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Home >  Interviews > interview with Kim Doo Soo - 彷徨う人――キム・ドゥス、インタヴュー

interview with Kim Doo Soo

interview with Kim Doo Soo

彷徨う人――キム・ドゥス、インタヴュー

野田 努    通訳:パク・テウ  写真:小原泰広
thanks to Hitoshi Nanbu  
Aug 10,2012 UP

 空しく消えるその美よ
 咲いてまた散る
 花と同じように
 朝霧
 夕焼け......
 また運のない日が過ぎ 
 多くの苦悩と彷徨も
 忘れたかのように消え去るだろう
"道なき時の歌"


キム・ドゥス - 10 Days Butterfly 10日間の蝶
PSFレコード

Amazon iTunes


キム・ドゥス - Evening River 夕暮れの川
PSFレコード/Blackest Rainbow

Amazon iTunes

 韓国のソウルの街には、東京とは異なる雑然さ、猥雑さ、アッパーな気風がある。僕が韓国の街を散策したのは2002年のワールドカップ期間中のこと。滞在中、CDショップにも足を運んだ。勘で選んだ現地の音楽を数枚買って聴いてはみたが、あの頃はどれもがJ-POPの劣化版にしか思えなかった。しかしそれがいまではどうだ、おそらくは血のにじむような研究と努力によってK-POPは世界に認知されている。グライムスでさえも少女時代のPVを面白がっている。しかし......我々はもっとも近い外国である韓国について多くを知らない。
 
 2006年、アメリカの〈20|20|20〉レーベルから、『インターナショナル・サッド・ヒッツ(国際的な哀しいヒット曲集)』というコンピレーションがリリースされている。ギャラクシー500のデーモン&ナオミが主宰するレーベルからのリリースということもあって欧米では話題になっている。収録されているのは三上寛、友川かずき、トルコのFikret Kizilo、そして韓国のキム・ドゥス。彼らは「言葉」の人だが、それは「音」としての魅力を発見されて、世界に伝播している。
 キム・ドゥスは、韓国のアシッド・フォークとして、近年になって注目を集めている。ショービジネス界のなかでしごかれたK-POPとはまったく別の韓国のシーンを代表するシンガーだ。本サイトでの三上寛のインタヴューでも語られている。
 キム・ドゥスがデビューしたのは1986年、名前は『土地』という小説に出てくる悪漢"キム・ドゥス"から取られている。ファースト・アルバム『シオリッキル』で歌われている自由思想は、思想に厳しい当時の韓国政府から圧力をかけられたほどのものだったというが、キム・ドゥスの運命を変えたのは1991年に発表した『ボヘミアン』だった。あるリスナーがこのタイトル曲に歌われている人生の虚無感を引き金に自殺するという事件が起きる。これを受け止めるかたちでキム・ドゥスは音楽を捨て、山に籠もり、電気のない生活を10年も送ったという。2001年、アルバム『自由魂』でカムバックしたキム・ドゥスは、韓国国内の音楽シーンで賛辞ともに迎えられ、以来、地道な活動を続けている。

 『FOUND』や『bling』といったスタイル雑誌も刊行され、華やかなポップ・カルチャーが拡大している韓国において、キム・ドゥスの厭世的な音楽はいまでも異端な輝きを発しているように思える。ティム・バックリーをさらに瞑想的にしたような『10日間の蝶』や『夕暮れの川』からは、K-POPからは見えない風景が広がっている。言葉がわからずとも、彼の深い漂泊の思想ないしはロマン主義、波瀾万丈な彼の人生から湧きあがるエモーションは充分に伝わってくる。ヘルマン・ヘッセが人生のベルトコンベアから落ちた人=敗残者たちの流浪における美を描いたように、キム・ドゥスもさすらいのなかに人生の本質を見いだしているのだろう。

 地平線の上に明星が輝くとき
 私はまた放浪の道に立っている
"彷徨う人のために"

 去る7月、来日していたキム・ドゥスに明大前のカフェで話を聞いた。帰国を直前にしたあわただしいなか、筆者の的はずれな質問にも丁寧に答えてくれた。

歌詞を禁止されたりしましたが、そういったことに哀しみは感じませんでした。政治的な弾圧によって音楽的な方向性を変えたこともありませんし、ですから韓国の歴史と自分の音楽の哀しみとは関係はありませんね。

Kim Doo Sooさんの音楽は、日本では口コミで広がっていて、ディスクユニオンをはじめとする都内の輸入盤店でも、4~5年前から韓国のアシッド・フォークとして売られています。

Kim:私は自分のスタイルを貫いているだけで、ジャンルにはあまりこだわりはありません。どんな風にみんなから呼ばれても、あまり気にしません。それは評論家の役割で、私にはあまり関係はありませんね。私はミュージシャンですから。

アシッド・フォークと呼ばれることに違和感はありますか?

Kim:ないです。

僕はKimさんの音楽を聴いて、美しさと哀しさを強く感じました。『10 Days Butterfly』の1曲目でも、歌詞が自分のなかの哀しみのことを書かれていますよね。その哀しみっていうものは、個人的な哀しみっていうよりも、物凄く大きな、Kimさんがこれまで受け取ってこられた歴史的な哀しみという風に捉えてよろしいんでしょうか?

Kim:すべての作品は作った人間の人生が関係するものですので、(おっしゃるような)わたしの音楽の哀しみというものは、わたしの人生と関係があるものでしょう。

それは韓国という国の歴史と関係があるのでしょうか?

Kim:それはないですね。人間の本質的なもので、韓国の歴史とは関係ありません。

でもたとえばKimさんは、光州事件を経験されていますよね。非常に政治的な意味での弾圧を経験なさっているわけですけれども、それは音楽とはどういった関係にあるのでしょうか?

