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interview with J. Lamotta Suzume

interview with J. Lamotta Suzume

自由であるためのレッスン

──J・ラモッタ・すずめ、インタヴュー

質問・文:小熊俊哉    通訳:青木絵美 photo: Agnesa Shmudke   Mar 29,2019 UP

 リリースから1ヶ月が経とうとしているが、J・ラモッタ・すずめのニュー・アルバム『すずめ』に対する評判がすこぶるいい。街中やラジオでふと流れてきたりすると、ゆっくり浸りたくなる心地よさがある。J・ディラ譲りのビートメイクを生のバンド演奏に置き換え、エリカ・バドゥが引き合いに出される声で可憐に歌うスタイルは、ここ数年のソウル/R&Bにおけるトレンド(いわゆる「Quiet Wave」)を反映したものだ。しかし、彼女のサウンドは作為的なものよりも、ナチュラルで風通しのよいムードのほうが遥かに際立っていて、クリエイティヴの自由を謳歌しているのが伝わってくる。

 彼女が体現する自由のバックグラウンドには、様々なカルチャーが交錯している。もともとイスラエル出身で、現在はベルリンを拠点に活動中。自身のバンドにはデンマークやエジプトの出身者も参加し、アメリカのビート・ミュージック界隈とも接点を持つ。そして、アーティスト名は日本語の「すずめ」。昨年の来日公演も好評だったチャーミングな逸材は、同じくイスラエル出身/ベルリン育ちのバターリング・トリオと同じように、持ち前の多様性でもってソウルの新たな潮流を示す存在となっていくだろう。

 この後に続くインタヴューの質問作成にあたって、TAMTAMのジャケット・デザインなどで知られる川井田好應さんにアドバイスしてもらった。彼はJ・ラモッタが「すずめ」を名乗るきっかけを与えた人物。「Yoshiとはベルリンで偶然知り合って、とても良い友人関係を築くことができた。初めてのEP(2015年作「Dedicated To」)のアートワークを手がけてくれたりね。そして私は、日本の子守唄をサンプルした“Yoshitaka”という曲を書いて、彼にプレゼントしたの。(今回のアルバムの)日本盤ボーナストラックになっているわ」と彼女は語っている。出会いは人生を豊かにさせるし、自分の生き方は必ず自分自身に跳ね返ってくるというのが、彼女の話を聞くとよくわかるはずだ。


学校は、自立してやっていける方法を教えることはできない。私は芸術学校に対して批判したいことが結構ある。あそこで学べることはたくさんあるけれど、その反面、洗脳している部分も多いと思う。

まずは音楽的ルーツの話から聞かせてください。イスラエルの伝統音楽に幼い頃から慣れ親しんできたと思いますが、どういったものをよく聴いていましたか?

すずめ:イスラエルはいろいろな国の人たちが集まってできた国だから、本当に多文化なの。イスラエルに住んでいる人は、70年前かそれよりもあとに、他の国から移ってきた人たちよ。私の家族は1960年代にモロッコから来たわ。だから、イスラエル音楽だと思っていたものでも、ヨーロッパだとか北アフリカのサウンドの影響を受けているのよ。私は幼い頃から、西洋の音楽に慣れ親しんできたわ。アメリカ発祥の音楽が大半だったけど、アフリカの音楽も聴いていた。だから幼い頃から聴いてきたイスラエルの音楽というのは特にないわね。私は人生のほとんどの間、ジャズを聴いてきたの。

ジャズとの出会いについても知りたいです。

すずめ:ジャズは深い愛情のようであり、私にとって故郷のような存在なの。初めてジョン・コルトレーンを聴いたときの衝撃は忘れられない。ジャズはアティテュードなの。それが私のバックグラウンドにあって、この音楽が自分の人生にあることを本当に感謝しているわ。自分にとっていちばん大きな学びを与えてくれたものだから。

テルアビブにいた頃には、ジャズ・スクールにも通っていたんですよね?

