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ミュージック ──「現代音楽」をつくった作曲家たち

ミュージック ──「現代音楽」をつくった作曲家たち

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト 著
篠儀直子 内山史子 西原尚 訳

フィルムアート社

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野田努   Dec 14,2015 UP
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 なるほど、譜面が読めないというのは、ロック以降の音楽をやっている多くの人にとってのコンプレックス(劣等感)だったかもしれないが、それはロックの時代にとどまらない。むしろこの数年間のほうが、譜面が読める人/楽理がわかっている人が音楽を語るほうが面白い……いや、そのほうが正しいにきまってんだろう、という風潮があった。言っておくが、それを学歴好き社会と重ねてしまうのは、ぼくの学歴コンプレックスから来ているわけではない。学歴が高ければ面白い原稿を書けるとは限らないように、譜面を読める/書ける人が面白い音楽を創作するとは限らないのは周知の通りであるというのに、いまさら制度になびいてしまうのは、反動保守というわけでもなく、それだけ巷(とくにネット上)がしっちゃかめっちゃかだからだろう。じたばたしても、もう元には戻れない。
 とまれ。そもそも譜面なんぞに縛られないからこそ現代音楽はロックとの接点を持ち得たとも言える。この意味がわからなければ、音楽における「実験」の意味もわからないだろう。換言すれば、なぜぼくたちはエイフェックス・ツインのような、一生懸命にピアノを習っている人からしたらわけのわからないであろう音楽をかくも評価しているのだろうか……という話である。
 
 譜面とは必ずしもニュートラルなものではない、とトニー・コンラッド(ヴェルヴェッツに影響を与えた現代音楽家)は言う。それは言うなれば支配層からの指示を伝達するものであったと。また、オーケストラの原型が、17世紀の軍事訓練から来ていることも彼は指摘する。もうひとつ例を挙げてみよう。ピエール・シェフェールやピエール・アンリに学び、ミュージック・コンクレートを実践したパリの作曲家、フランソワ・ベイルは、(コンクレートにおける)楽譜の不在を肯定し、音符を使ってやることの限界を乗り越えるための電子音楽の可能性について語る。
 クラシック音楽の発展型たる現代音楽とは、モダニティ(近代性)への批評としてのポストモダニティの一形態と言えるのだが、時代はまさに、大衆音楽においてはオーケストラや西洋音楽の常識に拘束されたりはしないビバップ/フリー・ジャズがあり、ロックンロールがあった。制度とは外れたところで、スポンティニアスな演奏(=フリー・ジャズ)があり、反復ないしはノイズ=ロックンロールがあった。現代音楽の側から見たらそれはそれで新鮮な驚きだったろうし、時代における両者の接点も本書には記録されている。ブライアン・イーノは、ソウル・ミュージックからの影響を、音の未分化(未階層化?)にあると明かしている。要するに、伝統的音楽においては、リズム(下)、楽器(真ん中)、声(上)といったように階層が決まっていたが、ソウルにおいては声もリズムであり、楽器も声だったと、こうした曲を構成する各パートの未分化こそが後にアンビエントと呼ぶもののコンセプトに発展したと説明しておられる。

 本書『ミュージック』は、現代音楽と括られる作家たちのインタヴュー集である。とっつきにくいデザインだが、とにかくまあメンツがすごいんだ。カールハインツ・シュトックハウゼン、ピエール・ブーレーズ、ヤニス・クセナキス、ロバート・アシュリー、フランソワ・ベイル、テリー・ライリー、トニー・コンラッド、スティーブ・ライヒ……。
 そして、ポップ・ミュージックとの接点を持つ以下の人たち、オノ ・ヨーコ、ブライアン・イーノ、アート・リンゼイ、クラフトワーク、カエターノ・ヴェローゾなどのインタヴューもある。
 実に、そう、実に興味深いリストだが、ここ読める言葉は、データばかりを追っている人にはほとんどが無価値だろう。彼らの「考え方」に興味がある人には読む価値が充分にある。
 発言集なので人によって発話量が違うし、話もさまざまだが、ぼくはモダニティのきしみ、批評としてのポストモダニティ、そのはざまでの錯雑、その揺らぎ……として読んでいる。いろいろ勉強になるし。
 ぼくのようにポピュラー・ミュージックの側にいる人間があらためて確認すべきは、たとえばそれを「アート」「アーティ」などと口当たりの良い言葉で評価するときの誤謬を繰り返してはならないということだ。たんにペダンティックであることが、なんとなく高尚であることが「アート」ではない(むしろ非アート)。その高尚さに懐疑を与えることが「アート」であり、そのために「実験」はある。最近の例で言えば、シカゴのフットワークは、なるほど、まさに「アート」だけどね。
 まあ、制度から逃れたいと思っていた人が制度そのものになるってことはよくある話だ。しかし、クラフトワークが自らを「土着的」と言っているのは面白かったな。テクノのゴッドファーザーは、『アウトバーン』がベートーヴェン(古典派)やドイツ・ロマン主義の影響にあるこを認めている。そんな興味深い言葉がいたるところで見つかる。
 譜面に支配されることはないが、感覚だけでやっていると、いつかは不安になるものだ。とくに「気持ち良い」ってことだけを頼りにしている人は危ない。「気持ち良い」には、いつまでも同じように気持ち良いわけではないという落とし穴があり、人は刹那に生きたくてもそうはならないことのほうが多い。よって、気持ち良さが信用できなくなるときが来る。そのとき必要なのはコンセプト=「考え方」だ。
 最後におまけとして、カールハインツ・シュトックハウゼン大明神の「ループ(反復)」に関する、いかにも「らしい」、しかしとてもいい発言を本書から引用しよう。
 
 しかし「ループ」という言葉をもっと正確に定義しなければいけません。第一には字句どおり、直接的反復のことです。でもそれだけではありません。地球が太陽の周りを回ればループに──1年に──なりますが、まったく同じ年はなく、われわれは進歩もしています。重要なのはループが、人体のなかの分子の運動のように「ミニ」としてしか把握できないこと、つまり中心をめぐっての動きであることです。根本的に重要なのは、こうしたフィードバック・ループから生じる成長と縮小のプロセスです。

野田努