「ピカ」と一致するもの

Mark Hawkins - ele-king

 2020年、ブラック・ライヴズ・マター運動の盛り上がりのなかで、さまざまなDJ/アーティストがステージ・ネームの変更を迫られた。白人が黒人を想起させるような名前を使用することは、そこにリスペクトの感情があろうとも「文化の盗用」とされたのだ。こうして、UKのレジェンドDJであるジョーイ・ネグロはデイヴ・リーに、USのブラック・マドンナはブレスド・マドンナに、オランダのデトロイト・スウィンドルはダム・スウィンドルに、そしてUK出身で現在はベルリンを拠点とするマーク・ホーキンスは、彼のよく知られたマーキス・ホークス(Marquis Hawks)名義を捨て、以降はその本名のみを使用するに至った。

 ウィル・ソウルの〈AUS Music〉やグラスゴーの〈Dixon Avenu Basement Jams〉、近年はロンドンにあるクラブ、Fabricの運営する〈Houndstooth〉から多くのハウス、テクノをリリースしてきたマーク・ホーキンス。フルレングスとしては4作目に当たる『The New Normal』は、タイトルの通り「ニューノーマル」(新たな常態)を標榜しており、それがコロナ禍を経たニューノーマルであるのは明白だが、それと同時に、かつてのエイリアスを捨て本名のみで活動することを決断した、マーク・ホーキンス自身のニューノーマルを打ち出しているようにも感じられる。

 オープナーの“Can’t Let You Do This”や、2018年にコラボ歴のあるジェイミー・リデルを招聘した“Let It Slide”を聴くとわかるが、彼が過去の12インチでやってきたアンダーグラウンドなダンス・ミュージックの質感は残しつつ、それぞれのトラックはマーク・ホーキンスとヴォーカル陣によるメロディアスなセンスに下支えされており、このふたつにはフロア・バンガーとしてのサウンドと歌心を持ったポップ・ソングとしての資質の両方がしっかりと詰まっている。また、ジョヴォンのような90年代のニューヨークにおけるハウスから影響を受けたという“Lazy Sunday”や、ガラージめいたリズムが展開されるクローザーの“Se5”など、よりクラブ/フロア向けのインスト・サウンドもありながら、他方では“No One Can Find Us”や“You Bring the Sunshine”など、サンプルパックから引用したメロディアスなヴォーカルが含まれるポップなダンス・トラックもあり、それらが12曲のあいだでバランスよく配置されている。

 こと日本においても、コロナ禍が最悪の出来事だったことは言うまでもないが、以前に紹介したアンソニー・ネイプルズと同様、この時期をクリエイテヴィティの発露にうまく活用したことはマーク・ホーキンスにも言える。彼は一貫して地下で鳴っているダンス・ミュージックを提供し続けているが、この失われた時間においてルーツや理想をより深く見つめ直すことによって、『The New Normal』ではアンダーグラウンドなハウス、テクノにとどまらないサウンドを提示することに成功している。そこには、眩しさすら感じるチル・ソングもあれば、エレクトロニックなファンクのリズムもあり、ポップ・ソング顔負けのメロディアスなヴォーカル物があり、もちろん、思わず体を動かしたくなるハウスもあるのだ。マーク・ホーキンスのこれら多彩な楽曲群は、やはりコロナ禍によって孤独に自身を見つめる時間が多くなったことが少なからず影響しているのだろう。20年以上ものキャリアを誇るヴェテランのDJが、かつてないほどフロアから遠ざかった帰結としてホーム・リスニングの側面を強めつつ、同時に、そこには彼の持ち場と言うべきフロアのエネルギーやダイナミクスがしっかりと注入されているのだ。

 『The New Normal』はマーキス・ホークスを捨てたマーク・ホーキンスの初リリースである。RAやピッチフォークを含め、海外のメディアがまだ取り上げていないのが疑問だが、少なくとも僕が聴いた感じでは、今作はその音に身を委ねたくなる素晴らしいダンス・ミュージックに違いない。大局的にはコロナ禍があり、個人的にはステージ・ネームとの決別を迫られるなど、彼にとっては二重の苦しみがあったはず。しかし、今作が鳴らす音を聴いていると、あるいはヴァイヴァ・ホーキンスによるアートワークが示すように、マーク・ホーキンスとしてのニューノーマルは、晴天の空が広がる海のようにとても前向きで清々しく感じられる。マーク・ホーキンスいわく、今作は「トロピカル・ビーチでモヒートを飲みながら、大音量で聴く」アルバムだそう。どんなときでも、ときに難しく考えずに楽しむことは大切だと、そんな当たり前のことを教えてくれている。

Lee Perry - ele-king

 リー・ペリーの初来日は1992年6月、バックバンドは当時の〈ON-U〉が誇るダブ・シンジケート(スタイル・スコットにスキップ・マクドナルド、そしてルーベン・ベイリー)だった。忘れられないライヴのひとつだが、ぼくはその来日時に編集者として取材にも立ち会っている。インタヴューの最後にライターは「日本のルード・ボーイ、ルード・ガールにメッセージをお願いします」という申し出をした。記事の締めとして「俺も昔はルード・ボーイだったんだよ」みたいな共感を喋って欲しかったのだろう。しかしペリーはじつにシンプルに、笑みを浮かべてこう答えた。「良い子になりなさい」
 それから30年近く過ぎたいまでもぼくはこの答えが忘れられないでいる。
 
 8月29日、リー・“スクラッチ”・ペリーはジャマイカの病院で息を引き取った。85歳だった。死因はまだ明らかにされていない。
 1936年にジャマイカのケンダルで生まれ、1961年に歌手としてデビューしてから長きにわたって活動を続けてきた本名レインフォード・ユー・ペリーは、もちろん、いまさら言うまでもなくレゲエ史におけるもっとも偉大な開拓者であるが、同時にフィル・スペクターやジョー・ミークのように大衆音楽における録音物の可能性を広げたアーティストでもあった。あるいはまた、UKのダブ詩人リントン・クエシ・ジョンソンが言ったように、「レゲエにおけるサルヴァドール・ダリ」だった。1992年の来日時に自身の最初のソロ・アルバムのために共同作業をしたこまだ和文氏もまたペリーのことを「音楽家というよりも芸術家」と言ったことがある。「ピカソ級のアーティスト」だと。
 
 リー・ペリーの有名な曲のひとつに1968年の“ピープル・ファニー・ボーイ”がある。レゲエの時代の幕開けと言える力強いリズムをもって展開する曲で、「なんで、なんで、人はおかしいのか」と怒りを込めて日々の苦しみが歌われているこの曲には、赤ちゃんの声もミキシングされている。つまり、ここにはスカやロックステディとは違った攻撃的なリズムがあり、ジャマイカの土着性があり、ゲットー・リアリティとそしてオーヴァーダブ(ミキシング)がある。70年代ジャマイカ音楽における進化の起点だった。
 この曲以降のリー・ペリーがどれほど偉大な仕事をしてきたのか……、彼のバンド、アップセッターズの魅力たっぷりの『リターン・オブ・ジャンゴ』をはじめ、初期のダブにおける金字塔『14ダブ・ブラックボード・ジャングル』、レゲエの抽象性を高めた『ミュージカル・ボーンズ』、人気作のひとつ『スーパーエイプ』……、プロデューサーとしても初期のボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの不朽の名作『アフリカン・ハーブズマン』をはじめ、ジュニア・バイルズ『ビート・ダウン・バビロン』、ジュニア・マーヴィン『ポリス&シーヴス』、マックス・ロメオ『ウォー・イナ・バビロン』、ヘプトーンズ『パーティ・タイム』、そして魔術めいた『ハート・オブ・ザ・コンゴス』などなど……ほかにも個人的に好きなアルバムはいっぱいあるし、紹介しなければならない作品の数はあまりにも多い。(彼の膨大な作品については、鈴木孝弥氏が監修したディスク・ガイド『定本リー“スクラッチ”ペリー』をぜひ参照して欲しい)
 リー・ペリーは1973年12月、自宅の裏庭に〈ブラック・アーク〉を建てている。そこでの彼は楽器としてのスタジオをフル活用し、数々の名作を作っているわけだが、ペリーのミックス学はコンソールの操作とエフェクトの処理だけにとどまらなかった。近くに生息していた牛の鳴き声のミックスもこの時期の彼のトレードマークだし、サウンドに霊感を与えるためにはマスターテープに大麻の煙を吹きかけたりもしたという。〈ブラック・アーク〉時代のペリーの思想は、ノアの箱舟をもじったその名から察することができるようにサン・ラーのアフロ・フューチャリズムとも似ているが、しかし1983年の夏、ペリーは〈ブラック・アーク〉をおそらくは自らの手によって焼失させてもいる。ジャマイカの状況に失望し、孤独になって欧州に渡ると、ある時期からは自分は小便であり糞だと言うようにもなった。
 
 リー・ペリーは寓話的な話し方を好んだ。「(ダブを発明したのは)アフリカのジャングルに住むライオンがダブを通して復讐を企てた」とか、「ダブとは赤ん坊。赤ん坊には愛と正義を知って欲しいが、金や銃について教えたくはないだろう」とか、そんな具合だ。2019年に〈ON-U〉から出した『レインフォード』のある曲では、自分は「月にいるコオロギだ」と歌っている。なぜコオロギなのですか? と訊いたら、「コオロギは人間よりずっと前から地球に存在しているからだ」と彼は答えた。
 彼の作品のように、ライヴで見るリー・ペリーもまた、いつだって超越的だった。彼の発言や、木の枝や小さな玩具のフィギアまで服として身体にまとったステージ上での振る舞いを見ていると、この人は永遠に生きるんじゃないかとさえ思ってしまう。2019年末にインタヴューしたときには、「(将来的には)驚きでいっぱいの、新しい3Dみたいな音」のアルバムを出すだろうと話していたが、じっさいペリーは2020年も複数枚アルバムを発表しているし、今年に入ってからもUKの〈プレッシャー・サウンド〉から〈ブラック・アーク〉時代のダブプレート曲を加えたレアトラックス集が出ている。だからどうにも、いまだに彼が死んだことが信じられないでいる。
 「私はこの宇宙の赤ん坊として楽しむためにここに存在しているからだ。成長して大人にならない。いつまでもずっと赤ん坊でいる」、2019年の取材で、なぜそんなに精力的なのかと訊いたらペリーはこのように答えた。宇宙の赤ん坊——、たしかにある時期から、もはやこの宇宙そのものが彼のスタジオだったのかもしれない。そう思えるほどにリー・ペリーとは音の宇宙の、大いになる探求者に違いなかった。そしていまとなっては、たとえいつかコロナが終息したとしても、ステージ上の、あたかも妖精のようなあの姿をぼくたちはもう見ることはできないのだ。

