「Noton」と一致するもの

R.I.P. Ahmad Jamal - ele-king

 ジャズ・ピアニストのアーマッド・ジャマルが2023年4月16日、前立腺癌のために92歳で死去した。1930年にピッツバーグで生まれたジャマルの本名はフレデリック・ラッセル・ジョーンズだが、ブラック・ムスリムの影響を受けて22歳の頃にイスラム教に改宗し、アーマッド・ジャマルの名に変えた。
 7歳の頃からピアノのレッスンをはじめ、高校で本格的に音楽の勉強をおこない、卒業後はシカゴに移り、自身のピアノ・トリオを組んでホテルなどで演奏活動をおこなっている。シカゴの〈アーゴ〉や〈カデット〉に多くのアルバムを残しているが、代表作と言えば1958年の『バット・ナット・フォー・ミー』や翌59年の『ポートフォリオ・オブ・アーマッド・ジャマル』で、特に “ポインシアーナ” を含む『バット・ナット・フォー・ミー』のセールスによって、彼は商業的な成功も収めている。
 しかしながら、ジャズ評論においては高い評価を得ることはなく、これらはいわゆるカクテル・ピアノという、ホテルのラウンジなどで演奏されるイージー・リスニング的な扱いだった。そうしたこともあってか、正直なところアーマッド・ジャマルはビッグ・ネームというほどのミュージシャンではないし、玄人好みの渋いミュージシャンか、または技巧に優れた名ピアニストというわけでもなく、芸術的にはあまり見るところのない、一段ランクの低いミュージシャンという見方が大半だった。大体のところ、1990年代半ばごろまでのジャマルのイメージと言えばそんなところだったろう。

 そうしたジャマルの評価を一変させたのは、1990年代半ばより数多くのヒップホップのアーティストによってサンプリングされたことによるところが大きい。それらのネタ探しを通じて若いリスナー、特にそれまでジャズを聴いたことのないようなリスナーがジャマルの作品に触れ、彼の再評価の機運が高まったと言える。ナズコモンなどがジャマルの曲を取り上げているが、その中でも1970年リリースの『ジ・アウェイクニング』が有名で、表題曲はじめ “ドルフィン・ダンス”、“アイ・ラヴ・ミュージック”、“ユア・マイ・エヴリシング” と、アルバム丸ごと一枚がサンプリングの宝庫となっている。
 なぜジャマルの曲が多くサンプリングされるのかということに関して、ジャマルは「間(スペース)のピアニスト」と言われることが多く、それが関係していたのではないだろうか。「間のピアニスト」というのは、音の鳴っていない瞬間も楽曲の一部として機能させるということで、ジャマルは音数が少なく、ピアノが鳴っていないそうした間でさえ音楽的なものとしてしまうことに長けていた。そうした間の取り方はリズム感や一種のグルーヴにも関係し、また独特のリリシズムを生み出す。ヒップホップ・アーティストがサンプリングする場合、基本的にはビートをサンプリングすることが多いのだが、90年代半ば頃からは上ものと呼ばれる楽器のフレーズや全体の空間作りにもサンプリングが用いられることが増え、そうした音響空間の構築においてジャマルのような間のある音楽はとても参考になるのである。

 そして、サンプリングから発展して、ジャマルの演奏そのものにも影響を受けるアーティストも出てくる。『ジ・アウェイクニング』は〈インパルス〉からのリリースだが、〈インパルス〉時代のジャマルはアコースティック・ピアノだけでなくエレピも演奏していて、マッドリブなどはそのエレピ演奏にも大きく影響を受けている。
 マイルス・デイヴィスがジャマルについて高く評価していたことも逸話として有名だ。マイルスは自伝において姉からジャマルを薦められて聴くようにったそうで、「リズム感、スペースのコンセプト、タッチの軽さ、控えめな表現などに感銘を受けた」と述べている。ジャマルとマイルスは1950年代半ばより親交を深めるようになり、マイルスはジャマルを自分のバンドに誘ったこともある。残念ながら実現しなかったのだが、マイルスは仕方なく、当時のバンド・メンバーだったレッド・ガーランドに「ジャマルのようにピアノを弾いてくれ」と言っていたそうだ。そして、日本においては上原ひろみがジャマルのプロデュースによってファースト・アルバムを発表したことが、ジャマルの名前を広めることに一役買った。

 私個人としては、ジャマルのアルバムの中でもっとも好きな作品を選ぶなら、1963年の『マカヌード』を挙げる。オーケストラ物でリチャード・エヴァンスがアレンジや指揮をおこない、ドミニカ、コロンビア、パナマ、ハイチ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイなど中南米音楽の理解と咀嚼を見事に施して、重厚な表現においても素晴らしいところを見せている。ラテン系の作品ながら、軽いタッチのカクテル・ピアノとは一線を画するものだ。ここに収録された“ボゴタ”は、モントルー・ジャズ・フェスでのライヴ録音となる1972年の『アウタータイム・インナースペース』でも再演していて、エレピを交えた17分にも及ぶ情熱的な演奏を繰り広げている。それぞれ同じ曲ながら全く異なる演奏で、ジャマルが実に幅広い音楽性を持っていたことがわかる。
 ラテン音楽との相性が良かったジャマルは、1974年に『ジャマルカ』というアルバムも発表している。こちらはジャズ・ファンクからレゲエなどまでミックスしたもので、やはりリチャード・エヴァンスとタッグを組んでいる。同じエヴァンスとの作品では、1968年の『ザ・ブライト,ザ・ブルー・アンド・ザ・ビューティフル』、1973年の『アーマッド・ジャマル・73』、1980年の『ジェネティック・ウォーク』などもあり、60年代から80年代にかけての長い間ジャマルとエヴァンスは良きパートナーだった。エヴァンスは様々なタイプの作品に携わるプロデューサーで、これらジャマルの作品でもゴスペル、ロック、ポップス、ソウル、ファンク、ラテンなどとジャズの融合を試みている。ジャマルはこうした様々な音楽性を取り入れ、自身の演奏や表現に順応させていく力を持つピアニストであったのだ。

NAKAMURA Hiroyuki - ele-king

 なんて爽やかな「ピアノ・アルバム」だろう。
 綺麗で、楽しい。伸びやかだけど、整っている。風のように爽やかで、透明なピアノ。「音楽」を全身で追求し、そしてそれを楽しんでいるさまが、音のすみずみから聴こえてくる。

 なんて精密な「ピアノ・アルバム」だろう。
 コード、旋律、演奏、サウンド。そのすべてが計算され、磨き上げられ、傷ひとつない結晶体=サウンドスケープを形成している。映画のように味わい深い音響がここにある。

