Home > Interviews > interview with BBHF - 歓びも、悲しみも痛みもぜんぶ
2008年デビュー、2010年にはメジャーからのミニ・アルバム・リリースを経て、見る見る間に若手人気バンドとなっていったGalileo Galilei (ガリレオ・ガリレイ)。10代で登場した彼らは、地元北海道を拠点に活動を繰り広げ、同時期に国外で勃興していたインディー・ロックからの刺激を縦横に吸収し、予てより定評のあったポップネスと高い演奏力/歌唱力で、2016年には武道館公演を成功させるまでに至ったのだった。
惜しくもそのコンサートを最期に解散した彼らだが、その後中心人物の尾崎雄貴は、ソロ・プロジェクト「warbear」としての活動と並行し、Galileo Galilei のオリジナル・メンバーとサポート・メンバーからなる新たなバンド Bird Bear Hare and Fish を結成、これまでに 1st フル・アルバムを含むリリースやライヴなどを活発に展開してきた。
また、この7月にはバンド名を「BBHF」と改め、配信限定EP「Mirror Mirror」をリリースし、これまで以上に巧みなソングライティングとエレクトロニクス使いで、既存ファンに留まらない新たなファン層も開拓したのだった。そして来る11/13、そのEPと対となる 2nd EP、その名も「Family」がリリースされる(同発で、バンド初となる2枚のアナログ7インチ「なにもしらない」と「涙の階段」もリリース)。
湧き出る創作意欲を反映するかのように充実のリリースを続ける彼らだが、その情熱はいったいどこからやってくるのか。これまでのバンドの変遷や音楽的興味、そしていまの時代においてフィジカルでオープンな表現をおこなうことの意義などを交えながら、リーダー尾崎雄貴にじっくりと話を訊いた。
楽器を持つ前に言葉でなんやかんやと説明しようとする人間になりかけていたんです。で、あるとき、それはよくないと思って。一種の恐怖のような気持ちです。
■7月にバンド名が「BBHF」に変更されましたが、これはどういう意図があったのでしょうか?
尾崎雄貴(以下、尾崎):元の Bird Bear Hare and Fish という名義も個人的にはとても気に入っていたんですけど、単純に「長くない?」っていう意見がメンバー含めて周りにたくさんあって(笑)。
■そうだったんですね(笑)。元々、各メンバーひとりひとりの愛称を並べたものなんですよね。
尾崎:はい。だから、頭文字を取っただけで意味合いは変わっていないんです。例えばクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングを、CSNY って表記するみたいなイメージですね(笑)。
■元々はスティーヴン・キングの小説からバンド名を取ったと伺いました。それはどんな作品なんでしょう?
尾崎:『ダーク・タワー』っていう全7部に渡る長編小説で、彼の作品に登場する悪役全ての根源を倒しにいくっていう、トールキンの『ロード・オブ・ザ・リング』的なダーク・ファンタジーですね。彼の全モダン・ホラー作品全てと繋がっている壮大な世界観で。その作中に出てくる呪文のようなものがあるんですが、そこからバンド名を取りました。
■バンド名変更と同じタイミングでメジャーを離れて、前作EPからは新たな環境でのリリースとなりました。何かそのことによる変化を実感することはありますか?
尾崎:Galileo Galilei として10代でデビューして、いろいろな活動をおこなってきたわけですけど、バンドの音楽的な姿が変化しすぎて、レーベル側も自由な活動をさせてくれていたような気はします。好きなことを勝手にできたというのもあるとは思うんですが、そのままではよくないとはもちろん思っていて。その結果、新しいスタッフとの出会いもあって、こういった形での活動に発展していった感じですね。
■バンドの変化というのはどんなものだったんでしょうか? 単純に「大人になっていった」的な……?