野田努

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 リー・ペリーの訃報に触れ、驚く。が、訃報は大体いつも突然で、その突然さの驚きであって、物故の驚きではない。死は最も純粋な平等であり、かつ誰の死であれ〝死の意味〟を等しく放擲する。人間の苦悩の源が死なら、死ぬことで苦悩を根源から打ち捨てるのであり、よって弔いはその意味において祝いでもある。
しかし、そうした思いがまるで湧いてこない。ペリーの訃報から、結局のところ本当の驚きを感じるのはそこであった。

 親しみを抱かせ、楽しませ、何十年聴いても興味の尽きないリー・ペリーが、いくらチャーミングとはいえここまで人の心をつかんだのは、誰もリー・ペリーの心がつかめなかったからである。その深部を窺い知ることができなかったからである。我々の目で見通せるようなスケイルの存在ではなかった・・・的な陳腐な表現はピントがずれている。ペリーは最初から全部をさらけ出し、引き寄せられて接近した我々は、それが巨大過ぎて全貌を視界に収めることのないまま、ペリーのおなかに飲み込まれていたのである。本人もこっそり(聖書に記された神の言葉のように重々しく)漏らしている——「(ペリー自身をシンボライズしている)スーパー・エイプの腹の中を見ると、世界が存在している」(『ミュージック・マガジン』97年11月号、インタヴュアー/工藤晴康)のだと。

 このペリーが率いたのは、ちゃちな黒船ではなく、黒箱船である。新しい人類の祖〝黒いノア〟としてそのブラック・アークを率い、自分のスタジオとした。そのサウンドは強大な重力を持ち、磁力を放ち、すべてを引き寄せ、飲み込み、また、邪悪をしりぞけた。ブラック・アークは理性を獲得したブラック・ホールだった。超猿のおなかの中の宇宙。そこに反響する、ねじれた時間軸のような、あるいは太古から連綿と伝わる信号のように不思議に心地よい揺らぎは、黒い箱船が聖なる大洪水の波をクールにたゆたうグルーヴに他ならない。

 リー・ペリーは、概念であり、宇宙である。これまで我々の目に映っていた彼の、肉体と呼ばれる有機物が消滅することに、どれだけ重大な意味があろう?

 2日前からの世界中のメディアの報道を見ると、天才プロデューサー、エキセントリックなパフォーマー、ダブのパイオニア、サンプリング手法の発明者、ボブ・マーリーのメンターでプロデューサー、その与えた多大なる影響はレゲエの枠にとどまらず、うんぬん、という記述に溢れている。確かにそういう即物的記述によればペリーは〝死んでしまった〟のだ。でも、次々にアルバムを聴き返していると、ペリーの偉大さを報じようとするそうしたジャーナリスティックな総括が、いかにもペリー的ではないことを思い知る。レゲエはあらゆる角度から見て思想の音楽だが、その中でもひとつひとつの音の質にまで自分の思想を投影することを考えたクリエイターである。その概念は、宇宙は、遠巻きに望遠鏡で観察して寒々しい〝データ〟に矮小化できないのである。

 パフォーマーとしてのペリーのステイジを何度観たか分からない。晩年はだんだん音楽的につまらなくなっていくのと反比例的に、その、エネルギッシュなのに欲がなく、ビッカビカに輝いているのにギラつかず、卑近な表現をすれば、俗物のけがれを払い切り、洒脱は遥かに通り越した解脱の芸術家として存在のアートを完成させていくさまに、鳥肌を立てて感じ入ったものだ。そのたたずまいは無邪気の権化でもあった。ペリーが散々忌み嫌い、曲の中で叩きまくった邪気(evil spirit)を浄化した末の清廉たる無邪気。正直なところ、心の中で合掌し、拝むような気分になったことさえあった。

 普通、人は死ぬことによって生の苦悩を投げ捨てることが叶い、残した人々に対しては死の具現としてレッスンを施す役目にあずかることと引き換えに、自分の人生を勝手に、往々にして爽やかに小綺麗に総括されてしまう宿命にあるが、リー・ペリーには、ゆえに、そのすべてが当てはまらず、ふさわしくない。自分の知る(もとい、まあまあ学んだつもりになっている)〝小市民的〟な死の感覚とはまるで引き合わない。ジャマイカの生まれ故郷に戻って深呼吸ひとつ、三次元の浮世から、別の次元にひょいと半歩ズレた程度……そんなところではないか。

 そんなことは意にも介さず、分身のスーパー・エイプは、好物の焼き魚とコーンブレッドを貪り食い、極太のスプリフを吸いまくり、元気にこの世をアップセットし続けるだろう。で、我々は、ずっとその腹の中にいるだろう。


Lee Perry
『Roast Fish, Collie Weed & Corn Bread』


The Upsetters
『Super Ape』

鈴木孝弥

8月の終わりのサウンドパトロール - ele-king

 齋藤飛鳥と山下美月の会話をぼんやり聞いていたら、そういえば、ここ数年、誰かが自分を見ているときに「(自分が)見られている」とは言わずに「(相手が)見てくる、見てくる」という言い方をするなーと。行動の主体が相手にあることは同じなのだけれど、「見られている」という言い方をすると自意識も一緒に発動してしまうので、相手の行為を自分がどう受け止めているかはわからなくするために「見てくる」という言い方になっているのかなーと。自意識を隠すということは「自分がどう見られているかは気にしていない人に見られたい」という自意識が複雑に折りたたまれているということだから、結局は「見てくる、見てくる」と嬉しそうに騒ぐ時点で、「(自分は)観られてる~」と喜んでいるのと同じだと思うんだけど、それでもやはり相手が見ているのは相手の問題意識のなかで完結していることだとアピールしておかないと自意識を発動させざるを得なくなってしまい、そのような事態はどうしても避けたいということなんでしょう。マウントを取りたがる人が嫌がられることの裏返しかなとも思いますが、孤独に音楽を聴いている人には関係ない話でしたね。


01 | Bendik Giske - Cruising (Laurel Halo Remixes) Smalltown Supersound Norway

この春、バッテクノことパヴェル・ミリヤコフと不気味なジョイント・アルバムをリリースしたばかりのベンディク・ギスケ(いま流行りの遠心顔)が8月27日にリリース予定のセカンド・アルバム『Cracks』から “Cruising” を先行カット。両サイドと共にローレル・ヘイローのリミックスをフィーチャーし、これが『Pavel Milyakov & Bendik Giske』の、とくに “Untitled 4” を複雑にしたような素晴らしいダブ・テクノに。クラフトワークをスクリュードさせたようなビート・ダウンにプロセッシングされた管楽器が幻のように咲き乱れる。たったの6分で終わりかと思っていると、Bサイドでは左右でエフェクトの種類が分けられた、さらに桃源郷のようなビートレス・ヴァージョンが長尺で控えている。サイケデリック・サマーはこれで決まり。


02 | Quixosis - Micropótamo Eck Echo Records

エクアドルのベース・ミュージックからダニエル・ロフレード・ロータによるデビュー・アルバム『Rocafuerte』の2曲目。オープニングからハープなどの幻想的なメロディが重層的に響き渡り、一気に未知なるトロピカルへと連れ去られる。ハットやタムがしっかりとしたビートを刻んでいるものの、リズムはなぜか途切れがちで、それが妙に良かったり。タイトルは「小川」の意。アンディ・ウェザオールのリミックスを聴いてみたかった感じでしょうか。アルバム・タイトルのロカフェルテというのはエクアドルの都市キトの中心部にある通りの名だそうで、ラテン・アメリカとヨーロッパの音楽を古いも新しいもごった煮にした音楽性と関連づけたものらしい(キトは玉井雪雄『オメガトライブ』でイブ・L・ホークスが幼児期に虐待されていた街というイメージしかないんだけど……)


03 | Faye Webster - I Know I'm Funny Haha Secretly Canadian

2年前に『Atlanta Millionaires Club』(メッシー・テイストのジャケはかなり苦手)で頭角を現したシンガーソング・ライターによる4作目『I Know I'm Funny Haha(=私がヘンなのは知っているわよ草)』のタイトル曲。全体に前作とは異なったサウンド・メイキングで、カーペンターズみたいだったりもしつつ、いくつかの曲でコード進行などがけっこうフィッシュマンズを思わせる。佐藤伸治が生きていたら “A Dream With A Baseball Player” とかつくりそうじゃないですか。あー、ダラダラする。実に夏向き。10曲目の “Overslept(寝坊)” には〈カクバリズム〉からメイ・エハラが参加。今年、フィッシュマンズTを売り出したジャーナル・スタンダードが早くからコラボ・アイエムを手掛けていたり。


04 | Ground - Ozunu Chill Mountain

セカンド・アルバム『Ozunu』からタイトル曲。一時期のデリック・カーターを思わせるファニーなアシッド・ハウス。アルバム前半の8曲は荒廃したレイヴからクラウドをクラブへ呼び戻したイギリス産のアシッド・ハウス・リヴァイヴァル(=アンダーワールドの原液)を現代に着地させたような曲が並び、“追湯” 以降の4曲はその限りではない広がりを感じさせる。前作『Sunizm』(https://www.ele-king.net/review/album/006580/)と比較して明らかにスキルが上昇しまくりで、軽妙洒脱な展開にどんどん引き込まれる。聴けば聴くほど……的な良さが全開。南大阪の言い伝えや伝承にインスパイされたアルバムらしいけれど、それは一体どんな内容なのだろう。役小角とは何か関係があるのだろうか。