 NAKAMURA Hiroyuki のソロ・アルバムを聴いて、まずはそんなことを思った。リリースはブルックリンのレーベル〈Youngbloods〉。

 NAKAMURA Hiroyukiは、ピアニスト、電子音楽家、作曲家である。彼はサックス奏者にしてミキシング・エンジニアの宇津木紘一とのエレクトロニカ・ユニット UN.a のメンバーとしてエレクトロニカ・ファンによく知られた存在だ。

 NAKAMURA Hiroyuki のソロ・アルバムを聴き、私は彼は作曲・演奏家としても一流だが、音響作家/サウンド・デザイナーとしても卓抜したセンスと技量を持っていると確信した。とうぜん、音楽も徹底的に分析している。
 だが彼の音楽は実験のためだけにあるわけではない。その音には「音楽へのよろこび」にあふれている。これが重要だ。

 華麗さと緻密さ。喜びと分析。音楽と音響。
 そのふたつが共存することに、まったく矛盾がない作品である。どうしてだろう?と思いつつ、NAKAMURA Hiroyuki のnoteを読んでいると次のようなことが書いてあった。少し長くなるが大切なことなので引用しておきたい。

あなたとの距離。

複雑さを受け入れていく音楽。

 クラシック、ジャズ、エレクトロニカ、音響が一つの物語となった新しいピアノの表現。
 シューマンの「子供の情景」にインスパイアされ制作しました。

電子音は全てピアノの音から制作されています。

 「複雑さを受け入れること」。
 この言葉に本作のすべてがあると思った。音と音の複雑な交錯。その「複雑さ」にこそ、音楽の美しさがある。いや音楽の未来があるとでもいうべきか。われわれの耳は多様な音のうごきを感じることができるのだ。このアルバムは、われわれの耳の可能性を信じている。「あなたとの距離」。

 しかも驚いたことに「電子音」はすべてピアノから作られた音なのだという(!)。これには驚いた。もちろん技術的には可能なことなのだろうが、本作を「ピアノ・アルバム」とするという「意志」に驚いたのだ。
 さらに重要なのは、シューマンの「子供の情景」にインスパイアされているという点である。あのシューマンのロマンティックなピュアで、「子供の心を描いた、大人のための作品」という曲に。まさに本作のようではないか。

 彼はこうも書いている。

本アルバムは、シューマン以外にもフランクオーシャンの[ブロンド]から影響を受けています。 また、アジア人であることを意識し、ノイズと捉えられる音も意図的に取り入れています。

 この作曲者自身の言葉を読むと、このアルバムについて明晰に説明されており、もはや何も書くことがないように思える。ロマンティックなピュアさ(シューマン)。深いアンビエンス(フランク・オーシャン)。そしてアジア的なノイズへの意識/感覚。

 アルバム1曲目 “Distance” は環境音的な音から幕をあける。その後、滴り落ちるようなピアノといくつもの心地よいノイズが折り重なり、踊るように楽しげなピアノ演奏になる。SF的な仮想空間における輪舞曲のようなピアノ曲だ。
 2曲目 “Sing” はジャズとも無調とも印象派的ともとれる静謐な端正なピアノに微かにミニマムなノイズが絡みあう曲だ。3曲目 “Lay” はダイナミックなアルペジオから始まる力強い曲である。
 以降、アルバムは変装と即興と作曲を織り交ぜながら、蒼穹のごとき爽やかな和声と煌めくような旋律と、映画のように味わい深く精密なサウンドスケープを同時に展開する。
 海外のヨハン・ヨハンソンやニルス・フラームのポスト・クラシカル勢とは異なるジャズ風味がミックスされた新しいクラシカル・ミュージックとでもいうべきか。

 アルバム中、もっとも気になった曲は、やや暗い曲調で展開する6曲目 “Tomtom” だ。20世紀後半のクラシック音楽的な無調の響きが、やがてジャズ的な響きに変化し、ドローンやアンビエンスが変化していく。さまざまな音が折り重なるが、静謐なムードは保たれる。
 いうならば静かなエモーショナルとでもいうべきか。いくつもの相反する要素が静かな水面のむこうに渦巻くように展開している曲に思えた。
 どうやら NAKAMURA Hiroyuki が20歳のときに作曲した曲のようである(https://note.com/bbmusic/n/n9404e596804d)。私はカオスの先に、最後の最後に表出するエレガンスなピアノがたまらなく好きだ。

 やがて最終曲にしてアルバム・タイトル曲でもある7曲目 “Look Up At the Stars” へと至る。煌びやかで華やかに始まったこのアルバムは、うす暗い陰影に満ちた音世界(ノイズと音楽の交錯)を抜けて、静謐にして透明な音楽世界へとに行き着くわけだ。
 ノイズですら光景のひとつとして認識するアジア的な感覚と西洋の構築された音楽・和声の交錯のはてに行きつく、静謐な星空のような音世界に。

 この美しい音楽の結晶体を簡単に表現するなら、こうなる。
 
 春風か夏の空のような爽やかな「ピアノ・アルバム」。
 心の奥深く潜っていくような静謐な「ピアノ・アルバム」。
 映画のようなサウンドスケープを展開する緻密な音響の「ピアノ・アルバム」。

 そしてこの相反する三つのエレメントがまったく矛盾することなく交錯する点が重要なのだ。音楽と音響の豊かさの結晶とでもいうべきかもしれない。

 繰り返し聴き込むほどに、発見と味わいが増してくるアルバムだろう。ピアノのクリスタルな音、華麗な演奏と旋律、細やかで静謐なサウンドスケープ。そのどれもが耳に染み込んでくるような美しく、心地よい。
 「新しいモダン・クラシカル・ミュージック」がここにある。ぜひとも多くの人の耳を潤してほしいアルバムだ。

R.I.P. Wayne Shorter - ele-king

 モダン・ジャズの黄金時代である1950年代末から1960年代、エレクトリック・ジャズやフュージョンによって新時代を迎えた1970年代、そして現代に至るまで、長きに渡りテナー・サックス奏者の第一人者として活躍してきたウェイン・ショーターが、2023年3月2日に89歳の生涯を終えた。1933年8月25日にニュージャージー州ニューアークで生まれたショーターは、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンファラオ・サンダースなどとともに、ジャズの歴史を動かしてきた真の伝説的なミュージシャンと言えるだろう。

 ウェイン・ショーターの活躍期間は大まかに1950年代末のジャズ・メッセンジャーズ加入から1960年代中盤のマイルス・デイヴィス・クインテット時代、1970年代から1980年代中盤にかけてのウェザー・リポート時代、ウェザー・リポート解散後から現在に至るソロ活動期と分けられる。演奏家のみならず作曲家としての高い評価も得て、グラミー賞も幾度となく獲得し、晩年は円熟した演奏を見せていた。遺作となったリーダー・アルバムの『エマノン』ではクラシックの室内管弦楽団と共演するなど、止むことなく進化を続けていたショーターではあるが、もっとも鮮烈な印象を残したのは1950年代末から1970年代前半にかけての、20代後半から40代の頃と言えるだろう。ショーターの作品は多岐に渡るので、個人的にもっともよく聴いたこの時期の作品を振り返りながら追悼の意を表したい。