すずめ:ええ。学校へ通って、ビバップやスウィング、ハードバップなどいろいろなスタイルを学び、自分でもそれを生み出そうとした。音楽の道を歩みはじめた頃はブルーズの曲をよく歌っていたんだけど、その後、ジャズに出会ったときは衝撃的だった。こんなにもディープなんだと驚いたわ。
 ただ一方で、学校はツールを与えてくれることはできるけれど、私がミュージシャンになる方法は教えてくれないということに、ある時点で気づいたの。学校は、自立してやっていける方法を教えることはできない。私は芸術学校に対して批判したいことが結構ある。あそこで学べることはたくさんあるけれど、その反面、洗脳している部分も多いと思うわ。例えば、ジャズがどういうサウンドであるべきか、という昔からの考え方というのが根強くあって、そういうことを学校では教えている。それはある種の洗脳だと思うのよ。そういう伝統的な考え方から解放されるのには時間がかかるの。

なるほど。

すずめ:ジャズはその時代、その瞬間を反映している音楽だと思う。かつてのジャズには、アフリカ系アメリカ人のムーヴメントが反映されていた。ジャズはそういうものの象徴だった。でも現代の状況は当時のそれとは違う。だから当時のジャズを存続させることはできない。私たちアーティストは自由であるべきで、自分たちのフィーリングに従って創造するべきなのよ。その瞬間を大切にし、自分の現実や状況を理解しながらクリエイトするべきなの。私は枠にはめられたくない。自分のことはジャズ・ミュージシャンだと思っているけれど、当時のジャズのような音楽は作っていない。だって現代のジャズは当時のジャズとは違うものだから。
 だから 学校で芸術を学ぶことについては、デリケートな問題があると思う。私はいつか、そういう学校の先生になりたい。そして生徒に、自由について教え、自由になる機会を与えてあげたい。スタイルやルールを教えるのではなくて、「ルールなんてない」ということを教えていきたい。そういうことをよく考えているわ。

ジャズはその時代、その瞬間を反映している音楽だと思う。かつてのジャズには、アフリカ系アメリカ人のムーヴメントが反映されていた。自分のことはジャズ・ミュージシャンだと思っているけれど、当時のジャズのような音楽は作っていない。だって現代のジャズは当時のジャズとは違うものだから。

テルアビブでは〈Stones Throw〉や〈Brainfeeder〉といった、LAのビート・ミュージックやヒップホップが流行っていたそうですね。

すずめ:テルアビブとLAのビート・ミュージックには確かにコネクションがあるわ。テルアビブにもLAみたいに、夏のビーチや温かいヴァイブスといったアティテュードがあるから、音楽の感じも共通しているんだと思う。

あなた自身、J・ディラからの影響はかなり大きいらしいですね。彼の音楽とはどのように出会ったんですか?

すずめ:私がベルリンに移ったとき。2014年の春くらいかな。当時、私はジャズの勉学に励んでいて、ひとつのジャンルの音楽しか聴かないような、典型的な音楽学校生だった。ミュージシャンとしてのスキルを磨くために、宿題や課題ばかりやっていた。まるでジャズ以外の音楽は存在していないかのように、1930~50年代のジャズしか聴いてこなかった。ベルリンに移住してからやっと気づいたの、聴くべき音楽は本当にたくさんあると。そのときにJ・ディラの音楽を友達から教えてもらって、「一体、私はいままでどこにいたんだろう?」と思ったわ。J・ディラの音楽を知ってから、私の世界は全く変わってしまったの。

「About Love」というトリビュート企画をはじめたきっかけは?

すずめ:「About Love」はもともと、遊び半分のジャム・セッションとしてスタートしたの。毎年恒例のトリビュートにするつもりはなかったわ。J・ディラの音楽でジャム・セッションをやることが多くて、彼の誕生日(2月7日)の少し前に、いままでやったセッションをまとめてみようと思った。それを友達に聴かせたら、「ディラの誕生日の前に、それをリリースして彼に捧げるべきだよ」と言ってくれたの。それでリリースしてみたら、たくさんの人から温かいフィードバックをもらった。J・ディラのビートに対する私なりの解釈を聴くのが面白いって。だから彼の誕生日が近くなると、「もう一度セッションをやろう!」という流れになって毎年やるようになったのよ。

J・ディラのアルバムで、特に影響を受けた作品をひとつ挙げるなら?

