Home > Interviews > interview with Squid - スクイッドの冒険心が爆発したサード・アルバム
2010年代末以降、注目を集めたUKインディ・ロック。その一翼を担ってきたバンドがスクイッドだ。同時期にデビューした他のバンドたちが転機を迎えるなか、3枚目をリリースした彼らが考えていることとは。
あるバンドが突然成功したと聞いたとき、僕はいつも最初に思うのは、ああ、彼らは大丈夫かな、ということ。
■ブラック・ミディが解散し、イギリスの音楽シーンにおける変わり目みたいなもの──人それぞれ感じ方はあると思うのですが、私個人としては、アンダーグラウンドからではなくウェット・レッグやザ・ラスト・ディナー・パーティのようなよくも悪くも資本からのプッシュを全面に受けたアーティストの台頭、ポスト・パンク的なサウンドの飽和感、バー・イタリアのようなドリーミーで退廃的なサウンドの流行など──も多少感じる昨今ですが、スクイッド自身としては現在のイギリスの音楽シーンをどのように見て、今後どのようにありたいと考えていますか?
AL:一般的に言うと、ザ・ラスト・ディナー・パーティやイングリッシュ・ティーチャーのようなバンドが台頭してきて、彼らのようなバンドがうまくいっているのを見るのは素晴らしいことだと思う。でも、僕たちは、メンバーが様々な影響を受けているバンドだから、イギリスの音楽シーンという考え方は、ある意味、僕たちの活動とは全く別のもののように思えるんだ。
LB:僕らは、自分たちがシーンの一部だとはまったく思っていない。
AL:僕たちは、バンドというグループのように見られるという基本的な意味でのシーンには属していない。僕たちはまた、音楽の広い展望や物事がどのように変化していくかをあまり気にしていないんだ。もちろんUKの音楽、UKのバンド・ミュージックのようなものは、明らかに意識してきたから、それに気づいていないわけではないし、興味がないわけでもない。そうではなくて、僕が言いたいのは、バンドとして、クリエイティヴなコラボレーションとして、それは僕たちの議論には出てこないということなんだ。ある意味その戸口に立ってそこに留まることはとても重要で、それは僕たちの創作活動にとってとても貴重なことだと思う。ライティング・ルームには、自分たちの持っているものをすべて持ち込んで、リハーサルに臨む。でも、クリエイティヴなコラボレーションとしては、それはまったく議論に入らないんだ。
LB:僕もそう思う。だからユーチューブで誰かが、話題のバンドやレーベルのプロジェクトとして、その彼らの音楽を理解することなく紹介しているヴィデオを見るたびに、彼らのことが心配になるんだ。 というのも、多くのバンドを見ていて、1曲がヒットしたアーティストが大成功を収め、熱心なファンを獲得したと思ったら、次の瞬間には名前すら出てこないこともある。彼らは燃え尽き症候群のような問題を抱えていて、異常なレヴェルの不安やセルフイメージの問題、自信のなさを抱えている。つねにそのようなリスクにさらされているんだ。たしかに僕らも何らかの問題を抱えているけど、でも、レーベルの面では、大丈夫。だって自分たちのやりたいことができない環境でバンドが育つことはできないんだから。でも、一発屋になることを推奨され、それで毎晩のように観客を動員しているバンドにとっては、いいことではない。レコード業界全体が、過重労働や強制的な労働を強いることによって、精神衛生上の問題を抱えることになることを、人びとが認識することが重要だと思う。
AL:うん、とてもいい意見だ。あるバンドが突然成功したと聞いたとき、僕はいつも最初に思うのは、ああ、彼らは大丈夫かな、ということだから。
■先行曲 “Crispy Skin” のミュージック・ヴィデオは伊藤高志の実験短編映画『ZONE』(1995)をフィーチャーすることとなりました。このコラボレーションにはどういった経緯があったでしょうか?
LB:なぜあの作品をミュージック・ヴィデオに使ったのかを理解するには、アルバムが完成し、ミキシングとプロデュースが終わった後まで遡る。僕たちはこのアルバムが何なのか、どういう意味を持つのか、お互いに話し合って考えたことがなかった。僕たち5人の間で何度も出てきたのは、収録曲はほとんど短編小説のようなもので、悪と臆病というテーマの世界を探っているが、彼らは皆、まったく異なる場所や人々を探求している、という理解だった。だから、すでに存在するスプライト(Sprite、小鬼、ゴブリン)的な意味のヴィデオを、僕らの曲のひとつに再利用するのは楽しいアイディアだと思ったんだ。そしてあのヴィデオには、“Crispy Skin” の歌詞の世界観やテンションにマッチするような、ヴィジュアルにおける偶然の一致がたくさんあるんだ。幸運なことに、僕たちはライセンスを取得し、編集することを許可された。このフィルムは、じつはオリジナルではもっと長いんだ。曲や歌詞を書くことで、すでに存在するものから意味をつむぎ出しているようで、いい反映だと感じたんだ。いままでやったことのなかったことだけど、既存のアートワークをヴィデオという形でライセンスして、1曲目に使うのがいいと感じたんだ。
通訳:まだ生まれてもいないあなたたちが、1995年の作品をどうやって見つけたのでしょう?
