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なぜニュー・オーダーなのかと言われたらわからないけど、みんな精神的な繫がりを感じているようだ。ぼくたちの音楽は凄くエモーショナルだから、人生で何か困難に直面したとき、ぼくたちの音楽に気持ちの慰めを見出すことができるのかもしれない。あと、人を惹き付ける物語がこのバンドにはある。
New Order Music Complete [ボーナストラック収録 /大判ステッカー付 国内盤] Mute/トラフィック |
新作はダンス・アルバムであり、エレクトロニック・サウンドに戻っているという前評判を耳に入れて、いざシングル曲“レストレス”を聴いたら、どこがダンスでエレクトロニックなんだよと思ったコアファンもいるかもしれない。しかしご安心を。“レストレス”はアルバムの1曲目だが、2曲目以降にはそれが待っている。“ブルー・マンデー”から『リパブリック』までのニュー・オーダーを特徴付けるエレクトロニック・サウンドは引き継がれ、ある意味アップデートされている。
ちなみに、“レストレス”のシングル盤のリミキサーはアンドリュー・ウェザオール。ファンはここで名曲“リグレット”を思い出すだろう。あの切ないメロディとエレクトロニックのマンチェスター的折衷……これ、これ、そう、これだよ、俺たちのニュー・オーダーが帰ってきたのだ。
ジョイ・ディヴィジョンの最初の2枚、いや3枚、まあ……3枚の重要なシングル盤を加えると6枚……は、いま聴いても、リスナーが「重荷を背負った若者」ではなくなっても、あらためて歴史を切り拓いた音楽だったと思う。本当に、よくもまあこんな作品をあのセックス・ピストルズとあのザ・クラッシュの後に作れたものだ。社会や政治というよりは内面という曲の主題(彼らが社会や政治に無関心だったわけではないが、作品にはパンクにはなかった深い内省があった)、そしてその革新的音響(マーティン・ハネットの天才的録音)、ピーター・サヴィルの革命的アートワーク(ジャケの紙質までこだわっていた)、それらすべてをひっくるめて永遠のクラシックだ。『アンノウン・プレジャーズ』のアートワークがインディ・ロック・Tシャツにおける最高の地位になっていることに異論もない。
で、ニュー・オーダーとは、その永遠のクラシックを作った後の、当時のロックのセオリーで言えば中心人物を失った後の、10番のいないサッカーチーム、4番バッターとエースのいない野球チーム……みたいなものだったが、それでも世界レベルで最高の結果を残すチームになりえた。作る曲すなわち作品でもって常識をひっくり返し、そして、そのとき、おいてけぼりにされた若者の内面はダンスへと向かったのである(しかも作品によっては、あの頃のぼくたちからもっとも遠かった太陽と海へと、そう、向かってしまったのである)。
そんなことをつらつらと思えば、バーナード・サムナーの自伝『ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、そしてぼく』に記されているように、たしかにぼくたちの人生はニュー・オーダーとともにあったのだろう。初めて『ムーヴメント』に針を下ろしたときのこと、“ブルー・マンデー”に心底震えた夜、耳にたこができるほどあらゆる場所で聴かされた“ビザール・ラヴ・トライアングル”や“パーフェクト・キッス”、あるいは“ワールド・イン・モーション”や“ラウンド・アンド・ラウンド”のリミックスEP、そして異性(同性)と別れ出会う度に聴かなければならない“リグレット”……、その他いろいろ、ぼくたちはニュー・オーダーの切ない歌とエレクトロニックな楽曲の向こうにそれぞれの時代を思い出す。
ほがらかなメロディの“ラヴ・ヴィジランティス”は、NYエレクトロを思い切り吸収した『ロウ・ライフ』のオープニング曲で、クラブ・サウンドを我がモノとしながらアルバムはしかし古風にはじまるというひねくれ方は、なるほど、いかにも英国風と言えるだろう。新作『ミュージック・コンプリート』にもそれは引き継がれている。
