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interview with Hiroshi Watanabe

interview with Hiroshi Watanabe

音楽のエネルギー

──ヒロシ・ワタナベ、インタヴュー

取材:野田努    Apr 14,2016 UP


デリック・メイと一緒に。

日本でデリックに会ったときに、「お前のサウンドは、俺がデトロイトで追い求めていたものと、はっきり言ってまったく同じものだと思っている」と言ってくれたんです。言っていることが飛びすぎていたから、信じられなかったんですけど、「本当だぞ」って言うんですよ。


Hiroshi Watanabe
MULTIVERSE

Transmat/UMAA Inc.

TechnoHouse

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ニューヨークのハウスは、12インチ・カルチャーですよね。しかし、ヨーロッパのテクノにはアルバムを出すというスタンスがある。結果、カイト名義では6枚以上のアルバムを出すことになりますよね。

HW:2002年、最初のアルバムを作り終えたあと、〈コンパクト〉がぼくのライヴ・ツアーを組んでくれたんです。そのとき、ケルンのまだ小さかった頃のオフィスに行ったんです。そこで、カイトの音楽のもとになったビートレス・ヴァージョンをミヒャエル・マイヤーに聴かせたんです。そしたらビートレス・ヴァージョンもこのまま出そうって、その場で決まったんです!

ああ、それが有名な『ポップ・アンビエント』シリーズにも発展するのかぁ。ヒロシ君の曲の特徴のひとつは、メロディだから、ビートレスの作品というのはすごくわかります。また、〈コンパクト〉というレーベルにすごく勢いがあった時代だった。クラブだけではなくて、アメリカのインディ・ロックの連中も、〈コンパクト〉と〈WARP〉はチェックしていたでしょ?

HW:ジェラルド・ミッチェルが「俺はカイトのビートレス・アルバムが大好きで、毎朝起きると聴いてんだぞ。本当だぜ」と言ってくれました。「デトロイトの連中はみんなお前の曲好きだよ」って(笑)。本当なのかなぁと思ってたんですけど、デリックも「デトロイトの奴らはお前の音楽をずっと追っかけてるぞ!」って教えてくれたんです。それって、お世辞じゃなかったみたいで、ぼくは正々堂々と自分の音楽で彼らとつながることに自信が持てたというか。
 そういう人たちって、ぼくにはレジェンド過ぎるので、会うたびに緊張していたんです。デリックとも最初は全然話せなかったんですよ。イエローが閉店する週の同じ日に、デリックがDJでカイトがライヴというときがあったんですね。そのとき初めて話ができたんです。ちょうどデリックの子供が生まれたばかりで、ぼくも三男が生まれたばかりで、子供の話で盛り上がりましたね(笑)。
 それから数年後、日本でデリックに会ったときに、「お前のサウンドは、俺がデトロイトで追い求めていたものと、はっきり言ってまったく同じものだと思っている」と言ってくれたんです。言っていることが飛びすぎていたから、信じられなかったんですけど、「本当だぞ」って言うんですよ。

2003年に〈Third-Ear〉から出た12インチ「Matrix E.P」は、たしかにデトロイティシュでした。メロディの作り方は、いま思えばデリック・メイの好みだったのかな。



「いいかヒロシ、〈トランスマット〉の称号を手にするのはとんでもないことなんだぞ?」と返信が来まして(笑)。「その称号をお前が手にするには、こんなレベルじゃダメなんだ」って(笑)。

HW:デトロイト・テクノって、メロディアスで、哀愁的な感覚も入ってますからね。マイク・バンクスにはジャズやいろんな要素が入って、音楽のアカデミックな部分が盛り込まれてくるけど、旋律的な部分ではみんなに共通項があると思うんです。

なぜいまデトロイトなんでしょうか?

HW:いままでにもいろんな出会い/出来事がありましたけど、今回の一件は強烈でした。ただ、極めて自然な流れだと思うんです。2004年あたりにぼくはギリシャのレーベルからいろいろ出しているんですけど、そのときに出した数枚のアルバムがデリックの手に渡って、DJで使っていたんですね。

そうだったんですね。ギリシャとのネットワークはどうやってできたんですか?

