「Noton」と一致するもの

Lana Del Rey - ele-king

 オープニングの“White Dress”に震える。まるで耳元で囁くような距離の近さで、ポップ・スターになることを夢見る「白いドレスを着たウェイトレス」であった若き日々の経験を告げるピアノ・バラッドだ。まだ有名ではない彼女は「サン・ラのようにちっぽけな気持ち」だったが、音楽業界の男に見初められて業界人の集まる会議に行き高揚感を味わう。神になったような気分であったと。ドラマティックなメロディに取り残されるようにかすれる声。けれどもその高揚感は、彼女の才能が認められたわけではなく、たんに業界の男に性的に搾取されたことの結果だったのかもしれない。まさに#metooが告発し、否定したものだ。けれどもラナ・デル・レイは、その経験を自身の甘美な思い出としてうっとりと歌うのである。
 “White Dress”はまた、ホワイトである彼女の後ろめたさを滲ませた曲でもある。サン・ラを引用しているのは彼が生前音楽業界から過小評価されていたからで、その惨めな気持ちをかつては共有していたが、若い白人女性であった自分(「ホワイト・ドレス」を着ている)はあるとき成功を手にしたのだと。それは、#blacklivesmatter以降に生きる白人が自身の特権と向き合う感覚とどこかで重なっている。非倫理的な愛の喜び、後ろめたさ、過ぎ去った甘美な記憶に浸ること……これらはつねにラナ・デル・レイの歌の重要なモチーフであり、時流を捉えたハッシュタグでは掬い取れない人間の正しくなさ、欠点を生々しく描き出す。
 続くアルバム・タイトル・ナンバー“ Chemtrails Over the Country Club”もまた非常に親密なラヴ・ソングで、サッドコアのアイコンとしては恋愛の幸福な瞬間をとらえているように見えるが、その背景ではカントリー・クラブの上に環境を汚染する飛行機雲がかかっている。ケムトレイルズとは陰謀論のメタファーであり、つまりこれはカントリー・クラブに通うようなアメリカの白人保守層が陰謀論に侵されている時代を背景にした、とろけるような愛の歌なのである。その儚い響きは、現代のいかれたアメリカを生きることのメランコリーそのものだ。この2曲を聴くだけで、ラナ・デル・レイがいまもっとも怜悧に人間とアメリカ社会の複雑さを描いているソングライターであることがわかる。

 6作目となる『Chemtrails Over the Country Club』はラナ・デル・レイにとってのアメリカーナ・アルバムで、彼女はこれまでずっと舞台としてきたLAを離れてタルサ(オクラホマ)〜リンカーン(ネブラスカ)〜オースティン(テキサス)〜オーランド(フロリダ)と旅しながら、まさに前世紀の内陸的なアメリカ音楽の遺産をなぞるようにフォーキーな楽曲を並べている。セピア色だったラナ・デル・レイのイメージはサウンド的にももはやモノクロームになり、古典的な佇まいが強い。ソングライティング自体は前作に引き続き70年代のシンガーソングライター・アルバムを踏襲しているようなところがあるが、音の質感やアレンジ自体は1940年代に政治的な理由によりフォークから分離したとされるカントリーにまでリーチしたものだ。象徴的なのはカントリー歌手のニッキー・レインがすれた歌声を聴かせる“Breaking Up Slowly”で、これは「カントリー界のファースト・レディ」と呼ばれたタミー・ワイネットのことを歌ったもの。アルコール依存症だった夫でカントリー歌手ジョージ・ジョーンズとの別離をブルージーに描き、アメリカが誇る女性シンガーが直面した困難な愛の物語を自分に重ねているのだ。ワイネットはのちにヒラリー・クリントンに「わたしは彼女のように男のそばに大人しく立っている女とは違う」と揶揄されたが、ラナ・デル・レイは自分がワイネットのようなシンガーの系譜にあるとした上で、彼女が歌った愛に敗れる女性の心情を美しいものとして引っぱり出している……アメリカの保守的とされる場所から。
 タルサを舞台にジーザスと聖書を讃える“Tulsa Jesus Freak”のような曲はアメリカの批評では福音派のイメージと重なっていると指摘されており、そのように見ると「We'll be white-hot forever, and ever and ever, amen」というリピートは白人至上主義のことを示しているようでぎょっとするところがある。「ホワイト・ホット」とは「白熱」の意味であり、語義通りに取ると情熱的な恋愛を歌ったものではあるのだが、本作の初期のタイトル案が「White-Hot Forever」であったことを思うと白いアメリカに対する言及と捉えないことのほうが難しい。ただ、これは明らかに白人を中心にして作られてきたアメリカが現在糾弾されていることを念頭に置いたもので、WASP的な美学をいたずらに纏っているとの批判に晒されてきたラナ・デル・レイが、いま古き良きアメリカのイメージに浸ることがいかにグロテスクなことか自覚したものだと見なせるだろう(タルサは白人が黒人を大量に虐殺した暴動で知られる町である)。アメリカの土地がいかに血塗られたものであるかを仄めかしながら、彼女はそれでもノスタルジアの誘惑に駆られる自分を隠さない。この20年の音楽作品でおそらくもっとも近いのは、アメリカの歴史の闇に自分の心情を取りこんだスフィアン・スティーヴンスの『Illinois』だろう。どちらも「私」の葛藤や矛盾がそのまま、アメリカ社会のダークネスと重ねられた作品である。その矛盾をすべて抱えたものがアメリカであり、そして「私」であると。

