「PAN」と一致するもの

interview with Dai Fujikura - ele-king

 ときは2007年。それは偶然の巡り合いだった。もしあなたがクリストファー・ヤングの書いた評伝『デイヴィッド・シルヴィアン』を持っているなら、15章と16章を開いてみてほしい。ご存じシルヴィアンという稀代の音楽家と、若くして次々と国際的な賞を受け高い評価を得ていた新進気鋭の作曲家・藤倉大との出会いが鮮やかに──そして通常はコレボレイションと呼ばれる、しかしじっさいには互いの情熱をかけた音楽上の熾烈な闘いの様子が──じつにドラマティックに描き出されているはずだ。『Manafon』(2009年)とそれを再解釈した『Died In The Wool』(2011年)、あるいはそのあいだに発表されたコンピレイション『Sleepwalkers』収録の“Five Lines”(2010年)。それらがふたりの友情の出発点となった。
 クラシカルの分野で若くして才能を発揮──なんて聞くと、「さぞ裕福な家庭で英才教育を施されたエリートにちがいない」と思い込んで身構えてしまうかもしれないが、藤倉大はいわゆるエリーティシズムからは遠いところにいる。「じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない」と彼は笑う。「10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない」。そんな彼が少年時代に何よりも夢中になっていたのは、デイヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一だった。それが後年、じっさいに共作したり共演したりすることになるのだから、運命というのはわからない。
 ともあれ、音楽的なルーツがそこにあるからだろう、藤倉大の作品には、現代音楽にありがちな人を寄せつけない感じ、理論をわかる人だけが楽しめるあの閉じた感じが漂っていない。彼は近年、笹久保伸との共作『マナヤチャナ』を皮切りに、『世界にあてた私の手紙』『チャンス・モンスーン』『ダイヤモンド・ダスト』と立て続けに〈ソニー〉からソロ名義のアルバムをリリースしているが、そのどれもがアカデミックな堅苦しさとは距離を置いている。
 この6月に発売された新作『ざわざわ』もじつにエキサイティングなアルバムで、たとえば最初の3曲の声の使い方には、ふだんいわゆるエクスペ系の音楽を聴いているリスナーにとっても新鮮な驚きがあるだろうし、後半のコントラバスやホルンの曲も、最近エレクトロニック・ミュージックの分野で存在感を増してきているイーライ・ケスラーオリヴァー・コーツロンドン・コンテンポラリー・オーケストラあたりが気になっている音楽ファンにはぜひとも聴いてもらいたい楽曲だ。
 現代音楽の作曲家であるにもかかわらず、クラシカルについてはよく知らない──その不思議な経歴と背景に迫るべく、ロンドン在住の彼にスカイプでインタヴューを試みてみた。


じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない(笑)。10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない。

藤倉さんはロンドンのどのエリアにお住まいなのですか?

藤倉大(以下、藤倉):グリニッジほど遠くはないですが、南東のエリアです。たぶん昔、デヴィッド・シルヴィアンやジャパンのメンバーが高校に通っていて、バンドを結成したエリアじゃないかな。

それが理由でそのエリアを選んだというわけではなく?

藤倉:ちがいますね。たんに家賃が安いところを探して選びました。ここはもともとドラッグの売人とかが歩いているような治安の悪い、荒れた地域だったんですよ。それで家賃が安かったから、あえてここを選んで引っ越したのに、2012年のロンドン・オリンピックの影響で、電車とかがものすごく便利になってしまった。それで一気に家賃が高騰して、住んでいる人たちも変わりました。それでも僕がそこに住み続けられたのは、家主が牧師だったからなんです。大家から電話があるたびに、「人間として最悪の罪は欲望ですよね」と言って、そしたら向こうも「そのとおりだ」と言う。聖書にそう書いてあるわけですし、当たり前ですよね。それをずっと言い続けていたら、うちだけ家賃が上がらなかったんです(笑)。

すごい裏技ですね(笑)。

藤倉:そうでもしないと住み続けられなかった。その後、近くに引っ越したんですが、そこも信じられないくらい小さなところで、家の状態もよくなかった。だから高くなかったんです。ちなみにチェルシーはお金持ちが住むところなんですが、僕らが住んでいる地域もいまや「東のチェルシー」と呼ばれるくらいにまでなってしまいました。人種も変わりましたね。以前は白人があまりいなかったんですが、いまは白人やお金持ちの人たちばかりです。

お金のないアーティストたちが住めるような街ではなくなってしまった。

藤倉:そう。ただ、イギリスには不思議な制度があって、売れない画家を装っていても、じつはその両親がお金持ちというケースがあります。譲渡税というか、そういう税があまりかからないらしいんです。だから、親の稼ぎがあるとか、あるいは代々受け継がれてきた家があるとかで、画家としては売れていなくても、ふつうに生活できるんですよ。ここにはそういう人たちが多く住んでいますね。現代美術の画家のような、一見どうやって生きているんだろうと思うような人たちが、このエリアにたくさんスタジオを持っていたりする。たぶん家賃を払う必要がなかったり、親から譲ってもらった家を貸し出してそれで生活したりしている人も多いと思います。イギリスってそういう国なんです。大金持ちではなくても、財産を受け継いで生活できちゃう人たちが多い。
 ちなみに僕は日本人で、妻はブルガリア人なのですが、そういうふうにどちらも外国人だとかなり不利ですね。イギリスはふつうの家でも築100年とか200年とか経っていて、そんなぼろぼろの家でも高額で売れちゃう。そういうおじいちゃんやおばあちゃんの家を売って、孫の数で割って入ってきたお金を頭金にして、みんな20歳くらいでローンをはじめるんです。外国人にそれは難しい。だから、小林さんもイギリスの人にインタヴューする機会があると思いますけど、貧乏っぽく装っていてもけっこう良いところに住んでいたりするような人たちは、そういうことなんですよ。

なるほど。ちなみに、ロンドンへ渡ったのは10代のときですよね?

藤倉:留学するためにイギリスに渡ったのは15歳のときですが、そのときはロンドンではないんです。ドーヴァーの高校にひとりで入って、そこで3年間寮生活をして、ロンドンの大学に行った。ロンドンはそのときからですね。

クラシック音楽はヨーロッパ、大陸のイメージがありますが、イギリスに行ったほうが良い理由があったんでしょうか?

藤倉:ほんとうはヨーロッパに行きたかったんです。ドイツでクラシックをやりたいと言っていたんですけど、まずは英語を喋れるようになってから、そのあと大学でドイツに行くなりなんなりすればいいじゃないかと親に言われて、まずはイギリスに留学することになった。結果的にそのあとも住み続けているという流れですね。
 ちなみに、僕がまだ日本に住んでいたとき、子どものころに聴いていた音楽って、デヴィッド・シルヴィアンとか、坂本龍一さんだったんですよ。『未来派野郎』とか。おそらく僕より10くらい上の人たちがリアルタイムで聴いていたものだと思いますが、そういう音楽に中学生のときにハマって、ひとりで聴いていました。そのままイギリスに渡って、ドーヴァーのCD屋で作品を買い漁ったりして、いまの僕がある。だから、じつはぜんぜんクラシック育ちという感じではないんですよ。むしろクラシックのことはぜんぜん知らない(笑)。10代や20代のときに聴いていたアルバムを挙げてくださいと言われても、クラシックは1枚くらいしか入らない。でもまわりにいるのはクラシックの方が多いから、ふだんこうやってインタヴューを受けるときも、デレク・ベイリーがどうだとかジョン・ハッセルのトランペットが良くてといった話ができなくて残念なんです(笑)。あとは映画音楽かな。ホラーの映画音楽が大好きだったので、中学生・高校生のころは聴きまくっていました。当時日本ではミスチルや小室哲哉が流行っていて、イギリスでは2 アンリミテッドとかもいましたけど、そういうのにはあまり興味がなかったな。当時のチャートに入るようなポップスっていまはもう聴いていられないですよね。でも、80年代のデヴィッド・シルヴィアンの『Gone To Earth』とかは、いま聴いてもものすごくミックスも編集も素晴らしいと思える。

デヴィッド・シルヴィアンとはその後じっさいに共作することになるわけですが、それはどういう経緯ではじまったのでしょう?

藤倉:もともと僕はたんなる彼のファンだったんです。作品はぜんぶ持っていましたね。その一方で、僕は大学2~3年生くらいから現代音楽の作曲コンクールとかで優勝するようになったんですけど、それはもともと賞金が目当てだったんですね。その賞金で家賃を払ったりしていた。僕は外国人だから働く時間が制限されていたというのもあり、賞に応募しまくってその賞金で生活していたんです。
 そうすると、BBCだとかオーケストラの人たちが僕の名前をよく見かけるようになって、それで僕の曲がラジオで流れるようになったりもして、演奏するようになったのが大学3年くらい。そういう感じでゆるやかにキャリアを積んでいったんですが、そんなときにすごくパワフルなおばさまに出会って、彼女が僕にチャンスを与えてくれた。そのおばさまが僕の作品を名門のロンドン・シンフォニエッタに送ったんです。
 そのころ、ロンドン・シンフォニエッタでビートボックスとオーケストラを融合させて曲を書くというプロジェクトの話が持ち上がった。そういうことに関心のある作曲家を探しているから、ワークショップに来てくれと連絡があって、それでそのワークショップに行ったんですけど、それじたいはぜんぜんおもしろくなかったんです。で、「行ってみた感想はどうだった?」と訊かれたので、素直に「つまらなかった」と伝えました。「そういうものよりも僕は、デヴィッド・シルヴィアンと一緒に何かをやるのが夢なんだ」って話したんです。
 そしたら、「デヴィッド・シルヴィアンなら来週オフィスに来るよ」と。それで彼と会うことになって、作品の交換をしたりしました。そのとき彼はちょうど『Manafon』の録音中だったんですが、僕が自分の音楽を送ると、ぜひ参加してほしいと言われて、そこから仲良くなりましたね。

きっかけは幸運な偶然だったんですね。

藤倉:そうですね。デヴィッド・シルヴィアンはめちゃくちゃプロフェッショナルで頑固で、自分が納得しない音楽は絶対に許せないという感じの人なんですが、僕も若かったので、彼のほうから誘ってもらったのに、自分が参加した音の使われ方に文句を言ったりしていたんです。なんて失礼なやつだと思いますが(笑)、でもデヴィッドも不思議な人で、投げやりな人だったりギャラを貰ったからやるというような人よりもむしろ、こだわりがあって譲らないような人のほうがいいみたいなんです。それで、口論したりもしましたが、いまも仲は良いですね。現代音楽の作曲家よりも彼のほうがずっと芸術家っぽいですよ。絶対に譲らないし。マスタリングが気にいらないとか、デヴィッド以外の人には聞こえないレヴェルでも。

その後、坂本龍一さんとも一緒にやられていますよね。それはどういう経緯で?

藤倉:坂本さんがロンドンでコンサートをする機会があったんですが、そのときはチケットを買い逃してしまったんですよ。それで完売しちゃったという話をデヴィッド・シルヴィアンにしたら、どうも彼が僕を紹介するメールを坂本さんに送ってくれたようなんです。あとで坂本さんから、すごく美しいメールだったと聞きました。それでそのコンサートに行けることになり、知り合うことになりましたね。
 ちなみに僕は坂本さんの音楽を聴きまくっていたので、日本のアルバムと海外のアルバムとでマスタリングのバランスが違ったりするんですが、知り合いになってからそれを指摘すると、「たしかに違うはずだ」と。「そこまで聴かれているんだ」と驚かれました。「あそことあそこのピアノの音がちょっとだけちがいますよね」みたいな話をしたら、「それはエンジニアが変わったからだ」とか。デヴィッド・シルヴィアンとおなじで、もともとそういうふうなたんなる聴き手だったので、まさか一緒に仕事をできるとは思っていませんでしたね。

作曲コンクールとかで優勝するようになったんですけど、それはもともと賞金が目当てだったんですね。その賞金で家賃を払ったりしていた。僕は外国人だから働く時間が制限されていたというのもあり、賞に応募しまくってその賞金で生活していたんです。

先ほど少しロンドン・シンフォニエッタのお話が出ましたけれど、彼らは〈Warp〉の作品を演奏したことがあって、テクノの文脈とも関わりがあるんですが、藤倉さんの作品もよくとりあげていますよね。

藤倉:昔はそうでしたね。24歳か25歳くらいのころ、僕は大学院生で、そのときにデヴィッド・シルヴィアンに引き合わせてくれたのとおなじ方から、「メンターをつけて進めていく新しいプロジェクトをするんだけど、ダイはつきたい先生はいるか?」と訊かれたんです。それで、せっかくだから手の届かない人の名前を言ってみようと思って、そのときハマっていたペーテル・エトヴェシュという有名な指揮者であり作曲家の名前を挙げたんです。そしたら、一応聞くだけ聞いてみるね、ということになった。
 すると、そのペーテル・エトヴェシュから、「楽譜と音源を送ってくれ」というメールが届いたんです。次にイギリスに行くのは8か月後になるが、そのとき20分だけロンドンのスタジオでレッスンをしてもいい、と。彼は超スーパースターだから、こちらはもう棚からぼた餅のような感じで、言われるままに楽譜と音源を送りました。そしたらそれ以降、奇妙なメールが届くようになったんです。スイスやドイツ、フランス、オーストリアから、ときには添付ファイルしかないような怪しげなメールが送られてくるようになって、これ絶対ウイルスだろうと思いながら開封してみると、どれも「ペーテル・エトヴェシュがあなたのことを知れと言っているが、君はいったい何者なんだ」というような内容で。名門オケからのメールだったんです。とにかく楽譜や音源を送ってくれ、と。それで、まだデータでやりとりする時代ではなかったので、郵送でCD-Rを送ったりしましたね。
 そうすると、運がいいことに「この作品を演奏したい」とか「一緒に新作をつくりたいのでベルリンに来てほしい」とかいう話になって。ルツェルン音楽祭のブーレーズのプロジェクトに応募したのもそれがきっかけでした。それからもロンドン・シンフォニエッタとも仕事はしましたが、ヨーロッパのプロジェクトが多くなっていって、イギリスは減っていきましたね。

こうしてあとから話を伺うと、ものすごくとんとん拍子のように聞こえますね。

藤倉:僕にとって嬉しかったのは、人柄を気に入ってもらって紹介されたのではなかったというところですね。あくまで曲を聴いて判断してもらった。ロンドン・シンフォニエッタとの関係もそうです。大学2年の年末テストのときに、大学とは関係のない外部から審査員としてロンドン・シンフォニエッタのメンバーの方が来たんですが、面接のまえに先に作品を聴かせるんですね。それでいざ面接のときにその人が、テストのことなんか忘れてしまって、「この楽譜を持って返ってもいいか」と言い出して。その横では、僕の先生がニコニコ笑っている。
そして次のシーズンが発表されたときには僕の作品がプログラムされていました。そんな感じで関係がはじまりました。それが大学生2年生のときですから、シルヴィアンと会うのはもっとそのあとですね、20代後半か30歳くらいのころ。

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デヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一さん、ペーテル・エトヴェシュとブーレーズ、この4人が僕にとっていちばん重要な人たちです。その4人全員に会えたというのはすごいことでした。僕の人生の財産ですね。

ブーレーズの名前も出ましたが、晩年の彼とも親しかったんですよね。

藤倉:それもペーテル・エトヴェシュが僕の話をしてくれたおかげですね。スイスのルツェルン音楽祭が若い作曲家を探していて、推薦された大勢の作曲家のなかから何人かを選ぶという流れでした。さらにそのなかからブーレーズ本人がふたりを選んで、そのふたりの作品を2年後の同音楽祭でブーレーズが指揮をする、というプロジェクトです。それでルツェルン側から「君が誰だかは知らないけれど、エトヴェシュから名前が挙がっているので応募してくれ」と言われて、そのとおり応募しました。オーケストラの作品をふたつ送らなければならなかったんですが、クラシックの世界ではオーケストラ作品が演奏されるというのはすごく大変なことなんです。4人のバンドで弾くのであれば4人集めればいいわけですけど、80人のオーケストラに曲を弾かせるというのはそうとうなことがないとできない。しかも若い作曲家にはぜんぜんチャンスもないから、貴重な体験でした。それで僕は最後のふたりまで残ることができたので、そのとき初めてブーレーズに会ったんです。もともと僕は彼のただのファンだったんですが、それから2年後のルツェルン音楽祭で自分の作品がブーレーズ指揮のもと演奏されることになって、そこからかなり親しくなりました。28歳のときですね。
 彼はすごく厳しい人として知られていますが、じっさいに会うとぜんぜんそんなことはなくて、ニコッとして「ミスター・フジクラ」とか「ダイ」って呼ぶときもあるし、ほんとうにふつうに接してくれた。この後、もう1曲指揮してくれたこともありましたし、もっと僕の作品を指揮する予定もあったんですが、そのころから体調が悪くなってしまったので、残念ながらそれはなくなって、彼も観客として見守るみたいな感じで、僕の作品が演奏されるときにはブーレーズが観客にいたりしたしたことはけっこう何回もありましたね。当時もう85歳くらいでしたからね。

すごく出会いに恵まれていますよね。

藤倉:デヴィッド・シルヴィアンと坂本龍一さん、ペーテル・エトヴェシュとブーレーズ、この4人が僕にとっていちばん重要な人たちなんです。じっさいに会うかはべつにしても、この4人から学んだことはすごく大きかった。ずっと彼らの作品を聴いて学んできたので、その4人全員に会えたというのはすごいことでした。しかも、みんな長く関係を続けてくださっている。たとえばペーテル・エトヴェシュは去年、僕の作品の世界初演をやってくれたんですが、そんな感じで10年以上経ったいまも良い関係で、それは僕の人生の財産ですね。お金では買えないですから。

2年前には《ボンクリ・フェス》という音楽フェスを起ち上げていますが、そのとき大友良英さんの曲も取り上げていますよね。

藤倉:今年もやりますよ! 今年の《ボンクリ・フェス》は9月28日です。大友良英さんも出ます。坂本龍一さんの日本初演もあります。「デヴィッド・シルヴィアンの部屋」というのもあります。そこでは、《ボンクリ》のためだけにデヴィッド・シルヴィアンが作業してくれた作品も発表するので、ぜひエレキングの読者の方がたにも来てほしいですね。しかも1日3000円ですから(※《ボンクリ・フェス》の詳細はこちらから)。

大友さんの良いところは?

