「IR」と一致するもの

CAN - ele-king

 CANのライヴ・シリーズのなかで、ファンからもっともリクエストの多かったのが、今回第6弾として発売される『ライヴ・イン・キール 1977』だという。ロスコ・ジーが加入し『Saw Delight』リリース、しかしメディアからの評価は低調に終わった時期の、ある意味では下降線をたどっていった時期のライヴになるが、ファンというのは、その当時もっとも光のあたらなかったものにこそ光を当てたいものなのだ。ひょっとしたら、ここにはまだ発見されていない輝きがあるかもしれない。この長らく待たれていたライヴ作品が、ついに11月22日に発売される。

 『LIVE IN KEELE 1977』は、後期CANを象徴するダイナミックなドキュメンタリーである。1977年3月に収録されたこの公演では、イルミン・シュミット、ヤキ・リーベツァイト、ミヒャエル・カローリ、ホルガー・シューカイというコアメンバーに、ロスコ・ジー(Traffic)がベースとして参加。彼の加入により、ホルガー・シューカイはベースから解放され、「サンプリング&サウンドエフェクト」をプレイすることが可能になり、ここでは異世界的な音やサンプルを披露している。
 1977年はCANにとって困難な時期と言われる。彼らの8作目のスタジオアルバム『Saw Delight』は酷評され、後に評価が著しく改善されたものの、リリース当時のレビューは非常に厳しいものだったからだ。
 しかしながら、ジャーナリストで放送ライター、作家のジェニファー・ルーシー・アランは、「ファンたちは知っています。様々なファン・ミーティングやこれまで出版されてきた書籍の双方で、'76-'77年がCANのライブの最良の時期だと一致しているのです(キール公演も含む)。そして、このショーのいくつかのトラックは、長年にわたりファンメイドの『ベスト・オブ』ライヴ・ブートレグに収録されてきました。(この作品を聞くと)彼らが正しいことがわかります。」と語っている。
 オリジナルのライナー・ノーツは、ジャーナリストであり作家のジェニファー・ルーシー・アランが執筆している。

このシリーズは、結成メンバーのイルミン・シュミットとプロデューサー/エンジニアのルネ・ティナーが監修し、貴重なアーカイブ音源を現代の技術と繊細な作業により最高のクオリティで見事に復元している。

CAN は1968年にケルンのアンダーグラウンド・シーンに初めて登場し、初期の素材はほとんど残されていないかわりに、ファン・ベースが拡大した1972年以降は、ヨーロッパ(特にドイツ、フランス、UK)で精力的にツアーを行い、伝説が広がるにつれ、多くのブートレッガーが集まってきたのだ。『CAN:ライヴ・シリーズ』は、それらの音源の中から最高のものを厳選し、イルミン・シュミットとルネ・ティナ―による監修で、21世紀の技術を駆使して、重要な歴史的記録を最高の品質でお届けするプロジェクトである。



■商品概要
アーティスト:CAN (CAN)
タイトル:ライヴ・イン・キール 1977 (LIVE IN KEELE 1977)
発売日:2024年11月22日(金)
品番:TRCP-311 / JAN: 4571260594906
定価:2,500円(税抜)
紙ジャケット仕様
ジャーナリスト/作家/放送キャスターのジェニファー・ルーシー・アランによるオリジナル・ライナーノーツ 
及びその日本語訳付

Tracklist
1 Keele 77 Eins
2 Keele 77 Zwei
3 Keele 77 Drei
4 Keele 77 Vier
5 Keele 77 Fünf


■この発表に併せて本日先行リリースされる楽曲音源
「Keele 77 Eins」 Apple Music | Spotify

■Pre-Order
Apple Music
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CAN は1968年にケルンのアンダーグラウンド・シーンに初めて登場し、初期の素材はほとんど残されていないかわりに、ファン・ベースが拡大した1972年以降は、ヨーロッパ(特にドイツ、フランス、UK)で精力的にツアーを行い、伝説が広がるにつれ、多くのブートレッガーが集まってきたのだ。『CAN:ライヴ・シリーズ』は、それらの音源の中から最高のものを厳選し、イルミン・シュミットとルネ・ティナ―による監修で、21世紀の技術を駆使して、重要な歴史的記録を最高の品質でお届けするプロジェクトである。

本ライヴ・シリーズは、英誌Uncutのリイシュー・オブ・ザ・イヤーで1位、MOJOで2位を獲得したライヴ盤『ライヴ・イン・シュトゥットガルト 1975』(LIVE IN STUTTGART 1975)『ライヴ・イン・ブライトン 1975』(LIVE IN BRIGHTON 1975)、そして『ライヴ・イン・クックスハーフェン1976』(LIVE IN CUXHAVEN 1976)、そして今年2月にリリースし、高い評価を得て今も大きな話題となっているダモ・鈴木がヴォーカル参加の『ライヴ・イン・パリ1973』(LIVE IN PARIS 1973)、そして、今年5月31日にリリースされた『ライヴ・イン・アストン 1977』(LIVE IN ASTON 1977)の5作がこれまでに発売されている。

■プロフィール
CANはドイツのケルンで結成、1969年にデビュー・アルバムを発売。20世紀のコンテンポラリーな音楽現象を全部一緒にしたらどうなるのか。現代音楽家の巨匠シュトックハウゼンの元で学んだイルミン・シュミットとホルガー・シューカイ、そしてジャズ・ドラマーのヤキ・リーベツァイト、ロック・ギタリストのミヒャエル・カローリの4人が中心となって創り出された革新的な作品の数々は、その後に起こったパンク、オルタナティヴ、エレクトロニックといったほぼ全ての音楽ムーヴメントに今なお大きな影響を与え続けている。ダモ鈴木は、ヴォーカリストとしてバンドの黄金期に大いに貢献した。2020年に全カタログの再発を行い大きな反響を呼んだ。2021年5月、ライヴ盤シリーズ第一弾『ライヴ・イン・シュトゥットガルト 1975』を発売。同年12月、シリーズ第二弾『ライヴ・イン・ブライトン 1975』を発売。2022年10月、シリーズ第三弾『ライヴ・イン・クックスハーフェン 1976』を発売。2024年2月、ダモ鈴木 逝去。同月、ダモ鈴木が在籍していた黄金期のライヴ盤『ライヴ・イン・パリ 1973』を、続いて『ライヴ・イン・アストン 1977』を5月に、そして本作『ライヴ・イン・キール 1977』を11月22日に発売。

www.mute.com
http://www.spoonrecords.com/
http://www.irminschmidt.com/
http://www.gormenghastopera.com

interview with Still House Plants - ele-king

 スティル・ハウス・プランツのインタヴューの終盤で、ヴォーカリストのジェス・ヒッキー=カレンバックは、バンド・メイトのギタリスト、フィンレイ・クラークとドラマーのデイヴィッド・ケネディと一緒に演奏する過程で完全に「裏から表にひっくり返された」と語っている。彼女はその独特のスタイル——深みのある声、生々しさ、警戒心が解かれてしまうほどのエモさ——をどのようにして確立したかについて話しているのだが、同時にバンドの根本的な曲というものに対する脱構築についても説明している。

 ギター、ドラムスとヴォーカルというミニマルなセット・アップで演奏するロンドンを拠点とするこのトリオは、絶えず変化し続ける音楽を作っている。2020年のアルバム『Fast Edit』では、彼らはローファイの電話のメモ音やリハーサル・テープをスタジオ録音に一緒に組み込むことで、曲の創作過程のさまざまな段階を聴いているかのような感覚を演出した。今年の初めにリリースされた後続アルバム『If I don’t make it, I love u』はより物憂げで、2018年のバンドの名を冠したデビューEPでも明らかだったスロウコアの影響が前景に映し出されている。だが、それでも十分にスリリングかつ予測不可能で、彼ら独自のロジックのもとにピンと張りつめたり緩めたりと自在に紡がれる曲で溢れている。

 クラーク、ヒッキー=カレンバックとケネディは、2013年にグラスゴー芸術大学で出会い、初期の録音がグラスゴーのカセットに特化したレーベル〈GLARC〉よりリリースされている。2016年にはロンドンの〈Cafe Oto〉で行ったギグで、同会場のアーキヴィスト、アビ―・トマスの耳に留まり、トマスが彼らの音楽をリリースするために〈BISON〉レーベルを立ち上げた。同会場は重要なサポーターとなり、2019年にはバンドを3日間のレジデント・キュレーターに迎え、一時的に開設されたプロジェクト・スペース・スタジオを、リハーサルや新しい作品に取り組むために彼らに提供した。(ツアー中以外の時間には、ヒッキー=カレンバックが〈Cafe Oto〉のバー・カウンターのなかで働いているのを目にすることができる)

 日本でのデビュー公演では、スティル・ハウス・プランツはgoatと共演するが、これは理に適っている。双方とも、名目上はロック系のインストゥルメンテーションを採用しながら、
エレクトロニック・ミュージックの手法とロジックに深く通じているからだ。2020年のTone Glowでのインタヴューでヒッキー=カレンバックは、自身の初期の音楽作りの記憶について、「6、7歳の頃にすごく酷いドラムン・ベースのトラックを父親のPCで一緒に作った」と話しており、スティル・ハウス・プランツも曲をカット&ペーストのアプローチで創造し再編集しているが、これはDAWのソフトウェアをいじったことのある人には馴染み深いものだろう。

 ズームを通じての対談でも、メンバー3人はライヴと同じような心の通い合った雰囲気を見せている。誰も会話を独占しようとせず、互いの話を注意深く聞き合い、前の話者の話を引き継ぐように次の話者が話し出す。なお、以下の会話は、長さと質を考慮し、編集されている。

私たちはこれから自分たちがやることを知っているし、揺らぎのようなものがあることもわかっている。

あなたたちのバンドの歴史においてかなり重要な役割を果たした〈Cafe Oto〉についてお話を伺いたいのですが、読者のなかにはその場所に馴染みのない人もいるかもしれません。そこへ行ったことのない人に説明するとしたら?

ジェス・ヒッキー・カレンバック(以下、ジェス):そこは小さな会場だけどじつに多様なプログラムを展開していて、歴史的には、たしかフリー・ジャズ寄りのところからはじまっている。現在はあらゆる種類の実験的な音楽、バンド系やノイズ、パフォーマンス寄りのものにも門戸を広げている。私たちが最初に関わりを持ったのは、2019年に彼らがジャーウッド財団——若いアーティストを支援する団体——と組んでいるときで、私たちをノミネートしてくれた。当時はまだ会場のひとつとして出会ったという感じだった。

デイヴィッド・ケネディ(以下、デイヴィッド):それ以前にも演奏はしたことがあったんじゃないかな?

ジェス:そうだね、もしかするとそれより前に1〜2回演奏していたかも。ただその頃は
まだ距離を感じていて、ひとつの会場としか思っていなかった。でもその後に「ああ、彼らは本心から若いアーティストたちを支援したいのだ」とわかって……いや、それほど若くはなかったけど、新しいアクトをね。

デイヴィッド:ある時点で、彼らはフリー・ジャズ・スペース、あるいは実験音楽の場というイメージを払拭したいという声に押されたこともあったみたいだ。クモの巣をとりのぞかないと、という感じで。だけど、そういったことを定義するのは誰なのだろう?

ジェス:その通り! その実験音楽、あるいは変わった音楽の定義という考えを変える必要があったのだと思う。そしてそれがどういう意味を持つのかを決めるのはひとりの人間ではないはず。

フィンレイ・クラーク(以下、フィン):僕は〈Cafe Oto〉に対しては本当に温かい気持ちを持っている。僕たちが音楽をはじめた頃にものすごく手厚いサポートをしてくれた。僕たちもいまではかなり多くの場所で演奏しているけど、彼らが毎年積み上げてきたものに驚きを隠せない。もちろん美味しいごはんやお茶、そして日本酒なんかも含めてね……。

私の〈Cafe Oto〉での体験からいうと、とにかく観客の熱中ぶりがすごいと感じました。あのような場所での演奏は、例えばフェスなどの出演時に比べてパフォーマンスに違いがでてくるものでしょうか?

ジェス:最近、イギリスのフェス〈End of the Road〉に出たんだけど、キャンピング・フェスティヴァルみたいな感じの場だった。前に都会でのフェスには出たことがあったけど、今回のは、伝統的なウェリントン・ブーツ着用で赤ちゃん連れも多い、イギリスらしいタイプのフェス。それでもみんなが集中してくれていたように感じた。みんなが本当に熱心に聴きたいと思ってくれていると感じられる場所で演奏できるのは、ただラッキーなだけなのかもしれないけど。

デイヴィッド:ティルザ(https://www.ele-king.net/review/album/009532/)のツアーのサポートとしてロンドンのブリクストン・エレクトリックという会場で演奏したんだけど、たぶん2000人ぐらいのキャパで、ステージがかなり大きくて高いところにあり、「ああ、こんな環境ではどうやって(音楽が)伝わるんだろう」と思った。だけど、演奏後にうまく行った感触があり、結局何も変える必要はないことがわかった——つまり、僕たちはどこででも演奏できるということを教えてくれたんだよね(笑)。

ジェス:そうそう。私たちは多くを必要としないの。皆が近くで寄り添いあって、すべてをシンプルに保つ必要があるだけ。そしてそれは、どこででもできることでもある。とても心強い感覚だよね。

フィン、何か追加で言おうとしていたのではないですか?

フィン:そう。言おうと思ったのは、フェスと〈Cafe Oto〉にはそう大きな違いはないということ。というのも、僕はあまり観客の方を見ずに、ジェスとデイヴィッドの音を聴くことに集中しているし、自分のなかに閉じこもっているから。そして自分の右側、つまり観客席で何が起きているのかには左右されない感じなんだ。

デイヴィッド:(顔をしかめながら)ウゥ……参った……。

大丈夫? 何かあった?

デイヴィッド:うーん。首が痛くなってしまったから、枕を変えないと。

フィン:ああ、それなら何て言うんだっけ? 僕が使っているのは低反発枕ではなくて
パンダのロゴがあるやつなんだけど。

デイヴィッド:あ、それ見たことあるかも。

フィン:すごくいいんだよ。

ジェス:ピロー・トークだね? 私は極薄のが好き。極・極薄のやつ。ほとんど何も中身がないぐらいの。

フィン:昔は僕もそっち派だったんだけど、いまではしっかりと首をサポートするタイプ。

ジェス:でも、あまり枕を高くすると首にはよくない気がするよ。知らんけど。とにかく、私が言いたかったのは、重要なのはサウンドチェックをきっちりやること。それがすべてを左右する気がする。でも全体的に私たちはうまくやれていると思う。もちろん、上手くいかないとき、例えば正しいサウンドになっていないとかだとつまらないけど。もうひとつは、私たちがステージ上で三角形のセット・アップで演奏しているのがよいのかもしれない。このセット・アップのおかげで、常に互いをサポートしあうことができるし。

多くの曲が、けっこう構造的になってきている気はする。すべてではないけど、多くの曲で自分が次にどう演奏するのかわかっていることが多いから。

あなたたちの音楽は、非常にオープンエンデッド(途中で変更可能な)である感じを受けますが、もちろん、はじまりと終わりの地点はあるわけで、制約もありますよね? ただ、完全に従順というわけではないと。

デイヴィッド:多くの曲が、けっこう構造的になってきている気はする。すべてではないけど、多くの曲で自分が次にどう演奏するのかわかっていることが多いから。

それに反発したいと感じることはありますか?