 『Born to Die』で生気のない佇まいとともに登場しレトロと戯れていたラナ・デル・レイは、フェイクな存在だと長い間言われてきたし、自分も正直はじめはそう思っていた。実際、暴力的な男に痛めつけられるか弱い女の像をやや露悪的・偽悪的に表象していたところはあるだろう。けれども、『Lust for Life』辺りから変わっていくことの困難とそれでも変わろうとする人間の心の動きを彼女は積極的に綴るようになり、自分の不道徳さを晒してきたからこそリアルな存在と――「アメリカの次の偉大なソングライター」とまで呼ばれるまでになった。何か「不適切な」言動をおこなうとソーシャル・メディアで吊るしあげられ一瞬で忘れ去られるような時代にあって、ラナ・デル・レイの歌だけはいつも聴く者の間違いや不完全さに寄り添っていく。
 だからこそ現在のラナ・デル・レイは、弱くて愚かな人間がそれでも変わることや希望を持つことを諦めない。『Chemtrails Over the Country Club』はそして、彼女が敬愛するジョニ・ミッチェルの“For Free”で終わるアルバムだ。路上で歌う名もなきミュージシャンの自由と真実味を讃える美しいバラッドで、それをラナ・デル・レイはワイズ・ブラッドのナタリー・メリングとゼラ・デイとともに歌うことで、わたしたちが自由を求める姿を体現してみせた。そこにはもう、業界の男の利用されて恍惚とする女はいない。
 本作の前に出たシングル「Looking for America」で「それでもわたしのヴァージョンのアメリカを探している」と歌っていたラナ・デル・レイは、まさにいま表現者としての探究心によって黄金期を迎えている。『Blue Banisters』と題されたアルバムが、今年の米独立記念日にリリースされることが発表されている。

 

Femi Kuti & Made Kuti - ele-king

 故フェラ・クティの息子のなかでフェミ・クティとシェウン・クティは、ともに父親の遺志を引き継ぐような活動を行なっている。ともにフェラと同じくサックスを演奏しながら歌うスタイルだが、年齢は親子ほど違う腹違いの兄弟で、フェミにはメイドという息子もいる。メイドはフェラから見て孫にあたるわけだが、彼もまたサックスやトランペットを吹くミュージシャンで、父親のフェミのバンドでも演奏している。その親子の連作となる『レガシー+』は、フェミ・クティの『ストップ・ザ・ヘイト』と、メイド・クティの『フォワード』をカップリングしたアルバムとなり、作品自体はそれぞれ独立したものとなっている。

 フェミやシェウンはフェラの音楽性を引き継ぐとともに政治的姿勢も引き継いでおり、ナイジェリアの政治や社会に対するメッセージや批判、風刺をいろいろな作品に込めてきた。近年はシェウンの方が政治色が強く、ロバート・グラスパーのプロデュースで『ブラック・タイムズ』(2018年)のように過激なアルバムも出しているのだが、フェミの『ストップ・ザ・ヘイト』もタイトルからしてメッセージ色の強い作品となっている。そうしたメッセージ性に合わせ、ここ最近のフェミのアルバムのなかでも極めて強力なアフロビートを聴くことができる。冒頭の“パ・パ・パ”はスピード感に満ちたアフロビートで、ナイジェリア政府への批判の一方で強くダンスを煽るサウンドだ。アフロビートはダンスと政治を結び付けた音楽でもあるが、それを体現する楽曲である。

 クティ一族の楽曲に多く出てくるワードに「ガヴァメント(政府)」「ストラグル(闘争)」「エネミー(敵)」「ファイト(戦闘)」「コラプション(腐敗)」などがあるが、『ストップ・ザ・ヘイト』には“アズ・ウィ・ストラグル・エヴリデイ”“ナ・ビッグマニズム・スポイル・ガヴァメント”“ユー・キャント・ファイト・コラプション・ウィズ・コラプション”といった楽曲がある。ビッグマニズムとはナイジェリアの軍事独裁政権のことを指しているが、ナイジェリアは1960年の独立以来軍部と大統領や政党の間で政治が揺れ動き、現在のミャンマー情勢のようなクーデターが多発してきた歴史がある。政治家の汚職や議会の腐敗が頻発する中で、痛烈に政府批判を行うフェラ・クティは軍部や秘密警察から目をつけられ、それに対抗して自らカラクタ共和国を設立し、「ブラック・プレジデント」を名乗ってきたわけだが、そうした遺志を引き継いでシェウンは抗議活動の「オキュパイ・ナイジェリア」に参加し、フェミも『ストップ・ザ・ヘイト』のようなアルバムを作っている。“ユー・キャント・ファイト・コラプション・ウィズ・コラプション”は、腐敗を糾弾する者もまた腐敗しているという皮肉に満ちた内容だが、それが現在のナイジェリアの政治問題の根深さを物語っている。ただ、最後に“ヤング・ボーイ/ヤング・ガール”“セット・ユア・マインズ・アンド・ソウルズ・フリー”という曲を持ってきて、淀んだ空気の現在の中にも未来へ繋がる夢や希望を見出そうという姿勢が伺える。