藤倉:もう僕はたんなるファンですね。大友さんもデヴィッド・シルヴィアンの『Manafon』に参加していて、「キュイーン!」みたいな音ばかりの大友さんのトラックがたくさんあったんですよ。僕がそれを加工させていただくことになって。シルヴィアンからも、大友さんがいかに素晴らしい人かという話も聞いていましたし。デヴィッド・シルヴィアンは誰でも褒めるような人ではないですから、彼が言うならそうとうすごい方だろうと思って、じっさいそのあとに出た水木しげる原作のNHKのドラマの音楽なんかもすごく良かったですし、そうこうしているうちに大友さんからSNSでフレンド申請が来て、それですぐに《ボンクリ・フェス》のお話をさせていただいて。出演してもらうなんてめっそうもない話だから、「演奏させていただける曲はありますか」ってお尋ねしたんですが、そしたら新曲をつくってくださり、出演までしてくださることになって。それが1年目ですね。それで去年も出てくださって、今年も出ていただくことになった。
 でも大友さんは、毎回、どういう音楽になるか前日までわからないと言うんです。譜面をほとんど書かずに、リハーサルを1時間半くらいやって決めて、音楽を作っていくというやり方は、僕みたいに何ヶ月も時間をかけて楽譜にしている立場からするとうらやましいですね。僕もああいうふうに曲ができたらいいのになっていう憧れがあります。

まだ《ボンクリ》には出演していない人で、今後出てほしい方、何か一緒にできたらいいなと思う方はいますか?

藤倉:〈ECM〉から出している(ティグラン・)ハマシアンですね。僕はとにかく熱狂的な彼のファンなんです。彼のアルバムも好きでよく聴いています。

彼はほんとうに試行錯誤して、デザインから何からすべて、隅から隅までこだわる。それをみて、「やっぱりアルバムを作るというのはこういうことだな」というのがわかった。中身は妥協できない。そういう姿勢はデヴィッド・シルヴィアンから学びましたね。

新作の『ざわざわ』についてお尋ねします。再生して最初がいきなり強烈な“きいて”だったので、驚きました。続く“ざわざわ”や“さわさわ”も声を効果的に用いていますし、今回「声」にフォーカスするという、テーマのようなものがあったのでしょうか?

藤倉:それはぜんぜんなくて。僕は基本的に、リリースできる音源が集まったら出すというかたちでやっているので、とくに今回「声」にしようというテーマがあったわけではないんです。日本では〈ソニー〉から出ていますが、もともとは自分でやっているレーベルの〈Minabel〉から出していて。それで、僕は貧乏性なのか、CDを1枚出すのにもいろいろと費用がかかりますから、いつも、出すならぎゅうぎゅうに詰め込んで出そうと思っていて。なので今回も70分以上あるはずです。それでたまたま集まったものに声の作品が多かったというだけの話ですね。ただ、曲の並べ方は毎回かなり悩みますよ。あと、僕はマスタリングも自分でやっているんですが、それもすごくチャレンジですね。たとえば“きいて”なんかはいじりまくっています。モノラルみたいな感じではじめて、途中から広げたり。

ご自身で編集やミックス、マスタリングまでこなすのは、そこまでやってこその音楽家だ、というような矜持があるんでしょうか?

藤倉:人に任せるとお金を払わなきゃいけないというのもありますね。しかも、お金を払わなきゃいけないわりには、僕が納得するマスタリングとかミックスだったことはほとんどなくて。なので、よく素材だけもらって、僕なりにミックスして、友だちのアーティストに送ったりするんですが、そういうときも「こっちのほうがいいじゃん」と言われることが多い。だから何十時間という時間をかけて自分でやるほうが、金銭的にも気分的にもいいなと思っているんです。僕はサウンドエンジニアとかプロデューサーの友だちがけっこう多いんですけど、みんな親切で、丁寧にいろいろ教えてくれるんです。それでどんどん上達したと思います。今回は冒頭が“きいて”で、そこから“ざわざわ”に移るので、最初は眉間の部分を小突く感じではじまって、“ざわざわ”でうわっと世界が広がるという感じかな、とか考えてやっていましたね。あと、僕の場合ライヴ録音がほとんどなので、(オーディエンスの)咳をとり除いたりするのには時間がかかりますね。

“きいて”は小林沙羅さんの息継ぎ、ブレス音も絶妙で。

藤倉:ちゃんと残っていましたよね? あまりにもなくしちゃうと変になっちゃうから。小林沙羅さんはいわゆる正統派のオペラ歌手なんですが、それをこういうふうに遊びで、ちょっとグロテスクな曲にしてしまう。ひどいですよね(笑)。彼女から委嘱されたのに。でも、そういう曲を書いたり変なミックスをしても沙羅さんはおもしろいと言ってくれるんですよ。そういうところが一流のアーティストはちがいますよね。ふつうは守りに入りますから。彼女は気に入ってくれたみたいで、いろんなところで歌ってくれているそうです。しかも毎回ちがう演出らしい。そういうふうにおもしろがってくれるのは、ホルンの福川伸陽さんもそうなんですよ。ホルンで曲を書いてくださいと言われたんですが、じつは僕はホルンが嫌いなので、ホルンっぽくない音を探しましょう、と。これも失礼な話ですよね。でも彼もそれをおもしろがってくれて、何曲も委嘱してくださって。それで“ゆらゆら”という、最初から最後までホルンの変な音が鳴り響く曲ができた。

まさに“ゆらゆら”は音響的におもしろい曲だと思いました。

藤倉:ふつうではない奏法なので。ふつうのホルンのサウンドは嫌ですから。

そして、その前後にはコントラバスのこれまた変な曲(“BIS”、“ES”)が並んでいて。

藤倉:弾いている佐藤洋嗣さんもおもしろいことをやるのがお好きな方で。アンサンブル・ノマドの佐藤紀雄さんのご子息なんですが、アルバム後半のこのあたりの曲は僕が自分でマイクを立てて録っているんですよ。

レコーディング・エンジニアのようなこともされているんですね。

藤倉:でもやり方を知らないから、ぜんぶ見よう見真似です。前のアルバム『ダイヤモンド・ダスト』でヴィクトリア・ムローヴァさんというめちゃくちゃ有名なヴァイオリニストの方に参加してもらったんですが、そのときも彼女の家までマイクを持っていって、自分で録音したんです。6チャンネルで録ったんですけど、そのうちのふたつはムローヴァさんの旦那さんが良いマイクを持っていたのでお借りして。でもヴァイオリンを録るときのマイクの立て方がわからない。そしたらムローヴァさんが、彼女は小さいころからレコーディングしているから、「ふつうはもうちょっと上だね」とか教えてくれる。そういう感じで録っていきましたね。時間があればエンジニアリングも習いたいです。

そういうチャレンジ精神は何に由来するのでしょう?

藤倉:僕の最初のアルバム『Secret Forest』は、芸術のために活動しているイギリスの小さな〈NMC〉というレーベルから出たんです。そこはすごく良心的な現代音楽をやっているところで、売るためにやっているわけではない。そこから出すことになったときに、デヴィッド・シルヴィアンのアルバムのつくり方をずっとみていたんですよ。彼はほんとうに試行錯誤して、デザインから何からすべて、隅から隅までこだわる。それをみて、「やっぱりアルバムを作るというのはこういうことだな」というのがわかった。それで自分のレーベルもはじめようと思いましたし。隅から隅までやって、「これだ」と思えるものしか出さない。ちなみに僕の場合は、助成金とかをもらって作っているわけではないので、ぜんぶ自分の生活費から出ています。いま借りている家には3人で暮らしているんですが、寝室がふたつなんです。仕事するのに自分の部屋がないんですよ。こんなアルバムを出していなかったら、もう一部屋借りられていたかもしれない。それでも出したいということですよね。ほかの人が聴いてくれるかどうかはわからないけど、中身は妥協できない。そういう姿勢はデヴィッド・シルヴィアンから学びましたね。それだけこだわったアルバムなら、好き嫌いはべつにして、出す価値があるって。1トラックに20時間かけるなんてどう考えてもバカじゃないですか(笑)。妻は元音楽家なので耳が良いんですけど、その妻も「そんなもの誰も聴かないんだからもういいじゃん」「でもその音、狂っているよね」とか言って部屋を去っていきます(笑)。

職人ですよね。

藤倉:やっぱりアルバムを作っていると、最後のほうはもう精神病棟に行かないといけないんじゃないか、というくらいになっちゃいますよ。以前、チェロ協奏曲の作業をしていたときに、チェロってそもそも弓が弦に擦れて音が出るものなのに、そのこすれる音が気になりはじめちゃったりして。でもそのこする音がなかったら、それこそサンプラーのチェロみたいな音になっちゃう。そういう感じで、編集とかミックスをしているととまらなくなるんですよね。だから、どこでとめるかというのが問題ですね。

では最後に、ふだんテクノを聴いているような人におすすめの、現代音楽やクラシカルの作品、あるいは演奏家を教えてください。

藤倉:悩みますね。ポーリン・オリヴェロスのディープ・リスニングはどうでしょう。


James McVinnie - ele-king

 スクエアプッシャー、最近あまり名前を見かけないなーと思っていたら、ちゃっかり水面下で新たな仕事を進めていたようだ。UKのキイボーディスト、ジェイムズ・マクヴィニーのためにトム・ジェンキンソンが作曲を手がけたアルバム『All Night Chroma』が9月27日にリリースされる。
 マクヴィニーはもともとウェストミンスター寺院でアシスタントを務めていたオルガン奏者で、クラシカルの文脈に属する演奏家と言っていいだろう(もっとも多く録音を残しているのは〈Naxos〉だし、現時点での最新作はフィリップ・グラスの楽曲を取り上げた『The Grid』だ)。けれども他方で彼は、ヴァルゲイル・シグルズソンがニコ・ミューリーやベン・フロストとともに起ち上げたレイキャヴィクのレーベル、〈Bedroom Community〉から作品をリリースしたり、スフィアン・スティーヴンスOPN と共演したりもしている。とりわけ2017年のダークスターとのコラボはホーントロジカルで素晴らしく、よほど相性が良かったのか、この5月に両者は再度コラボを果たしてもいる。
 そんなわけで、今回のトム・ジェンキンソンとジェイムズ・マクヴィニーの共同作業もがっつり期待していいだろう。なお、ワールドワイドで1000枚ぽっきりのプレスらしいので、気になる方はしっかりご予約を。

[9月5日追記]
 昨日、『All Night Chroma』から収録曲“Voix Célestes”のMVが公開された。トム・ジェンキンソンとジェイムズ・マクヴィニー、それぞれのコメントも到着している。予約・試聴はこちらから。

オルガンのための曲を書くことは、多くの面で、電子楽器の曲を書くことと類似しているのではないかと感じる。 コンピューターの天才が持つ謎めいた魅力に通ずる何かが、オルガン奏者にはあるのかもしれない。 彼らは装置に囲まれながら、賞賛の声から距離を置き、まるで執着がないかのように振る舞っているのだから。 ──トム・ジェンキンソン

ジェイムズとの共同制作は、非常に心躍る経験であり、その要因は、彼の音楽家としての圧倒的な才能のみならず、多くのアイデアを取り入れる感受性と実験的試みを厭わない精神にある。 ──トム・ジェンキンソン

演奏だけでなく、万華鏡のように色彩豊かなロイヤル・フェスティヴァル・ホールの音色にフィットさせることなど、実現に至るまで技術的な挑戦となるものだったんだ。この楽器はミッドセンチュリー・デザインの頂点であり、最初にその音を聴かれた時には音楽界にセンセーションを巻き起こした。豊かで高貴な歴史を持つにもかかわらず、明瞭さと新鮮さを兼ね備え、今回の新しい音楽の理想的な媒体だったんだ。 ──ジェイムズ・マクヴィニー

今年30周年を迎えた〈Warp〉よりスクエアプッシャーことトム・ジェンキンソンが作曲し世界屈指のオルガン奏者ジェイムズ・マクヴィニーが奏でる怪作『All Night Chroma』が9月27日にリリース決定
CD/LPともに世界限定1000枚、ナンバリング付でレア化必至!

スクエアプッシャーことトム・ジェンキンソンが作曲を手がけ、世界屈指のオルガン奏者ジェイムズ・マクヴィニーが演奏した異色作品『All Night Chroma』が、9月27日に〈Warp Records〉よりリリース決定! CD/LPともに世界限定1000枚、ナンバリング付。レア化必至の貴重盤となる。

世界でも有数のオルガン奏者として知られているジェイムズ・マクヴィニー。16世紀のルネサンス音楽から現代音楽までを網羅するマクヴィニーは、これまでにも多くの現代音楽家たちとコラボレートをしており、フィリップ・グラス、アンジェリーク・キジョー、ニコ・ミューリー、マーティン・クリード、ブライス・デスナー、デヴィッド・ラングらが彼のために楽曲を書き上げてきた。

スクエアプッシャーやショバリーダー・ワンとしての活動で知られるトム・ジェンキンソンは、今回マクヴィニーのために8つの楽曲を書き下ろしている。収録された音源は、2016年に、ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールに設置され、このホールの特徴にもなっている巨大な Harrison & Harrison 社製1954年型のパイプオルガンで演奏・レコーディングされたものとなっている。ジェンキンソンは、スクエアプッシャー、ショバリーダー・ワン名義の作品群や革新的なライブ・パフォーマンスのみならず、作曲者としての地位も確立しており、2012年のスクエアプッシャー作品『Ufabulum』をオーケストラ用に再構築し、世界的指揮者のチャールズ・ヘイゼルウッドとシティ・オブ・ロンドン・シンフォニアによるコンサートを成功させ、BBCによる映像作品『Daydreams』で1時間半に及ぶ楽曲を提供、"Squarepusher x Z-Machines" 名義で発表された『Music for Robots』では、3体のロボットが演奏するための楽曲を制作している。本作『All Night Chroma』では、スクエアプッシャー作品の礎となっているエレクトロニック・サウンドから離れ、彼のさらなる才能の幅広さを見せつけている。

ジェイムズ・マクヴィニーとトム・ジェンキンソンがコラボレートした『All Night Chroma』は、9月27日(金)に世界同時リリース。CD/LPともに世界限定1000枚、ナンバリング付。国内流通仕様盤CDには解説書が封入される。

label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: James McVinnie
title: All Night Chroma
release date: 2019.09.27 FRI ON SALE
国内仕様盤CD BRWP305 ¥2,214+tax
解説書封入

MORE INFO:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10470

WARP30周年 WxAxRxP 特設サイトオープン!
スクエアプッシャーも所属するレーベル〈WARP〉の30周年を記念した特設サイトが先日公開され、これまで国内ではオンライン販売されてこなかったエイフェックス・ツインのレアグッズや、大竹伸朗によるデザインTシャツを含む30周年記念グッズなどが好評販売中。アイテムによって、販売数に制限があるため、この機会をぜひお見逃しなく!
https://www.beatink.com/user_data/wxaxrxp.php

PRINS THOMAS ASIA TOUR 2019 - ele-king

 今年アルバム『AMBITIONS』をリリースしたノルウェーのベテランDJ、プリンス・トーマスが来日する。東京を皮切りに、いまもっとも熱いという噂の名古屋、そして大阪、札幌と日本をツアー。まだまだ遊び足りないダンサーは、北欧仕込みのハイセンスなハウスで汗を流しましょうや。

9.14(土)東京 VENT
9.15(日)名古屋 CLUB MAGO
9.16(月/祝) 大阪 CIRCUS
9.20(金) 札幌 PRECIOUS HALL
9.21(土)SEOUL MODECi

■Prins Thomas (Full Pupp, Smalltown Supersound - Norway)

北欧ノルウェーのDJ/プロデューサー、プリンス・トーマス。レーベル〈Full Pupp〉と〈Internasjonal〉を主宰。前者がノルウェー国内のアーティストを、後者は国外のアーティストを紹介する。
2005年、盟友Lindstrømとの共作アルバム『Lindstrøm & Prins Thomas』をリリースし、世界中の音楽シーンに新しい風を吹きこんだ。Remixerとしても数多くの作品をてがけ、また、Noise In My Head,『Cosmo Galactic Prism』,『Live At Robert Johnson』,『RA.074』,『FACT MIx 130』, 『Rainbow Disco Club vol.1』,『Paradise Goulash』などのDJ MIXからうかがえるように、DJとしてのその実力とセンスが評価されている。2019年、細野晴臣、ダニエル・ラノワ、シンイチ・アトベやリカルド・ヴィラロボスにインスピレーションを得て作られたという最新アルバム『AMBITIONS』をリリース。

■ツアー各公演詳細

9.14(土) 東京 @VENT
- DISKO KLUBB -

=ROOM1=
Prins Thomas
MONKEY TIMERS
Mustache X

=ROOM2=
DISKO KLUBB
JITSUMITSU / YAMARCHY / GYAO / TAGAWAMAN / KAZUHIKO

CYK
Nari & Kotsu

Open 23:00
Advance 2500yen (RA 7/17 12:00より販売開始)
Door 3500yen

Info: VENT https://vent-tokyo.net
東京都港区南青山3-18-19 フェスタ表参道ビルB1 TEL 03-6804-6652


9.15(日) 名古屋 @Club Mago
- OSKA -

feat DJ:
Prins Thomas

DJs:
hiroyuki (STOMP!)
CHOUMAN (The Sessions)
PePe
Shoino

OSKA LOUNGE:
UTSUNOMIYA (AJITO)
Tamachanmann (NOODLE)
YoshimRIOT (RIOT girls)
konma

Sheesha:
blanc lapin

Open 22:00
Advance / With Flyer 2500yen
Door 3000yen

Info: Club Mago https://club-mago.co.jp
名古屋市中区新栄2-1-9 雲竜フレックスビル西館B2F TEL 052-243-1818


9.16(月/祝) 大阪 @Circus
Happy Monday Special!!
- Prins Thomas Japan Tour 2019 in Osaka -

DJ: Prins Thomas, YAMA (PRHYTHM), STEW (TUFF DISCO), DJ Ageishi (AHB pro.)