Kim:たしかに歌詞を禁止されたりしましたが、そういったことに哀しみは感じませんでした。それ(政治的な弾圧)によって音楽的な方向性を変えたこともありませんし、ですから韓国の歴史と自分の音楽の哀しみとは関係はありませんね。さっき哀しみとおっしゃったんですけれども、それは政治とは全然関係ありません。自分は政治家でもないですし。

わかりました。では「哀しみ」はひとまず置いておいて、Kimさんのバイオグラフィー的なことを大雑把に聞きたいんですけれども。光州事件っていうのは、若い韓国の学生たちが韓国の民主化を訴えた事件でしたが、Kimさんもその渦中にいながら音楽でもって何か主張していたんでしょうか?

Kim:そのとき衝撃はあったのですが、私は政治にはあまり関心がなく、自然や人間に関心がありました。韓国には民主化を掲げるような歌もありましたが、私はそのような歌を歌う人間ではなかったです。バガボンドと言いますか、放浪者のような感じでした。

Kim Doo Sooというのは、韓国の有名な小説の悪役から取ったということなのですが、それはどのような意図だったのでしょうか?

Kim:家では歌を歌うことを反対されていましたので、そのとき芸名が必要だったんです。本名を使えなかったのです。それで、そのとき読んでいた小説が有名な『土地』だったのです。その悪役がKim Doo Sooでした。そのとき特別な意図はなく、いっしょに住んでいた兄と酒を飲みながら、「このキャラクターのなかで誰がいいかなー」と話してたまたま選んだのがKim Doo Sooでした。

(笑)なるほど。たとえば日本では、それこそKimさんぐらいの世代のひとたちは、アメリカとかイギリスとか、ビートルズとかボブ・ディランとか、そういった欧米のロックやフォークを聴いて、そしてその自由な精神に影響を受けて、それを自分たちの上の世代に向けて表現しました。その時代、韓国では、どうでしたか?

Kim:私は特定の個人やバンドに没頭したことはないんですけれども、70年代のアメリカのフォークには影響を受けました。

ソウルには、その手の音楽を買えるレコード店もあったんですよね。

Kim:もちろん買うことはできました。

ドラッグ・カルチャーとかサイケデリック・カルチャーは、韓国ではどうだったんですか?

Kim:韓国も一時期、大麻で騒動というのがありましたよ。有名な芸能人が刑務所に入ったこともありましたし、いまも問題になっています。

その辺は日本と似ているかもしれませんね。日本もすごく厳しいので。韓国には、アンダーグラウンド文化といいますか、三上寛さんのように(インディペンデントで)やってらっしゃる方っていうのはたくさんいらっしゃるんですか?

Kim:以前はたくさんいましたけど、いまはあまりいなくなりました。ただ、インディ・バンドは増えつつあります。テレビには出ずに、クラブ(ライヴハウス)での活動を活発にするバンドがいま現れています。それはいい傾向だと思っています。

なるほど。Kimさんのこれまで歩んできた人生を調べますと、"ボヘミアン"という曲がすごく影響力を持っていて、YouTubeなんかにも上がっていますけれども。それを聴いたひとが自殺してしまったという事件が起きてしまったということがよく書かれているのですが、その件について話していただいてよろしいでしょうか。どのようなことが起きたのかということを。

Kim:とても悲しいことが起きました。それを聞いて私はすごくショックだったのです。自分の音楽を聴いて、ひとが平穏になったり癒されたりすることを望んでいたのに、自殺したという噂を聞いて衝撃を受け、それから10年くらい活動を一切しませんでした。

具体的にはどのようなことを歌った歌なのでしょうか?

Kim:放浪について、です。これはリメイクで、オリジナルは他のアルバムにあります。それはやはり、むなしくなるような(虚無感のある)雰囲気でした。詞も違いました。だから詞も書き直して、新しく作りました。

そうだったんですか。オリジナルの"ボヘミアン"は何年に書かれたんですか?

Kim:89年に作って90年に発表しました。

Kimさんご自身が一番初めにアルバムを出したのは何年なんですか? 86年デビューと書いてありますが、それは自主制作で出したのですか、それとも韓国のレコード会社から出したのですか?

Kim:メジャー・レーベルから出しました。

日本でも表現の自由と言いながら、歌ってはいけない言葉があったり実は自由がないんですけれども、韓国でも、たとえば政治的な歌は歌えないとか、そういう話を聞いたことがありますけれども、その辺りの韓国の音楽シーンの表現の問題というものをどのように考えていらっしゃいますか?

Kim:昔は酷かったんですけれども、いまは少し良くなって表現の自由が得られるようになりました。お笑い芸人が政治家をネタにしてギャグをする時代になりました。ですから、昔ほどの問題はないですね。かつてだったら想像もできないことです。

ちなみにどの大統領によって変わったというのはありますか?

Kim:たぶんノム・ヒョンですね。

それはノム・ヒョン大統領が民主化政策をどんどん進めていって、自由な表現をある程度許容したってところがあるんですか?

Kim:もちろん。そうですね。

ノム・ヒョン大統領というと、日本では小泉政権のときに、彼が靖国参拝をする度にノム・ヒョン大統領がそれを批判していたのをすごく覚えているんです。そういったすごく複雑な日本と韓国との政治的な関係があります。日本と韓国の歴史的な歴史的関係についてKimさんはどのように考えていらっしゃるでしょうか?

Kim:音楽には国境はありませんし、ミュージシャンはみんな友だちですし、私はそういった複雑な関係というのはあまり気にしません。

取材:野田 努(2012年8月10日)

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