 メイド・クティの『フォワード』は“ユア・エネミー”のような作品もあるが、どちらかと言えば“フリー・ユア・マインド”“ブラッド”“ウィ・アー・ストロング”など抽象的なイメージに基づく楽曲が多い。フェミの“ヤング・ボーイ/ヤング・ガール”に対し、意図したのか偶然かわからないが、“ヤング・レディ”というアンサー・ソング的な楽曲もある。この“ヤング・レディ”や“ユア・エネミー”のように、レゲエに通じるレイドバックした雰囲気がメイドの持ち味のようだ。同じアフロビートでも、フェラやその直系のフェミのような戦闘的なスタイルとは異なるテイストを持ち、またすべての楽器とプログラミングを行うというマルチなスタイルで、まさにナイジェリアの新世代を打ち出す作品となっている。

CAN - ele-king

 5月28日に『CAN:ライヴ・シリーズ』の第一弾がリリースされることは既報の通りだが、ついにというか、やっとというか、CANの全カタログ16作品のサブスク/デジタルが解禁された。
 また、『CAN:ライヴ・シリーズ』に関して、ダニエル・ミラー(MUTE創始者)のインタヴュー映像も届いたので、リンクをどうぞ。エレキングでも5月後半、イルミン・シュミットの最新インタヴューを掲載します。まだまだCAN再評価は続くのだった。

■ダニエル・ミラー(MUTE創始者)インタビュー映像(日本語字幕付)

Otagiri - ele-king

 Otagiri(オタギリ)の『The Radiant』はリアルではない。痛快なほどシュールだ。このアルバムを聴いていると想像力がかき立てられ、思いも寄らぬイメージがつぎつぎと湧きあがってくる。非常にスリリングな音響体験だが、これは日本で生まれたヒップホップのアルバムである。
 文脈を異にするさまざまな音の断片が入り乱れ、予測のつかないかたちでコラージュされていく。ことばも、ラップというよりはポエトリー・リーディングや演説に近い。ひとつひとつのサウンドや単語は、なるほどたしかにドキッとさせる瞬間もあるにはあるが、決定的な人生の物語や内面を描写することはなく、ただ曲全体のなかへと埋没していく。サックスやら声明やら具体音やらが転げまわり、日本語は唐突に英語へと切り替わる。まずは “Music Related” を聴いてみてほしい。

 Otagiri なるこの才能は、すでに10年ほどまえから活動をはじめていたようだ。これまで Soccerboy や S̸ といった名義で音源を発表したりライヴをしたり、劇作家の岡田利規や ECD とコラボしたり、沖縄を拠点にしているらしいこと……しかしより詳しい情報は出てこない。むかしのバンドキャンプのページも削除されてしまっている(コンピ『REV TAPE VOL.2』は生存を確認。ほかにフィジカル盤では、コンピ『Fresh Evil Dead』や ECD のベスト盤にその名が見える)。『fnmnl』のインタヴューから読書好きだというのはうかがえるのだが、バイオ的なことはほぼ不明。直近では KID FRESINO の新作『20,Stop it.』に参加していた。

 本作のプロダクションを手がけるのは横浜のDJクルー LEF!!! CREW!!! の DJ MAYAKU と Otagiri 本人。まず、彼らの音づくりが卓越していることは疑いない。マスタリング担当は90年代から活躍するヴェテラン音職人のツッチー。シンガーソングライターの butaji も客演している。
 このアルバムを聴いていると、 そもそもヒップホップそれ自体が以前までのポップ・ミュージックに抗う、ある意味で実験的な音楽だったことを思い出す。Otagiri は、キャラに頼らずとも音とことばだけで闘えることを証明しようとしている。なにより、これほどまでにサウンドと向き合い、独自の音楽を創造することを諦めない彼自身は、きわめてリアルというほかない。

Throttle Elevator Music - ele-king

 スロットル・エレヴェーター・ミュージックと言ってもご存じの方は少ないかもしれないので、カマシ・ワシントンの在籍するグループとして紹介したい。といってもカマシが関わるプロジェクトのなかではかなり毛色が異なるサウンドで、簡単に説明するならインスト系のジャム・バンドとなるだろうか。2015年にカマシが『ジ・エピック』でブレイクを果たす以前から活動していて、ファースト・アルバムの『スロットル・エレヴェーター・ミュージック』は2012年に発表している。
 バンドの中心人物はギタリストのグレゴリー・ハウで、彼がバンドのプロデュースをおこなうと共に、リリース元の〈ワイド・ハイヴ〉の運営もおこなっている。〈ワイド・ハイヴ〉は1999年に設立され、カルヴィン・キーズ、フィル・ラネリン、ラリー・コリエル、ロスコー・ミッチェルなどのジャズから、DJゼフなどヒップホップ系までリリースしている。グレゴリー自身はヴァリアブル・ユニットというジャズ・ヒップホップ・ユニットを率いて作品をリリースしており、そこに在籍したベーシストのマット・モンゴメリーと共に立ち上げたグループがスロットル・エレヴェーター・ミュージック(TEM)となる。

