Home > Interviews > interview with Wendell Harrison - 音楽の楽園=デトロイトから、ウェンデル・ハリソンがファラオ・サンダースとサン・ラーの思い出を語る
彼らは〈ストラータ〉を尊敬していたが、その企業的なモデルは自分たちには合わなかった。そして別の影響も彼らの周囲に漂っていた。ブラック・パワー、カウンターカルチャーと反戦左派、都市の貧困、そして1967年の出来事がもたらした衝撃波である。(…)こうした沸騰するような状況から、〈トライブ〉が生まれた。
Mark Stryker(前同)

1967年のデトロイトの暴動、(Courtesy of Walter P. ウェインステイト大学所蔵)

左から、Wendell Harrison, Ron Johnson, Phil Ranelin, Andre Vaughn, Harold McKinney, Lopez Leon and Charles Moore,1973年デトロイト.
Photo by Herb Boyd.
ジェイムズ・ジェマーソンは本当に面白い男だった。コメディアンみたいな人で、いつも人を笑わせようとしていた。いたずら好きだったんだ。ブルースもやったし、R&Bもジャズもやった。それに子供がたくさんいてね、高校生の頃から子供がいたんだ(笑)。
■今回のアルバムに収録されている、2025年7月20日にデトロイト美術館でのライヴ演奏についてうかがいます。まずこの演奏は、デトロイトの「コンサート・オブ・カラーズ」フェスティヴァルの一環として行われそうですが、それはどんなフェスティヴァルなのでしょう? また、トリビュート・ライヴをやることになった経緯を教えてください。
ウェンデル・ハリソン:「コンサート・オブ・カラーズ」は、イシュメール・アーメッド という人が20年ほど前にはじめたんだ。彼はアラブ系コミュニティのビジネスマンであり、DJでもあり、歴史にも詳しい人だった。ガーナやモロッコをはじめ、アフリカ各地のアーティスト、それにニューオーリンズや西海岸のミュージシャンなど、世界中からアーティストを呼んで、毎年ワールドクラスのフェスティヴァルを開催していた。それからスポンサーや基金、助成金もどんどん増えて、ひとつの組織として大きくなっていった。やがて年間を通してワークショップやコンサートもやるようになってね。ここ数年は毎月のように地域でコンサートを開催していて、いつも何かが行われている。本当に活発な活動になったんだ。
今回のコンサート以前にも、イシュメールは私をいろんなミュージシャンと共演させてくれた。モロッコ出身のハッサン・ハクムーン ともやったし、アンプ・フィドラーともやった。当然アンプ・フィドラーは知っているよね。彼は私のレコードにも参加しているし、一緒にレコーディングもしている。それからモロッコのミュージシャンやマーカス・ベルグレイヴとコンサートをやったこともあった。ショーン・ブラックマンともやったね。前回ショーンと演奏したときは、アルバニアのミュージシャンたちも一緒だった。つまり、本当に世界中の人たちと演奏するんだ。これはデトロイトのコミュニティにとって素晴らしいことだよ。彼が世界をデトロイトに連れてきてくれるわけだからね。イシュメール自身もラジオDJで、ラジオ番組を持っていて、WDETでこうした音楽をかけていた。
それで2025年、彼のオフィスから電話がかかってきた。「イシュメールが、あなたにファラオ・サンダースへのトリビュートをやってほしいと言っている」とね。「本当かい? 君たち、ファラオのことを知っているのか?」って思ったよ(笑)。でもそれから少し考えて、「よし、できる」と思った。
それで私とギタリストでアレンジを書いて、アンサンブルを組んだ。ハープ、パーカッション、ピアノ、ベース、ドラム、それに5管編成のホーン・セクションだ。そして実際に演奏した。するとイシュメールが、「この音楽は君のものだ。録音も君のものだ」と言ってくれた。「本当に?」ってね。だからすぐに何人かに連絡を取った。コンサートはライヴ配信されていて、世界中から14万7000回も視聴されたんだ。今回リリースされたこの音楽が、世界中に配信されていたわけだ。それにテレビでも放送された。映像も音楽もね。「これはすごいな」と思ったよ。だから、イシュメールへの敬意を込めて、このプロジェクトをこれからも続けていきたいと思っている。

こちらがファラオ・サンダースの
『Love in Us All』(1974)
