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■サウス×アイドル×アニメ=Cherry Brown
「彼女ですか? いるわけないじゃないですか! 僕、人見知りだから初対面の人と会話ができないんですよ(笑)。『なに話したらいいんだろう?』ってなっちゃう」
Cherry Brownは大きな目を見開いて笑いながらそう話した。彼は正直な人間だ。
「どのジャンルだから聴かないとか、そういう壁みたいなのは薄れちゃいましたね。もともとはサウスのヒップホップが大好きだったけど、『らき★すた』がきっかけでアニメにハマって。時期は高校を卒業したばかりの3月で、とくにすることもなくいつものようにネットを観てたんですよ。ちょうどその頃、ネットで『らき★すた』のオープニング曲の「もってけ! セーラーふく」がヤバいって話題になっていたんです。それで興味を持って観たら、一発でやられちゃって(笑)」
“もってけ! セーラーふく”
「アイドルだって、昔は大っ嫌いだったんですよ。モーニング娘。とかがラップっぽい曲とかやってるのとかも“ダサー”って思ってたし。 偏見がなくなったいちばんのキッカケはPerfumeにハマったこと。『チョコレイト・ディスコ』ですね。当時通ってた音楽の専門学校で仲良くなったさつき が てんこもりが僕に教えてくれたんですよ。あの曲が良すぎて、それまでアイドル・ソングに対して持っていた偏見や壁みたいなものがなくなってしまった。そしたらどんどんいろんな曲が自分の中に入ってきて。ももクロもZになる前までが好きでした。あの頃のほうが単純に曲が良かった。しおりん(玉井詩織)に関しては別ですけど(笑)。ずっと好きです」
「好きなものからの影響って自然に出てきちゃうんですよ。“サウスとアイドルを混ぜてやったら(表現したら)クールだろう”とかそういう意図はぜんぜんなくて、自分の中にあるものを表現したら自然とこういう形になっていきましたね。僕がヒップホップのトラックメイカーだからといって、アニメやアイドルが好きなのを隠してサウスのトラックしか作らないのは、それこそ不自然だと思います」
この考え方は彼のリリックにも表れている。
NΣΣT“All That I Can Do feat. Cherry Brown”
NΣΣT“All That I Can Do feat. Cherry Brown”抜粋
まぁぶっちゃけると好きな子がいるんだ
正確にはいた そう、今は違うさ
久々だった本当あんな夢中になったのは
いつも気づいたら想ってた君を脳内でうつしてた
キモいのはわかってるけどメールがない時迷いながらもツイッター覗き見
どうしようもなかった本当に 超考えてたよ付き合ってもないのに
でも特に何も変わらず過ぎてた半年 1歩近づくと5歩は離れるの繰り返し
いいかげんそういう君にしたようんざり
チェリー・ブラウン エスケーピズム ビクターエンタテインメント |
この曲について彼はブログで「聴けばわかると思うんだけど歌詞がストレートすぎるというか・・・剥き出しというかwww これはなーーって思ったんでお蔵入りしてたんだよね」と綴った。
ヒップホップは「お題」に対してどれだけ面白い/カッコいいことを言えるかを競うコンペティションのような側面がある。実体験をもとにしていれば、他のラッパーが言えないディティールをリリックに入れ込むことができる。それは説得力のある強いラインにつながる。つまりラッパーにとっては自身の「リアル」をどう定義するかが、非常に重要であると言えるだろう。
以前AKLOはこんな発言をしていた。「日本のヒップホップシーンには不良で面白いやつはいっぱいいるけど、もうその枠は供給過多なんですよね(笑)。USのヒップホップシーンはそれこそいろんなキャラクターがいっぱいいるんですよ」。
AKLOの言う通り現在の日本のヒップホップ・シーンには不良が多く、彼らの主張の多くは「ラップでのし上がる」というものだ。しかし、それはUSヒップホップのリアルであって、日本ではなかなか受け入れがたい考え方のような気がする。
たとえば、アメリカでは街角のギャングから億万長者になったJAY-Zや、冴えない音楽オタクから一躍ヒップ・スターとなってしまったPharrellのようなアーティストが実在している。しかし日本にはまだそういった例が存在しないだけに、若者が「ラップで人生の一発逆転を狙う」と言っても説得力に欠ける気がするのだ。それこそ、「なんで日本人がヒップホップなんて」という、もうB-BOYなら耳にたこができるくらい言われてきた常套句を聞かされるのがオチだ。