デイヴィッド:それはあると思う。物事を変えたいという気持ちがあるのを自分たちでわかっているから、皆でそれも念頭に置くようにしている。それは通常、パフォーマンスの前に起こることが多い。このセットは半分にして、後半をトップに持ってこようとか、入る曲を変更しようとか。そういう感じでトランジションなんかにも取り組むんだ。

ジェス:長いあいだ演奏して作業を続けるうちに、実際のレコーディングで面白いことが起きたりもする。そういう時に曲が本当に固まってくるんだと思う。いま、レコード(『If I don’t make it, I love u』) からの曲をたくさん演奏しているから、物事の瀬戸際や曲の境界線なんかがよくわかるようになった。私たちにとって曲の変化というのは、ムードとかそういうもののことが多いのと、もうひとつは、その隣に何が配置されるかということ。曲から別の曲に移るときのやり方を探すということかな。そのことにすごく興味を覚える。私たちは、セットにある種のDJセットのような曲と曲が混ざり合うようなフロー(流れ)があることを好むの。 そうやってツアーとともに、曲が変化していくんだと思う。でも、私はヴォーカルだから、デイヴィッドとはかなり違う時間を過ごしているのかも。私の方がすぐ簡単に思いついたことができるから。私がやっていることにも一貫性はあるけれど、違う表現をするためのスペースが多くある気がする。

フィン:うん。君が言っていることはよくわかるよ。ドラムのパートがしっかりしていると、とんでもなく自由な形も可能になる。そして構造にも自由度を与えられると思う。あるとき、俳優のイアン・マッケランのモノローグ(独白劇)を観たことがあるんだけど、台詞をしっかり覚えていると、ものすごく自然に言葉を届けることができると彼が言っていたのを思い出した。自分のパートを本当によく把握していると、少なくとも僕は、まるでその場で音楽を作っているように見えるらしい。自分がやっていることを正確に把握することによる自由があって、それが自発的なものであるという印象を与えるようだ。

ジェス:そのことで面白いのは、私たちの音楽は誰もが何か特殊な即興演奏だと思いこんでいる節があるということ。当然揺らぎもあれば、変化するところもあるから、聴いた人が「すごい! これは基本的に100%が即興だ」と思うらしいのね。どうしてだろう? もしかすると、完全に即興である方が都合よく理解しやすいのかもしれない。発作的なことや、奇妙に思える変更もあるから。でも、私にとっては基本的にこういう……ドロップとかがあることなんかは非常にタイトに感じる(笑)。ある意味、これをどうやって即興しているというの? という感じ。でも同時にすべてが真実でもあるような気もしてくる。私たちはこれから自分たちがやることを知っているし、揺らぎのようなものがあることもわかっている。曲のはじめと終わりやトランジションにも練習して対処する。そして、セットのなかの曲を一枚岩に仕上げるの(笑)。

デイヴィッド:ジェス、それはいい指摘だね。曲をレコーディングしたときって、曲が完全にできあがったと思いがちだけど、僕はとくに新しい曲については、ライヴで演奏しているうちに初めて強化される要素があると思う。これまでにも、ライヴで、曲をあるやり方で演奏した後で「あれ?  なんか全然よくなかったな」と感じて、突然次のセットで違うドラム・パートを入れたり、別の曲と繋げたりしたこともある。つまり、とくに新しめの曲については、ライヴ演奏を通じてどんどん形成され続けていくものなんだと思う。

ジェス:私もそう思う。曲全体の構造は変わらないにしても、いろいろ切り刻んだり、別の曲と繋げたりして新しい曲になっていく。いまもちょうど曲を書いているところだし、新しい曲の演奏もしている。それらは変化しているし、まだ固まる前だから、たぶんツアー中にも変化し続けるのではないかな。

フィン:とにかくステージで曲を試すのが一番良い方法だよね。いつも思っていたんだけど、ステージでやると直感的に善し悪しが判断しやすいと感じる。

その直感は、バンドをやっている何年かのあいだに向上したと思いますか?

フィン:そうだなぁ……質問への答えとしては迷惑な回答かもしれないけど、イエスでもあり、ノーでもある。実際、注意深く聴くことを覚えたし、自分のアーティスティックな判断を信じることを学んだ。自分に耳を傾けて直感を信じることができるようになるには、長い時間が必要だ。いまの方がより多くの問いかけをするようにもなった。20代前半の頃は、いまよりも自信があったと同時にナイーヴなところもあったけど、現在ではより慎重になり、自分自身の声を聴いて直感を知ることができるようになっている。だから、僕にとっては両方あるな。

ジェス:私はその逆で、自信がなくなり、前よりもっとうっとうしい。冗談だけど。

デイヴィッド:直感について考えるのは面白いよね。少なくとも曲作りでは、ただ成長することと楽器を心地よく使いこなせるようになることとの関連性についても考えてしまう。

ジェス:長くかかったからね。私たちが音楽をはじめたとき、デイヴィッドはしばらくドラムを叩いていなかったし、たぶんみんなも同じだったと思う。とにかくお互いのことを学ぶ時間だったともいえる。つまり、それぞれの演奏方法がそれだけ違っていたということ。例えば、フィンはギターを弾いてきて明らかに楽器のことを熟知していたけど、私たちふたりの反応を考えて演奏方法を模索していた。そうしたことに対応するのは、本当に長い時間がかかるものだから。

デイヴィッド:本当にそう。実際、僕がドラムを心底楽しいと感じたのは、ここ1年半ぐらいになってからのことだし。

フィン:僕もそれについて考えていた。君はすごくよくドラムの練習をするでしょ。僕はギターではあまり練習しないけど、家でよくピアノの練習をするんだ。それが僕の練習方法なんだけど。ギターに関しては……じつは上手すぎるギターの音があまり好きではないんだよね(笑)。ロバート・フリップという名前だったっけ? あの完璧なテクニシャン。それは僕にはあまり関係ない。少しルーズな方が好きだから、あえて練習し過ぎないようにしているともいえる。

ジェス:でもフィン、あなたはたくさん演奏しているじゃない。それはイアン・マッケランについて語ったこととは逆だよね! 私たちはたくさん演奏するから、あなたもしているということだよ。

フィン:僕が言いたかったのは、スケールなんかは練習しないということだよ。

ジェス:それは必要ないよ。

フィン:例えば、さっきのイアン・マッケランのところで出てきた、彼が言う台詞を覚えることと、楽器を練習することは別の意味な気がする。僕は、パートやセットを覚えることの方が多いね。そう、キース・リチャーズについて考えてみると、彼は基本的にはおびただしいほどギターを弾いている。まったく別のことだよね。

デイヴィッド:僕も以前、ドラムで同じようなことをしていたよ。ドラムは嫌いだ、ドラム文化も嫌いだと言いまくっていた。ドラムをどう演奏するかについても、本当に目に見えない地雷原のような危険もある。フィルインを叩く人をみていられないとか、そんな感じになって。練習ばかりしていると、自分もそういうドラマーになってしまうのではないかと思った。でも、またある別の時点では、「僕には十分個性もあるし、自分の直感を信じよう」と楽器と向き合い練習を重ねて、実際にいい演奏ができるようになったりするんだ(笑)。

ジェス、あなた自身の楽器——つまりあなたの声——との関係はどのように変わってきていますか? あなたはバンドをはじめた当初よりもだいぶ低い声で歌っていますよね。

ジェス:自分はラッキーだったと思う。というのも、音楽を作りはじめる前には歌ったことがなかったから。歌いたいとは思っていたのに、あまり自信がなかった——自分の声がすごく小さいと感じていた。あっという間の出来事だったけど、すべてが私にとっては適切なタイミングで起こったし、私たちは物を作りはじめ、それと同時に私は自分の人としての本当の声も見つけた気がするんだ……。おかしな言い方だけど、演奏すればするほど、自分が完全に裏から表にひっくり返されたような気がする。つまり、自分が感じていることをそのまま表現できるようになったように思うし、それで声が変わったとも言える。基本的には自信の問題だったと思う。

デイヴィッド:ああ、それは大きいよね。

ジェス:そして傷つきやすくなったこともね。それはとても大きなことだった。

※スティル・ハウス・プランツは9月21日(土)に、恵比寿リキッドルームにてライヴ公演!
2024.09.21SAT
MODE AT LIQUIDROOM
https://mode.exchange/
https://www.liquidroom.net/schedule/mode_20240921

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by James Hadfield

Towards the end of a conversation with Still House Plants, vocalist Jess Hickie-Kallenbach speaks of being “turned inside-out” in the course of playing together with her bandmates, guitarist Finlay Clark and drummer David Kennedy. She’s talking about how she developed her inimitable style – deep-voiced, raw, disarmingly emotive – but she could equally be describing the band’s radical deconstruction of the art of song.
Working with a minimal set-up of guitar, drums and voice, the London-based trio make music that is in a constant state of becoming. On their 2020 album, “Fast Edit,” they incorporated lo-fi phone memos and rehearsal tapes alongside studio recordings, giving the sense of hearing the songs at various stages in their creation. Follow-up “If I don’t make it, I love u,” released earlier this year, is more languid, foregrounding the slowcore influences that were evident on the group’s 2016 self-titled debut EP. Yet it’s still thrillingly unpredictable, full of songs that come unspooled and snap taut with a logic entirely unto themselves.
Clark, Hickie-Kallenbach and Kennedy first met as students at Glasgow School of Art in 2013, and their early recordings were released on Glasgow cassette label GLARC. A 2016 gig at London’s Cafe Oto caught the ears of the venue’s archivist, Abby Thomas, who started the bison label in order to release their music. The venue would become a crucial supporter, inviting the band to curate a three-day residency in 2019 and letting them use its temporary Project Space studio to rehearse and work on new material. (When she isn’t touring, Hickie-Kallenbach can be found working behind the bar at Cafe Oto.)
For their debut Japan show, Still House Plants will be sharing a bill with goat, which makes sense: both groups use nominally rock instrumentation but are deeply informed by the methods and logic of electronic music. In a 2020 interview with Tone Glow, Hickie-Kallenbach said her earliest memories of making music were producing “really bad drum ‘n’ bass” tracks on computer with her dad at the age of six or seven, and Still House Plants create and re-arrange songs with a cut-and-paste approach that will be familiar to anyone who’s messed around with DAW software.
Speaking via Zoom, the three members show the same rapport that’s on display during their live performances. Nobody dominates the conversation: they listen carefully to each other, often picking up on what someone else has said. The following conversation has been edited for length and clarity.

I was hoping to ask about Cafe Oto, since people reading this might not be familiar with the venue, but it's played quite a significant part in the band's history. How would you describe it to somebody who's not been there before?

Jess Hickie-Kallenbach: It's a small-sized venue that has very varied programming. I guess historically, maybe, it was more free jazz. Now, it's broadened out to any kind of experimental music, from band stuff to noise, more performative things. Our introduction to the place was in 2019, I guess, when they were working with Jerwood [Foundation] – a sort of funding body to help out young artists – and they nominated us. That was where we first encountered it, properly, as a venue.

David Kennedy: I suppose we'd played there before.

JHK: Yeah, we'd played there once, I think, at that point. Maybe twice. But I think it felt a bit more disconnected – it just felt like a venue. And then after that, it was like: Oh, right, they actually want to support young... well, not necessarily young, but new acts.

DK: I feel there was a bit of a push, at one point, to try and kind of shake off the cobwebs (laughs), of being this sort of free jazz space or experimental music space – but who defines what that is?

JHK: That's exactly it. I think the definition of what that is – of what experimental music, or whatever odd music, is – had to change. And [it's] not one person [who] decides what that means.

Finlay Clark: I was just going to say, I have very warm feelings towards [Cafe Oto], because they were just so supportive when we were starting out. We've played at quite a few venues now, and it just amazes me how they put it together, year after year. And delicious food, and tea! Sake and stuff…

In my experience of going to Oto, I've felt like the audience there is very engaged. Do you find playing somewhere like that, compared to at a festival or something, changes things for you in the course of the performance?

JHK: We recently played at a festival in the UK [End of the Road], which was like a camping festival. We've played at festivals before, in cities, but this was like a proper British, wellies-and-babies sort of festival. It still felt like people were paying attention. I don't know if we're just lucky, that we find places where people actually really want to listen, or engage.

DK: We were doing this support tour with Tirzah, and we were playing at this venue in London called Brixton Electric. I think it was like 2,000 people-ish, in this big, quite raised stage, and I remember thinking, "Oh, I don't know how it's going to translate in that sort of setting…” But I remember afterwards, I really got the feeling that it worked, and we didn't have to change anything – which sort of tells me that we could literally play anywhere (laughs).

JHK: Yeah, we don't need much. We kind of need to stand close together, and we need to keep everything feeling kind of simple. But that can literally happen anywhere, you know? It's quite a fortifying feeling.

Sorry, Fin, were you going to add something there?

FC: Yeah, I was going to say, the difference between a festival and Oto – in a way, not much. I don't really look out at the audience much. I'm kind of just listening to Jess and David, and just locked in, and what's happening to the right of me – which is normally where the audience is – it doesn't change [things].

DK (grimacing): Uh. Oh my God…

Are you okay there?

DK: Yeah, I need to replace my pillows, because my neck is in pain.

FC: Oh, you should get – what are they? I've got one of these... It's not memory foam, but it's got a panda [logo] on it.

DK: Oh, I've seen those.

FC: Yeah, they're really, really good.

JHK: Pillow talk, yeah? I go for super-thin. Super, super thin. Basically nothing.

FC: I used to do that, and now I'm all into neck support.

JHK: But it feels like it does worse to have your neck up high. I dunno, whatever. I was gonna say, obviously it's really nice to do a proper sound check. That's the thing that really changes everything. But I think we're pretty good at doing it all. It's obviously not fun if things are going wrong, like if the sound isn't quite right. But also, there's something about the way that we're set up, which means that we're kind of constantly supporting each other. I guess that's the good thing about being set up as a triangle.

Your music feels very open-ended, but then I guess there are start points and end points, and there are constraints, right? It's not just completely malleable.

DK: A lot of the songs, I feel, have become quite structured. Not all of them, but with a lot of them, I know exactly what I'm going to play all the time.

Do you ever feel any sort of desire to push back against that?

DK: I think I do. I suppose we do try to account for that as well, of wanting to change things up. Usually, that often happens before [the performance]. We discuss, like, “This set, we're cutting it in half, and moving the second half to the top, or maybe we'll change what songs we go into.” So it'll be, like, working on transitions and stuff.

JHK: There's something interesting that happens, when we actually record songs, after playing and working on them for a long time. I think that's when they get really cemented. I think that right now, playing quite a lot of songs from the record [“If I don’t make it, I love u”] means that we really do know the edges of things, and the boundaries of the songs. The way that they change, for us, is more like mood and stuff like that, but also what they sit next to: transitioning from one song to another, finding ways to do that. That feels interesting to us. We like a set to have a sort of flow, almost like a DJ set or something – songs blurring into each other. So that's how songs change, I guess, as we tour them. But I think, as the voice, I have a very different time to DK [David]. I can kind of do what I want much more easily. There's a consistency to what I do, but also there's room for different kinds of expressing.

FC: Yeah, I totally hear what you're saying. Having a drum part that's pretty solid gives you a ground to kind of free-form, sometimes, over the top. Also, I think there's freedom in structure. I remember I saw Ian McKellen do a monologue, and he was talking about how when you know your lines so well, you can deliver them in a really natural way. When you know your parts really well – at least for me – I find that you can kind of give the impression that you're making it up. I think there's a freedom to knowing exactly what you're doing, because it gives the impression of spontaneity.