05 | Advanced Audio Research - Klɪŋ(ɡ)ɒn Not On Label

ミラノのブレイクコア、ジョルジオ・ディ・サルヴォによるニューEP「High Resolution Music」から2曲目。アシッドでドロドロに溶けてしまった陽気なダブ・テクノ。昨年のセカンド・アルバム『Top Secret』もブレイクコアからはかなり逸脱していたけれど、もはやその残響すら散見できず、後半でビートを刻んでいることさえ奇跡に思えてくる。“Ghost In The Shelter” とかタイトルもすでに溶け始め、バカなものの向こうにホーリーなものが立ち上がってくる境地はなんとも赤塚不二夫っぽい。


06 | Haile - Stay High With You Not On Label

オレゴンのインディー・フォークからセカンド・アルバム『The Bedroom Album』の5曲目。インスタグラムには雪景色の投稿が多く、ダークで閉鎖的な曲調がそれにぴったりマッチしているなか、これはさらにじっくりと陰キャを満喫したアシッド・フォーク。完全にトリップしていて、どうやって録音しているのかナゾだけど、プロセッシングは一切おこなっていないというのが信じられないほどエフェクティヴなオーガニック・サウンドに仕上がっている。グルーパー “Soul eraser” が極悪ノイズに思えてくる柔らかさ(それは言い過ぎ)。


07 | Mori-Ra - Lyon Forest Jams

大阪からマサキ・モリタによるリエディットもののデビュー・アルバム『Japanese Breeze』から12曲目(タイトル通りアルバム全体はシティ・ポップをダンス化したニューディスコがメイン)。Dサイドの3曲は少しコンテンポラリーな感触が強いなか、エンディングにあたる “Lyon” は爽快なトロピカル・ムードがなんとも感動的。ツルンとしてシャキッとしながらメロウにまみれた質感がなかなかです。サンプリング元はすべて日本のもののようで……(なので資料ナシ)。


08 | Fausto Mercier - Overcorp Infinite Machine

ハンガリーのオウテカによるニューEP「I’m Too Sentient」から1曲目。昨年、リリースしたフル・アルバム『FULLSCREEN』とはまったく別次元の内容に驚きつつ、オウテカやエイフェックス・ツインがかつて発揮していた幼児性を存分に楽しませてくれる。ドリルンベースというよりマーチのリズムをとにかく細かく刻んだというか(フィボナッチ数列を応用したとか)。なんでこういうのって飽きないんだろう。メキシコのレーベルから。


extra | 山口百恵 - 夜へ… Sony

なんか、この夏はサイプレス・ヒルと山口百恵ばかり聴いてしまう。山口百恵が77年にレゲエをやっていたり、矢沢に負けじとバリー・ホワイトを取り入れてたのねといったことを再発見しつつバック・カタログをすべて聴いていて、ジャズ・ベースが印象的な “夜へ” が頭から離れなくなってしまった。当時は “夢の恋人” のような甘酸っぱいポップスの方が好みだったのに、いつのまにか趣味は変わっているもんだなと。

LNS & DJ Sotofett - ele-king

 毎回そのリリースが多くのディガーたちを震撼させている、ダンス・ミュージックのレフトフィールドをひた走るDJソトフェット、そんな彼とここ数年コラボを重ねるカナダはヴァンクーヴァ出身の LSN こと、Laura Sparrow のコラボ・プロジェクトのファースト・アルバム。リリースは30周年を迎えるベルリン・テクノの牙城、驚きの〈TRESOR〉より。これが同レーベルのリリースというのも納得の、デトロイト・テクノやエレクトロへの偏愛をひしひしと感じる、なんというか体幹と骨格のしっかりしたテクノ・アルバムの傑作に仕上がっています。

 ソトフェットと言えば実兄のDJフェット・バーガーとともに、リンドストロームプリンス・トーマスらとともに2000年代中頃のノルウェイのディスコ~ハウス・シーンから現れた逸材で(よりアンダーグラウンドな存在ではありますが)。ハウス~ディスコ・レーベル〈Sex Tags Mania〉を中心にその傘下や派生レーベル、さらには周辺のレーベルを束ねたディストリビューター、〈Fett Distro〉などを運営。とにかく活動は多岐にわたり、兄弟ともにそのDJプレイを筆頭に、そのリリース、〈Fett Distro〉取り扱い商品にしても、もはや “オブスキュア” という言葉ですらも薄くにじんでしまうほどの、膨大なレコード・アーカイヴの音楽的背景に裏打ちされた、もう本当に絶妙なラインを攻めてくるそんな音楽性に溢れております。

 ソトフェットの音楽性をひとことでくくるのは本当に難しいのですが、一応、これまでのリリース・キャリア的にはハウスが中心にありながらも、強烈なアシッド・ハウスやエレクトロ、さらにはダブやダンスホール、トロピカルなジャズ、ときにライヴ・エレクトロニクスやドローンなどなど、とにかくさまざまなスタイルを節操なくリリース。そのあたり、どこか膨大な自身のライブラリーに「ないもの」を作っているような感覚ではないでしょうか。まさにディープなディガーだからこそ歩めるレフトフィールドが主戦場といった感じでしょうか。でも変過ぎて無視されるような部類ではなく、みんなが注目し続けて、そのリリースが突如としてシーンを動揺させ、ザワつかせる、そんな存在感を放っています。
 音楽性というところで言えば、どこにも属さない “外し” のジャンク~ローファイ感が生み出す強めのサイケデリアと、その名義なども含めたユーモラスな “抜け” の良さでしょうか。〈Honest Jon's〉からのリリースとなった実質の 1st アルバム『Drippin' For A Tripp (Tripp-A-Dubb-Mix)』(2015年)ではスペース・ロック的な電子音から、クンビアなどの要素も感じさせるトロピカルなハウスやディスコを展開していて、わりと彼の音楽性を知るには良い標本ではないでしょうか。といってもこれまたLPオンリーなので入手が……一応、彼の Bandcamp 〈SO-PHAT〉で作品を聴けないこともないですが、むしろ混乱をきたすような断片性が支配していて、そんなところも彼らしいのですが。

 対して LNS はエレクトロやアシッド・ハウスなど、初期のエレクトロニック・ダンス・ミュージックが持つ、チープなマシーン・グルーヴ/サウンドの虜といった感じでしょうか。わりとテクノやインダストリアル~実験的な電子音楽寄りのリリースを繰り広げるソトフェットのレーベル〈Wania〉にて、これまでソロ、コラボともにリリースしています。

 で、そんなふたりによるコラボ、これまでのリリースは4枚ほどあり(1枚はスプリット)、レトロなテクノへの思いを感じさせる、そんなリリースではありましたが、本作『Sputters』ではさらに一歩進み、前述のように本腰を入れてテクノへの偏愛を感じさせる作品となっています。簡素に打ち鳴らされるドラムマシンと最小限のシンセ・リフによる「これぞテクノ」な世界観を展開しています。ディープ・エレクトロニクス “Enter 323” の不穏な響きにはじまり、ドラムマシンの絶妙な音色変化と抜き指しでマシーン・グルーヴを醸し出し、シンセ・パットで深海を漂う “K.O. by E-GZR”、さらにこれまたドレクシア系のエレクトロがダブへと連結したような “El Dubbing”、そしてそのダブ感を引き継いだ骨太なミニマル・テクノ “Dúnn Dubbing”。このあたりのダブ感は、もはや使い古されてベタになってしまったベーシック・チャンネル由来のソレではなく、1990年代後半のハード・ミニマル勢、例えばUKのバンドゥールやスウェーデンのカリ・レケブッシュあたりを彷彿とさせる感じもあり、新鮮な響きがあります。
 インダストリアルでサイケデリックなエレクトロ “Vitri-Oil” や “Sputtering”、“Cellular Coolant” といった楽曲は、これまた “El Dubbing” と同様ドレクシアの影響を感じさせるサウンドで、その他ではカール・クレイグやそのUKのフォロワーたちのサウンドあたりを思い起こせる美しいテクノ “Shim” などなど、やはり本作には彼らのデトロイト・テクノへの偏愛を感じさせる音源が多い印象があります。彼ら “らしさ” が爆発している音源と言えば “The 606” で、ローランド TR-606 を売り払おうとした LNS をたしなめるために、その性能を引き出し作り上げた作品らしいのですが、エレクトロ・スタイルではじまり、後半のふんわりとサイケでアフロなディープ・ハウス感が重なっていくあたりは、ソトフェットのこれまでのハウス・サイドな作品のファンとしてはグッとくる感じではないでしょうか。

 どの曲に関しても、ドラムの打ち込みの妙技のグルーヴとミニマルな “量” をキープするシンセ、そしてエフェクトを含めたミキシングで聴かせてしまう、まさにテクノの “うまみ” が凝縮した作り。なんというかとにかくストレートにかっこいいテクノ・アルバムなんですね。どちらかと言えば、これまでの作品性を考えると LNS の音楽性にソトフェットが寄り沿った作品とも言えそうですが、よりチープなアシッド&エレクトロ色の強い、彼女のソロ作品を考えれば、やはりこのテクノ・サウンドはユニットの妙が出ていると考えるのが妥当でしょう。また、膨大な音楽的背景のなかから彼らがいま選んだ、絶妙な取捨選択の末に作られた作品であるというのは、これまでの作品を考えると明白で、彼らのこれまでのレフトフィールドなリリースを知れば知るほど、その活動総体にも唸らせられる、そんな作品でもあります。

interview with Emma-Jean Thackray - ele-king

 このたびデビュー・アルバムの『イエロー』をリリースしたエマ・ジーン・サックレイは、現在のサウス・ロンドンのジャズ・シーンにもリンクするアーティストではあるが、たとえばシャバカ・ハッチングス、ジョー・アーモン・ジョーンズ、モーゼス・ボイドなどのように、世間一般で言われるサウス・ロンドンのジャズ・シーンの文脈から登場してきたわけではない。そもそも彼女はヨークシャー出身で、ロンドンの音楽文化とは異なる環境で育ってきたし、サウス・ロンドン・ジャズ勢を多く輩出したトゥモローズ・ウォリアーズの外にいて、シャバカやモーゼスたちとはまた違う経路を辿ってロンドンへやってきた。
 サウス・ロンドンのグリニッジにはトリニティ・ラバン・コンセルヴァトワール(旧トリニティ音楽院)があり、エマはその大学院に通うためにロンドンにやってきたのだが、ペッカムあたりを拠点とするサウス・ロンドンのミュージシャンたちもこのトリニティ音楽院出身者が多く、エマはその方面で繋がっている。いずれにしても、サウス・ロンドンのカルチャーに属しつつも、その一方でアウトサイダー的な感覚も持つのがエマで、そうしたさまざまな多様性を持つミュージシャンが活動するのがまたロンドンらしいのである。