Food: SETSUKO -極楽肴nd-

Open 17:00 - 23:00

Advanced 2000yen + 1Drink
Door 2500yen +1Drink

Info:
Circus Osaka https://circus-osaka.com
〒542-0086 大阪市中央区西心斎橋1-8-16-2F TEL 06-6241-3822
AHB Production https://ahbproduction.com


9.20(金) 札幌 @Precious Hall
- JOY -

Featuring Guest: Prins Thomas

TSUJI (polan)

Open 23:00
With Flyer 3000yen
Door 3500yen

Info: PRECIOUS HALL https://www.precioushall.com
札幌市中央区南2条西3丁目13-2 パレードビルB2F TEL 011-200-0090


9.21(土) SEOUL @MODECi

DJ: Prins Thomas, FFAN

Open 22:00 Till 6:00

More info: https://www.facebook.com/events/500092080741276/

Haruomi Hosono - ele-king

 いやはや、半世紀である。細野晴臣がエイプリル・フールとしてデビューを果たしてから50年──はっぴいえんどやYMOはもちろん、ソロとしてもじつに多くの遺産を音楽史にもたらしてきた彼のアニヴァーサリーを祝し、その足跡を追ったドキュメンタリー映画が公開される。タイトルは『NO SMOKING』。近年の活動にも密着し、昨年のワールド・ツアー(高橋幸宏、小山田圭吾、坂本龍一が参加したロンドン公演も含まれる)やヴァン・ダイク・パークス、マック・デマルコらとの交流の様子も映し出されているそうで、音楽とタバコとコーヒーと散歩を愛する細野晴臣の人間性がぎゅっと凝縮された作品になっているとのこと。11月、シネスイッチ銀座、ユーロスペース他にて全国順次公開です。

細野晴臣デビュー50周年記念ドキュメンタリー映画
『NO SMOKING』
公開決定&特報解禁&場面写真解禁!

水原希子、小山田圭吾など著名人も愛してやまない「“細野さん”に会いにいこう。」
音楽家・細野晴臣のこれまでの歴史と知られざる創作活動を収めた特報映像が解禁!

タイトル『NO SMOKING』とは? by細野晴臣

世界中を旅して最も感じたことは、当然のことながらどこもNO SMOKINGだったということです。しかしそれは屋内のこと。外ではほぼ喫煙OK。意外と寛容なところがありました。紐育、倫敦では路上ポイ捨てが常識で、それに馴染めずに自分は携帯灰皿を持ち歩いたのです。それを見た土地の人から「礼儀正しいね、でも吸い殻を清掃する業者の仕事を奪う」ってなことを言われました。なるほどそういうこともあるのか。その携帯灰皿を紐育で紛失し、買い求めようとしたらどこにも売ってません。あれは日本独自のものらしい。仕方なく紙コップを持ち歩きました。日本の路上禁煙は珍しい例だそうです。香港はブロック毎に大きな灰皿が設置してあり、喫煙率が高そう。長旅でホテルに泊まれば、ぼくは1時間毎に外の喫煙所へ出ることになり、それはかなり苦痛なことです。部屋で吸えば高額な罰金を取られますから。世界が歩調を揃えているこの禁煙法には違和感を持ちつつも、逆らうことはできません。ですから人に迷惑がかからないことを念頭に、周囲を見渡しながら喫煙を心がけているわけです。喫煙所さえあれば一安心。こうしてNO SMOKINGの世界でSMOKERを自認するのは、ひょっとするとタバコをやめるよりも意志の強さが必要となります。煙を吐くだけで差別され、否応なく少数派の立場に立たされるのですから。「詭弁を言わずにやめたら?」と言われます。いやいや、20世紀の文化を支援してきた紫煙に、突然愛想をつかすわけにはいかないのです。(細野晴臣)

《細野晴臣 コメント》
自分の映画が出来上がって上映されるとは夢のようですが、同時に悪夢だとも思えます。何故生きている間にこんなことになったのかといえば、今年になって50年も音楽生活を続けてきたせいでしょうか。このような映画を自分で作ることはできません。製作陣の熱意があってこそ実現したものであり、自分も観客のひとりとして見ることになります。しかし到底客観的な評価などできるはずもありません。どうか見た人が少しでも得ることがあるように、と祈るばかりです。

《佐渡岳利監督 コメント》
YMOに衝撃を受けた少年時代から仕事をご一緒させていただく今に至るまで、細野さんを「スゴい!」と思い続けてきました。私と同じ思いの方には、その再確認ができて、初めて細野さんに出会った方には我々と同じ思いになれる映画にしたいなと思います。カッコ良くて、カワいくて、音楽を心から大好きな細野さんに、是非会いにきてください。

〈細野晴臣 ホソノハルオミ〉 プロフィール
1947年東京生まれ。音楽家。1969年「エイプリル・フール」でデビュー。1970年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、作曲・プロデュース、映画音楽など多岐にわたり活動。2019年デビュー50周年を迎え、3月ファーストソロアルバム「HOSONO HOUSE」を新構築した「HOCHONO HOUSE」をリリース し、6月アメリカ公演、10月4日から東京・六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー・スカイギャラリーにて展覧会「細野観光1969-2019」開催。
https://hosonoharuomi.jp

〈監督:佐渡岳利 サドタケトシ〉 プロフィール
1990年NHK入局。現在はNHKエンタープライズ・エグゼクティブプロデューサー。音楽を中心にエンターテインメント番組を手掛ける。これまでの主な担当番組は「紅白歌合戦」、「MUSIC JAPAN」、「スコラ坂本龍一 音楽の学校」「岩井俊二のMOVIEラボ」「Eダンスアカデミー」など。Perfume初の映画『WE ARE Perfume -WORLD TOUR 3rd DOCUMENT』も監督。

【細野晴臣デビュー50周年 〈細野さんに会いに行く〉】
〈NEW ALUBM〉「HOCHONO HOUSE」発売中
〈展覧会〉「細野観光1969-2019」10/4(金)-11/4(月・休)@六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー・スカイ
ギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52F)
〈コンサート〉特別記念公演 11/30(土)、12/1(日)
〈COMPILETED CD〉「HOSONO HARUOMI compiled by HOSHINO GEN」(8月28日(水)発売)
「HOSONO HARUOMI compiled by OYAMADA KEIGO」(9月25日(水)発売)連続リリース!
詳細は⇒hosonoharuomi.jp

出演:細野晴臣
ヴァン・ダイク・パークス 小山田圭吾 坂本龍一 高橋幸宏 マック・デマルコ
水原希子 水原佑果(五十音順)

音楽:細野晴臣
監督:佐渡岳利 プロデューサー:飯田雅裕
製作幹事:朝日新聞社 配給:日活 制作プロダクション:NHKエンタープライズ
(C)2019「NO SMOKING」FILM PARTNERS
HP:hosono-50thmovie.jp
twitter:@hosono_movie50

11月、シネスイッチ銀座、ユーロスペース他全国順次公開

Battles - ele-king

 10月11日に待望のフォース・アルバム『Juice B Crypts』のリリースを控えるバトルスが、同作を引っさげ来日公演をおこなう。11月の4日から6日にかけて、東京・大阪・名古屋の3都市を巡回。イアン・ウィリアムスとジョン・ステニアーの2人組になった彼らは、いったいどんなパフォーマンスを見せてくれるのか? ロンドンでのプレミア公演は随分と盛り上がったようなので、期待大です。チケットは明日のお昼から主催者WEB先行が発売開始、売り切れる前に急ごう!

NEWアルバム『Juice B Crypts』をひっさげ
3都市を巡る来日ツアー開催大決定!
主催者WEB先行は明日正午スタート!

その独創的なアイデアとサウンドで、ロックの常識を更新し続け、音楽ファン達に強烈な衝撃を与えてきた BATTLES が帰ってくる! 11月に東京、大阪、名古屋の3都市を巡る超待望の来日ツアーが決定! そのキャリアを再び更新する型破りな最新アルバム『Juice B Crypts』は10月11日に日本先行リリース! 各公演の主催者WEB先行は明日正午スタート!

キーボード、ギター、エレクトロニクスを操るイアン・ウィリアムスと、ドラムのジョン・ステニアーの織り成すリズムとメロディーは、よりタイトに研ぎ澄まされ、この上ないほど痛快かつ刺激的な領域へと到達! 果たしてどんなライブになるのか? その緻密かつダイナミックなアンサンブルをライブで目撃せよ! これは見逃せない!

先週ロンドンで行われた超プレミアライブでは、パンパンとなった会場が熱気で包まれ爆発寸前に!
https://www.instagram.com/p/B1Ol1-vAXc2/

初めて彼らを見たときに覚えた巨大なスリルがついに戻ってきた。体と心と魂を揺さぶる並外れた音楽は、とんでもないレベルの演奏能力があってこそもたらされるが、今夜見た新生バトルスは、まさにそれを証明するものだった。 ──Quietus

BATTLES
SUPPORT ACT: TBC

前売¥6,800(税込/別途1ドリンク代/スタンディング)
※未就学児童入場不可

明日正午より主催者WEB先行スタート!

東京公演:2019年11月4日(月・祝日)
GARDEN HALL

OPEN 17:00 / START 18:00
主催:SHIBUYA TELEVISION
INFO:BEATINK 03-5768-1277

BEATINK主催者WEB先行: https://beatink.zaiko.io/_buy/1kFR:Rx:f4b65

大阪公演:2019年11月5日(火)
UMEDA CLUB QUATTRO

OPEN 18:00 / START 19:00
INFO:SMASH WEST 06-6535-5569 / smash-jpn.com

BEATINK主催者WEB先行: https://beatink.zaiko.io/_buy/1kFS:Rx:558d4

名古屋公演:2019年11月6日(水)
NAGOYA CLUB QUATTRO

OPEN 18:00 / START 19:00
INFO:BEATINK 03-5768-1277

BEATINK主催者WEB先行: https://beatink.zaiko.io/_buy/1kFT:Rx:9c3fa

チケット詳細
先行発売:
8/21 (水) 正午12時〜:BEATINK主催者WEB先行
8/24 (土) 正午12時〜:イープラス最速先行販売 *8/28 (水)18:00まで
8/30 (金) 正午12時〜:ローチケ・プレリクエスト *9/3 (水) 23:00まで
9/2 (月) 正午12時〜:イープラス・プレ(先着) *9/4 (水) 18:00まで

一般発売:9月7日(土)~

label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: BATTLES
title: Juice B Crypts
バトルス / ジュース・B・クリプツ

日本先行リリース!
release date: 2019.10.11 FRI ON SALE

国内盤CD BRC-613 ¥2,200+tax
国内盤CD+Tシャツ BRC-613T ¥5,500+tax
ボーナストラック追加収録/解説・歌詞対訳冊子封入

輸入盤CD WARPCD301 ¥OPEN
輸入盤2LP カラー盤 WARPLP301X ¥OPEN
輸入盤2LP WARPLP301 ¥OPEN

CD Tracklist
01. Ambulance
02. A Loop So Nice...
03. They Played It Twice feat. Xenia Rubinos
04. Sugar Foot feat. Jon Anderson and Prairie WWWW
05. Fort Greene Park
06. Titanium 2 Step feat. Sal Principato
07. Hiro 3
08. Izm feat. Shabazz Palaces
09. Juice B Crypts
10. The Last Supper On Shasta feat. Tune-Yards
11. Yurt feat. Yuta Sumiyoshi (Kodo) *Bonus Track for Japan

Vinyl Tracklist [2LP]
A1. Ambulance
A2. A Loop So Nice...
A3. They Played It Twice feat. Xenia Rubinos
B1. Sugar Foot feat. Jon Anderson and Prairie WWWW
B2. Fort Greene Park
C1. Titanium 2 Step feat. Sal Principato
C2. Hiro 3
C3. Izm feat. Shabazz Palaces
D1. Juice B Crypts
D2. The Last Supper On Shasta feat. Tune-Yards

WARP30周年 WxAxRxP 特設サイトオープン!
バトルスも所属するレーベル〈WARP〉の30周年を記念した特設サイトが先日公開され、これまで国内ではオンライン販売されてこなかったエイフェックス・ツインのレアグッズや、大竹伸朗によるデザインTシャツを含む30周年記念グッズなどが好評販売中。アイテムによって、販売数に制限があるため、この機会をぜひお見逃しなく!
https://www.beatink.com/user_data/wxaxrxp.php

R.I.P. Ras G - ele-king

 LAのビート・シーンを代表するアーティストのひとり、Ras G こと Gregory Shorter Jr. が7月29日に亡くなった。直接の死因は発表されていないが、昨年12月、呼吸に異常を感じて救急搬送され、肺炎、高血圧、糖尿病、甲状腺機能低下、心不全と診断されたことを自らの Instagram で公表している。体の不安を抱えながらも、今年に入ってからは2月にハウス・アルバム『Dance Of The Cosmos』をリリースし、続いてビート集『Down 2 Earth, Vol.3』、『Down 2 Earth, Vol.4』を相次いでリリース。またLAローカルのイベントにもいままで通りに出演し続け、さらに今年6月に長野・こだまの森で開催されたフェス『FFKT』への出演も開催の約1ヶ月前に発表されていたが、しかし、健康上の理由で来日はキャンセルとなっていた。
 突然の訃報に際し、Ras G の盟友である Flying Lotus を筆頭に、LAビート・シーンの関係者はもちろんのこと、世界中から様々なアーティストが SNS にて追悼のメッセージを発表。そして、Ras G の遺族が彼の作品を未来へと遺すために基金を設立すると、それに呼応して、亡くなった6日後にはLAにてドネーション(寄付)を目的とした追悼イベント《Ohhh Rasss!》が開催され、入場が制限されるほどの大盛況になったという。また、《Low End Theory Japan》への出演や単独ツアーも含めて、幾度も日本を訪れていた Ras G であるが、この原稿を書いている翌日の8月10日には中目黒 solfa にて追悼イベント《In Loving Memory of Ras_G . . . Fund Raising TYO JPN》が開催される予定で、一晩で40組ほどのDJの出演が予定されている。音楽性はもちろんこと、彼の暖かい人間性なども含めて、Ras G がこの日本でもどれだけ愛されていたかが伝わってくる。

 Flying Lotus と共に〈Brainfeeder〉の設立にも携わったという Ras G だが、彼のアーティストとしてのキャリアはまさにLAのヒップホップの歴史と密接に繋がってきた。アフリカ系アメリカ人が多く住むサウスセントラルの中でも、特にアフリカン・カルチャーの濃いエリアとして知られるレイマート・パークが彼の出身地であるのだが、そのレイマート・パークからほど近いところにあった Good Life Café でのオープンマイク・イベントや、さらにそこから派生した『Project Blowed』の現場に彼は十代の頃から足を運んでいたという。つまり Freestyle Fellowship や Jurassic 5 らを輩出した、90年代から2000年前半にかけてのLAアンダーグラウンド・ヒップホップ・シーンが彼のルーツとなっているわけだが、ラップよりもその後ろで鳴り響くビートに強い魅力を感じて、彼はビートメーカー/プロデューサーとしての道を選ぶことになる。
 2004年には、彼自身が店員として働いていたパサデナのレコード・ショップ、〈Poo-Bah Records〉にて自ら設立にも関わったレーベルより、同じくビートメーカーの Black Monk とのスプリットEP「Day & Night」をリリースし、これが彼のデビュー作となる。まだビートを作り始めたばかりの、荒削りな状態であった彼の才能に素早く気付いた Carlos Niño は、Dwight Trible & The Life Force Trio のアルバム『Love Is The Answer』にてプロデューサーのひとりとして起用。この作品をきっかけに Ras G はビートメーカー/プロデューサーとして本格的な活動を開始することになる。そして、現在はUKを拠点としているDJの Kutmah がオーガナイズしていた伝説的なイベント《Sketchbook》に Flying Lotus、Dibiase、DaedelusGeorgia Anne Muldrow らと共にレギュラー・メンバーとして出演し、彼らが中心となってLAビート・シーンの基盤が形成される。さらに Daddy Kev、D-Styles らが立ち上げた《Low End Theory》や〈Brainfeeder〉の成功によってシーンは一気に爆発することになる。
 そんなLAビート・シーンの創生期に、Ras G はEPのリリースやコンピへの参加を経て、〈Poo-Bah Records〉から Ras G & The Afrikan Space Program 名義で2008年にファースト・アルバム『Ghetto Sci-Fi』をリリースする。ヒップホップ、ダブステップ、スピリチャル・ジャズ、レゲエなど様々な音楽的要素がミックスされ、さらに彼のメンターである Sun Ra からも多大な影響を受けた、アフリカン・カルチャーと宇宙が融合したアフロフューチャリズムも大きなバックボーンとなったこの作品によって、彼はLAビート・シーンの最重要アーティストのひとりとしてLAローカル以外からも認識されるようになり、アルバム・タイトルである “Ghetto Sci-Fi” は彼のサウンドの代名詞にもなっていく。以降は〈Poo-Bah Records〉だけでなく、〈Brainfeeder〉や〈Leaving Records〉などからシングル、EP、アルバム、ビート・テープ、ミックスCDなど次々と作品をリリース。さらにラッパーの The Koreatown Oddity とのプロジェクトである 5 Chukles を含む、様々なアーティストのプロデュースやリミックスなども多数手がけ、自らのスタイルと地位を確立することになる。