JHK: It's funny that thing, because I feel like the presumption about our music is that everyone assumes that it's at this particular level of improvised. Obviously, there's fluctuations – there's things that change – but people are like, "Woah, that's basically 100% improvised" as they hear it. And I wonder what that is about it. Maybe it's convenient for it to be imagined as entirely improvised, because it's jerky and has strange changes. But to me, it feels so tight, having these – essentially – drops (laughs) and stuff like that. In a way, it's like: How could that be improvised? But yeah, I think it's all kind of true at the same time. We know what we're gonna do. We know that there's going to be some kind of fluctuations. We practise the starts and ends of songs, and the transitions, and we work those all out, and we make this sort of monolith of a song that is a set (laughs).

DK: I thought that was a good point you made, Jess. When stuff is being recorded, things start to feel fully formed. I do feel like there is an element of sort of firming up the songs through playing them live, especially the newer ones. We've even had points where we played a song a certain way, and then we'd be like, "Oh, I didn't really like how that went." And all of a sudden, the next set we do it, it would have a different drum part and be connected to the end of another song, or something like that. So there is an element of – especially with newer stuff – that it forms and forms and forms through playing live.

JHK: Yeah, I think so. It might not be that the whole structure of a song changes, but we chop things up and we just stick them next to something else, and that becomes the new song. We're writing now, and we're playing some new things. They're changing, they're still solidifying, so they're probably going to change across the tour.

FC: It's definitely a good way to test out material, on stage. I've always felt that you kind of know when something works or not, quite instinctively.

Do you think that those instincts have improved over the years of doing the band?

FC: I think... it's an annoying answer, but sort of yes and no. I've learnt to listen to and trust my judgment, artistically. It takes a long time, to really be able to listen to yourself and trust your instincts. I do question things a lot more, as well. I found when I was in my early 20s, I had more confidence and sort of naivety at the same time, and that's kind of transformed into being more cautious, but also being able to listen to myself and know my instincts better. So it's kind of a bit of both, for me.

JHK: I feel the opposite. I've become less confident and more annoying. Joking.

DK: It's funny thinking about instinct, isn't it? At least in terms of songwriting stuff. I wonder how much of that comes from just growing. I'm trying to think if there's a link, as well, to just actually getting more comfortable with an instrument.

JHK: Yeah, like, it's taken you a long time. When we started making music, David hadn't played drums in a while. I guess it was probably the same for all of us. In a way, we were learning how to play with each other, which actually meant we played very differently. Obviously, Fin, you'd played guitar and you knew the instrument, but you were working out a new way of playing, and that was in response to both of us. That stuff takes a really, really long time.

DK: Yeah, it's probably only in the last year and a half, I've realised that I actually really enjoy playing drums.

FC: I've also been thinking, because you practise drums a lot – I don't practise the guitar. I sit at home and practise the piano a lot, and that's kind of where my practice goes, but guitar... I think that I don't like how guitar sounds, when it's too good (laughs). Is it Robert Fripp, is that his name? Very perfectly technical. That's not for me. I like it being a bit loose. In a way, I'm intentionally not practising it.

JHK: You play a lot, though, Fin. That's the opposite of what you said about the Ian McKellen lines! And you do play a lot, because we play a lot.

FC: What I mean is, like, I don't practise scales.

JHK: You don't need to.

FC: It's more like learning the part – the set – in reference to learning lines, the Ian McKellen lines, and practising the instrument is separate. And yeah, just thinking about Keith Richards, basically, playing copiously. I think they're separate things.

DK: I used to have a similar thing with drums. I was like: Oh, I hate drums, I hate drum culture. There's a real minefield, as well, in just how you can play drums. I can't be arsed with people doing fills, and all this sort of stuff. There's a point where I was like: If I start practising all the time, am I just going to become one of those drummers? But then there's a certain point where you're like: I have enough personality, I'm a real person who's taken a break from an instrument and come back to it as a more fully formed human. I trust in my own instincts, that I'll be able to actually engage with this instrument and practise it, and be able to actually make it good (laughs).

Jess, how has your relationship with your instrument – your voice – changed? Obviously you're singing a lot lower than you did when the band first started...

JHK: I was really lucky, I guess, because I didn't sing before we started making music. I'd always wanted to, but I wasn't very confident – I guess my voice felt really small. It happened pretty fast, but everything sort of aligned at the right moment for me, where we started making stuff, and I also started really finding my own voice as a person… It feels like the more we were playing, the more I would just be – without sounding crazy – kind of turned inside-out. I was just more able to wear what I was feeling, and that meant that my voice changed. I think it was confidence, basically.

DK: Yeah, that's a big thing.

JHK: And to be vulnerable. Big time.

Jonnine - ele-king

 オーストラリアのオルタナティヴ・ロック・バンド HTRK のメンバーでもあるジョナインの最新ソロ・アルバム『Southside Girl』が、UKの〈Modern Love〉からリリースされた。環境音とヴォーカルとベースと打楽器によるローファイ/サイケデリックなムードの楽曲をまとめたアルバムである。
 今年の〈Modern Love〉においては、デルフィーヌ・ドラ『Le Grand Passage』(傑作です)に続くエクスペリメンタルなフォーク/クラシカルな作品でもある。〈Modern Love〉にとってこれは意外な展開ではないのだ。例えば2022年のパロマ『Laila Sakini』もピアノとボーカルによるモダン・クラシカルな音楽性だったし、2023年のルーシー・レイルトン『Corner Dancer』もチェロの音響を追求した実験音楽だったのだ。重要な点はこのレーベルの「エクスペリメンタル」な音楽は単に先鋭的というだけではなく、どこか優雅さを称えていることにある。

 この『Southside Girl』は、そんな〈Modern Love〉の実験音楽方面のリリースでは、その極点(?)を示すような素晴らしい出来のアルバムである。実験と優雅、その交錯。つまり遊戯と記録。もしくは日常の中の実験と実践とでもいうべきか。いわば白昼夢のように浮遊感のある心地よいサイケデリアを展開していくのだ。もちろんゴリゴリの実験主義的な音楽でもない。むしろこれ以上ないほどにシンプルな音である。
 エクスペリメンタルでサイケデリックな音は HTRK の延長線上にある音ともいえるが、雑味を省いた本質的な音楽である。つまりシンプルな音だ。にもかかわらずとにかく豊穣な音楽なのである。なぜだろうか。「音楽と音の関係性に不用意な壁がないから」だとはひとまずはいえるだろう。音楽は音であり、音も音楽になりえる。フィールド・レコーディングは「音もまた音楽たり得る」という可能性を示す。環境音の録音が切り取られ、編集されたとき、その音が鮮烈な音楽の原型のように耳に響く。それは偶然と必然と意志によって生まれた音の音楽化だ。『Southside Girl』における環境録音もまた偶然と必然と意志によって選ばれた音がとても豊かに鳴り響いているのだ。
 同時にとてもパーソナルな音楽/音響でもある。間近にある音。記憶と生活。音と現実。その隙間にある幻のような感覚。内省的であるが暗くはない。このサイケデリックなアンビエンス感覚は HTRK のアルバムからの延長にあるといえるが、よりシンプルに、より濃厚になっているともいえる。じっと聴いているといつの間にか時間の感覚が溶け合っていくような恍惚とした感覚を得ることができた。レーベルがバンドキャンプ上でアナウンスしているように「郊外。海辺のアパート。海に行く約束。キャンディ。夜行列車」など、まさに過去の記憶が溶け合っていくような感覚を覚えるアルバムなのだ。「記憶」だけが持っている不思議な多幸感。桃源郷が「ここ」にあった。

 音楽的にみると重要なのは「ベース」と「環境音」の使い方にあると思う。一聴すれば分かるが、本作の編成にはギターがほぼ入っていない。環境音とベースと打楽器が本作の基調となっているのだ。もちろんジョナインのソロにおいてベースが重要な要素を占めるのは2023年にリリースされた前作『Maritz』の楽曲でもそうであったが、ほぼギターレスの本作は「ベースと歌声」による「二声の音楽」という可能性をさらに追求しているように思えた。加えて本作では「環境音」もアンサンブルのひとつのように扱っている。アルバム1曲目 “December 32nd” も環境音/フィールド・レコーディング作品だ。この日常の音の素朴な豊かさ。そして2曲目 “Spring's Deceit” では環境音とジョナインの美しい声が折り重なってくる。以降、3曲目 “Rococo” 以降、アルバム全編にわたりジョナインの透明で美しい歌声と環境音がセッションしているかのように折り重なる。

 本作はアルバム全11曲を通して環境音と声と打楽器とベースなどのアンサンブルをメインにしながら聴き手の意識を現実と幻の中間状態に誘うように展開する。だからこそ9曲目 “Shell Cameo” に不意に入ってくる素朴なピアノの音がとても新鮮に響くわけだ。また私がこのアルバムで特に惹かれたのは10曲目 “Sea Stuff” である。これまでひとつの演奏パートのように存在感のあった環境音が控えめになり、ベースとドラムと歌だけになる曲だ。もちろん環境音が消え去ったわけではない。微かに音が鳴ってはいる。いわば静寂になったのだ。
 そこで繰り広げられるシンプル極まりない演奏と彼女の声は不思議と、あらゆる感情が浮遊するような感覚に満ちていた。まるで日常の中に不意に訪れる空白のように。パーソナルな録音環境によって生まれた夢と幻のリアリズムとでもいうべきか。そう、このアルバムをじっと聴いていると、まるで環境音までも音楽を奏でているかのように聴こえる瞬間があるのだ。

 「記憶」というパーソナルな主題を、軽やかに展開するローファイ・サイケデリック・フォークの逸品といえる。聴き込むほどにこの日常が愛おしくなり、同時に失われた過去の記憶が結晶していく。天国を希求しつつも、この生きている世界こそが桃源郷だった。そんな感覚すら抱かせてくれるアルバムである。

Interview with Beatink. - ele-king

 9月14日の『Dub Sessions 2024』、このイベントが終わってから、主催者であるビートインクが自らの30周年を祝ってのパーティをオールナイトで行う。この疲れ知らずのインディ・レーベルで、創業以来がむしゃらに働いてきた大村大助にいたっては、その前日に名古屋での『Dub Sessions』を終えてからの東京入り。オーディオ・アクティヴでエレクトロニクスを担当していたこの男は、あれから30年以上経ったいまも、並々ならぬ気迫と持久力でレーベルをひっぱっているようだ。

 現在、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめ、〈Beggars〉傘下の〈4AD〉〈Rough Trade〉〈XL〉に〈Young〉〈Matador〉、そして〈Domino〉など多くのインディ・レーベルとライセンス契約をし、日本でのリリースを引き受けている。もっとも、そもそものその原点は〈On-U Sound〉の日本でのリリースを手がけたことにはじまり、つまり、ある意味、30年前と同じことをずっとやり続けてきたことの蓄積だったりするのだ。

 いよいよ〈BEATINK 30th Anniversary Party〉を控えたビートのスタッフ3名、大村大助、若鍋匠太、寺島茂雄に話を聞いた。


オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー

〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう! 

30周年おめでとうございます!

一同:ありがとうございます!

大村(大助)くんとぼくは、ビート設立の前からの知り合いなんです。

大村:そうですよね。

91年、渋谷のエスニック料理屋を週末だけ借りてやっていた、アンダーグラウンドなテクノ・パーティがありましたね、ぼくはよく遊びに行ってたんですが、大村くんはね、見張り番をしてたんだよね(笑)。

大村:いや、ぼくはただ単に遊びに行ってただけですよ(笑)。

え? そうだったんだ。いつも入口付近にいたから、警察が来たら知らせる見張り番だとずっと思っていました(笑)。

大村:伊藤洋一さんという、YMOのマネジャーやっていた方が、そのころジェオという会社をやっていて、そこで働いていたスタッフたちといっしょに遊びに行ってましたね。ビートが立ち上がる前の助走期間というかね、もう、とんでもないデコボコ道でしたけどね。

当時大村くんはオーディオ・アクティヴとしての活動も精力的にやっていてね、のちに新宿リキッドルームで活躍する山根(克己)さんがマネージャーみたいなことをやってたんだよね。

大村:そうです。

ビートを立ち上げる前は、レイ・ハーンもジェオで働いていて。

大村:ジェオのときに芝浦GOLDにエイドリアン・シャーウッドを呼んでますね。

ぼくもあのとき行ったんですが、あれはすごいイベントでしたね。低音がすごかった。

大村:あの頃、〈On-U〉は〈Alfa Records〉とライセンス契約していて、オーディオ・アクティヴのデモも〈Alfa Records〉で録音しているんです。だから、オーディオ・アクティヴのファースト・アルバム『AUDIO ACTIVE』は、1993年の11月に〈Alfa Records〉から出ているんですよ。でも、ファーストが出た数ヶ月後に〈Alfa Records〉は倒産するんです。「さてどうする?」ってところから、ビートの立ち上げがはじまっている。

なるほどね。自分たちでやるしかないと。

大村:そして、〈On-U〉から1994年の9月にアルバム『We Are Audio Active (Tokyo Space Cowboys)』が出るんです。ただ、その前の6月には「Free The Marijuana」という12インチ・シングルも出ているんです。

いまでも持っています。ビートインクの最高傑作ですね!

大村:マーク・スチュワートがあのシングルもアルバムもデザインをしてくれたんです。

いや、そこはマジで素晴らしいですね。あの曲のなかのトースティングは?

大村:ビム・シャーマンですね。スキップ・マクドナルドも参加している。

まさに、ここにビートインクが凝縮されている。もう、いまやっていることと変わらない(笑)。30年間、ずっとそれをやり続けているんですね! すごいよね。

大村:そういうことですね(笑)。


伝説のエイドリアン・シャーウッド@芝浦GOLD

ビート前史としては、山根さんがまだ渋谷ON AIRのブッキング・マネジメントをやっていた頃に、1992年から1993年にかけて、ダブ・シンジケート、ビム・シャーマン、ゲイリー・クレイル、マーク・スチュワート、リー・ペリーなんかの招聘をやっているでしょ。あれも当時は大きかった。

大村:ビートを会社として登記したのが、1994年の6月。そして、7月に新宿リキッドルームができてるんです。で、そのプレ・こけら落としというのがあって、それはうちがアンダーワールドとドラム・クラブを呼んだんです。

いろんなものが同時にはじまりましたよね。ぼくも1994年に独立して、エレキングをはじめた。そのくらい、1992〜94年の日本のアンダーグラウンド・シーンは熱かったですね。最初、ビートはレイの恵比寿のマンションの自宅ではじまっているけど、何人ではじまったんですか?

大村:俺とレイと、あとは井出さんという女性の方がいました。

井出さんにもお世話になりました。で、最初は〈On-U〉のディストリビューション?

大村:〈On-U〉ではじまって、やがて〈All Saints〉(※イーノ作品で知られる)もやったり……。

寺島:ちなみに、ビートのカタログナンバー〈BRC〉の1番がオーディオ・アクティヴ。2番がアフリカン・ヘッド・チャージで、3番がニュー・エイジ・ステッパーズ

(笑)いまとやっていることがまったく変わらないね!

大村:(笑)〈On-U〉がすべての起点になっているんですね。だから、30周年のイベントやるんだったら、エイドリアンが来ているいましかないでしょう! 