 トランペット奏者であり、ほかにもキーボードをはじめとしたさまざまな楽器を演奏するマルチ・ミュージシャン/プロデューサーでもあるエマは、これまで「レイ・ラインズ」(2018年)、「ウム・ヤン」(2020年)、「レイン・ダンス」(2020年)などのEPリリースで注目を集めてきた。また、マカヤ・マクレイヴンのミックステープの『ホエア・ウィ・カム・フロム』(2018年)やニュー・グラフィック・アンサンブルの『フォールデン・ロード』(2019年)、〈ブルーノート〉のカヴァー・プロジェクトである『ブルーノート・リ・イマジンド 2020』(2020年)への参加など、精力的に活動を行なっている。
 そんな彼女が満を持して発表した『イエロー』は、ドゥーガル・テイラー(ドラムス)、ライル・バートン(ピアノ、キーボード)、ベン・ケリー(チューバ、スーザホーン)たちとのライヴ・セッションを軸に録音を行ない、そこへエマの自宅スタジオで録音された演奏素材をミックス・編集したもの。演奏家としてのみならず歌も歌い、多重録音も含めたエマのマルチ・プロデューサーぶりが遺憾なく発揮された作品である。ジャズ、ファンク、アフロ、ゴスペル、ブロークンビーツのようなダンサブルなサウンドが融合され、宇宙や神秘世界をイメージさせるタイトルがつけられた楽曲群は、サン・ラーやファンカデリックなどのアフロ・フューチャリズム派の音楽性にも通じている。そんな『イエロー』の世界観と、そこに至るエマ・ジーン・サックレイの音楽人生について話を訊いた。

彼も独学で音楽を学んだミュージシャンだから、基本から外れた「間違った」演奏の仕方をするときもある。でも、だからこそ彼の音楽は面白い。自分の直感を信じていいんだと思わせてくれたのがギル・エヴァンス。

現在はロンドン南東部のキャットフォードに住んでいるあなたですが、もともとヨークシャーの出身ですね。この町はどんなところですか? 音楽ではブラスバンドの活動が有名と聞きますが。

EJT:文化的にはとても保守的な町で、あまりアート系の経験ができる場所じゃない。だから、アーティスト気質でちょっと変わっている私は、結構孤独を感じていた。いつも逃げ出したくて、町の外にでることを夢見ていたの。でも、あの町にいたから音楽の基盤が築けたのも事実。あなたの言うとおり、ヨークシャーではブラスバンドが有名だから、私もブラスバンドで演奏することで音楽の経験を積むことができた。あの経験があったから、ギターやドラムやほかの楽器にも興味を持つようになったんだと思う。ブラスバンド以外の音楽活動はひとりでやっていたから孤独だったけど、それが悪いことだとも限らないしね。自分自身の世界に浸ることもできたから。

小学校でコルネットを吹きはじめ、13歳の頃に地元のブラスバンドでリード・コルネット奏者となったそうですね。コルネットという楽器のどんなところに魅かれたのですか? また、ブラスバンドではどんなことを学びましたか?

EJT:キラキラしていたから(笑)。音も大きかったし、あとは単に学校にその楽器があったから。子供ってピカピカしたものや大きな音を出すものに興奮するでしょ(笑)?
ブラスバンドで学んだことはほかの人びとと一緒に上手く演奏すること。特に管楽器はひとりでも合ってないと耳障りなサウンドになってしまう。でも逆に全員が通じ合ってピッタリ合致して演奏すると、ものすごく美しくて優しいサウンドを生み出すことができる。自分自身のサウンドをほかの人たちと一緒に作り、演奏するということを学べたのはブラスバンドにいたおかげだと思う。

ブラスバンドの音源をいろいろダウンロードしている最中に、ギル・エヴァンスがアレンジしたマイルス・デイヴィスの “アランフェス協奏曲”(原作はホアキン・ロドリーゴ)を聴いて衝撃を受けたそうですね。この演奏が収録された『スケッチ・オブ・スペイン』(1960年)はスパニッシュ・モードによる歴史的作品で、マイルスとエヴァンスのコンビはほかにも数多くの名作を生み出すわけですが、彼らの音楽のどんなところに衝撃を受けたのでしょうか?

EJT:初めて聴いたときはほんとうに衝撃だった。私の人生を変えたと言ってもいい。私の音楽の世界の扉を開いてくれた。いま振り返ると、あのときこそが私の人生の方向性が大きく変わった瞬間だったと思う。それまで、ああいう音楽を聴いたことがなかったのよね。私の家族はメインストリームのポップスやロックを聴いていたし。あの音楽を聴いたときは、ものすごくイマジネーションが湧いた。そこからもっとそういった音楽を知りたいと思って、自分で探求していったの。お小遣いを持ってCDショップに行って、マイルスのアルバムを探したり、そのアルバムで演奏する別のアーティストの作品を見つけたら、それも聴いてみたり。すごく自然にジャズの世界が広がっていった。人にオススメを訊いたりはせずに、自分だけでジャズとの繋がりを深めていった。

皆と繋がってもいるんだけど、同時にまったく離れた場所に自分がいるとも感じる。私はサウス・ロンドンやその近辺で育った人とは同じ音楽システムを経験していないから。私はロンドン出身でないし、トゥモローズ・ウォリアーズにも行っていないのよ。だから自分がアウトサイダーとも感じる。

そうしたジャズの体験は自身の音楽へも深い影響を与えていったのですか?

EJT:最初は違った。最初はMIDIキーボードで制作をするようなもっとポップな音楽をやっていたから。あとはギターでニルヴァーナっぽいグランジ調の音楽を作ったり演奏したりしていた。だから、当時ジャズは全く作っていなかった。自分の中で結構区別化されていた。演奏だとトランペットでクラシックをやっていて、聴くのはジャズやプログレッシヴ・ロック、作るのはインディなポップスやギター・サウンド。ジャズっぽいものを作るようになったのはもっと後の話ね。

コルネットにはじまってほかにもいろいろな楽器をマスターし、また作曲や編曲も行なうようになるのですが、これらはどこか学校で学んだのですか? それとも独学でマスターしたのですか?

EJT:他の楽器は全て独学で学んだ。家や学校で音楽室が空いてたらそこを使ったりして。あとはとにかく音楽を聴いていたね。その音楽のドラム・ビートを聴いて覚えて、曲と一緒に叩いてみたり。ギターもそれと同じ。コード・チェンジも何にも知らなかったんだけど、まずは聴いて、その音が出せるようになるまでギターを弾いてみて、それにほかの楽器を合わせて弾いてみたりと。その過程はすごく楽しかったし、その方法だったからこそいろいろな楽器を演奏できるようになったんだと思う。一度コツを掴むと、どの楽器でもそれができるようになるから。

作曲や編曲、特にホーン・アレンジにおいてはやはりギル・エヴァンスの影響は大きいのでしょうか?

EJT:そう思う。彼も独学で音楽を学んだミュージシャンだから、基本から外れた「間違った」演奏の仕方をするときもある。でも、だからこそ彼の音楽は面白いわけよね。トランペットにトロンボーンを乗せようなんて、技術的にはやるべきじゃない。でも彼の音楽を聴いて、自分がやりたいことは何でも試してみていいんだということを学んだ。そのサウンドが素晴らしければ、そのまま残していいんだと。そういう意味で彼は、私自身の音楽を作っていいんだという自信をくれたと思う。自分の直感を信じていいんだと思わせてくれたのがギル・エヴァンス。

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今回意識的に参照しているのは、アリス・コルトレーンやPファンク、ジョージ・デュークなんかの1970年代のサウンドね。

ロンドンにはいつ頃出てきましたか? 進学か、またはプロ・ミュージシャンとして仕事をしていくなかでロンドンに住むようになったのですか?

EJT:ロンドンに来る前に、まずウェールズのカーディフに引っ越したの。18歳になった1週間後にヨークシャーを出た。その後2007年から2011年まで4年間カーディフに住んで、2011年からずっとロンドンに住んでいる。カーディフに引っ越したのはロイヤル・ウェールズ音楽演劇大学へ通うため。その後、ロンドンへはトリニティ・ラバン・コンセルヴァトワール(旧トリニティ音楽院)の大学院に通うために引っ越した。でも、16歳のときから既にセミ・プロとして音楽を演奏してはいたから、ロンドンに引っ越してからもすぐ音楽の仕事をはじめた。自分が住む場所でミュージシャンとして働くのは、私にとっては自然の流れなのよね。

最初のレコーディングはウォルラスというグループによる2016年リリースのEPですね。これはあなたのグループですが、どのようなバンドですか?