 ショーターの名を知らしめした最初の一歩は、1959年のアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズへの参加だった。若手を育てることに定評のあったブレイキーの目にとまり、当代随一の人気バンドの演奏メンバーのみならず、音楽監督にも抜擢される。この頃のジャズ・メッセンジャーズは、ハード・バップ演奏とアフロ・キューバン的なリズムを主体とするファンキー路線を進んでいたが、マイルス・デイヴィスらによって編み出された当時のジャズの最先端のモード奏法をショーターはいち早く導入し、“ア・ラ・モード” や “ピン・ポン” といった楽曲を生み出した。同僚のフレディ・ハバード、リー・モーガンらとともにバンドの黄金時代を築くことに貢献し、『チュニジアの夜』『モザイク』『キャラヴァン』『ウゲツ』といった代表作を生み出している。ショーターはジャズ・メッセンジャーズの初来日時のメンバーでもあり、それ以来日本のジャズ・ファンにも親しまれる存在となった。

 ジャズ・メッセンジャーズでの活動によってショーターは自身の名前も広め、リーダー・アルバムも次々とリリースしていくようになる。1964年にジャズ・メッセンジャーズから独立し、ソロとなって〈ブルーノート〉で吹き込んだのが『ナイト・ドリーマー』で、ここでは中国民謡をモチーフにした “オリエンタル・フォーク・ソング” はじめ、当時のコルトレーンに共鳴するようなモード・ジャズを披露する。バックの演奏はエルヴィン・ジョーンズやマッコイ・タイナーらが務めており、後にこの “オリエンタル・フォーク・ソング” はロバート・グラスパーもカヴァーしている。他にもっとも美しいジャズ・ワルツのひとつである表題曲や、スタイリッシュという言葉がこれほどふさわしいが曲はない “ブラック・ナイル” と、クラブ・ジャズのDJたちからも愛される曲が収録される名作だ。続く『ジュジュ』も “マージャン” のような東洋志向を持つ楽曲があり、またこの頃のショーターが傾倒した黒魔術にフォーカスした表題曲と充実したアルバムだ。

 そして、同時期にショーターはマイルス・デイヴィスの第2期クインテットに加入する。以前からマイルスはショーターの才能に目をつけてグループへ誘っており、それがようやく叶ったのだ。ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスによる黄金のクインテットは、マイルスの歴史の中でも燦然たる輝きを放ったが、それは作曲家としてのショーターの傑出した能力によるところも大きい。実際、マイルスはショーターの作曲能力に惹かれ、グループに彼を招き入れたわけである。第2期クインテットは『E.S.P.』『マイルス・スマイルズ』『ソーサーラー』『ネフェルティティ』といったアルバムを残し、その中でショーターは “ピノキオ” “プリンス・オブ・ダークネス” “サンクチュアリ” などの楽曲を提供している。なかでも印象的な楽曲は “フットプリンツ” で、『マイルス・スマイルズ』で演奏したほかに、自身のソロ・アルバムの『アダムス・アップル』でも披露している。宇宙の孤独を思わせるような漆黒のモーダル・ジャズで、ポスト・バップとなる新主流派ジャズを象徴する1曲だ。

 新主流派ジャズを牽引したのはショーターのほか、ハービー・ハンコック、フレディ・ハバード、トニー・ウィリアムス、ロン・カーター、アンドリュー・ヒル、ボビー・ハッチャーソンらで、マイルス・クインテットはほぼ新主流派ジャズのバンドとなる。そして、ハンコック、ハバード、カーターらと録音したショーターのリーダー作『スピーク・ノー・イーヴル』も新主流派の代表的なアルバムだ。表題曲はじめ、モダン・ジャズという音楽の洗練を極めた形がここにある。もちろん、ジャズは年々進化してはいるが、ある意味で完成形はこの時点ででき上がっていた。新主流派はモード奏法の発展形と言えるものの、ときにフリー・ジャズやジャズ・ロックに接近する面もあり、前衛的なアプローチの一方でメインストリーム寄りの表現をするなど幅広い側面もあった。たとえば前述の『アダムス・アップル』を例に取ると、“フットプリンツ” や “チーフ・クレイジー・ホース” のようなモード・ジャズから、ジャズ・ロックの表題曲、ラテン・ジャズの “エル・ガウチョ” と多彩な楽曲がある。こうした多彩な音楽性、柔軟さもショーターの音楽を象徴するものだった。

 柔軟な音楽性を持つショーターだからこそ、ジョー・ザヴィヌルの実験的なエレクトリック・ジャズ・バンドのウェザー・リポートに参加し、1970年代のジャズの新しい潮流を生み出した。そして、ウェザー・リポート時代の1975年に発表したソロ作『ネイティヴ・ダンサー』も特筆すべきアルバムだ。そもそも1960年代から『スーパー・ノヴァ』などでブラジル音楽への興味を示していたショーターだが、『ネイティヴ・ダンサー』ではミルトン・ナシメントやアイアートらと組み、本格的なブラジリアン・フュージョンを披露している。ミルトン作の “フロム・ザ・ロンリー・アフタヌーン” や “ポンタ・デ・アレイア” など、ジャズとブラジル音楽が結びついた最高のアルバムの一枚である。1960年代後半はときに呪術的で難解なイメージを持たれたこともあったショーターだが、ここでのプレイはジャズを知らない人にもよくわかる、とてもメロディアスで抒情的なもので、余分なものをそぎ落としてスッキリとした姿を見せてくれる。ショーターのアルバムを聴くなら、真っ先にお勧めしたい一枚だ。ちなみに、ミルトンとの共演を勧めたのはショーターの2番目の妻であるアナ・マリアで、アルバムのなかでも彼女に捧げた “アナ・マリア” を演奏している(アナ・マリアは1996年に飛行機事故で亡くなった)。この美しいバラードをショーターへの鎮魂歌として捧げたい。

LEX - ele-king

 それは2017年の3月。まだ14歳だった。初めて世に発表した曲は “こっち見ろ!(Look At Me!)” のリミックス。ダブステップの重要人物、マーラディジタル・ミスティックズ)を大胆にサンプルしたXXXテンタシオン2015年の同曲が、ショウビズ的なレヴェルで大きな注目を集めることになったのが2017年の2月ころ。なのですぐさま反応していることになる。早い。二重の意味で。
 湘南出身のラッパー、LEXはその後自殺未遂を経て死ねなかったことに意味を見出し、本格的に音楽の道を進むことになる。サウンド的にはトラップやイーモ・ラップ以降の感覚をポップに表現、4つ打ちやロックの技法も貪欲にとりいれてきた。精神的不安定、そこから逃れるためのドラッグ、あるいはスマホ、インスタにTikTok──リリックには洋の東西を問わず2010年代を支配することになった鍵概念が散りばめられ、結果、彼は多くのティーンから絶大な支持を獲得。当人もまた10代の代弁者であることを意識していたという。