若鍋:よくレイさんも言いますよね。音楽をディストリビュートするというアイデア自体は、エイドリアンからもらったって。

大村:〈On-U〉からいろいろ繋がっていったんだよね。

寺島:アタリ・ティーンエイジ・ライオットもそう。

大村:〈DHR〉(※アレック・エンパイアのレーベル)も、そして〈Emissions〉(※アンドリュー・ウェザオールのレーベル)も。ほかにも、〈On-U〉のサブレーベルとして〈Puressure Sounds〉もあった。

最初は全国のレゲエ系のお店をはじめ、独自の流通網を作っていったんだよね。

大村:なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。

なんの経験もないなかインディーズをはじめて、信用できるいろんなひとに教えてもらいながら、必要に迫られて何でも大急ぎで進めていきました。

1994年にビートがはじまって、最初は〈On-U〉からやっていくんだけど、大きかったのって何だったですか?

大村:〈DHR〉がやっぱデカかった。

90年代は、オーディオ・アクティヴもすごくがんばってやっていたじゃないですか。リキッドルームでオーディオ・アクティヴとエイドリアンとアンドリュー・ウェザオールってあったよね? あれは良かった。あとリー・ペリーのライヴもよく憶えている。大村くんは何がいちばん思い出深い?

大村:アンダーワールドの初来日はよく憶えていますね。アタリ・ティーンエイジ・ライオットのライヴもお客さんの熱気がすごかった。湿度で天井から雨が降ってくるくらいだったし、後にも先にもあんな光景は見たことないです。

リー・ペリーと?

大村:リー・ペリーはめちゃくちゃ思い出あります。最初のON AIRでやったときは、まず空港に迎えに行ったときに、カシオトーンを頭の上に乗っけて歩いてきたんです。「ええ!? とんでもない人出てきたな……」みたいな。もう、誰がどう見てもすごい人なんですよ(笑)。

それはもう、なんか超越的というか(笑)。普通に?

大村:それが、普通にめちゃめちゃ安定してるんですよ。何もくくらないで、そのまま頭に乗っけてて。リズム・ボタンを押して、ピッコピッコ鳴らしてるんですよ(笑)。

ハハハハ。

大村:会場入りするときもそうでしたね。車から降りて、カシオトーン乗っけて、ピッコピッコって(笑)。楽屋に入ると、ガラス張りの楽屋に、ろうそくでガラス全部に隙間ないぐらい言葉とか絵とかいろいろ描きはじめて、すごい光景でしたね。

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オーディオ・アクティヴのメンバーとリー・ペリー。ペリーの後方に写っているのが、大村氏。

あのときはバックのメンバーも最高だったよね。

大村:ダブ・シンジケートがバックで来て、スタイル・スコットも元気だったし。

ところで、これは大村くんの名誉のために言っておくと、オーディオ・アクティヴは当時イギリスで評価が高くて、人気だったんですよ。グラストンベリー・フェスティヴァルがいまみたいにコマーシャルになる前のいい時代に出演しているし。若鍋くんはそのころは何歳だったの?

若鍋:小学生でしたよ。94年はぼく、小学校5年生。

若鍋くんが入ったのっていつなんですか?

若鍋:ぼくは2007年です。

大村:(寺島)茂雄くんはその4年前ぐらい。だから、いまいるスタッフは〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめた後ですね。

〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をはじめたのは?

大村:2001年。

若鍋:まずは「エレクトラグライド(エレグラ)」(※2005年まで続いた、テクノに特化したオールナイトのイベント。冒頭の写真はその第一回目)が2000年からスタートするんです。その前は、フジロックの最初の5年間ホワイト・ステージのプロデュースをビートがやっていて、そこでスクエアプッシャーやエイフェックス・ツインをブッキングしているんですね。で、その流れで、エレグラにも〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のアーティストが出演している。

大村:一回目がアンダーワールド、オービタル、リッチー・ホウティン、ルーク・スレーター、トゥー・ローン・スウォーズメン、トモヒラタ……。

若鍋:2年目がファットボーイ・スリム、エイフェックス・ツイン、ダレン・エマーソン、ローラン・ガルニエ、マウス・オン・マーズ、ハウィー・B、プラッド、バッファロー・ドーター、リチャード・マーシャル……。

大村:そういうなかで、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉からアプローチを受けて、最初はキャパ的に、ふたつのレーベルを同時にやるのは無理だろうと思ってたんだけど、悩みに悩んで、両方ともやることになりました。

寺島:〈Warp〉をやることになって、最初に出した作品がオウテカの『Confield』。

名盤じゃないですか。それは良いタイミングでしたね。

大村:そうなんですよ。ボーズ・オブ・カナダもそうだし、とんでもなくいいタイミングだった。

その二大レーベルをやったことでだいぶ状況は変わったんじゃないですか?

大村:〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやる前は、オーディオ・アクティヴ、ドライ&ヘビー、ロンパリ、日本人のアーティストが精力的に活動していましたね。「ハッパーズ」もやったし。

「ハッパーズ」! これはビートインク史における快挙のひとつだよね。8月8日をハッパの日と定めて、2000年8月8日に代々木公園でフリー・フェスティヴァルを開いた。いやー、あれはほんとうにすごかったなぁ。

大村:画期的でしたよね(笑)。そこにブルー・ハーブも出て。

寺島:オーディオ・アクティヴ、ドラヘビ、ブルー・ハーブ、クラナカ、DJ YASU。

そのメンツで、野外で、無料で、「ハッパーズ」。しかも都会のど真ん中。いや、素晴らしい。

大村:ただ、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやるようになってから、もうそっちで忙しくて、なかなか日本人のアーティストができなくなってしまったんですけどね。

それはすごく残念でした。やっぱ、オーディオ・アクティヴとビートインクの仕事との両立はできなくなっていった?

大村:できなかったですね。若いころは寝ないでやればいいって感じだったけど、それもどんどんできなくなりますからね(笑)。ビートの仕事が終わってから夜中、「スタートレック」っていう高津にあったスタジオで朝まで作業して、そしてその朝ビートに来て仕事するという生活は、もう……。

それはたしかに(笑)。ところで、第一期が90年代だとすると、〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約してからが第二期と言えますよね。第二期以降のビートインクは、どういうふうに変わっていったと思いますか?

大村:発売の量自体が一気に増えたんで、まわすのが大変になりましたね。

ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。

若鍋くんと寺島さんのおふたりはなんでビートに入ったんですか?

寺島:ぼくはオーディオ・アクティヴとドライ&ヘビーがすごく好きで、さらに大好きな〈On-U〉やエイドリアン・シャーウッド、アンドリュー・ウェザオールもやっているし、プレフューズ73とかもやっていた。ここで働きたいと思って、バイトからはじめましたね。

若鍋:ぼくもバイトですね。ちょうどオーディオ・アクティヴやドラヘビが盛り上がっていた当時、ぼくは留学をしてまして、日本にいなかったんです。でも留学中に友だちから〈Warp〉と〈Ninja Tune〉のことを教えられるんです。しかも、その友だちがのちに日本に留学してビートでバイトするんですよ。で、彼からある日「お前スクエアプッシャーとか大好きじゃん。いま自分がアルバイトしてるビートインクでは、日本でそれを扱っているんだよ」と言われ、最初は翻訳のバイトからはじまりました。

大村:最初に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉をやることになったときは、インディだし、どうやってやろうか考えましたね。それ以前は、〈Sony〉と〈TOY’S FACTORY〉という、日本のメジャーとライセンス契約していたじゃないですか。お金もたくさん使ってやっていただろうし、うちには同じことはできない、だから機転を効かせたり、スピード感で勝負するしかなかったですね。隙を突いていくような、うちだったらこういうやり方で攻めるというような。

営業をやっていた関井さんが、ボーズ・オブ・カナダの大きなパネルつくってそれを新幹線に乗って関西のお店にまで配るとか、いろいろ泥臭い戦術でやっていましたね。

若鍋:ビートがやっていることって、つねにカウンターの側にいるように見えるんですよね。でも、それってメインストリームの存在が輝いているから、カウンター側も輝けるわけで、だからメインストリーム側にも強い存在としていてもらわないと、とは思います。

音楽産業の昔ながらの生態系が変わるのって2010年代以降じゃないですか。いろんなものがインターネットや配信などで変わってしまった。

大村:デジタルへの移行もたしかにそうでしたけど、90年代にWAVEがなくなったときはほんとうにショックがデカかったんです。うちの商品って、ほとんどWAVE頼みみたいなところがあって、だからWAVEがなくなるって聞いたときのほうが「どうなるんだろう?」ってビビりましたね。あれが最初の地殻変動でした。その後のデカいのって言ったらやっぱデジタルですね。2000年代に入ってからちょうど4〜5年くらい経って、出荷数落ちてきたなと感じたりしましたね。

30年もやっていれば、状況も変化するし、良いときもあれば悪いときもありますよ。それこそ雨、風、嵐が(笑)。

若鍋:デジタルがはじまってからは、いきなり大きな衝撃というより、その変化を徐々に体感していった感じですね。

大村:下手したら盛り下がっていることに気づかないくらい、静かに変化していったよね。ただ、日本ではフィジカルが好きな人はずっとフィジカル買うし、ヴァイナル買うのが流行れば、若い子もヴァイナル買うような感じになっているし。必ずしも、ストリーミングが喜ばれてないというか。

若鍋:ビートが創業してからいまだに変わってないのって、たぶんイベントだと思うんですよ。要はそこでしか体験できないことっていうのは、昔から変わっていない。そもそも、「ハッパーズ」じゃないですけど、ビートは「そこにそんなに力入れるんだ?」みたいなことをやってきているんです。採算度外視でも、それをやった方がお客さんに伝わるということならやる。アイデア・ベースというか、採算度外視のことをやって、でもそれが良くてリピーターになったり、アーティストのファンになってくれたりしてるのかな、みたいなことも、実感する瞬間は多々あるんです。

たとえば?

大村:ロビーやエントランスの照明にこだわったり、とにかく、雰囲気をつくりたくて。

なるほど〜。そして、ビートの第3期は、やっぱ〈Beggars〉グループとの契約だよね?

若鍋:2017年が〈Beggars〉、2019年が〈Domino〉だったと思います。

大村:〈Beggars〉は〈XL〉、〈Young〉、〈4AD〉、 〈Rough Trade〉、〈Matador〉の5レーベル。

もう、UKインディの大きなところほぼすべてじゃないですか。まさかビートがそんなことになるなんて、大村くんも夢にも思わなかったでしょ。

大村:思ってなかったですね。じつは2000年代からずっといろんな話が来ていたんです。いろいろ断っていた話はたくさんあるんですけどね。

若鍋:ただね、時代が良ければメジャーがやっていてもおかしくないようなビッグ・アーティストを、もう日本で誰もやらなくなっちゃった状況があるじゃないですか。

それはそうなんですよね。

若鍋:となると結局、マーケットがシュリンクすることを受け入れる感じになっちゃうし、そこにビートは我関せずではいられないよねっていうことで、ぼくらもちゃんとリスペクトのあるレーベルと仕事しているっていう話なんですけど、正直レーベルを取り合うような状況になったことはほとんどないんですよ。

単純に、カウンターではいられなくなってしまったと。

若鍋:海外でどういう新しいエキサイティングなことが生まれているのか? っていう考え自体が、日本においてはレフトフィールドなものになっちゃっているっていうことなんでしょうね。

海外文化の新しいもの自体が日本ではレフトフィールドになっているにではないかという感覚があるんですね。ただ、向こうのインディ・レーベルと直に仕事をしていると、良い意味で刺激を受けますよね?

若鍋:今週のチャートがまさに、1位がサブリナ・カーペンターで2位がフォンテインズD.C.で。いまはトップ・チャートも全然インディで、ブラック・カントリー・ニュー・ロードとかもトップ3位を獲ってるから、新人がトップ5とかってもうザラにあって。彼らはそれを本気で狙っているから、いいなと思います。

フォンテインズD.C.やBCNRみたいなロックは、UKでは、インディでもメインストリームとも言えるだろうし、自分たちもオリコン・チャート1位目指すぞ、と(笑)。

若鍋:物怖じはしないでおこうと思います (笑)。

ビートインクとして、紹介するのは、UKのインディ・シーンにこだわってますか?

大村:たとえばUSだと〈ROIR〉とか、〈Gold Standard Laboratories〉みたいなレーベルも扱っていたし、90年代のカーティス・マントロニックがいた〈OMW(オキシジェン・ミュージック・ワークス)〉はニューヨークのレーベルだったと思うんですけど、そこから出たアルバムの日本盤を出したりしてましたし、とくにUKにこだわってはいないです。ただ、やっぱり〈On-U〉、エイドリアンを起点に広がったところがあるので、そうなっているのかなと思いますね。

ビートインクは、海外の最高にエキサイティングな音源をいまだに日本で配給している拠点だし、海外で起きていることを伝えるメディア的な役目も果たしているわけだし、ほんとうに頑張ってほしいなと思いますね。最後に、これからの展望なんかも聞かせてもらえたらと思います。

大村:2000年代に〈Warp〉と〈Ninja Tune〉と契約して、2010年代には〈Domino〉や〈Beggars〉も来て、ずいぶん変化しているように見えるかもしれないけど、美意識がちゃんとあれば、ずっと続けていけるかな、と。

この会議室にもリー・ペリーの写真が飾ってあるぞ、と(笑)。

大村:リーに見られても恥ずかしくない生き様で続けていこう、と思います(笑)。

若鍋:時代とともに「なにがレフトフィールドなものに見えるか」みたいなことも変わっていますよね。ビートの軸は変わらないけど、マーケットが変わっていったら、それによってビートインクがやっていることは変わっていっているように見えているかもしれない。でも、じつはビートのアティチュードや信念みたいなものは変わっていないし、たぶん、それはいつの時代にも必要とされるものなんじゃないかと思います。

そして最終的には、30周年のイベントを、エイドリアン・シャーウッドを迎えてやると。さすがですね、立派に筋が通っています!

一同:なので、9月14日の30周年パーティにもぜひ足を運んでください!

Beak> - ele-king

 Beak>のようなバンドをどこに位置づければよいだろう? 彼らの音楽は過去を想起させるが、レトロではない。見かけによらず実質剛健だが、入手しやすい無印良品のようなミニマリズムでもない。それは多様な認識に火花を散らし、多くの者が直感的にぐっとくるものを備えているが、その特異な音楽はBeak>以外の何物でもなく、他の誰のサウンドにも似ていない。

 Beak>の4作目のアルバム『>>>>』が最初に登場した際、突然どこからともなく降ってきたかのごとく、ファンファーレも鳴らされず、プレヴュー・トラックもなく(“Ah Yeah”のみ、2021年にデジタル・シングルの一部としてのヴァージョンが登場したが)、我々の前に姿を現した。前作を土台にして積み上げるのではなく、バンドは2009年のデビュー作のようなジャムをベースとしてアプローチする作曲方法に回帰しようとしたが、音楽的にも、オリジナル・メンバーのマット・ウィリアムス(MXLXとしても知られる)からウィル・ヤングに代わったことでも、それ以降のバンドの方向性を描き出している。これは、作曲とレコーディングにゆるさを取り入れながらも、絶対的な正確さと細部へのこだわりに留意してミックスされたアルバムなのだ。

 ディスコグラフィーにはこのように位置づけられるとしても、Beak>自身はどのあたりにいるのだろうか?