 そんな文字通りのLAビート・シーンを代表する Ras G であるが、良い意味でアーティストらしからぬキャラクターも、彼の大きな魅力であった。筆者もLAに住んでいた頃に、様々な現場で彼と遭遇したが、自ら出演するイベントであっても、常にメローな雰囲気は崩さず、しかし、一旦、ステージ上で彼の愛機である SP-404 を叩き始めれば、スピーカーから爆音で流れてくるファットなビートとのギャップにいつも驚かされた。ちなみに最も彼と遭遇した場所は、おそらく《Low End Theory》だと思うが、出演しない週であっても、かなりの頻度で遊びに来ていて、あの場は彼にとっての本当の意味でのホームであった。そういえば、あるとき、レコードを掘りに〈Poo-Bah Records〉へ行った際にたまたま彼がお店にいて、その日がちょうど《Low End Theory》が開催されている水曜日だったので、車を持っていない彼を自分の車に乗せて、一緒に《Low End Theory》まで行ったことがある。いつもは挨拶程度の関係であった彼と一緒にLAの街をドライブしてるのが少し不思議で、そして嬉しくもあった。
 最後に Ras G と会ったのが、一昨年(2017年)の3月に来日したときで、会場となった Club Asia の楽屋で喋った彼は、LAで会っていたときと何ひとつ変わらないメローな雰囲気を纏っていたのを記憶している。結果的には最後の来日となった同年8月のイベントには行けなかったが、しかし、LAの《Low End Theory》に行けば、いつでも彼の姿があったように、またいつかすぐに会えるだろうと漠然と思っていた。だからこそ、彼の訃報を聞いてからずっと、心の中にぽっかりと穴が空いたような感覚がずっと続いている。その感覚の意味を確かめるためにも、明日は中目黒 solfa のイベント《In Loving Memory of Ras_G . . . Fund Raising TYO JPN》へ行こうと思う。

In Loving Memory of Ras_G . . . Fund Raising TYO JPN

interview with Yutaka Hirose - ele-king

1980年代の日本の環境音楽が国際舞台で再評価されていること自体はポジティヴな出来事に違いないが、その代表のひとつを芦川聡のサウンド・プロセス一派とするなら、やはり、ニュー・エイジと一緒くたにするべきではないだろう。というのも、彼らは環境音楽をジョン・ケージ以降の音楽として捉えていたからだ(つまり、感情や感覚ではなく、妄想や幻覚でもなく、極めて論理的に考察されている)。
しかしながら、海外メディアが80年代における日本のアンビエントの急速な展開を高度経済成長がもたらしたさまざまな害悪(都市生活のストレス、モルタルとコンクリートが引き起こす閉所恐怖症、自然破壊などなど)への反応と分析するとき、まあそれはたしかに遠因としてあるのだろうと認めざるえない側面に気が付く。細野晴臣のアンビエントはYMO以降における心の癒しでもあったし、実際、疲れ切った都会人の心に吉村弘の透き通ったアンビエント・サウンドが染みていくのも、自分も疲れ切った都会人のひとりとしてわからなくはない。
とはいえ、80年代日本のアンビエントにおける重要な起点となったサウンド・プロセスが、“風景としての音楽”、“音楽が風景となること”を感情や感覚、あるいは幻覚ではなく、極めて論理的に考察していったという史実は知っておいてもいいだろう。
1980年代、ジョン・ケージに強く影響を受けた組織〈サウンド・プロセス・デザイン〉を拠点に、吉村弘、芦川聡といったメンバーを中心としながらリリースされていったアンビエント作品は、最初は超マニアックなコレクターたちが火を付け、現在ではさらにもっと広く聴かれはじめている。そんな折りに廣瀬豊が1986年に残したアルバム『Nova』が再発された。しかも2枚組で、環境音楽の“その後”を知るうえでも興味深い未発表音源が収録されているという、世界中が待っていた待望のリイシューである。
以下、現在は山梨で暮らしている廣瀬さんが東京に来るというので、新宿の喫茶店で2時間ほどお時間をいただいた。はからずとも、その数時間後にはれいわ新撰組が最後の街頭演説をすることになる、そのすぐ近くの喫茶店だった。

じつをいうと、『Nova』という作品の存在をほとんど忘れていたんです。言われてみればそんなこともやったなと、しかしそれが何でいまなんだろう? という感じです。

ご自身が1986年に発表した作品が何十年というときを経てこのように評価されている現状に対して、どのような感想をお持ちですか?

廣瀬豊(以下、廣瀬):まずは驚いているという感じです。変な話なんですけど、(J・アンビエント再評価など)いろんな話が出てくる前は、個人的にはちょうどフェイスブックをはじめたころで、そのとき作っている作品をアップしていました。どんな反応が来るのかと。そうしたら、「『Nova』という作品はもしかしてあなたですか?」という質問がいろんなところから来たんです。

それは何年ですか?

廣瀬:2012年~2013年あたりでしょうか。台湾から来たり、アメリカから来たり、フランスから来たり。最初は何のことかわかりませんでしたね。じつをいうと、そのときの自分は『Nova』という作品の存在をほとんど忘れていたんです。言われてみればそんなこともやったなと、しかしそれが何でいまなんだろう? という感じです。
しかし、いったん『Nova』のことを思い出すと、やり残したことが多かったことも思い出して。じっさい、もっとできただろうという少し悶々とした気持ちもあったんです。当時はプロデュースされる側だったし、20代前半で若かったので。

『Nova』を作られたときはおいくつですか?

廣瀬:『Nova』が1986年、私は1961年生まれなので、この話をもらったのが24歳のなかばから25歳に入るくらいでした。血気盛んな頃というか(笑)。

そもそも廣瀬さんは、どのような歴史をお持ちなのでしょうか? どんな音楽を聴いていて、どうしてアンビエント・ミュージックにアプローチしたのでしょう? プロフィール的なことを教えて下さい。

廣瀬:生まれは山梨県甲府市です。中学生のときにロックを聴きはじめるんですけど、プログレから入っちゃったんですよ。最初はUKのプログレを聴いて、そのあとすぐに〈ヴァージン〉からマイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』が出て、これこそ聴きたかった音楽だと思いました。それをきっかけにヴァージン系の音ばかり聴いて、そのあとジャーマン系のプログレも聴いて、あとはなしくずしでいろいろな方向の音を聴きはじめました。

電子音楽というか、シンセサイザーという要素は大きかったんですか?

廣瀬:シンセサイザーの音もそうなんですけど、ミニマル的なものとか音楽的ではない感覚、コードがあって歌があって盛り上がってという感じではない、空間的、空気的なことをイメージする、その当時からアンビエント思考みたいなものがあったのかもしれません。なのでそういった音楽を中心に探していきました。ゴングやファウストのシンセの使い方と他の楽器による反復、そしタンジェリンドリームのシンセだけの反復は自分の体感に合っていた感じています。
音を作りはじめたのは……、いろいろな音を聴いていくうちになぜかだんだん聴くものがなくなっていって、だったら自分で作っちゃえというのがことの発端です。家にあったカセットのテープレコーダーと鍵盤楽器を使ってテリー・ライリーみたいなことをはじめたり、フィリップ・グラスみたいなことをはじめたりしました。大学に入ってからマルチのカセットを買って、多重録音みたいなこともはじめました。アンビエントに関してもっとも影響を受けたのは、アンビエント・シリーズよりも〈オブスキュア〉シリーズです。こっちのほうが自分の感覚に合っていた。環境音楽なんだけど、どこか尖っている、デイヴィッド・トゥープとかに興味を感じましたね。

ギャヴィン・ブライアーズとかジョン・ケージとか?

廣瀬:まさにそうです。ジョン・ケージもジャン・スティールと一緒にあのシリーズから出ていましたね。そういったぎすぎすな音(反復みたいなもの)が好きだでした。

イーノがアンビエントを定義しますよね。注意して聴かなくてもいい音楽であると。それはエリック・サティに遡ることができると。ああいうイーノのコンセプトというよりも〈オブスキュア〉で彼がやっていたちょっと実験的なことのほうがお好きだったということですか?

廣瀬:〈オブスキュア〉の方が自分に合ってました。もちろん『Music for Airports』も好きで聴きますし、ハロルド・バッドも好きなんですけど、しかし自分のなかでもっとも大きかったのは〈オブスキュア〉シリーズでした。ギャヴィン・ブライアーズの「タイタニック号の沈没 / イエスの血は決して私を見捨てたことはない」とか。ジョン・ホワイトとギャヴィン・ブライアーズがやったマシーン・ミュージックなんかもすごく好きでしたね。イーノに関しては、(アンビエントというよりも)ソロになってからの4枚、『Here Come the Warm Jets』、『Taking Tiger Mountain』、『Another Green World』、『Before And After Science』といった作品が強烈なイメージとしてまずあったんです。
イーノを語るうえでもおもしろいのはロバート・ワイアットです。ロバート・フリップとの共作についてはあとで話しますが、ロバート・ワイアットの『Ruth Is Stranger Than Richard 』のA面の4曲目、“Team Spirit”という長い曲があるんですけど、ワイアットがイーノと一緒にやっているその曲がほんとうに素晴らしいんです。ワイアットはその後、『Music For Airports』でもピアノを弾いています。それも素晴らしい音色だと思います。
イーノとロバート・フィリップに関して言うと、『 No Pussyfooting』と『Evening Star』の2枚は私にとって宝物みたいなものです。こんなに歌っちゃっていいのかというくらいギターが歌っているというか、アンビエントなんですけど歌っているんですよ。あの2枚にはロバート・フィリップのベスト・プレイが随所に現れて気持ちが良いです、そして、その後のフリッパートロニクスのざらついたテープエコーの音は自分にとって肌の一部みたいな感じです。

リスナーとして、いろいろな音楽をかなり貪欲に聴かれていたんですね。

廣瀬:それが土台になっています。大学最後の年の1983年にハロルド・バッドが来日するんですけど、そのイベントを通して芦川(聡)さんとお会いしました。遊びにいってもいいですか? という話になって、芦川さんのサウンド・プロセス・デザインの事務所に自分のテープをこっそりもっていったんですね、こうして芦川さんに自分の作品を聴いてもらったんです。芦川さんは良いところも悪いもところも言ってくれて、こうしたほうがもっとおもしろくなるよ、というようなアドヴァイスまでくれました。それ以来、週に2日くらいのペースで夕方になると事務所に行って、いろんなことを話しました。

芦川聡さんはどういう方だったんですか?

廣瀬:芦川さんは最初はアール・ヴィヴァンというもと西武にあった現代音楽を専門に扱っていたお店で働かれていました。その当時はまだ芦川さんとは知り合ってないんですけど、とにかく私は通いまくっていましたね。レコードだけではなく、譜面もごそっとあったんですよ。ジョン・ケージの楽譜、シュトックハウゼンの楽譜その他もろもろの楽譜とか。なけなしの小遣いでとにかく買い集めていました。
あるときアール・ヴィヴァンで、今度ナム・ジュン・パイクとケージが来るという話を聞いたんですね。それでケージをはじめて体験したのが軽井沢の公演でした。これがまたすごいパフォーマンスで、会場はひとつの部屋なんですけど、その部屋を出て、いろんなところで演奏をやられていました。どこから音が出ているかわからない状態でした(笑)。

サウンド・プロセス・デザインはどんな組織だったんですか?

廣瀬:当初はアール・ヴィヴァン関係の方を中心にひとが集まって、イベントをやったりというような感じのところでした。じつは私は、大学を出たらサウンド・プロセスに入りたかったんです。しかしまだ設立されたばかりで、ひとを雇用するという感じではなかった。だから仕方なくほかに就職しましたね、3ヶ月で辞めちゃうんですけど(笑)。その頃に吉村さんにもお会いしました。サウンド・プロセス・デザインの事務所で、吉村さん、私と、あと何名かで飲んだり……。そういう時期でした。
サウンド・プロセスは、芦川さんが不慮の事故でお亡くなりになってからは田中さんという方が引き継がれて、博物館とか科学館とか、当時流行っていたカフェバーとかに音空間の概念を提案しサウンドデザインを行うということを具体的に仕事として成立させてましたね。また、公共施設、公園にさまざまな音具やサウンド・スカルプチャーを用いた音環境の提案もはじめられていました。
私自身はアスキーという会社に入って、Z80というチップでどんな音ができるかということをやってみないかと誘われました。当時その部署には使えるお金があったので、とにかく最新の音楽の機材がバンバン入ってくる。日々使い放題でした(笑)。この機械にはこういう可能性がある、ローランドのこれにはこういう可能性があるとか、いろいろ試しながら自分の新しい音楽を探していったんです。その間も様々なデモ音源の制作は続けていました。
その後しばらくして、ミサワホームからサウンド・プロセス・デザインに住宅環境における環境音楽を作って欲しいという話がきました。そこでまずは吉村さんが1枚制作されました。あともう1枚作って欲しいというときに、私に話が来たんです。自然音を取り入れたものにして欲しいと、それが『Nova』になるわけです。

影響を受けたのは、アンビエント・シリーズよりも〈オブスキュア〉シリーズです。こっちのほうが自分の感覚に合っていた。環境音楽なんだけど、どこか尖っている、デイヴィッド・トゥープとかに興味を感じましたね。ジョン・ケージもジャン・スティールと一緒にあのシリーズから出ていましたね。そういったぎすぎすな音が好きだでした。

自然音についてや風景としての音楽に関する考察は、『波の記譜法』のなかで芦川さんがけっこう書かれていますよね。弁証法的な書き方で。サティはまず音楽そのものの在り方を疑った。ジョン・ケージがさらにまたそこに疑問符を投げかけた。音が風景になることや環境音楽に向かうプロセスについての考察がなされていたと思いますが、じっさい当時はそのような議論が活発にあったわけですよね?

廣瀬:無音の曲と言われている“4分33秒”という曲があって、でも実際はまわりの音自体がサウンドになっていくというひとつの考え方もあるけど、別の側面では“4分33秒”は休符のみでされた休符の音楽という意味もあり、まわりの音(自然音)を音楽として捉えることのできる可能性と、音楽がまわりの音(自然音)の一部になる可能性についていろいろと思考していました。そんななかテーマとして要求される自然音を取り入れた音楽は何なのかと、自然音はあくまで自然音でありその自然音で音楽を構築するのかと、当時私自身はすごく悩んだのを覚えています。
たとえば吉村さんの『Surround』にしても、あれを聴いて思うのはあれ自体でもう自然音だと。自分の想像のなかで、波の音がそこにあったり、水滴のがそこにあったり、音楽から自然音というものは聴こえてくるような素晴らしい作品だと思う。僕に与えられた命題は、自然音を取り込んだ環境音楽を作りましょうということだったので、テーマとしてはものすごく難しかったんです。じゃあ果たしてどうやればいいのかというところからはじまったと思います。

そういうふうに命題を投げられるんですね。

廣瀬:投げられました。吉村さんには吉村さんとしてのすごい名盤がある。芦川さんは芦川さんとしての名盤がある。それを模倣するだけではダメだし、命題から外れてしまう。じゃあどうするかというところで、とにかくすべてをサンプリングしていこうと。それをフェアライトに全部押し込んでいった。それを全部プログラミングしながら音を作っていくという作業、ものすごく細かい作業をはじめました。

サンプリングって当時どういうふうな?

