「ZE」と一致するもの

Rian Treanor - ele-king

 アフリカおそるべし。近年アンダーグラウンドで蠢動しつづけ、この2020年、一気にその存在が爆発した感のあるアフロ・テクノ。グライムともスピード・ガラージとも形容された前作『ATAXIA』で斬新なサウンドを呈示したUKのプロデューサー、ライアン・トレイナーもみごとその流れに乗っている。
 ちなみに、彼の名前の発音は「ライアン・トレイナー」が正しい。2019年末の来日時、直接本人に確認した。いわく、「アイルランド系の名前なんだけど、イギリスの学校にいたときでさえおれの姓を正しく発音できたやつはいなかった」(原口美穂訳、以下同)
 と、じつは去年、彼に取材する好運に恵まれたのだけれど、こちらの準備不足がたたり、うまく記事にまとめることができなかった。せっかくの機会なので以下、そのときの彼の発言も盛りこみながら書き進めてみたい。

 のっけから速すぎてびっくりする。冒頭 “Hypnic Jerks” は、これ、拍を倍でとってもまだ踊りづらいんじゃないだろうか。足でリズムを追ったら貧乏ゆすりになることまちがいなしなので、オフィスや電車で聴くときは注意したほうがいい。
 きっかけは2018年の9月。ウガンダの首都カンパラを訪れニゲ・ニゲ・フェスティヴァルに出演、4週間のレジデンシーを務めたライアンは、当地のプロデューサーたちと交流し大いに霊感を得ることになる。同フェスを主催する〈Nyege Nyege Tapes〉はタンザニアの高速ダンス・ミュージック、シンゲリを世に紹介したレーベルだ(詳しくは行松陽介によるレヴューを参照)。
 「あのフェスはクレイジーだった。アフターパーティをハリウッドっていう小さなバーでやったんだけど、ジェイ・ミッタ(Jay Mitta)、スィッソ(Sisso)、エラースミス(Errorsmith)、それからザ・モダン・インスティテュート(The Modern Institute)、そのみんなでDJをして、全員が速い曲をプレイしたがった。最終的に 220bpm とかになってさ(笑)。みんな超クレイジーになってた(笑)。めちゃくちゃ楽しかったし、あんな状態これまで見たことがなかった。だから、次の日にあのミックス(『FACT mix 672』)をレコーディングしたんだ。あの夜がインスピレイションになっているんだよ」
 かくしてまんまとシンゲリの魅力にとりつかれたライアンは、そのモードのまま新作の青写真となるトラックを制作。昨年末の来日ツアー中に最後の仕上げを終え、この『File Under UK Metaplasm』が生み落とされることになった(たしかに、WWWβでのショウはめちゃくちゃ速かったし、本作収録の “Hypnic Jerks” や “Metrogazer” もプレイされていたような覚えがある)。

 ただし新作は、シンゲリのみを武器に突っ走っているわけではない。リズムはほかのスタイルと折衷されている。たとえば3曲目や6~8曲目はダンスホールだし、4曲目はフットワークだ(カンパラ滞在時、うっかりジェイリンを 225bpm でかけてしまったところ意外に良かったんだとか)。リズムを練るとき彼は、「非左右対称なもの」を意識しているという。「たとえば4/4拍子は左右対称の構成。でも、リズムのなかにはパターンはあっても不規則なものもある。心臓の鼓動でいう不整脈とおなじ。ようは一定ではないものってこと」
 そこに、“Mirror Instant” の場合はロレンツォ・センニガボール・ラザール風の点描的な電子音が、“Opponent Process” や “Orders From The Pausing” の場合は90年代末ころのオウテカを思わせる上モノが乗っかっている。「オウテカとか、〈Planet Mu〉の作品のような風変わりなエレクトロニック・ミュージックからは大きな影響を受けてるよ」と彼は明かす。音楽のテイストにかんしては、父マーク・フェルからの影響も大きいという。ようするに、シンゲリとダンスホールとアヴァン・テクノの奇蹟的なアマルガム、それがこの『File Under UK Metaplasm』なのだ。
 ところで、タイトルにある「メタプラズム」ってなんやねんと思いググッてみると、「語音変異」なる訳語がヒットする。「新しい」はもともと「あらたしい」だったとか、秋葉原はもともと「あきばはら」だったとか、どうもそういうことばの変化を指しているらしいので(間違ってたらスンマセン、言語学に詳しい方教えて)、おそらく「メタプラズム」とは、シンゲリをダンスホールやUKテクノと混合し独自に変容させた今作の、音のあり方をあらわしているのだろう。
 「おれは、大衆性のあるサウンドとパンチの効いたサウンドの両方をつくりたい。たとえば、ダンス・ミュージックってだけで(じゅうぶん)人びとがエンジョイできる音楽ではあると思うんだけど、おれはそこにディストーションだったりスクリーミングだったり、そういうサウンドを入れたくなる。じぶんにとってはそれが聴こえのいいサウンドなんだ。そういったパワフルなパンチの効いたサウンドが大きなサウンドシステムから聴こえてくるのはすごくかっこいいと思う。だから、両方を混ぜ合わせたものをつくりたいんだ」
 ライアン、安心してほしい。この『File Under UK Metaplasm』では、リズム面でも音響面でも、まさにその願望が達成されているから。

 しかし、〈Planet Mu〉の快進撃はすさまじい。かつての『Bangs & Works』のときもそうだったけれど、一度波に乗るともう止まらないというか、スピーカー・ミュージックといいイースト・マンといい本作といい、今年は驚くべき作品がぽんぽん出てきている。25周年を迎えてもアグレッシヴな姿勢を崩さないレーベルなんて、そうそうないんじゃなかろうか……というわけで、12月25日発売の年末号にはレーベル主宰者マイク・パラディナスのインタヴューを掲載しています。
 アフリカだけじゃない。〈Planet Mu〉もまたおそろしいのだ。

Various - ele-king

 86年冬に忌野清志郎がロンドンで『レザーシャープ』をレコーディングしていた時、ベースが途中でブロックヘッズのノーマン・ワット・ロイからマッドネスのマーク・ベッドフォードに交代した。『レザーシャープ』のためにコーディネイターのカズさんが用意したバンドはブロックヘッズにドラムだけトッパー・ヒードン(クラッシュ)という組み合わせで、出所してきたばかりのトッパー・ヒードンが目の前をうろうろするだけで緊張していた僕はさらにマーク・ベッドフォードまで来たかと思い、あわわという感じでスタジオの隅に退散し、なるべく小さくなっていた。マッドネスは解散したばかりで、ラスト・シングルはスクリッティ・ポリッティのカヴァー“Sweetest Girl”。それこそつい半年前にオリジナルよりもヒットしていたばかりだった。

 マーク・ベッドフォードは翌年、レザーシャープスのメンバーとしても来日し、その模様はライヴ盤の『Happy Heads』として残っている(ちなみにトッパー・ヒードンは出国が許可されなかったためドラムスはブロックヘッズのチャーリー・チャールズに交代)。マークは清志郎の女性スタッフたちに受けがよくてステージでも楽屋でも同じように明るく、15歳の時から始めたバンドが解散したばかりとは思えなかった。イギリスに戻ってからはどうするのだろうと思っていたのだけれど、なんのことはない、彼はバターフィールド8とヴォイス・オブ・ビーハイヴという2つののバンドをすぐにもスタートさせ、B~52sやマリ・ウイルスンがリヴァイヴァルさせたビーハイヴ・ファッションをトレードマークとした後者は普通にポップ・バンドとして成功し、ハービー・ハンコックのカヴァー・シングル“Watermelon Man”でデビューしたバターフィールド8も軽妙洒脱なジャズ・ユニットとしていきなりプレスから高評価を得ることとなった(マッドネス解散後にザ・ファームのマネージャー業へと転じたヴォーカルのサッグスとはかなり命運を分けたというか)。ザ・スミスのレトロ志向を真似たのか、エリザベス・テイラーが娼婦役を演じたヴィンテージ映画のタイトルにちなむバターフィールド8は、マーク・ベッドフォードがマッドネス同様2トーン所属にしていたヒグソンズのテリー・エドワーズと組んだデュオで、いまとなってはアシッド・ジャズの先駆だったとされるものの、どちらかといえば過剰にスタンダードを志向し、<ラフ・トレード>や<チェリー・レッド>といった80年代のポップスがよりどころとしていた過去の遺産を再定義しようとするものだった。こうして僕はテリー・エドワーズの存在を知ることとなった。この男が、そして、とにかくよくわからない男だった。

 アルバム1枚で終了してしまったバターフィールド8の後、僕がテリー・エドワーズの名前を再び目にしたのは彼のソロ・デビューEP「Plays The Music Of Jim & William Reid」で、タイトル通り、“Never Understand”などジーザス&メリー・チェインの曲をカヴァーしまくる内容だった。これは受けた。ギターのフィードバック・ノイズをすべてピヨ~ピヨヨ~とホーンで模倣し、なんともアブノーマルなポップに変換していた(リード兄弟も気に入ったみたいで、後に『Munki』でエドワーズがホーンを任されている)。それだけでも充分なのに彼は次の年、セカンド・アルバムからガロン・ドランクの正式メンバーとなる。ガロン・ドランクは絶頂期を迎えていたレイヴ・カルチャーなどものともしないパンカビリーのバンドで、これが異常にカッコよく、来日公演ではオルガンをまるでノイズのように演奏しまくったせいか、スーサイドと比較する声も出たぐらいだった。タイマーズのボビー(ヒルビリー・バップス出身)にも薦めたところ「これはロカビリーじゃないですよ、パンクですよ」と言いながらけっこう気に入っている様子だった。うらぶれたムードを強調し、大量の酒を飲むというネーミングながら、実は彼らはとてもインテリで、一時期はリーダーのジェイムス・ジョンストンとテリー・エドワーズはドイツのファウストも兼任しており、このメンバーで来日もしている。そう、テリー・エドワーズにはその後もエレクトロニック・ミュージックに手を出したり、ノー・ウェイヴの女王リディア・ランチとバンドを結成するなどアヴァンギャルドな側面も多々現れることになる。レゲエ・バンドを組み、単なるポップスのアルバムや映画音楽、後にはブロックヘッズにも再結成のタイミングで加入し、マーク・ベッドフォードとは2010年代に再びジャズのスタンダードを演奏するニア・ジャズ・エクスペリエンスを復活させもする(エイドリアン・シャーウッドが全曲リミックス)。多面的すぎてほんとによくわからない。表現の核がないとも言える。しかし、僕が彼にいつまでもこだわる理由ははっきりしている。彼が96年にシングル・カットした“Margaret Thatcher, We Still Hate You”という曲名に驚かされたからである。「マーガレット・サッチャー、オレたちはまだあなたを憎んでいる」。1分ほど怒鳴り散らしているだけで大した曲ではない。これが、しかし、ブリット・ポップやフレンチ・タッチに浮かれていた時代にはぐさっと来た。アルバム・タイトルが『My Wife Doesn't Understand Me(妻はわかってくれない)』とか『I Didn't Get Where I Am Today(いまは自分を見失っている)』、さらには『Yesterday's Zeitgeist(時代遅れ)と、問題意識がかなり身近なところで完結している人なのに、そういう人が口に出す“サッチャー憎し”はインテリが口に出すそれとはレヴェルが違う怒りに感じられた。竹中平蔵を憎み続ける氷河期世代に通じるものがあるというか。

