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音と心と体のカルテ

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第七回:「旅はなぜ人を変えるのか」

文:伊達伯欣  イラストレーター:ヨシオカワタル Jul 26,2016 UP

 友だちが最近、人生にちょっと疲れてインドに行って、見違えるほど変わって帰って来た。1ヶ月程度の旅行だったし、その間に運命的な何かがあった訳ではないから、本人はその自分の変化に、まだ気付いてはいない。

 「一人旅」というものに、若い頃は人生の革命が起こることを期待する。僕もそうだったし、今もその興奮を旅の前に抱くこともある。だけど、冷静になってこれまで関わって来た周りの人を見ると、旅の後に彼ほどの明らかな変化、というよりは変異を果たした友人を思い出すことができない。

 ウイルスと細菌は全く違うもので、大きさも1000倍ぐらい違うし、そもそもウイルスは「生物」ではない。細菌は細胞壁に囲われた身体を持っていて、その内部にいろいろな役割を与えられている器官を持っている。栄養さえあれば自己増殖もエネルギー産生もできるから「生物」とされる。それに対してウイルスは、生物の細胞ひとつひとつに含まれる体全体の設計図みたいなDNAやその情報運搬役のRNAのような遺伝子のみが、カプシドという殻に包まれた状態。だからウイルスは自己増殖ができない。必ず感染する相手(宿主)の細胞の機能が必要で、その中に入り込み、その宿主の設計図の中に自分を埋め込んで、宿主の細胞に自分を大量生産してもらう。自分だけでは子孫はおろかエネルギーさえ作れないので「非生物」とされている。つまり、ウイルスは生物の残骸の一部みたいなものと言えばイメージがつくかもしれない。

 ちなみに抗生物質というのは細胞壁を壊す薬だから、細菌にしか効かない。普通の人がかかる「風邪」の8割以上の原因がウイルスだとわかってから、人類の抗生物質の使用量は大きく減った。とはいえ、見切り発進も未だに多い。

 細胞の突然変異が起こる確率は、10万~100万回に1回の細胞分裂で起こる。その突然変異の細胞が様々なレベルで自然淘汰を受けて、その環境に適合した性質が残されて行くのが進化の原動力とされる。僕らの遺伝子は、絶えず宇宙からくる放射能(宇宙線)に晒され、日常生活で摂取する様々な物質によって傷つけられている。そういった遺伝子を変化させる原動力のひとつとして、ウイルスがある。地球史上、ウイルスは様々な生物の内部に入り込み、「他力」によって自己複製をしながら変化してきた。インフルエンザウイルスが毎年流行るのは、その変異があまりに早く、人間がその免疫を獲得しにくいからで、一度感染したら、治る頃にはすでに違うウイルスに変異していると言われている。時間の長短はあれ、無数のウイルスたちが、地球史上の中でかなり長い間、こうした営みを繰り返して、常に生物の突然変異と進化の礎を築いてきた。

 寒いと風邪をひく。というのは当たり前のことのように共有されていて、風邪っていうのは、外部からのウイルスや細菌の侵入がなければひかないものだと一般的には考えられている。だけど、僕は本当にそうなんだろうかと疑問を持っている。もちろんインフルエンザのようにそういう時もあるだろうけど、寝ていて体が冷えたその時に、いつもたまたま風邪の原因ウイルスとの接触があるというのは考えにくい。

 漢方治療をしていると、「気」を増幅させる「補気剤」の内服で、毎月風邪をひいていた人が、1年間一度も風邪をひかなかった。なんていうことが当たり前のようにある。おそらく「風邪」というものの多くは、常に風邪症状を生じさせるなんらかのウイルスが体内にいて、環境が変わるたびにそのバランスが崩れることによって症状が現れている。

 そもそも「風邪」という定義もすごく曖昧で、頭痛は「風邪」なのか、食欲低下は「風邪」なのか、抑うつ気分は風邪で不安は「風邪」じゃないのか。僕は極端な話、そういう症状のひとつひとつには体内のウイルスが相当な部分関与しているんだろうと思っている。

 僕は微生物学免疫学教室と東洋医学科に在籍していた時期があった。その二つの科の教授が同じ人で、エイズウイルス関連でNatureという科学雑誌にも何度か論文が掲載されている。僕の今の医学観はその人の影響を強く受けている。その教授が4月5月の診察になると、患者さんの舌や脈を診ながら「春は草花や虫が動き出すように、体内のウイルスも動き出すんだ」と言っていた。

 これが科学的に正しいかどうかはわからない。だけど、B型肝炎やC型肝炎のように、体内に慢性的に持続感染しているウイルスを持っている人は、4月5月にそれまで安定していた体調が悪くなることが多い。それに限らず、毎年同じ季節に体調が悪くなるという人は、まだ発見されていない何らかのウイルスの影響が大きいだろうと思っている。(おそらくこの世の中には、人類が同定することのできたウイルスより、まだ発見されていないウイルスの方が圧倒的に多い)

 人間は60兆個の細胞で構成されるが、その100倍以上とも、1000倍以上とも言われる細菌やウイルスというものでひとつの生命が構成されている。だから、寒いと風邪をひくというのも、そういった常に在中するウイルスが変化するのがひとつの要因だというのは、まんざら外れてもいないと思っている。

 インドに行って変わった友人は、帰国後に再会する前に、A型肝炎というインドの食物から感染するウイルスによって肝炎を発症して入院した。幸い彼はそのインド製のウイルスとの格闘に打ち勝って生き残った。A型の持続感染はほぼないと言われているが、少なくとも彼の体細胞の遺伝子には「インドのウイルス」、もっと言えば、「インド人が文化と共に育んで来たウイルス」が一時的ではあれ入ったのだ。それが彼の体内の無数のウイルスの中の一員として、微量ながら今も残っている可能性は低くはない。

 そう思って彼を見ると、日に焼けたせいかもあるけど、旅行前にあった少女漫画に出てくるような美しさが消え、インド人っぽく見えるようになった。そう思って話を聞くと、どうやったら金を稼げるか。という話が増えたようにも感じる。でも、確実に言えることは、彼は旅の前より明らかに、元気になった。

 人間は音楽に精神を動かされる。同じように、あるいはそれ以上に人間は、ウイルスに動かされている。

 そうこう言う僕も、インド旅行の最後にガンジス川の水を飲んで、随分と激しい下痢をした。僕の中にもガンジス川製のウイルスがたぶんいる。聖なる川ガンジスのウイルスは壮絶だった。僕も絶えずインドのウイルスに動かされているのかもしれない。

伊達伯欣/Tomoyoshi Date伊達伯欣/Tomoyoshi Date
1977年ブラジル・サンパウロ生まれ。3歳の時に日本へ移住。ロック、ジャズ、ポスト・ロックなどを経て90年代後半より電子音楽を開始。ソロ作品に加え、Opitope、ILLUHA、Melodiaとして活動するほか、中村としまる、KenIkeda、坂本龍一、TaylorDeupreeとも共作を重ね、世界各国のレーベルから作品をリリース。西洋医学・東洋医学を併用する医師でもあり、2014年10月にアンビエント・クリニック「つゆくさ医院」を開院。自然と文明、アナログとデジタルをテーマに医療と音楽に従事している。

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