 カマシ・ワシントンは『スロットル・エレヴェーター・ミュージック』から録音に参加しており、ほぼ準メンバーと言える存在で、いくつかの作品では作曲もおこなっている。当時のカマシはジェラルド・ウィルソンのビッグ・バンドを経て、ソロ・アーティストとしていろいろキャリアを積んでいく渦中にあったのだが、伝説のジャズ・レーベルである〈トライブ〉創設者のフィル・ラネリンの『パーセヴェランス』(2011年)の録音に参加していて、これが〈ワイド・ハイヴ〉からのリリースということもあり、グレゴリー・ハウやマット・モンゴメリーとの交流が広がっていったようだ。『スロットル・エレヴェーター・ミュージック』以降、『エリアJ』(2014年)、『ジャッジド・ロックス』(2015年)、『IV』(2016年)、『レトロスペクティヴ』(2017年)、『エマージェンシー・エグジット』(2020年)とコンスタントにアルバムをリリースしてきており、カマシは全作品に参加している。
 グレゴリー、マット、カマシ以外のメンバーは作品ごとに替わることが多いのだが、基本的にはギター、ベース、ドラムスの3ピースにカマシを含めたホーン・セクション、グレゴリーの演奏するオルガンやマットのピアノを含めたキーボード類が加わるという構成である。そして、『ファイナル・フロア』が通算7枚目となるニュー・アルバムである。

 今回の録音はグレゴリー・ハウ(ギター、電気オルガン、シンセ)、マット・モンゴメリー(ベース、ギター、ピアノ)、カマシ・ワシントン(テナー・サックス)のほか、ランピー(ドラムス)、マイク・ヒューズ(ドラムス)、ギター(ロス・ハウ)、マイク・ブランケンシップ(オルガン、シンセ)、キャシー・ナッドセン(アルト・サックス、テナー・サックス)、エリック・イェカブソン(トランペット、フリューゲルホーン)という編成。グレゴリーとマットが作曲をおこない、エリック・イェカブソンがホーン・アレンジを担当している。それぞれベイ・エリアを拠点に活動するミュージシャンが参加しており、面白いところでマイク・ヒューズは1980年代から1990年代初頭にかけてリサ・リサ&カルト・ジャムのメンバーとして活躍した。
 タイトル曲の “ファイナル・フロア” が示すように、ギター、ベース、ドラムスのコンビネーションは骨太のロック・ビートを基本としていて、ウィルコなどのジャム・バンドに通じるところもある。“ハート・オブ・ヒアリング” のようにマットが刻むベース・ラインがバンドの推進力というか心臓部となっている。そして、グレゴリーのソリッドなギター・リフがスロットル・エレヴェーター・ミュージックの生命線で、“ファスト・リモース” のようにパワフルな破壊力を放っている。

 基本的にはジャズ・ロックやオルタナ・ロック的な内容のアルバムで、カマシのソロ・アルバムとは違ってどの曲もコンパクトな演奏時間となっている。ソロ作ではコルトレーンからファラオ・サンダース的な演奏を見せるカマシだが、本作ではどちらかと言えばレニー・クラヴィッツなどとも共演してきたジャム・バンド系のサックス奏者のカール・デンソンに近いラインだ。
 ソロ・インプロヴィゼイションも短く、“スープラリミナル・スペース” のようにホーン全体のアンサンブルで聴かせることが多い。その “スープラリミナル・スペース” はタイトルが示すようにコズミックで前衛的な作品で、“リサーキュレイト” においてもギターとホーン・セクションのコンビネーションが幻想的でアブストラクトなムードを高めていく。そうした中でも “キャスト・オフ” での演奏は、短い尺ではあるがカマシらしいエモーショナルなプレイを存分に発揮していて、彼のソロ・アルバムでファンになった人たちにもアピールする楽曲だろう。カマシの幅広さというか、もうひとつ別の顔を見せてくれるアルバムだ。

Brijean - ele-king

 1970年代風のジャケットのアートワークや『フィーリングス』というタイトルを含め、ブリジャンはドリーミーでロマンティックなスタイルを追求するアーティストだ。カリフォルニアのオークランドを拠点に活動する彼らは、ダグ・スチュアートとブリジャン・マーフィーという男女ふたりからなるユニット。
 ベーシストのダグ・スチュアートは、エンジョイアーというジャズ・ロック・バンドに参加するほか、昨年は『ファミリア・フューチャー』というソロ・アルバムをリリースしている。セッション・ミュージシャンとしてもベルズ・アトラス、ルーク・テンプル、ジェイ・ストーン、メーナーなどの作品に関わってきた。
 パーカッション奏者兼ドラマーのブリジャン・マーフィーは、カリフォルニア大バークレー校の仲間で結成したジャム・ロック・バンドのウォータースライダーを経て、セッション・ミュージシャンとして活動してきた。エレクトロ・ポップ~ディスコ・ユニットのプールサイドはじめ、トロ・イ・モワU.S.ガールズのレコーディングやツアーなどをサポートしている。

