Home > Reviews > Album Reviews > Rufus Wainwright- Out Of The Game
トム・フォードの初監督作『シングルマン』は僕としては正直、雰囲気でファッショナブルに仕上げてしまったような半端な印象が残っているが、ゲイ・アイコンでもある大物デザイナーが同性愛者の中年以降の孤独を取り上げたという点では肩を持ちたいと思っている。パートナーを失ったゲイ中年のどうしようもない喪失感。そこではフォードのような成功者もまた、マイノリティとしての老いることと先行きの不確かさに恐れを抱いているようだった......彼がデザインする服から読み取れる自分のセクシャリティをさらけ出すような挑発的な姿勢だけでは、掬い取れないものがあったのだろう。
多くのゲイが若くして直面する「いかにして愛を見つけるか」という問題もさることながら、「どのように晩年を迎えるか」という文字通り最後のテーマも非常に重い。つい最近オバマが賛成を表明した同性婚の是非が同性愛者たちにとって切実であることは、視点を変えれば社会に彼らを受け入れるコミュニティが不十分であることの表れでもある。セックスの相手を見つけることで紛れる孤独も、ある時期まではあるだろう。しかし、家族の形成が容易ではないセクシャル・マイノリティにとって、老いによる孤独は避けられない現実である。ポップ・ミュージックにおいてその重さを誰よりも美しく、しかし徹底的に歌ったのは他でもないアントニー・ハガティだった。「わたしが死ぬとき、看取ってくれる誰かがそこにいることを願う」という突き詰めた祈りをあらかじめ不可侵であるようなあの声が歌うことによって、「けれどもそこには誰もいないのだろう」と思わせる迫力がどうしようもなく宿っていた。
ルーファス・ウェインライトは自分がゲイであることを早くから表明しつつ、しかしアントニーやパフューム・ジーニアスのような生々しさや重さとは違ったやり方でゲイであることを歌ってきた。それは舞台装置の設定だ。二部作である『ウォント・ワン』『ウォント・トゥー』がその端的な例で、そこでは自らの男性性と女性性を戯画化してジャケットで中世の騎士と姫に扮してみせ、「ゲイの救世主」と題した曲では「いや、それは僕じゃないよ」とはぐらかしてもいた。あるいは、ゲイ・アイコンである伝説的な女優ジュディ・ガーランドのアルバムの再現ライヴ『ルーファス・ダズ・ジュディ・アット・カーネギー・ホール』は、ゲイのシンガーであることを真っ向から引き受けたキャリアを代表する一枚である。彼にとってゲイである自分はある意味では見世物として割り切られていて、虚実入り乱れたキャラクターを作り上げるのは得意とするところだった。
しかしいま思えばそれは、いくらかの自己防衛を含んでいたとも言える。『リリース・ザ・スターズ』以降のオリジナル・アルバムにおいてルーファスは、彼自身の内面をそれまでよりもストレートに晒し始めている。ほぼピアノの弾き語りに絞った前作『オール・デイズ・アー・ナイツ:ソング・フォー・ルル』は、一枚丸ごと母親の喪に服したダークなアルバムだった。その後のツアーでは、第一部の間ずっと観客に拍手を禁じる抑圧がわざわざ用意されていたほどだ。それに思い切り反動するように軽やかに開かれたこのアルバムの動機は娘が生まれた喜びだったというから、思った以上に実人生が作品に反映されるタイプのソングライターであったのかもしれない。いや、おそらく自身がそれを許したのだろう。プロデューサーはマーク・ロンソンという意外な人選ながら、なるほどオペラ歌手めいたゴージャスな歌唱よりも、ソウル・シンガーとしてのルーファスの側面がよく出ていて、洗練されたアレンジと共にこれまでの濃密さを思えば非常に聴きやすい作りだ。シンセで味付けがされたAOR風の"バーバラ"やダンス・ポップ的ですらある"ビター・ティアーズ"など、新鮮だ。50年代以前のスタンダード・ナンバーへの深い理解と愛が自然に感じられるアルバム後半も風通しが良く、"リスペクタブル・ダイヴ"や"ソング・オブ・ユー"など、哀愁のこもったメロディをリラックスして歌えるのはこのひとならではだろう。歌われている内容も、シンプルな愛の言葉が中心を占めている。
だからこれは、ルーファス・ウェインライトが個人の人生の幸福について素朴に歌った初めてのアルバムだと言えるかもしれない。ただ、やや穿った見方であると前置きをしておくが、そうすることで「ゲイの人生におけるある選択」を表明しているようにも自分には感じられる。自身の結婚と子を設けたことを本作の出発点としているのだが、ありふれた幸福を装いながらその特殊性についてもしっかりと言及する。中核を成している"モントーク"は娘に向けてこう歌われている――「いつの日か君はモントーク岬を訪れ、パパが着物をまとい もうひとりのパパが薔薇の手入れをしているのを見るんだ/きびすを返して帰らないでくれるといいな」。このアルバムの軽さは、そのようなゲイの幸福がけして特別なものではなく、本当に気軽に聴けるものであることを目論んでいるのではないだろうか。ゲイが家族を作るならばそれはオルタナティヴなものに「ならざるを得ない」が、しかしだからこそ選択する自由は残されているし、たくさんの可能性があることをルーファスがここで示しているように思えてならない(そう言えば、トム・フォードも子どもを長く欲しがりながらパートナーの反対でまだ持っていないと数年前に聞いたが、その後どうしたのだろう)。
その意味で、ルーファス・ウェインライトは本人が望もうが望むまいが、「ゲイの救世主」であることをいくらか負っている。だから彼には、老いても自分の人生を歌ってほしいし、そこでこそ愛を見出してほしい。同性婚が議論に上がる気配すらないこの国においても、それは何らかのモデルになるはずだ。もしマイノリティが社会の生きづらさに抵抗するならば、幸福と愛を追求することを諦めないことだと、このよく伸びる歌声を聴いていると思う。
木津 毅