ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. interview with Larry Heard 社会にはつねに問題がある、だから私は音楽に美を吹き込む | ラリー・ハード、来日直前インタヴュー
  2. The Jesus And Mary Chain - Glasgow Eyes | ジーザス・アンド・メリー・チェイン
  3. 橋元優歩
  4. Beyoncé - Cowboy Carter | ビヨンセ
  5. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第2回
  6. CAN ——お次はバンドの後期、1977年のライヴをパッケージ!
  7. interview with Martin Terefe (London Brew) 『ビッチェズ・ブリュー』50周年を祝福するセッション | シャバカ・ハッチングス、ヌバイア・ガルシアら12名による白熱の再解釈
  8. Free Soul ──コンピ・シリーズ30周年を記念し30種類のTシャツが発売
  9. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第1回  | 「エレクトリック・ピュアランドと水谷孝」そして「ダムハウス」について
  10. Columns ♯5:いまブルース・スプリングスティーンを聴く
  11. claire rousay ──近年のアンビエントにおける注目株のひとり、クレア・ラウジーの新作は〈スリル・ジョッキー〉から
  12. 壊れかけのテープレコーダーズ - 楽園から遠く離れて | HALF-BROKEN TAPERECORDS
  13. まだ名前のない、日本のポスト・クラウド・ラップの現在地 -
  14. Larry Heard ——シカゴ・ディープ・ハウスの伝説、ラリー・ハード13年ぶりに来日
  15. Jlin - Akoma | ジェイリン
  16. tofubeats ──ハウスに振り切ったEP「NOBODY」がリリース
  17. 『成功したオタク』 -
  18. interview with agraph その“グラフ”は、ミニマル・ミュージックをひらいていく  | アグラフ、牛尾憲輔、電気グルーヴ
  19. Bingo Fury - Bats Feet For A Widow | ビンゴ・フューリー
  20. ソルトバーン -

Home >  Regulars >  There are many many alternatives. 道なら腐るほどある > 第2回 マグカップは割れ、風呂場のタイルは今日も四角い

There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

There are many many alternatives. 道なら腐るほどある

第2回 マグカップは割れ、風呂場のタイルは今日も四角い

文:高島鈴 Mar 08,2019 UP

 気に入っていたマグカップを割ってしまった。
 二月一二日の午後一〇時だった。机に向かったまま意識を喪失し、どれだけ時間が経ったかわからないままに目覚め、風呂に入ろうと思い立ち、部屋に引き込んでいたマグカップを朦朧とした頭で台所へ置きにいった、その矢先のことである。悲劇はたいてい意識があやふやなときに起きる。電気がついていないキッチンの暗い窓際、ガス台に乗り切らなかったマグカップは、どのように落ちたかも見えないまま転落した。指を離した瞬間、先ほどまで手のなかにあったものが支えのない空中へ落ちていくのが感触でわかった。ばりんと重たい音がして、マグカップが壊れたことを知った。
 俺はそのとき両手いっぱいに着替えと身繕いの道具を抱えて風呂場へ向かう最中だった。頭のなかでは物事の優先順位が渋滞し、一瞬何からやるべきかわからなくなる。まず両手が使えなければ破片をどうすることもできないので、風呂場へ向かい、荷物を置いてから、台所へ戻ってきて電気をつけた。湿気と埃で真っ黒く汚れた古いフローリングの上に、肉厚な陶器の持ち手部分が真っ二つに割れて落ちていた。さいわい破片がばらばらに飛び散っているわけでもなく、すぐそばに無防備に置いてあった油のびんにも損傷はなかった(油のびんが割れて中身が散乱する以上の面倒はない)。俺はしゃがんでビニール袋のなかに破片を集め始めた。面倒なので素手だ。持ち手①、持ち手②、本体。周囲にある白いものは破片なのだろうか、と思って指で触ったが、三つのうち一つが破片で、二つはよくわからないゴミだった。とりあえず全て捨てることには変わりないので、まとめて袋に入れて口を縛り、生ゴミの箱へ入れた。作業はそこで終わった。
 風呂に入りながら全てが嫌になってくるのをひしひしと感じた。大失敗したときの今すぐ消えたいような絶望感ではなく、数年後の破滅を数日かけて確信したときのような虚無感である。マグカップを割ってしまった。それなりに気に入っていたマグカップを。何の変哲もない、どこでも売っている白いだけのマグカップだが、気に入っていたのだ。俺はあのマグカップをすごく気に入っていた。使いやすくて大きさもちょうどいい、素敵なマグカップだったのだ。
 そのうえ今日は一日ろくなことをしなかった。原稿はたいして進まなかったし、本もあまり読めなかった。そのうえで気に入っていたマグカップを割ってしまった。これは収支でいえばマイナスではないか。最悪だ。おまけに明日は実入りのない用事で朝から晩まで出かけねばならない。最悪だ。明日も収支はマイナスになるだろう。毎日何かが削れて、途中でわずかな回復があったとしても、俺はどこかの地点で日々の負債を抱えきれなくなって終わるんじゃないかと思う。あーーあ。声に出してため息をつく。俺は落ち込むといつも風呂場で体育座りをしているから、タイルの形をよく覚えている。俺の家の風呂のタイルはアイボリーの正方形だ。タイルの隙間を水滴が通り、落ちた髪の毛を排水溝へ追い落とした。水垢とカビから目をそらして顔を上げるとシャワーヘッドがこちらを見下ろしている。もうだめだ、という言葉が頭のなかにポップアップしてくる。
 たかだかマグカップを割ったぐらいで……と言われるかもしれないが、こういう些細な失敗はダムの放水スイッチみたいなものだ。日々溜まった嫌な記憶を身体に満たすきっかけとしては、十分すぎるほど十分である。俺はこういうことを週一で繰り返しているからよくわかる。