 ブリジャン・マーフィーがいろいろなミュージシャンと仕事をしていくなか、ダグ・スチュアートと出会って意気投合し、2018年にふたりのコラボレーションとしてブリジャンがはじまった。ユニット名が表わすようにシンガーでもあるブリジャン・マーフィーをフロントに立て、それをベースからキーボード、プログラミング機材などをマルチに扱うダグ・スチュアートがプロデュースして支えるという格好だ。そして、2019年初夏にファースト・アルバムの『ウォーキー・トーキー』を地元オークランドの〈ネイティヴ・キャット・レコーディングス〉からリリース。プールサイドにも共通するトロピカルなテイストが特徴的で、ブリジャン・マーフィーのパーカッションがラテン的な哀愁を加えていく。
 一方、彼女のコケティッシュな歌声にはヨーロッパ的なアンニュイさがあり、そうしたUS西海岸ともラテンともヨーロッパともつかない無国籍感、キッチュさやいかがわしさがブリジャンの魅力だと言えよう。ハウスやディスコなどのエレクトリック・ビートを用いながらも、パーカッション使いに見られるようにオーガニックな質感を湛えており、サンセット・ビーチが似合うバレアリック・サウンドの一種と言えるものだった。

 それから約1年半ぶりのニュー・アルバムが『フィーリングス』である。今回は〈ゴーストリー・インターナショナル〉からのリリースで、2020年夏に先行シングルとして “ムーディー” が発表された。“デイ・ドリーミング” や “パラダイス” などのタイトルはまるでフェデリコ・フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニなど昔のヨーロッパ映画的なネーミングで、ミュージック・ビデオもソフト・サイケな作りとなっている。こうした白日夢のような甘美な佇まいは、トロ・イ・モワのチルウェイヴ期の傑作アルバム『コウザーズ・オブ・ディス』(2010年)や『アンダーニース・ザ・パイン』(2011年)の世界を思い起こさせる。これらのアルバムにはビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』(1966年)にはじまって、モリコーネなどイタリア映画のサントラの影響も詰まっていたので、ブリジャンについてもその影響下にあると言えるかもしれない。

 トロピカル・ムードに包まれた “オーシャン”、スロー・テンポのボサノヴァ曲 “ラサード・イン・ゴールド” などはまさにサントラやライブラリー・ミュージックの世界。“デイ・ドリーミング” はカテゴライズすればハウスになるが、キーボードの音色は1970年代のムード音楽とかジャズ・ファンクのようで、アンドレア・トゥルー・コネクションのディスコ・クラシック “モア・モア・モア” (1975年)あたりが下敷きになっているのではと思わせる。
 ジャズ・ファンク調の “ワイファイ・ビーチ” に見られるように、演奏がしっかりしている点もブリジャンの特徴だ。スローモー・ディスコの “パラダイス” ではストリングスも交えた秀逸なアレンジを見せる。そして、“フィーリングス” に象徴されるように、ブリジャン・マーフィーの歌声はとことんフワフワとして掴みどころがない。歌声を楽器の一部として用いていて、ムード音楽やサントラなどにおけるスキャットと同じ効果をもたらしている。ロマンティクでドリーミーな “ヘイ・ボーイ”、ジャジーな夜の雰囲気に包まれた “ムーディー” などダンサブルなディスコとラウンジをうまく結びつけるところは、かつてのフレンチ・タッチのなかでもお洒落でサントラ的な音作りに長けていたディミトリ・フロム・パリスの『サクレ・ブリュ』(1996年)を思い起こさせる。

Bobby Gillespie & Jehnny Beth - ele-king

 昨年は BO NINGEN の新作に客演、今年の秋には自伝『Tenement Kid』の出版を控えるボビー・ギレスピー。彼とサヴェージズのジェニー・べスによる共作がリリースされる。タイトルは『Utopian Ashes』で、7月2日発売。
 2015年のスーサイドの公演で知り合ったというふたりだが、同作にはアンドリュー・イネスやマーティン・ダフィといったプライマル・スクリームの面々に加え、ベスの長年のコラボレイターであるジョニー・ホスタイルも参加しているとのこと。
 古典的なカントリー・ソウルのデュエットからインスパイアされたという同作について、ベスは「小説の登場人物を創造するように、キャラクターをつくったんだ」と発言している。「そしてそこに自分を置いてみる。人間の現状を理解するためにね。だから歌はオーセンティックじゃなきゃいけなかった」。他方ギレスピーは「曲を書くときは虚構の人物と結婚して、アートをつくるんだ」とつけ加えている。「音楽に痛みを取り戻したかったんだ」「最近のロックじゃ聴けないからね」とも。
 現在、同作より “愛し合っていたころを覚えてる(Remember We Were Lovers)” が公開中。うーん、しみます。