ちなみに『ミュージック・コンプリート』のバッキング・コラースには、インディ・ロック・ファンにはお馴染みのデニス・ジョンソン(プライマルの“ドント・ファイト・イット〜”の人です)が参加しているが、ラ・ルーも歌っている。たしかに新作には、イタロ・ディスコ(コズミック)めいた箇所がいくつかある。バーナード・サムナーのドナー・サマー趣味がここにきて噴出したのかもしれない。ほかに話題としては、ケミカル・ブラザースのトム・ローランズが3曲参加していること、イアン・カーティスのヒーローだったイギー・ポップが1曲参加していることも挙げられる。
ニュー・オーダーは、いくつかの困難を乗り越えてここまで来ている。彼らの人生から滲み出るものが、ニュー・オーダーの背後にはある。それは泥臭さである。電子機材が普及してからの華麗なるモダンデイ・ポップ・ミュージックの先駆けだが、その音楽には普遍的なエモーションがあり、だからこんなにも多くの人から、世界中の人たちから、そして新たにまた、内面が敏感な世代から愛され続けているのだろう。
『ミュージック・コンプリート』は、ピーター・フック脱退後の、新生ニュー・オーダーの最初のアルバムだ。しかも〈ミュート〉からのリリース。例によってバンド名もタイトルも記さないピーター・サヴィルのアートワークにも、思わずニヤっとしてしまう。
ニュー・オーダーが最初に輝いた10年はサッチャー政権時代であり、それを思えば『アンノウン・プレジャーズ』のTシャツは巷でさらに増殖するかもしれない。まあニュー・オーダーに限らずだが、昨年のモリッシー、先日アルバムを出したPiLなど、あの時代のUKのミュージシャンたち、いい歳した連中は、いまもなおエネルギッシュで、しかも新たな輝きを見せはじめている。さまざまな話題性を含めて、今回は注目の新作なのである。
ダンス・ミュージックをやっているけど、いまどんなサウンドが流行っている、といったことは一切考えずに作った。自分たち独自のことをやった。ダンス・ミュージックが一時期から細分化され過ぎて、作っていて拘束着を着せられているように感じた。「このジャンルはこのサウンドでこのビートじゃなきゃ駄目」といった縛りが多すぎるって。
■実はあなたの自伝をライセンスして、ニュー・オーダーの新作のリリースに合わせて刊行する予定でいます。そもそも自叙伝を書かれた理由は何だったのでしょうか?
バーナード・サムナー(BS):自伝のなかでは、まさにそこのところも語っている。ぼくの音楽はぼくがこれまで生きてきた人生がもとになっている。子供時代、そして青春時代の経験や記憶だ。それはジョイ・ディヴィジョンにおけるぼくの音楽的貢献にも間違いなく繫がっている。ぼくが子供時代、そして十代を過ごした環境の雰囲気が表れている。自分に「音楽を作りたい」と思わせてくれた、自分の原点だ。
それとは別に、新しい音楽との出会いについても触れている。ぼくが15歳、16歳のときに影響を受けた音楽について語っている。あとマンチェスターについても語っている。マンチェスターで生まれ育つのがどういう感じか、という。正確にはサルフォードという街でぼくは育ったんだ。サルフォードというのはマンチェスターに隣接した街で、マンチェスターから西に向かって進むといつの間にかサルフォードに入っている。マンチェスター首都圏のなかでもとくに工場が密集した工場地帯だ。そういう街でぼくは育った。それが後に自分の音楽にどう影響したかということを自伝のなかで語っている。
■わかりました。さて、『ミュージック・コンプリート』は、大雑把に言って、ニュー・オーダーとはこういうバンドなんだという、自己確認するアルバムであり、原点回帰的なところもあるアルバムだと感じました。つまり、ニュー・オーダーらしいニュー・オーダーのアルバム、最初に聴いた瞬間に、「あ、ニュー・オーダー」と思うしかないアルバムというか。いかがでしょうか?
BS:ありがとう。
■あなた個人にとって「ニュー・オーダーらしさ」とは何だと思いますか?