廣瀬:フィールド・レコーディングしたサンプリングだったり、映画とかラジオドラマとかでSEを作られている会社から頂いた音を入れ込んでいったんです。そうして作ったのが“Epilogue” です。“Epilogue”では水滴の音と、氷のような音など、鍾乳洞のなかの音環境はもしかしたらこういう感じかなと思いながら作りましたね。それが一番最初に作った曲なんですけど、あまりにも時間と労力がかかりすぎました。たった7分半くらいを作るのに神経がズタズタになるような感じでしたね。プログラムしていって、結局スコアを書かなければいけないことになるんですよ。

スコアと言っても普通のスコアではないですよね。

廣瀬:そうです。当時は音の持つパラメータすべてを数字で入力してましたから、普段でインプロで弾いた内容に対してあれこれと手を加えて形にするの違い、ミスも許されずに、全部入れ込まなければならく大変でした。

当時プログラミングしていくのは、いまとはまたやり方が違いますもんね。

廣瀬:違いますね。いまみたいに楽譜での入力やループの素材をコピペするのと違い、先ほどもお話しましたが音のパラメータを数字を打ち込んでいくのですが、いろいろな打ち込み方があり、それを試していると時間もかかるし、お金もかかるし、そして僕自身も辛くなるなと思いましたね。それで方向転換しなくてはいけないなということになったんです。そこからはじまったのが、残りの曲です。“Nova”という曲はまた新たに作りました。それ以外の曲は以前に作っていた曲でした。『Nova』のために作ったわけではないんだけど、『Nova』のために編曲し、『Nova』のひとつひとつの個性として形を変えました。

元の曲があったんですね。

廣瀬:自分が持っていたものに対して、どういう考え方に変わったかということなんです。だったらミニマルもそうですけど、自然音に対して逆に音楽的なものをぶつけたらどうだろうと。『Nova』は1曲目の“Nova”と最後“Epilogue”を除いて、わりと音楽的なんですよ。逆に言うとアンビエントになっていないのかもしれない。しかし、アンビエント・ミュージックを考えるのであれば、吉村さんの『Surround』がすでにある。それとの違いを出すためにはどうしたらいいかというと、あえて自然音に対して音楽をぶつけていくことによって新たな空間ができるんじゃないかなと私は考えました。
映画のサウンドトラックはおおいにヒントになりましたね。映画って、音楽が入っていてそのうえに自然音を被せている。たとえば、黒澤明の雨のシーンで、太鼓が鳴りながら雨が降っているみたいなものがありますよね。つまり、それもまた自然かなと。そういう結論になったんです。
1曲目の“Nova”では水滴、川の流れにはじまって、鳴りものが入って、ピアノが入ってストリングスが入っていくという音風景を作っています。この曲を最初にしたのは、アルバムの最後で鍾乳洞に行き着くというプロセスを表現しようと思っていたからです。2曲目は朝の感じをもった曲を想定して、それに合ったを音を自分のライブラリーのなかから探しました。そのなかに鳥の鳴き声なんかもあって、風景の音像を作っていく。そうして完成したのが“Slow Sky”ですね。その次はじゃあ昼だとしたら、ノスタルジックな昼がいいと思って、虫の鳴き声が入っている“In The Afternoon”ができた。あの曲ではミニ・ムーグを手で弾いているんですよ。

制作はたいへんでしたか?

廣瀬:苦労して泣きそうになりました(笑)。

どのくらい時間がかかったんですか?

廣瀬:かなりかかったと思います。ある程度自宅でデータを作ってきました。ただ、データを作って音にした後も、どうしてもニュアンスが違うところは手で弾きました。

当時作ったデータを保存するというと、オープンリールですか?

廣瀬:16トラックのオープンリールでした。それと5インチのフロッピーディスク。

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吉村さんには吉村さんとしてのすごい名盤がある。芦川さんは芦川さんとしての名盤がある。それを模倣するだけではダメだし、命題から外れてしまう。じゃあどうするかというところで、とにかくすべてをサンプリングしていこうと。それをフェアライトに全部押し込んでいった。

海外で日本の80年代のアンビエントが非常に評価されるなかで、アンビエントではなくて、環境音楽というのが英語化してKankyo Ongakuなんて呼ばれたりしていますが、廣瀬さんご自身はEnvironmental Musicという言葉をどう思っていますか? 自分達がやってきた、吉村さんや芦川さんと一緒にやられてきたことというのは、やはりEnvironmental Musicみたいなものでしょうか?

廣瀬:イメージとしてはEnvironmental Musicからアンビエントまでという感じだと思います。だから決してニューエイジにはなっていないと思います。そもそも『Nova』をやっていたときは、アンビエントのこともあんまり意識していなかったんです。サウンドスケープというコンセプトのほうを意識していました。『Nova』は当時のアンビエントからはずれているんじゃないかと思います。だから逆に(近年になって)みなさんに興味を持っていただいたのかなと思ってます。

しかし日本には独自のアンビエント的なフィーリングがあるとよく海外のひとが言いますよね。空間とか、間とか。

廣瀬:とくに“間”についてはかなり意識しました。『Nova』の最終的なミックスのときに、たとえば水滴からほかの音に移り変わるときのどこか、ピアノの移り変わるときの音の幅。どれだけその幅をとって、緊張感を持たせるのかというところはかなり意識しています。他の曲に対してもなんであんなにテンポが遅いのかという話になるんですけど、それはそういうテンポが必要だったんです。とても遅いテンポ感とギリギリまで間延びさせた音の作り方。“Slow Sky”なんかすごく間延びしたような感じがするんですけど、それがないと自然音が落とし込めない。

『Nova』に関する当時の反応はどんなものでしたか?

廣瀬:『Nova』が出て半年くらいしてからアメリカに行って、帰国してサウンドプロセスに入りました。いまはSNSで反響がわかるけど、当時はまったくで……どれだけ売れたのか、どういう評価が得られたのか、まったくフィードバックがなかった。これってもしかして世のなかから無視されているのかなと思いましたね(笑)。『Nova』がなぜそれほど自分のなかに残らなかったのかというと、当時フィードバックが何もなかったからなんです。

雑誌のレヴューもなかったんですか?

廣瀬:まったく見ていなかったです。そう言えば吉村さんの作品レビューも見たことが無かったと思います。

話が逸れますけど、吉村弘さんはどういう方だったんですか?

廣瀬:吉村さんは1940年生まれで、早稲田を卒業されてタージマハルにちょっといて、そのあとは芦川さんと一緒に制作をされていました。『Music For Nine Post Cards』という外国の方とフレーズを送りあいながら作った作品が最初ですね。82年だったと思います。『Music For Nine Post Cards』が出て、吉村さんという方がブライアン・イーノみたいな作品を作っているという評判があって、それで私も聴いてました。吉村さんはすごくおしゃれなんですよね。ごっついんですけど、おしゃれで温和で優しい方だったんですよ。何に対しても怒った感じは示さない方でした。
尾島(由郎)さんや吉村さんはファッションショーか何かのカセットも出されていたんです。吉村さんの『Pier & Loft』なんかそうですね。おしゃれだな、うらやましいなと思っていました(笑)。
私のほうは、サウンド・プロセスでいろいろなことを試みていました。三上靖子さんのサイバーパンク・アートにちょっとインダストリアル風の音を付けたこともありした。ほかにも少し毛色の変わったアンビエントを出したりしていたんですが、CDの2枚目にはその頃の未発表曲が入っています。イノヤマランドさんと仲良くなったのはその頃でしたね。井上(誠)、山下(康)さんにはお世話になりました。
イノヤマランドさんとは一緒にパビリオンの仕事をしていました。場所ごとに担当が分かれていて、たとえば、イノヤマランドさんがここを受け持ったら、私は別の場所を受け持って、吉村さんはさらにまた別のところ受け持つといった感じです。私とイノヤマランドさんと吉村さん、だいたいこの3人がどこかをやるという感じでした。
そういえば、川崎市市民ミュージアムに地下の断層、東京都の地下を断面だけ切り取ったブースがあったんですけど、そこの音も作りました。そういうアプローチでしたから自分的にはアンビエントというよりかは、どうしてもサウンドスケープとして自分の音を認識していました。

音の風景。

廣瀬:音の風景をどういったふうに作るか、いかに音の彫刻を作るのかというイメージです。だからノイズであろうと、心地よい音であろうと、もう使い方次第なんです。未発表音源ではコンピュータは一切使っていません。ちょうど『Nova』のカセットテープ・ヴァージョンの一番最後の曲が、今回発表する未発表曲のはじまりです。オープンリールを前にして、とにかくあるトラック数に入れ込むだけ自分の想像するものを入れ込んでしまう。あとから引いていけばいいし、また足していけばしい。最終的にイメージするサウンドスケープの姿を想像しながら音を構成する、そういう作り方でした。それがCDの2枚目にある未発表曲集です。

未発表音源はいつぐらいの制作なんですか?

廣瀬:『Nova』のほぼあと、『Nova』と同時期に作っていたものもあります。ミックスダウンしたのは少しあとになります。

今回ここに収録された曲以外にもたくさんあるんですね。

廣瀬:実はあります。いま1983年から1992年まで制作した音源だけで手元にCD24~25枚あると思います(笑)。選りすぐればたぶんCD2~3枚は作れるんじゃないかな。

出しましょう(笑)。

廣瀬:少しずつ(笑)。サイバーパンク系統からはじまった地下の断面とかは自分としても面白いですし。それ以前にやっていたもっとインダストリアルというか、ジャーマン・ロックに影響された音も興味深い内容だと思います。いま、自分のフェイスブックで毎月ふたつずつくらい昔の曲をあげているんですよ。

いまはSNSで反響がわかるけど、当時はまったくで……どれだけ売れたのか、どういう評価が得られたのか、まったくフィードバックがなかった。これってもしかして世のなかから無視されているのかなと思いましたね(笑)。『Nova』がなぜそれほど自分のなかに残らなかったのかというと、当時フィードバックが何もなかったからなんです。

いまアンビエントが環境音楽として再評価されていくなかで、ぼくなんかが思うのは日本はすごくアンビエント・ミュージックが得意というか。

廣瀬:私もそう思います。雅楽におけるあの間とか、そういったものが心のなかに沁みついている部分が日本のもつ空気感ですね。

ジョン・ケージは松尾芭蕉が好きだったし、俳句は風景を、音を描写するようなものが多いですし。

廣瀬:ジョン・ケージにもメシアンにも“七つの俳句”という曲もがあります。それは行間を読むみ、音の間を読むという感じに聞こえます。その音に込められたのは日本の俳句による音の描写への敬意だと思います。そういう意味で日本のおとの感覚から生まれた日本のアンビエントが世界中の人の注目を集めているということはよく分かります。
私自身が高校生くらいのとき、とくに好きだった日本人の作家は富樫雅彦さんの『Spiritual Nature』、『Guild For Human Music』、『Essence』は70年代半ばからジャズから離れて、アンビエントに近いようなことをすごくやられているんです。パーカッションがぽこぽこなりながら雅楽の様なサウンドが入り込んでくる、まさにいま和モノと言われているサウンドの先駆けと感じます。僕のなかの和モノは何だろうなと考えると、武満さんは当然として、やっぱり富樫雅彦さんのこの時期の作品は捨てがたく再評価されて、ボックスでも出ないかなと思っています(笑)。

曲を作っていてはいたけれど、『Nova』のようにアルバムとして発表しなかったのは、音楽がその場のためにあるみたいな作られ方をしていたからでしょうか?

廣瀬:そうです。当時は建物の基本設計の段階から、どこにスピーカーを置いて、じゃあどういった音場にするかを検討していました。そこに作られる音場は音楽というよりは音の空間構成みたいな手法で、ほとんどがマルチで音を構成するようにしていました。1のユニットとして音(曲)を作っているんですけど、それをトラック単位で分割し曲の長さを変えランダムに流して行くという感じです。たとえばAという音源が10分という尺にしてあったらBは9分にする。それをループにすることで、流しながら自動的にミックスされるので同じ構成には絶対にならない。だからどうしても最初の段階で音楽的な音作りではなくサウンドスケープを意識した音作りに特化していったのです。
そういった意味から既存LPやCDの概念では収めることはできないと思っていました。だから『Nova』がわりと固定化されている音楽に対して、ディスク2は自由度が高い音の作り方をしたサウンドスケープ(アンビエント)が意識できると思います。

芦川聡さんが『波の記譜法』で書いていますが、吉村さんの作品にはちょっとオルゴールのような、ある種メルヘン的な魅力がある。そこへいくと、廣瀬さんの音楽はアブストラクトですね。メロディになるかならないかのギリギリみたいな響きがある。

廣瀬:メロディが出てきてしまうと音の空間構成ができなくなってしまう。メロディがあると、メロディに空間がとられちゃうんですような意識があったと思います。

廣瀬さんは、しかし東京から甲府に帰られてしまいます。

廣瀬:花博のパビリオンをやっているころから体調を悪くして、その仕事が終了したあと身体を壊し甲府に帰りました。その後、北巨摩(現在北杜市)の清里にあるヨゼフ・ボイス、ジョン・ケージ、フルクサス系統の作品を中心展示していた清里現代美術館で、1992年にジョン・ケージの追悼展覧会があり、そこで音のことをやらせて頂いたのが音の仕事としては最後でした。 (了)

Battles - ele-king

 00年代半ばに登場し、いわゆるマスロックの文脈に大きな衝撃を与え、10年代以降も革新的な試みを続けてきたNYの実験的ロック・バンド=バトルスが、通算4枚目となるオリジナル・アルバム『Juice B Crypts』をリリースする。前作『La Di Da Di』が2015年だから、4年ぶりのスタジオ盤だ。いつの間にかデイヴ・コノプカが脱退し、イアン・ウィリアムスとジョン・ステニアーのデュオになってしまった彼らだけれど、ゆえにもしかしたら方法論も変化しているかもしれない。イエスのヴォーカリストや台湾の落差草原 WWWW、シャバズ・パレセズにチューン・ヤーズから鼓童のメンバーまで、相変わらず独特のゲストたちが参加している模様。アナウンスとともに新曲“Titanium 2 Step”が公開されている。いまバトルスが打ち鳴らそうとする音楽とは、はたしてどのようなものなのか? リリースは10月11日(日本先行発売)。うーん、秋まで待ちきれないぞ。

[9月27日追記]
 2週間後に待望の新作『Juice B Crypts』の発売を控えるバトルスが、同アルバムより新たに“A Loop So Nice…”とセニア・ルビーノスをフィーチャーした“They Played it Twice”の2曲を公開。相変わらずかっこいいわー。11月の来日情報はこちらから。

[10月31日追記]
 まもなく来日公演を迎えるバトルズが、最新作『Juice B Crypts』より新たに“Fort Greene Park”のMVを公開した。ディレクターを務めたのは、スケートボード・ヴィデオの制作で知られる映像作家のコリン・リード。なお29日には彼らのボイラー・ルームでのパフォーマンス映像も公開されており、“Ice Cream”や“Atlas”などトリオ~クァルテット期の代表曲も演奏されている。いやー、ライヴが楽しみです。

interview with South Penguin - ele-king

 South Penguin の名をはじめて耳にしたのは、おそらく2015年頃、Taiko Super Kicks のメンバーからだったと思う。そのときの会話は才能豊かな若者の登場を私に強く印象付けるものだったと記憶している。後に人を介して邂逅することのできたリーダーのアカツカ氏は、当時大学生だったにもかかわらず、懐の大きさと人懐こさを抱えた好人物であった。その際に、岡田拓郎氏をプロデューサーに迎えデビューEP(「alaska」)を制作している旨も聞いていたのだが、果たして仕上がった作品を聴いてみて、非常に繊細な美意識に貫かれた高クオリティのインディー・ポップぶりに、その磊落(そうにみえる)な人柄とのギャップに少し驚きを覚えたりもしたのだった。
 以来 South Penguin というバンド並びにアカツカ氏は、私の音楽地図の中で不思議な存在感を占めている。2017年には、メンバーの大量脱退という決して慶賀すべきでないエポックを経ることで、一時期は音楽活動に膿み沈潜する期間もあったと言うが、見事な出来栄えのセカンドEP「house」が届けられると、やはりその妙味溢れるインディー・ポップに魅せられもした(また、活動の本格再開を陰ながら願ったりもした)。その後再びアカツカ氏に会うことになるのが確か昨年の秋ころで、プロデューサーの岡田拓郎氏とともに筆者が駐在する某スタジオへレコーディングに現れたのだった。そのとき、いよいよファースト・フル・アルバムを制作中であること、充実のサポート・メンバーを得てライヴ活動も順風におこなっていること、そしてアジア各国でにわかに人気者になっている、というようなことを聞いたのだった。冗談なのか本気なのかわからない皮肉を小気味よく繰り出す様に、かえってその活動の充実を感じ、ささやかながらのいちファンとして安堵するとともに、アルバムへの期待感を高めることにもなった。

 果たしてここに完成したアルバム『Y』は、これまでの South Penguin の堂々たる集大成にして、新たなスタートの門出を飾るに相応しい素晴らしい内容になっている。これまでの作品に聴かれたような内外のインディー・ロック~ポップの前線との共振や様々な音楽遺産への確かなパースペクティヴは更にその深度を増し、作曲、作詞、アレンジ、演奏、歌唱のあらゆる面で格段の音楽的伸長が認められる。
 繊細と磊落、緊張感とリラクゼーション、妙なる機微と豪放なダイナミズムが不思議にバランスするような本作はどのようにして制作されたのか。また今回再び音楽と対峙するに至るまで、アカツカ氏がどのような彷徨を経てきたのか、単なる「サポート」の仕事を超えて取材にまで参加してくれたサポート・メンバーたちを交えながら、じっくりと話を聞いた。

日本ってなんだかんだ集団意識がすごく強くある気がしていて。音楽をいわゆる「シーン」みたいなものとして捉えがちというか。大づかみのふわっとした空気感が支配力をもって、気づくとみんながそっちに引き寄せられていく。いま日本は、音だけで勝負していくのは難しい環境にあると思います。

まずは新作に至るまでのお話を訊きたいんですが、2017年に一旦アカツカさん以外の全メンバー脱退という転機を経ていますよね。辛い思い出だったら話さなくてもいいんですけど、なぜそういったことが起きたんでしょう……?

アカツカ:ア~、思い出すのも辛い……話すのやめておこうかな……っていうのは嘘で、単純にそのときのメンバーが仕事を始めたりして忙しくなってしまったっていうのだけですね。

Twitterでアカツカさんが、このアルバム作る以前、一時は音楽活動をやめようかと思っていた、と投稿していたのを見ました。

アカツカ:そのときの一斉脱退があって、思うようにバンド活動ができない状態が続いたので、「このまま普通に仕事して社会の歯車として経済を回していこうかな」とか考えていた時期があったんです。

そこから今回のリリースに至るまでになったわけですけど、やっぱり現在のサポート・メンバーと出会って再びライヴをできるようになったっていうのが大きかったんでしょうか?