『Very Terry Edwards』はヒグソンズから始まる彼の経歴を混乱したまま、いや、より混乱させるために3枚組にまとめたコンピレーションで、60歳を記念して60曲入り。セッション・ミュージシャンとして参加してきたラッシュやロビン・ヒッチコック、あるいはフランツ・フェルディナンドやジミ・テナーなど、“そんなことまでやってたの”的な曲が網羅され、Discogsにも載っていない曲の数々がこれでもかと掻き集められている(ジュリアン・コープやPJ・ハーヴィーなど見つけやすい曲はカットしたとのこと)。音楽のジャンルという意味ではなく、一応、テーマとしてCD1は「ビーフハート&ブリストル」、CD2は「スペース・エイジ」、CD3は「フォーエヴァー・パンク」という“感覚”で分けられているという(うむむ……まったくわからなかった)。ザ・フォールやマイルス・デイヴィスのカヴァーEPのことはファンならよく知るところだけれど、グレン・マトロックのバンドに参加していたとか、ヒューマン・リーグまでカヴァーしてるとは知らなかった(前述の“Never Understand”を含むカヴァー曲だけのコンピレーション『Stop Trying To Sell Me Back My Past』も別にリリースされている)。パンク、ジャズ、オーケストラ、スカ、シューゲイザー、ブルース、電子音楽、ファンク、ソウル、クラウトロック……エンディングはピザの配達をやっていた3人組によるスリック・シクスティのトロピカル・トリップ・ホップ。“Margaret Thatcher, We Still Hate You”も収録されている。これはいってみれば作家があちこちに書き散らした文章を1冊にまとめたもので、書き下ろしだとか連載をまとめた類いとはまったく違う。つまり、入門編ではないし、ましてやテリー・エドワーズは一体、何がやりたいのかと一度でも首を傾げたことがない人には無縁の長物だろう(ほんとに長いし)。しかも、「一度でも首を傾げた」人はこれを聞いてさらに首を傾げる回数を増やすだけで、見えてくるのは彼のあがきや、華麗なのか無様なのかよくわからないセッション・ミュージシャンの生き様ぐらいだろう。ずば抜けた才能がない人間は他人の夢に力を貸して生きるしか創作の現場に残ることはできない。ここにあるのは飛び散った自分の断片で、しかし、それを集めたところで自分が再生されるわけでもない。それでもテリー・エドワーズはこれをつくることにしたわけだし、彼の作業を遠くから見守っていたジョン・レイトという音楽関係者がいて、テリー・エドワーズが1回1回のチャンスに全力で取り組んでいた姿を記録したかったのである。エレキングでカール・クレイグやスリーフォード・モッズのことを書いていたジョン・レイトから僕がこの企画のことを聞かされたのは20年近くも前のことだった。その間に40周年も50周年も過ぎて、60周年になっちゃったんだなあ。ジョン、お疲れさまでした。

New Order - ele-king

 いまから20年後の未来では、音楽ファンはこう振り返るでしょう。「ああ、2020年の最悪な年にはニュー・オーダーが“ビー・ア・レベル(Be a Rebel)”を発表したっけ……」。ニュー・オーダーの5年ぶりの新曲、まあ、ずいぶん話題になりました。多くのリスナーのなかにNOには少なからず熱い思いがあるからでしょう。で、その熱い曲のミュージック・ヴィデオが公開されました。これもまた、シュールかつ暗示的な、なかなかの力作です。また、限定アナログ12インチが12月4日(金)に発売されます。こちらには、バーニーとステファンによりリミックス・ヴァージョンが収録されます。

[YouTube] https://youtu.be/JOoyPT6RoF4
[LISTEN & BUY] https://smarturl.it/nobar

■以下はレーベルからの資料より

 ミュージック・ヴィデオはスペインのNYSUが制作し、バンドは次のように述べている。

“マドリードのNYSUには、「レストレス」(最新アルバム『ミュージック・コンプリート』収録)のミュージック・ヴィデオを以前作ってもらったんだけど、彼らの映像に対するイマジネーションには僕らバンドも心底感銘を受けていたんだ。今回「Be a Rebel」で再び彼らとタッグを組んだんだけど、インスピレーションあふれる独特の美的感覚で独創的なヴィデオを作ってくれました”


 コロナ禍の影響により発売が延びていたアナログ12インチは、12月4日(金)に発売が決定した。この12インチには、オリジナルの他、バーナード・サムナー、スティーヴン・モリスのリミックスなど全4曲が収録されている。またバーナード・サムナーのリミックス「Be a Rebel (Bernard’ s Renegade Mix)」は、adidas Spezialとのコラボレーションで使用された曲のオリジナル・ヴァージョン。

[adidas Spezial CF/ YouTube]
https://bit.ly/3mvGsTg

 「タフな時代だからこそ、この曲をみんなに届けたかったんだ。ライヴはしばらくできないけれども、音楽は今なお私たちみんなで分かち合えるもの。楽しんでもらえると嬉しい……また会える日まで」──バーナード・サムナー

 本来この曲は、今年秋に予定されていた彼らのツアーに先駆けて発売される予定だったが、そのツアーは2021年に延期され、それでも困難な時にこの曲を発売することの意義をバンドが感じて発売に至った。また、今年3月に予定されていたジャパン・ツアーは、コロナ禍の影響により2022年1月に実施される。(https://www.creativeman.co.jp/event/neworder2020/)

「反逆者になろう 破壊者じゃなくて」と歌われるこの高揚感あふれる曲は、このタフな時代においてわれわれ自身を祝い、いま持っているものに感謝しようというメッセージが込められている。その歌詞の対訳は以下の通り。

■「ビー・ア・レベル」(Be a Rebel)歌詞対訳
https://trafficjpn.com/news/nobar/

■ジャパン・ツアー日程
大阪 2022年 1月24日(月) ZEPP OSAKA BAYSIDE
東京 2022年 1月26日(水) ZEPP HANEDA
東京 2022年 1月28日(金) ZEPP HANEDA
制作・招聘:クリエイティブマン 協力:Traffic
https://www.creativeman.co.jp/event/neworder2020/

■商品概要(アナログ12インチ)
NOBAR Insta Square 3.jpg
アーティスト: New Order
タイトル: Be a Rebel
発売日:2020年12月4日(金)

― Tracklist ―
A1. Be a Rebel
A2. Be a Rebel (Bernard’ s Renegade Mix)
B1. Be a Rebel (Stephen’ s T34 Mix)
B2. Be a Rebel (Bernard’ s Renegade Instrumental Mix)

[BUY] https://smarturl.it/nobar

■最新オリジナル・アルバム『ミュージック・コンプリート』(2015年)まとめ
https://bit.ly/1FHlnZJ

■ニュー・オーダー バイオグラフィ
https://trafficjpn.com/artists/new-order/

Kruder & Dorfmeister - ele-king

 クルーダー&ドーフマイスターとはジョイントの高級ブランド名ではない、オーストリアはウィーンのふたり組、90年代の音楽におけるとっておきのカードだ。彼らがシーンに登場したのは1993年、マッシヴ・アタックの『ブルー・ラインズ』(ないしはニンジャ・チューンやモ・ワックス)へのリアクションだった。サイモン&ガーファンクルによる名作『ブックエンド』のジャケットのパロディ(だからふたりの名字を名乗ったのだが、実際リチャード・ドーフマイスターがアート・ガーファンクルに似ているので、パっと見た目は『ブックエンド』と間違えそうになる)を意匠にしたそのデビューEPのタイトルは、モーツァルトからシューベルトと歴史あるクラシック音楽の街に似つかわしいとは思えない「G-Stoned」。そう、ガンジャ・ストーンド。Gは、彼らが住んでいた通り名の頭文字でもあるのだが、しかしもっとも重要なのは、どこまでもメランコリックな『ブルー・ラインズ』に対して、「G-Stoned」はとにかく至福の一服だったということである。

 欧州において音楽教育がとくにしっかりしている言われているウィーンのふたりは、トリップホップと呼ばれるスタイルではさまざま音楽を混ぜ合わせることができるというその可能性を早くから理解していた。「G-Stoned」のわずか4曲には、従来のトリップホップの主要要素であるヒップホップ、ファンク、ソウル、ダブやハウスに加えて、映画音楽やラウンジ音楽、そしてジャズやブラジル音楽の美味しいところも加えてある。のちに本人たちは「1日中吸っているのに飽きたから音楽を作った」などとうそぶいているが、本当のことを言えば彼らは友人のレコード・コレクションをサンプリングしまくり、そして綿密な構成を練って職人的なミキシングを施して(クルーダーはすでにスタジオで働いていた)作品を完成させたのだった。それは、同じようにサンプルデリックな傑作であるDJシャドウの『エンドロデューシング』の暗さやDJクラッシュの「Kemuri」のストイシズムともまったく対照的なサウンドの、自称“オリジナル・ベッドルーム・ロッカーズ”による完璧なデビューEPだった。未聴の方は、ぜひ“Hign Noon”から聴いて欲しい。

 が、しかしK&Dは、その後ミックスCDを出してはいるが、コンビでのオリジナル作品発表はすぐに途絶えてしまい、90年代半ばからはそれぞれがそれぞれのプロジェクトで作品を制作する。リチャード・ドーフマイスターは、ルパート・フバーとのToscaを始動させると、「Favourite Chocolate」や「Chocolate Elvis」、あるいは『Opera』や『Suzuki』といったヒット作を出しつつ、ここ数年はそれほど話題にならなかったとはいえ現在にいたるまでコンスタントに活動を続けている。いっぽうのピーター・クルーダーは、90年代にピース・オーケストラという名義で素晴らしいアルバムを2枚リリースしている。
 ちなみに90年代のジャケット・デザインにおいて個人的にベストだと思っているのが、ピース・オーケストラのファースト・アルバムだ。世界で唯一、(肌色のジャケットに)絆創膏の貼られたレコード/CDであるそれは、ラディカルなユートピア思想がなかば感傷的に表現されているとしか思えないという、ぼくにとっては哲学的と言えるアートワークだった。こればかりはアナログ盤の見開きジャケットでたしかめないと、その衝撃はわからないんだけれど。

 いずれにしても、ダンス・ミュージックを愛するリスナーにとってK&Dは立派なリジェンドなのだが、なんと……、そう、「なんと!」、1993年のデビュー以来27年目にしてのファースト・アルバムが先日リリースされたのである。で、そのタイトルは『1995』、日本人の感覚で言えば意味深くも思えるが、これはチルアウト黄金時代の年を指しているそうで、アルバムに収められた14曲は当時彼らが録音したDATからの発掘をもとに手を加えられたものらしい。まあ、再結成して新たに録音した代物ではないようだ。とはいえ、27年目のファースト・アルバムであることに違いはない。