HW:ギリシャの〈Klik Records〉の元A&Rだったジョージっていう最高な友人がいてリアルタイムに「Matrix EP」をレコード屋さんで見つけてくれたんです。あの曲を聴いて、ぼくに直接連絡をくれた。「この音楽を見付けてからもう何回もリピートして聴いてるよ、うちのレーベルから何か出さないか?」と。ちょうど、アテネ・オリンピックが終わった後ぐらいでしたね。


アテネで開催されたBig In Japanの模様。野外の映画館が会場となり2000人以上動員した。2007年6月


2006年、ギリシャでのポスター。

ギリシャって、経済破綻しながら、なんで音楽は廃れないんだろう。いまでもレーベルがあるしね。

HW:しかもいまでもたしかにパーティ・シーンはあるんです。あそこは国柄、人間性がなんというか、すごくあっけらかんとしているんですよね。イタリアやスペインとも似ていますね。暖かくて、国のどこに行ってもオリーブの木があってっていう、そういう土地柄で、ものすごくオープンな人柄という印象です。
 それから、クラブ・ミュージックをボディではなくてマインド・ミュージックとして捉えているんじゃないかと感じます。ぼくの音楽に対しても、グルーヴもそうなんだけれど、その上に乗っかっているものにシンパシーを感じているといつも行く度に思うんです。

ギリシャはけっこうまわってますよね?

HW:アテネを中心にツアーしていますね。多くのDJは、ギリシャに行くと、だいたいミコノス島にあるカヴォ・パラディソという一番コテコテな有名なクラブでやるんです。観光客ばかりで羽振りがいいんで、有名なDJはみんなそこへ行くんですけど、ぼくはギリシャ全土にある、現地人しか来ないような小さいバーから大きなクラブまで回りました。車やフェリーを使って。それを2005年から毎年2回くらいやったんですよ。
 〈Klik Records‎〉が仕掛けたプロモーションも功を奏しました。発行部数が多い一般紙にぼくのCDをフリーで付けたこともありました。だから、一般のひとにもウケたんですよ。あるツアーでアテネのホテルに滞在していて、ちょっとお腹が空いたから何か買いに行こうと思ってホテルを出て、信号のない大きな道路を渡ったんです。そしたら近くに警察がいて「ヘイ!」って言われたんですよ。渡っちゃいけないところだったのかなと焦って立ち止まったんです、そしたら「アー・ユー・ヒロシ?」って警察が言ってきたんです(笑)。

それはありえないよね(笑)。

HW:本当なんです。「アイ・ライク・ユア・ミュージック」って。



なるほど。90年代はニューヨーク、そして2000年代はヨーロッパのシーンとリンクしているんだけど、2000年代に入ってクラブ・カルチャーも変化するじゃない?

HW:〈コンパクト〉はウルフガング・ヴォイトが社長の座を降りた頃から変わったんですよ。小さなレコード屋さんから大きなオフィスに移って、ビジネスやディストリビューションを大きくしていった。しかし、シーンはデジタルに移行していったので、運営が当時一度難しくなっていってしまった様子でした。

そうだよね。インターネットが普及していったのと反比例して、アナログ盤は減った。

HW:マーケットがデジタルへ移行していくことに関しては、僕も抵抗があったんですけど、ぼくはもともと曲作りから入っているんで、DJソフトのトラクターも早い段階で導入したんですよね。コンピュータを現場に導入する感覚って、楽曲を作っている人間にしてみれば、普通なんです。むしろパソコンがあったほうが安心できるというか。だけどよりDJという側面で強く音楽に接してきた人には、けっこう抵抗があったと思います。パソコンの状態の保ち方とか、データの整理の仕方とか、そういう基本的なところから話がはじまっちゃうから。

そういう意味では、なおさら、なぜいま〈トランスマット〉なのかと思いますね。デリックとの対談で「40代のゼロからのチャレンジ」みたいなことを言っているでしょう?

HW:20数年のキャリアを振り返ったときに、いまという現在を通過できるかできないかのチャレンジをしているってことなんです。ニューヨークでジュニア・ヴァスケスがぼくの曲をクラブでかけるか、というチャレンジと同じくらい大きな試練がやってきたというか。デリック・メイが〈トランスマット〉に求めるものを、ぼくが作れるか作れないかって、とてつもなくハードルが高いことなんですよ。

しかも〈トランスマット〉は〈コンパクト〉みたいにコンスタントに動いているレーベルじゃないからね。

HW:デリックは出したいものしか出したくないし、タイミングなんかどうでもいいわけですよ。自分が出してきたどのレーベルでもそうなんだけど、まず自分が作った音楽があって、出来上がったものを渡すのが自然の流れじゃないですか? でも今回のリリースに関してはそうじゃない。数年前ぼくはデリックに「〈トランスマット〉から出せる機会があれば光栄だし、そんな光栄な時を願わくば待っているよ」ってデリックに言ったんです。そのときは「もちろんそのチャンスがないわけじゃないぜ」って答えたんですけど、ぼくはそれをずっと覚えてたんですよね。
 それであるとき、ふたりで熊本にDJをしに行ったんです。そのときに、カイトとしての自分の今の環境や状況の相談みたいな話をしてて、ものすごく親身になってくれたんです。「もちろん俺はカイトの音楽自体ももっと世の中に認知されるべきだし、お前はカール・クレイグと同じような存在であるべきなのに、なぜもっと世界で認知されていないのか俺には理解できない」、「デリック、嬉しい言葉だけど俺もわかんねぇから、理由を教えてくれ」と(笑)。そうやって個人レベルでのやりとりが密にはじまるんですよね。