それで、この作品をできるだけ広く届けようとしている。カリフォルニアのレーベルがアメリカ、カナダ、ヨーロッパの一部でリリースしてくれて、アジアでは〈P-VINE〉から出せるようにしておこうということになった。できるだけ多くの人に届けたいからね。こうして作品として出せたことは本当に嬉しかったよ。ほら、これがジャケット(といって、2枚のレコードを並べる)。どちらもクールだろ、アメリカと日本盤とは違うジャケットなんだ。 [*日本盤のジャケットはファラオ・サンダースの『Love in Us All』へのオマージュ]
〈P-VINE〉とはしばらく一緒に仕事をしていて、ほかの作品も出しているんだ。その前には〈Tribe〉の作品も出してくれている。私とフィルのね。〈P-VINE〉からはアジア各国に届けてもらいたいね。韓国やタイ、中国、そのほかのアジアの国々にも広がってくれたら嬉しいよ。
■ケント[〈P-VINE〉の窓口/担当者]がやってくれますよ。
ウェンデル・ハリソン:ケントは天使だよ(笑)。

Photo by Patricia Harrison
■デトロイトの高校時代、同級生にはその後、モータウンで数々の名作にたずさわるベーシストのジェイムズ・ジェマーソンがいたそうですね。〈Tribe〉のサウンドには、アフリカ音楽のリズムも導入しつつも、ソウル・ミュージックからの影響があるとよく言われます。あなたから見て、「デトロイト製」の特徴とは何だと思いますか?
ウェンデル・ハリソン:それは自動車産業を反映したものだと思う。フォードやゼネラル・モーターズがあって、大移動(グレート・マイグレーション)によって南部から大勢の人たちが工場で働くためにやってきた。彼らは稼いだお金で家を買ったけれど、教育や音楽にもお金を使った。40年代、50年代、60年代の話だね。もちろんデトロイトには、ベリー・ゴーディの〈Motown〉の影響がある。でも、ほかにもたくさんのレーベルがあったんだ。〈Motown〉だけが有名になったけどね。
ジェイムズ・ジェマーソンと出会ったのは、私がビバップを知った頃だった。彼もビバップを演奏していたんだよ。私は12、13歳くらいで、ジェマーソンは18歳くらいだった。彼はウッド・ベースを弾いていて、レイ・ブラウンやオスカー・ペティフォードみたいな音を出していた。昔のチャーリー・パーカーの音楽だよ。それで私がニューヨークへ移ってから、「ジェームズ・ジェマーソンがフェンダーのエレクトリック・ベースを弾いている」と聞いた。「いやいや、そんなはずないだろう」って(笑)。でも実際には、彼こそが〈Motown〉のサウンドを支える土台になっていた。スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、フォー・トップス、テンプテーションズ、そういう人たちのバックで演奏していたんだ。ビバップをやっていた頃の自分のスタイルを生かしながら、少し違うものにしてね。
ジェイムズは本当に面白い男だった。コメディアンみたいな人で、いつも人を笑わせようとしていた。いたずら好きだったんだ。ブルースもやったし、R&Bもジャズもやった。それに子供がたくさんいてね、高校生の頃から子供がいたんだ(笑)。だから働かなきゃならなかった。高校に通いながらツアーに出て、子供たちを養おうとしていた。とにかくよく働く、情熱的でエネルギーにあふれた男だった。
そうやってジェイムズをはじめとする多くのジャズ・ミュージシャンたちが、あのサウンドの土台を作っていったんだ。生活するためにジャズではなく、もっと商業的な音楽を演奏した。だから、そうしたジャズからの影響がソウル音楽のなかに聴こえることもある。ストリングスのために曲を書いたり、ホーン・アレンジを作ったりしていたからね。そういうものを作ればレコードが売れ、仕事も続いた。そして商業的な音楽であまりにも稼げるようになって、ジャズのことを忘れてしまった人たちもいた。「ジャズなんかやってられるか、家族を養わなきゃならないんだ」ってね(笑)。
ジェイムズもその後デトロイトを離れて、ゴーディと一緒にカリフォルニアへ行き、向こうで本当に有名になった。映画の仕事なんかもするようになった。ジェームズだけじゃなく、デトロイトのミュージシャンたちはR&Bやロックを演奏するようになり、やがてヒップホップやテクノにもつながっていった。私自身、カール・クレイグ[*トライブの遺産を積極的に後世へ伝えた第一人者]ともツアーをしたんだ。カール・クレイグは知ってる?
