Home > Regulars > ポスト・ミューザック考 > 第二回:俗流アンビエント
さて、第一回でも触れたとおり、そんな風にネット上に新たに生まれてきたコミュニティで出会った人びとからの触発も絡み合いながら、その頃私はブックオフの売り場で、ふとシティ・ポップ以外にも視線を向けてみようかなと考えたのでした。折しも渋谷のブックオフ(CLUB QUATTRO階下の大型店舗。R.I.P.)が閉店に向けて売り場整理をはじめている折で、ちょうどその頃Visible Cloaksの活動や彼らの啓蒙、あるいは様々なレーベルから過去作がリイシューされたりというニューエイジ〜アンビエントの復興に興味をいだいていた私は、「もしかしたらブックオフの捨て売りコーナーにもなにか面白いものがあるのでは?」と思い、ヒーリング/ニューエイジコーナーを探ってみたのです。セール開催中だったこともあって、280円の8割引という暴力的な安値で投げ捨てられていたそれらの中には、エンヤやディープ・フォレスト、エニグマといった大御所(そういうモノに用はないのです……)に混じって、正体不明の(とそのときは思っただけど後に調べていくと界隈では名のある作家だったりする)日本人アーティストや、さらには安眠、リラックス、集中力強化、ダイエットなどの効能を謳ったいわゆる〈実用的〉なヒーリングCDなどが相当数あり、何枚か買ってみたのでした。
さて、自宅に帰ってそれらのCDをなんとなく再生してみると……まさしく前述のようなVaporwave以降に興ってきたニューエイジ・リヴァイヴァルの心性に驚くべきほどにフィットしたのです。思えばこれは当たり前の話というか、EccojamsやUtopian Virtual 、Mallsoftなどの細分ジャンルに顕著なように、Vaporwaveが胚胎する諧謔性(もっといえば反動性といってもよいかもしれないですが)は、このコラム・シリーズの表題にもなっている所謂〈ミューザック〉や〈BGM〉、〈エレヴェーター・ミュージック〉、〈実用音楽〉、のような、ハードなリスニングをすり抜けるものを価値逆転的に音楽要素として取り込もうとするベクトルを持つものでもあったのですから。だから、2018年に、90年前後に量産された日本ドメスティックのヒーリング音楽を消費するという行為自体、この諧謔性の引力に引き寄せられる他ないし、むしろだからこそ、これまで批評的には無価値とされてきたこれらの音楽が、いってみれば〈価値の向こう側〉から亡霊のように復権してきたというわけなのでしょう。あの時代(主にバブルの時代)に夢見られた、輝かしき社会と〈健全〉な精神、それを磨き上げるための夢想的BGM。かつて抱かれ、いまは朽ち果てた夢からは、不思議と甘い香りがするのです。当初こうした音楽に対して私の中にあった嘲笑はいつからか耽溺にとってかわり、そのバランスの間で微妙な緊張感を保ちながら、どんどんと掘り進んでいくことになります。そのころ私は、そうした背反的な感情を反映する名称として、こうした音楽を〈俗流アンビエント〉と呼びはじめるようになりました。(*)
そうやって暇さえ見つけては未踏のブックオフに向かい、ヒーリング/ニューエイジ・コーナーを突っつく日々を続けながら、ちらほらと漁盤報告をツイッターなどに挙げていると、意外にも少なくない人たちから反応があったりしました。半分くらいは旧来の友人たちからの好奇の目でしたが、ここでもやはり前述の台車さんやタイさんなどのディガーたちからのアクションがあったと記憶しています。そんななか、前述の捨てアカウントさんから一通のDMをもらうことになります。曰く、私のディグ活動に興味を持っていること、〈俗流アンビエント〉という概念へのシンパシー、そして、Local Visionsのミックスシリーズで〈俗流アンビエント〉ミックスをアップしませんか、云々……。
このミックスシリーズでは、それまでも台車さんによるオブスキュアなシティポップのミックス、そしてモ像さんによるゲーム音楽ミックスがアップされており、Vaporwave以後における音楽ディグの注目すべき流れとしてそれらを愛聴してしていた私は、このオファーを一も二もなく快諾したのでした。