 ロバート・ジョンソンのレコード(おそらく78回転の10インチ盤)をサンプリングした“Johnson”からはじまる『1995』は、K&Dの魅力を、もうこれ上ないくらいに絞り出している。肩の力の抜けたレイジーなグルーヴの魅力──K&Dはいつだって安モノのせこい品をまわしたりしたりはしなかったが、ここでも極上のストーナービートと気の利いたサンプリング(ラロ・シフリンからアントニオ・カルロス・ジョビンなど)がエレガントなミキシングによって展開されている。たとえば“Swallowed The Moon”や“Dope”などは、これこそチルアウトって曲だし、“King Size”にいたっては……たしかにぶっといものを口にくわえてるときのメロウなウィーン流のダブかもしれない。
 意外なところでは、13分にもおよぶ“One Break”がある。寒い冬の夜明け前のようにダークな曲で、リズムはいつものヒップホップ・ビートからドラムンベースへと展開する。クローサーのアンビエント・トラック“Love Talk”も彼らの試行錯誤の記録だろう。いろいろとやっていたんだなと。懐かしくもあり、グローバル・コミュニケーションの『76:14』がそうであるように、いま聴くと新鮮でもある。ただひとつ言えるのは、『1995』は思いも寄らぬ贈り物だということ。いまはもう寒い冬だけれど、1995年のように、意味もなくただただ愛を感じながら寝そべってみるのもいいかも、と思ったりもする。ピース・オーケストラの見開きジャケットが描いたあの凄まじい、あの時代ならではの光景は、現代では到底あり得ないのだろうけれど。


interview with Richard H. Kirk(Cabaret Voltaire) - ele-king

 ドイツ人のフーゴー・バルがチューリヒにダダイズムの拠点として〈キャバレー・ヴォルテール〉を開店したのは第一次大戦中の1916年のことだったが、イギリス人の当時18歳のリチャード・H・カークがシェフィールドでスティーブン・マリンダーとクリス・ワトソンの3人でキャバレー・ヴォルテールなるバンドをはじめたのはロックがますます拡張しつつあった1973年のことだった。そもそもキャブスは、イーノが提言する〈ノン・ミュージシャン〉の考え(楽器が弾けなくても音楽はできる)に共感して生まれたミュージック・コンクレートのガレージ版だった。テープ・コラージュ、そして電子ノイズとドラムマシンとの交流によってスパークするそのサウンドが、やがては“インダストリアル”と呼ばれることになるものの原点となる。
 それから歳月は流れ、リチャード・H・カークがキャバレ-・ヴォルテールの26年ぶりのアルバムをリリースするのはコロナ禍の2020年11月のこととなった。ほかの2人はとうにバンドを離れている(ワトソンは録音技師。マリンダーは大学の教職)。いまや、というか20年以上前からキャブスはカークのユニットになっているし、カークはいまもシェフィールドで暮らしている。

 キャブスにとっては、サーカスティックな楽器演奏よりも機械じみた単調なビートのほうが、煌びやかな音色よりもノイズのほうが、こ洒落たカフェよりも灰色の廃墟のほうがスタイリッシュで魅力だった。そうした美学/コンセプトを守りながら、時代に応じてそのサウンドを変えてきたキャブスだが、喜ばしいことに新作『Shadow Of Fear』においてまたあらたな局面を見せている。聴いて思わず、ワォって感じである。つまり、音が鳴って1分後にはその世界に引きずり込まれているのだ。初期のざらついたサウンドコラージュに強力なインダストリアル・ファンクが合体したそれは、ひと言で言えばパワフルで、圧倒的だ。26年ぶりに駆動したエンジンは、錆びていないどころか、むしろ活動休止前よりも、烈しく回転している。
 リズムの根幹にあるのはエレクトロやテクノだが、アルバムにおいてブラック・ミュージックからの影響が伺えることは、キャブスの新作を聴くにあたって興味深かった。1曲目の“Be Free”などは“Nag Nag Nag”をシカゴ・ハウスに落とし込んだかのようだし、最後の曲“What's Goin' On”は、その曲名からも70年代ソウル/ファンクのキャブス版とさえ言える。つまり、ディストピアを描いてはいるが、『Shadow Of Fear』は素晴らしくエモーショナルだったりするのだ。
 彼に電話した坂本麻里子さんよれば、取材中は苦笑いが多く、いかにも北部人らしいアイロニーとペーソスが感じられたとのこと。要するに、あんま偉そうなことは言わないし、尊大でもない。それがまあ、インダストリアル・サウンドのゴッドファーザーの言葉なのだ。

あからさまなスローガンをやるのは自分はごめんだ。なにもかもが政治的なんだしね……。ただ、いまの状況の在り方というのは……人びとも政治を意識せざるを得なくなっているんだと思う。

もしもし、カーク氏ですか。

リチャード・H・カーク(RHK):やあ!

今日はお時間いただきまして、ありがとうございます。

RHK:どういたしまして。

まずはアルバムの完成とリリース、おめでとうございます。

RHK:うん。

ソロ名義でも長らく活動され、なおかつご自身のレーベル〈Intone〉からは多数の名義での作品を出されているあなたが、26年ぶりにキャバレー・ヴォルテール名義でのアルバムを出すとは嬉しい驚きでした。

RHK:ああ、それはよかった。君が作品をエンジョイしてくれたらいいなと思っているよ。

はい、とても楽しんでいますので。

RHK:そうか、それはいい!

(笑)で、2014年にベルリンのフェスティヴァルで行われたキャバレー・ヴォルテールの12年振りのライヴが契機となったそうですが、もはやオリジナル・メンバーがひとりとなったキャブスと、あなたのソロ活動との違いについて、どのように考えていたのですか?

RHK:フーム、まあ、かなり区別しにくいってことももたまにある。ただ、今回の作品に関しては……主にキャバレー・ヴォルテールとして作ったね。というのも、いま言われたように、2014年以来、わたしは毎年ライヴをやってきたし、1年ごとにキャバレー・ヴォルテール向けのライヴ・セットをアップデートし続けていたんだ。で、その結果として3時間にのぼる新たなマテリアルが、純粋にキャバレー・ヴォルテールとしての音源が手元に集まった、と。キャバレー・ヴォルテールとして、ステージ上で、実際に生で演奏してきた素材がね。
 ただ、この話題についはあまり長く引きずりたくないな。というのも、この点(キャバレー・ヴォルテール名義を用いること)について自己正当化をやる必然性は感じないから。実際、キャバレー・ヴォルテールの他のメンバーの2名は……うちのひとり、クリス・ワトソン、彼は1981年にやめてしまったんだし(苦笑)──

(笑)大昔ですね。

RHK:(笑)そう、その通り。だから彼はまったく関与していない。それにもうひとりのスティーヴン・マリンダー、彼も1993年にはバンドをやめている。というわけで、自分の立ち位置を正当化しようとするのは自分にとって意味のないことだ、ほとんどそれに近い思いをわたしが抱いているのはどうしてかを君にも理解してもらえるはずだよ。それに、彼ら2名が関わるのをやめて以降の歳月のなかで、わたしは旧カタログの再発や(ゴホッ!と咳き込む)リミックス制作といった諸作業をこなしてきたし……キャバレー・ヴォルテールの過去全体を管理監督してきたんだよね。
 だから、この段階に進むのは自然なことと思えた──いやもちろん、このプロジェクトをライヴの場で再び提示することに興味を惹かれた、というのはあったよ。でも、わたしはこれまでキャバレー・ヴォルテールのキュレーションを担当してきたわけで……とにかく思ったんだよ、(「すまないね」とゴホンと咳き込みつつ)……となれば、次のステップとして理にかなっているのは、過去に留まるのはもうやめにして新たなレコーディング音源をいくつか作ることだろう、と。その結果生まれたのが『Shadow Of Fear』というわけだ。(ゴホゴホッと咳き込む)

1曲目の“Be Free”を聞いたときに、正直感動しました。紛れもなくキャブスの音でしたし、しかも、そのリズムにはフレッシュで力強いモノを感じました。

RHK:なるほど。

また、ナレーションのカットアップがありますよね。部分的に聴き取れる「I did it, I killed it, by mistake(俺はやった。間違えて殺した)」「This city is falling apart(街が崩れ落ちていく)」といった言葉があって、ディストピックなイメージをもたせながら──

RHK:うん、思うにあれは……おそらくあれは、偶然ああなったのかもしれないし、あるいはもしかしたら自分には……なにかが起こりつつある、そうわかっていたのかもしれない。で、ほら、我々はいまやああいうディストピア的な立場に立たされているわけだろう? ブレクジットがあり、そしてミスター・トランプが登場し……そのアメリカは、(苦笑)あと4年も彼につきあわされるかもしれない、と。

それは考えたくないです。

RHK:どうなるかわかないとはいえ、実に憂鬱にさせられる。それにヨーロッパでは──日本に行ったことはないけど、あちらではウイルス禍を越えたようだよね? でも、こちらでは……いままさに……本当に、何千人もが日々感染している状態で、病院のベッドが足りなくなるかもしれない。要するに、コロナ禍の初期段階のイタリアがどうだったか、という状態に戻りつつあるということだよ。一方、イギリスでは、政府が……やれやれ(苦笑)、英政府はこれにどう対処すればいいかさっぱりわかっていないらしくて。無能だね(苦笑)。

ええ……。で、先ほどの質問の続きなのですが、暗いムードに抗うように「be free」という前向きさ/楽天性を仄めかすような言葉がミックスされる。強度のあるビートのなか、相反するふたつのヴィジョンが衝突しているかのようなこの1曲は、今回のアルバム全体を象徴しているように思うのですが、いかがでしょうか?

RHK:うん、それは非常にいい解釈だよ! ただまあ、わたしはあまりはっきりとさせたくない方だし(苦笑)──

ですよね。

RHK:それよりも、聴いた人間がそれぞれに解釈し、自分自身で判断してもらう方が好きなんだ。そうした解釈の方が、(苦笑)わたし自身が言わんとすることよりもはるかに興味深いことだってときにあるからね。わたしのやっていることというのは、実のところ、「ムード」を作り出しているに過ぎない。そうやって、雰囲気であったりテーマめいたものを設定しようとトライしているし、その上で、それがどこに向かっていくかを見てみよう、と。

今作を制作するうえでのあなたのパッションの背景にはなにがあったのでしょうか? ひとつは、とにかく新しいキャブスを2020年代に見せることだと思うのですが──

RHK:もちろん。

テーマであったりコンセプトを決めるうえで、あなたにインスピレーションを与えたものになにがありますか?

RHK:(ゴホンゴホンと咳き込む)失礼……あー(と、言いかけて再び激しく咳き込む)。

大丈夫ですか?

RHK:水を飲み過ぎて……あー、そのせいで(盛んに咳払いしながら)喉がいがらっぽくなってしまったな……ウイルスに感染してはいないはずなんだが(苦笑)。

咳が落ち着くまで、少し待ちましょうか?

RHK:いや、大丈夫だ、続けよう! で……そう、インスピレーションはなにか?という質問だったよね。んー、わからない。

はあ。

RHK:(苦笑)。だから……作っていくうちになにかが浮かび上がってきた、としか言いようがないというのかなぁ。先ほども言ったように、素材の多くはライヴ・ショウ向けに作り出したものだったわけで、それは本当に、非常に……実に剥き出しの未加工な状態であって、いま、君がアルバムとして耳にしているものほど聴きやすくて、磨かれたものではなかったから。
 というわけで、このプロジェクトのそもそものインスピレーションは、ライヴ・パフォーマンスのために作り、書いたコンポジション群をCDなりヴァイナル・アルバムの形で何度でも繰り返し聴くことのできるものに作り変えよう、というものだったんだ。したがって、その素材からなにかを取り去る一方で、特定のヴォイス群を始めとする様々なディテールをそこにつけ足していく、という作業になった。でも……うーん、「ああ! そう言えばこれにインスパイアされたっけ」といった具合に、この場でちゃんと君に答えられるようななにか、それは本当に、とくにないんだ。

なるほど。いや、特定したくないということであれば構いませんのでお気になさらず。

RHK:いやだから、言えるのは……直観にしたがって作った、ということだね。ほとんどもう……スタジオに入った時点で、自分はなにをすべきかがわかっていた、みたいな? ただし、その直観がどこからやって来たのか、その出どころは自分でもわからない、という(苦笑)。

(笑)あなたにはシャーマンや霊媒みたいなところもあるのでは?