Madlib - ele-king

 さまざまな名義でソロ活動からコラボレーションなど精力的に活動するマッドリブだが、昨年から今年にかけても実に多忙である。昨年はここ数年のパートナー的なフレディ・ギブズとの共作があり、カリーム・リギンズと組んだジャハリ・マッサンバ・ユニットも先日紹介したばかりだが、早くも次の新作が届けられた。今回はソロ名義ではあるが、実質的にはフォー・テットことキーラン・ヘブデンとのコラボである。片やUSのアンダーグラウンド・ヒップホップ界のカリスマ、片やUKのエレクトロニック・ミュージック界の鬼才と、一見するとあまり繋がりが見えないふたりであるが、そもそもふたりはそうしたジャンルにとらわれないアーティストであり、これまでもボーダーレスな活動をしてきたので、こうしてコラボをおこなうことは自然なこと、いや、むしろ遅かったくらいかもしれない。

 彼らがキャリアにおいて頭角を表わしてきた時期はほぼ同じで、同世代のアーティストと言える。ふたりの直接的な関係がはじまったのは、マッドリブがMFドゥームと組んだマッドヴィランのリミックスをフォー・テットが手掛けたことによる。このリミックス集は2005年にリリースされたのだが、フォー・テットにとってはテクノやダブステップなどにいく前のエレクトロニカ~フォークトロニカ期にあたるもので、一方マッドリブは前年にブロークンビーツのDJレルズをやるなど脱ヒップホップ化が進んでいた。ライフワークのビート・コンダクターをはじめて、より広範囲な音楽を素材としたビート・サイエンティストぶりに拍車が掛かっていた時期でもある。またフォー・テットはこの年にジャズ・ドラマーのスティーヴ・リードのアルバムにエレクトロニクスで参加し、その後両者のコラボによってジャズとエレクトロニクスの融合の新たな1ページを刻むことになる。そうした意味でマッドリブとフォー・テットにとって、この2005年は転機の年だったのである。
 ちなみに、フォー・テットが2003年に〈ドミノ〉からリリースしたミックスCDではマッドヴィランをかけているのだが、同じくJ・ディラプレフューズ73などヒップホップやIDM系の音も結構入れていた。ほかの収録作品はジム・オルークからドン・チェリーにミルフォード・グレイヴズスティーヴ・ライヒにモートン・サボトニック、ジミ・ヘンやフリートウッド・マックにアフロディテス・チャイルドと、まさにボーダーレスなフォー・テットの面目躍如たるものだ。

 今回のコラボはマッドリブが主宰する〈マッドリブ・インヴェイジョン〉からのリリースで、マッドリブが作曲をおこない、フォー・テットがエディットおよびアレンジを担当している。また〈ナウ・アゲイン〉のイーゴンも全面的に協力しているとのこと(彼は〈マッドリブ・インヴェイジョン〉の運営もヘルプしている)。数年来に渡って秘密裏に制作されたとのことだが、『サウンド・アンセスターズ』というタイトルは彼らの音楽の祖先、すなわち影響を受けたルーツ的な音楽を示していると考えられる。ということで、両者の共通項からするとジャズがテーマになっているのかなと思ったのだが、ジャズはもちろんソウルやファンクなどさまざまな音楽を参照したものとなっている。
 たとえば “ロード・オブ・ザ・ロンリー・ワンズ” は1960年代のフィラデルフィアのソウル・コーラス・グループのジ・エシックス(後のラヴ・コミッティー)の “ロスト・イン・ア・ロンリー・ワールド” を元にしている。ネタの掘り起こしはマッドリブらしいのだが、スウィート・ソウルの原曲がソフト・ロックというかサイケデリック・ソウル調のナンバーへと変貌しているのは、フォー・テットのミキシングによるところも大きいだろう。タイ・ファンクに通じるソフト・サイケな雰囲気は、イーゴンが関わる諸作と同じテイストだ。

 ネタ選びやサンプリング・センス的な部分では、マッドヴィランのアルバム『マッドヴィレイニー』(2004年)に通じる作品と言えるだろう。『マッドヴィレイニー』はビル・エヴァンスからマザーズ、ジョージ・クリントン、スティーヴ・ライヒと、実にさまざまなジャンルの音楽をサンプリングしていたのだが、その中でもブラジルのオスマール・ミリト&カルテット・フォルマをサンプリングした “レイド” が実に秀逸だった。“ロード・オブ・ザ・ロンリー・ワンズ”はそれに近いサンプリング・センスを感じさる。
 ほかのサンプリング例では “ダートノック” はヤング・マーブル・ジャイアンツの “サーチング・フォー・ミスター・ライト” を使っていて、やはりマッドリブはほかのアーティストとはセンスが違うというところを見せつける。元ネタは不明だが、“ラティーノ・ネグロ” はスパニッシュかフラメンコが原曲のようである。また古い音源ばかりではなく、“ワン・フォー・クアルタベー” では現在のブラジルのアヴァン・ポップ・バンドのクアルタベーを参照するなど、古今東西のあらゆる音がマッドリブとフォー・テットによって加工されている。