EJT:ウォルラスはそのころ私が一緒にトリニティ音楽院で学んでいた人たちや、音楽活動で知り合った音楽ファミリーのなかの人たちで作ったグループなの。音楽仲間ってお互い必要なときに演奏で参加したり、皆で声を掛け合って演奏したりするものよね。ウォルラスもメンバーも私のことをよく理解してくれる人たちで、音楽の趣味を理解し合える人たちだった。
 でも、もうウォルラスというバンドとしては活動していないの。いまは私の音楽は全て自分の名前でリリースして演奏している。バンドのショーでも、自分ひとりで作ったレコードも、オーケストラと一緒にやるショーも、内容は全て違うけれど私の頭のなかから生まれたもの。だから、区別化しないで全部私の名前にすることにした。分けたほうがマーケティングしやすいのにって言う人もいるんだけど、自分にとっては私が作ったものは全て繋がっているし、将来皆もそれらをひとつのものとして受け止めてくれたらいいなと思ってる。

そうしてソロ名義となってから、2018年にリリースした「レイ・ラインズEP」の表題曲がジャイルス・ピーターソンのコンピに収録され、あなたの名前はいろいろ知られるようになりました。ちょうどサウス・ロンドンのジャズ・シーンが注目を集めるようになった頃と重なるのですが、こうしたシーンにあなたも結びついているのですか? サウス・ロンドンのジャズにも関係しますが、ニュー・グラフィック・アンサンブルのレコーディングにも参加していたことがありますし、マカヤ・マクレイヴンのミックステープにヌバイア・ガルシアやジョー・アーモン・ジョーンズらと共にあなたの作品がフィーチャーされたこともあります。また、サウス・ロンドン勢が中心となった〈ブルーノート〉のカヴァー・プロジェクトで、あなたはウェイン・ショーターの “スピーク・ノー・イーヴル” をやっていたので、あなたとサウス・ロンドン・シーンの関係を聞ければと思った次第です。

EJT:たくさん関わっているとも言えるし、全く属してないとも言えるかな。トリニティ音楽院はサウス・ロンドンのグリニッジに校舎があって、サウス・ロンドンのペッカムあたりにいるミュージシャンたちのなかにはトリニティ音楽院に通っていた人たちも大勢いる。だから同じ時期に一緒に勉強していた人たちもいるのよ。学校で共通して学んだのはジャズだけど、皆アフロビートやダンス・ミュージックとかも好きで、そういった音楽への愛もシェアしてきた仲間たち。だから皆と繋がってもいるんだけど、同時にまったく離れた場所に自分がいるとも感じる。私はサウス・ロンドンやその近辺で育った人とは同じ音楽システムを経験していないから。私はロンドン出身でないし、ロンドンのアーティスト開発システムのトゥモローズ・ウォリアーズにも行っていないのよ。だから自分がアウトサイダーとも感じる。これはロンドンに限ったことではなく、子供の頃から何かに属していると感じたことはなかった。どのグループもしっくりこなくて、つねに輪の外にいた。前はそれに対して孤独も感じていたけど、いまではそれが良いことだと思えるようになってきた。

なるほど、そうした孤独感があったからこそ、あなたの音楽におけるアイデンティティの確立へと繋がっていったわけですね。昨年は「ウム・ヤン」と「レイン・ダンス」というEPをリリースします。「ウム・ヤン」ではラッパーでもあるサックス奏者のソウェト・キンチと共演していますが、演奏の軸となるのはドゥーガル・テイラー、ライル・バートン、ベン・ケリーですね。ベン・ケリーはウォルラスにも参加していましたし、ドゥーガルはあなたと一緒にニュー・グラフィック・アンサンブルのレコーディングにも参加していましたが、彼らは今回あなたがリリースするデビュー・アルバム『イエロー』の中心メンバーでもあります。彼らはどんなミュージシャンで、どのように交流を深めていったのですか?

EJT:ベンは私と同じヨークシャー出身なの。彼はまるで私の兄弟みたいな存在。ふたりともロンドンに越してくるまでは一緒には演奏したことはなかったんだけど、同じカルチャー・セミナー会社で音楽を教えていたから偶然顔を合わせる機会があって、「地元が同じだよね?」って意気投合して仲良くなった。
 ドゥーガルとはロンドンのトータル・リフレッシュメント・センターで出会ったの。トータル・リフレッシュメント・センターはレコーディング・スタジオやリハーサル・スタジオもあるミュージック・カルチャー・センターで、ドゥーガルはそこを拠点にヴェルズ・トリオっていうバンドで活動していたの。私はそのファンでもあったし、そのまま友達になった。私たちは好きな音楽も似ていて、もちろんジャズは好きだけど、「ジャズ・ノット・ジャズ」というか「ジャズじゃないジャズ」みたいな精神を持っていて、ダンス・ミュージックやロックも聴く。私たちの目標も同じだったから、テイストが似ているお互いの存在はとても重要だった。
 ライルについては、まずエリオット・ガルヴィンっていうトリニティ音楽院で知り合ったミュージシャンの話からはじめないといけないね。エリオットはダイナソーっていうジャズ・ロック・バンドのメンバーでもあったけど、ウォルラスや『レイン・ダンス』にも参加してくれていて、そうしていろいろと一緒に演奏していた。エリオットとのギグにライルも参加していたんだけど、エリオットが自分のプロジェクトやダイナソーの活動で忙しくてあまりセッションができなくなってきた。エリオットとはじめたプロジェクトだけど、エリオットが参加できないときにも継続して続けたいと考えて、そこでライルと一緒の演奏を増やすようになっていったの。そこからは段々とライルがセッションの中心になっていった。彼はすごく良い耳をもっていて、私が何をしようとしているかをつねに理解してくれる。私が考えていることがお見通しで、文字どおり何でもできるの。頼まれた音全てを演奏できる。彼は本当にオープンで、人としてもすごく良い人。つねにベストな音楽を作ることを心がけていて、様々な可能性を試し、良いものは何でも受け入れる。
 3人とも本当に素晴らしい。この3人に加えて、ライヴではパーカッショニストが加わる。クリスピン・ロビンソンっていうんだけど、このアルバムでも演奏してくれていて、ツアーでは彼がメインのパーカッショニストになる予定。彼ともトータル・リフレッシュメント・センターで出会ったんだけど、話しているうちにお互い近所に住んでるって気づいたの。

ベン・ケリーはチューバやスーザホーンを演奏するので、あなたの作品にはチューバ奏者のテオン・クロスが参加するサンズ・オブ・ケメットにも通じるところを感じます。テオン・クロスやシャバカ・ハッチングスたちとは交流はありますか?

EJT:知り合いではあるわよ。テオンは近所に住んでるし、シャバカとも顔を合わせることはある。ロンドンに住んでいるミュージシャンたちは、いろんな場で一緒になるから。でもいまはパンデミックだから、最近はあまりほかのミュージシャンに会ってないのよね。またギグがはじまったらもっと会うようになると思う。

ホーン・アンサンブルという点ではシーラ・モーリス・グレイやヌバイア・ガルシアらのネリヤにもあなたのサウンドとの共通項を感じさせます。ネリヤのドラマーのリジー・エクセルはウォルラスにも参加していたのですが、シーラやヌバイアたちとは何か交流はありますか?

EJT:シーラのことは直接的にはあまり知らない。同じ楽器を演奏するミュージシャンたちほど、逆に現場で一緒になる機会が少ないから。でも数回だけ会ったことがあって、すごく良い人だったのは覚えてる。ヌバイアはトリニティ音楽院で一緒だった。フェラ・クティの作品を演奏するプロジェクトで初めて出会った。彼女も私の近所に住んでるし。

トランペットや同系のコルネット、フリューゲルホーンを演奏するミュージシャンに限ると、ロンドンにはいま話したシーラ・モーリス・グレイやヤズ・アーメッドなど才能溢れる女性たちがいます。同じ楽器を演奏するプレーヤーとして彼女たちを意識するところはありますか?

EJT:ヤズと同じギグに出たことはないけど、数回会ったことはある。彼女も良い人だったし、話していてすごく面白かった。考え方が面白いのよね。でも、彼女たちを意識することはあまりない。皆演奏の仕方は違うし、それぞれが作る音楽も同じじゃない。トランペットとジャズという共通点以外は、皆それぞれ違う特徴を持っているから、同じフィールドと考えることがあまりないの。しかも正直なところ、私はいまとなっては自分自身をトランペット・プレイヤーだとさえ思っていない。今回のアルバムもヴォーカル曲が多いし、いろいろな活動をしているから「自分が何なのか?」と訊かれると答えるのは難しいけど、一言でと言われたらプロデューサーと答えると思う。

『イエロー』にはタマラ・オズボーンも参加しています。現在のロンドンのジャズ・シーンにおけるリード演奏の第一人者で、フリー・ジャズやアヴァンギャルドな表現をする一方でアフロ・バンドのカラクターも率いる彼女ですが、彼女とはどんな繋がりがあるのですか?

EJT:彼女は最高。いろんな場で一緒に演奏する機会があって、お互いを知るようになった。彼女って本当に素晴らしくて、どんな楽器のリクエストにも答えてくれる。そこに彼女の素敵な色を加えてくれるのがタマラ。今回のレコードではフルート、バリトン・サックス、バス・クラリネットなんかを演奏してくれている。私が彼女と一緒にやったギグでは、彼女はテナー・サックスやオーボエも吹いていた。本当に何でもできちゃうの。

次のレコードがテクノになる可能性も、アンビエントとかドローン・ミュージックになる可能性もあるというわけ(笑)。私はいつも、そのときに作りたいと思う音楽を作っているから。

『イエロー』には何か全体のテーマやコンセプトはありますか? “サン”、“マーキュリー”、“ヴィーナス” など宇宙や惑星をテーマにした作品があり、全体的には神秘的で抽象的なメッセージを持つ作品が並んでいます。宇宙というテーマもそうですが、“メイ・ゼア・ビー・ピース” のようなメッセージはサン・ラーの音楽観や哲学に通じるとこともありますが。

EJT:テーマは普遍的な一体感。私たちと宇宙の繋がりであったり、ちょっと1970年代のヒッピーっぽい世界観ね。「存在するもの全てはひとつ」みたいなヒッピーの考え方(笑)。それは私自身が感じていることだから、そうしたイメージが曲に出てくる。占星術とか、宇宙観とか。あとは人も動物も木も皆同じ存在物であるという考え方。私たちの間に違いはなく、私たちは大きなひとつの塊。それも私が表現したかったアイデアのひとつ。全ての存在がそれぞれの個性を持つけれど、元を辿れば私たち全ては皆同じもので作られている。だからその繋がりを皆で共有して祝福するべきだと思うし、その愛を感じるべきだということがこのアルバムのコンセプト。私は左派寄りで、前は右派寄りの意見にすぐ怒りを感じたりしていた。でもいまは怒り合い、反発し合うばかりでは何も解決しないことがわかった。お互い共通のものを見つけて、それに対する愛を共有しあうべきだと思うようになったの。

アフロやファンクを取り入れた “グリーン・ファンク” や “ラーフ&ケートゥ” はファンカデリックに通じるような部分を感じさせます。サン・ラーや彼らのようなアフロ・フューチャリズムの影響があるのかなと感じますが、いかがですか?