RHK:ん~~? うん……まあ、その考え方はあんまり間違っていないかもしれない。とにかく自分自身の意識のなかで起きていること、そしてその次元を越えたところで起きていることとチャネリングしているだけだし……で、それらを自分以外の他の人びとも理解し、そのなかに飲み込まれることのできるなにかへと翻訳していこうとしている、という意味ではね。

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で、ほら、我々はいまやああいうディストピア的な立場に立たされているわけだろう? ブレクジットがあり、そしてミスター・トランプが登場し……

あなたは昨年9月のPOP MATTERSの取材で、「I think it's more necessary now to be politicized(いまはより政治化することが必要だと思う)」と語っていますが、時期的に、おそらくは、それは今作を作っているときのあなたのスタンスでもあったと思います。先ほどもおっしゃっていたように、キャブスはこれまで政治に関しては直裁的な表現よりも、仄めかしであったり、リスナーに考える契機やテーマを与えるみたいなやり方をしてきましたが、今作では政治的な意識がより強く出ているとみていいのでしょうか?

RHK:どうなんだろう。自分じゃわからないな……だから、作品をダイレクトに政治的なものにするか云々に関しては、ずいぶん前に決めたからね──たとえば、70年代後期にはザ・クラッシュのような、政治的なスローガンをがんがん掲げるバンドがいたけれども、それよりもむしろもっと、自分は影響を与える、あるいは暗示することを通じてそれをやろう、と。わかるかな?

はい。

RHK:うん。あからさまなスローガンをやるのは自分はごめんだ。なにもかもが政治的なんだしね……。ただ、いまの状況の在り方というのは……人びとも政治を意識せざるを得なくなっているんだと思う。だからまあ……(嘆息して苦笑)ヒトラーが政権をとってナチス・ドイツが生まれた頃のようなものだ、と。ヨーロッパからブラジルに至るまで、非常に右翼思想の強い連中が存在しているし。

世界中にいますね。

RHK:うん、どこにでもいる。というわけで、その状況は……だから、(ゴホゴホと軽く咳き込む)ほら、生涯ずっとファシズムに対して憎しみを抱えてきた自分のような人間とっては……それこそ、(苦笑)「義務だ」とでも言うのかなぁ、この現状に抵抗・対峙しようとするのは! というのも、そうなったらいずれどうなっていくかを我々はもう知っているんだし。たくさんの人間が死ぬことになり、人びとは服従させられながら生きることになる。

ということは、このアルバムは一種の警告?

RHK:んー……そうなのかもしれない。そうなのかもね……?

というか、警告どころか、既に起きているとも言えますが。

RHK:イエス。

“Night Of The Jackal”という曲名の由来を教えて下さい。映画『ジャッカルの日』(“The Day Of The Jackal”/1973。フレデリック・フォーサイス原作の政治スリラー小説の映画化)を思い起こしましたが、この由来は?

RHK:……まあ……あの曲、“Night Of The Jackal”には、とにかくこう、この曲の起源はアフリカにあるなと思わされるなにかがあった、というか……。

(笑)なるほど。

RHK:だから、いま言われた映画とは直接関係はない。そうは言いつつ、『ジャッカルの日』は、大好きな映画のひとつだけどね。あれは本当にいい映画だ。とても、ある意味とても興味深い映画だよ。でも……残念ながら、申し訳ないけれども、あの映画はこの曲のインスピレーションではないんだ。ただ、たしかあれはイラクかイラン産の映画だったと思うけれども、『Night Of The Jackal』みたいな題名の作品があったはずだな……?

そうなんですね。後でチェックしてみます。

──いやいや、おぼろげな記憶だから、確証はないけれども。(訳注:サーチしてみましたが、当方ではそれに該当しそうな作品は見つけられませんでした)

了解です。

──ただ、こう……あの曲にはなにかしら、一種の緊張感がそのなかにあった、というのかな。ジャッカルはアフリカに生息する動物だし、大型のキツネみたいなもので、狩猟好きな動物で、しかもすごく鋭い牙の持ち主なわけだから(笑)。

もう1曲、“Papa Nine Zero Delta United”のタイトルの由来はいかがでしょう。「もしや9.11のことか?」とも感じましたが?

RHK:いや、そうではないよ。あれは実際の……以前にもああいうタイプの声を作品で使ったことはあったけれども、あれは基本的に、飛行機のパイロット同士がやり取りしている模様で。短縮された用語を使って対話している、と。あの用語がなんと呼ばれるのかは知らないが、短波ラジオを持っているからあの手の会話を傍受できるんだ。とても薄気味悪いんだよ(笑)、喋っているのがどこの誰かも、その人間がどこにいるのかもわからないからね! 実はあれは……かなり前の話になってしまうけれども、マレーシア航空の旅客機が2機、墜落したのは覚えているかな?

ありましたね。

RHK:1機はたしか、ロシアかウクライナの発射したブーク・ミサイルに撃ち落とされ、もう1機はこつ然と消えてしまった(訳注:前者は2014年7月に起きたマレーシア航空17便撃墜事件。後者は同年3月に370便がインド洋に墜落したと推測される事件)。あの事件が、自分の頭のレーダーにあったんだよ。それもあるし、わたしは飛行機嫌いでね。空旅はやりたくないんだ。

そうなんですか。飛ぶのが怖い?

RHK:ああ、もちろん。もう20年も飛行機には乗っていないよ。移動には列車を使うから。

ある意味いまの状況には合っていますね。COVID-19絡みの規制が多く、海外に飛ぶ旅客は減っていますし。

RHK:そう。でも、ラジオで誰かが言っていたのを聞いたけど……COVID感染に関して言えば明らかに、旅客機内の環境はそれほど危険じゃないらしいよ。エアコン設備のおかげでウイルスが四散するんだそうで。

(笑)なんか眉唾ものの説に思えるんですけど……。

RHK:いやだから、そもそもその説はアメリカ軍の唱えているものだっていうね、ハッハッハッハッハッ!

(苦笑)信じない方がいいですね。

RHK:そうだね、信じられない(笑)。

(笑)。『Shadow Of Fear』というタイトルはどこから来たのでしょうか?

RHK:(ゴホッ、ゴホッと咳き込んで)それは、あれがとてもいいタイトルだからであって(笑)……実に心になにかを喚起するタイトルだし、それに……自分でもわからないな。とにかくあれが、このアルバムを作っていた当時の自分の感じ方だった、としか言えない。まとめに取り組みはじめたのは……昨年9月のことだったし、そこから作品を完成させた4月までの間に……イギリスにはこの、ブレクジットというものがあってね。いまもまだ続いているけれども(訳注:イギリスは2016年の国民投票の結果2020年1月31日をもって名目上EUから離脱したが、今年は移行準備期間で離脱に伴う諸交渉は現在も続いている)、もうかれこれ3、4年になる……。で、その間にメディアは多くの悪をもたらしてね。数多くの嘘、そしてフェイク・ニュースだのなんだのが……(苦笑)。
 かと思えば、アメリカにはトランプがいて、彼は……あいつを、北朝鮮の金正恩を挑発して煽るのに近いことをやってしまうような人物なわけでさ(苦笑)……。だから、そういった(ゴホンゴホンと咳払いしつつ)、とにかく(苦笑)総じて自分の感じる、世界の状況がどこに向かっているかについて抱く全般的な不安というのかな……。で、さっきも話したように、アルバムをまさに仕上げつつあった時点で、イギリスは全国的なコロナ・ロックダウンに入ったわけで(3月23日)。そうしたすべてに、どこかこう、このアルバムはなにかによって「書かれた」という感じがするね。

過去4、5年の間、あなたはそうした「恐怖の影」──いまおっしゃったようなことはもちろん、政治の変化や監視社会の影のなかで生き、それに常に脅かされていた、と?

RHK:ああ、そうなんだと思う。まあ、それは……おそらくそんなことを感じていたのは自分だけだったのかもしれないけれども……どうなんだろうね? たとえば、わたしはソーシャル・メディアの類いやインターネットは好きではない。ツィッター等々を見ると、本当に多くのヘイトに出くわすなと思うし、とにかく……いやだからさ、こうなる以前だったら、たぶん、不機嫌な男どもが2、3人バーにたむろして飲みながら不平を垂れる、程度のものだったんじゃないのかな?

(笑)ええ。

RHK:それがいまや、全世界もその不平を耳にすることができるようになった、というねぇ(苦笑)。とにかくまあ、わからないけれども?……人びとには実にぞっとさせられる、そんな感じがする。あらゆる類いのネガティヴさがネット/SNS上に存在しているから。

有毒なカルチャーがありますよね。

RHK:ああ。というか、カルチャーの欠如と言っていいくらいだ(苦笑)。

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ああ、とにかく興味があるってことだよ──だから、リズムのパワーに、それが人びととコミュニケーションを持つ力に興味がある。

ダンス・ミュージックのリズムを取り入れているのは、いまにはじまったことではない、もう、80年代からずっとそうなんですが、今作でもリズムの創造に注力していますよね?

RHK:うん。

ダンス・ミュージックにこだわったのはどんな理由からですか?

RHK:ああ、とにかく興味があるってことだよ──だから、リズムのパワーに、それが人びととコミュニケーションを持つ力に興味がある。というのも、リズムの歴史は何千年も前にさかのぼるものだと思うし(笑)、それこそ人類が存在し始めて以来、人間が2本の棒切れを叩き合わせるようになり、そしてドラムを叩くようになって以来存在しているわけで……。となれば、きっとそこにはなにかしら、(笑)大事な世界があるんだろう、と。だからわたしが基本的に思っているのは、言葉を使えるようになる以前は、人びとはリズム、そして音楽を通じてお互いと意思伝達をおこなっていた、ということなんだ。

たとえば“Universal Energy”にはデトロイトのアンダーグラウンド・レジスタンスにも似た力強さを感じます。

RHK:ああ。まあ、自分としてはアンダーグラウンド・レジスタンスとは似ても似つかない曲だと思うけれども……ただ、わたしは彼らのファンだよ。非常にラッキーなことに、2015年に、イタリアでマイク・バンクスに会う機会に恵まれてね。彼はアンダーグラウンド・レジスタンスの“Timeline”、ジャズ版URのような、あのユニットとしてプレイしたんだよ。それに、あのフェス(訳注:Dancity Festival の2015版と思われる)の同じ顔ぶれでは……彼が……クソッ! ど忘れしてしまって名前が浮かばないなぁ、ほら、あの人?……マイクと一緒にやっていた……

とっさに思い出せなければ大丈夫です、後でネットで調べますので。

RHK:うん、そうしてよ……彼の名前を思い出せないなんて、我ながらなんと間抜けだなぁ、情けないと思うけど……。

いえいえ、よくあることですから、どうかお気になさらず。

RHK:うん。で、とにかくまあ、彼らの音楽は90年代初期から知っていたし、12インチ・シングルも山ほど持っているとはいえ、あれ以降、彼らがどんなことをやってきたかについてはよく知らなかった、みたいな。でも、改めて彼らの音楽を探りはじめてね……(ゴホゴホッと咳き込む)失礼。うん、オンラインを通じて、彼らの音楽を探りはじめたんだよ。そうしたら、実にファンタスティックな、素晴らしい音源やヴィデオ群を彼らがポストしているのを発見してね。あれらは本当に、本当に素晴らしいものだよ、うん。

なるほど。で、質問の続きなんですが、クロージング・トラックの“What's Goin’ On”のホーンのコラージュには黒人音楽へのシンパシーがありますよね? あなたはもともとソウルやレゲエのクラブに出入りするような10代を過ごしてきたわけですが──

RHK:その通り。

いまもキャバレー・ヴォルテールの音楽のなかに黒人音楽からの影響はあると思いますか?

RHK:……まあ、いま君の言ったことがそのまま質問の回答になっているんじゃないの?

(笑)あ、なるほど。

RHK:君自身がその影響を作品から聴き取っているわけだから!