通訳:はい、大好きです。
ウェンデル・ハリソン:マーカス・ベルグレイヴがカールとツアーをしていたんだけど、続けられなくなって、それで私をカールに紹介してくれた。それから私はカールと世界中を回ったし、一緒にレコーディングもした。そしてカールは〈Tribe〉のアルバムもプロデュースしたんだ。『Rebirth』という〈Tribe〉のアルバムだ。カール・クレイグはデトロイトにも家があって、家族がいる。それからロンドンにも家がある。娘たちはこっちにいて、息子はロンドンにいるんだよ。
通訳:なるほど。ではあらためて、デトロイト・サウンドについて聞かせてください。デトロイトの音楽を「デトロイトの音」にしているものは何だと思いますか?
ウェンデル・ハリソン:私自身はジャズのコミュニティで育って、ジャズを土台にしてきた。デトロイトで演奏するミュージシャンの多くは楽譜が読めるし、音楽教育もしっかり受けている。そして、よく勉強するんだ。だからデトロイトの音楽には、細部まで作り込める力がある。すごく緻密なんだよ。でもその一方で、面白いことに、しっかりした土台があって、いいグルーヴ、いいビートがある。その土台があるから、その上に複雑で緻密なラインを乗せることができるんだ。思わず踊りたくなるようなグルーヴがある。でもその上では、かなり複雑なメロディをやっていたりする。ハーモニーの構造も、ときにはかなり複雑だ。つまり、いろんなアイデアが共存しているんだよ。
デトロイトからは本当にさまざまな影響が生まれている。ここから出ていったミュージシャンの多くはニューヨークやカリフォルニアへ行ってレコーディングした。だからデトロイトは、アメリカの大きな音楽産業そのものに強い影響を与えてきたんだ。ただ、いまのレコード産業はインターネットの登場で昔とはまったく違う。以前はみんなCDやレコードを買っていたけど、いまはそうじゃない。Spotifyみたいなサービスに月額で加入して、毎月たくさんの新しい音楽を聴く。月に11ドル、12ドル、15ドルくらい払えばね。
だから音楽産業も文化そのものも、すっかり変わった。それは文化に大きな影響を与えている。昔はレコード会社が音楽の入り口で、ゲートキーパーだった。ロックでもジャズでもファンクでも、何であれレコード会社が必要だった。何を流通させ、何を流通させないかを彼らが決めていた。彼らの言うことに従わなきゃならなかったんだ。でも、もうそうじゃない。インターネットがあれば、誰でも自分の作りたいものを、作りたいときに作って発表できる。それはいいことだけど、その一方でひどいものもたくさん出ている。まだ十分に成長していないアーティストが大きな注目を集めて、お金まで稼いでいる。私が言いたいのは、それが文化そのものに影響しているということだ。音楽だけじゃない。教育もそうだし、人との関わり方や、私たちの暮らし方もそうだ。インターネットによって、何でもありの世界になったんだよ。
取材:野田努(2026年9月08日)