 今、風呂から出て代理のマグカップ――宅配ピザ屋のおまけでもらったポケモン柄のもの、子ども向けなのでめちゃくちゃ小さい――でお茶を飲みながら、このマグカップ追悼文を書き始めた。おかしい話だが、日中うなりながらこねくり回していた文章よりよっぽど筆が乗る。おかげで少し気力が湧いてきた。いいぞ、今日が「プラス」に向かっている気がする。新しいマグカップの購入に関しては、今は金がないので次の給料日を待たねばなるまい。せっかく買うならちゃんと納得のいくものを選ばなくては。それまでこのあまりに小さなピカチュウのカップで過ごさねばならないと思うとわりと憂鬱だ。せめてでかいピカチュウのカップがよかった……。
 しかしこの「今日は収支でいうとマイナス」「プラスに向かっている」という感覚は、日常的に感じてしまうものの、よくない思考だ。一日の価値を漠然とした心の数字で測っていく行為は、もしかすると元気でハツラツとして自己肯定感の高い人にはよいやり方なのかもしれないが(俺は元気でハツラツとして自己肯定感を高く持っていたことがないのでわからない)、元気もないししなびていて自己否定の渦中にいる人間からすれば「マイナス」続きが発生した場合に徹底的に己が許せなくなる。俺はつい「「プラス」を叩き出しているから自分は許される」という感覚に身の置き所を求めてしまいがちである。ちゃんとやっているから生きてていいとか、何か成果が出せたからまだここにいられるとか、本当は何にもできなくてももちろん生きてていいし、居場所も失われるべきではないのに。世間は役立たずに冷たいが、役立たずに冷たい世間は正しくない。
「通俗道徳」という言葉がある。人間は頑張っていればまともに暮らしていける、そうできないのは頑張っていないからだ、という考え方で、少なくとも江戸時代にはすでに存在した思想の潮流だ。この流れは明治時代によりいっそう顕著になった(このあたりのことは松沢裕作『生きづらい明治社会』(岩波書店)を参照してほしい)。通俗道徳の横たわる社会ではとにかく頑張ることが美徳とされ、成功できなければ全部「当人の頑張り不足」に帰結する。お金がないんですか、怠けてるんじゃないですか? 病気になったんですか、健康管理ができなかったあなたが悪いんじゃないですか? 家族の仲が悪いんですか、親孝行していないからでは? ……全部そんなわけがない。世の中個人の努力ではどうしようもないことだらけだ。というか努力を誰でもできる行為だとみなすのも間違っていると思う。体調もメンタルも運も環境も、己の力で思うままに操れない要素であり、同時に個人の行為には常に関わってくる要素である。頑張ろうとして頑張れるのも、頑張ろうとしたって頑張れないのも、個人の能力だけで説明を完結させるべきではないはずだ。
 今でもこの社会には通俗道徳がまだ大いに生きている。頑張らなくちゃだめだ、頑張れ、頑張りましょう、頑張りに期待してるよ、うるせえいつも頑張れるわけねえだろ! マグカップが落ちて割れたのは全面的に俺のせいなのか? 午後一〇時に早くも俺の意識が朦朧としていたのは俺が前日午前三時まで原稿を書こうとしていたからだが、それは俺が銀行口座のあまりの頼りなさに恐れをなしてもっと仕事をしなければと焦っていたからだ。俺の銀行口座に金がないのはバイトの時給が安かったからであり、そのうえ先月インフルエンザになってバイトを何日も休まざるを得なかったからだ。これでもマグカップが割れたのは俺一人のせいか? 俺のバイトの時給が一五〇〇円で、俺がインフルエンザにかかっていなかったとしたら、俺はマグカップを割っただろうか?

 ……ここまで言葉にすることができても、それでも俺はまだ週一で「もうだめだ」と言いながら風呂場のタイルを見つめている。内面化した思考を取り除くのも世間の風潮に真っ向から逆らうのも容易なことではない。俺一人が考え方を変えても日々ぶつかる価値観はいつも通りきつい。俺が風呂場のタイルの模様を忘れる日はいつか来るのだろうか? そういう日を早く招くために、俺はいろんな人に言って回るようにしている。それはあなたのせいじゃないよ。

Profile

高島鈴/Takashima Rin高島鈴/Takashima Rin
1995年、東京都生まれ。ライター。
https://twitter.com/mjqag

COLUMNS