 他方で彼は同世代のリスナーたちに「べつの見方」を提供することにも心を砕いてきた。2019年4月にリリースされたファースト・アルバム『LEX DAY GAMES 4』のコンセプトは、SNSにとらわれていたり、現実よりもゲームのほうがリアルに感じられたりする状況からティーンたちを解き放つというもので、冒頭 “STREET FIGHTER 888” ではレトロなピコピコ音が鳴り響いている。90年代までのVGMを特徴づけるチップ・サウンドは、以降もときどき彼の曲に顔をのぞかせることになるギミックだ。
 市販薬によるオーヴァードースかヴィデオ・ゲームか──。トー横キッズじゃないけれど、逃走の選択肢が少ないティーンたちの代表たりえているラッパーは、もしかしたら彼以外にもいるのかもしれない。カネを稼ぐことへの執着や「勝つ」という強迫観念、それらヒップホップ/ラップ・ミュージックの世界における定型を活用する一方で、LEXは同業者にはなかなかやれないことをやってのけてもいる。たとえば耳による意味把握が困難なことばたちが走り抜けていく “GUESS WHAT?” (セカンド『!!!』収録)のMV。そこではいまは亡き安倍元首相による国会答弁の様子がブラウン管=旧時代を象徴する機器に映し出され、それをつまらなさそうに眺めるキャラクターたちが配置されていた。政権への違和の表明だ。

 決定的だったのはおよそ1年前、2022年の1月にドロップされた “Japan” だろう。明らかにニルヴァーナを模したサウンドをバックに、やや抽象的な音声が「若者金ない 大人も病んでいる/なのにこの国はシカトをかます/大胆な演説をカマして何度も嘘をつく」と臆することなく歌いあげている。ブリテン島であればこれくらいは「普通」の範疇に含まれるのかもしれない。けれどもここは日本。名指しで国家を批判する19歳の表現に、拍手を送らないわけにはいかない。
 さらに重要なことに彼は、「オトナ=既得権益をむさぼる老害」というありがちな単純化にも与していない。「政府の意見にうんざりするよ/俺達に優しいフリをするのに/働き詰めの若者 老後に困る老人」──高齢者の「集団自決」を推奨する30代後半の御用学者とはえらいちがいで、豊かな共感力と想像力を持ちあわせているからこそ出てくるリリックだ。10代から圧倒的に支持されているファッション・アイコンであり、人気曲 “なんでも言っちゃって” (プロデューサーはKM)のようにご機嫌な曲を書くことのできるラッパーが、他方でこういうシリアスなテーマにも果敢にチャレンジしていることの意義は、「若者の政治離れ」などという惹句がまかりとおる時代・地域にあって、はかりしれない。

 今年1月にリリースされた5枚めのアルバム『King Of Everything』には、しかし、“Japan” は収録されなかった。テーマが異なるということなのだろう。シンプルなギター・ポップ調の “大金持ちのあなたと貧乏な私” のように、置かれた環境や身分のちがいを描写することで格差社会を喚起させる曲もあるにはある。だがこれまで以上にポップさを増した新作は、全体的に、「思春期」の総括のような様相を呈している。昨年20歳を迎えたことが影響しているのかもしれない。
 序盤は「強い自分」を誇示するタイプの曲が目立つが、後半ではよりセンシティヴな感情に光が当てられている。LEXの武器のひとつである、微細に震えるヴォ―カリゼイション。それがいかんなく発揮された “This is me” ではリスナーの承認欲求を受け止め、苦しみに寄り添ってみせる。ドラッグ依存を描写する “If You Forget Me” とセットで聴くと、なぜ彼がティーンから熱烈に支持されているのか、その理由が見えてくるような気がする。アガったり落ちたり、攻撃的になったり優しくなったり、小さな成功を収めたり大きな失敗を繰り返したり、もう四方八方ぐしゃぐしゃで、なにをどうしたらいいのかわからない──だれもが10代に経験しやがて卒業していくことになる苦悶を、等身大で表現してみせること。
 その総決算が THE BLUE HEARTS “歩く花” の本歌取たる最終曲なのだろう。「自分の色も分からない」「窮屈な檻」に閉じこめられている主人公は、「どなたか僕を刺してください」と声を絞り出す。思い浮かべるのはカート・コベインの「俺は俺を憎んでる、死にたい(I Hate Myself and Want to Die)」だ。若さの特権ともいえる過剰な自意識を、みごとにとらえたフレーズといえる。
 このアルバムはきっと、ある種の成長痛の記録なのだと思う。主人公とともにLEXはいま、オトナの世界に足を踏み入れようとしている。「自分」ではなく社会へと目を向けた “Japan” はその前哨戦であると同時に、これから進む先を指し示す道標だったのではないか。だからこそ収録されなかったのではないか。

 まもなくLEXは21歳を迎える。それはすなわち彼が今後、20歳で銃殺されてしまったテンタシオンがけっして歩むことのかなわなかった道を踏破していくことを意味する。現時点でこれほどの共感力・想像力を持つアーティストだ。20代、30代、40代、50代、60代……歳を重ねるごとにその表現には磨きがかかっていくにちがいない。

The Earth as Your Co-writer - ele-king

 昨秋リリースされた最新作『FOREVERANDEVERNOMORE』(最近そのインスト版『FOREVER VOICELESS』も発売)がそうだったように、近年のブライアン・イーノの最大の関心事は気候変動~環境問題にある。なにか音楽家たちがこの問題とうまく向き合う方法はないものか……気候問題にとりくんでいる組織を、音楽産業が支援できるようにするための慈善団体「EarthPercent」の設立はその第一歩だったわけだが、準備が整ったのだろう、いよいよ本格的に動き出したようだ。
 それは、楽曲のクレジットに「地球」を加えること──。シンプルながら興味深い実験だろう。著作権のロイヤリティの一部を環境問題にとりくむアクティヴィズムに活かすためのアイディアで、ソングライターとして「地球」を記載すると印税の1パーセント以上が「EarthPercent」に渡る、という仕組み。ようは音楽から得られる利益を、自然を回復させたり政策を変えさせたりするための資金に転用しましょう、という着想である。目標は、2030年までに1億ドル調達すること。
 すでにジェイコブ・コリア―、元ヴァンパイア・ウィークエンドロスタムマウント・キンビーといったミュージシャンたちがこの活動に参加しており、今後クレジットに「地球」を加えていくという。

 なお〈EarthPercent〉からは2月に、イーノとホット・チップ、ゴッデス(サヴェージズのフェイ・ミルトン)によるコラボ・シングル “Line In The Sand” が、植物由来のバイオプラスティックでつくられたレコードでリリースされているのだが、今回の発表とほぼおなじタイミングでその収録曲2曲がストリーミングでも解禁されている。試聴・購入はこちらから。