アカツカ:そうですね。以前もサポート・メンバーに何人か入ってもらってその都度その都度流動的なメンツで活動したりもしたんですけど、みんな急遽集まって演奏を合わせるには僕の楽理的な知識や技量が足りなくて。だから、サポート・メンバーとはいえどもパーマネントな布陣で続ける方が自分にあっているかなって思っていたんです。そんな中でいまのメンバーと出会って、それからはずっとこのメンツですね。

確かに、アルバムからも「サポート・メンバー」というより更にコミット度合の深いアンサンブルを感じました。どういう出会いだったんでしょうか?

額賀涼太(bass):僕は学生時代からアカツカくんの友達で、South Penguin の発足から一緒にやっていて。

ニカホヨシオ(keyboard):僕はさっきアカツカの話にあった、うまく活動できていなかったっていうタイミングからの付き合いですね。前作EPの「house」のレコーディングに参加したのがきっかけでズルズルと……

アカツカ:まさに終わりの始まり……(笑)。元々みんな知り合いだったわけじゃなくて、音楽活動の中で出会った人が多いですね。

メンバーの中で誰々がバンマスとかありますか?

アカツカ:さっきも言った通り僕があまり譜面とか楽理的なことがわからないので、主にニカホくんにそういう面をクリアにしてもらっている感じです。自分が弾いているギターのコードが何なのかも良くわかってないし、そもそも一小節がどれくらいの長さなのかわからないというプチ問題をかかえていて……。

ニカホ:プチではないね(笑)。僕だけじゃなくて、それぞれアレンジもできるし、みんなバンマス感のあるメンバーですね。

このところ、いま South Penguin は中国とかアジア各地ですごく人気になっているって聞いたんですが。それこそ向こうだと tofubeats と同じくらいの集客力がという噂も……。

アカツカ:いやいや!(笑)。それは大きな間違いですね。

そうなんですか? 前お会いしたとき、「中国だったら300人お客さん来てくれるけど、東京だったら3人」って言ってませんでしたっけ?(笑)

アカツカ:あ~、そんなこと言った気がするなあ(笑)。完全に中国での集客数は盛ってますね。なんなら東京での集客も盛ってます……。

(笑)。

アカツカ:でもまあ、これまでアジアで度々ライヴをさせてもらっているし、ありがたいことに熱心に聴いてくれるお客さんがいることは事実ですね。

アジアと日本国内のシーンってやはり雰囲気が違う?

アカツカ:うーん、どうだろう。日本で僕らの活動を知ってくれている人ってまだまだかなり少ないっていう感覚があるんですけど、中国とか台湾に行くと、向こうのお客さんは僕らのことを僕らが思っている以上にちゃんと知ってくれた上で足を運んでくれているし、熱心に音楽聞いているということをアピールしてくれる人が多い気がします。日本でライヴをやるときよりも、向こうのお客さんと話したり、ライヴへのレスポンスを観ているときのほうが、みんな僕らのことを好きでいてくれているんだという実感はありますね。

なぜそういった違いがあるんだと思いますか?

アカツカ:そうですねえ~。僕らって基本的に捻くれた人間なんですけど、海外に行くとその要素に言語のフィルターがかかってあまり伝わらないから、とかかな(笑)。日本だとつい言動や挙動でにじみ出ちゃうというか……(笑)。

ニカホ:いやいや(笑)。単純に中国や台湾のお客さんはホットな人が多いよね。

アカツカ:日本ってなんだかんだ集団意識がすごく強くある気がしていて。「こういう人たちと一緒によくライヴしているこういう人たち」みたいに、音楽をいわゆる「シーン」みたいなものとして捉えがちというか。もちろん音楽自体も聴いているとは思うんですけど、「こういう感じでいま盛り上がっているよね」っていう、大づかみのふわっとした空気感が支配力をもって、気づくとみんながそっちに引き寄せられていくっていうのがよくある気がしていて。でも海外の人たちは、遠く海を隔ててそういう「シーン」みたいな空気感から離れているし、自然ときちんと音で判断してくれる環境になっているっていうのはある気がしますね。まあ、本来こういう話はあまり音楽をやってる側が言うべきことじゃないとは思うんですけど……いま日本は、「あのバンドいまグイグイ来ているよ」みたいな感じがないと、音だけで勝負していくのは難しい環境にあると思います。色々なカルチャーの中で特にいまポップ・ミュージックっていうのがそういう傾向にあるなあと思っていて。

昔から普通に美しいものに惹かれるところがあって。箱根駅伝とか、スポーツのキラキラした素直な感動のドラマみたいなのも好きで、それをよくある感じに斜に構えて見たりもしないし。普通にめちゃくちゃ美しいなって思う。

以前SNSで「日本の音楽業界には失望している」って言ってましたよね? 具体的にはどんな部分が……?

アカツカ:よく読んでますね(笑)。実はそう思ってしまう結構具体的な経験があって……。僕らが大好きで交流もある海外アーティストの来日公演に僕らが呼んでもらえなかったっていうのがあって。ああ、こういう規模感のところでもやっぱり政治的な部分で動いていくんだなあっていうガッカリ感。もちろん興行なわけでビジネスとしての側面も大切だと思うんですけど、僕らが信じてきた「インディーズ」っていう世界は、そういう政治的な部分じゃなくて、もう少し夢と希望を与えるものであってほしかったなあというのがあって。あと、仲良いと思ってた人からSNSのフォロー外されてたり……「ああ、こういうのも日本の音楽業界のクソな部分だな」って……。

いや、それは関係ないでしょ(笑)。まあ、ある文化圏の中では一種のサンクチュアリであったはずの「インディー」っていう概念自体が産業構造に組み入れられて資本主義の中で洗練されてきてしまった感じはここ数年ありますよね……。

アカツカ:そうなんですよ。実はそういうのに疲れてしまったのもあって、個人的にバンドをやることが億劫になっちゃってたっていうのもあります。まだ若いし(注:アカツカ氏は現在25歳)もう一度固定メンバーを揃えてバンドとしてガッツリやるってのも全然できると思ってたんですけど、一方で、そこまでしてこの日本でバンドをやることって何か意味あるのかな? って考えちゃったり。

そこを経て、いま一度音楽に立ち向かっていった上で完成されたのがこのアルバムですよね。それにあたって強く刺激を受けた人達として、コナン・モカシン、トーキング・ヘッズ、松任谷由実、吉岡里帆、霜降り明星ってツイートされているのを読んだんですが、コナン・モカシンやトーキング・ヘッズは音楽的な要素としてわかるんだけど、吉岡里帆と霜降り明星? って思って。すごいラインナップだなと。

アカツカ:昔から、実は音楽以外のカルチャーへの興味のほうが大きいところがあって。バンドをやる意欲が完全に失われていたときにその二組に大きな刺激をもらったんです。吉岡里帆さんも霜降り明星も僕と歳が近いっていうのがまず大きいかな。今回のアルバムのテーマに「美しさ」っていうのがあるんですけど、昔から普通に美しいものに惹かれるところがあって。箱根駅伝とか、スポーツのキラキラした素直な感動のドラマみたいなのも好きで、それをよくある感じに斜に構えて見たりもしないし。普通にめちゃくちゃ美しいなって思う。だから、同世代ですごく頑張っている人が普通に好き。吉岡里帆さんや霜降り明星は単純に彼らのやっていることに興味をもったのが入り口ですけど、インタヴューを読んだりしてその人たちを深く知っていくことで、同世代でこんなに頑張っていて自分で美しいと思える活動をしている人がいるっていうのにすごく勇気をもらって。

ひねくれていないものに美しさを感じるというのは、これまでのアカツカさんの発言からするとちょっと意外な気も。彼らの魅力って、いわゆる「セルフ・プロデュースに長けている」的なこととも違う?

アカツカ:そう。策略立てて自分を巧いこと見せている、とかとも違う。吉岡里帆さんがテレビでとある詩を朗読していて、その詩の世界に入り込んで泣いてしまっているところを観たんですけど、「この涙はめちゃくちゃ美しい!」と感動しまして。そういえば、(霜降り明星の)粗品さんもめちゃくちゃ泣きますしね。

松任谷由実、コナン・モカシン、トーキング・ヘッズは?

アカツカ:ユーミンとトーキング・ヘッズは単純に自分の音楽的なルーツなので。コナン・モカシンはバンドを始めて色んな音楽をディグっていく中で知った僕にとっての最新のヒーローです。

今回のアルバム制作に関してもそれらの音楽から焚き付けられることも多かった?

アカツカ:超あります。コナンとかトーキング・ヘッズに関しては相当オマージュをささげてます。過去の音楽含め、そういう元ネタみたいなのもめちゃくちゃあるから、どうか皆さんにはうっすらと聴いて欲しい(笑)。

(笑)。そういうルーツ探しも聴く者にとっての大きな楽しみだと思います。曲作りはどんなプロセスでおこなわれているんでしょうか?

ニカホ:アカツカくんがビートとメロディーの乗った簡単なデモを作ってきて、それをひたすらみんなでスタジオで練るっていう比較的オーセンティックなやり方です。

宮田泰輔(guitar):曲によってはデモの段階で相当作り込まれていたり、みんなでアレンジしたり、色々なパターンがありますね。

そうすると、日常的に相当頻繁にスタジオに入っている感じですね。

アカツカ:そうですね。サポート・メンバーとはいえども、ライヴの前に一回合わせてとかではないですね。曲作りの段階から全ての制作の過程に参加してもらっています。具体的なアレンジにもメンバーの意見がかなり入っています。

ニカホ:なんなんだろうね、この関係性って。一般的な「サポート」っていう言い方もしっくり来ない関係だよね。

アカツカ:かといって「ひとつのバンドのメンバー」っていうような一枚岩感があるわけでもなく……(笑)。

ヒップホップでいう「クルー」的な……?

アカツカ:ああ、それが一番近いのかもしれない。

これまで同様、今作にも岡田拓郎くんがプロデューサーとしてガッツリ関わっていますね。盤石の信頼関係なんだろうな、と感じます。

アカツカ:そうですね。やっぱり僕はバンドをやっていく上で、マーケティング的な理由で何かに音楽自体を寄せていくってことをしたくなくて。もちろん売れたいとかバンドの規模を大きくしていきたいっていう気持ちはあるから色々音以外の面で考えることもあるけど、そのために音の方を変えるってのは決してしたくないので、音の面に関しては絶対の信頼を置いている人たちとしかやりたくなくて。

岡田くんも最もそういうマーケティング的発想の音楽作りを嫌う人ですもんね。

アカツカ:そう。「早く売れてよ」とはいつも言ってくれますけどね(笑)。

制作において彼の役割はどんな感じだったんでしょうか?

アカツカ:音を録るときのマイキングとか、エンジニアリング的な舵取りもほとんどやってもらいました。それと、ミックス等のポスト・プロダクションの部分がとても大きいですね。ギターをあえてラインで録って岡田さんの思う音にしてもらったり、レコーディングのときもエフェクターの設定を岡田さんにセッティングしてもらったりとか。僕に関しては岡田さんのギターとエフェクターを全部借りて手ぶらでレコーディングに行くスタイル(笑)。

今回、ドラム・セットでタムを使わないという制限があったとききました。

アカツカ:あ、それは単純に僕がリハーサルのスタジオを狭い所ばっかり取ってて、6人もメンバーがいるんで省スペース化を図らなきゃいけないって思って、じゃあフロア・タムをどかすか、という……(笑)。

本当に?(笑)

ニカホ:荷物の多いメンバーが多いからなあ(笑)。

礒部拓見(drums):一番年下の僕が割を食って。本当は他の人が減らしてほしい……タム使いたい……。

(笑)。

アカツカ:やっぱ年下には先輩っぽいところ出さなきゃなって思ったときに、よし、先輩といえば理不尽なパワハラだろう、と。厳しい上下関係を築くためにまずナメられちゃけないなと。最初のリハのときに「おいお前! 何生意気にタム叩いてんだよ」っていって。俺がタムを蹴破ったんですよね。まあ、というのは冗談で、僕らにはパーカッション・プレイヤー(宮坂遼太郎)もいるので、そこと音域的にもぶつかってしまうのでなくしているというのが大きいですね。

その効果なのか、パーカッションに加えて、ドラム・セットにおいてもスネアとシンバルのサウンドの存在感がぐいっと全面に出てきている気がします。

アカツカ:そうですね。やっぱりあえて何か制限を課すことによって色々アイデアを考えるし、それによって個々人の演奏のポテンシャルを引き出したいっていうのはありますね。ドラム・セットに秘められた潜在能力を……。

ニカホ:アカツカくんがいないところで、礒部くんが「それでもタム叩きたい」と言っているのを聞いたことがあるけど……(笑)。

特に日本に顕著だと思うんですけど、昔ながらのライヴ・ハウス的ロック文化やリハスタ的な文化って、ドラム・セットはドラム・セットとして自明のものとして認識されていたり、ギターだったらJCかマーシャルでキュイーンみたいな、そういう固定化した常識ってありますよね。でも、それを South Penguin は意識的に脱構築しているのかなって。

アカツカ:他の人と違うことをしたいとか、自分たちならではの音を出したいとか、正直ぼくはあんまりないですけど、彼ら(サポート・メンバー)にはあるみたいなんで……(笑)。

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家の中でずっとアイドルの動画を観ているみたいな、一般的にはどろどろしてて気持ち悪いみたいに思われているような人の切なくて儚い感じ。そういう人の心の中にも美しさってあるよなっていう。僕はガチ恋おじさん大賛成。

各曲について話を聞かせて下さい。M1の“air”はネオ・ソウル風なベース・ラインが印象的ですが、一方でコナン・モカシンや、アンノウン・モータル・オーケストラとか、10年代後半以降のメロウなフォーク・ロック~サイケデリック・ロックに通じる美学を感じました。

アカツカ:ベースはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの“Thank You For Talking To Me Africa”をオマージュしているんです。全体的にはあまりソウル的なものはイメージしていないけど、メンバーの通ってきた音楽のフィルターを通すことによってこういったテイストになっているんだと思います。僕がデモ作りでよく使う GarageBand の Rock Kit さんていうAIのドラマーがいるんですけど、のっぺりしたロックっぽいフレーズが礒部のフィルターを通すとブラック・ミュージックっぽいドラミングに変換される、みたいな。彼と宮田くんと宮坂くんは学生時代にブラック・ミュージック系のサークルに所属していたってのもあるし、今回の録音ではメンバーそれぞれの個性が出てきているのかなって気がしますね。

Dos Monos の荘子it さんのラップをフィーチャーしようと思ったのは?

アカツカ:サポート・メンバーのみんなともそうだし、僕は基本的に誰かと一緒に何かをやるっていうのが好きなんです。今回のアルバムは自分達的にリスタートの気持ちが強かったから、より一層外的な刺激っていうのを求めてて。僕は偏った音楽しか聞かないからヒップホップやブラック・ミュージック自体もそんなにちゃんと知らないんですが、いま日本で面白いことやっている人がいるんだったらそういう人を交えてなにがしかの化学反応が起きたら嬉しいなっていう気持ちだったんです。Dos Monos は元々知り合いではなくて、彼らの音源を聴いたときに、これはすごいかっこいいって思って。そこから声をかけた感じですね。

Dos Monos も同世代ですよね?

アカツカ:そうですね。デザインや映像など含めて、今回のアルバムに関わってくれている人って同世代が多いんですよね。ことさら意識したわけじゃないんですけど、やっぱり自分は同世代でやっているかっこいい人達に惹かれるってのがあるんだと思います。

M2“head”。

アカツカ:この曲は初めて Rock Kit 以外のドラマーでデモを作ったものです(笑)。プリンスの“All the Critics Love U in New York”という曲のドラムをサンプリングしてループさせただけのオケを僕が作って。それがめちゃくちゃかっこよかったんで「あー、このまま出したいな」と思ってたんですけど、それはさすがに難しいんで(笑)、礒部に頑張ってもらいました。

山田光さんによるフリーキーなサックスが印象的です。

アカツカ:激烈ですよね。ジェイムズ・チャンスとか、ファラオ・サンダースのような……。

宮坂:スタジオで「サウンドのイメージとして昇り龍みたいな感じ」とか言ってましたよね(笑)。

この強烈な反復ビートからはダンス・ミュージック的な肉体性も強く感じます。一方でポスト・パンク的というかNYノーウェーヴ的なアヴァンギャルドさもある。

アカツカ:僕は元々ニューウェーヴ大好きっ子なんです。ふつふつとミニマルに盛り上げいくこういう曲に関しては、やっぱりトーキング・ヘッズの影響が大きいですね。そういうアヴァンな一面とかいろんな側面を再始動のアルバムとして出したいなっていう気持ちがあったんで、こういう飛び道具的な曲を収録しました。

M3“alaska”は過去曲のリメイクですね。冒頭のドラム・マシン? の音が印象的です。

ニカホ:岡田くんと ACE TONE とかの昔のリズム・ボックスっぽい音を入れたいねって話をしてて。でも昔のリズム・ボックスってテンポも揺れたりするから実際にレコーディングで使うのって割と難しいんですよ。なので、岡田くんにプロツールスでループを作ってもらって。元々は“Space Commercial”っていうエディ・ハリスの曲から発想を得て。

制作にあたってのそういうリファレンスみたいなものについても日々みんなでコミュニケーションする?

ニカホ:いや、アカツカくんとはあんまりしないです(笑)。サポート・メンバー内や岡田くんとは結構話すかも。これはエディ・ハリスに加えてもう一個リファレンスがあって、Mild High Club の“Skiptracing”も意識しましたね。

M4“ame”。これも過去曲のリメイクですね。あえてリメイクを収録するのはどんな意図があるんでしょう?