日本のロック・シーンにさまざまなアーティストがいるように、ヒップホップにだっていろんなアーティストがいるべきだ。MSCやANARCHYのようなギャングスタ・ラッパーも、5lackのようなマイペースなのに繊細なラッパーも、AKLOのようなUSヒップホップを意識的にトレースしたようなラッパーも、THA BLUE HERBのようなストイックなラッパーも。もっともっと、ラッパーの数だけリアルがあっていい。そしてそのすべてが正解なのだ。その数が増えれば、USヒップホップとは違う、日本のヒップホップの形がもっと見えてくる。
Cherry Brownの存在は、ある意味で日本のヒップホップ・シーンが到達した“幅”の突端でもある。
DUPER GINGER“Dubwise Madness feat. Cherry Brown”
DUPER GINGER“Dubwise Madness feat. Cherry Brown”抜粋
週末 外には出ず 今夜もひとり家でチル
モニター通して聞こえてるみんなの声 まただぜ
どこか遊びに行けばよかったとひとりつぶやいて
わけわかんねえこと考えて 勝手にひとりで落ち込んで
(中略)
とくになんもすることないから 自分の部屋ベッドの上座ってる
お酒はチビチビ飲んでる そして適当な場所トリップ遠足
「この曲は普通に実話です(笑)。僕がこんなに引っ込み思案になった原因ですか? うーん……。女の子との関係性をうまく築けないという部分が、(僕の引っ込み思案の)根っこにあるかもしれません。小学生の頃はお調子者で「ちんこ、まんこ」とか言ってみんなを笑わせてました。でも、女子に対する積極性みたいなものはなかったんですよ。それを思春期にこじらせちゃって。積極性がないというよりも、むしろ引っ込み思案な人間になってしまった。そうなってしまう直接のきっかけや明確なトラウマみたいなものはないんだけど、小学生の高学年くらいからは女の子の視線も自分を嘲笑しているように感じてしまったし、そういう子たちの笑い声も自分に向けられているような気になってしまってました。まあ、いま考えれば被害妄想が激しかっただけだと思うんですけどね」
こういった吐露をするアーティストは多い。だが実際には、彼らは大抵モテる。彼らの弱音はただのカッコつけツールなのではないか。ステージに立つ華々しい姿に反比例するかのような弱々しい自分を見せることで異性の興味を惹こうとしているのではないか……そうだとすれば、ずるいし、うらやましい。そもそも意識的にそんなギャップを作れる時点で、もしくはそれを女性の前で開陳できる時点で、「あなたは弱くない」と言いたくなる。
そういった疑念は、もちろんCherry Brownにも持っていた。だから訊いた。「でも、彼女いるし、モテるんでしょ?」その答えが冒頭の発言につながる。「もちろん、昔よりはマシになってきてますけどね(笑)」。やはりCherry Brownはリアルだ。
■歴史
「生まれたのは横須賀の米軍基地の中です。先輩にも基地内で生まれた人がいて、その人いわく(基地の)中で生まれた人はLA出身になるらしいんですよ、神奈川県横須賀市ではなくて。でもそういうのを除けば、僕は横須賀生まれです。物心つく前には父の仕事の関係でアメリカで暮らしていたこともあったらしい。お父さんはマリーンでした」
横須賀といえば、SIMI LABのMARIAが思い出される。彼女は自身の幼少期をこう語る「当時は基地のなかに住んでたの。なかにも学校はあるんだけど、あたしは外の小学校に行っててさ。お父さんは基地内のアメリカの学校に行かせたかったんだけど、お母さんはあたしが基地内の学校に進学するといずれアメリカに行っちゃうと思ったみたいで、日本の学校に行かせたのね。あたし、こう見えてほとんど英語力がないの(笑)。日常会話程度。だから小学校では“あいつ外人なのに英語しゃべれない”とか言われて、友だちはできなかった。当然、基地内の子とも学校が違うから仲良くなれない。だからあたしはいつもひとりだった」。この経験は彼女の人格形成に大きな影響を及ぼし、リリックにもそれが如実に表れている。ではCherry Brownはどうだろうか?