そのやりとりが面白いんですよね。そういうやりとりはいつぐらいから?

HW:震災あたりからだから、5年前くらいです。

そのときから自分のデモを聴かせていたんですか?

HW:デモを聴かせているというよりも、当時は純粋にぼくが出している曲を聴いてくれていたんです。彼がぼくの曲をDJで使っているのを知ることで、そんな嬉しいことはないと思いながら、ぼくもデリックにしっかり話していいんだなと思えてきて、あるときに、「お前はデトロイトに来てフェスに出るべきだ!」って言われたんです。そりゃいつでも出たいけど、どうしようもないじゃないですか。そしたら「俺が話をつけてやるから、ちょっと待ってろ!」と。それでしばらく経って、また会ったときに「ヒロシ、ごめんな。俺はプッシュしたんだけど、イベントの体制が純粋に音だけで選ぶような今は状況ではなかった。ごめんな」と。そういう見方をしてくれていたんですよね。
 それでデリックは、彼なりにぼくに対してできる最善のことは何かと、考えてくれるようになったんでしょうね。そこまで関係性ができたときにぼくはデリックに曲を渡すんです。忙しいだろうし返事もすぐには来ないだろうなと思ってたんですけど、「いいかヒロシ、〈トランスマット〉の称号を手にするのはとんでもないことなんだぞ?」と返信が来まして(笑)。

はははは(笑)!

HW:「その称号をお前が手にするには、こんなレベルじゃダメなんだ」って(笑)。

すごいね(笑)!

HW:「そこにたどり着く方法は自力で見つけろ。お前には絶対できる。本当に出したかったら、次の〈トランスマット〉からのリリースはヒロシだ」と。デリックがそんなこと言うなんてすごいじゃないですか? 

まあ、すごいですね(笑)。

HW:だけどそれと同時に、いままでにないプレッシャーを感じたんです。いいものができたら曲を出すって言われている以上、作らなきゃいけない。でも作っても「ヒロシ、これじゃない」と返信し続けられたら、ぼくは生きた心地がしないわけです。ずーっと自信をもって音楽を作ってきているし、自分の音楽を感じながらやってきたものの、そこで作れども作れども、もしOKが出ないなんてことが起きたら、デリックの言うポイントに到達できてないってことになる。それは自分の音楽人生であっちゃいけないし、ありえないことだと思ったんですね。

しかしデリックも直球な言葉ばかりを言ってくるんだね。

HW:だから、20年以上のキャリアを積んできたにも関わらず、もう一回ゼロから自分がチャレンジする機会をデリックがくれたとも言えるんですよ。ニューヨークで無心になって作っていた当時の自分がいま新たに蘇ったというか。デリックに「これだよ!」って言われなかったら、俺の20年間はなんだったんだろうと、そのときに思ったんです。そこからはもう、徹底的に作り続けました。

「あの山を登るのに、他の連中はこの平坦な綺麗に舗装された道を行く。しかし、お前は一人きりで裏の崖からロープ一本で登ってるんだ」とか言われたらね(笑)。

HW:「お前は荒野のなかの一人たたずむ侍だ、自身の中に潜む何かを掴むために一人きりでいるんだ」(笑)とか。

そうやって火をつけるのが彼のやり方なんだろうけど、すごいものがあるよね。

HW:最初に送った楽曲は〈トランスマット〉へというつもりではなかったにせよ、しょっぱなが「これじゃない、もっと〈トランスマット〉に相応しいものを作れ」って言われたわけじゃないですか。(笑)だから簡単には曲は送らないと決めたんですけど。なんでもいいわけじゃなくて、自分で彼のいうポイントに到達できたと思えるものでないと送っちゃいけないと思ったし、深く考えると、自分がいいと思ったものに対して「お前はこんなものをいいと思ってんのか?」と反応をされたとしたら信頼も失うことになる。だからそのときに自分は何を作るべきなのかを、いろいろ深く改めて探るようになったんです。

取材:野田努(2016年4月14日)

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