「swi」と一致するもの

interview with Matthew Herbert - ele-king

馬は、猫なんかよりもはるかに深く人間とつながっている。人間と多くの関係をもったナンバーワンの動物なんだ。

 ユニークなることばは日本では「風変わりな」「奇抜な」といったニュアンスで使われることが多い。本来の意味は「唯一無二」だ。マシュー・ハーバートのような音楽家がほかにいるだろうか? ハウス、ジャズ、フィールド・レコーディングにコラージュ、コンセプト、メッセージ──どれかひとつ、ふたつをやる音楽家はほかにもいる。ハーバートはそれらすべてを、30年近いキャリアのなかでずっと実践してきた。しかも、シリアスなアーティストが陥りがちな罠、深刻ぶった表情にはけっしてとらわれることなく。ハーバートこそユニークである。

 90年代後半、彼はまずミニマルなテック・ハウスのプロデューサーとして頭角をあらわしてきた。トースターや洗濯機といった家にあるモノの音を用いた『Around The House』(98)、人体から生成される音をとりいれた『Bodily Functions』(01)などの代表作は、彼が卓越したコラージュ・アーティストでもあることを示している。ビッグ・バンドを迎えた『Goodbye Swingtime』(03)はひとつの到達点だろう。政治的な言動で知られる言語学者チョムスキーの文章がプリントアウトされる音をサンプリングしたりしながら、他方で大胆にスウィング・ジャズ愛を披露した同作は、ブレグジットに触発された近年の『The State Between Us』(19)にもつながっている。
 ここ10年ほどを振り返ってみても、一匹の豚の生涯をドキュメントした『One Pig』(11)、ふたたび人体の発する音に着目した『A Nude』(16)などコンセプチュアルな作品が目立つ一方、『The Shakes』(15)や『Musca』(21)では彼の出自たるダンスの喜びとせつなさを大いに味わうことができた。パンデミック前は意欲的にサウンドトラックにも挑戦、尖鋭的なドラマーとの目の覚めるようなコラボ『Drum Solo』(22)もあった。彼の好奇心が絶える日は永遠に訪れないにちがいない。

 この唯一無二の才能が新たに挑んだテーマは、馬。気になる動機は以下の発言で確認していただくとして、ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラと組んだ新作『The Horse』ではサウンド面でも新たな実験が繰り広げられている。馬の骨はじめ、全体としてはフィールド・レコーディングの存在感とフォーク・ミュージック的な気配が際立っているが、自身のルーツの再確認ともいえるダンス寄りの曲もある。コンセプトとサウンドの冒険が最良のかたちで結びついた力作だと思う。
 もっとも注目すべきはシャバカ・ハッチングスの参加だろう。ほかにもセブ・ロッチフォード(ポーラー・ベア)やエディ・ヒック(元ココロコ)、シオン・クロスと、サンズ・オブ・ケメット周辺の面々が集結している。2010年代に勃興したUKジャズ・ムーヴメントのなかでも最重要人物たるハッチングスまわりとの接続は、長いキャリアを有するハーバートが現代的な感覚を失っていないことの証左だ(ハッチングスが若いころに師事した即興演奏のレジェンド、エヴァン・パーカーの客演も大きなトピックといえよう)。

 ちなみに本作で馬との対話を終えた彼は現在、バナナに夢中だという。スーパーやコンビニなど、いまやどこにでも安価で並んでいるバナナ。その光景がグローバリゼイションと搾取のうえに成り立っていることを80年代初頭の時点で喝破したのが鶴見良行『バナナと日本人』だった。どうやらいまハーバートもおなじ着眼点に行きついたらしい。早くも次作が聴きたくなってきた。

彼にお願いしたことは、「フルートを演奏した世界初のミュージシャンになった気持ちを想像しながら演奏してくれ」ということだけ。彼が参加してくれたのはほんとうに光栄なことだった。シャバカ・ハッチングスというミュージシャンはつねに疑問を持ち、考えている。

新作のテーマは「馬」です。音楽と馬との関わりでまず思い浮かべるのは、ヴァイオリンの弓が馬のしっぽからつくられていることです。つまりクラシック音楽の長い歴史は、馬なくしては成り立ちませんでした。また音楽以外でも馬は、移動手段としての利用をはじめ、人間と長い歴史を有しています。今回馬をテーマにしたのはなぜなのでしょう?

H:じつは最初から馬を選んだわけじゃないんだよ。馬のほうからぼくを選んでくれたんだと思う。最初のアイディアは、なにか大きな生き物の骸骨を使ってレコードをつくるといういうものだった。そこで eBay でいちばん大きな骸骨を検索したんだ。ティラノサウルス・レックスとか、恐竜のね。でもそれはなくて、購入することができるいちばん大きな骨は馬の骨だったんだ。だから馬の骨を買ったら、数週間後にものすごく大きな箱がスタジオに届いてさ(笑)。「なんてことをしてしまったんだろう」とそのときは少し後悔したよ(笑)。でもぼくはその骨格から楽器をつくりはじめて、それで音楽をつくりはじめた。そしたらどんどん馬の魅力に夢中になっていったんだ。馬や、馬にまつわる物語にね。馬は、猫なんかよりもはるかに深く人間とつながっている。人間と多くの関係をもったナンバーワンの動物なんだ。そこで、馬は自然界と人間の関係の謎を解き明かす鍵であり、その関係をあらわすとても素晴らしい比喩になると思った。そんな成りゆきで、今回のアルバムを作るに至ったんだよ。

通訳:そもそもどうして骸骨を使いたいと思ったのでしょう?

H:正直、それは覚えてない。そのアイディアを気に入ったのはたぶん、骨というものが多くの動物が共有するものだからだったと思う。骨は見えないけれども私たちのなかに存在しているものだから。毎回レコードをつくるたびにぼくにとって重要なのは、その作品制作をとおしてなにかを学ぶことなんだ。自分が知らないことに触れ、それを学び、そしてそれをオーディエンスを共有することがぼくの野心なんだよ。

以前は「豚」をテーマにしたアルバムを出していますよね。それと今回の「馬」とは、テーマのうえでどう異なっているのでしょう?

H:豚の場合、あれは一匹の豚の人生の旅路がアルバムの大きなテーマだった。その豚が生まれてから食べられるまでの人生を記録したのがあの作品。そして、その豚が食べられた瞬間にその記録はストップするんだ。その記録はある意味ドキュメンタリーのようなもの。ある一匹の豚のドキュメンタリー、あるいは物語なんだよ。僕は、あの一匹の動物の一生のほとんどすべてを知っていた。その豚が生まれたときも、食べられたときもその場にいたし、旅の間中ずっと一緒だった。でも今回の馬についてはなにも知らないんだ。競走馬であること、ヨーロッパ生まれであること、そしてメスであることだけは知っているけど、知っているのはその3点のみ。だから今回のアルバムはほとんどその馬の死後の世界のようなもので、その馬の霊的な旅、幻想的な旅、神聖なる旅といった感じなんだ。馬の骨を手にしたときからすべてが未知だった。つまりぼくにとってこのアルバムはドキュメンタリーではなく、探検や未知の世界であり、かなり抽象的な作品。この馬は数年前に亡くなったんだけれど、ある意味アルバムをつくることで、その馬のために死後の世界を作ったようなものなんだ。

非常にさまざまな音が用いられていますが、制作はどのようなプロセスで進められたのでしょうか? リサーチと素材の収集だけでかなりの時間を費やさなければならないように思えます。

H:そう。かなり大変だったね。今回はレコードの制作期間が半年しかなかったから、骨組が届いてから完成するまではとても早かった。最初はなにをどうしたらいいのかわからないままアルバムづくりをスタートさせて、まずヘンリー・ダグに脚の骨を使って4本のフルートをつくってもらったんだ。そのあと骨盤からハープをつくってもらい、サム・アンダーウッドとグラハム・ダニングに骨を演奏できる機会をつくるのを手伝ってもらった。そうやってできあがった新しい楽器の演奏方法を発見しながら素晴らしいミュージシャンにそれを演奏してもらったんだ。とにかく即興で音を演奏し、ストーリーをつくっていった。今回はカースティー・ハウスリーという監督と一緒に作業をしたんだ。彼女はイギリスの有名なシアター・カンパニー Complicite で多くの演劇を手がけている。そしてもうひとり、イモージェン・ナイトというムーヴメント・ディレクターとも一緒に作業した。ぼくと彼女たちの3人は、ドラマツルギー(戯曲の創作や構成についての技法、作劇法)について考え、物語の構成や内容について考えることにかなり長い時間を費やし、この馬の骨にまつわるストーリーと、音楽にまつわるすべての可能性について話しあったんだ。最初のアイディアがエキサイティングであったと同時にすごく厄介だったし、時間も限られていたから、けっこう途方にくれてしまってね。そこでカースティーとイモージェンが物語の構成を考えるのを手伝ってくれたんだ。

アウトサイダーやエキセントリックなひとたち、もしくはシーンの端っこで面白い音楽を作ってきたひとたちをこのレコードに招き、ここで彼らに自分の居場所を見つけてほしかったんだよ。そして彼らをこの空間で祝福したかったんだ。

今回の制作でもっとも苦労したことはなんでしたか?

H:もっとも苦労した、というか大変だったのは、その馬に対して誠実で忠実な作品をつくること。ぼくはその馬のことをなにも知らなかったから、自分が知らないものについて音楽をつくるというのはかなり難しいことだった。まるで、会ったこともないだれかのプロフィールを書くようなものだからね。もうひとつは、骨という唯一残されたその馬の一部に魂を見出すこと。骨はぼくが持っているその馬のすべてだったから、もちろんぼくはその骨に敬意を払いたかった。でも骨というものに魂を見出すことが最初は難しくてね。生きているものと違って、骨はカルシウムと炭素とシリコンでできている。骨はもう生きていないわけで、生き物の遺骨と魂の関係とは何かを考えるというのが、ぼくにとってはすごく複雑だったんだ。

“The Horse’s Bones And Flutes” では、馬の骨からつくられたフルートをシャバカ・ハッチングスが演奏しています。彼はサックス奏者ですが、日本の尺八などさまざまな管楽器を探究しています。また彼はアフリカの歴史を調べたり、非常に研究熱心です。彼の探究心について、あなたの思うところをお聞かせください。

H:最初に今回の件を依頼したとき、彼は「無理だね。俺には演奏できないよ」と言ったんだ。でも、もちろん彼は才能あるミュージシャンだから、10分後には完璧にフルートを演奏していた。そこでマイクをセットし、ひたすら彼に演奏してもらい、2時間かけてそれを録音したんだ。そしてその演奏をとにかく聴きまくりながら、僕らはたくさん話をした。僕が最初に彼にお願いしたことは、「フルートを演奏した世界初のミュージシャンになった気持ちを想像しながら演奏してくれ」ということだけ。そこから2時間の即興演奏ができあがり、ぼくがそのなかからとくにいいと思った部分をいくつか取り出し、曲をつくりあげたんだ。ぼくは彼の探究心が大好き。だからこそ彼を選んだし、彼が参加してくれたのはほんとうに光栄なことだった。シャバカ・ハッチングスというミュージシャンはつねに疑問を持ち、考えている。音楽というものはときに超越を意味するものだと思うんだ。そして、考えるということと降伏することのあいだにはとても複雑な関係がある。彼はかなり興味深い視点やヴィジョンを持ってるんだ。演奏や即興をやっているときはとくにそう。彼は演奏しているときつねに考え、つねになにかを創造しながらも、そこには同時に自由が存在する。彼のなかではそのアンバランスが成り立っていているんだよ。自由で好奇心旺盛でありながらなにかを達成しようとするのはすごく難しくて複雑なことだと思う。でも彼はそれをとてもうまく表現できていると思うね。

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人類が最初に音楽をデザインしたとき、それは複雑なものではなかった。でも人間が進化するにつれて、音楽もより複雑に進化してきた。だからぼくたちは出だしのほうの音をすごくシンプルなものにしたかったんだよ。

本作にはポーラー・ベアのセブ・ロッチフォードや元ココロコのエディ・ヒック、またシオン・クロスも参加しています(全員サンズ・オブ・ケメットでも演奏経験あり)。2010年代後半はロンドンを中心に新たなジャズのムーヴメントが勃興しました。これまでもジャズを小さくはない要素としてとりいれてきたあなたにとって、そのムーヴメントはどのように映っていますか?

H:イギリスには昔から面白いジャズが存在していて、その歴史は長い。以前は新しい世代は昔からの物語を引き継ぎ、昔からのまともなジャズを継承してきたんだ。イギリスのジャズにはつねに、ある種のアンダーグラウンドで探究的な伝統が尊愛してきたからね。でもいまはジャズとダンス・ミュージック、そしてリズムのあいだですごくエキサイティングなコラボレーションがおこなわれていると思う。ジャズの歴史のなかでリズムというのはこれまでとくには追求されてこなかったと思うんだ。でもいまの新しい世代は、ダンス・ミュージックからリズムとアイディアを借り、それを即興演奏にとりいれている。しかもそれをかなりうまくやっていると思うね。ぼく自身そういったサウンドが大好きだし、例えばシオン・クロスのようなミュージシャンはチューバを演奏しているけれど、ぼくはそこが好きなんだ。チューバは通常ジャズの楽器ではないからね。新しい楽器、新しい音、そして新しい声を見つけるというのは本当にエキサイティングだと思うし、彼らが集まっていっしょに演奏するようなコラボレーションがあるのもこのシーンの素晴らしさだと思う。彼らは互いにサポートしあっているし、まるでエコシステムのように機能している。ほんとうにポジティヴだと思うよ。

ひるがえって、エヴァン・パーカーやダニーロ・ペレス(Danilo Pérez)といった巨匠も参加しています。彼らを起用するに至った理由は?

H:エヴァン・パーカーはぼくの近所に住んでいるんだ。彼とは友人の紹介で知り合い、参加してもらうことになった。ダニーロ・ペレスとは数年前パナマで一緒に映画のサウンドトラックを制作したことがあって知り合ったんだ。ぼくにとって今回のレコードに昔の世代のミュージシャンも招くのは重要なことだった。今回は若い世代から年配の世代まで、幅広い世代のアーティストをフィーチャーしたくてね。楽器の製作者にかんしても同じ。ヘンリー・ダグは昔の世代の楽器製作者だし、ぼくらは彼以外に若い楽器製作者にも参加してもらった。ぼくはアウトサイダーやエキセントリックなひとたち、もしくはシーンの端っこで面白い音楽を作ってきたひとたちをこのレコードに招き、ここで彼らに自分の居場所を見つけてほしかったんだよ。そして彼らをこの空間で祝福したかったんだ。

馬と権力はこれまでずっと結びついてきたし、いまでもそれは続いている。王や貴族、権力を象徴するものとして。馬に乗れるということは、自然をコントロールできるということなんだ。馬は権力と自然を支配することの象徴なんだよ。

通訳:エヴァンとダニーロとの実際に曲づくりをしたプロセスを教えてください。

H:エヴァンは、彼がぼくのスタジオに来て、彼に骨のフルートを渡し即興で演奏してもらった。彼はサックスも吹いているんだけど、あれがいちばんの成功だったと思う。というのは、今回のアルバムでぼくにとって大切だったのは、音楽が自由であることだったから。その自由さで、馬の精神、想像力の精神、音楽家の精神を表現し、それを感じてもらいたいと思っていたんだ。エヴァンはそれを表現してくれた。彼は自由に、とても美しく、感動的なものをもたらしてくれたんだ。
 ダニーロとの作業はそれとは少し違っていた。パナマでレコーディングし、彼にも即興で演奏してもらったんだけれど、彼には馬と対話するように演奏してもらうようお願いしたんだ。「馬が出す音を聴いて、それに合わせてピアノを弾くれ」ってね。そうすることで新しい表現の形をいっしょにつくっていった。その異なるプロセスがそれぞれ違ったものをもたらしてくれたんだ。

2曲目の太鼓の響きや4曲目の旋律などからは、西洋ポピュラー・ミュージックとは異なる、民族音楽やフォーク・ミュージックと呼ばれるものを想起しました。そういった点もテーマの「馬」と関係しているのでしょうか?