アカツカ:単純にファーストEPの時点では音楽的に未熟だったし、いまのメンバーでこの曲をやったらもっと良くなるだろうっていうのが大きいですね。繰り返しになりますが、今回のファースト・フル・アルバムで再スタートを切りたいっていうのがあったので、現時点の自分たちのベスト的な内容にしたいというのもあって。

M5“idol”。曲名が印象的ですが、いわゆる日本のアイドル文化も視野に入っている感じなんでしょうか……?

アカツカ:はい、あやや(松浦亜弥)とかを賛美するつもりで作りました。

ニカホ:本当に?(笑)

MVが不思議ですよね。曲名から連想させるように実際に女の子が出てくるんだけど、そこへ銃火器の映像が挿入されたりと、支離滅裂な感じに批評性を感じて。最近よくある「可愛い女の子出しときゃいいでしょ」的なMVへのアンチテーゼなのかなと思いました(笑)。

アカツカ:そうですね……でもまあMVに関しては監督の Pennacky くんに任せちゃった部分もあるのでなんともいえないのですが。この曲は曲名通り偶像崇拝的なことをテーマにしている曲なんですけど、歌詞も他の曲よりは分かり易く書けたかなと思っていて。アイドル自体についての歌というより、そういう偶像に本気ですがっている人の歌。

ガチ恋おじさん。

アカツカ:あ、まさに。曲名「ガチ恋おじさん」にすればよかったな。

宮田:身も蓋もないな(笑)。

どことなく切なさと美しさを感じます。

アカツカ:そうなんですよ。アルバムのテーマとして考えていた「美しさ」がこの曲にも強く反映されていると思います。家の中でずっとアイドルの動画を観ているみたいな、一般的にはどろどろしてて気持ち悪いみたいに思われているような人の切なくて儚い感じ。そういう人の心の中にも美しさってあるよなっていう。もちろん馬鹿にしたりしているわけじゃなくて、むしろ僕はガチ恋おじさん大賛成。そういう刹那的な美しさみたいなものがこの曲におけるキーになっていると思います。

この曲を聴いて泣いちゃう人もいるかも。

アカツカ:ああ~、その涙が一番美しいですねえ。

日本のオタク文化いじりってどうしても愚弄的だったり自己憐憫的なものが多いけど、そこにある儚さをすくい取ろうとしている感じが素晴らしいですね。トッド・ソロンズの映画に通じる美しさというか。

アカツカ:そういうアイドルオタクの人たちが「避けるべき存在」みたいになってしまうのがすごく嫌で。女性アイドルや男性アイドルだけじゃなくて、みんなすごく好きなミュージシャンとか、いろんな趣味とか、そういうものに過剰に入れ込んで自分の生活の全てになっているような人ってたくさんいると思うんですけど、それって普通の恋愛と変わらないと僕は思うんです。

しかしMVに出ている雪見みとさん、可愛いですねー。ついフルでリピートしてしまいました(笑)。

アカツカ:いや~、本当ですよね。例えば、このMVをきっかけにあの子のことを本気で好きになってくれる人が出てきたら、曲の世界が全うされるなって(笑)。彼女、京都の子なんですけど、先日京都にライヴしに行くってことになったとき「せっかくだからライヴへ遊びにきなよ」って誘ったんですけど、そのときは残念ながら予定があわなくて。メンバーに「みとちゃん来れないっぽいよ」って言ったら、宮田くんが「じゃあ僕京都行かないです」って(笑)。

宮田:だってそんなの行く必要ない……。

アカツカ:そういうところで、「あ、バンドじゃなくてサポート・メンバーなんだなあ」って(笑)。

すごく好きなミュージシャンとか、いろんな趣味とか、そういうものに過剰に入れ込んで自分の生活の全てになっているような人ってたくさんいると思うんですけど、それって普通の恋愛と変わらないと僕は思うんです。

M6“alpaca”。アフロとブラジルの中間を行くようなリズムがカッコいい。

アカツカ:このリズム・パターンを作ったのも Rock Kit さん(笑)。かなりいじった記憶があります。でも僕はドラマーの足や手の動きっていうのを全然理解してないんで、それを礒部になんとかやってくれって頼んで。

礒部:必死にコピーしましたよ。かなり難しかったですね。

でもそれをたんとプレイできるのがスゴイですよね。いわゆるインディー・ポップ的な範疇からはみ出すダイナミズムを感じました。

ニカホ:彼は元々中南米音楽、特にレゲエに思い入れがあるプレイヤーですしね。

アカツカ:これはベース・ラインも僕が作りました。アルバム全ての中で一番僕が主導権を握った曲かもしれないですね。だから手柄は僕のものです。褒めて下さい。

(笑)。M7“spk”は打って変わってマイナー調。メロウだけどヘヴィーという。アルバム後半にかけて割とダウナーな展開になっていきますよね。

ニカホ:あ、いま気づいた。本当だ(笑)。

アカツカ:曲名にもしているんですけど、SPK という精神病患者とその看護師がやっていたオーストラリアのグループからインスピレーションを受けていて。後にその元患者は自殺しちゃうんですけど……SPK って元々はノイズとかインダストリアル系なんですけど、なぜかその死の前にめちゃくちゃポップになってエレ・ポップ路線になったり、相当不思議な魅力のあるバンドで。自分のルーツ的な音楽ですね。ここでは SPK の曲調とかは意識していないんですけど、そういうやるせなさや切なさは意識していますね。

確かに歌詞も鬱々としていますね……。

アカツカ:そうですね。「病葉」って言葉が出てくるんですけど、ユーミンの曲で知った言葉なんです。病床で木から病葉が落ちていくのを見るっていうかなり切ない描写の曲があって、そのイメージが精神病患者が抱いているかもしれない心理と一致して。

M8“aztec”。これもメロウだけどどこか苦い味わいもある。曲順についてはどのように決めていったんですか?

アカツカ:曲順については……あまり正直に話したくないんですけど実は今回曲名の頭文字が「a」の曲が多すぎて。それを固めるんじゃなくてバラけさせたかったというのがあります(笑)。それと、やっぱり全体にちょっと暗い感じの曲が多いなって印象があったんで、このあたりにビートは重めだけどポップな曲をちょっとクッション的に入れておこう、と。

実に美メロだな、と。メロディーメイカーとして個人的に好きなアーティストって誰かいますか?

アカツカ:やっぱりユーミンはメロディーメイカーとしても大好きですね……。他の曲は海外のアーティストの曲を参照して作っているんですが、この曲はわりと日本のポップスを意識しているかもしないですね。

なるほど。いわゆる「ニュー・ミュージック」的なテイストも感じました。

アカツカ:そうですね。そういう日本のポップスに加えて、MGMT の『Congratulations』のタイトル曲も結構意識しましたね。そのふたつの要素を融合したイメージですね。元々この曲はバンド結成の頃一番最初に作った曲なんです。今回そのときのリズムも大きく変更して。

宮田:元々は倍のビートだったんですよね。

アカツカ:この曲は当初上手くアレンジがまとまらなくて、最後まで入れるかどうか迷ってて。そこで MGMT を僕がひっぱりだしてきて、こういう感じでやったらどうかなって提案したんですけど、それがいい感じにハマって。最初にこのアレンジが形になったときは嬉しかったですね。

M9“happy”。終盤にかけてのドラムの音が凶暴で、それこそドゥーム・メタルみたいな……。

アカツカ:(笑)。この曲は他に比べてかなりヘヴィーで凶暴な音の処理になってますね。“aztec”が South Penguin として一番最初に作った曲で、これが一番最後に作った曲なんですが、“aztec”でいままでの僕らを終わりにして、一番新しく作った曲で最後締めることで、これからこのバンドを再びやっていくぞっていう気持ちを込めています。かなり暗い感じだからこれで終わらせるのはどうかなあと思って。だからせめて曲名だけでも“happy”にしました(笑)。ハッピーエンドですね。

そういうことだったんですね(笑)。曲調的に全然ハッピーじゃないよなと思っていました。これまでアカツカさんと話していて面白いなと思ったのが、いろいろ細かいところまで詰めていくのと、他人に任せてしまってあえてタッチしないということ、もっというならテキトーな感じとの不思議なバランス感です。没入して作り込むみたいなところから距離を取りたいという心理があるんでしょうか?

アカツカ:うーん、結構その心理はある気がしますね。それこそ岡田さんとかを見てて思うんですけど、自分の作品も凄く作り込むし、人の作品でももちろん手を抜かないし、すごいプロフェッショナルな仕事をしてくれる人だな、と。そういうのって本当にすごい体力だなって思うんですけど、僕は全然そういうのができない。まあ、それは生まれ持ったものなんで、諦めている部分もあるんですけど。

でも、そういうおおらかさみたいなものって、それこそアカツカさんが尊敬するコナン・モカシンにも通じる気もします。

アカツカ:そうですね、彼の活動にはそれを感じますね。ガチガチじゃないちょっとゆるい雰囲気というか。そっちの方が自分にあっていると思うし、無理のない形でやらないとかえって良いものはできないって常に思っているんで。

だからといって、パーティートライブ的に「ウェーイ!」って感じでもない。

アカツカ:まあ僕は夜な夜なクラブで遊び倒してますけどね。それはもう大変。夜はアヴィーチーしか聴きませんから。

ニカホ:なんでそんな嘘つくんだ(笑)。

ギークやナードな感じへも美しさ見出しつつ、おおらかな美意識を表現していくって稀有なことだと思います。なんだろう、今日のインタヴューではアカツカさんの器の大きさみたいなものを強く感じました(笑)。

アカツカ:いや~、常日頃みんなにそう言われますよ。

ニカホ:そんな場面見たことないけどな(笑)。

South Penguin
ライヴinfo.

・8/12 (mon) @江ノ島東海岸
TENGA PARK 2019
w/ Helsinki Lambda Club / and more...
start:11:00 close:16:00
Charge Free!!!

・8/31 (sat) @渋谷7th FLOOR
ARAM presents 『リスニング・ルーム』
出演:ARAM / 安楽 / South Penguin
open:18:00 start:18:30
adv:¥2,200 door:¥2,500 (各+1drink)

・9/16 (mon) @下北沢basementbar
Group2 presents『的(TEKI) Vol.3』
出演:Group2 / South Penguin / No Buses
DJ:鳥居正道 (トリプルファイヤー)
open:18:00 start:18:30
adv:¥2,500 door:¥3,000 (各+1drink)

interview with Vityazz - ele-king

インスト・バンドという言葉からはジャンルやサウンド感が伝わるわけではない。でも「インスト=ヴォーカルがいない」、もっと言うと「歌詞がない」という状態を指していて、それである種の線引きができるのでなんとなく納得してしまう。それは、カラオケ文化と無関係ではない気がしていて。

 ヴィチアスのデビュー・アルバム『11034』を私は心待ちにしていた。日本のジャズにまつわる新しい動きを探訪しながら出会ったのがこのヴィチアスで、私は彼らのデモ音源を初期の頃から聴かせてもらい、いつかコンピレーションに収録して世に出せないかと密かに目論んでいた。
 ヴィチアスは、ジャズを学んだメンバー4人からなるグループだが、日本のジャズ・フィールドでの活動は一切していない。その代わりに自らホスト・バンドとなってライヴ企画を打ち、様々なバンドをフィーチャーしたり、映像を駆使した表現方法で新たなジャンルのフィールドを切り開いている。それでもなお彼らの口からは「吉祥寺に今年できたライヴハウス NEPO なんかをみると、ライヴに映像が入ることがデフォルトになってますよね。さらに新しい見せ方を考えないと……」と、常に一歩先を行く話が飛び出してくるのだ。
 また様々な対比が同居した音楽性もヴィチアスの特徴のひとつ。ヴォーカルがある、でもインスト音楽。ジャズの構造でできている、でもメロディーはポップスやロック。印象はというと、密度が詰まって濃い、でも淡い質感。といったように彼らはこの対比を、緻密に計算して楽しんでいるように見える。
 ジャズを学んだ人たちが、様々な経験と人脈を経て生み落とす音楽が、全世界的にいまとても面白いが、彼らの作る音楽は、思えばそんな対比する異なる要素をどう作品に落とし込むか、そのアイディアや処理の仕方が非凡で、音楽理論を踏まえたうえでの遊び心があり大胆だったりすることが多い。面白さのひとつはそんな理由なのかもしれない。彼らの音楽は、ときにどんどん予期しない方向に形を崩していったり、また自身のアイデンティティに立ち戻ってそれを表出させたりと忙しい。それゆえに目が離せない。ヴィチアスはまさにそんなタイプの魅力をもったグループだ。
 6月21日にタワーレコード限定で先行発売された『11034』が反響を集める中、今秋の正規リリースを控え、新たなレコ発の企画も進行中のヴィチアス。リーダーで作編曲を担当する中川能之(ギター)に話をきいた。

本当に理想的な状態だとインスト・バンドという言葉がなくなるくらいになれば良いなと思っています。

まず始めに、バンド結成の経緯を教えていただけますか?

中川能之(以下、中川):僕は音楽学校のメーザーハウスでジャズ・ピアニスト佐藤允彦さんの作・編曲や音楽理論の授業を受けていたんですが、その学校のセッションで知り合ったのがドラムの安倍弘樹くんです。安倍くんは当時、東京キューバンボーイズの2代目のリーダー見砂和照さんにドラムを師事していたり、アントニオ・サンチェスが好きだったり、なんでも叩けるんですけど特にラテンに強いドラマーで。僕はちょうどその頃、曲を作りながらヴィチアスの原型になるような曲をギターのループマシーンを使ってひとりで試行錯誤していた時期で、形が見えてきたので安倍くんと栗山くんというジャズ・ベーシストに声をかけてトリオという形でスタートしたのが2015年くらいですね。その後、いまのベースの笠井トオルさんが入りました。


安倍弘樹(ドラム)

笠井さんもジャズのスキルを持ちながら幅広く活動されている方ですよね。どんなきっかけで出会ったんですか?

中川:僕はメーザーハウスの他にギタリストの市野元彦さんのレッスンも受けていて、笠井さんは市野さんから紹介してもらいました。笠井さんの師匠が、市野さんのバンド(rabbitoo)のベースの千葉広樹さんで、そのつながりもあって。笠井さんは Avocado Boys のメンバーとしても活動されたり、ジャズに限らず色々とサポート仕事も多くされていて、ウッドベースでしっかりジャズが弾ける上で、エレベも弾けてエフェクターの使い方も上手で。シンセベースとか機材系にも強くいろんな引き出しが多い人なので、すごく助かっています。ヴィチアスは楽器隊としてはトリオ編成なので、ベースの持ち替えやエフェクターで曲ごとにヴァリエーションをもたせてくれる笠井さんのスタイルはヴィチアスのサウンドを大きく広げてくれていると思います。あとヴィチアスの曲はリズム的なギミックや複雑なドラムパターンも出てくるので、ベースは一段後ろに下がりつつもツボを押さえたプレイで、バンドの土台をしっかり支えてくれています。


笠井トオル(ベース)

出会いのきっかけになった市野さんのレッスンのことについても伺いたいです。ヴィチアスの音楽はどんな部分で影響をうけていますか?

中川:市野さんは rabbitoo のようにいわゆるジャズだけに収まらない音楽を作られる一方で、レッスンではご自身がバークリー出身ということもあり、オーセンティックなこともしっかり体系立てて教えていただいています。特にコード・ヴォイシングのヴォキャブラリーを増やしてどうプレイに落とし込むかというところの影響が大きいと思います。ヴィチアスの楽曲は、ギターとヴォイスが同じメロディラインをなぞるというところが特徴のひとつとしてあるんですが、編成としてコード楽器がギターしかないという状況で、そういったメロディーとコードをギター1本でどう弾くかがサウンドに直結する部分になっています。コード・ヴォイシングのヴォキャブラリーや、メロディーとポリフォニックに動く内声ラインをどう弾くか、というようなことは、市野さんから学んだことが活かされていますね。

最近では、嘴音杏(しおん・あん)さんがヴォイス担当として加入されましたね。

中川:ヴォイスを入れようとなったときに、何人か候補の方を挙げていったんですが、声質と音域の広さ、楽器的に声を操れるスキルも持っているという点で彼女にお願いしました。杏ちゃんは自身のソロ名義やユニットもいくつかやっていて、安倍くんと笠井さんがサポートで入っていたりしたので、そういうつながりもあって。あと加入後に知ったんですが、彼女はクラシックの声楽の素養もある人なので、まさに楽器的に声を使えるという点でもぴったりでした。
トリオの頃は僕の声をヴォーカル・エフェクターで加工してヴォイスのラインを入れていたのですが、杏ちゃんのおかげで音域という面での自由度がかなり広がったのも大きいですね。ギターで良い音で弾ける音域でメロディーを作ると、メロが盛り上がったところで男では出ない音域になってしまいがちで。僕は男性の中では音域がかなり高い方なんですがそれでも出ないところを杏ちゃんは余裕でピッチも安定して出せるので、作曲上の制約がなくなって広がったということが大きくて、今後の作曲でも新しいものができると思っています。
あとはライヴでの再現性やアレンジの面でも、純粋に人手が増えるのでその部分でも広がっていくだろうなと感じています。4人揃った初ライヴは、8月20日の新宿 MARZ が決まっているので、そこに向けてライヴならではのアレンジなども詰めていきたいですね。


嘴音杏(ヴォイス)

いまジャズは大学などでもアカデミックに研究されているし、YouTube にも山ほど解説動画があって、共通スキル化しやすくなっていると思うんですが、そうなるとそこがスタートラインになってしまうので、そこから先の部分での分化を考えるとジャンルを越えたものになりやすい。

ヴィチアスのコンセプトのひとつとして、いわゆる歌詞が入るヴォーカルとは違うところを目指していますよね。

中川:そうですね。楽器的な声の使い方、スキャットというか歌詞がないスタイルには色々な可能性があると思っているので、今後も追求していきたいです。

ジャズというフィールドとの関係性は意識しますか?

