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菊地成孔によって牽引された00年代初頭の日本のジャズは、90年代的なクラブジャズに対して、現場のジャズ・ミュージシャンからの反撃でもあった。著作や講義を通じて行われる和声とリズムの楽曲構造分析と、つぎつぎに発表されるDCPRGなどのアルバムの両方から、聴き手の耳を教育した氏の功績は大きい。
また00年代初頭は、90年代末期のグリッチ・ムーヴメントを契機にして、日本でもエレクトロニカや電子音響が人気を博していた時代でもあった。ハードディスクの大容量化とラップトップ・コンピューターの高速化に伴い、これまでは不可能であった複雑なサウンドの生成が可能になった。
00年代初頭の日本のジャズ受容と00年代初頭のエレクトロニカ・ムーヴメント。これらはいっけん無関係でありながら、00年代初頭の時代性を刻印するコインの表裏のようなものである。共通するのは90年代的なサンプリング感覚以降という感性と知性であろう。そして、現在は、00年代初頭の音楽的状況に大きな影響を受けている世代が活躍をしている時代だ。
このUN.aは、そのようなジャズとエレクトロニカの00年代初頭的な成果を見事に統合させた類稀なユニットである。
ピアノとエレクトロニクスを担当する中村浩之(電子音楽家としても知られている)と、サックスとエレクトロニクスを担当する宇津木紘(ミキシングエンジニアでもある)によるUN.aのファースト・アルバムには、ジャズと電子音とクラシカルな要素が極めて自然に共存している。それは作曲と演奏によるものであり、コラージュ/サンプリング的な拮抗でも対立でもない点が重要だ。
本作で展開される多様な音楽の交錯は、単なる混在でもないし、単なる越境でもない。クラシックからアルゼンチン・タンゴ、アンビエントからビート・ミュージック、さらにはインディ音楽からブラジルまで、こぼれ落ちそうなほど豊穣な音楽性がきちんと整理・精査され、楽曲として無理なくコンポジションされているのだ。このエレガント、かつスムーズな作曲・編曲の能力の高さこそUN.aの魅力といえる。
“インターセクティング”、“アマチュア”、“アルボス”と続く冒頭3曲においては、ボーカル・メロディとコードとリズムとサウンドが絶妙な均衡の中で美しく溶け合っていく。ピアノは音楽の中で美しい響きを描き、サックスはジャズの不意にイディオムを導入し、ベースのフレーズはジャズの慎ましく主張するだろう。そうして描かれるアルバム全体のヴィジョンは、季節のような円環する時間ではないか。春から夏、そして秋から冬へ。円環する時の中で、華やぎ、そして枯れていくものたちへの慈しみ。
その叙情がもっとも濃密に込められている曲が“イン・メニィ・ウェイズ”といえよう。秋の訪れのようなメロディと、トラックの絶妙な浮遊感は何度でも聴きたくなる中毒性がある。ピアノのフレーズに導かれて始まる“8 1/2”は、どこかアルゼンチン・タンゴのような雰囲気の楽曲であり、刹那と永遠が交錯する美しさに満ちている。濃厚な空気を自在に泳ぐようなピアノとヴァイリンの見事な交錯が、とにかく素晴らしい。そして絶妙に介入する電子音!
そう、ジャズも、クラシックも、エレクトロニクスも、ひとつの音楽として生成し、消えていく。手法に溺れず音楽へと昇華させている。私はその点に何より感動した。
ジャズとエレクトロニカの交錯には15年かかった。ジャズ的な和声と演奏の情報量と、エレクトロニカ的なサウンドの情報量の両立が難しいはず。なかなか成功例のなかった領域だが、彼らはこのファースト・アルバムで見事に成果を出した(私見だが、UN.aは東京ザヴィヌルバッハの系譜を拡張する貴重なユニットではないかと思う)。
00年代初頭の決定的な変化を引き継ぐ、極めて2015年的なポップ/ミュージックのカタチがここにある。
デンシノオト