H:原始的な楽器を使ったから、民族音楽のように聞こえないことはむしろありえなかったと思う。馬の皮やウサギの皮といった動物の皮を引き伸ばして作られたものだから、かなりベーシックな楽器なんだ。そのシンプルな太鼓を演奏しているだけだから、フォーク・ミュージックのように聞こえないほうが難しいと思うね。現代の楽器と比べると、その楽器から得られる音やテクスチャーの幅はかなり限られているから。ぼくは今回のアルバムで音楽の歴史も表現したかったんだ。人類が最初に音楽をデザインしたとき、それは複雑なものではなかった。でも人間が進化するにつれて、音楽もより複雑に進化してきた。だからぼくたちは出だしのほうの音をすごくシンプルなものにしたかったんだよ。2曲目では、最後にひとつのコードが出てくるんだけど、それはハーモニーの出現を表現している。そんな感じで、このアルバムでは音楽の進化も表現しているんだ。だからアルバムの最初のほうはフォーク・ミュージックのようにとてもシンプルにはじまり、そこからオーケストラのようになり、エレクトロニックになっていく。アルバムのなかで、音楽がどんどん複雑で奇妙なものに発展していくんだ。

本作には、かつてサフラジェットのエミリー・デイヴィソンが命を懸けて馬の前に立ちふさがった、その競馬場で録音した音も含まれているそうですね。フェミニズムもまた本作に含まれるテーマなのでしょうか?

H:あの音源を使ったのは、ぼくが権力の表現に興味があるから。もちろんフェミニズムはその重要な一部ではあるんだけれど、フェミニズムがテーマというわけではないんだ。馬と権力はこれまでずっと結びついてきたし、いまでもそれは続いている。王や貴族、権力を象徴するものとして。馬に乗れるということは、自然をコントロールできるということなんだ。馬は権力と自然を支配することの象徴なんだよ。そして、自分たちの楽しみのために馬を競わせる競馬という点もそうだし、女性が権利のために立ち上がるという点もそうだし、あの場面ではいくつかのストーリーがひとつになっているように思えたんだ。権力がどのように交錯するかを説明するための有力なストーリーがね。権力とフェミニズムの関係だったり、権力と環境の関係だったり、貴族制度と競馬、つまりはスポーツやギャンブルの関係、権力と搾取の関係もそう。権力がどのように社会と交差しているのかを表現するのに役立つと思った。ほんの小さな出来事だけれど、僕にとってあの出来事と場所は、権力にかんするいくつかの物語が結晶化したものなんだ。

ダンスフロアはたんにレッドブルやウィスキーを飲むための場所じゃない。ダンスフロアが政治的でありつづけること、政治化されつづけることは、ぼくはすごく重要なことだと思っている。

今回フィールド・レコーディングだけでなく、インターネットから集められた馬の鳴き声も使用されているのですよね? パンデミック中はIT関係のテック企業やシリコンヴァレーのひとり勝ちのような状況になり、富める者がさらに富むような側面もありましたが、それでもインターネットを使わざるをえない現代のアンビヴァレントについてどう思いますか?

H:インターネットのよさは、その巨大さ。インターネットは人間の脳の巨大な地図のようなもの。だから、クリエイティヴな部位もあり、怒りの部位もあり、セクシーな部位もあり、情報の部位もあり、機能的な部位もある。ぼくはその詰まり具合が好きなんだ。インターネットをとおして過去のさまざまな人びとやアイディアとコラボレーションできるのも素晴らしいことだと思う。それに、ぼくは新しい技術を使うことに興味があるんだ。たとえば機械学習とかね。馬の鳴き声を集めるために使ったのがこの技術。このアルバムでは非常に初期の原始的な技術である骨のフルートから機械学習にまで触れたかったんだ。

“The Horse Is Put To Work” や “The Rider (Not The Horse)” にはダンス・ミュージックの躍動があります。90年代~00年代初頭、あなたはハウスのプロデューサーとして名を馳せ、2021年の『Musca』もハウス・アルバムでした。あなたにとってハウス、もしくはダンス・ミュージックとはなにを意味していますか?

H:ぼくが最初にダンス・ミュージックをつくりはじめたころは、ダンス・ミュージックのレコード会社もそれをつくるアーティストもそれほど多くはなかった。それがいまでは何百万人、何千万人という人びとがそれをつくっている。だからダンス・ミュージックは以前と比べると薄くなり、パワーが少し弱くなった気がするんだよね。政治的な意味も希薄になってしまった。とくにハウス・ミュージックはアメリカのブラック・クィア・カルチャーとして、安全にプレイされるための場所としてはじまったのに。ダンスフロアはたんにレッドブルやウィスキーを飲むための場所じゃない。ダンスフロアが政治的でありつづけること、政治化されつづけることは、ぼくはすごく重要なことだと思っている。とくにイギリスでは政治も新聞も、どんどん右傾化してしまっているんだ。そんななかでダンスフロアのような安全な空間をつくり、それを育てていくことはほんとうに重要だと思う。なのにダンス・ミュージックの形態が、音楽的に言えば、少し保守的になってきてしまっているのは残念だよ。気候変動だったり、ぼくたちはいま実存的な危機的状況にあると思う。そんななかで音楽があまりにも保守的だったとしたら、それはぼくらの助けにはなれないと思うんだ。

これまでもあなたは人間の身体やブレグジットなど、さまざまなテーマの作品をつくってきました。ただ音の効果や作曲行為などのみに専念するアーティストがいる一方で、あなたがそうしたなにがしかのコンセプトを自身の音楽活動に据えるのはなぜなのでしょうか?

H:好奇心と、なにかを学びたいという気持ちだろうね。いまぼくは映画やテレビ音楽の仕事をしている。次のプロジェクトはバナナがテーマなんだ。いまはドミニカ共和国でバナナにマイクをくくりつけて、ドミニカ共和国からぼくの朝食として出てくるまでの道のりを録音し、記録しているところ。これはもう映画のような作品なんだ。映画であり、記録ドキュメンタリーでもある。今回バナナをコンセプトにした理由は、ぼくがバナナについてなにも知らないことに気がついたから。毎朝バナナを食べているのに、それについてなにも知らなかったから、バナナについて調べなきゃと思ったんだよね。バナナは世界でもっとも食べられている果物なのに、品種はひとつしかない。そして、パナマ病のせいで危機に瀕している果物なんだ。もしよかったらチキータ・ブランドについて調べてみて。バナナの歴史に暗い影を落としているから。

通訳:以上です。今日はありがとうございました。

H:こちらこそ、ありがとう。

Negativland - ele-king

 みなさんは音楽にうんざりすることは、ないだろうか。定額制の配信が音楽リスニングのスタンダードとなって、いつでもなんでも気になった音楽が好きなように聴ける状態にあり、だからつねに満腹で、もう食欲がないのに関わらず音楽は溢れている。で、気がついたら嘔吐寸前。サイモン・レイノルズが『レトロマニア』のなかで分析したように、音楽は時間的な制約を受ける芸術体験ではなくなり、いわば液化し、一時停止や保存などの非連続性に対して致命的に弱い連続的な供給物となった。ビル・ドラモンドが「音楽を聴かない日」というイヴェントをやる意味はじゅうぶんにある。

 2014年にU2がiTunes上でアルバム『Songs of Innocence』の無料ダウンロード展開をしたとき、当たり前の話、この人道主義のバンドに興味のないユーザーからヒンシュクをかっているが、じっさい、商品と広告が一体となった新手の販売戦略は欧米では議論の対象となった。だいたいこうなるともう、音楽はオンライン記事ともよく似た、無料で気を引くための何かであり、少なくとも四六時中スマホや液晶画面を眺めている生活を否定するものではなく、それを批評するものでもないのだ。そんな火種となったU2の所属レーベルから訴えられた経験を持っているのが、アメリカ西海岸のアート集団、ネガティヴランドである。彼らが1991年、大きく「U2」と書かれたパッケージでリリースしたそのEPは、U2のヒット曲のパロディと有名なディスクジョッキーの口汚い言葉や犬の声などがコラージュされたばかりか、アートワークにはアメリカ空軍のロッキードU-2もコラージュされていた。(彼らはその訴訟に負け、のちに作品をもって反撃をしている)
 2010年代において重要なアルバムの1枚、 MACINTOSH PLUSの『FLORAL SHOPPE』に収録の “リサフランク420 / 現代のコンピュー”は、典型的な初期ヴェイパーウェイヴで、ダイアナ・ロスの “It's Your Move” をスクリュー(速度をおそらく半分くらいに落として再生)しただけの曲だった。ほかにも当時のヴェイパーウェイヴには、ほとんど80年代の日本のCMをカットアップしただけで作られたアルバム(New Dream Ltd.の『Theatré Virtua』など)もあり、時代の鬼っ子がいっきに話題になったときによく言われたことのひとつが、「こういうことはすでにネガティヴランドがやっているよね」だった。これはザ・KLFがその初期(ザ・JAMS時代)において有名ヒット曲のあからさまなサンプリング・ミュージックを披露したときにも言われたことで、1970年代後半から活動しているこのいたずら好き集団は、1983年の『A Big 10-8 Place』や1987年の『Escape From Noise』によって、古いポップ・ミュージック、電話の会話、ニュース放送、広告、話し言葉などなどのコラージュによる作風を確立しているし、彼らは80年代なかばからラジオ放送というメディアを使ってのいわゆる「カルチャー・ジャミング」を実行していた。というか、状況主義よろしく企業社会をパロディ化する行為。たとえば大企業のロゴを皮肉っぽくいじったり、街の広告板をこっそり書きかえたりなど、90年代以降の反資本主義運動における手段のひとつとして定着する「カルチャー・ジャミング」という用語の言い出しっぺが彼らだった。

 「私たちを取り巻くメディア環境が、私たちの内面にどのような影響を与え、方向づけているかという意識が高まるにつれ、抵抗する人も出てくる。巧みに作り替えられたビルボードの看板は、消費者をそこに仕組まれた企業戦略の考察へと導く。カルチャー・ジャマーにとってのスタジオは、世界全体である」ネガティヴランド『Jamcon '84』

 ネガティヴランドは1999年には、UKのアナキスト・ロック・バンド、チュンバワンバと組んで政治レクチャーと大ネタのサンプルまみれのEP「アナキズムのいろは(The ABCs of Anarchism)」なんていうのもリリースしている。ザ・レジデンツともよく比較され、1970年代後半から長きにわたって活動を続けているネガティヴランドだが(中心メンバーの2人は数年前に他界している)、いろいろ面白い存在でありながら言葉を多用するため非英語圏の人たちにはその面白さがなかなか伝わらず、という理由もあるのだろう、日本では編集部・小林のような道路の左側しか歩かない人間が知らなかったりするのだ。
 こうした日本での状況を考えると、昨年末にリリースされたCD2枚組はほぼすべてがインストゥルメンタル曲のため、非英語圏の人たちにも素直(?)に楽しめるものとなっている。そもそも彼らは、バンド名をノイ!のファースト・アルバムのなかの曲名から取っているし、彼らのレーベル名〈Seeland〉はノイ!のサード・アルバムの曲名から取っているという、アメリカでは極めて希有な、はじまりがそこにあるバンドなのだ。だから間違ってもサウンドを軽視していたわけではない。そういうことがあらためて確認できるのが今回の、言葉のない『発言はなし(Speech Free)』である。
 それにしてもこの音楽をなんて表現しようか。風変わりなライブラリー・ミュージック。ノイ!のセカンド・アルバムの拡張版、アップデート版とも言えるし、ミューザック、イージーリスニング、MOR、スムース・ジャズ、そしてニューエイジやエレーベーターミュージック──つまり悲惨な自分たちを忘れさせるための、非場所(non place)のための、いまの消費社会を円滑にするために発案されたanodyne music(痛み止め音楽)のパロディであるとも言えるだろう。面白いが恐怖があり、ユーモアと不安が混じっている。入っちゃいけないものが入っている。だからこれはミューザックのフリをした狼……ではないが、ほのぼの系に見せかけててツメを立てながらシャーっと威嚇する猫みたいなものかもしれない。とにかく、2014年頃のヴェイパーウェイヴのように、心地よさげに見えて不気味なのだ。“リサフランク420 / 現代のコンピュー” をして「インターネットがゲロを吐いているようだ」とうまい表現をした人がいたが、『Speech Free』は無菌状態の都市空間にお似合いのすべてのBGMの品行を乱している。音楽にうんざりしているときに聴けるアルバムなのだ。
 昔、テイラー・スウィフトの作品のことを「ソーシャルメディアを通じてつねに評価を求める社会」における「適合主義的パワー・ファンタジー」と評した人がいた。いわく「このおかしな世界では、大きな声で拍手するか、さもなければ破門され嫌われ者の谷に落ちるか、それがあなたの選択肢なのだ」。そうだとしたら、ネガティヴランドも10年代半ばのヴェイパーウェイヴも確実に後者に属している。しかし、だから良いのだ。

interview with Squid - ele-king

 勇敢な冒険心とともに前進しつづけているロック・バンドがいま、特に英国やアイルランドから現れているのは、周知のとおり。先日も、たとえば、マンディ・インディアナ(スクイッドが対バンしたこともある)が刺激的なデビュー・アルバム『i’ve seen a way』を世に問うたばかりだ。
 一方で、シーン(のようなもの)の全体が成熟してきたために、どこかコミュニティの個性やローカリティは薄れつつあるように感じられ、もっぱら、話題は個々のバンドのストーリーや作品のクオリティに焦点が絞られつつある。ある意味で多拠点化して分散し、フラットになりつつあるわけだが、ロンドンから少々離れた海辺の街ブライトンの大学で結成されていたり、メンバーのうち数名がブリストルに住んでいたりするスクイッドは、元々そういう磁場には引っ張られていなかったのかもしれない。2021年の『Bright Green Field』での成功からちょうど2年、〈Warp Records〉からのセカンド・アルバム『O Monolith』の実験的で自由なムードにも、そのことが感じられる。

 スクイッドの5人は、ブリストルで曲を練りあげたあと、ブリストルの東、ウィルトシャーのボックスにあるリアル・ワールド・スタジオ(言うまでもなく、ピーター・ゲイブリエルが1980年代に築いたスタジオだ)でこのアルバムを制作している。前作と同様にダン・キャリーがプロデューサーとして携わり、注目すべきことにトータスのジョン・マッケンタイアがミキシングをおこなった。
 イギリス西海岸の空気、ボックス村の自然ののびのびとした開放感が『O Monolith』にはそれとなく刻まれているが、おもしろいのは、ある意味で密室的な実験がそこに同居していることだ。自由で奇妙な律動を刻むパーカッション、渦巻く電子音、厳かなヴォーカル・アンサンブルがバンドの演奏と溶けあわせられることで、これまで以上に深められた独特の風合いの複層的な音が、ここでは生み出されている。
 そして、それは、危機に瀕していながらも、表面的には変わらず牧歌的な緑と青を茂らせた地球環境と、いびつな人工物とのおかしな共演──緑のなかに屹立するストーンヘンジ──のようでもある。『Bright Green Field』での表現といい、どうも彼らはそういうことに関心がありそうだ。

 そんな『O Monolith』について、ギターやヴォーカルなどを担うルイ・ボアレス、キーボードやパーカッションやヴァイオリンなどを弾くアーサー・レッドベター(スクイッドの楽器の担当はとても流動的だ)のふたりと話すことができた。トーキング・ヘッズの『Remain in Light』からの影響、ファンクやディスコとの関係、さらに制作中のサード・アルバムにミニマリズムが関係していることなど、スクイッドのサウンドの秘密に迫る内容になっている。

ブリストルには大きな塔がたくさんあるんだけど、そういった現代に作られたモダンな塔と、ストーンサークルみたいな相当昔からずっとある古い一枚岩のイメージを結びつけてみる、というのが、アニミズムについて考えるうえで、すごくおもしろい方法だったんだよね。(ボアレス)

前作『Bright Green Field』は傑作だと思いました。ご自身の手応えはどうでしたか?