中川:声の楽器的な使い方という点では、いわゆるジャズ的なスキャットや、現代的なジャズ・ヴォーカル、例えばアントニオ・サンチェスのバンドでのタナ・アレクサのヴォイスとサックスとでユニゾンするスタイルや、タチアナ・パーハがピアノと声だけのユニゾンで歌ってるようなスタイルはジャズ・フィールドではもちろん例が多くあるんですが、ヴィチアスは少し立ち位置が違うかなと思っています。
僕たちのやっているものは、曲のフォーム構成やメロディーをポップス寄りなところに落とし込んでいるので、そういうバランスとしてもジャズのスキャットともちょっと違うし、一方で主メロを歌うパートがいるという意味でもいわゆるインスト・バンドとも違うバランスを目指していて。そういった指向性の中でサウンドを構成する要素として、ジャズのコード感であったりポリリズムであったりを作曲の構造の中に取り入れているので、あまりジャズ・シーンに対してどういう立ち位置でいようか、というようなことは考えていないですね。

ヴィチアスは、ジャズというより、新しいインスト音楽という方向性ですね?

中川:自ら新しいインストと名乗るのはおこがましいですが、インスト・バンドってなんだろう? と以前からよく考えることはあって、インスト・バンドっていうのは改めて考えると少し変な言葉なんですよね。僕自身、人に自分の音楽を説明するときに「インスト・バンドやってます」って言っちゃうことが多いんですが、一口にインストと言ってもロックなインストもあればファンクやソウルなインストもあって、インスト・バンドという言葉からはジャンルやサウンド感が伝わるわけではないですよね。でも訊いた方も「あ~そうなんですね」となんとなく納得するという不思議な便利さもあるがゆえに僕もついつい使っちゃうんですけど。でもそれってつまり、「インスト=ヴォーカルがいない」、もっと言うと「歌詞がない」という状態を指していて、訊いた方もそれである種の線引きができるのでなんとなく納得してしまうのではないかと。それは、インスト・バンドという言い方が日本独特なものか分からないですが、いわゆるカラオケ文化と無関係ではない気がしていて。

要するに、リスナーが「歌えるかどうか」、という線引きを音楽に対してしていると。

中川:はい。そういうある種線引きされている、いまインストといわれる音楽の領域をいかに広げられるかということを大げさに言うと考えていて、本当に理想的な状態だとインスト・バンドという言葉がなくなるくらいになれば良いなと思っています。それは歌詞をつけないという僕たちのコンセプトに続いている部分なんですが、「声が入っている状態でリスナーも歌えるようなメロディーがあり、実際に声がメロディーを歌っているんだけど歌詞がないインスト的なサウンド」、という僕たちの音楽をどう聴いてもらえるか、いまの日本の音楽シーンの中でどう評価されるか。それが新しいインストになれるかどうかにつながるんだと思います。

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中川能之(ギター)

自分が日本のインディー、オルタナな音楽シーン、特にライヴハウスで身近に触れていた音楽から得た美意識というか。「これはアリ、これはナシ」といった肌感覚はミクロ的には個人史であり、マクロ的には日本の音楽史の一部でもありという意味ではオリジンになりうるのかなと思っています。

海外の動きは意識していますか?

中川:ゴーゴー・ペンギンはサウンド感やリズムの仕掛けが好きでよく聴きますね。直接的にそこから何か分析して取り入れたりっていうのはしていないんですが、彼らのインタヴューを見るとDAW上で作ったものを生演奏に置き換えるというプロセスを経ているみたいで、ヴィチアスと似ている部分があるかなと思っています。自分の作曲のやり方として、僕はギタリストですけれど作るときはピアノで作るんですね。ピアノの方がギターよりもヴォイシングや音域の制約が少ないので。なので、ヴォイシング含めてDAW上でスケッチを書いて、そのコード・ヴォイシングとメロディーの流れをギターで置き換えるという作業をしています。もちろんピアノのヴォイシング全てをギターに置き換えるのは構造上無理なので、再現と言うより翻訳に近いですが、一度作品としてカチッと作り上げたものを生に置き換えるというプロセスは似ているかなと思います。

ゴーゴー・ペンギンはアドリブ主体のジャズとはちょっと違って、作品性が先に来ているという感じがしますよね。

中川:そうですね。ものすごく大雑把に、個人のスキル同士がぶつかるというタイプをアメリカ的、構築された作品をどう演奏するかというタイプをUK的とするなら、僕たちも後者なのかなと思います。ゴーゴー・ペンギンとかを聴いていると音響面のテクスチャーのこだわりがすごくあって、リヴァーブ感のこだわりとか録音後のミックス感も含めてかなり詰めてるんだろうなと思います。そういうところの音響的なテクスチャーへのこだわりは、僕たちが声を入れていることにつながるんですが、ヴォイスというのはすごく音響的なテクスチャ・コントロールに優れている楽器だと思っていて、それは他の楽器にはない部分だと思うんです。そういった意味で音響的なテクスチャー含めた作品性を重視するヴィチアスのコンセプトにも近しいものを感じます。

ヴィチアスの音響のこだわりはある種UKっぽいですよね。他にいま盛り上がっているジャズについてどう見ていますか?

中川:UKに限らずですが、折衷感があるものがいま多いですよね。いま、現代的なジャズは大学などでもアカデミックに研究されているし、YouTube にも山ほど解説動画とかあって、それゆえに吸収、共通スキル化しやすくなっていると部分もあると思うんですが、そうなるとそこがスタートラインになってしまうので、そこから先の部分での分化を考えるとジャンルを越えたものになりやすいという側面はあるのかなと思います。そういったジャズをインプットしやすくなっているという状況にあって、自分の中にあるオリジンの部分というのをどうミックスするのか、ジャズにある種のレガシーとして接する人が共通して取り組んでいるところなのかなと思います。

なるぼど。では、ヴィチアスにとっての「オリジンの部分」というのは何ですか?

中川:やはり、楽器を始める前の頃も含めて、僕がいままで聴いてきたポップスやロックのフィールドからの影響がいちばん自然に出るのかな。例えばヴィチアスの曲だとハーモニーの部分では、ポリモーダルや調性を薄めてあったりと、かなりジャズの要素が強いんですが、メロディー自体はポップス的に気持ちいいと思うラインを追っていたり、曲のフォーム構成はポップス的なA‐B‐サビのくくりになっていたりします。あとこれはなかなか言葉では表現しにくいのですが、自分が日本のインディー、オルタナな音楽シーン、特にライヴハウスで身近に触れていた音楽から得た美意識というか。「これはアリ、これはナシ」といった肌感覚はミクロ的には個人史であり、マクロ的には日本の音楽史の一部でもありという意味ではオリジンになりうるのかなと思っています。そういったところをジャズ・プラスアルファのオリジンの部分として追求していきたいと思っています。

歌詞が入っていて音量が小さいと聴いている方としてはストレスになると思うんです。どうしても言葉や内容を聞き取ろうとしてしまうから。僕たちの音楽は歌詞がないので、声とそれ以外の音のミックス・バランスを普通の歌モノとは変えて工夫することができます。

ロックやポップスはどんなものを聴いてきたんですか?

中川:普通に生活していて耳に入るような、いわゆる J-Pop ももちろん聴いていましたが、やはり自分が音楽をやるようになってからライヴハウスとかで生で見たバンドの影響も大きいと思います。地元にはライヴハウスがあんまりなかったので、東京に来て J-Pop とは別のインディー、オルタナな音楽シーンを体感したときの衝撃は大きかったです。初めて Ryo Hamamoto さんや Peridots さんのライヴを生で見たときは衝撃を受けましたし、そんなにライヴは観れてないですがベベチオさんとかも好きでよく聴いてました。シンプルに声とメロディーがいい人が好きで。最近知った方だと阿部芙蓉美さんがとても素晴らしかったです。

中川さんは色々な音楽をインプットしていますよね。ボン・イヴェールの作品をDJでかけたときに好きだとお話したことも印象に残っています。

中川:ボン・イヴェールはエフェクティヴな加工やアレンジが素晴らしい面もありつつ、コアになっているフォーキーな感じも好きです。シンプルに良い声とメロディーが好きってのは、多分いちばん最初まで遡ると親が聴いていたカーペンターズが好きだったみたいなところもあると思います。良い声と良いメロディーってのがコアにあるので、弾き語りスタイルから大胆にアレンジやテクスチャーを変えても通底する良さがある人というのに魅かれているというところはあると思います。

最近はケイトリン・オーレリア・スミスも聴いているんですよね? オーガニックな要素をもつ声とエレクトロニックな人工的な音という対比したサウンドの処理についてはヴィチアスにとってもテーマだと思うのですが、その点で工夫されていることはありますか?

中川:彼女は声とモジュラーシンセを主体にする中での、作曲性とミニマル・ループ感のバランスが素晴らしいなと思います。モジュラーシンセに比べると僕たちは基本はアコースティック寄りではあるんですけと、ギターのエフェクトで高域の倍音成分を出して Pad っぽい音を入れたり、ベースにオクターヴァーをかけて低域を拡張したりといったサウンド処理はしています。

今回のアルバム『11034』についてはどうですか。作品トータルの聴かせ方で意識されていることはありますか?

中川:アルバムに関していえば、いちばん気を使ったのはヴォーカルとのミックス・バランス処理ですね。それをどうするかエンジニアさんと何度もやりとりして詰めていきました。ヴォーカルのリヴァーブ感と音量・音響的なバランスの取り方というのはいちばん気を使っていて、どうしても声が入ると声をメインに聴こうとしてしまうと思うんですよね。そうなったとき、ギターも同じ主旋律を弾いているので、ギターの中にある声と他の音とのバランス感覚が大事になってきます。
あと、先ほど話した歌詞を入れていないことにも通じるのですが、歌詞が入っていて音量が小さいと聴いている方としてはある種ストレスになると思うんです。どうしても言葉や内容を聞き取ろうとしてしまいますから。僕たちの音楽は歌詞がないので、声とそれ以外の音のミックス・バランスを普通の歌モノとは変えて工夫することができます。

曲の構成についての聴きどころや、アルバムのなかで思い入れのある曲について教えてください。

中川:1曲目の“How days slided”はバンドで最初に合わせた曲なのですが、この曲はいわゆる初期モードと呼ばれるワンモード主体の構造になっていて、マイルス・デイヴィスの“So What”とかと作りが似ているんですけど、そういったモーダルな感じともうひとつ、この曲は、5と4のポリリズムになっているのが特徴で。そういった自分の中で実現したかった音楽的な要素を、初めて曲の形にできたという意味では、この曲でユニットの方向性が見えた部分でもあるので思い入れがありますね。

歌詞って映像喚起力が強いと思うんですが、それゆえに歌詞が入るとどうしても言葉の映像喚起力に音楽が勝てないというか、音楽自体が持つ微細な映像喚起力がマスキングされてしまう気がして。

やはりジャズの構造が入っているんですね。影響を受けているジャズはどのあたりです?

中川:ジャズの中でも自分がいちばん好きで影響を受けたのはマイルス・デイヴィスの『ネフェルティティ』あたりのサウンドで、いまでもよく聴き返してます。特にウェイン・ショーター作曲の“Fall”が好きで素晴らしく美しい曲なんですが、その曲のハーモニー、音楽的な用語でいうと4度和音を主体とした非機能的なハーモニーの連結といった部分はヴィチアスの作曲にもかなり影響を受けていると思います。

ポリリズムにこだわっているということですが、ヴィチアス独特のリズムを生み出すドラムについての注目ポイントはありますか?

中川:変拍子やポリリズムを取り入れると勢いプレイヤー視点でのドラミングになりがちだと思うんです。でもドラムの安倍くんはそういったリズム遊びを楽しみつつも、ドラマーのエゴにならないようにあくまで音楽的な流れを重視したプレイができるので、そういったトータルのバランス感がポイントかなと思います。ドラムの音質についてですが、今回のレコーディングでは、60年代のヴィンテージのドラムセットにシンバルはいまっぽい音色のものを組み合わせることで、いまの時代のサウンドの中にも伝統的なジャズっぽさも少し匂わせる工夫をしています。

躍動感を出すためにこだわっている部分や、ダンス・ミュージックとの接点についてはどうでしょう?

中川:5と4のポリリズムを使った曲がいくつかあって、その中でキックの4つ打ちではなく5つ打ちというのをやっていて、それはダンス要素のひとつとして意識的に使っている部分ではあります。キックの4つ打ちはダンス・ミュージックに限らず一時期のロックなどでも多用されたこともあり、ある種の定型感すらありますが、ポリリズム、メトリック・モジュレーションを入れることで新鮮さを出せると思っていて。つまり、定型による既視感と、何か違うぞという違和感が同居するので、5に限らずポリリズムから出てくるキックの変拍子打ちにはまだ掘られていない音楽的な鉱脈があるのではと思っています。

ポリリズムについても以前から研究されていたんですか?

中川:特別ポリリズムの研究をしていたわけではないですが、サークルの先輩ギタリストが元ティポグラフィカの今堀恒雄さんのローディーをしていたり、周りにそういう音楽が好きな人がたくさんいたので音楽的なトピックとしてポリリズムの構造についての知識はありました。その時点では知識として理解していただけなので、実際にポリリズムの乗り換えができるとか、身についたと言えるようになったのは作曲の中に取り入れてからですね。

ヴィチアスは映像をライヴで取り入れていますよね。そのあたりのこだわりについても教えてください。

中川:そうですね。ライヴVJはチーム内に担当してくれる人がいて結成当初から一緒に活動しています。映像というかライヴでの視覚的な演出との関係は今後も追求したいなと思っています。歌詞って映像喚起力が強いと思うんですが、それゆえに歌詞が入るとどうしても言葉の映像喚起力に音楽が勝てないというか、音楽自体が持つ微細な映像喚起力がマスキングされてしまう気がして。歌詞を付けていないのはそういう意味でもあるんです。音楽の持つ微細な映像喚起力とライヴの視覚的な演出と、どういう形がベストなのかというのは常に摸索しています。

ヴィチアスのネーミングも視覚的な要素と関連しています?

中川:ライヴを見てくれた人から、曲から連想するイメージが青っぽいと言われたことが多かったので、そこから連想して決めました。ちなみに今回のアルバム名は、「ビチアス海淵」の深海の深度から取っています。

対バンはどんなタイプのバンドとやりたいですか?

中川:安倍くんの尊敬するアントニオ・サンチェスの前座をやりたいねというのは冗談ながら話したことはありますが(笑)、サンチェスは無理にしても、そういった編成やスタイルに共通項のあるジャズ系の人たちともやってみたいですし、逆にがっつり歌モノの人ともやってみたいですね。たとえば個人的に青葉市子さんが大好きなんですが、そういった歌がコアにある人たちと並びでやらせてもらっても遜色ないくらいに、ヴィチアスのスタイル=「声が入っているインスト」という音楽性が広く聴いてもらえるようになりたいなと思います。

ポストロックのバンドも良さそうですよね。

中川:そうですね。ベースの笠井さんがポストロック好きで色々詳しくて。僕も downy さんとか大好きで、奇数連符ノリなど凝ったリズムの仕掛けも自然にロックマナーの中でグルーヴさせているのはすごいし、かっこいいなと思います。ヴィチアスも結成当初からポストロックっぽいという感想をいただくことも多いですし、リズムや音響面でこだわりがあるかっこいいバンドも多いので機会あればぜひポストロックの方々ともご一緒したいです。

ヴィチアスは、ポストロックやジャズの要素もあるし、メンバーそれぞれの素養が形になっていますよね。

中川:バンドでの曲のアレンジにしてもやはり自分にないものが入ってくることで良い意味で自分がデモで作ったものとはかなり違う仕上がりになるので、そういう意味ではすごくバンドっぽいなと思います。各メンバーの音楽的なカヴァー領域が共通項もありつつ重なってない部分がかなり広くて。若干宣伝になりますが(笑)、アルバムCD帯から登録できるファンの方々に向けた限定メルマガの中で、メンバーが好きな曲をコメント付きでオススメするっていうのをやっているんですが、僕自身も知らないアーティストや曲がたくさんあっていつも楽しんで聴いています。

最近のギタリストで中川さんが注目している人は誰ですか?

中川:やっぱりジュリアン・レイジや、ニア・フェルダー、ギラッド・ヘクセルマンあたりはすごいなと思います。音楽的に素晴らしいのはもちろんですし、生でライヴとか見ると単純に「楽器が上手いって素晴らしいことなんだ」と改めて思います。その上で、オーセンティックなジャズ・プラスアルファの自分の音楽的なオリジンの部分をちゃんと融合させていて素晴らしいと思います。あと最近ライヴで観た人だと、チック・コリアのバンドにも抜擢されてたチャールズ・アルトゥラもすごかったです。音の粒の揃い方が尋常じゃなく綺麗でした。
特にギラッド・ヘクセルマンはジョン・レイモンド、コリン・ストラナハンとやっているリアル・フィールズも大好きで。フリューゲルホルン、ドラム、ギターのトリオ編成でボン・イヴェールやトム・ヨークの曲もやっているんですがエフェクトのアイディア、ポリフォニックなラインアプローチなどギタリスト目線でも楽しめますし、全体での構成やアレンジもとても素晴らしいと思います。

では最後に、今後の予定を教えてください。

中川:まだ詳細な時期は決まってないですが、アルバムの一般発売とレコ発に向けて色々と進めています。あとは次の作品にむけての楽曲制作も始めているので、ぜひSNS等で続報チェックしてもらえると嬉しいです。

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