尾崎:そうですね……それもあると思うけど、なんというか僕ら自身、バンドマンであることへのこだわりとか、バンドをひとつの形で存続させていくってことに情熱がめちゃめちゃあるわけじゃなくて。ただ「バンド」っていうものが好き、という気持ち。まあお互いが友達であり、音楽仲間として普通に好きな奴らって感じでやってきたので(笑)、その分音楽面でもコロコロと変化してきたんだと思います。
■なるほど。
尾崎:そういうところがベースにありつつも、Galileo Galilei を続けていくうちに、「自分は音楽を生業にするプロなんだ」っていう覚悟と責任感を過度に背負い込んじゃうようになっていったんだと思います。そこに固執して、「これから先はバンドをこうしていかなければならない」とか、ああだこうだとインタヴューでも語っていたんですけど……いまはそこから抜け出せたなって思います。
今回のEPのリード曲“なにもしらない”の中でも歌っているんですけど、僕らはデビューが早かったこともあって、失敗もすれば成功もして、嫌な思いもすれば良い思いもたくさんしてきたという思いがあって。多分そういう経験のせいもあって、楽器を持つ前に言葉でなんやかんやと説明しようとする人間になりかけていたんです。で、あるとき、それはよくないと思って。一種の恐怖のような気持ちです。
■じゃあいまは純粋に音楽を奏でるのが楽しいという感覚が戻ってきた?
尾崎:そう、単純に楽しいです。本当に喜びに満ち溢れていますよ。
■そんな中、デジタル・オンリーでリリースされた前作EP「Mirror Mirror」を経て本作「Family」の制作に入っていった訳ですが……
尾崎:あ、実をいうと曲自体は今回の「Family」のものの方が、「Mirror Mirror」より先にできていたんです。
■あ、そうなんですね。
尾崎:北海道で共同生活できる場所の旭川で一軒家を借りて、僕が持参したデモを元に1週間ちょっとでセッションをしながら作っていったのが「Family」なんです。で、そのあと家に帰ってからすぐ僕ひとりで作ったのが「Mirror Mirror」。だから、「Family」の方がいろんな人が関わっている分外に向いている作品と言えるかも。
■かなり短期間のうちに近い時期で作られた2枚のEPなんですね。「Mirror Mirror」の特徴としてはやはりエレクトロニックな質感を全面に押し出したということですよね。それに比して「Family」はよりフィジカルで生演奏の比重が大きい。こういったコンセプト分けをおこなった理由は?
尾崎:まず、単純にバンドとして音楽的にやりたいことがとても多くて。ミュージシャンによっては、自分が好きな音楽と実際にやっていることとがセパレートされている場合もあると思うんですけど、僕らの場合は好きなものを全部詰め込みたくなってしまう(笑)。だから、アウトプット先がひとつしかないと、ぎゅっとしすぎて消化不良を起こしてしまうんです。実際これまでそういうことも多々あったんだけど、アウトプットの出口をふたつにすることで、音楽的な風通しを良くしたかったんです。
■なるほど。
尾崎:今後、BBHFは必ず同時にふたつのコンセプト立てて表現するバンドになるのはどうだろう、とメンバーと話をしたんです。今回のように何か対になるものを出してもいいし、一枚の中で全く別の世界がふたつあるというアルバムを作ってもいいし。単純にそういう作業はやりがいがあって楽しい。お互いの作品がお互いの存在を前提に成り立っているような感じですね。
■では、今回における2枚の対比的な関係性はどんなものなんでしょう?
尾崎:「Mirror Mirror」は虚無感を表現したかったんです。スマホなどを通した現代のコミュニケーションと生活の変化をテーマとして……。それこそ自分も当たり前のものとして日々使っているわけだし、よくあるようにそういう状況を批判的に攻撃するんじゃなくて、冷静に眺めてみたかったんです。
■「Family」の方は?