アーサー・レッドベター(以下、AL):あの作品には、全員すごく満足してる。でも、あの作品をどう思うかを考えていたのは、レコーディングしてるときの話。リリースしてからは、あのアルバムは僕たちだけじゃなくて、みんなのものになった。人びとのレコード・コレクションや Spotify のプレイリストのなかで生き続けるんだよ。だから、そうなった時点で、僕はあのアルバムを評価するのをやめたんだ。リリースしたときから、僕の頭は次のプロジェクトのことでいっぱい。それって、すごくいいことだと思うしね。あの作品から得たいちばん大きなものは、多くのことを学べたこと。バンドが成長するためのいい踏み台になったと思う。

ルイ・ボアレス(以下、LB):あんなにいいリアクションがもらえたなんて、すごくエキサイティングだった。作品を作ったときは、何を期待したらいいのか、ぜんぜんわからなかったから。でも、チャートで上位に入ったり(※英オフィシャル・アルバム・チャートで初登場4位)、驚きの連続だったね。

『Bright Green Field』のリリース後、世界はパンデミックやロックダウンからだんだん解放されていきました。バンドの活動も変わっていきましたか? どんな変化がありましたか?

AL:パンデミックの間は、家にいるということがどういうことなのかを改めて実感できたと思う。あんなに長い期間ライヴをせずに家にいたのは、かなりひさしぶりだったから。そして、いい意味で、ライヴをやりすぎる必要はないんじゃないかと思うようになった。外にいる時間と、自宅での創作活動のバランスをもう少しとったほうが、自分の脳や身体にとっても健康的なのかもしれないってね。パンデミックが終わった夏、あの期間の収入や露出の減少を補うためにかなりの数のショーをやったんだけど、あれはちょっとクレイジーすぎたから(笑)。

なるほど。そして、新作『O Monolith』も、前作に続いて素晴らしかったです。まずは、この変わったタイトルの由来や意味を教えてください。

LB:当時、オリー(・ジャッジ)が書いていた歌詞の多くが、アニミズム、そして想像力を働かせて日常生活のなかのありふれたものに命を与えるということに関連していたんだよ。で、ブリストルには大きな塔がたくさんあるんだけど、そういった現代に作られたモダンな塔と、ストーンサークルみたいな相当昔からずっとある古い一枚岩のイメージを結びつけてみる、というのが、アニミズムについて考えるうえで、すごくおもしろい方法だったんだよね。それがタイトルの元になったんだと思う。

ピーター・ゲイブリエルのリアル・ワールド・スタジオでこのアルバムをレコーディングしたそうですね。

AL:そうそう。アルバム(の曲)を書いてるとき、僕たちはリアル・ワールド・スタジオから小川を渡ったところにある、華やかさとは無縁のリハーサル・スタジオにいたんだ。そのスタジオのサウンドは素晴らしくて、僕たちはそこで何日も、一日中アルバム(の曲)を書いてたんだよ。で、徐々に実際にメイン・スタジオでレコーディングすることを想像しはじめた。最初はそんな予算はないって思ってたんだけど、それがどんどん現実的な話になってくると、「あの部屋を使える」っていうのがいい目標になって、かなりのモチベーションになったんだ。そして、あのメイン・ルーム自体からもすごくインスパイアされた。その部屋で、たくさんの素晴らしいミュージシャンやエンジニアたちに使われてきた最高の楽器や機材を使うことができたわけだからね。

リアル・ワールド・スタジオがあるウィルトシャー州ボックス村のロケーションがアルバムに影響を及ぼしている、とも聞いています。メンバー全員がイギリス西海岸と強い結びつきがある、ともプレスリリースに書かれていますが、そのあたりについて具体的に教えてください。

LB:僕は8年間サウス・デヴォンに住んでいたから、そういう意味では間違いなくそのエリアに親近感がある。ルイはブリストル出身だけど、彼はコーンウォールを何度も訪れているし、ロックダウン中にはコーンウォールに住んでた時期もあった。景色もすごく美しいし、僕たち全員がエンジョイできる場所なんだ。

今回のアルバムでは、パーカッショニストを追加で起用したいと強く思ってたんだ。そして、レコードのサウンドには、そのパーカッショニストたちが同じ部屋で一緒に演奏に参加してくれることが重要だと思った。(レッドベター)

新作は「proggy」なものだとの発言を読みましたが、ピーターの作品や初期のジェネシスといったプログレッシヴ・ロックには関心がありますか?

AL:いい音楽とは思うけど、新作が「proggy」だとは思わないな(笑)。

そうですか(笑)。オリーは、“Swing (In A Dream)” は制作時に二日酔いだったからビートがシンプルになったとインタヴューで言っています。ただ、全体的には、前作以上にリズムやビートにフォーカスしていると感じました。今回、曲作りにおいて、リズムやビートにどのように取り組んだのでしょうか?

AL:今回のアルバムでは、パーカッショニストを追加で起用したいと強く思ってたんだ。そして、レコードのサウンドには、そのパーカッショニストたちが同じ部屋で一緒に演奏に参加してくれることが重要だと思った。そこで、ザンズ・ダガン(Zands Duggan)とヘンリー・テレット(Henry Terrett)のふたりに参加してもらって、彼らが一緒に演奏してくれたんだ。それは、アルバムのリズムにとってすごく大きなエフェクトになったと思う。特にザンズは、自分で楽器を作るんだ。だから、彼のパーカッションってすごく深くて、かなりユニークなんだよ。それが、アルバムに本当に個性的なフィーリングをもたらしてくれたと思う。

LB:僕らは(トーキング・ヘッズの)『Remain in Light』の大ファンなんだけど、あのアルバムで、バンドはパーカッションのアンサンブルを招いてるんだよね。あのレコード全体のパーカッションは本当にユニークで、リズムとロックやポストパンクのあの最高のバランスが独特の味を作り出してる。(プロデューサーの)ダン(・キャリー)がザンズを推薦してくれたんだけど、さっきアーサーが言ったように、彼は自分で作る素晴らしい楽器で演奏してくれたし、僕は以前、ヘンリーとギグで一緒になったことがあったから、参加してくれないかって頼んだんだ。ヘンリーもかなりユニークだし、彼らのおかげでかなり特徴的なリズムを作ることができたと思う。

わかりました。そして、そのリズムとの対比で、ハーモニーが豊かです。『O Monolith』でもっとも印象的なのは、ヴォーカル・アンサンブルのシャーズ(Shards)の貢献でした。彼らとの出会いや参加の経緯、彼らがアルバムにもたらしたものについて教えてください。

LB:ロンドンでショーを見た人たちがすごくよかったって言ってたのと、僕たちのマネージャーがシンガーのひとりと友だちだったから、彼らを招くことにしたんだよ。最初は、子どもの聖歌隊の声みたいなのを入れたらおもしろいかな、なんてアイディアを持ってたんだけど、結果、本格的な聖歌隊に参加してもらうことになったんだ(笑)。

AL:“Siphon Song” みたいな曲は、彼らがいなければいまの姿にはなってなかったと思う。聴いてもらったらわかると思うけど、彼らがハーモニーをリードしてくれてるんだ。彼らに楽譜を渡して方向性を伝えると、一瞬でそれを理解して、僕たちのアイディアを彼らの解釈とやり方で表現してくれた。あれはかなり大きかったし、彼らとコラボレーションできたのは本当に素晴らしい経験だったね。彼らは最高だよ。

素晴らしいマリアージュだと思います。その “Siphon Song” のヴォーカルは、まるでダフト・パンクのように加工されていますよね。リリックの内容に対応しているとも感じましたが、この曲のプロダクションについて教えてください。

AL:ヴォコーダーを使おうっていうのは誰のアイディアだったかな。あの曲は、実際にスタジオに入る前に構成が決まってた曲のひとつ。トラックの構成や大まかな輪郭に関するアイディアはダンとの会話のなかで生まれたもので、その会話のなかで様々なアイディアを思いつくことができたんだ。ダンが、50個もオシレーターがあって、全部ちがうチューニングができるようなシンセを持ってて。で、トラックの最後では、全員がちがうオシレーターに手を置いててさ。みんな、そのトーンを徐々に上げていって、聖歌隊も最後の音に向かってゆっくりとグリッサンドしていって、曲の最後の盛り上がりがすごいことになったんだ(笑)。

そのシャーズは、テリー・ライリーと2016年にコラボレーションしているんですよね。ライリーやスティーヴ・ライシュ(ライヒ)、フィリップ・グラスのようなミニマリストたち、あるいはもっと広く考えて、現代音楽やポスト・クラシカルから影響を受けることはありますか?

AL:もちろん。大学では、大学に入る前までは聴いたことがなかったような音楽にたくさん触れることができたし、ひとりでコンサートに足を運ぶようになったんだよね。子どもの頃もライヴには行ってたけど、自分が体験したい音楽を探すまではしてなかった。で、だんだん歳を重ねてコンサートに行くようになると、『18人の音楽家のための音楽』(スティーヴ・ライシュ)とか『浜辺のアインシュタイン』(フィリップ・グラス)みたいなミニマリストの作品を好むようになっていったんだ。本当に感動したし、心を揺さぶられたから。最近だと、ジュリアス・イーストマンの作品を見たんだけど、彼の音楽も本当に素晴らしかった。彼の音楽を再発見できたことは、僕にとってすごく新鮮で興奮したし、もっと彼の作品を聴きたいって思ったね。

LB:僕は、ミニマリズムをたくさん聴いて育ったんだ。スティーヴ・ライシュが生オーケストラの18人のミュージシャンのためにスコアを書いた作曲家の最初のひとりだって、父親が昔話してたのを覚えてる。あの作品はそこまで昔のものではなかったから、それを聞いてちょっと驚いたけど。父の影響もあって、スティーヴ・ライシュは子どもの頃からずっと聴いてきたんだ。ミニマリズムには、本当に素晴らしい瞑想的な性質があると思う。聴いたあとに得られる、独特の感覚があるよね。バンドのみんなとも、ヴァンのなかで聴いたりするんだよ。リラックスしたいときとか、疲れてるときとか。今回のアルバムにも、いま作ってるアルバムにも、間違いなく影響を与えているはずだよ。

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最近だと、ジュリアス・イーストマンの作品を見たんだけど、彼の音楽も本当に素晴らしかった。彼の音楽を再発見できたことは、僕にとってすごく新鮮で興奮したし、もっと彼の作品を聴きたいって思ったね。(レッドベター)

先ほどトーキング・ヘッズの『Remain in Light』の話が出ましたが、西洋以外の音楽からインスパイアされることはありますか?

LB:あのアルバムからは、さっき話したように、パーカッションのアンサンブルから影響を受けているんだ。西洋以外の音楽に関しては、アントン(・ピアソン)が大学で勉強してたんだよ。あれ、なんだったっけな?

AL:西アフリカの音楽。マリの音楽だね。それは、アントンのギター・プレイに大きな影響を与えたと思う。

そうだったんですね。ところで、“Undergrowth” はファンク的ですよね。ファンクやR&Bからの影響についてはどうですか?

LB:もちろん。僕とアントンはファンク・バンドを結成したことがあって、それで出会ったくらいだし。大学1年生のときは、ファンクやソウル、ディスコを聴いてよく踊ってた。それまでディスコはあまり聴いたことがなかったんだ。なんか冷たい音楽な印象があって、あまり興味がなくてさ。でも、大学1年のときに、朝の4時にディスコを聴いて踊り狂ってる人たちを見て、これは何か魅力があるに違いないって思って聴くようになった(笑)。

AL:僕が最初にダンス・ミュージックに触れたのは、若いときにロンドンのクラブやレイヴ・イヴェントに行ったとき。だから、僕にとってのダンス・ミュージックの音楽はそういう音楽だったんだ。バンドのみんなに出会ったときは、ちょうどファンクやソウルにハマりはじめたときだったと思う。僕らが作ってる音楽はそういった音楽とはちょっとちがうけど、好きな音楽ではあるから、自然と音に反映されることはあるんじゃないかな。

Undergrowth (Official Audio)

なるほど。特に “The Blades” などで電子音やシンセサイザーの奇妙な音がたくさん挿入されていますが、これはロジャー・ボルトンの参加とシンセのフェアライトCMIの使用の影響が大きいのでしょうか? 今回の電子音やシンセサイザーへのアプローチについて教えてください。

AL:いや、ロジャーは、電子音やシンセのクリエイションには特別関わってはいないよ。“The Blades” ではローリー(・ナンカイヴェル)がドラム・マシンのサウンドを作って、シンセは僕。あのトラックでフェアライトが使われてるかは確かじゃないけど、“Undergrowth” や “After the Flash” では使われてる。その他の曲でも使われているし、ちょっとしたフェアライトの宝がアルバム全体に隠されているんだ。毎回そうなんだけど、僕らはアルバムを作るたびに、できるだけ多くの種類のツールを集めようとするんだよね。今回は、制作過程で Digtakt(Elektron のドラム・マシン/サンプラー)の使い方がつかめてきて、Digtakt をたくさん使ったんじゃないかと思うんだけど、ローリーはどう思う?

LB:そのとおりだと思う。もちろん、いまもまだ学習中だけどね。あれってほんとに深くてさ。マスターするのに、あと数年はかかるんじゃないかと思う(笑)。


The Blades (Official Video)

ミニマリズムには、本当に素晴らしい瞑想的な性質があると思う。聴いたあとに得られる、独特の感覚があるよね。(……)今回のアルバムにも、いま作ってるアルバムにも、間違いなく影響を与えているはずだよ。(ボアレス)

佐藤優太さんが執筆した日本盤のライナーノーツで、オリーが「(自分たちの作品と社会とは)切り離している」と言っています。しかし、プレスリリースには、作品のテーマは「人と環境との関わり」、「切迫する環境問題、家庭という存在の役割の変化、長い間離れているときに感じる疎外感といった、僕たちが没頭するようになった物事の暗示が反映されている」とあります。私は音楽と社会や現実世界は無関係ではいられないと考えていますが、みなさんはどうですか?