ですね。では、当方の読みは当たっている、と。

RHK:そう。それに、思い出したよ、さっき名前を思い出せなかったのはジェフ・ミルズ! 彼ともあのフェスで会えたんだ。たしか彼は、一時期日本で暮らしていたこともあったんじゃないのかな……? ともかくまあ、うん、あれは本当にこう、ツアー生活に戻ったことに伴うグレイトな体験のひとつだった、みたいな。ヨーロッパ各地で開催される色んなフェスティヴァルに出演するようになるし、おかげでその場で素晴らしい人びとと実際に会えることになる、というね(笑)! うんうん……。

今作は、明らかに悪化していく状況に対してのキャブスの反応と見ているのですが、ただディストピアを描くだけではなく、アルバムの終盤の、希望めいたものも表現しているところに感動を覚えました。

RHK:なるほど。

アルバムの最後の3曲には、アップリフティングな展開の曲を配置しています。その意図について教えて下さい。

RHK:まあ、誰だってハッピー・エンドが好きなものだからね!

(笑)。

RHK:いやだから、あの流れはほとんどもう……ライヴで体験したことから出て来たものだ、みたいな。たとえば……“Universal Energy”、あのトラックを観衆相手にプレイすると、とても妙な効果がオーディエンスのなかに起きるのに気づいてね。すごい数の人間が、狂ったように踊っていた。というわけで、このアルバムになんらかの構造をもたせるに当たって、そのクレイジーさに向けてビルドアップしていくのはいいんじゃないか、と思ったんだ。とは言っても、自分としては(ゴホン!)……“What’s Goin’ On”は高揚するタイプの曲だとは思わないけれども。あの曲に含まれるブラスやホーン・セクションのせいで、たぶんそんな印象が生まれるんだろうな……。というのも、よくよく聴けば、あれはかなりダークな曲でもあるからさ(苦笑)。でも……どうなのかな? あのトラックを仕上げたとき、自分でも思ったんだよ、「これだな、出来た」と。このアルバムを世に出せるようになった、準備完了、とね。

手応えがあった、と。

RHK:と言いつつ、妙な話でもあるんだ。というのも、あの曲を書き始めたときは……たしか、このプロジェクト(=ライヴおよび、その結果としてのアルバム)のために実際に書いた曲としては、あれが1曲目だったはずなんだ。けれども、書いたものの、生であの曲をパフォームすることはなかなかなくてね。2、3回以上、ライヴで演奏する機会を逃してきたと思う。というのも、あの曲にはまだなにか決め手が欠けているなと自分では思っていたから。あれをぐっと持ち上げるのにはもっとなにかが必要だなと感じていたし……アルバムとしてまとめる最後の最後の段階まで、それがなにかを自分にはつかめなかったんだと思う。

いま「希望めいたものも表現している」と言いましたが、具体的にいま現在のあなたが希望を感じていることになにがありますか?

RHK:まあ……とりあえず自分の生は確保しているし──(苦笑)そこには常にありがたい希望を感じているよ! ただ、いまの世界がどうかという点に関して言えば、正直あんまり希望は感じないな(苦笑)!

いまもシェフィールドにお住まいだと思いますが、いま現在のシェフィールドも昔と同じようにお好きですか?

RHK:ノー。まあ、それについてはこの取材の2、3日前にも他の場で話したばかりだけれども……かつてのシェフィールドの多くは解体・撤去されてしまっていてね。古い建物等々、それらは取り壊されてしまった。で、とにかく、いまやシェフィールドの街並は……どことも変わりがない。イギリス北部にあるタウンのどことも差のない、ありふれた景観になってしまった、という。
 それはとにかく悲しいことだと思うし、そもそも自分はあまり表に出歩かないしね(苦笑)、シェフィールドでコロナウイルス問題云々が起きる以前から、あまり外出しないタチだったし、こっちでの他人との社交もやめてしまって。うん……まあ、それは、たぶん自分が年寄り過ぎだからなのかもしれないけどね? ハハハッ! でも、とにかく──いまのシェフィールドには自分が育った街としての面影は見当たらないんだ。まあ、そう感じるのはたぶん老いのせいだろうし……どうなんだろう? 要するに、この街がどうなっているのか、自分にはもうわからない、と。もちろん、シェフィールドにはクラブもたくさんあるし──そうは言いつつ、そのすべてが現時点では閉鎖中なわけだけど──音楽系のヴェニューはたくさんあるんだよ。ただ、そうしたクラブのなかに、かつてそうだったように、実際の「シーン」が存在するのかどうか?というのは、わからないなぁ。それでも、この街には実験的なエレクトロニック・ミュージックをやっている連中がまだいるというのは知っているよ。ただ、これまでのところ、その音楽はわたしの耳にはあまり届いていないね。

シェフィールドはかつてのキャラクター/個性を失ってしまったと思いますか?

RHK:だからまあ、わたしにとってはそうだ、ということだよ。でも、シェフィールドで育った、いま20歳くらいの若者は、また違う世代であって、彼らにとってはそうではないだろうし……ただ、いまどきは余りにも多くがコンピュータやその手のテクノロジー頼みになっているよね。それに対して、キャバレー・ヴォルテールの初期の頃は……ちゃんとしたコンピュータというものがそもそもなかったし(苦笑)、あれらの音楽は一種のシンセサイザーや、ギターや様々な楽器をシンセサイザーのプロセッサを通して変化させて作ったものだったんだ。そうやって新しい、ユニークなサウンドを作り出そうとしていた、という。

手作りの機材等で工夫して音を作っていた、と。

RHK:そう。

と言っても、これは批判でもなんでもないですし、パソコンがあれば買ったその日から音楽を作れるのは素晴らしいことだと思います。ただ、便利過ぎるというか、努力せずに済む、というところはあるかもしれません。

RHK:いや、だから、そこの問題は(苦笑)──

どれも似たり寄ったりな音になってしまう、と?

RHK:そう、その通り。そうなってしまう可能性はあるよね。

コロナがいつ収束するのか見えない現在ですが、この先の予定になにかあれば教えて下さい。

RHK:(ゴホン!)そうだな、この時点でいくつか明かせることがあるから話そうかな。

(笑)予定通りに進めば、ということで。

RHK:いやいや、そうなるはずだよ! まず、これからツアーに出てライヴ・パフォーマンスをやれないのははっきりしているから……『Shadow Of Fear』を拡張することにしたんだ。

ほう?

RHK:なので、来年1月に3曲入りの12インチ・シングルを出す予定なんだ。それらのトラックもライヴ・ショウを元にしているけれども、アルバムにはどうにもフィットしなかったものでね。で、その後にアルバムがもう2枚控えている。どちらもわたしが「Drowns」と呼んでいるタイプの作品で、60分にのぼる瞑想型の音楽ピースみたいなもので。それらは、2月と3月に出せればいいなと思っている。というわけで、『Shadow Of Fear』は(ゴホゴホと咳払いして)、一種のシリーズ作のようなものなんだ。だから、ストーリーはまだあるんだよ。

なるほど。徐々に物語が明らかになっていく、と。

RHK:そういうことだね。でも、そこから先はどうなるか自分にもわからないな。というのも、去年の9月から今年4月にかけて猛烈に働いたわけで……いずれ、どこかの時点でまた新しい音楽を書き始めるだろうけれども、自分としてはまだ「そのタイミングがきたぞ」とは感じていないんだ。だから、ここしばらくは仕事を減らして少しのんびり過ごしていた、ということ。そうやって、とにかく自分の健康管理に気を遣おうとしているし……あまりやり過ぎないようにしよう、とね。それに、アルバム3枚に12インチを1枚というのは──年寄りにしちゃ悪くないだろう? アッハッハッハッハッ!

いや、すごいと思います。質問は以上です。ありがとうございました。

RHK:オーケイ。話せて楽しかったよ。

こちらこそ、面白いお話を聞けてよかったです。どうぞ、くれぐれもお体には気をつけてください。

RHK:うん。どうもありがとう。バイバーイ!

R.I.P. 近藤等則 - ele-king

 近藤等則にインタヴューする機会はたった1度しかなかったが、その時の印象は今なお鮮烈に残っている。とにかく、目力の強い人なのだ。そして語気も荒い。会った瞬間に「極道」という文字が頭をよぎった。本人は普通にしゃべっているのだろうが、あの鋭い眼光と話し方は、傍から見ればケンカをふっかけているように思われるはずだ。私のひとつ前のインタヴュワーだった知人と後日会った時、彼は「ビビッちゃって何を話したのか全然記憶にない」と笑っていた。もちろん私も緊張マックスだった。この時の取材(2015年2月)は、“枯葉” や “サマータイム” といったお馴染みのスタンダード・ナンバーばかりを近藤のエレクトリック・トランペットとイタリア人トラックメイカーのエレクトロニク・サウンドでカヴァしたムーディーなアルバム『Toshinori Kondo plays Standards~あなたは恋を知らない』に関するものだったのだが、私が開口一番「闘う男というパブリック・イメージからすると、意外ですね」と言い終わる前に「俺はこのアルバムでも闘ってるつもりだよ!」と語気荒く返され、冷や汗がタラリと流れたのだった。そう、実際、近藤等則は70年代のデビュー時から一貫して闘い続けた男なのだ。

 1948年12月15日、愛媛県今治市で生まれた近藤等則(本名は俊則)は京都大学(工学部に入学後、文学部に転部・卒業)在学中からジャズ・トランペットに本格的にのめりこんでゆき、やがて日米のフリー・ジャズ/フリー・ミュージック・シーンで頭角を現してゆく。その雌伏期──60年代末期から70年代半ばのことを、当時の近藤の盟友・土取利行(ピーター・ブルック劇団の音楽監督その他、世界的に活躍してきたパーカッショニスト)はかつて私にこう語ってくれた。いい機会なので紹介しておこう。
 「私(土取)はGSバンドのドラマーを経てジャズに転向し、70年に大阪にできたSUB(サブ)というジャズ喫茶で働き始めた。その頃、サブによくセッションに来ていた京大生の近藤等則と仲良くなったが、当時彼は、オーネット・コールマンに刺激されてフリーに傾きつつあった。間もなく私と近藤はベイシストを加えて、トリオでフリー・ジャズをやりだした。72年、近藤の大学卒業を機に、私たちは一緒に東京に出た。深夜バスに乗って。私は住み込みで新聞配達を始め、近藤は奥さんと一緒に幼稚園で住み込みの守衛をやった。私たちはその幼稚園や、多摩川の河原、鶴川の和光大学の軽音楽部などで練習を続けた。
 近藤と私は、新宿ピットインのそばにあった〈ニュー・ジャズ・ホール〉のオーディションを受け、デュオで昼間演奏するようになった。当時そこには、まだ無名の阿部薫、高木元輝、沖至、坂田明なども出ていた。私たちはすぐに『ジャズ批評』誌などで “山下洋輔を超えるフリー・ジャズの猛禽獣” などと紹介され、徐々に名前を知られるようになっていった。そして近藤は山下洋輔と、私は高木元輝と一緒にやり始めた。それが73~74年頃のことだ」

