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interview with Kazumi Nikaido

interview with Kazumi Nikaido

歌が聞こえる

──二階堂和美、インタヴュー

水越真紀    写真:小原泰広   Dec 28,2013 UP

言葉に関しては別のきっかけもありました。テレビの歌謡ショーをみていると、やたらと懐メロが多い。懐メロとかカヴァーとか。それに非常に頭に来たんです。プロの歌手や作詞家、作曲家が新曲を生み出さないで、ありものを利用して何やってんだ、とすごく腹が立って(笑)。

■「気づいたような気になって 案外それも的外れ」っていうのは、東京であのままやっていたら絶対に出来なかった歌詞じゃないかと思うんですが。

二階堂:ええ、できなかったです。本当に『にじみ』の曲たちは、地域で「コンチクショウ」って思いながら暮らしていないと出来なかったと思います。ほとんど愚痴なんですね。愚痴を笑い飛ばそうとしたり…

■まさに「どうにもならない」ことばかりで。

二階堂:ええ(笑)。それをどうにか、はけ口を作るというか。

■こうした歌詞には仏教で勉強したことも影響していると…

二階堂:ええ、それもあると思います。やっぱりお寺でひとりの僧侶としてお参りに行ったり葬儀に行ったりして、地元の人からはそういうふうにもみられているわけです。自分でも、せっかくやるんだったら嫌々ではなく、ちゃんと肯定的にやりたいなあと思って歩み寄って行っていると思うんです。

■いわゆる”メッセージソング”ではないんですけど、なんというか、メッセージのようなものがあるんですよね。

二階堂:ええ。たぶん仏教の法話と同じことを言っていると思います。

■仏教の、ものの捉え方というのは、日本人の暮らしの中にけっこうあるんじゃないかと思うんです。でもそれが現実に言われる場面というのは、例えば人に諦めさせるために使われたりとか、諦めるために呟かれたりすることも多いように思うんですが、二階堂さんの歌の仏教的な部分にはそうは感じないんですね。「どうにもならない」と言いながら、無力感に押しつぶされるのではない。

二階堂:そうなんですよね。仏教もたぶん、諦めさせるために言っているわけではなくて、前向きに生きてもらうというか、それを受け入れて進むとすごく強いんですよね。

■ええ。それから例えば、協調性を押し付けられる時につかわれたり……

二階堂:なるほど。

■でもそれとも違っていて、”我”の出てきてしまうところというのかなあ、単に揉めないための協調という意味での協調性を賞賛していない感じ。

二階堂:ああ、ありがとうございます。そういうふうにとらえていただけてるとすごく嬉しいですね。

■「負けず嫌い」そのものではないけれど、その辺から出ているものが感じられるからかもしれませんが。

二階堂:そうですね。受け入れるふりをしながら抵抗しているというか。

■私が会っていなかった間の二階堂さんの人生は、私にはあらすじしかわからないけれど、「いろいろあったんだなあ」と想像できる。“大変な人生”かどうかはわからないけど、”いろいろあった”ということだろうなあと。

二階堂:ええ、ははは。結構いろいろ、ありました(笑)。

■“歌はいらない”という曲は2011年の地震の前に作られたと思うんですが、地震のあと、音楽を聴くのがつらい、聴きたいと思わないという人がとても多かったんですよね。私もそうだったんですが、しばらく経ってこの歌を聴いた時、ぼんやりと無防備な気持ちで聴けたんですね。歌い方がそうさせてくれたんじゃないかと思えるんですが、うまく言えないんですが、歌い方と歌われている生活のていねいさというか……。

二階堂:ていねいと言ってもらえると嬉しいですね。本当に細かーいこだわり、一緒に録音してくださるスタッフさんにも、分かってくださる方もいますが、分からないくらいの些細な違いで、OKとかなしとか言ってるんですが、ていねいというか、こだわりすぎるところもあるんです。

■“お別れの時”なども、シンプルな歌だし、歌詞の言葉数も少ないですが、声のひとつひとつによって描かれる細密画のような歌だなあと感じますね。

二階堂:それは嬉しいですね。ありがとうございます。あれは友だちの死があって作った曲でもあるんです。

■「自分の言葉を歌いたい」と思ってからは、言葉はどんどん出てきたようですね。

二階堂:まあ、溢れるようではないんですけど

■『にじみ』ですね。

二階堂:ええ(笑)。じわーっとですよね。大半の曲は半年くらいの間にパーって作った。“あなたと歩くの”や“めざめの歌”なんかは少し前に作ったんですけど、あとはどさどさどさっと、一気に「出した」という感じで。言葉もそうなんですけど、サウンドもバンドみたいな感じですね。ひとりひとりに声をかけたんですよ、ピアノはこの人とやりたい、ベースはこの人と、スチールバンはこの人と…と。それが結果的にバンドのようになってくれて、私が「新しい曲出来た」って言うと、「これはこの編成がいいじゃない」みたいに言ってくれて、前奏のアレンジなんかもみんながいろいろ考えてくれた。
 前の『二階堂和美のアルバム』の時は「この曲はこの人に」というふうに別々に頼んでやっていたんですが、『にじみ』はアルバム全部をみんなで作ったということで、統一感もあります。バラエティに富んだ、というか、ばらつきのある曲なのに統一感があるのは、詩の世界だけでもなくて音のまとまりもあるのかなあと。「この人たちとずっとやりたい」と思う人たちに出会えた。そういうタイミングが全部合ったのがこのアルバムだったと思います。

■なるほど。たしかにそうですね。でも前にやっていた時には、「いろんなことをする」楽しさもあったわけですよね。

二階堂:そうですね。あの時にいろいろやらせてもらってたから壁にもぶつかれたんだと思うし。そういう意味では後悔はいっぱいあるけど、無駄ではなかった。

■その頃は自分の言葉を歌いたいとは思わなかったんですか?