 まずできることとしては、地理的にゆかりのある場所、つまり彼らの出身地であるイングランドのブリストルに目を向けてみることだ。一見したところ、Beak>と創設メンバーのジェフ・バロウの古い方のバンド、ポーティスヘッドとは大きな共通点はないように見えるのは、ポーティスヘッドは90年代初期のトリップ・ホップ・シーンと強く結びついているのに対し、Beak>は、ロックという一般的な宇宙の範囲内で活動しているからだ。だが両者のサウンドには共通の結合組織が存在する。Beak>が時たまジャズやファンクのビートに手を出したりするように、両バンドとも不気味でエレクトロニックな色彩を帯びたザ・シルヴァー・アップルズのサイケデリックへの借りがあるのだ。とくに、ポーティスヘッドのアルバム『Third』の“We Carry On”と、Beak>のこの新譜からの“The Seal”は、いずれも何らかの形であのニューヨークのデュオに敬意を表している。

 より広いところでいえば、イングランド南西部には、ブリストルの熱波の舗道とグロスタシャー、サマセットとセヴァーン河口ののどかな丘陵地や氾濫原の間を漂うサイケデリック・ミュージックの長い伝統がある。ムーヴィートーンのまばらで儚いフォーク、サード・アイ・ファウンデーションの閉所恐怖症的なビートが主体のパラノイア、ザ・ヘッズのリフが前面に押し出された重たいノイズ、ファズしまくりのクラウトゲイズのフライング・ソーサ―・アタックなど、すべてのバンドがBeak>の音楽も自然にその一部として溶け込める音の風景を創り出している。ウェストカントリー(イングランド西部)の空気の何かのなせる業に違いない。あるいはその地の水か。またはドラッグか。

 さらに彼らは、パート・チンプやヘイ・コロッサスなど(どちらもサマセットを拠点とする〈Wrong Speed Records〉に関係している)、クラウトロック、ハード・ロックやサイケデリアと繋がりのあるイギリスの中年バンドの緩やかな集団にくくられてもある意味納得がいく。

 だが、まだ他にも何かがある。それは、彼らの音楽を通じてうずくようなメランコリーが漂っているのにもかかわらず、それが露骨に発せられることがほとんどない点だ。バロウのヴォーカルは、もう一人のブリストルが生んだ著名な息子、ロバート・ワイアットが隣室から少しだけ悲しげな調子で紅茶がほしいと要求してくるような、感情を押し殺した、疲弊した質感の声なのだ。それはもしかすると、傷ついた心をさらけ出すことに抵抗のある古いタイプの英国人気質なのかもしれず、放置された悲しみは血管の中にあてもなく忍びこんでしまう。『>>>>』でかろうじてヴォーカルが聴こえるなかで、彼らがもっとも魂をさらけ出しているのに近いのは、オープニングの“Strawberry Line”だけだ。それは、アルバムのジャケットにブリストルの象徴であるクリフトン吊り橋の背後に、ゴジラ・サイズでレーザービーム光線の目をした巨大な死の猟犬として描かれるバロウの亡き愛犬アルフィーへの悲痛な頌歌になっている。

 アルバムに流れる微かにメランコリックな色調も、音楽を推進する艶やかでミニマルなクラウトロック的なシンセやグルーヴに、セピア色の喪失感を与えている。それは決してあからさまというわけではないが、ゴースト・ボックスや、より最近ではウォリントン・ランコーン・ニュー・タウン・ディヴェロップメント・プランのような、アナログ時代の朽ち果てたユートピアやモダニスト的なプロジェクトなどのプリズムを通して未来を見つめるアクトにも通じる色調なのだ。我々が現在直面している混沌とした未来をつかもうと手を伸ばすのではなく、バンドはどうも戦後のキニア=カルヴァート道路標識システムのクリーンで機能的な幾何学構造を音楽的に再現しようとしており、哀愁漂うフォークのメロディが雨跡の染みついた車窓に流れる灰緑色の風景のように曲の中で漂っている。BBCレイディオフォニック・ワークショップの脆くて孤独なDIYフューチャリズムが、遊び心のあるテクスチュアと空間を使った微妙なレイヤード構造になっている本作を彩る一方、“Denim”では、一貫した音色を保つことのない不安定に揺れるシンセがバロウの声と刺激的に相対している。
 
 それはつまり、彼らは過去に憑りつかれながらも、ある種の並行未来(パラレル・フューチャー)へと向かう自分たち独自の雰囲気を持つ世界を創造していることを意味する。それは、1970年代スタイルのSFかフォーク・ホラー映画のような世界かもしれない——ジェフ・バロウのサウンドトラック作品と彼の〈インヴァーダ・レーベル〉のリリース・カタログは、明らかにそのような場所で十分な時間を通過してきた。だが、それは不快なノイズに包まれた注意深く定義された領域の宇宙というよりは、ある種の、程度を抑えた“エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス”のような魅力的な別世界なのだ。


by Ian F. Martin

Where do you place a band like Beak? Their music evokes the past, but it’s not retro. It’s deceptively spartan, but it’s no off-the-shelf Muji minimalism. It sets of so many diverse sparks of recognition, yet it’s utterly singular: nothing sounds quite like Beak.

When it first appeared, Beak’s fourth album “>>>>” seemed to have dropped out of nowhere, arriving with no fanfare or preview tracks (although a version of “Ah Yeh” had appeared as part of a digital single back in 2021). Rather than building directly on its predecessor, the band tried to go back to something more like the jam-based writing approach of their 2009 debut, though it also draws on the directions the band have taken over the years since, both musically and with the replacement of original member Matt Williams (aka MXLX) with Will Young. It’s an album that incorporates looseness into its writing and recording, but is mixed with absolute precision and attention to detail.

So that places it within the Beak discography, but where are Beak themselves?

One place you can start is by placing them in their actual geographical location: Bristol, England. On the face of it, there’s not a tremendous amount in common between Beak and founding member Geoff Barrow’s older band Portishead, with the latter associated most strongly with the trip-hop scene of the early 90s and Beak operating in the general cosmos of rock. There’s connective tissue between both bands’ sounds though, with Beak occasionally flirting with jazz and funk beats, and both bands owing an eerie, electronic-tinged, psychedelic debt to The Silver Apples. In particular, Portishead’s “We Carry On” from the album “Third” and Beak’s “The Seal” from this album both pay the New York duo tribute in one form or another.

More broadly, the southwest of England has a long tradition of psychedelic music that floats between the heatwave pavements of Bristol and the pastoral hills and flood plains of Gloucestershire, Somerset and the Severn Estuary. The sparse, fragile folk of Movietone, the claustrophobic beat-driven paranoia of Third Eye Foundation, the riff-forward heavy noise of The Heads, the fuzzed-out krautgaze of Flying Saucer Attack: all of these bands create a sonic landscape into which Beak’s music feels like a natural part. There must be something in the westcountry air. Or the water. Or the drugs.

They also make a sort of sense within a loose constellation of middle-aged British bands at the nexus between krautrock, hard rock and psychedelia, including bands like Part Chimp and Hey Colossus (both connected to the Somerset-based Wrong Speed Records).

There’s something else, though, too. A melancholy that aches through in the music but rarely articulates itself in any explicit way. Barrow’s vocals have an emotionally strangled, weary sort of quality that sound like another of Bristol’s most celebrated sons, Robert Wyatt, calling plaintively for tea from the next room. Perhaps it’s that older sort of Englishness that baulks at the thought of exposing its open emotional wounds, leaving sadness to creep, unaddressed, through its veins. Where the vocals on “>>>>” are audible at all, the closest they get to baring their soul is on the opening “Strawberry Line”, a poignant ode to Barrow’s deceased dog Alfie — who appears on the album cover as an adorable, Godzilla-sized, laser-eyed hound of death, towering over Bristol’s iconic Clifton Suspension Bridge.

The faint tint of melancholy running through the album also lends a sepia sense of loss to the sleek, minimal, krautrockist synths and grooves that drive the music forward. Less explicit, perhaps, but there are tonal parallels with hauntological projects like the Ghost Box Label and more recently acts like the Warrington-Runcorn New Town Development Plan, which look to the future through the prism of now-decayed utopian, modernist projects of the analogue era. Rather than grasping the chaotic future we currently face, it’s as if the band are musically recreating the clean, functional geometry of the postwar Kinneir-Calvert signage system, with mournful folk melodies floating through the songs like green-grey landscapes drifting past rain-speckled car windows. The fragile, lonely, DIY futurism of the BBC Radiophonic Workshop colours the subtly layered production with its playful use of texture and space, while wavering, uncertain synths that won’t hold to a consistent tone on “Denim” play like an electric counterpart to Barrow’s voice;

What it adds up to is a band who are creating a world of their own with its own distinct atmosphere, haunted by the past but striving towards some sort of parallel future. It could be the world of an eerie 1970s-style science-fiction or folk-horror film — Geoff Barrow’s soundtrack work and his Invada label’s release catalogue has certainly spent enough time in those sorts of places — but it’s an inviting sort of otherworld, less Everything, Everywhere, All At Once than a carefully defined area of space within a cacophony of noise.

interview with Galliano - ele-king

(ガリアーノのスタイルには)ロンドンのクラブ・シーンのある一線で起こっていたことを代弁し、音楽批評家であるサイモン・レイノルズの書籍『Retromania』にあるような方法で古い音楽を見つけつつ、新しいものをすべて受け入れようとするハングリー精神があったんだ。

 UKでアシッド・ジャズ・ムーヴメントが巻き起こった1980年代後半から1990年代前半、ヤング・ディサイプルズ、インコグニート、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジャミロクワイなどと並んでシーンを牽引したガリアーノ。その後1997年に解散し、中心人物のロブ・ギャラガーも別のプロジェクトなどで活動していたが、そのガリアーノがなんと再始動し、ニュー・アルバムの『Halfway Somewhere』を発表するという驚きのニュースが飛び込んできた。ガリアーノにとって『Halfway Somewhere』は、スタジオ録音作としては1996年の『4』以来28年ぶりの新作となるのだが、アシッド・ジャズ時代をリアル・タイムで体験してきた者にとって、彼らの復活はまったく予想外であった。しかし、現在はかつてのガリアーノについて知らない人も少なくないと思うので、まず当時の活動状況やシーンの様子などから振り返りたい。

 ガリアーノのデビューは1988年で、当時のロンドンはヤング・ディサイプルズやザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズらが出てきて、俗に言うアシッド・ジャズのムーヴメントが巻き起こっていた時代だった。ガリアーノのデビュー曲は、カーティス・メイフィールドの “Freddie’s Dead” をリメイクした “Frederic Lies Still” で、リリース元はDJのエディ・ピラーとジャイルス・ピーターソンが設立して間もない〈アシッド・ジャズ〉。当時のアシッド・ハウスに対抗して作られたと言われる標語をレーベル名に持つ〈アシッド・ジャズ〉の名前を一気に広め、その頃同様に盛り上がりを見せるレア・グルーヴ・ムーヴメントともリンクして人気を集める。
 ガリアーノはロブ・ギャラガーとコンスタンティン・ウィアーのツイン・ヴォーカルを中心に、マイケル・スナイスのヴァイブ・コントローラー(MC的な役割)、スプライことクリスピン・ロビンソンのコンガという編成で、サポートでミュージシャンやコーラスが加わり、ライヴではダンサーなども入る。バンドというよりロブ・ギャラガーのプロジェクトという色合いが強い。サポート・メンバーにはドラマーのクリスピン・テイラー、ベーシストのアーニー・マッコーン、ギタリストのマーク・ヴァンダーグフトらがおり、一時はスタイル・カウンシルのミック・タルボットもキーボードで参加していた。ジャズ、ファンク、ソウル、ゴスペル、アフロ、レゲエなどをミックスした音楽性、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックらビート詩人の流れを汲む歌詞、ラスト・ポエッツやワッツ・プロフェッツのようなポエトリー・リーディング・スタイル、そしてモッズとラスタファリをミックスしたような独特のファッションに、アート、デザイン、カルチャーなども結び付け、USのジャズ・ヒップホップに対するUKのアシッド・ジャズのムーヴメントを牽引していく。

 1990年にジャイルス・ピーターソンとノーマン・ジェイが〈トーキン・ラウド〉を設立すると、そこに加入してファースト・アルバムの『In Pursuit Of The 13th Note』(1991年)、『A Joyful Noise Unto The Creator』(1992年)を発表し、ファラオ・サンダースアーチー・シェップ、ダグ・カーン、ロイ・エアーズなどのジャズ系のカヴァーやサンプリングで高い支持を得る。特にスピリチュアル・ジャズ系のネタ使いはそれまでほかのアーティストに見られなかったもので、またほかのアーティストに比べて強いメッセージ性を有する歌詞やスタイル、言動により、ガリアーノは一種のカリスマ的な人気を博する。
 その後、アシッド・ジャズ・ブームが沈静化してきた1994年、オリジナル・メンバーのコンスタンティン・ウィアーが脱退し、代わりにサブ・メンバーとしてコーラスをやっていたヴァレリー・エティエンヌが正式メンバーとなる。そうしてリリースした『The Plot Thickens』は、クロスビー・スティルス&ナッシュのカヴァーである “Long Time Gone” をはじめ、フォーキーなロックやソウルを取り入れて新境地を開拓。ヴァレリーのソウルフルなヴォーカルがガリアーノの音楽性に化学反応を生じさせ、アーシーでアコースティックな音楽性が加わる。そして、ハンプシャー州トワイフォード・ダウンの高速道路計画に対する抗議曲の “Twyford Down” を収録するなど、これまで以上に政治的なメッセージ性を示したアルバムだった。
 1996年に入ってリリースした『4』は、『The Plot Thickens』のフォーク・ロックに加えてスワンプ・ロックやファンキー・ロック、サイケ・ロックやオルタナ・ロックの要素が増し、同時期に活躍したレディオヘッドに通じるところも見受けられる。トリップホップやディスコ・ダブ的なアプローチはじめ、当時のクラブ・シーンでも最先端として注目されたジャングル/ドラムンベースの要素を導入し、初期のアシッド・ジャズのスタイルから大きく変貌を遂げる。ただし、メディアや世間はその急激な変化や実験性に困惑し、『4』は以前の作品に比べてあまり評価されることなく1997年にガリアーノは解散する。解散前の1996年12月に新宿のリキッド・ルームで公演をおこない、『Live At The Liquid Room』としてリリースされたのが最後の作品となる。そのほか、アンドリュー・ウェザオール、ザ・ルーツ、DJクラッシュらによるミックスをまとめたリミックス・アルバム『A Thicker Plot – Remixes 93-94』も1994年にリリースされている。

 解散後の1998年にロブ・ギャラガーは、ガリアーノやヤング・ディサイプルズのエンジニアを務めていた通称ディーマスことディル・ハリスと双頭ユニットのトゥー・バンクス・オブ・フォーを結成する。ロブの公私に渡るパートナーとなったヴァレリー・エティエンヌと、後期ガリアーノのサポート・メンバーで、K・クリエイティヴやロウ・スタイラスなどで活躍してきたキーボード奏者/プロデューサーのスキ・オークンフルも合流した。セカンド・アルバムの『Three Street Worlds』(2003年)は、モーダルなスピリチュアル・ジャズとダウンテンポ・ソウルが結びついた傑作として高く評価される。
 当時のクラブ・ジャズ・シーンは4ヒーローやジャザノヴァなどが活躍し、ドラムンベース、ブロークンビーツ、2ステップ、ディープ・ハウス、テクノなどと結びついていた時期で、トゥー・バンクス・オブ・フォーもジャズやソウルを基調にしつつも、エレクトロニクスを導入した実験性の高い世界を作り出していく。当時のディーマスはウェスト・ロンドン・シーンと繋がりが深く、ブロークンビーツのシーンともコミットし、リミックスにはフォー・テット、ゼッド・バイアス、マシュー・ハーバートらも起用されていた。

 今回のニュー・アルバム『Halfway Somewhere』に関して、インタヴューを受けてもらうのはロブ・ギャラガーと、合間でヴァレリー・エティエンヌも入ってもらうのだが、こうしたガリアーノからトゥー・バンクス・オブ・フォーへの流れを踏まえた上で話をはじめることにする。

私が生きるはずだった人生はどこにあるのだろう? 平和、そして満たされた幸せな喜びはどこにあるのだろう? 絶対どこかにあるはずだ。そしてこれは、そのどこか。僕たちは皆どこかにいる。そうだろ? だから失われたものすべてが、僕たちがいるここにあるはずなんだ。なぜなら、ここがそのどこかだから。

最初に1990年代まで遡って話を伺いたいと思います。当時ガリアーノが解散に至った理由などについて、改めて教えてください。

ロブ・ギャラガー(以下、RG):ガリアーノは10年の間にさまざまな変遷をたどった。そもそもガリアーノという名前は、1984年頃にジャイルス・ピーターソンの「マッド・オン・ジャズ」というパイレーツ・ラジオの番組で、ロンドンでおこなわれるライヴを案内するために作られたキャラクターに由来しているんだ。ガリアーノのスタイルというのは、ポエトリーやコンガ、ファンクからドラムンベースまで、すべてが一貫しているようなある種の「声」の中でおこなわれていた。つまり、それはロンドンのクラブ・シーンのある一線で起こっていたことを代弁し、音楽批評家であるサイモン・レイノルズの書籍『Retromania』にあるような方法で古い音楽を見つけつつ、新しいものをすべて受け入れようとするハングリー精神があったんだ。でも僕は、1996年までには、個人的にほかの方法で音楽を探求したいと思うようになっていた。そして、その「声」に窮屈さを感じていたんだ。ガリアーノは世間の需要がまだ強く、ライヴを続ければ続けることはできたけど、それは活動を続ける十分な理由ではなかったんだよ。

その後、1998年にディーマス(ディル・ハリス)と双頭ユニットのトゥー・バンクス・オブ・フォーを結成します。この1990年代後半から2000年代前半は、とても創造的で刺激的な時代だったと思いますが、改めて振り返ってみていかがですか?