 75~76年にはレコーディングもスタート。近藤が録音に参加した最初の作品は、筒井康隆の小説をモティーフにした山下洋輔のアルバム『家』(76年)で、次が、同じく山下を中心とするユニット、ジャム・ライス・セクステット(Jam Rice Sextet)の『Jam Rice Relaxin'』(76年)。また、それらと前後して浅川マキのライヴ盤『灯ともし頃』(76年)にも坂本龍一などと共に参加している。ちなみに、盟友の土取も、76年に坂本との即興コラボ・アルバム『ディスアポイントメント - ハテルマ』をリリースしている。
 当時の近藤は、いわゆるフリー・ジャズ畑の新星トランペッターと目されていたわけだが、しかし彼は(そして土取も)60年代以降のある種のマナー(手くせ)が滲みついたフリー・ジャズには当時から息苦しさを感じており、その先にあるもっと自由な音楽を目指していたという。その思いを形にした最初の試みが、エヴォリューション・アンサンブル・ユニティ(Evolution Ensemble Unity)だ。これは75年、故・間章が組織したフリー・ミュージック・コレクティヴで、高木元輝、近藤等則、土取利行、徳弘崇、豊住芳三郎などのメンバーがデレク・ベイリーや小杉武久(タージ・マハル旅行団)などとも交流しつつ、“即興とは何か” という大テーマの下に新しい表現を探求した。


EEUの旗揚げコンサート(75年8月13日、青山タワー・ホール)から

翌76年に近藤(tp)、高木(sax)、吉田盛雄(b)のトリオ編成で制作されたEEU唯一のアルバム『Concrete Voices』では、隙間を意識した脱フリー・ジャズ的表現がより明確に志向されている。

 そして78年、近藤はよりヴィヴィッドなフリー・ミュージックの戦場を求めて渡米。80年代初頭までの数年間、ニューヨークのロウワー・イースト・サイドを拠点にたくさんの音楽家たちと共演を重ねていった。“マッド・ワールド・ミュージック” と呼ばれていたという当時の仲間たちのサークル──ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、ユージン・チャドボーン、ウィリアム・パーカー、ヘンリー・カイザー、トリスタン・ホイジンガー、ビル・ラズウェル、ジョン・オズワルド(プランダーフォニックス!)等々の顔ぶれからも、近藤が目指していた新しい世界が窺える。NY時代には、ジャズ・クラブよりもCBGBなどロック系のハコによく通い(スーサイドが一番のお気に入りだったという)、台頭しつつあったヒップホップ/DJカルチャーにも強く惹かれたという。この時期、近藤は自身で設立したインディ・レーベル〈Bellows〉を中心に、たくさんのアルバムをリリースしているが、ジャズでもロックでもない実験を通して、“フリー” であることの自由さと不自由さ、限界と可能性を体得していったのだった。


ジョン・オズワルド、ヘンリー・カイザーとのトリオによる『Moose And Salmon』(78年)から



スティーヴ・ベレスフォード+トリスタン・ホイジンガー+デイヴィッド・トゥープ+近藤のクァルテットが英Yレコーズから出したアルバム『Imitation Of Life』(81年)から “Whoosshh”

 その成果と新しいヴィジョンを具現化していくのが、82年の帰国後だ。83年には、豊住芳三郎やセシル・モンローらとチベタン・ブルー・エアー・リキッド・バンド(Tibetan Blue Air Liquid Band)を結成(渡辺香津美もゲスト・ギタリストとして参加)し、初のメジャー・アルバム『空中浮遊』を発表。NYロフト・ジャズやファンク、ニューウェイヴ/ノー・ウェイヴ、ヒップホップ、レゲエ、純邦楽など各種民族音楽を煮詰めたこのフュージョン作品によって、近藤等則という音楽家の名はジャズ・マニア以外のリスナーの間でも注目されるようになった。


チベタン・ブルー・エアー・リキッド・バンド『空中浮遊』(83年)

 そして翌84年には、チベタン・ブルー・エアー・リキッド・バンドを発展解消して近藤等則IMA(International Music Activism の略)を結成し、アルバム『大変』を発表。フリクションのレック(ギターとベイスを随時スイッチ)、ドラムの山木秀夫、キーボードの富樫春生などの才人たちをメンバーに擁したこのパワー・ユニットは、10年弱の間に10枚のアルバムを発表し、商業的にもかなりの成功を収めた。日本や韓国などの伝統音楽家やDJをゲストに招き入れるなど、新しい才能、新しいモード、新しいテクノロジーを積極的に取り入れながら時代に対峙するその姿勢は、マイルズ・デイヴィスのエレクトリック・ジャズ・ロック期(60年代末~70年代半ば)を思い出させたりもする。というか、近藤自身もきっと意識していたはずだ。都市のコンクリートと共振するハイパー・モダンなサウンドとそれを支える広範な文化的視野を特徴とする近藤の表現は、YMOファミリーやムーンライダーズ、マライア/清水靖晃などと並び、80年代日本ならではの音楽文化遺産と言っていいだろう。


近藤等則IMA『Konton』から “Gan” (86年)


近藤等則IMA『Tokyo Rose』(90年)

 また、この時代の近藤は、TVの深夜番組の司会者をやったり、CMにも出演するなど、お茶の間にまで顔を売る一方、海外のミュージシャンとのコラボレイション(グローブ・ユニティ・オーケストラへの参加など)も積極的に続け、活動の幅を地球規模に広げていった。70年代からの仲間ビル・ラズウェルがプロデュースしたハービー・ハンコックの『Sound-System』(84年)などは、参加作品の中でも特に有名だ。


資生堂 CM(88年)


ハービー・ハンコック『Sound-System』の近藤参加曲 “Sound System”

 人気も金もあった近藤は、しかし93年に突然IMAを解散し、アムステルダムへ移住。そして〈地球を吹く〉という新しいプロジェクトを掲げて、大自然の中で空や山や海や砂漠や星に向かってラッパを吹き始めたのだった。件のインタヴューの中では、当時のことをこう回想している。
 「80年代にIMAを作った理由は、20世紀のすべての音楽を日本人の自分なりに統合してやろうと思ったからなんだ。フリー・ジャズ、ファンク、パンク、ロック、日本の民俗音楽……そういったすべての要素を混ぜ合わせて、我々日本人がどんなグルーヴの音楽を作れるのか、挑戦した。実際、その目論見以上の反響があったけど、それは元々俺にとっては最後のまとめだった。だからIMAも90年代初頭にはおしまいにして、次に行った。21世紀の音楽をイメージして」
 つまり近藤の中では、“21世紀の音楽をイメージする”=“大自然に向けて演奏する” ことだったわけだ。彼は「ねえちゃんからネイチャーだな」と笑いをとりつつ、こう続ける。
 「21世紀の音楽と20世紀の音楽の決定的な違いは何か……その一つは、ネイチャーだ。人類史上最大の都市文明が開化したのが20世紀であり、その音楽は都市の中で生まれ、消費された。音楽は人間どうしのコミュニケイション・ツールになった。99.9%の20世紀音楽は、客に聴かせるためのものだった。神に向かって演奏したり、火山に向けて祈るような音楽は、20世紀には誰もやらなかった。そこで、“自然との関係性を考えた音楽” というテーマが俺の中で出てきたわけだけど、それは、昔から目指していた “日本人ならではの音楽” というもうひとつのテーマとも矛盾することなく、そのまま〈地球を吹く〉プロジェクトにつながっていったんだ。当然テクノロジーの発達を認めた上でなくては新しい表現もないと思うので、トランペットもエレクトリックにしなくてはいけないし、デジタル・サウンドもはずせない」


〈Blow The Earth ~地球を吹く〉シリーズからペルー編

 ちなみに、〈Apollo/R&S〉からもリリースされ評判になったDJクラッシュとのコラボ・アルバム『記憶 Ki-Oku』(96年)や、端唄の栄芝師匠との共演作『The 吉原』(03年)なども、彼の中では何の違和感もなく「21世紀の音楽」として生まれた企画だったはずだ。
 こうして20年近く世界各地で大自然とひとりで格闘し続けた近藤は、2012年には再び東京に拠点を戻し、既に始めていた〈地球を吹く~日本編〉を続行。翌13年にはドキュメンタリー映画『地球を吹く in Japan』を発表した。


『地球を吹く in Japan』から

 近年は、アムス時代に録りためた膨大な量の音源を自身の〈Toshinori Kondo Recordings〉から次々とリリースしつつ、2018年にはIMAを再編(近藤等則IMA21)するなど、旺盛な活動を続けた。亡くなった2020年10月17日の翌日にも、イラストレイターの黒田征太郎、ドラマーの中村達也とのコラボでライヴ・ペインティング・パフォーマンスをやることになっていた。何の前触れもなく逝ってしまったのは悲しくはある。だが、その唐突さもまた、一瞬も立ち止まることなく走り続けた近藤らしい最期だとも思える。
 「俺は21世紀の音楽という自分のコンセプト、ヴィジョンを人に語ることはなかったけど、これからはしっかりと語りかけてゆきたい。ネイチャー、スピリット、テクノロジーという三位一体をベイスにして新しい音楽を作ろうと呼びかけてゆきたい」とギラついた目で語られた力強い言葉の先にどんな風景が現れるのか、見たかったけど。黙祷。

BudaMunk & TSuggs - ele-king

 ビートメーカー/プロデューサーとして様々なアーティストの楽曲を手掛ける一方で、Sick Team の一員としての活動や mabanua とのユニット=Green Butter、Fitz Ambrose とのユニット=BudaBrose、さらに Joe Styles、Aaron Choulai、ISSUGI、ILL SUGI など様々なアーティストとのコラボレーション作品を生み出してきた BudaMunk。ソロでもビート・アルバムだけでなく、ヴァラエティに富んだメンツをゲストに迎えた作品も展開しているのだが、2018年にリリースされたソロ・アルバム『Movin' Scent』の収録曲 “Froaura” にて美しい鍵盤のメロディを響かせていたのが、今回のコラボレーターであるジャズ・ピアニストの Tony Suggs こと TSuggs だ。

 80年以上の歴史を誇る名門ジャズ・バンド、Count Basie Orchestra の5代目ピアノ・プレーヤーを務め、故 Roy Hargrove が率いていたR&B/ヒップホップ・プロジェクト=The RH Factor のアルバム『Hard Groove』にもオルガンで参加するなど、USジャズ・シーンのコアな部分に身を置いていたのがその経歴からも伺える。2000年代のアンダーグラウンド・ヒップホップをルーツに持ちながら、実に数多くの作品を発表してきた BudaMunk であるが、今回の TSuggs とのプロジェクトは、彼にとっても最もジャズのカラーが強い作品であることは間違いない。曲のキモとなっているビートの部分は BudaMunk が手がけているので、曲の芯の部分にあるのはもちろんヒップホップなのだが、曲によってはジャジーなヒップホップというよりも、ヒップホップ・テイストが濃厚なジャズと表現したほうが相応しいようにも思う。

 そんな本作のヒップホップとジャズとの絶妙なバランス感を象徴するのが一曲目の “Mergers and Acquisitions” だろう。DJ YUZE によるアブストラクトなスクラッチに、ジャズ、R&B、ヒップホップなど様々なジャンルのアーティストと共演するギタリストの吉田サトシが参加し、緊張感のある絡みが展開しながら、TSuggs によるキーボード(主にローズ・ピアノ?)によって実に美しく透明な空気感が曲全体を覆う。続く “Convinced” に参加しているのが、TSuggs と同様に Roy Hargrove とも繋がりのあるベーシストの Amen Saleem で、BudaMunkによるビートとキーボード、ベースとのトリオによるライヴ感あるセッションはまさしくジャズそのものだ。他にもベーシストの日野 "JINO" 賢二が参加した “Half on a Baby”、トランペット奏者の Patriq Moody が参加した “Kozmic Question” など、ゲスト参加曲での躍動感溢れるグルーヴ感は実に面白く、ヴォーカル曲では Iman Omari が参加した “Good Vibes” は間違いなく本作の目玉となる極上の一曲だろう。その一方で、BudaMunk と TSuggs が一対一で対峙するミニマルな構成の楽曲での、ビートとキーボードのみが作り出すグルーヴはやはり格別で、永遠に聴き続けていられるような圧倒的な心地良さを与えてくれる。ゲスト参加したアーティストも交えながら、本作の魅力をぜひライヴでも再現してほしいと思う。