 そして、故J・ディラに捧げられた “トゥー・フォー・2 - フォー・ディラ”。ふたりと交流のあったJ・ディラへのオマージュが綴られると共に、アルバム全体としてはリリースの直前に急逝してしまったMFドゥームへの追悼の念を感じずにはいられない。

Style Wars - ele-king

 1970年代にニューヨーク・ブロンクスにて誕生したと言われるヒップホップ・カルチャー。その黎明期を描く貴重な映像作品として長年にわたって高く評価されているのが『Wild Style』と、そして今回初めて日本で劇場上映される『Style Wars』だ。当時、ニューヨークにて実際に活動していた本物のグラフィティライターやラッパー、DJ、Bボーイ(ダンサー)が出演しながらも、ドラマ仕立てで作られた『Wild Style』に対して、『Style Wars』は完全なドキュメンタリーであり、作品としての方向性は多少異なる。しかし、1980年代初頭のニューヨークにおけるヒップホップシーンの生々しい姿をダイレクトに捉えたという意味で、『Wild Style』と『Style Wars』は共に重要な作品であるのは疑いようがない。

 二つの作品に共通する重要な点の一つが、ヒップホップの3大要素であるラップ、ブレイキン、グラフィティを扱っているところだろう(注:『Wild Style』はさらにもう一つの要素=DJにもフォーカスを当てている)。実際、この3つの要素はたまたま偶然、同時代に存在していたにすぎず、特にグラフィティに関しては当事者である(一部の)グラフィティライターがヒップホップとの関連性を否定する発言を行なっていたりもしている。しかし、『Wild Style』と『Style Wars』によって、ヒップホップの定義が視覚的にも明確に示されたことは、その後、ヒップホップカルチャーが世界的に広がっていく一つのきっかけにもなっており、いまでは音楽シーンやアートシーン、さらにファッションシーンなど、さまざまな分野にヒップホップカルチャーは多大な影響を与えている。

 1980~83年に製作された『Style Wars』だが、三大要素の中でも最も強くスポットを当てているのが「グラフィティ」だ。『Style Wars』の発起人とも言える存在であり、プロデューサーとしてこの作品に関わっているフォトグラファーのHenry Chalfantは、実際に70年代初期からニューヨークのグラフィティシーンの盛り上がりを目にし、グラフィティ作品の撮影などを通じて様々なグラフィティライターたち繋がっていった。映画の撮影開始時にはすでに40代になっていた白人男性であるHenry Chalfantが、通常であれば決して素顔を明かすことのない10代~20代前半のグラフィティライターたちと深い関係を築いたことは驚くべきことだろう。その結果、有名無名含めて実に様々なグラフィティライターが本作に出演しており、さらに今では伝説として語り継がれている、グラフィティライターの交流の場「ライターズ・ベンチ」など貴重な映像が多数盛り込まれている。
 とはいえ、『Style Wars』は決してグラフィティの格好良さのみにフォーカスした作品ではない。ニューヨークの一般市民やグラフィティライター自身の家族にもグラフィティというカルチャーが理解されなかったり、大きな社会問題として行政側がグラフィティに対して否定的なメッセージを発している部分などもしっかり描かれている。実際、ニューヨークのグラフィティの最初のピークは70年代であり、本作の撮影が行なわれた80年代前半はシーンにとっても過渡期であった。ニューヨーク市交通局がグラフィティを排除するために様々な施策を行なったり、あるいは一部のグラフィティライターが表現の場をギャラリーに移していく様子など、その変化の兆しも本作ではしっかりと捉えている。

 今では全車両がグラフィティで埋め尽くされた地下鉄が、ニューヨークの街中を走る姿を見ることはまず不可能だろう。80年代初期のそんな貴重な映像を見るだけでも本作を鑑賞する意味があるが、グラフィティというカルチャーの陽と陰の対比も感じながら、ぜひ『Style Wars』を観て欲しい。

Various - ele-king

 これまでに2刊が発売されている『ゲーム音楽ディスクガイド』発のリイシュー・シリーズから、待望の第二弾作品がリリースされた。
 ヴィンテージなゲーム音楽のサントラ盤というと、一般的には、いわゆる8bitの「ピコピコ」音が想像されるだろうが、本作『銀河伝承 オリジナル・サウンドトラック』はだいぶ趣を異にしている。冒頭からして生音のフルオケではじまり、ヴォーカル楽曲としてきちんと独立したポップス、手の込んだ多重録音スコア等、一聴して、実際のソフトに収録されていた音とは別に制作されたものだとわかる。かといって、筐体やソフトに収録された音源に追加演奏をレイヤーするという、いわゆる「アレンジ盤」の類とも違う。