BS:……。何だろう。ファンの人たちに訊いたほうが上手く答えられるんじゃないかな。ライヴの後、ファンの人たちと会場の外やホテルで会ってサインとかする際によく言われるのは、「貴方の音楽と出会って人生が変わりました」、または「貴方の音楽は自分の人生を彩るサントラです」だ。彼らの心に深く刺さっているのがわかる。なぜニュー・オーダーなのかと言われたらわからないけど、みんな精神的な繫がりを感じているようだ。ぼくたちの音楽は凄くエモーショナルだから、人生で何か困難に直面したとき、ぼくたちの音楽に気持ちの慰めを見出すことができるのかもしれない。それがひとつある。
あと、人を惹き付ける物語がこのバンドにはある。イアン・カーティスのこともそうだし、イギリスにおけるインディ・レーベルの台頭に大きく関わっていたことも大きい。〈ファクトリー・レコード〉の物語をひとつとっても面白い。すでに2本の映画が作られたくらいだ。〈ファクトリー・レコード〉のトニー・ウィルソンの生き様を描いた『24アワー・パーティ・ピープル』とイアン・カーティスの生き様を描いた『コントロール』だ。こうやって2本の映画ができるほどの興味深い歴史があるということも人びとがニュー・オーダーに惹かれ、共感し、そこに慰めを見出す所以なんじゃないかな。
■ピーター・フックが脱退したとき、バンドは事実上解散したと思いますし、あなた自身にも再結成するプランはなかったと思います。しかも、バンドにとってベースラインはトレードマークでした。それがどうして、このように新しいアルバムを完成させ、発表するまでになったのでしょうか?
BS:まず……、彼不在でライヴを幾つもやるところからはじめた。その前にはっきりさせておきたいんだけど、彼はバンドを自ら辞めたのであって、決してぼくたちがクビにしたわけじゃない、ということ。
■(笑)。
BS:そのことで彼にはずっと文句を言われっぱなしだからね。
■そもそも彼はなぜ脱退をしたのでしょうか?
BS:もうやってられない、と思ったのだろう。おそらくぼくと彼が性格的にそりが合わなかったことが要因だった。彼はかなり対抗心を燃やしてくる性格で、でもぼくはそうじゃない。むしろ、そういうのが苦手だった。だって、同じチームなんだから、同じ目標に向かってみんなで力を合わせて頑張るのが当たり前だと思っていた。でも、同じチーム内で自分に対して対抗心を燃やしてくる人がいたら、それはチームにとっても良くないと思ったし、ぼくとしてもすごく嫌だった。
それと、彼がぼくにやって欲しいと思っていたことをぼくがやらなかった、というのもあったと思う。彼は常時ツアーに出たいと思っていた。でもぼくはまだ幼い子供もいて、家族と離れるのが嫌だった。バンドに対して決してめちゃくちゃなことを要求しているは思わない。でも彼はそれが気に入らなかった。ぼくと彼は全く違うタイプの人間だったということに尽きると思う。考え方も懸け離れていた。それが限界に達していたのだろう。彼もぼくにうんざりしていたし、ぼくも彼にうんざりしていた。
彼は、ぼくだけじゃなく、みんなを自分の思い通りにしたかったんだと思う。いまは自分のバンド、フリーベースでそれができるようになった。他のメンバーはおそらく彼の言う通りに動いてくれるのだろう。でもニュー・オーダーでそれをやろうと思っても無理だ。
■そこからどうやって、彼抜きでニュー・オーダーを続け、このように新しいアルバムを完成させ、発表するまでになったのでしょうか?
BS:彼不在でライヴをやりはじめた頃は、正直多少の不安もあった。しかも彼はプレスに対して「俺抜きでは絶対に上手くいかない」と言い張ったんだ。「自分がいないニュー・オーダーはフレディ・マーキュリーのいないクイーンのようだ」ってね(笑)。「やったところで大失敗するだけだ」って。
つまり、「俺は去るけど、せいぜいみんなで失敗すればいい」というのが彼の態度だった。「俺抜きで続けるなんて不可能だ」ってね。だから最初は多少の不安もあった。人びとがどう反応するかわからなかったから。でも、いざライヴをやってみると観客の反応は素晴らしく、世界各国で最高のライヴをいくつもおこなうことができた。新作の制作に取りかかるためにスタジオに入った頃には、すでに3年半ライヴをやってきていたから、彼がいないことに慣れていた。だから全く問題にはならなかったよ。
取材:野田努(2015年9月14日)
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