AL:そのふたつは切り離すことはできないと思う。ただ、僕たちは意識してダイレクトに社会や現実社会について語ろうとしたり、音楽を使って直接的にそれに取り組もうとはしないというだけ。

LB:そうだね。意識したことはないし、逆に切り離そうと話しあったこともない。あまり歌詞や内容を断定しないほうが、より多くの人びとに音楽が届くと思うんだよね。でも、もちろん、自分たちが考えてることが自然と落としこまれるときもある。僕らだって世の中の状況にイライラすることはあるし、それが自然と音や歌詞に反映されることはあるんだ。

それに関連して、“After The Flash” のアウトロと “Green Light” のイントロに鳥の鳴き声のフィールド・レコーディングが挿入されています。これは、やはり気候変動問題を意識したものなのでしょうか?

LB:いや、それと気候変動は関係ないよ。音楽と関係なく、僕たちはみんな気候変動に関心はもっているけど、それが直接のメッセージではない。僕らは、自分たちの音楽でそういったことを伝えようとしてるわけじゃないんだ。フィールド・レコーディングを使ったのは、アントンがたまたま小さな Tascam か Zoom のレコーダーを持ってたから。ウィルトシャーのすごく美しい地域にいたっていうのもあって、それを使ったんだ。アントンって、元々かなりの鳥愛好家で、バード・ウォッチングが大好きでさ。その土地に生息する鳥の鳴き声を使ったおかげで、アルバムのなかに特別な空間を作り個性を持たせることができたのはすごくよかったと思う。

しつこく聞いてしまって申し訳ないのですが、気候変動、食料や資源の枯渇、人口の増加といった、人類が直面している喫緊の問題について、みなさんはどう考えていますか? そういった問題に直面しているいま、音楽にはどんなことができると思いますか?

LB:やっぱり、ギグで人びとを興奮させて、集団的な力を作り出すことかな。たとえば、気候変動のようなグローバルな問題に取り組むなら、やっぱり、なんらかの集団的な後押しが必要だと思う。人びとがお互いにつながってるって感じられることが大切だと思うんだ。音楽は、人びとにその感覚を与えることができると思う。少なくとも、それは僕が答えられる哲学的な答えのひとつだね。

昨年末から今年にかけて、ブラック・ミディやウェット・レッグ、ブラック・カントリー・ニュー・ロード、アイルランドのフォンテインズ・D.C. などが来日しました。近い世代のバンドたちから受けるインスピレーションはありますか?

AL:同世代のバンドからインスピレーションをもらっているのは間違いないと思う。いちばんインスパイアされるのは、一緒にツアーしてる実験的なバンド(※2021年にツアーをした KEG やカプット(Kaputt)などのことだと思われる)。その理由は、前進して、進歩して、人びとからの期待という限界を押し広げることが音楽だと僕らは思っているから。

わかりました。今日はありがとうございました。

AL:こちらこそ、ありがとう。

LB:またね。

aus - ele-king

 アウス(aus)、約14年ぶりの新作がリリースされた。

 いや、そんな軽いひと言で済ませていい年月ではないだろう。14年はとても長い年月だし、アウスことヤスヒコ・フクゾノにとって辛い出来事を乗り越えていく時間だったのかもしれないのだから。
 だが何にせよ、「ゼロ年代以降のエレクトロニカ」を振り返るときに欠かすことのできない重要なアーティストが復活したのだ。困難を乗り越えてふたたび動き出したのだ。まずはそのことを心から祝福したい。

 そして何より新作アルバム『Everis』が普遍的な音楽性を持った作品だったことを心から喜びたい。どの曲も瑞々しさと音楽的成熟が同居している、そんなアルバムなのだ。
 モダン・クラシカル、ジャズ、フォーク、エレクトロニクスなどが交錯する新作『Everis』は美しくて、魅惑的で、しかし不可思議で多様な「音楽」の結晶体だ。もっと限定的にいうならば、エレクトロニカとモダン・クラシカルの融合、その洗練の極みとでもいうべきかもしれない。

 私が彼の音楽を最初に知ったのはご多聞にもれず2006年にリリースされた『Lang』だった。東京のエレクトロニカ・レーベル〈Preco〉からリリースされたアルバムだ。
 彼は『Lang』以前にも、ベルギーの〈U-Cover〉のサブレーベル〈U-Cover CDr Limited〉から『Kangaroo Note』(2004)と『Crowding』(2005)をリリースしている。加えて『Lang』と同年の2006年にもUSの〈Music Related〉から『Sonorapid』もリリースされている。
 だが、2006年の『Lang』には、「ゼロ年代エレクトロニカ」を象徴するような特別なアウラがあった。透明な電子音、繊細なサウンドスケープ、細やかなリズムの心地良さに惹きつけられたことを記憶している。海辺の陽光と捉えたアートワークも、「あの時代」のエレクトロニカの本質(自分はそれを電子音による日常のサウンドトラックだと思っている)をうまく表現していた。
 翌2007年にはイギリスの〈Moteer〉からコキユがヴォーカルで参加した『Curveland』をリリースする。2008年には〈Preco〉から『Lang』のリミックス盤『Lang Remixed』を発表した。
 そして2009年、ローレンス・イングリッシュの〈room40〉のサブレーベル〈Someone Good〉からザ・ボーツやグリムらと作り上げた『Light In August, Later』と、自身のレーベル〈flau〉からアルバム『After All』をリリースした。
 特に『After All』は重要作だ。シルヴァン・ショヴォー、コキユ、ゲスキア、リミックスにモトロ・ファームらが参加したこのアルバムはさながら00年代末期のエレクトロニカの総括のようなアルバムなのである。
 リリース当時は、どこか悲しみすら感じさせる音楽性に、私は『Lang』の作風との違いを感じて、最初こそ戸惑いはしたものの、これまでにない音楽的な広がりに驚き、結局は愛聴することになったことを覚えている。2013年に〈Plop〉からリミックス・アルバム『ReCollected - aus Selected Remixes』をリリースをして、リリースはいったん途切れることになる。むろん〈FLAU〉のレーベル・オーナーとして継続的に活動を続けていたので「沈黙」していたというわけではまったくない。

 アウスが動き出したのは、2023年に入ってからだ。まず、シングル「Until Then」をリリースし、次いでアルバムとしては約15年ぶりの新作『Everis』を送り出した。『Everis』を聴いてみると、『After All』と対になるような音楽を展開していたことに驚いてしまった。彼は、エレクトロニカを経由した「総合音楽」をずっと追求していたのだ。その間に、あの「空き巣事件」があり、音源データが盗まれるという悲劇に見舞われながらも、彼は彼の音楽をついに完成させた。
 新しいアウスの音楽もまた、これまでと同様に、モダン・クラシカル、ジャズ、フォーク、エレクトロニカなどの音楽が交錯し、聴くものを優しく、しかしエモーショナルな音楽世界へと連れていってくれる。同時に、彼の音楽性はより成熟し、より深みを増していた。
 前作『After All』が「夜」のアルバムとすれば、新作『Everis』は「昼」のアルバムとすべきだろうか。
 「昼」といっても何かと忙しいオンタイムの「昼」ではない。日々の雑事から解放され、ほんのひとときで暖かい陽光の中で日常の美しさを感じるような「昼」だ。その感覚は『Lang』から一貫している。
 じっさい、ストリングス、ピアノ、クラリネット、フルート、ドラム、声、エレクトロニクスが交錯する極上のアンサンブルは、まさに「光」としか言いようがない感覚を発している。もちろん単に明るいだけというわけではない。日常のなかに不意に現れる不思議な感覚のようなものも感じられるのだ(まさにアートワークのように!)。
 ゲストも多彩だ。ヘニング・シュミート、高原久実、ノア(Noah)、ダニー・ノーベリー、エマ・ガトリルなどの〈FLAU〉と縁の深いアーティストが多数参加し、加えてあのグーテフォルク、横手ありさなどの日本人(電子)音楽家、ハルダンゲル・フィドル奏者のベネディクト・モーセス、オーストリアの音響作家グリムというエレクトロニカ、モダン・クラシカルの音楽家たちが多数が参加している点も重要だ(個人的に驚いたのは、英国の即興音楽パトリック・ファーマーがドラムとハーモニウムで参加している点である)。

 全10曲、作曲・編曲・ミックスなどどれも完璧だ。2017年に起きたあの悲しく辛い事件のあと、楽曲データを喪失したアウスは、自身の心の奥にあるストーリーから音楽を作り上げようとしたという。本作がこれまでの作品以上にエモーショナルなのはそこに理由があるのではないかと思う。携帯電話に残っていたさまざまな環境音を用いつつ、過去と現在をつなぐ「記憶」のような音楽を構築したらしい。以下、各曲をみていこう。
 まず1曲目 “Halsar Weiter” では、声のエレメントと透明なカーテンのような持続音が重なり、少しづつ音に厚みがましてくる。やがて細かな環境音がレイヤーされ、ストリングス的な音も折り重なる。記憶を浄化するようなアルバムの入り口でもある。
 続く2曲目 “Landia” は、子どもたちの声のサンプル、シンセのフレーズ、リズム、環境音、横手ありさのコーラスが重なり、モダン・エレクトロニカとでも形容したいようなエレガントな音を展開する。休日の平和な公園のような「微かな多幸感」がたまらない。
 そのままシームレスに3曲目 “Past From” につながる。声のサンプルが流れ、ピアノのリズミカルなリフが奏でられる。やがて浮遊感に満ちたストリングスも鳴りはじめる。まるで「複数の音楽が同時に存在する」ような本作を象徴するようなサウンドだ。曲の終わり近くのストリングスもとても美しい。
 そして4曲目 “Steps” では、Gutevolk(西山豊乃)をヴォーカルに迎えたフォーク/クラシカル/エレクトロニカな楽曲を展開する。透明で澄んだ声とエレクトロニクスなどの音の交錯が素晴らしい。夜道に迷い込んでいくような深淵さもあり、アルバム中、もっともダークなムードを内に秘めている曲といえよう。
 さらに5曲目 “Make Me Me” は、オーストラリアのシンガーのグランド・サルヴォをゲスト・ヴォーカルに迎えたピアノと弦楽器を中心とするヴォーカル・トラック。慈悲深い声が優しく心に染み入る。
 6曲目 “Flo” は、横手ありさの声と静謐なエレクトロニクスが交錯する曲だ。アルバムの「深さ」「深淵さ」「夜」のムードを象徴するような曲ともいえよう。
 アルバムのクライマックスといえる7曲目 “Swim”、8曲目 “Memories”、9曲目 “Further” は、あえて解説を省略したのは、ぜひとも無心に聴いて頂きたいパートだからである。モダン・クラシカルとエレクトロニクスが交錯する圧倒的な音世界がここにはある。
 ラストの10曲目 “Neanic” は、柔らかく静謐なピアノに、ベネディクト・モーセスが奏でるハルダンゲル・フィドルのミニマルなアンサンブルが祈りのように重なっていく。アルバムのラストを飾るのにふさわしい曲だ。
 どの曲も繰り返しの聴取に耐える質の高い曲ばかりである。『Everis』は、リリース直後のみ話題になり、その後は忘れられるというような「消費される音楽」ではない。今後10年、ずっと聴き続けられるアルバムではないかと思う。
 ちなみにリリース・レーベルは英国の老舗レーベル〈Lo Recordings〉とアウス自身が主宰する優良レーベル〈FLAU〉からである。

 『Everis』、この美しい音楽が多くの人の耳に届き、それぞれの暮らしを彩ることを切に願う。それほどまでのアルバムだ。ゼロ年代エレクトロニカ以降の優しい音世界がここにある。

interview with Kid Koala - ele-king

 90年代末から2000年代前半にかけて、ターンテーブリストと呼ばれ始めた人たちに惹かれていた。特に魅了されたのは、D・スタイルズ、ロブ・スウィフト、ミスター・ディブス、リッキー・ラッカー、そしてキッド・コアラだった。ヒップホップのコラージュ・アートとジャズのインプロヴィゼーションの未来がそこにあるように感じたからだ。しかし、それは勝手な解釈の投影だとも思っていた。ターンテーブリズムがどこに向かうのかは一向にわからなかった。ただ、彼らがやっていることに魅了されたのは事実だった。
 あれから20年以上が経過したいまも、どこに至るかわからないターンテーブリズムの未来にキッド・コアラは関わり続けているように思える。シンガーソングライターのエミリアナ・トリーニやトリクシー・ウィートリーと作った、「アンビエント」とラベリングされた『Music to Draw To』シリーズでは、シンセサイザーやキーボード、ギター、ベースを自ら演奏し、歌詞も書いた。ターンテーブルはあまり使っていない。それでも、繊細なサウンドを形成するディテイルには、ターンテーブリストとしての彼が確かに存在していた。
 〈Ninja Tune〉からリリースされた初期のアルバムである『Some Of My Best Friends Are DJs』や『Nufonia Must Fall』は、キッド・コアラが描いたコミック/グラフィック・ノヴェルと共にあった。そして、いまもそこに描かれた孤独で奇妙な世界の住人であり続けているようだ。2010年代以降は、ヴィデオ・ゲームやアニメーション、インタラクティヴなライヴ・ショーなどのプロジェクトに積極的に関わってきたが、それらにありがちな派手なスペクタクルとは無縁だった。都会の喧噪の中で自分の声を見つけようと奮闘するエンターテイナーを演じていたと言うべきだろう。
 『Creatures Of The Late Afternoon』は、キッド・コアラのターンテーブルが音楽の中心に戻ってきたアルバムだ。自分が演奏した音源をレコードでカットし、スクラッチをして再構築するプロセスを経てでき上がった。とても手が込んでいるが、慣れ親しんだ手法で作られていて、ビートとスクラッチの世界にいまも自分が存在することを彼一流のユーモアを持って証している。このリリースを機に、これまでの活動についても振り返って話をしてもらった。

コールドカット、デ・ラ・ソウル、パブリック・エネミー、その3枚のアルバムは、僕がスクラッチを始めるにあたって最もインスピレーションを得た作品だと思う。

ターンテーブル・オーケストラなるものの情報をあなたのサイトで見ました。とても興味深く感じましたが、まずはこのプロジェクトの詳細から訊かせてください。

KK:これは、僕がやっている「Music to Draw to」というアンビエント・レコードのシリーズを中心にデザインしたインタラクティヴなショーなんだ。最初の作品は「Satellite」なんだけど、あの作品を使って、観客が退屈しないようなアンビエント・コンサートができないかと考えていたんだよ。そして、観客にハーモニーやクレッシェンド、ダイナミクスを作り出してもらうショーができたら面白いんじゃないかと思った。僕がオーケストラを指揮し、観客は皆、それぞれ自分のターンテーブルに座っている。で、ワイヤレスで異なるステーションを異なる色で照らすことができるという仕組みなんだ。皆異なる音符を持つレコードのセットを持っていて、ステッカーで色分けがされている。だから、例えば、ある曲では自分のターンテーブルがリードをとり、紫のレコードを見つけてそれを取り付け、実際に最後のコーラスで音をならしたりするんだよ。50台のターンテーブルで音を奏でるってすごくクレイジーなことだと思うかもしれないけど、実は、ものすごく素敵な音色が生まれるんだ。

すごいですね。ひとりでそのアイディアを思いついたんですか?

