Home > Interviews > interview with Subarashika - この素晴らしか世界
はっぴいえんどに端を発する日本語ロックの遺伝子を受け継いだ音楽。すばらしかのファーストEP「灰になろう」をはじめて聴いた時、まず思ったのはそんなことだ。洗練されたシティ・ポップのエッセンスと泥臭いグルーヴが共存する音楽は、never young beachやYogee New Wavesらと共振しながら、ひとつのムーヴメントの新たな旗手となり得ることを予感させた。
すばらしか - 灰になろう Pヴァイン |
すばらしかは2015年末に結成されたバンドだ。都内を中心にライヴ活動を続け、2017年2月に自主製作盤「灰になろう」を発売すると、プレスされた200枚はたちまちソールド・アウト。このたびその音源に再度マスタリングを施し、カヴァー曲やライヴ音源の新曲を加えたものがリリースされる。
それにともない、今回はメンバーの福田喜充、加藤寛之、中嶋優樹の3人と、サポートの林祐輔にインタヴューをおこなった。結成の経緯やこれまでの音楽遍歴を聞く中で見えてきたのは、シャイネスと大胆さが共存する彼らの人間性、そして冒頭に記したような感想は必ずしも当たりではない、ということだ。
彼らの音楽を形作ったのは日本語ロックとの邂逅ではなく、ローリング・ストーンズやザ・バンドといったレジェンドからの影響を、自分たちにもっとも身近な日本語で消化しようとしたことだった。つまり、彼らは「日本語ロック」を経由することなくして、その潮流があるインディ・ロック・シーンの前線へと躍り出たのだ。
こうした背景があるからこそ、ベースの加藤はシーンに目を配りながらも「はっぴいえんどに影響を受けたバンドには興味がない」と、カテゴライズされることから距離を置く。自分たちのオリジナリティを「本当の意味で日本語ロックができていること」と胸を張れる。迎合しないスタイルに、時代の方が味方している。
このインタヴューはバンド史上初のインタヴューとなった。高い演奏技術、卓抜したソング・ライティング、角度をつけながらも突き刺さる歌詞。すばらしかは往年のロック・ファンを魅了しながら、若い音楽ファンも取り込んでいくだろう。はじめて語られる言葉を、ぜひ新作を聴きながら読んでみてほしい。
日本のインディ・シーンに興味がないんですよ。対バンやって見ることになったバンドでも、本当に意味わかんないバンドが多い。 (加藤)
■プロフィールには2015年末に結成とありますが、バンドのなりたちを詳しく教えてください。
加藤寛之(以下、加藤):15年の11月にはじめてスタジオに入って、12月に初ライヴをしたんですよ。21日か、22日だったかな。当時サポートで入ってくれていた、ガースー(菅澤捷太郎)がやっているBullsxxtというバンドの企画でライヴをしたのが最初です。その時はキーボードの林を抜いた3人体制でした。
福田喜充(以下、福田):自分はそれより前から今とは別のメンバーで音楽はずっとやってて。大学のジャズ研究会の先輩と組んで、その時から今ある曲も演奏してたんですけど、ドラムの人がロサンゼルスに行くことになったんで、またバンドを組み直して……。すばらしかになるまでに10回くらいバンドを組み直してます。
■ふたりが出会ったのはいつでしょう?
加藤:僕と喜充は大学の同級生なんです。お互いの共通の知り合いとしてまずガースーがいて、彼は喜充のいたジャズ研と、僕が所属していた現代音楽研究会のどっちにも入っていたので、それでつないでくれた。ある日大学の中庭にガースーや何人かの人が集まってたから、近寄ったらその中に喜充もいて、ギターを弾いてたんですよ。そこではじめて話したんだったかな。そこから交流がはじまって、色々と話す中で喜充が曲を作ってることを知った。その時に“灰になろう”を歌ってくれたんだけど、冒頭30秒聴いただけで「これすごくいい曲だな」と思った。
福田:その頃は違う人とバンドやってたんですけどね。ヴォーカルは別の人で、自分はギターだけ弾いていたけど、たまたまその日は自分で歌ってた。
加藤:その時からライヴはやってたんだっけ?
福田:いや、ライヴ活動はしてなかったな。で、それから自分がまた新しいバンドを組もうと思った時に加藤の存在を思い出して。加藤を誘って、なかじ(中嶋優樹)を誘ってはじまりました。
■中嶋さんはどういう経緯でバンドに加入したんですか?
加藤:「ドラムはなかじがいい」って喜充が言ったんだよね。
福田:なかじとは幼馴染なんですよ。小学校の時から一緒で、高校ではバンドもやってました。
■高校の時はどんな音楽をやってたんですか?
福田:この前久しぶりに高校の時の音源聴いたよね。車の中で。
中嶋優樹(以下、中嶋):まあ……ロックンロールって感じですね。
(一同笑)
中嶋:今より全然ロックンロール。
■演奏していた曲はオリジナルですか?