「MARIAとは同い年なんですが、当時はまったく接点がありませんでした。僕は(お父さんが)小学校に上がるタイミングで軍を辞めちゃったから、ほとんどアメリカ人のコミュニティの中で育ってないんですよ。小学校も公立の学校だけど、人種の問題でいじめや差別をされた経験は別にそんなないかな。友だちとケンカしたときに『このガイジン』って言われるとか、そんな程度ですよ。あと、当時はサッカーやってて、結構真面目にJリーガーを目指してました」
「ヒップホップに興味を持ち出したのは、けっこう昔です。アーミーだったお父さんがギャングスタ・ラップ好きだったこともあって、家や車で普通にヒップホップが流れているような環境だったんですよ。ラップをはじめたのは中学3年の頃からかな。当時はミクスチャーロックの全盛期で、MTVでいろんなバンドのPVが流れてたんです。そういうのを観て僕もミクスチャーのバンドをやりたくなって。でもいっしょにやる人がいなかったんで、ひとりでラップを書きはじめたんです」
「中高生の頃はMTVばっかり観てましたね。サウスが好きになるキッカケとなったリュダクリスもMTVで知りましたし」
現在25歳のCherry Brownが中学3年生の頃となると、だいたい2000年代初頭。ISDNがどうしたこうしたと言っていた時期なので、インターネットで動画を観るなんていうことは夢のまた夢。そんな時期に洋楽のPVを観るにはTVK(テレビ神奈川)などのローカル局か、MTVやスペーシャワーTVのようなCS放送に頼るしかなかった。拙著『街のものがたり』でPUNPEEもこう語っている。
「ヒップホップをちゃんと認識したのは中2~3くらいですね。スペシャ(スペースシャワーTV)のナズ特集みたいなので、「ナズ・イズ・ライク」のPVを観て“うわー!”ってなったんですよ。その頃、スペシャとかではティンバランドとやってたミッシー(・エリオット)のPVとかもかかってたから、“こういうのがヒップホップなんだ……”みたいな感じで。(中略)あの頃はいろんな音楽がストリート系みたいな感じで括られてましたよね。だから俺もヒップホップだけを強く意識して聴いていたわけじゃなくて、ベックとかブラーとかも同時に聴いてました。当時スペシャでやってた『メガロマニアックス』って番組とか、TVK(テレビ神奈川)でやってた『ミュートマ』とかでかかってる音楽はなんかイケてる感じがしてて、そういうのを聴いてました」
彼もミクスチャー・ロックにハマってスペースシャワーTVをよく観ていたというが、彼は当時の同局が志向していたオルタナティヴ路線を自ら突き詰めていき現在のスタイルに辿り着き、Cherry BrownはMTVのカラーであるUS色に染まっていく。メディアの打ち出していた姿勢が、その後のミュージシャンたちにここまで色濃く表れるというのも興味深い。
「ライヴをやることになったのは、RICHEEさんと知り合いになったからです」
RICHEEとはCherry Brownが所属するJACK RABBITZのメンバーで、BIG RONの実弟でもある。
「RICHEEさんはもともとウエッサイの有名人で。それで僕が高校生の頃にバイトしてた居酒屋に飲みに来たんですよ。僕は人見知りなんで、面識のない人に自分から声をかけたりはしないんですが、このときは勇気を出して「僕、ラップやってるんです」って話しかけたんですよ。そしたら、「じゃあデモテープちょうだい」と言ってくれて。」
「RICHEEさんに渡したデモは何も考えないパーティ系の「盛り上がろうよ〜」みたいなラップでした。でもそれより前のいちばん最初は社会派だったんですよ(笑)。「戦争やめろー」とか言って。でもなんか違うなって気がしてきて、今度はいろんな人をディスしまくったんです。当然それもハマらなくて、自分がハマる感じを探して、いろいろやるうちにけっこう自然といまのスタイルになったんですよ」
■Soulja BoyとLil B
Cherry BrownはAKLOと同じくインターネットのミックステープのシーンから登場したアーティストだ。
「インターネットは高校生くらいから好きでずっとやってるんです。僕の制作環境がPCに移行するきっかけもじつはインターネット経由で。僕はメジャー・デビューする前からSoulja Boyが大好きで、彼のMyspaceプロフィールを細かくチェックしてたんです。そしたら、そこで“FL Studio”って言葉を見つけたんですよ。「なんだろうなー」と思って調べてみたらそれが作曲ソフトだということがわかったんです。当時の僕の制作環境はリズムマシーンとSP404というサンプラーだったんですけど、そこからPCで制作するようになりました」
Soulja BoyがCherry Brownに与えた影響は、もちろん機材だけではない。Cherry BrownはSoulja Boyからインターネットを活用したセルフ・プロモーションのメソッドも学んだという。
「インターネットの使い方はかなりお手本にしています。あの人はガンガン新曲作って、すぐにネットでフリー・ダウンロードできる形で公開してって感じでしたよね。自分も当時はそういうのをすごく意識してて、もういっぱい曲を作って、どんどん発表してくしかないって思ってました。そのイズムはいまもあって、作ったら気楽にポンって上げちゃうっすね。曲ができたら、すぐにみんなに聴いてもらいたいというのもあるし」
