Home > Interviews > interview with あるぱちかぶと - 政治性もないし、そういう“戦い”のようなものが僕にはないから平々凡々とした日常を描写するしかないんです。
あるぱちかぶと ◎≠(マルカイキ) Slye |
■パッションが重荷になるとはどういうことなんだろう?
ヒップホップに入れば入るほど、それに突き返される感覚があって。
■それはなにかトラウマめいたものが......。
いや、僕はごくごく普通の大学生だと思いますよ。
■人前に出てラップしたり、作品を出したりすることはものすごいエネルギーを使うことだし、"トーキョー難民"や"完璧な一日"のファスト・ラップにしてもパッションなしではあり得ない表現だよね。だからものすごい自己矛盾を抱えたままやっているということなんだね。まさか死の誘惑みたいなのが......?
それはないです。ただ、社会でうまくやっていくにはフラットになるしかないというのがあって。そこではパッションは余計である、という考えですね。
■『時計仕掛けのオレンジ』は権力によってフラットにさせられてしまうけど、あるぱち君は自らあの手術台に載ったほうがいいんじゃないかと。
そうです。
■それは世代感覚と言える?
ある意味では世代とも言えると思うんですけど、ただこの発想自体が僕のなかで生まれたものです。僕はそれをどんどん膨らませていった。
■リリックのなかに村上春樹や芥川龍之介が出てくるけど、文学からの影響が強いんでしょうね。
ものすごく強いです。
■"元少年ライカ"は『スプートニックの恋人』でしょ?
いや、あれは実は、カウリスマキの『過去のない男』なんです。
■そうだったんだ。"元少年ライカ"のなかの「けれどもきっと私は、愛しておりました」という繰り返しがあるけど、あの言葉は何で出てきたの?
なんでしょうね。たとえどんなに辛い記憶であっても、まったく記憶がないよりはいいというような意味でしょうね。
大学でポーランド語を専攻する彼は、彼の文学趣味について話しくれた。村上春樹、島田雅彦、夏目漱石、太宰治......。彼は彼の村上作品の解釈(とくに『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』『ダンス・ダンス・ダンス』について)、村上春樹と三島由起夫の共通点、あるいは近代文学への関心、あるいは『豊饒の海』について話してくれた(それはなかなか面白い話だったけれど、話が脱線しすぎるので省略します)。
確固たるメッセージがあるときは、無理してまでも韻を踏もうとは思わない。落語は韻を踏まずに最後まで聞かせる。そこにはラップとの共通点があると思うんです。
■英語ができるんだから、英語でラップしようとは思わなかった?
それまったくなかった。ただ、エクシーと知り合った当初、彼は「英語でラップしてくれ」と言ってきましたけど(笑)。
■はははは(笑)。
最初はだから英語でやろうとしたけど、それも止めました。自分から「日本語だけでやる」って言ったんです。英語ができるといってもネイティヴ・レヴェルなわけじゃないし、たんに格好良さだけだから。
■韻にはついては?
韻を踏むことで、思いも寄らない言葉が出てくることもあるんです。それは楽しいんですけど、確固たるメッセージがあるときは、無理してまでも韻を踏もうとは思わないです。僕にとって韻を踏むことはある種の照れ隠しなんです。
■韻を踏まずにラップするのって、挑戦だよね。
落語が好きで。落語は韻を踏まずに最後まで聞かせる。そこにはラップとの共通点があると思うんです。
■ちなみに誰が好きですか?
立川流が好きですね。とくに立川談志が好きです。他は古今亭志ん朝も好きですね。で、一時期、自分のまわりの友だちのラップのライヴを観ていて、すごくマンネリを感じたことがあったんです。同じ繰り返しに思えて。だけど、落語の場合は、同じリフレインでも言葉の(意味が)どんどん膨らんでいくようなところがあって。その落語の面白さをラップに導入することがいま僕の考えていることです。
文:野田 努(2010年2月23日)