KK:そう。これは僕のアイディア。どうにか観客にレコードで遊ぶ機会を与えることができないかとずっと考えていたんだよね。観客がコンサートの一部になるようなショーをやりたいとずっと思っていたんだ。

〈Ninja Tune〉からデビューした当時から、あなたは他のターンテーブリストとは明らかに異なる音楽を作っていました。ターンテーブリストというより、ターンテーブルを使って自由なアートを作っているという印象でした。当時のことを少し思い出してもらえますか。あの頃、あなたが表現において大切にしていたことは何だったのでしょうか?

KK:何がきっかけで僕が楽器に惹かれるようになったかというと、実は、クラシック・ピアノだった。4歳のときにピアノを弾き始めて、それが僕にとっての初めての楽器だったんだ。そして、小学校の中学年くらいでクラリネットや木管楽器を始めた。そして、12歳のときにターンテーブルと出会い、その “楽器” に心を奪われたんだ。想像力豊かな、カメレオンのような楽器に思えて。当時もいまも、ターンテーブルの魅力、そして可能性は、ヘヴィーでコアなファンキートラックを作って皆を踊らせることができると同時に、すごく繊細で、サウンドデザイン的な使い方や細かいテクスチャーを作ることができること。だから、映画のスコアやゲームのスコア、ターンテーブル・オーケストラのようなライヴ・イヴェントもそうだし、ターンテブルを色々な新しい場所に持っていけるかどうか試したいと思った。ターンテーブルで何ができるか、様々な角度や方法を学び、異なるアプローチをしてみたいってね。可能性というアイディアを提供してくれるターンテーブルというアイテムは、昔もいまも変わらず大好きな存在なんだ。

〈Ninja Tune〉からデビューした当時、いまと比べて特に大切にしていたことはありますか?

KK:〈Ninja Tune〉からデビューした頃は、コールドカットの『What’s That Noise?』に大きくインスパイアされていた。デ・ラ・ソウルの『3 Feet High and Rising』やパブリック・エネミーの『It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back』にもかなり影響を受けたし、その3枚のアルバムは、僕がスクラッチを始めるにあたって最もインスピレーションを得た作品だと思う。当時の僕は、短期間でその3つのレコードに出会い、世界を違う角度から見たり聞いたりするようになったんだ。だからデビューしたときは、彼らのレコードのように、新しいサウンドと昔のサウンドを両方見せることが重要だった。そういうわけで、『Carpal Tunnel Syndrome』なんかはかなり実験的な作品になっているんだよ。あのレコードで僕がやってみたかったのは、作品を完全にターンテーブルで作るという制限を設けながら、ブルースやジャズ、コメディや語りの要素まで全て取り込んで、一体何が起こるかを見てみることだったんだ」

パンデミックの最中に、僕はいろんな楽器を演奏する生き物の絵を描いていた。彼らに声を与えようとしてでき上がったのが今回のレコードのサウンドだったんだ。自分のマペット・ショーみたいな、そんな感じのイメージだね。

いまコールドカットの名前も出ましたが、音楽面において、あなたにとって師というべき存在を教えてください。具体的にどのような影響を受けたかも教えてください。

KK:たくさんいすぎて回答に困るけど、僕が日常生活でいちばん聴いていたミュージシャンは誰かと聞かれたら、それは確実にビリー・ホリデイだと思う。ルイ・アームストロングやエラ・フィッツジェラルド、セロニアス・モンクもそうだけど、僕はジャズ・アーティストに関心を持っているから。彼らの音楽からは、彼らの物語を感じることができる。それが例え彼らによって作曲されていない曲でも、彼らは自分なりのヴァージョンを生み出すことができていると思うんだよね。そして、年齢を重ねるほどそれを明確に表現できるようになっている。それってすごくカッコイイと思うんだ。ルイ・アームストロングのソロやセロニアス・モンクのコンサートを聴くと、たった一小節の中にたくさんの表現があって、それを聴いただけで彼らだとわかる。ターンテーブルを使って作る音楽でも、僕はそういう面で彼らから影響を受けているんだ。僕はまだ、彼らの域には達していないけどね。

ビリー・ホリデイからはどのような影響を受けていますか?

KK:彼女の素晴らしいところは、ときどきわざと狭い音域を選んで歌うところ。僕の場合、何オクターヴも使ってしまいがちなんだけど、彼女の場合、少しのオクターヴだったり4音符くらいの音域だったりで全てのフィーリングを表現することができる。それは、僕にとっていまだに魔法のように感じられるんだ。

映画音楽やアートなど多方面で活動していくヴィジョンは、デビュー当時から持っていたのでしょうか? そうしたヴィジョンは、どのように自分の中で芽生えていったのでしょうか?

KK:そのヴィジョンは、子どもの頃から持っていたと思う。子どもの頃、僕がいちばん最初に聴いたレコードは7インチの本のレコードだった。本の中に挿絵が描かれていて、針を落とすと音楽が聴こえる。その本のサウンドトラックや効果音、声優の声が聴こえてきて、その物語やストーリーに、まるで逃避行のようにより没頭できるんだ。それが僕の初めてのレコード体験だったから、僕の脳内では、音楽と視覚がつながっているんだと思う。絵を描けば、そのための音楽がつねに聴こえてくるんだ。
 今回の新しいレコードを制作しているとき、パンデミックの最中に、僕はいろんな楽器を演奏する生き物の絵を描いていたんだ。カマキリがSP-1200を演奏していたり、エビがクラヴィネットを演奏していたり。僕は生き物も楽器も両方好きだから、好きな物がぶつかり合っているような絵を描き始めたんだけど、描いているうちに、それが単なる空想だけではなくなってきて、「このキャラクターはこういう性格なんだ」と思えるようになってきた。そして、彼らに声を与えようとしてでき上がったのが今回のレコードのサウンドだったんだ。自分のマペット・ショーみたいな、そんな感じのイメージだね。昔からもっていたそのヴィジョンをさらに大きくしたのがターンテーブルだと思う。ターンテーブルはカメレオンのように適応力のある楽器で、サウンド的にも様々な使い方ができるから。僕は30年間ターンテーブル・レコードを作り続けているけど、活動をしていく中でもっと探求するようになったのは、感情的な側面なんだ。音を作るだけではなく、感情的な重みを持ったものを作ることができるか、ターンテーブルでセンチメンタルなバラードを作れるか、それをもっと考えるようになった。ファンキーなものやハード・ロックなものが作れるのはわかっているけど、ブルースっぽかったり、ビーチ・ボーイズみたいなサウンドを作ることはできるんだろうか?というのを段々と意識するようになったと思う。

映画音楽やアートなど、さまざま分野にチャレンジする理由は何でしょう?

KK:もしも、「残りの人生の食事は一生同じものを食べないといけないよ」と言われたらどう思う? それか、残りの人生、ひとつのスタイルの音楽しか聴けないとか、ひとつのスタイルの音楽しか演奏できないとか。そういう状況に自分を置いてしまったら、学習というのはストップしてしまうと思う。僕にとっては、学ぶということは自分の全てであり、核となるものなんだ。僕は、新しいことに挑戦したり、新しいことを探求しているときに最も生き生きした気分になれる。それが、僕にとっての一番の原動力なんだよ。だから、僕はつねに自分が行ける場所がもっと存在していると思っているし、それを発見すべきだ、それを創造すべきだと思っている。その思いが、僕をいろいろな分野に導いているんじゃないかな。例えば、子どもにとって、自転車の乗り方を習得しようとしている瞬間って、きっと人生で最もエキサイティングな瞬間に感じられると思うんだよね。その感覚って、一度覚えたら忘れられない。僕にとって音楽は、終わりのない旅のようなものなんだ。たくさんの楽器や演奏スタイルが存在しているし、その全てを知るには、一生かかっても足りないと思ってる。

この10〜15年くらいのあなたの活動は、特に幅広く、多岐に渡っているように思います。それだけに、レコーディング作品を追っているだけの音楽ファンには知らないことがありそうです。この間で、あなたにとって特に印象深いプロジェクト、作品をいくつか紹介してください。

KK:最近だと、映像音楽の仕事が多いかな。例えば、Nintendo Switchで出た『Floor Kids』っていうヴィデオ・ゲームのプロジェクトに参加したんだ。子どもの頃から任天堂は大好きだったから、スイッチの発売と同時にそのプロジェクトに参加できるのはすごく光栄だった。子ども向けの、ブレイクダンスのフリースタイルのヴィデオ・ゲームで、僕はそのゲームの音楽と効果音を全て担当したんだ。アニメーションを担当したのは友人のジョン・ジョン。彼の画風はすごくかわいいんだけど、彼はBボーイでもあるから、キャラクターのダンスの動きはどの動きも全て本物のブレイクダンスの動きなんだ。2Dの手描きでブレイクダンス・バトルのゲームを作ることができるのは、彼以外いないんじゃないかと思う。だから、彼と一緒に仕事ができたのは本当に素晴らしい経験だったね。

 あとは、ライヴ・ショーのプロジェクトで、まるでライヴ映像のようなショーのプロジェクトに取り組んでいるんだ。東京と大阪でも、いくつかのシアターで新しい映像のショーをやったんだよ。演劇みたいなんだけどステージにはスクリーンと20のミニチュアセットがあって、70のマペットと弦楽四十奏団がいて、僕がピアノを弾き、ターンテーブルを操り、それを8つのカメラで撮影している。そうやって、オーディエンスの目の前でライヴ動画を作るっていう内容。あのツアーはめちゃくちゃ楽しいんだ。そのスタイルでおこなう、『Storyville Mosquito』っていう新しいショーにも取り組んでいるんだけど、そのショーでは、実は今回のニュー・アルバムもサウンドトラックの一部になっている。でもそれは、少なくとも2、3年は初演が公開されることはないかな。いまは、とにかくアルバムのリリースをエンジョイしているところ。

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Nintendo Switchで出た『Floor Kids』っていうヴィデオ・ゲームのプロジェクトに参加したんだ。子ども向けのブレイクダンスのフリースタイルのゲームで、僕はそのゲームの音楽と効果音を全て担当したんだ。

『Nufonia Must Fall』のペーパーバックをいまも大切に持っています。あのイラストレーション、物語、世界観というのは、その後のあなたの様々な作品の根底に流れているもののように感じますが、いかがでしょうか?

KK:そうだね。ストーリーテリングという考え方が、僕の作品作りの原動力になっていると思う。実際、ニュー・アルバムを作っているときも、頭の中でストーリーは描かれていたんだ。そのストーリーにどんな曲が必要なのかを考えることは、曲作りのときにとても役に立った。このショーやストーリーを実現するためには、どんなタイプの曲が必要なのかってね。だから、『Creatures of the late Afternoon』はまるでアクション映画のような仕上がりになっているんだ。制作中にそれが見えてきたから、第3幕の最後には大きな対決バトルが必要だと思ったし、イントロ・トラックがいるな、とか、クリーチャーたちがバンドとして皆で集まって自然史博物館を救うトラックを作ろう、なんて考えるようになった。バイクの追いかけあいのシーンとかもね。物語という観点は、新作でも基本になっているんだよ。

その新作アルバム『Creatures Of The Late Afternoon』のコンセプトについてもう少し詳しく教えてください。「ボードゲーム機能付きのアルバム」とありますね。

KK:アルバムは、ダブルパックみたいな感じになっていて、ボードゲームがついてくるんだ。さっきも話したけど、パンデミックの間、僕は全てのクリーチャーのキャストを作っていた。ゲームに登場するクリーチャーのキャストたちは、全員楽器を演奏するクリーチャーで、プレイヤーはゲームの中を回ってカードを集め、様々なクリーチャーと出会い、バンドを結成して、いろいろなスタイルを作り上げる。ラヴ・ソングから、アクション・ビートのソングまでね。コンセプトは、絶滅危惧種に指定されている生き物のグループがいて、彼らが自分たちの生息地と自然史博物館を守るために団結するんだ。でも、テクノロジー系で頭の固い大手の会社が現れ、音楽をひとつのスタイルだけにすることを強要し始める。そこで、多様な音楽スタイルのクリーチャーたちがバンドを結成しひとつとなり、異なるスタイルが存在することを祝福する。そしてある意味、音楽におけるアルゴリズムというアイディアをからかっているんだ。人気だからといって、全ての人が突然それだけを聴くようになり、それが全てだと思い込んでしまう考え方をね。

音楽的には、ストレートなビートやスクラッチが聴けるアルバムに仕上がっています。これにはどのような意図があるのでしょうか?

KK:たしかにそうだね。『Nufonia Must Fall』では、音楽はもっとチャップリン風だったと思うんだ。だから、ピアノとストリングスがすごくロマンティックなサウンドを作っていたりする。でも今回のアルバムのイメージは、もっとアクション映画のようなスタイルの作品だった。だから、アルバム全体を通して、ヘヴィーなドライヴ感や推進力のあるグルーヴが必要だったんだ。例えば、“High, Lows & Highways” のような曲は、さっき話した数年後に公開されるショーのバイクのチェイス・シーンに必要なトラックだった。ドラムが多めになっているこのトラックは、その瞬間に最適なグルーヴを与えてくれる曲。そういうトラックが、この作品のストーリーを表現するのに役立ってくれると思ったんだよ。

(新作の)コンセプトは、絶滅危惧種に指定されている生き物のグループがいて、彼らが自分たちの生息地と自然史博物館を守るために団結するんだ。でも、テクノロジー系で頭の固い大手の会社が現れ、音楽をひとつのスタイルだけにすることを強要し始める。

Lealaniをはじめ、フィーチャーしたゲストについて詳しく教えてください。

KK:シンガーであり、ソングライターであり、プロデューサーでもあるLealaniは本当に素晴らしい。彼女は、自分のガール・パンク・バンドも持っているんだ。Lealaniはギターとキーボードも演奏できるし、ドラムパッドも演奏できるし、歌えるし、信じられないくらいの才能を持っている。彼女の声を聴いたときに、「この人ならら大丈夫だ」と思った。“Things Are Gonna Change” を書いたとき、歌詞はできていて、ライオット・ガールのような声を持つ人を探していたんだけど、彼女の声ならピッタリだと思ってさ。僕の友人があるプロジェクトで彼女と一緒に仕事があったから繋いでもらって、僕から連絡をとったんだ。「いまこのトラックを作っているんだけど、君ならこのトラックで素晴らしいサウンドを奏でられると思うんだ。どう思う?」と聞いたら、嬉しいことに彼女は僕のLAでの『Nufonia Must Fall』のショーを見たことがあって僕の作品を知ってくれていて、それが楽しかったらしく、オーケーしてくれた。それでコラボが実現したんだ。彼女は本当に素晴らしいと思う。
 それから、“When U Say Love” という曲でヴォーカルを担当しているのは、実は僕の妻(笑)。いま同じ部屋にいて、「言わないで!」ってジェスチャーをしてるけど(笑)、どうせバレるから言っちゃおう(笑)。楽器に関しては、今回は、パンデミックでスタジオに人がいなかったから、ドラム、ベース、キーボード、サックス、ヴィブラフォン、クラヴィネットなどアルバムに収録されている全ての楽器を僕が演奏しないといけなかったんだ。

『Music to Draw To: Satellite』や『Music to Draw To: Io』のようなシンガーとのコレボレーション作品は、あなたにどんなことをもたらしましたか?