CAN:パラレルワールドからの侵入者 - ele-king

 映画『イエスタデイ』は、ビートルズのいない世界を想像してみろと、私たちに問いかける。リチャード・カーティスの、代替えの歴史の悪夢のように陳腐なヴィジョンのなかでも、音楽の世界はほとんどいまと変わらないように見え、エド・シーランが世界的な大スターのままだ。

 しかし、多元宇宙のどこかには、ロックンロールの草創期にビートルズのイメージからロックの方向性が生まれたのではなく、カンの跡を追うように出現したパラレルワールド(並行世界)が存在するのだ。それは、戦争で爆破された瓦礫から成長した新しいドイツで、初期のロックンロールがファンクや実験的なジャズと交わり、ポピュラー・ミュージックがより流動的で自由で、爆発的な方向性の坩堝となり、アングロ・サクソン文化に独占されていた業界の影響から独立した世界だ。

 カンのヴォーカルにマルコム・ムーニーを迎えた初期のいくつかの作品では、このような変化の過程を聴くことができる。アルバム『Delay 1968』の“Little Star of Bethlehem”では、ねじれたビーフハート的なブルース・ロックのこだまが聴こえるし、“Nineteenth Century Man”は数年前にビートルズ自身が“Taxman”で掘り起こしたのと同じリズムのモチーフを使った、拷問のようなテイクをベースにしている。

 カンの1969年の公式デビュー盤、『Monster Movie』のクロージング・トラック、“Yoo Doo Right”は、いかにバンドがチャネリングをして、ロックンロールを前進的な思考で広がりのあるものへと変えていったかがわかる小宇宙のようだ。ムーニーのヴォーカルが、「I was blind, but now I see(盲目であった私は、いまは見えるようになった)」や、「You made a believer out of me(あなたのおかげで私は信じることができた)」とチャントして、ロックとソウルの精神的なルーツを呼び覚ますが、それはベーシストのホルガ―・シューカイとドラマーのヤキ・リーベツァイトのチャネリングにより、制約され、簡素化されて、容赦のないメカニカルでリズミカルなループとなり、ミヒャエル・カローリのギターのスクラッチや、渦巻き、切りつけるようなスコールの満引きに引っ張られて、ヴォーカルから焦点がずらされる。

 カンが1960年代に取り組んでいたロックの変幻自在の魔術への、もうひとつ別の窓は、映画のための音楽を収録したアルバム『Soundtracks』で見ることができる。クロージング・トラックの “She Brings the Rain” などは、かなり耳馴染みのある1960年代のサイケデリックなロックやポップのようにも聴こえるが、このアルバムでは、それ以外にも何か別のものが醸し出されている。それは “Mother Sky” の宇宙的なギターとミニマルなモータリックの間に編まれた緊張感のあるインタープレイや、ヌルヌルしたグルーヴと新しいヴォーカリスト、ダモ鈴木の “Don’t Turn The Light On, Leave Me Alone” での不明瞭なヴォーカルでより顕著であり、おそらくバンドの最盛期の基礎を築いている。

 『Tago Mago』、『Ege Bamyasi』、『Future Days』といったアルバムは、現代のポピュラー・ミュージックの基礎となったカンのパラレルワールドが、我々の世界にもっとも近づいた所にあるものと言えるだろう。目を細めれば、異次元の奇妙な建築物と異界のファッションが、世界の間に引かれたカーテンをすり抜けて侵入しているのが、かろうじて見えるはずだ。それはポスト・パンク・バンドのパブリック・イメージ・リミテッド、ESG、ザ・ポップ・グループ他の生々しい、調子はずれのファンクのリズムや、ざらついたサウンドスケープ、あるいはマッドチェスター・シーンのハッピー・マンデーズやストーン・ローゼスといったバンドのゆるいサイケデリックなグルーヴのなかに、またソニック・ユースとヨ・ラ・テンゴのテクスチュアとノイズのなかに見ることができる。さらに1990年代初期のポスト・ロック・シーンでも、ステレオラブやトータスといったバンドの反復や音の探究を経て、おそらく21世紀でもっとも影響力のあるバンド、レディオヘッドにまで及んだ。カンは過去半世紀にわたり、ポピュラー・ミュージックの進化に憑りついてきた幽霊なのだ。

 カンの影響が長いこと残り続けるあらゆる“ポスト〜”のジャンル(ポスト・パンク、ポスト・ロック、そしてかなりの範囲でのポスト・ハードコアも)が、私にとって重要に思えるのは、これらはジャンルを超越したところにある、生来の本能的なジャンルだったからだ。ポスト・パンクは、パンクに扇動されて自滅したイヤー・ゼロ(0年)に、ファンク、ジャズ、ムジーク・コンクレート、プログレッシヴ・ロック他を素材として掘り起こし、自らを再構築しようとしていた音楽だ。一方、ポスト・ロックは生楽器をエレクトロニック・ミュージックの創作過程のループ、オーバーレイやエディットに持ち込んだ。それらは、従来のロック・ミュージックの世界での理解を超えた居心地の悪い音楽的なムーヴメントだったのだ。言うまでもなく、カンは最初からロックの接線上に独自の道を切り開いてきており、マイルス・デイヴィスが自身のジャズのルーツから切り開いた粗っぽいロックンロールのルーツと同じく、予測不可能なジャンルのフュージョンへの地図を描いていた──おそらくカンの爆発的なジャンルを超越した初期のアルバムにもっとも近い同時代の作品は、マイルスが平行探査した『Bitches Brew』 と『On the Corner』などのアルバムだろう。

 この雑食性で遊び心に満ちた折衷主義は、鈴木の脱退後のアルバムにおいても、カンの音楽の指針となっていたが、『Tago Mago』で到達した生々しい獰猛さを、1974年の『Soon Over Babaluma』の雰囲気のある、トロピカルにも響くサイケデリアのような控えめな(とはいえ、まったく劣ることのない)ものに変えたのだ。

 彼らはもちろん時代の先をいっていた。ロックの純粋主義者たちは、バンドの70年代後半のアルバムに忍び寄るディスコの影響を見て取り、冷笑したかもしれないが、グループの当時のダンス・ミュージックの流行への興味は、カンの幽霊の手(『Out of Reach』のジャケットのイメージによく似ている)に、彼らの宇宙的な次元と、報酬目当てのメインストリーム・ミュージックが独自の行進を続ける世界との間のヴェールを掴ませる役割を果たしていたのだ。カンは一度もロック・バンドであったことはなかったし、シューカイが徐々にベーシストとしての役割からリタイアし、テープ操作に専念するようになったことは、バンドの特異なアプローチが、音楽がやがてとることになる幅広いトレンドの方向性を予見させる多くの方法のひとつであったと言える。もっとも、カン自身はそれらのトレンドに対しては、斜に構え、独自の動きを続けた。

 そういった意味では、1979年の自身の名を冠したアルバムは、カンのことを雄弁に物語っている。10年に及ぶキャリアのなかで蒔いた種が、新世代の実験的なマインドを持ったアーティストたちに刈り取られ始め、カンの音楽とアプローチを軸にした作品が創られ始めたため、彼らはそういった作品に、“巨大なスパナを投げつけて”、妨害せずにはいられなかった。カン自身が創ったミニマリストのような、歪んだノイズのアトモスフェリックなディスコと、ファンクに影響されたサウンドは、キャバレー・ヴォルテールやペル・ウブ、ア・サートゥン・レシオなどと並べても違和感がなく、“ A Spectacle” や “ Safe” などのトラックは、彼らの技の達人ぶりを示していた。しかし決して安全な場所には留まらないのがカンであり、デイヴ・ギルモア時代のピンク・フロイド(1979年には絶対クールではなかった)のような世界にも喜んで飛び込み、SIDE2の大部分を躁状態のダジャレの効いたジャック・オッフェンバックの「天国と地獄」のダンスのテーマである“Can-Can(カン・カン)”の脱構築に費やし、間にはピンポン・ゲームまではさんでいる。言うまでもなく、彼らの最もバカバカしく、最高のアルバムのひとつだ。


 カンの影響下にあるパラレルワールドは、時に我々の世界の近くにありながら、その音楽はあまりにも多くの迂回路に進むため、ほとんどの場合、ぎりぎり手が届かないというフラストレーションを感じてしまう。我々は、次元の間に引かれたカーテンを完全に通過することはできないかもしれないが、隅々まで目をこらして、影や、我々の世界の亀裂を見ると、そこにまだ特異性が根付いているのを見出すことができる。そこには何かが存在し、他の場所からの侵入者が、我々が引いた線の間をぎこちないファンキーさで滑りこんできて、固体を変異可能にし、現実を異世界にし、異世界を現実にするのだ。

 ここに、バンドの面白さを象徴していると思う6枚のアルバムを挙げる。

『Soundtracks』──1960年代のロックから、より宇宙的なものへのバンドの変遷を示している。

『Unlimited Edition』──カンのもっとも折衷主義的で、実験的なアルバム。

『Tago Mago』 ──カンのもっとも極端な状態。

『Ege Bamyasi』──ダモ鈴木時代の、もっとも親しみやすさを実現した作品。

『Landed』──ポップ、エクスペリメンタル、アンビエントなアプローチをミックスするカンの能力を示す素晴らしい一例。

『Can』 ──バンドがバラバラな状態にあっても、常に自分たちにとって心地よいカテゴリーの作品を作るのを避けていたことがわかる。

(7枚目の選択として、『Soon Over Babaluma』は、もっとも繊細で雰囲気のある、カンの一例。)

Can: Intruders from a Parallel World

Ian F. Martin


The movie Yesterday asks us to imagine a world without The Beatles. In Richard Curtis’ nightmarishly banal vision of that alternate history, the music world seems much the same and Ed Sheeran is still a global megastar.

Somewhere in the multiverse, though, there’s a parallel world where the direction of rock emerged out of its rock’n’roll youth not in the image of The Beatles but rather sailing in the wake of Can. It’s a world in which a new Germany, growing from the war’s bombed-out wreckage, was the crucible in which the raw energy of early rock’n’roll merged with funk and experimental jazz, taking popular music in more fluid, free-flowing, explosive directions, independent from the hegemonic influence of the Anglo-Saxon culture industries.

You can hear this process of transformation happening in some of Can’s early work with Malcolm Mooney on vocals. On the album Delay 1968, you can hear warped, Beefheartian echoes of blues rock in Little Star of Bethlehem, while Nineteenth Century Man is based around a tortured take on the same rhythmical motif The Beatles themselves had mined on Taxman a couple of years previously.

On Can’s official debut, 1969’s Monster Movie, the closing track Yoo Doo Right is like a microcosm of how the band were channeling rock’n’roll into something forward-thinking and expansive. Mooney’s vocals summon forth chants of “I was blind, but now I see” and “You made a believer out of me” from the rock and soul’s spiritual roots, but it’s constrained, streamlined and channeled by bassist Holger Czukay and drummer Jaki Liebezeit into a relentless, mechanical rhythmical loop, the vocals dragged in and out of focus by the ebbs and flows of Michael Karoli’s scratching, swirling and slashing squalls of guitar.

A different window into the transformational witchcraft that Can were working on 1960s rock can be seen on the album Soundtracks, which collects some of their work for films. Some songs, like the closing She Brings the Rain, come across as quite familiar sounding 1960s psychedelic rock and pop, and yet something else is brewing in the album too. It’s there most clearly in the tightly wound, tense interplay between cosmic guitars and minimalist motorik rhythms of Mother Sky, as well as more subtly in the slippery grooves and new vocalist Damo Suzuki’s slurred vocals on Don't Turn The Light On, Leave Me Alone, laying the ground for what is probably the band’s most celebrated phase.