LB:いや、生まれてたって(笑)。それは、アルバムのヴィジュアル・ワールドを実現するために、僕たちがどのような段階を踏んでいるかということに尽きるね。チーム全体からどれほどの助けを得られることが多いか。素晴らしいマネージャーもいるし、レーベルもいつも助けてくれるし、周りのみんなが映像の世界を実現するのを助けてくれる。“Crispy Skin” のヴィデオに起用するいくつかの候補はあったんだ。 ただ、同じ世界に属しているようには感じられなかったし、音楽を共鳴させるものでもなかった。しかし最終的に、この特別なフィルムは、本当にただぴったりだと感じたんだ。
■カニバリズム自体は恐ろしい価値観でこのリリックも恐ろしい状況が描かれていますが、そういった状況に置かれたときに、誰しもがそれに順応してしまう危うさを感じますか?
AL:それはないと思う。特定の状況下で一般的に人びとがカニバリズムに走る傾向があるかどうかという質問には答えられないけど。もし、人びとが自分でそう思い込むのであれば、それはまったく問題ないと思うけど、そう思う人の方が少ないんじゃないかな。ただこの曲はカニバリズムを実際に経験したというよりも、本が主な参考文献になっているんだ。
LB:うん、この曲はカニバリズムというよりも、もっと無気力についての曲なんだと思う。僕たちが生きている社会での人間関係を通して、僕たちはどの時点で無気力になってしまうのだろう? 自分が知らない人の悪行を目にしたとき、あるいは、自分の人生を難しくしている友人や職場の人がいたりしたとき、誰にでも、そこで困難に直面したり、自分の置かれた状況に制度化されてしまうような転機のようなものがあって、人生には真正面から取り組むべきことが必ずあると思う。そしてそれはときどき、自分を内側から蝕んでいる。でも多くの場合、それらにアプローチしないほうがずっと簡単なんだ。オリーがこの曲で考えているのは、僕たちを臆病にするのは何なのか、ということだと思う。いちばん簡単なことをやらないことなのか? いちばん難しいことに取り組まないことなのか? 僕たちは皆、ときに少し無気力になる傾向があるような気がする。それが問題なんだ。
通訳:このアルバムには自問自答する要素がたくさんあると思います。ここではあえて答えを出さずに、自分で考えるのですよね。
LB:うん、そうなんだ。
『O Monolith』がリリースされた日に『Cowards』のレコーディングを終えたから、いかなるレヴューやプレスの人たちが何を言おうと、自分たちが作りたいもの以外に何も関係なかったし、自分たちが次に何をするのかとすることとは切り離すことができた。
■2ndアルバムの『O Monolith』は1stアルバム『Bright Green Field』のリリースから2週間後の2021年のツアー中にスタートしたと前作のプレスリリースで見ました。今作も2022年の11月から2023年4月までの6ヶ月間、『O Monolith』がリリースされる前に制作がはじまったということで、その創作意欲に驚きました。創作意欲を絶えず掻き立てるものはなんなのでしょうか?
AL:アルバムを作るには長い時間がかかる。ときにクリエイティヴになることにも。つまりタイムラインなんだ。このアルバムにかんしては早く完成させることが効果的だった。だから、できるだけ早く作曲を終えて、できるだけ早くレコーディングをしたんだ。というのも、『O Monolith』がリリースされたらツアーに出るだろうし、ツアーに出たら曲を作るのはとても難しいから。純粋に時間管理の問題なんだ。『O Monolith』がリリースされるまであと数ヶ月ある。曲を書こう。クリエイティヴになろう、そして仕上げよう。より時間をかければもっといい仕事ができるんだ。
LB:それに、『O Monolith』の評価に左右されないで進めることができたのは、本当にいい感じだった。というのも、『O Monolith』がリリースされた日に『Cowards』のレコーディングを終えたから。だから、このアルバムについて語る人たちや、いかなるレヴューやプレスの人たちが何を言おうと、自分たちが作りたいもの以外に何も関係なかったし、自分たちが次に何をするのかとすることとは切り離すことができた。ある意味、守ることができたのは本当にいいことだと思った。
AL:まさにその通り。
通訳:やはりレヴューや評価は気になるもので、次の作品にも影響するものなのですか? どちらかというと、これが自分の音楽だ! レヴューなんか気にしない! というアティチュードなのかと……。
LB:それは議論の余地がある。どのように受け止められ、そこからどう進むかについては、人それぞれ異なる問題を抱えていると思う。でも、最終的にこのプロジェクトでよかったと思うのは、僕たち全員が、過去のプロジェクトから、もっと作りたい、もっと探求したいと思う要素を持っていたことだと思う。 そして、やらなければならないとわかっていたこともあったし、本当に変えたいと感じていたこともあった。『Cowards』の曲作りでは、本当にシンプルで凝縮された素晴らしい曲作りを感じられるようなアイディアをいくつか作ろうというところからはじめたんだ。そしてそれは、今回の作品の大きな足がかりになったんだ。
質問・序文:村田タケル(2025年2月20日)
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