尾崎:コンセプチュアルに導き出したっていうよりフィーリング的なものなんですが、「Family」については、デジタル的なものを通じた関係ではなくて、いまこうやって実際に話し合っているような肉体的なコミュニケーションとか、そこから生まれる感情を描いてみようと思ったんです。
■そういったふたつのテーマの帰結として、サウンドもデジタル的なものと生のバンド・サウンド的なものに分かれたんでしょうか?
尾崎:うーん、ハッキリとその差を表現したくてそうなったっていうよりも……例えば「Mirror Mirror」の方でいえば、自分の中にある虚無のイメージが、音数の少ないリズムマシンの音だったり、そこに漂う寒々とした空気を連想させるものだったということなのかもしれません。
■リリース・メディアにおいても対照的ですよね。片や配信のみ、片やCDという有体物。これもそれぞれの内容を反映した結果?
尾崎:そうです。「Mirror Mirror」の方は形を持たないものであってほしかったから。そういう部分もひっくるめて聴いてきくれた人に伝わればいいな、と思って。
■そして7インチ・シングル2枚も「Family」と同時にリリースされますよね。様々なメディア形態を駆使するという部分も自身でディレクションしているんでしょうか?
尾崎:そうですね。でも、最初アナログについてのアイデアはレーベルから貰ったんですよ。
■それは珍しい。アナログって一応ブームにはなっているけど、レーベル業的にはそんなに儲からないですからね……
尾崎:ははは。まあ、僕らも「アナログってかっこいいから出したいよね」とかではないんですよね。でも、レコードって存在自体は単純に素敵なものだと思うし、やっぱりミュージシャンとしても自分たちのできる限りで素敵な文化を継承していったほうが良いと思っていて。実を言うと、7インチを出すって話が決まったとき、正直「大丈夫かな……」って思ったんです。まず、僕等のファン層的に、アナログまでちゃんと買ってくれる人がいるのかな、とか。でもありがたいことにかなり反応は良いみたいで。みんなレコード・プレイヤーは持ってないけどとりあえず手に入れるぞ! とか思ってくれているのかもしれないですよね。これをきっかけにプレイヤーを買う人が出てきたら嬉しいです。
いま、ミュージシャンの多くが、プレイヤーではなくてプロデューサー的な存在になりたがっている状況があると思っていて。ただアコギをボンって渡されて「おまえいまなんかやれ」って言われたとき、一体何ができるのか考えたんです。
■先程「Family」は旭川の一軒家共同生活の中で録音したとおっしゃっていましたが、具体的にはどんな環境だったんでしょうか? いわゆるレコーディング合宿的な……?
尾崎:「録るぞー」っていう合宿っていうよりは、「何ができるかわからないけどとりあえず行ってみて、デモを聴きながらみんなでやってみよう」みたいな感じでしたね。仕事っぽいノリじゃなくて、どうも気乗りしなければ「じゃあ今日はニンテンドースイッチでもやりますか」、みたいな(笑)。設備的にも、いかにもレコーディング・スタジオっていうより、倉庫をぶち抜いた撮影スタジオみたいなところで。広い部屋に何個かベッドがドドドって並んでいるような面白い空間でした。人里離れた場所にあるので、時間を気にせず音を出すことができたのも良かったですね。
■じゃあ作業が終わったら毎日酒盛り?(笑)
尾崎:かなり飲みました(笑)。メンバーみんなお酒が大好きなんですよ。飲みながらお互い最近聴いている曲を紹介し合ったりするのが最高に楽しくて。
■予算と時間が決まっているスタジオでは、なかなかそうはいかないですよね。都市部では難しい制作法かもしれません。
尾崎:そうだと思います。僕も以前東京に1年間住んでいたので分かりますが、都会って、きらびやかで自分のテンションを高めてくれそうな場所がたくさんあるじゃないですか。そこにいることによって、自分も大きくなったように感じさせてくれる場所。でも、北海道だと、そこから冷静に距離を置いて自分ひとりだけになるっていうのがすぐにできるんです。それが北海道のすごく好きな部分かな。今回のスタジオは特に静かなロケーションでしたね。
■そうするとバンド内でのコミュニケーションもより濃いものになりそうですね。
尾崎:そうですね。すごくよく覚えているんですが、ある夜ベースの(佐孝)仁司がめちゃ僕にブチ切れてきたことがあって。僕が酔っ払ってみんなにいろんな音楽を聴かせながら理想論を語っていたんですよ。「こういう良質なものをもっと世の中に伝えるべきだ」みたいな話をしていたら、彼が、「俺らは確かにこれを良いと思うけど、世の中の多くの人は雄貴が期待しているみたいに理解してくれないよ!」って、それで僕も「お、おう」って(笑)。
■熱い議論。
尾崎:多分、彼自身期待を持って失望するということを繰り返してきたから、俺に対して爆発したんだろうな、と。それがちょうど「これから具体的に曲を作っていこう」って日の前日だったんです。でもそういうやりとりがあったことはすごく良かったんです。僕もそれで考えを少し改めたところがあったし。
■尾崎さんのデモからアレンジを発展させていく作業はどんな形で進められたんでしょうか?