EJT:もちろん。特にPファンクなんかは大好きだし、ファンカデリックやアフロ・フューチャリズムの方法論も音の世界も大好きだから、絶対に影響を受けていると思う。特に “グリーン・ファンク” はそう。あのトラックは大麻について歌っているんだけど、プロモーターがその言葉を使って欲しくなかったから、タイトルを「グリーン・ファンク」にしたの(笑)。私はもう吸わないし、お酒も飲まないけど、私の人生の中で起こっていたことの一部だから曲にした。吸う人を批判もしないし、それに関しての私の考え方はオープンよ。

“アバウト・ザット” は1970年代前半のマイルス・デイヴィスのようなエレクトリック・ジャズで、ジャズ・ファンクの “マーキュリー” やメロウな “ゴールデン・グリーン” でのスペイシーなキーボードやシンセの使い方はハービー・ハンコック的でもあります。『イエロー』では彼らの音楽や演奏を参照したりしているところはありますか?

EJT:直接的にはしていない。そういうサウンドにしたいと意識していたわけではないから。でも、彼らの音楽は本当にたくさん聴いているから、私のなかに流れているんだと思う。だから自然に出てくるんでしょうね。マイルスは私にとっていちばん大きなインスピレーションの源だし、そこから完全に離れるなんてきっと無理なんだと思う。彼の影響があっての私だから。逆に今回意識的に参照しているのは、アリス・コルトレーンやPファンク、ジョージ・デュークなんかの1970年代のサウンドね。

“セイ・サムシング” はディープ・ハウス的なビートを持つ作風で、“ヴィーナス”、“サード・アイ”、“サン”、“アワ・ピープル” などはブロークンビーツとジャズの融合といった具合に、ダンサブルなリズムの作品が多いのも『イエロー』の特徴かなと思います。あなたの作品においてダンス・ビートはどのような意味を持っているのでしょうか?

EJT:そうなったのは自然の流れ。私が作りたいように音楽を作っていたらそうなったんだと思う。私自身がグルーヴィーな音楽を作るのが好きだから。たとえダンスに向いてない曲であっても、そこには必ずグルーヴがあるのが私の音楽なの。いちリスナーとしても、私はそういう音楽が好きだし。人を踊らせようと意識して曲を作ったことは一度もないけど、体が思わず動きたくなるような音楽は作りたいと思ってる。でも、それはクラブで踊れるような音楽である必要はなくて、踊らせることが目的になってしまうと、その意識からリミットができてしまうのよね。四つ打ちや決まったテンポを意識しないといけなくなるから。どんな種類にせよ、制限がかかると私は爆発しちゃう(笑)。誰かに指示されるのが好きじゃない性格だから、何かをしろと言われると敢えてその逆のことをしたくなる。例えば “ヴィーナス” や “セイ・サムシング” のテンポは、ダンスをするにはちょっと気持ちが悪いテンポだけど、それでもグルーヴィーなトラックであることには変わらない。だから曲に合わせて体は動くんだけど、クラブ向けではないのよね。

オルガンとコーラスとハンド・クラップをフィーチャーした “イエロー” はゴスペル的ですが、白人のあなたにとってブラック・アメリカンの音楽であるゴスペルはどのようなものですか?

EJT:大好きな音楽。素晴らしい音楽だと思うし、“イエロー” を聴いたら私がゴスペル音楽を聴くってことがきっとわかると思う。でも、ゴスペルっぽい曲を作ろうとして作ったわけではないの。私は人びとが同じ目的のために一緒に歌うというアイデアが好きだから、あのトラックではその要素を取り入れたというだけ。私はキリスト教信者ではないから、宗教への熱意は表現できない。それでも音楽への愛は皆とシェアできるし、大勢で共に表現できる。そういう意味で皆が一緒に歌を歌うというアイデアが大好きなの。この宇宙で私たちは皆同じでひとつだという一体感は、ゴスペルに通じるものがあると思うのよね。大勢で一緒に歌い、音楽への愛をシェアするというのは、このアルバムのテーマにとっても重要な要素だし。

なるほど、普遍的な一体感というテーマがゴスペル音楽と通底しているわけですね。では最後に、今後の活動予定やプロジェクトがあれば教えてください。

EJT:私はあまり予定を立てないタイプなのよ(笑)。できるだけ頭や体はオープンにしておいて、何かをやることにしっくりきたと感じたときにそれを実行できるようにしている。だから次のレコードがテクノになる可能性も、アンビエントとかドローン・ミュージックになる可能性もあるというわけ(笑)。私はいつも、そのときに作りたいと思う音楽を作っているから。次は何をしようとか、誰に向かって作ろうとか、あまりそういうことは考えない。つねに自分に正直でいて、自分に降りてくるものをインスピレーションに音楽を作るのが私の活動なの。

ツアーの予定はないですか?

EJT:ライヴは計画を立てるのが難しいのよね。このご時世だから、予定してもキャンセルになることもあるし。今年はいくつかフェスへの出演が決まっているから、それが無事に開催されることを祈っている。あと、ヨーロッパを周るショーもできたらいいな。来年になったらUKツアーはもちろんだし、アメリカや日本でもショーをやりたい。いまはとりあえず様子見。いきなりノーマルな世界に戻るのは無理だと思うから、ショーの数は少なくても、そのひとつひとつの内容を濃いものにしたいと思ってる。

Guedra Guedra - ele-king

 マイルス・デイヴィスのアルバムから命名した〈オン・ザ・コーナー〉というロンドンのレーベルがある。2013年の活動開始からこれまでに、マルチ・リード奏者のタマル・オズボーン率いるアフロ・バンドのカラクターや、その一員であるパーカッション奏者のマグナス・メータ率いるペーニャ、ドラマー/プロデューサーのニック・ウッドマンジーのプロジェクトであるエマネイティヴなどの作品をリリースしてきた。
 カラクターに代表されるようにアフリカ音楽やラテンなど民族色の強いジャズ、スピリチュアル・ジャズやフリー・ジャズにフリー・インプロヴィゼイション系が強い印象で、サウス・ロンドンのトゥモローズ・ウォリアーズ系のジャズ・サークルとはまた違う個性を放っているのだが、次第にイタリアのDJカラブやペルーのデンゲ・デンゲ・デンゲなど、ロンドンやUK以外の国のアーティストも扱うようになってきている。カラブやデンゲ・デンゲ・デンゲはプログラミングやエレクトロニクスを交え、ダンサブルなクラブ・サウンドを志向するDJ/プロデューサー・ユニットであるが、やはり民族音楽を主体とした音作りをするアーティストでもあり、そうした点で〈オン・ザ・コーナー〉の一貫したレーベル姿勢を感じる。

 今回〈オン・ザ・コーナー〉から『Vexillology(ヴェクシロロジー)』でアルバム・デビューしたゲドラ・ゲドラも、カラブやデンゲ・デンゲ・デンゲと同じ系統のアーティストと言えるだろう。ゲドラ・ゲドラの本名はアブデラ・M・ハッサクでモロッコ出身。現在もモロッコのカサブランカを拠点に活動するDJ/プロデューサーで、その名を広めたボイラー・ルームでのDJのときなど、おそらくモロッコのものだろうか、原住民の部族が被るようなお面をつけてプレイしていたりする(デンゲ・デンゲ・デンゲも同じようなマスクをつけているので、トロピカル・ベース系DJの間ではスタンダードなスタイルのようだ)。
 レコード・デビューは2020年の春で、やはり〈オン・ザ・コーナー〉から「サン・オブ・サン(太陽の息子)」というEPをリリースした。南アフリカ発祥のゴムのようなアフロ・ハウスから、クラップ・クラップやデンゲ・デンゲ・デンゲなどに通じるトロピカル・ベース~フットワーク系のサウンドが注目を集めたのだが、ゲドラ・ゲドラの場合は自国のルーツ音楽であるグナワを取り入れたもので、そこに自らのアイデンティティを表現していた。その後、残念ながらコロナ禍によって以前のようなDJ活動ができなくなってしまったようだが、そうしたなかで『ヴェクシロロジー』は制作され、先行シングルとなる “ホエン・アイ・ラン” に続いてリリースとなった。リリース後、最近になってDJツアーも再開するようだ。

 『ヴェクシロロジー』とは旗章学のことで、国、地域、民族、氏族などの象徴である旗や紋章などを体系化する学問である。DJのときにつける部族のお面もそうだが、民族音楽の上に成り立つゲドラ・ゲドラらしいネーミングである。
 祈祷のようなエキゾティックなヴォイスを散りばめたフットワークの “セヴン・ポエツ” にはじまり、土着的で素朴な味わいの笛の音色がトライバルなビートに絡む “スタンプド・ステップ” など、恐らくフィールド・レコーディングスや民族音楽のレコードから採取されたであろう素材を、サンプリングやビートメイキングにふんだんに取り入れた音作りがおこなわれている。“Cercococcyx” はオナガ・カッコウのことを指す学名で、民族色の強いコーラスとエキゾティックなメロディによるアフロ・ハウスとなっている。アルバムのなかで “ジ・アーク・オブ・ザ・スリー・カラーズ” は比較的アンビエントな色彩が強い曲だが、その哀愁漂う独特のメロディや歌声はバレアリックというよりも、むしろマグレブと呼ばれる北アフリカ地域におけるイスラム教の礼拝をイメージさせるものだ。
 同様にビートレスの “ベルベル・イズ・アン・エイリアン” はマグレブの先住民族であるベルベル人を描いた曲。有名なところではサッカー界のジネディーヌ・ジダンやカリム・ベンゼマなどもベルベル人だが、そもそも古代ローマ人が北アフリカの異邦人を指す蔑称として用いた言葉がベルベル人である。サッカーの世界もそうだが、現在でも人種差別や民族差別は根強く残っており、そうした象徴として「ベルベル人はエイリアン」というタイトルに皮肉を込めて用いたのかもしれない。美しい曲調とは裏腹に、そうしたメッセージ性も感じさせる作品だ。

Sound Patrol - ele-king

ロボ宙 - TODAY
Last Moments - Last Moments NOW (edit)
Search of MANY

EL-QUANGO(元キング・オブ・オーパス)が立ち上げた新レーベルより、Sigh Society(90年代から活動しているベテランのテクノ・プロデューサー、ハゼモト キヨシ)の曲をネタにしたという、2曲を収録した7インチ。1曲はベテラン・ラッパーのロボ宙をフィーチャーしたグルーヴィーな“TODAY”、もう1曲はLast Moments名義でのインスト。90年代初頭の明るいフィーリングのベースとビートがたっぷりで、とくにLast Moments名義の“last moments NOW (edit)”は夏にぴったりのトロピカル・サウンド。オススメです。