中嶋:オリジナルとカヴァーで半々くらいかな。
福田:カヴァーは村八分とか、ローリング・ストーンズの“ミッドナイト・ランブラー”とか。村八分がけっこう多かったよね。
中嶋:新宿JAMでね。
■サポートの林さんはどういった経緯でバンドを手伝うようになったのでしょう。
福田:林とは、自分が何度もバンドを組み直していたうちのひとつで一緒にやっているんです。
林祐輔(以下、林):そうだね。
加藤:喜充が「やっぱりキーボード入れたい」って言って、最初はWanna-Gonnaってバンドの古口くんが手伝ってくれていたんですよ。でも、古口くんは自分のバンドや他のバンドのサポートもあってなかなか忙しい。でも、林は暇そうだったので……(笑)
林:それでスタジオ入って、なんだかんだ定着してますね。
■福田さんはバンドを何度も組み直していたそうですが、その間に音楽性も変わっていったんですか?
福田:基本的には変わっていないです。でも、前はもっとごりごりのブルースばかりやってましたね。すばらしかになったあたりからいろんなタイプの曲をやるようになりました。
加藤:すばらしかを組む前からある曲も多いよね。
福田:“灰になろう”と“嘘と言え”は2015年くらいに作ったかな。“地獄が待っている”はそのもう少しあと。でも特に人前で演奏することはほとんどなかったです。
意味を込めずにそれっぽいことを言うというか。デヴィッド・ボウイが何かで「適当なことを言っておけば意味は聴く人が考えてくれる」と言っていて。自分はその考えでやってます。 (福田)
■皆さんどんな音楽を聴いてきたんでしょうか?
福田:親が音楽好きで、小さい頃から家や車の中でビートルズやスティーヴィー・ワンダー、YMOとかがよく流れていました。その中でもずっと聴いているのはストーンズとボブ・マーリー。それとは別に自分からはじめて好きになったバンドはTHE BLUE HEARTS。小2の時、MTVで“夢”って曲のライヴ映像が流れてて、それでハマりました。そこから色々とロックを聴くようになって、ちょっとしたらギターをはじめて。だからロックとブルースが自分のルーツにあると思います。
加藤:僕も親が音楽好きで、スティーヴィー・ワンダーとかザ・ビーチ・ボーイズとかは家でずっと流れてました。あと、母親がちょっと変わってて、アート・リンゼイとか、彼がやってるジャズ・グループのラウンジ・リザーズをよく流してました。それはめっちゃ覚えてます。
■ポップな曲と前衛的な音楽と、両方が身近にあったんですね。
加藤:でも小さい頃はポップな曲ばっかり好きでした。ザ・ビーチ・ボーイズの“Wouldn't It Be Nice”って有名な曲あるじゃないですか。超ポップでめっちゃいい曲だなと思って、小学校の時よく聴いてたんですけど、後半のコーラス・パートはなんか気持ち悪くて嫌いだったんですよ。だから前半だけ聴いて、途中で切ってました(笑)。それから中学・高校生の頃から色々な音楽を聴くようになるんですが、渋谷系にハマっていた時期にたまたまこの曲を聴き返したら、あんなに気持ち悪かったコーラス・パートがすごく良く聴こえて。それからソフトロックとかも聴くようになりました。
■中嶋さんはどうでしょう?
中嶋:喜充が持ってきたTHE BLUE HEARTSのカセットテープかな。
福田:俺が貸したんだっけ?
中嶋:いや、学校に持ってきた。で、置いてあったラジカセでそれを聴いてハマって。一緒にTHE HIGH-LOWSのライヴ行ったんだよね。
福田:そうだ!(笑) なかじがTHE HIGH-LOWSのチケット取ってて、それで一緒に行くことになって。初めて見たライヴがそれでしたね。その時まだ小学5年生で、ふたりとも親同伴で(笑)。
中嶋:それからハードロックを聴いたり、一通りのジャンルは聴きましたね。ルーツになってるのはハイロウズと、あとはザ・フーかな。
■ドラムをやりはじめたのはいつからですか?
中嶋:小5の時ですね。家の倉庫に父親が買ったゴミみたいなドラムがあったんで、それを叩いてました。
福田:TAMA(星野楽器)から出てるYOSHIKIモデルだっけ。
中嶋:いや、高橋幸宏モデルらしい。
■なるほど(笑)。ということは親も音楽好き?
中嶋:なんかYMOしか流れてなかったですね。ずっとYMOしか流さないんで、気持ち悪かった。ぴこぴこしてるなー、みたいな。
■林さんはどんな音楽を聴いてきました?
林:僕は母親が元プロで、バンドをやっていて。バンド名が「SCANDAL」って言うんですけど(笑)。
加藤:メジャー・デビューもしたんだよね。
林:クリエイションの竹田和夫さんのプロデュースでメジャー・デビューしたんですが、売れなかった(笑)。だから小さい頃から家ではよく音楽が流れてました。キャロル・キングとか、ビリー・プレストンとか。中学の時はL'Arc~en~Cielとか、当時の学生が聴いてるようなものを聴いていて、高校くらいでビートルズを聴きはじめました。そこからドアーズ、ザ・バンドあたりを聴くのと並行して、友達の影響でウルフルズにハマって、サム・クックとかの黒人系アーティストも聴くようになっていきました。
取材・文:小沼理(2017年7月19日)
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