RG:トゥー・バンクス・オブ・フォーは、さっき話したような領域を探検するのに使った出口のひとつだった。いまも変わらず、僕はディーマスのアートや音楽に対するセンスを心から信頼している。僕らは同じインスピレーションをたくさん共有しているし、そういう意味で僕は本当に感謝しているんだ。同じ周波数にいる人を見つけるのは、簡単なことではないからね。僕らは彼のナンバーズというプロジェクトでも一緒に仕事をした。それらだけでなく、僕らは様々な名義で一緒に曲を作ったんだ。レゲエ・シンガーのフェリックス・バントンとシーズというバンド名義で “Dance Credential” という曲をリリースし、それを演奏しに日本に行ったこともあるしね。僕たちの最高傑作は、ウィリアム・アダムソン名義の僕のアルバム『Under An East Coast Moon』だと思う。そして、僕らはロンドン映画祭のサントラ部門で短編映画のトップ10にも入った。
 余談になるけど、ディーマスの娘リーラはガリアーノの最新シングル “Pleasure Joy And Happiness” のビデオにも出演しているんだ。そんな感じで僕たちのコラボレーションはずっと続いているんだよ。いまもクリエイティヴだけど、1990年代後半から2000年代前半はとてもクリエイティヴだったと思うね。

この当時のロブはアール・ジンガー名義でソロ活動もはじめて、レゲエやダンスホール、ダブやサウンドシステムに影響を受けたスタイルで、ガリアーノ時代にはじまるポエトリー・リーディングの世界をより広げていきます。また、自身のレーベルである〈レッド・エジプシャンズ〉を設立し、トゥー・バンクス・オブ・フォーの覆面バンドであるザ・シークレット・ワルツ・バンドはじめ、いろいろな変名を駆使して活動していきます。まさにパンク的なDIYの精神に基づく〈レッド・エジプシャンズ〉ですが、その後のアレックス・パッチワーク(アレックス・スティーヴンソン)とのユニットのザ・ディアボリカル・リバティーズ、今話に上がった変名ソロ・ユニットのウィリアム・アダムソンとしての活動も、すべて〈レッド・エジプシャンズ〉設立から繋がっています。ある意味で時代のトレンドとは離れ、自身が思うままに自由な活動をしていったわけですが、トゥー・バンクス・オブ・フォーが解散した2008年以降は、どの方向に向かって活動していきましたか?

RG:実際のところ、トゥー・バンクス・オブ・フォーは解散したわけではないんだ。リミックス・ワークもいろいろとやっているし、ギグもたくさんやった。だから、レコードは出していないけれど、僕らは様々な別の方法で活動しているんだ。僕は多くのDJやバンドと一緒に活動してきた。ジャイルスはいつもそこにいたし、クルーダー&ドルフマイスターもそうだった。僕はアール・ジンガーのバンドと一緒にツアーをして東京でプレイしたこともあるし、当時はジャズトロニックの野崎良太とも仕事をしていたね。
 そしてもうひとつのプロジェクトで、いまでも活動しているディアボリカル・リバティーズはあの頃にはじまった。当時の方向性はあまり明確ではなく、もっと実験的な時期だったと思う。フリー・ジャズの詩からDJのアシュリー・ビードルとの曲作りまで、いろいろなことをやっていたからね。友人のアンドリュー・ウェザウォールがよく言っていたように、僕はただ何かを作るという過程を楽しんでいるんだ。詩であれ、コラージュであれ、映画であれ、音楽であれ、この世にまだ存在していないものを作り、それを送り出すことをね。

個人的にはシャバカ・ハッチングスがソロで吹くフルートや、ニューヨークのジャズ/ヒップホップ集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーを聴くのをすごく楽しんでいるし、ロサンゼルスのスローソン・マローンが関わっているシーン全体も面白い。

あなたのパートナーでもあるヴァレリー・エティエンヌは、ガリアーノ、トゥー・バンクス・オブ・フォーを通じて一緒に活動していましたが、その後出産や子育てもあって音楽活動から離れる時期もありました。2010年代以降はジャミロクワイ、ブラン・ニュー・ヘヴィーズ、インコグニートやブルーイのユニットのシトラス・サンなどの作品に加わるなど、近年はまた活動が活発になってきています。2010年代に入ってロブとヴァレリーのふたりがクレジットされるプロジェクトでは、2014年にジャイルス・ピーターソンが立ち上げたブラジリアン・ユニットのソンゼイラがあり、さらに2020年代ではブルーイによるSTR4TA(ストラータ)があります。特にストラータの『Str4tasfear』(2022年)にはゲストでオマーが参加し、アウトサイドやインコグニートで活躍してきたマット・クーパーや、スキ・オークンフルなど〈トーキン・ラウド〉時代の仲間もセッションしていて、恐らくガリアーノのリユニオンへと繋がるプロジェクトではなかったのかと思うのですが、いかがですか?

RG:ソンゼイラはジャイルスがはじめたプロジェクトだったけど、僕とディーマスはリオに行き、作曲とプロデュースという形でコラボし、参加したんだ。ヴァレリーもヴォーカルで参加して欲しいと頼まれた。とても楽しかったし、たくさんのブラジルのミュージシャンたちに出会えたのは本当に光栄だったね。そしてそのうちのひとりが、僕たちの大親友であるカッシンで、彼は僕らと一緒にソース・アンド・ドッグスというプロジェクトをやっている。あのプロジェクトは、これまで携わってきた中でも最高のプロジェクトのひとつだと思う。ライヴもやってて、シチリア島のパフォーマンスではダンサーも入れたんだ。あのショーはすごかった! いまは1970年代に活動していたホセ・マウロの音楽を基盤にしたアルバムを書いているんだけど、近々リリースできたら嬉しいね。スキ・オークンフルは新しいガリアーノのプロジェクトで一際目立っている。彼はいま、ソロのミュージシャンとしても大成功しているし、自身のYouTubeチャンネルで楽曲制作過程を機材や楽器を使って技術的にレクチャーする番組をやってるんだけど、それがすごく人気なんだ。ガリアーノの再結成に至った経緯には正直僕にもよくわからないところもあるけれど、自分では気づかないことが頭の中でいろいろと起こってたんだと思う。ある意味、「再結成」なんてするつもりはなかったから自分でも驚いているんだけど、この「声」の中にある創造的な衝動がいまとても強くなってきていると思うから、再結成できてとても嬉しいよ。

2023年春にガリアーノのリユニオンが発表されます。コンスタンティン・ウィアーやミック・タルボットといった初期の主要メンバーは参加していませんが、ロブ、ヴァレリー、スキのほか、オリジナル・メンバーのクリスピン・ロビンソンや、長らくサポートをしてきたアーニー・マッコーン、クリスピン・テイラーが中心となります。メンバーにはどのようにガリアーノ再結成の話をし、参加してもらったのですか?

RG:再結成の経緯は曖昧だと言ったけど、ひとつのきっかけとしては友人でもあるマシュー・ハーバートから電話がかかってきて、彼の友だちの誕生日パーティで演奏してくれないかと言われてね。ガリアーノで演奏することはもうないだろうと思っていたんだけど、「きっと楽しいから!」と説得されたんだ。

ヴァレリー・エティエンヌ(以下、VE):集まって数曲演奏するだけだから、なんとかなるはずってね。

RG:それで30年ぶりにリハーサル室に皆で集まったんだけれど、顔を見合わせたとき、これはなかなか面白いなと思った。それからいくつか曲をプレイしてみたら、素晴らしいことに脳みそが全てを覚えていたんだ。どこでストップするとか、どこで何を演奏するとかね。で、ヴァレリーが “Masterplan”(ファラオ・サンダースとレオン・トーマスによる “The Creator Has A Masterplan” のこと)をリハーサルとは違う歌い方で歌いはじめたんだ。歌詞全体を織り交ぜるような歌い方だったんだけど、それを聴いた途端に、いまでも昔と同じようにできるだけでなく、どこか違う、新しい方向に進むこともできるんだと思った。それが可能だということが僕を興奮させたんだ。

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「他の人たちは皆大金を稼いでいるのに、僕は一体何をやってるんだ?」と考えていたとき、アンドリュー・ウェザオールが「自己破壊的、非出世主義者」と書かれたTシャツを着ていてね(笑)。それを見て、「ああ、大丈夫だ」と思えた(笑)。自分の人生も悪くないな、と。

2023年8月のジャイルスの「We Out Here」フェスティヴァルへの参加を経て、アルバム制作に入り、そして『Halfway Somewhere』が発表となります。「道途中のどこか」という意味のこのアルバムですが、どのような思いが込められているのでしょう?

RG:何かを失くしたとき、あるいは自分の人生がどこに向かっているわからなくなったとき、人はそれがどこかにあるはずだと考える。自分の鍵はどこにあるんだろう? 絶対どこかにあるはず、とね。私が生きるはずだった人生はどこにあるのだろう? 平和、そして満たされた幸せな喜びはどこにあるのだろう? 絶対どこかにあるはずだ。そしてこれは、そのどこか。僕たちは皆どこかにいる。そうだろ? だから失われたものすべてが、僕たちがいるここにあるはずなんだ。なぜなら、ここがそのどこかだから。でも僕らがどこにいるのかというのは、自分たちにはよくわからない。しかし僕たちがどこかにいるのは確かで、たぶん中間地点くらいにはいるんじゃないかなと思って、そのタイトルにしたんだ。君がもし、自分がいる場所がどこかもっと明確にわかっている場合は、中間じゃなくてその場所だととらえてもらって構わない。どこにいるのかは、たぶん僕ももっとよく考えないといけないな。でも、もう手遅れかも(笑)。今週末のWOHフェスティヴァル用に『Halfway Somewhere』と書いてあるポールを作ってしまったからね(笑)。僕は映像作家でアーティストのドナルド・ハーディングとコラボして、ポールにぶら下げるスローガン風の楽譜のオブジェを作ったんだ。ちょうど1960年代にオノ・ヨーコがやってたようなヤツをね。「好きな方向に5歩踏み出せ」とか、「東を向け」とかね。だから、少なくとも今週末は中間地点でたくさんの動きがあるだろう。この答えが参考になるといいけど。

1990年代と現在では音楽や社会も変化していますが、新生ガリアーノは約30年ものブランクをどのように埋め、そして新たな発信をしていこうと考えていますか? 逆に30年前から現在においても継承し、続けている部分もあるのでしょうか?

RG:僕たちはいま起こっていること、いま使われている様々な方法から学びたいと思っている。だから、ライヴをやって観客から何を得るかがこれから楽しみだね。当時のガリアーノのライヴはとても集団的だった。悪い言い方をすると、皆個性を殺して、混ざり合った集団になる。でもいまは、僕らも観客も、少しずつ違う場所からやってきて、違うものを持ってくる。だから、ギグに何が求められるのか、何が必要なのか、実際にそこに行ってみるまでわからない。行ってみて突如、知らなかった何かを感じるのは面白いだろうね。そして、人間というのは理性的な部分と感情的な部分で構成されている。だから、後になってあのとき何が起こっていたんだろうと考えることができる。でも僕は、自分の精神が自分の身体に影響される時間というものにとても興味がある。踊ってそれに没頭すればトランス状態に近づき、自分の体の外に出たような気分になる。音楽はそういう逃避の手段なのかもしれないね。ライヴの環境には制御できない、コントロールできない何かが存在している。音楽は目に見えないけれど、波形のようなものが存在していて、僕たちには理解できないことが起こっているんだ。その一体感というのは瞬間瞬間に感じるものであって、その後に感じることはできないのかもしれない。だから、これから学ぶことはたくさんあるし、技術的な面でも、また違ったやり方で音楽をやることもできる。いままで知らなかったことを学び、それを実験する方法がたくさんあるからね。僕たちは皆違うことをやって、またこのプロジェクトに戻ってきた。それによって構造から少し自由になるかもしれない。そして自由になると、そこから何が起こるかは誰にもわからないんだ。

VE:いまの私たちは、ただその瞬間を楽しもうとしているの。前はもっと構造的だったと思うから。

RG:かつてのガリアーノのライヴは、結構アナーキーな雰囲気だった。オーディエンスがステージに登ってきたりしてね(笑)。ステージ・マネージャーが「ステージが壊れるから人を降ろせ!」と言うほどだった。当時はそれについて考えたこともなかったし、ガリアーノをやめてからもあまりガリアーノについて考えたことがなかった。先のこと、未来のことしか見ていなかったからね。でも、いま何が起こっているのかを理解することも重要なことなんだ。たぶん、いまというときは初めてスローダウンして、自分たちがどこから来たのかを振り返るチャンスだと思う。

近年のロンドン、特にサウス・ロンドンではジャズが再び盛り上がりを見せ、トム・ミッシュロイル・カーナーキング・クルールといったシンガー・ソングライターたちも活躍しています。こうした状況の中、ガリアーノとしてはどのような活動を思い描いていますか? 個人的にはガリアーノの精神はキング・クルール、ブラック・ミディ、プーマ・ブルー、ジャークカーブあたりに受け継がれているのかなと思いますが。

RG:キング・クルールはディーマスがプロデュースとミックスを担当していて、そうした点で繋がりがあるとも言えるし、ブラック・ミディも大好きだよ。YouTubeに彼らがホルンを使って素晴らしいセッションをやっている動画あるんだけど、あれは最高だった。ガリアーノのクリスピン・ロビンソンは、ときどき彼らと一緒にパーカッションを演奏している。音楽はかつてないほど生き生きとしていて、彼らが知り合いかそうでないかにかかわらず、とても親しみを感じるんだ。個人的にはシャバカ・ハッチングスがソロで吹くフルートや、ニューヨークのジャズ/ヒップホップ集団のスタンディング・オン・ザ・コーナーを聴くのをすごく楽しんでいるし、ロサンゼルスのスローソン・マローンが関わっているシーン全体も面白い。それから、僕らの近所にカフェ「OTO」という素晴らしいヴェニューもあるんだけれど、そこでは何曜日に行っても良いショーが観られる。先週はジャズ・カフェでリオ出身のアナ・フランゴ・エレトリコのショーを観たんだけれど、それもすごく良かったね。
 あと、現役のアーティストじゃないけど、ライフトーンズ(1980年代前半に活動したポスト・パンク系のエレクトロニック・ダブ・トリオで、1983年にリリースした『For A Reason』というアルバムが2016年にリイシューされた)も素晴らしいバンドで、いまもよく聴いているんだ。ヴァレリーはいま、アシャ・プトゥリ(1970年代にリリースした “Space Talk” や “Right Down Here” で知られるインド出身の伝説的なシンガー)と一緒に歌っているんだけど、彼女たちのショーもすごく面白いんだ。ヴァレリーがそれについていろいろ話を聞かせてくれるんだよ。きりがないからこの辺で止めておこう。でももうひとり、アメリカの詩人のピーター・ジッツィも素晴らしい。彼の最新の詩集『Fierce Elergy』には度肝を抜かれたね。

マーク・フィッシャーという理論家がいて、彼はイギリスに強い関心を持っていた。彼曰く、インターネットが出てきてから全てのものが他の全てのものと同じように関連するようになってしまったんだ。

『Halfway Somewhere』の話に戻りますが、『In Pursuit Of The 13th Note』収録の “57th Min” と “Power And Glory”、『A Joyful Noise Unto The Creator』収録の “Jazz” をセルフ・カヴァーしています。これらについてどんな意識でカヴァーしたのでしょう?

