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Interview with Orbital

Interview with Orbital

「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」世代の帰還、またここに……

――オービタル、インタヴュー

野田 努    Mar 19,2012 UP

Orbital
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 いまでこそ日本でも「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」というタームは普通に使われているけれど、このムーヴメントを最初に紹介したのは何を隠そう、三田格だった。『remix』というクラブ雑誌があったが、同誌はアートの延長線上においてハウスを解釈した。社会的なムーヴメントとしてのレイヴ・カルチャー、すなわち「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」には触れなかった。
 『NME』というロック新聞はアシッド・ハウス・ムーヴメントを社会的な抵抗の文脈で紹介した。『i-D』というファッション誌はライフスタイル文化の延長で捉えた。よって1988年、前者はスマイリーを引きちぎる警官の写真を、後者は純粋にスマイリーそのものを表紙にした。とにかくまあ、大きなことが「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」という括りのなかで起きているというのに、それが日本で紹介されていないのもおかしな話だということで、1992年、『クラブ・ミュージックの文化誌』における三田格の原稿が日本では最初にがっつりと、「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」を紹介したものとなった。羽目を外して人生を台無しにした人が誰に苦情を言えばいいのか、もうおわかりだろう。
 
 オービタルのふたり――ポール&フィル・ハートノル兄弟は、「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」からやって来た。プロジェクトの名前は、レイヴが開かれていた場所から取られている。
 彼らの初期のヒット曲、"チャイム"や"ハルシオン"、"ラッシュ3"を特徴づけるのは美しい音色のシンセサイザーと催眠的でトランシーな曲調、ダンサーを彼方へと飛ばすドラッギーな展開にある。そして......こうした恐るべき現実逃避の文化を背景に持ちながら、他方でオービタルは1990年の初めての「トップ・オブ・ポップス」の出演の際、反人頭税のTシャツを着て登場している。人頭税とはマーガレット・サッチャー第三期政権のときに出された法案で、人の数だけ税を取るという、低所得で子だくさんの家庭には洒落にならないものだったが、この反対デモが90年代ロンドンの最初の暴動へと発展している(この暴動に参加した自分の写真をジャケットに使ったのがジュリアン・コープである)。
 
 新作『ウォンキー』はオービタルにとって8年ぶりの、そして8枚目のオリジナル・アルバムとなる。ダブステップ時代においてオービタルがアルバムを作るとどうなるのか、それが『ウォンキー』だ。手短に言えば"2012年にアップデートされたオービタル"、ゾラ・ジーザスも参加しているし、ベース・ミュージックからの影響も前向きに取り入れている。その屈託のなさ、トランシーなフィーリングは変わっていないと言えば変わっていない。モードが一周してしまったこの時代の、ストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズらに続く、「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」世代の帰還と言えよう。
 取材はポール・ハートノルが答えてくれた。

みんなが自分たちに何を期待してるかわからなかった。いざステージに立ってみると、18歳から20代前半のオーディエンスが多くてビックリした。「待てよ、君たちって、俺たちが活動をスタートしたときはまだ赤ん坊だったよな?」って感じだった(笑)。

実に久しぶりのアルバムですね。

ポール:だね。活動を休止したあと、俺たちはそれぞれ違うことをしようと決めたんだ。俺は旅に出ることにしてイギリスを出たんだけど、母親が癌になってしまって、医者から余命9ヶ月って言われたから、急遽戻らないといけなくなった......それで曲のライティングをはじめた。
 俺はずっとオーケストラをやってみたかったから、自分にそれができるかどうか試してみたくて。それから2、3年はソロ・アルバムを書いて、レコーディングをしていた。『ジ・アイディール・コンディション』(2007年)をね。ソロ・オーケストラや聖歌隊と一緒に仕事した。最高だったよ。オーケストラを9人に濃縮して作品を作ったんだけど、それがすごく面白かったから、続けようってことになった。本当に楽しい作業なんだよ。
 あとは、『トーメンティッド』っていうホラー・アルバムのスコアも書いたりもしてたな。音楽は全部エレクトロニック。それもすごく楽しかった。フィルはロング・レンジのアルバムを作ったり、DJしてたね。お互い、いろんなことを試してた。休止したとしても、俺たちが音楽をやめることはないんだよ。

その間、ライヴは積極的にやっていたのですか?

ポール:ギグは......何年かストップしてたんだよな......最後のギグはいつだったかな? たぶん2010年だったはず。そのあとは他のことをやってたから。それまではいくつかギグをやってたよ。プラハでもやったし、〈ビッグ・チル〉(UKでもっとも評価の高いテクノ系のフェスティヴァル)でもやった。
 クリスマス休暇が終わって、去年の1月に小さなスタジオを借りてレコーディングをはじめた。お気に入りのシンセと機材を使ってレコーディングしたんだ。新しい部屋に新しい場所、新しいアイディア......新鮮ですごく良かった。自分たちがライヴ・セットで聴きたいもの、プレイしたいものを考えながら作った。いままでのライヴに何が欠けてたとかね。自然とそのアイディアで構想がどんどんできていった。

いまではセカンド・サマー・オブ・ラヴ以降に生まれたキッズもオービタルのライヴに踊りに来るわけですよね。

ポール:そうそう、来るんだよね。素晴らしいことだよ。本当にラッキーだと思う。そのポジションにまだいれるなんてさ(笑)。〈ビッグ・チル〉の前にプラハのにフェスに出演したんだけど、オーディエンスが自分たちに何を期待してるかわからなかった。普段のオービタルのショーでいいのかな? と思っていたけど、いざステージに立ってみると、18歳から20代前半のオーディエンスが多くてビックリした。他のフェスでもそんな若い彼らが俺たちのショーを気に入ってくれてて......、で、「待てよ、君たちって、俺たちが活動をスタートしたときはまだ赤ん坊だったよな?」って感じだった(笑)。
 いまだにそういうポジションにいて、彼らをエンターテインできるなんて最高だよね。変な感じもするけど。いまは年齢や年代が関係なくなってるんだろうね。前みたいに世代が関係しなくなってる。デジタルのおかげかもしれないね。iTunesとかiPodとか、ああいうのがあれば、例えばロックンロールの歴史をすべて持ち歩けるわけだろ? 自分が好きなものを、どこでも簡単にきける時代だからね。

8年ぶりの新作となるわけですが、新作を作ろうと思い立ったきっかけは、そうしたライヴからの刺激ですか?

ポール:ツアーをやりはじめて1年経って、で、2年目に突入したとき、こんなにライヴが続くなんて考えもしてなかったんだ。2、3回やって終わりだと思ってたのに、オーストラリアでまでライヴをやって、で、勢いが止まることがなかった。それで、自分たちが活動をエンジョイしてることに気づいたんだ。そのフィーリングを壊したくなくて、続けなくてはと思った。ただ続けるだけじゃなくて、ちゃんとしたものにしたかったから、ライヴに何か新しいものを入れたくなって、それで2、3トラック作ることにしたんだ。
 2010年にそれをスタートしたんだけど、トラックを作ってるうちにアルバムを作ろうってことになった。2011年の1月から本格的にスタートさせた。ライヴを続けたいって気持ちがアルバム制作につながったんだね。曲を書くのも好きだけど、ライヴも楽しいパートのひとつだからね。

取材:野田 努(2012年3月19日)

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