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ジャズ・ギタリストのカート・ローゼンウィンケルと言えば、今も『ハートコア』の名前を挙げる人が多いことだろう。2003年に発表されたこのアルバムは、A.T.C.Q.のQティップをプロデューサーに招いて作られた。そもそも、2000年におこなわれたQティップのカマール・ジ・アブストラクト名義でのレコーディングには、ケニー・ギャレットやローゼンウィンケルなどジャズ・ミュージシャンも参加していたのだが、そのお返しにQティップもプロデュースを引き受けたのだった。ミュージシャンでは一緒にバンドをやっていたマーク・ターナーやジェフ・バラードなどが参加するものの、楽曲の半分ほどはローゼンウィンケルがギター演奏と自身によるプログラミングを融合して作ったもので、そうしたところからジャズだけでなくヒップホップ方面からも注目された。ロバート・グラスパーなどが頭角を表わす以前、ヒップホップはじめクラブ・ミュージックの感性を通過し、コンテンポラリー・ジャズの新しい扉を開いたアルバムというのが『ハートコア』だった。ニューヨークで活動していたローゼンウィンケルは、1990年代にNYハウスなどクラブ・ミュージックの洗礼を受け、デビュー前のノラ・ジョーンズなどとともにワックス・ポエティックというクラブ・ジャズ・ユニットに参加していたこともある。したがって、『ハートコア』でのプログラミングやエレクトロニクスを織り交ぜたサウンド・アプローチも、彼の中においては自然に出てきたものだった。その後もQティップの『ルネッサンス』(2008年)のレコーディングに参加するが、自身は住まいをアメリカからヨーロッパへと移し、新しいバンドを結成して活動している。
近年のローゼンウィンケルの作品には、2012年の『スター・オブ・ジュピター』がある。アーロン・パークスたちとNYで録音したこのアルバムは、宇宙をテーマにしたスケールの大きな大作で、ジャズ・ロックやプログレ的な演奏を聴かせるフュージョン・アルバムと言えるものだった。ギタリストとして弾きまくるローゼンウィンケルが見られる一方、自身のヴォイスとギターのユニゾンによるメロディックなプレイも印象的だった。こうしたワードレス・ヴォイスとギターによるハーモナイズは、『ハートコア』の頃から彼のプレイによく見られたもので、『スター・オブ・ジュピター』から5年ぶりの新作『カイピ』は、そうした世界を発展させたものと言えるだろう。2010年の『アワー・シークレット・ワールド』ではポルトガルのビッグ・バンドであるオルケストラ・デ・ジャズ・デ・マトニショスと共演し、ラテン圏の音楽に対する造詣も深いローゼンウィンケルだが、今回は大きくブラジル音楽に傾倒している。かれこれ10年ほど前から構想を温めてきた作品だそうで、きっかけとしてはミルトン・ナシメントに魅了され、ブラジル音楽にのめり込んでいったことがある。そして、自宅のスタジオで8年ほどかけてデモを作り、それを持ってブラジルに飛び、ペドロ・マルティンス、アントニオ・ロウレイトといったブラジル人ミュージシャンたちとセッションをおこなうほか、盟友のマーク・ターナーや過去にフェスなどで共演したエリック・クラプトンも参加している。
“カマ”や“カシオ・ヴァンガード”に見られるように、『カイピ』は歌にも大きくスポットを当てている。しかも、英語ではなくポルトガル語で歌っているところに、本格的にブラジル音楽に取り組む姿が伺える。この“カマ”や“カシオ・ヴァンガード”、そして宇宙的な広がりを感じさせる“サマー・ソング”も、サウンド的にはミルトン・ナシメントやトニーニョ・オルタなど、ブラジルの中でもミナス地方出身者が作り出した音楽に近いものだ。“リトル・ドリーム”や“カシオ・エッシャー”の旋律やコーラスのアレンジなど、トニーニョ・オルタの音楽を非常によく研究していることが伺える。アルバム全体に漂うスピリチュアルでピースフルな雰囲気は、こうしたミナス特有のサウンドがもたらすものだろう。また、今回のリズムはローゼンウィンケル自身のドラムやプログラミングをベースに、ペドロ・マルティンスのパーカッションなどを交えたもので、内容こそ違えど『ハートコア』の制作手法を踏まえたものである。アルバム中でもっともロック/ポップ寄りな“ホールド・オン”は、『ハートコア』から引き継がれるビート感覚を持っているし、ハウス・ビートとシンクロする“クロッマティック・B”などは、クラブ・サウンドにも通じるローゼンウィンケルだからこそ生み出せる楽曲だろう。全体的に同じジャズ・ギタリストで言えば、パット・メセニーに近い世界観を感じさせるアルバムだ。かつてパット・メセニーとトニーニョ・オルタ、ウェイン・ショーターとミルトン・ナシメントなど、ジャズ・ミュージシャンとブラジルの音楽家による素晴らしいコラボがおこなわれてきたが、今後は『カイピ』もそうした1作に数えられることだろう。
小川充