RG:それはディーマスのアイデアだったんだ。彼が僕たちのライヴを見たんだけど、その後、ニュー・アルバムにいくつか昔のトラックを収録したほうがいいと言ってきたんだよ。それらの曲は前と全然違って聴こえるし、昔よりも今のサウンドに合わせたほうがいいから、と。だから、じゃあレコーディングしようということになった。つまり、昔のトラックの新しいヴァージョンやった、という感じだね。たとえば “Jazz” は、ふたつ目のヴァースが違うんだ。最初のヴァースは1990年かその前に書かれたもので、ふたつ目のヴァースは2023年に書かれたもの。だから新ヴァージョンには、例えばニューヨークのジャズ・トランペッターのジェイミー・ブランチなんかが出てくる。彼女は残念ながら2022年に亡くなってしまったけれど、曲の中では彼女の名前が出てくるんだ。
それから、歌詞では「チャーチ・オブ・サウンド」にも触れている。「チャーチ・オブ・サウンド」というのは、イースト・ロンドンのクラプトンでおこなわれていたギグ・イベントで、トータル・リフレッシュメント・センターともリンクしているんだ。そして、トム・スキナーの作品でプレイしていたジェイソン・ヤードにも参加してもらった。彼も素晴らしいジャズ・サックス奏者で、僕たちがそんな彼らと一緒に仕事ができたのは本当に幸運だったと思う。だから、彼らの名前が歌詞にも出てくるんだ。前回の曲に新しい歌詞が加わったアップデート・ヴァージョンがそれらのカヴァーなんだよ。これもまた時間遊びで、こういった方法で時間を楽しんでいるのも面白いと思うね。

“Golden Shovel (Someone Else’s Idea)” はサン・ラーの “Somebody Else’s Idea” にインスパイアされた曲ですね。トゥー・バンクス・オブ・フォー時代もサン・ラーからの影響が見られたのですが、今回はどのようなアイデアからこの曲を作ったのですか?

RG:僕は詩の形式にかなり興味を持っているんだ。“Golden Shovel” では明らかなソネットの形式を取り入れ、それから様々な異なる詩の形式を用いている。“Golden Shovel” はかなり現代的な形式の詩で、この形式はニューヨークに住むテレンス・ヘイズという詩人が考案したものなんだ。彼はワンダ・コールマンという詩人と一緒にその形式を考案し、彼女が詩の中で使った言葉を最後のフレーズにして詩を書いた。そのやり方を参考にして僕はサン・ラーの “Somebody Else’s Idea” を使い、この言葉を最後のフレーズとして使ったんだ。そうやってできたのが “Golden Shovel” なんだよ。

“Cabin Fever Dub” は、親交のあったアンドリュー・ウェザオールに捧げている曲ですね。彼が手掛けた “Skunk Funk” の “Cabin Fever Mix” 及びダブ・ヴァージョンの “Cabin Fever Dub” は、ガリアーノのいろいろあるリミックスの中で一番のものだと思いますが、2017年に彼が亡くなって、改めてこの曲に込めたオマージュについてお聞かせください。

RG:死というのは、起こるべきではなかったと思えるもの。だから簡単に受け入れることができないんだ。全ての死がそうだと思う。不在、というものと向き合うのはとても寂しい。彼がいなくなり、僕も本当に寂しいんだ。彼は、僕がかつて「僕は自分の人生で何もやり遂げていない」と悩んでいたときに、僕の人生に価値を見出してくれた。「他の人たちは皆大金を稼いでいるのに、僕は一体何をやってるんだ?」と考えていたとき、アンドリューはダルストンでラジオ番組をやっていたんだけど、そのとき彼が「Sabotaging, Non careerist(自己破壊的、非出世主義者)」と書かれたTシャツを着ていてね(笑)。それを見て、「ああ、大丈夫だ」と思えた(笑)。自分の人生も悪くないな、と。それで今回、あのリミックスをもとに新しく歌詞をつけたんだ。彼の死と、喪失感についての歌詞をね。

“Circles Going Round The Sun” の歌詞には、そのウェザオールはじめ、ジェイムズ・ブラウン、デヴィッド・マンキューソ、アーサー・ラッセル、ジャー・ウォブル、KRS・ワンのクリス・パーカー、後にLDCサウンドシステムを結成するジェームズ・マーフィーなどのミュージシャンやDJが登場します。初めてニューヨークやベルリンに行ったときの体験をもとにしているようですが、どのようなイメージの曲ですか? マンキューソの「ザ・ロフト」での体験を歌っているのですか? 楽曲もロフト・クラシックであるウォーの “Flying Machine” のフレーズを引用しているみたいですが。

RG:あの歌詞の内容は「ダンス」について。僕が大好きな素晴らしいポッドキャストの番組で「Love Is The Message」というのがあって、DJでもあるふたりの学者、ジェレミー・ギルバートとティム・ローレンスがホストを務めているんだけれど、彼らは理論と音楽を番組の中で一致させるんだ。彼らは1970年代のニューヨークを出発点とした。それは世界が文化的にひとつになった場所だったけれど、経済的には失敗とみなされ、街は荒廃していった。しかし、そこにはたくさんのクリエイティヴィティが存在していた。ロフト・シーンやらジャズ・シーン、ヒップホップの登場まで、あらゆることが起こっていたんだ。そして、どのようにしてディスコが見向きもされなくなったのかもまた興味深い。シカゴでは、DJがディスコのレコードを破壊したりもした。そういった出来事を振り返りながら、人種、経済、哲学、その他様々なことを理論的に考察しているんだ。“Circles Going Round The Sun” は、そのすべてを取り入れたもの。そして、当時の僕の頭の中にあった様々なことに目を向けている。ガリアーノがはじまり、僕らが初めてニューヨークに行ったとき、そこにはジェイムズ・ブラウンがいたし、僕らはクリス・パーカーにも会った。そしてそのあと、ポッドキャストにも出てくるデヴィッド・マンキューソが登場する。マンキューソはDJで、パーティを開催し、コミュニティやパーティから生まれるものに興味を持った最初のDJだった。彼はかなりの集団主義者だったんだ。つまりあの歌詞は、スパースターDJや個人のことについて触れているのではなく、コレクティヴや、そこで何が起きていたのか、そして人びとが何をしようとしていたのか、ということを表現しているんだよ。そして、その後にはソニックスから生まれた様々な哲学があり、ジャングルは非常に異なるサウンドを持つ最後の本物の音楽だったかもしれない。
 面白いのは、1969年の音楽とその制作方法について考え、1974年の音楽を聴いてみると、69年と74年の違いがよくわかること。でも一方で、2000年、2005年、2010年の音楽を聴いてみるとどうだろう? 違いが全然わからない。これは、テクノロジー社会がどうなっていくかというメッセージでもある。インターネットが登場してから、未来はかき乱されてしまったんだ。イタリアにフランコ・ベラルディという哲学者がいるんだけれど、彼は、「未来はキャンセルされてしまった(正しくは、未来の穏やかなキャンセル)」と言った。僕は、それが面白いと思ったんだ。1970年代の若かりし頃は、未来に目を向けたとき、未来はもっとよくなると思っていた。でも気候変動やそういった問題とともに、当時思い描いていた未来は姿を変えてしまったんだ。そして文化的には、マーク・フィッシャーという理論家がいて、彼はイギリスに強い関心を持っていた。彼曰く、インターネットが出てきてから全てのものが他の全てのものと同じように関連するようになってしまったんだ。YouTubeを見れば、1960年代のものにも、2004年の作品にも同じように触れ、それに夢中になることができるからね。全てが繋がっていて自分の目の前に同じように存在するとき、自分にとってそれが何を意味するのか? 文化的に頭がグルグルするんだよ。そういうわけで、そのトラックには様々な人たちが出てくるんだ。まあ結局、全ては輪になっているからね。

この曲にはスコットランドの詩人のジョージ・マッカイ・ブラウンや、アメリカの文化理論学者で詩人のフレッド・モートンの名前も登場します。ガリアーノの歌詞には彼らからの影響も大きいのでしょうか?  また、イギリスの現代アート作家であるマーク・レッキーの名も引用していますが、何かインスピレーションがあったのですか?

RG:僕はジョージ・マッカイ・ブラウンが大好きで、あの歌詞は彼の詩 “Hamnavoe” を引用していて、僕が大好きな詩のひとつなんだ。歌詞の内容は「イメージ」について。ジョージ・マッカイ・ブラウンは詩の中で、ハムナヴォーで郵便配達をしていた父親のことを書いていて、詩の中に “In the fire of images, Gladly I put my hand, To save that day for him(イメージの炎の中で、喜んで手を差し伸べた、彼のためにその日を救うために)”という箇所があるんだけれど、僕はそのフレーズを歌詞に入れたんだ。そして、アンドリュー・ウェザウォールも彼のことを知っていたんだよ。ジョージ・マッカイ・ブラウンについて知っている人は少ないし、特にDJで彼を知っている人なんてほとんどいないと思う。でもアンドリューにその話をしたら、「もう彼の伝記は読んだかい?」と言ってきた。彼以外でそんな答えをくれる人なんていないだろうね(笑)。

1987年くらいに初めて東京に行ったとき、ものすごく物価が高かったのを覚えているよ。いまは為替レートの関係で僕らが行くほうが安いけど(笑)。

“Of Peace” はファラオ・サンダースの “Prince Of Peace” がモチーフとなっています。ガリアーノらしいネタ使いですが、改めてファラオ・サンダースの影響についてお聞かせください。

RG:このアルバムの柱のひとつは、消去というアートへの強い興味だと思う。つまり、いろいろなものを取り除いて新しいものだけを残す、というアート。そこで “Prince Of Peace” の歌詞を使ってそれをやりはじめ、プリンス(エジプトのファラオ王子=ファラオ・サンダース)が亡くなったからタイトルからプリンスを取って、「Of Peace」を残したんだ。

ダビーなエフェクトが印象的な “Crow Foot Hustling” では、ミルトン・ナシメントのクレジットもあります。確かにヴァレリーが歌うサビのフレーズのメロディはミルトンらしいものですが、何かインスパイアされているのですか?

VE:私は彼のメロディが大好きで。ソウル・ミュージックやフォーク・ミュージック、ロックを歌うことに慣れていると、ブラジル人の視点で歌うのはとても難しい。でも私は、そこが興味深いと思った。すごく挑戦的だし、そっちの方が私自身にとってはエキサイティングで。新しい視点や側面を楽しむ、という考え方からその曲は生まれたの。

“Euston Warehouse” は1980年代後半のロンドンのウェアハウス・パーティがモチーフになっているようですね。改めて当時のウェアハウス・パーティの思い出や、その意義について教えてください。

RG:僕は正直、記憶とはほとんど創造的なものだと考えている。人はいつも自分の記憶はかなり明確なものだと思っているけれど、歳を重ねるにつれて、記憶とは創造的な行為であることに気づくんだ。そこで、だから僕の頭の中で10個くらいのウェアハウス・パーティがつなぎ合わされて、ウェアハウスについての詩ができ上がった。でも実際は、10個どころかもっとたくさんのウェアハウス・パーティだと思う。1980年代は本当に数え切れないほどのウェアハウス・パーティがあったから。でも、ロンドンのユーストン駅の車庫で行われたパーティは確実にその中のひとつで、僕は絶対にあのパーティに行ったのを覚えている。そしてその上に、ほかのいろいろな思い出が重なってきたんだ。でもあの曲はおもにそのユーストンのパーティについて。1980年代は音楽的に自由で、本当にいろいろな音楽が演奏された。それに、会場そのものかなり自由で面白かったしね。あの時代は、音楽が爆発的にロンドンを支配した。当時のロンドンはすごく灰色で、いまのロンドンとは全然違っていたから。ロンドンにはまだ波形鉄板の屋根とかが残っていて、第二次世界大戦の爆撃跡もたくさんあったんだ。でも安く住める場所だったし、倉庫に侵入してパーティを開くこともできた。いまではそんなことはあまりできないからね。

VE:正直、私はあまりウェアハウス・パーティには行かなかった。いくつか行きはしたけど、多くはなかったな。

RG:当時のロンドンはいまより物価が安かったかもしれないし、いろいろな意味で劣っていたかもしれない。でも、ある種の自由があった。いまではロンドンで安く生活するなんてできないからね。1987年くらいに初めて東京に行ったとき、ものすごく物価が高かったのを覚えているよ。いまは為替レートの関係で僕らが行くほうが安いけど(笑)。

Various - ele-king

コンピレーション・アルバムというのは独特の魅力がある形態だと思う。あるテーマに沿った違う人たちの違う曲の連なり、それは一つのチームで一つの街で一つの風景であるのだろうけれど、他のアルバムと比べて個の存在を大きく残している。セレクトした選者の意図のようなものを感じることもあるし、注目バンドを集めた若手の見本市的な側面もあると思う。僕は毎年出る、まだあまり音源をリリースしていないバンドを集めた〈Slow Dance Records〉のコンピレーション・アルバムを楽しみにしているのだけど、知らないバンドを聞いて、これは凄くいいな、フォークっぽい感じだけど、どこのどんな人たちなんだろうなんて、ワクワクしながらあれこれ想像する時間がとても好きだ。その音楽やバンドには歴史があって影響があってそれから目の前に現れたみたいなそんな感じがして、考えていると好奇心が刺激される。
 そしてまた少し考える。サブスクが盛り上がるいまの時代にコンピレーション・アルバムとプレイリストに違いを感じるのだとすれば、それは間に挟まるある種の事情や制約などの違いが生み出す空気感ではないかと。選者が好き勝手に入れられるプレイリストの気軽さに対してコンピレーション・アルバムはもっと格式ばった感じがする(俺の考えた最強イレブンと実際に監督が選び試合に臨んだスタメンとの差みたいなものだ)。あるいは集めた曲を使って目的の空間を作り上げるプレイリストとは異なり、コンピレーションのそれはたとえ初出ではなかったのだとしてもアルバムの為に提供された曲だという違いがあるのかもしれない。ヴァリアス・アーティストなんて表記はプレイリストにはないのだから(あるのは作成者の名前だけ。つまりはそれ自体で一つの塊として閉じられているのが大事なのだ)。