「あとはLil Bっすね。Myspaceのプロフィールを死ぬほど作ったり(※違法アップロードを繰り返してすぐに削除されてしまうため)、自分で工夫したネットのセルフ・プロモーションだけでどんどん知名度を広めていきましたからね。彼はめっちゃ頭いいアーティストだと思います。リリックも普通にすごいですから。しかも実際は超ラップうまいのに、あえてああいうショボい感じでやったりもして。でも話題が話題を呼んでじゃないっすけど、なんかクチコミでどんどん広まって“なんだ、こいつは?”的に広まってったみたいな。」
Cherry BrownがLil Bを意識して作った曲が“I’m 沢尻エリカ”だ。
Cherry Brown“I’m 沢尻エリカ [Prod.Lil'諭吉]”
ブログでは「ある日歯医者の帰りにその曲(「I’m Paris Hilton」)聴いてて、パリス・・・パリス・・・日本だったらエリカ様!って思いついて。とりあえずその日のうちにちゃちゃっとトラックと1ヴァースだけ書いて数日後に最後のヴァース書いて週末にレコした感じです。まぁ面白いからって感じで作ってみた。アメリカのLil Bが作ったパリスヒルトンに対して日本からちぇりーが沢尻エリカさんでアンサーだ的な感じかなww」
Cherry Brownは計算というより、本当にノリで楽しみながら活動しているのだろうが、Lil Bと同じく「めっちゃ頭いいアーティスト」であると言えるだろう。彼が優れているのはラップ・スキル、トラックメイキングのみならず、他の誰とも違うという点だ。日本はもちろん、世界を見渡してもCherry Brownと同じアーティストはいない。つねに自分に正直に、楽しいことを妥協なく追求した結果が、現在の彼のポジションを作り出している。
■Escapism
チェリー・ブラウン エスケーピズム ビクターエンタテインメント |
巻紗葉 街のものがたり―新世代ラッパーたちの証言 Pヴァイン |
彼のメジャー・デビュー・アルバムとなった『Escapism』。“現実逃避”と題された本作は、そんな彼のパーソナリティ、サウンド、ラップ・スキルが詰め込まれている。
「もともと別のインディ・レーベルからずいぶん前にリリースする予定だったんですよ。でも結局はその話が流れちゃって。だから今回のアルバムはコツコツとブラッシュ・アップできたという部分がありますね。最近は原点回帰じゃないですけど、また二次元がアツくて。アニメとか超観てるんですよ(笑)。『Angel Beats』というアニメがあるんですけど、そのオープニング(“My Soul Your Beats”)とエンディング曲(“Brave Song”)がいいんです。とくにエンディング曲が好き。そういうのとか、あとまたサウスをすごく聴いてたりしてて。そういう気分もアルバムにはすごく反映されてますね」
タイトルにはどんな意味があるのだろうか?
「最初のほうにも言ったけど、被害妄想が激しいところがあって。(精神的に)落ちるときはホントめっちゃくちゃ落ちるんですよ。アルバムの1曲めの“Loop”なんかは、まさにそういう曲。あぁ、またこの感じがきちゃったなぁって。そういうときにうわーって二次元とかに行っちゃうんですよ」
「確かに僕にとって音楽が現実逃避という部分はあると思います。音楽だったら普段できないことでもなんでもできちゃう。たとえば「C.H.T.」なんかは日本語ラップのシーンのことを歌っていて、僕がやっていることにああだこうだ言うやつとか、ちょっと名前が売れてきたらすり寄ってくるやつとかを全員ぶっ殺すみたいな感じなんです。こんなの実際は絶対にできないけど、音楽だったらできる。ライヴもそう。普段は人見知りで知らない人とは話せないようなやつだけど、ステージに立つとスイッチが入っちゃう」
Cherry Brown“Escapisms”抜粋
俺はムズカシイ事を考えるのはもう止めた
未来を心配するのも止めた 面倒な事は
美少女の笑顔の下に埋めた ごちゃごちゃうるさいよ俺の手は
お菓子で手一杯 好きな事を考えるので精一杯
今日からは楽しいことで目一杯
これまた偶然なのだが、PUNPEEも以前こんなふうに話している。
「俺は何も背負いたくない。ナイトオウルみたいに世界がどうとか考えてないんですよ。好きな人といっしょに世界の終わりとかも関係なく、楽しく生きていたい無責任な男なんです。たとえば“CHRONO TRIGGER”のサビは基本的にただの言い訳なんですよ。“こんなデカい時代の一部なら この際もう開き直っちゃえばいいじゃん”とか、超カッコつけた開き直り(笑)」
アーティストとは元来クリエイティヴのことだけを考えていれば良いのだろう。売り上げがどうした、セルフ・プロモーションがこうした、ヒップホップ・シーンがうんぬんかんぬん……。そういったことは彼らを支える人間が考えればいい。彼らはただただ絶対的な力を持った音楽を作り出すことに注力すればいい。たとえ彼らの作った曲が負から生まれたものだとしても、そこには僕らを笑顔してくれたり、スカッとさせてくれたりするエナジーが込められているのだから。