 『銀河伝承』は、1986年11月、ファミリーコンピューターディスクシステム用ソフトとして発売された、縦スクロール型シューティングゲームだ。ソフト本体のほか、小説や関連資料を収録した副読本、音声ドラマは主題歌を収録したメディアミックス商品として、豪華化粧箱に入れられて発売された。このサウンドトラック盤もそれと連動した企画であり、音楽面からよりいっそう『銀河伝承』ワールドを味わうことのできる商品として、〈ビクター〉から単体でリリースされたものだ。
 制作を取り仕切ったのは、元博報堂でゲームソフト発売元のイマジニアスタッフ飯田祥一と、彼から音楽面のコーディネートを委託された S.V. Labo (スーパーマーケット業界大手ダイエー内映像・音楽制作部門)の菅原裕。単なるサントラ盤でない、メディアミックス企画ならではのオリジナルトラック集が模索され、多彩な才能が集結することになった。この時代、コミック作品やライトノベルを元にして、ヴォーカル曲を含むオリジナルトラックを「イメージ・アルバム」として発売する手法が隆盛していたが、いわば本作も、「ゲーム版のイメージ・アルバム」といえるかもしれない。

 オリジナル盤CDが、2021年現在、オークションやマケプレで40,000円を超えるプレミア値を叩き出している(本再発が発表される以前には10万円超えという例もあった!)ことからもわかるとおり、本アルバムは、ヴィンテージゲーム/ゲーム音楽のマニアにはかねてより名の知られた存在だったという。しかし、今回再発に至ったのは、もちろんそういった理由だけではない。ゲーム音楽を、単なるBGMとしてではなく「音楽的」視点で評価する、という『ゲーム音楽ディスクガイド』が掲げるスタンスの通り、「和レアリック」や「シティポップ」が浸透した今だからこそ正当に聴かれるべき、実に豊かな内容を持った作品なのだ。
 まず、その作家陣が凄い。ゲーム本編の音楽を手掛けた増子司をはじめ、宮本光雄、宮城純子といったジャズ~フュージョン系のミュージシャン、伊藤銀次、佐藤博、久保田麻琴(久保田真箏名義)、西平彰、Pecker といったロック~ポップス系のアーティストがこぞって参加し、作編曲に腕を奮っている。

 DJ的な目線から気になる曲をいくつかピックアップしよう。
 ②“ロマンティック・オデッセイ” は、ゲームソフト付属のカセットには荻野目洋子歌唱版として収録されていた伊藤銀次作編曲のトラックのリメイク。代打として歌唱を担当しているのは、和モノマニアならご存じ、広谷順子だ(オリジナル盤のクレジットでは匿名名義だったが、今回の再発にあたっての調査で発覚したらしい)。伊藤銀次らしいビートの聴いたポップスで、ゲートリヴァーブバリバリのスネアやシーケンサー使いなど、ザ・’86なムード。
 ③“伝説の唄” は久保田麻琴が作編曲を担当した、かなりベタに「インド風」を狙ったエスニック・ニューウェーヴ曲で、本作中でも最も今ウケしそうな曲のひとつだ。曲中でリフレインされる謎のコトバは、ゲーム世界において重要な役割を果たす祈りの文言より。歌唱クレジットは「ザ サラミ」という謎の表記になっているが、特徴的な声質からして、これはおそらく久保田麻琴のパートナー、サンディーによるヴォーカルではないか?
 ⑥“ファンタジー” も目玉曲だ。ここ数年で爆発的に再評価されたシティポップ・レジェンド、佐藤博による作編曲。ただただ極上のミディアムライトメロウなのだが、「あれ、どこかで聴いたことのあるメロディーだな」と思ったら、翌年佐藤のソロ・アルバム『フューチャー・ファイル』に収録されている同名曲のオリジナル版なのであった。ヴォーカルは、佐藤のソロ作にも作詞、コーラス参加していた音楽評論家の藤井美保。佐藤自身もヴォーカルに加わる。
 西平彰が手掛けた⑦“洞窟のテーマ” はいかにもイメージ・アルバム的なインスト曲。若干ミュンヘン・ディスコっぽくもあり、現在ならシンセウェーヴ的解釈でもリスニング可能か。宇多田ヒカル “Automatic” でのアレンジワークが最も知られているだろう西平彰は、沢田研二のバック・バンド「エキゾチックス」としても活動しており、そちらも和モノ的人気が高い。その上外部仕事にも面白いものが多く、なかなか掘りがいのある人物。
 ⑨“惑星のテーマ” は、ゲーム本編の音楽を手掛けた増子司が作曲で、本曲のメロディーも本編で使用されている。編曲は THE SQUARE の初期メンバーとしても知られるフュージョン系キーボーディスト、宮城純子が担当。バシンバシン打ち込まれるスネアが気持ちいいソリッドなブギーだ。ブリッジ部のコズミックな展開も素晴らしい。

 ゲームはもちろん、アニメやライトノベルなど、スピンオフ的に制作された当時の(主に)CDには、本作のように優れたものが少なくない。一部マニアやDJのおかげもあってだいぶディグが進んできたジャンルではあるが、こうやって入手困難だったものが優れたマスタリング/パッケージで再発売されることは実に喜ばしい。一方で、まだまだ「手つかず」の秘宝が眠っている気配もひしひしと感じる。レアグルーヴの先端は、今このあたりにある。

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