DJ Yoda featuring Nubya Garcia and Edo G - Roxbury
Lewis Recordings


https://djyoda.bandcamp.com/album/roxbury-instrumental

ロンドンのスクラッチDJのヨーダとUKジャズを代表するサックス奏者ヌバイア・ガルシアによるコラボ作で、これまた90年代初頭のグールーあたりを彷彿させるジャジー・ヒップホップ・スタイル。ガルシアのソロ演奏もハマってて格好いいです。


TSVI - Sogno
Nervous Horizon


https://nervoushorizon.bandcamp.com/album/tsvi-sogno-ep

ダンスホール・テクノの話題盤。ロンドンのレーベルからイタリア出身の主宰者による5曲入り。削ぎ落とされた音数とリズムで、かなりのところまで連れていってくれる。NYのパイソンに似ているかもしれないけれど、こちらにはグライムが入ってますね。


PYTKO - Save My Day
Phantasy Sound


https://pytko.bandcamp.com/album/save-my-day

ポーランド生まれロンドン在住のPYTKOのデビューEPは、パイソンのリミックスを収録。とはいえこのヴァージョンは、レゲトンでもダンスホールでもない、無重力のダビー・ドリーム・ポップ。これが後期フィッシュマンズを蒸留したかのようなサウンドで、日常に戻るのが嫌になります。オリジナル曲からして徹底してドリーミー。


Kodama And The Dub Station Band -
もうがまんできない / STRAIGHT TO DUB (DUB VERSION)
Pヴァイン

夏だ、レゲエだ。怒りの夏だ。ライヴでお馴染みの名カヴァーがついにスタジオ録音されてヴァイナルでリリース。みごとな録音と演奏です。それにしても、世論調査で小池支持が半数以上とはなんたることか。がまんできないと思っている人がこの事態においても少数派だとしたら、日本の未来は明るくはないね。

Khalab And M’berra Ensemble - ele-king

 イギリスやフランスはかつてアフリカに植民地を作っていたこともあって、アフリカからの移民やその子孫が多く住んでおり、アフリカ音楽が広まる土壌を作っている。ロンドンのジャズ・シーンにアフリカ音楽の要素が多分に感じられるのもその表われのひとつであるし、フランスであればマヌ・ディバンゴやトニー・アレンといったキー・パーソンが居住し、アフリカ音楽を広めていった。こうした具合に西ヨーロッパの国々には、程度の差はあってもいろいろな場面にアフリカ音楽が入り込んでいる。
 イタリアの場合はイギリスやフランスに比べてアフリカ系人種の比率が低く、アフリカ音楽の影響をそれほど受けた国ではないが、それでも民族音楽を主体とするレーベルがあったり、ジャズやラテン~ブラジル音楽を介してアフリカ音楽が入り込んできた歴史がある。ピエロ・ウミリアーニのようにアフリカ音楽を題材にライブラリーや映画音楽を作る作曲家もいた。地理的に見ればイタリアは地中海を挟んで北アフリカや中近東と接していて、アフリカ北部から地中海を渡ってきた難民を受け入れている。とくに2010年代以降は移民が年々増加傾向にあり、グローバル化が進んでいるようだ。

 こうしたグローバル化はイタリアの音楽にも影響を及ぼし、クラップ・クラップのようなアフリカ、ラテン、東南アジアなどの民族音楽を大きく取り入れたクリエイターを生んでいる。そのクラップ・クラップとも近い関係にあるのがDJカラブ(本名ラファエル・コスタンティノ)である。
 ラジオDJからスタートしたカラブは昔からアフリカ音楽に強い興味を抱いており、ローマでアフリカをテーマにしたイベントを開いてきた。エチオピアン・ジャズの大家であるムラトゥ・アスタトゥケをイベントに招いたこともあるし、マリ共和国のシンガーであるババ・ソシコもゲスト出演し、それをきっかけに『カラブ&ババ』(2015年)という共演アルバムもリリースした。『カラブ&ババ』はクラップ・クラップの『タイー・ベッバ』(2014年)などとともに注目を集め、トロピカル・ベースという言葉も生んだ作品のひとつだ。
 サウンド・クリエイターとしても注目を集めるようになったカラブは、クラップ・クラップの作品をリリースする〈ブラック・エイカー〉からビート・テープや、そのクラップ・クラップをフィーチャーした『ティエンデ!』(2015年)というEPをリリースしていく。その後、〈オン・ザ・コーナー〉からリリースした『ブラック・ノイズ2084』(2018年)はシャバカ・ハッチングスやモーゼス・ボイドら南ロンドンのジャズ勢と共演した実験的な作品集で、カラブなりに解釈したアフロ・フューチャリズムを披露している。

 こうしてカラブは「アフロ・フューチャー・ビート・シェイク」とか、「エレクトロ・シャーマン」と呼ばれる存在となっていったのだが、このたび新作の『ムベラ』をピーター・ゲイブリエル主宰の〈リアル・ワールド〉から発表した。
 『ムベラ』は西アフリカのマリ難民キャンプに避難する音楽家集団との共演となっている。マリ共和国と国境を接するモーリタニアの難民キャンプのムベラでこのアンサンブルは生まれた。マリ共和国は1960年のフランスからの独立後、軍事独裁政権と反抗勢力との衝突が長い間続いており、中でも砂漠の遊牧民であるトゥアレグ族による反政府闘争が大きな広がりを見せていた。2012年のクーデターで反政府勢力のアザワド独立宣言が出されたが、その紛争で多くの難民が発生し、難民キャンプやヨーロッパへの避難が行われた。
 こうした難民キャンプでは音楽やダンス、演劇などのワークショップが開かれ、避難生活で荒む人々の心の癒しとなってきた。トゥアレグ族とアラブ人からなるムベラ・アンサンブルも難民に寄り添ってきた存在だ。カラブとムベラ・アンサンブルとの接点がどこで生まれたのかはわからないが、恐らくはババ・ソシコからの仲介もあると考えられるし、またイタリアへのマリ難民が間に入っているのかもしれない。
 そして、このプロジェクトはイタリアのINTERSOS(インターソス)という非営利人道援助組織のサポートを受けている。インターソスの活動はいろいろあるが、難民支援や難民キャンプの運営なども含まれており、『ムベラ』もその活動と連動している。

 ムベラ・アンサンブルは全部で18名ほどの集団で、トゥアレグ族とアラブ人のほかにイタリア人ジャズ・ドラマーのトマッソ・カッペラート(彼は『ブラック・ノイズ2084』にも参加していた)やカラブの音楽仲間のDJナフなども含まれる。録音は2017年5月にモーリタニアで行われ、2019年9月から2020年9月の1年ほどの間にカラブとナフがローマのスタジオでミックス作業をしている。モーリタニアでカラブはDJもやっていたようだが、そうしたなかでフィールド・レコーディングスを通して持ち帰った素材をもとに、スタジオ・ワークでエレクトロニクスを介して再構築するというプロセスを経て『ムベラ』は完成した。
 トゥアレグ族の音楽と言えばティナリウェンが有名だが、エレキ・ギターとアフリカ固有の打楽器のコンビネーションによるサウンドが特徴で、俗に砂漠のブルースとも呼ばれる。近年も砂漠のジミ・ヘンとの異名をとるムドウ・モクターが活躍しているが(彼はニジェール共和国に住むトゥアレグ族出身)、ムベラ・アンサンブルもこうしたトゥアレグ族ならではの音楽を持つ。“ウィ・アー・ムベラ”はそうしたムベラの声明文的なナンバーで、トゥアレグ語によるメンバーの声が録音されている。男と女、若者や老人など様々な声だ。“スキット・イン・マイ・ハート”は一種のコーランのような歌で、イスラム教に属するこの地域の宗教観が色濃く出ている。一方で“レステ・ア・ロンブレ”にはフランス語によるアジテーションが流れ、フランス語とトゥアレグ語が共用語となるこの地域の文化的背景が伺える(ティナリウェンもフランス語とトゥアレグ語の両方で歌う)。“レステ・ア・ロンブレ”の楽曲自体はテクノ調のダンサブルなナンバーで、カラブのDJならではの持ち味が出た1曲だ。

 “デザート・ストーム”はマリ、モーリタニア、ニジェール、セネガル、ナイジェリアなど西アフリカのサヘル地域の自然や環境をイメージした曲。サハラ砂漠の南に位置するこの地帯は厳しい環境下にあって、近年は砂漠化の危険が叫ばれており、アルカイーダとISLの対立など政治や治安も不安定である。こうした環境下で人びとは音楽と言葉によって伝統や教訓、情報などを紡ぎ、“ザ・グリオ・スピークス”のような楽曲が生まれる。グリオとは西アフリカで古来より続く世襲制の伝統伝達者で、祈祷師や吟遊詩人のような存在である(ユッスー・ンドゥールやババ・ソシコもグリオの家系出身)。
 一方、“ザ・ウェスタン・ガイズ”とはカラブら西欧人のことを指すのだろうか。トゥアレグ族のギター・サウンドと西欧音楽ならではの重たいファンク~ロック・ビートが融合した楽曲である。“カーフュー”はギターとパーカッションの素朴なアンサンブルに始まり、次第にエレクトロニクスが加わってミニマルなビートを刻んでいく。フォー・テットとスティーヴ・リードのセネガル録音となる『ダグザール』(2007年)を思い起こさせるような楽曲だ。
 “ムーラン・シュクール”もエレクトロニクスが大きく導入された楽曲で、トゥアレグ語のコーランのような歌と独特のエキゾティックなメロディーがフィーチャーされる。やはりフォー・テットがプロデュースしたことで知られるシリアのオマール・セレイマンに通じるような楽曲だ。
 “ダンシング・イン・ア・デザート・ムーン”はレフトフィールド・ディスコの極致とも言うべきアフロ・ビート・ハウスで、トゥアレグ族の音楽が持つ舞踏性とも繋がっている。そして、まさに砂漠のブルースという言葉がふさわしい寂寥感に満ちた“スキット・ギット”でアルバムは締めくくられる。全体的に見ればカラブのエレクトロニクスは前に出過ぎることなく、トゥアレグ族の音楽が持つ本質を見事にとらえ、そして現在の音楽シーンにうまくアップデートした作品集となっている。

