Home > Interviews > interview with Austra - 光の女神、アウストラ
ケイティとマヤ。アウストラにおいてはふたりの女性が曲作りとバンド自体のコアを成している。男女比1:2で6人の男女が絡まるアーティスト写真には艶っぽい魅力があるが、もともとギャラクシーというライオットガール・バンドに在籍していたという彼女らは、どちらかといえば硬派、ゴリゴリの女系グループである("ホーム"のMVにおいては、ライアン・ウォンシアクが女装させられている)。そのことは、彼女たちの音楽を理解する上で大事な要素のひとつだ。バンド名も「光の女神」に由来しているくらいである。
Austra Olympia Domino / ホステス |
先月セカンド・アルバムを発表したエレクトロポップ・バンド、アウストラは、トロントで結成され、そもそもはケイティとマヤがベースにドリアンを迎えるかたちの3人組としてスタートしている。2011年のデビュー・アルバム『フィール・イット・ブレイク』で脚光を浴び、活動の幅をワールド・ワイドに広げた。
折しも同郷のグライムスがブレイクするタイミングであり、クラシック・ミュージックの高度な専門教育をバックボーンに持つような女性トラック・メイカーたちが、奔放に斬新にポップ・ソングをデザインし、どんどんと存在感を増していった時期だ。ジュリア・ホルターやジュリアナ・バーウィックのようにハイカルチャーへと突き抜けるような個性もあれば、ゾラ・ジーザスなどのようにゴシックな世界観やオペラ的な方法を展開するウイッチたち、マリア・ミネルヴァやローレル・ヘイローなど秀才型のIDM、そしてグライムスやグラッサーなどウィスパリングなドリーム・ポップなどなどが競い咲くシーンのなかで、アウストラのデビュー作はゾラ・ジーザス寄りのグライムスとでもいうべき象限に浮上してきた作品だった。ダークウェイヴのムードにも合流し、サイケデリックなジャケットのイメージも相俟って、わりととんがった女性ユニット/バンドとして存在感を放っていたように記憶している。
セカンド・アルバムは装いも新たにリリースされた。ファーストの性格を良く言って「実験的」、悪く言って「生硬」だとするならば、今作は両者がするっと取れたグラマラスなポップ・アルバムになっている。これは、バンドにとって歓迎すべき変化ではないかと思う。エイティーズ・マナーなディスコ・ナンバーを中心にプロダクションも格段に洗練され、愛聴できる曲が増えた。バック・コーラスとキーボードを加えた6人編成となったことで安定感とダイナミズムも生まれている。確実にステージを上げ、良質なポップスとしてキリっとした輪郭が備わったと言えるだろう。それに、総じてのびのびと制作されているように見える。『フィール・イット・ブレイク』において奇妙なピアノやヴォーカリゼーションとなってポップスの枠を逸脱していこうとするケイティの情熱。その勢いを削ぐことなく、かつ曲の理性として働いているマヤのドラミング。それらがやっとしっくりと自らを収めるべきフォームに収まったという印象だ。この変化はジャケットのアートワークにも象徴的に表れている。
一方で彼女たちのストレートでこそあれスマートではない表現欲求も減速していない。「彼女をあたためる代わりに/わたしたちは火を起こす/火そのものになる」("ファイア")......聴く者に効率よく快楽を与えるよりは、自らが快となり楽となること自体に意義を見出す、そう読み替えたくなるような熱源の思考が、彼女の風変わりなフレージングによく表れている。その熱はたとえばミューズに捧げられ("アニー(オー・ミューズ、ユー)")、あるいはアウストラ――光の女神へと捧げられているのだろう。思いは過剰にあふれて楽曲に凹凸を作ってしまう。ジョルジオ・モロダーからシカゴ・ハウスまで意識されているようだが、どこかそうした凹凸のためにダンス・ミュージックとしてはビートがおぼこくなるのが感じられるだろう。それが彼女たちの音楽の特質であり愛すべきところでもある。
また、エレクトロ・ポップ・アルバムという性格を持ちつつも、トム・エルムハースト(ファックト・アップなど)をプロデューサーに起用したり、何かといえば生楽器とバンド編成にこだわるところなどは、彼女たちのロック・バンドとして出自やそれへの矜持とともに、火や光へ寄せる彼女ら独特の敬意の示し方を表しているのかもしれない。
今回メール・インタヴューに応じてくれたのはマヤ・ポステップスキー。当初ケイティに宛てた質問だったこともあり回答を得られなかった質問が多いのは少し悔やまれる。
ティーンエイジャーのときはスパイス・ガールズにハマっていたの。それがわたしのポップ・カルチャーにおけるいちばんの冒険だったかも。でもすぐに飽きちゃった。あ、あとアンジェリーナ・ジョリーが大好きだったわ。
■子どものころはポップスにあまり興味がなかったのですか?
マヤ:あったわよ、毎日ウォークマンで聴いてたわ。当時のわたしの持ち物のなかでいちばん重要な財産だったわ。いまでも持ってるけど少し壊れちゃった。わたしのお気に入りの音楽は、両親がディナー・パーティーを開くときにお父さんが作ってたミックス・テープで、ティナ・ターナー、ブライアン・フェリー、デヴィッド・ボウイ、クイーン、グレース・ジョーンズ、レッド・ツェッペリン、ロキシー・ミュージックとか入ってたわ。未だにどのアーティストも大好きだし、わたしの音楽性は彼らから強く影響されているわ。
■テレビやポップ・カルチャー全般への興味はどうでしょう?
マヤ:小さいころ長時間テレビを観ることを禁止されてたの。でもピングーにかなりハマっていたわ。いまでも朝食の時間にたまに見るのよ。ティーンエイジャーのときはスパイス・ガールズにハマっていたの。それがわたしのポップ・カルチャーにおけるいちばんの冒険だったかも。でもすぐに飽きちゃった。あ、あとアンジェリーナ・ジョリーが大好きだったわ。
■学校で専門に音楽教育を受けておられるのですか? 学校ではどのような分野を修められたのか、どのような学校生活を送られたのか、教えてください。
マヤ:小さいころからずっと音楽を演奏していたわ。4歳からピアノをはじめて、ずっと勉強しながらテストを受けたりコンペに出てたわ。
パーカッションと出会ったのは9歳のときで、美術学校に通っていて専攻を決めなきゃいけなかったの。ダンスも演劇もアートも好きじゃなかったから、そのときはまったくパーカッションがなんなのかわからないまま消去法で選んだの。けれど、自分のドラム・スティックをもらった瞬間に完全に心を奪われたわ。それからオーケストラでパーカッションを演奏したいと真剣に思いはじめてきて、すごい勉強してトロント大学に入ったの。そこでパーカッションの学士をとったのよ。
学校ではクラシック・パーカッションを学んだわ、それでオーケストラに入りたかったの。でも他にも世界のパーカッションを勉強したわ、バリのガムランや和太鼓、ガーナのドラムやダンスもね。とくに和太鼓がいちばんわたしに影響を与えたわ。いまだに好きだし、ドラムの演奏の仕方やドラムの音についての考え方が本当に変わったの。
取材:橋元優歩(2013年9月27日)
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