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Kevin Richard Martin

Ambient

Kevin Richard Martin

Sirens

Room40

Bandcamp HMV Amazon iTunes

デンシノオト   May 30,2019 UP

 現在、「世界」は極寒の只中にある。真夏に冬? いきなり大きな主語で恐縮だが、例えば2030年に到来すると言われている「ミニ氷河期」は世界を冬の時代に変化させてしまう可能性があるし、なにより21世紀以降、巨大化の一途を辿るグローバル資本主義の本質は人間の外部にある巨大なデータの集積(金銭の層)ともいえるのだから、そこにあるのは「雪」のような冷たい結晶の層と運動ではないかとも思ってしまう。ともあれ雪とお金は似ている。貯まるときは貯まるが、少し熱量が上ると溶けて消えてしまう。

 氷河期へと回帰する地球と真夜中に降り続ける雪のようにデータ化された金銭が結晶化する世界。私たちはそんなJ・G・バラード的な「冷たい」結晶世界/時代を生きている。
 では、そのような時代、われわれが「ヒト」ではなく「人間」であることの意味はどこに見いだすべきか。資本主義に骨の髄まで染まったわれわれはエコノミック・アニマルのなれの果てか。巣を失った雪男のように虚無に吠えるしかできないのか。それとも言語の真の意味を捉え直し、改めて「怒り」を表出する必要があるのか。
 ひとつ言えることは、そのような時代、イメージに恐怖が侵食する。そしてレコードはそんな世界の無意識を表象する「商品/芸術」でもある。2010年代の音楽の一角にダークなアートワーク(もちろん音も)が現れたのは偶然ではない。セカイが不穏だから音楽も暗くなる(反動で空虚なバカ騒ぎも起きる)。そしてその不穏さによって音楽は一種の心理的セラピー効果を高めもする。つまり真の「癒し」は逆説によって生れる。ダーク・セラピー・サウンド?

 現代写真家・横田大輔による印象的な作品を用いたアートワークでリリースされたキング・ミダス・サウンドの新譜『Solitude』(https://kingmidassoundmusic.bandcamp.com/album/solitude)も、そんな「真冬・極寒の時代」のムードを象徴するようなアルバムだった。キング・ミダス・サウンドは、UKレフトフィールド・サウンドにおいてその名を知らしめているザ・バグのケヴィン・リチャード・マーティンらによるプロジェクトである。
 その新作『Solitude』は、ダークなエクスペリメンタル・サウンドとRoger Robinsonのポエトリー・リーディングが濃厚なメランコリアを醸し出し、なんとも不穏なムードを生成していたが、ある種の救済の感覚が息づいてもいた(リリース・レーベルは、ミカ・ヴァイニオ関連のリリースでも知られる〈Cosmo Rhythmatic〉)。闇夜の果てにある微かな光。

 今回取り上げる『Sirens』は、キング・ミダス・サウンド、ザ・バグなど複数のユニット・名義を使い分けてきたケヴィン・リチャード・マーティンが初めて本人名義を冠したアルバムである。リリースはローレンス・イングリッシュが主宰するエクスペリメンタル・ミュージック・レーベル〈Room40〉。
 その内容たるや圧倒的であった。キング・ミダス・サウンド『Solitude』における音響空間をさらにパーソナルにムードで研ぎ澄ましたような現代的なアンビエント/ドローンを存分に展開し、凄まじい音響空間を生成していたのだ。『Solitude』からポエトリー・リーディングをミュートしたようなトラックともいえるが、よりパーソナルなサウンドにも感じられた(どこか『Solitude』と『Sirens』は兄弟のようなアルバムではないかと想像する)。

