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2ミニット・ポップとは、2分の間に美しい形式性をともなって完結するポップ・ソングの謂であり、その意味ではここに並んだ22曲の対極にある音楽である。『プロ・ハビタット』の、曲ともいえない、端切れのようなサンプリング・トラックの平均時間はわずかに1分20秒。定形を逃れ、R&Bやジャズやオールディーズなどから任意に摘み取られてきた音の切片が、ヒス・ノイズにまぶされ、スクリューに仕立てられ、ループしながら消えていく。マナーとしてはヒップホップに数えるべきかもしれないが、ここに介在する時間感覚には、そうしたジャンル性を些細な問題へと変えてしまうような鮮やかさがある。たとえば、こうした音の隣りにこそジュリアナ・バーウィックを並べたいと思う。
アーヌことリーランド・ジャクソンによる本作では、トラックの短さにも明瞭に表れているように、ひとつひとつのサンプリングはきわめて散漫に用いられている。何かを構築しようというよりは、吐く息のようにどんどんと前方へ放たれ、飛ばされていくような印象だ。これはバーウィックが声を重ねるのと同じメカニズムではないか。彼女も構築的にハーモニーを生もうとしているのではない。結果的にそれは和音をなしてはいるが、どちらかといえばひとつひとつ息をリリースしているのだと感じさせる。いまそれを体内から放たなければならない。彼女にはなにか一瞬を際限なく際立たせるような働きかけがあり、そのようにして身を離れた音が反響している。彼らに共通するのは、なにか回収のきかない時間性を生みだそうとする、はかなくも挑戦的な取り組みだ。
しかし『プロ・ハビタット』は、その「いま」という時間がたえず「いま」ではなくなりつづけることへの諦めもある。瞬間の象徴として放たれた音の端切れどうしをビートが意図的に撹乱しているように聴こえないだろうか。アブストラクトなビートは、一瞬一瞬を単調には切り分けられない唯一無二なものとして演出するようでいて、その実、唯一無二な一瞬(=音の端切れどうし)を単調にくっつけている。バーウィックにおける音の一片が、「いま」が永遠に「いま」であるという矛盾を成立させようとする祈りであるならば、アーヌのそれは自身のビートによって断念された「いま」のむくろとも言えるだろう。しかしその心のうちにはバーウィックの影ともなる、相似した時間感覚が広がっている。
あらゆるものがネットワーク上で相対化されるように、アーヌの音もそこで時間を失う。その顛末を儀式として22回再現したような作品だ。
リリースはデジタルとカセットで〈WTR CLR〉から。ダスティン・ウォンやジェイソン・ユリックの作品もリリースするレーベルだが、全曲無料試聴とダウンロードが可能だ。フリーの視聴環境を舞台とするアーティストたちに彼もまた連なっている。アーヌ自身は昨年はじめにもう1作品『カフ(咳)』というタイトルもあり、「息」の連想がそう間違ってもいないことがわかるだろう。
橋元優歩