Home > Interviews > interview with Kazuki Tomokawa - 間断なく友川カズキ
変わる余地は私にはいっぱいあるんです。
■私も〈アピア〉でも何度も聴きました。
友川:滝澤明子さんといういまイギリスに住んでいるカメラマンの方は日本に帰ってくるたびにコンサートにずっときてくれてたんだって。そのときは顔も名前も存じませんでしたが、私がロンドンでライヴをしたときに、彼女がきてくれて、知り合いになった。そういうこともありましたよ。
■海外でも友川さんの歌が評価が高いですが、言葉が通じない場所で聴かれていることをどう思われますか。
友川:私だってローリング・ストーンズを聴いたりするわけだしね。しかしどういった感覚なんだろうね。
スタッフの佐々木氏:ロンドンでは〈cafe OTO〉というところでライヴしたんですが、滝澤さんによれば、あんなに話し声がしない〈cafe OTO〉ははじめてだということでした。イギリスではお客さんは演奏中もしゃべっていることが多いらしいんですが、友川さんのライヴはシーンとしていたとおっしゃっていました。
友川:ロンドンでは私は(曲間に)ほとんどしゃべらなかったんですよ。英語しゃべれないから。次々と歌だけ歌ったんです。
■それをみんな真剣に聴いていたんですね。
友川:そうそう。
■感想は訊かれましたか。
友川:訊くもなにも、話せないから、ただ飲んでいただけ。
■私も18、19歳でヨーロッパに行ったとき、友川さんの『初期傑作選』のCDを、当時はCDウォークマンでしたからそれにいれて旅していたんですけど――
友川:つらい旅だ。
■いろいろ思うところがあったんでしょうね(笑)。フランスに寄ったとき、知り合った同世代の男性に聴かせたらほしいというもんであげた憶えがあります。私もフランス語はできませんでしたから、いいと思った理由はよくわからなかったですが、言葉の壁を越えて伝わるものが友川さんの歌にはあるのかもしれませんね。
友川:フランスからロンドンに私の歌を聴きにきたレオナルドという男がいたんだけど、彼は私のレコードを全部もっていたからね。ヘンな男だったよ。なんの仕事やってるって訊いたら、無職ですって。アンコールも彼がたちあがってアンコールかけたもので全員仕方なく手を叩きはじめたんだけどね。
■そういう熱狂的なファンがいるんですね。
友川:あちこちに、そういった危ない感じのひとがいるのよ(笑)。フランスには多いですよ。
■言葉の響きの問題ですか?
友川:関係ないでしょ(笑)。
■『復讐バーボン』にも訳詞がついていますし、海外でも聴かれるといいですね。
友川:そうね。
友川カズキ“馬の耳に万車券”
Kazuki Tomokawa "A Lucky Betting Slip to Deaf Ears"
2014年1月29日 in 大阪『復讐バーボン』レコ発ライヴ
友川カズキ、永畑雅人、石塚俊明、ギャスパー・クラウス
■言葉にしろ曲にしろ、演奏しても『復讐バーボン』はこれまでの友川さんの作品のなかでも頭ひとつ抜けていると思いました。
友川:それはうれしいね。いつまでも『初期傑作集』じゃね。
■初期は初期ですばらしいと思いますよ。前に原稿でも書きましたが、変わっていくもののなかに一貫しているところがあるのも友川さんだと思うんですね。
友川:松村さんはそう書いていたけど、私もそう思う。一昨日の私ではダメなのよ、明後日の私がつねにここに坐っているような感じでないと。なにかないと。
■そうありつづけるひとも多くはないと思いますけどね。
友川:いや表現者にはいっぱいいますよ。
■そういう表現者がいっぱいいれば日本はもっと住みやすいと思いますけどね。
友川:偉いこといったな、あんた(笑)。ちょっと政界にでもいってきてよ。(ライヴハウスの店員に)じゃあ、ビールとあとカレー3つ。
(後編につづく)
取材:松村正人(2014年5月28日)