二階堂:そうなんですよ。

■高校時代からバンドをやっていたんですよね。

二階堂:ええ、コピーバンドを。

■しかもロックの。

二階堂:ハードロック・バンドのヴォーカルに誘ってもらったんで始めただけだったんで、別にロックが好きだったわけではなかったんです。

■ガンズ・アンド・ローゼスとかブラック・サバスとか。いま思うとそれもすごい経験でしたよね。

二階堂:なんでもよかったんですよ。バンドというものに憧れはあって、ドラムもやりたいなとかも思ってたんですけど、ほんとに全然、ハードロックもロックも知らなかったんですけど、それで気持ちよさを知ってしまったんでしょうね。あんまりほかに取り柄がなかったけど、歌を歌った時だけちやほやされたから、ああ、これやればちやほやされるんだなと。不純な動機ですけど。

■いやあ、バンドマンはたいがいそうそうじゃない?

二階堂:そうですね。で、自分の言葉なんか最初は全然なくて、例えば松田聖子さんの歌を松本隆さんと細野晴臣さんが作るとか、もっと昔でも坂本九さんの歌を中村八代さんと永六輔さんが作るとか、そういうのに憧れがあったので、シンガーソングライターとかフォーク・シンガーになりたいというのはなかったんです。でもチームでそういうふうにやるというのを、現代ではどうやったら出来るのかがわからなくて。とりあえずそういう人に巡り会うまではしょうがないのでひとりで作ったりしてたんです。どこに行ったら作詞家に会えるんだろう? と、わからないまま上京してきた。そういう話をイルリメくんに言ったら、じゃあ僕が作りましょうということで、『二階堂和美のアルバム』ができた。
 もともと彼の“今日を問う”という曲が、早口でまくしたてる笠置シヅ子さんの“買い物ブギ”みたいで面白いと思ってカヴァーしていたんです。それであんなのが出来ると思っていたら、ラヴソングとかゆったりした曲ばかり来たんでびっくりしたんです(笑)。私に合う曲というのでそういうのを作ってきてくれたんですね。
 そうやって憧れていたチームプレイをやれたのはすごく嬉しかったです。これから歌手って言っていくぞ、って。でも現実問題、ライヴでいつもミュージシャンを大勢集められるわけでもないのでひとりで弾き語りでやっていたら、やっぱりシンガーソングライターにみられるわけで……

■それで最初の話とつながるわけですね。

二階堂:ええ。それで『にじみ』を出せた今ようやく、シンガーソングライターと言われてもいいかと思えるようになったんです。

■チームプレイにしてもシンガーソングライターにしても、そういう”やり方”から自分で考えて作らなければなければならなかったことは大変でもあったでしょうけど、達成感はあるんじゃないですか。

二階堂:そうですね。最初は自己満足のような感じで『にじみ』を作りはじめたんですけど、録り終えた時に震災が起きて、改めて聴いてみたら、いまこれらの曲を聴いてもらうことで誰かを慰めることができるんじゃないかと思えたんです。だから出した。その辺から自覚的になってきました。逆にそういうことが出来なければやっていく意味はないと思ったんです。昔のふわっとしていた頃の方が好きだったという声も聞かないわけではないんですけど、でもいまはそういうふうに自覚的になっちゃってるんで……。
 まあでも、テニスコーツのさやちゃんとやる時のように、ふわっと音楽に身を任せるのももちろん好きなんですけど。

■”いろいろあった”んだろうというのは、自分の意志ではなく、変更したり、コトが起きたり、引き止められたりすることが”いろいろあった”ろうと想像するんですが、人生はそういうものだと思いながらも、若い時は特にそういうことはなかなか受け入れられないと思うんです。“いろいろやる”とは違う、“いろいろある”ことというのは。ことに東京という場所は、そういうことを受け入れるのが難しい場所かもしれないとも思うし。

二階堂:ええ、そうかもしれない。でもだから震災の時も迷わなかったんだと思うんです。あのことで音楽を作れなくなったという話を聞いても意味が分からなかったくらいで。

取材・文:水越真紀(2013年12月28日)

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Profile

水越真紀水越真紀/Maki Mizukoshi
1962年、東京都生まれ。ライター。編集者。RCサクセション『遊びじゃないんだっ!』、忌野清志郎『生卵』など編集。野田努編『クラブミュージックの文化誌』などに執筆。

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