & THE LIGHT、THE CHARLATANS、CARL CRAIG、SHARAM、☆TAKU TAKAHASHI、TOQUIO LEQUIO TEQUNOSを筆頭にトップDJ、バンドが2日間に渡り、繰り広げる音の祭典!!!
http://www.fac51thehacienda.jp/
前売券プレイガイド、レコード店で絶賛発売中!

文:与田太郎

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