Fimber Bravo - ele-king

 トリニダード・トバゴ共和国を発祥とするスティールパンは、19世紀半ばに民族楽器として誕生し、主にカリプソをはじめとしたカリビアン、ラテン、レゲエなどの世界で使われてきた。そして1960年代頃から世界中に広まり、カリビアン・ミュージックにとどまらないさまざまなジャンルの音楽で用いられるようになっている。日本ではヤン富田がその普及者として知られ、細野晴臣、リトル・テンポ、上々颱風から武満徹にいたるさまざまなアーティストが用いている。

 海外に目を向けるとトリニダード・トバゴ本国はもとより、その旧宗主国であるイギリスはじめ、フランス、スペイン、オランダなど西ヨーロッパ諸国に広く普及している。イギリスでは1970年代半ばにトゥエンティス・センチュリー・スティール・バンドが登場し、スティールパンとファンクやソウル、レゲエをミックスしたサウンドで一世を風靡した。彼らの1975年のアルバム『ワーム・ハート・コールド・スティール』に収録された “ヘヴン・アンド・ヘル・イズ・オン・アース” はサンプリング・ソースとしても有名だ。
 トゥエンティス・センチュリー・スティール・バンドはロンドンに住むトリニダード・トバゴ系の移民9名からなり、ドラム以外は全てスティールパンという異色の編成だった。通常であれば鍵盤楽器・管楽器・弦楽器などが入ってメロディーや旋律を演奏するのだが、さまざまな音色のスティールパンが全てそれをやっている。そのメンバーのひとりがフィンバー・ブラーヴォである。トゥエンティス・センチュリー・スティール・バンドはアルバム2枚を残して解散してしまうが、その後もフィンバーはソロ・アーティストとして活動を続けている。

 フィンバーは1990年に自身のレーベルの〈ブラーヴォ・ブラーヴォ〉を設立し、『ソカ・ピクチャーズ』(1990年)や『スモール・トーク』(2004年)などのアルバムをリリースしている。『スモール・トーク』はセネガル出身のコラ奏者のカディアリー・クヤテとのコラボ作で、「ワールド・ミュージック」の分野でも高く評価された。
 一方でミッキー・ムーンライトの『アンド・ザ・タイム・アクシス・マニピュレーション・コーポレーション』(2011年)への参加はじめ、クラブ~エレクトロニック・ミュージック方面のアーティストとの共演もいろいろおこなうなど、民族音楽の伝統に基づいた演奏だけではないスティールパンの可能性を広げることにも意欲的だ。〈モシ・モシ〉からリリースした『コン・フュージョン』(2013年)にはミッキー・ムーンライト、ホット・チップとそのコラボレーターであるトム・ホプキンス、日本からロンドンに移り住んで活動するゾンガミ(向井晋)、オプティモやナム・ガボのユニットで活動するジョニー・ウィルクスとジェイムズ・サヴェージらが参加し、エレクトロなベース・ミュージックとスティールパンを全面的に融合した内容となっている。現在のトロピカル・ベースにとってフィンバーはとても重要な存在となっているのだ。

 その『コン・フュージョン』から8年ぶりとなる新作が『ルナー・トレッド』である。これまで共演してきたカディアリー・クヤテ、ゾンガミ、ホット・チップのアレクシス・テイラーのほか、ゾンガミと共に前衛サイケ・バンドのヴァニッシング・ツインのメンバーであるキャシー・ルーカス、ガレージ・ロック・バンドのザ・ホラーズのメンバーであるトム・ファーズ、エクスペリメンタル・ジャズ・バンドのジ・インヴィジブルのドラマーであるレオ・テイラー、レゲエやジャマイカン・ジャズ界のシンガーのカッティー・ウィリアムズ、セネガル出身のパーカッショニスト&ドラマーのママドゥ・スターなど多彩な面々が参加する。これまでの活動の集大成とも言える内容で、スティールパンや土着的なアフロ~カリビアン・リズムと、エレクトリックで先鋭的なアプローチが融合し、さらにサイケやロック、エクスペリメンタル・ミュージックなどまでがメルティング・ポット状態となった実験的な作品となっている。

 呪術的なポエトリー・リーディングにはじまり、インダストリアルで荒々しいハウス・ビートと軽やかなスティールパンが結びついた “キャント・コントロール・ミー” は一種のプロテスト・ソング的な要素も持つ。コズミック・ディスコの “タブリ・タブリ” などはムーディーマンのスティールパン・ヴァージョンと言えるかもしれない。カディアリー・クヤテのコラとコラボした “ハイヤー・マン”、アフリカのハイ・ライフを現代的に再構築した “ウーンヤ・ワー” など、今回のアルバムはダンサブルな楽曲が目につく。古来カリブやアフリカの音楽は祝祭や舞踏、そして戦いのために生まれてきたものであり、社会や生活、政治とも強く結びついているのだが、フィンバーの根底にもそれは流れていることを示している。
 ベーシック・チャンネルのようなダブ・テクノとジャズとの出会いである “コール・マイ・ネーム” では即興的なスティールパン演奏があり、フィンバーの前衛的な姿を見せてくれる。“シンゴ” や “カリビアン・ブルース” のようにシンプルで牧歌的なナンバーがある一方、“F・パン・ランディング” や “カミング・ホーム” ではレゲエやトリッピーなダブにアプローチする。ピースフルで穏やかなムードから徐々にダンサブルなビートが紡がれていく “カミング・ホーム” は、フィンバーの音楽の真骨頂ではないだろうか。そして表題曲の “ルナー・トレッド” はアルバム中の静を象徴する作品で、瞑想的な世界を作り出していく。ここでのスティールパンの音色は非常に神々しく宗教的でさえある。

Brijean - ele-king

 1970年代風のジャケットのアートワークや『フィーリングス』というタイトルを含め、ブリジャンはドリーミーでロマンティックなスタイルを追求するアーティストだ。カリフォルニアのオークランドを拠点に活動する彼らは、ダグ・スチュアートとブリジャン・マーフィーという男女ふたりからなるユニット。
 ベーシストのダグ・スチュアートは、エンジョイアーというジャズ・ロック・バンドに参加するほか、昨年は『ファミリア・フューチャー』というソロ・アルバムをリリースしている。セッション・ミュージシャンとしてもベルズ・アトラス、ルーク・テンプル、ジェイ・ストーン、メーナーなどの作品に関わってきた。
 パーカッション奏者兼ドラマーのブリジャン・マーフィーは、カリフォルニア大バークレー校の仲間で結成したジャム・ロック・バンドのウォータースライダーを経て、セッション・ミュージシャンとして活動してきた。エレクトロ・ポップ~ディスコ・ユニットのプールサイドはじめ、トロ・イ・モワU.S.ガールズのレコーディングやツアーなどをサポートしている。

 ブリジャン・マーフィーがいろいろなミュージシャンと仕事をしていくなか、ダグ・スチュアートと出会って意気投合し、2018年にふたりのコラボレーションとしてブリジャンがはじまった。ユニット名が表わすようにシンガーでもあるブリジャン・マーフィーをフロントに立て、それをベースからキーボード、プログラミング機材などをマルチに扱うダグ・スチュアートがプロデュースして支えるという格好だ。そして、2019年初夏にファースト・アルバムの『ウォーキー・トーキー』を地元オークランドの〈ネイティヴ・キャット・レコーディングス〉からリリース。プールサイドにも共通するトロピカルなテイストが特徴的で、ブリジャン・マーフィーのパーカッションがラテン的な哀愁を加えていく。
 一方、彼女のコケティッシュな歌声にはヨーロッパ的なアンニュイさがあり、そうしたUS西海岸ともラテンともヨーロッパともつかない無国籍感、キッチュさやいかがわしさがブリジャンの魅力だと言えよう。ハウスやディスコなどのエレクトリック・ビートを用いながらも、パーカッション使いに見られるようにオーガニックな質感を湛えており、サンセット・ビーチが似合うバレアリック・サウンドの一種と言えるものだった。

 それから約1年半ぶりのニュー・アルバムが『フィーリングス』である。今回は〈ゴーストリー・インターナショナル〉からのリリースで、2020年夏に先行シングルとして “ムーディー” が発表された。“デイ・ドリーミング” や “パラダイス” などのタイトルはまるでフェデリコ・フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニなど昔のヨーロッパ映画的なネーミングで、ミュージック・ビデオもソフト・サイケな作りとなっている。こうした白日夢のような甘美な佇まいは、トロ・イ・モワのチルウェイヴ期の傑作アルバム『コウザーズ・オブ・ディス』(2010年)や『アンダーニース・ザ・パイン』(2011年)の世界を思い起こさせる。これらのアルバムにはビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』(1966年)にはじまって、モリコーネなどイタリア映画のサントラの影響も詰まっていたので、ブリジャンについてもその影響下にあると言えるかもしれない。

 トロピカル・ムードに包まれた “オーシャン”、スロー・テンポのボサノヴァ曲 “ラサード・イン・ゴールド” などはまさにサントラやライブラリー・ミュージックの世界。“デイ・ドリーミング” はカテゴライズすればハウスになるが、キーボードの音色は1970年代のムード音楽とかジャズ・ファンクのようで、アンドレア・トゥルー・コネクションのディスコ・クラシック “モア・モア・モア” (1975年)あたりが下敷きになっているのではと思わせる。
 ジャズ・ファンク調の “ワイファイ・ビーチ” に見られるように、演奏がしっかりしている点もブリジャンの特徴だ。スローモー・ディスコの “パラダイス” ではストリングスも交えた秀逸なアレンジを見せる。そして、“フィーリングス” に象徴されるように、ブリジャン・マーフィーの歌声はとことんフワフワとして掴みどころがない。歌声を楽器の一部として用いていて、ムード音楽やサントラなどにおけるスキャットと同じ効果をもたらしている。ロマンティクでドリーミーな “ヘイ・ボーイ”、ジャジーな夜の雰囲気に包まれた “ムーディー” などダンサブルなディスコとラウンジをうまく結びつけるところは、かつてのフレンチ・タッチのなかでもお洒落でサントラ的な音作りに長けていたディミトリ・フロム・パリスの『サクレ・ブリュ』(1996年)を思い起こさせる。

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