KK:『Satellite』のとき、初めて歌詞を書いたんだ。ニュー・アルバムでも全曲の歌詞を書いたけど、初めて書いたのは『Satellite』。エミリアナ(Emilíana)はアイスランド出身のシンガーで、僕は彼女のファンだったから、曲がほとんどでき上がっていた状態のときにモントリオールに招待したんだ。で、5日間しか時間がなかったんだけど、彼女は時間をかけて歌詞を書くタイプのアーティストだったから、僕自身が歌詞を書かないといけなくなってしまって。書いた歌詞を見せたら、「すごく美しいと思う。ぜひ歌ってみたい」と言ってくれて、うまくいったんだ。大好きなシンガーに僕が書いた歌詞を理解してもらえたなんて、本当に嬉しかったね。『Io』のときも同じ。トリクシー・ウィートリーが僕に歌詞を書いて欲しいと言ってきたから、また歌詞を書くことになった。そして、彼女がヴォーカルのメロディを考えて、見事にそれを表現してくれたんだ。シンガーたちとコラボしたことで、またビリー・ホリデイの話に戻るけど、彼女たちの音楽のように、正しいことを正しい言葉で表現することができたと思う。自分の声を美しくコントロールできる人がいるような感覚だったね。彼女たちの声は、まるで自分から発せられた声のような心地よさがあったんだ。

音楽家としてレコーディング作品をリリースすることは、あなたの中で、どの程度のプライオリティを置いているのでしょうか? いまもレコーディング作品を残すことは活動のメインになりますか?

KK:レコードを作りたいのは、まず、自分自身がそれを聴きたいから。そしてその次に、それを演奏してある方法で見せたい、あるいは、一緒に仕事をしたい人たちとコラボレーションしたい、という気持ちが出てくる。音楽は、いつも扉を開き、橋渡しをして、僕と人びとを繋いでくれる存在なんだ。僕にとっては、全ての音楽制作がつながっているんだよね。全て同じスピリットでやってる。僕にとっての活動の違いは、わかりやすく言うと、季節の違いに近いと思う。初夏のような気持ちのいい時期はドライヴに行くときの音楽が作りたくなったり、パーティー・ミュージックを作りたくなる。で、雪が降り始めると、ピアノ音楽でメランコリーなコードを弾くようになったり。カナダの冬は長いからね。そのときの気分に合わせて音楽を作っていく感じ。僕が住んでいる街のエネルギーや天気にも左右されるし。

ターンテーブルは、あなたにとって音楽的な楽器でしょうか? あるいは慣れ親しんできた道具でしょうか? どういう存在なのでしょう?

KK:その両方だと思う。気分を表現できる楽器でもあり、その音を作るのに役立つツールでもあるから。僕は、人と出会ったりオーディエンスとつながるためにターンテーブルを使い演奏することに多くの時間を費やしてきた。だから、ある意味ターンテーブルは僕のDNAの一部になっているんだ。スクラッチを始めると、全てが溶けていくような感じ。禅の世界に入り込むとでも言うかな(笑)。スクラッチしていると、心が安らぐんだよね。すっと一緒に時間を過ごしてきたからなのか、ターンテーブルと一緒にいると、家にいるような感覚になるんだ。


新作に参加したシンガーのLealaniと

スクラッチしていると、心が安らぐんだよね。すっと一緒に時間を過ごしてきたからなのか、ターンテーブルと一緒にいると、家にいるような感覚になるんだ。

現在のターンテーブリストたちの活動に関心はありますか?

KK:最近、ブラジルで日本のDJ KOCOを見たんだ。僕とLealaniでブラジルでショーをやってたんだけど、プロモーターが、その日の夜にDJ KOCOがクラブでプレイしていると教えてくれて、彼を見にいったんだんだよ。彼がやっていたことはかなりすごかった。まるでヒップホップを使って素晴らしい冒険を繰り広げているかのような感じだった。地元のオーディエンスのためにブラジルの音楽もたくさんプレイしていたし、彼のプレイはすごく楽しかったし、本当に素晴らしかったね。

あなたにとって、インスパイアされる音楽というのはどのような音楽でしょうか? また、あなたが最近よく聴いている音楽を教えてください。

KK:D・スタイルズはかっこいいと思う。彼の545っていうプロジェクトがあるんだけど、そのプロジェクトではマイク・ブーやエクセス、Pryvet PeepshoといったDJが集まるんだけど、5日間かけて一枚のアルバムを作るんだ。僕が好きなのは、本当に才能のあるプレイヤーが集まって、リアルアイムでライヴのように演奏して何かを作り上げるってジャズっぽくてすごくいいと思う。だから、僕はこのスタイルのグルーヴが大好きなんだ。スクラッチのフェロニアス・モンクみたいな存在。たった数日間しかないという制約の中で何か一貫性のあるものを考え出すというのは、本当に深いと思うね。
 ポップの世界でいうと、ベンジー・ヒューズっていうシンガーがいる。彼は本当に素晴らしくて、僕はジョン・レノンに近いものがあると思っているんだ。曲にヴァラエティがあるんだよね。風変わりで面白いことをやっていると思う。そしてもちろんLealaniの音楽もよく聴いてる。彼女のパンク・プロジェクトもすごく気に入っているんだ。あと、Walliceっていうシンガーの音楽は聴いたことある? LA出身で、多分日本とアメリカのハーフなんじゃないかな。最近発見したんだけど、彼女の音楽もエンジョイしてる。あと、ラプソディーは好きでいまだに聴いてるね。2年前のアルバム『Eve』はまだ聴いてる。あの作品は、時代を超越した素晴らしい作品だと思う。

現在取り組んでいるプロジェクトや今後の予定を教えてください。

KK:いまは、長編アニメのプロジェクトに取り組んでいるんだ。長編アニメの監督をするのは初めて。原作は『Space Cadet』で、僕の2作目のグラフィック・ノヴェルなんだ。昼間の時間はほとんどそのプロジェクトに使ってる。あと、Lealaniと一緒にショーもやっているんだけど、それもすごく楽しい。2人組の新しいバンドのような感覚でライヴをしてるんだ。

Laurent Garnier - ele-king

 先日ひさびさの来日を果たし、すばらしいDJセットで踊らせてくれたロラン・ガルニエ。さらに嬉しい知らせの到着だ。
 じつに8年ぶり、2015年の『La Home Box』以来となるアルバムがリリースされる。『33 Tours Et Puis S'en Vont』なるタイトルで彼自身のレーベル〈COD3 QR〉から5月25日にリリース。
 テクノ、ドラムンベース、ヒップホップ、パンクの要素がとりいれられているらしいが、なんと故アラン・ヴェガのヴォーカルもフィーチャーされている。この2年間の最高到達点であると同時に、自身のルーツへと立ち返るアルバムでもあり、「ダンスフロアとテクノへのトリビュート」でもあるとのこと。
 またこの新作の発表と同時にガルニエは、2024年末をもって、ツアーからは一歩退く考えであることを明かしてもいる。「ほこりをかぶった古臭いジュークボックス」になるのを避けるため、というのがその理由だそうだ。とはいえDJをやめるつもりは毛頭ないようで、生涯DJをつづけることを強調してもいる。
 バンドキャンプはこちら

artist: Laurent Garnier
title: 33 Tours Et Puis S'en Vont
label: COD3 QR
release: May 26 2023

tracklist:
01. Tales From The Real World (feat.Alan Watts) (vocal version)
02. Liebe Grüße Aus Cucuron
03. Let The People Faire La Fête
04. Give Me Some Sulfites
05. In Your Phase feat. 22Carbone
06. Granulator Bordelum
07. Reviens la Nuit
08. On the REcorD (part 3)
09. Saturn Drive Triplex (feat. Alan Vega)
10. Sado Miso
11. Closer to You (feat. Scan X)
12. Au Clair De Ta Lune
13. Cinq O'Clock In Le Matin
14. Le Swing Du Pouletto
15. Sake Stars Fever
16. Multiple Tributes [to multiple people, for multiple reasons]
17. ...Et Puis S’en Va!
18. Tales From The Real World (version instumentale)

Dirty Projectors + Björk - ele-king

 00年代ブルックリンを代表するバンド=ダーティ・プロジェクターズと、ビョークによるコラボEP「Mount Wittenberg Orca」が13年の時を経て蘇ることとなった。DPにとっては代表作『Bitte Orca』(2009)を出したころで、ノりにノっている時期。ビョークにとっては『Volta』(2007)と『Biophilia』(2011)のあいだのタイミングに当たる。巧みなコーラス・ワークを聴かせるDPとビョークの特異なヴォーカルがみごとに融合したポップかつ実験的な名作だが、新装版にはなんと20曲もの未発表音源が追加されるという。あの美しいハーモニーをもう一度、新しいかたちで楽しみたい。

Dirty Projectors + Bjork

ダーティー・プロジェクターズとビョークによる奇跡のコラボレーション作品が20曲の貴重な初出し音源を追加収録して新装盤『Mount Wittenberg Orca (Expanded Edition)』として4月28日にリリース決定!

09年4月にデイヴ・ロングストレス率いるダーティー・プロジェクターズとビョークがニューヨークで行ったチャリティ・コンサート用に書き下ろした7曲をスタジオ・ヴァージョンとして収録した奇跡のコラボレーション作品『Mount Wittenberg Orca』。2020年にデジタル配信され、2011年に〈Domino〉によってCD化された本作が、4月22日のレコード・ストア・デイに合わせて初LP化! また4月28日には日本限定で新装盤CDのリリースも決定! 新装盤には、20曲の貴重な初出し音源が追加収録される。

Dirty Projectors + Bjork - On and Ever Onward
https://youtu.be/qfLXxrJ0cZU

両者の交流は、2008年に発表されたビョークの2ndアルバム『ポスト』のトリビュート・アルバム『Enjoyed: A Tribute to Bjork's Post』にダーティー・プロジェクターズが参加し、ビョークがダーティー・プロジェクターズのヴォーカル・アレンジを気にいったことから始まったという。

オリジナル盤は、デイヴ・ロングストレスとビョークが、1500年代にオペラが生まれたイタリアの小劇場について話したことをきっかけに、マンハッタンの小さな書店「ハウジング・ワークス」にて、アンプなしでパフォーマンスをするために書き下ろされた7曲が収録されている。ドラムやギターは一切使用されず、ほとんど声だけで構成された本作は、どこか童話のようでもあり、不可思議な未来から届いた合唱曲のようでもある魅惑的な楽曲集であり、ダーティー・プロジェクターズのディスコグラフィーの中でも異彩を放つ名盤であると同時に、音楽家ビョークの底知れる才能を理解する上でも重要な作品と言える。ビョークの力強い歌声、デイヴ・ロングストレスのしゃがれたリード・ヴォーカル、ダーティー・プロジェクターズのメンバー、アンバー・コフマンとエンジェル・デラドゥーリアン、ヘイリー・デクルのコーラスが、驚くべきハーモニーを生み出している。3日間のリハーサルを経て、まるで50年代初期のロックンロールのようなシンプルかつダイレクトな形で録音され、オーバーダブはリードヴォーカルのみという特殊な制作方法も、本作に特別な魅力を加えている。

日本限定の新装盤CDには、オリジナルのスタジオ音源7曲に加え、2009年に「ハウジング・ワークス」にて披露された実際のライブ音源や、デモ音源、リハーサル音源などの全て初だしとなる未発表音源20曲を加えた全27曲収録の超豪華盤となる。今回の新装盤CDには、歌詞対訳と解説書が封入され、本作の魅力を最大限楽しめる内容となっている。

label: Domino
artist: Dirty Projectors + Bjork
title: Mount Wittenberg Orca (Expanded Edition)
国内盤CD release: 2023.04.28
輸入盤LP release: 2023.04.22 (RSD商品)

BEATINK.COM: https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13297

tracklist:
国内盤CD
01. Ocean
02. On And Ever Onward
03. When The World Comes To An End
04. Beautiful Mother
05. Sharing Orb
06. No Embrace
07. All We Are
08. Intro (Live from Housing Works, 2009)
09. Ocean (Live from Housing Works, 2009)
10. On and Ever Onward (Live from Housing Works, 2009)
11. When The World Comes To An End (Live from Housing Works, 2009)
12. Beautiful Mother (Live from Housing Works, 2009)
13. Sharing Orb (Live from Housing Works, 2009)
14. No Embrace (Live from Housing Works, 2009)
15. All We Are (Live from Housing Works, 2009)
16. Wave Invocation (Inverness Demo I)
17. Motherwhale Song (Inverness Demo II)
18. Whale Watcher Song (Inverness Demo III)
19. Fugal Swim (Inverness Demo IV)
20. First Duet (Inverness Demo V)
21. Migration (Unfinished Inverness Demo)
22. Jubilation (Inverness Demo VI)
23. Benediction (Inverness Demo VII)
24. When the World Comes To An End (Freewrite)
25. When the World Comes To An End (Vocalise Rehearsal Rough)
26. Beautiful Mother (Vocalise Rehearsal Rough)
27. On and Ever Onward (Full Rehearsal Rough)

Squid - ele-king

 2021年5月に〈Warp〉からリリースしたデビュー・アルバム『Bright Green Field』(全英チャート初登場4位)で高く評価された5人組スクィッドが、パンデミックの影響で延期となっていたロンドンでの初の単独ヘッドライン・ショウをおこなった。この前日に2年ぶりとなるセカンド『O Monolith』リリースの告知および新曲 “Swing (in A Dream)” も発表されたばかりのタイミングで、バンド側も「新曲寄りの内容になる」と予告していた通り約80分のセットで1枚目からは4曲のみ(セカンドに収録されていない新曲もプレイした)。一種のプレヴュー的ショウと言えるが、2021年夏に「Fieldworks(現地調査)Tour」と称して英数カ所の会場でセカンド向けのマテリアルを試運転したこともあるだけに、演奏はすでに見事に化合していた。

 パーカッション奏者も加わっての6人編成で、ステージ両端左&右にそれぞれアーサー・レッドベター(Keys)とオリー・ジャッジ(Vo / Ds)が陣取り、中央にギター/ベース/サウンド・マニピュレーション/パーカッション/コルネットを自在に切り替える3名=ルイス・ボーラス、ローリー・ナンカイヴェル、アントン・ピアソン。ステージそのものはけっして広くないのでたまたまああなったのだろうが(何せ機材の数が多い!)、イカの触手が広く長く伸びるように見えたのは面白い。