 本作の元となっている音源は、2015年にベルグハインで開催された「CTM Festival」におけるライヴ・パフォーマンスで披露されたものだ。そもそも「Sirens」は、ケヴィン・リチャード・マーティンによる新しいアンビエント・プロジェクトの名としてスタートした。2014年頃、彼の友人でもあるベルリンのアーティストNick Nowakの展示とショーにつける音楽を依頼されたことがプロジェクトの始まりなのだ。その「Sirens」のショーは、スモークとストロボによって会場全体を覆う一種のインスタレーションに近いパフォーマンス/空間だったらしい。
 以降、「Sirens」は、ドイツのハイデルベルク、ロサンゼルス、ハンガリーのブダペスト、東ロンドンなどで継続的にパフォーマンスされ、その音響は完成の域に近づいていった。以前から彼のファンであったローレンス・イングリッシュは、「CTM Festival」のライヴの直後に音源リリースの話を直談判し、ケヴィン・リチャード・マーティンから快諾を得たという。
 とはいえ、すべてが順風満帆のプロジェクトだったわけではない。「Sirens」制作中、ケヴィン・リチャード・マーティンは、その人生において最もハードな時期を迎えていたのだ。というのも彼の妻は、息子を生んだあとすぐに、集中治療室に入り、その命を失いかけていた(このインタヴューに詳しい)。
 そんなケヴィン・リチャード・マーティンの人生の局面に訪れた極めてハードな事態に呼応・象徴するかのように、『Sirens』の音響は、極寒地帯における豪雪のように厳しく、しかし生命の誕生そのものを象徴するように「崇高さ」へと生成変化を遂げていく。

 ここでサウンド面の考察に戻ろう。ザ・バグ、テクノ・アニマルなどの複数の名義を使い分ける彼のエクスペリメンタル方面といえば、キング・ミダス・サウンドのほかにも、ソニック・ブームとケヴィン・シールズらによるはエクスペリメンタル・オーディオ・リサーチの活動を思い浮かべてしまう方もいるだろう。
 本作の特徴は極めて10年代な音響空間を生成している点にある。多層的な電子音響のレイヤー/持続が繊細かつダイナミックに変化を遂げつつ、まるで嵐の中に身を浸すかのような音の壮大な蠢きを生成していくのだ。このミクロとマクロを往復するようなサウンドは10年代以降の音だ。キング・ミダス・サウンドでフェネスとコラボレーションした『Edition 1』(2015)の追求・実験・実践が、本作に強い影響を与えているのではないかとも想像してしまった。
 アルバムには全14曲が収録されているが、どのトラックも統一的なムードを保持しながらも、それぞれが微細にサウンドのトーンを変えており、まるで映画のサウンドトラックのように進行する。特に2曲めから5曲めまでの変化は強烈な聴取体験をもたらすだろう。その変化は繊細であり、しかしダイナミックでもあり、メランコリックですらあり、ドラマチックでもある。
 使われている音は「フォグホーン、ダブ・サイレン、ドローン・ベース、ホワイト・ノイズ、エフェクト」というが、音の層が重なりつつ、音響空間が拡張してくようなサウンドは、アンビエント/ドローンによる受難曲のように響く瞬間があった。聴き手の心理状態をトレースしていくかのように音響は進み、変化する。
 本作『Sirens』には「受難」と「祈り」、そして「救い」への希求が、静謐な電子音響の表面に、内奥に、その向こうに、確かに、微かに、強く、弱く、しかし意志を持って息づいているように感じられた。加えて8曲めなど、ドローンであっても低音部分の強調が見事であり、その鈍い響きはまるで心臓の鼓動のように聴こえもした。
 つまり本作はドローン化したベース・ミュージックという側面も少なからずあると思うのだが、いかがだろうか(キーは低音=心臓の鼓動だ)。となればできうる限り爆音で聴取をする必要があるだろう。小さな音で「流しては」だめなのだ。もともとサウンド・パフォーマンスとして発表されたこともそれと無縁ではあるまい。音に深く没入する必要がある。

 特に9曲め以降、ノイズのトーンに微かな明るさが宿ってきている点に注目してほしい。12曲めからラストの14曲めまでは本作の音響が絶頂を迎える瞬間が記録されており、文字どおりクライマックスだ。音の繊細さ、過剰さ、ミニマル、ダイナミック、持続、拡張は、ケヴィン・リチャード・マーティン個人の受難を浄化し、聴き手の心も昇華する。徹底的な没入的聴取の結果、サウンドが一種のセラピーのように心身に「効く」とでもいうべきか。音による救済の感覚。
 そんな誇大妄想的な感想すら持ってしまいそうなほどのアルバムである。「雪」のように冷たい結晶によって世界が構成されているこの現代において、人の心の奥底に蠢く光のようなノイズ・ドローン・アンビエントを聴くこと、聴覚と感覚の新たな可能性を示してもいる。このアルバムの暗い音を聴くことは「希望の聴取」なのだ。

デンシノオト