Gas Lab & Kazumi Kaneda - ele-king

 ジャズのテイストを織り交ぜたビートメイカー&ミュージシャンとして、近年活躍が目立つところではキーファーリジョイサーFKJDJハリソンedbl などの名前が挙げられる。それぞれテイストは違い、イスラエル・ジャズ・シーンのキーパソンでもあるリジョイサー、フランスならではのお洒落なポップ・センスやアンビエント感覚を有する FKJ、ジャズ・ファンク~ヒップホップ・バンドのブッチャー・ブラウンでも活動するDJハリソンなどそれぞれの個性を打ち出しているわけだが、カナダのレーベルの〈インナー・オーシャン〉から登場したガス・ラブとカズミ・カネダのコンビも、こうした面々のなかに入れることができるだろう。〈インナー・オーシャン〉はロー・ファイ・ヒップホップ系のリリースが多く、ガス・ラブとカズミ・カネダもこうした範疇に分類できる。

 ガス・ラブはアルゼンチン出身のマルチ・ミュージシャン/プロデューサーで、カズミ・カネダは東京を拠点とするピアニスト/プロデューサー/作曲家。もともと〈インナー・オーシャン〉で別々にソロ作品をリリースしていたふたりがコラボし、作ったアルバムが『トランス・パシフィック』である。ガス・ラブはラテン系のミュージシャンであるがゆえ、ラテンとファンクを取り入れた曲作りを得意とする。一方、カズミ・カネダはジャズ・ピアノの素養があるようで、自身のピアノ演奏を取り入れたビート・メイキングが特徴だ。
 ブエノスアイレスと東京と離れた場所に住むふたりがネットを通じてのリモート・コラボで作り上げた『トランス・パシフィック』は、そうした両者の持ち味を融合した作品となっている。そして、これまでガス・ラブの作品に参加してきたミュージシャンたち、アンドリュー・グールド、デヴィッド・ラヴォワ、ハビエル・マルティネス・バジェホス、フアン・クラッペンバッハ、ヘクター・マリオがフィーチャーされ、生演奏をふんだんに取り入れている点も特徴となっている。

 “パイプ・ドリーム” はトランペットとエレピがメロウで哀愁漂うメロディを紡ぐジャジー・ヒップホップ。カズミ・カネダのピアノとガス・ラブのベースとそれぞれの演奏も十分に披露されていて、かつてのヌジャベスの系譜を引き継ぐような楽曲である。“ビー・ウォーター” は水の流れる音とエレピのクリアーな音色を融合し、ギター演奏が透明な水のなかに煌めきを加えていく。ビートを少しずらしたJ・ディラ風のアプローチにより、新世代ジャズにも繋がるようなナンバーだ。“ゲッタウェイ” はロー・ファイ・ヒップホップというよりも、かつてのクルーダー&ドーフマイスターを思い起こさせるトリップホップ的なナンバーで、陰影に富むフルート演奏も印象に残る。

 “パナセア” はカズミ・カネダの美しいジャズ・ピアノを軸とするナンバー。浮遊感に富むビート・メイキング・センスの素晴らしさとともに、彼のピアニストとしての豊かな才能も味わうことができる。“リコレクト” はサックスをフィーチャーしたジャズ・バラードとヒップホップ・トラックのコンビネーション。『トランス・パシフィック』全体に流れるメロウネスを象徴するような作品である。
 “インプレッションズ” はジョン・コルトレーン・カルテットの “インプレッションズ” とは異なるナンバーであるものの、ところどころでそれを連想させるフレーズも出てくる。ピアノやサックスのモーダルな演奏はコルトレーンやマッコイ・タイナーを意識したところもあるだろう。“スウェル” はクラブ・ジャズやブロークンビーツのマナーを感じさせる曲で、アンドリュー・グールドのテナー・サックスがエモーショナルでソウルフルなプレイを聴かせる。ヒップホップをベースとしたトラック・メイキング、ジャズをベースとした楽器演奏、それぞれが高い地点で結びついたクオリティではブルー・ラブ・ビーツあたりにも比類し得る作品集となっている。

Karolina - ele-king

 イスラエル・ジャズ・シーンのキーパーソンであるリジョイサーことユヴァル・ハヴキン。2022年はベノ・ヘンドラー、ケレン・ダンと組んだバターリング・トリオとして6年ぶりの新作『フォーサム』を発表した。ジャズ、ネオ・ソウル、ビート・ミュージック、エレクトロニカ、サイケなどの融合による彼らの持ち味を遺憾なく発揮した傑作であるが、彼が制作に参加したもう一枚の素晴らしいアルバムがある。それがカロリナというシンガー・ソングライター/ギタリストによる『オール・リヴァーズ』である。

 本名をケレン・カロリナ・アヴラッツといい、1971年にイスラエルのテル・アヴィヴにあるヤッファ地区で生まれ、その後最南端にあるエイラートという都市で育った彼女は、幼少期よりギリシャ、アラブ、トルコなど周辺地域の音楽を聴いてきた。同時に地元で行われる紅海ジャズ・フェスティヴァルからも刺激を受け、兄のジョセフの影響もあってジャズ、ソウル、ニューウェイヴなども聴くようになり、15才の頃からクラシック・ギターのレッスンを始め、独学で音楽全般も学んで音楽活動も開始する。
 影響を受けたレコードにサイマンデの『ダヴ』、カーティス・メイフィールドの『スーパーフライ』、マーヴィン・ゲイの『ワッツ・ゴーイング・オン』、ローリン・ヒルの『ミスエデュケーション』を挙げ、他にもエリザベス・コットン、フェラ・クティ、スティーヴィー・ワンダー、ニーナ・シモン、アマドゥ&マリアム、アントニオ・カルロス・ジョビンから影響を受けたという彼女は、1999年頃にはレコーディングも始め、トランス系のユニットに参加して歌も歌うようになる。その頃からカロリナというアーティスト・ネームを用いるようになり、ときにMCカロリナとしてダンス・ミュージックの分野を中心に活動していく。2000年にテル・アヴィヴのミュージシャンたちと結成したファンセットがその代表で、レゲエ、ネオ・ソウル、トリップ・ホップなどをミックスしたスタイルだった。

