Home > Reviews > Film Reviews > ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅
ネブラスカ州といえばスプリングスティーンのアルバムを思い出すひとも多いだろうが、南部でも西部でももちろんベイエリアでもなく、中西部を描くことは何かアメリカの本質に迫るようなところがあるのだろう。ネブラスカ出身のアレクサンダー・ペイン監督が故郷の風景を豊かな白黒映像で映す『ネブラスカ』は、しかし、スプリングスティーンと言うよりもスフィアン・スティーヴンス『イリノイ』に近い。パーソナルであると同時に優れたフィクション性があり、ユーモラスでペーソスに溢れていて、そして前作『ファミリー・ツリー』よりも踏み込んでアメリカの老いを語っている。
そもそも、冒頭で高速道路を徘徊していて警察に保護されてしまう老人=父を、アメリカン・ニューシネマ以来の俳優ブルース・ダーンが演じているという時点で、その姿に20世紀のアメリカからの遺産を嗅ぎ取ってみたくなる。だから『ファミリー・ツリー』は夫と妻の物語だったのに対して、『ネブラスカ』は典型的に父と息子の物語なのである。宝くじで100万ドルが当たったという出版社のインチキ広告を真に受けた父がモンタナからネブラスカまで行くと言うので、仕方なく息子が連れて行くうちに両親のルーツに出会うこととなる。典型的なロード・ムーヴィーでもあり、ペイン監督がアメリカ映画の伝統を強く意識していることは疑いようがない。
しかしながら、そうして描かれるネブラスカの町はどうだろう。親子は親戚を訪ねることになるのだが、ほとんどが老人たちで彼らはほとんど喋ることもなく、あとは無職者とか……。ハリウッド映画が描いてきた豊かなアメリカと遠いのは当然だが、たとえばヴィム・ヴェンダースが異邦人の目線で描いた叙情的なアメリカとも決定的に異なっている。アメリカの内部で育った人間が見た、どうしようもなく寂れていく田舎の風景がここにはある。僕は、スフィアン・スティーヴンスが『ミシガン』でデトロイトの産業の衰退を慈しみをこめて歌っていたことを思い出す。映画は父の過去を見つめながら、忘れ去られていく中西部で生きた人間たちの気配を立ち上がらせる。
しかしそんな寂れた町の住民にまで父は(アメリカが誇る名優のブルース・ダーンが!)、「哀れだ」と言われてしまう。長い間飲んだくれて、気がつけばすっかりヨボヨボの父は、本当にそれほど同情されるべき存在なのだろうか? 息子を演じるコメディアンのウィル・フォーテは父を見ながらずっと、なんとも困った表情をするばかりである。
そしてその困り顔は、わたしたちがアメリカの斜陽を見るときのそれであると、映画の終わりのほうで明らかになる。どうしてそんなにも父が100万ドルにこだわったのか、口数の少ない彼がようやく明らかにするとき、悲しいとも愛おしいとも言いがたい、説明できない感情が沸きあがってくる。だから、アメリカの遺産の多くを受け取っているであろう「息子」であるわたしたちは、「たくさんのものを、たくさんのものをもらってるよ!」とスクリーンのなかの「父」に向かって心のなかで叫びながら、親子の旅を笑顔で見送るのである。落ちぶれていくアメリカに対する、同情と哀れみ、慈愛と懐かしさが複雑に絡み合ったわたしたちの想いを、こんなにも正確に浮かび上がらせる映画作家はアレクサンダー・ペインを置いて他にいない。
予告編
木津 毅