尾崎:基本的には僕がデモを元に指示しながらバンドで合わせていくのが多いですね。それに対して、「もうちょっとこうしてみよう」とか、逆に「いまのはデモと全然違ったけど面白いからそれで行こう」とか言っていく。僕の中のイメージがみんなで演奏する中で変わっていく感じですね。僕が描いていた通りになってしまうと面白くないものができてしまうことが多くて。僕が驚くようなことをメンバーが演奏したときのほうが面白いものになったりするんです。今回の旭川の作業ではそういったことがかなりありましたね。
■まさに「Mirror Mirror」と違って、メンバー感のやりとりによって生まれたアンサンブルなんですね。
尾崎:そうですね。
■いま、世界的な趨勢として、ロックを含め様々なジャンルの音楽がエレクトロニックなものに接近していく流れがあると思うんです。あえていうなら、BBHFとしてもそういった路線の方へよりディープに突き進むこともできたのではないかと思っていて。
尾崎:うんうん。
■さっき話してくれた「ふたつのコンセプトを立てる」ということも理由として大きかったとは思うんですが、全体的な方向としてエレクトロニックな手法を突き詰めてみる、ということに行かなかったのはなぜなんでしょう?
尾崎:これは別の取材で話していて気付いたことでもあるんですけど、いま、ミュージシャンの多くが、プレイヤーではなくてプロデューサー的な存在になりたがっている状況があると思っていて。
■あ~、わかります。
尾崎:実際に僕もそうなりかけていたんですけど、あるタイミングで、さっき言った「言葉で考え過ぎている」ということと同じように、恐怖を感じたんです。本来僕はプレイヤーでありヴォーカリストであるはずなのに、どこか全体をまとめようとばかりして、むしろ演奏よりそこに喜びを見出しはじめているな、と。それは違うと思ったんです。
楽器のプレイだったり、音程をうまく取りながら歌えるようになることの重要性に立ち戻ったと言うか……。パソコンを取られてしまって、いままでやってきたバンドやキャリアもなしに、ただアコギをボンって渡されて「おまえいまなんかやれ」って言われたとき、一体何ができるのか考えたんです。そこで何もできないとなると、今後音楽家として生きていけないと……。
■プリミティヴな生演奏志向に回帰するような感覚……?。
尾崎:そうですね。洋楽邦楽関係なく、パッとロックの世界を見渡したとき、ピンと来るバンドがどんどん減ってきていて、みんなプロデュース的な部分ばかりがとても上手になっている気がしていて。もっと本来いちばん胸に来るところ……そういう肉体的な感覚がすごく薄くなってきているんじゃないかと思っていて。自分たちも一時はそちらに行っていた気がするので、余計に実感として思うんです。
取材・文:柴崎祐二(2019年11月08日)
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