 一方でハバノット・ネチャマというアコースティックなフォーク・トリオを2004年に結成し、ゴールド・ディスクを獲得するなどイスラエル国内ではよく知られる存在となっていく。〈トゥルー・ソウツ〉と関係が生まれたのもこの頃で、2005年にはMCカロリナ名義でコンピレーションなどに参加している。また、もうひとりの兄弟であるショロミとマッドブーヤーというプロジェクトを結成し、フォーク、トライバル、プログレッシヴ・トランスがミックスしたユニークな音楽を制作するなど、幼少期から聴いて育ったイスラエル周辺地域のフォークや伝統音楽と、ダンス・ミュージックやクラブ・サウンドはじめ現代の音楽をいかに融合し、いかにしてオリジナルな音楽を創造していくかに腐心するようになる。
 そして、2007年頃からミュージシャン/プロデューサー/作曲家で、アニメーターとしても活躍するクティマンとコラボレーションするようになり、“ミュージック・イズ・ルーリング・マイ・ワールド”のヒットを飛ばす。2009年の彼女のファースト・ソロ・アルバム『カロリナ(ワット・シャル・アイ・ドゥー・ナウ?)』はクティマンとDJのサッボのプロデュースで、ロック、フォーク、ソウル、ファンクなどをブレンドした内容だった。
 このアルバムはイスラエルのASCAP賞にあたるACUM賞を獲得するなど高評価を得て、2017年の3枚目のソロ・アルバム『3』も再びクティマン&サッボとタッグを組んだものだった。その前よりカロリナはロサンゼルスにも進出していて、エイドリアン・ヤングのプロジェクトのヴェニス・ドーンにも参加する。2016年リリースの『サムシング・アバウト・エイプリル・II』では“ウィンター・イズ・ヒア”など4曲でヴォーカルのほかに作曲も行い、そのライヴではケンドリック・ラマー、ビラル、レティシア・サディエールらと共演している。

 そして、『オール・リヴァーズ』は『3』から5年ぶりとなる通算4枚目のソロ・アルバムで、〈トゥルー・ソウツ〉から初めてのアルバムとなる。これまでのアルバムはヘブライ語で歌っていたが、本作では初めて英語で歌っている。アルバムの制作中、カロリナはイスラエルの詩人のアヴォス・イェシュルンの著作に触発され、その中の「全ての川は川に戻る」という概念に魅了されてアルバム・タイトルを名付けた。
 参加ミュージシャンは前述のリジョイサーほか、アヴィシャイ・コーエン、ニタイ・ハーシュコヴィッツ、アミール・ブレスラー、ソル・モンク、ノモック、ウジ・ラミレス、エヤル・タルムーディ、ジェニー・ペンキンなど、テル・アヴィヴのジャズやソウル・シーンなどで活動するミュージシャンが集まっている。このなかでアヴィシャイ・コーエンはもっとも著名なミュージシャンで、現在はニューヨークを拠点に世界中で活躍するトランペット奏者である(ベーシストのアヴィシャイ・コーエンとは別人)。ジェニー・ペンキンはノモックなどと組んでマソックというフューチャリスティックなソウル・ユニットで活動し、リジョイサー、ニタイ・ハーシュコヴィッツ、アミール・ブレスラー、ソル・モンク、エヤル・タルムーディはタイム・グローヴというジャズ・グループを組み、2018年に『モア・ザン・ワン・シング』というアルバムをリリースしている。
 楽曲はカロリナが作詞作曲するほか、リジョイサー、アミール・ブレスラーが作曲や編曲を務める作品もあり、全体的なムードとしてはバターリング・トリオ、タイム・グローヴ、アピフェラなどリジョイサー関連のプロジェクトに通じるムードが流れている。

 ボサノヴァのリズムに乗せた“セルフ・ヴードゥー”はじめ、イスラエルの民謡に繋がる独特のメロディを持つ楽曲がカロリナの個性だろう。アメリカのソウル・ミュージックにも影響を受けているとはいえ、歌い方も明らかにR&Bの文脈とは異なるもので、ハバノット・ネチャマなどで培ってきたフォーク・ミュージックの影響が大きい。アヴィシャイ・コーエンをフィーチャーした“オール・リヴァーズ”もフォーキーな色合いが強い楽曲で、ジャズとソウルと民族音楽を巧みにブレンドしている。“ドライヴィング・ミー・マッド”はアフロ・ボッサのリズムとエキセントリックなシンセの音色に、どこか妖精を思わせるカロリナの歌声がマッチしている。
 “リターン”も幻惑的なサウンドでカロリナのドリーミーな歌声を引き立てる。ジェニー・ペンキンをフィーチャーした“レディ・フォー・ジュジュ”はラテン風の哀愁が漂い、キューバ出身のイベイーにも通じる楽曲となっている。エキゾティックな音階を持つ“サンキュー”にはアフリカのマリの音楽と同じムードがあり、カロリナが敬愛するアマドゥ&マリアムの世界を想起させる。“ノー・モア・ミー”はアフロとダブを融合したようなジャマイカ風味の楽曲で、ザラ・マクファーレンあたりに近い雰囲気を持つ。
 イスラエルのほか、アフリカ、キューバ、ブラジル、ジャマイカなど様々な国の音楽のエッセンスを上手く融合した作品集だ。

R.I.P. 鮎川誠 - ele-king

 連日レジェンド級のアーティストたちの訃報が続き、堪えるなと思っていたところへまたひとり……シーナ&ロケッツの、そして日本を代表するロックンロール・ギタリストの鮎川誠が1月29日午前5時47分(シーナ!)に亡くなった。享年74歳。日本中のロックンロール・ファンがいま、悲しみに暮れている。
 昨年5月に膵臓がんで余命5ヶ月を宣告されてからも「一本でも多くライヴをしたい」とツアーを続け、近年ではもっともライヴの多い一年になったという。最後までロックとライヴにこだわった生涯だった。
 11月にはシーナ&ロケッツ45周年ワンマンを新宿ロフトで行った。ライヴ中にウィルコ・ジョンソンの訃報が入り、「ウィルコの分までロックするぜぃ!」と叫ぶ姿がYouTubeに投稿されている。
 そんなウィルコ・ジョンソンやイギー・ポップといった鮎川とも交流のあったアーティストたちと同様に、鮎川はパンク以前とパンク以後、メジャーとアンダーグラウンドを自在に行き来した存在だった。鮎川の人生は日本のロック史と、そして日本の戦後史とも寄り添っている。