The albums Tago Mago, Ege Bamyasi and Future Days are really where that parallel world in which Can were the foundation of modern popular music moves closest to our own. Squint and you can just about see that other dimension’s strange architecture and alien fashions trespassing through the curtain between worlds. You can hear it in raw, discordant funk rhythms and harsh soundscapes of post-punk bands like Public Image Limited, ESG, The Pop Group and others; it’s in the loose, psychedelic grooves of Madchester scene bands like The Happy Mondays and The Stone Roses; it’s in the textures and noise of Sonic Youth and Yo La Tengo; it’s in the repetition and sonic exploration of the nascent 1990s post-rock scene, filtering through bands like Stereolab and Tortoise, eventually informing perhaps the most influential rock band of the 21st Century, Radiohead. Can are a ghost that’s been haunting the evolution of popular music for the past half century.

The lingering influence of Can on all the “post-” genres (post-punk, post-rock and to a large extent post-hardcore too) feels important to me, because these were genres with an innate instinct towards transcending genre. Post-punk was music trying to build itself anew after the year-zero self-destruction instigated by punk, mining fragments of funk, jazz, musique concrète, progressive rock and more as its materials. Meanwhile, post-rock brought the live instruments of rock into the loops, overlays and edits of electronic music’s creation process. They were musical movements uncomfortable in the world of rock music as conventionally understood. Can, needless to say, had been charting their own path on a tangent from rock since the beginning, approaching a similar slippery fusion of genres from the rough roots of rock’n’roll that Miles Davis had been charting from his own jazz roots at the same time — arguably the closest thing to Can’s explosive, genre-transcending early albums among any of their contemporaries can be found in Davis’ parallel explorations on albums like Bitches’ Brew and On the Corner.

That omnivorous, playful eclecticism remained a guiding feature of Can’s music in the albums that followed Suzuki’s departure, even as they traded in the raw ferocity that had reached its peak in Tago Mago for something more understated (but in no way lesser) in the atmospheric and even tropical sounding psychedelia of 1974’s Soon Over Babaluma.

They stayed ahead of the curve too. Rock purists may have sneered at what they saw as a creeping disco influence on the band’s late-70s albums, but the group’s interest in then-contemporary dance music kept Can’s spectral hand (much like the jacket image of Out of Reach) grasping at the veil between their cosmic dimension and the mercenary world where mainstream music continued its own march. Can had never been a rock band anyway, and Czukay’s gradual retirement from bass duties to focus on tape manipulation is another of the many ways the band’s idiosyncratic approach foreshadowed the direction broader trends in music would eventually take, even as Can themselves continued to move oblique to those trends.

In this sense, their self-titled 1979 album says a lot about Can. Just as the seeds sown by their then ten year career were starting to be reaped by a new generation of experimentally minded artists and the pieces were starting to realign themselves around Can’s music and approach, they couldn’t resist throwing a giant spanner in the works. The sort of minimalist, noise-distorted, atmospheric, disco- and funk-influenced sounds Can had made their own would have sat very comfortably alongside the likes of Cabaret Voltaire, Pere Ubu and A Certain Ratio, and in tracks like A Spectacle and Safe, Can showed they were masters of that craft. Can were never about being safe though, and they were just as happy diving down rabbit holes of Dave Gilmour-era Pink Floyd (desperately uncool in 1979) and devoting a large chunk of side 2 to a manic, pun-driven deconstruction of Jacques Offenbach’s “Can-Can” dance theme, interspersed with a game of ping pong. Needless to say, it’s one of their silliest and best albums.

The parallel world that lives under the influence of Can is sometimes tantalisingly close to our own, and yet their music pursues so many oblique detours that it mostly feels frustratingly just out of reach. We may never fully be able to pass through that curtain between dimensions, but look in the corners, the shadows and the cracks in our world where idiosyncrasies can still take root, and there is something there: some trespasser from elsewhere, slipping in their awkwardly funky way between the lines we draw, making the solid mutable, the real otherworldly and the otherworldly real.


Here are 6 albums that I think represent six interesting aspects of the band.

Soundtracks - Shows the band's transition from 1960s rock into something more cosmic.
Unlimited Edition - Can at their most eclectic and experimental.
Tago Mago - Can at their most extreme.
Ege Bamyasi - The most accessible realisation of the Damo Suzuki era.
Landed - A great example of Can's ability to mix pop, experimental and ambient approaches.
Can - Shows how even as the band were falling apart, they always avoided making anything that fit into a comfortable category.

(As a 7th choice, Soon Over Babaluma is a great example of Can at their most subtle and atmospheric.)

Oliver Coates - ele-king

 スライムといえば日本ではザコキャラの代名詞だけれど、こんなに凶暴でそして、悲しげな顔をしたスライムは見たことがない。
 正統なクラシック音楽を修めたエリート中のエリートでありながら、スクエアプッシャーやオウテカを敬愛するチェリスト、相棒の音を躊躇なく加工し、むしろ典型的な弦のイメージから遠ざけることを心がけ、大胆にひずませることもいとわないオリヴァー・コーツは、いま、だれも到達したことのない山頂に立っている。クラシカルとエレクトロニカとの幸福な結合を実現した『Shelley's On Zenn-la』から2年、ジョン・ルーサー・アダムズとの共作を経て届けられた新作『Skins n Slime』が、あまりにも圧倒的かつ独創的なサウンドを誇っているのだ。
 タイトルに冠された「スライム」とは、ディストーションとコーラスのエフェクツペダルを用いて彼がつくりあげた、チェロのテクスチャーを指している。さらに「肌」まで付け足すくらいだから、今回コーツは音の触感になみなみならぬ情熱を注いでいるのだろう。まさにスライムこそが本作の鍵を握っているわけだ。

 アルバムの前半は、5つのパートからなる組曲 “Caregiver” によって構成されている(「介護者」なる曲名からは一瞬パンデミックを連想してしまったけれど、本作は昨年12月の時点ですでに完成していたそうなので無関係)。ミニマルな弦の反復からはじまる “part 1” は、低音のドローンがしっかりと曲に重量感を与えているところがポイントで、この工夫がビートを持たないアルバム全体にくっきりした輪郭を与えている。
 最初のハイライトは “part 2” で訪れる。弦であると同時に電子音でもあるような、器楽曲であると同時に騒音でもあるような、驚くべき未知のディストーション。いったいどうやったらチェロでこんな音を生成できるのだろう? 比較的素朴に弦の響きを聞かせる “part 3” と “part 4” をはさんで、“part 5” でもエフェクトがめざましい活躍を見せている。現界するシューゲイズ的サイケデリア。だが注意しなければならない。これはギターではなく、チェロなのだ。
 先行シングルとして公開された7曲目の “Butoh baby” において、かのスライムは悲しみを爆発させている。主旋律の音色もだいぶおかしなことになっているが、地を這う低音の濁り具合はただただ圧巻というほかない。つづく “Reunification 2018” もすさまじい。これまたシューゲイズ的なノイズに覆われているが、繰り返そう。ギターではない。チェロだ。
 その後アルバムは高音にフォーカスした “Still Life” やティム・ヘッカー風の寂寥を携えた “Honey” を経て、マリブーを迎えた “Soaring X” で静かに幕を下ろす。こういうクラシカルに寄った曲もいい。しかしやはり本作を他と分かつ最大の特徴は、チェロに施された強烈なエフェクトだろう。

 新作のリリースに先がけて公開された『Fact mix』が、序盤はアンビエントで固められているにもかかわらず、途中からマイ・ブラッディ・ヴァレンタインやザ・ジーザス・アンド・メリー・チェインを招き入れ、おなじ空間系ペダルを採用していると思しきザ・キュアーやコクトー・ツインズ(やディーン・ブラント)の曲をはさみつつ、最後はブラックメタルで〆るという謎の構成をとっていたので、はてこれにはどのような意図が? と頭を抱えていたのだけれど、今回フルでアルバムを聴いてみてわかった。『Skins n Slime』は、かつてエレクトリック・ギターが繰り広げた音響的冒険を、チェロで探究しようと試みたアルバムなのだ。
 ただし本作は、夢見心地なムードや浮遊感のたぐいは搭載していない。スライムはどこまでも悲しみと向き合っている。そこがいまの時代とマッチしていて、とても今日的だと思う。

Planet Mu's 25th anniversary - ele-king

 マイク・パラディナスが主宰するエレクトロニック・ミュージック・レーベル〈Planet Mu〉が創立25周年を記念してコンピレーションを出します。いや、すばらしい、おめでとうございます。
 マイク・パラディナスは、90年代初頭のエイフェックス・ツインの衝撃があって以降に登場した才能でした。そう、リチャードが〈Rephlex〉なる自分のプラットフォーム的レーベルをはじめて、そこからデビューしたのがマイク(μ-Ziq)で、彼の最初のアルバムそして2枚目は当時はまさにAFXに次ぐ衝撃だったのです(アンドリュー・ウェザールもその年の自分のベストに挙げておりました)。本当にあれは素晴らしかったなぁ。そしてマイクはいろんな名義を使い分けながら現在にいたるまで作品を出し続けています(今年もTusken Rider名義でアルバムを出しています)。1995年からはじめた自分のレーベル〈Planet Mu〉も当初はほとんど自分の作品ばかりでした。それがゼロ年代あたりからいろんなアーティストの作品も出すようになり(COM.Aの兄であるジョセフ・ナッシングの作品も出してましたね)、で、2008年のダブステップ系の名コンピレーション『Warrior Dubz』以降はFalty DLや初期のFloating Points、そしてシカゴのフットワークを世界に知らしめた名コンピレーション『Bangs & Works』を出したりしています。ちょうど10年前にインタヴューもしていました
 〈Planet Mu〉は、日本に支部がないためプロモーションされてませんが、ここ最近も本当に良い作品/挑戦的な作品を出しているんです。昨年はRian Treanor、今年で言えばまずはSpeaker Musicですよね。East Manもありました。しかしこうしてリンクを見ていると、書いているのは三田格さんばかりじゃないですか。いかん、もっとたくさんの人に聴いてもらわねば!
 マイクが本当にそう思ったのか、定かではありませんが、最近のレーベルの魅力をパッケージしたコンピレーション『Planet Mu 25』が出ます。エクスクルーシヴが7曲あり、そのうち1曲はBasic RhythmによるDJ Nateの曲のリミックスです。

 リリースは12月4日、デジタルとCDの両方で発売。なお、オウテカやエイフェックス、スクエアプッシャーとはまた違った活動を続けているマイクの最新インタヴューは、紙エレキングの年末号に掲載されるでしょう。乞うご期待。

Tracklist:
01 East Man & Streema - Know Like Dat
02 RP Boo - Finally Here (ft. Afiya)
03 Konx-om-Pax - Rez (Skee Mask Remix)
04 Ital Tek - Deadhead
05 Gábor Lázár - Source
06 DJ Nate - Get Off Me (Betta Get Back) (Basic Rhythm Remix)
07 Ripatti - Flowers
08 Speaker Music - Techno Is A Liberation Technology (ft. AceMo)
09 Jana Rush - Mynd Fuc
10 Rian Treanor - Closed Curve
11 Bogdan Raczynski - tteosintae
12 RUI HO - Hikari
13 FARWARMTH - Shadows In The Air
14 Meemo Comma - Tif’eret
15 Eomac - All The Rabbits In The Tiergarten

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