すずめ:『Vol.2: Vintage』ね。このアルバムは何度も聴いたわ。彼のインストゥルメンタルの作品が大好きなの。

あなたはイラ・J(J・ディラの弟)とも交流していますし、あなたが住むベルリンの家に、ギルティ・シンプソンやファット・キャットが遊びにきたこともあったそうですね。

すずめ:イラとはベルリンで何度か会っているわ。「About Love」のアートワークは私が作ったコラージュで、イラと彼の母親にプレゼントしたものなの。彼らとハングアウトできたのは最高にクールだったわ。ギルティ・シンプソンは、友達に頼まれて私がインタヴューしたのよね。彼にいろいろな質問ができてとても楽しかった。音楽でコラボレーションすることはまだ実現していないけど、私は彼らの活動をサポートしているし、彼らの作る音楽は素晴らしいと思う。他にもLAのアーティストで強いインスピレーションを感じる人たちはいるから、そういう人たちともコラボレーションできれば嬉しい。例えば、MNDSGN(マインドデザイン)は特に影響を受けているアーティストよ。

すずめさんも含めて、ソウルやヒップホップをルーツに持ち、いろんなサウンドを融合させたミュージシャンがここ数年増えていますよね。そのなかで特にシンパシーを抱いている人は?

すずめ:たくさんいるわ。ここ数日間はソランジュの新しいアルバムをよく聴いていた。ものすごく興味深い作品だし、彼女の選択をリスペクトしている。アンダーグラウンドで、アヴァンギャルドで、実験的な、予想外れの、アトモスフェリックなサウンドを今回の作品で表現してきたのよ。あのアルバムは本当に美しいと思ったし、強いシンパシーを感じたわ。
 数ヶ月前は、ティアナ・テイラーのアルバムをよく聴いていた。カニエ・ウェストがプロデュースしていて、オートチューンを使っているのも関係あるかもしれないけど、サウンドがとてもいまっぽいというか新しいの。彼女のアティテュードやフロウ、ビート、そして作り出す雰囲気が大好き。
 それからネイ・パームもすごく好き。彼女にも強いインスピレーションを受けるわ。彼女の音楽には真実味があるし、自分のスタイルに忠実でいる。オーストラリアでライヴを観たんだけど、彼女が歌って、楽器を演奏するのは圧巻だった。

ベルリンの国際的な環境が、あなたの音楽に与えた影響は大きいと思います。どんなところに刺激されてきましたか?

すずめ:ベルリンは世界中からアーティストが集まっているから、アートをやる人にとっては本当に良いところよ。多国籍で多文化なところが、私がベルリンを好きな第一の理由ね。私には日本人、イラン人、パレスチナ人の友達がいるし、私のバンドにはデンマーク人やエジプト人のメンバーがいる。それって素晴らしいことよね。母国の言語ではなく、音楽という言語で繋がっている感覚が好きなの。地元のテルアビブでは同じようにいかないから。イスラエルを訪ねて来る外国人とは遊んだりするかもしれないけれど、音楽を作るとなれば、おそらくイスラエル人だけで集まってヘブライ語の曲を作っていると思うから。
 第二の理由は物価ね。昔からベルリン在住の人たちはどんどん高くなっていると言っているし、私もそう思うけれど、まだ手に届く範囲だと思う。もしテルアビブにいたら、朝から晩まで毎日働いて、生活費を補わないといけないだろうから。そうすると音楽制作する時間があまりなくなってしまう。ベルリンではその心配がないの。アメリカに行くことも考えたけれど、ニューヨークへ渡ってもテルアビブと似たような感じで、お金のために働いてばかりの生活になっていたと思う。

質問・文:小熊俊哉(2019年3月29日)

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Profile

小熊俊哉/Toshiya Oguma小熊俊哉/Toshiya Oguma
1986年新潟県生まれ。ライター、編集者。洋楽誌『クロスビート』、タワーレコードの音楽サイト『Mikiki』編集部を経て現在はフリー。編書に『Jazz The New Chapter』『クワイエット・コーナー 心を静める音楽集』『ポストロック・ディスク・ガイド』など。(写真:kana tarumi)

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