 アメリカ兵の父と日本人の母の間に生まれ、母子家庭で育った鮎川少年はラジオで50年代のロックンロールと出会う。次第に音楽に惹かれていく中でビートルズ、そしてローリング・ストーンズとの出会いが彼の一生を決めた。
 地元久留米のダンスホールに入り浸る高校時代。そして「音楽をやるために」九州大学へ進学、柴山俊之(菊)らと71年にサンハウスを結成する。サンハウスはメンバー全員が熱心なレコードマニアであり、それぞれにブルースから最新のロックまであらゆる音楽を吸収し、ブルースのカヴァーを中心にレパートリーを増やしていく。
 そんな中でブルースの次に目指したのが「日本語のロック」だった。奇しくも『ニューミュージックマガジン』に「日本語ロック論争」と呼ばれる記事が掲載されたのと同時期だが特にそれを意識したものではないようだ。ある日柴山が書いてきた「俺の身体は黒くて長い、夜になったら抜け出して」で始まる歌詞に鮎川が曲をつけて出来上がった「キングスネークブルース」は、それまでの日本の歌謡曲とも、はっぴいえんどの「日本語ロック」とも異なる、ブルースの泥々したエロティックな世界を日本語で表現したものだった。
 今でこそ福岡は日本のロックの大きな拠点のひとつとして知られているが、サンハウスが活動を始めた当初はシーンなど存在していなかった。米兵を相手にしたダンスホールが閉店していくと、彼らは地元のホールなどを借りて自主コンサートという形で活動を続けていく。そんな彼らを見て育ったのがルースターズやロッカーズをはじめとする「めんたいロック」第二世代勢である。福岡にロック・シーンを築いたのがサンハウスだったのだ。
 その後、伝説のフェス「郡山ワンステップ・フェスティバル」出演などで注目を集め、75年にはメジャー・デビュー・アルバム『有頂天』をリリース。テイチクから「ヒット賞」をもらうほどのヒットとなったという。
 生涯の伴侶となるシーナとの出会いも、サンハウスのライヴだった。ある日、バンドが演奏しているダンスホールにふらっと入ってきた青いスーツ姿のロック少女。高校生ながら東京、京都とロック・バンドを求めて旅をした帰りに、福岡の街を歩いていると聞こえてきたサウンドに耳を惹かれて立ち寄ったのだという。そのまま二人はすぐに意気投合。数日後には同棲を始め、サンハウスのセカンド・アルバム『仁輪加』リリース直前の76年に結婚する。
 78年にサンハウスが解散すると、鮎川はシーナの親の後押しもあり、単身東京へ出る。当初はスタジオ・ミュージシャンとして身を立てていくつもりだったのだが、後日様子を見に上京したシーナが「歌いたい」と言い出したことがシーナ&ロケッツの結成につながっていく。

 サンハウス解散時にはパンクに夢中になっていた鮎川とシーナが同時に惹かれていたのは、フィル・スペクターなどの50年代のメロディだったという(それもまたラモーンズやニューヨーク・ド-ルズがロックにもたらしたものだった)。パンク/ニューウェイヴとそれ以前のロックを結びつけるシナロケの基本的な構想は、YMOファミリーと出会う前からあったものだとわかる。東京ではパンクに理解のあるミュージシャンとなかなか出会えず、結局末期サンハウスのメンバーだった浅田猛と川嶋一秀を迎えてシーナ&ロケッツが結成された。
 エルヴィス・コステロの来日公演でシナロケが前座をつとめた際に観客として訪れた高橋幸宏が仲立ちとなり、細野晴臣プロデュースによるセカンド・アルバム『真空パック』が録音される。同時期にYMOの『ソリッド・ステイト・サバイバー』のレコーディングにも参加している。このときのエピソードについては最近もテレビで語られたりしているのでご存じの方も多いだろう。
 その後もYMOファミリーとの関係は続き、シナロケのサード・アルバム『Channel Good』やシーナのソロ・アルバム『いつだってビューティフル』は前作に続き細野がプロデュースし、YMO関係者が演奏に参加している。
 サンハウス時代のブルース・ロックから一転してニューウェイヴ/テクノポップ・サウンドに身を包んだシーナ&ロケッツは「YMOファミリー」として一躍人気を得る。これ以降はテレビ出演の機会なども増え、お茶の間での知名度も上がっていった。おそらくこの時期に彼らのことを知った人が多いだろう。コンビニやカップラーメンなど、九州ローカルのCMなどもいろいろと出演している(そんなCMでもかっこいいのが流石である)。

 シンガーとしても独特な朴訥した魅力があった。81年の日比谷野音でのライヴから鮎川が歌った曲を集めた『クール・ソロ』、シーナの産休中にロケッツ名義でリリースされた『ロケット・サイズ』など鮎川のヴォーカルをフィーチャーしたアルバムも何枚かリリースされている。中でも特筆したいのは、盟友ウィルコ・ジョンソンのプロデュースによる『ロンドン・セッション#1』『#2』の2枚だ。ウィルコとそのバンド・メンバーをはじめ、ハーピストのルー・ルイス、エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズのスティーヴ・ナイーヴなどパブ・ロックの名手が参加し、ジーン・ヴィンセントやリンク・レイ、チャック・ベリー、BBキングなどロックンロールやブルースの名曲を伸び伸びと演奏している。

 ルーツ音楽を追求する一方でコンピュータやインターネットに興味を持つのも早く、96年には自身の手による公式ホームページ「ロケット・ウェブ」を作成。同年には名著『DOS/Vブルース』を刊行している。このロケット・ウェブは立ち上げが早かっただけでなく、最後まで当初の形を残したまま更新が続いていたということも特筆しておきたい。ディスコグラフィーには詳細な本人解説がつき、ほぼすべてのライヴのセットリストが翌日にはアップされていた(昨年12/19に三宅伸治のライヴにゲスト出演したものが最後になっている)。今見るとちょっと懐かしいような昔ながらの「ホームページ」だが、その無骨な感じが鮎川らしい。

 鮎川の、というかシーナ&ロケッツについて特に重要なのは、シーナは子どもを生んでから初めて音楽活動を開始したということだ。それまでステージ経験のまったくなかった女性が出産後にバンド活動を始めるというのはかなりレアなケースだと思う。『女パンクの逆襲』でも書かれているように、出産をきっかけに女性アーティストがいったんキャリアを中断せざるをえなくなるケースは枚挙にいとまがない。そんななか、周囲のサポートと本人たちの強い意志でバンド活動を継続していった鮎川夫妻の提示した家族像は極めて新しいものだったのではないだろうか。その後は長女がバンドのロゴをデザインし、次女がマネージメントに携わり、2015年にシーナが亡くなった後は三女が母に代わってステージに立つに至る。

 新旧のロック、ブルース、ソウルへの造詣の深さは評論家顔負けのものがあった。雑誌の企画でおすすめ版を求められればスリム・ハーポからアラン・ヴェガまで様々なレコードが挙がる。彼の監修したディスクガイド『200CDロックンロール』はブルースからR&B、正統派ロックにパンク/ニューウェーヴまでを網羅したこれまた名著である(個人的にはニューヨーク・ドールズでセカンドを推しているあたりに膝を打った)。60年代ガレージ・パンクのコンピレーション・シリーズ「ペブルス」から鮎川が選りすぐって選曲した『ペブルスの真髄』も名コンピである。筆者はここからガレージの世界にはまっていったものだ。