 その「触手が伸びた」は、あながちヴィジュアル面での印象だけではなかったと思う。1曲目 “Undergrowth” からバスドラを合図にアフロ・ラテンなパーカッションのさざ波が起こり、安定したヨコ揺れのグルーヴ上に構築されていくサウンドの緻密な網が場内をすっぽり包む。スクィッドと言えばタテノリのファンク・パンク~鋭角的マス・ロックの印象が強いが、この新たに獲得したサイキックな広がりには引きずり込まれる。シニカルさと自虐ペーソスが交錯し、頓狂にキレるオリーの独特な歌声──音楽の中で「第四の壁」を破る存在と言えるだろう――も抑えた表現でサウンドの一部と化す場面が増え、後半ではキットを離れハンドマイクで歌うことも。続く “If You Had Seen The Bull’s Swimming Attempts You Would Have Stayed Away” ではタイトで重層的なリズムの波動とダイナミックなアレンジがぶつかり合い、その醍醐味に思わずマグマを想起した。

 セット中盤の2曲、淡々とはじまった “Devil’s Den” のフォーキィなメロディ(と言ってもフォークロアの方)の不気味なゆかしさ、そしてコルネットを生ループで重ねる印象的なイントロから鉄槌のギター・リフでビルドアップしていく “After the Flash” の耳で聴くホラー映画の迫力。どこかのグロットでおこなわれる儀式のようなただならぬムードに、会場全体が圧倒され全身で聴き入る。このようにスロー・バーンでポップとは言いがたい楽曲を、しかしオーディエンスの感性を信頼してぶつける度胸が彼らにはあるし、初めて耳にする曲で聴き手を虜にするだけの演奏力もある。

 観客の放つエネルギーとの相互交流からマジックが生じるのもライヴの良さだし、その面はファーストからの人気曲で存分に楽しませてもらった。キース・レヴィンを彷彿させるルイスのギターにリードされはじまった3曲目 “G.S.K.” でたちまちシンガロングが起こり、後半に畳み掛けた “Peel St.” と “Documentary Filmmaker” で「待ってました」とばかりにフロア中央でモッシュ開始。オイルをたっぷり差した歯車のようにスムーズに熱いグルーヴを繰り出すバンドの手の平に乗り、“Narrator” では老いも若きも本能に任せて踊り歌う――コーラスの「narrator!」を繰り返し絶叫するだけでもいまの時代のうっぷんがちょっと晴れるし、イカ型の電球付きおふざけ帽子(笑)姿の男性客がクラウドサーフィンを成功させた姿に、このときばかりはメンバーも笑い出して喜んでいた。

 ショウ全体のピーク点がここだったのは間違いない。だが、それに続いてラストに披露されたセカンドからの第一弾曲 “Swing (in A Dream)” がとても印象的だった。“Narrator” のカオティックな盛り上がりでもみくちゃになった後だったので余計にそう感じたのかもしれないが、シンセやエフェクトのコズミックな電気音のスモッグを抜け、一気に視界がカーッ! と開ける爽快感を備えたこの素晴らしいポップ曲は、ダイヤモンドのごとく澄み切ったギター・サウンドと相まって彼らがそのK点を大きく伸ばしたことを痛感させた。

 『Bright Green Field』はコンクリートとアスファルトの都会的景観を主たる舞台としたアルバムであり、それゆえのアイロニックな反語的タイトル(=明るい緑の草原)だったわけだが、『O Monolith』での彼らは実際に多様な風土や歴史に腕を伸ばし、モダニストでありつつアルカイック、ナチュラルでありながらテクノな、どこにもない音世界を作り上げたのを感じたギグだった。「南ロンドン派」云々の形容はもう必要なし、現在のスクィッドは自力で立っている――客電が灯り、フランキー・ヴァリの “君の瞳に恋してる(Can’t Take My Eyes Off You)” が流れる場内を後にしながら、セカンド投入で全貌が明らかになる、彼らのたくましい浮上からはまさに「目が離せない」と思った。

SQUID - ele-king

 スクイッドのセカンド・アルバム『O Monolith』が6月9日にリリースされます。アルバムからは、まずは1曲、 “Swing (In A Dream)” が公開されました。

Squid - Swing (In a Dream) (Official Video)

 
 トータスのジョン・マッケンタイアがミキシングを担当した新作は、バンドのサウンドが格段に飛躍したことを証明しています。楽しみに待ちましょうね〜。もちろんインタヴューも掲載予定です!

SQUID
O Monolith

Warp/ワープ
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=13267

国内盤CD
01. Intro *Bonus Track
02. Swing (In A Dream)
03. Devil’s Den
04. Siphon Song
05. Undergrowth
06. The Blades
07. After The Flash
08. Green Light
09. If You Had Seen The Bull’s Swimming Attempts You Would Have Stayed Awa

interview with Young Fathers - ele-king

 ロックが培ってきた実験精神と、ゴスペルやR&Bといったブラック・ミュージックが育んできた大衆性、その最良の結合──エディンバラの3人組、全員がヴォーカルをとるヤング・ファーザーズの魅力といえばそれに尽きる。ソウルを愛する文化がアメリカ以上に深く根づいている、イギリスだからこそ出てくる音楽だろう。
 2010年代前半、LAの〈Anticon〉から浮上しエクスペリメンタルなヒップホップ・サウンドを展開していた彼らは、ファースト『デッド』(2014)でマーキュリー・プライズを受賞するとヒップホップ色を薄め、徐々にポップな要素を増大させていった。クラウトロックの冒険心をとりいれたセカンド『白人も黒人だ』(2015)やその延長線上にあるサード『ココア・シュガー』(2018)も、実験的でありながら親しみやすいコーラスを持ちあわせた、広く門戸の開かれた作品だった。
 はたして5年ぶり4枚めの新作『ヘヴィ・ヘヴィ』は、その重々しいタイトルとは裏腹に、かつてないキャッチーさを携えている。ノイズがだいぶ控えめになったことに驚くファンもいるかもしれない。出だしの “Rice” からして祝祭感満載で、ネオリベ社会を風刺したかのようなリリックの “I Saw” にそのアンサー “Drum” と、アルバムはどんどん疾走感を増していく。注目すべきはやはりゴスペル的な要素の前景化だろう。オルガンが教会を想起させる4曲目 “Tell Somebody” でその聖性は最初のピークを迎える。各曲で重ねられるコーラスはまるで、あなたがけしてひとりではないことを強調しているかのようだ。なぜ彼らは今回、ゴスペルやソウルの部分を最大限に押し広げたのだろうか。

 セカンドのタイトル『白人も黒人だ』によくあらわれていたように、ヤング・ファーザーズは聴き手に「どういうこと?」と立ちどまって考える機会を与えることを忘れない。「賛成する意見もあれば反対な意見もある。そして、みんなこのタイトルについて考えていた。〔……〕そういう作用を引き起こしたかった」のだと、メンバーのグレアム・ヘイスティングスは同作について語っている(紙版『ele-king vol.16』、2015年)。もしヤング・ファーザーズの音楽が難解なだけの代物だったら、そんな現象は起こらなかっただろう。リスナーと身近な人びととの会話を刺戟することができるからこそ、彼らはポップであることにこだわるのだ。「5時半に仕事を終え、運転して帰宅途中の人たち」のために音楽をつくっているという彼らの瞳には、つねに生身の人間、生活する人間が映っている。

 新作のテーマはずばりコミュニティだ。というとなにか志を同じくする集団のようなものを思い浮かべてしまうかもしれないけれど、難しく考える必要はない。ようは近しいだれかと一緒にいることである。アルバムには、ネイティヴ・アメリカンの戦士の名を掲げた曲がある。彼はコミュニティのために戦った勇者だった。今回取材に応じてくれたアロイシャス・マサコイは、そのじつにソウルフルな賛歌 “Geronimo” について「人間関係のなかで、自分ができること、自分の役割を全うしたい。ぼくはそのために生きているし、そのために生まれてきた」とまで言ってのける。
 ひとはひとりで生きているわけではない。パンデミックを経てヤング・ファーザーズは、あらためてわれわれにその事実に目を向けさせようとしているのかもしれない。そもそも「ヤング・ファーザーズ」なる気どらないバンド名からして、メンバー全員が父とおなじ名前だからという理由でつけられたものだった。身近な人びととのつながりこそ、彼らの出発点だったのだ。
 けして軽くはないテーマを忍ばせ、ときにはメランコリックなことばを紡ぎながらも、最終的には歓喜と祝祭に満ちたこのアルバムは、たとえば満員電車で無言でひとを押しのけたり舌打ちしたり、泣く赤子をあやす親にキレちらかしたりするのがあたりまえのここ日本においてこそ、もっとも聴かれるべき音楽ではないだろうか。

母親のためにスーパーに行って食材を買わなきゃいけないし、姪っ子や甥っ子の学校の送り迎えだってしなくちゃいけない。〔……〕自分のまわりのひとに尽くせないひとが、社会を変えられるはずがないと思うから。

エディンバラはパンデミックのあいだどのようなムードだったのですか? やはり外出するひとがいない時期が長く続いたのでしょうか?

アロイシャス・マサコイ(Alloysious Massaquoi、以下AM):そうだね。街はかなり人出も少なくて静かな感じだったね。でも、報道されるような大袈裟な感じではなかったよ。実際には出歩いているひともいたし、仕事をしているひともいたし。テレビで観るような感じではなかったと思う。ぼくも外の空気を吸いに散歩に出かけたりしていたけど、出歩いているひとも結構いたね。

いまは完全にもとどおりという感じですか?

AM:そうだね。もとどおりになってけっこう経っているかな。前と同じようにコミュニケーションがとれるようになったよ。

前作から5年ぶりのアルバムですが、この5年でブレグジットやパンデミック、ウクライナの侵略などがあり世界は大きく変わりました。あなたたち自身はどこか変わりましたか?

AM:社会はつねに変化を続けているからね。それは世界という大きな枠ではなくても、個人個人の人生にとっても同じことだと思うんだ。自分とひととの関係性やリレーションシップも変化を重ねていくものだから。関係性がより強まったり、深まったり、ときには失ってしまったり、終わってしまったり。自分のなかで折り合いをつけて進んでいくしかないんだよ。若いときはその関係性のなかから自分が欲しいものを得ればいいし、歳を重ねるごとにひととの関係性に求めるものは変わってくると思う。家族にせよ友人にせよ、その関係性の上に築かれたものは強度や深度を増していくんだ。とにかくいろいろな変化を経験しながら進んでいく。それが人生だと思うから。

社会的な問題などがあなたの考え方に影響をもたらすことはあるのでしょうか?

AM:それはあると思うね。もちろん、メディアで報道されていることについては自分の恋人や友人と議論することもあるし、会話のなかにも出てくるし。でも、たいせつなことは自分がいまいる場所、やるべきこと、やっていることに向き合うことだと思うんだ。社会でどんなことが起こっていても家賃は払わなくちゃいけないし、家のローンは払わなくちゃいけないし、光熱費だって払わなくちゃならない。母親のためにスーパーに行って食材を買わなきゃいけないし、姪っ子や甥っ子の学校の送り迎えだってしなくちゃいけない。自分がすべきことがあるから、まずはそれに責任を持たなくちゃ。社会の問題についてぼくたちができることは限られているし。もちろん抗議デモに参加して、自分の意思を表明することなんかはできるから、自分にできる範囲でやればいいんだよ。コントロールできない問題だからと諦める必要もないけれど、自分のすべきことを放り出してまでやるのはちがうと思うな。まずは自分にできることからやるべきだよ。自分のまわりのひとに尽くせないひとが、社会を変えられるはずがないと思うから。それができて初めて、もっと大きなことに目を向けるべきなんじゃないのかな。先人たちもずっとそうやって乗り越えてきたはずだよ。今回のことが最後の戦争ではないし、これからも国同士の諍いや戦争は繰り返されて、終わりが来ることはけしてないんだから。自分にできることをやるだけさ。

まずは自分のまわりのひとを幸せにしなければということですね。

AM:そのとおりだよ。


photo by Fiona Garden

全体をとおしてぼくたちが表現したかったことは、コミュニティの雰囲気や共同体の持つ様相といったものなんだ。みんながユニゾンで歌ったり、レイヤーを重ねていくところに、そうしたものの要素が込められていると思う。

ところでこの5年間に、好きな音楽の種類に変化はありましたか?

AM:どうだろう。パンデミックの時期は、むかし聴いていた音楽をよく聴き直していたような気がするな。子どものころに聴いていた曲とか。自分にとって忘れられないような出来事があったころに聴いていた曲を思い出したりしていたよ。当時好きだった曲ということではなくて、けしてその曲が気に入っていたわけじゃなくても、自分にとって人生の転機になるようなころの思い出と、そのころ聴いていた曲が結びついているような感じなんだ。その出来事のBGMになっているというか。もちろん、強烈に覚えているのは出来事のほうなんだけど、その曲を聴くと、当時のシチュエーションが鮮明に思い出される感じだね。そういう曲をよく聴いていた気がするよ。

たとえばどんな出来事と、それに結びつく曲を聴いていましたか。

AM:鮮明に覚えているのは、ぼくがほんとうに小さいころ、難民として母とふたりの姉妹と一緒にアフリカからスコットランドに移住したときのことだね。4歳か、4歳半くらいのころだけど。アフリカにいたころ……それこそ1歳かそれくらいだったと思うけど、母がよくマキシ・プリーストの “Wild World” をかけていて、そのメロディを覚えていたんだね。スコットランドに移ってから、地球の環境問題なんかがとりざたされるときにその曲が話題にのぼっていたりして、ふとこの曲がぼくの頭のなかに響いたんだ。もちろん、誰のなんという曲かは知らなかったよ。それで、7歳か8歳のころに、母に「こういうメロディの曲を覚えてるんだけど……」って歌って聴かせたんだよね。そうしたら母が「ああ、それはマキシ・プリーストよ」って教えてくれて。あの曲を聴くと、幼いころに嗅いだ匂いとか、スコットランドに移住してきたときのこととかを思い出すんだ。2015年に、祖父や叔母、いとこたちに会うために、ぼくは母を連れてガーナに里帰りしたんだ。ガーナの空港に降り立って空気の匂いを嗅いだとき、あの曲が頭のなかに流れてきた。母が大音量で聴いていたあの曲が、ぼくを当時の思い出のなかに連れ戻したんだ。

すごくよくわかります。匂いと音楽は密接に記憶と結びついていますよね。ところで、5年前の『Cocoa Sugar』リリース後の話ですが、ドイツのフェスティヴァルがあなたたちの出演をとり消す事件がありましたよね。彼らはイスラエル大使館とパートナーシップを結んでいて、あなたたちが反イスラエルのボイコット運動「BDS」を支持していたことが理由でした。サーストン・ムーアブライアン・イーノはそんなあなたたちを支持しました。以降もそれに似た、許せないことだったり、コミットできない出来事を経験することはありましたか?