そういう経緯を経て、〈俗流アンビエント〉ディグのそれまでの成果として、昨年秋にアップされたのが、“Music for the Populace:The World of Commercial Ambient Music in Japan 1985-1995”(邦題:「ストレスを解消し、心にLoveとPowerを… 日本の商業アンビエントの世界 1985-1995」)と題された以下のミックスです。
一概に〈俗流アンビエント〉といっても、その作風はさまざまで、なかには本当に聴くのがツラくなってくる退屈なものもあるのですが、このミックスは導入編と位置づけ、アンビエント音楽としての完成度とともに、うっすらとでもビートがあるもの、あるいはバレアリックな質感を持つもの、フュージョンに片足を突っ込んだもの、より敷衍的にいえばニューエイジ・リヴァイバル以降の感覚で面白く聴けるであろう楽曲を選んでいます。
大変ありがたいことに、Local Visionsの発信力もあり、このミックスは思いの外様々な方々に楽しんでもらったようで、末にはロック・バンドBase Ball Bearの小出祐介さんの耳にも達し、11月にはTBSラジオの人気番組『アフター6ジャンクション』で特集されるという予想外の展開に至るのでした……。俗流アンビエントという概念の周辺を紹介するにあたり、Vaporwaveにも触れながらVektroid(a.k.a. Macintosh Plus)の「リサフランク420 現代のコンピュー」をオンエアしたこともあり、そういった界隈でも話題にしていただいたようです。
いま思い返すに、昨年2018年にかけては、サブスクリプション・サービスの本格的浸透と並行的なものとして、例えば、竹内まりや「プラスティック・ラブ」のYouTubeアルゴリズムによるスタンダード化などがあるとおもうのですが、ある種それらへの反射として、ネットでは聴くことのできないものを執拗に追い求めるという行為、それまで個々人の活動としてディープなレベルに点在していたそういうものが、表層にあらわれてきた期間と捉えることも可能かもしれません。その渦中における静かな熱狂を経た2019年のいま、そのような見取りを冷静に置いてみたい気持ちになっています。
これまで共有されてきた価値、例えば神話的な作家性であったり、既存システム/産業内でいうところの〈クオリティ〉であったり、唯一的なもの、記名的なものの絶対性、そういうものが揺らぎ出してしまって久しいいま、そういった価値の〈向こう側〉から、未体験のものとして、自分でない誰かがかつて夢見た音楽が、大規模に蘇りつつある。私達がかつて夢見てきた〈未来〉が失われていく、その喪失感を癒やすために、〈かつて観られた夢〉は媚薬として、蠱惑として、我々をうっとりさせるのかもしれません。これは一種の逃避なのでしょうか。オピウムなのでしょうか。それともさまよいゆく現代を有効に診断する検査薬でもありうるのでしょうか。
次回へ続く……
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この時期発掘したCDで、従来の批評的価値の向こう側からやってきた究極の盤は、上述のTBS『アトロク』でも紹介し反響があった、100円ショップダイソーが(おそらく2002年前後)にオリジナルで作成して自社店頭で販売していた〈100円アンビエント〉のCD『アンビエント・リラクゼーション VOL.2』です。当時ダイソーは(今でも一部店舗で展開していますが)、クラシック名曲や落語などを手軽に編んだCDを大量にリリースしていたのですが、その一環として、なんとオリジナルのアンビエント・ミュージックも制作していました。(同シリーズではこのvol.2を含め計2枚リリースされていたよう。好事家によると、vol.1の方はアンビエント的にはたいしたことないらしいけれど…)。
2002年といえば折しもスピリチュアル・ブーム華やかりし頃、いかにも抹香臭い音楽内容を想像しますが、これがなかなかどうして相当に良質なアンビエントなのです。ブライン・イーノから続くアンビエントの正統を押さえながらも、アンビエント・テクノや同時代のエレクトロニカとも共振するこの音楽を制作した作者は不明(クレジット記載なし)。おそらくギャラ一括払いの〈買い取り仕事〉というやつだと思いますが、少なくとも才能のあるミュージシャンがかなりの力量を注いで作ったものであることは間違いないでしょう。
ちなみに、私はこのCDを渋谷のレコファンにて108円で入手(中古)しました。新品同様価格です。