 そんな鮎川誠というミュージシャンだが、「代表作」を挙げにくいという問題がある。もっともヒットしたのは『真空パック』だろうが、やはりYMO色が強すぎる。やはり鮎川はライヴでこそその真価を発揮するタイプのアーティストだったのだと思う。
 対バンのあるイベントで見るとよくわかるのだが、まずシナロケは常にどのバンドよりも音がでかい。そして長年連れ添ったレスポールから発するあの爆音は、エフェクターなしでどうやったらあんな音が出るのかまったく見当もつかない。3年ほど前に、ピータ・バラカンと鮎川の対談イベントというのがあり、その際にちょっとしたミニライヴがあったのだが、バラカン氏も「ものすごい音ですね、なにか特別なアンプを使っているんですか?」と尋ねていたものである。
 はっきり言ってしまえばテクニック的に彼よりうまいギタリストは正直いくらでもいる。しかしながらステージに現れてEコードを一発鳴らしただけですべてを納得させてしまうサウンド、そしてその佇まいの問答無用のかっこよさ。
 あれほどまで「ロック」を体現したギタリストは誰もいなかったし、これからも現れないだろう。あの雷鳴のようなすさまじいギターには代わるものがない。あれがもう聴けなくなってしまったことがただただ残念で仕方がない。

Meemo Comma - ele-king

 前作でエヴァンゲリオンにインスパイされたアルバムを発表したミーモ・カーマが3枚目のアルバムを2月24日にリリースすると、レーベル〈プラネット・ミュー〉が発表した。先行シングル「Cloudscape 」はすでにリリースされており、ここ数年ものすごい勢いで再評価されているマックス・ツンドラがフィーチャーされている。アルバムのほうは、タイトルが『Loverboy』で、彼女が90年代に好きだったエレクトロニック・ミュージック(トランス、ジャングル、IDMなど)が集約されている。レーベルによればここには「過去や新しい友人から、Autechre、A Guy Called Gerald、Orbital、Shitmatなど、長年に渡ってMeemo Commaのサウンドを変化させてきたアーティストからの影響が散りばめられている」。
 レーベルではすでに予約を開始中

Ben Frost - ele-king

 ベン・フロストの新作『Broken Spectre』を繰り返し聴いている。うごめく環境音のなかに身を投じるように浸っていると、世界と音の遠近法が刷新されていくような感覚を覚えた。音と世界が溶け合っていく。
 フィールド・レコーディング音が交錯していく実験的な作風だ。強烈なノイズとビートは姿を消し、どこかフランシスコ・ロペスを思わせる本格的なフィールド・レコーディング作品に仕上がっている。
 〈MUTE〉からのソロ・アルバム『Aurora』(2014)や『The Centre Cannot Hold』(2017)の系譜というよりは、『Dark』(2019〜2020)、『1899』(2022)などのサウンドトラックに近い作風ともいえる。しかしここでは「メロディ」はない。ここまで環境録音を全面化した彼のアルバムは初めてではないか。
 あえていえば、2003年に〈Room40〉からリリースされたアンビエント・ドローン作品『Steel Wound』の「トーン」に共通項を感じることができるかもしれない。じっさい『Steel Wound』の静謐な音のムードやトーンは確かに本作『Broken Spectre』にどこか似ている。その意味で、彼は19年の月日を経てもう一度、原点に回帰したのだろうか。
 いずれにせよフロストの根底にある「ノイズ」は、この『Broken Spectre』にも確かに横溢している。彼の作風はもとより音の実験性を追求しているものだが、本作ではそれが全面化したとすべきかもしれない。

 なぜそうなったのか。それにはアルバムの成立過程もある。音響作品『Broken Spectre』は、フロストとは長年仕事をしているフォトグラファー/アーティストのリチャード・モッセの同名映像作品『Broken Spectre』の音響なのだ。
 リチャード・モッセとフロストはこれでもMVなどでコラボレーションをおこなってきたし、コンゴの紛争地帯を赤外線フィルムで収めた『The Enclave』という映像作品でもともに作品を作ってきた(ちなみに『The Enclave』は7インチ・シングルとして2012年にリリースされた。フロストの作品系譜としては、この『The Enclave』の流れにあるとするのが正確かもしれない)。
 映像作品『Broken Spectre』はリチャード・モッセと撮影監督トレヴァー・トゥウィーテン、音響監督ベン・フロストの3人で制作された。映像版では衛星画像技術を用いたマルチスペクトル・カメラや熱に敏感なアナログのフォルムが用いられ、破壊されていくアマゾンの大自然を劣化していく映像で捉えているのだ。ジャーナルとアートとドキュメンタリーが交錯するコンセプチュアルな作品である。
 フロストの音響も同様にコンセプチュアルだ。「4分の1インチのアナログテープと、人間の耳には聞こえない超高周波音をとらえるために設計された、非音波録音システムの組み合わせを用いて音を取りこんだ」という。そして「この周波数スペクトルは、人にも聞こえるよう数オクターヴ低く再調整され、コウモリや鳥、昆虫の隠された通信を明らかにしている」ともいうのだ。
 つまりこのアルバム『Broken Spectre』では人の耳では察知できない森の音を抽出しようとしているわけである(ちなみにこの緻密な環境作品は、アビー・ロード・スタジオのでクリスチャン・ライトによってマスタリングされた)。
 じじつ『Broken Spectre』を聴いていると、音の生々しさと何か音響が拡張されていくようなふたつの感覚を得ることができる。不思議な感覚だ。聴いていると時間・空間感覚が変化していくとでもいうべきか。フィールド・レコーディング作品でありながら、サイケデリックな感覚の拡張がある。

 アルバムは全12トラックに別れている。どれも環境録音を全面に押し出した実験的な作風だが、トラックが進むにつれアマゾンの環境音の向こうにある「ノイズ」のような音が聴こえてくる。これが電子音なのか自然の発する音なのかは私には判別がつかないが、大切なことは、「自然の音の中にあってすべての音が融解している」ということにあるはずだ。世界の音は、多様であり、不思議であり、そして驚きに満ちている。『Broken Spectre』を聴き込むとよくわかる。
 とはいえただ「聴く」だけではこのアルバムの本質はみえてはこない。燃やされ、切り落とされ、破壊されゆくアマゾンの悲劇的な環境音を遠く離れたこの国で聴くためには、その表現や文脈を理解する必要がある。『Broken Spectre』は写真集という形でもリリースされているからそれを手にとってみるのもいいし、まずはバンドキャンプでのアナウンスを読み込むのも良いだろう
 このアナウンスでフロストは本作を「失敗の記録」と語っている。確かに大自然の破壊をおこなうことで文明を維持していくわれわれの社会は地球環境に対して「失敗」をしている。フロストは、アマゾンの環境音とともに問う。なぜわれわれは「失敗」(=環境破壊)し続けているのかと。この問題はとても重い。
 しかしそれでもなお、私はフロストによって録音された音たちを無心に聴き込むことが大切ではないかと思っている。アマゾンの自然の発する驚きに満ちた音たちは、どんな電子音響にもノイズ・ミュージックにもない驚きに満ちた音空間を生成しているのだから。驚きに満ちたサウンドスケープがここにある。

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