 そんなことを考えながら〈CALL AND RESPONSE〉のコンピ『Music For Tourists ~ A passport for alternative Japan』を聞いている。〈CALL AND RESPONSE〉はブリストル出身の音楽ジャーナリスト、イアン・F・マーティンが運営しているレーベルで、彼自身の手によるライナーによると日本の若手バンドを集めたこのコンピレーションは「観光客のための音楽」なのだという(ここで言う観光客とは音楽を聞く僕らのことだ)。ライナーのなかで彼は言う。観光もまた発見の手段で、たとえばライヴハウスを訪れるという行為は、日常的な社会と現実とは異なる層に存在する別の世界とを隔てる境界線を飛び越えることを意味するのだと。「日本の音楽地図に見立てた、未完の記録」その言葉通りに東京のバンドだけではなく地方のバンドの曲も数多く収録されている。
 そういういった背景を知りアルバムを聞いているとなんだか電車の車窓から次々に切り替わり景色を眺めているような気分になる。目的地なんてなく、どこか遠くに行くためだけに乗っている列車。初期のブラック・ミディを彷彿させる性急なポストパンク、福岡のaldo van eyckの”X"に始まり、音楽に揺られながらぼんやりと窓の外を眺めていると景色が次々に立ち上がってくる。

 サウスロンドン以降のポスト・パンクの匂い、サイケデリックな看板、田園風景に安らぎを感じ、00年代の下北沢のバンドの気配が残った古い鉄塔にエモを感じ、馴染みのロゴが入った新しい建物に親近感を抱く。ぼうっと眺めていると時々知っている風景が広がったりしてあぁあれはこの景色だったのかと思うこともある。それらの景色は突然出来上がったのではなくて歴史があり混ぜられて減って作られてそうして僕ら観光客の前に現れるのだ。
 反復する呪文のような陶酔感を持ったmizumi、厳かなフォークの中に神社の石段の冷たさを感じる帯化、pandagolffのポスト・パンクにひねくれた軽さを感じ、schedarsのクールな音に胸を躍らせる。90年代のUSオルタナサウンドを響かせるBreakman Houseの歌メロはどこか畳の匂いがし、その組み合わせにどうしよもなく胸をかきむしられる。だから画面のなかの検索窓を覗き込む。そうして出てきた長野 松本という文字に想像を巡らせ行ったこことのない街に向かって思いをはせるのだ(そしていつか行きたい街のリストへ入れる)。

 あるいは時おり下車し地元の人の話を聞いたりする。名古屋のWBSBFKはアートワークをとても大事にしているバンドでここに収録されている”haircut ”のlong versionはライヴでしかやっていないのだという(そうして名古屋におけるシーンの話を少し聞く)。その日のイベントでかかったBarbican Estateの音楽はハッとさせるような空気を作り出しいて、そこで味わった感覚がこのコンピに入っている”Fresh Air (alternative version)”へと繋がる道をより魅力的にしていく。

 そんな風にして僕ら音楽を聞く観光客は景色を楽しむ。
 音楽にとって場所とは果たしてどれくらい重要なのだろう? 色んな時代の色んな音楽を際限なく聞けると思ってしまいそうな現代においても、場所というのはきっと大切で目の前の風景に響いて欲しい音が鳴らされ、あるいは眼前の現実をぶち壊すべく音が鳴らされる。それらの音楽が作り出す風景は培われてきた歴史や感性、土壌、文化が混じりあってのもので、我々、好奇心を抱いた観光客はそこに面白さを見出すのだ。
 ブライアン・イーノの作品にちなみ『Music For Tourists』と名付けられたこのアルバムは新な街へと続く扉として素晴らしく機能する。停車する列車の扉を開け探検心を持って外に出てみると、そこには見たことはあっても触れたことのない風景が広がっている。

MODE AT LIQUIDROOM - ele-king

 いよいよ今月の21日、Still House Plantsのライヴが観れる! しかも、同日には日野浩志郎率いるgoatも出演する! 現場に行くしかないでしょう。


Still House Plants


goat


 イギリス・ロンドンを拠点とする音楽レーベル兼イベントプロダクションの「33-33」と、日本を拠点に実験的なアートや音楽プロジェクトを展開するキュレトリアル・コレクティヴ「BLISS」が手掛ける実験音楽、オーディオ・ヴィジュアル、パフォーミング・アーツを紹介するイベント・シリーズ『MODE』。2024年9月21日は東京・恵比寿のLIQUIDROOMにて『MODE AT LIQUIDROOM』を開催します。
 プログラムには、大阪を拠点とする音楽家・YPYこと日野浩志郎を中心とした5人編成のリズムアンサンブルgoatが出演。goatは楽器の音階を極力無視し、発音時に生じるノイズやミュート音から楽曲を制作します。昨年、結成10周年を迎え、ヨーロッパ各国のフェスティヴァル、リスナーからも強い支持を得ているほか、2021年にはスイスのコンテンポラリーダンサー・振付師のCindy Van Ackerによる作品「Without References」への楽曲提供なども行い、国外でも幅広く活動しています。本年2024年には、オランダのデン・ハーグにて開催されたRewire 2024や、フランスのナントで開催されたFestival Variationsに出演し、ドゥームメタル/ドローン・バンドのSUN O)))との共演も話題となりました。
 さらに、初来日公演となるイギリス・グラスゴー出身のトリオStill House Plantsも本プログラムに出演します。Still House Plantsはヴォーカル、ギター、ドラムのシンプルな編成からなるバンドです。ロック・バンドと評されることも少なくない彼らですが、サンプリング、スロウコア、R&Bといった様々な音楽的要素を作品に取り入れ、実験的かつオリジナルなサウンドスケープを創り出すことで世界的に注目を集めています。2024年12月にリリースされた最新作『If I Don't Make It, I Love You』は、PitchforkやThe Guardianといった主要メディアからも高い評価を得ています。
 高度な演奏技法を駆使し、難解なリズムを重ね合わせ、緊張感のある音空間を創り出すgoat。捉えどころのないメロディとリズム、彷徨いながら赴くままにサウンドを展開するStill House Plants。開業30周年を迎えるLIQUIDROOMにて、アンサンブル/バンドといった合奏形態でありながら、全く異なる音楽を創り出す両組によるパフォーマンスをぜひお楽しみください。

*追加プログラムなどの情報はMODEインスタグラムアカウント、MODE公式ウェブサイトなどにて発表を予定しております。

【プログラム詳細】
MODE AT LIQUIDROOM
公演日時: 2024年9月21日(土)17:30開場/18:30開演
チケット料金: 前売5,500円[スタンディング]※ZAIKOにて販売中
出演者:goat(ゴート/JP)
Still House Plants(スティル・ハウス・プランツ/UK)
会場:LIQUIDROOM 

「ageHa THE FESTIVAL 2024」ACiD open air - ele-king

〈ageHa〉によるフェスティヴァル・プロジェクト「ageHa THE FESTIVAL」、3つのステージで、国内外のエレクトロニック・ミュージシャンのライヴやDJを満喫しよう。今年はジャーマン・トランスの巨匠のなかの巨匠、SVEN VÄTHが出演。ほかにもGONNOやGROUNDも! ここで、失った夏を取り戻そう。

ageHa THE FESTIVAL 2024
ACiD open air

2024年9月28日(土)開場・開演12:00〜終演21:00
シティサーキット東京ベイ(東京・お台場)

出 演:
SVEN VÄTH
MONOLINK [LIVE]
SOLARDO
ATSUO PINEAPPLE DONKEY [LIVE]
DRUNKEN KONG
GONNO
GROUND
MACHINA [LIVE]
MILLION DOLLAR SOUNDS
MR. HO
NASTHUG
RISA TANIGUCHI
SATOSHI OTSUKI
SAKUMA
TNSEEI (ENSITE)
YAMARCHY
YUI (ENSITE)

VJ:
HEART BOMB

オフィシャルサイト:
https://acid.tokyo

主 催:ACiD
共 催:LIVEEXAM
特別協力:楽天チケット
協 力:シティサーキット東京ベイ
企 画:SMI ENTERTAINMENT
制 作:ageHa production

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料 金
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■早割チケット[楽天チケット独占] ¥11,000
■早割デラックスチケット[楽天チケット独占] ¥23,000
■早割チケット U-23 [楽天チケット独占] ¥9,000
販売期間:2024年8月20日〜9月2日
プレイガイド:楽天チケット

■前売りチケット ¥13,000
■前売りデラックスチケット ¥25,000
■前売りU-23 ¥10,000
販売期間:2024年9月3日〜9月27日
プレイガイド:楽天チケット / ZAIKO

■チケット購入
楽天チケット https://r-t.jp/acid
ZAIKO https://acid.zaiko.io/

C.E - ele-king

 ファッション・ブランド〈C.E〉による2024年最初のパーティがWWW Xにて開催される。大人気のベン・UFOを筆頭に、ベルギーから初来日のキャリアー、日野浩志郎のソロ・プロジェクト=YPY、昨年の〈C.E〉のパーティにも登場したChangsie、〈Incienso〉のDJ'JにDJ Trysteroと、なかなか刺戟的なラインナップだ。9月21日(土)、きっとこのころには涼しくなっていることでしょう。秋の夜長にひと踊り。

C.E presents
Ben UFO, Carrier, YPY
Changsie, DJ’J, DJ Trystero

2024年度初となるC.Eのパーティが9月21日土曜日、WWW Xで開催。

洋服ブランドのC.E(シーイー)が、2024年9月21日土曜日、東京は渋谷に位置するWWW Xを会場にパーティを開催します。

C.Eは、2011年のブランド発足以来、不定期ながら国内外のミュージシャンやDJを招聘しパーティを開催してきました。

2024年初の開催となるC.E presentsでは、イギリスよりBen UFO(ベン・ユーエフオー)、ベルギーよりCarrier(キャリアー)、日本よりYPY(ワイピーワイ)、Changsie(チャンシー)、DJ Trystero(ディージェイ トライステロ)の3名、アメリカよりDJ’J(ディージェイ ジェイ)をゲストに迎えます。

C.E presents

Ben UFO
Carrier
YPY
Changsie
DJ’J
DJ Trystero

開催日時:2024年9月21日土曜日11:30 PM
会場:WWW X www-shibuya.jp
料金:Door 3,000 Yen
Advance 2,000 Yen
t.livepocket.jp/e/20240921wwwx

Over 20's Only. Photo I.D. Required.
20歳未満の方のご入場はお断り致します。年齢確認のため顔写真付きの公的身分証明書をご持参願います

■Ben UFO
イギリスを拠点とするBen UFOは、インターネットラジオ局であるSub.FMにおいて番組The Ruffage Sessions(Loefahの楽曲名に由来)を2007年にスタートさせ、同年には友人であるPangaea、Pearson Soundと共に音楽レーベルHessle Audioを立ち上げた。2008年から現在に至るまでレーベルと同名のラジオ番組をロンドンのRinse FMで隔週で担当している。
現在に至るまでにミックスCD並びにミックステープがThe Trilogy Tapes、Rinse、Fabriclive、Wichelroede、Cav Emptよりリリースされており、FACT Magazine、RA、Boiler Room、Little White Earbuds、Truants、Blowing Up The Workshopなどにミックス音源の提供を行っている。
soundcloud.com/benufo
hessleaudio.com

■Carrier
90年代半ばから音楽制作を続けるGuy Brewerによるプロジェクト。
ドラムンベースのプロデューサー兼DJとしてキャリアをスタートさせ、その後約10年間にわたりShiftedの名義をメインに据えつつ、そのサイドプロジェクトとして数多の名義で楽曲を発表してきたGuyがShiftedを終了させ、新たにスタートさせたCarrier。
昨年23年にThe Trilogy TapesよりCarrier初のアルバム「Lazy Mechanics」を発表し、その後EPを3枚、ミックステープを1つリリースした。
SHXCXCHCXSHなどのリリースで知られる音楽レーベルAvian主宰。

「2020年に完成したShifted 名義における最後のLPを作った過程を考えると、私はすでに切り離すことを模索していました。今から思えば、私はすでに次に行くべき場所を模索し始めていたんです」
「Carrierは、ドラムンベース、テクノ、あるいはエクスペリメンタルなど、私がアナリストとして歩んできた中で拾いあげてきたものすべてに踏み込むことを意味していると思います。それらすべては自身のレンズを通して見てきたもので、私はそれを区画化してきました。Carrierでは、私のパレットを使い、これらの影響を取り入れたものへと適用し、統一感を生み出すことを目指しています」
soundcloud.com/driftingover

■YPY
日野浩志郎によるソロプロジェクト。
国内外のアンダーグラウンドミュージシャンのリリースを行うカセットレーベル「Birdfriend」、コンテンポラリー/電子音楽をリリースするレーベル「NAKID」主宰。
「goat」、「bonanzas」というバンドのプレイヤー兼コンポーザーであり、これまでの主な作曲作品は、クラシック楽器や 電子音を融合させたハイブリッドオーケストラ「Virginal Variations」(2016)、多数のスピーカーや移動する演奏者を混じえた全身聴覚ライブ「GEIST(ガイスト)」(2018-)の他、サウンドアーティストFUJI|||||||||||TAと共に作曲・演奏した作品「INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada」(2021-)等。佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団 鼓童とは2019年以降コラボレーションを重ねており、中でも延べ1ヶ月に及ぶ佐渡島での滞在制作で映像化した音楽映画「戦慄せしめよ/Shiver」(2021、監督 豊田利晃)では全編の作曲を日野が担当し、その演奏を鼓童が行った。
soundcloud.com/koshiro-hino
twitter.com/po00oq
instagram.com/po00oq/

■Changsie
千葉は銚子の潮風が育んだ1988年産DJ。2010年代初頭に出会ったダブステップをきっかけに、DJとしての活動を開始。UKのベースミュージックを軸に古今東西の様々なジャンルを織り交ぜるプレイスタイルで、国内外のいたるフロアで低音を轟かせてきた。
2020年にはロンドンに拠点を移し、現地でラジオ番組配信やクラブイベントへの出演を重ねる。
NTS Radioでバイマンスリー番組を担当中。
nts.live/shows/changsie
soundcloud.com/changsie

■DJ’J
1/2 of Incienso.
1/3 of down2earth.
soundcloud.com/jennyslattery
inciensorecs.bandcamp.com
soundcloud.com/down-2-earth

■DJ Trystero
東京を拠点とする音楽プロデューサー兼DJ。
インディペンデント音楽レーベルCity-2 St. Giga(シティー トゥ セント・ギガ)主宰。
英国のThe Trilogy Tapesより2枚のEP、米国のInciensoよりLPを1枚、日本のCav Emptからミックステープを1つ、葵産業よりミックスCD1枚をリリースしている。
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