AM:すごく単純にあそこでは演奏したくない、って思っただけなんだ(笑)。フェスティヴァル自体にはなにも思うところはなかったんだよ。彼らはアーティストを集めて、ぼくたちが演奏できる環境を最大限に整えてくれていただけだから。たんに演奏したくないという気持ちの問題だったんだけど、イーノやそういうひとたちがそれを支持してくれて。そのあとどんどん話が大きくなっちゃって、「あのフェスティヴァルのオーガナイザーはテロリスト・グループだ。テロを企てようとしている」という話にまで飛躍してしまったんだ。でもそれはおかしな話で、オーガナイザーのほとんどがユダヤ人だったんだから、そんなわけはないよね。「オーガナイザーの一部が、いろいろなアーティストとメールなどで密談を交わしていた」とかなんとか。それで数年後にドイツのマスコミが当時のことを訊いてきたとき、ちゃんと事情を説明したよ。出演をとりやめたのは、とても単純明快な話だということをね。それで、たったそれだけの話だった、ということをようやく理解してもらえたんだ。ぼくたちは人種もさまざまなグループだし、単純にコミュニティをサポートしたいと考えているから、特定の人種を攻撃するのではなく、互いに助け合うことを望んでいるんだ。逆にいえば、特定の人種だけを守って、他を排除するような活動については容認できないというスタンスをとっている。同意できない主張を掲げている団体とは関係を持ちたくないという、すごくシンプルな理由だよ、その前にも同じようなことがあって。
 ぼくたちは2014年にマーキュリー・ミュージック・アウォードを受賞したんだけど。これはアニメーションなども含めたクリエイティヴな活動に贈られる、イギリスではとても権威のある賞なんだ。ぼくたちは受賞することができたけど、そのときに「ぼくたちのことは右寄りのメディアには書いてほしくない」って明言したんだよね。ぼくたちのことはとりあげてくれなくて結構、ってね。頭にくるのが、タブロイド紙とかそういうメディアにはぼくたちのことは書いてほしくないのに、書いてほしくないと言っていると書き立てるわけだよ(笑)。ぼくたちには、ぼくたちのことを書いてくれるメディアを選ぶ権利があるはずなのに、実際は嫌だと思うメディアのほうが、「嫌がっている」ということを格好の材料にして書くというね。いろいろな考え方を持つ、すべてのひとに満足してもらうことは不可能だから、結局はぼくたちが銃を鞘に収めるしかなかった。受けいれたわけではけしてないけど、彼らを喜ばせてやる義理もないしね。そういうことはこれからもあるんだろうなとは思うけど、それでも自分たちの主張を持つことや、自分たちの考えをちゃんと表明していくことには、ネガティヴな面よりポジティヴな面のほうがずっと多いと思うから。ある程度の状況は受けいれるしかないよね。理解してもらえなかったり、ぼくたちとの会話が対立の火種になってしまったりすることはある程度覚悟しておかないと。ぼくたちのこれまでの作品を聴いてもらえればわかるとは思うんだけど。

そういうひとたちに限って、あなたたちの音楽を聴いていなかったりしますよね。あなたたちの音楽を聴けば、どんなことを考えていて、なにを否としているかは一目瞭然だと思うのですが。

AM:そのとおりだよ。そうなんだ。そこがいらつくけど、まあ、仕方ないね。

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たいせつなのは自分を取り巻く共同体と綿密な関係を築くことや、ひととつながることだと思う。そうしたもののたいせつさをぼくたちは繰り返し音楽をとおして伝えようとしているんだ。

では、少し新作の話を聞かせてください。“I Saw” が公開されたとき、バンドの声明には「なにもかもがうまく行かないことをエスタブリッシュメントと移民のせいにするパンフレット」「長らく死んでいた帝国の悪臭」といった表現が用いられていました。この曲の主人公はなかなか怖いことを言っていますが、彼はなにを恐れているのでしょう?

AM:「チェンジ(変化)」だね。変化や力関係を自分でコントロールするには、自分とはちがう考えのひとたちとおなじ土俵で闘わなければならないからね。

“I Saw” の主人公は「俺は勝ちたい」と歌っていますが、次の曲 “Drum” では「だれもが勝者になる必要はない」と歌われています。これはストーリーになっているのでしょうか?

AM:そうだね。勝ちたいと思う権利はあるけど、思うからといって実際に勝てるとは限らないから(笑)。世界のあり方にたいする理想は掲げていても、現実に直面して打ち砕かれてしまうこともある。そういう二面性を描いているんだ。なにを思おうが、なにを言おうがそれは自由だけど、♪You Can’t Always Get What You Want (※ザ・ローリング・ストーンズの曲)だよ(笑)。

(笑)。続く “Geronimo” とは、あの有名なネイティヴ・アメリカンの戦士のことでしょうか? 

AM:彼をベースにしているけど、彼自身というよりはむしろ彼のアティテュードについて歌っているんだ。敵と対峙する戦士の姿、銃口をつねに構えている姿勢、物事を判断し決断する力、アクションを起こす行動力といったものだね。飛び乗ったり飛び降りたり、自分の人生は自分でコントロールするというアティテュードそのもののことだよ。ネイティヴ・アメリカンの戦士として、植民地化や奴隷化の危機に晒された自分のコミュニティのために彼がしたことは小さなことかもしれないけど、すごいことだと思うから。自分たちもそうありたい、自分の居場所にとって、良き兄弟であり、父親であり、息子であり、伯父でありたい、何か決断を下さなければいけないときは、正しく行動したい。自分が愛する女性に喜びを与えられる存在になりたい。ともにいい時間を過ごしたい。人間関係のなかで、自分ができること、自分の役割を全うしたい。ぼくはそのために生きているし、そのために生まれてきたと思うから。そうした思いが地脈に流れている曲なんだ。

ヤング・ファーザーズの音楽には実験的な要素とポップな要素が同居しています。今回は以前のクラウトロック的な試みとは異なり、ストレートなポップネスが大きく出ていて、全体的にコーラスなどがゴスペル的な雰囲気を演出しています。このサウンドには自然に行きついたのでしょうか?

AM:そう思う。全体をとおしてぼくたちが表現したかったことは、コミュニティの雰囲気や共同体の持つ様相といったものなんだ。みんながユニゾンで歌ったり、レイヤーを重ねていくところに、そうしたものの要素が込められていると思う。どんどん要素を重ねて重ねて、極限まで重ねていった感じだね。ポップ・ミュージックのフォーマットでは、通常は多くの要素を削ぎ落としていくものだけど、今回のぼくたちは重ねて重ねて、とても密度の高いレイヤーに仕上げていったんだ。そこには再評価すべきものやサブカルチャー的な要素も含まれていると思うんだけど、ぼくたちがこのアルバムで描きたかったことは、世界で起こっていることや環境問題について、個人としてできること、それと共同体としてできることだと言えるだろうね。それに、コミュニティの感覚……個人個人のちがいをすべて包みこむような共同体。すべてのひとが自分らしくあることのできる共同体を表現したかった。これを聴いたひとが、最終的にはヒューマニティについて考えてくれたら嬉しいね。人間のあり方や、互いを認め合う寛容性のようなものに行きついてくれたら嬉しいとぼく個人は思っているんだ。

実際、ヤング・ファーザーズの音楽にはつねに喜びや祝祭性、楽しむことがあります。それを忘れないのはなぜですか?

AM:それはやっぱり、ぼくたちの音楽がヒューマニティ、人類のあり方や人間関係、ひとの情について歌っているからだろうね。ぼくたちは難しい局面や辛い経験もしていかなければいけない。でも、それは笑うことを忘れるという意味でも、人生をエンジョイできないという意味でも、人生の楽しみを知ることができないという意味でもないと思うんだ。さまざまな困難にぶち当たって、痛みやトラウマを感じてしまうかもしれないけど、それでも楽しむことはできるし、いい時間を過ごすこともできるんだ。人生のなかで、ときにはなにか乗り越えなければいけないこともあると思うけど、そんなときはひとと会話を交わしたり、どこかに出かけたり、散歩をして気分転換したりすることもできると思うしね。それが人生そのものだからさ。そうしたなかで、やっぱりたいせつなのは自分を取り巻く共同体と綿密な関係を築くことや、ひととつながることだと思う。そうしたもののたいせつさをぼくたちは繰り返し音楽をとおして伝えようとしているんだ。

8曲目の “Sink Or Swim” は疾走感のある曲ですが、「現状に泣きわめいても仕方がない そんなに深刻になる必要はない」というフレーズがまさに現代だからこそ重要に思えますよね。

AM:そのとおりだよ。もちろん、このフレーズで歌われているような心境に至るまでは、多くのことを乗り越えなければならないと思うし、だからこそ一度沈んでみる必要もあると思うんだ。深淵まで深く深く潜っていくことで、ことの真相を垣間見ることができるかもしれないし、そこをうまく泳ぎ切ることができたら、反対側の光のある方向から抜け出すことができるかもしれないから。もちろん、あえて自分から深みにはまっていく必要はないのかもしれない。表面を上手に泳いでいけばしのげることもあるからね。でも、深い場所に行けば行くほど見えてくることもあるし。深みを知ることで心が軽くなることもあるだろう。この曲で言いたかったことは、その決断は自分で下せるということさ。自分の人生の主人は自分だし、舵取りも自分自身なんだからね。

そのことばにすごく勇気づけられます。あなたたち自身はついつい暗く悲観的になってしまうことはありますか? 

AM:もちろん、そういう悲観的な精神状態というのも、楽観的な考え方の一部を構成していると思うから。ある状況下において、自ら決断を下すということは、その決断に責任を持たなければならないということだからね。ぼくたちの決断は、これまでの人生で経験したことに基づいているけど、そのことに責任を持つ必要があるし、自分自身にたいしても責任を持つ必要があるから。それにもちろん、自分と関わるすべてのひとたちにたいする責任もあると思うしね。自分が選んだことや決めたこと、それに自分がやったことの責任をほかのだれかに押しつけるようなことはしたくない。よりいい人生を送って、より大きな成功を収めるためには、自分ですべてのことに責任を持つことがたいせつだし、そのためには自分自身を律することもたいせつだと思うんだ。ジムでからだを鍛えるのでもいいし、ランニングをするのでもいいし、歩くのでもいいし、サイクリングでもいいし、本を読むことでも、なにかを書くことでもいい。自分の精神状態を健康に保つことがとても大事なんじゃないかと思うな。それが自分らしくあるための、責任のひとつでもあると思うよ。

あなた自身は、具体的にどうやって精神状態を保っているんですか?

AM:ぼく個人としてはジムでからだを鍛えるのが性に合っていると思うね。それと、家族と会話を交わすこと。理解してもらおう、賛成してもらおうと思って話をするわけじゃないけど、自分の考えをひとに話して意見を交わすことで、明確になることもたくさんあるからさ。散らかっていたものをまとめるのに役立つし、それもぼくらしくあるために責任を持つべきことのひとつだね。あとは、エクササイズをするのも好きだよ。頭がスッキリして物事を明確に考えられるようになるからね。とにかく、自分を心身ともに健康に保つことが大切だと思う。ライスをたくさん食べるでもいいし(笑)。

繊細であれ、ということさ。「傷つきやすさ」を弱点ととらえるひとも多いけど、ぼくは逆に強みになるんじゃないかと思っていて。傷つくということは、いろいろなことにたいしてオープンである、ということでもあると思うんだよね。

わかりました。最後の曲 “Be Your Lady” には「俺はお前の女になりたいんだ 俺が男だということを忘れて」という一節があります。これは近年のジェンダーの議論やアイデンティティの問題を踏まえているのでしょうか?

AM:そうとらえることもできるよね。この曲で描きたかったたいせつなことは、「繊細でいること」なんだ。繊細であれ、ということさ。「傷つきやすさ」を弱点ととらえるひとも多いけど、ぼくは逆に強みになるんじゃないかと思っていて。傷つくということは、いろいろなことにたいしてオープンである、ということでもあると思うんだよね。傷ついたり、精神的に落ちこんだり、なんとかそれを乗り切ることで強くなっていけるんだから。胸の痛みや悲痛な思いを経験するということは、そのひとがあらゆるものにたいして繊細で、感受性が豊かだということだ。テレビを観ていたって、本を読んでいたってなにかを感じることのできる感情の豊かさというものは、さまざまなことにたいしてオープンで受け入れる姿勢ができているということ。世のなかには男性的、女性的という感覚が存在していて、男らしくあることと繊細でいることは対極にあるように捉えられがちだけど、そうじゃない。そういう既成概念を取り払うべきだという思いもそこにはあるのさ。

たしかに、傷つきやすくて繊細、というのは弱点のように感じてしまいますが、その考え方は興味深いですね。

AM:そうなんだよ。けして弱点じゃないんだ。なににたいしても感受性豊かに、オープンな気持ちで受けいれられるということだし、行間を読む力も空間把握能力もあるというだと思うんだよね。そこにある空気やエネルギーの流れも読みとることができる。そういうことができるひとはとても繊細だし、それは大きな強みだと思うんだ。

それが最後にカネの話で終わるのが印象に残りました。これは皮肉ですよね?

AM:そうかもしれないね(笑)。

全体をとおして、サウンド的には祝祭感のあるアルバムだと思うのですが、タイトルに『Heavy Heavy』とつけたのはなぜですか?

AM:これは、ぼくたちがレコーディングに際して踏んだプロセスに関係しているんだ。今回のアルバム作りは、すべて自分たちで手掛けたから、他のどの作品よりも時間が掛かったんだけど。外部のプロデューサーに参加して貰うこともなかったし、全部自分たちだけで作ったんだ。だから、自分たちにとってすごく重みのあるものになった、という意味が込められているんだよ。それに、「Heavy」1語だけだと、重量感だけが際立ってしまうけど、2回繰り返すことで、どこか軽さも出ると思ったんだよね。そうすることで、クリエイティヴな部分や作ることの楽しさ、というものもプラスすることが出来たんじゃないかな。忍耐と喜びと、進化の過程と、そういうものがすべて相まってペースの速いサウンドになっていったのかもね。悲しみと喜び、ほろ苦さと甘さの調和を試みた作品になっていると思う。

今回のアルバム制作はどのようなプロセスを踏みましたか? 最初に、これをやる、これはやらない、というような約束事やルールのようなものはあったのでしょうか? サウンド面でもリリック面でも良いのですが。

AM:そういうルールはまったくなかったね。むしろ、どんなことにたいしてもオープンであるように心掛けた感じだね。スタジオに集まって、セッティングして、とにかくやってみよう、という感じでレコーディングして一発で上手くいったものも多いし。たとえばぼくが書いた曲でも、他のメンバーがもっといいアイデアを持っていたら、こだわらずにどんどん受けいれて、結果的にずっとよくなった曲もあるし、その逆もある。その躍動感のようなものを大事にしたかったから、誰かが咳をしたり、誰かがミスをしたりしても、敢えてそれを残したんだ。普通はそういう部分を細かくカットしていくものだけど、それこそがぼくたちの作品そのものだと思ったからね。だから、ルールのようなものは一切なかったよ。もしあるとすれば、これまでに耳にしたことのないようなものをやろうっていうこと。もし何かやりたいことがあったら、どこかで聴いたことのないものになるよう心掛けたということかもしれないね。

では、2月から3月までヨーロッパとUKでのツアーが控えていますが、その後やってみたいことはなんですか?

AM:ツアーが終わったら、一旦少し休んで、それからまた集まって夏のフェスティヴァルに備えることになるだろうね。年内には、どこかに休暇に出掛けたいと思ってるけど。友だちに会いにどこかに行くのでもいいし。普通の暮らしがしたいね。友だちに会ったりとかさ。

では最後に、もしこのアルバムのリミックス盤をつくるとしたら、依頼してみたいアーティストを教えてください。

AM:いい質問だね。そうだな……家族を招いてバッキング・ヴォーカルを録音してみたいかな(笑)。それをリミックス・ヴァージョンとして発表してみたいね(笑)。

それは楽しそうですね(笑)。ゴスペルっぽい感じですかね。

AM:そうそう。そんな感じだよ。

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